モテないモテないと言いながら、モテたいという願望があるにはありながら、ついつい楽しくなってモテなそうな、世界の半分ぐらいを怒らせそうなネタをつぶやいて、世界の半分からクレームを言われまくってるアカウントが私です。…リア充になりたかったら、自分が言いたい毒は他人の毒をRTするべきか
眠れないから本を読んでるが、二村ヒトシさんの本ほど口が悪い本を読んだことない僕としてはあんなに口が悪い本をみんながみんな読んで、しかもほとんど批判がないと言う事実に一番驚いてる。内容自体は正しいけど、こうまでゲスい言い回しされてると自分に当てはまる部分以外でもカチンとは来る
あとはこの挿絵にイラッとする。やってることはサイバラ敵に「おばちゃんがゲスい感じに偉そうなこと言うよ」ではあるけど、なんでかなぁ…文の人と画の人が別になって、しかも絵の人の口の悪さを配慮せずに「この人が正しい、読んでる君は間違ってるからもっと怒られるべき」という態度だもんw
となんというかな…「中庸(バランスが取れること、バランスを踏まえた上で自分を見せられる人)」がモテます。と言う本で、これ自体のいうことは間違っちゃいないと思うんだが、これを言い出した途端に、中庸からどちらかにそれてる人を両方共範囲攻撃しちゃう本だからなぁ…。気分は良くないよね
僕がフェミ嫌いつうか、行き過ぎた女性尊重路線に疑問を感じるのは女の人のしてほしいこと、してほしくないこと、もしくは思考構造自体が相手次第であって、相手にかかわらず頭でっかちに、ゲームやルーチンや科学のように区別する事が難しいため。だから、過剰にルールを支配すると主観的になりすぎる
つまるところ、男性に責任を投げられても、それがこの本で言う「気持ち悪い男は嫌われる」というすげー主観的でかつ、本人だけでは対策が難しいような評価のされ方(どこができてないから改善しろという点数化がしにくい精神構造の問題で評価される)ところに「女性基準が行き過ぎると怖いよね」がある
個人の女の人を悪く言いたいんじゃなくて、もうちょっと生き物レベル、社会レベルの話として「客観視しにくい基準の存在の厄介さと、それらを当たり前に突破しないといけない現状」に対して「うお!生きづれー」「仕組み化される時にもっと説明されないと壁にぶち当たる人がいっぱい出る」と危惧してる
いや、「個人的な好き嫌い」と「仕組みとして、あるいは自分の生活や可能性を決める基準」は別だよ。僕がフェミとか女性的な評価をおっかないおっかないと言ってるのは後者。特に女性自身が主観的かつ独特の(数値化・仕組み化しづらい・あまり男性に理解されてない)に自覚のないまま踏み込みすぎる様
まぁ、機会が平等になる必要はあると思うし、選択できないこと自体があるとするなら選択できるようにどっちの性に対してもすべきだとは思うけど、それは評価やものの見方がどう違ってるかを理解した上でじゃないと成立しないんだよね…。まぁ、この話してるうちに眠くなってきたからここでおしまい
ちなみに、さっき女性的な「気持ち悪い人が嫌い」という主観的かつ本人にはどうしようもない評価が怖いといったけど、ホモソーシャルにはホモソーシャルなりの野蛮さがあるから結局はどっちの怖さも周知すべきだとは思います。まぁ、後者については男の割合が多い中小企業や大企業でも肉体系見れば明白
おいおい、この本すげーこと言い出したぞ!薄い本的な都合よくヘタレ男が女の子に持てちゃう展開を「恋のドラえもん幻想」というムダにかっこいい名前をつけて罵ってやがる!すげー!謎のハイセンス
モテない自分に耐えられなくなってに耐えられずネット上で憎しみや逆恨みをばらまいたり、犯罪行為に走るのは社会的にもとっても迷惑なわけで、だから彼らは自分のためではなく世間のためにも気持ち悪くない男になって、すこしモテるようになる義務がある。(二村ヒトシ)モテは義務って…おお怖い
いやさ、気持ち悪い云々の話の時から一貫して思ってるけど、世の中には本気でわからなくて悩んでいる人がいて(それを利用して儲けている作者のような人がいて)、それゆえに困ってる人にお前が悪いと罵り倒すだけでも違和感あったのに、今度は「モテは義務」だよ…どんだけ強気なんだよ…この本
これ、すごく悪意のある言い方させてもらうと「モテたい男は気持ち悪くない男になってモテる義務があります。モテる気がない人は二次元で都合のいい妄想に満足して生身の女の子にはさわらないでください。どちらでもないモテたいけど気持ち悪い男は犯罪者予備軍で像を垂れ流す有害な連中です」だとさ
