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はてなキーワード: 考察とは

2022-04-23

anond:20220423145345

女二人のイラスト対話する形式シュールギャグを挟みながら

世の中に対して鋭い考察を加える芸風の人がいた気がするんだけど

消えちゃったな

飽きっぽい人だったのかな

佐渡めるしぃ」みたいな名前だった気がするけど思い出せねーわ

2022-04-21

anond:20220421211708

おもしろい! 性的消費の問題踏み込む勇気を持った人物にようやく出会えた。

私は、あなたが回答した増田ではないが、横増田として疑問の詳細に答えよう。

勿論作品を読んで貰う事が広告目的なんだけど、

普通広告目的作品を読んでもらう)を果たすために「元気を与える」があるのであって、

「元気を与える」ために広告目的作品を読んでもらう)がある訳じゃないよね?本末転倒過ぎない?

ヤンマガ編集広告目的作品を読んでもらう事なのは正しいが、作品を通して元気を与えるのを目的にしていたとしても何らおかしいところはない。「つまりこの広告性的な元気を与えてくれるものなのか!」の部分は不要で、単にエロい! だけで元気になる。わざわざ広告に戻る理由はないんだ。「不安を吹き飛ばし、元気になってもらえるように描かれた、月曜日のたわわを買って読んでもらうために、全面広告を出しました」が、自明で品を欠くとされがちな買って読んでもらうをボカして、省略されているのだと解釈できる。

以降に書いて貰った部分、

「たわわ広告がアウトである理由」じゃなくて、「ナタリーのあの記事がアウトである理由」になってない?

なっている。

基本的な前提の確認だけど、あの広告を見る大部分の人はナタリー記事を知らないし、編集部のあのコメントも知らないよね?

その通り。

でもあなた批判は全体的にナタリー記事編集部のコメント依存したものになってしまっている

なってしまっている。

広告問題無い、しかナタリーのあの記事問題である・・・様に見えるが、こちらは掲載媒体ナタリーなので問題無い」

という結論にもなり得るように思えるけど、どうだろう?

なる。

だとすると、「たわわ広告がアウトである理由」はナタリーのあの記事を知らない状態でもできる批判じゃないといけないよね?

ここに大きな誤解があると思う。

実際多くされている、たわわ広告がアウトであるとする批判は、ナタリーにあの記事を知らない論者によってなされている。にも関わらず、掲載媒体ナタリーから何ら問題ない編集部の告白がなされなければ、それらの批判は起こらなかった。

最初は、露出した編集意図問題視された。togetter まとめ人はナタリーが責められていると誤解なさっていたようだが、本当に責められていたのは編集だ。

普通の受け取り方なら広告の『今週も、素敵な一週間に、なりますように』

って励ましの言葉不安を吹き飛ばして元気になって欲しいんだなと思うでしょ。

https://anond.hatelabo.jp/20220421113116

そのような受け取り方をせず、前述の買って読む事で元気になってほしいのだ、と取った人がそれなりにいた。

それらのツイートtogetter でまとめられ、はてブアンチフェミ怨念を呼び起こし、またツイフェミの目に留まり国連の方から来た人まで動かしてしまった。

前の増田や私が考察しているのは、炎上した理由だ。

でも元増田が考えているのは「たわわ広告がアウトである理由」だ。おそらく、思索を通して広告表現芸術作品一般をセーフにする方法を見つけたいんでしょう。

しかしながら私の考えでは、セーフ・アウトの判定は炎上プロセスと切り離して考えられない。

性加害を受けて敏感になってしまった男性恐怖症の人々。彼女ら守るべく立ち上がった正義燃えるツイフェミ善意のまとめ人も、ヘイトの溜まっていたアンチフェミまで、すべてが炎上の因子となって、まるで多段ロケットのように批判応酬を加速させていった。編集意図を直接見聞きしていなくても、ツイッターが何か騒がしいのは気付きうる。アンケートでわざわざ聞いてきた時点でデリケート問題だなと察しうる。そして、過去炎上事件トラウマも様々な形で、我々みんなの心に爪痕を残している。それが今日炎上に影響するんだ。

その時点、その場の表現の内容だけで答えを決定する、セーフ・アウト判定のアルゴリズム存在し得ないと思う。

anond:20220421211708

うーん、が色々と細かく分けて考察できる「頭が良い人」ならそうやって分析とかできるんだろうなってのはわかるし結構ことなんだけど、

バーンと出る一面広告っていうものへの素朴な感想ってのはそんな論理だけでなにか言えるものではないような・・・

Netflix】パワー・オブ・ザ・ドック

・「病院に行こう」から棺までが秒

・なんであんなに少年をいびり散らかしてたフィルさんは中盤からあんなにデレモードににったの?

・(もうちょい時間短くできんきったか…?)

・確かに「強すぎる」

・造花燃やされたりマッマアル中にされかけたけど殺すのはや、やりすぎだよぉ!

追記 

・色々な人の解説考察読んだ

しかエンターテイメントてして楽しめたかとかシリアス映画とか社会派映画とか考えさせられたっていうよりかは「映画好きの間で少し前に話題だった映画を見た」という消化した感が一番でかいのがうーん

映画ってより映画を見た自分的な

2022-04-20

anond:20220420233618

本来なら痴漢に敏感であっていい層ほどこの広告問題を感じない。

まりこの広告一般的痴漢連想させるものではないのではないか、という考察を導くエビデンスだね。

2022-04-17

anond:20220416232942

奈落の底に」攻略中。相変わらず奈落への行き方がわからん・・・

自分で遊んでおいてグダグダ文句付ける事はしたくないが、なぜこのシナリオがここまでストレスフルに感じるのか、一応考察してみた。

思うに、以下のような条件が重なった結果なのだろう。



1:正解のルートを割り出しても、それを憶えるのは難しい形状になっている。

例えば、ドラクエ1の沼地の洞窟などは、一度ルートを憶えれば、下右下右下左で抜けられるようになっているのでたいまつやレミーラが要らなくなる。

こういう「突きあがりまで進んで右へ行く。また突き当りまで進んで左に行く」みたいなシンプルな地形だと覚えやすいが、このシナリオはそうなってない。通路の途中で曲がりながら進むため、なかなか覚えられない。




2:正解のルート上に、回転床がある。

回転床ランダムで回るので、正解ルートを知っていても、ウィザードアイの呪文で方向を確かめなければならない。




3:広いダークゾーンの中に、ワープ一方通行扉・回転床が設置されている。

これをやられると、本当に一歩ごとにウィザードアイが必要になる。右手法や左手法で進むといつの間にかとんでもない所を回らせられて、どこで飛ばされたかからなくなっている。

狭いダークゾーン以外でそれやっちゃだめよ。




4:広間の中に移動床やワープゾーンが仕込まれている。

3と通じる問題だが、広間を攻略する場合、とにかく歩数が必要なので、一歩ごとにウィザードアイで場所確認するわけにはいかない。

にも拘わらず、「いつの間にかワープしている」に加えて、移動床を踏むので広間を一列ずつマッピングしていくのも難しくなっている。




5:正解ルートが長い。

例えば、地下1階の入り口から、地下2階へ行く最短ルートは52歩である。その間、26回曲がり角を曲がり、9個の扉をくぐる必要がある。

一応ショートカットもあるが、ショートカットへの道すら長い。

地下1階の入り口から、地下4階へショートカットへは27歩。曲がり角8回。扉1個。強制戦闘1回。

地下1階の入り口から、地下6階へのショートカットは49歩。曲がり角15回。扉8個。強制戦闘1回。

地下1階の入り口から、地下10階へのショートカット31歩。曲がり角12回。扉9個。強制戦闘1回。

他のシナリオではどうなっているかというと、地下2階へのルートはそれなりに長いものの、「一度到達すると、途中で開けられなかった扉を裏側から閂外して通れるようになるので2度目からは早い」「鍵が手に入るので2度目からは早い」「エレベーター入り口が右に真っすぐ」「正解の地形は分かりやすく、気を付けなければならない曲がり角は1か所程度」など、

