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はてなキーワード: 一命とは

2018-03-24

社会復帰できない

パワハラ自殺未遂までして一命はあったんだが、ずっと引きこもってる

再就職活動が怖くて外に出れない

いったらまたいじめられてどんなに努力しても差別されて

と考えると腹痛吐き気パニック障害

はー、戦争でも起きて日本つぶれないかなあ

おれ喜んで死ねるとか思考ループ

パニック障害ヤバい

詰んだ

2017-12-31

浦島太郎ヒップホップ

むかしむかし ところ 何処(どこ)か不確かなの

かなり やさしい 男 その名 浦島太郎

子どもらが あるとき 亀の いじめに 夢中

から悪ノリ やめろ!」一命 救う He's cool

君 いなければ ざれごとで 野垂死に

義理 ぱねぇな 招こうぜ お返しに

取ろか 有休 豪華 宮中

そこは 竜宮 どこだ? 九州

魚が 宴会 華やか 全開

当日 招待 そういう 状態

濃密っしょ?パーリィ Go! It's Show Time!!

絵にも描けない 美しさだ 乙姫

清楚な女神 夢中になった Oh yeah!!

刻む三年 時は矢の如し

帰宅?残念 」「もういいわタコ踊り

持って行って玉手箱 ただし 開けたらダメ

寄って姫様 笑顔 がない なぜなら 別れ

重箱を持って ふるさと戻って

感ずる 変だ 見当たらない 友達

勘ぐる 変化 Here まやかし? この町

やがては知るけれども

流れた幾星霜

さみしさ 限界 えぐい 犯そう禁忌 次年度

大した 弁解 けむり おや 老人に? THE END

https://anond.hatelabo.jp/20171230152646

2017-08-19

なぜ自分が生まれてくる世の中の方がよくなると無条件に信じられるのか

重度心臓患者で、幼児期の手術で一命をとりとめた。

せっかく助かった命だが、俺が生まれた時に親はまだ30代前半で、もう一人産もうと思えば産める年齢だったが、俺が病気で生まれたことで、俺は一人っ子になった。

そして、俺には大した才能もないようだ。俺の病気遺伝しない。

計算してみよう。俺が生まれてきた事で、社会は重度心臓患者を一人ゲットした。

しかし、俺が幼児期に死んでいれば、親はもう一人子供を作って、その子は99%以上の確率で健常者であっただろうから社会は健常者を0.99人ゲットできたはずだ。

どう考えても、これは、俺が生まれてこない方が社会プラスになったのではなかろうか。

なぜ、世の中の人は、自分が生まれてくる世の中の方が無条件に良くなると信じられるのか。そうやって無条件に信じるのは、傲慢ではないのか。あなた物心付く前に死んでいた方が、社会は少し良くなったかもしれないのに、なぜ、エビデンス理由付けもなく、自分は生きていて当然みたいな顔をしているのか。それが腹が立つ。

自分が死んでいた方が少しは良い社会になったはずだと確実に信じられる私みたいな事情があれば、生まれた罪を自覚するのではないか。生まれてこない方がよかったのに生まれてきてしまった罪を持っている人は、私だけではないはずなのに、なぜ、正しい罪悪感を持って生きているのが私だけなのか。それが納得がいかない。

健常者の中にも、生まれてこない方が社会が良くなった可能性があるのにもかかわらず、生まれてきてしまった罪人がいるはずだ。なぜ、罪人としての自覚を持って生きる人がこれほど少ないのか。なぜ、自分が罪人である理解している人がこれほど少ないのか。なぜ、社会は私だけを罪人扱いして、健常者を罪人扱いしないのか。健常者の中にも、罪人がいるはずなのに。

私は生まれながらの罪人であることに自覚的に生きてきたし、そのための償いも社会に十分して、働いて還元してきたはずだ。私は生まれた罪を償った。もっと、生まれながらの罪人を探し出して、引っ張り出して、働かせて罪を償わせる仕組みを社会実装していかなければならない。

まれながらの罪人を探し出して、引っ張り出して働かせて社会に貢献させることこそ、正義だ。私が苦しむのは正義。これを読む、生まれながらの罪を持たない無垢な人が私を苦しめるのも正義無垢なのに私を苦しめないのは不正義だし、生まれながらの罪人なのに罪を償わないのも不正義だ。私を苦しめない大多数の人間不正義だ。

2017-07-12

先週の出来事

自動車通勤の身

職場と自宅の間に駅がある

午前零時過ぎの仕事帰り、いつものように駅前交差点信号待ちしてたら、横断歩道も渡ろうとせず挙動不審女性が目にとまる

よく見ると、女性高校時代に割と仲が良かった同級生だった

運転から「おい、○○じゃないか、どうしたんだ」と声を掛けると、なんと彼女は俺に気付くなりその場で立ちすくんだまま泣き始めてしまった

何か異常な事が起きている事を察した俺はすぐ近くの路地に車を停めて彼女に駆け寄り、何があったのかと尋ねた

彼女曰く、ほんの少し前に父親危篤状態に陥ったと親族から連絡があり、慌てて実家に行こうと駅に向かうも終電ギリギリ間に合わず、また近くにタクシーも見当たらずパニックに陥っていた所で俺が声を掛けてきて、どうすればいいかからず泣いてしまったのだという

