はてなキーワード: 平易なとは
http://lacucaracha.hatenablog.com/entry/2015/11/11/100336 の説明を見て、簿記や会計を初めて知る人が誤解されかねない箇所が多々あり、さすがにどうかと思ったので、自分で簿記のエッセンスをまとめました。
まず辞書をひいてみよう。国語辞典が手元にあればそれでひいてほしい。残念ながら手元にない人は、Web上の辞書をひいてみよう。
できれば複数の辞書をひいてみよう。複数の辞書の意味を見較べてみよう。
ぜひ本当に引いてみて欲しいのだが、今私が引いた結果を記しておく。
Wikipediaでは、 ( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B0%BF%E8%A8%98 )
簿記(ぼき、英語: bookkeeping)とは、ある経済主体が経済取引によりもたらされる資産・負債・純資産の増減を管理し、併せて一定期間内の収益及び費用を記録することである。より平易な言い方をすると「お金やものの出入りを記録するための方法」が簿記である[1]。
大辞林 第三版の解説 では ( https://kotobank.jp/word/%E7%B0%BF%E8%A8%98-132641#E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.9E.97.20.E7.AC.AC.E4.B8.89.E7.89.88 )
ぼき【簿記】
一定期間における経済活動を,一定の記録方法で帳簿に記録・計算・整理し,財産・資本・負債の増減を明らかにする計算制度。記入方法により単式簿記と複式簿記に分けられ,業種により商業簿記・工業簿記・銀行簿記・農業簿記などに分けられる。 〔「帳面に書きつけること」の意。英語 bookkeeping の訳語。福沢諭吉「福翁自伝」(1899年)にある〕
デジタル大辞泉では ( https://kotobank.jp/word/%E7%B0%BF%E8%A8%98-132641#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89 )
会社・官庁・組合など経済主体の活動を一定の方法で帳簿に記録・計算し、一定の時点で総括して損益の発生や財産の増減を明らかにする技法。記帳方法によって単式簿記と複式簿記に分けられる。
日本大百科全書(ニッポニカ)では ( https://kotobank.jp/word/%E7%B0%BF%E8%A8%98-132641#E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E5.85.A8.E6.9B.B8.28.E3.83.8B.E3.83.83.E3.83.9D.E3.83.8B.E3.82.AB.29 )
世界大百科事典 第2版では ( https://kotobank.jp/word/%E7%B0%BF%E8%A8%98-132641#E4.B8.96.E7.95.8C.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E4.BA.8B.E5.85.B8.20.E7.AC.AC.EF.BC.92.E7.89.88 )
企業や政府のような特定の経済組織体が管理する資本や財産の価値変動を一定の表現技法にのっとり記録・計算し,その結果を伝達する行為,またはその表現技法をいう。〈帳簿記録〉という用語に由来するとされ,日本では1873年(明治6)大蔵省公刊のアラン・シャンドAlexander Allan Shand(1844?‐1930,イギリス)《銀行簿記精法》で簿記という訳語が使われて以来,一般化した。この技法は現在あらゆる経済体制を問わず,さまざまな組織で用いられている。
とそれぞれ説明されている。
どの辞書や辞典を見ても、共通する言葉がある。例えば「経済主体」や「経済組織体」といった言葉。「帳簿」、「記録」、「計算」、「一定」も共通している。「技法」という言葉や、「増減」といった言葉も目につくだろう。
どの辞典でも使用されている同じ単語を、うまく抜き出して意味をまとめてみよう。こんな感じになるだろうか。
経済主体が行う経済活動(これを取引といったり、財産などの価値の変動ともいうようだ)を、一定の方法で記録したり、計算する。その結果を帳簿に書いておく。場合によってはそれを伝達する。これを簿記という。
さらに簡単にまとめてしまえば、「お金やものの出入りを記録するための方法」を簿記という。
1.ある個人や集団がいて、
3.増加したり、減少したりしたときに、
4.それを帳簿に書いておく。場合によっては誰かに伝える。
ということが簿記のエッセンスである。簿記が行っていることはこれだけだ。とても簡単なことに見えるだろう。
よくある間違いは、簿記=財務諸表をつくるもの、といった短絡的な勘違い。財務諸表がまず何かわからない人も多いと思うが、主に会社が、ある期間の業績などをアピールするために作成している書類で、決算書と呼ばれることもあったりする、くらいの意味合いを抑えておけば十分だ。
いままで見てきたように、簿記そのものは、財務諸表ではない。財務諸表を作る上で役に立つが、簿記自体は財産の変動を記録して帳簿に書いておく、といった意味合いしか無い。したがって、簿記の説明で「財務諸表の説明だけしかしない」のであれば、それは間違いだ。簿記から財務諸表を作ることができるよ、といった説明ならば、もちろん間違いではない。簿記と財務諸表は別の言葉であり、意味は等しくはならない。
例えて言うならば、プログラミングをする上で様々なプログラミング言語があるわけだが、では、ある言語を持って、「それだけ」をプログラミングと呼ぶか?というようなものだ。「Java言語でプログラミングをする」という文は間違っていないが、「プログラミングをすること=Javaである」というようなことを言われると、それは誤解である。C言語やPythonや他にもいろいろプログラミングをする上で利用されるプログラミング言語はあるのだから。「USBメモリー=USB」みたいな、誤解されかねない意味の略し方になりかねない。
