はてなキーワード: 拝借とは
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20180127204150
競技人口の違いに言及したコメントが多数見られるが,大半は主観的な評価であり,定量的な評価をしている記述はほとんど見つからなかった.
例えばトップブコメの,id:potohud 氏によるコメント:
potohud 競技人口調べたけど、とりあえず見つけた全国高校将棋選手権の愛知県予選の出場者だと男219人に対して女12人。 明らかに女性のが競技人口少ない。 女流が弱いのは母数が主因でほぼ間違いないかと。 https://goo.gl/m4ZwHm
男219人に対し女12人というのは,確かに大きな差であるように思えるが,この差は「歴代のプロ棋士が全て男性である」という事実を裏付けるほどの差異なのであろうか.
ここでは,簡単な数学モデルを用いた,定量的な評価をしてみたい.
統計的検定で用いられている「考え方」を拝借して,この問題を考えてみよう.
すなわち,男性と女性とで潜在的な棋力分布に「差がない」ことを仮定した上で,歴代のプロ棋士が全て男性である確率 P を求めるという寸法だ.
もし,P が非常に小さければ,競技人口の違い以外に,男性と女性との間に潜在的な棋力の差 (あるいは他の社会的要因) があるという説を支持する証拠になる.
P の値は以下の手順で導出される.
プロ棋士を志す男性の数と女性の数をそれぞれ M と F とおく.
日本将棋連盟のページによると,プロ棋士の総数はおよそ 200 名であるらしい.
したがって,男性と女性で棋力の分布に差がないとすると,プロ棋士が全て男性である確率 P は
(M-k)/(F+M-k) を k = 0,1,...,199 について掛け合わせたもの
に等しい.(増田では TeX が使えないようなのでまどろっこしい)
ここで,男女比のみで議論できると便利なので,M+F が 200 よりも十分大きいと仮定する.
このとき,q = M/(M+F) とおくと,
P ≒ q^200
となる.この近似は,男性が一人選ばれるごとに,候補となる男性数が減少する (女性が選ばれやすくなる) 効果を無視することに相当するので,いつでも P は大きめに見積もられることになる.
ここまでの結果を用いて,実際に P の近似値をいくつか計算した結果が下記の表である (非表示の桁は四捨五入).
男女比 | 20:1 | 30:1 | 40:1 | 50:1 | 80:1 | 100:1 | 200:1 | 500:1 | 1000:1 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
P | 0.00006 | 0.00142 | 0.00717 | 0.0191 | 0.0834 | 0.137 | 0.369 | 0.671 | 0.819 |
冒頭で述べた 「男219人に対し女12人」というのは,18.25:1 という比率であるため,表より,このときの P は 0.00006 よりも小さい.
慣例的に,有意差検定で用いられる閾値は P=0.01 や P=0.05 であるから,P=0.00006 というのは相当稀な事象を表している.
したがって,高々 219:12 という比率では,プロ棋士に女性が居ない理由を競技人口比に求めるのは,いささか暴論であると言えよう.
ただし,何らかの社会的要因等により,将棋のプロを志す人の男女比が,高校での競技選手権への出場者よりも更に偏りが大きいと仮定すると事情が異なる:
もし,プロを志す人の男女比が 100:1 であれば,P = 0.137 となり,これは有意な差が認められるとは言い難い水準である.
Twitter見てたら「かぼちゃの馬車」という懐かしい単語を見た。あんまり記事はちゃんと読んでいないが、いろいろ問題が起きているらしい。
http://www.sankei.com/affairs/news/180121/afr1801210005-n1.html
「かぼちゃの馬車」とはスマートライフという会社が運営する女性向けシェアハウスのことだ。今からもう3年くらい前、上京するときに半年ほどお世話になった。懐かしいついでに当時の思い出をちょっと書き残したい。
その当時はまだ研究生として大学に残っており、ほとんどフリーターみたいな生活を送っていた。
就職するにしても実家から通えるところ、と考えていたがネサフしているときにかぼちゃの馬車の広告を見つけ、「案外簡単に上京できるかもしれない」と思い立った。それからは早くて東京の興味のあった企業に第二新卒として応募し、面接のため上京した際に物件見学もしてきた。
まず「駅から近いところ」が条件だった。大学までは駅まで徒歩5分もないところに住んでいたので、その頃はそれより遠くまで毎朝歩ける自信がなかった。
駅で担当と待ち合わせて、電車で移動。(たまたま営業車がなかったらしい)物件を二つみた。
どちらも入社予定の会社までは1時間以内と言ったところ。どちらも新築。入居者が殺到しているので、なるべく早く決めて欲しい(契約してほしい)と言われたが、面接の結果が出るまでは待って欲しいと伝えたらこころよく応じてくれて、面接結果が出るであろう2週間までは仮押さえしておくと言われた。部屋の間取りはどれも4畳半ほど。狭い。
結局私はより駅に近く、かつ帰り道の途中に交番があって安心できるという理由で某所の物件を仮押さえしてもらった。部屋もまだその当時は結構空きがあって好きな壁紙の部屋にしてもらった覚えがある。
見学している間、担当はものすごく親切にあれこれ見せてくれた。共同生活の雰囲気や、持ち込むとよい荷物なども教えてくれてイメージしやすかった。
無事内定が出て本契約したいと連絡した。引越しの日に契約書を取り交わす、それまでに初月の家賃を入れてくれと言われ、入金した。この辺はもうあいまいだけど初期費用でかかったのはこの初月の家賃だけだった。礼金敷金保証金一切なし。10万以内で上京を決められた(何かキャンペーンしててそれでの金額かもしれない)
引越しは家族に手伝ってもらった。車でいろいろ荷物を運びこんだが、建物の中は完全男子禁制で、せっかく手伝いに来てくれた父は一度も中を見ずじまいだった。母と私と、契約のためにきた担当が荷物を運びこむのを手伝ってくれた。私はかなり荷物が多い方だったらしい。過去最高と言われた。少ない人だとスーツケース一つで入居してしまうとか。私は後から買い足すのが嫌で、カラーボックスやら衣装ケースやらとにかくいろいろ持ち込んだ。
シェアハウスと言うと大体の人が「テラスハウスみたいなやつ?」と聞いてくるがそんなしゃれたものではない。
私が入居した物件は2階建て、それぞれの階に7部屋あって最大14人入居可能だった。私がいる間はほぼ常に満室だった。
シャワールームが2つ、トイレが各階1つ、洗濯機・乾燥機が計3セット、洗面台は各階2つ。あとキッチンが各階にあった。ここまでが共用設備で、あとは各人個別の部屋が与えられている。イメージはシェアハウスというか寮に近い。
物件によって部屋数は当然違うし、部屋数が同じでも設備の数が少なかったりということもある。
私は自炊派だったのもあってキッチンが2つある物件を選んだが、もう一つ検討していた方は1階にしかなかった。
設備面で特に面倒を感じたことはなかった。基本好きな時にシャワーも洗濯機も使えるが、どうしても用事があってこの時間に入りたい!みたいなときはホワイトボードを使って予約できたし、不思議と住人の生活リズムが微妙にずれているので朝の準備で洗面台が占拠されているということもなかった。洗濯機も同様。キッチンも自炊派が少なくてほぼ私の独占状態だった。