彼女の切羽詰まった状況を見かねた俺は彼女を車に押し込み、そのまま高速道路に入って彼女父親搬送された病院へと直行した

幸いなことに父親一命を取り留め、退院に若干の時間はかかるもの日常生活問題なく送れる程度には回復する症状で済んだらしい

はいえ一時はかなり危ない状態だったらしく、病院には近隣に住む父親親族が何人も集まっていた

状況を聞いた彼女は緊張が解けた事もあってか、親族らと俺の前で再び泣き出してしまった

そしてここで大問題が起きた

きじゃくりながら彼女がとんでもない事を口にした

「あたし、○○(俺)くんと結婚する…」

その後俺がどういう状況に陥ったのかは想像に任せる

2017-07-06

人知れず

こどもの通うスイミングスクールで、事故があった。

いつ、どの時間帯のレッスンで、どんな状況で溺れ、どうやって発見されたか、今後の対策、などを簡単に記したA4の紙が一枚、人知れずひっそり掲示されていた。

事故から10日後の日付のそれは、事故から2ヶ月経った今日、ようやく私の目に止まった。

近所でも同じスイミングスクールに通う子たちは多いが、どこの親御さんもこの事故を知らなかった。

そのくらい、ひっそりと掲示されていた。

スクールから私たちに知らされたのは、これだけだ。

個別プリント配布されるでも、説明会があるでもなく、未だ事故を知らない保護者も多い状態で、スクールは通常営業している。

溺れた子は心肺停止し、ICUで数日過ごし、どうにか一命を取り留め、ようやく最近学校へも行きはじめた。

そのときのレッスン担当だったコーチは、人知れず退職

人の命が消えかかったのに、現場コーチを解任して、ペライチ掲示して、おしまいなのか。

どこぞの企業情報漏洩問題よりよっぽど重い事故だと思うのだけど、スクールはそうは思ってないのだろうか。

2016-12-19

ハンサムフェスティバル2016のうち、2日間、4公演を終えて。

私はとあるハンサムさんのファンを長年続けているんだけど、2009年初めてZeppハンサムを見に行って、賢人くんと春馬くんの歌声に魅了された。

『歌が上手い』なんて単純な話ではなく、二人の歌声が重なった時のハーモニーに衝撃を受けるほど感動してしまったの。

歌声の相性が良ければ、1たす1が100になるような奇跡音色に生まれ変わるのだと、生まれて初めて知った瞬間だった。

思えば後期ハンサムLIVEは、ファンイベントよりもショー作品表現する方が近く、

推し個人とのコミュニケーション濃度より、全員のLIVEパフォーマンスを楽しむ祭典度の方が強かった。

(これは誰を推しているかによって変わってくるのかもしれないけど。

私がファンをしているハンサムさんは、ファンが望むことの読み取りと 本人が望むこととのバランス取りが篦棒に上手く、

彼はあらゆる場面で私たちとの時間の積み重ねを感じさせてくれるから、この関係性でいる信頼感と安心感ハンパない

私たちそれぞれとの歩みを大切にしてくれる彼にはいつも心から感謝している。

そんな日々の濃度は、ハンサムで生ファンサをもらう濃度に決して劣っていないと、私は感じてる。)

から私にとっては、ハンサムLIVEは推しだけを愛でる場ではなく、チーム・ハンサム応援し全員が仲間になるお祭りだった。

そして、歌手ではない二人のハーモニー聴くことができる、唯一無二の機会だった。

あの感動のひとときはもう失ってしまったのだと、今回のハンサムでようやく痛感し、

その喪失感の大きさに動揺して、現在増田を書くに至っている。

賢人くん春馬くんそれぞれのファンの方からすれば「痛感するの遅くない?」「なんでこのタイミング?」ってなる話だと思う。

二人が一緒に出演したのは伝説2012年公演が最後で、もう4年も経っているから。

でも、ハンサム物語的には、

ファン感謝祭ジャンルのショー作品として究極であり完成してしまった伝説2012年

最高の先にある新しい世界を求めて挑戦をしたBrand New Worldの2013年

常に『進化』してきたハンサムLIVEだったのに、先に進むことではなく『締め括り』のショー構成だった2014年

(なお、この2014年初日が終わった後に盛大に絶望していた。

Never Let Go!って、EVER LASTING SHOWや言うたやん!って思っていたけど、後から読みとってみれば最終回常套句ばかりだった。

でも終わって欲しくないかストレート言葉意味意外ぜんぜん考えなかった。だって第二章が始まった次の話が最終回だなんて信じられないでしょ…?

演目構成として『終わり』を突きつけられるのは、参加者としてめちゃくちゃキツかった。楽しかったけど絶望を受け止めきれなかった気がする。)

と、2014年までが一つの文脈になっていたから、何というかワンチャン…みたいな希望がずっと私の中にあったのです。

2014年は賢ちゃん居たけどwhite serenade担当しなかったことの意味とか…

デュエット相方はるるお気に入りの裕太がバッチリやってくれたこととか…)

それが一年寝かせて、名前ハンサムフェスティバルになった今年2016年

とてつもなく素晴らしい引き継ぎ構成だった今回。

2014年絶望した先輩ハンサムさんファンの私としては、このFestival Nightは毎年恒例なんて当たり前の存在ではなく、『ミラクルなのだストレートに突き付けられて漸く受け止められたし、

新入生ハンサムくんたちに『これまでの道のり』とか『後ろは振り向かないで』とか言われちゃ、世代交代という形の一つの終わりを実感せずにはいられなかった。

そして『THE GAME初出の曲をファンが歌うダブルアンコール』という奇跡は、最高の『私たち時代の終わり』だった。

成仏するしかなかった。

そして歌われてしまったwhite serenade。

2014年は総集編だったから、そこにエントリーされたことはきっと喜ぶべきだし、賢人くんが春馬くん以外とwhite serenade歌ってしまわなかったことに救われていたけど、

引き継ぎ式の2016年にあえて歌う必要性最初感じなかったし、2014年に続き桜田さんが担当していてオリジナルメンバーよりも多い回数を公式披露した現実ぶっちゃけ初日は死んでた。構成担当を怨んだ。

(ちなみに2013年ギャグ扱いだし悲恋ぼっち曲だから賢ちゃんソロでもノーカンセーフ。他の曲も同じ状況だったしね。確か壮ちゃんが紹介していた、舞踏派チームのbutterflyが流れた瞬間「ヤメテー!」って悲鳴を上げたファンの方の気持ち、今なら超わかるよ。笑)

初日挨拶桜田さんが賢人くんの話をしてくれたから、一命は取り留めれたけども…white serenadeから先は他の曲もオリジナル版で賢人くんと春馬くんのデュオだったパートになる度に、喪失感がすごくて。

(実際のところ、二人の持ち歌のwhite serenadeでは声を重ねるパートが少ないから、ハーモニーファンだった私としては全体曲のCメロとかの方がより一層思い入れ深かったりはする。)

私の中のハンサム公演にとって、賢人くんと春馬くんのハーモニーはこんなにも自覚していた以上に大きな存在だったんだなぁと、喪失感の大きさから気付いた。

先述の通り、先輩ハンサムさんファンとしての私は、2016年の引き継ぎ公演っぷりに成仏できた。

それはハンサムフェスティバル全体を通してのことで、祭儀の結果。

(もちろん私もこのお祭りが大好きだし大切だから、彼を含む先輩チームにはぜひまたお祭りを開いてもらいたいけどね!宇宙だって付いてくよ!全通皆勤記録まだまだ伸ばすよ!)

(彼のファンも一生続けさせてね。これから私たちのことどうぞよろしくね。)

でもじゃあ賢人くんと春馬くんのハーモニーが大好きだった私は…となった時に、

私を抉ったwhite serenadeが、逆に葬送曲になった。

リリース当初は、どうして悲しい恋の歌を作ったのか疑問だった。

ハンサムミュージックは、いつもチーム・ハンサム私たちの『今』を赤裸々に的確に表現していて、一般的アーティストさんやアイドルさん等の楽曲とはメッセージ性の方向が全然違ったから。

でもねぇ喪失感あふれる今、white serenadeの悲しみのシンクロまじやばいよ…

ハンサムに会いに行っても二人はもう居ないし!

それでもステージは綺麗な景色だし!

最後ハーモニーの感動はまだ残ってるのに!!!

さよならなんて絶対言えないし!

二人の歌声が聞こえて来るはずのない3時間をかみしめてるし!

好きの終わりをうまく飾れないし!

私の推しハンサムさんがパート担当しても二人のハーモニーの想い出は消えないし!

ふたりが出逢った奇跡をもう一度願うよ…

終わらず続いたハンサムの会場で…

そして『もう少し待ってみよう 悲しいまま あの日のまま』と締められてしまうから成仏できない。

悲しみ放置だし、あの日から進めないし。

葬送曲として『悲しい終わり』を突きつけられたけども、鎮魂して成仏なんてできないよ。

ずっとずっと待ってるから

賢人くんと春馬くんのハーモニーがまた聴けることを。

残る12/29国際フォーラム公演、

悲しい恋の歌にギャン泣きして二人の歌声を探し彷徨ファントムになりつつ、

出演してくれた愛しいハンサムさんたちと素晴らしいハンサムスタッフさんに心から感謝して、

引き続きブチ上がっていくぜ!!

