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はてなキーワード: 宇野常寛とは

2019-02-05

anond:20190205070056

(4)

転叫院さんの批判に対する宇野さんのレスポンスはなされませんでした。この時、宇野さんは何をしていたか

406名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2006/09/10(日) 00:11:01 ID:1CS5n8Ba

というか今月からHJ文庫本の雑誌版『ノベルジャパン』で

DVDラノベを紹介するコーナーを担当してるし、

本業が多少忙しいんだろ

(コーナーの量からしてとてもそんな忙しそうには思えないが)

ライター業の仕事が増え始めて忙しかったみたいです。ウェブで読める「宇野常寛」の仕事はこんな感じ。

ところで転叫院さんがメンバーを抜けてこんな余波が。

429 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2006/09/13(水) 22:09:03 ID:knDGDuU2

さてプラネッツをようやく手に入れたわけだが

あとがきのところで「新訂惑星開発大辞典」を作ることを言明してるな

しかしこの計画も転叫院やらお前らやらの叩きでおじゃんになるかもしれんと思うと・・・

せめて大辞典出来上がるまではお前ら大人しくして

立ち上げ当初から惑星開発大辞典を全面改稿すると宣言していたのですが、今もそれはなされていません。メンバーリストによると転叫院さんが新訂大辞典担当するとなっており、おそらくは転叫院さんの脱退によってお蔵入りになったのでしょう。

ライターとしての宇野さんの仕事確認できるようになると、某掲示板スレッドではこんなことが書かれます

82 名前名無しさん@ゴーゴーゴーゴー! :2006/11/26(日) 20:55:33 ID:o7u55b6O

宇野仕事として書いている評論やらインタビュー無味乾燥

まらないんだよな。

サイゾー大月Pへのインタビューも、惑星では作品を(エヴァ

なくてナデシコだが)腐したくせに当たり障りの無い阿るような内

容だったな。

まあ、現実社会では無力な宇野惑星開発委員会のノリで行こうと

思ったら、とたんに干されてしまうだけだろうけど、大月Pのような

力のある人間と、今後仕事で付き合っていくとなると、彼の作品

なすことは到底できなくなりそうだけど、その辺の整合性はどうするんだろうな。

95 名前名無しさん@ゴーゴーゴーゴー! :2006/11/28(火) 10:35:42 ID:xVa/bnZz

提灯記事だって、引き出しの多さや語りの面白さが肝心。

宇野文章には、そういう豊かさが全然ない。

からまらない。

足場以前に自分空っぽから

200612月ころの宇野さんのライター仕事

「昭和歌謡の復権をもくろむ22歳!イケメン俳優・半田健人の素顔」

「「宇宙的に正しい」世界のためにSUGIZOが届ける愛のメッセージ!」

それに対する某掲示板の反応。

170 名前名無しさん@ゴーゴーゴーゴー! :2006/12/20(水) 03:36:22 ID:KuoUp39d

お仕事から仕方ないね

171 名前名無しさん@ゴーゴーゴーゴー! :2006/12/20(水) 12:19:09 ID:MWlXtQcI

コイツは「宇宙的に」カッコイイ!(笑)

172 名前名無しさん@ゴーゴーゴーゴー! :2006/12/21(木) 04:56:38 ID:TCkkxLa4

ライターって大変なんだなあ

年を開けてから2006年を総括した惑星開発大賞を発表しますが、更新も減りこんな風に書かれます

45 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2007/03/21(水) 19:04:07 ID:pBOezhAt

流されずに我が道を行くといえば聞こえはいいかもしれないが、

昨年から惑星開発委員会の失速は、客が望んでいない木更津キャッツアイ

レビューなんかを永遠とやり続けているからだろうか。

世間に受けたきゃ、ハルヒコードギアスの全話レビューを毎週やれば

かに食いつきはいいんだろうけど、やんないだろうな。

3月更新「大学生よ、サークル貴族を目指せ!」のみ。サークルクラッシュ人間学なる文章も載せていきます更新が縮小した感は否めず……。「プライベートが忙しい」とは何なのか? それが明かされるのが2007年5月になります

「PLANETS」第三号の告知し、そしてついに5月25日発売のSFマガジンで連載「ゼロ年代の想像力」が始まります。この連載によって初めて商業誌での「宇野常寛」の文章に「善良な市民」の名前で展開していたオタク煽り、現状批判などの主張が盛り込まれていきます。この連載は初回から東浩紀批判が繰り広げられており、さっそく東浩紀さんも自身ブログで反応しています

宇野さんはこの原稿のなかで「東浩紀劣化コピー」という言葉を使っているのですが、最近の僕はまさに、彼がそう呼んでいるであろうひとたちの言動ウンザリして、批評家としてのエネルギーを失いつつありました。宇野さんの原稿は、そんな僕に久しぶりにやる気を与えてくれました。こういうエントリを書くと、また変な業界読みをするひとがいるかもしれませんが、もはやそんなのもどうでもいい。単純に嬉しいので、ここに記しておきます

あとは連載を楽しみにしています

さすがの東浩紀宇野さんの批判に手も足も出せず、適当お茶を濁しています

anond:20190205070002

(3)

そして今度は2005年5月に「第二次惑星開発委員会」と銘打って再び「善良な市民」の名でサイト運営を開始します。宇野さんはどうやら東京移住したようです。旧・惑星開発委員会にもあったクロスレビューに加え、テーマについて語り合う惑星座談会機動戦士Zガンダムを全話振り返る機動戦士Ζガンダム回顧録などがメインコンテンツです。メンバー宇野さんがネット面白い文章を書く人に声をかけて集めたそうです。

旧・惑星委員会との変化はメンバーだけでなく善良な市民キャラクター設定微妙に変わってます。旧での苛烈作品批判は軟化し、良いところはきちんと誉めるようになり、下の世代の目を意識しているのか啓蒙的な要素が増えています。また旧ではパロディ範囲内だった評論を真面目にやろうとしている印象を受けます

そして、「宇野常寛」の名前ライター活動を開始します。この頃の宇野さんは「宇野常寛」と「善良な市民」を分けて使っており、「宇野常寛」での仕事掲示板で「ぬるい」「何で毒舌キャラで行かないんだ?」と言われており、ライターとして真っ当に仕事をこなすのが「宇野常寛」、毒舌キャラ評論を展開するのが「善良な市民」と使い分けようとしてたのでは、と推測できます

2005年12月には今や数千部の部数を誇ると噂されている「PLANETS」の第一号をコミックマーケットにて販売

2006年4月にははてな界隈オフ会に飛び入りで参加しています。その時の宇野さんの様子をid:laisoさんはこのようにブログで書いています

しきりにオタっぽい仕草をする失敗した高橋克典みたいなひとで、

芝居がかったライトノベルキャラのようなことを素で喋る。

善良な市民という人はしょっちゅうこっちをチラ見してきて超絶うざかった。

「見んなって」というと「見てないよ。それは君がこっちを見てるから――」と

返してくるのでなるほど、それはそれでそれはそれだと思って、

自意識バトルを常に仕掛けてくるのだなと思った。

宇野さんは高橋克典似のイケメンかつ知性溢れる聡明人間のようです。

2006年4月さらサイゾーインタビュー記事担当したという告知をし(活字媒体での仕事を発表したのはこれが初めて)、2006年7月には「PLANETS」第二号の告知がされます。この号から正式に「宇野常寛」名義になり、東浩紀原稿依頼をして断られたりしています