『2度目以降は早く到達できる』仕組みになっている。

また「回転床を止めるスイッチが奥にある」「ダークゾーンは2度目以降は通らなくて良い」など、「謎解きは一度やればOK」というストレス緩和のための仕組みが用意されているのがほとんど(というかセオリーなのだ

しかし、本作はそういう工夫が少ない。とういか、1階にある3つのショートカットくらいしか思い浮かばない。「一度突破した謎解きなら、何度でも突破できるやろ」とばかりに、長く複雑な道のりを何度も歩かされる。ダークゾーン回転床もそのまんまである

当然、帰り道も同じ歩数歩かされる。



6:一方通行扉で振り出しへご案内

これもやたら多い。どういう事かというと、例えば地下4階までは、降りる階段複数用意されているのである。地下3階と地下4階をつなぐハシゴは実に4個。

この4個のハシゴのうち、地下5階へ行けるハシゴに到達可能な地形は2個のハシゴだけである

じゃあ、残り2このハシゴはどこへつながっているかというと、地下2階または地下1階に戻るしかできない。

まり、「一方通行扉でこの2つのハシゴがあるエリアのどちらかに出てしまった時点で、自力で振り出しに戻って正しいルートで出直さないといけない」という事である

前述のとおり、帰り道も長いので、単純に街までワープさせられるより悲惨であるしかもこの2つのハシゴのうち一つについては、帰りのルート上に玄室群があり、10回近くの強制戦闘突破しないと帰る事すらできない。



7:テレポーテーション不可

とどめがこれである。13レベルまで上がって「やっと楽ができる・・・」と思ったらこである

そりゃね、「現在攻略真っ最中場所までジャンプさせて」とまでは言いませんよ。公式5シナリオの「満月の子供たち」みたいに、通路の通過順序とアイテム使用回数が謎解きに密接に紐づいてたりする、テレポーテーションできる地帯がかなり限られたシナリオもあるし、Inifinite Labirinthみたいに、テレポートされちゃシナリオの根幹に関わるのなら、全面禁止理解しますよ。

しかし、このシナリオはそうじゃないでしょうが。一度行けた場所ジャンプされちゃ困る理由が、このシナリオのどこにあるっての。嫌がらせ以外のどんな理由があるっての。

地下7~9階禁止とかならまだ理解しなくもないけど、ショートカット場所や、地下1階へのテレポート禁止する理由がどこにあんの。



まあ要するに、難易度が高いとかいうのとはちょっと方向性が違っていて、「無駄に手間がかかる」ようになっているのが、このシナリオが際立ってストレスフルである原因なのだなあ、と思う次第。

あ、一言弁護しておくと、戦闘武器入手のバランスはかなり良いと思いますよ。

2022-04-16

ゴールデンカムイ作者の「単行本で加筆する」宣言について

ゴールデンカムイ作者の「単行本でめちゃくちゃ加筆する」宣言について「本誌派には未完成品を読ませるつもりか」って言われてるようだけど、

そして、それに対して「何が問題なの?」「単行本で加筆があるのは当たり前」って反論されてるようだけど、

反論している人はたぶんゴールデンカムイ単行本21巻が発売された当時(2020年3月)やその前後のいきさつを知らないのだろうと思う。

というわけで、当時~その後に何があったのかということを自分が知っている限りで説明してみようと思う。

自分一人の説明では足りないかもしれないので、補足がある人は遠慮なく補足してほしい。

 

ゴールデンカムイ、完結へ

ゴールデンカムイ」全話無料公開&原作者野田サトルの直筆メッセージ

https://news.livedoor.com/article/detail/21961052/?_clicked=social_reaction

 

ゴールデンカムイがあと3話で完結、しか最終話更新される日まで全話無料公開という企画が発表された。

で、作者が発表した直筆コメントの「単行本でめちゃくちゃ加筆する予定」という文言が物議を醸している。

今までのゴールデンカムイのあれやこれやを知っている人からすれば「またか…」「相変わらず本誌派を馬鹿にしやがって」となり、

最近ゴールデンカムイにハマった人からすれば「単行本で本誌の内容に加筆されるのはよくあることだし、何が悪いの?」

単行本で加筆されたからって本誌版が未完成ってことはないでしょ」となり、両者の間には温度差がある。

 

かに雑誌連載されている漫画単行本化する時に作者が作画台詞などを加筆修正することはよくある。

特に週刊連載なら、本誌掲載時にはどうしても粗くなってしまった絵や多少のミス修正したりするのはある程度仕方ないと思う。

だが、ゴールデンカムイの加筆修正はそんなレベルではないのである。これから説明しよう。

 

単行本21巻発売当時、そしてその後に何が起こったか

ゴールデンカムイ単行本での加筆修正で一番騒動が巻き起こったのは、おそらく単行本21巻だと思う。

ヤンジャンアプリコメント欄やツイッターが大荒れし、離脱する読者も相次いだ。

 

具体的にどこが大きく変わったのかというと、21巻の最後に収録されている211話「怒りのシライシ」だ。

樺太から北海道へ帰ってきたヒロインアシリパ物語ラスボス存在鶴見中尉と初めて正式に対面する重要な話だが、

この話の7~15ページ目の範囲はほぼ全て単行本での加筆修正部分である

単行本を持っている人は確認してみてほしい。

 

まり

鶴見暗号解読必要キーワードを吐かせるために地下にアシリパ幽閉する計画を語るシーン

アシリパ鶴見の会話シーン

鶴見の頭の傷口からドクドクと汁が漏れ出るシーン

などはすべて本誌の時にはなかったものなのだ

 

なぜ作者がこれほど大幅な修正をしたかというと、上記のシーンがなかった本誌掲載時には、

鶴見と会う前のアシリパが「(鶴見が)どんな男かはひと目見ればわかる」と話す

鶴見の顔を一目見たアシリパが、一瞬の隙を突いて突然空に矢を放って逃げ出す

という流れになっており、「せっかくヒロイン鶴見中尉が対面したのに会話なし?」「『ひと目見ればわかる』って何がわかったのか?」

などの批判の声が上がったからだと思われる。

 

それにしても、これほど重要なシーンを単行本で加筆したのはやりすぎだったのではないだろうか。

いくらラスボス存在キャラとは言え鶴見にほぼ一方的に悪を押し付けヒロインアシリパは悪くないことを強調するような加筆にはだいぶ否定的意見も多かった。

 

そもそも、ある漫画ファンが本誌を買う一番の理由単行本派よりもいち早く先の展開を知りたいからだろう。

まり、それだけその漫画を楽しみにしているコアなファンということだ。本誌を読んでそれを元に考察記事を書く人も少なくない。

 

だが単行本でこれほどの加筆が行なわれてしまうと、せっかく本誌を読んで単行本派より早く先のストーリーを知ったとしても無意味になってしまう。

考察記事を書いていた人は、書き直さざるを得なくなる。本誌を買うメリットがあまりなくなってしまうわけだ。

ゴールデンカムイ考察記事が少ないと嘆いている人も見かけたが、単行本での大幅な加筆修正があることも考察勢が減っていってしまった大きな原因の一つだと思う。)

 

しかも、上記のことがあったときゴールデンカムイは当然無料公開中ではなかった。

本誌派の読者は本誌と単行本、それぞれにお金を払って違う展開を読んだことになる。

 

