はてなキーワード: 良心とは
酒煙草とエロの直接関係性で話をしてるのではなく、コンビニにおいてある年齢制限物、それにより何かしらの被害や、嫌悪を想起させる物として同列の比較をしてるだけです。
なんで同列にするの?
そんなこと言い出したら、この世にはポテチにトラウマがある人とか、ペットボトルの飲料にトラウマがある人もいるかもしれない!て主張すら可能になるでしょ
問題にされているのは、コンビに入ると幼児の目にも入るような場所にエロ本が陳列されているというシンプルな「現状」だ
「目に入ってくることの精神的苦痛」の定義を広げて相対化したらきりがないから、「酒や煙草のほうが有害だと思うなら別個にそれを訴えれば?」と書いた
だから、その娯楽性に「女子供への性犯罪や暴力を喜ぶような内容」が含まれていることが最大の問題で、酒や煙草とは違うだろと書いたのだが?
え、ほんとにわかんない?
それを目にするのが苦痛な人たちに対して、気遣いや良心から配慮してるわけじゃない
元記事はたしかに「主観と感情」からの訴えだが、それを「差別と偏見」だと決めつけてるほうが読解力ないわ
そもそも、自属性に対する屈辱的で卑猥な表現物を日常的に見せられたくない、という訴えは、感情を排したら出てこないに決まってる
自分はコンビニのエロ本なんてスルーしてる。根絶すべき、なんて思っちゃいない
けど、幼児がコンビニでエロ本指差してたりするのも見てるから、陳列はもう少し考えてもいいんじゃないのって主張に共感する
目に入れるのもつらい、って人の気持ちにも、もう少し寄り添ってもいいんじゃないのって思ってる
元記事ちゃんと読んでほしいのはこっちなんだが
エロ自体は毛嫌いしてないが、「しかるべき場所」ではないことに嫌気が差すって主張じゃん
カード式にしてはどうか、というのは一案にすぎないって書いてるじゃん
サイコパスとは、他人に苦痛を与えたり、酷い目に合わせることに、なんの良心の呵責も抱かない人を言うのだよ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E7%97%85%E8%B3%AA
私は過去境界性人格障害と診断され、現在ほぼ寛解している状態。
私は両親が自営業の共働きの家庭、そこに祖母も加えた4人で暮らしていた。
父は機嫌が悪いと私や母にその鬱憤をぶつけるような人だった。
今思えば父も人格障害だったのだと思う。
ぶたれたり無視されることは多々あり、小学校に上がってからは体を触られたりしていた。
祖母には一切そういうことはしなかったので、逃げる時はいつも祖母の部屋へ逃げていた。
この頃は逃げ場があったことで私も母も耐えられたのだと思う。
だが10歳の時、祖母が死んだ。
それを受け、母が離婚すると言い出した。
後で伝え聞いた話だと歯止めである祖母がいなくなり怖くなったのだと言っていたそうだ。
だが父は離婚はしないと言い、あまり詳しいことはわからないが裁判になったようだ。
その後いろいろあったが離婚は成立。母と私の二人暮らしとなった。
中学校に入学してからは父と離婚したことは私にとってよかったのだと思えるようになっていた。
これで機嫌を伺わなくてもいい、嫌なことはもうされないから。
母は離婚を機に事業を人に譲り、ゆっくり時間を取って私と向き合おうとしていた。
高校に入学し、お互い少し本音を言えるような関係になった頃、突然母が死んだ。
17歳の時。何とか維持出来たものが、ここで完全に狂ったのだと思う。
母の葬儀の時に悲しいと思えなかった。涙も出ない、何も感じない。
母の死を受け入れられなかったのだと思う。
後で母親が死んだ時に泣かないなんて冷たい娘だと言われていたと聞いた。
もっと酷いことも言われていた。
それを聞いて今まで周りにいた人々を信じられなくなった。
母が死んでからは叔母が面倒を見てくれていたのだが、裏切られるのが怖いから叔母も信じられなくなった。
自分以外は全て敵になった。
誰も自分を必要としてくれないなら、自分は必要のない人間だと思うようになったのもこの頃。
死にたいとも思うようになり、精神科で貰った薬で自殺を試みる様になる。
高校卒業後、専門学校に通いだしたがあまり通わず夜遊びに夢中になった。
誰にも深入りせず適当な関係が心地よく、よく知りもしない相手なら自分の踏み台にしても良心は痛まない。
何をやっても満たされない。思い通りにならないと死にたくなる。
専門学校を卒業する頃に出来た彼氏は私を受け入れようと努力してくれた。
私は彼を試すことをやめられない。酷いこともしたし、嫌なこともたくさん言った。
けれど彼は私を、肉親にするように受け入れ包んでくれた。
けれどそんなの長くは続かない。
2年一緒にいたけど結局別れることになる。
ここからまた酷くなっていく。
夜遊びの過程で今度は薬物を使うようになる。
向精神薬と併用してるものだから、気分の上り下がりがもっと激しくなる。
自分の気分に振り回され、完全に自分自身を制御出来なくなくなった。
薬のせいで食事をあまり取らなくなり、がりがりに痩せ、薬が効いてないと人ともまともに話せないし外にも出れなくなった。
今までは自分の踏み台だった友人に頼り、泣き言をいい、酒を浴びるほど飲んで睡眠薬を飲んで寝て、このまま死ねたらいいと思いながら眠りに落ちる。
さすがに周りにいた人たちも離れていった。
今まで自分の踏み台しか思わなかった相手に怒りを覚えたが、わめき散らして泣くことしか出来ない。
傍目に見てもおかしいと誰もが思ったろう。
けれど不思議なことに凪のような、穏やかな気持ちになる時が出てくるようになった。
今思えば薬物の副産物なのだろうが、これが私にはプラスに働いた。
この頃、人が離れていったこともあり叔母と過ごす時間が増えた。
何がきっかけだったかは思い出せないが、この凪の時に自分の心のうちを叔母に話したことから快方に向かう。
日々少しずつだが話すことで叔母と信頼関係が出来ていった。
擬似的だが母子関係を築くことで、自分は不必要じゃない、存在してもいいんだと思えるようになった。
叔母は駄目なものは駄目、いいことはいいと褒めてくれる人だった。これもよかったのだと思う。
何より父にされたことを話した時に、知らなかった、助けてあげられなくてごめんね、と言ってくれたことが嬉しかった。
私が求めていたものは母だったのだとここで気がついた。
母にこう言ってほしかったのだと。
そうしたら母に対して怒りが湧いた。
私が父に振り回されていた時に文句一つも言ってくれなかったことに腹が立ったのだ。
けれど母はもういない。
叔母にそれを話したら、母を許してあげなさいと言われたのをよく覚えている。
何言ってるんだと腹が立ったけど、後で真意を聞いたらあなたが楽になるかと思った、と言っていた。
時に喧嘩し、語り合い、泣き、そんな私でも叔母は受け止めてくれた。
たまに揺さぶられるような出来事もあったけれど、気が済むまで話を聞いて貰った。
そんな生活をするうちに、少しずつ落ち着き、年齢的に落ち着いてくるのも相まって穏やかになっていった。
で、現在に至る。
たまに人格障害ぽいところは顔を出すも、自分に振り回されることはほぼ皆無になった。
特に父との関係。父は私をおもちゃの様に扱ったから、自尊心が育たなかったと推測している。
母は私に危害を加えなかったが、人間的に理解を深める前に逝ってしまった。
今でも私は母がどんな人かよくわからない。
父に愛され、母と一緒に過ごしたかった。
本物じゃなくても近い気持ちを教えてくれた叔母がいなかったら、ここまで良くなかったのではないだろうか。
年齢的な落ち着きも味方した。その点私は運が良かったと思う。
今では向精神薬も薬物も使用していない。
精神状態が落ち着いてきても止めることに不安があり、どちらもずるずる続けていたが使用回数も減ってきたあたりですっぱり止めてみたら止められた。
母のことも許せたかはわからないけど、受け入れて生きていけている。
あくまで自分のケースを元にどんな経過を辿ったか、その記録として。
ここまで読んで下さってありがとうございました。
アドブロックの話まわりで再度自覚したのが広告(屋)に対する根本的な不信感。
