はてなキーワード: 寝坊とは
結論から言うと仕事先の店長(30歳女性)の不倫相手になってしまった。
昨年、大学を中退して暫くのニート期間を過ごした後、秋から大手携帯販売のショップで働き始めた。
運良くこんな僕でも頭の良さには恵まれていたようで、仕事は順調で、上司や本社の人々からも褒められることも多かったのだが、何より朝が苦手だった。
度重なる寝坊の末、店長が心配して頂き、毎朝電話でモーニングコールをしてくれて、さらにはお互い自宅が近いということもあり職場までほぼ毎日送り迎えしてくれた。
ことの発端は恐らくこれだろう。
そのうちお互い色んなことを話した。
店長が他店舗の店長(以下、夫店長と記述する)と結婚していること。
その他諸々。
店長の家に上がると、そこには夫店長がいて、そこで初めて「初めまして」と顔を合わせた。
夫店長とも仲良くなった。
2人で温泉に行くことも多かった。
店舗の違う後輩をここまで気に入ってくれたことが何より嬉しかったし、何より夫店長の人間性に惹かれ、尊敬すらした。
店長、夫店長、僕の3人でご飯を食べ、それぞれがお風呂に入ったりテレビを見たりしているうちに夫店長が先に寝室に行き、寝た。
僕はリビングに布団を敷いてもらいそこで寝ることになった。
夫店長が寝たあとも僕と店長はリビングでテレビを見ながら下らない談笑をした。
それこれ話しているうちにふと、男女のよくあるそういう雰囲気になり、そのままセックスをして寝た。
一周り年上の人と体を重ねた感想は、特筆することも無いただのセックスだった。そりゃそうだ。当たり前だ。
次の日そのまま出勤した。
昨夜にあった出来事は特に意識せず気にも止めず普段通り働いた。
だがのちのち後悔した。
それは、尊敬さえしてしまう夫店長の妻の不倫相手になってしまったこと。
もう正直に打ち明けようとも思った。
だが思いとどまる。正直に言ってしまえばこの先どうなるかぐらい容易に想像がつく。だが不倫相手の夫は僕の尊敬する人。大好きな人だ。
全部吐き出せて良かった。
以上、懺悔でした。
バスが止まると、乗客たちは押し黙ったまま次々と降りて行く。車窓から見える煤けた家々の影に吸い込まれて行く彼らを眺めていると、いつの間にかバスの中には僕と運転手だけがとり残されていた。分かるはずもないポルトガル語でなにかを伝えようとする運転手の表情を見て、ようやくここが終点のモシンボアダプライアだということに気付いた。
モザンビーク共和国の最北部、タンザニアとの国境に最も近い街、モシンボアダプライア。ナンプーラからミニバスに揺られること10時間、日も傾き始めた午後4時頃、やっとのことで到着した。
21世紀になった今でもまだ未開の森が残っているというモザンビーク北部。小さな村と村を辛うじて繋ぐ細い道路は言うまでもなく未舗装で、その上を走るトヨタハイエースのミニバスは、重ねて言うまでもなくオフロード向きの車ではない。乗車定員をまるで無視したぎゅうぎゅう詰めの車内で、膝の上に拷問器具さながらの重たいバックパックを載せて、しかも悪路を走る振動に耐えながらの10時間は、気の遠くなるような長い時間だった。
あわてて荷物を引っ張って外に出ると、空になったバスはそそくさと何処かへ行ってしまった。降り立った場所はバスターミナルなんて大層なものではなく、石造りの家々が建ち並ぶ小さな村の一角にポツンと広がった、ただの砂地の広場だった。広場の端に植えられたヤシの木の陰には何人かの女性や老人が座っていて、サトウキビをバリボリ齧りながらこちらをじっと見ている。ああ、ここ数日と同じだ。
モザンビーク最大の都市、首都のマプトは、南北に長い国土の一番南の端にある。南アフリカから陸路で入国した時、最初に到着した街もマプトだった。首都は首都なりに近代的なガラス張りの高層ビルが建っていたりもするのだけど、そこから北へ向かって縦断を始めると、車窓から見える景色がどんどん田舎に、自然に近づいていくのがそれはもう如実に分かる。白人の観光客がいるのはせいぜいマプトの次の街のイニャンバネ辺りまで。国土のちょうど真ん中辺りを東西に流れるザンベジ川を超えると舗装道路がほとんど無くなる。北部の街キルマーニを超えるともう公共交通機関が当てにならないので、道端にはヒッチハイクの代行をして日銭を稼ぐ子供達が居たりする。モシンボアの手前のペンバ辺りまでは、自分以外の酔狂なバックパッカーを見かけることもあった。しかし、ここに来てついに異邦人は自分だけになってしまったらしい。
いわゆる発展途上国の場合、自分のような旅行者は、バスから降りるなり土産物の押し売りやホテルやタクシーの客引きにもみくちゃにされてうんざりするのが常だ。しかしアフリカのこんな僻地まで来てしまうと、そもそも旅行者が訪れることなどほとんどないはず。外国人慣れしていない土地の人達も、突然バスから降りてきた肌の色の違う人間に驚きつつもどう対処したらいいかわからないのだろう。一挙手一投足を全方位から遠巻きに観察されているような視線は、動物園のパンダにでもなったかのような気分にさせてくれる。
惚けていても始まらない。まずは今晩の宿を確保して、それから英語の分かる人間を探さないと。ここまでの街で集めた情報によれば、モシンボアからは毎朝早くに国境行きのバスが一台出ているらしい。できれば明日の朝そいつに乗り込みたい。ここ数日、ATMもなければクレジットカードも使えないような場所を通ってきたせいで、手持ちの現金はもうほとんど尽きかけていた。今はできるだけ早く駒を進める必要がある。とにかく、話のわかる奴を探して情報を聞き出さないといけない。僕は檻から抜け出すようにしてその広場を後にした。
重い荷物を背負って村の中へ入って行くと、ここでも同じように奇異の目を向けられる。それでも、こういう時は一度誰かに話しかけてしまえば後は簡単だ。それをきっかけに周りで見ていた人たちも次々話に入ってきて、いつの間にか自分の周りは人だかりになっている。その中には英語を喋る奴が大抵一人くらいはいるもので、今回もその中の一人、僕と同い年くらいの青年を見つけた。彼が言うには、自分の兄貴が毎朝国境行きの車を運転しているとのこと。この村に来る外国人は十中八九陸路でタンザニアへ向かおうとしている奴だから、客になりそうな外国人がいると聞いてすっ飛んで来たらしい。村の奥、青年の指差す方向には一台のピックアップトラックが止まっていた。手を引かれ、群衆をかき分けながら近づいていくと、荷台に腰掛けた白いタンクトップの男がサトウキビをバリボリ齧りながらこちらに視線を投げている。トラックの前まで来ると、男はサトウキビの食べかすを地面に吐き捨て、挨拶もそこそこに言った。