その後の単行本でも21巻レベルでこそなかったものの、やはり本誌で批判された部分を単行本で加筆修正する・

あるいは批判があったわけでもないのになぜか加筆修正するという行為は繰り返され、そのたびに読者の間で論争が起きた。

 

単行本での加筆修正以外の問題

問題単行本での加筆修正だけではない。

21巻以降、もともとエグみのあるネタが多かったこれまでと比べても人を選ぶギャグエピソードが増え、やはり賛否両論が沸き起こった。

 

具体的には、

シマエナガ

(多くの人のトラウマになった話。これまでの動物を食べるシーンと違い、数日を一緒に過ごしたシマエナガを食べようとする際の杉元の表情が恐ろしい)

児童連続殺人犯・上エ地

(様々な殺人犯が登場してきたが、子供ばかりを狙う殺人犯はいなかったため拒否反応を示す人も多かった。

ちなみに本誌では25巻に出てきた少年の飼い犬・タローが惨殺され、上エ地が少年の首を絞めようとするシーンももっと長かったが、

本誌の時点で残虐すぎると批判殺到したためか単行本ではカットされた)

・精〇探偵

(他の人も言っているが、さすがに液体描写はやりすぎだったのではないか

下品すぎると言って脱落した人や、本気でショックを受けていた宇佐美ファンも多かった)

海賊太郎死体ギャグ名前を間違えるギャグ

(これまでもモブキャラ死体を使ったギャグはあったが、登場してからある程度時間が経ち、ファンも付いていた房太郎死体が車から飛び出すギャグには賛否あった。

太郎の死の直後、白石が「大阪太郎(正しくは大沢太郎)」と名前を間違えるギャグにも不謹慎だと非難の声が上がった。このギャグ単行本で削除された)

などだ。

 

「作者が自分漫画で何を描こうと自由じゃないか」という反論もあるだろう。

でも、読者は何も単なるわがまま上記のような描写批判したのではないと思う。

 

ゴールデンカムイは(作者がそれを望もうが望まなかろうが)今やアイヌ文化を扱った代表的漫画としてメディアで取り上げられている作品だ。

せっかくアイヌ文化に興味を持って漫画を読んだ人がエグすぎるネタを拒絶して読むのをやめてしまったら元も子もない。

ただでさえ姉畑やラッコ鍋などの時点で受け付けなかった人もいたのだから、それ以上に過激ネタは控えるべきだったのではないだろうか。

 

「こんなヤバい漫画を展示した大英博物館や、観光客誘致に使っている北海道、心広すぎw」

などとネタにしている人もいるが、そんな場合ではないと思う。

作者と編集部は、アイヌ文化を描いている漫画悪趣味ネタに走ったことを真剣に恥ずかしいと思った方がいい。

 

さらに、謎解きの残念さも読者離れを招いた理由の一つだ。

 

・14巻では七人のアイヌ殺しの謎を知るウイルクが、19巻ではキロランケが死んでしまい、「本当に謎は解けるのか?」と不信感を持った読者が多かった。

結局27巻で鶴見の口から過去真相が明かされたが、この間に離れてしまった読者もいた

暗号解読刺青24必要という設定だったはずが、いつの間にか24枚全部なくても解けるとキャラほぼ全員が知っていたということになる(読者に全く説明はなし)

物語の当初からキャラたちが求め続けていた黄金がようやく見つかったが、黄金の半分が北海道土地権利書の購入に使われてしまっており、読者の感慨も半減してしまった

・謎多きキャラ・尾形が金塊争奪戦に参加している目的は初期から伏せられたままだったが、304話にしてやっと明かされた目的政治的ものではなく、個人的動機に過ぎなかった

鶴見黄金を求める本当の理由が最新話(現時点で312話)になっても曖昧なままになっている。また、部下の月島を騙した事件の詳しい真相不明なまま

 

などが挙げられる。

21巻以降こういう重要な謎がなかなか解決されないまま、いまいち意味があるとも思えない回想シーン

(例えば25巻の「上等兵たち」や28巻の杉元の過去など)をやっていたので、ストーリーが停滞してしまったと思う。

 

数年単位漫画を追っていた身としてはキャラたちの変化も気になる。

良い方への変化なら成長と受け取れるが、どうもキャラが悪い方へばかり向かっている気がする。

 

主人公の杉元は戦闘能力が高いだけではなく、初期にはとっさの機転で危機回避したりとクレバーな面も目立ったが、最近ではほぼ戦闘力(というか暴力)一辺倒のキャラになった。

28巻の回想で士官候補生たちに急に喧嘩を売ったり勇作をビンタしたりするシーンがあったが、初期の杉元はここまで野蛮ではなかった

・以前のアシリパ自分の父が姉畑を脱獄させたのかもしれないと気にしたり、偽アイヌ村でたくさんの敵を殺した杉元のことを地獄に落ちるのではないか心配したりしていたが、

今では父親のしたことや杉元の殺人について気にする描写がなくなった

白石戦闘力こそないもの脱獄脱出侵入)の腕前はピカイチという設定だったが、サッポロビール工場編、五稜郭編、蒸気機関車編のいずれでもその腕前を生かせていない

・尾形は冷徹皮肉屋なスナイパーだったが、だんだんと生い立ちの問題が強調されはじめ、最後には精神錯乱状態に陥って自死という悲惨な結果を迎えた

月島鶴見の忠実な側近として登場したが、徐々に鶴見への不信感を抱えたキャラという設定になり、最終章に入っても鶴見について行くのかどうかはっきりしないキャラになった

鶴見や土方は以前はもっと大物めいたキャラだったが、北海道日本から独立させて新しい国家を作るという壮大な目的に達する気配が少しもないまま、

土方は死亡・鶴見も杉元に倒されるのでは?という展開になっている

 

他にもあるが、ざっとこんなところだろうか。

ゴールデンカムイキャラクター人気も非常に高い作品だ。このようなキャラの変化について行けず、読むのをやめてしまったという人を何人も見かけた。

無料公開で一気読みした人にとっては、上に挙げたようなことはどれも些細なことかもしれない。

だが何年も作品を追いかけ、キャラ応援してきた人にとっては違うのだ。

 

キャラファンキャラに夢を見すぎただけ」という意見もある。確かにそういう面もないわけではないと思う。

でも、ゴールデンカムイキャラグッズを購入していた層はそんな「キャラに夢を見ていた」タイプファンだったのではないだろうか。

ストーリーを壊さない程度に、ファン最後まで応援したくなるようなキャラを描き切ることはできなかったのか。

 

特にそのキャラファンというわけではなくても、どんどん魅力だった面を失いかっこ悪くなっていくキャラたちを見ているのは忍びなかった。

作者が自分で考えたキャラの魅力を把握していないかのような様子には理解に苦しむ。

 

とまあ、思いのほか長くなったが大体このようなことがあって数年来の読者は少しずつ去っていった。

そして、単行本での大幅な加筆修正や癖のあるギャグにも肯定的ファンばかりが目立つようになり、

あまつさえ作品に対するネガティブ感想排除するような攻撃的な読者が増えていった。

 

ゴールデンカムイそもそもそんなに人気なのか

「人が去ったと言ってもそんなに多くないんじゃないの? ネットではこんなに人気だし…」

「読むのをやめた人がいても、無料公開でそれ以上に新規の読者も入ったんじゃない?」と思う人もいるかもしれない。

でも事実、ここ数巻のゴールデンカムイの初動売り上げは下がり続けているのだ。

 