あと冷蔵庫が各部屋に備え付けられているので「私のプリン勝手に食べた奴誰!?」みたいな事件は起きようがなかった。
それと週に2日くらい、お掃除の人が共用スペースをお掃除してくれるのでいつもきれいだった。
【部屋の設備】
テレビ、ロフトベッド(ハンガーラック付き)、ライト付きのデスク、椅子、冷蔵庫があった。
ものが多いので棚なしには生活できなかったが、ミニマリストたちはその備え付けの家具だけで充分生活していた。私はオタクなのでDVDレコーダーやパソコン(デスクトップ+ノート)なども持ち込んで、ロフト下のデスクはなんかもう大変なことになっていた。
ありがたかったのはネット使い放題、エアコン使い放題。電気代も水道代も家賃に込みなので、ここぞとばかりに空調は常に稼働させていた。wi-fi用のルーターも買って導入した。
それと個人用の設備というか備品として、折り畳み自転車があった。一度使ったが思った以上に使いにくくもう使わなかった。他の住人もみんな使っておらず、雨風にさらされてさび付いて無残な姿になってしまった。それでも一応そういった備品があるのは入居者のことを考えているなあと好感が持てた。折り畳みでなければ使ったのになあ。
【人間関係】
入居前の説明では結構仲良くやっていると聞いていたが、物件によりけりだなあ……という印象。
というか、基本みんな自分の部屋にこもっているのであまり交流がなかった。共用のダイニングは一応あって最初の1週間くらいは集まって食べたりもしてたけれど、共用の「リビング」はないので基本引きこもることになる。食事も私は自分の部屋で取ることがほとんどだった。
それでもやはり同じ階の入居者とはまあまあ仲良くなった。なので多少共用スペースのルール無視(洗い物を後で洗うつもりでちょっとシンクに置いておくとか、共用のドライヤーや掃除機をちょっと拝借して自室で使うとか)は「お互い様」精神で受け入れられたし、何ならついでに洗い物してくれたり、外出中に乾燥機に入れてた衣類を出して部屋の前に置いておいてくれるみたいなのはあった。私もした。
ただしもう一つの階の住人仲は最悪だった。何人かそういうルール無視を頻繁にする住人がいるらしく、潔癖気味の住人が蛇蝎のごとく彼女を嫌っていた。まあルール無視しているのだから悪いのは圧倒的にルールを守っていない住人なんだけど。
私の階の住人はみな朗らかで「お互い様だし~」「折角同じ家に住んでる縁だし~」ということで大目に見られていたことが、別の階ではそれが一切許されなかった。ルール無視住人は他にもいろいろ問題があったらしく、余計嫌われた。多分私の階にいても嫌われたかもしれない。
そんなこんなで別の階の住人は常にピリピリしていて、たまにその階の設備を使おうものならどんな細かいルール無視も厳しく指摘された。洗面台に髪が1本残ってる、シンクを使ったらゴミは欠片も残さず捨てろ、洗濯機使ったらゴミとりネットの中は捨てろ……いやまあ当然のことなんだけどすごい剣幕で指摘されるのでめちゃくちゃ怖かった。換気扇切り忘れて「換気扇切り忘れましたよね?」とわざわざ部屋まで凸られたこともある。怖かった。
【住人】
私は一応正社員だったが、周りの住人は派遣社員が多かった。就職した会社がビックリブラック企業で病院で鬱診断をもらいかけ、入居中に強引に退社したのだが、彼女らのアドバイスや経験談から派遣社員になった。
他にも仕事はないがとりあえず上京したくて来た、という人もいたし、地元でバリバリ働いていたが趣味のために上京しフリーターしているという人もいた。それから何か叶えたい夢(就きたい職業)があって、非正規で働きながら勉強しているという人も多かった。お金のない若い女子の受け入れ先としてはよくできたシステムだと思う。運営元の会社から定期的にお知らせのお手紙が各部屋のドアに差し込まれるのだが、仕事の斡旋などもしていた。
ある週末、起きて部屋を出ると廊下が水浸しで、どうやら洗濯機の不調で水漏れしたという事件があった。その時家にいた同じ階の住人総出で対応にあたった。一人はすぐさま管理会社(スマートライフ)に電話、こっちでは対応しかねるのでサポートダイヤルの方に連絡してくれ、と言われた。そういえばそんなものがあった、とそれを受けてまたサポートダイヤルに連絡すると、「対応分かり次第折り返す」とのこと。待っているとまた管理会社から確認の連絡があり、「一体どっちが対応してくれるんですか?」と尋ねると「それも確認して折り返します」。住人一同意味が分からず困惑。
その内特に連絡なく、管理会社の担当とクラシアン的な人が来て現場を確認していった。同じ階の他の住人はみんな不在になってしまったので私が立ち会う。この時点で連絡してからすでに6時間以上経過。結局クラシアン的な人たちでは対応できず、メーカーに問い合わせてくれという結論になった。その時3つある内の洗濯機の1つが既に故障中だったため、現状使用できる洗濯機が1つになってしまった。さすがにこれを14人で使いまわすのきついな、と考えているとクラシアン的な人と一緒に帰ろうとする担当者。待って待って今後の対応どうするか聞いてないし私明日以降は仕事で立ち会えない。
帰ろうとする担当を玄関で捕まえ、「今後どうなるんですか?メーカーへはこちらで連絡した方がいいんですか?」「明日こちらからメーカーに連絡して、今後どうなるかはまた連絡します」「誰にですか?私?」「はい」「つまり私がしばらく窓口になって、住人みんなに周知すればいいってことですか?」「そうですね」
帰る前に、私が聞く前に教えてくれ。入居するときの担当の対応が良かっただけにこの時はものすごくショックを受けた。水浸しになったおかげで洗濯機の近くにあったトイレもしばらく使えなくなったのだが、「トイレ使えません」「洗濯機使えません」の張り紙は私がした。
【変質者にターゲットにされる】
女性しかいないシェアハウスだということが周囲にバレたらしく変質者のターゲットになった。夜、家から少し離れた場所に男性が立っていて、前を通り過ぎると突然卑猥な言葉を投げかけられる。最初はその程度だったのがエスカレートして露出狂に進化したり、家の周りというか敷地内を徘徊された。ごみをあさられ生理用品を持ち去られたという事件もあった。警察が来た回数も私がいた半年で3回。交番近くにある意味。パトロール強化しますと言われても変質者は減らない。複数人いるようだった。
夜窓を開けて換気しようとカーテン開けたらそこにいたとかもある。
もちろん管理会社に連絡したが、対応がびっくりするほど遅かった。窓の外に男いる事件から実に2,3週間経ってから突如玄関前に監視カメラが設置された。遅いうえに家の中に作業員が立ち入っての大掛かりな作業だったが事前の連絡はまたしてもなかった。
その他、敷地内にセンサーライトをつける、砂利を敷くなど一応対応はしてくれたが、そこに至るまでが遅く、住人への説明も特になく不安は続いた。
実に半年程度しかいなかったが、他の住人も大体半年くらいで引越し資金を貯めて普通のワンルームなどへ越していった。特に長くも短くもない入居期間だった。
もうこの頃には管理会社への不信感がMAXになっていて、退去のやり取りでもひと悶着あったがここでは割愛する。
引越しの時は業者を使った。管理会社には「男性は入れられないので荷物は自分で玄関まで運んでください」と言われた。いやクラシアン的な人も監視カメラの設置の人も男性だったじゃん!引越し業者の男性はだめなの!?