ちなみにその当時の「宇野常寛」の知名度はこんなもの

168 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2006/06/26(月) 10:44:41 ID:4MUYMtgg

宇野常寛 の検索結果のうち 日本語のページ 約 32 件

・・・

この時期、某掲示板での宇野さんへの評価は「ある程度良い大学学生オタク批判してたのは小気味良かったが、売れないサブカルライター必死オタク批判してるのは見てて痛々しい」といった調子です。また「この仕事量で食べていけるのかな?」と心配する声もあがります。PLANETS第二号の白倉プロデューサーへのインタビュー特撮界隈で話題になるもこんな書き込みが。

802名無しより愛をこめて [sage] :2006/08/14(月) 12:21:50 ID:FJc6m3X80

>800

お前の読む労力なんざ知らん。まあインタビュは8Pしかないけど(しかメールインタビュだ)

けど言った手前とりあえずガンダム云々について(ID違うのは気にしないで)

インタビュア:現在本誌でも特集しているTBS竹田Pの手がけるアニメーションでは作品に明確なアンチグローバリズムメッセージが盛り込まれています。同じアンチグローバリズム立場から、娯楽番組制作するという立場で、竹田Pと白倉Pは共通しているはずですが「竹田アニメ」のような直接的なメッセージを「白倉ライダー」はほとんど発することはありません。これはプロデューサーとしてのスタンスの違いなのでしょうか?それともアンチグローバリズム観の違いでしょうか?

白倉:グローバリズムかいう耳障りのいい言葉を創出して価値観押し付けるのには反対です。価値観思想信条は個々人がみずから経験を通じてそれぞれ獲得していくものであって、誰かから押し付けられるのでは宗教と変わりありませんただ、番組メッセージを盛り込むなどというのも、同じく、公共的な番組私物化する行為だと思います

なんか一時が万事この調子サブカルから平成ライダー語ろうとする同人誌側と>サブカルとかまったく意識してない白倉

とで齟齬があって凄く微妙(白倉が種とかハガレンとか見てるとは思えないし)

まあ上の文からでも白倉Pの番組観はちょっと見えるけどこういうのは今までも散々言ってるし

白倉Pに対して特定作品に関してでないインタビュは貴重だから期待してたんで余計にガッカリ

切通理作井上インタビュくらい相手発言を引き出してくれるのはないもの

808名無しより愛をこめて [sage] :2006/08/14(月) 23:26:32 ID:nAGLeJSg0

なんかギャグみたいなすれ違いだなw

管理職として実務に携わっている会社人とサブカルライターとの違いが

痛いほど伝わってきて、イタイ

現状を憂えた宇野さんの熱意はなかなか動物化したオタクには伝わらないようです。

そして、2006年9月に「惑星開発委員会善良な市民宇野)氏を批判する」と題した文章アップロードされます。書いたのは転叫院さん(id:tenkyoin)。第二次惑星開発委員会の中核メンバーで、ウェブ上やPLANETS誌上で宇野さんと対談をしています。お互い、一目置きあっている「盟友」って感じだったのですが……。

惑星開発委員会批判している対象への批判があまりレベルの低いものであったから,私は惑星開発委員会に関わった.だが,いまや,惑星開発委員会への批判があまりに低レベルだと感じる.だから惑星開発委員会へのまっとうな反論を書きたいと思った.

そして、宇野さんへの批判を展開し、最後にこう締めます

これから惑星開発という立場を離れてレビュー等を書く,一人の書き手に戻ろうと思う.

以後、転叫院さんはメンバーから外れ、自身ウェブサイト「惑星開発委員会の善良な市民(宇野)氏を分析する」「ゼロ年代の想像力」に対する批判者のためのメモ書き」惑星開発委員会宇野常寛氏を批判する 2007」と、度々宇野さんの批判を展開しています。転叫院さんの契機が何だったのか、本当のところはわかりません。友達大事しましょうね、宇野さん。

2019-01-07

https://ken-horimoto.com/20181228115315

若手論客の発表を宇野常寛東浩紀が見るみたいな動画があって、

若手論客意味不明な発表をする→宇野常寛翻訳しようとするけど翻訳しきれてない→東浩紀がわかりやすく噛み砕く

っていうルーチンが出来上がっていたのを思い出す。

東浩紀って馬鹿にされてるけどやっぱ頭良いよなって思った。

2018-09-23

東京就職した友人たちが変わってしまった。

Twitterアカウント実名になりアイコンは本人画像になった。

八重洲ブックセンターで開かれるイベントに参加するようになった。

noteを書き始めた。オンラインサロンかにも参加しているんだろう。

そういうこともあるだろう。

いわゆるインフルエンサーに憧れて,新しい生き方標榜する人びとは腐るほどいる。

後ろのソファに置いてあるiPhoneを手に取ってTwitterで「お金2.0」とか「hogehogeをアップデート」とかで検索したら5秒で見つかるはずだ。

知らんけど。

でも,僕の大切な友人が,かけがえのない人たちが,そんな腐るほどいるであろう人びとのコピーアンドペーストみたいな発言をし続けることはどうにも耐え難い。

もちろん,彼らの生き方だし,彼らの考えることなのだから僕の口をはさむ余地はない。

分かっている。でもどうにも耐え難い。そんな気持ちで今文章を書き殴っている。

彼らは(僕らは),偏差値が高くも低くもない地方国立大学で同じサークルに在籍していた。

みなさらなる地方から出てきて下宿をしていたので,口実を見つけては(あるいは口実などなくとも),酒を飲んだり,タバコを吸ったり,深夜アニメを観ながら麻雀を打ったりした。

彼らはみな何かを考えていたし,自身哲学を持っているように見えた。

僕はあまり友人が多くなかったし,地元にあまりいい思い出もないので,彼らとの時間こそが僕にとっての青春時代だったのだと思う。

願わくば,彼らにとってもそうであって欲しい。

彼らはみな優秀だったし,特に就職活動で苦労することもなく大企業内定した。

僕は就職活動をしなかったので詳しいことは分からないが,当然の結果だと思う。

魅力的な人間が正当に評価されたことは自分のことのように嬉しかった。

そして,僕らはそろって卒業し,僕は別の地方へ,彼らは東京へと転居した。

卒業後も出張帰省やその他もろもろの用事で近くに行ったときには連絡を取るし,酒を飲みながら,コーヒーを飲みながら色々な話をする。

彼らは相変わらず魅力的な人間だったし,仕事の話も僕にとっては新鮮で興味深い。

僕は彼らのことが本当に好きだし,匿名のこの場では,恥ずかしげもなく親友であると言いたい(もちろん実際にあって確かめ合うようなことはしないので実際のところは分からないが)。

