はてなキーワード: 短編小説とは
Amazonに『Panties』っていうクッソくだらない英語の短編小説集があってKindle Unlimitedならタダで読めるよ
無駄に二巻まで出てるよ
文章を書くのが好きで、小学生の頃から今に至るまで非現実的な世界観の短編小説を書いて遊んだりエッセイを書いては懸賞に応募したりしている。
いくつか賞ももらったし、研究室の先生が雑誌(学術誌じゃなくて業界専門誌みたいな月刊の雑誌)に寄稿するときはわたしが校正してあげたりしているし、
文章を組み立てることが人より多少は得意だと思っている。
けど、学術論文はわたしがいままで培ってきた叙述法とはかなり違う文法の元に成り立っていた。
今、わたしは理系の大学4年生なので卒論執筆に忙しい。卒論の内容は、マイナーチェンジを加えて学会報に投稿するつもりだから、先生もしっかり目を通してチェックしてくれる。
初稿をチェックしてもらって、返ってきた原稿はアドバイスや注意点の青ペンで真っ青になっていた。
たくさん論文も読んだし、要旨のチェックのときにも確認したし、かなり論文の文法は覚えてきたつもりだったんだけどなあ。
並列のときは(たとえば「赤と青と緑にそれぞれ色付けられた~」とか)英語に倣って「赤、青、および緑に色付けされた~」みたいな書き方を一律でしなきゃいけない。これはだいぶ慣れたけど、いつもそのときそのときで一番読みやすそうな、より語感のいい書き方を心がけてきたわたしにとっては抵抗感が大きいものだった。「赤、青、緑に~」はもちろんだめだし「赤と青、そして緑~」もグレーゾーン。
「だった」「~で、」も「であった」「~であり、」とかに統一。一文の長さはできるだけ短く。
筆者を示す主語はほとんど登場させず、「我々はデータを~~に従って分析した」みたいなことを言うときには「データは~~に従って分析された」とかいう書き方になる。
英語的な表現が多くて、読みやすさの点で言うとあんまり読みやすくない。でも、できるだけ筆者の言いたいことをできるだけそのまま読み手に解釈してもらうという意味ではこういう統一された文法が便利なのかもしれない。
あまり読んでて気分がよくなる文章にはならないけれど、しかし、この文法を完全に身につけて必要なときに使えるようになったら、それはそれですごく大きな力になるだろうな、とも思った。
元々アクション系の映画はあまり興味がなく、グロい感じのホラー映画はそもそも怖くて観られないと分かっているのでヒューマンドラマとかサスペンスみたいな映画をよく観ている。サスペンスは多少暗い・怖いやつでも大丈夫で、むしろ今まではそういうのを楽しんでいた。
…が、昔映画館で鑑賞して大変気に入っていた「ブラックスワン」がAmazon Primeで無料で観られるということで喜んで視聴したところ、前半で断念。ヒロインの母親の言動が怖すぎて、見ているだけでヒロインの痛みが自分にもダイレクトに伝わってくるようで耐えられずブラウザを閉じた。そしてまた別の日、同じくAmazon Primeで「イン・ザ・プール」を観た。一風変わったワガママな神経科医のところに色々な患者さんがやってくるという短編小説が原作になっている。原作は数年前に既読で内容はおぼろげにしか覚えていないが、サクサク読めて普通に楽しく時間つぶしができる内容と記憶していた。で、その中に「出かけた後で台所の火を消したかどうかがどうしても気になって家に戻ってしまい、仕事を台無しにしてしまう」という強迫神経症の女性が出てくる。他にもプールで泳ぐことに依存しちゃう男性とかずっと勃起しっぱなしの男性とか色々出てきてそっちは気にならないんだけど、なぜかその女性だけは気になってしかたがない。市川実和子の演技が上手過ぎるせいかもしれない。彼女が無理やり笑顔を作りながら、家を出る前に「エアコン良し!ガスの元栓良し!〇〇良し!」と叫ぶ度に心がざわざわする。劇中そういうシーンが合計何回出てくるのか分からないが、数回目でやはり耐え切れなくなって視聴を止めた。
私自身は正直けっこうメンタル弱めだなとは思うものの、別に何か病名がついたり薬を飲んだりしているわけでもないし、親に罵倒されたことはあっても虐待された覚えはない。それなのに、映画を観ているだけで登場人物の状況がつらすぎて耐えられなくなってしまう。普通、年をとるとそういう感覚は鈍くなるものだと思っていたが何故逆なのだろうか。
不思議だ。
ここまで読んでフィリップ・K・ディックを読んでないのはもったいない!!!
処女作からしてランダム性を主題に掲げて人造人間に10人の意識がのべつ間もなく入り込むお話ですから
ディックの長編SFはサスペンスな要素が強く映画化もされているのでまずはそこから3つ手に入りやすいものをおすすめします
どれもこれも面白いですが、苦手になってほしくないのでポップな面白さで図抜けているユービックを一晩(一番)にどうぞ
暗闇のスキャナー(A Scanner Darkly)
電気羊はアンドロイドの夢を見るか(Do Androids Dream of Electric Sheep?)
ユービック(Ubik)
ディックの長編は一気に読ませるほど面白いんですが綻びがなくもないので短編の方が実はおすすめです。
火星年代記を読まれているということは多分短編小説もたしなまれると思いますので次の2つをおすすめします。どちらもベスト版です。
人間以前
「アジャストメント」は映画にもなった表題作ですが、他にも「にせもの」や「電気蟻」、「くずれてしまえ」など特におすすめの一作です。
他の短編集に収録されているものが多いのでコレクターの方には不評ですが、最後のエッセイだけでも買う価値あると思いますよ~
ディックからもう一歩踏み込むならJ・G・バラードや安倍公房をおすすめします。
安部公房の作品はどれをとっても入りやすく、それでいて本質を問うような内容でとってもおすすめです。
ノーベル賞関連で取りざたされることも多いですがそんなことはそっちのけて入り込んでほしいです。
SF色が強いのは「第四間氷期」ですが、他のどれをとっても馴染んでいけると思います。
J・G・バラードはいわゆるニューウェーブの作家さんですが、その価値を抜きにしても読んでほしいと思います。
中後期の作品は非常に濃く、好き嫌い分かれるところだと思いますが、最初期の「結晶世界」だけでも手にとって欲しいです。
SF的な味付けはありますがユング心理学でいうところの「シャドウ」に直面するような内容です。それをどのように受け取るかで面白さが変わってくると思います
ブログを3つ(毎日ではないけど)書いていて、ときどき増田にも投稿して、ツイッターもやっている。
でもそのどれも、「わたし」じゃない。
全部、「この人はこんな設定」と決めて、完璧に演じ分けてる。
ブログはどれも月間PV5万くらいで、美容系に興味あるキラキラ女子設定の連絡先には、いろんな企業からステマ依頼がくる。「この商品を購入したとレビューして」ってやつ。全部断ったけど。今流行ってる某ダイエット酵素も来た。
本好きサブカル系(ちょいメンヘル)ブログには週に1回くらいのペースで短編小説を書いていて、某出版社から「今まで書いたものをまとめて本にしないか」って連絡がきた。断ったけど。
どこにでもいる普通の女子大生設定のブログでは主に恋愛話なんかを書いていて、彼女はカフェに行ったり買い物に行ったりするのが好き、らしい。
ツイッターアカウント(フォロワー2万人くらい)が一番素の自分かもしれない。リアルタイムで呟くせいかな。
増田にはそのときどき思い浮かんだネタで書く。ブクマがたくさんつくと嬉しい。あと、よく文章を褒めてもらえてそれも嬉しい。だからネタ書いて悪いなって思いながら書いちゃう。あ、この記事はほんとのこと。って言ってもあんまり信憑性ないか。今日書いたネタ記事バラしたら信じてもらえるかな?