匿名掲示板・5ちゃんねるに「コミックランキング売り上げ議論スレ」というスレッドがある。

オリコンチャート漫画単行本売り上げランキングに載っている売り上げ部数(電子書籍は除く)を元に、

その単行本が発売後およそ1ヶ月程度でどれほど売れたか(=初動売り上げ)をまとめているスレッドだ。

もちろん発売日から日にちが経ってもその漫画を買う人はいるし、電子書籍で買う人もいる。

でも、「紙の単行本を発売日後すぐに買う」人の数はその漫画にどのくらい根強いファンが付いているかというある程度の目安になる。

 

ゴールデンカムイアニメ化した後の15巻から追える範囲で初動売り上げの推移を見ていくと、

(一番右端の矢印は、前巻から売り上げが上がったか下がったかを表す)

 

アニメ1期2期放送後)

15巻 29万 1580部 ‐

16巻 32万 3995部 ↑

17巻 26万 7279部 ↓

18巻 29万 5117部 ↑

19巻 26万 2729部 ↓

20巻 25万 4168部 ↓

21巻 23万 9891部 ↓

22巻 22万 5296部 ↓

23巻 21万 9403部 ↓

アニメ3期放送後)

24巻 データなし

25巻 22万 3234部 ↑

26巻 20万 8601部 ↓

(全話無料公開後)

27巻 20万 5874部 ↓

28巻 20万 0391部 ↓

 

19巻以降しばらく初動売り上げ部数が下がり続け、3期放送後の25巻で少し上がったが、26巻からはまた下がっている。

注目すべきは、去年の全話無料公開後に発売された27巻は初動売り上げが上がる…かと思いきや下がったことだ。

電子書籍で買った人が多かったともとれるが、それにしても単行本の売り上げが下がるという事態普通なら考えにくい。

 

無料で読んだ結果それで満足してしまい(または思ったよりもつまらないと感じ)、単行本を買うまでもないと判断した人が多かったのでは?」

「何度も無料公開を繰り返したことで、お金を払って読んできたファンとしては馬鹿らしくなって愛想を尽かしてしまったのでは?」

 

そう思ってしまう。

 

ゴールデンカムイの累計発行部数は、28巻までが発売されている現在で1800万部だそうだ。

「そんなものなの? もっと売れてると思ってた」という声を見かけたが、確かにネット上でかなり話題になっている割には発行部数が少ないと感じる。

このくらい話題になっていれば、本来なら発行部数が3000万~5000万部くらいは突破していてもおかしくなさそうである

でも、現実には2000万部にも届いていない。

 

これまでの経緯を見るに、作者や編集部は初期からの読者の意見蔑ろにして、単行本での大幅な加筆修正があることを売りにし、

人を選ぶギャグを増やし、謎解きや伏線回収を疎かにし、多くのファンが付いているキャラたちの整合性をとることにも気を遣わなかった。

それで以前からの読者が離れると、そのたびに無料公開をおこなって新規の読者獲得に躍起になってきた。

正直「マッチポンプだな」と思ってしまう。

 

売り上げを伸ばしたいなら無料公開よりも、以前からの読者の意見漫画ストーリーキャラクター、

そして何よりアイヌ北海道という作品テーマもっと大事にした方がよほど良かったと思う。

 

今回の無料公開で公式は「狂った犬の様に伴走(はし)れっ!」というキャッチコピーを使っている。

ゴールデンカムイが本当にアイヌの人々に寄り添っているなら、このキャッチコピーを選ぶことはなかっただろう。

 

一年ほど前、日本テレビの番組スッキリ」でアイヌと犬をかけたギャグ炎上した時、ゴールデンカムイ公式特に抗議の声を上げなかった。

アイヌ文化漫画ネタとして都合よく消費はしたいが、厄介ごとには首を突っ込みたくない。ざっくり言うとそういうことではないのか、と疑ってしまう。

 

日テレスッキリアイヌ差別表現検証 チェック甘く

https://www.asahi.com/articles/ASP8V575NP8VUCVL00C.html?iref=pc_extlink

 

まとめ

今回の全話無料公開を受けて、「すごい大盤振る舞い!」と喜んでいる人をたくさん見かけるが、一方でこう思っている人もいると思う。

 

「少し前にも全話無料公開したばかりなのに、大丈夫なの? 何かウラがあるのでは?」

 

あなたの勘は正しい。

恐らくは減った分の読者を少しでも取り戻そうとして、または最終回に向けて何となく盛り上がってる感を出したくて、

今回の全話無料公開を打ち出したのだろうと個人的には推測している。

最終回の後には「ゴールデンカムイ展」が開催されるが、そこに1話が本誌に掲載された時からの読者は果たして何人くらいやって来るのだろうか。

 

かく言う私も最初アニメ化後にゴールデンカムイを読み始めた勢で、今の読者の中では古参にあたるのかもしれないが最古参ではない。

概ね樺太編(21巻くらい)までは、多少の疑問がありつつも楽しんでいた。

でもその後の展開は上記に書いたような疑問続きで、どんどん読むのが苦痛になっていき、実際に何度か読むのをやめてしまった。

それでも結局戻ってきたのは、せめて結末がどうなるのかだけでも知りたかたからだ。

(かつての面白さが戻ることはないだろうし、失望するだけだとはわかっているのだが。)

それほど、以前のゴールデンカムイストーリーにもキャラにも魅力があった。

 

ともあれ、ここまで来たからには残りの2話も読むつもりだ。

あれほど素晴らしかった作品がなぜこんなことになってしまったのか、本当に残念でならない。

何か事情があるのなら切実に知りたいと思っている。

 

あくま自分が見てきた範囲で経緯を説明したつもりだが、最初にも書いた通り、補足や訂正のある方は遠慮なくお願いします。

2022-04-15

たわわがダメならananダメじゃんに物申したい件

ついでにババアJK広告にすぐキレるのは若さ嫉妬している説にも物申したい件



ずっと違和感があったのでちょうど炎上してるし書いてみようと思う。

たわわの炎上記事のリプ欄を見ると高確率anan画像が貼られていて、ドヤ顔でキレ散らかしている人間がいる。

おそらくこの人たちは、女性は「女性エロ画像NG!」と言う癖に「男性エロ画像OK!」と言う点がダブスタだと言いたいんだと思う。

でも自分そもそも前提が間違っていると思っている。

上記の主張をする人間はたぶんこう思っている。

男性にとって女性はえっちな存在から女性にとっても男性はえっちな存在なはず」

まり男性にとってえっち度は

女性>>>>>男性

で、女性にとってえっち度は

男性>>>>>女性

という主張である

でも実際は「男性にとっても女性にとっても女性の方がえっち男性はあまりえっちではない」が正しいんじゃないだろうか。

まり男性にとってえっち度は

女性>>>>>男性

で、女性にとってもえっち度は

女性>>>>>男性

ということである

JK真逆の例を出そう。

デブで脂汗を浮かべているキモいハゲおっさん想像してみてほしい。

男性だろうが女性だろうがキモいハゲおっさんはあまり好きではないと思う。どう考えてもえっちではない(特殊性癖の人は置いておく)