近ごろSNS上での彼らの様子がおかしい。

繰り返すが,彼らの生き方に僕が直接何かを言う権利などありはしない。

からこれは完全なる独り言だ。

SNSの使い方というのは非常に難しい。

僕は母親Twitter上で相互フォローなのだが,ある時を境に母は政権批判リツイート以外をしなくなってしまった。

彼女には彼女なりの思想があるのだろう。何かを言うことはできない。

彼女Twitterアカウントは数年前から僕のミュートリストの中にある。

思うに,誰もが言いたいことや考えていることがある。

しかし,咀嚼して,飲み込んで,消化してしまう前に色々なもの燃え尽きてしまうのだ。

一瞬で燃え上がり,そして燃え尽きてしま情報について考える時,僕は大気圏で煌々と輝くスペースデブリ想像せずにはいられない。

欲望と抑圧の排泄物が,燃え尽きる瞬間に光を放つ。

考えるべき問題について考える時間永遠に与えられない。

そんな時に目に飛び込んでくるキャッチーフレーズはあたかも答えを与えてくれるように思えるのだろう。

自身にも思いあたる節がある。

話が逸れてしまった。

大学時代の彼らの話は未消化で,拙く,青臭かった。

でも,決して誰かのコピーアンドペーストではなかった。

一切の出典のない話はこの世に存在しない。

でも彼らの話は本物だったし,彼ら自身だった。

そんな彼らの話が僕は好きだったし,僕自身もずいぶん恥ずかしい話をしたような気がする。

現実世界の彼らは昔と変わらないように思える。

変わらない人なんていないのだろうが,そう思える。

だとしたら,僕の感じる嫌悪感の正体はアウトプット方法にあるのだろう。

情報を噛み砕いて,飲み込んで,消化する。そして何らかの形で放出する(あるいは排泄する)。

この一連の作業必要ものは枠組みだろう。フレームワークなしで人間論理だった話をすることはできない(もっと言えば論理的思考も)。

いわゆるインフルエンサーは,旧来のフレームワークを貶しながら「新た」な,「多様性」の名の下に画一的フレームワーク提供する。

ただ,そのフレームワーク問題なのだ

以下は宇野常寛氏のインタビュー引用


では、そのグローバルな新しい世界を受け入れたビジネス書に何が書かれているかというと、究極的には自己啓発的に「がんばれ」としか言っていない。

しかし、現在東京は、シリコンバレーでも深圳でもない、世界の中で2周遅れた街になっています

東京にはグローバルな情報産業プレーヤーとして誇りを持てる環境は全くなくて、そこで生まれ言葉は非常に貧しい。

もちろん、東京にもポジティブにもがいている個人はたくさんいますけど。やはりこの現状では「がんばれ」くらいしか言うことがないのだと思うんです。

https://www.asahi.com/and\_M/articles/SDI2018071041031.html])




ビジネス批判なのだが,いわゆるインフルエンサー発言もこれに近いものだと思う。

絶望的な現状を(現在の枠組みを)冷笑的に貶め,インターネットSNSテクノロジーが新しい生き方を生み出す!と声高々に宣言する。

ではどうしたらいいのか?がんばれ。動け。ポエムを大さじ2杯ほど。

結局のところ,枠組み「っぽいもの」以上が与えられないままアウトプットフェーズにたどり着いてしまう。

インフルエンサーの人びとは「がんばって 」それなりの成功を納めたかインフルエンサーたり得るんだろう。

ただ,彼らの何百倍もの人びとが同じように失敗し続けている。

結局のところ,誰も何も分かりはしないんだろう。

芦田愛菜以外のすべての人間人生1周目なんだから当然だ。

僕はウィナー・テイク・オールでばらまかれ続ける虚無を嫌悪し続ける。そして、僕の好きな人びとに薄っぺら言葉を吐かせたことを悲しく思う。

僕の友人たちは成功するかもしれない。

あるいは失敗するかもしれない。

ただ,彼らが成功者として虚無の枠組みを提供し始めたとしたら僕はとても悲しい。今はそう思う。

2018-05-12

AbemaPrimeの西岡力vs宇野常寛

先週のAbemaPrimeの西岡力vs宇野常寛は、地上波ではやれないレベルの険悪な雰囲気でとてもハートフルになったけれど、

すごく客観的に、

拉致被害者返して欲しいという活動

をしている人が、

従軍慰安婦が無かったという主張

をすることのデメリットって激しすぎて、

本気で拉致被害者を救う気があるのか謎としか言いようがない。

https://ja.wikipedia.org/wiki/西岡力

https://ja.wikipedia.org/wiki/北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会

2018-03-31

anond:20180330021658

けいおんストーリー不要の例に持ってくる辺りで、ただのコピペ野郎か本も録に読んだことの無いアホなんだろうが・・・・・・

それはともかく、この手の話が出てくる時って、宇野常寛とかの批評を浅い理解と表面だけの劣化コピーもにょる

宇野場合とかだと明らかにアニメの向こう側に、現実戦後日本社会を見ていて、

からこそ、ストーリーには必然的に『事件』やそこから人々の『葛藤』『行動』や『責任』と言った要素が重要になってくる。

これらは、日本社会敗戦から軍事力を取り上げられた事で、国際社会の中での果すべき責任論とか取るべき立場を語るためだし

もっと身近な個人政治との向き合い方に上手く対応出来なくなったと言う(宇野やある種の思想の人々が考える)言説のために不可分だし、

宇野なんかは特に、「新聞ニュースが言う"政治"がワイドショーみたいな事に終始する昨今、アニメの方がよっぽど『政治』を語っている」

と言う立場のために必要

そう言う立場からだと日常系みたいな時間も進まない系アニメは、現状保留みたいな意見批判対象ってのは道理は分かる。

ただ、そもそも けいおん日常系では珍しい ちゃん時間の進むアニメだし、

全体を通したストーリーも、此処の話としてのストーリーも、登場人物個人個人ストーリーもあるアニメだ。

それは勿論、冒険活劇みたいな物でも、 サスペンスでも ミステリーでも 成功譚でも 悲恋でも 大恋愛でもないが。

そして、けいおんキャラアニメ漫画キャラとしては没個性だぞ。

みんな、普通のどこにでも居そうな高校生悲惨過去も無ければ、宿命付けられたライバルも居ない。

それどころか、絶対権力生徒会も無いし、プロすら感動させる才能があるわけでもない。

次いで言えば、キャラの見た目も見せ方(絶対パンチラさせないとか含め)もこの元増田が言う様な要素からはほど遠いし、

今でこそ違和感とか無いかもだが、当時はかなりアニメ感の薄い描き方。

同じ京都アニメーションでもハルヒとかは明らかにグラマラスキャラロリっぽいキャラだったりのもあって

それとは対照的に、けいおんが初期の頃からデブ」とか「ぽっちゃり」とか散々言われていたしね。

2018-03-19

anond:20180319110243

いや、増田には向いてるだろ。

今すぐ両手に手斧を持ってネット界隈を荒らしまくれ。

さすればそのうち宇野常寛みたいなネット戦士へとクラスチェンジできるようになるぞ。

荻上チキだってなれるかもしれない。

あとは増田の心がけ次第だ!