美容系にまったく興味がないわけじゃない。人並くらいには美白とか新商品とかに興味はある。でも肌弱いから基礎化粧品なんかは新しい商品使わない。色物(アイシャドウ、口紅、ネイルとか)が好きなだけ。
本は好きだからたくさん読むし小説を書くのも昔から好きだけど、あくまで趣味範囲。月刊ムーが愛読書だけど単に怪奇現象とかが好きなだけで、サブカルにはあんまり興味ない。そもそも、今サブカルってどのあたりを指すかわからない。
恋愛経験はあまりないけど、「みんなこんな恋愛好きでしょ?」「でも時にはこんなトラブルもあるよね…」みたいな感じで書いてる。ちょっとだけ実体験を混ぜて書くのがポイント。あと生々しくない程度の性の話を混ぜたりする。そうすると、少女漫画的嘘くささが抜ける。
こんな風になりたいな、こんな風だったらいいな、っていうそういうの。
美容系のブログにはちらり顔出しもしてる。アイシャドウの色とかそうしないと見せれないしね。新しいネイル買ったら、塗って写真撮って載せたりもしてる。
そんな私の正体は、青白いチビの痩せっぽちで、堂々たるメンヘラ(統合失調症陰性で手帳2級)で、読書が趣味の暗い引きこもり。
リアルの友人は大学時代に交際経験がある男友達一人きり。ほかの友達はみんな連絡が途絶えた。(数年間も完全に引きこもったらそうなるのも自然なことだよね)
メンヘラだけど、過去に解離性同一性障害の診断は受けたことない。だから、ブログで作ってる人格は多重人格なわけではない。主治医の先生は全部のブログを知ってる。特に何も言われたことはない。
無駄に時間だけあるから、いろんなこと調べたりできて、ブログ書く時間もあるだけ。
美容系ブログでも彼氏いる設定だけどそこでは「自分のために綺麗になりたい」と言い、女子大生ブログでは「彼氏はどんな服が好きかなー」と架空の恋人のためのデート服で悩んだりする。
それぞれに共感する人が集まってコミュニティが出来てるから、どっちも需要があるんだなと思いながら書いてる。
みんな虚構が好きなんだ。
私も虚構が好き。
手帳本が好きなのも、人の日記を読むのが好きなのも、エッセイ本を読むのが好きなのも、自分以外の他者がどんな生活を送ってるのか知るのが好きだから。
そして、私がいろんな人になっていろんなものを書くのも、自分以外の他者になってみたいから。
ただ問題は、だんだん、自分というものがなくなってくるような気がすることなんだ。自分のために綺麗になりたいとも思うし、彼氏がいるときは彼氏のために綺麗になりたいと思う。
そのへん、よくわからなくなってくる。
本が好き。でも調子が悪いときは読めない。読んでても、文字は読めても文章が読めない状態になるのね。そんなときは虚構に逃げるために小説を書く。内容なんてないテーマもない、短い小説。雰囲気だけの小説。
去年の夏頃、大学時代の友達に「SHIROBAKOめっちゃ面白いわ! 見てみ!」と言われた。
いつもだったら「後で見てみるわ」と言ってお茶を濁すんだけど、その時は本当に何となく気が向いたので見ることに。
就活面倒でダラダラしてたらいつの間にか実家でニートしてた俺にとってSHIROBAKOは輝かしい世界であり、
人に合わず毎日親の作った飯を食べて惰眠をむさぼる生活を続けてきて初めて「俺も働いてみたい」と思わせた。
多忙でかったるい日々が待ってた。俺は一ヶ月もしないうちに辞めた。
そのうちまた大学時代の友達が「花咲くいろは面白いで!見てみ!」と。
この時も何となく見ることに、多分前回のSHIROBAKOが凄い面白かったのからだと思う。
いざ見てみて「ああ、こいつ俺を働かせたいんだろうな」と。
2回連続で働く系の話が来たらそう思うって。
また働いてみたいと影響されたが、前回のコンビニバイトを通じて「どうせ働いても面白くはない」と思った。
だから今度は違う働き方をしようと思って、妄想を膨らませてることに。
その結果、SHIROBAKOのように何かを制作する職業が良いなー、と。
しかし、アニメ業界はやばいって話を嫌になるほど聞いていたので「じゃあ茶沢先生ポジションになればいいじゃん」と短絡思考。
それで何となく書いた作品を新人賞に投稿した。凄いハードだったが資料集めたり、キャラクターがどう動くのかとか考えるのは楽しかった、物語の作り方はSHIROBAKOに登場する木下監督の真似。
結果は2次落ち。
凄いショックで3日ぐらい寝込んだ。人生の中であれだけ思いを込めて過ごした日々はなく、他の作品に負けたことに悔しかった。
それからは次こそはと思って、地力をつけるべく短編小説を作って修行。
ネット上には酔狂な奴も多く、評価を依頼する場所には困らなかった。
結局のところ結果だけ見れば俺はまだニートだけど、昔とは比べ物にならないぐらい毎日が充実してる。
何のために生きてるんだか分からない日々から脱却させてくれたSHIROBAKOと花咲くいろはには感謝してもしきれない。
親のすねかじりながらラノベ書いて人生充実! 何て普通の人からすれば「馬鹿にしてんのか!」って感じだろうけど穀潰しニートの俺からしたらすごい進歩だと勝手に思ってる。
現状に不満もあるみたいだけどたまに創作論的な本を買ってきてくれるから応援してくれてるんじゃないかな。
書き始めた当時は友人らに「影響されただけ」と「お前じゃ無理だやめとけ」しか言われなかったけど今は諦めたのか何も言わない。
多分俺は世の中大半の人間からすれば負け組に分けられるだろうけど、個人的には幸せだし現状に満足してる。
何かに影響されて始めた当初は何故か馬鹿にされるけど、長く続けりゃ何も言われなくなる。
※冒頭のお詫びとお断り:検索対策のために、略字を多用することになりました。読みづらくて申し訳ありません。
お勧めいただいた『R』、読了しました。小説を読むこと自体が、わたしには滅多にないことなので、読み出し当初は困惑しつつも、広大な小説世界に潜り浸るという新鮮な体験を楽しむことができました。作者NAの文体も、読み慣れてチューニングが合うようになると、とても心地よく感じました。そんな読書の幸いを少しだけ、感謝を込めて共有させていただけたらと、拙い感想をお届けいたします。ご笑覧いただければ嬉しいです。(わたしには本当に文才がないので、つぶやきの投稿のように、思いついた順番で書き散らかしまうことを、どうかご容赦ください。いわゆる「感想文」を期待されませんように…。)
『R』のなかに見出した、タイトルとなった人物RRと、修史を完成させたSS、そしておそらく、作者であるNAの、幾重にも折り重なった宿命との葛藤が、深く胸に響きました。読書中は熱い臨場感をもって読み進めていたのが、いま、こうして彼らについて語ろうとすると、静かに冷たく研ぎ澄まされた気持ちになるのは、なぜだかわかりません。書きながら、自分の感情を文字にして確認してみたいと思います。
RRが、内に抱えた矛盾を少しずつ自覚し、揺れていく様は、わたし自身も覚えがあり、とても身につまされました。B帝に誤解され、国に残した愛する老母も妻も子供も弟も、みな殺されてしまう。RRは、大いに怒り、忠誠を誓ったはずの国とのつながりを見失う。思い返せば、これまでR家の忠誠に国は報いてくれたことがあったかと疑い、むしろ辱しめを受けただけだと失望する。そして、首を取って戻るという目的を喪失したものの、よく似た身の上で、誰にも認められなくとも、国への愛情と忠誠を抱き続けたSBに、尊敬の念と敗北感を抱く…。
家族を殺された怒りの大きさのあまり、B帝に誤解させたであろう同姓のR将軍の「存在」を怒りの矛先として、即座に彼を殺害したRR。けれど、B帝の誤解の原因が本当にそうであるか、定かでないはず。B帝と同様に、RR自らの誤解の可能性が、R将軍の命を奪い、彼を愛した皇太后を悲しませたかもしれないことに思いは至らなかった。ただ怒りに身を震わせて、衝動的に行動してしまった。おそらくは、B帝がRRの裏切りだと誤解して、衝動的に一族皆殺しを命じたように。
たしかに、身分の違いによる命の重さの違いを当然とする価値観が、受け入れられていた時代だったかもしれません。それゆえ、別の場面では、砂漠の中、戦局が厳しく、少しでも確実に部隊を生き延びさせるために、RR自ら、部隊に男装して混じっていた妻たちを殺害する命令を、冷静に下したこともあった。同様に、愛する妻を殺された部下は、敵に寝返って、RRの部隊の勝機を完全に奪った…。