財産という言葉を聞くと、簿記や会計を全く知らない人は、現金(硬貨とか紙幣)だったり、あるいは、金の延べ棒みたいなものとか、袋にドルマーク($)が描かれたものをイメージとして浮かべがちだ。実際に簿記でもそれらは対象になるのだが、「お金自身の動きだけをもって、簿記である」と勘違いしてほしくない。あくまでも、「財産」の変動を対象にしている。この財産とは「経済的な価値を持つもの」全部を指すのだ。だから現金以外もいろいろ入ってくる。
例として、火災や天災などが挙げられる。(他にも会計的なものはいくらでもあるが、知らない人がわかりやすいのはこれ以外には少なかろう)
火災や天災によって、ある会社の工場や営業で使っている自動車が焼失したり、破損することがある。このとき、会社からお金は減っていないが自動車が使えなくなってしまうために、財産として計上している「自動車の価値」を減少させる。複式簿記の仕訳で書けば、
○月☓日 (借方) 火災損失(天災損失などもあるだろう) □□□万円 / (貸方) 自動車(車両運搬具だったりもするが) □□□万円
といったようになる。よくわからないところが多いと思うが、「お金そのもの」がどちらの側にも無いということを確認してほしい。
「簿記=お金」のイメージが学び始めのころはついてまわると思うが、だんだん学習が進むにつれて、お金そのものを扱っているといった見方では説明できないものがたくさん出てくる。むしろそういうものばかりになる。
それゆえに簿記の言葉を説明するときには、「財産」とか、「経済的な価値変動」といったような、お金よりも抽象的な言葉で説明せざるを得なくなる。わざわざ難しそうな言葉を選んでいじわるをしているわけではなくて、正確な言葉を使わないとあとあと矛盾がたくさん出てくるゆえだ。定義がピンとこない人の方が多いと思うが、誤解しないでほしい。
記録する対象が商業であれば、商業簿記になる。ここでいう商業とは、ものを仕入れて、仕入れた商品をそのまま販売することをいう。スーパーマーケットの(惣菜みたいなそのお店で調理していないで、)袋詰されて並んでいるものは対象に含まれる。加工している場合にはその加工にかかった費用を計算する必要があるので、商業簿記では取り扱われない。
工業簿記は、商業簿記とは異なり、仕入れたものを加工して販売する。典型的なのは自動車産業のようなものだ。鉄やガラスなどを加工して、自動車を作り、それを売る。加工する途中で、工員が作業を行う必要があるし、加工のために工具や電気代、燃料代などがかかるだろう。そういった加工を伴う簿記が工業簿記の範囲である。(工業とついているので、工業だけと思われるかもしれないが、加工を伴うものであれば工業以外でもよい。例えば洋服をオーダーメイドで作製する個人商店なども、布地を加工して服に仕立てるので、工業簿記の範囲だ。生の牛や豚をさばいて、畜肉にする作業も加工を伴っているので工業簿記である。テクニカルタームだが、そういうときは副産物や連産品として処理したりする。金額的な重要性によって会計処理が変化することがあるが)
他にも農業簿記や銀行簿記といった言葉もある。それぞれ農業で使用される簿記、銀行業務で使用される簿記である。(私も詳しくは知らない)
ここまでは、業種に応じた簿記の違いであった。複式簿記と単式簿記の違いは、記録のとり方(これを記帳方法と呼ぶ)の違いである。
単式簿記は、記録を取るときに、科目を一つだけにしぼって記帳する方法である。家計簿や子供のおこづかい帳のようなものだ。(と書くと、ほとんど使われていないと思われるかもしれないが、少し前までは東京都は単式簿記で記帳していたし、他の自治体は、今でも単式簿記によるところもあると思われる)
○月☓日 おこづかい 500円
などと、お小遣い帳に記帳する。もしおこづかいから、おやつを買ったときには、
○月△日 おやつを買った -300円 (あるいは支出欄があれば、そこに300円と書く)
などと書いていけば良い。この「○月☓日 おこづかい 500円」といった部分を仕訳と呼ぶ。
複式簿記は、記録を取るときに、科目を左側と右側の両方を立てて記帳する方法である。
○月☓日 (借方) おこづかい 500円 / (貸方) おこづかい受贈益 500円
などと、帳簿に記入することになる。この、「○月☓日 (借方) おこづかい 500円 / (貸方) おこづかい受贈益 500円」の部分を、単式簿記の時と同じく、仕訳と呼ぶ。(受贈益という言葉が気になるかもしれないが、今回は説明しない。正確に書くための前提知識がそれなりに必要なので。今回は例に挙げただけなので、もらって得した、というくらいの浅い理解で十分だ)
この、仕訳を書く帳簿を仕訳帳と呼ぶ。(たまに普通仕訳帳と読んだりもするが、その場合特殊仕訳帳があるケースがほとんどだ)
単式簿記は科目が1つで、複式簿記では科目が2つになることがわかるだろう。これは正確に言うと、複式簿記は科目を書く欄が「左側と右側と2つある」という理解をしてほしい。したがって、もし、お母さんだけでなく、その日にお父さんからもおこづかいをもらったとしたら、複式簿記で仕訳を作ると以下のようになる。
○月☓日 (借方) おこづかい 1200円 / (貸方) お母さんからのおこづかい受贈益 500円 / お父さんからのおこづかい受贈益 700円
右側が2行になったことがわかる。左側は1行のままだ。そして、右側の金額を合計すると、左側の金額の合計と一致していることもわかるだろう。これも複式簿記の仕訳である。このように、右側が2行になったりすることもあるし、反対の左側が2行になったりすることもある。もっと行数が増えることもある。仮におじいさんやおばあさんからももらったとしたら、3行、4行と増えることになるだろう。(狭義の簿記の範囲外だが、連結財務諸表の合算の仕訳などが典型例だ)
このように、複式簿記は「左側と右側」にそれぞれ科目を立てるゆえに「複式」簿記と呼ばれる。
(余談だが、行列簿記など、他の記帳方法も存在する。自分も詳細は知らないが)
複式簿記の場合、仕訳帳に仕訳を書いたあと、勘定科目ごとに総勘定元帳と呼ぶ別の帳簿に転載する。この転載する作業を「転記」と呼ぶ。(この後もいろいろ話はあるが、まあこれくらいのことがわかれば複式簿記のイメージが持ってもらえるはずだ。)
いろいろ例を挙げて説明してきたが、今までの内容をまとめる。