2017-11-15

50歳以下の日本思想家で後世に残りそうなのがほとんどいない件

はてな満場一致で残ると思われてるのが宇野常寛ぐらいしかいない。

やばくね?

2017-10-01

宇野常寛母性ディストピア刊行記念呪詛

宇野常寛の「母性ディストピア」が刊行されることを記念して、私が宇野ブロックされた時のことについて書こうと思う。

まず最初に言うと、私は宇野尊敬している。

だってそうじゃないか

立命館で「サークルクラッシャー研究」なんてしょうもないことして卒業サラリーマンやりながらミニコミ編集から身を立てて今や地上波キー局コメンテーターにまでなったんだからNHKじゃ時の人として特集まで組まれたよ。誰彼かまわず喧嘩を売って、使えそうなオヤジには取り入って転がすホステススタイルは誰にも真似できるもんじゃない。

で、ブロックされた時の話だけど、メンション飛ばしたり、引用RTしたりしたわけじゃない。

おそらく彼のシンゴジラ批評についてくさしたツイート宇野エゴサーチして見つけたんだと思う。

ツイートの内容は「宇野はいつまで大澤真幸や宮台慎司の残飯整理してるんだ」みたいなもの

ブロックされた時、まず「小せえな」って思った。

普段テレビコメンテータとしての発言炎上すると「耳障りの悪いことには耳をふさぐ愚民どもめ」みたいなこと言ってるくせに批判されるとこれかよと。尊敬してたのに見損なった。

次に「宇野はいつまで大澤真幸や宮台慎司の残飯整理してるんだ」って私の批判妥当かどうかって自己反省をしてみた。

宇野批評の要旨はだいたい以下の2点に集約される。

戦後日本をささえた「大きな物語」は失効したから、これから中間共同体に依って自立して生きていくことが大切だ。

村上春樹ファンとか高橋留美子ファンとか、母性依存した惰弱オタク死ね

前者については大澤真幸や宮台慎司90年代前半から言ってきたことで、これをいまだに繰り返しているのは芸がない。後者についてはそもそも誤読だが、百歩譲ってもほっとけよっていう程度でイキるような話でもない。そもそもこうしたマチズモ的な言説そのものが「大きな物語」への郷愁であり、まさに自家撞着に陥っている・・・とか書けば宇野批評いっちょ上がり。安っぽい。

宇野サブカル批評対象を都合よく解釈編集、捻じ曲げてこの1か2のどちらに接続するだけのものだ。

映画評論家の町山は「評論って串焼きみたいなもので、客観的ディテールや背景の事実などをできるだけ集めて、最後自分主観という串で貫く。集めた材料の量や質、それを外さずに貫けるかどうかで味(面白さ)、強さ(説得力喚起力)が決まる」って言った。

宇野批評は串ありきで、串に合わせて都合のいい材料を集めているだけだ。

考えれば考えるほどブロックされるようなことを言った覚えはない。

何がいいたいかというといちいち裏垢でツイート読むの面倒だからブロック解除してほしいのと、どうせくだらないんだろうけど「母性ディストピア」読むってこと。

あと教養のない若者は仕方ないと思うけど、あまり宇野批評とか真に受けないようにな。 

以上。

2017-06-23

そろそろ本気で秋元康

政治の不満をAKBガス抜きしてる説を真剣検討すべき。

まず総選挙の時期が意味不明

宇野常寛小林よしのりはちゃんと仕事しろ

2017-02-27

宇野常寛がいけ好かない理由がわかった

何かを悪く言いたい時に「僕は好きなんですけど」とか「あの作品何回も見てるんですけど」とか言うからだ。

2017-02-07

山本一郎(切り込み隊長)や宇野常寛善良な市民)がいつの間にやら平然と「知識人」として昼日中お茶の間に顔を出せるようになってるのって本当に日本的現象だなと思う

テレビを見てる民衆は誰もこいつらが何をしたのか知らない

テレビに出てるから何か偉い奴なんだろうと思ってる

2ちゃんねらー煽動してネットゴロとして有名になっただけですよと言われたら顔をしかめるだろう

しかし実際それしか功績がない連中がテレビに出る、有識者面をする

隠してもいない、隠せようもない、知ってる人は誰でも知ってる経歴は何故かなかったことにされる

有名になった経歴が曖昧にされたまま、とりあえずテレビに出てるから「有名で偉い人」ということで落ち着く

あまつさえネットゴロですよとこのように教えてすら、テレビに出てるんだからそれだけじゃないでしょうとか何とか言って多くの日本人事実より印象を固持し続ける

 

プロラジオDJとして長い経歴を持ちながら、いつの間にか整形してミドルネームがついて経営コンサルタントとして有名になっていたショーン川上を見ていた、事情をよく知るラジオ業界人の気分はどんなものだったであろう

ショーンKは最終的に化けの皮をはがされた

しかしこの事実は何も楽観的な未来を感じさせるものではない

ショーンKは化けの皮がはがれた

しかしそれは「ニセ外人」としてのことに過ぎない

外人さま」を僭称した罪では裁かれたものの、「いやいやそれでも良いことを言っていた」などと言う馬鹿信者は未だに途絶えない

ただただどっち付かずで100%無難なことを言い続けた「ザ・日本コメンテーター」にすぎなかったのに、あの声と格好で印象づけられた「この人は凄い人」という思い込みは、経歴詐称でもその「凄さ」の根拠が灰燼に帰してもも永遠に変わることはないのだ

 

愚かなりしやわが同胞

これではまるきり白痴ではないか

日本人に印象に左右されないまともな判断力というものがつく日は来るのだろうか

このままでは本当にこの国は、つまらない自滅をまた繰り返すだけの未来しかない

2016-07-19

もしも古市憲寿荻上チキ宇野常寛政治家になったら

どんな国になるのだろうか

若者代表の彼らのこれからに期待

2016-05-25

宇野常寛冨田真由刺傷事件警察批判したいと言ったらNHKに出演キャンセルされた 接触が悪いことにしろと依頼された」

僕は今回の事件は明確に警察捜査不手際があったと思う

かなりはっきりした形で嫌がらせの形跡がソーシャルメディア上に残っていたし

本人も真剣相談していたのに

警察盥回しに近い扱いをやっちゃっている

それでここまでの事態に発展してしまって

警察認識が甘かったんじゃないかって言う事を

フェアネス観点からコメントせざるをえなかったと思う

僕は放送を見てはいないんだけど

打ち合わせした段階では

接触系アイドル文化を背景にした事件というvtrになっていて

それに補足するような解説にしてほしいという依頼だった

その中にどうしても警察の話は入れて欲しくないという事で僕は出演キャンセルになりました

僕は非常に残念です

何故かというと識者のコメントというのは問題多角的に写す為のもの

事態を立体的に浮かび上がらせる為に識者のコメントは要るはずなのに

この程度のコメント内容で出演をキャンセルされるんだったら何の為の識者のコメント取材なのかなと思った

あとは本当に被害に会った元アイドルの方の回復を祈るばかりです

https://youtu.be/bzdHjDWWd_g?t=36m47s

http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/morningcoffee/1464125024/