RRは、自分がされて苦しんだことを、他人に対して無自覚にしてきたということ。それゆえ、RRが直面した苦しみの本質は、因果応報で自業自得というメカニズム、…などでは「決して」ないと、わたしは思います。そもそも、RRの行動は、彼なりに状況に応じて最善と思われる選択をした結果でした。作者も、そんなRRを「悪」として描いてはいません(むしろ、宿命との格闘を活き活きと描写する姿勢には、愛情を感じます)。状況に追い立てられ、もがきながら生き延びてきた選択の愚かさを、もしも誰かが(分析好きのわたし自身が)指摘するなら、それは一生懸命さに対する揚げ足取りにすぎず、そもそも人間はそういう愚かな存在だし、渦中にあったら、わたしもそうしたはずだと(ましてや、さらに低きに流れていた可能性のほうが大きいと)、反論せずにはいられません。
SBと邂逅後のRRは、自らの抱える矛盾や二面性に気がついて、苦しみを深めます。B帝の死後、かつて望んだように、国から彼が認められ招聘が掛かるのですが、それを断る弱々しい(元気のない)声のRRが印象的です。RRは、ここでもまた無自覚で、言葉を結んでいないものの、自らを通じて、人間存在の内にある矛盾や二面性に、また国(人間社会)の内にある矛盾や二面性に直面して、途方に暮れているのではないかと、わたしには感じられました。さらにいえば、SBのように国への想いを貫ける強さも持ち合わせず、そのSBを羨望する弱い自分を恥ずかしく思うRRは、それゆえ人間の矛盾と二面性を丸ごと生きているのでしょう。RRの覚悟が悲壮であるとすれば、そのような自分に気づきつつも、両極に引き裂かれてどちらへも動けない苦しさゆえと感じました。正しい道はあまりに険しくて進めず、かといって居直ってダークサイドに落ちることもできないと自覚した以上、どっちつかずのまま生きながらえます(B帝の死後、7年目に没)。おそらくはRRも、自殺による幕引きを自らに封じた一人でした(文中では、現地での恩義や家族などのつながりをRRはあげていますが、対して、RRの祖父は、親のいない孫を残して、義憤から自死を選んでいます)。
ところで、RRは、自らとSBとを「隔てる根本的なもの」に直面し、自らへの「暗い懐疑」を自覚するに至るのですが、SSとの関係もまた非常に興味深いです。
SSは、RRの名誉を守ろうとしてB帝らに反駁し、結果、死よりも恥ずかしむべき宮刑を受けます。ところが、このことを伝え聞いたRRは、自らの沈む絶望が深く、SSに対して何の特別な感情も抱きません(し、そのようなクールなRRの反応を、SSは伝聞することもありません:そこに作者NAの優しさを感じます)。対してRRは、B帝のため国のために信義を尽くそうとするも、相手から誤解され、罰せられて一族が殺されたことを知り、大いに絶望して反転します。しかし、自らが、為を思って働いた相手に無碍にされることが、どれほど当人を傷つけうるかに、思い至りません(し、それも尤もだと説明を書き添える作者NAには、RRへの深い愛情を感じます)。
そんなSSですが、42歳にしてようやく父の遺言を継ぎ、修史の編纂に取り組むことが叶います。現代の人々に知らせるために記録するにとどまらず、人間の叡智として後世へ伝え残すための歴史、なにより自分自身が書き残したい歴史には、「人間についての探求」が不可欠だと考え、「述べる」と「作る」との違いを熟考する。しかし、真摯に取り組めば取り組むほど、歴史上の人物と自分自身とが渾然一体となるような文章、まるで描き出す歴史上の人物の中に自分が生きているような表現、憑依し憑依される活き活きとした文体が流れ出る。そうした箇所を削除すれば、たちまち修史はいくつもの死人に関する記録に成り下がる。削った字句を戻して、ようやく歴史上の人物たちが「安心してそれぞれの場所に」落ち着くように思われる。
このSSの創作風景に、作者NA自身の創作風景を重ねて見るのは、自然でしょう。わたしは、NAについてほとんど何も知らないけれど、この『R』やその他の彼の短編小説なども、歴史書を下敷きにして創作されたと(文庫巻末の解説に)目にしました。憑依し憑依される関係性のなかで、自らの書く小説の中に(のみ)活き活きとした自由を感じられたのは、SSだけでなく、NAもそうであったと想像します。
先を急ぐ前に、もうひとつSSについて。時代的・文化的な特徴と思われますが、宮刑を受けて「男」でなくなった自分の身体は、「完全な悪」に落ちたと苦しみます。心の傷は癒えても、醜悪な身体は、死ぬまで自分を苦しめる。それは、自分という存在そのものが、悪である証しであり、生きる限り続く恥辱だ、と。これが、「盲目的な獣」としての苦しみの段階です。(が、作者NAの有名な短編『S』では、狼へと変身して初めて思い至った気づきを、数日で通り過ぎてしまうあたり、作者NAが、SSに託した気持ちの大きさを思います。)
その後、SSは、我が身に降りかかった苦悩・人生への懐疑とは別の、意義を疑えない「畢生の事業」である修史に「無意識の関心」が向いており、それゆえ自ら死を選ぶことができないでいるとハッキリと自覚します。ここから、「より意識的な・人間」としての苦しみが始まります。この、獣から人間への飛躍が、とても深いことに感嘆しました!
「獣」と書いていますが、つまりは世俗の社会的価値観のなかで「盲目的に」生きている段階のことです。ここでは、「身体=身」と「心」という対比が支配しています(「身/心」という二元論で捉えられています)。舞台となった漢の時代的・文化的な特徴として、名誉や忠誠といった「心」を守り通すためには、人々は死を恐れず、むしろ喜んで「身体」を自ら差し出します。SSも、死刑を恐れてはいませんでした。しかし、醜悪な「身体」となったSSは、その恥辱から「心」を解放すべく死を願うも、それを押しとどめるものの存在を予感します。自宅に戻ると、それは父に託された修史編纂の完成であることを理解します。自らに刻み込まれた「宿命的な因縁」として、「肉体的な」仕事とのつながりを放棄できないことに改めて気づかされます。ここから、「より意識的な・人間の苦しみ」へと飛躍するわけです。
ところで、世俗の社会的価値観(=知覚や意識)は、SSの「心」=「我」と、「身体=身」とを形成してきたものです。しかし、託された使命への自覚は、既存の価値観にとって、おめおめと生き恥をさらすような人生を続けることを求めます。SSの抱く既存の価値観(=知覚や意識)にとっては、耐え難く、非情な要請です。そのため、「知覚も意識も」持たない、修史編纂のための「機械」に過ぎないと、(既存の価値観=知覚や意識で)自分を定義しなければ、自らに言い聞かせなければ、生き続けられなかったのだろうと思います。SSがSSであるという意識の土台となる「心」=「我」も、そのために捧げる「身体=身」も、当時の社会的解釈の上に成立してきました。この解釈にいつまでも安住できたら、まだSSの苦悩は浅かったかもしれません。「宿命的な因縁」、すなわち、いにしえから脈々と受け継がれて自分に生命(魂)を与えた血統のように、時代を超越した「肉体的な」つながり=使命(魂)への自覚は、SSに当然視してきた当時の社会的解釈に安住し続けることからの飛躍を求めたわけですから。「心/身」という二元論を越えて、使命を抱く「魂=肉体」として自らの存在そのものを捉え直すことは、当時の社会的解釈から、漢の時代的・文化的制約から、身を引き剥がすことでもあります。それは、昭和の時代から当時を見つめる、超越的な作者NAの視点でもあります。
ここで描かれたSSの姿は、作者NAの解釈したSSの苦悩であり、おそらくは、昭和の現実を生きて苦悩したNA自身の苦悩の姿であるのかと思います。作者NAもまた、病床のなか不遇のなかで「心」も「身体」も傷つきつつ、作家として生きる使命によって、自らの小説の中に「魂=肉体」を解き放したのかなと思いました。(ちなみに、「魂」という単語は、作者NAは使っていません。でも、明らかに、「身体」=「身」と、「肉体」というのを使い分けています。その差を強調するために、わたしが勝手に補ってみました。)
そういうわけで、困難な戦場を生き延び、また自らに暗く懐疑するRRも、自らの信じる正義を貫き、恥辱に苦悩しながら使命に生きるSSも、その抱えた宿命の重さにも関わらず、活き活きと自由に躍動する姿には、作者NAが重ねられているのだと思います。NAにとって、小説を書くことというのは、憑依し憑依されてその世界を生きることなのだろうと感じました。事実、『R』のなかで、RRとSSの二人について「だけ」、歴史上の人物としての事実の描写だけでなく、その場にあって思い感じたこと、彼らの知覚と意識まで作者は思い描き、詳細に語っています。(わたしは、新潮文庫を購入したのですが、その文末の解説に、『R』はRRとSSとSBの三人の物語だと紹介されていて、そりゃちょっと違くないか?と違和感を覚えました。それもあって、今回の読書では、基本的に予備知識なく、勝手に読んでいます。)