全体的におっかないし世知辛い本だなぁ…。何度も言ってるけど、言ってる事自体はそこまで間違ってないし、どっちかといえば正しいんだけど、言い方がゲスいし、失礼で回りくどいし、範囲攻撃だし、全面的に男が悪いというスタンスで書かれてるから読んでてすごく「怖い」とは思う。
どこの誰ベエと話したかは言わないけど「ドボンさんはモテなそう(童貞だろう)」という意見を聞いた時に薄々同意はしたけど、この文章読んだ時にやっぱり童貞だろうなぁ…と思った。
人の育児に文句言うときは自分の良心が傷ついたとか、迷惑を被ったことをきっちり言わないとなんか嘘くさいんですよ。ドボン会長の書き方みたいに「いや僕がどうとかじゃなくて、こういうの良くないと思います」みたいなのは自分がないし、ほっとけだし、いちいち口に出すな…という感じなわけですよ…
僕が思う童貞臭さっていらんこと言う人なんですよ。それも人や他人に口を出したい欲望を素直に認めないで高飛車に「べき論」を装ってしゃべること。自分の意見であることさえ表明できないし、かと言って歯切れよく言ってる人を見つけてその人に代弁させる器用さも、我慢するだけの堪え性もない半端もの
ネットでいっぱい喋れる、言いたいことが言いたいだけ言える時代だからこそ「言わないこと」「言わせること」が大事なんだよね…。昨日、「はあちゅうさんは腹黒い話は基本人に言わせるか有料でも聞いてくれる人にしか言わない住み分けをしてる。振る舞いがリア充っぽい」という話したけど、逆がドボン
いや、僕はキャバクラとか風俗で説教する客の存在を各種下ネタ系の読み物でよく聞くんだけど、アレの気持ちがさっぱりわからんわけ。自分だってあんまり正しくない場所に来てる(というより、お前みたいなのがいるから商売が成り立ってる)から彼女はそこにいて接客してるのに、なんで説教できる?謎い
あ、僕が女子から気持ち悪がられる時の失敗は基本「舞い上がりすぎ」なんだよね…。オブラートに包んで言えば「楽しいことにのめり込みすぎる」ことで、悪く言えば「味をしめた結果、それまでのまともに努力してた時の段取りがすっ飛んでしまう」わけだ。ある程度親密になってから失敗するタイプですw
ゆえに僕はある程度運とか出会いとか人と継続に会うだけの最低限の予算があれば、そこそこうまくは行くんだよ。ただ、うまく行った瞬間に「承認された。努力が実った」と平常心が保てなくなる(舞い上がっておかしなことを言い始める)タイプです。だから、童貞ではないけど、うぶいし青いのが僕の位置
ガチの童貞ってそれ以前の「自分を持ちながら待つ」ということができないんだよ。恋愛テクニック以前にギラギラや生暖かさや自分がビビってることも言い出せない(ネタにして笑ってもらう器量もない)からすこっしもうまく行かないんだよ。僕から見たドボン会長なり童貞臭い人のイメージはそれ
逆にもうセックスに入るムードからして心地いい僕の場合はそれが強すぎて盲目になっちゃうんよなぁ…。なんかそのムードまで来るとそれまで待ち続けたり、恋愛モードになってた理性がダバ〜と吹っ飛んで、「セックスすげー恋愛すげー!おらワクワクしてきたぞ」みたいなキモさ全開になるんよなぁ…
(色んな人に言われてるから言うけど)何度目だよ!童貞じゃないって言ってるだろ!
ツイッターで読んでる本について語ったら著者にふぁぼられた。…あ、アレですよ。2章まではすげー失礼で、臆病な部分があたってると感じる僕でさえ「あたってるのにテメーに言われるとうぜー」とさえ思うけど、2章過ぎると口調によるイラつきは減るよ。だから2章までが踏ん張りどころだよ(謎の弁明
しかし、これは自分も含めてなんだけど、あの童貞を卒業した人が性を語る時の口調の「わかったような口ぶり」はなんなんだろうな。これ、女でもそうで性に関連する産業の経験とかネタを売りにしてる人の口ぶりってどことなーく偉そうなんよなぁ…。アレの正体が知りたい。
今回の本(すべてはモテるためである)はその典型例。他の専門家や達人でこんなに偉そうで心得のない人を罵り倒す本を読んだことがないから「人にカネ払ってもらって、本を読む労力までかけてもらっておいて、読者をキモい・モテない・バカ・臆病と罵り倒す本がこの世にあるのか」とカルチャーショック
本を出すことに対してもっと「色んな人にお世話になった」「発言の場を与えてもらった」感がないから、本読んでて違和感があるんだよなぁ…。内容自体は頷いていて、引用して使ってみたいこともいっぱい書いてあるんだけど、アレだけ言葉遣いや読者との関係性をふてぶてしく取る本を読んだことないから