1.簿記とは「経済価値の増加や減少を記録して、帳簿につけること」を意味する言葉である。
2.簿記の頭に○○簿記と言ったように、修飾語がつくときには、その修飾語は業種や記帳法(帳簿の記入形式)を詳しく説明している。前者は商業簿記や工業簿記など。後者は単式簿記や複式簿記といった言葉がよく使われる。
3.複式簿記という簿記は、仕訳が左側と右側の2つに分かれている。左側の合計と右側の合計は同じ金額になる。単式簿記は1つである。
といったことを説明してきた。おそらくこれだけ知っていれば、簿記という言葉がおおよそ何を意味するかわかるはずだ。(会計という言葉はまた別の意味になる。単語が違うということは、当然その意味は違うのだから)
もしこれを読んだ人に子供さんがいたりして、その子供に「簿記って何?」と聞かれたとしても、今までの内容を漏れ無く、内容を興味を持てるようにある程度やさしいものに組み立てなおして説明してもらえれば十分わかるはずだ。
簿記という言葉の意味については、会計方面に接点がない人は、今までの内容を理解してもらえれば、十分である。もちろんこれから会計を学ぼうとしている人も、今までの説明で、これから学ぶ内容と矛盾が起こらないように配慮して説明してきたので、そこそこ役に立つはずだ。
声優業の厳しさ、それと声優業の厳しさ、そして声優業の厳しさが縷々綴られています。
本書は"頭の不自由な子"にも配慮した、バリアフリー書籍です。
平易な文章、喩え話、少ない文章量(新書だよ)、論旨の繰り返し。中学校で習うような熟語にもルビが振ってあります。
とりわけ『論旨の繰り返し』は執拗です。
「声優を目指すのはやめとけ」というメッセージが本文にも行間にも満ち満ちています。
ページを繰ったあとも紙背から「やめとけ」と念押ししてくるようなクドさです。
最後まで読まずとも、声優業界の過酷さが分かるでしょう。新書程度の活字さえ読みきれない読者が、途中で投げ出すことまで考慮した構成となっています。
馬鹿、もとい、低偏差値、失敬、夢見がちな若人必読の一冊です。
惜しむらくはタイトルでしょうか。
俺はとある社会学系の博士課程に在籍する学生なんだが、ふと思いついたので書いてみる。
累進課税とタックスヘイブンの戦いでは、タックスヘイブンの方に分があり、
世界的な累進課税の枠組みは、やっぱり作れないだろう、というのが通説だ。
ようするに金持ちに税をかけて、貧乏人に分配するのは難しいってこと。
だったらさ、お金の使い道の方を無くしてしまえば良いじゃんって思いついたんだ。
ようするに、お金持ちからは奪っても良いよってことにしたら良い。
お金を持ってることがバレたら、徒党を組んだ貧乏人に実力で所有物を奪われてしまうの。
そうすればお金持ちはお金の力を使えなくなる。使い道がなくなるので、持ってても無駄になる。
どうせ無駄なら納税すれば良い。
そんな事したら、お金を隠されて、デフレになる、ってんなら、どうぞ。
そんな事したら、無法地帯になる、ってんなら、奪う方法をルールでしばれば良い。
防御側も厳しくルールでしばる。
フェラーリが売れなくなるって?
でも、俺の案だと「タックスヘイブンでしかお金を使えない」ってところがミソなんだ。
頭の良い人なら気づくだろう。タックスヘイブンではハイパーインフレになってしまうって事が。
他にも反論があったら、どうぞ。
俺も反論を考えたんだが、ちゃんとした反論は思いつかなかった。
反論というより、どういうルールにするか、などの運用面に課題が多いという感じだ。
でもそれは世界的に抜けのない課税の枠組みを作る、などという壮大で困難な課題よりは難易度が低く
より実現性が高いと感じる。
ライトノベル談義が盛り上がっているが、あえて挑発的なことを述べたい。
最近増加しているなろう出身のノベルスやビブリアのようなボーダー小説も含めれば山ほどでている。
その中には女の子が多い物もあれば30代のおっさんが主人公のライトノベルなども存在する。
また、あえて平易な文章を書きわかりやすくしているものもあれば衒学的にわかりづらい文章や回りくどい表現をしているものもある。
ところがアニメ化するライトノベルは女性キャラが多かったりするものが多いような傾向があるという。
それはなぜなのか?
ぶっちゃけてしまうとアニメを視聴する層がそのような作品を望んでいるからだ。
あれだけ多くのライトノベルの中からアニメ視聴者に売れるものはどれか?
ということを考えるとそのような作品を選ばざるをえないからだ。
長年ブコメを見続けていると、どんなブコメにスターが付くのか何となく分かるようになる。
平易な言葉で書かれ、はてなの中でマジョリティの思想を持ち、自分の溜飲を下げてくれるブコメにはスターが集まる。
それは得てして当たり障りがない、つまらないブコメだった。いい子ちゃんやいい子ちゃんになりたがる人の考えはつまらない。
これは面白いとか、よく考えられているだとか、凄いと思うようなブコメでも難解であったり、マイノリティな思想であったり、そういうブコメは大して評価されない。
これは自分のブコメに限った話ではなく、むしろ他人のブコメにこそ強く感じる。
自分の感覚が属するコミュニティの感覚とずれていて、不平不満を言っているだけなのだろう。
自分が承認されないからか、ゲームの仕組みが分かってしまったからか、何にせよ僕はこのゲームへの興味を失ってしまった。
何度も人に教える作業はドキュメント化すべきだ、と思って今までいろいろな文書を作ってきた。
詳細な解説から、簡単なTipsまで。図や具体例も入れてわかりやすく、平易な言葉で書くことを心がけたり、自分なりに気を使った。
作成した文書は社内wikiやまとめページにカテゴリ分けと一行の概要を付して簡単に見つけられるようにした。
タイトルもできるだけ内容がわかるように、かつ長くなり過ぎないように。
無論それでなにか報酬がもらえるわけではない。
教える立場の自分が少しでも楽するためと、後々残る人たちのためにもなればと思って作った。(頼まれて作ることもあるけど)
でもな、作ってもだーれもまともに読まん。
ここにやりかたは書いてあるからまずはそれにそってやってみてね、と言っても結局ほとんどすべて直接教えることになる。
質問は大体その文書に大きく書いてあること。
しかも一回教えてもまず覚えてくれないから、何度も聞いてくる。