だからこそ、冒頭に書いたような「静かに冷たく研ぎ澄まされた気持ち」を抱いてしまうのかなと思います。RRやSSが抱えた宿命の重さも悲壮な覚悟も、作り物としてのフィクションではなく、また単に歴史を題材にした半分史実・半分フィクションといったものでもなく、作者NAが抱えたであろう実体験を(ノンフィクション、と片仮名で書くには軽すぎる経験を)、わたしはそこに感じたからだと思います。
作品は、読者の能力に応じて・読者がそこから読み取れるものしか、読むことができないのだろうと思います。(それゆえ、例えば同じ聖書であっても、子供が、若者が、大人が、死を前にした老人が、それぞれが自分に必要なものを、そこから読み取ることができるのだと思います。) だから、わたしが読むことができた『R』は、私の興味・関心に限定された、豊穣な作品全体のごくごく小さな断片に過ぎないと自覚しています。きっと、H.H.さんからしてみれば、幼い読み方だと笑ってしまわれるような感想だったかもしれません。それでも、この作品に出会えて、とても嬉しいです。作品を作ることに込める覚悟のようなものを、改めて考えるキッカケをもらえました。ありがとうございます。
最後に、『R』を読みながら、H.H.さんがそこに読み取ったであろう痕跡をいくつか感じました(例えば、存在することが悪であること、それでも書写機械として生きる覚悟をしたSSの中に)。そんな大切な小説を、紹介してくださって、本当にありがとうございます。とても光栄です。でも、もしかしたら上述した私の感想は、そんなH.H.さんの想いを、まるで現国の試験問題に答えるかのように切り刻み、分析し、曲解した失礼なものと映ったかもしれません。もし、不快な気持ちにさせてしまいましたら、本当に申し訳ありません。(あなたの真摯さに敬服するファンとしては、自分の正直で素直な感想を真摯に伝えるべきで、あなたのご機嫌を取るために媚びを売るような接し方こそ失礼なのでは、と勝手に考えてしまいました。決して、あなたを否定するものではありませんこと、ご理解ください。)
自分について思索する道を、Kさん=H.H.さんに教え導いてもらえたように感じています。あなたの魂=肉体の存在に、感謝します。(勝手なファンの願いであり、余計なお世話かと思いますが、だからこそ、どうかご無理をされず、くれぐれも心と身体を大切にしてください。) あなたの幸いを心からお祈りしています。
h_s
本文ママ↓
私はあなたが親切にあなたの時間がかかると私は言語トランスレータを使用していますように、より良い理解のためにこのメールを読んで、あなたが理解しないことがあるなら、返信することで私に質問してくださいしたいと思います。 メールにてご連絡の理由は、あなたの緊急援助のためであり、私は必要な援助についての短い情報を提供しようとします。 私はこれが誰なのか知らないメンサーAlmusthia、リビアのGhaddafiの子ですあなたがあなたのインターネット上の私のプロフィールの情報を得ることができます。 私はリビアで私の家族との違法な活動に関連するどのような方法ではなかったことを発見した後ガーナ政府によって私にリリースされた私の資金を処理する能力を持つ有能な個人を必要とする。私は短編小説をカットし、電子メールの返信を以下で詳しく説明します。 あなたは合計(135.000.000 $)の100と3500万米ドルで問題になっている金額を受け取ることができる場合は優先順位の問題である。私は来週からリブログし実行するために計画し、興味が最優先事項と完全に専用の時間で処理される場合は願っています。 その間私が応答する前に、あなたの検討のための私の規約と条件を明記します。 - 1.私は資金を受け取るためにあなたの100%の支援のため合計$ 135.000.000の10%を手放すなり、この10%が非交渉です 2.私は確かにあなたがあなたの政府との問題もなくこの金額を受け取るために、パワーと能力を持っていることを確信する必要があります。 すべての回で3正直!我々はさらに進んで、任意の不正行為は、即座にどんなに少し不正直のレベル、私たちのパートナーシップを終了しません。 私はフォローアップメールに多くの情報をリリースします。 署名付き、 A.K.Mensah
モヤモヤするものを発見したので共有してお前らをモヤモヤさせてやろうと思います。
まず、この画像をみてください。
http://i.imgur.com/S8om1bw.jpg
気刊びびびというブログで、内容はこれ。
今日は2015年の抱負というか、努力目標みたいなものをまとめてみる。
必達目標にしちゃうとプレッシャーになって毎日の生活が楽しくなくなるので、努力目標に留めておく。
(中略)
特にTwitter。明らかな罵倒や悪口から、皮肉まで、そういうマイナスなことはできる限り言わないようにしていきたい。
そんなの読んでいい気分になる人なんかいないしね。どうしても言っておきたいことがあったら、Facebookにでも書いておきます。
しかしこう書いておいて、その3時間後には以下の様なエントリをぶち上げるのはどういうことなんでしょうか。目の玉が飛び出しました。
http://i.imgur.com/fXtH2q7.jpg
1/7
id gouleへ。
多分本人は何が悪いのかも分かってないんだろうと思うけど、面識もない人間にいきなりはてなスターで遊ばれても、面白くないどころか不快感しか覚えない。
というかめっちゃ気持ち悪い。即刻やめろ。あとこのブログにつけたはてなスター削除してくれ。人との距離感についてもうちょっと学んでくれ。
なお、gouleさんは1/6のエントリのスタコメにて"リリカルなのはの" "短編小説を" "いっぱいインプットする"という文章を作った模様です。
まるでどこぞの短編小説スレから抜き取ったかのような充実した内容、語彙力に加えて文章表現の豊かな事。
まるで今育児板とかカップル板とかに投稿されてる釣り目的アフィ目的のSSみたいだ。
今やなんJだけじゃなくてここ増田すらもまとめブログ(通称アフィカス)の転載用SSで埋め尽くされてる。
稚拙な文章のホッテントリがあれば、これこそが真実であり、増田発のエントリである事を知らない人が多い。
どうしようもない事にこういったエントリは中々ホッテントリ入りしない。
完成度が異様に高いSSばかりが組織的にブクマ数が増やされる。
ここは初めて書くんだという割に文体に気を付けているわ、改行が巧かったり、ブコメやトラバには即座反応したり(追記入れたり)、
怪しいんだけど、多分2ちゃんねるの住人同様気にも留めてない増田も多いのではないかしら。
食べログですら業者が書き込みを行う時代で、ましてや匿名ダイアリーと銘打ってる以上ステマやアフィがやりたい放題なわけだから、
とっても惜しい。
良い題材だと思うけど、書き方が悪かったな。
うまく書けば200は釣れたと思う。
次は頑張ってほしい。
主な問題点は4つ。
1.タイトルが釣る気なさすぎ。
2.設定が矛盾している。
3.はてなキーワードが入ってない。
4.全体的にダレている。
1.タイトルが惹かれない。
はてぶのカテゴリに乗ったとしても注目度が低くなる。
同じく書き出しもただのグチになってる。
この後でどんでん返しが待ってるとは、とても思えない。
タイトルと書き出しを見て読むかどうか決めるんだから、ここは超重要。
これじゃ、「あーバカが嘆いてるなー」ぐらいでクリックしようとは思えない。
これで読みに来る奴は、「バカを思う存分バカにしてやろう」って底意地の悪い奴だけだ。
そういう奴が読めば、確かに「思ってたのと違う」って釣られた状況になるのかもしれないが、世の中そんなに意地の悪い奴ばっかりじゃないぜ?
2.設定が矛盾している。
なんで天才なのに物覚え悪いんだよ。
せっかく小学1年で微積分、なんて衝撃的な設定作ったのに、ぜんぜん生きてない。
昔々の頃に俺のライバルだった人々は遥か遥か遠いところにいて
ここで言ってるライバルって誰だ?
大学時代の回想なのだから、高校時代の同期は「昔々の頃」のライバルではないはずだよな?
高校3年の夏の時点で上に30人しかいなかったのだから、全員ほぼ同じレベルなはずで、「遙か遥か遠いところ」にはいけっこないよな?