引越しの準備は仕事の後帰ってきて夜に少しずつすすめて1週間でできた。最後の夜、共用キッチンにある自分の引き出しの荷物を片付けていたら、仲良くしていた同じ階の住人がみんな箱詰めを手伝ってくれた上、翌日の引っ越しでは部屋の掃除も手伝ってくれて本当に人に恵まれたと思った。荷物は部屋に置いておくと私が身動きできなくなる+自室が玄関から遠くて当日全て玄関まで持っていくのがしんどいため、「明日引越しますので今日だけ許してください」という張り紙を張って共用スペースに出し、引っ越し業者にはそこまで入って運んでもらった。別の階の過激派住人には会わなかったが、穏健派住人(ただしこの子も何か一歩間違えると過激派になってしまう)に会ったので「ごめん引越し業者の男の人入ってくるけど……」と一応謝っておいたら「私入居するとき男の人の作業員だったよ!業者くらいなら別に男性入ってもよくない?気にしないで~!」と言われた。過激派だったらキレまわされていたかもしれない……ほっとした。
ちなみに鍵の受け渡しのため担当者が来るはずだったが遅刻に遅刻を重ねられ、最終的に「下駄箱に入れておいてください」と言われ、下駄箱にぶん投げてかぼちゃの馬車を後にした。
その後は1Kの自分の城で悠々自適な独り暮らしを満喫している。ただ職場が遠くなってしまった上、やはり家賃や光熱費もシェアハウスに比べるといくらか上がってしまったので、機を見て転職しようやくまた正規雇用になった。住宅手当と通勤手当のありがたさよ。
それと一応出てくるときにかつての住人達と連絡先を交換したが、ほとんどもう連絡は取っておらずみんな何してるのかも分からない。
というわけでシェアハウスって色々とお勧めできないんだけど、貧困層女性が上京するにはいいシステムだったなあ、とも思う。あれがなければ上京思いきれなかったし。確かに私を都内に勤めるOLというシンデレラにはしてくれた。
それに防犯対策も今はかつてより良くなっているのかもしれないし、担当者の対応もよくなっているかもしれない。あくまでも3年前の話(多分かぼちゃの馬車自体まだスタートしたばかり位の頃)ということだけ書き添えておく。質問あったら答えられる範囲で答えます
27日にフジテレビで放送された「坂上探検隊」という番組が、今ネットで大炎上中だという。
http://news.livedoor.com/article/detail/14219432/
「ほんとに怖いのはチーターじゃなくてテレビ」視聴者が引くほど体を張った狩野英孝さん、着ぐるみでアフリカの動物に接触 #坂上探検隊
https://togetter.com/li/1193983
まあ、ツイッターでちょっと批判ツイートがあったくらいのことを、ネットニュースがいつものように大事に書き立てて世間を煽ったものの
ただ、ただこれだけは言わせてくれ。
「WILDBOYZ」について一切誰も触れていない!
いや、この「坂上探検隊」、やってることは「WILDBOYZ」そのままなんだよ。
「WILDBOYZ」とは、10年以上前にアメリカのMTVで放送されていたお笑い番組で、
アメリカのバカ二人が世界中の大自然を駆け巡って野生動物相手に危険なチャレンジをするという番組だ。
で、この「WILDBOYZ」の中で「坂上探検隊」で狩野がやっていたロケとまったく同じチャレンジをしている。
https://www.youtube.com/watch?v=sm4Xj_5bslg
なんか観客の「ヒュー!!」みたいな歓声が付け足されているのが気になるが(元番組にはこんな余計な音は無い)、
ほらね、まったく一緒でしょ!!
つまり、この「坂上探検隊」は日本版「WILDBOYZ」なのである。
やっている内容が完全に一致することから、「WILDBOYZ」を模範しているのは明白であり、
ワイルドボーイズのほうが10年以上も先!つまり、10年前のアメリカの番組を今更インスパイアしているのである。
「そんなん日本人スタッフが知る訳ねーよ」と言うやつもいそうだが、
なかでもカンニング竹山はWILDBOYZの大ファンであり、自身の出演番組で何度もオススメDVDとして紹介し、上記の動画を繰り返し放送した。
また、初代ニンテンドーDS発売時、日本では宇多田ヒカルがCMを担当したが
https://www.youtube.com/watch?v=sRD7Ha-78m0
つまり、日本のテレビ関係者がまさかWILDBOYZを知らない訳が無いのである。
これをパクリだ、などと攻め立てるつもりは毛頭ない。
こんな叩かれるのわかりきってる企画を今の時代にカネかけて地上はゴールデンでやりきった気合はお笑いマニアとして素直に褒め称えたい。
地上波で、しかもネットの嫌われ者であるフジテレビが放送したから案の定叩かれただけで、
これがamazonプライムビデオやabemaTVでやってたら逆に大絶賛だったろう。
もはや、地上波のテレビは何をやってもダメというどうしようもない局面に追い込まれたのだ。
で、俺が言いたいのはこんなことではない。
日本のテレビ番組は「Jackass」からネタを拝借しているのにリスペクト足りなさ杉!!と声を大にして言いたい。
「Jackass」とは、やはりアメリカMTVで2000年に放送開始したお笑い番組で、
プロのスケボー選手達がイタズラ、ドッキリ、身体を張ったチャレンジなど、危険なことならなんでもやってしまうという番組である。
これが放送するやいなや、アメリカで大ブーム。これをマネして大怪我をするクソガキや頭の悪い大人が続出し、社会問題となってしまい、
そして、「Jackass」が放送できなくなったので10名ほどいた出演者のうち二人をメインに抜擢してスピンオフとして放送されたのが、先ほどの「WILDBOYZ」である。
Jackassはアメリカだけでなく、世界中で大ブームとなった。
なぜかといえば、日本のMTVでも放送されていたが「論理的に販売できない」とソフト化が見送られ続け、
ついに2004年にDVDが日本語字幕つきで販売されるに至り、日本でも広く知られることとなった。
たちまち日本でもちょっとしたブームになり、当時のタワレコやツタヤなどのレコードショップでは店頭の大画面でリピートされDVDは山積み、店の猛プッシュ状態。
で、宮川大輔やカンニング竹山など、Jackassファンを名乗る芸能人がテレビでJackassを紹介しまくり、
カンニング竹山に至っては深夜番組で「Jackassを超える映像を撮る!」などという企画をやっていた。
テレビ東京の深夜でも勝手に「日本版Jackass」を名乗る番組、「ヤンチャ黙示録」が開始。その内容は見たことのない若手芸人によるビックリするほどつまらない映像だったが・・・