必要でないものを表示して有用と思い込ませるのが広告(屋)の常道で
さらに不要なものまで有用と思い込ませるのが彼らのテクニック。
エスキモーに氷を売る話がなんで美談になってるのが理解できない。
それって良心に訴えかけるふりをした脅迫(というか罵倒の場合が多いけど)にしか聞こえない。
無意識にコントロールされて物を買わされてるんだろうなというのもわかる。
っていう物言いが全く信じられない。
ただ、自分たちが金を稼ぎたいだけ。
その不信感を今さら挽回しようとしても(そんな良心があるのかも疑わしい)
もう不可能じゃないの。
メジャーなカップリングで本をだしたこともあるが、今はマイナーカプで細々と活動をしているけれど、SNSでの疲れも感じていないし同人を趣味として快適に楽しんでいるほうだと思う。
数年前に友人(以下A子とする)から「私も同人誌を作ってみたい」と相談を受けた。
今まで海鮮で「作るの楽しそうだなぁと思うけど、私には作れないよ」と言っていたA子が、別ジャンルではあったけれど「同人誌を作ってみたい」と思うような出会いがあったことがとても嬉しくて、あれやこれやとできる範囲で相談にのった。
もともとA子が文章を書いているのは知っていたけれど、旬ジャンルで人気があったこと、またカップリングが人気であったこともあるのだろう。支部でA子の書いた小説がランキングに入った。「A子さんの書くお話がとても好きですって言ってもらえたんだ」と話すA子はとても嬉しそうだったし、創作意欲にも溢れていた。たった数人の感想が「同人誌作ってみようかな」と思ったきっかけの一つだったらしい。
ちょうどよく初のオンリーが開催されることも決まり、A子にサークルカット描き方、申し込み方。拙い知識ながらにフリーソフトならこれがいいとか色々教えつつ、無事サークル参加を申し込んだA子は数ヵ月後イベントで文庫サイズの同人誌を出した。
もともと30部ほどの小部数ではあったけれど、ありがたいことに完売したらしい。イベント後「色々ありがとう!イベントすごく楽しかった!!」と報告してくれたA子は本当に楽しそうだった。
私自身に友達が少ないこともあり、『A子が同人誌を作る側に回になるなら、印刷所や紙の話が一緒にできる』と現金な考えた方ではあったが、以降も私はA子の相談にのりつづけた。
さすが旬ジャンル、人気カップリング。イベントの回数がとても多い。A子はそれからイベントへ何度か申し込み、私が1からすべてを教えなくても一人で、もしくはジャンルの友人たちと楽しくやっているようだった。
そんなA子がある日「相談があるんだけど」と持ちかけてきた。内容を聞けば「同人誌の価格設定について」だった。
詳しく話を聞けばこうだ。
・A5サイズなら二段組にして文字数ももっと入ってる。その分同じ内容であったってページ数を抑えられて安く頒布できるだろう
私自身が漫画というフィールドにいるせいで文庫や新書の段組、文字数に関してはまったく知識が無かった。
ただ30部を刷ったA子に最初に価格の相談をされたときに「そこそこ冊数すれるなら3分の2を売れば印刷費回収ぐらいで設定してる人も多い」「(印刷費を値段を教えてもらった上で)ただ今回は30部だから、印刷費割る冊数でいいんじゃないか」「黒字がでるのであればスペース代、交通費ぐらい回収もありだろう」とこのようなことを伝えていた。
(個人的な意見としては趣味として長く続けていく気があるなら「印刷費の回収」「スペース代」「交通費」の回収は許されると思っているし、A子のような小部数でも「全部売れて印刷費回収」ぐらいの値段設定は許されると思っている。それがどんなに一冊単価が上がろうともだ。)
A子の相談を聞いて私は言った。
「同人誌は買う、買わないの自由がある」「どんなに安くてもくそみたいな内容ならいらんだろう」「そんな安く頒布しろっていうお客様の意見は気にするな」「A子が文庫サイズが好きだと思ったならそれでいいと思う」「同人は趣味で好きだからやるもんだ」と。
A子が私の意見に対して本当にどう思っていたのかは不明だが、それでも「そうだよね、気にしすぎちゃいけないよね」と次のイベントも文庫サイズで本をだした。値段も「印刷費割る冊数」だったらしい。
会って話せばカップリングについては熱く語っていたし、支部にも投稿している。SNSも楽しんでいるようだったし、私生活が忙しいという話も無かったので思い切ってこちらから話を聞いてみた。
A子は沈んだ顔でぽつりと「なんか、価格設定に疲れちゃった」と呟いた。
A子のいるジャンルは人気ジャンルだが、カップリングは新しいキャラのものだった。A子が最初に参加したイベントは、上記にも書いたとおり、初のオンリーイベント。その次に参加したのは初のカップリングオンリー。次は最初のオンリーの2、その次はカップリングオンリーの2。そういうジャンルでカップリングだった。
その界隈での価格相場がまだ決まっていない空気は、サークル初心者ながらに感じていたそうだ。
小説本で文庫や新書でだすサークルも結構いたそうだが、みんな手探りで価格を決めているところはあったらしい。
A子が仲良くなったサークルに、小説サークルで中堅。イベントでは結構な列を作る人(以下Bさんとする)がいたそうだ。
小説サークルだからこそ、そして新しいカップリングで界隈が確立していないからこそ、その人は壁でも誕生日席でもないだけで、確立されてしまえばそのレベルだろうと、支部のブックマークや作品の質を見て私も感じた。
その人の本が新書サイズ250P越え、オフセット、フルカラーカバー付き、箔押し、で800円だった。
これが安いと思うのか高いと思うのかは個人の判断によるだろうけれど、私は「それを大手がやったら死ぬな」とぼんやり思った。
A子が何度目かのイベントで130P、オンデマ、カバー付きで本を出したとき一冊が850円だったからだ。
これも実は原価割れしている値段だったらしい。
Bさんのイベント頒布価格は界隈で相当な悲鳴が上がったらしい。
それはそうだろう。Bさんの装丁とボリュームをそんな価格で頒布されれば「その部数を刷れない側はしんどい」だろう、と本を作る側として思う。
イベント以降A子の周りで「Bさんのあれはつらい」「Bさんの安すぎる」「Bさんきっついわ」と声があがってしまったのをA子は聞いてしまったらしい。
Bさんと仲のよかったA子は悩んだ末にBさんにやんわりと伝えた。「Bさんー!あの価格安すぎるよー!他のサークルからも悲鳴あがってたよー!次からもうちょっと取ってもいいんじゃないかな!」的なことをだ。
相場が決まっていないのだから相場のために「上乗せ」をするのがとても難しい状況だったとは思う。けれど、オールジャンルのイベントで同じカップリング、中堅小説サークルの本が新書サイズ(170P程だったらしい)を1500円で頒布していたサークルがあった。
(これが安い、とは決して思わない。このサークル主は素行が悪かったらしく界隈で嫌われてはいたそうだが、価格設定については本当に勇気がある設定だと思う。この価格にすれば書き手が死ぬことはないだろう。儲け主義、とたたかれる可能性があるなかで、このサークルさんはとても勇気ある値段設定にしていたと個人的には感じる)
A子からやんわりと言われたBさんは「あーやっぱそっかー!少し安いかなぁ!実は原価ぎりぎりなんだよねぇ。通販すると高くなっちゃうから申し訳なくて!次からはもう少し相場見てみるよー!」と言ってくれたそうだ。
けれど、Bさんがそれ以降のイベントで値段を上げることはなかったらしい。
それどころか中堅サークルたちがこぞってBさんの値段に合わせてきた。最初に1500円で頒布していたサークルもだ。
中堅サークルは顔の広いBさんに相談する→Bさんの価格設定が広まる→A子を含む小部数サークルは相場のために毎回原価割れ
という最悪の図式ができあがってしまったらしい。
さらにそこに海鮮が悪気無く追い討ちをかける。
A子がイベントで言われたそうだ。「Bさんのサークルはあのページ数であの値段なのに、どうして高いんですか?」と。
これについてはどうしてA子が聞かれたのか。名前も知らない海鮮に怒りが募るが、ただの不運でしかない。