2016-11-15

川上会長への宮崎監督の態度はポリコレ的に正しい

これってすっごく今流行りのPC関連な話だけど、2chはもとよりはてブでも宮崎氏の発言を白々しいものとして捉えている人が結構な数でいるので、自分なりに補足してみたい。

そもそも身体障碍者と聞いてどういったイメージがされるか。

パラリンピックなんかで活躍するような、四肢が欠損した人物だろうか?

あるいは、24時間テレビなんかで見かける知的障碍の子供だろうか?

ひと口に障碍者と言っても、その病状、症状は様々だ。

例えば、脳に障害を負ったとする。後天的もので多いのは、やはり脳梗塞。いわゆる脳の血管が詰まることで起こるそれは、急性期においては命に係わる危険ものだ。また、一命をとりとめたとしても、後遺症として深刻な障害を負うことは避けがたい。左の脳に梗塞ができた場合、右側の身体後遺症が出る。四肢麻痺やあるいは半身麻痺言語障害となる場合も多い。

麻痺とは自分意志で体が動かせない状態のことだ。それとは逆のパターンで、不随運動と呼ばれるものもある。自分意志とは関係なく、体が動きコントロールできない状態のことだ。パーキンソン病の主な症状のひとつ安静時振戦などがそう。震えのような症状から手足をくねらすような動きまである

こういったことを念頭に置いて、川上氏の提出したCGを観たとしよう。その動きはどんぴしゃであの障碍者の動きだ! というものではないが、四肢の奇抜な活用の仕方は、身体コントロールがきかないそうういった方々を容易くイメージできるものだと言える。

おそらく宮崎氏もそういった連想により障碍者の友人に思い当たったのだろう。故に川上氏の「気持ち悪い動き」を面白がる態度を強く批判した。

要は、かなり平たく状況を述べるなら、駅で見かけた変な動きの人(あえてこう書かせていただく)を見て面白がる無邪気な小学生を怖そうなおっさんがゴラァ! とした、とでも言おうか。

それは感情的にも政治的にも正しい判断じゃなかろうか。







……表題としてはこれで以上ではあるが、ポリティカル・コレクトネスを考えるうえで、個人的に気になることを書く。

今回の件は確かに川上氏の態度に嫌悪感を抱いたし、宮崎氏はそこを鋭く突いたなと感じている。

が、同時に川上氏に対して「他人の痛みが理解できていない」といった批判はできんなーとは感じている。

といのも今回は、自分たまたまそういった障害を持った方を知っていたからにすぎないからだ。

こういった配慮想像力だけで補うのは不可能だろうとは感じている。要は知識問題で、それ故に川上氏を無邪気な小学生と例えたわけだ。

これが企業ならそういった豊富知識を買うことができるんだろうけど、個人レベルにおいては難しいよなあと、2chはてブの反応を見て思った次第。

結局のところ、「知らないもの配慮しようがない」といった話になってしまうが、そう考えたときアイスバケツチャレンジのようなムーブメント重要なのかもなと思うが……(どんどんと取り留めなくなってきそうなので終わる)

2016-11-07

父を気持ち悪いと思った過去

先日話題になっていた増田

「娘が気持ち悪い」http://anond.hatelabo.jp/20161102211759

を読んで、昔の自分を見ているようでとても懐かしい気持ちになった。ちなみに私は娘さんの立場です。


私の父は私にとても愛情深く接してくれました。小学校の時、クラスメイト男の子ケンカをしてケガをした時、家に帰って来て母親から話を聞くなり、「うぉぉおお!!俺の娘に、何てことしてくれるんだぁぁああ!!」と突如絶叫して家を飛び出し、暫くして「相手の子の家に怒鳴り込もうと思ったけど、よく考えたら家の場所を知らない」としょぼくれて帰って来るような、私のこととなると見境のなくなってしまう、ちょっとお馬鹿な人でした。私はそんな父が大好きでした。


小学校中学校くらいはそんな父ととても仲良くしていたのですが、私が高校に上がったころ、ある時を境に何故だか父に対し、「気持ち悪い」という感情を抱くようになりました。父は同世代男性比較すると、適度にオシャレにも気を使うし、ハゲでもないし、デブでもないし、清潔感のある男性だったのですが、何故だか父親匂いが嫌だ、と感じるようになりました。次いで休日ちょっと伸びる無精髭が気持ち悪い、洗面所に置いてある髭剃り、歯ブラシ気持ち悪いと次々に父の所有物、如いては父自体嫌悪感を感じるようになりました。


ある日、部活が終わって家に帰ると父が先に帰宅していて、玄関に靴が置いてありました。私は瞬時に「あぁ、この靴と私の靴を近くに置きたくない」と感じ、父の靴を玄関の外に出しました。何の気もなしに、パパッとやってしまったんです。翌朝、父が出勤する際、「あれ?靴がないよ」と言い、母を呼びました。「ないよー?なんで?なんで?」と靴を探す父と母を、私は見て見ぬフリをし、リビングテレビを見ながら朝食を食べていました。暫くして、父を見送った母が戻ってきて、「あなた、お父さんの靴外に出した?」と私に聞きました。私は「臭かったから。外に出しておいた方がいいと思って。忘れてた」と答えました。母は「そうだったの」と、答えただけでしたが、母はあの時点で私の変化に気が付いていたのだと思います


その数日後、私は母に「洗濯するときは父の物と分けて欲しい」とお願いしました。母は私に、前述の増田についたブコメのようなことを一つ一つ教えてくれました。人間動物であり、父に嫌悪感を感じることは正常な働きであること、自分も昔同じ経験をしたから、私の気持ちも十分にわかるということ。最後に「でもお父さんはあなたが大好きだから。それを言うと絶対に傷つくから。なにかこうしたい、ということがあれば、母さんに言ってね」と言ってくれました。その後少しすると父専用の洗濯籠が登場しました。私と母の服はほぼ毎日、もしくは二日に一回洗濯機を回してましたが、父は洗濯籠に1週間分の洗濯物を溜め、週末に自分で洗って干していました。父は特に私に何も言わず淡々としていました。その時の私はそれを見て(いや、実際臭いし、気持ち悪いし、当然でしょ)という思いしかなかったのですが、その後、父の思いを、辛さを痛感させられることになります


ある夜、父がシュークリームを買ってきました。私の大好物です。「よかったら食べて」と言いながら、シュークリーム冷蔵庫に入れる父を私は無視しました。シュークリームは何日も冷蔵庫に入っていました。賞味期限がどんどん近づきますが、私は父の買ったものが食べたくないので放置していました。ある日の夜、キッチン飲み物を取りに行くと、父がリビングシュークリームを食べてました。チラッと一瞥をした私に、「ゴメン。賞味期限切れたから」と父は言いました。私は少し胸が痛くなりました。けれど、そこでも父を無視してしまいました。


父はどちらかと言うとインドア派で、休日は家で読書をしたり、レザークラフトをちょこちょこ作ったりする人でした。けれど私は父と同じ空間にいたくなくて、休日に父が家にいれば私は外出、父がいなければ私が家にいる、というような状態になりました。しかしあるタイミングから休日に父が家にいることがなくなりました。