逆に言うと可愛くて巨乳JK男性だろうが女性だろうが大好きだし、えっちだと感じるのだ。

たぶん。



では何故えっちJK広告炎上するのか?そして何故突っかかるのが大体おばはんなのか。

これはおそらく個人エロ耐性の問題だと思う。

エロ耐性は多くの場合過去にどれだけえっちコンテンツ摂取たかで決まる。

グロ耐性と同じようなものだと思ってもらえればいいと思う。

おそらくだエロ耐性の強さは大体こうなる。

ほとんどの男性>>>>>>ほとんどの女性>>一部の男性>>>一部の女性

2次元に対するエロ耐性だと少し変わって

オタク男性>>>>>オタク女性>>>非オタ男性>>>>>非オタ女性

みたいな感じになる。

2次元エロコンテンツに対するこれまでの人生摂取量が異なるからだ。

先に述べたように、男性にとっても女性にとっても女性はえっちである

男性男性を見て興奮しないように、女性女性を見てもえっちだと感じないなんてそんなことはない。

そのうえ2次元巨乳JKなんてえっちランキング最高峰と言っても過言ではない存在である異論は認める

グロ画像を見た時にグロ耐性のない人がオエッてなるのと同じように、エロ耐性のない人がいきなりエロ最高峰を浴びたらそりゃあウワッてなるのである

おばはん達はおそらく昭和3次元女性エロコンテンツへの耐性はあるが、令和の2次元女性エロコンテンツへの耐性はない。

若さへの嫉妬などではなくて、単に2次元摂取量があまりに少ないからだ。

以上が、一部のおばはん達が2次元女性えっち表現に噛み付く理由考察である


言いたかたことは大体書いたので、最後にたわわのどこが良くなかったのか自分意見を書いておく。

もう少し考慮した方が良かったのではと感じる点は以下の2点である

・「たわわ」という文字

・左下のアニメ原作宣伝画像

メインのアイちゃんイラスト自体は、普段のたわわからは考えられない程おっぱいの主張が大人しく、作者の配慮を感じられる。

しかし左下の宣伝画像がそれを台無しにした。明らかに巨乳を強調した画像からだ。

加えて「たわわ」の文字である

たわわなんて言葉は今時巨乳比喩くらいにしか使われない。

「たわわに実った果実」という文字列を見て純粋果実想像する人間がどのくらいいるだろう。

大体ロゴからしてぶるんぶるんである

正直これではエロ耐性のない人から文句を言われても仕方ないと思う。

グロ画像で例えると、こんな感じだ。

殺人鬼のような格好をした人間チェーンソーを後ろ手に持って立っているイラストが描かれている。

イラスト自体には特に臓物や血は描かれていないが、タイトルロゴ返り血で真っ赤になっているし、左下の既刊紹介画像には血塗れの臓器や死体の断面がデカデカと映っている。

これでは猟奇的広告だと言われても仕方ない。

実は殺人鬼から民間人を守るヒーロー漫画だったとしてもである


何でもかんでも規制する必要はないと思う。

ないとは思うが、耐性のない人がどこに目を向けるのか、そして耐性のない人にどこまで合わせるのかは慎重に考えた方がいい気がした。

長くなったけど書いてすっきりしたので終わりです。

ちなみにこの記事20代女性が書きました。

高齢者父親がなろう系にハマった

うそろそろ古希になろうとする父親だが、ここ数年でなろう系にすっかりハマってしまった

元々、昔から銀英伝とかグイン・サーガアルスラーン戦記とかみたいなファンタジー小説スペースオペラが好きで読んでいた

アニメもそこそこ見ていて、探偵物とかSFアニメとかを見ていた

還暦を超えたあたりで、職場が変わり暇な時間も増え家でゴロゴロする事が多くなったので、ボケ防止に何となく適当ななろう系アニメをサブスクから勧めた

そしたらすっかりとハマってしまい、映画化が決まると初日舞台挨拶にまで行く始末

暇な時間が多いからか何周もアニメを視聴し考察をわざわざ話してくる

今ではすっかりなろう系の虜になり、小説家になろうとかのWebサイト毎日のように漁ってる

久しぶりに帰省すれば実家には書籍化したなろう系の本が山積み……

なろう系って高齢オタクにほどウケるんだな……

深く考えなくても読めるし楽でいいと父親は話してたけど

追記

かに水戸黄門暴れん坊将軍も好きだったから元々素質あったのかもな

どんな作品を読んでるかを書く(1部なろう系じゃないラノベあり)

親が読んでるの全部知ってる訳じゃないから本人が面白いと会った時に豪語してたやつね

転生したらスライムだった件

盾の勇者の成り上がり

乙女ゲーム破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…

魔法科高校の劣等生

とある魔術の禁書目録

本好きの下剋上

・月が導く異世界道中

無職転生 ~異世界行ったら本気だす~

他にも色々上げてたけど、アニメ化してない作品ばかりだから自分知らなくて覚えてない

基本、アニメ化してる奴は全部見てると思う

何故なら、なろう系にハマりだした頃からクールアニメは全部面白くなくても最後まで切らずに見てるらしいか

逆に面白くないと言ってた作品を上げる

・ソー〇アートオンライン

あんまりゲームとかしないかネトゲRPG世界観が分からいから没入出来ないらしい

本人がアニメを見た上で映画を見たいと言うので連れていったけど不発だった

何度か本人になろうに投稿したらと言ったけど、自分には文才無いから無理と言ってた

追記2

ちょうど父親が来てる為どんなジャンルを読んでるのか聞いてみた

ジャンルの分け方が分からないけど、ほとんどが異世界転移異世界転生でその中で分けてる

勿論、現地主人公のやつも読んでるらしいが

主人公最高系

やっぱり主人公無双するやつは、悪役成敗でスカッとして楽しいらしい

その中でも内政チートは、現実では不可能から面白いけど、足りない知識化学とか語られると無理みたい

ペニシリンだ!ぐらいならいいけど、それを掘り下げて知識がないのに専門的な用語を並べるのはちょっとと話してた

なぜなら本人がバリパリ理系仕事してるから、これ違うよ!ってなるみたい

追放もの

これも、よくあるパターンスカッとする

元の仲間が落ちぶれていくのがらしい

・悪役令嬢もの

断罪をバシバシ躱してくところがやっぱりスカッとするらしい

ただし、恋愛色が強いのは読まない

叔母(父の妹)の影響で少女漫画(ガラスの仮面とか)は読むのに何故だろう?

恋愛とかって歳じゃないからか?

歴史

元々、世界史日本史も大好きだから

ただし、織田信長とか豊臣秀吉は嫌いなので戦国時代転移とか転生のやつは読まない

1番好きな時代第二次世界大戦なのでそこら辺の話が好き(確かに紺碧艦隊も滅茶苦茶読んでたしな)

余談だけど自衛隊ネタも好きなので、ゲート 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えりものすごくハマってる

どうやら、架空戦記も好きみたいだ

2022-04-14

米津玄師ってさ…

自分自身メジャーデビューする時にニコニコを利用してスタートダッシュ成功したじゃん

そりゃその後も人気を維持してるのは本人の実力だろうけど、それでも踏み台にした古巣に向かって

自分が居た時とは全然違って今や砂漠のようだ」と後ろ足で砂かけるような曲を公開したよね

その"砂漠"で今も活動している人たちの頭に恐れ多くも大上段からありがたい砂がバサバサ

自分作詞作曲して投稿する分には自由だけど、よりによって当時ボカロイベントへの提供曲で当てつけのように作ってさ、

そんでユーザ考察に任せて黙ってりゃいいものをわざわざ自分の口から説明してるんだよね

ネット民共有サンドバックと化している落ち目ニコニコとは言え、犬猫ですら一宿一飯の義は忘れないというのに

その辺がなんかこうアーティスト無罪、今の自分ならアートに乗せれば多少の失礼は許される、的な傲慢さがして苦手意識があるんだよな

ナチス悪者にするのは簡単だ。しかし…」

という言葉を河瀨直美監督東大入学式祝辞を読んで思い出した。ナチス将校にも、大日本帝国兵士にも、自分たち行為正当化する「内在的論理」があった。

からこそ、それを悪魔化して切り捨てることなく、真摯分析して、過ちを繰り返さないために再び社会包摂していくというプロセス必要になる。

ロシアという国もいずれは国際社会に復帰し、そのようにして再統合される日が来るだろう。

しかし、彼らの主張を他の正義と同じ水準に並べることには慎重でなければならない。なぜならそれは彼らの蛮行正当化する主張に力を与える行為に他ならないからだ。

河瀨監督真意はともかく、その語りの重心が「悪魔化された対象包摂」よりも「ロシア蛮行不用意な相対化」に傾いていることは否定しがたい。

ひとりの宗教家の「あれらの国の名前を言わへんようにしとんや」という遠回しな言葉引用するとき、「ロシア」「ウクライナ」という具体的な国名があえて補われている。

そして「その国の正義ウクライナ正義とぶつかり合っているのだとしたら」と相対化を試み、「一方的な側から意見に左右されてもの本質を見誤ってはいないだろうか?」とダメ押しが加えられている。