「あんた、国境に行くんだろ。300メティカルで明日の朝こいつの荷台に載せて連れてってやるよ。早朝三時にここに来な」
なんとなく予感はしていたが、国境へ行く手段というのはバスや乗り合いタクシーの事ではないらしい。このトラックの荷台に乗って、荷物のついでに運んでもらうということなのだ。トラックの荷台には、明日の同乗者になるのであろうコーラの空き瓶が入ったケースや何が詰まっているのかわからない大きな頭陀袋が山と積まれているだけで、当然ながら座席のようなものは見当たらない。今日の移動もなかなか骨だったが、明日も今日に劣らずタフな一日になりそうだ。
運賃として提示された300メティカルは日本円にしておよそ500円少々。交渉が前提になっているようなひどく高い金額でもないし、村を歩いて探し回っても他の交通手段があるとは思えない。500メティカルなら、あと一日くらいこのモシンボアに泊まってゆっくり骨を休める余裕ができる。聞く所によればこの男は毎日国境まで行っているようだし、出発を一日先延ばしにしてもさほど問題にはならないはずだが、でもこの時はそうしなかった。前へ前へと懸命に移動することに、ある種の快感のようなものを覚え始めていたのかも知れない。とにかく僕はこのトラックで明日の朝、国境まで行く事に決めたのだ。
握手を交わすと、男は表情を和らげて言った。
「寝る場所が必要だろう。弟に宿まで案内させるから今夜はそこで休め。寝坊しても起こしに行ってやるから安心しろ」
男が目配せをすると青年は頷き、ついて来いと言って歩き始めた。もう一つの懸案だった宿の方も、彼らが世話してくれるらしい。それもそのはず、人や荷物を国境まで運ぶ商売をしていれば、僕のような旅行者を載せる機会も幾度と無くあっただろう。そんな旅行者への宿の斡旋も、彼らの商売の一部なのだ。
青年の背中を追って歩いていくと、少しずつ村の中心に近づいていくのがわかった。舗装された道幅の広い道路があらわれ、ガソリンスタンドや錆びたコカコーラの看板、商店や食堂などが民家に混じって見え始める。顔を少し上げると、視界の端にわずかに入るヤシの木や、朽ちて傾いた丸太の電信柱の向こうに、どことなく湿った雨期の青空がいっぱいに広がるのが見える。
10分も歩かないうちに、僕らは一つの建物の前で立ち止まった。周りに見える民家や商店より少し大きい、ちょうど郊外のコンビニくらいの大きさのその建物は、宿泊施設としてはやや小さく思える。水色のペンキで塗り染められた石の外壁には大きなひびが入り、風雨や土埃に晒されてくすんだ色になっていた。やれやれ、想像通りのボロさである。
「ここが宿だ。少し汚いけどこの村には宿はここしかない。悪いけど我慢してくれよな」
青年はそれだけ言うと、あっけにとられる僕をその場に置いて来た道を逃げるように帰っていった。僕が宿にいちゃもんをつける前に立ち去りたかったのだろうか。
入り口にかかる簾をくぐり、薄暗い室内にに踏み込む。簾に付いた鈴が音を立てると、奥のカウンターの向こう側から一人の老人がゆらりと立ち上がった。部屋が欲しいんだと大袈裟なジェスチャーを交えながら伝えると、彼は黙ったまま横の壁の一点を指差した。目をやると、石の壁に赤のペンキで直接文字が書かれているのに気付いた。
"Single 1200. Twin 1600."
シングルの部屋が日本円にしておよそ2000円ほど。いままで泊まってきた宿の中では一番高い金額だが、さて、どうするべきか。村にある宿がここだけだと言う青年の言葉は、この宿の大きさから考えて恐らく嘘だろう。ここより安いという確証はないが、土地の人間が使うゲストハウス位はどこの村にも幾つかあるものだ。しかし、重い荷物を再び背負って表を歩き回るのはやはり億劫だった。壁に書かれた赤いペンキの文字は酸化してほとんど茶色くなっていた。いつからこの値段でやっているのかは知らないが、少なくとも僕を金持ち旅行者と見てふっかけているわけではないようだ。値段の交渉は望み薄だが、僕は試しに聞いてみた。
「もう少し安くはならないの?」
老人は困ったような、それでいて僕がそう言い出すのを知っていたかのような苦笑いを浮かべ、少しの間を置いて言った。
「窓のついてない部屋が一つあるが、そこなら600でいいよ」
なんと、意外なほどあっさり宿賃が半値になってしまった。一泊1000円なら上出来じゃないか。窓が無いというのは、まあ多少風通しと明るさに問題があるとは思うがこの際妥協してもいいだろう。どうせ明日は日が登る前にここを発つのだから。
「部屋を見せてくれる?」
僕が言うと、老人は鍵を引き出しから取り出し、カウンターを出て奥へ伸びる暗い廊下を歩き始めた。僕もその後を追った。
一つのドアの前で立ち止まると、老人はドアノブに鍵を突き刺して、ガチャガチャと乱暴に鍵穴をほじくり始めた。なかなか開かないようだ。このボロさでおまけに窓の一つも付いていないときたら、本当に地下牢のような荒んだ部屋なのだろう。そんなことを考えながら、鍵と格闘する老人の背中を眺めていた。しばらくして鍵が開く。額に汗した老人は僕の方を向いて意味深な笑みを浮かべ、ドアを開いて見せた。
開け放たれたドアの前から覗いた部屋は、想像通りとても簡素なものだった。だが、想像していたより酷くもなかった。六畳程度の部屋のど真ん中にはセミダブルくらいの大きなベッドが石の床に直接置かれ、部屋の隅にはちゃちな木製の小さな椅子と机が、客室の体裁を取り繕う申し訳のようにちょこんと置かれている。そして、奥の壁の大きな窓からレースのカーテン越しに差し込む夕陽が、数少ない部屋の調度品と埃っぽい室内を舞う無数の塵を照らしていた。しかしこの部屋、さっきと少し話が違うんじゃないか。
「いや…ご主人、僕が見たいのは半額の部屋の方なんだけど」
「ん? この部屋は600メティカルだが」
僕がそう言うと、老人は黙って部屋へ入って行き、カーテンをめくる。そこにはあったのは確かに窓だった。窓だったが…窓にはガラスが入っていなかった。僕は思わず笑ってしまった。窓が付いていないというのがまさかこういう意味だったとは。明るくて風通しの良いこの部屋は、僕が覚悟していた牢獄の様な部屋よりよっぽどマシに見えた。しかし、中と外の境界を作るのが鍵の掛けようのない無い薄いカーテン一枚というのは、やはり安全面に問題がありすぎる。こんな部屋でおちおち寝ていたら命が幾つあっても足りないだろう。強盗、マラリア、野犬、その他諸々の野生動物、危険は数え出したらキリがない。半笑いでそんな事を考えていると、いつの間にか隣に来ていた老人に小突かれた。
「で、どうするんだ」
「…窓が付いている部屋も見たいな」
「だろうな」