これに同じこと書いてあるから今後はこれ見てと言っても無駄。絶対聞いてくる。教えないとその作業をほおりだすかものすごいまわりみちの自己流手順でやりだす。
読んでわからなかったならこちらの作り方がまずかったのかなと思うけど、目を通してすらくれない。
知ってると楽できるtips集、書いても誰も自分では見つけてくれない。
こっちから能動的に「こんなのがあるよ、使うと楽できるよ」と言って初めて「すごい!こんなのあるなんて!もっと早く知りたかった〜」みたいなー。
全部徒労だったなー。
一般的な技術だったら個人ブログにtipsや手順書くんだけど、こっちは人の役に立ってるみたいですごく充実感あるわ。
検索からの流入もブクマもあって、Twitterでも言及されてたりしてさ。アフィつけてないからどっちにしろ無報酬なんだけどそれだけで書いてよかったなって思うよ。
http://anond.hatelabo.jp/20140817161450
真似して書いてみた。
オンオフ問わず、おいしい場所にめざとく顔を出して存在感を示す一方、
目の付け所を少し捻っただけで内容ゼロなこけおどしコメントしか出さない。
斜に構えたコメントを出して、その文化人にマウントしようとする。
実際に何者なのかを説明できる人が誰もいないという謎めいた人物。
テキブルー 転調(id:mk2mk2mk2mk2mk2mk2mk2mk2mk2mk2)
ありきたりな自意識や価値観、精度の低い論考しか書けない上に、
些細な誤解すら恐れて思考の過程を細大漏らさず説明してしまうので、
長く締まりのない文章を、それでも我慢して最後まで読んだ結果、
要点がどこにも無いことに気付かされる悪質な文芸。
テキフレンチ コオロギ(id:Lee1Q84)
テキブラウン 夕タヌキ(id:forafareta13)
つい先ほど、増田で晒されているのを見て知ったデブ差別ブロガー。
オフ喜利、ひだけーだい、大人たばこ養成講座あたりに似た匂いがする。
急ながら、要監視対象として追加しておく。
ゲンレッド 齊藤貴義(id:netcraft)
はてな民らしからぬ主体性と行動力がもたらした多様な人生経験談は、
ゲンイエロー ガラニート(id:galaneet)
ワンテーマでブログをやると面白くなる事実の手本を示している。
ゲンピンク ℃-uteが見せてくれた奇蹟(id:idealogos)
仕事や広告の内容から、アイドルの売り出し戦略について考察したり。
どれも独自の視点で語られていて、読みごたえがある。
変に見栄を張らず、正直に語る点では女性に軍配が上がるのではないか。
ゲングリーン こぺんた
はてなの良い生物ブロガーを知らないので、外部の人を紹介する。
同じ趣味を持つ人なら、この人のすごさがわかるだろう。
フィールドワークをしている生物ブロガーのテキストは、短く素っ気ないもののほうが面白い。
画像に収められた野生の美こそが価値の中心だから、下手な文芸はいらないし、
ある場所である生物を撮影したという事実が、すでに何十何百の言葉を語っている。
語らないことで語る。間接的、暗示的に語る。
http://luvlife.hatenablog.com/
何の変哲もない身辺雑記ブログは、書き手も読み手も隠れ家の気分に
浸れることが唯一の魅力であり、人気が出ることはブログの死に等しい。
この人はそれがわかっている。
相性が良い一方で、専門的知見を述べた堅い文章との相性が悪い。
結果、はてなブログでは、平易な雑感しか書けない無教養なユーザーが
大多数を占めるようになり、数の力でホットエントリを荒らしている。
以前netcraft氏が、はてな女子のつまらなさを指摘していたが、
やってることは、精度の低い論考と平凡な自意識の垂れ流し。
そんな最下流の文芸を、頭の悪いファンが文才だと言って持ち上げている。
職業の裏話は面白いが、仕事の話が一番面白い人はやっぱり物足りない。
凡人の陳腐な雑感を、多くの人に読ませようとしているのだ。
だが、これを機に、はてなブログを削除しようと思う。
学識が無い人の論考はいらない。
マイノリティごっこや痛い人ごっこもいらない。
PS.
旧型のはてなダイアリーが、ある種のブランド性を帯び始めている。
はてなダイアリーのほうが、中身のあるエントリに出会えそうなイメージが広まっている。
実態は平易な雑記ブログなのに、精神科医という肩書きでブログに箔をつけている
外国語で、かつ、概念理解が難しそうな教科(物理とか)でも驚くほどわかりやすく書かれている
これなら完全な初学者でも、誰でも独学ができると思う
まず説明文がものすごく平易。何せ外国人でも読みやすいレベルである
しっかりと概念の説明をしてくれる。日常の具体例や例え話も豊富
そのままきちんとはいれべな内容までステップアップできるようになってる
図も多く、カラフルで懇切丁寧で、物理数学などは公式サイトにイメージ動画まであるものもある
日本の教科書のように、定義や定理がどーん!証明どーん!いきなり練習問題どーん!ではない
これらは教師による補足を前提としているのだろうが……教師の質が高いとはいえない公立学校は厳しくもなるわ
このたび何が言いたいのかというと、ここ近年におけるラノベ新人賞下読みの質の低下についてです。
ご存じの方も多いでしょうが、一時期のラノベブームの影響で新人賞に応募されてくる作品の総数は未だなお増加傾向にあり、併せて選考にかかるコストも増加の一途を辿っております。
選考においてもっとも頭数を必要とするのが、私のような下読みと呼ばれる一次選考に携わる人員です。
送られてきた大量の作品をある程度ふるいにかける役割ですね。この辺は今さら説明せずとも巷に情報が溢れているでしょう。
この下読みというやつは、出版社や作家や編集者との個人的なツテだったり、専門に業務を請け負う会社だったり、あるいは下読みを行っている者からの紹介だったりと、様々なルートで集められるのですが、応募数増加の影響でどうしても人手が足りなくなり、本来であればラノベ新人賞の選考に関わるべきではない資質の持ち主までもが下読みとして選考に加わっているのが現状です。
つい最近下読み作業に関わるようになったばかりの方々と直接に交流してみて、そう実感せざるをえませんでした。
下読みたる者、古今のライトノベルに精通していなければダメだとか、特別の目利きでなければダメだなどとは考えておりません。
