2017-10-01

宇野常寛母性ディストピア刊行記念呪詛

宇野常寛の「母性ディストピア」が刊行されることを記念して、私が宇野ブロックされた時のことについて書こうと思う。

まず最初に言うと、私は宇野尊敬している。

だってそうじゃないか

立命館で「サークルクラッシャー研究」なんてしょうもないことして卒業サラリーマンやりながらミニコミ編集から身を立てて今や地上波キー局コメンテーターにまでなったんだからNHKじゃ時の人として特集まで組まれたよ。誰彼かまわず喧嘩を売って、使えそうなオヤジには取り入って転がすホステススタイルは誰にも真似できるもんじゃない。

で、ブロックされた時の話だけど、メンション飛ばしたり、引用RTしたりしたわけじゃない。

おそらく彼のシンゴジラ批評についてくさしたツイート宇野エゴサーチして見つけたんだと思う。

ツイートの内容は「宇野はいつまで大澤真幸や宮台慎司の残飯整理してるんだ」みたいなもの

ブロックされた時、まず「小せえな」って思った。

普段テレビコメンテータとしての発言炎上すると「耳障りの悪いことには耳をふさぐ愚民どもめ」みたいなこと言ってるくせに批判されるとこれかよと。尊敬してたのに見損なった。

次に「宇野はいつまで大澤真幸や宮台慎司の残飯整理してるんだ」って私の批判妥当かどうかって自己反省をしてみた。

宇野批評の要旨はだいたい以下の2点に集約される。

戦後日本をささえた「大きな物語」は失効したから、これから中間共同体に依って自立して生きていくことが大切だ。

村上春樹ファンとか高橋留美子ファンとか、母性依存した惰弱オタク死ね

前者については大澤真幸や宮台慎司90年代前半から言ってきたことで、これをいまだに繰り返しているのは芸がない。後者についてはそもそも誤読だが、百歩譲ってもほっとけよっていう程度でイキるような話でもない。そもそもこうしたマチズモ的な言説そのものが「大きな物語」への郷愁であり、まさに自家撞着に陥っている・・・とか書けば宇野批評いっちょ上がり。安っぽい。

宇野サブカル批評対象を都合よく解釈編集、捻じ曲げてこの1か2のどちらに接続するだけのものだ。

映画評論家の町山は「評論って串焼きみたいなもので、客観的ディテールや背景の事実などをできるだけ集めて、最後自分主観という串で貫く。集めた材料の量や質、それを外さずに貫けるかどうかで味(面白さ)、強さ(説得力喚起力)が決まる」って言った。

宇野批評は串ありきで、串に合わせて都合のいい材料を集めているだけだ。

考えれば考えるほどブロックされるようなことを言った覚えはない。

何がいいたいかというといちいち裏垢でツイート読むの面倒だからブロック解除してほしいのと、どうせくだらないんだろうけど「母性ディストピア」読むってこと。

あと教養のない若者は仕方ないと思うけど、あまり宇野批評とか真に受けないようにな。 

以上。

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