そんな生活が続き、高校3年に上がる頃、父が事故に巻き込まれました。

土曜日のお昼に家の近くの交差点で、わき見運転をした車に突っ込まれ、頭を打って病院に運ばれました。家に電話が来て、母と大慌てで病院に向かいました。父はICUで呼吸器を付けて寝ていました。お医者さんが頭を強く打っていて、危険状態であり、意識が戻っても障害が残るかもと言いました。号泣する母を見て、私は「こんなドラマみたいな展開が自分家族に起こるなんて」と急な展開に放心しながらも、どうして父にあんなに冷たく当たってしまったんだろう」と激しい後悔に見舞われました。父は何とか一命をとりとめ、搬送から三日後に意識を取り戻しました。けれど障害として、右手の親指から人差し指にかけて痺れが残ってしまいました。一方でこの程度の障害で済んで本当に良かったと、車がガードレールにぶつかってから父に突っ込んだため威力が落ちていたが、場合によっては即死でしたとお医者さんが後から教えてくれました。


父が入院している最中、私は母に「お父さんはどうして事故に巻き込まれたの?」と聞きました。母は「自分で聞きなさい」と、それしか言ってくれませんでした。ある日、私だけで父を見舞いに行ったとき、父に前述のことを聞きました。父は「俺が家にいるとお前が休日家で休めないだろう。だから、外でブラブラしてたんだ」と言い、「俺インドア派だから外での過ごし方がイマイチからなくて、でも最近は水切りにハマってさ、昔よくやったんだけど、河原でこう…石を探すんだよ。できるだけ平べったいヤツを。それをな…」と説明しながら動かす右手が痙攣していて、それを見た私は堰を切ったように号泣してしまいました。相変わらず馬鹿な父にではなく、自分事故の原因だったと知って、それでも私を責めない父に申し訳がなさ過ぎて、私は子供のように、過呼吸寸前になりながら病室で泣きました。「ごめんなさい!ごめんなさい!」と繰り返す私に、父は「母さんから全部聞いていた。暖かく見守ってやってくれと言われた。父さんはお前が大好きだから、お前が頑張ってるなら、父さんも我慢しようと思って」と言いました。その瞬間、私は今まで何を父にしてきたんだろう、父がどんな思いで過ごしていたんだろうと自分が恥ずかしく、情けなくなりました。これが、私の父に対する嫌悪感の終わりです。


あれから10年程経ち、今では周りが不思議がる程、父親とは仲が良いです。父は私に「お前が責任を感じることは一切ない、むしろ不安にしてしまって申し訳なかった」と言っていますが、やはり当時のことには負い目を感じています。「娘が気持ち悪い」の増田さんも、別エントリで娘さんの行動に理解を示すことができた、と発言されていました。世の全ての娘が父親に対し、嫌悪感を抱くとは限りませんが、ブコメにもあった通り、やはり動物である限りは本能の上でしょうがないことだと思います。一方で、やはり人生の先輩である両親が、こういったことに理解を示し、適切な対応を行うことで乗り越えることができる、しかも乗り越えることで更に親子の愛情が深まる大切な時期(イベント)だとも思います。当該エントリを読んで、自身過去を思い出し、勝手に書いてみた次第です。自身過去正当化するつもりは更々ないですし、我が家対応が正しいかったともいえないですが、これが少しでも世のお父さん、娘さんのご参考になればと思います

追記(11/8)

一晩明けてみたら、とても多くのブコメが付いていて、初めてのことに驚いています。厳しいご意見ありがとうございます


私が父にしたことを本能から(議論はあるようですが)と正当化するような書き方をしてしまい、反省しています。私が父にしたことは最低なことで、それはゆるぎない事実です。私が書きたかったのは、そんな馬鹿娘を両親が両親なりにサポートしてくれた、そのことへの感謝でした。今こうして上のようなエントリを書けるのは、両親が「あの時はね」と私に話してくれたおかげでもあります


冗長になってしまうかと思い割愛したのですが、例えば父が自分洗濯をしたことに関しては、両親の話合いの結果だったと聞きました。母は洗濯物を分けるのなら、私の分だけを分けて、自分洗濯をさせると発言したそうですが、父が「自分理不尽発言のせいで、父親自分洗濯を行う姿を見て、何か感じてくれれば」と諭し、結果的にそうなったようです。


私自身、あんなに好きだった父を、何をされた訳でもないのに嫌悪感を抱くようになった時は戸惑いだらけでした。母は父を大好きでしたので、母に影響を受けた訳ではないですし、周囲の友人の中でも、父親と仲の良い子はたくさんいました。けれど、何故か父を気持ち悪いと感じてしまった。ちょうどあの頃「異性」というもの意識し始めて、一番身近にいた異性が父親で、どう接してよいかからなくなっていたのかも知れません。今となって後付けで理由を付けることはいくらでもできますが。


父は「親の立場を利用して、なりふり構わず娘にいう事を聞かす真似はしたくない。一つ一つ自分で気が付いてくれれば良いと思った」と母に言っていたそうです。私はこんなにも勝手なことをしていたのに、両親が一生懸命に考えて私を導いてくれた、そのことに感謝してもしきれません。


「父が事故に遭わなければ最後まで気が付かなかったのでは?」というご意見も尤もです。両親は「いや、いずれは気が付いてくれてたよ。少しづつ変わってたよ」と言っていましたが、我が家のケースは結果論しかありません。


今私は結婚して、男の子が一人います。夫にこの話をしたとき、「もしかたらこの子もすごい反抗期を迎えるかも知れないけれど、一緒に考えて解決していこう」と言ってくれています。こんな風に思え、考えられるのも両親の教えがあったからだと心から思います


意見いただきっぱなしなのも悪いなと思い、少しだけ追記させていただきました。たくさんのご意見ありがとうございました。

2016-06-15

言いたいことを言いたいために事実を都合よく使う

例1

詳しいことは知らないんだけど、プロゲーマーみたいな人がいるらしい

日々ゲームの腕を磨き大会に出て賞金で生活するような人たち

日本のそういう人たちは家賃生活費を援助してもらっているけど、海外には完全にその収入だけで生活している人もいるという話をニュースでやっていた

その日本人が言っていたのが、

「今メジャースポーツなども最初の頃は少ない人たちが細々とやっていた

それが今ではたくさんの収入を得ることができる

からプロゲーマー絶対将来は人気が出て収入を得ることができる」

例2

アメリカ歌手ファン銃殺された

それを受け銃規制の声が上がる

しか日本アイドルファンにメッタ刺しにされた事件を引き合いに出し

「銃を規制しても今回の事件は止められなかった

そこではなく、ファン芸能人などとの距離が近すぎるのが問題だ」

これって、どっちも間違ったことを言っていないようで、結局自分の言いたいことを言うために

事実を都合よく使っているだけだ

自分が今やっているプロゲーマーを将来性があるように言いたいから、成功したプロスポーツを例に出す

しかしその裏には人気が出なかったり経営がうまくいかなかったものが山のようにあるはずだ

規制をさせたくないために、銃以外のもので起きた事件を取り上げる

しかしその裏には、銃を使っていなかったら犠牲者が減った事件も、銃を使っていたら被害者が増えた事件も、いくらでもある

実際日本事件では一命はとりとめている

例に挙げる話が明らかに間違っている場合受け手鵜呑みにせず疑ったりすることは簡単にできると思う

しかし例自体事実である場合一見話に筋が通っているように見えてしま

ただ相手の話を鵜呑みにするのではなく、一度自分の中でかみ砕くことが大切だと思う

2016-04-01

人命は最も尊いものである…?