ただA子はこれでぽっきりと心が折れたらしい。
A子がリアルタイムで悩んでいるときに相談されていたら「新書文庫サイズじゃなくてA5にしてみたら?」とも言えたけれど、A子はもうやめてしまったあとだ。
Bさんは、海鮮にとってとても良心的なサークルだろう。そしてBさん自身が海鮮のことを考えるとてもいい人なのだろう。
ボリュームがあって、装丁が綺麗で、値段が安い。それでもきっとノベルティが出せるほどの黒字がでる。
けれどA子や、A子の周りの小部数サークルたちは原価割れで相場価格で頒布していても、価格の高い、装丁が貧相なサークルなのだ。
この件で、いかに壁サークルが一冊に上乗せしていて、相場をよく見て値段設定をしているのか思い知った。
税金的な問題もあるだろう。ノベルティで対策をして、そのためにノベルティの作業時間も増える。それでも、相場を守るのは「小部数サークルを殺さないためだ」と思った。それが全てではないだろうが、それも含まれているだろう。
海鮮だったときは安く頒布してくれるサークルさんは本当にありがたかった。けれど、今自分が作る側になって。そしてA子を見て、Bさんを話を聞いて。なにより最悪の循環を見て思う。
安すぎる頒布価格はサークルを殺すのだ。Bさんの海鮮に対する優しさはA子を含む小部数サークルを殺してしまった。
「儲け主義」が正解だとは思わない。そして二次創作同人をするうえで儲けることに対しては賛否があるだろう。
けれど、「価格を上乗せする勇気」はジャンルにとってとても大事なことだと思う。
そして人の作った同人誌に「儲け主義だ」と言うやつは滅びよ、と思う。
海鮮を優先するか、A子のような小部数の弱小サークルを優先するか、は人によって価値観が違うだろう。
Bさんにとって、A子やその他サークルの声よりも、ノベルティを製作する時間、何より海鮮から思われる自分の印象を優先したに過ぎない。
どちらが正解、などは無いと思う。個人の判断だ。
ただ私は、できるのであれば作り手を優先したい。だって自分のカップリングが増えたら嬉しいからだ。
そして次のイベントでA子が別ジャンルではあるがまた同人誌を作ったことが嬉しかったので書き込んでみた。
掲題の通り。
別にイケダさんを批判したりクサしたりする意図は毛頭ない。ただなぜイケダハヤトに対して周囲(特にはてな界隈)はこうも激しく反応するのか。サラリーマンブロガーの記事とその反応を読んでて疑問が湧いた。
イケダハヤト氏ははてブ見てるとちょこちょこ目にするから知ってはいたんだけど、これを機に幾つかのエントリを読んでみた。読んでみた、んだけどなんだかそこまで心惹かれない。漫画や本の紹介記事も趣味が合わない。あと致命的なのは内容があんまり面白くない。昆虫食とか田舎生活とか、友達の更新するFacebookみたいだなと思ってしまった。
ブロガーだったらサラリーマンブロガーの記事に応酬してたフミコフミオのほうが面白いなと思うし、煽り系なら青二才やちきりんの方が読ませるものを書いてると思う。僕はブログ読むときは読み物としての面白さを求めてしまうので、小説読もうと思ったら自己啓発本だったみたいなハズレ感はあるのかも。でも自己啓発系ならphaさんのほうが合理的で良心的。
やっぱり講演してるとかなんかの編集とか肩書がいろいろあってみんなそこに反応するの?それとも昔はもっと切れ味のあるいいものを書いてたの?高知移住はそんなに革新的だった?リアルタイムでイケダハヤトがバズったときを見ていないので、当時の空気とか知ってる人、よかったら教えてください。
http://anond.hatelabo.jp/20150907223211
個人的に釈然としない部分がいくつかあるので整理・言及したい。
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1. 「劇場ロゴのパクリ」は争点になっていない。五輪エンブレムとして採用するか否かが争点
2. 類似性(似ている/似ていない)が認められるかどうかということが話題となった
3. パクったかどうかに関係なく、単に似ているということで著作権上の問題が生じる
5. 「劇場ロゴのパクリ」はなくても、チヒョルト展のパクリはあったと認定できる。その根拠は次の二つである。
5-1. 文字とは無関係の装飾要素かつまったく不要な赤丸が原案の右下にあったから
5-2. 「(佐野氏がチヒョルト展を訪れた事実を認めた上で佐野氏がチヒョルト展のロゴを)覚えてない」と弁解したことについて、彼は嘘をついている、プロならばこれほどのデザインをあっさり忘れるはずがないから
6. 深津氏は争点になってないものについて解説しており、深津氏の見解そのものは意味を持たない。
7. 「劇場ロゴとのパクリではない」なんていうどうでもいいことを持ち出して、「専門家の言うことを聞け」と述べるような深津氏の主張は妥当ではない
8. 深津氏の見解の主要な点は「専門家に任せるべきだ」とした部分にあるが、最終案を決めたのは素人である武藤事務総長であるため、深津氏の主張は成立しない
9. ベルギーの劇場ロゴとの類似性が認められるかどうかという法的争点を抱えている状況の中、佐野氏の他の案件におけるパクリが判明。加えて、原案と最終案はまったく違うものであるほか、最終案を決定したのは事務総長ということが判明した。これをふまえて、「五輪エンブレムとして採用するには適切ではない」という民意が生じた。
10. 9 を無視して「専門家の判断に任せよ」という深津氏の主張は問題をデザインの面だけに限定しており、きわめて視野が狭い。まったく問題の所在を理解していない。
11. 今回のエンブレムは、エンブレムのデザインとしての良し悪しで決まったのではなく、展開力で決まった
12. (原案の)丸と三角と四角というデザインはあまりにも単純で凡庸であり、これを「美しい」「見事だ」と思うようなデザイナーはいないだろう。専門家は民衆の声と自分の心の声を聞くべき
13. 心の底では「くだらん」と思いながらはっきりと口に出せない。「展開力が優れている」と言われると「なるほど」と言って承諾するだけで「エンブレムとしてはあまりにも凡庸な図形だ」という本音を口にできない。
15. 「(劇場ロゴと)似ているか、依拠しているか」というような話題は争点ではない
16. この事件の問題点は、ベルギーの裁判で勝つかどうかじゃない
17. 著作権を問題にしていない。そもそもベルギーロゴとの関係も問題にしていない。ベルギーロゴとの関係などはどうでもいい
id:bros_tama のコメントに対し:
18. “五輪エンブレムのデザインで何が問題であったのか”ということは今回の騒動ではほとんど意味がないことだというふうに評価している
19. 「パクリデザイナーの作品を五輪に正式採用することの倫理的な是非」が問題
20. 美術的な問題はない。美術的なことをいくら論じても、今回の騒動には何の関係もないというのが本項の趣旨
21. 劇場ロゴとの類似性とかパクリとかはほとんど話題になっていない
22. 深津氏の見解を否定しているわけではなく、本質とは関係ないとして軽視しているだけ
id:Eizo0000 氏のコメントに対し:
23. この問題を専門家(つまりデザイナー)に委ねるべきで、大衆がこの問題に口出しするべきではない、という発想を問題視している
id:honma200 氏のコメントに対し:
24. 問題の本質は、法律違反をした(あちこちで画像の盗用をした)作者のデザインを五輪に採用するかどうかという倫理的な部分にある
25. 23 の主張も、深津氏の記事が訂正されたことによりかなり色褪せてきたとも言える。
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全体を通して、おそらく増田氏は「犯罪者である佐野氏がデザインしたエンブレムを採用することは倫理的に問題がある」ということを言いたかったのだろう。
しかしながら、その結論に向けて展開した論理が歪んでいること、根拠が不十分であったりすること、本筋とは関係ない論理が混じっていること、