2016-05-11

宇野常寛の友人が女がらみで次々と失脚している件

濱野智史ドルオタが嵩じてアイドルグループを立ち上げるものちに泥沼撤退

乙武洋匡相手の人数を把握できないレベル浮気常習犯

堀潤DV浮気離婚

2015-10-05

宇野常寛國分功一郎って顔似てると思った。

ちなみに私は宮野真守に似てます

2015-05-08

@hazuma 福島観光地化計画よりサブカル批評やってくれ

サブカル批評、体力が要るらしいんですよ。

アニメクールも見たり、ゲーム徹夜プレイしたり、ラノベ読んだり。

で、「35歳になって体力が持たなくなってきた」から福島~』に転向したらしいんです。

昔のあずまんに戻ってください。

体力ならつければ良いじゃないですか。

昔の清原みたいに肉体改造して、ムキムキの締まったボディになってください。

福島コミットしたがる人間なんてたくさんいるんですから、放っておけば良いのです。

でも、キレッキレのサブカル批評あずまんしかできません。

宇野常寛鈴木謙介のクソっぷりを見てください。

東-宮台世代の後継が育っていないんです。

頼みますよ、社長

2015-05-02

http://www.fujitv.co.jp/fujitv/news/pub_2015/i/150407-i060.html

もやっとする。

初回の「なぜいじめは無くならないのか?」の回を見る。

討論というのはであれば、

いじめ定義づけをしてほしい。

文部科学省が出されている定義フリップ1枚出せばすむものを出さない。

評論家社会学者ともにいるのに、定義をまったく触れない。

座談会楽屋の駄話であれば、わかるんだ。

討論と銘打つのであれば、討論の体を保ってほしい。

「私はこんなに不幸なの(だったの)よ」と話すのであれば、討論の必要があるのだろうか。

また、評論家宇野常寛学校教育の流れおよび現場を見ない印象論だけのイメージを話す場面も

あったが、評論家でかつ学校教育について触れるのならば、それなりの知見のもと話すのが筋ではないのか。

2014-08-10

アニメオタクアニメに何も貢献していない。むしろ害悪だ。

自分の中でのアニメオタク(特に萌えオタ)に対する嫌悪感が一体何なのかきちんと考えてみた。

すると恐るべき結論に達してしまった。これから書くことは正直私も断言して良いものかどうか躊躇している。しかし、アニメ文化の発展のためにも、心を鬼にして書かなければいけないことだ。

アニメオタクは何もアニメに貢献していない!

今までも、そしておそらくこれからもずっとそうだ。これは岡田斗司夫のような豚野郎の言う「オタクは死んだ」でも、東浩紀のような豚野郎の言う「読者の質が悪い」でも、宇野常寛のような豚野郎が言う「萌えオタはクズ」でもない。もっと根幹に関わる重大なことだ。そして恐ろしい事実だ。

まず、オタクオタク向けに作ったオタクアニメが大きな評価を得てきたことは今まで一度たりともない。

名作を作ったクリエイター側は言うまでもなく、『ガンダム』の富野由悠季は仕方なくアニメ現場に降りてきた人だし、『攻殻機動隊』の押井守は元々映画監督志望でジャン=リュック・ゴダール敬愛していてたまたまタツノコプロ求人が目に入ってアニメ業界入りした人だ。

「でも、今は世界的にアニメブームが起きているじゃないか」と萌えオタがブヒブヒ言ってきそうだが、それは幻想である。まず90年代後半に盛んに言われた「ジャパニメーションブーム」を取り上げると、これは岡田斗司夫オタク地位向上のためにでっち上げものだ。本人も後にそれを認めており、外から圧力に弱い日本オタク市民権を得るにはそれしかなかったと言っている。この岡田斗司夫苦肉の策電通村上隆が乗っかり、ジャパニメーションブームという虚構ができあがったのだ(元々別称だったジャパニメーションという言葉を良い意味として輸入したのが村上隆である)。

それは今まで世界的な評価を得てきた作品を見ていけばわかる。

まずは、宮崎駿アカデミー賞も受賞し、名実ともに日本代表するアニメーション監督といった地位を得ているが、その作風アニメ界ではむしろ異端であるスタジオジブリ的なもの宮崎駿的なアニメは本人にしか作れず、その作風を引き継ぐような後継者は未だ誰一人いない(宮崎駿の後進育成が下手という話ではない。宮崎駿に影響を受けた人間が外で宮崎駿的なアニメを作ったっておかしくないのに、そんな人は日本はいないのだ。海外ではどうか? そう、モンスターズインクを制作したピクサーが後継にふさわしいだろう。言うまでもなく彼らはアニメオタクではない)。

宮崎駿にはオタク的なるものを避けて避けてやっと今日地位を築いたという歴史がある。オタク的なものを避けて世界的評価を得た、これは非常に重要ポイントだ。

押井守もその一人だ。『うる星やつら』を制作し、オタク向け監督の一人で終わるかもしれなかった彼は『機動警察パトレイバー2 the movie』や『攻殻機動隊』においてオタク向けアニメ想像力を捨て去ることで作品の強度を確立した。『ビューティフル・ドリーマー』はどうなんだ、という声があるかもしれない。これには後に押井守がこう語っている。「劇場版第一作『オンリーユー』を作ったとき原作者やファンが喜ぶことを全部詰め込んだ。上映されると当然原作者やファンは満足したようだが、作品的には酷い代物だった」。この諦観によって『ビューティフルドリーマー』は作られた。オタクから距離を取ることで傑作に仕上がったのだ。

他にも大友克洋の『AKIRAだって一見すればわかるようにオタク的な想像力から離れたものであり、渡辺信一郎の『カウボーイビバップだってそうだ。

オタク監督だと言われるウォシャウスキータランティーノだってウォシャウスキーSFの人で決してオタク想像力に耽溺しているわけではないし、タランティーノ高校中退して一日中映画を見まくっていた怪物だ。

エヴァンゲリオン無視しているじゃないか、と言われるかもしれない。確かにエヴァオタクオタク向けに作ったオタクアニメであり、社会的現象を起こすほど大ヒットしている。だが、これ一本でもってオタク想像力の勝利にはなりえない。何故ならオタク外にも評価されたオタク監督庵野ただ一人、例外中の例外なのだ。その庵野ですら、オタク偏狭さに嫌気がなして反オタク改宗した。その事実オタクは裏切った、とこれまた偏狭さを見せて批判している。