一見正しそうであるが、

事故災害に巻き込まれ一命はとりとめたが後遺症が残り身障者の身となった

・(周りからすれば)そんな身障者の介護をこれから続けていかなければならないという負担

・もし身寄りのない人だったら、介護してもらえない、自活も難しい、この先絶望しかない

こんなことを考えたら冷たいようだがいっそのことあっさり亡くなってくれたほうが不幸になる人が一番少ないんじゃないか。

命「だけ」あってもなんにもならないやん…。

2016-01-07

本当に困ってからは誰も助けてくれない、ぞ!

困って困って完全に困り果ててから助けを求めに行くんじゃない、ぞ!

沈みかけの船に一緒に乗る奴なんていない、ぞ!

沈み始める前の助けたら見返りがありそうな内に人に助けを求めるんだ、ぞ!

医者だって手術しても死にそうな患者よりも手術したら助かりそうな方を優先する、ぞ!

ピンチになれば今まで敵だった奴らが頼もしい味方になんて漫画の中だけの話だ、ぞ!

追い込まれたら敵は止めを刺しに来る、ぞ!

それを見て怖いからって仲間は逃げ出す、ぞ!

からにっちもさっちもいかなくなるより前に助けを求めるんだ、ぞ!

そしてその助けが本当は不要だったとしても実際その助けで一命を取り留めたかのように感謝するんだ、ぞ!

ギリギリになるまで自力で粘るよりも効率が悪く思えるかもしれないが実はこの方がずっと効率はいいんだ、ぞ!

助けは相手が助けやす自分も助かりやすいうちに先手を打って求めるんだ、ぞ!

2016-01-06

カーチャン、初めての一人暮らし

http://anond.hatelabo.jp/20160105164924

中堅生命保険会社20年、ジャスコ20年働き、脳内出血で倒れた。

一命を取り留めるも医者から『2年持たない覚悟を』と言われた母。

残念ながら働ける体ではなくなった。

一念発起してローンが残った自宅をプラマイゼロ精算。

必要最低限のものを残し、思い入れがあるはずの家具や置物などのほとんどを処分

浮気で別居中のヤクザ父不在のまま離婚手続きを進めて切り離しに成功

未払いの税金年金などを一方的に父の責任押し付けた。

ナマポ申請は簡単に通り、祖父母が眠る墓の近くに見つけたレオパレスで初めての一人暮らし

イトーヨーカドーセブンイレブンというセーフティーネット存在が、年寄りにとって大変心強い味方であるらしい。

嬉しそうに『近所においしいパン屋さんを見つけたんだよ』とLINEを送って来る。

マツコが食べていたものを買ってきてくれと頼まれるようになった。

ねこあつめを先にコンプリートされた。

気づけば倒れてから3年経っている。

『働いてないのに毎日食べるものに困ることもなく生き永らえさせてもらえて申し訳ないよ』と言うが、

孫の顔を見せてあげることができなくて申し訳ないのは俺の方だ。

また、次の休みにマツコが食べてた四角いシュークリームでも買って行くよ。

2015-12-12

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福沢諭吉について5 | 雁屋哲の今日もまた

ご無沙汰しました | 雁屋哲の今日もまた

さようなら! 福沢諭吉 日本の「近代」と「戦後民主主義」の問い直し : 安川 寿之輔, 雁屋 哲, 杉田 聡 : 本 : Amazon

福沢諭吉が日本の近代化誤らせた? 8日に名古屋で集い:朝日新聞デジタル

【愛知】2015.12.8 不戦のつどい 「福沢諭吉の正体 アジア蔑視と侵略戦争で果たした役割 ~日本の近現代史を問い直そう~」講演・安川寿之輔氏、雁屋哲氏、杉田聡氏(動画)

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其業たる最も賤しむ可く最も悪(にく)む可くして、然かも人倫の大義に背きたる人非人の振舞なりと云ふの外なし

窃(ひそか)に其無教育破廉恥を憐むこそ慈悲の道なれ。

「福沢諭吉の正体」-⑮

福沢諭吉の正体

朝鮮人民のために其国の滅亡を賀す

最も恐るべきは貧にして智ある者なり

「“さようなら、福沢諭吉さん あなたに学ぶものはありません“ 」本誌編集委員・編集者・黒田 貴史 | コラム/深層

馬鹿と片輪に宗教、ちょうど良い取り合わせ

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福沢諭吉:独立の気力なき者は必ず人に依頼す、人に依頼する者は、必ず人を恐る、人を恐るる者は、必ず人にへつらうものなり。 | 芸能人や有名人の感動と共感する英語名言・格言集kyoucando

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2015-07-18

がっこうぐらし!」の時系列まとめ

ググってみたが無かったのでここに書いておく。

やたら話題になっているアニメを見て衝撃、原作一気買い。

原作準拠で、時系列と推測をまとめてみる。根拠も添える。


巡ヶ丘高校におけるゾンビ禍発生日時:おそらく5月か6月の、午後4時ごろ


・同じ高三だが、くるみは無免で安全運転への懸念を口にされているが、りーさんは特に無免という説明もなくまた普通に運転を代わっている。

・りーさんは誕生日が早く免許取得済なのかもしれない。免許取得に必要時間を考えると、4月ではないと考えられる。

・また雨が多く電力が不足しがちという表現を早い回でしていたので、既に梅雨の時期かも知れない。よって5~6月。

教室破壊された時計が4時過ぎを指していたので、時計破壊が行われたのが4時頃で、学校ゾンビ禍に見舞われたのがその頃かと思われる。

放課後に、ショッピングモールに立ち寄ったみきと圭がゾンビ禍に遭遇している事からも、発生時刻は授業終了からそれなりの時間が過ぎたタイミングかと思われる。モールが襲われたのは高校が襲われた後だったのかも知れない。

・めぐねえの覚書では、

屋上へは園芸部が決まった時間のみ立ち入りが許されているが特に取り締まりなどはしておらず生徒の自由な出入は黙認されている」

自分屋上に入ってきた時ゆきとりーさんと他の女生徒一名が居たが、怒られると思ったのかその一名は立ち去った」

とある

・ゆきとりーさんが放課後屋上に居て、めぐねえが屋上にやってきても逃げなかったのはもともと園芸部だったからだと思われる。

ゾンビ禍発生後に、園芸部の手伝いなどと言い訳をして屋上菜園を手入れし、(兼部してるとでも言えばいいのに)園芸部だった事をわざわざ言わないのは、ゆきが自身が園芸部所属という過去を思い出し、そして芋づる式に襲撃の恐怖の記憶をまとめて思い出してしまい、また心を壊す事を懸念しているからと思われる。

・同様に、めぐねえも元々は園芸部の顧問だったものと思われる。ゾンビ禍発生前に、放課後屋上に来ていた理由部活動監督のためか。

・三巻巻末の地図で見ると屋上への侵入路は中央階段のみで、くるみゾンビ禍発生時に階下に居り、屋上ドア封鎖前に飛び込んできたらしい。

くるみの先輩が学校にいた理由卒業したばかりの母校に顔を出しにきたのだろうと思われる。

屋上に居た理由は、屋上への逃走に成功したくるみを追いかけてきて、他生存者達がドアを塞いで締め出すのに間に合わなかった、あたりだろうか。


ショッピングモールへの校外遠足:6月か7月あたり


・食料の不足にやむなく行われたものだが、学校行事踏襲する部の方針からすると、遠足もまた通常の日程に近く行われた可能性が高い。

・当初は四人、やがて三人になった生存者達が、ゾンビ禍発生から、各学年に4クラスを有する高校購買部で売られている保存食料を食い尽くすまでのタイミングを考えると、一ヶ月くらい後か。