全体的な不信感につながる。
3.はてなキーワードが入ってない。
どんなクソみたいな文章でも、適切なタイミングで適切なはてなキーワードを突っ込めばそれだけで釣れる。
俺はそういうの卑怯だと思ってるからあんまり分析してないけど、例えば学歴と女と職歴の話は釣れる。
今回の場合は、受かった大学として偏差値60前後の国立大を、ちょっと考えれば特定出来る程度に匂わせるべきだった。
あと、大学で遊びまわった話にヤリサーに所属していた経験を匂わせたり、就職先も広告代理店とか、さりげなくエリート層に近かったって匂わせるべきだった。
その辺の話が軽すぎる。
「設定」じゃなくて、その人がしたはずの「体験」を書け。
もしくは取材だ。
4.全体的にダレている。
前半が細かく偏差値の話が続いてるのに、大学以降話が大雑把になりすぎている。
自殺未遂、大学中退、就職、女遊び、退職、まだ大学に入り直すって、どんだけ波瀾万丈な人生だよ。
その全部がさらーっとした文章で流れていて、血の通った文章になってない。
全然真に迫ってこないんだよ。
エピソードを削るか、全部をもっと肉付けして分量を3倍から4倍に増やすかのどちらかだ。
自殺未遂をなくして女遊びを大学時代に持ってきて、中退、就職、退職、大学の流れがいいんじゃないかな。
「仕事はできる」って評価をえたんじゃなくて、入って即辞めたことにした方がスムーズだろう。
で、ニートやりながら株でもやった話にしたらいいと思う。
たかが増田の釣りって言っても、短編小説でも書くような気持ちで書かなきゃいけない。
読み手にどういう感情を呼び起こしたいのか考えて書かないといけない。
読み手を感動させたいのか、いらだたせたいのか、劣等感を刺激したいのか、優越感に浸らせたいのか、どれなんだこの文章の狙いは?
感動させたいなら、こんなダメな俺でも小さな幸せを手に入れた、みたいな話でシメるし、いらだたせたいなら世の中に不平不満をぶつけまくってシメる。
どんな気持ちにさせようかってのか、それが弱いんだよ。
俺だったら、この人物の天才性をもっと表すエピソードを入れて、万能の天才、レオナルド・ダ・ビンチの再来みたいな言い方で読み手の劣等感を刺激しつつ、
それでも一つの事に集中できない俺は、所詮器用貧乏を超えられず、一つの事に熱中できる凡人がうらやましい、ってシメて優越感に浸らせるね。
そしたらブコメで「考えさせられた」とかなんとか、いかにも何にも考えてなさそうな奴らが大量に釣れる。
基本的にはトラバはしないんだけど、マジメな感想だったので。自演を疑われては気分も悪かろうと名誉のために返信を。
まずは読んでくれてありがとう。さらに、感想を書いてくれてとてもありがとう。
最後につけているように「【第0回】短編小説の集い」に出品するつもりで書いた。
3つ制約があって、それが指摘された不自然さに直結してる。
なので、三人称視点ではなく、秋恵の視点だと読めてしまうのであれば、それは単に自分のミスで、力量不足だ。
神のような第三者目線というのがうまく書けないのだと思う。どうしても、誰かに寄り添う目線で書いてしまう。
シチュエーションが特殊なのに説明が無い、年齢や外見、マスターの容姿について情報がないのも、自分の力量不足。
地の文で説明することに恐怖があって、たぶん最初の一人が喫茶店に入ってきた時点で情報を出せるような仕掛けがあるべきだったんだと思う。
話の方向性に関してもその通りで、ほほえましいエピソードにしてはボリューム配分が不自然になっている。
当初考えていたのが「(文字通りの)マスターのキッシュ」を作る秋恵と、アップルパイを取りに調理室に入っていく冬美でオチというホラーで、
ここでのりんごが余りにも脇役だった(あと読んでみたら予想以上に話が暗かった)ので、2人足して4人で日常系の話に書き換えてみた。
アップルシックスからの話の持って行き方の強引さには気が付いていて、まあそこは勘弁して欲しい。
誰に読んで欲しいか、という目線は正直無かった。
つまり、設定が分かり難い・読み難いというのは、自分の力量不足で、
ネタが甘いのは、ターゲットをキチンと絞っていない、狙い所が不明確だった点にあるのだと思う。
情景が伝わり、春香<夏代<秋恵<冬美という年齢段階が伝わったのであれば、ある程度書けていたのかなとも思う。
(自分の中では全員の容姿まで想像できていたが、読み返してみると外見に関する情報が全員無いねコレ。流石に改めよう)
最初に書いたとおり「【第0回】短編小説の集い」向けなので、10月2日23:59までにもう一本くらい書いてみよう。
はてブで「id:zeromoon0 」入りでコールしない限りエントリーが完了しないので、誰かに協力してもらえるくらいの作品に仕上がると良いなあ。
最後に繰り返しになるけど、感想を書いてくれてありがとう。とても参考になったし、励みになります。
では、またそのうち増田で。
良く晴れた、ある秋の日。
からころとカウベルのような音を立てて、喫茶店に一人の女性が入ってきた。
正確に言えば、扉に付いているのは高地で放牧されていた牛がつけていたものを喫茶店のマスターが旅先でもらってきたものであるので、事実、カウベルの音なのだが。
ふと、目をやると、カウンターの上に2つのりんごが置いてある。
「りんごだ」
秋恵はそうつぶやいてから、ひどく恥ずかしくなった。りんごを見て、りんごだ、とつぶやくのはなんというか、あまりにもそのままだったからだ。
他に誰も聞いている人が居ないかを確認してから、秋恵は買い出して来た材料を片付ける為に、店の奥に向かった。さほど大きくはない喫茶店なのだが、カウンターの他に何故か調理室がある。
「……よし」
今日は、キッシュを作ろうと心に決めていた。しかし、調理室に入っていざ準備をしてみると、なぜか少し不安がある。秋恵の中では、料理は特技の中には入っていない。どちらかと言うと、手芸であるとか、もっと具体的に言えば手袋を編むのは中々のものだと思っている。
しかし、まだ季節は秋である。手袋をプレゼントにするには少し早い。
サプライズパーティーをする予定で、他のメンバーがマスターを外に連れ出している。まずお茶の時間にケーキとちょっとしたものでサプライズをして、夜はしっかりごちそうを作る予定だ。
まだキッチンは秋恵だけである。というよりも、料理に自信がなかったので、少し早めに来て先に進めようと考えていたのだ。
秋恵の不安は大きくなる。挽き肉とほうれん草のカレーをマスターに美味しいと褒められたので、パーティーらしくキッシュにしようと挽き肉とほうれん草を買ってきたのだが、良く考えたらカレーだから美味しかったのであって、キッシュにしたらぱさぱさにならないか?チーズとかいるのだろうか?