「話題」「争点」「問題」といった言葉の使い分けが曖昧であることが、エントリのわかりにくさや理不尽さを生じているのではないかと考える。
冒頭で個人的に釈然としない部分があると述べた。論理が歪んでいるのが気持ち悪いと思う私的な感情から、その部分について指摘していきたいと思う。
■増田氏が取り扱う問題と深津氏が記事が取り扱うことが違うということを増田氏自身が認識していない
増田氏は、深津氏の記事を「劇場のロゴのパクリではないと言っているだけ」としたが、この時点から既にズレが生じている。
記事は、「五輪とリエージュのロゴは似てない」と考えるデザイナーがどうしてそのように考えるかといった点にフォーカスしたものに過ぎず、増田氏が取り扱いたい問題については言及していない。
増田氏自身も、ロゴのデザインがどうとか劇場ロゴと似ているかとか著作権がどうとかは争点ではない(主張1、15、16、17、18、20)、
自身の取り扱いたい問題の本質とは関係ないとしている(主張22。これらの主張だけを見れば主張6 も「(増田氏にとって)意味を持たない」として解釈することができる)。
それなのにも関わらず、自身が問題とすることを深津氏の記事と結びつけたために、6、7、8、10 といった見当違いな主張が生まれ、(はてブのコメント欄で観測する限り)読む側に混乱が生じたのではないだろうか。釈然としない。
■各人のコメントに対する返答の的はずれさ
3、4 に対し、id:sisya 氏は「単に似ているだけでは盗用にならず、依拠しているかどうかが重要」とコメントされたのではないだろうか。
そのことについては深津氏の記事の「前提知識1」の項に書かれており、それを踏まえてid:sisya 氏は「参照元のエントリを全然読解できていないように見える。」「もう少し元記事を読み返すことをお勧めする。」と述べたと思われる。
そう考えると、id:sisya 氏に対する返答は的外れである。
id:bros_tama 氏の「あの記事は“五輪エンブレムのデザインで何が問題であったのか”について書かれているんです」というコメントに対し、
「それはわかっている」「本質とは関係のないことをいくら解説しても、そんなことはどうでもいいことだ」と返答しながらも、なぜ自身が問題とすることを深津氏の記事と結びつけたのか。
その矛盾がid:bros_tama 氏がコメントをする動機となったと思われるが、いかんせん増田氏の返答は的外れである。釈然としない。
■根拠不十分
4 については、実際にトートバッグの件について佐野氏側が「第三者のデザインをトレースしていたことが判明」と発表していることから、間違いのない認識だろう。
しかしながら、5 については何の根拠もない。その根拠とする5-1 についても5-2 についても不確かではないか。釈然としない。
ちょっと主語が大きすぎるのではないかと思う(主張9、12、13)。自身の思いを投影しただけに過ぎないと感じる。釈然としない。
「犯罪者である佐野氏がデザインしたエンブレムを採用することは倫理的に問題がある」という結論に向かう上で、6、7、8、10、11、12、13、14 は必要のない論理ではないか。
深津氏がいわれもなく謗られたと受け取る可能性がある内容を記述することに何の意味があるのか。釈然としない。
■犯罪者呼ばわり
トートバッグの件について、佐野氏側はトレースした事実を認めたが、それ以外の案件についてはまだはっきりとした裏付けはとれていない。
何らかの罪に問われたわけではない現在の状況下において、一個人を「大犯罪者」と呼ぶのは果たしていかがなものか。一個人が一個人を断罪することは危険ではないかと私個人は思う。釈然としない。
■ずれる結論
「犯罪者である佐野氏がデザインしたエンブレムを採用することは倫理的に問題がある」(以下、結論Aとする。)という結論に向けて論理を展開したかと思いきや、
id:Eizo0000 氏のコメントを受けて「この問題を専門家(つまりデザイナー)に委ねるべきで、大衆がこの問題に口出しするべきではない、という発想を問題視している」(以下、結論Bとする。)と結論を変更した。
その後、深津氏が記事の結論部分の表現を変更したことを受け、増田氏は「問題視したことは、かなり色褪せてきたとも言えます。」「「大衆はデザインには無知なんだから口出しするな」というような方針が、少しは改まったのだとすれば、本項は一定の役割があったと言えるでしょう。」と追記。
なんだ、結論Bを言いたかったのかと思いきや、さらにその後のid:honma200 氏のコメントを受けて、再び結論Aを書き連ねる。これでは、結局言いたいことが錯綜しても仕方ない状況だ。釈然としない。
■まとめ
横暴な論理を振り回すことは非常に危険な行為ではないかと思います。しかしながら、増田氏が問題視する倫理面に切り込んでいくことは重要と思うので、これについて僕も書けたらよかったのですが、見識がなく断念しました。どなたかお願いします。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/takayukifukatsu/20150907-00049112/
http://b.hatena.ne.jp/entry/bylines.news.yahoo.co.jp/takayukifukatsu/20150907-00049112/
実はこれは、「劇場のロゴのパクリではない」と言っているだけだ。上手にていねいに解説しているが、話の趣旨そのものは組織委の見解と同じだ。その点は、増田が指摘したとおり。
しかしながら、組織委の見解はピントがずれているし、その意味では、深津貴之 氏の見解もピントがずれている。そのことを解説しよう。
劇場ロゴのパクリはもともと争点となっていない。これを話題にしたのは一部の人だけ(もしくは初期だけ)だ。
前者は、著作権の問題だ。これは、パクったかどうかに関係なく、単に似ているということで、著作権上の問題が生じる。このことは、劇場側の弁護士が主張したことだ。
後者は、サントリーのバッグや、五輪の展開例や、多摩美のポスターなどで、画像の盗用があったことだ。これを「パクリ」と指摘した。
要するに、「劇場ロゴとの類似性」もあったし、「パクリ」もあったのだが、「劇場ロゴのパクリ」は、もともと争点になっていないのだ。
その意味で、深津貴之 氏の見解そのものが意味を持たない。ありもしない仮想敵を攻撃しているだけだ。藁人形論法であるにすぎない。
「劇場ロゴのパクリ」というものを、彼がいくら否定しようが、それは、ありもしない怪物を攻撃するドン・キホーテと同様であり、もともと存在していない対象を否定しているだけにすぎない。
「劇場ロゴのパクリ」はなくとも、チヒョルト展のパクリはあったと認定できる。なぜなら原案では、右下に余計な赤丸があったからだ。
このような赤丸は、文字とは無関係の装飾要素であり、まったく不要なものだ。実際、他の文字では、このような余分な要素はない。
http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bunbuntokuhoh/20150828/20150828225213.jpg
なのに、T という文字でだけ、余分な赤丸の要素が追加されている。この文字だけにある特異な現象だ。
このことからしても、これがチヒョルト展のパクリであることは明白だろう。
(仮にパクリでなければ、赤丸は中央上または中央下にあるはずだ。それが佐野デザインの9分割のポリシーだからだ。)
さらに、状況証拠もある。「そんなことは覚えていない」と弁解したことだ。素人じゃあるまいし、プロならば、これほどのデザインをあっさり忘れるはずがない。
とすれば、「覚えていない」と言った時点で、嘘をついている。あるいは、ジョブズ並みの「現実歪曲空間」に入っていることになる。そのいずれだとしても、パクリはあったことになる。(ただし本人が正直に申告していないだけだ。)
3.専門家に任せるか?