が、「もの本質」が何なのかという具体的な説明はなされないまま、語りは「自分たちの国がどこかの国を侵攻する可能性があるということを自覚しておく必要があるのです」という一般論的な自省へと流れていく。

ここで分かるのは、「ロシア」と「ウクライナ」は一見するとまったく具体的な固有名詞のようだが、このテキストでは単に「同じ水準で対立する2つの正義」という抽象化されたアイコンにすぎないということだ。そしてそのような使われ方によって、両者の「正義」の対立が同水準であることが暗示されてしまっている。

また、ロシア悪玉論を揺さぶオルタナティブな視座として提示されているらしい「それを止めるにはどうすればいいのか。なぜこのようなことが起こってしまっているのか。一方的な側から意見に左右されてもの本質を見誤ってはいないだろうか?」という問いかけは、実のところは開戦当初から繰り返しメディアに登場してきたものだ。

これもまた「ロシアを悪とする議論はこのような基本的な問いかけすら踏まえていない」という誤った矮小化を導きかねないものだと思う。

河瀨監督ミスリーディング意図したとは思わない。だが、このウクライナ問題の扱われ方は、同じ祝辞の中で語られる「たった一つのから見える光景を深く考察すれば、世界通用する真理に到達できる」という世界観の限界をまざまざと示している。

2022-04-13

さよなら絵梨のラストシーンもあ〜主人公よかったねって読んでたけどTwitter見てるとクソ映画だのなんだのって真面目な読みしてる方が変みたいだし

藤本タツキ漫画って深読み考察流行るやつと何も考えずに読んだ方が勝ちみたいになるやつとあってどっちか区別つかんわ

さよなら絵梨の論点を整理したい

追記:整理と言いながら大分とっちらかってしまったので要約。

・少なくとも、スマホ主観視点になっていないシーンは編集済み=虚構。ほかのシーンについては解釈余地あり

・どこが虚構でどこが現実かについては作者にとって重要ではない。重要なのは読者が気持ちよく思い出を残すこと。

・爆発オチや、思いつきそうな感想を先回りして潰して大量に予防線を張ることで、まじめに言及したら負けのような状態を作っている。多少の言い訳なら鼻につくところだが、やりすぎることによって逆に面白くなっている。

■本作は五重構造になっている

母親最期を看取る主人公

②を映画にして上映したが、盛大に失敗。謎の女と共にリベンジ映画作る主人公

③の出来事を振り返る中年主人公

④に爆破オチを追加した主人公

⑤という映画体裁にしたマンガ

あとは無数の映画オマージュそれから作者の過去作や実体験も重なってくる。

■どこまでが虚構でどこから現実か?

身もふたもないことを言ってしまえばすべて虚構。なぜなら最後の爆破オチ現実ではありえないから。また、マンガなんだから全部虚構だろともいえる。ただ、それだと何も言っていないのと同じなので、作中世界で起こった事実を基に編集によって脚色されている、と捉える。じゃあどこが事実でどこが脚色なのか?これは作中でわかりやす表現されている、主観/俯瞰視点と、手ブレ表現を手掛かりにする。この二つを抑えておけば切り分けできる。

■①

最初主観視点スマホ撮影している。全体を通してだが、移動シーンやシーンの切り替えの際は、いちいち手ブレ表現を入れている。このへんはいわゆるドキュメンタリー映画王道表現なだがマンガでこれをやって読者に伝わるのか?

18P、主観視点になっていない=スマホで撮っていないので編集シーン。ここテストに出ます

P19、雑な爆発シーンは後付けであることが容易にわかるのだが、P18の構図には映像を取っているはずの主人公が映っている→誰が撮影している?→後撮り。さらに、P123において優太は車から出ていないことが示されており、そうするとP16からすでに父親が演技していることまで疑えてしまう。

■②

P21の俯瞰視点、これは何をどうやっても後撮りでないと撮影できない。P23も怪しい。P27はスマホ隠し撮りしているとすれば後撮りでなくても可能。そして最初作品批評がここ。読者の思ったことをわざわざ言語化してくれているのが、逆にこの作品の非常に批評しづらいところ(どういう感想をつぶやこうとしても、作品内で先取りされてしまう)、そのまま引用

★"母親の死を冒とく"”あん映像流して母親申し訳ないと思わないのか”そして極めつけの"ラストなんで爆発させた?"

続いて自殺シーン。P32のメメントモリ、は死を思え、という慣用句だが映画文脈では映画メメントを思い出させる。いっそメメントみたいに時系列シャッフルすればよかったのに、と思うところだが、実は時系列編集によって巧みにシャッフルされているという捉え方もできる。実際にリアルタイムスマホで撮った映像と、後撮りした映像シームレスに混ざっているが、普通にマンガを読んだだけでは気づかないようになっている。もちろん全部後撮りの可能性もあるが、それだと考察のしようがないので手ブレしてるところは本物と考える。

P39、作中で言及されている通り本来眼鏡かけてて矯正もしているので、A.めちゃくちゃ頑張って撮りためた映像ソフト編集した、B.わざわざ撮影のために演技して撮り直した、C.完全なる創作かの三択となる。中学生技術力を考えるとBかC。

P45、プロジェクターの真ん前にカメラを置いているから、完全に後撮り。ちなみにここで映っているのは映画ファイトクラブファイトクラブは、本作のどこまでが現実空想かわからないというネタ元の一つになっている。話がそれるが、ファイトクラブといえば選挙演説で有名な外山恒一批評が異様に完成度が高く、未視聴でも必読。ほかにメタ構造ネタでヒットしたカメラを止めるな!も思い浮かぶ。あとニューシネマパラダイスとか、そもそも本作のタイトルとページ数の元ネタであるぼくのエリ 200歳の少女など、挙げればきりがないと思うし俺なんかより作者の方が100倍くらい映画をみてそうなんでネタ元を挙げ切るのは不可能だが、個人的にはこのへんの映画を思い出した。

★P52、作品批評"どこまでが事実でどこまでが創作かわからない"。

P63、二人はしばらくずっと映画見ているが、ここもプロジェクター視点になってる。ちなみに、このひたすら映画を見て感想言う特訓だが、これは作者自身過去編集と似たようなやりとりしてたことを過去インタビューで語っていた。

★P79にて、これも一応作品批評になるのか、一見意味不明な爆発シーンを入れた動機主人公の口から言語化されている。

★P82で、作品テーマである"ファンタジーひとつまみ"=吸血鬼と爆発要素。

P84で、①のネタばらし。実は母親の嫌なところは編集でバッサリカットされていることが判明し、作中描写編集ウソが混ざっていることが明示される。

★P86にて自己分析という体で、①を批評している。"主人公の抱えている問題は…多分…映画バカにされた事じゃなくて…母親の死を撮らなかったこと"そして、吸血鬼死ぬシーンの説明

P87で絵梨が意味深沈黙しているシーン、ここで彼女の死期が近いことが偶然にも主人公提案したプロットと被ってしまい、その動揺を表すために意図的に同じコマが挿入されている。動揺しているからこそ表情が動かないというのは逆説的だが、P85の喜怒哀楽表現との対比により、余計に目立つ。P85~86過去回想シーンのため、編集