このようにオタクオタク向けに作ったオタクアニメで傑作が生まれたことは、一件の例外を除いて存在しない。オタクが喜ぶ想像力や「萌え」なんてもの全然強度を持ち合わせていない(十年前にオタク想像力オタクに受けていたクリエイターの今の地位を思い浮かべて欲しい、それが十年後の山本寛新房昭之の姿だ)。

しろオタクの好みに少しでも外れると烈火のごとく怒り、作画監督が少しでも個性を出すと作画崩壊と騒ぐその類まれなる偏狭さは害悪だと言ってもいい。

オタクオタク的な想像力から外れるような、例えば『スーパーミルクチャン』や『TAMALA2010』のようなアートアプローチから生まれた傑作を評価できない。どちらも発売時にはタワーレコード平積みされ、オタク想像力は一瞬で敗れ去った。

それどころか『フリクリ』をオサレだとかラベリングして嘲笑するほど、子供のような舌でもってクレームをつけて回っているのだ(『フリクリ』はガイナックスが作ったオタクアニメじゃないかという屁理屈が聞こえてきそうだ。ガイナックスは今や庵野の反オタクキャンペーンによってオタク的な人間駆逐されており、鶴巻は反オタク急先鋒である)。

そして、それは明らかにアニメ進化を阻害している。その理由を書こう。

まず、オタクが大好きな絵柄、要するに萌え絵アニメーションに不向きなのである。あの頭と目が大きく、等身が低くて身体か華奢という構造は、見た目通り人間的に動かすというのは困難だ。だから、どのアニメにおいてもよく動くと言われるもの萌え絵から距離を取っている。萌え絵を選択すると自動的紙芝居的な動きが縛られたものしか作れなくなる。ディズニー萌え絵を選択せず、あのような絵柄なのは動かすことを念頭に考えているからだ。

しかし、アニメオタク萌え絵以外の絵柄のアニメを「絵が変」と言って嘲笑し、批判する。ここがアニメオタクの一番の問題点であり、私が害悪と言い切る理由だ。

例えば近年稀に見る傑作である鉄コン筋クリート』を例に出そう。この作品も「オサレ」「絵が変」といって批判されているが、この作品こそアニメーション快感、動くことの快感を思い出させてくれるものはない。画面の中を縦横無尽に動き回るキャラクター達が見るものの心を掴んで離さない。そして、それはアニメオタクが「変」といって批判するその絵柄が貢献している。もし、この作品萌え絵だったらここまで動くものになってはいない。現にそんな作品はない。

そして、アニメーション快感を蘇らせたのがオタク外のマイケル・アリアスだったことは非常に重要だ。アニメオタクアニメーションのことがわかっていない。だからスタジオジブリ的なものピクサーに取られ、アニメーション快感マイケル・アリアスに取られてしまうのだ。

もう一度言おう。オタク想像力は強度を持っていないし、オタクが好むアニメ絵アニメーションに向いていない。アニメーションに向いているオタク的じゃない絵を排除するその思考はアニメ進化を阻害している。

アニメオタクが本当に現実逃避ではなくアニメのことを愛しているのなら、今すぐアニメを見るのをやめて即刻退場することだ。それが一番の貢献だ。

2014-08-08

知識人読書量・知識量ランキング

SSクラス 江藤淳柄谷行人、廣松歩、栗本慎一郎谷沢永一村上泰亮中村元

クラス 小室直樹浅田彰福田和也渡部昇一、呉英智蓮實重彦永井陽之助中村雄二郎すが秀実佐伯啓思高澤秀次筒井康隆小谷野敦菅野覚明養老孟司 見田宗介佐藤誠三郎大森荘蔵西部邁

クラス 丸山眞男吉本隆明長谷川三千子丸山圭三郎橋本治村上陽一郎佐藤優松岡正剛伊藤貫、猪木武徳坂部恵坂本多加雄大澤真幸中川八洋永井均野矢茂樹小浜逸郎飯田隆河合隼雄片岡鉄哉鎌田東二梅棹忠夫竹内洋山本夏彦山口昌哉、入江隆則

クラス 猪瀬直樹坪内祐三中沢新一御厨貴橋爪大三郎鷲田清一北岡伸一池田清彦中西輝政立花隆山本七平宮台真司桶谷秀昭宮崎哲弥司馬遼太郎古田博司市川浩東谷暁苅谷剛彦秋山駿関岡英之加藤尚武浅羽通明松原隆一郎東浩紀

クラス 中島岳志鎌田哲哉兵頭二十八内田樹森本敏村上龍西尾幹二仲正昌樹大江健三郎齋藤孝森岡正博富岡幸一郎小泉義之井沢元彦、桝添要一、中西寛中島義道鄭大均山内昌之村田晃嗣山形浩生林道義松本健一

クラス 斎藤環福岡伸一副島隆彦榊原英資梅原猛寺島実郎佐藤健志大塚英志五木寛之笠井潔潮匡人高橋源一郎岸田秀山田昌弘竹中平蔵池田信夫萱野稔人大川隆寛、大森望櫻田淳上田紀行手嶋龍一和田秀樹藤原正彦、中野剛志

クラス 佐々木中村上春樹三橋貴明田原総一郎木村太郎池上彰竹田恒泰切通理作島田雅彦酒井信、夏野剛苫米地英人上野千鶴子姜尚中、鷲田小爾太、竹田青嗣小阪修平佐藤亜紀

クラス 糸井重里加藤典洋中上健次勢古浩爾北田暁大藤原和博小熊英二佐々木俊尚西條剛央玄田有史城繁幸茂木健一郎岩田温千葉雅也、岡田斗司夫

クラス 小林よしのり宇野常寛勝谷誠彦荻上チキ鈴木謙介勝間和代伊坂幸太郎濱野智史赤木智弘坂本龍一いとうせいこう上杉隆酒井順子

クラス みのもんた久米宏古舘伊知郎ハマコー太田光水道橋博士テリー伊藤、リリー・フランキー、コシミズ、香山リカ森永卓郎、ホリエモン、津田大介ひろゆき中村うさぎ雨宮処凛桜井誠

異論がある人は修正版をトラバでどうぞ

2014-04-04

ビッグブラザー亡き後の世界

宇野常寛『リトル・ピープルの時代幻冬舎2011の続きを野木の行き帰りに読み続ける。「リトル・ピープル」とは「ビッグブラザー」と対で使われ、その意味大きな物語に対する小さな物語とかなり近い。その意味ではビッグブラザーモダニズムの真理を体現し、リトル・ピープルはモダニズム解体後の小さな物語を紡ぐ個々人ということになる。

と聞けばお決まりポストモダニズム論かと思うがそうではない。著者は村上春樹を80%称賛しながら、この対概念村上の中でどのように扱われているか分析する。それによれば、村上はお決まりポストモダニズム論に読者を引きずり込むのではなく、ビッグブラザーが壊死した後にリトル・ピープルの紡ぐ小さな神話に引き込まれることこそが最も危険なことである警鐘を鳴らしていると解説する。

そしてその小さな神話の実例としてあがるのがオオムなのである。そして大きな物語から安易デタッチメントではなくコミットメントというメッセージを発するのだが、ではそのコミットメントとは何か?