深津貴之 氏の見解の主要な点は、「専門家に任せるべきだ」ということだ。
しかしながら、今回の最終案を決めたのは、専門家である審査員ではなく、素人である武藤事務総長だった。
http://www.yomiuri.co.jp/national/20150904-OYT1T50016.html
ゆえに、「(決定を)専門家に任せるべきだ」という主張は成立しない。現実には専門家には任せられず、素人が勝手に決めてしまったからだ。(そして佐野最終案に決まった。)
また、今回の主要な争点は、デザインの良し悪し(デザインのジャッジ)ではなくて、五輪エンブレムとして採用するか否かだった。
デザイン的に良し悪しを判断する(ジャッジする)のならば、専門家が決めてもいいだろう。しかし人々が批判したのは、デザインの良し悪しではなくて、五輪エンブレムとして採用するか否かだった。そこでは、次の諸点が問題となった。
・ その法的争点は、類似性の有無であって、パクリの有無ではない。
・ トートバッグではパクリが判明した。(彼は犯罪者だと判明した。)
・ さらに、続々とパクリが判明した。(彼は大犯罪者だと判明した。)
・ 原案と最終案がまったく違うと判明した。(組織委は嘘をついた。)
・ 原案では、最終案にある大きな円がなかったと判明した。
(大きな円を選考理由とした初期の説明は嘘だったと判明した。)
・ 最終案を決定したのは審査員たちでなく事務総長だと判明した。
これらの問題が続々と判明した。このことから「五輪エンブレムとして採用するには適切ではない」という民意が生じたのだ。こういう民意を無視して、「専門家の判断に任せよ」というのは、問題をデザインの面だけに限定しており、きわめて視野が狭い。まったく、問題の所在を理解していないと言える。
自分の専門領域のことしか理解できない人を「専門馬鹿」と呼ぶ。
今回の問題は、「劇場ロゴをパクったかどうか」というデザイン界だけの問題ではないのだ、と理解するべきだ。そもそも、「劇場ロゴをパクったかどうか」というのは、もともと争点になっていなかったと言える。(劇場側だって、そのことを争点としない旨を主張している。商標法違反ではなくて、著作権法による類似を争点とすると主張している。)
今回の問題は、上で列挙したようなさまざまな問題が絡み合っている。ここで「劇場ロゴとのパクリではない」なんていうどうでもいいことを持ち出して、「専門家の言うことを聞け」と述べるような主張は妥当ではない。むしろ専門家こそ、民衆の声を聞くべきだ。
最後に一つ。
深津貴之 氏はデザインのことは専門家に任せるべきだと主張する。しかし今回のエンブレムは、エンブレムのデザインとしての良し悪しで決まったのではない。展開力で決まったのだ。つまり、布地の柄物のパターンの出来映えのような見方によって決まったのだ。
そもそも、(原案の)丸と三角と四角というデザインは、あまりにも単純で凡庸であり、これを「美しい」「見事だ」と思うようなデザイナーはいないだろう。なのに、心の底では「くだらん」と思いながら、はっきりと口に出せない。「展開力が優れている」と言われると、「なるほど」と言って承諾するだけで、「エンブレムとしてはあまりにも凡庸な図形だ」という本音を口にできない。
自分の(デザイナーとしての)内心の声を聞くことができず、説明された「展開力」なんていう言葉を信じてしまうようでは、デザイナーたちの良心というものを信用できないのである。
専門家は、民衆の声を聞くべきだ。そしてまた、自分の心の声を聞くべきだ。「あの原案はあまりにも凡庸だ」と、自分の心の声が訴えているはずだ。
追記。
id:sisya 参照元のエントリを全然読解できていないように見える。単に似ているだけでは盗用にならず、依拠しているかどうかが重要。もう少し元記事を読み返すことをお勧めする。
本項の話を全然読解できていないように思える。「(劇場ロゴと)似ているか、依拠しているか」というような話題は、争点にはなっていないというのが、本項の趣旨だ。そんなことはどうでもいいから関係ない、という趣旨。
だいたい、そんなことは、たいていの人は話題にしていない。著作権を争点にしているのは、ベルギーの弁護士だけだ。日本人のほとんどは、そんなことに関心を持っていない。関心を持っているのは、id:sisya さんや id:allezvous さんぐらいだ。
この事件の問題点は、ベルギーの裁判で勝つかどうかじゃない。そんなことを話題にしている人は、ほとんどいない。(そもそも裁判が成立するかどうかもはっきりとしない。訴えの利益がないので、却下されるかもしれない。そうなったら、著作権を争点にするのは、すべて空論になる。)
もちろん、本項でも、著作権を問題にしていない。そもそもベルギーロゴとの関係も問題にしていない。(ベルギーロゴとの関係などはどうでもいい、という趣旨。)
依拠性によらず類似性だけで著作権法違反を問える、と主張しているのは、私ではなくて、ベルギーの弁護士 http://bit.ly/1VMxON2 です。詳細は、このリンク先にある週刊新潮の記事に書いてあるので、そちらを読んでください。
一般に、ロゴのような単純な図形では、依拠性というものは(証明のしようがないので)問われず、類似性だけが問題となります。たとえば、ミッキーマウスの著作権では、単に似ているだけで問題視されます。いくら「真似したわけじゃない」と主張しても、「似ている」だけで問題視されます。
なお、本項では、著作権についての「分析」なんかしていません。著作権は本項では話題になっていません。ついでの形で、1行か2行、ちょっと引用ふうに言及しただけです。
id:bros_tama あの記事は“五輪エンブレムのデザインで何が問題であったのか”について書かれているんです.本来どうすべきであったか,解決のためにはどうする,とかはこれを踏まえて考えなくちゃいけないんだよね,という話です
それを前提とした上で、“五輪エンブレムのデザインで何が問題であったのか”ということは、今回の騒動ではほとんど意味がないことだ、というふうに評価しています。五輪エンブレムのデザインなんか、あまり重要ではないんですよ。デザインじゃなくて、これを採用するかどうかが問題なんです。
端的に言えば、「パクリデザイナーの作品を五輪に正式採用することの倫理的な是非」です。ここでは倫理的な問題があるだけで、美術的な問題はありません。美術的なことをいくら論じても、今回の騒動には何の関係もない、というのが、本項の趣旨です。
本質とは関係のないことをいくら解説しても、そんなことはどうでもいいことだ、という趣旨です。
誤解があるかもしれないので解説しておくと、私は別に、深津貴之 氏の見解を否定しているわけではない。素人向けに専門家が詳しくデザインのことを解説しよう、という努力は立派なものだと思うし、有益でもある。
ただしそれは、あくまで今回の騒動のオマケふうのエピソードとか裏話であるにすぎない。楽屋裏の話。こっそり井戸端や酒場でおしゃべりするための話題。
今回の騒動は、佐野デザインを五輪エンブレムに正式採用するかどうか、ということだ。それは、「採用しない」という形で、一挙に解決した。これだけが問題であったからだ。
一方、劇場ロゴとの類似性とかパクリとかは、ほとんど話題になっていない。だから、こんなことはどうでもいいことだ、というふうに評価している。
深津貴之 氏の見解を(間違っているとして)否定しているのではなく、(本質とは関係ないものとして)軽視しているだけだ。勘違いしないでほしい。
その後、状況が少し変化したようです。次の質問に答えようとして、気づきました。
id:Eizo0000 何と戦ってるんだ。
この問題を専門家(つまりデザイナー)に委ねるべきで、大衆がこの問題に口出しするべきではない、という発想を問題視しています。そのことは、本文中で引用した箇所で、下記のことです。
しかしながら、この箇所は、今では次のように書き直されました。
深津貴之 氏が、元の文章を書き改めたので、本項において問題視したことは、かなり色褪せてきたとも言えます。
「大衆はデザインには無知なんだから口出しするな」というような方針が、少しは改まったのだとすれば、本項は一定の役割があったと言えるでしょう。
※ 「集約されていまう」というタイポは、原文のままです。
id:honma200 結論とかまとめを書かないから散らかりすぎてて良く分からん。
まとめ:
この問題の本質は、最終案が劇場ロゴのパクリであるかどうかではなくて、考案者があちこちで画像の盗用をしたという問題である。つまり、デザインの問題ではなく、法律違反をした作者のデザインを五輪に採用するかどうかというという倫理面の問題である。したがって、この問題をデザインの専門家に任せておけば済むというわけには行かない。「デザインの専門家に任せよ」という主張は、今回の問題の本質からは外れている。
未央は来週次第だが、武内Pも了承の上なんだからそこまでアホな理由ではないと思いたい。
ぽっと出のキャラとちょっと歌っただけで可能性感じて乗り換える時点でどう言い訳しようと尻軽だが、それでも確かな覚悟をもって行うならまだ理解はできる。
掛け持ちなんて簡単じゃないって未央の言うことは正論だし、どうあがこうが練習時間は減るのに、まともな回答を何も持ってないのかよ。
でもその選択は相方にも影響が出るんだよ!