ニヤリと笑みを浮かべた老人は静かに扉を閉めると、一つ隣の部屋の扉を開けて僕に見せてくれた。さっき見たのと一見全く同じ部屋だが、こっちのほうが心なしか手入れがされているように見える。中に入ってカーテンをめくってみると、くすんだガラスがしっかりと嵌めこまれた窓と網戸が見えた。
「1200メティカルだけど、いいよな?」
振り返ると、勝ち誇ったような笑みを浮かべた老人と目が合った。やれやれ、こちらの完敗である。
「…いいよ。この部屋にする」
宿賃を渡し、僕は笑ってそう答えた。老人は僕の肩にポンと手を置いて、隣の部屋のとはまるで違う綺麗に磨かれた鍵を渡してくれた。やっぱり、あの部屋には最初から客を泊めるつもりなんてなかったのだろう。
「明日の昼まで停電だから電気はつかないよ。ロウソクが引き出しにあるから使うといい」
「一本いくらですか?」
「サービスだよ」
僕が皮肉半分に聞いたことを知ってか知らずか、老人はどうだ気前がいいだろうと言わんばかりの誇らしげな笑みを見せ、ドアの外へ消えて行った。やり返してやった気にはまるでならなかった。
靴や荷物についた砂を振り払い、ベッドに寝転んだ。疲れ切った身体を動かす体力はとうに尽きていたが、不思議と気分は高揚していた。蓄積した疲労の中に滲む自虐的とも言える旅の充足感に気付いたのだった。
姉がいて姉の進学のときに既に大学に進む際にお金がかかるから国公立にしてと言われていたのをずっと聞いていた。私が大学の進路を決める頃、姉は既に遠方で一人暮らしをしていて、無利子の奨学金を得たりはしたもののそれにはほとんど手をつけず、学業に専念しろとバイトもせずに親の仕送りだけで生活して学業に打ち込んでいた。ただ、かなり遠方で何かあったときに駆けつけるのが大変だからと反対していたところを親の反対を振り切ってそこまで行っていたらしい。
国公立ならいいよと昔から言われていたので、一人暮らしがしたかった私は遠方の国公立大に行きたいと言った。しかし、それは許されることはなく、結局私は実家から通える大学に進学した。
後からふわっと聞いた話だが、姉が親の反対を振り切って親戚もいない遠方に行ったため、私まで一人暮らしをさせることができなくなったらしい。それは仕方がないことだとは思う。私はまあまあ勉強はできたがとても優秀というわけではなく、姉のように無利子の奨学金が取れるほどではなかった。今の時代、奨学金なしで大学に行かせてもらえるだけありがたい話だ。
でも、一人暮らしを反対されたとき、未だに母親から言われたことが未だに心に刺さったものが抜けない。
確かに部屋は片付けられないし、決してダラしないということは否定できる身分ではなかった。当時は心の中で怒ったものの、自分の身の振り方を思えば反論はできなかった。反論を覆すだけの努力ができるほどの熱意もなかった。
今、私は就職して一人暮らしをしている。就職の際遠方に行くことを反対されなかったのは、やはり大学の頃反対されたのは金銭的な問題だったのだろう。
その一方、母親の言ったことは未だに心に刺さったまま抜けない。ダラしないから無理、そこだけが納得できない。今はちゃんと毎日寝坊せず出勤し、部屋は相変わらず汚いものの水回りなど定期的に掃除をし、週の半分程度は自炊をして生きている。なんだ、ちゃんとできるじゃないか。
後輩はしょっちゅう寝坊して大学の授業に遅刻したと言っている。せっかく買ってもらった炊飯器も埃を被り、中には過去に炊いた米の残骸が出てくることもある。公共料金の支払いを忘れてライフラインが止められる予告が来たなんて話も聞く。恋人の家に泊まりに行ったとき、水回りのあまりの汚さに絶句して一緒に掃除用具を買いに行ったらこともある。
私よりダラしない人たちが一人暮らししてるのに、何故私はダラしないから一人暮らしなんて無理って言われたのだろうか。きっと一生わからないだろうし、わかりたくもない。せめてそんなことを言わずにストレートに金銭的な事情でと言ってくれた方が、こんなにも悩まなかったのに。
悪い親ではなかったが、おそらくこの先当たり前程度の付き合いしかするつもりはない。大学を出させてもらった程度の恩は返すけど、できれば実家には戻りたくない。大学在学中に地元がそれなりに好きになって地元に戻りたいなとは思うようになったが、あの実家には帰りたくはない。
freee のイクメンエンジニアはどんな 1 日を過ごしているのか? - freee Developers Blog
https://developers.freee.co.jp/entry/freee-childcare-culture
この記事はそれほどブクマを集めてるわけでも無ければ、私は freee 社に勤務してるわけでもない。でもこの記事に色々思うところがあったので、書く。
ルサンチマンというか負け犬の遠吠えというか、そういうものかもしれない。幸せそうにイクメンを語られると腹が立ってくるのは、私が不幸だと感じているからに違いないのだろう。
特に腹が立ったのはこの辺。
> ちなみに、イクメンは自己評価ではなくパートナーからの評価です (笑) > 平日のなんでもない日にパートナーや子どもが会社に遊びに来ます。
なんとも私と比べてのんびりしている。私は男なのに育児に振り回され死にそうだし、平日は妻も会社で子供は保育園だ。
他人と比べても仕方ないと思いつつ、同じイクメンエンジニアのはずなのに、freee社がのんびりした気質なのか、私が切羽つまってるのか。
まぁまずは私の1日を見てもらうほうが良いだろう。
7:00 〜 9:00
子どもより早く起きて、妻と朝食の用意。
子どもが起きてきたら一緒に朝ごはん。起きない。寝起きが悪い。たっぷり10時間は寝てるだろうに、何故だ。泣く。みかんで釣って起こす。
一緒にご飯を食べる。
妻は8:30前には出社する。
それから30分は子供と3人きり。下の子はEテレに、上の子はiPad上でのYouTubeに食いついて離れない。
このタイミングで茶碗を食洗機に放り込み、ドラム式洗濯機にセットする。乾燥が使えないシャツ系等は週末まであらえない。
着替えよう、保育園行くよ、と言ってもYouTubeに食らいついて聞かない。iPadを与えるんじゃなかったと毎日後悔する。ギャー!と騒ぐので無理やり着替えさせる…最近はYouTuberの実況風に「さぁっ!今日はですね!このお洋服着替えにチャレンジしたいと思います!」とやると着替えるハックを学んだ。。効果てきめん。
9:00までに保育園につれていかねばならないのに、出るタイミングにうんこする…。
お尻をふいておむつをかたして、連れて行くと「お父さん、9時までに連れてきてくださいね…!」はい、すみません。。
独身時代は徒歩通勤に住んでたりしたものだが、と思いつつ、片道1時間以上かかる電車に乗り込む。クソ遠い。急行が超混む。