これが最も難しい。小さな神話が厭世的なカルト物語であるのならコミットメントとは社会的公共的な何かへの取り組みということになるのかもしれない。そして恐らく現代はそう言う方向へ流れている。3.11はそれに拍車をかけていると言えるだろう。しかし、ここで、はたとショックドクトリンの議論を思い出す。社会的コミットメントであればそれは全てが正しいことなのかと言えばそれはそう簡単に肯定できることでもない。ここにも様々なリトル・ピープルが潜在し目に見えない邪悪ものが潜んでいると僕には思えるのである。リトル・ピープルの時代とはそうした小さな邪悪との闘いの社会であり、それ故にビッグブラザー時代よりはるかリテラシーが求められるのだと思う。

2013-12-23

知られざるサードブロガー歴史

私がサードブロガーという言葉を始めて目にしたのはこの記事を読んだときである

はてな村では「誰が言ったか」より「何を言ったか」とか言うけど嘘だよね。またはサードブロガーアワードでも、γブロガーアワードでも、+αブロガーアワードでも同時並行で勝手にやったらええねん

http://bulldra.hatenablog.com/entry/2013/10/19/072115


この記事について私はこのような感想を残している。

順位を気にしてるからこそ「順位なんか気にせず行こう!」って言ってるみたいで、なんか根本的な解決になってない気がする。宇野常寛っぽい。 2013/10/19

http://b.hatena.ne.jp/masudamaster/20131019#bookmark-165863730



私が池田仮名氏についてずっと持っている違和感はこれである

池田氏は最新のサードブロガー記事で

電車に新しい席を作ろう」という話を書いたつもりです

http://bulldra.hatenablog.com/entry/2013/12/21/121133



と言っているが、新しい席も何も、インターネットという場には無数に席がある。それこそ無限にだ。

勝手に座ればいいのに、アルファブロガーがうんぬんアワードがうんぬんと言い続けるその姿勢

http://bulldra.hatenablog.com/entry/2013/10/19/072115

宇野常寛匂いを感じ取ったのである

これではまるでスクールカースト論ではないか

カースト論そのものがそもそも馬鹿馬鹿しいし、ましてやブログにはそういった類の優劣は無いはずだ。

私のような疑問・違和感を他の人も表明している。

・サードとかフォースとか言ってる人たち


ゴメンやっぱりよくわからない。

この人ら、何が言いたいの?

「僕はアルファーになれない。アルファーになれない僕らは何者にもなれないのと同じ。でも何者にもなれないのはツライから自らが何者かである自称する。よかったら認めてくれ」って話なの?そうとしか聞こえないわけだが。

それが書き手個々人の自尊心とかやる気にとって意味があるのは何となく分かる。だが、読み手にとってそれ何の意味があるの?個々人が胸の内で持っていればいいことじゃないの?その概念を広めて最終的にどうしたいの?

なんで読み手は君等の自己満足に付き合わなきゃいけないの?

(略)

そのサードブロガーとやらは、アルファとは何が違うの?アルファと違って何が読み手にとって素晴らしいことなの?別にブロガープロアマの違いがあるわけでもないし、「アルファブロガー」の劣化版としか思えないわけで。 サードブロガーとして認められたら何か満たされるの?すでにサードブロガーとして認められた人たちは、何か心が満たされましたか? 何か生活変わりましたか

自分なりの目標立てて満足したいだけなら、そんな名前いらなくない?

そもそもなんでアルファにこだわる必要があるの?アルファとかにこだわってるの君等だけじゃないの?自分に自信はあるけどアルファは無理、だからカンド、サード、フォース、フィフス。そんな志半ばで折れてくたびれた人みたいな話に読み手が付き合う必要あるの? 

毎日のように「本物のブロガーとは」みたいなこと言ってる人は、本当はアルファになりたいんじゃないの?

自己欺瞞でもないし、すっぱいぶどうでもないなら、サードブロガー存在意義が読み手にも伝わるように語ってほしいの。

http://anond.hatelabo.jp/20131025010235




「僕らはアルファになれないブロガーです!」と自称する意味がわからないし、それを公表して一体どうしたいのか、とは

誰もが持つ疑問であるほとんどのブロガーアルファではない。しかブロガーはそんなこと気にしないし、ましてや

いちいちそのような自虐めいたことを記事にはしない。

「僕らは競争から降りたんですよ」と言っているわりにはアルファブロガーに対する意識がとても高く、これにも矛盾を感じた。


この時点で、私のサードブロガーに対する印象は最悪である自分立ち位置意識して書かれたブログなどに価値は感じないかである


こうした私たち感想に対する回答として

サードブロガー」が公式トピックになったけど次世代アルファへの成り上がり論みたいに誤解されている件について

http://bulldra.hatenablog.com/entry/2013/10/23/074502

このような記事が投稿されたが、私はこれがまったくわからないのである

何が言いたいのかわからないのである村上春樹がここで出てくる。


「○○かもしれないし、○○かもしれない」

完璧な○○など存在しない。完璧な○○が存在しないようにね」


一事が万事この調子で、とても難解な文章になっているし、私や他のはてなユーザーへの回答・反論にはなっていないと言って良い。

なっていないから「サードブロガー」の意味は二転三転したのである

それはこの池田批判にも繋がる

サードブロガー問題について理解したいと思っている読者に対して何かを説明しようという意図は全く感じられない。説明する前にさら自分課題意識を語って問題をさらにややこしくしている。読んでる人完全においてけぼりである