美波が都合の良い女海のように広い心の持ち主だったから許されただけで、人として常識的に相談なしはあり得ないだろ…。
アニマス貴音回でも報連相大事って言ってたじゃん。CPの良心だと思ってただけにビックリだよ…。
・曲も舞台も方針も何もかもを常務が決めるのでアイドル自身の意志は不要
・ファンとの温かい触れ合いなんかより大舞台とブランドイメージの方が大事
って事だよね常務の考えは何も変わってないんだし。
現実の芸能界ならそれもアリだろうが、アイドルアニメの登場人物がこういう道を選ぶのは少なくとも好感は持てない。
今回もゾロゾロと新キャラが出てきたが、ファンなんてどうでもいい自分が売れることだけが大事なゴミアイドル共なんだなという印象しかない。
まあ本娘は気弱だからこの道もやむなしなのかもしれんけど、金髪の方は何も考えてなさそうでイラッとした。
原作ファンが「課金されるアイドルを集めたからクローネは素晴らしい」とか言ってたが正気の沙汰とは思えない。ほんと廃課金ソシャゲなんて手を出すもんじゃねーな。
そしてアーニャと凛がこの常務の方針をどう考えたのか全く分からない。
常務の方針を良しとしたか、良くはないけどメリットの方が大きいと考えたならまだ分かるが、そもそも何か考えた形跡が全くない。
新しけりゃ何でもいいんかい。
前に進むのも結構だが、それはまともな方向ならの話だろ。
武内Pは相変わらず笑顔笑顔で具体的なことは何も言わねーし。2クール目始まって以降の常務との対立構造は一体何だったんだよ。
結局この2人は大した定見もなく、CPが危機だというのに適当な理由でフラフラ出ていく連中になった。
凛は別の奴に可能性感じたら今度はTPを捨てるし
前回が良かっただけに何とも残念である。
みんなで遊ぼう←いまここ
だと思うんだけどどうしたら雰囲気とか伝わるの
わざわざ言うと
デザインという企画付属部品の作成についてその基準を満たすかどうかという問題について
1.ださい
2.似てる
家紋とか色紙に書くサインとか決めるのであれば何の問題ないけど
みんなで参加するイベントの話なんだよ
せめてみんなになんか説明でもあったほうがいいんじゃないって
1.業界ではださくない
おとうさんが息子の絵をこれはいいものだって売りつけただけだよ
穢れと言っているのは全体またはロゴを指して
日常から完全に切り離された独自性のあるものを今回は必要としていたので
今回は適していない
日常的な素材がまじってたとか会社の人間関係についてが作成由来に混じっていたとか
人間としての経過経歴によるものでロゴと今回のイベントという選定からはずれていた
2.選定方法についても1と同じ
1.皆で共有するべきものはだれの手にわたってもその時点では清潔であるべき
利用にあたって目的と意味を同じくしていれば自由に消化できるもの
いわば業界を仕切っている血族の肉が共有物として掲げられている
2.選定方法についても1と同じ
禊が必要だとか言われてるけど粛清ということでボツにしてその事象を清める意味(撤回再選考)なのか
・デザインは今回の問題の烙印として最初の問題の3つを示す「コピー職人の証」に純粋化される
・デザイナーは私生活を企画デザインに持ち込んだ「コラ職神」として神格化される
・もし禊いで清められた純粋な「コラ職神によるコピー職印」をオリンピックで使うというのならそのを意図は何なのだろうか
お清めが必要といっている不浄派であれば
・デザインは多く因縁があるためそれらと対峙して解決しなくてはならない
・デザイナーは使用してはならない素材から遠ざからねばならない
・因縁と打ち勝ち使用すべき素材に絞られた結果出てきたデザインは先のそれとは異なっているはずである
ということなんだよね
これらをふくめてダメじゃんって騒いでるだけなんだけど
この「気に入らない」に同調する人がコメントを投げ合ってあつまった状態をみて
「穢れ」と「気に入らない」の違いを聞いてどうするの
「穢れが気に入らない」って言ってるんだよ
人が多く集まっているから一人で戦うには多勢に無勢なので相手団体の戦力自体を削ごうと
原動力である「穢れ」が「気に入らない」という原理的なものを分解に来たのかもしれないけど
よくわからない個人的な理由でおかしいという武器で同じ戦法を持ちだそうとしても
やっぱり数の差はうまらないとおもうよ
すでに数が集まっている「穢れ」って個人的な理由の戦力に対してこの武器で対抗できると見越すのは
中学時代の友達からfacebookの友達申請がきた。まだ承認していない。
都会民のマナーとして、
「久しぶり!懐かしいね。いつか会おうね!」
と書くことに、良心の呵責は全くない。心にもないのに、
カリスマ的人望があったサッカー部のエース君も、男女問わず皆に慕われていた才色兼備さんも、
はたまた、目をあわせることを避けていた不良君や、なぜか陰口をたたかれていた苛められっ子ちゃんも、
示し合わせたように、みな、子供の野球チームの写真とか、ネイルのでき具合なんかを、嬉しそうに投稿をしている。
母親なんかは、無邪気に
これはただの日記だけれど誰かに読んでもらいたくて書いているようなものだからそのつもりで書く
20になる前の日だった 何かと影響を受けやすい自分の性として誕生日に何かと意味を持たせようと上の空で考えていた
フェイスブックでは友達と肩を組み居酒屋かどっかで騒ぐ画像 自分にはそんな友達はいない
あとこんな比喩を幾つか続けるつもりだったけれど思いつかないからここら辺にしておく だいたいの感じだけわかればいい
バイトを終えてからふと思いついた事なのでとりあえず銀行へ直行 家賃とサイトで見た代金、余分なお金を引き落とす
いつもタバコを買っているコンビニで氷結を買ってとりあえず近くのゲーセンで一服しながら飲む
自分は思いつき第一で動いている人間なのでここでちょっとだけ冷静になって考えてみたけれど頭に浮かぶ事はどうでもいいことばかりではっきりと何を考えているのかわからなかった 良心の呵責とか社会勉強という言い訳とか自分についてとか 考えているフリをしているだけで何も考えてなかったのかもしれない というか何も考えたくなかったのかもしれない
結局何の感慨もなくピンサロに向かって歩き始めた
その途中で駅の近くのスタジアムでサッカーの試合がある事を知った
何となく気になるけれどそこまで肩入れはしていない程度のものだった
スタジアムに向かって歩く人たちを見てピンサロ行ったあとに行こうかななんて事を考えながら歩いた
ビクビクしながらタバコを吸っている間に今までにあったこういう場面を思い出してみるとたった20年でこれだけかとも思うし20年なんだかんだでいろいろあったなとも思う
どちらにしろ色々影響を受けすぎているなという結論に至りながら黒光りする壁をマジマジと見つめる
という訳で入店 いつも通りのぼそぼそとした小さな声で絞り出すようにしてフリーで とだけ言った
番号札を渡され15分ほど待つように言われた
順番待ちの席に着く 隣には無表情のバイタリティが溢れ出そうなサラリーマン バイタリティが溢れ出そうなサラリーマンはやっぱり風俗に行くのかと妙に納得
座って待っている間 恥ずかしまぎれの言い訳のように俺はなんでここにいるんだと心の中で繰り返していた
なんだか何においてもまともに考えていなかった気がする そんな中でうずくまって傍目から見れば何とも言えない 言い難いような格好をしているなら
http://anond.hatelabo.jp/20150817183156
文書を読ませていただく限り、いまあなたに必要なのは、背中を押してくれるコメントだと思いました。
ですので、経験者として、家族を保ちつつも二人目の女性を愛するための留意点を共有させていただきます。
不倫による変化が埋没してしまうくらい、あなた自身も変化しつづけてください。
不倫がばれるのは、あなたの現在これまでの生活がルーチン化しているからです
少なくとも毎年2回は、新しいことに挑戦してください。趣味でも勉強でも、はたまた転職でもかまいません。
それを面倒くさいと思うくらいなら、不倫なんて無理です。