職住近接にすることで育児に参加する時間を増やせる?うらやましい。freee社は2km圏内に住むと2万支給(らしいね)。その範囲の3LDKだと最低20-25万とかなんですけど。戸越銀座あたりで。でもまぁまだ五反田でいいよな。私がかつて在籍してた六本木だの渋谷だのの企業は2km圏内にまともな家がなかった。1Rで13万とか。住んでたけど。
11:00
若手エンジニアが出社してくる。
「寝坊しました」とかslackしてくる。知るかよ。近所に住んでるくせになんでそんなダラダラしてんだ。
11:30 〜 13:00
集中してコード書こうと思ってる矢先に、採用評価だの、サーバのエラー通知だの、営業系からの相談だの、EC2インスタンスがメンテナンス入るだののメールが来る。
13:00 〜 14:00
昼飯。時間が合う限りチームや他チームの人とご飯を食べる。Face-to-Faceのコミュニケーションは大事だ。
14:00 〜 18:00
いい加減コードを書こうと思う。
だいたいどうでもいいことで潰れる。
18:00 〜 20:00
*本気で* コードを書かなきゃならんと思い始める。クソエディタを立ち上げる。割り込みが入らなければ2時間で一気に1日分の仕事を終らせる。
(この頃、嫁が保育園からのお迎え・食事の用意・子供を風呂に入れてる)
20:00 〜 22:00
経営サイドの面倒な話が降ってくる。出世するんじゃなかった。上の子が生まれたばかりの頃はヒラだったし早ければ19:45くらいに帰宅してお風呂入れて寝かしつけてあげてたのになぁ…。対案とか出したり、前から残ってる課題を解決したりする。
もしもラッキーにも20:00頃までに退社してれば、帰りながら家族にビデオ通話する。
(この頃、妻が寝かしつけしてる)
この時間になると急行がないか、あっても本数が少ないので帰宅には1時間半かかる。きつい。
かつては通勤中にMacbookで仕事をしていたのだが、通勤電車のシートでは目と肩と腰を悪くする。した。治らない。
乗換があるので油断できない。
0:00
帰宅時に子供がベッドから起きてきて「パパ〜」と言ってくれることがたまにある。嬉しいけどもう寝なきゃね。
〜2:00
その合間に食洗機と、洗濯機を回す。保育園の連絡帳を読み、保育園の明日の荷物を詰める。
なお、土日は子供を公園に連れていき、食べかすで汚れた部屋を掃除し、諸々の消耗品などを買いに行くなどです。
基本的に共働きでは「土日くらい休ませてくれよ〜」は通用しません。よくって交互休みです。
技術書典に同僚が「初参加です!」と楽しそうにしてるのを尻目に、「そうかぁ…おじさんはね…むかし出展してたけど…もう本書くどころか…土日に予定をあけて…一般参加すら…」みたいな顔で見ている。
半日くらいなのでムリに妻に子供を任せて出かけていくことも出来なくはないのだが、熱量が失われている。
私も雇用契約は裁量労働制であり、IPO目前ベンチャーのエンジニアである。育児にも積極的に参加している。
なぜ私はこんなにつらいのか。。。
この辺だろうか。
しかし五反田、賃料25万/月とかの3LDKに住むなら、月収75万とかないとつらいわけで…。夫婦合算でも賃料払ってほぼ手残りがない…。子供の学資…。
まぁ戸越銀座の築62年戸建19万/月とか、そういうとこなら月収60万で足りる…?夫婦力を合わせてボロ屋に住む…?
今住んでるくっそ郊外の3LDKは 13万/月。安い。築浅。良い。
毎月10万ぐらい貯められる。
子供風呂に入れたい。職住近接うらやましい。奥さん働いてないのだとしたらそれもうらやましい。
仕事19時に終わるのうらやましい。最近勉強会に行くにも会社はもちろん妻にも断り入れなきゃなので気持ちが萎えて行かなくなってきた。おいていかれる恐怖だけはものすごい。
何が言いたいかって言うと、職住近接の大事さを、職住近接を失ってよくよく分かるようになりました。
毎月10万追加で払ってでも職住近接がいい!いや10万も大事だけど。
なお、freee社は近隣住宅手当2万ですが、5万くれる企業も存在しています。
pixiv, voyagegroup, フリークアウトなどです。など、っていうか、これ以外にある?
あとイクメンエンジニアって名乗りながら育児についてはお風呂と寝かしつけ、あとは社内制度・会社に遊びに来ることしか書いてないんだけど「ん?このひとはパートタイムイクメンなのでは?」という気にはなりました。
と、言うのも苦学生だったので、生活費の工面のためにバイトをかけもちしており、疲れから寝坊ばかりしていたのだ。
資格取得などが成績に影響するものは、ぎりぎり、なんとか満たしていた。
最後のほうは一日でも休んだら単位を落とす授業がたくさんある状態。
その中の一つに、演技の授業があった。
元々私はこの演技の先生が少し苦手で、前期からさぼりガチではあったのだ。
先生に「とにかく来い。来てれば寝てても不真面目でも単位をやれる」と言われたぐらいだった。
それぐらい私はこの授業をサボる生徒で、おそらく不真面目な生徒だっただろう。
行けば単位をくれるというけれど、行くなら授業は受けなければならない。
前期でさぼりまくった私は、後期ではほとんどさぼることが許されず、しぶしぶ、いやいや、という形で演技の授業を受けていた。
さとうきび畑の唄の、ちょっとしたシーンをするのが最後のテストだった。
私はこの映画を観たことがないので、映画と同じ台本だったのかどうかは解らないけれど、私たち生徒がやる役は、女性教師の役だった。
あるのは教卓一つ。そこに立って、クラスメイトが順番に同じ役をやっていく。
教卓の正面に、演技の先生。
その左右には、既にテストを終えた生徒と、これからテストを受ける生徒が一列に並んでいる。
私の番が来て、教卓の前に立つ。
先生が、他の生徒の時と同じように「よい、スタート」と言ってパンと手を叩く。
ふぅ、と息をついて口を開こうとした瞬間。
教室内に、ピヨピヨピヨと鳥の鳴き声みたいな音が鳴った。
私も、クラスメイトも一瞬目を点にした。
それから、笑いを堪える生徒、何やってんの、と携帯の持ち主を静かに笑う生徒。
携帯の持ち主は、私に「ごめーん!」と言わんばかりのジェスチャーをして、鞄が置いている棚に慌てて移動した。
最後のテストにぴりっとしていた空気はなごんで、たぶん、私が「ちょっとー!」て言いながら笑えば、仕切りなおしされただろう。
他の生徒にそうしていたように、足を組んで、肘をその足の上に置いて。
両手の指を絡めて、そこに顎を乗せている。
まじめな顔で、そして人を見定める目だった。
教卓に両手を置いて、少し俯く。前髪が、私の顔を隠してくれた。
ここは沖縄!!
今の音は鳥の声!!!!