http://anond.hatelabo.jp/20131221150536




そうこうしていると、次はトマト祭り(?)なるものが開催され、よくわからないが、この事件には私よりも私以外のユーザーが不満を漏らしていた記憶がある。

たぶん、トマトをお題にブログを書いてブックマークし合う、といったような話であろう。

身内ブクマ問題である。この部分にはあまりコミットしていないので私にはわからない。



そうすると今度は、やけに声の大きいとても目立つブロガーたちが集団で現れた。体調わる子を筆頭としたはてな女子、大彗星ショッカーまつたけetc・・・

彼らははてなで大騒ぎをした。とんでもないタイトルととんでもない極論をまぶした記事をはてなに大量に投げ込んだ。

はてな移住前のファンを引き連れてやって来た(ホットエントリが確保されていた)。

お金をください、ファンになってください、と叫んだ。自殺宣言をした。馴れ合った。アイコンを女体に変えた。


私は彼らのことをさっぱり理解できず、嫌悪感を持ちながらも考察した。彼らがブログを書く動機や目的は何か。

そして彼らをどうカテゴライズすればいいのか。


そのとき、私やはてなユーザーは、池田氏提唱した「サードブロガー」という言葉を持っていた。

これを使わない手はなかった。


最近うるせーうぜーブロガーサードブロガーだ!」


池田氏提唱する「サードブロガー」に対する嫌悪感と、新参DQNブロガーに対する嫌悪感が合体した瞬間である

「まとめて呼んでしまえ」

ここで池田氏は「提唱者が違う」とおっしゃられるかもしれないが、私はこの記事を提示したい。

サードって言葉使うと俺はサードではないとか、まつたけは一緒にするなとか、原義がー事実誤認がーってうるさいんだよ、あいつら。

そんな細かいこと知らないし、ソース当たるために読み返さねーよ…

そこまでしたくなるほど魅力的な人物や文章がない。

http://anond.hatelabo.jp/20131223115244

かなり口は悪いが、それなりのことは言っていると思う。

まり我々は、友達でもない人のブログをいちいち過去に溯ってまで読まないということだ。

自分ブログ過去に溯ってまで読まれるということはとても光栄なことであり、それは自分に興味を持ってくれたということでとても嬉しい。

ただ、それはとても稀なことであり、だから私の過去あなた過去ほとんど参照されない(それは救いでもある。東浩紀レベルになってようやく参照されまくる)。

池田氏以外の最近ブロガーにも言えることだが、「私はこのときこう言ってるんですけど!」「過去記事見てください!」

というのは文章のコミュニケーションではたぶん有り得ないことだ。文脈の時制を統一するのが文章のやり取りであり、もちろん

日本インターネットに居るほとんどの人ができているのに、サードブロガーになると途端にこれがダメになる。

「私の過去ぐらい知ってるでしょ?(みなまで言わないわよ)」ときたもんだ。そんなもん知らないのである

そういう姿勢が、サードブロガーの文章の読みにくさの大きな要因となっている。


話は逸れたが、つまり私や他の多数のユーザーにとって、「サードブロガー」の提唱者・代表者は間違いなく池田氏だということだ。


さて以上が「私がサードブロガーという言葉を使うまで」の私的(主観)歴史である

サードブロガーという概念言葉が二転三転した経緯を私はこう捉えている。

他の人はどう考えているのか。最後に私の目に止まったものを紹介して今回の記事を終わる。


kanoseサードブロガー」が今までのブログとどう違うか明確に説明されず、他人が理解できない時点で、定義がどんどん出てきたのは当然だったんじゃないかな 2013/12/23

http://b.hatena.ne.jp/kanose/20131223#bookmark-174308326

そんな絶望した世界サードブロガーという言葉定義されました。

サードブロガー意味は全く共感できませんでした。

だって、そんな名前つけなくてもWebには、小さな世界日常をを映し出す人達なんていくらでもいた。

その小さいものを見逃さないように、見つけ出す人達によってネット歴史は歩んできたんだと。

http://anond.hatelabo.jp/20131123175129

サードブロガー提唱をした本人は

トマトブロガーになりませんかって茶化す記事があったときに一緒になって笑っていた。

別の人間も、フォースブロガーでもプラスアルファブロガーでもええやんと言い出した。

サードブロガーという言葉はどうでもいいって態度を見せた。

いっぽうで、はてなブログ馬鹿騒ぎに苦々しい思いをしている人たちは、

そいつらをまとめて表現する言葉を欲していた。

から、彼らが大して大事にせずにほったらかしにしてた言葉を使うことにした。

この動きがあった時も、大して反論のようなものは見られなかった。

この時点で、もはやサードブロガー提唱のものではなくなってしまった。

乗っ取りが完了してしまっている。

(略)

起源などどうでもいいとはいわない。言葉提唱したこと自体意味が全くないとは言わない。

だが、サードブロガーという言葉をどのように使うか決められるほど

提唱者らはこの言葉コミットしなかった。

トマトバイトテロ洗濯機に入って浮かれているときに笑って見ていた。

しろ積極的にその言葉あいまいにして、ぼろぼろにするのに関与した。

http://anond.hatelabo.jp/20131222145816

ところが、「サードブロガー」周辺のやりとりをみるに、このあたりがよくわからない。PVや影響力だけがすべてではない、と主張しているようにみえるけれど、実際、サードブロガーに該当しそうなブロガーPVや影響力を軽視しているようには見えなかった。既存はてなダイアリーはてなグループブログ群のほうが、よほどPVや影響力を意識せず動いているようにみえたからだ。そして、彼らはお隣さん同士で「拍手」をつけあい、「あしあと」を気にしあうようなプライベートブログ文化圏のソレに近いようにもみえた。本人達の思惑はさておき、日本ブロゴスフィア全域を前提として考えた時、第三の極と言えるようなポリシー鋭利さは見出しえなかった。

http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20131227/p1



http://anond.hatelabo.jp/20131222231100

http://anond.hatelabo.jp/20131209142219

http://anond.hatelabo.jp/20131224125320

http://anond.hatelabo.jp/20131228163827


俺はブログと言う世界で生きている、この世界で偉いのは金持ってる奴でも喧嘩強い奴でもない、土日祝日ブログ書く奴。サードブロガーです!

http://azanaerunawano5to4.hatenablog.com/entry/2013/12/24/170036


めんどくさいがざっくり説明しとくと、

元々、Tumblr界の魔神otsu●e氏が道路暴走し、それを「情報戦略は始まっとるんや」とウチで茶化したらクマのお医者さんが鉄製の屑籠を振りかぶって

「悪いことは悪いって言わんかい...オマエネタにして調子乗っとったらぶち○すど、このクソ猿ブログが!!」

と怒鳴られ説教されて「やべー!殺される―!!怖ぇぇぇっ!! (((( ;゚Д゚)))」と冷や汗かいてるところを取り囲んでブコメで騒ぐはてな村お馴染みの盛り上がりの一連をyarukimedesu氏が

さらば、「はてな」よ。 - 団劇スデメキルヤ伝外超

ブログ記事を沢山書いて、アルファーブロガーになりたいな、なんて思ったこともあったけど。今でも思うけど、こらあかんわ。人生はあきらめが肝心だ。“

さらば、「はてな」よ。

と書いた。

それを見たinujin氏が「アルファなんて目指さないでいいんじゃね?」と言い出したところが最初

局所的なコップの中の嵐

から元々の発祥も「ボクたちサードブロガーもっとブログ界を盛り上げて...」なんて意味でも無かったんだが、ちょうどその頃新進気鋭でロジック・思考甘々で釣りまがいの記事を挙げまくって軽く炎上するようなブログが(昨日今日も何やら燃えてたらしいが)幾つも出て来たもんだから「新進気鋭のブログサードブロガー」と結びついて、その瞬間本来的な「サードブロガー」と言う言葉概念は死んだ。

(略)

サードブロガーとは、誰も旗を振らず責任を持たず、思惑から逸れてすぐに蔑称と化した概念

サードブロガーを語る時、誰しものサードブロガーはそれぞれに違う。

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