また、電撃ネットワークの南部虎弾もJackassに強い影響を受け、無名若手芸人に身体を張らせる過激なDVD「南部塾」を発売。
2004年から2006年にかけて、日本のお笑いDVD界は日本の芸人によるJackassオマージュDVDが席巻した。
で、本家MTV、Jackassの世界的ヒットを受けアメリカ以外の国でも、Jackass的な番組を制作を開始。
まずはイギリスで「ダーティーサンチェス」という番組を開始。これはぶっちゃけ、Jackassとは違うベクトルで笑えないため、あまり流行らなかった。
監督に「とんねるずのみなさんのおかげでした」でおなじみ、マッコイ斉藤を向かえ、これまた日本の無名若手芸人に無茶なチャレンジをさせるという番組「TEMPURA」を開始。
ただ、これはJackassファンにはあまりウケなかったのだ。
公式な日本版Jackassとして始まったTEMPURAだが、内容といえばマッコイ斉藤が若手芸人をイジめているだけの映像だったのだ。
「人を便器に流そう!」という企画で、嫌がって泣き叫ぶメンバーの一人を数人で抱えて公衆便所の汚い便器に顔を無理やり突っ込ませたり、
「落ちている物を食べよう!」という企画で、これまた嫌がって泣き叫ぶメンバーに無理やり公園にポイ捨てされたペットボトルの残りを飲ませたり・・・
で、一人マッコイ斉藤がゲラゲラ笑っている。という映像にしか見えない出来だったのだ。
これはJackassではない・・・
本家Jackassも、TEMPURAと同じようなネタをやる番組なのだが、印象が全く違うのだ。
汚いチャレンジや絶対ケガするようなネタも、誰かに無理やりやらされるのではなく、自分から進んで挑戦しているのだ。
アメリカのカッコイイ兄ちゃん(しかもプロスケボー選手)がすごくスタイリッシュにくだらないことをしている。
日本のバラエティは、どうしても「嫌がる芸人に強制的にやらせる」という陰湿な構図になってしまう。
日本のお笑いとアメリカのお笑いは、やってることは同じでも間逆に映ってしまうのだ。
だからこそ、当時の日本でJackassが新鮮味をもって受け入れられたと言っていい。
宮川があまりにもJackass出演者の顔がプリントされたTシャツばかり来ているから、ダウンタウン松本が「それ、誰やねん!」とツッコんだことから
Jackassの存在を知り、映画評論の著書「シネマ坊主」にてJackass評を書いている。(Jackassは4度も映画化され、公開のたびアメリカでは1位になっている)
松本は、メンバーが皆自発的にくだらないことをやっているが、何が目的でこんなチャレンジをしているのかわからないので日本人ではあまり笑えない、と評した。
やはり、日本のお笑いでは「陰湿なイジメの構図」が必要不可欠なのだ。
最初に貼ったWILDBOYZの動画を見てもらえばわかると思うが、出演者が生死をかけた危険なロケをやっているのに
なんら嫌がる素振りはせず、むしろやってる側がゲラゲラ笑いながらライオンに接近していて、完全なキチガイであるがゆえに、見ていてハラハラはするが嫌な感じはしない。
陰湿ではないのだ。
JackassやWILDBOYZでも、出演者がションベンをかけられるなどイタズラやドッキリで酷い目に合わされるのだが、必ず後でやり返している。
そこに上下関係はなく、ただのバカな仲良し感が出て、なかなかハッピーな空気になっているのだ。
「坂上探検隊」は、WILDBOYZと同じことをやっているのに、やっぱり日本人特有の陰湿さが出てしまった。
陰湿にならなくても、Jackassがそこそこ日本でも流行ったのだから、日本人でもイジメの構図がなくとも笑えるということは証明されているだろう。
ただ、面白いのが東京ではJackassのDVDはバカ売れしたのだが、関西では全く売れなかったという。
東京ではウケていたが、関西人が見ると「何が面白いのかわからない」「何が目的でやっているのか意味不明」という感想ばかり出てきたという。
宮川大輔をはじめとした、大阪吉本の芸人の間では流行っていたそうだが、関西圏の人間にはJackassは理解できなかったようだ。
やはり、地域によってはイジメの構図がないとお笑いは成り立たないのだろうか?
で、10年ほど前の日本でも若干のJackassブームがあり、「世界まる見え!」や衝撃映像系の特番で何度も紹介されていた。テレビ関係者が知らないはずはないのだ。
が、2010年になり日本でのJackassブームが落ち着き、テレビでもあまり取り上げられなくなると
日本のテレビ番組でまるまるJackassのネタをやってしまうことが増えてきた。
坂上探検隊の話題で「イッテQを思い出した」というツイートも多々見たが、
イッテQでは頻繁に「Q Tube」というコーナーで丸々Jackassと同じチャレンジをしている。
Q Tubeというコーナーは、YouTubeで素人が面白チャレンジをしている動画をロッチ中岡がチャレンジするというコーナーで、
Jackassのネタを中岡がチャレンジする際には、Jackassの映像紹介がないのである。
そりゃアメリカの番組の映像を放送するのはカネがかかるかもしれないが、ネタを丸々拝借しているのである。
本家本元があるというちょっとした紹介くらいしてくれてもよいのではないか。
とにかく、「あぁ、これJackassでやってたことそのまんまだな」ってネタが多すぎるのである。
https://www.youtube.com/watch?v=9WbmRdvU6XI
https://www.youtube.com/watch?v=CsodsC7c4N4
たとえばこのJackassのネタなんかは、そのまんま中岡が挑戦していたが、この映像の紹介はなく、元ネタの存在をスルー。
エクストリームスポーツ界の神様ことマットホフマンとトニーホークが出演しとんのやぞ!!
というか、イッテQの作家鮫肌氏が、Jackassの映画が日本で上映された際にインタビューに答え、Jackassを参考にしていると答えている。
http://www.cyzo.com/2011/05/post_6937_entry.html
Jackassの出演者たちは、jackassが大成功、映画も連続大ヒットで今じゃアメリカでは大スターのセレブになってしまった。
メイン出演者だったジョニーは、ジャッキーチェンとコンビで主役の映画を撮ってしまい、
そんな人たちが気軽に日本のテレビに出演するとは思えないけど、元ネタくらい蔑ろにしないでくれや!