ライトノベルすらよく知らない一般の方の視点などは、素直で好ましいとすら思います。
だったら、何をもってしてラノベ新人賞の選考に関わるべきではない資質の持ち主と感じたのかというと、つい最近下読み作業に関わるようになったばかりの彼らが、極めて個人的な尺度で、それも読者ではなく創作者としての視点で作品の選考を行っていたからでした。
この、ラノベ新人賞の選考に関わるべきではない資質の持ち主というのは、つまるところ自らもまたラノベ作家志望者であるにも関わらず、下読み作業に関係している方々のことです。
ここ最近下読みをやってみたいと手を挙げる者の大半が、この作家志望者の方々だったりします。
もちろんその中には公平な選考を行っている者もいるのでしょうが、私が実際に交流を持った彼らの選考基準は、それはもうひどいものでした。
面白さというものを計るに当たって、読む人間の趣味嗜好が反映されることは少なからずあります。
ですが、作家志望の彼らが選考で基準にしていたのは、なんら客観性もなければ、直感というには理屈に凝り固まった独自の創作ルールでした。
少し前に“……”の使い方を巡って持論を展開し非難を浴びた下読みの方がいらっしゃいましたが、彼などまだ生やさしいほうです。
・自分なりの描写へのこだわりを他人の作品にも押しつけようとする。
文章力とはすなわち比喩の上手さであると語ってみせた彼は、綺麗な比喩を用いていない文章は幼稚な文章だと断じ、平易な文体で書かれていた作品をまったく評価しようとしませんでした。装飾過多でギトギトになっている文を「描写が実に細かな文章だ」と満足げに評価したときは呆れたものです。
なお、ストーリー自体の良し悪しを判断する物差しは持ってないようで、そこを踏み込んで聞いてもぼんやりした答えしか返ってきませんでした。
この彼も自分なりの面白さを計る物差しを持っていません。彼にとって作品の良し悪しとは、創作指南書だったかハリウッド脚本術だったかの教えであるところのエンタメ作品のセオリーに則っているかどうかなのです。
主人公の成長、変化がないからダメ。冒頭で盛り上がらないからダメ。構成の黄金パターンは決まっているのだからはみ出ているのはダメ。
偉い人の言ったことを盲信するにもほどがあります。
ラノベとは萌えであると思い込み。女の子を活躍させているいるかどうかで作品の良さを判断する。
「サブヒロインの印象が薄いから、これは駄目な作品」とは彼の言。
ざっと一例ですし、皆が皆ではありませんけれど、今の下読みにはこのレベルの文盲が本当に紛れ込んでいます。
間違った理屈を信じ、素直な感性で良し悪しを判断できなくなった彼らの読書スキルはその辺の中高生以下でしょう。
私が実際に接した彼らはラノベ作家志望なのにも関わらず、進んでラノベを読んだりはしないというのだから考えものです。そのくせ文章力やら構成やらに関してばかり口うるさい。
そうでなくったって、作家志望者が選考する側に回るのはどうなのかとの懸念もあります。
モラルもまたひどいもので、下読みした投稿作の内容をSNS上で仲間に漏らすなどのことも平気で行っているようです。
私は高次の選考を行う方々の話も聞きますが、近年、本来であれば一次で落ちてしかるべき作品が下読みから上がってくることが目立つと言われていました。
その原因には間違いなく下読みの質の低下があると思っています。
・追記
他でも散々言ってきたのでここでも念を押しておきますが、日本語さえ出来ていれば一次は通ると言われてたのは今や昔です。
応募総数の増加を見ればわかりますが、真っ当な下読みに当たったとして、一次選考の突破が以前とは比べものにならないほど狭き門になっているのは事実です。
新卒で入社したA社は、親会社B社のシステムの内製と、B社の顧客層向けのパッケージソフトウェアを制作販売するソフトウェアハウスだった。
入社1年目の自分は、いくつかの細かい業務を平行して担当することになったが、その中にホームページの管理があった。主な業務は、ページの文章の更新と確認、誤字脱字の修正、古く間違ったHTMLの修正など。
会社のホームページには自社のサービスや製品だけを扱う小さなショッピングシステムがあり、ユーザ登録・ログイン・購入・履歴確認など一通りの機能を持っていた。このシステムを改修したり更新したりする予定はなかったが、せっかく担当となったわけだし、以前から興味のあったWebアプリケーションのセキュリティを勉強しようと、徳丸本を購入した。(当時は紙の本しかなかった)
http://tatsu-zine.com/books/sbcr-taiketekinimanabu
この本は説明不要の名著で、平易な文章で細かく正確な記述がなされている。Webアプリケーション制作に携わる新人プログラマは必読だ。
頭から読み進める。1章に用語の整理があるおかげでだいぶ理解しやすい。2章の実習環境の用意は、都合がつかず読み飛ばした。3章は流し読みし、いよいよ4章。様々な脆弱性を個別にとり挙げ、原因と対策について具体的な説明がされており、非常に興味深い。
なるほど、XSS(クロスサイト・スクリプティング)という言葉は知っていたが、具体的にこういうものなのだな。入力ボックスに入力した内容が遷移後のページに表示されるというUIはよくあるから、気をつけなければ……そういえば、会社のホームページにも検索機能があって、「検索ワード:○○」と表示されるところがあったな。あれもXSS対策がされているはずだ。どれ、見てみよう。テスト用サーバで画面を表示して、<script>alert(1)</script>(本当は半角)と入力……
検索ワード: +----------------+ | | | 1 | | [ OK ] | +----------------+
なるほどこれがXSSか。実習環境の用意はしなかったが、実物を拝むことができたぞ。脆弱性の修正の実習もできるな。
このようにして、徳丸本を読み進め、(テスト用サーバで)攻撃を実践しながら、脆弱性を直していった。覚えている限りでは、以下の実習ができた:
ショッピングシステムの中身が、フレームワークやライブラリなし・SQL発行共通関数なし・オブジェクト指向なし・数万行の巨大ファイル1つであることを知ったのは、脆弱性の修正にとりかかってからだった。その他のシステムもすべてこのショッピングシステムを参考に作られているらしく、プレースホルダもエスケープもない文字列組み立てSQL発行があらゆる場所に散乱していた。とても直し甲斐があるシステムであった。