笑ってしまいそうなの唇を噛んで耐えた。心をリセットして、顔を上げる。
他のクラスメイトがそうしたように、私も女性教師として台詞を口にした。
なんとか詰まることなく、最後まで演技を終えて、先生がパンと手を叩く。
テストが終わった瞬間に私は「先生!!絶対あれ加点してください!!」と口にした。
私の声にクラスメイトが笑う。携帯の持ち主は「ほんとごめん!!」と軽いノリで謝った。
先生がいいよと言ってくれたことで、内心「おっ!ラッキー」「これで1は回避だろ!」と思った。
そんな私と、他の生徒たちに、先生がぽつりと喋る。
「静かな劇場で、舞台の最中に、あんなふうに携帯が鳴ると、本当に頭が真っ白になるんだ」
「今どこだっけ、どこまで言ったっけってパニックになるし、頭の中がぐちゃぐちゃになる。演技にだって集中できない」
「増田がやったことは、みんなができることじゃない。あれは、本当にプロでも難しいんだ。お前はよくやった」
若い子が見に来るタイプの舞台ではないけれど、もしかしたら、そんなことが過去にあったのかもしれないと思う。
その日の授業は終わって、しばらくてしてから成績が渡されたとき。
演技の授業に五段階評価の5がついていて驚いた。
他の生徒に、どんな数字がついていたのかはわからない。もしかしたらみんな5だったのかもしれない。
だけど、私が一番良く知ってる。
出席日数でも、授業態度も、それこそ演技の質だって、私は5がつくような生徒ではないのだ。
当時は「あれぐらいのことで5をくれるなんて、先生は甘いなぁ」と思っていた。
卒業してもう随分とたち、そんなこと忘れていたのだけど、少し前に見に行った舞台で似たようなことが起こった。
舞台の上の空気が一瞬止まった。だけどその場の役者さんたちはちゃんと本筋に戻っていった。
でも、空気が一瞬止まったことがわかってしまった。それを感じてやっと先生が言っていた言葉の意味を本当の意味で理解できた。
公演までの間に役者やスタッフが積み上げたものに、一瞬にして傷を付ける行為なのだ。
今までだって何度も舞台は見に行って、そのたびにスマホの電源は切ってきた。
1日目
家にいた。特に何も起きない。寝坊はよくするから寝坊だと思われてるかもとは考えてた。
昼になっても夕方になっても電話はならなかった。別にそれでいいけど、少し寂しい
2日目
家にいた。特に何も起きない。会社のメールチェックをしようと思ったけどやめた。
3日目
ぶらり途中下車の旅がしたいと思って宇都宮線に乗った。特に降りたい駅はなかったし、
おりたところには何もなかった。家に帰った
4日目
家にいた。電話が鳴った。その一時間後にピンポーンって音が5回くらいした。無視。
ラインを見たら「どうした? 大丈夫?」ってきてた。なぜか嬉しくなった。
5日目
新幹線の切符を買って南下した。関東から乗って中国地方で降りたんだけど寒かった。
まあ、南ってほど南じゃないから仕方がない。ホテルを取るのは面倒だったし、そもそも
電話は何回も鳴った。
今
ネットカフェでこれ書いてるけどくるところまできたなーって感じ。
不思議なのは社内ニートで仕事を与えられていなくて透明人間チックだった
俺がいないことに会社が気づいたこと。まあ、勤怠管理だけはしっかりしてるのか。
横にアカギが散らばってるが最後まで読む気がしない。鷲巣麻雀なげえ。。
もっと南下しようかな。もうどうでもいい。
ショートスリーパーは話題になるけど、ロングスリーパーというのももっとちゃんと注目されてほしい。
自分は中学高校、特に成長期のときに朝が全く起きられなくて大変苦労しました。
ある日それじゃよくないって時計屋(その当時は時計屋という専門店が存在していた)で一番うるさい目覚ましをくれって聞いたら、店主が自慢げにパッケージに爆音とかって書いてある時計を勧めてきたのでこれで安心だと買って帰った。
目覚まし鳴ってないじゃん!って説明書をよく見たら、爆音すぎるために近所迷惑を考えて3分で止まりますって書いてあって「そんな短時間で起きるわけない!ふざけんな!」って返品しに怒鳴り込んだら、店主ドン引き。
昨日の自慢げな態度から一転、鳩が豆鉄砲を食ったよう顔をして「こんな理不尽な客初めてだ!返品するから二度と来るな!」って言われた。
今思うと確かに理不尽なのだけど、それくらい起きられなかった。
先生や周りからは寝不足が原因だと散々言われてきたけど、平均的な睡眠時間と言われる7時間は眠るようにしてた。
ところが、逆算して眠りにつくと起きなくちゃいけない時間はまだ死んだように眠ってる時間。
自分の頭の中では、平均的な睡眠時間を守っているんだから起きられないわけがないっていう思い込みが強かった。
休みの日とか、目覚ましも何もかけないで眠ると12時間睡眠はざら。
土曜の夜に寝て、起きたら月曜の朝だったとかもよくあるし、一番長いので3日間トイレ以外ずっと寝てたこともある。72時間。お腹もすかないくらいとにかく眠かった。
全然生活のリズムがつかめないで、夜に親の仕事を手伝ってたこともあって、結局高校は遅刻が理由で中退。
その後就職するにも時間が固定されている仕事は大体遅刻が理由でクビになり、やった分だけ給料をもらえる単純作業の仕事みたいなことばかりやってた。
低い給料ながらもとりあえず眠りたいだけ眠れる生活を続けていたら、ある日平均睡眠時間が大体落ち着いてきて、それが大体9時間だということに気がついた。
それでやっと自分は9時間寝ないと寝不足なんだということに気がついた。
7時間睡眠だと2時間の寝不足。それが原因でリズムがだんだんと狂って行って、大寝坊や休日に長時間睡眠を繰り返してたんだって。
それからというもの、9時間睡眠を心がけるようにしたら出勤時間もしっかりとコントロールできるようになって、やっとまともな仕事にも就けるようになった。
週一回程度の夜ふかしなら自分でリカバリーもできるようになった。
人より目が覚めている時間が短いと損したような気がしないでもないけど、リズムが掴めないまま目が覚めてても眠いような生活をしているときよりもよほど充実している。
学生のときにその事実に気づいていたらもっと違う人生を送ることができていたなって思うとちょっと悔しいけど、短い睡眠でも大丈夫な人がいるように、長い睡眠が必要な人もいるんだってことがもっと知られてもよいかなって思った。
これを無理やりカフェインとか薬でどうにかしようとして体調崩す場合もあるだろうし、人の平均ではなくて、自分の適切な睡眠時間を知ることって本当に大事。
レイヤーに限らずどんな種族の人でも遅刻はするのに、ネット上では『レイヤーは遅刻する』のフレーズがレイヤー以外にまで出回っている。
なぜこんなことが言われてしまうのかしばらく考えてなんとなく仮説が立ったけれど、こんなことをレイヤーをたくさんフォローしているTwitter垢に書くと自分の居場所を失いかねないので増田に書かせていただく。
【保険】
この文章の趣旨は「遅刻するレイヤー(他人)を許せ」でも「遅刻する私を許せ」でもなく、
「もしもレイヤーというだけで遅刻魔のレッテルを張ろうとする人がいるなら、それは『犯罪者が毎日パンを食べていたのでパンを滅ぼせ』に近い暴論だから少し考え直してほしい」である。
どう考えても遅刻する人は悪い。
またこの文章を書いている人はレイヤーのあわせとかの問題の当事者ではなくTLに流れてくる各種意見から想像したものを文章にまとめている。