世界の最貧国では税金の徴収もままならない為、貧困を解決する為に社会福祉に資金を投入するということができません
その為、そこで活躍するボランティアの人たちは如何にあるもので貧困を解決手段するかに取り組んでいます
例えば豊かとは言えない土地で自給自足の生活をする村の人たちには、自分たちの食事の為に農業をするのではなく
市場で価値のある作物を育て1番高く売れる時期に売り、そこで得られたお金で生活することを支援します
もし、今の日本で政府が社会福祉の拡充が難しい、あるいはそれをしないとした場合
我々が現状動かせるものだけで貧困を解決する為にはどんな手段があると思いますか?
"ツイッターとかで女オタが「めちゃシコ」とか「抜ける」とかいうのが、シコるちんこも抜く精液もないのになんか変じゃね?
クリトリスをシコってるのかっつうとそういうわけじゃないみたいだし"
なんて話があるじゃん。
たとえばこれとか(https://togetter.com/li/752791)だけど、まあ炎上したわけ。
俺としては、別に言葉は自由だし止めろと言う気もないが(実際このエントリ書くまで言及したことはない)、でもちょっと違和感あるなとは思っていた。
オモシロ比喩として男性器を扱ってるってだけ、もしくは心のちんこがおっ勃つ衝動を表現したいのはわかるような気がするけど……。
だってさ、男が、主語が大きいならば俺が、三十五年間童貞で熟成され持て余し続けているガチの性欲と取っ組み合いながら打ち込んでいる「シコれる」を、面白比喩として、性欲のバックボーン抜きに軽々と扱いやがって!
そっちにはそっちなりの欲情を現す言い回しだってできるだろうに、それは生々しさなどを理由に使わず自分の性欲を意識することを避けて、男が性欲という鎚で鍛え上げた言葉をほいっと拝借しやがって! みたいな。
いや本当はここまでは全然思ってなくて、俺がシコれるって言葉を発明したわけじゃないのにデカい顔し過ぎであって、単に書いてるうちにヒートアップしてきただけなんだけど、まあ違和感はあった。
そのことを、一昨日から話題になってる、男の娘と話してたら無性に腹立った(anond:20171211134237)のエントリを見て思い出した。
女性が、苦しみ抑圧されながら培ったファッションや文脈や文化を、無邪気に娯楽として使って気晴らしにするな、それはある種の文化盗用だ、と表現するように、
男性が、己の性欲とか衝動性とか偽悪露悪に悩まされながらもキモオタコミュニティで産んできた「シコれる」「抜ける」「ブヒれる」などを、性欲の生々しい気持ち悪さを脱臭した上で、字面の面白さと便利さと娯楽レベルのカジュアルキモさを楽しむために女性が使うのも、ある種の「文化盗用」だと表現すればいいのかもしれんね。
最近ダチョウ倶楽部バージョンに変わったけど、ついこの間までやっていた嫁姑バージョンのCMが強烈で心に残っていた。
まあどっちかっつうと見たくない系で気になっていたのだけれど。
ただふと考えたんだけど、
あんな感じで嫌味の応酬をかるーくできたら、もしかして生きやすくなるんじゃね?
ご多分にもれず私もコミュ障気味で、身近な人からなんか嫌なことを言われても反論つうもんができない。
自分が相手の言葉に傷ついているにも関わらず、相手の顔を潰さないよう気をつけちゃう有様。
なんせ共通の知り合いのことを双方がとても大事に思っているから。
で、ただね、その共通の知り合いのことをどう守るかが私とその相手ではやり方が違う。
相手はひたすら嫌味やら何やらの手段で大切な人間を守るために攻撃を加えてくるタイプ。
私から見たら味方のことしか考えない行動でかえって評価を下げてしまうんでないかと思っちゃうレベル。
そんなんしたら、言われた方はいい気がしないよ。
くらいに思っちゃう。
逆効果!
一方の私は、相手にはとりあえずきついことを言わない。
その場では黙って批判を受けておいて、相手や守りたいと思っている人の顔を潰さない方法を必死で探る。
で、悩んだ挙句に気付いたのがキンライサーですよ。
あの嫌味の応酬。
私に嫌味を言ってくる相手から見た私が、のれんに腕押しから少しは手応えのある相手と認識されるんじゃね?
相手はとにかく自分が味方と思った人のことしか考えない、世間様というか、よそ様というか、そういうものへの配慮なんか考えない人間なのはもう充分過ぎるくらいわかってる。
敵認定したやつのことなんか考えてる暇はないし、そんなことなら自分の好きなことやってた方がいいし、面倒なことは面倒だと言って、そんなことからは逃げる、私からしたら面倒なやつ。
でも共通の知り合いを苦しめたくもないんだよね。
だからキンライサー。
あの嫌味の言い方覚えたい。
すごく嫌な奴に見えるらしい。
その点はもしかしたら相手には私がすでにキンライサー状態に見えてるのかもしれない。
いや、そんなつもり今まではないから。
その方がなんか結果が良くなるような気がして。
そんなことないのかなぁ?
増田がDQNネームについて語っているのを見てどうしても増田に書いておきたい衝動に駆られたから書く
これから子供の親になる増田が子供の名前を付ける時の参考にでもなれば幸いに思う
まず肝心の俺のDQNネームの詳細についてだが、俺の名前は謂わば「女みたいな名前」のDQNネームだ
そこでここでは仮に俺の名前を「カミーユ(かみーゆ)」としておきたい
俺が最初に自分の名前について違和感を感じたのは幼稚園の時だった
当時同じ幼稚園に女の子でカミーユという名前の子が複数在籍してて、子供心に「カミーユって名前の男の子はいないのに、女の子は沢山いるんだなぁ」と思っていた
親の都合で転校した先の学校で自己紹介をしたのだが、複数のクラスメイトが示した最初の反応が、「女みたいな名前だな!」だった
この時に初めて自分の名前に羞恥心と嫌悪感を抱いたし、自分の名前が他の人からみたら変な名前なんだということを自覚したと思う
それからというもの自分の名前にずっとコンプレックスがあり、更に周りの反応もそうしたコンプレックスを助長した
「女みたいな名前だよね」というありきたりの反応もそうだったが、初見の教師が必ずと言っていいほど全員「なんだ男か。カミーユだから女かと思った」という反応を示すことも辛かった
女子から「カミーユちゃん」と呼ばれてからかわれたり、髪をヘアピンで弄られたりしたことも辛い記憶として残っている
中学に上がってもそうした周りの反応は依然としてあり、更に今までなかった年齢相応の問題も勃発した
「二次成長」だ
身長が伸び、身体はゴツゴツと骨張り筋肉質になり、喉仏は出て声も低くなった
これが問題になった
俺の見た目と名前のミスマッチ加減は当然周囲からネタとして消費された
中学2年の時だった
それから俺がどうしたかというと、自分に対する周囲の扱いに抵抗するのではなく、自分自身を変革しようと試みた
それは言ってみれば、自分の名前と外見の差異を減らそうという試みだった
当時の俺は、自分の名前は女々しいのに外見が雄々しいことが嘲笑の対象になっているのだから、外見を出来るだけ中性に寄せればいいんだと、そう思い込んでいた