冷凍パイ生地を使って作ったことがあるのはアップルパイだけだ。アレは自分で食べたのだが中々美味しかった。先ほど見たりんごが脳裏をかすめる。
マスターの趣味で、五香粉だのクミンシードだの、調理室には様々な香辛料が溜め込まれている。当然シナモンもある。
「……よし」
もし、誰かが使うつもりのものだったら謝ってあとでスーパーに買いに行けば良い。ちょうど2個あるし、使ってしまおう。
そう思って喫茶店内にとって返したところで、からころと音がなった。
秋恵がりんごに手を伸ばしたタイミングで、ちょうど目があった。
春香が大声を上げる。
「え?いや、ちょっと使わせてもらうかなーと思ったんだけど」
さすがの秋恵も、自分が買ってきたわけでない食材を勝手に使おうとしていたのでしどろもどろに返答していたのだが、途中でハタと気がついた。
「なによ!ちゃんとマスターにも聞いたんだからね、今欲しい物が何かって!」
それを直接聞くなよ、サプライズだぞ妹よ、と秋恵は思ったのだが口には出さない。どうせ面倒な事になるのが目に見えているからだ。この妹は基本的に善良で模範的な市民なのだが、内弁慶である。そして、すぐに懐いて身内扱いするので、知り合いに対して弁慶である。もう、ほぼ弁慶だ。
「ひどい!4つも食べたの?信じらんない!だから彼氏にも逃げられるのよ!」
「ひどいひどい!マスターがリンゴが6個食べたいって言ってたから、ちゃんと昨日のうちにスーパーで買って来て、これから磨こうと思ってたのに!」
「りんご6個?」
ものすごく嫌な予感がする。秋恵は妹をこれ以上刺激しないようにしたいと心の底から思ったのだが、好奇心が勝った。
「それって、もしかしてApple6って言ってなかった?」
まだ妹が何かを喚いているが、秋恵は聞いていない。そう、妹はこういう奴なのだ。春香ちゃんって天然だねと常連客に言われて、農薬なんか使ってませんと突然怒るような娘なのだ。
秋恵がほんのりと妹の天然さ加減に心温めていると、ついに弁慶が物理的に攻撃を仕掛けてきた。慌てて説明を再開する。
「いや、待てって。あたしはまだ使ってないって。これからちょっと借りてパイをつくろうと思ってただけで」
「借りるって使っちゃったら返せないじゃない!」
「だから、まだ使ってないって。あんたのりんごには手を出してないから」
「今触ってたじゃない!」
「いやだから」
結局、春香が納得して残ったりんごを磨き始めるのに、45分かかった。大幅なタイムロスである。
「もう!誰が4つ食べちゃったのよ」
「そりゃわかんないけど、意外とマスターあたりじゃないの?」
秋恵もなんとなくりんご磨きに付き合わされている。こんなことをしている場合ではないのだが、もはやキッシュを作るのと春香を同時に相手にするのは無理だと心の何処かで諦めている。
りんごを磨きながら扉を見やると、無理やり渋い顔を作っているマスターと、夏代が入ってくるのが見える。
「わたし食べた」
先ほどまでの騒動を三割増しで春香がマスターに報告していると、夏代が唐突に告白した。
春香が目を大きく見開いたのをみて、慌ててマスターが補足を入れる。
「僕が先に食べようって言ったんだよ。ね、夏代ちゃん?」
「先に見つけたのはわたし」
「どういうことよ!ナッちゃんマスターといつのまにそんな関係になったのよ!」
秋恵が黙ってりんごを磨きながら噛み合わない会話を聞いていると、なんとなく全貌が掴めてきた。
つまり、こういうことだ。
昨晩、春香がりんごを6個買ってきて、カウンターの上において帰った。どうやらビニール袋に入れたままだったようだ。プレゼントの扱いが雑だぞ妹よ、と秋恵は思ったが当然口には出さない。
閉店清掃をしていた夏代がカウンターのビニール袋に目を留め、閉店前精算をしていたマスターが、りんごを剥いて夏代と一緒に食べたということのようだ。
「おいしかった」
もうぐだぐだである。マスターも一応気がつかないふりで渋い顔をしていたはずだが、すっかり嬉しそうな様子を隠そうともしない。
「まあまあ、結局は僕へのプレゼントを僕が食べたんだし、良いじゃない」
春香は、マスターに頭をなでてもらってすっかりご満悦である。秋恵は、磨いているりんごを夏代がじっと見つめてくるのが少し気になるが、取り敢えずは無視して気になっていることを聞くことにする。
「ナッちゃんさ、ふゆねぇは?」
「ケーキを取りに行った」
もうサプライズでもなんでも無いなと秋恵は思ったが、主に春香のせいなので気にしないことにする。
「や、なんか変だなーとは思ったんだよね。冬美さんがお散歩しませんか、とか言うから。まあ今日は暇だし、ちょっと休憩がてらと思って、冬美さんと夏代ちゃんと一緒にお散歩に出たら」
冬美は散歩の途中で唐突に、厠に、と言ったらしい。マスターはそこがツボだったらしく、いやあ女性が言うと雅だねとか何とか言っているが、それにしてももう少しマシな言い訳は作れなかったのかと秋恵は思う。
「待ってるつもりだったんだけど、冬美さんも時間が掛かるから先に帰っててって言ってたし、先に帰ってきたんだよね」
そのお茶はサプライズのパーティーという打ち合わせを昨晩きちんとしたはずだし、トイレに時間がかかると女性が言うのはどうだろうと秋恵は思ったが、もはや何を言っても無駄な気がしてきている。
からんころんという音とともに、冬美が大きな箱を持って店内に入ってきた。
「あら、みんなでお茶の準備かしら?」
本人は自然なつもりなのだろうが、どうみてもケーキが入っている箱を持っているし、不自然極まりない入り方に秋恵は少し目眩がする。
「わたしミルクティー」
「じゃあ、わたしはマスター特製のブレンドにしようかしら」
「……あたしもブレンドで」
それでもお湯を沸かしカップを揃え、豆を挽いてミルクを温めてと、マスターを中心に淀みなく準備が進むのは、流石に喫茶店での作業に手慣れた姉妹ならではのものだ。
4人がカウンターに並んで座り、マスターはカウンターの作業側に立っている。いつもの光景だ。
普段と違うのは、明らかにケーキが入っている箱が不自然に中央に置かれていることだ。
冬美がたっぷりと溜めてから箱を開き、驚いたでしょう?という顔でマスターを見上げ、マスターはとても嬉しそうだ。まあ、嬉しそうだからもう何も言うまいと秋恵は諦めてりんごを磨いている。
「あたしも!りんご!ほら、お姉ちゃんも渡して!それあたしのプレゼント!」
春香に続き、秋恵も大人しくマスターにりんごを渡す。ほんの少しだけ渡すのが寂しいと秋恵が思ったのは、丁寧に磨いたからだろうか。
「いや、嬉しいな。ありがとう。僕、結構りんご好きなんだよね」
秋恵がApple6がりんご2個になったと知ったらマスターがどんな顔をするだろうかとぼんやり想像していたが、隣からそわそわとした雰囲気が伝わってきたので、怪訝に思って見てみると、冬美が明らかに何かを企んでいる顔をしている。
これは何かまだプレゼントがあるな、サプライズの意味が解っている流石は最年長者だと素直に秋恵は感心した。
「実はですね~、もう一つ」
「え?りんごがまだあるのかな?良かった、生のりんごは好物でね」
「ナマの?」
秋恵は反射的に聞いてしまってから、後悔した。隣の冬美が笑顔のまま突然硬直したからだ。嫌な予感がする。
「そう、僕は焼きリンゴとかはギリギリ大丈夫なんだけど、アップルパイみたいに煮てあるやつがダメでね。くにゅっとした食感がどうにも苦手で」
マスターは基本的には喫茶店のマスターらしく空気を読むし、苦手な食べ物でも相手から出されたものは断らない。ましてや冬美がプレゼントするものを拒否することはありえない。例え砂まみれでも笑顔で食べるだろう。
「も、もう一つは……あ、あたしからの歌です!」
冬美の無理矢理のリカバリーを夏代が台無しにするが、まだマスターは笑顔のままだ。
「な、ナッちゃんもほら、一緒に!ハッピバースデートゥーユー!」
ハッピバースデーディアと一緒に歌いながら、秋恵は思い出す。そういえば調理室でキッシュを作ろうとして不安になったのは、甘い匂いが残っていたからではなかったか。シナモンが目立つ位置に出ていたのは何故だったか。りんごは元々6個あり、マスターと夏代が食べて、今マスターが2個持っているということは、残りの2個はどこに行ったのか。そして、キッシュを作っていないことに気が付き溜息をつきそうになるが、嬉しそうに蝋燭の炎を消すマスターをみて、まあ、幸せそうならば良いかと秋恵は思い直す。