だいたいのリスクは、お金で回避できます。安いレストランに行ったり、ラブホテルなんて使うから、噂が立つんです。
アベノミクスのおかげでここ数年は達成が楽でしたが、これからは南アジアあたりに注目されると良いかと思います。
最後に一番重要ですが、あなたもお相手も、良心を捨ててください。
モテないモテないと言いながら、モテたいという願望があるにはありながら、ついつい楽しくなってモテなそうな、世界の半分ぐらいを怒らせそうなネタをつぶやいて、世界の半分からクレームを言われまくってるアカウントが私です。…リア充になりたかったら、自分が言いたい毒は他人の毒をRTするべきか
眠れないから本を読んでるが、二村ヒトシさんの本ほど口が悪い本を読んだことない僕としてはあんなに口が悪い本をみんながみんな読んで、しかもほとんど批判がないと言う事実に一番驚いてる。内容自体は正しいけど、こうまでゲスい言い回しされてると自分に当てはまる部分以外でもカチンとは来る
あとはこの挿絵にイラッとする。やってることはサイバラ敵に「おばちゃんがゲスい感じに偉そうなこと言うよ」ではあるけど、なんでかなぁ…文の人と画の人が別になって、しかも絵の人の口の悪さを配慮せずに「この人が正しい、読んでる君は間違ってるからもっと怒られるべき」という態度だもんw
となんというかな…「中庸(バランスが取れること、バランスを踏まえた上で自分を見せられる人)」がモテます。と言う本で、これ自体のいうことは間違っちゃいないと思うんだが、これを言い出した途端に、中庸からどちらかにそれてる人を両方共範囲攻撃しちゃう本だからなぁ…。気分は良くないよね
僕がフェミ嫌いつうか、行き過ぎた女性尊重路線に疑問を感じるのは女の人のしてほしいこと、してほしくないこと、もしくは思考構造自体が相手次第であって、相手にかかわらず頭でっかちに、ゲームやルーチンや科学のように区別する事が難しいため。だから、過剰にルールを支配すると主観的になりすぎる
つまるところ、男性に責任を投げられても、それがこの本で言う「気持ち悪い男は嫌われる」というすげー主観的でかつ、本人だけでは対策が難しいような評価のされ方(どこができてないから改善しろという点数化がしにくい精神構造の問題で評価される)ところに「女性基準が行き過ぎると怖いよね」がある
個人の女の人を悪く言いたいんじゃなくて、もうちょっと生き物レベル、社会レベルの話として「客観視しにくい基準の存在の厄介さと、それらを当たり前に突破しないといけない現状」に対して「うお!生きづれー」「仕組み化される時にもっと説明されないと壁にぶち当たる人がいっぱい出る」と危惧してる
いや、「個人的な好き嫌い」と「仕組みとして、あるいは自分の生活や可能性を決める基準」は別だよ。僕がフェミとか女性的な評価をおっかないおっかないと言ってるのは後者。特に女性自身が主観的かつ独特の(数値化・仕組み化しづらい・あまり男性に理解されてない)に自覚のないまま踏み込みすぎる様
まぁ、機会が平等になる必要はあると思うし、選択できないこと自体があるとするなら選択できるようにどっちの性に対してもすべきだとは思うけど、それは評価やものの見方がどう違ってるかを理解した上でじゃないと成立しないんだよね…。まぁ、この話してるうちに眠くなってきたからここでおしまい
ちなみに、さっき女性的な「気持ち悪い人が嫌い」という主観的かつ本人にはどうしようもない評価が怖いといったけど、ホモソーシャルにはホモソーシャルなりの野蛮さがあるから結局はどっちの怖さも周知すべきだとは思います。まぁ、後者については男の割合が多い中小企業や大企業でも肉体系見れば明白
おいおい、この本すげーこと言い出したぞ!薄い本的な都合よくヘタレ男が女の子に持てちゃう展開を「恋のドラえもん幻想」というムダにかっこいい名前をつけて罵ってやがる!すげー!謎のハイセンス
モテない自分に耐えられなくなってに耐えられずネット上で憎しみや逆恨みをばらまいたり、犯罪行為に走るのは社会的にもとっても迷惑なわけで、だから彼らは自分のためではなく世間のためにも気持ち悪くない男になって、すこしモテるようになる義務がある。(二村ヒトシ)モテは義務って…おお怖い
いやさ、気持ち悪い云々の話の時から一貫して思ってるけど、世の中には本気でわからなくて悩んでいる人がいて(それを利用して儲けている作者のような人がいて)、それゆえに困ってる人にお前が悪いと罵り倒すだけでも違和感あったのに、今度は「モテは義務」だよ…どんだけ強気なんだよ…この本
これ、すごく悪意のある言い方させてもらうと「モテたい男は気持ち悪くない男になってモテる義務があります。モテる気がない人は二次元で都合のいい妄想に満足して生身の女の子にはさわらないでください。どちらでもないモテたいけど気持ち悪い男は犯罪者予備軍で像を垂れ流す有害な連中です」だとさ
全体的におっかないし世知辛い本だなぁ…。何度も言ってるけど、言ってる事自体はそこまで間違ってないし、どっちかといえば正しいんだけど、言い方がゲスいし、失礼で回りくどいし、範囲攻撃だし、全面的に男が悪いというスタンスで書かれてるから読んでてすごく「怖い」とは思う。
どこの誰ベエと話したかは言わないけど「ドボンさんはモテなそう(童貞だろう)」という意見を聞いた時に薄々同意はしたけど、この文章読んだ時にやっぱり童貞だろうなぁ…と思った。
人の育児に文句言うときは自分の良心が傷ついたとか、迷惑を被ったことをきっちり言わないとなんか嘘くさいんですよ。ドボン会長の書き方みたいに「いや僕がどうとかじゃなくて、こういうの良くないと思います」みたいなのは自分がないし、ほっとけだし、いちいち口に出すな…という感じなわけですよ…
僕が思う童貞臭さっていらんこと言う人なんですよ。それも人や他人に口を出したい欲望を素直に認めないで高飛車に「べき論」を装ってしゃべること。自分の意見であることさえ表明できないし、かと言って歯切れよく言ってる人を見つけてその人に代弁させる器用さも、我慢するだけの堪え性もない半端もの
ネットでいっぱい喋れる、言いたいことが言いたいだけ言える時代だからこそ「言わないこと」「言わせること」が大事なんだよね…。昨日、「はあちゅうさんは腹黒い話は基本人に言わせるか有料でも聞いてくれる人にしか言わない住み分けをしてる。振る舞いがリア充っぽい」という話したけど、逆がドボン
いや、僕はキャバクラとか風俗で説教する客の存在を各種下ネタ系の読み物でよく聞くんだけど、アレの気持ちがさっぱりわからんわけ。自分だってあんまり正しくない場所に来てる(というより、お前みたいなのがいるから商売が成り立ってる)から彼女はそこにいて接客してるのに、なんで説教できる?謎い
あ、僕が女子から気持ち悪がられる時の失敗は基本「舞い上がりすぎ」なんだよね…。オブラートに包んで言えば「楽しいことにのめり込みすぎる」ことで、悪く言えば「味をしめた結果、それまでのまともに努力してた時の段取りがすっ飛んでしまう」わけだ。ある程度親密になってから失敗するタイプですw
ゆえに僕はある程度運とか出会いとか人と継続に会うだけの最低限の予算があれば、そこそこうまくは行くんだよ。ただ、うまく行った瞬間に「承認された。努力が実った」と平常心が保てなくなる(舞い上がっておかしなことを言い始める)タイプです。だから、童貞ではないけど、うぶいし青いのが僕の位置
ガチの童貞ってそれ以前の「自分を持ちながら待つ」ということができないんだよ。恋愛テクニック以前にギラギラや生暖かさや自分がビビってることも言い出せない(ネタにして笑ってもらう器量もない)からすこっしもうまく行かないんだよ。僕から見たドボン会長なり童貞臭い人のイメージはそれ
逆にもうセックスに入るムードからして心地いい僕の場合はそれが強すぎて盲目になっちゃうんよなぁ…。なんかそのムードまで来るとそれまで待ち続けたり、恋愛モードになってた理性がダバ〜と吹っ飛んで、「セックスすげー恋愛すげー!おらワクワクしてきたぞ」みたいなキモさ全開になるんよなぁ…
(色んな人に言われてるから言うけど)何度目だよ!童貞じゃないって言ってるだろ!