兎に角名前と外見の解離がコンプレックスだったから、変えようのない名前は諦めて、せめて変えられる外見だけでもなんとかしようと考えたのだ
まず最初に口元の青髭から足の脛毛からワキ毛まで全身の体毛を剃った
母親の剃刀を無断で拝借して風呂場でこっそり剃ったのだが、何せ初めて剃刀を使ったので上手く剃れず全身傷だらけになったのを覚えている
次に髪を伸ばした
俺は前髪の毛先が眉毛より上にあり襟足が殆どない短髪だったのだが、前髪が目にかかり襟足が糞ガキ認定を受ける程度の長さまで伸ばした
もう全員敵くらいの認識だった
そして極めつけにAmazonでプエラリアという女性ホルモンの様な作用をするサプリを購入して服用した
本当は女性ホルモンを個人輸入したかったのだが、何せ当時は中学生で自由に使える銀行口座がなかったので仕方なくプエラリアに甘んじた
一日6錠くらい寝る前に飲んで数ヵ月も経つと肌がスベスベになり、髪もサラサラになって胸も膨らみ如実に効果が出た
周囲は俺の突然の変化に対して意外にも冷静だった
何というか、「触れない方がいい奴」みたいな扱いだった
中学生活の後半はこんな感じだったので殆ど同級生とも会話せず、卒業アルバムの寄せ書きは5人くらいしか書いてくれなかった……
もう既に「小ぶりなおっぱい」と言って差し支えないレベルに胸が膨らんでいたので、周囲から弄られることもあったが、生まれつきこうなんだ、と言って誤魔化した
そしてこの頃になると俺は船で隠れて女装をするようになった
「大尉に罰ゲームでやらされた笑」と無理な言い訳を作ってそうした写メを仲の良い友人にLINEで送ったりもした
性自認は男だし女が好きなのだが、男から可愛いと言われたいという欲求が日増しに膨らんでいった
そして高3の時、キリマンジャロ攻略で侵攻していた基地のトイレで大尉のチンコを舐める妄想をしながらオナニーをした
戦争のストレスで頭がおかしかったのも多少は関係しているとは思うが、正直もうこの頃は大尉のチンコを舐めたいという謎の欲求が凄くて船で大尉を見る度にチンコ舐めたいとか思ってた
他にもトーレスやヘンケンさんに日常的にボディータッチする癖がついたりもした
女性ホルモンをとると血栓が出来やすいとも聞くけど、もっと女らしくなりたくて摂取してる
きっと俺は頭がおかしいんだと思う
けど俺がこうなったのも元を辿れば俺の名前が「女みたいな名前」だったからなんだとも思う
俺が「ジャミトフ」とか「シロッコ」みたいな男らしい名前だったら今ごろこんな状態にはなってなかったと思うんだ
ここまで勢いで書いてしまってだいぶ乱文になってると思うけど、とにかく俺がここで伝えたかったのは、「DQNネームでここまで人生狂う人もいるんだよ」ってこと
ただそれだけ
増田がDQNネームについて語っているのを見てどうしても増田に書いておきたい衝動に駆られたから書く
これから子供の親になる増田が子供の名前を付ける時の参考にでもなれば幸いに思う
まず肝心の俺のDQNネームの詳細についてだが、俺の名前は謂わば「女の子みたいな名前」のDQNネームだ
そこでここでは仮に俺の名前を「薫(かおる)」としておきたい
俺が最初に自分の名前について違和感を感じたのは幼稚園の時だった
当時同じ幼稚園に女の子で薫という名前の子が複数在籍してて、子供心に「薫って名前の男の子はいないのに、女の子は沢山いるんだなぁ」と思っていた
親の都合で転校した先の学校で自己紹介をしたのだが、複数のクラスメイトが示した最初の反応が、「女みたいな名前!」だった
この時に初めて自分の名前に羞恥心と嫌悪感を抱いたし、自分の名前が他の人からみたら変な名前なんだということを自覚したと思う
それからというもの自分の名前にずっとコンプレックスがあり、更に周りの反応もそうしたコンプレックスを助長した
「女の子みたいな名前だよね」というありきたりの反応もそうだったが、初見の教師が必ずと言っていいほど全員「なんだ男か。薫だから女かと思った」という反応を示すことも辛かった
女子から「薫ちゃん」と呼ばれてからかわれたり、髪をヘアピンで弄られたりしたことも辛い記憶として残っている
中学に上がってもそうした周りの反応は依然としてあり、更に今までなかった年齢相応の問題も勃発した
「二次成長」だ
身長が伸び、身体はゴツゴツと骨張り筋肉質になり、喉仏は出て声も低くなった
これが問題になった
俺の見た目と名前のミスマッチ加減は当然周囲からネタとして消費された
中学2年の時だった
それから俺がどうしたかというと、自分に対する周囲の扱いに抵抗するのではなく、自分自身を変革しようと試みた
それは言ってみれば、自分の名前と外見の差異を減らそうという試みだった
当時の俺は、自分の名前は女々しいのに外見が雄々しいことが嘲笑の対象になっているのだから、外見を出来るだけ中性に寄せればいいんだと、そう思い込んでいた
兎に角名前と外見の解離がコンプレックスだったから、変えようのない名前は諦めて、せめて変えられる外見だけでもなんとかしようと考えたのだ
まず最初に口元の青髭から足の脛毛からワキ毛まで全身の体毛を剃った
母親の剃刀を無断で拝借して風呂場でこっそり剃ったのだが、何せ初めて剃刀を使ったので上手く剃れず全身傷だらけになったのを覚えている
次に髪を伸ばした
俺は前髪の毛先が眉毛より上にあり襟足が殆どない短髪だったのだが、前髪が目にかかり襟足が糞ガキ認定を受ける程度の長さまで伸ばした
もう全員敵くらいの認識だった
そして極めつけにAmazonでプエラリアという女性ホルモンの様な作用をするサプリを購入して服用した
本当は女性ホルモンを個人輸入したかったのだが、何せ当時は中学生で自由に使える銀行口座がなかったので仕方なくプエラリアに甘んじた
一日6錠くらい寝る前に飲んで数ヵ月も経つと肌がスベスベになり、髪もサラサラになって胸も膨らみ如実に効果が出た
周囲は俺の突然の変化に対して意外にも冷静だった
何というか、「触れない方がいい奴」みたいな扱いだった
中学生活の後半はこんな感じだったので殆ど同級生とも会話せず、卒業アルバムの寄せ書きは5人くらいしか書いてくれなかった……
もう既に「小ぶりなおっぱい」と言って差し支えないレベルに胸が膨らんでいたので、周囲から弄られることもあったが、生まれつきこうなんだ、と言って誤魔化した
そしてこの頃になると俺は家で親に隠れて女装をするようになった
「兄貴に罰ゲームでやらされた笑」と無理な言い訳を作ってそうした写メを仲の良い友人にLINEで送ったりもした
性自認は男だし女が好きなのだが、男から可愛いと言われたいという欲求が日増しに膨らんでいった
そして高3の時、受験対策で通っていた塾の入っていたビルのトイレで男のチンコを舐める妄想をしながらオナニーをした
受験ストレスで頭がおかしかったのも多少は関係しているとは思うが、正直もうこの頃は男のチンコを舐めたいという謎の欲求が凄くて学校で男友達を見る度にチンコ舐めたいとか思ってた
女性ホルモンをとると血栓が出来やすいとも聞くけど、もっと女らしくなりたくて摂取してる
きっと俺は頭がおかしいんだと思う