誤解などがあればコメント等で指摘してもらえると助かる。
【保険ここまで】
本題に入る。
・相手を選べない
・ギリギリまで粘れる
・すぐに拡散される
ひとつずつ順に述べていく。
被害の大きさの基準にもよるけれど「相手がいなくても何とかなるかどうか」を今回は用いようと思う。
同時入場の必要がないアトラクションやイベント(あとから来い)
ウィンドウショッピングとか街中歩くやつ(理論上一人でできる)
同時入場するイベント(イベント前後でチケット詐欺と同じくらい問題になるやつ)
レイヤーの大型あわせは1人でも遅れると残りのメンバーが身動きを取れないという点で「同時入場するイベント」に近いのではないだろうか(同時入場じゃないけれど)
全体集合の写真を撮れない。進行に支障が出れば、撮りたかったものを撮り切れない可能性もある。落ち着かないから撮影に集中できない。
(※最初にも書いたが私自身は大型あわせに参加したことが一切ないのでこれはTLに流れてきた愚痴から推測したものである)
学校などのコミュニティで知り合って仲良くなった子と休日に出かけるパターンの場合、普段から時間にルーズかどうかを登校や移動教室のギリギリ具合からある程度推測ができるため自分に被害が来ない位置から観察することが可能である。休み時間のだらけ方である程度時間に対する考え方がわかる(気がする)
それに対してネット上で知り合った人の場合、時間に対する考え方はなかなか判断しづらい。
もちろんFF内の人で頻繁に「寝坊した」とか「遅刻確定だしのんびり行こう」とか呟いている人はもちろん危険だが何も呟かない爆弾もそこそこの頻度で混入している。どうにもならない。
加えて、あわせだと初対面の人や素性がわからない人も混ざってくるのでいよいよわからない(それが原因かはわからないがFF内の人とか一度ご一緒したことある人とかを限定して募集しているものも多く見かける)
どれだけ自衛してもヤバい爆弾遅刻魔を完全に排除することはなかなか厳しい。
これに関してはレイヤーのあわせに限らずオフ会でもなんでも救いようがない遅刻犯は一定数いる。
同人作家の「新刊落としました」ツイートを見たことがある人も多いだろう。
限界のその先にいっていない限り落としたツイートは遅くとも3日前には出るので宝の地図の最終稿を作る段階には間に合う。即売会前々日入りの超地方勢でもない限り、そのツイートを見てからスペースの回り方を考え直したりその他いろいろ柔軟な対応をしたりできるはずだ。
哀しくなるからやめてほしいけれど。
レイヤーの場合、前日夜に「まだ布」とツイートしても翌朝に衣装になっている魔法使いがいる(まじでなんなのあれ)あの魔法は間に合っているから許されている。
レイヤーの遅刻の原因ランキング上位の『衣装終わっていない』『寝坊』
はいずれも自分の力量を見誤り、残り時間が足りなくなって起こることである。
中には早めに衣装終わらない申告をしている例もあるけれど、助けられるくらい早くいっていない限り当日朝の悲鳴と何ら変わりない。
(例:前日前々日くらいに「○○の衣装届かないんですけれど貸してくれる人いませんか」ってツイートしているやつ、いつどこで受け渡してもらうつもりなのだろうか)
ギリギリまで粘ることが許されるのはもし万が一間に合わなかったとしても何とかなる(他者への被害が小さい)ときだけである。
一瞬本題からずれて、世の中の人の遅刻に対する姿勢をざっくり分けてみる。
そして
だから組み合わせると4種類、『遅刻するけれど許せない人』はいないだろうから(いたら流石にヤバい)実質3種類に分類される。
きちんとしている人、偉い、
でも、このタイプの人と『遅刻する人』が約束をすると大事故につながる
ではここで、『遅刻をしないし許せないレイヤー』が『遅刻するレイヤー』の存在するあわせに参加して怒りの限度を超えた場合どうなるか。
女オタクの伝家の宝刀『お気持ち【拡散希望】ツイート』が誕生する。
これ毎回不思議なのだが【拡散希望】ツイートはなぜか関係ない界隈にまで届く。あわせの写真は届かないのに。
いずれあわせをするかもしれないレイヤーならまだしも、一生関わることのない人のせいで怒り狂っている一生関わることのない人の『お気持ち』を見せられても……そうですか……どうでもよ……という気持ちにしかならないのに。
しかも文章が「同じあわせに参加したレイヤーが酷い遅刻をした!!怒っている!!」というものだから、細かい情報をすっ飛ばして拡散ツイートを眺めた人に残る情報が『レイヤーは遅刻する』なのではないだろうか。これがレイヤー全体の印象に繋がってしまう。
平然と遅刻する人もヤバいけれど、怒り狂ってお気持ちツイートするやつも正直ヤバい。
界隈全体の印象を悪くしないために静かに注意喚起流している人や怒りを鎮めて頑張って乗り切った人からしたら良い迷惑だ。
そろそろ結論に入るけれど、
ということをなんとなく理解して、
大きすぎる括りで『レイヤー』をまとめるのはちょっと待ってほしい。
朝は、8時に起床(寝坊。本当は7時に起きたい)
10〜12時から託児付きの用事あるので、9時45分くらいに家を出る。
この時点で眠い。
ずっと眠い。
15時過ぎから、少し眠気が薄れてきた。
ホントは飲まずにいたいけど、気持ち的に何もやる気しないので、エネルギーチャージのため、金麦1本だけプシュッ。
飲みながら夕飯支度。
食後少し休んで、片付け。疲れて気力もなくなりかけて、あまり捗らない、、、
19時半くらいから寝かしつけ。
20時位に寝る。
私も一緒に寝落ちしそうだけど、ふんばる。
一度横になると、そこから動くのが辛い、、、
でも、今日送らなければならない提出物(仕事を少ししている)にとりかかる。
眠い。
腰も少し痛い。全体的にだるい。
そして今23時。
まだ家事残っている。
作りたいものもあったりする。
でも眠い。
調子いいのは午前中だけ。
もう10年くらいの付き合いなんだけど、昔からすごい舐めていた。
中学の頃、塾でろくに勉強もしてないしサボって遅刻ばっかりのくせに、成績が上がらないのを先生のせいにしてたあの時、初めて「舐めてるな」と思った。
夏休みの宿題の論文も、ずっとサボって、先生に怒られてやっと始めて、一人で9月30日くらいに出していた。
そのくせ超難関大を目指していたし、しっかりまあまあの大学に受かった。ヒィヒィ言って入試に挑んでいた私から言えば、くずだ。全然苦しまないで大学に入って。「すごい!頭いいんだね!」なんて全く思わなかった。どっかで痛い目見ろと思ってた。
私は彼女と同じ大学の医学部に入った。恐ろしい縁で、私と彼女の友人関係は大学に入ってからも続いた。たまたま同じサークルに入ったからだ。それでも彼女はやっぱり舐めていた。
彼女は自分の書いたブログを有料公開にするようになった。一つ100円らしい。もちろん誰も買った形跡はない。誰がお前みたいなののブログ買うんだって思う。舐めている。
サークル活動も、サークル員との遊びも、平気でドタキャンするようになった。日にちを決めて、当日の前日まで音信不通になって、何度LINEしても返信が無いから当日の朝に電話をかけると「ごめん、眠いから行けない」と一言、みたいなサイテーのドタキャンだ。心の広いサークル員ばかりだったからみんな許していたけれど、私だったらすぐに縁を切っていたと思う。