これらのシステムは、日付zip以上のバージョン管理が行われていなかったため、該当部分を誰が書いたのかはわからなかった。そんな状況であったので、大量に報告された脆弱性の始末書は、すべて現在の担当である自分が書くことになった。
自分が入社するより前からあった、誰が作ったのかもわからない脆弱性を、探し修正し始末書を書いた。「私が担当になる前からあった脆弱性なので、原因はわかりません。おそらく不勉強が原因です。対策は、勉強会とコードレビューとバージョン管理です。」などと書いた。今思えば、"よい始末書"の書き方を勉強する機会を逃していたのかもしれない。
自分の作業はすべてgitで記録していたので、自分が担当になったときにはすでに脆弱性があったと主張したが、「自分だけバージョン管理などという便利なものを使っていてずるい」と怒られて終わった。(なお、それよりも前に社内でのバージョン管理ツールの使用は提言していたし、それが「よくわからないから」と却下されてからは、自分だけで使う許可は得ていた。)この経験から、バージョン管理をしていない、もしくはクソみたいな管理しかしていない組織内で、自分だけでも上手く管理する方法についての知見を得た。
こうして、徳丸本の内容を実践しながら学習できたので、セキュリティ分野についての興味はより高まり、知識も増え、A社に対する信頼はほとんど失われたので、さらに勉強し、3年目に入るころには情報セキュリティスペシャリスト試験に合格し、転職した。
Webサービスのセキュリティを勉強したいと思ったならば、徳丸本を読んで、実践しながら勉強することを強く推奨する。紙の本には実験用環境のCDもついているので、A社でホームページを担当していなくても、実践しながら勉強することが可能だ。(電子版の場合はどうなのだろうか。申し訳ないが各自確認していただきたい。)
日常雑感系ブログというジャンル自体が糞なんだよ。
トップにいたコンビニ店長がそもそもつまらなかったし、
まつたけ、コウモリ、ズイショあたりは、
いわばコンビニのことを語らないコンビニ店長であり、
もう目も当てられないつまらなさだ。
日常雑感系ブロガーは早く絶滅しろ
はじめに言っておくが、俺はブログを読むのは好きだよ。
毎日色んな人のブログを読んでる。
趣味や仕事の話って、人の温かさを感じられて楽しいからね。
でもはてなブロガーは駄目だよ。
コンビニ店長 まつたけ コウモリ ズイショetc
この手の奴らな。
はてなで有名になりたくて、ライフハックや文章術やブログ論といった
はてな自意識文化に染まりきった卑しい文章を書いてる奴らだよ。
はてなブロガーという無能集団
これらの増田を書いたのは恐らくはid:change_k=id:Haruo_M氏である(なお、この2つのidが同一人物なのは例えば、 d:id:Haruo_Mに小春チェン児(MIDI箱作)が自アンの出来事を記録するブログ
と書かれており、http://d.hatena.ne.jp/Haruo_M/20100626 にようするに、アクアリウムとDTMとミステリを趣味とするchange_kと、元・小春チェン児の自アン民:深山春生は、まったくの赤の他人として活動していくことになる。
といった記載があること等からわかる。以下氏のことを小春チェン児氏とする)。更に、以前コンビニ店長ことid:nakamurabashi=id:lkhjkljkljdkljl氏(現在はどちらのidも消滅。以下店長氏とする)を長きに亘り増田で批判していた(「つまらない人気者は悪なんだよ」が最後かな? もっとあったかも)のも同様の人物だと思う。
根拠は例えばこの辺等。
はてなブロガーのまつたけ氏がブログをやめるそうだ。
度重なるアンチの攻撃に疲れたのが主な理由とのこと。
そのニュースを聞いて初めて読んでみたが、なんだか某コンビニ店長を
思い出させる文章で、正直うわぁ……となった。
ブログのおもしろさについて - 夏男ノート (id:change_kのはてなブログ)
コウモリ氏とズイショ氏は似ている。どちらも無駄な文が多くてだるくて読めない。似た者同士仲良くすればいいのに。
はてなブックマーク - change_k のブックマーク - 2014年2月20日
他に、こういう細部も一致している。
私は学生時代にパチンコにはまっていた。
暇さえあればパチンコ屋に行き、ろくに勉強しなかったし、両親にも経済的に迷惑をかけてしまった。
同じ大学でパチンコ仲間だった友人とは今でも付き合いがあるが、今の私達はパチンコ反対派であり、
どうすれば日本からパチンコを無くせるだろうか、という話をよくする。
「自戒を込めて」はコンビニ店長案件
大学時代にパチにはまっていた経験から言えば、記事の主張に同意。パチは時間の浪費に加えて、気性、生活のリズム、金銭感覚、車の運転に確実に悪影響が出る。人生を狂わせる力がある。
はてなブックマーク - change_k のブックマーク - 2014年2月1日
又、小春チェン児氏は(元?)自アン民のようだが、d:id:Haruo_Mを見ると、特定の自アン民(主にナトリ=id:natori氏と、 id:matakimika氏)を批判する記事が多く、その点でも店長氏をずっと批判していた匿名ダイアリーの書き手と共通する雰囲気を感じる。
アラフォーニートのナトリが、同世代で普通に自立して暮らしているヤマカン氏に対して、
些細な国語ミスを指摘して得意気になっている様子がすでに哀れだが、
その指摘内容が間違っているときては、みじめすぎて目も当てられない。
ヤマカン氏に迷惑をかけるナトリ - 小春チェン児
天才品川さんが嫌われるワケ
・無節操に文化人ぶるから → 本物志向に嫌われる
・イッチョカミだから → パイオニアに嫌われる
・無教養でかつ自覚がないから → 知的層に嫌われる
・ニセヤンキーだから → DQNに嫌われる
・あらゆる分野のニワカだから → ヲタクに嫌われる
・面白くないから → お笑いファンに嫌われる
・イヤミで性格が悪いから → 同僚・後輩に嫌われる
・人を見下すから → スタッフから嫌われる
・体を張ったギャグがないから → 子供に無視される
2ちゃんで見たコピペ。