けど俺がこうなったのも元を辿れば俺の名前が「女みたいな名前」だったからなんだとも思う
俺が「大介」とか「剛」みたいな男らしい名前だったら今ごろこんな状態にはなってなかったと思うんだ
ここまで勢いで書いてしまってだいぶ乱文になってると思うけど、とにかく俺がここで伝えたかったのは、「DQNネームでここまで人生狂う人もいるんだよ」ってこと
ただそれだけ
最近元気がないな、とはなんとなく感じてた。
いつもは弱音をはかないし、会社のこともあまり言わのにそれを伝えてくれるってことは、それだけしんどいんだと思った。
でも、まさか休職するくらい深刻だったなんて気付けていなかった。
実はわたしも前うつになって、薬の副作用とかで相当しんどかった。
副作用で吐き気はひどいし、動けない、食欲もないし、勝手に涙はでてくるし。
実はもうすぐ入籍予定で、負担にならないように延期した方がいいのかなぁとも思った。
でも、延期はやめた。
それに2人暮らしなら、私がちゃんと働いてれば恋人が休んでたって生活できる。
でも延期をやめようと思った一番の理由は、そばに支える人がいた方が良いと思ったから。
だから、せめて一緒に暮らして一緒にごはん食べて、大好き!ってハグして、一人じゃないよって伝えたい。
自分も鬱を経験していたから、どんな状態かはなんとなく分かる。
だから、恋人が鬱になったって知って、先に自分が鬱を患っていて良かったと思った。
わたしが鬱の時に恋人はたくさん支えてくれたから、今度はわたしの番。
休職の間は休むのがお仕事だから、精一杯だらだら過ごして欲しい。
無理はしない、むずかしいけど、無理しないことをがんばりたい。
IT業界、特にゲーム業界は、流行りのネタ、ビジネスモデル、技術などはものすごい速さで変わっていってます。
たまたま、あるゲームがヒットし、人を増やし、そのゲームに適応した会社の仕組みを整えたとしても、すぐに時流に乗れなくなっていく、終いにはいつまで同じ昔のを焼き直しているんだ、というのを経験しました。
会社に必要なのは、変化できる、時流に乗っていける、欲を言うならば新しい時流を作り出せる仕組みこそ整えるべきと感じました。
例えばC社が強いのは、ゲーム/非ゲームに限らず、グループ内ですら競争させ、時流に乗れるグループが生き残る仕組みがあるからなのかな、と感じています。
あるいは、時流に関係ない他社を圧倒するノウハウ/コアバリューを持つ会社も強いのか、と感じました。
あと、VR/AR/MRへの予想。一部の会社はよく投資しますが厳しいのではと感じています。
ゲームエンジンの普及のおかげで少しは楽になりましたが、VRには3Dのノウハウがとても必要で、たまたまヒットできたとしても、3Dのノウハウの持っている据置系の会社にネタ/ビジネスモデルだけ拝借されて、すぐに追い越されそうな気がします。
例えばソーシャル系の会社は、据置系の会社が得意でないWebGLとかクラウドとかに投資した方が、いいんじゃないかと思っています。
テニスにそこまで明るくない自分でも、BIG4のナダル選手は昔から知ってたから、なんで人の名前取るようなことするんだろう?と思ってた
ナダルといえばテニスのナダルしか日本で一般的に知名度の高い人はいなかったし、しかも由来として、芸人はファンでもなんでもないけどラファエルナダル選手から取ったって言ってて悪意あるのか?とすら思ったなあ
(芸風もテニスまったく関係ないし、増田が書いてるようにウザいとか言われるキャラだから、ナダル嫌いとか書かれるようになるわけで、拝借したわりにリスペクトがゼロだなと)
最近話題になった件でいろんな意見を眺めてて、「許可なく引用」というのはそれ自体矛盾だとか、「無断引用」という概念はそもそもありえないといった意見を何度も見かけた。これは以前からわりとよく言われていることで、言いたいことはわかる気がするのだが、使われている言葉(「矛盾」「ありえない概念」等)が本当に適切なのかどうかよくわからない。とくに「矛盾」と書いている人をずいぶん見かけたが、どうも腑に落ちない。いったい何と何が矛盾しているのか。
法的に引用は無断で行ってもよいもののであり、わざわざ「無断引用」という言い方をするのはおかしい。ここまではわかる。しかしこの言葉が「矛盾」していると言っている人がかなり多いのが気になっている。別に矛盾してなくないか? だって実際に無断で行ってる行為に「無断」ってつけてるんでしょ? 「矛盾」ではなく、言わなくてもいい不必要な情報を付け加えているという意味でむしろ「冗長」と言うべきではないのか? 「矛盾」ではないだろうと。むしろ「引用」の定義に含まれる「無断で行ってもよい」をわざわざ明示している明快な表現ではないのだろうか? なぜこれが矛盾なのだろう? 素朴な疑問だ。
なんとなくこれかなーというのはある。「無断引用」という言葉には、冗長だという以外に大きな問題がある。この言葉の使用は、「著作権者に断った上での引用が正当なもので、無断で行われる引用は悪いことだ」という間違った考えを前提しているように思われるということだ。「無断欠勤」「無断拝借」「無断乗車」などには、わざわざ「無断」とついているからには、(法的に定義されているかどうかはともかく)「欠勤」や「拝借」や「乗車」は本来は許可を得て行わなくてはならない、無断で行ってはならないということが含まれていると感じられるのと同じである。「無断引用」が矛盾という人は、これを指して矛盾と呼んでいるのかもしれないとちょっと思った。しかしそれでもどこがどう矛盾なのかは判然としない。だれか教えてくれるといいのだけど。
あと思いついたのは、「無断引用」という言葉を使う人たちは「引用」の定義を勘違いしていることが多いので、この言葉自体というよりそういう人たちの態度を指して矛盾と言っているのかもしれないなーということだ。上で書いたこととつながるけど、そういう人は「引用は無断で行ってはいけない」という間違った認識にもとづいて、批判目的でこの言葉を使っているので、それに対して、おまえの言う「無断引用」という言葉は(おまえが言っているような意味では)無意味だ、というのは理解できる。しかしいろいろコメントとか読んでみると、「無断引用」という表現自体が矛盾だ、意味をなさない、と言っている人がけっこういるのである。やっぱりどういうことかいまいち腑に落ちない。
思うに、「無断引用」は、自動車の運転でいえば無免許運転ならぬ「免許運転」というようなものではないか? わざわざ言わなくてもいい余計な言葉がついているという意味で。しかしこの言葉も矛盾しているとは思えない。意味も明快だ(正確には、存在しない言葉なので意味をたやすく推測できる)。たぶん免許を取得したうえで、あるいは免許証を携帯して車を運転する、という意味だろう。運転は免許をとってするのが普通だし、引用は無断で行うのが普通だ。なので「免許運転」「無断引用」などとわざわざ言う意味はない。でも「免許」や「無断」をつけたからといって、そこに矛盾が生じるとは思えない。むしろ当たり前のことが明言されて、元々の意味が強固になっているようにも思える。ここにほんとうに矛盾はあるだろうか?