私のことももちろん舐めていた。サークル活動と同じように何度も遊びをドタキャンされた。サークルで失敗して辛い時に1番言われたくないことを言われた。本当に限界だった。
3年の時、サークルで大きなプロジェクトを起こすことになった。彼女はそのプロジェクトのトップになった。
こんな舐め腐ったやつがトップ?って思うのと同時に、ちょっと嬉しかった。彼女が「主体性が無い舐めてるやつ」から「主体性がある舐めてるやつ」にランクアップしたと思ったから。私はそのプロジェクトには参加しなかったけれど、成功を心待ちにしていた。
でもそれも違った。彼女はやっぱり舐めていた。プロジェクトを動かすべき時に、メンバーに一つの連絡もしていなかったのだ。見させてもらったプロジェクトのLINEグループは、一ヶ月前から動いていなかった。
私はそのプロジェクトに参加することにした。学部の勉強がだいぶ切羽詰っていたけれど、プロジェクトのためなら、彼女のためならなんでもしようと思った。次第に私と、それ以上にプロジェクトメンバーが一丸となっていった。
でもやっぱりダメだった。彼女が舐めていたから。一番大事なミーティングに、彼女は来なかった。連絡もひとつもよこさなかった。9時集合なのに17時に「寝坊した」と連絡が来た。「これをやろう」と働きかけても、彼女は返信すらしなかった。彼女のせいじゃない部分もある。でも彼女のせいだった。明らかに。彼女のせいでプロジェクトはダメになった。
はずだった。でも、ダメにならなかったのだ。私のお陰だ。プロジェクトを辞めるか辞めないかの会議の時、「もうみんなに迷惑かけたくない」と泣きじゃくる彼女に「迷惑なんて誰も思ってないよ」と言ったのは、他でもない、私だった。
想定の規模よりだいぶ小さくはあったけれど、プロジェクトはしっかり完了した。それでよかった。私は嬉しかった。成し遂げた、やってやった、と自画自賛した。
親友は舐めている。くずだ。でも、そんな彼女を放って置けない自分がいる。その気持ちは自己満足だ、完全に。でも、ただの自己満だけじゃない。彼女に助けられたことが何度もある。私が男の子に振られた時、彼女は私の欲しい言葉ばかりくれた。だから私も彼女を助けた。プロジェクトは成功した。
4年になって、彼女は就活を始めた。でも、受けた会社は1社。その1社に落ちた愚痴をSNSで延々言っていた。フリーターになるらしい。
やっぱり舐めていると思う。クズ人間だと思う。あの時の「迷惑なんて思ってない」なんて言葉はうそだ。迷惑だ。これから先、もう彼女に迷惑をかけられたくない。
でも、フリーターになると言う彼女の言動にここまで怒っているのは、いらいらしているのは、彼女のことが好きだからなのだ、多分。その気持ちも恐らく自己満足だけれど。
私はきっと、もうすぐ医者になる。きっと収入はいい方だし、仕事は大変だろうけれど生活には困らない。私だったら彼女を養えるな、と時々ふと思う。
彼女はSNSで友人たちに「フリーターになるからなにかして欲しいことがある人は言って!」と呼びかける。アホ。クズ。誰がお前なんかに頼むか。誰がお前なんかをお金払って雇うか。一生彼女を雇う人なんて現れないで欲しい。
書き方はとりあえず1行つづ書いていって、
あとでエクセルで集計すればいっかーって思って家計簿付け始めたの。
4年前の保存の日付で家計簿のファイルがデスクトップにあったのよ。
ザ虎舞竜さんのちょうど1年前より遡ることの4年前よ。
それを開いてみてビックリ!
私が今から新しく付け始めようと思った書き方と全く一緒!
言われてみたら4年前の私と今の私って性格も含めて一緒じゃない、
だからこういう書き方をしよう!って形が一緒過ぎて思わず笑っちゃったわ。
その4年前の家計簿は若干1ヶ月ぐらいで放り投げてつけるのやめちゃってるっぽくって、
今度は家計簿付けるのちょっと真面目にやろうかなって思った次第なのよ。
でもさ
新しく作る家計簿どういう風に書いていったら良いかなと考えてたけど、
面倒くさいから1行ずつ書いて、
最初にも言ったように集計で各項目がまとめられるようになったら良いなって、
それが今と昔で一緒だったから
まったくだわって思ったわ
結局人って変わらないのよね!と実感するとともに、
でも今の私なら集計の関数がいくらか使えるようになったことが唯一の進歩かしら。
すっかり忘れていたわ。
でね、
こないだ手帳を買いに行った際、
でも今年の私は違ったの、
これまた買って満足して終わっちゃうタイプになっちまわないか、
クールポコさんみたいにやっちまったな!って言われないように
とりあえず紙の家計簿は辞めておいて、
それだとまあ割とあとで見直すときも検索や集計が出来るから便利。
そうかもね!って具合で
やっぱり紙に書いて付けるのはいいっちゃいいんだけど、
ネスカフェゴールドブレンドが美味しいわ!
うふふ。
ちょっとお寝坊したからと言っても完全アウトな寝坊じゃ無いので大丈夫なんだけど、
慌ててたので、
しかもミーゴーの日だったのもあって
食パンダッシュならぬ、
そのまま入れてもいいんだけど
切って入れてもいいわね。
面倒くさくなければ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
これは友人関係よりも自分の趣味と信念に基づいて行動した結果だ。誰しもがこうなるとは限らないが少なくとも私はこうなった。この先もこうであるのかは分からない。
近頃過去のことが頭を何度も過ぎる。
例えば、中学校の頃仲の良かった友人の一人と音信不通で彼はどんな男だったか
私はどんな風に接していたか曖昧に脳裏を過ぎるのだ。
彼と最後にあったとき私は何か間違ったことを口走ったのだろうか。今となっては分からないことばかりが頭を過ぎる。
もしくは
高校の時私は死んだように毎日を過ごした日々だ。
あの日々は人生の休暇だったのだろうと今になって思うが、あの頃のように私はもうゆっくり過ごすことが出来ないだろうと思う。
なにかに追われてるように人生を今は過ごしている。
本当にこの行動で良いのか、将来私はより良い環境にいるのか。良い環境に居たとして後悔はないのか。
または
専門学校の慌ただしい日々の中で家族をおざなりにしながらも、自分の事に打ち込んだ日々を思い出す。
資格取得とサークル活動それにアルバイト。
毎日が忙しく、夜帰宅しても急ぐように食事を食べてはすぐに自室にこもりアニメを見たりプログラミングをしたり、動画作成をしたりと趣味に没頭していた。
そんな日々が送れたのも今となっては亡き母のお陰だったと思う。寝坊すれば起こしてもらえ、夜帰ると食事が並んでいた。
今は家に帰ると一人で朝も誰も起こしてはくれない。
毎日毎日一人だ。段々と汚れてくる部屋を見ながら部屋を掃除してくれていた母を思い出す。
何もかも任せきりだったなと今は思う。母がボソリとまたガンかもしれないと言ったときや、家でふらついた母をみても「そんな風に思うこともあるか」と思っただけだった。もっと注意深くなるべきだったのだ。
もっと早く病院に行くように言っていれば少なくとも後数年は生きれたかも知れなかった。
そんな風に昔の日々と現在を対比する。
何気ない姉弟、母、父との会話、もうそれは再びすることが出来ない。
前職を転職した際に私は選択肢を誤ったのか?