上に挙げられている項目を見て、すぐにmatakimikaのことが頭に浮かんだ。
無節操に文化人ぶる、無教養でかつ自覚がない、あらゆる分野のニワカ、面白くない、人を見下す……
これらはまさしくmatakimikaの特徴である。
品川祐とmatakimika matakimikaと東浩紀 - 小春チェン児
とりあえず両名への批判記事を一つずつ部分的に引用したが、他にも沢山の批判記事がある。d:id:Haruo_Mから「ナトリ」「matakimika」で検索をかけてみればわかる(が、「ナトリ」に関してはカテゴリに既に「ナトリ」というのがあるくらいなので、そこを見ればわかる)。個人的にとりわけ衝撃を受けた記事は、id:matakimika氏を批判する歌詞(歌詞内では名前こそ出していないが後の文章から察するにそうなのだろう)の自作曲を紹介しているものだった。
我ながらずいぶんと馬鹿げたものを作ってしまったけど、よかったら聴いてみてください。
自作曲「人文ワナビー」 - ニコニコ動画:GINZA(引用者註 ニコニコ動画へのサムネイルが埋め込まれていたがそのまま引用できないのでリンクに変更した)人文ワナビー・それにしてもmatakimikaのブログはみっともない
作詞・作曲 深山春生
どこへも行けず 誰にもなれず 30過ぎて 40過ぎて
頑張る人を笑っていても 信じる言葉は見つからないね
Uh 観念的さbaby Uh 根拠も無いさ
Uh 値札のついた新事実 みんなに知らせたい
人文ワナビー また君か 人文ワナビー ため息ひとつ
斜に構えて一夜漬け プライドだけが膨らんでく
人文ワナビー うぬぼれに 人文ワナビー 飲み込まれたら
ふもとの町でキャンプして 山の怖さを語りあかそう
人文ワナビー
読書のツボは 著者のキャラクター ファンの学歴 帯のキャッチコピー
見えない服を見た気になって 見た事実だけをはてダに書いた
Uh 抽象的さ全部 Uh 結論ばかり
Uh マイナーメジャーを見かけたら とりあえず舌を巻け
人文ワナビー また君か 人文ワナビー ウンザリするぜ
インテリ作家はインテリア 新書の棚が膨らんでく
人文ワナビー よしなごと 人文ワナビー つれづれつづれ
子供プールに飛び込んで 海の広さに思い馳せよう
人文ワナビー
http://d.hatena.ne.jp/matakimika/
ブログの内容としては、ちょっとした身辺雑記や、わざわざ文章にして説明する必要もないほど平易でありふれた
抽象論や観念的な見解、さらには、思考実験という賢そうな営みにあこがれて、無理やり無駄なことについて
考察を試みたとしか思えないような意見を、学術的な響きを持った単語やレトリックによって装飾するというもの。
その単語やレトリックの例を挙げると、「ジャーゴン」「クラスタ」「コンテキスト」等の横文字や、
「テキ屋さんの生態系」「言説の生み出した重力・運動圏」などの比喩表現がある。
もとの主張が中身に乏しいところへ、世間にそれほど馴染みの無い単語やレトリックをにわか仕込みで盛り込むものだから、
もったいぶった語り口と平易な内容との調和がとれず、羊頭狗肉、のれんに腕押しな感触の不格好な文章ができあがってしまう。
いくら専門的な言葉を多用したところで、matakimikaが日ごろ書きつづっているのは、客観的な資料や積み重ねた実践経験等を
根拠に用いながら結論の妥当性を証明する類の文章ではなく、短絡的な感想を結論として並べただけの、いわば散文記にすぎない。
散文記ならば散文記なりの言葉を選んだほうが格好がつくし、読者にも内容が伝わりやすいのではないだろうか。
自作曲「人文ワナビー」 - 小春チェン児
色々と凄い。
尚、以前の店長氏を批判していた匿名ダイアリーについては、実は当時既に少なくとも3人の方が小春チェン児氏が書いたものかもしれないと感づいていたようなので、参考として紹介しておく。(なお、3名とも自アンに居る、又は居たことがある方のよう。自アンでは氏はそれなりに名が知られているのだろうか)
http://twilog.org/natori/date-130501 (ナトリ氏のtwitter log)
自動アンケートではてな検索したら小春チェン児が俺を叩いていたー! http://d.hatena.ne.jp/Haruo_M/2013045/p1…
>アラフォーニートのナトリが、同世代で普通に自立して暮らしているヤマカン氏に対して←うーん増田ではてなの特定のやつ叩いてるのコイツじゃねえかなあ アラフォーって単語好きすぎる所とか
相手の発言から「natoriはオーストラリアと長野岩手に旅行している」と収集した後になんの脈絡もなく「でもニートだから絶対親につれてもらって旅行してる」とかわけわからんロジックなのが似てるのよなー http://d.hatena.ne.jp/Haruo_M/20121110
>何年か前にも、私が自アンで、自作の組曲が完成したらニコニコ動画で公開する予定だと話したとき、ナトリから「某所の組曲だと他者による良曲選集みたいなもんなのに自分で作っちゃう所がお前らしいな」と冷やかされたことがある。
すんげえな 俺が全然覚えてない事をちゃんと覚えている
「組曲の意味すら知らないクソナトリ」というdisポイントなんだろうけど そういう組曲の意味すら知らない視聴者層の土壌にオリジナルの組曲作って発表しようとするのマジ小春らしいなって思う気持ちは今でも変わらないよ…
つーか監視してるんなら俺も増田粘着デビューさせろや小春 自アン追い出してはてなに逃げた奴を使うのは禁じ手に近いが構わん
miruna MIDIサイトをやっている
はてなブックマーク - 有名人が書いたつまらない記事
miruna MIDIサイトを(略
はてなブックマーク - コンビニ店長の何が求められているのか
miruna MIDIサ(略
はてなブックマーク - これでもコンビニ店長を支持しますか?
※私は自アン民でないので文脈がよくわからないのだが、どうやら「MIDIサイトをやっている」といえば小春チェン児氏のことを指すっぽい。d:id:natori に何件か言及があるがよくわからなかった。小春チェン児氏は確かにd:id:change_kで自作曲を公開しているようだが、氏が過去に「MIDIサイトをやっている」と発言したということなのかな?