バッグのバーキンとスーパー・セブンレプリカを製造していたバーキンは関係あったのかなと思って調べたが、関係なさそうだった。ただの自動車ジョークかな。
バッグのほうはエルメスの共同設立者でCEOのジーン・ルイス・ドゥーマス氏が女性俳優のジェーン・バーキン氏と飛行機で隣の席になったことで知り合い、後日このバッグ使ってよと贈ったのが起源。
車のほうは設立者のジョン・ワトソン氏がレーサーのティム・バーキン氏の孫だったので名前を拝借したようだ。増田で「ジョン・ワトソン」をクリックするとはてなキーワードのF1レーサー、ジョン・ワトソン選手のページに飛ぶがそれはまた別人。
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家にある睡眠薬全部飲みました…(1)
ありがとう…(1)
「メサイアコンプレックス」という言葉がある。
実際はモラルハラスメントなどに通じる考え方であるが、ここではちょっとネット向けにアレンジした理解として、「個人の問題や悩みを解決するために、わざわざ社会を変えなければならないと考え、それを呼びかける人」のことを指すこととする。「スラクティビズム」という言葉と親和性持たせる感じね。
例えば、自分がオタクとして十分なアイデンティティの充足が得られない人が、「今のオタクは間違っている。正しいあり方に直さねばならない。私が主導する」といい出したり、例えば、左翼やリベラルとして十分なアイデンティティの充足が得られなかった人が、活動の場を求めて、他に誰も問題視していないことを大げさに騒ぎ立てて自分の存在感をアピールしたりtogetterまとめなどを使って拡散しようとしたりする事案などがそれに当てはまる。
そういう人たちが、自分の問題と社会の問題を「リンク」はさせつつも「別の問題」として扱えるのであれば問題はない。当然のようにつながりはあるが、それでも自分の問題は自分の問題、社会の問題は社会の問題として、それぞれの課題を分離できるならいいのだ。
だが、大抵の人はこの2つを混同してしまう。というか、そうでもなければ、わざわざ社会の問題なんて考えようという人はそうそういないだろう。
だけど、これはわざわざ難しい事をやって、わざわざ行き詰まるように自分を追い込んでいる。セルフハンディキャップよりタチの悪い、約束された失敗に向かって飛び込む破滅願望のようなものだ。自分に酔っているだけで何の役にも立たない。
いわゆる「心の贅肉」というやつだ。
そういう贅肉がある人は羨ましい限りだ
それにしても学歴が高い人に有りがちな「自分のことだけ考えていてはいけない」という強迫観念があるのかもしれない。
最近はそうでもないと言われるが、やはり良い大学に行った人や、
本人はそうでなくとも親が良い大学に行っていたり医者だったりする人は、
多かれ少なかれエリート意識と言うのはまだ残っている人が多い。
そして、エリート意識というのは、正しく扱わないとその人間を蝕む毒になる。
数十年前の学生運動というのは当初、東大や京大などの人間が真面目に考えすぎた結果、こじらせてしまったところが出発点だった。
せっかくいい大学に通わせてもらったののに、他人より恵まれた立場にいたはずなのに、自分は何をやっているのだろう、自分だけ幸せになっていいのか、社会はこのままでいいのだろうかと余計なことを考えて、ふわふわした感覚のまま社会を変えなければならないという気持ちだけが先行してああいうことになった。
彼ら彼女らはとにかくクソ真面目なのだ。クソ真面目すぎて、背負う必要もない責任を抱え込んで、それをどう扱っていいのかわからないまま混乱してしまったのだ。
最近はてなブログでこれに近い、クソ真面目な人が混乱しながら書いたんだろうな、という記事を読んだ。
東大に次ぐ日本で二番目に難しい文系大学を出たあとニートになったりすれば、その鬱屈した感情は非常に強いことだろう。
ああ、エリート意識を持て余し、メサイアコンプレックスに取り憑かれているなと感じる。
だが、タイトルに革命、のような言葉をつけているわりに記事の内容は幼稚としか言いようがない。
自分に酔っているなとすぐわかる。
大学卒業したての人間が、雇われずに生きていくと言っているのと近い。
願望を述べるのは良いが、具体性が足りない。そこに本気を感じない。
この人はシャドウ・ワークという言葉を知らないのだろうか。 良い大学を出ていても、あまり勉強してこなかったように思われる。
自分の問題から逃げるために社会の問題を論じているだけのようにしか感じない。
自分の現実から逃避するために適当に論じている人を見ると少し腹が立つ。
そういう人間が、私は社会の問題をちゃんと考えてます、というツラをされると私としては大いに腹が立つ。
今の社会はそりゃ間違っているかもしれないが、それでもとりあえずギリギリ成り立っている。
それを支えるために結構な労力を費やしているわけだ。
ブラック企業を支持する奴隷と言われるかもしれないが、すくなくともこの社会において
別に私でなければ回らないようなオンリーワンの仕事なんかしてないが、
与えられた仕事で毎日踏ん張って、自分だけでなくて家族を養って生きてるのだ。
他人から見たらつまらない人間に違いないだろうが、そういうことを蔑ろにされたくない。
そういうことすらろくに出来ないやつが、社会の変革みたいな大げさな話をしても鼻ホジでしかない。
【追記 5/19】
仕事を終えて帰宅中の電車で開いたはてなアプリ。その新着ブコメに突如として俺の増田が表示されていて震えている。
っつうかGWはとっくの昔に終わってんじゃねぇか!でもコメつけてくれた皆さま、ありがとう。ちょうど週末だし、じっくり読むわ。
【追記ここまで】
GW中にぼちぼち読みたい。
自分でも漁っているが、約十年の間に蓄積された膨大なコメントを独力で掘り返すには時間が足りないと悟った。アルファブクマカー諸兄の英知を拝借したい。
自薦他薦は問わないし、判断基準もなんでもいい。「得心した」「感動した」「爆笑した」「思わず膝を叩いた」「考えさせられた」「蒙が啓けた」「このブクマカが好き(愛の告白)」等々、珠玉のコメントをお待ちしております。
http://b.hatena.ne.jp/entry/297994048/comment/confusion8
ブコメのリンクの貼り方なんざ分かんねえよ、という方は元記事のURLでもいいし、
「xevra先生のxxxx年xx月xx日の日記につけられた『○○』というコメント」
「xevraの野郎がxx月ぐらいに○○さんに突っかかっていった際のブコメ」
等、認識できれば何でもいいです。