・この一ヶ月の間に、高校ではめぐねえがゾンビ化し、モールでは圭が出て行ったものと思われる。

・米、カレーうどんお好み焼き野菜ビタミン剤など、栄養確保に苦労している様子が窺え、備蓄に余裕はない様子。購買にはうどんはもうないとの旨の発言をしていたが、学食から持ってきたと思しき食材も多く、そちらも漁り尽くしたのだろう。地図で見ると購買と学食は斜向かい

・みき救出後にも「このところ雨が多く電力不足」という旨の発言をしている。しかし外は既に晴れているので、梅雨明けあたりか。


体育祭:9月か10月あたり

学校の平均的な行事スケジュール準拠

・ただ、みき救出後すぐに体育祭提案がなされているものの、体育祭開催告知ポスター表記をみると、月数が二桁になっている。

・月数は二桁である事こそ確認できるものの、日付は適当に塗りつぶされており、これは既に正確な日付がわからなくなっている可能性もある。

しかし電力は確保され、避難訓練の際にりーさんがスマホを使用してもいるので、正確な日時がわからないという可能性は低い。

・ではなぜ日付を丸く不明瞭に塗りつぶしたのかは不明ポスターを書いたゆきあたりが日付を正確に把握していない、などの理由かもしれない。

学園祭および卒アル製作およびラジオ放送、そして避難訓練:10月か11月ごろ


学園祭ラジオ放送の準備にそれなりの時間をかけ、その後行われたものと思われる。

・めぐねえから攻撃発症したくるみ避難区画にあった実験薬で一命を取り留めたが、筋張ったような痕が左腕と首筋と左頬辺りに薄く残っている。これを隠す為か、復帰後は左頬に常に広い絆創膏を貼り、長袖を着ている事が多いが、寒い時期に差しかかっているせいもあるかも。

・ヘリのパイロット酸素マスクをつけていたが服は普通搭乗員のもので防護服には見えない。加えて、回収されたゆきたちの手紙は袋入りのまま扱われていたが、このパイロット手袋こそしているもの手紙現物を直で持っている。何らかの理由感染し、薬の投与も間に合わずゾンビ化たか


卒業式:11月か12月あたりか


・食料は数か月分の備蓄をB2で発見しているし、また学校行事スケジュールに従えば卒業式は三月なのだが、みきの眼帯が取れていない。

避難訓練から眼帯をしているみきだが、傷が治っていないうちに卒業式を迎えたと思われる。

卒業式前の清掃中、ゆきは教室ゾンビを倒している。一巻一話の描写踏襲といい、皆の前で笑っていようと決めたはずのゆきがみーくんの前で初めて号泣している点といい、ゆきは妄想世界から離れ既に現実に戻ってきていると思われる。その事を当事者であるみーくんは察しているようだが、他の二名の前で告白しないのは、妄想に囚われていようが現実直視していようが結局は自分役回りは笑うことであって何も変わらないと思っているせいかもしれない。生徒達を明るく元気付けていためぐねえの役割を代わりに担っているつもりかも。

・また、めぐねえ撃破後にめぐねえの墓を皆と拝んで以来、ゆきとめぐねえが一緒にいる描写もない。


こんなところか。異論は認める

2015-06-10

http://anond.hatelabo.jp/touch/20150610082915

その宣伝のお陰で

冤罪ふっかける女に無実を証明しようとした結果犯罪者なんてことにならず

ダッシュで逃げて一命を取り留めた男も多いだろうから、何とも言えない

十年前くらいは痴漢冤罪に対する警戒心すらほとんど無かったから、今以上にやりたい放題だったと思う。

2015-06-08

大人の脱糞小説のあらすじみたいなやつ書くわ

大手食糞製造メーカーに勤務するブリ崎、30歳。

ぶりぶり業務に追われ多忙な日々を過ごし、いつの間にかスカトロ処女のまま30を迎えてしまった。

ある日派遣社員としてやってきたふたつ年上の女性、志緒理に誘われるがままスカトロ関係を持つようになった。

志緒理の便意を感じながらも、ブリ崎は両親に薦められるがまま

8歳年下の葵と見せあい排便をする事になった。

突然のブリ崎の便婚報告に戸惑う志緒理だったが、

志緒理にはブリ崎に正式に便意を打ち明けられない特殊事情があった。

ブリ崎の便婚後、志緒理は姿を消した。

それから7年後、ブリ崎の妻葵は排便事故死する。

葵の元上司村上ふたりで出かけた、いわばスカトロ旅行の際、高速排便事故に巻き込まれ

村上一命をとりとめたものの、葵は即死であった。

ブリ崎は、過去志緒理からの便意に気付かない振りをし、

葵と便婚したことに天罰が下ったのではないかと思うようになった。

翌年、突然志緒理からの連絡があり、過去ふたりで排便をしたトイレへと向かう。

40になった志緒理のうんこは美しかった。

そんな志緒理から再便の提案をもちかけられたブリ崎は、

ある疑惑を抱くようになる。

志緒理がブリ崎に便意を打ち明けられなかった特殊な”事情”とは。

葵の上村上と志緒理の間に見え隠れする第三のスカトロプレイとは…!?

第37回大便賞受賞、肛門が濡れる、大人の排便ストーリー

http://anond.hatelabo.jp/20150603145059

2015-06-03

大人の恋愛小説のあらすじみたいなやつ書くわ

大手製造メーカーに勤務する月崎、30歳。

日々業務に追われ多忙な日々を過ごし、いつの間にか独身のまま30を迎えてしまった。

ある日派遣社員としてやってきたふたつ年上の女性、志緒理に誘われるがまま、関係を持つようになった。

志緒理から好意を感じながらも、月崎は両親に薦められるがまま

8歳年下の葵と見合い結婚をする事になった。

突然の月崎結婚報告に戸惑う志緒理だったが、

志緒理には月崎正式好意を打ち明けられない特殊事情があった。

月崎結婚後、志緒理は姿を消した。

それから7年後、月崎の妻葵は交通事故死する。

葵の元上司村上ふたりで出かけた、いわば不倫旅行の際、高速道路事故に巻き込まれ

村上一命をとりとめたものの、葵は即死であった。

月崎は、過去志緒理から好意に気付かない振りをし、

葵と結婚したことに天罰が下ったのではないかと思うようになった。

翌年、突然志緒理からの連絡があり、過去ふたりで食事をしたレストランへと向かう。

40になった志緒理は美しかった。

そんな志緒理から再婚の提案をもちかけられた月崎は、

ある疑惑を抱くようになる。

志緒理が月崎好意を打ち明けられなかった特殊な”事情”とは。

葵の上村上と志緒理の間に見え隠れする第三者存在とは…!?