P90~P93もそう。意図的沈黙を配置することで画面に緊張感を作っている。さっきの彼女沈黙と比べるとわかりやすい。こういう間を作る表現は、週刊連載のページ数に囚われないからこそやりやす表現で、電子掲載特性が生かされていて良い。

★P93~の父親の名演技。これも作品批評になっている。"自分面白いと思って作った作品馬鹿にされオモチャにされたらまともじゃいられないんだ"。

前のルックバックに対する批判を思い出す。ちなみに作者の自伝的要素としては思い当たるふしがもうひとつあって、チェーンソーマンの前作ファイアパンチでも作中のある印象的なコマが切り取られて海外(主に4chanの/a/)でネットミームというおもちゃになっている。"kino meme"で検索したらたくさん出てくる。

P97、この父親の怒りすらも演技という体。父親作品批評をそのまま言わせてしまうのとわかりやすすぎだが、あえてそれを"演技ですよ、本当はそんなこと思っていませんよ"と自虐的ネタにしてアピールすることで、ネタマジレスを防ぐと同時に、この作品テーマの一つである虚構現実の境目がわからない状態を作り出していて一石二鳥となっている。

★P99、ここで批評をもう一発かましてくる。"創作って受け手が抱えている問題に踏み込んで笑わせたり泣かせたりするモンでしょ?作り手も傷つかないとフェアじゃないよね"

ここは非常に巧妙で、さっきの作品批評がわざとらしい感じだが対比してこっちは本音を語っているように見える。傷つきはするけどしょうがないよね、そしてなにより、創作ってのは受け手も傷ついてなんぼのもんだろ、という主張を相当オブラートに包んで発言している。

P100、"今のセリフいいでしょ?"とこの本音を語っているように見せた発言すらメタってしまう。これすら本音ではないと言っており、さすがに照れ隠しじゃねーのと思うが予防線になっている。

P108。最初出会い病院なわけで、何らかの病気であることは元々暗示されていたが、ここで絵梨が倒れこみ、病気存在が劇的な形で示される。手ブレにより躍動感が表現されていて気持ちがよいがこれ伝わるのか?(2度目)。

P109、病院では一切手ブレがなく動と静の対比。P117、①のような素人臭い動きの画面が続き、主人公の動揺する心理が表れている。この漫画ほぼモノローグがない代わりに、マンガなのにもかかわらずこういうカメラワークでの映画表現をうまく使って心情を表現していて、作者はやはり天才か?となる。

P122、お母さんの性格の悪さが開示され、①はかなり編集が入っていたと判明する。ただし、嘘だったとしても、思い出を美化するのはいいことだと主張している。

★P130、作品批評。"優太はどんな風に思い出すか、自分で決める力があるんだよ それって実は凄い事なんだ みんながどういう風に絵梨ちゃんを思い出すのか 絵梨ちゃんは優太に決めてほしかったんじゃないかな……"

ここは今までと違って、一切茶化していない。編集により現実が捻じ曲げられる恐ろしさというネガティブな側面を前もって提示しておきながら、でも思い出を美化するのもいいよね、と肯定する流れ。否定的にしたいなら順序を逆にすればいいだけなので、これは割と「作者がほんとうに伝えたかった事」としてとらえていいんじゃないかな?と思う。

P131、編集シーンが入ることで、②もまた生の現実ではなく、美化された思い出、編集された虚構ということが暗示される。

P133廃墟主観視点でないので、後撮り。

■③

P151にて場面転換。

P155、本来の絵梨は矯正している、眼鏡をかけていることが明らかになり、②のネタばらし。P130~132に対するわかりやすい答え合わせになっている。

P164、ここから主人公モノローグ。終盤の展開がモノローグではしょられるの、低予算あるあるで笑える。本筋じゃないし時間内の200Pに収まらいかカットされたのかもしれない。そうなると、ディレクターズカット版の単行本では未公開映像流れるのかな?

P167、低予算映画あるあるの、父親役と本人役が一人二役なんじゃないのかという考察を見たが、見た目違うとはいえ割とありそう。

■④

P177、ここにきて見開きばーん。P151以来のタメがあるのでとても気持ちが良い。①~④の間の場面転換すべてに共通して、見開きが挿入されたタイミングで、作中作現実メタ構造が切り替わる仕組みになっている。そして、さんざん言ったように主観視点になっていないので、これはすべて後撮り。よって吸血鬼実在しない。Q.E.D. あとこれ面白いのが、絵梨がメガネしてないし矯正もしてないところ。この吸血鬼映画の美化された絵梨を真似しているため、見た目も現実ではなく映画準拠になっている。

★P180、"そうかっ 夢か…… それか僕のイカれた幻覚で…"とわざわざ口に出して言う。

映画タイトルだけ羅列してもわかりにくいので、夢か現実かわからない状況を読者向けに解説する。あとシックスセンス定番ネタバレなんでしょうがないけど笑うわこんなん。

★P181、作品批評。"恋人が死んで終わる映画って在り来りだから後半に飛躍がほしいかな… ファンタジーひとつまみ足りないんじゃない?"

恋人が死んで終わる映画って在り来りだよねーという批判が飛んでくることがわかっていて予防線を張っており、後半の飛躍をまさに今行っている最中なので、言うまでもなく非常にメタい。

★P191、最期作品批評、"見る度に貴方に会える… 私が何度貴方を忘れても 何度でもまた思い出す それって素敵な事じゃない?"

作中の元になった出来事が忘れられても、作者が死んだとしても、作品が残れば思い出は受け継がれていく。たとえそれが美化され、脚色され、編集されたものだったとしても。つまり映画の内容がどこまで虚構でどこまで現実かはどうでもよく、受け取る観客がいい思い出を残してもらうことが大事、という壮大なちゃぶ台返し最後の爆破オチで壮大に茶化されているとしても、作者の伝えたい主張にウソはないだろう。

P199、ここは皆さん一番好きな映画の爆発を思い浮かべながら。予防線をあまりにも張り巡らしているせいで作品予防線の塊になっており、最後に爆発オチを持ってきてすべては創作だと主張することで、主客転倒が完成。終幕。

すべては爆発のための前振りととらえることもできなくはないが、ルックバックで思ってもなかった方向からダメージ食らったので、思いつく限りの主張を先回りしてそれ自体作品にしてやろうというところなのではないか脚本作る労力を考えると本当に頭が下がる。

藤田孝典

@fujitatakanori

今の日本に「ロシア侵攻」してもらって、多少の犠牲を払ってでも、現状変更を望む者はどれだけいるのか計り知れない。どうしたら日本は変われますか?という問いを持つ人たちばかりで、何とも言えない気持ちになる。

単純に暴力戦争ダメ、と言える人にこそ、多様な視点から考察してほしい。

午後11:37 · 2022年2月25日·Twitter Web App

https://twitter.com/fujitatakanori/status/1497219304294875138

2022-04-12

anond:20220412202457

別にそんなことない。浅くても数字出せるVとか本職芸能人とかのエンタメブースト持ちのYouTuber特殊なだけ。

例えばYouTubeや他のストリーミングサイトで主要ジャンルとなっているゲーム実況は、浅い人間相手にキャイキャイしてれば登録者数増えるわけじゃない。人間的魅力は重要だが、それだけでどうにかなる世界じゃないんだよ。

世界的に人気の原神を見ても、日本世界トップ配信者はみなガチ勢で、最新コンテンツをすごい勢いで攻略して指南動画を出し、一般人には真似できない廃課金キャラや装備が整った環境で性能検証して笑っちゃうようなダメージを出して楽しませ、実装前のキャラ性能を調査して準備を促し、世界観を各所に散らばったヒントから考察するなど、とにかく普通の人がなかなか及ばない部分を掘り下げていける優秀さがないと大手にはなれない。

それ以外にもサイエンス系にしろガジェット系にしろ、なにかの分野のトップストリーマーは浅かったら見向きもされなくなる。情報が早くて、深い、そういう映像を求めてるわけ、大半のYouTube視聴者は。

anond:20220412164906

こういう考察とか読む方が面白いから変なこと言って絡むやつ多いけど他の人も気にせず思ったこと書いて欲しいと思ってるよ

anond:20220412141023

もちろんどんな彼氏で、どんな付き合いだったのかはしらんけど。

彼女趣味カメラやめろっていうのって相当だと思わない?