喫茶店の外は、秋らしく良く晴れている。
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【第0回】短編小説の集い
http://novelcluster.hatenablog.jp/entry/2014/09/18/121657
はてブでは「id:zeromoon0 」を入れて感想をいただければ恐縮です。
僕には年の離れた兄がいた。
兄は昔はすごく成績がよかったらしいのだけど、中学のときに学校内で事件を起こしたとかで不良よばわりされるようになった。中学を卒業すると学区内で一番下の高校に進学した。高校でどう過ごしているのかはわからなかったけど放課後や休みの日にはオートバイによく乗ってた。
レーサーレプリカのオートバイをハーフカウルにしてたのが僕にはすごくかっこよく見えた。僕はお願いしてときどき後ろに乗せてもらってた。僕用に用意してくれた白いヘルメット。それをかぶってオートバイの後ろにまたがる。オートバイのごつごつした見た目に似合わないビーンっていう軽い音。信号は青。二人を乗せたオートバイはまわりの自動車を追い抜いていく。風景がびゅんびゅん流れていく。首筋に感じる風がすごく気持ちよくって兄の腰をつかむ両手につい力が入る。
隣の県へ続くくねくねした峠道を越えると町を一望できる小さな駐車スペースがあった。不良っぽい見た目をした兄にはちょっと似つかわしくないのだけど、ポケットから取り出すのは一冊のブルーバックス。兄はそれを読みながらいろんな話をしてくれた。
「おまえ知ってるか?」
「何を?」
「うん。こないだ聞いたよ。重力と強い力と弱い力と、あとなんだっけ?」
「電磁気力」
「そうそれ」
「4つの力はそれぞれ役割が違うけど絶対的な共通点がある。わかるか?」
「本よんでないもん、知らないよ」
「本には書いてない」
「じゃあもっとわかんないよ」
「考えてみろ。ダメならそのうち教えてやる」
その後、兄は町を出てずっと連絡がないままだった。だいぶたってから警察から連絡が入る。兄が死んだそうだ。父も母も泣いた。僕もものすごく泣いた。遺体に対面する。兄はこんなに小さかっただろうか。葬式を終えバスに乗る。あの峠道を越えて火葬場につく。棺にバイクのキーとブルーバックスを入れて火葬に出す。二時間後、キーと骨は残り、ブルーバックスは肉と一緒に灰になった。そして僕は兄のいない弟として大人になり進学し大学を出て就職し結婚した。
幸せな結婚生活だったと思う。ただ僕は妻のことをわかってやれていなかったんだろう。テーブルに置かれた離婚届を見て思う。
「4つの力の共通点はどれも二つの物質の間で作用するってことだ。いずれかの物質が欠けたらその間に作用する力なんてものはない」
僕と兄の間にあった力。僕と妻の間にあった力。それぞれ強くまた弱く、長く短く作用しあっていた。そして一方が失われることでそこにあった力はもうなくなった。もうなくなったんだと思う。
それでもテーブルの離婚届は力が作用する相手がいたことを証明してくれているような気がした。
本棚を見る。兄の持っていたブルーバックスと同じ本がある。あれも同じだ。兄と僕の間に何かの力が作用していたことを証明してくれている。
そんな気がした。
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昨日のことだ。
大学の夏休みも後半に差し掛かったものの、相変わらず暇を持て余していた俺は、夜の新宿で一人のおばあさんと出会った。
その時の出来事がずっと引っかかっているので、ここに吐き出してみようかと思う。
(※ 昨日実際にあった出来事を、短編小説風に書いてみました。
長文ですが、宜しければ暇潰しにでもどうぞ。 )
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大通りの横断歩道を渡りきったところで、歩き食いもみっともないからと、立ち止まって新作のマックシェイクを飲んでいた。
イヤホンからONE OK ROCKが聴こえる。もう片方の手でスマホからFacebookをチェック。
ふと気付くと、隣にある周辺地図を指して、おっさんが道案内をしている。
相手は、おっさんの倍近い年齢はありそうな、新宿には似ても似つかないおばあさん。
なんの気もなく目を向けながら引き続きマックシェイクを飲んでいると、突然おっさんに話しかけられた。
新宿にはいくつもの路線が集まっているが、西武新宿線の駅だけは孤立している。
ここから歩いたら10分近くかかるだろう。かくいう俺も西武新宿線沿いに住んでいる。
「そうですねー。そこそこ距離ありますね」
そう答えると、そうですかー…という少し暗い声がおばあさんから返ってきた。
「西武新宿線に、乗って帰られるんですか?」
今度は俺からおばあさんに声をかける。
「そうなの。昔はこの辺りに住んでたんだけどねぇ。40年も前だからすっかり変わっちゃって、迷っちゃったの。」
と、おばあさん。
正直に言うと、この時点で少し厄介なことに巻き込まれたかもなという予感がした。
ほっておいたらどう見てもこのおばあさんは駅にたどり着くのに時間がかかるし、危なっかしい。
おっさんは見るからに良い人だが、さすがに西武新宿駅前まで案内するのかどうかはわからなかった。
「杖をどこかに置いてきちゃってねぇ。傘を買ったのよ、ほら。」
聞いたわけではなかったが、嬉しそうに傘をあげるおばあさん。
足が悪いのだろう。今気づいたが補聴器も着けている。
「お元気ですねぇ! 今おいくつですか?」
「85歳!」
元気な返事が返ってきた。
「そのお歳で都会に一人で出てこられるなんて、ご立派ですね!」
おっさんが引き継ぐ。俺も同感だった。
しかしいくら元気とはいえ、やはり道に迷っている85歳のおばあさんを置き去りにするのは酷だろう。足も悪いみたいだし…。
「西武新宿線だったら、山手線で高田馬場まで行って乗り換えた方が、歩く距離は短いかもしれません。」
そう提案すると、
「あぁ、そうですね!! その方が、いいかもしれませんね!」
「そう。ありがとう。」
ニッコリと笑うおばあさん。
(面倒くさくないと言ったら嘘になるけど、"やらない善よりやる偽善"かもな。今日はもう予定もないし、俺も付き合うかぁ、、! )
おばあさんの笑顔を見た時、そう思った。
「じゃあ、行きましょ。」
おっさんが先陣を切る。俺も歩き出す。
「でも、二人に悪いじゃない。。」
申し訳無さそうな声を出すおばあさんに、
いえいえ僕らも同じ方向なので。 と各々答える。
おばあさんの足は、遅かった。とても。
おっさんはそこそこゆっくり歩いてくれていたのだが、どんどん距離が離れていく。
おばあさんが急がなくてもいいように と思い、俺も出来る限りゆっくり歩いてみたが、それよりもおばあさんは遅いのだ。
仕方ないので少し差が出来たところで止まって、追いついたらまたゆっくり歩く というのを繰り返すことにした。
住んでいる場所的に、新宿を経由して帰るのはどう考えても遠回りだったが、そのことは言わないでおいた。
普段なら3分くらいで歩く道を、10分近くかけて、新宿駅に着いた。
「すごいわぁ。」
コクーンタワーを見てか、高層ビル郡を見てか、おばあさんはそう漏らした。
「夜景綺麗ですねー。」 カメラが趣味だというおっさんは、そう言いながら写真を撮る。
新宿は、道端はさておき、たしかに夜景は綺麗だ と俺も思った。
40年の月日を、おばあさんは今この場にいる誰よりも感じていたに違いない。
「それじゃあ僕はあっちなんで、ここで。」
おっさんはここでお別れのようだ。
そう言って違う路線の方面へと去っていった。
良い人だったな と素直に思った。
「じゃ、行きましょうか。」
おばあさんの速度に合わせて歩いていると、都会の街は一層慌ただしく見えた。
帰宅する人々は皆、すごい速度で通り過ぎ、横切り、追い越していく。
一体、なにをそんなに急いでいるのだろう。
当然Suicaなど持っていないおばあさん。切符俺が買ってきますよ と言うと財布を取り出した。
「はい!これ、あげる!」
そう言って差し出されたのは、1万円札。
(小銭はないのかな。というか、あげる…?)