第37回大木賞受賞、魂が濡れる、大人の恋愛ストーリー

2015-05-12

7人家族の内、祖父母と父の3人が病気で倒れ生死の境を彷徨うも、最新の医療技術により一命は取り留めた。しかし全員要介護状態になり、家計ほとんどが3人の介護費に当てられるようになった。

流石に「なにが医療大国ニッポンだ、なにが長寿大国ニッポンだ」と言いたくなってきた

2015-02-25

[] 『ソーシャルリンク』 その1

  お婆さんを助けたせいだ。俺は今わの際にそう思った。俺は佐々木誠也26歳。情けないことに、こうして自死を選ぶ。それもこれも、あのお婆さんのせいだ。

  あれは俺が大学4年だった頃。就活中。100社以上エントリーシートを送って、やっと最終面接にこぎつけた企業面接日。俺は時間に余裕を持って家を出て、面接会場に向かう道すがらだった。横断歩道信号待ちをしていたら、隣に立っていた見ず知らずのお婆さんが倒れた。周囲に人はおらず、俺がやるしかなかった。俺は類まれ危機管理能力を発揮して即座に救急車を呼び、救急車を待っている間にも息と脈を測り、気動を確保し人工呼吸をし、救急車の音が聞こえるや、救急隊員をお婆さんの所に誘導して倒れた時の様子を説明しながら隊員と一緒に救急車に乗り込んだ。

  お婆さんは一命をとりとめたが、気がついたら面接には大遅刻物語だったら助けたお婆さんの親族面接官でって展開になるわけだが、現実非情だった。どんなに説明しても時間に遅れるなど社会人失格と、取り合ってもらえなかった。

  そのまま就活は全滅。飲食店フリーターをやりながら就職浪人をしてみたが、既卒をまともに採用してくれる所なんてなかった。フリーター仕事はどぎつくて、休みなく働かされた。大学時代から付き合っていた彼女との時間も取れなくなり、愛想を尽かされて振られた。2年でうつ病になり働けなくなった。

  うつ治療をしながら、起死回生をかけて、ネット海外の珍しい品物を見つけて輸入して売る輸入業を始めた。だが、俺にはセンスが無かったのだろう。4年頑張ったが鳴かず飛ばず廃業した。

  別に俺の事業の失敗のせいではないだろうが、時を同じくして両親が相次いで他界した。気がつけば俺が持っているのは、事業の失敗で作った借金だけとなった。フリーター給料じゃ、何十年とかかっても返せないだろう。悲しむ人も居ない。俺は先の見えない人生絶望して自殺することにした。

  本当に、ほとほとろくな事のない人生だった。だがそれもこれで終わりだ。熱いため息を一つついて、俺は意識を失った。

  * * *

  目が覚めると病院ベットの上だった。失敗したらしい。失敗だらけの人生、俺は自殺すらまともにできないのか。硫化水素を使ったのが悪かった。医者が言うには、アパートの隣人が異臭に気づいて通報したらしい。俺は無意味に命を永らえた。自殺未遂をしたというのに、見舞い客一人来ない命を。

  しかしながら、ベットの上でぼうっと過ごすうち、あれほど自分を苦しめていた重苦しい感情がすっかり無くなっていることに気がついた。健康保険もなく入院なんてして、また借金が増えると思っても、なんてことはない。一度死んだ命、あるだけ得さ。生まれ代わったような気分だった。やっぱりどうにもならなかったら、また自殺すればいいんだ。それまで気楽に生きていこうじゃないか。

  『それ』に気づいたのは看護婦が食事を持ってきた時だった。

「小指、どうしたんですか?」

「えっ?」

「小指ですよ、小指。そういうの、流行ってるんですか?」

  なんのつもりか、若い看護婦自分の小指に赤い毛糸蝶々結びに結びつけていた。ずいぶん長い。糸の先を目で追うと、病室の外まで伸びている。仕事に支障はないのだろうか?

「私の小指が、どうしたんですか?」

  だが、看護婦は不審な顔をしている。俺の正気を疑っている顔だ。

「どうかしましたか?」

先生患者さんが変なことを言うんです」

  俺の担当医が回診に来た。若い男の医者だ。

「だから、小指の毛糸ですよ。ほら、看護婦さんの左手に……あれ?」

  やはり看護婦の小指には赤い毛糸が結びついている。だが、それだけじゃない。その毛糸は、今やってきた医者の小指とつながっていた。どういうつもりなのだろうか。

運命赤い糸ってやつですか? お二人とも……」

  すると若い男女はお互いに顔を見合わせた。

運命赤い糸ですって」

患者さんの前で、よせよ……」

  二人とも、ちょっと照れているようだ。目と目で通じあって、やたら幸せそうであるしかし、若い医者は訝しげに、

「でも、なぜそれを?」

「それ、とは?」

「確かに私達は婚約しますが……別に、言いふらしているわけじゃないんだけどな……」

  お前か? 私じゃないわよ。なんて目の前でイチャコラするカップルの小指の間には、確かに赤い毛糸が結びついている。しかし二人がそうと気づいている様子はない。

  これは、一体何なんだ……?

  * * *

次 http://anond.hatelabo.jp/20150225090554

2014-12-12

障害者支援施設に出入りしていた時期があった。

この記事自殺 Advent Calendar 201412日目の記事です。

障害者支援施設に出入りしていた時期があった。

そこには高校生くらいの女の子がいた。

彼女は幼少の頃にロリータコンプレックスの成人男性強姦されている。

生殖器が未熟な幼女の膣に、成人男性勃起した陰茎がねじまれたのだ。

当然膣が裂けるなんて事態で済むはずもなく、

当時彼女発見されたときは、子宮破裂に加え、下の方の内臓はグチャグチャに損傷しており、

あと一歩遅ければ死んでいたらしい。

当然、そのような状態から一命を取り留めたため、

一生子供を産むことはできない身体になってしまったし、排泄も人口肛門頼りになってしまった。

強姦時の恐怖から軽度の知的障害を患っており、学校には通っていない。

お世辞にもカワイイとは言えず、いつも毛玉だらけのトレーナーを着ていたが、

面倒見が良いのか、よく他の障害者を手伝っていた。良い子だった。

そんな彼女がある日、コンビニ万引きして捕まった。

盗んだものは、男性用整髪剤と化粧品数点。

普通女の子らしい事をしてみたかった」と理由を述べる彼女に、

私は思わず泣いてしまった。

普通女の子であれば化粧品を買うなら百貨店に行くなりデパートに行くだろう。

だが障害者支援施設で生きてきた彼女世界にはそんな施設はなく、

彼女なりに化粧品というものを手に入れるために考えた結果出てきたのが、

なんでもおいてある便利な建物であるコンビニだったのだ。

加えて化粧品に関する知識もないため、それらしいものを手にとった結果が

男性用整髪剤だった。

私は、何の罪もない普通女の子らしい生活が送れるはずだった彼女

この境遇に追いやった性犯罪者が許せず、

何度怒りに震えたことかわからない。

そんな彼女だが、8ヶ月ほど前に施設を抜けだして失踪したと聞き、

つい先日、自殺したと聞いた。

身体には誰かから殴られた痕が複数あったらしい。

何があったかは知りたくもないし、考えたくもない。

2014-12-09

「幸い一命は取り留めました」

事故ニュースなどで聞くこのフレーズ

その後のQOLが本人にとって耐え難いものとなる可能性も十分にあるのに、「幸い」といった価値判断を伴った表現はしないほうが良いと思うのだけれど如何だろうか。

2014-05-23

http://anond.hatelabo.jp/20140523020255

数年前、隣に住んでいたおばさんが自宅でいきなり気を失い、全身がパンパンに膨らんだような状態(旦那さん談)になって救急車に運ばれ一命を取り留めた、という騒ぎがあった。