carl_b "創作系のサイトをやっている"で小春チェン児みたいだなーと思ったら、俺だけでなかったみたいなので安心した
はてなブックマーク - 有名人が書いたつまらない記事
以上。もし事実誤認があればブックマークコメント等で指摘を頂ければ訂正する。
※ここからは蛇足。私は店長氏本人についてはよく知らないので特に何とも言えないのだが、氏をTwitterで批判していた人がアカウント凍結を食らっていたのを見た経験等から、氏のファンの一部に対する印象は悪い。(無論、批判の所為で凍結されたという確証はないが。)余計なことかも知れないが、一部の過激なファンにこの記事が利用されるのは私の本意ではないので、お断りしておく。ついでに、上で名前を出したid:miruna氏は店長氏に対してはこの下衆とあの増田の間にどれほどの差があったのと真面目な感想を書いときますね。
と書いているように、可也批判的な立ち位置だったということも、念の為誤解の無いよう記しておく。
哲学は「うまく言えない」ことをうまく言おうとする過程で生じるものだと個人的には感じる所が多い。
物事を明快に言い切る言論人(評論家、コメンテーター、さらには評論的なブロガーまで含む)の中には
「うまく言えた感」に酔ってるだけで、その先を追究しようという気概を感じないこともあるが、
哲学者というのは概して「うまく言えない≒うまく分からない」感じをどこまでも追究するタイプの人間が多いと思う。
それはある種の不器用さとも関係しているのかもしれない。教科書的ないしは常識的にスパッと説明とされても、「なんか違うんだよなぁ」という引っかかりを感じてしまうような。
そんな不器用さがある。かのエジソンも小学校で「なぜ1+1か」に躓いたというが、創造的な人間にはそんなある種の不器用さを抱えた人間が多いのかもしれない。
多くの人は「うまく言えない」「分からない」と思ったらそこで踵を返して、ウンウン唸って考えずに済む明々白々なこと(と思い込んでること)だけを扱おうとする。そのほうがラクと言えばラクだ。
それが出来ないのが哲学者の苦悩であり芸術家の苦悩なのだと思う。
あるいはあえてしない。あえて理解のインコースギリギリを攻めていくスタイルをとる人もいる。全く分からないことは分からないとキッパリ捨てられるが、
分かりそうで分からないことというのは妙に気になってしまう。だから、別にスルーできるけどあえてそのオンザエッジに留まって苦しみ続ける。そういうタイプの哲学者もいるに違いない。
とにもかくにも、哲学者はうまく言わないといけない。うまく言えないことをうまく言わないといけない。そこに哲学のジレンマがあるように思えてならないのだ。
別に一般人に分かりやすく言う必要はない。一般人は平易な言葉で解説されないと理解できない。専門知識がないのだから当然である。
平易な言葉でしか理解できないから、平易な言葉で話せる人だけが一般人の目には「理解している人」であり、専門用語ばかり並べる人は「よく理解してないことを
訳の分からないまま回りくどく語っている人」に見えてしまう。それは仕方ないのであって、専門家がそんなことに気配りする必然性はない。
むろん、啓蒙活動する哲学者もそれはそれで社会的には意義があるだろうけれども。
話がそれたが、哲学者は一般人に分かりやすく言う必然性はないけど、他の専門家には分かりやすく言う義務がある。
いくら分かりにくいテーマを扱っているからと言って、何を言っているのか分からない言葉で語ったのでは相手にされない。
そこに哲学者という仕事の難しさがあるなと素人目には感じるし、インコースギリギリを攻めずにいられない一部の言論人にしたって
そうした苦悩とは無縁じゃないのだなと勝手ながら同情してしまうことが多い。
芸術にしたって同じだろう。哲学は既存の哲学の延長線上に新たなページを付け加える行為であるが、
芸術に至っては容易には消費されない新鮮さが求められる。そこに独特の難しさがある。ネットで簡単に違法アップされた音楽が聴ける時代である。
1度聴いて満足するのではなく何度も聴きたくなるような新鮮さ、それもCD音質で聴きたくなるような魅力がなくてはならない。
私も音楽制作の現場にいて、コレクターの所有欲に訴えかけるようなプロモーション戦術に手を染めたこともあるが、
そういうのは芸術としては糞くらえだと思う。本当はきちんと価値のあるものを作りたい。私だけでなく芸術業界の人はみなそう思っているはずだ。
新鮮であるには「奇抜すぎず普通すぎない」、「しかも分かりやすい」、そのバランス感覚を常に維持しなくてはならない。
芸術業界には日常生活からそのようなギリギリのスタイルで暮らしている人も少なくない。着ている服のセンスも奇抜すぎず普通すぎず。
そんな絶妙なバランス感覚を日々の暮らしの中で養っているのだ。そんなギリギリのバランスの中で、
「普通じゃないのに分かりやすい」着地点を模索していく。どうすればうまく言える(表現できる)のか。
うん、だからそれは無理じゃね?ってことを最初に書いたはずなんだけどね。単に難しいってだけじゃなくいろいろ問題があるからと。それでも教育で何とかすべきというなら挙げられている問題点を解決する方法とか、それは問題にならないという論証とか、あるいは教育の具体的なプランを出すとかしないと話が進まない。
コミュニケーションが複雑でTPOに左右されまくるというのはそちらが列挙した通りで、最初のトラバで書いたが結局は「経験」が一番の教科書になる。学生時代にコミュニケーションの授業で満点を取っても、好きな人に振られたり理不尽に絶縁されたりってことは起こりうる。対人関係で傷ついたり失敗した経験がない人なんていない。コミュニケーションに正解はないから。
その場その場での最適解を模索し続けなきゃならないし、そうやって経験から学ぶ行為はリア充だろうとコミュ障だろうと一生続く。
で、まずは経験から学ぶための基礎をって話なんだろうが、悪いけどぶっちゃけ、そちらが想定してるであろうコミュ障の姿をリアルに思い描けなかった。懸命に学んでる人に対して「一人で生きればいい」「陰で冷笑」「まあ頑張れば」「必死でキモイ」ここまで辛辣な場面に出くわしたことがないから。私が経験不足の平和ボケなんだろうけどね。
人生のいたるところでいじめられて犯罪に手を染めた知人とか、学校で一言も話さずやはりいじめられてた同級生もいたが、私も周囲も普通に接した。彼らの辛さを軽減するのはコミュ力の授業や塾というより、保健室や病院だろうと思う。親や教師だけに負わせる役割ではない。
余談に書かれている年齢別発達度も目安でしかないし、今ならそういう子は心療内科あたりで扱うだろう。発達障害やメンヘラ系のプログラムには子供向けが多いし(発達障害はむしろ大人向けが少なすぎる)、効果はどうあれ社会的に支援していこうという仕組みはある。
ちなみにこのへんのアプローチは当事者以外でも使える平易なTipsが多く、個人的に参考にすることもある。また鼻で笑われるかもしれないが。
まあそういうわけで、これ以上やり取りしてもすれ違うばかりかもしれないからこのへんで止めとく。延々と二人(?)でトラバしあってるとどうなるのかな、はてなに怒られるのか?
これには、「有識者」向けの難しい文章と、「一般人」向けのほどほどに難しい文章と、「それ以外」に向けた平易な文章が書かれていた。
同じ文章が3つの言語で併記されていたのは、単に多民族むけの布告であったからであって、難しさの違いじゃなかったと思うけど。
3つの言語のうちのヒエログリフはエジプト人エリート層向け、デモティックはエジプト一般人向けっていう性格はあったかもしれないけど
もう1つの古代ギリシャ語は単にギリシャ人向け(プトレマイオス朝はエジプトにあるけど王族はギリシャ系で当然ギリシャ系移民も支配下にいっぱいいた)にギリシャ語で書いたってだけっしょ