「え、いや、、いらないです…!」
突然の出来事に焦る俺。
「いいから。」
少し強引に差し出してくるおばあさん。
困った。お金が欲しくないと言ったら嘘になるが、なにもお金をもらうために付き添ったわけじゃないのだ。
ここで受け取るのは、なんだか違う気がした。
「いえいえ、本当に結構でs」
俺の発言を遮るようにして、おばあさんは今日一番力強い声で、そう言った。
「そう、ですか…。」
流石に受け取らざるを得なくなってしまい、ありがたいような、申し訳ないような複雑な気分で1万円札を引き取る。
「私ね、子供も孫もいなくて…。だから、今日は本当に楽しかったわ!」
おばあさんは、俺のことを孫のように思う気持ちでこの数十分を過ごしていたのだ。
さっき「面倒なことに巻き込まれた」などと思っていた自分が、恥ずかしくなった。
「そうでしたか…。…僕も西武線なので、途中まで同じ電車です。もう少しの間、お話しましょうね。」
それが偽善なのか善なのか自分でももうわからなかったが、そんなことは
「そう!嬉しい!」
というおばあさんの一言で、どうでもよくなった。
おばあさんと一緒に歩いていると、人が歩く速度以外にも色々な発見があった。
まず、多くの人が周りの人のことなんていちいち見ていない。
よく見ずに直進するので、ゆっくりしか歩けないおばあさんは怖かったと思う。特に歩きスマホは本当に怖い。
そしてJR新宿駅は、入る改札によってはホーム行きのエレベーターもエスカレーターもないことがある。
意識したこともなかったが、これにはとても困った。改めて他の改札に行くのも階段を上るのも、おばあさんからしたらどちらもシンドイことこの上ないのだ。
結局階段を上ることになったが、俺が普段何気なく一段飛ばしで15秒もかけずに上る階段も、足の悪い人にとっては小さな山のようなもの。
「よいしょ」という掛け声と共に、片足で一段一段登っていった。
本当に疲れるのだろう。 登り終わった後おばあさんを見てみると、汗をびっしょりとかいていた。
山手線は座れなかった。
ただ電車を立って乗るだけだけでも大変だったに違いない。
ホームに着くと、「ちょっとあそこに座らせてもらおうかな」と、乗り換え口までの道の途中の椅子に、俺らは腰を下ろした。
世間話をしてる途中、
「お兄ちゃん、やさしいのね。」
おばあさんはそう言ったが、さっきまで考えていたことを思い出すと、俺はなんて答えたら良いのかわからなかった。
西武新宿線も座れなかった。
おばあさんの杖代わりの傘に、力が籠もる。
一駅が、くそ長い。こんなに長く感じたのは初めてだった。
辛そうに立っているおばあさん。隣に立っている俺は、なにもしてやれない。
やはり西武新宿駅からの始発に乗るべきだったとか、優先席のある車両に乗るべきだったとか、色々な後悔が頭の中で渦巻いた。
電車内の人々は、皆が皆スマホをいじっていて、気持ち悪い光景だった。
もちろん誰もおばあさんの存在には気付かない。
それぞれが自分の世界に閉じ篭っている空間は、なんだか無性に寂しかった。
目の前に音楽を聴きながら、スマホをいじっている青年が座っている。
(そこの同い年くらいの青年!目の前に困ってる人がいるだろ!気づけよ…っ!!)
心の中でそう叫んだ時、何かひっかかった。
…そうだ。これは俺だ。
普段の、そしてさっきの俺。
スマホでネットを開いて、音楽を聴く。いつもやっていることじゃないか…。
きっとそれだって、見えていないだけだったんだ。俺も。
駅では我先に歩くし、歩きスマホもする。
そう思ったら、どんなツラして目の前の人に声をかけたらいいのか、わからなくなってしまった。
目の前の、気持ち悪い自己中な人々。
笑えた。そして、ゾッとした。
幸い、ようやく着いた次の駅で人が降りた。
座ろうとするサラリーマンに、
「すみません!そこ、座らせて頂いてもいいですか?」
と急いで声をかける。
一瞬「?」という顔をされたが、おばあさんを見て納得してくれた。
「そうやな。その通りや。」
その一言の暖かさは、今も俺の中に残っている。
周りの人は敵じゃないんだと、そう思えた。
「ありがと!」
おばあさんは、また笑った。
「俺、次の駅で降ります。あと4駅ほどですので、降りそびれる事のないようにお気をつけて下さい。」
屈託のない笑顔のおばあさんに、
「こちらこそ、ありがとうございました。」
そのやりとりが終わった辺りで、丁度電車が駅に着いた。
「では。」と俺。
「さようなら。」とおばあさん。
もう一生会うことはないんだろうな と思ったが、それは顔に出さずに電車を降りる。
ドアが閉まってもおばあさんは笑っていた。
でも電車が発車した際、不安そうな顔をしたその一瞬を、見送っていた俺は見逃さなかった。
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あれから一日経って、老人に優しくない街や社会についてだったり、
受け取った1万円の重みについてだったりを考えている。
大変そうな人の存在に気付くことくらいは、出来る社会でなきゃいけないよなと思う。スマホやめることは出来ないにしてもさ。
若いうちは老いた後のことなんて考えないし、出来れば考えたくない。
自分が高齢者になった時に生きやすい社会を作っていくことは重要な課題だし、
将来されたら嫌なことは、今他人にもしちゃいけないんだよね。
とはいったものの自分もそれらが出来ていない一員だと気づいたのが昨日なので、
社会にどうこう言える立場ではないことも痛いほどわかってて、だからまずは自分から変わっていこうと思います。
それを1時間程度の短い時間の中で手にしてしまったのだから、なんだか罪悪感に近い想いがある。
面倒くさいとか思ってたし。
初めから「1万円あげるから案内してください」って言われてたら、どうかな。
俺なんかよりもっと丁寧に親切に案内してくれる人が殺到したかもしれない。
でも結局は、おばあさんの言ってた「嬉しかった」って一言が、本質であり真実なんだと思う。
喜びとか感謝の気持ちが先にあって、言葉だけじゃなくて形でもその想いを伝えたくて、
今回はその想いの形に、お金という形式を選んだだけなんだと思う。
たしかに1万円を受け取る時、「あぁ、俺が思っていたよりもずっと喜ばれていたんだなぁ…」と思った。
お金って汚いイメージもあるけれど、気持ちを形に出来る大切な手段の一つでもあるのかもしれない。
出来ることなら世の中のビジネスが、今よりもっと"感謝の形"で回るようになるといいのかもなぁ。
書こうと思ったことは以上です。
Facebookなんかで書くと善人アピールっぽくて気持ち悪いと思ったので、
ここに書かせて頂きました。
(とはいえ増田でも同じなのかもしれないし、心のどこかにそういう動機が含まれているのは否定しないです)
「それが作り話なんだろ」ってオチはもうやり尽くされてるからわざわざやらなくていいよ。
折角だから少しお説教してあげるけどね、君ら初心者釣り師は大抵二つ大きなミスをしてるんだよ。
1 すでに散々やり尽くされたネタにまだ新鮮味があると勘違いしてる
まずこれね。
君が今やったやつね。
とにかくさ、それ系のネタはもうやり尽くされてのよ。
んでもって君がこれからなんとなく思いつく奴も99%はやり尽くされてるわけ。
それを「やり尽くされた上でどう料理するか」ってのが問われるんだよ。
ないしは「99%のまやかしを無視して1%のまだ鮮度が残ってるネタを選び出す」って方向性ね。
君らはそんなこと知らん顔で簡単に書いて伸びるかな―で終わり。
そりゃ適当に書いてもたまにはそこそこ伸びるよ。
でもね、それはブクマ大喜利がたまたま君らと無関係のところで盛り上がっただけの場合が9割なのよ。
1000回に1回は実力で伸びてるんだろうけどね、それは1000回中999回ゴミをばら撒いてるって事と同義なのよ。
君らは少しは内容を考えようとする意志がある。
それならもうちょっと頑張ってみようよ。
2 細部の描写が甘すぎる
もともと「小説家になろう」で短編小説書いてたりするんだけど、ときどき増田でも「いかにもありそうな作り話」を書いてる。
面白い系書いたときにはやっぱり「面白かった」「作り話だとしても面白い」って言われると嬉しい。
恋愛系書いたときには、「作り話だとしてもきゅんとくる」とか、マジレスとかもらえてると嬉しい。
なろうで書いてる人のディティールが皆無なのよ。
「向こうでは伸び悩むこともあってー、それでー、たまに増田で鬱憤晴らして―」ってストーリーが有るわけじゃん?
それがさ全くフレーバーとして機能してないし、むしろリアリティをダダ下がりさせているだけなの。
単語だけ投げて終わりって……少し頭使うかググればなろうで書いてる連中がどんな思いでやってるかぐらい見えてくるじゃん。
「向こうで長編やってるんだけどチマチマ連載していかないと客が離れていって大変。連載進めずに短編書くと信者に文句言われるし。こっちだと匿名だから気楽」とか、
「あっちで求められてる形式が俺には合わない。2chで書いてる頃の方が上手くいっていた」とか、
そういうのを適当に5行程度まで膨らませれば君のキャラ付けがされてくるわけよ。
それを一切放棄して「小説家になろうで書いてました」だけ言っても「何が言いたいんやお前!」にしかならんのよ。
釣りエントリーに突っ込みどころを用意するのは基本テクニックだけど、
それにしてもこれは雑過ぎ。
雑な突っ込みどころには雑な突っ込みしか入らなくて最終的に大きくは伸びないの。
それじゃダメよ。
釣りをして二桁なんて虚しいだけよ。
それならまだ実話を書いて5ブクマ2トラバを繰り返したほうがマシ。
わかった?
今度はもう少しうまくやること、いいね?