医者は「アナフィラキシーショックの可能性が高い」と診断した。しか彼女は蜂に刺されたとか、生まれつき何らかの物質アレルギーがあるとか、そういう事は全くなく、原因物質は長らく不明なままだった。

それから数年後の昨年、こいつが原因ではある事が分かった。

基本的医者ってのは「○○が原因かそうでないか」はかなり正確に調べられるけれど、その「○○」が本人にすら見当も付かないとなると、相当な費用時間をかけてしらみつぶしに調べていくしか無いのよ。

2014-03-13

父が倒れた。意外に平気

レビー小体型認知症パーキンソン病な父が倒れた。

アミロイド血管障?らしい。ま、体よく言えば脳出血

母が発見して一応一命をとりとめた。

当然の事ながら動揺したけど、でも、それ以上に平気で落ち着いている。病院にいてくれる方がずいぶん楽だ。

排泄物投げつけられることもないし、ナイフもって死ねっえ叫び声あげられることもないし、徘徊して警察もくることはない。介護歴7年もたつとあんまり脳出血は辛くない。20代の大部分を父に捧げて来たんだから、少し休ませてよ。夜寝かせてよ。

そんな事をリアル友達に言ったら人非人のような目で見られる。そうだよね、、、

で、昨日ストレスと過労が一気に解放されたら、ノロになったのろわれてるな。

2013-10-27

症状が見えない病気オカズ自慰行為に励む馬鹿ども

もしもメンヘラひとつの村だったら…―脱メンヘラ人類学講座―

http://johnetsu.hatenablog.jp/entry/2013/10/26/205745


かいう糞のような記事がはてぶに上がっており、俺はもう駄目だ。夢が壊れました。

皿ウォッシャーとしてやっていく展望が消え、夢が壊れました。と思った。


皿はさておき、数年前に重大な遺伝子疾患があることが分かった俺は手術費用数百万円をかけて、

肉体の一部を人工物に置き換えるという手術をした。

一命は取り留めたものの、遺伝子疾患なので完治そのもの永遠に無く、

症状としては肉体に常人と同等の負荷をかけていると死ぬという厄介なものであったので、

会社を辞めることになってしまった。

で、いくつかあった送別会ひとつで同期の馬鹿がこのような妄言を垂れた。

「それって子供の頃、運動しなかったとかの努力が足りなかったんじゃないの?」

「いや、遺伝子疾患なんですよプログラムバグ細胞結合が弱いんですよ」

「でも、人間って鍛えれば強くなるじゃん。やっぱ弱いなら人並みに努力しなきゃ」


あるあるあるあるあるりーゔぇでるち、ウェルチグレープ味。

俺は社会に出るまでこのような糞のような発想の持ち主は幼稚だからであり、

大人社会おいてはマジ糞頭悪く性格ひねくれエクスプロージョン丸として扱われ、

死に絶えているとばかり思っていた。が、そうでは無かった。

いるのだ。

このように、自分の持てる知識や人生体験だけで全く他人の知らない病気の理解を処理してしま馬鹿が。

それも大真面目に上から目線である風邪引いたときに鼻水と一緒に脳が流れ落ちたに違いない。南無南無。



交通事故で両手両足が切断されて乙武様状態になった水泳選手がいたとしよう。

「さ、みんな100m泳いでいるし、これまでも出来てたから頑張ろうね。医学とかブロイラー

みたいなことを言う奴がいたら、さすがに社会ではマジ糞頭悪く性格ひねくれエクスプロージョン丸賞受賞ものである

しかし、症状が、原因が、苦痛が見えない病気については、糞みたいな持論を展開する馬鹿大勢出現する。

そして、なんかふんわりとそれが許される。



例を上げよう。不妊症

医学的な処置をし、夫婦生活コントロールをし、最善と思える全てを尽くした患者馬鹿は言う。

「性欲が足りないんじゃないの?/タイミングがうんぬん/神様への祈りが/日頃の行いが」

それは知ってる、それは間違い、それはすでにやった、そんなことはお前に言われる筋合いは無い。

ほんの少し、ポケットの中で1/256に分割されたビスケットの屑ほどの想像力が有れば分かることを、

たまたま運良くスムーズ子供をもうける事ができた」だけの頭悪男や頭不足女が上から目線余計なお世話をいう。

である

そして、メンタルヘルスのあれこれについてもそう。

医学がどうの統計がどうの「俺ってこう思う」ではやっていけない諸問題を先達が知恵を絞って導いた結論を全く無視して、

「村、村長若者・・・である。アホか。ド低能か。マジ糞吐き気催す。

今ここで腹にナイフさされてのたうち回っている人間に同じように言え。

「この近代社会が生み出したナイフ製品を村としよう」と。そこから始めろ。

そして同じように腹にナイフぶっ刺されて村長になれ。若者よ、大志を抱け。


お前ら糞のように頭の悪い人間が好き勝手なことを言えるのは、

単に言及対象の病気が「症状が見えない、分かりづらい」からだ。

「頭が悪く、理解力が無い、恥知らず人間病気のことについて好き勝手言っている」のが事実なのだ

メンタルヘルスの人が教養が無い」のでは無い。

分かった?くずが。

2013-05-09

姉が近所のおっさんに付きまとわれてる

姉が急病になって急に倒れました。

めまいがすると言っていたら急に倒れて、呂律がまわらない感じ。

これって、脳とか深刻なやつじゃないか?と家族テンパる

救急車を呼んだのだけど、運悪く家の前の路地違法駐車があって救急車が入れん。

姉まじどうなるんだと思ったら、父が車の窓をたたき割って、ペンチでなんかやったと思うと、「車後ろから押せ!」と言われ。

サイドブレーキをを壊したのか? なんか動かせて救急車が入れました。

無事に姉は搬送されて、しばらく入院したけども無事に後遺症もなく回復しました。

で。

その後、例の車の所有者から連絡があって、まあ結構壊れていたらしい。

まあ違法駐車はいえ壊したのは親父だし、修理代を渡してなんとか示談は済んだようだ。


それが4年前にあった話な。

先月、親父が新車を買ったんだ。

そしたら4年前に車を壊されたおっさんがさ、それを知ったみたいなのね。

そしたら連絡があってさ、

新車を購入するなんて当時のことを反省していない、車を壊された私の心がすごく苦しい。傷つけた」

と言ってきたわけ。

いやいや、示談すんでるやん、とお父さんは正当化するわけで、それは当たり前だと思う。

でもまだちょっともめています

で、先週が親父の誕生日でさ。

あの時親父のおかげで一命を取り留めた姉が、親父のために何をしようっていろいろ考えてさ。

まあ料理とか作ってお祝いしたのね

お父さん、あのときありがとう、って。

それもどこで知ったのか例の車のおっさんがさ。

親父があんなことしたのに、なんでお前はおやじ感謝なんかしてんの? って、家の前でいきなり言われたそうな。

まじ怖がっていた姉がかわいそう。



靖国参拝問題について

http://anond.hatelabo.jp/20130509095142

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