ツイッターで読んでる本について語ったら著者にふぁぼられた。…あ、アレですよ。2章まではすげー失礼で、臆病な部分があたってると感じる僕でさえ「あたってるのにテメーに言われるとうぜー」とさえ思うけど、2章過ぎると口調によるイラつきは減るよ。だから2章までが踏ん張りどころだよ(謎の弁明
しかし、これは自分も含めてなんだけど、あの童貞を卒業した人が性を語る時の口調の「わかったような口ぶり」はなんなんだろうな。これ、女でもそうで性に関連する産業の経験とかネタを売りにしてる人の口ぶりってどことなーく偉そうなんよなぁ…。アレの正体が知りたい。
今回の本(すべてはモテるためである)はその典型例。他の専門家や達人でこんなに偉そうで心得のない人を罵り倒す本を読んだことがないから「人にカネ払ってもらって、本を読む労力までかけてもらっておいて、読者をキモい・モテない・バカ・臆病と罵り倒す本がこの世にあるのか」とカルチャーショック
本を出すことに対してもっと「色んな人にお世話になった」「発言の場を与えてもらった」感がないから、本読んでて違和感があるんだよなぁ…。内容自体は頷いていて、引用して使ってみたいこともいっぱい書いてあるんだけど、アレだけ言葉遣いや読者との関係性をふてぶてしく取る本を読んだことないから
昂揚感、平和と繁栄、人類の良心、オリンピック憲章、そういうもろもろの理念が正しくデザインに反映されていないから嫌いです。
普通のデザイン教育を受けた人間にはあのデザインは以下のように見えます。
https://tokyo2020.jp/shared/images/olympic_emblem_large.png
①まず、中央を貫く黒いバーは、喪章、あるいはモノリス(不滅の絶対性、時間)を表す。
②対角は金銀のコーナーはモーターの界磁であり、これによりモノリスは右方向に回転モーメントを与えられる。
(通常のネジが右ネジだから)
※ちなみにベルギーの劇場のデザインは回転ドアのデザインで真ん中のラインが垂直に立っていることは、劇場が外へ向かって
開かれていることを意味する。
③右上の赤い丸、これはもちろん日本であり、太陽、陽性なるものを意味する。
金銀の界磁によって駆動されるモノリスは冷徹な正確さで日本をいままさに叩き落とそうと運動する。
金銀の界磁と一緒になったとき、モノリスは死神の鎌であり、赤い丸は狩られて血まみれの生首である。
冷徹な時間の論理によって日本が凋落していくことが避けられないという死を表す。
④金銀はメダルであり、メダルにより黒くて強大な物体が突き動かされて日の丸を叩き落とす図でもある。
日の丸の位置は、時計の1時付近であり、これは絶頂期を過ぎていてこれから沈んでいくしかないことを表す。
⑤2020はフォントで海の波、水平線を表す。五輪マークは、すでに水面下に沈んでいる。
このような、日本の凋落とメダルに駆動される凋落加速のデザインはオリンピックの理念を正しく表現しているとは理解できず、
まったく共感できない。
わかっちゃいたが、はてな村にブックマークされにくい記事を書き本物川関係者をブロックして2ヶ月…すごくネットに対するストレスが減って楽になった
怪文書作りたかったらkanoseにでも弟子入りしたら?彼なんか作ってるものの大半は怪文書みたいなものだし。僕もTogetterではそれなりにまとめをヒットさせられるから教えられないでもないけど…kanose氏ほど人々の悪意や闘争心に日を付けるようなまとめは作れないよ…
こっちから消すとやましいことがあるみたいだから向こうに消させる。話が通じないでかつ、被害が及ぶような相手じゃないとこっちからは消さない。本物川とか本物川とか本物川とか
言い方変えます。相手のまとめ技術が下手すぎて被害がないから「消してください」と書きました。被害がある相手なら有無も言わさず即効消してブロックしてTogetterに削除要請も送ってます。本物川とか本物川とか本物川とか
マイナビマジ滅んでほしい。というか、フェミ以上に僕が許せないネットメディアが今日からマイナビになった。でかでかと謝罪記事出すまでkanoseとマイナビと本物川は許さない。
僕よりも炎上上等なウェブメディアに「君は炎上しすぎてカルマが上がってるからウェブライターにはふさわしくない」とか死んでも言われたくない。切れそうっていうかこういうネタ見るたびに煮え湯飲まされてる感
ブコメでしか炎上を演出できないはてな民と違って、僕はちゃんと燃やしに行きますよwwwこれから毎日マイナビを焼こうぜww
ゲスいとは思うけど、「逆だった時に炎上させてる人」にボコられた被害者であり、そういう被害を受けた人の声も聞いてるからねぇ…。いつもならもっとキレてるけど、今日はやり過ぎないようにこれをデコったらこの件への言及はしない方針で行く
キレない人は悟りを開いてるか、キレずともやっていける高い処世術の持ち主だと思うが、正直キレて物申するぐらいじゃないと自分の生きやすさが確保できない人種もいるからキレること自体を否定する気はないと思ってる。さるアニメを見てて、もしくはある種の政治的議論を見てて「争いは絶対に良くない」という人に「その人は自分のすべてを否定されたり、奪われたり、正攻法では戦えない相手に巡りあったことがない幸せな人生を送ってきた人なのかな?それとも理想を語る自分がスキなのか?」と疑ってしまう。
マイナビとフェミの両方を仮想敵にしてる僕にとっては今回の記事は「あーこれでどっちも消せる」と思ったからやったわけです…本物川・kanose連合に蹂躙されたせいで「青○才は大したことない」と思われてますが、私には彼らと違って良心があるから彼らほど外道なことをしないだけです。
最上級のネットバトルになるといかに人間を辞めたような優しさを捨てた、詭弁を平然と言うような言い回しができるかの勝負になるから本物川に勝つぐらいなら僕は人間味を取ろうと判断したまでです
職場に限らず美男美女にニーズがあるのはわかるけど、それを行った途端に叩く人がいる限り言い出すべきじゃないところもあるからね~。特に普段フェミニストという男から見ても女から見ても奇怪な人に公での発言権を認めてきた我が国ではフェミの逆の存在の発言権を認めないことでアンバランスがあるし。いや、フェミという思想をもっちゃダメというわけじゃなくて、フェミが女性の代表みたいな顔をしてしゃべることにおかしさを感じるんだよなぁ…。アレって「男は歩くちんこ」ぐらいの極端さで、そりゃ全く当てはまらない人も少ないけど完全に一致してる人も少ないシロモノだもの…。やってる時とムラムラしてる時は男女問わず変態だし、それさえないと子孫を残せないから生き物として成立し得ない。そこを否定し始めちゃったらおかしなことになるんだけど、否定してる人が女の代表みたいな顔して学会でも政界でもマスコミでも出てきちゃうんだもの…。そればかりではないけどさ。「男だったら炎上するから同じように女がイケメンを求めてるといった回答をするのがダメ。」というのが今回の問題ではない。「女を叩く・男が女に性的な目を向けるとフェミが起こるけど、逆ならフェミのようなうるさい人は怒らないから書いてもいい」と考えてることがちゃんちゃらおかしいんだよ!
子供産んでからやっとこさ外出できるようになった嫁が恵比寿でランチしたいって言うから近郊の片田舎から車走らせてきたんだ。
慣れない道だし子供乗せてる緊張感と恵比寿っていう地名に対して浮足立っちまったんだろうな。
運良くすぐにコインパーキングも見つかって高級車ばっかり並んでる中で、安物だけど立ち回りのいい軽自動車だからぶつかる心配なくてよかったねーなんてお互い傷の舐め合いしながらなんとか車庫入れしたよ。
そんな浮ついた感じだからか、おしゃれなお店で綺麗に盛りつけられたランチ食べたけど食べたことないってだけで美味しいのかどうかなんて正直わかんねかった。
それでも都会風の生活エンジョイするみたいにコーヒーまでゆっくり楽しんで、付き合ってた頃みたいに会話も盛り上がったからか嫁さんは満足そうな顔してたからいいかって思ったさ。
色々大変だったけど、俺頑張ったなーなんて車出しに行こうとした時だよ。
ちゃんと確認しなかったのが俺が悪いのかもしれねーけどさ。
ちらっと見た駐車料金、○○/300円の○○って部分、よく見たら10分だってさ。って、10分!?どういうこと?!
そこってふつーは1時間固定じゃないの?!
最大料金4000円!!??なんだ!とっても良心的!なんて絶対にならねーーーーーヨ!!!!!!!!!!!
ランチ2560円(1280円x2)+駐車場料金2700円=合計5260円ナリ
なに?なんなの?東京ってこういうことするの?