なぜそう言われたのかもっと考察したほうがいいと思うよ。

さよなら絵梨」はどう価値があるのか

anond:20220411214043

一部の人しか楽しめない」「価値がないものをもちあげてる」という評価妥当ではなく、

さよなら絵梨』は優れたエンタメであり作品で、個人面白いとおもうかは別に価値はあるものとして考察されるべきものだと思う。

 

 

 【1:爆発オチが凄い】

作品が深く理解できてなくても、なんとなくの意味がありそうな爽快感を味あわせて

ネタとしてギャグとして作品が消費できるようになってる。

 【2:どう消費されるかのデザインが凄い】

この作品にどういうネガティブな反応があるかを網羅してるし、

どう語られるか、どういう反応があるかにとても意識的

(1)によって本来対象じゃない層もかなり拾い上げており

まるで祭りイベントデザインするかのように反応を誘導するのに成功している

 【3:メタ虚構の織り交ぜが凄い】

最後の爆発が嘘」「絵梨転生と吸血鬼設定が嘘」「交通事故が嘘」「そもそも全部が嘘で映画」とどれでも話が成り立つようになってる。

考察厨も大満足だし、パターンごとに優太が何故そうつくったのかを考えてもまた興味深く想像が広がる

 【4: (3)を前提としたメッセージが凄い】

たぶんこれから「○○がもっと妥当解釈で素晴らしい」みたいな言及や論争がいろいろあるんだろうけど、

実はそれは重要じゃなく、作品的にはどれでもよくて

「どんな風に思い出すか決める力がある」という父親言葉のように読者に委ねられてる。

しかし、それは『解釈はご自由に』という投げっぱなしではなくて

どのように解釈しても「(爆破オチという爽快感ある)想像力とフィクションで救いを人は得られる」というメッセージが成立しており

優太や創作側の人間に限らない普遍的フィクションのパワーを感じさせる。

からこそ(1)の段階でも凄さや良さがなんとなくでも伝わって評価されているのだと思う。

そして、それが(3)のどれがフィクションでもいい、という多重構造で語られてるのが芸術点が高い。

 【5:他にも語れる部分が多い】

藤本タツキ作家性や映画などのオマージュについて語れるのもポイントではあるだろうけど、(1)~(4)に比べれば些末だと思う。

人間の命が作品として残る、けどその作品永遠には残らず無常、だが創作への衝動はあるみたいな虚無と衝動のせめぎあいかのような

先生特有テーマ的な部分は個人的には興味深いけどそれはわけてまとめて語られたほうがいい

anond:20220412122047

(続き)最大で、細かい、細かくもないが重要でもない、重要だ、と三分割できるとする。

最初にこまけえこたあ~と言った人は、少なくとも細かいことの語る価値否定している。この人の頭の中に細かくもないが重要でもないみたいな中間概念があるかは分からない。

最初悪魔の証明だと反論した人は、「こまかくない」という悪魔の証明をつっぱねれば、自分の考えていることは語る価値があるとかんがえていることになるので、中間概念重要だという概念と同一視していることになる。あるいはこの人は細かいか細かくないか(重要か)という二分法で成り立っている。

そして後から同じように悪魔の証明だと言ってる側は、「お前自身重要だと証明するべきなんだよ」と言っている。それをしないかぎり、あるいは悪魔の証明を求めたところで、語る価値があることにはならないという態度である。これすなわち、この人の頭の中には中間概念があってもなくてもいいことになる。

中間概念があったとしても、最初の時点では「細かいことの語る価値」にしか言及しておらず、中間である場合にはどうかということには言明していないので、ここで改めて中間も含めて語る価値がないと考えていることになる態度をとっていたとしても矛盾はしていない。

この人自身が二分法で考えていたとしてもやはり矛盾しない。

で、だからなんだという話なんだ…どちらが悪魔の証明なのかを考察するのには役に立ちそうもないようなそうでもないような感がある

anond:20220412105014

(続き)こんなことを書いても、自分理解できるところまで対象を落とし込んだものについて考察して理解した気になってるだけと思われるのがオチだな。

それはもはや対象から変質してししまっていて、対象理解するという目的から乖離しているのに、理解した気になってるだけという感じ。

かりに当たっていたとしても、提唱者本人始め高校数学概念理解できるものだと思ってないから、高校数学用語しか使ってないと文面からわかった段階でちゃんと読もうとしないというわけだ。

そういうものにも耳を傾ける気にさせる場がほしいということだな。真剣に聞いてあげざるを得ないということになる状況の設定というか、舞台のお膳立てというもの必要

たとえばNHKヒューマニエンスという番組では織田裕二素人考えにも専門家真剣に考えざるをえなくなっているが、ああいう場に権威ある人間を引きずり出す(実際にはそうなるように仕向けるだけ(自作自演))必要がある。単にメール自分の考えを書いてもスルーされるのがオチ

anond:20220412045355

考察させようとする作者の作為を感じてしまうと、

つきあってられない感覚に襲われる。

考察して楽しむ系の作品お腹いっぱい。

2022-04-11

anond:20220411114510

実際はてなー映画見たらめっちゃまらなそうだとは思う。

もしも100人はてなー集めて映画鑑賞会やったら絶対地獄になるわ。

まず精神を病んでて風呂入ってない奴や突然奇声上げる奴がいるだろう時点で悪臭騒音が予想できる。

続いて上映する映画マイナーだったら見下しまくるアホが出てきて有名なら逆張りしてくるバカで溢れる。

俳優の役と人種が違っていたら騒ぐやつはいるに決まってるし、逆に同じなら同じでそれに文句が出るだろう。

ステレオタイプキャラクターは許されないが、そこを外せば今度はどういう役なのか分からないとブー垂れる。

偉そうに「NOT FO ME」と叫んで途中退席した癖に寂しそうに後ろから「お前らこんな映画見て消費してるのー」って必死に叫んで仲間を増やそうとするアホは確実に出てくるだろうな。

聞いてもないのにどこそこのパクリパロディだと教えたがりの奴に隣に座られたら最悪だ。

性器乳首が映った途端にキレ始めるやつもいるだろうし、逆に諸手を挙げて喝采をあげる脳みそ海綿体もいるだろう。

自分伏線見落としただけなのにプロット文句つける奴もいるだろうし単なる勘違いのくせに話が繋がってないと叫びだすアホもいるだろうな。

2周目の奴らは平気でネタバレを語るし、初見の奴らは考察サイトを見てからじゃないと話が理解できないのでずっと変な顔してる。

賢ぶりたがる間抜けの集まりと一緒に映画なんて見るもんじゃなかったと100人100人が後悔して帰路につくだろう。

そんなサイト

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anond:20220411172429

なるほど

吸血鬼のくだりは主人公が絵梨の死を克服するためのファンタジーだったのね

爆発の方がファンタジーなんだと思ってた

っていうのもまぁただの考察の一つでしかないけど、この説の方が腑に落ちたから俺の中ではそういうことにしておく

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