もっと給料の良い職場も選ぶことが出来た。なのにゲーム業界を選んだ。
趣味でゲームを作りつつ彼女でも探して円満な家庭を築くような選択肢もあったはずだ。
今、私は一人だ。実家ではいつも母、姉、父、祖父が居た。そして時々別居しているもうひとりの姉の旦那が面白いことを話すのだ。
そんな日々はもう来ない。
実家には父と姉だけだ。
皆が元気だった頃は家族のLineとかに愚痴などを呟いたものだが、今はとても出来ない。
姉と父ともに傷ついている。これ以上心労をかける訳にはいかない。
弱音を吐くことは許されないのだ。
だからこうして、ただつらつらと心の内をここに文章化している。
私は一人だ。
誰か助けてくれと言って何人の人が振り向くだろう。
私には大事な友人がいる。
しかし、彼らと毎日会うわけではない。月に1回会えれば良いほうだ。そして彼らには私より親密な友人が居る。
きっと私がこの場で死んだとしても気づくのは何ヶ月も後になるだろう。
私一番最初に心配するのは皮肉にも近くて遠い職場の人達だ。
彼らにとっては同僚であり、ただの赤の他人。仲間というほど私は仲がいいとも言いづらい。
私の居場所はどこにあるんだろう。
私はどこに居るんだろう。
職場では常人ように振る舞っているが、発狂しそうな心の内を良く抑えられていると我ながら思う。
ココで奇声を発したらどうなるんだろうとやりもしないことをぼんやりと考える。
本当なら行きたくもない飲み会で、あるはずもない私の内側を演出する。
そうすることで職場の人と仲良くなれるのだ。
職場の一人の人に心の距離感が遠いと言われた。
間違いではない。
しかし、飲み会のときに近く感じたと言われた。
私としては丁寧語で話している普段のほうが素なのだが、
中身を晒したかのようなテンションの高めの私は普段の素だと思われたのだろう。それは演技に過ぎない。
むしろ疲れるので素だとは思われたくはないが、そういった素のように見える場面を晒したほうが世の中うまくいく。
今、私には親身にゲームのプログラムを教えてくれる先輩なんて居ないし、
心の内をSNSに晒したところで仮初の慰めの言葉を投げかけてくれる人も居ない。
どこかで私は道を外したのだろうか。
お金も祖父の遺産があり、私は幸いながら20代後半にさしかかったばかりで時間も少なからずある。はずなのにひたすらに焦り、悲しみ、孤独が襲ってくる。
頭の中が常にぐちゃぐちゃでせめて仕事のことだけを考えようと思ったところで人の感情は中々制御できない。
こんな文章を作れる時点で私は冷静ではあると思いたい。しかし、狂っているようにも思える。
もしかしたら、冷静に狂っているのかも知れない。
段々と掛け違いのボタンの様に不自然さが極まりない。
誰もが羨むような能力が欲しい。どんなに頑張っても最先端を走っている技術者には追いつかない。社内の中では中の上だと思うが世間を見渡すと大した技術力は私にはない。ただのクズだ。
もっと技術力が欲しいと「もっと勉強が出来るようになりたいと願う受験前の中学生」と同じような気持ちが未だに心のなかにあるかのようだ。
独りは嫌だ、独りは悲しい、まぶたを腫らして泣きつく相手が欲しい。怒りをぶつける相手がほしい。
誰も悪くない誰も悪くない。もしかしたら人並みに恋愛もしたこともない私が悪いのかも知れない。
親族の愚痴を言ってる人さえ羨ましい。愚痴を言う親族は生きてるんだから。
あるはずの未来が暗くしか見えない。世間は私に何を求める。私は世間に何を求める。
未だ中学生のような思考回路の私に世間は複雑すぎて目が回る。
私はただの卑屈屋なのも知れない。私には何が何なのか、もうわからない。
そういえば、Twitterでひろゆきが「無敵の人」が増えると言っていた。
https://twitter.com/hiroyuki_ni/status/1133262577402810370
私も遠くない日に無敵の人になるのだろう。
私は美男子ではないが、恥の多い人生を送ってきた太宰治の人間失格の道化を演じる主人公のような自分に嫌気が差す。
私はダメかもしれない。
誰が見ているわけでもないと思うが自分の思いを整理するためにココに書き捨てておくことにする。
5年くらい付き合いがあった友達。
同じジャンルにハマって性癖が合って3ヶ月に1回くらい遊んでいたネットで知り合った友達。
家にも遊びに行ったし旅行にも行ったし人に話せない家族や恋人のことも互いに話して割と深い友達だと思ってたけど、それは私だけだと最近気づいた。
今度遊ぼうよ!と遊ぶ日を決めていた。遊ぶ日が近づいてきて、「ごめん!一旦なしにしてくれる?」ときたから「いいよー待ってる!」と返して待ってたらTwitterで「今月土日遊びすぎちゃったな〜!」とのつぶやき。
約束してた私よりも他の人と遊ぶの優先するのはもはや仕方ないにしても、相互フォローの私が見えるとこで言うのひどくないか……?と思う反面、それくらいどうでもいい存在になってしまったのだと気づいた。
悲しくて、ずっと言いそびれていた「ごめん!貸した漫画返してくれる?」を直ぐに言ったら次の日には発送していた。本当に読んだのかな?もう何も信じられん……
ツムツムの広告を流してきた時に切っておけばよかったな。
思えば待ち合わせに2時間寝坊してきたり遊ぶ日変更なんてザラにあったわ。
王様の耳はロバの耳じゃないけど
誰にも聞かれたくなくても吐き出したいときはある
なんでこんなに疲れてるのかわかんないんだよな
寝ようとしても次の日早く行かなきゃ行けないと思うと
寝坊が怖くて眠れなくて朝まで何もしないけど眠れもしない
疲れきって帰って来れば眠くなると思ったら1時間半で目が覚めてしまってそれきり
また朝になるまでずっと眠れない
お休みの日は何かしらイベントごとあれば頑張って出かけられてるし
まだ元気なんだと思うし病院に行くほどじゃないんだけど
出かける予定がないと20時くらいまで起きられない
それでこんなに寝てしまったと思って無理やり起きてると
今度はなんで徹夜したのかわけわかんなくて月曜日ふらふらなのは嫌なので寝る
それで結局18時くらいになって休みに何もしてないからってあわてて掃除とか洗濯やりだして
ご飯は1日一回くらい
何か冷蔵庫にあれば食べるんだけどコンビニに出かけることがすごく億劫
結果寝てやり過ごすだけ
生活が不規則だからこうなのはわかるんだけど早く帰ってきて早く寝ても夜中に目が覚めて
あれもしなきゃいけなかったとかこれもやっておかないととか、明日早く出勤しないと
仕事が間に合わなくてなんでこんなに仕事できないのかほんとにわからないし
なんなんだろうな
なんなんだろう
旅行に行こうとしてもなんか何がしたいのかわかんなくて
なんとなく欲しいものは買うけど箱から出しもしなくて積み上がってく
漫画もアニメもなんかあんまり楽しくなくてソシャゲはしんどいし
ゲーム機買うのは高いなとか思っちゃって
誰かと会うのも本当は辛い
会えばちゃんと元気なんだよ 誰かがいれば元気なんだよ
愛想よくしてないと嫌われるからすごく頑張る
誰かと会うと全然元気なんだよね そのあと疲れるけど元気なんだよ
昔は、というか学生の時はまだ自分の服にもっと頓着してたんだけどな
まだ着れるからいいやって、なんか服見ても疲れちゃって
気づいたらセール終わってるからまた今度、って何回やったんだろ
服見に行っても自分が可愛いと思う服は私の歳にあってるかわからないし
もう着れたらなんでもいいと思うんだけど
外に出て相手にあの人変な人と思われたくなくて他人と会うときだけちゃんとした服
疲れたよ
私が変なのか