はてなキーワード: 眼鏡とは
あまり男性が女性がとは言いたくないのだが、女性作家の描く知的に早熟な少年たちというのは、エルサ・モランテの「アルトゥーロの島」なんかでもそうなんだが、男性が描くときはまた違った魅力を発する。サリンジャーの知的で論理的に自分を追い詰める子供たちとはまた別の硬さがあってよい。新城カズマ「サマー/タイム/トラベラー」の高度に知的でありながら情緒は年相応な少年少女もいい。
さておき、これは近親相姦のお話なのだが、印象に残っている描写は次の通り。主人公たちの仲間に大食漢の男がいて、しばしば生肉を弁当の代わりに食らっている。回りの女子生徒たちも面白がって彼に餌付け(?)していたのだが、ある女子生徒がブルマーを入れていた袋の中に隠していたウサギを、生きたままで彼に与えた。血まみれで凄惨な場面でありながらも、大食漢は実においしそうに平らげていた。
頭が良くてモテる男が主人公なのでいけ好かない。モテること、たくさんセックスすることこそが人生の目的になっているような奴は理解できない。なんか知らないやつにいきなり人の部屋をのぞき込まれ、「お前の人生にはエロスが足りない!」と叫んで出ていかれるような気分がする。しかし、これもまた祖国を追われた人間が、知性と皮肉で現実に適応しようとした姿なのかもしれないのだ。
それと、この本で感謝しているのは、さまざまな政治的な活動に対して感じていた居心地の悪さを、「キッチュ」をはじめとしたさまざまな言葉で言語化してくれたことだ。ポリコレを正しいと信じているのに、そこにあるどうにも解消できない居心地の悪さが気になる人が読むといいんじゃないかな。
あとは頭が良すぎて、多くの人が無視したり忘れていたりしていることが見えてしまい、幸せになれない著者みたいなタイプが読むと幸せになれそう。イワン・カラマーゾフとか御冷ミァハみたいに、頭が良すぎて不幸になるというか、自分の知性をどこか持て余してしまうタイプのキャラクターが好きだ。
死体から作られた怪物がただただかわいそう。容貌が醜悪なだけで化け物として追われ、創造主からも拒絶された彼の孤独を考えるだけで悲しくなる。まったく同じ理由で「オペラ座の怪人」も好きだ。どちらも間違いなく殺人者ではあるのだけれども、容姿を馬鹿にされたことがあるのなら共感せずにはいられないだろう。関係ないけど、オペラ座の怪人がヒロインから振られたことを受け入れられたのって、やっぱり正面から振ってもらったからだよな、と思う。音信不通やフェードアウトされたら怨念はなかなか成仏しない。
それと、これはSF的な感覚かもしれないが、人間離れした(時としてグロテスクな)姿を持つ存在が、非常に知的であるというシチュエーションがとても好きで、その理由から後述の「時間からの影」や「狂気の山脈にて」も愛好している。
架空の神話がショートショート形式で述べられていく。ただそれだけなのにこんなに魅力的なのはなぜだろう。彼の作品は基本的に短く、しょうもないオチの作品も割とあるのだけれども、時に偉大で時に卑小な神々の物語は、壮大な架空の世界に連れて行ってくれるし、すぐ隣に隠れているかもしれない小さな妖精の魔法も見せてくれる。
「あなたの人生の物語」とどっちにするかやっぱり迷った。映画「メッセージ」の原作が入ってるし、増田で盛り上がってるルッキズムがテーマの作品だってある。だが、寡作な人なのでこの2冊しか出していないし、片方が気に入ったらきっともう片方も読みたくなる。
表題作は、意識を持ったロボットのような存在がいる宇宙のお話なのだけれども、そのロボットは自分の脳をのぞき込んでその複雑な仕組みに心を打たれる。そして、世界を観察することで、何万年も経てばこの世界は滅んでしまうことを悟る。人間とは全く似ても似つかないロボットたちだが、やっていることは人間のサイエンス、真理の追求という営みと本質的には同じだ。何かを知ろうとする営為の尊さについて語っている。得られた知恵で、自分たちも世界もいつかは終わってしまうと知ることになろうとも、知識を求める崇高さは変わらないのだ。
学生時代、自分は女性に冷たくされる文学が好きだった。からかわれたりもてあそばされたり馬鹿にされたりする作品のほうが好きだ。そのほうがリアリティがあったから。寝取られ文学が好きなのもそれが理由だし、谷崎潤一郎の作品も同様の理由で好きだ。
自分を馬鹿にしていた少女が突然しおらしくなり、自分に近づいてくる。いったいどうしたことか、と思って期待しながら読んで、絶望に叩き落されるがいい。
「ライ麦畑」でホールデン少年が感動した本。アフリカの植民地で暮らす女性の視点からその生活を書いている。友人のイギリス人が亡くなったとき、まるで故郷をしのぶかのように墓が深い霧に包まれたシーンがとても美しい。
個人的には、当時の基準からすればアフリカの人々に対して丁寧に接しており、評価も概して公平であるように感じた。ところどころ「有色人種特有の」といった表現があったり、アフリカを前近代社会とみなしたり、古い進歩史観は見られるし、植民地の支配者側からの視点は批判的に読まなければならないが、色眼鏡の比較的少ない観点に心を動かされてしまったのは事実だ。
植民地時代のアフリカって、宗主国以外の人もたくさんいたこともわかって面白い。当時は英領東アフリカだが、そこにはスウェーデン人もいればノルウェー人もいる。古くからの貿易相手としてのインド人だっている。独立後、彼らは日本人が満州や朝鮮半島、台湾などから引き揚げたように、撤退したのだろう。植民地について理解するためにもおすすめ。
はまった。十代の頃にとにかくどっぷりとはまった。今でも表紙のエルフ文字を使って誰にも読まれたくないことをメモするレベルではまった。
確かに話の展開は遅い。重厚に過ぎる。設定を語るためのページも多い。しかし、この長大な小説を読むことで、開始数ページで読者をひきつけなければならない現代の小説からは得られない、長い旅をしたという実感を得られるのは確かだ。小説家には良き編集者の助言は必要だが、今のように急ぐ必要のなかった時代もあったことは忘れたくない。
「李陵」や「弟子」や「山月記」じゃなくてなんでこれなのか、という声もするのだけれど、自意識過剰の文学少年の思っていることをすべて言語化してくれているので推さずにはいられなかった。十代の頃の感受性は、何よりもこうしたものを求めていた。親の本棚にこれが積んであったのは幸運だった。
これは「三造もの」と呼ばれる中島敦の私小説的の一つであり、世界の滅亡や文明の無意味さに対する形而上学的な恐れや不安が意識の片隅にある人間なら確実に刺さる内容だ。最後の説教パートもさほどうっとうしくない。なぜなら、きっと文学少年・文学少女たちは、その言葉を無意識のうちに自分に投げかけてきたからだ。
膨大な知識と華麗な文体を背景にして、あらゆる性的な乱行を正当化してしまうのがナボコフの作品の一つの特徴である。語り手ハンバート・ハンバートは十代前半の少女を性の対象とする中年だ。自分の初恋の思い出がどうこうとか述べているが、それだって言い訳だ。
しかし、この作品はただの小児性愛者の物語ではない点が油断ならない。少女ロリータはただ性的に搾取されるだけの存在ではなく、自ら性の冒険に乗り出す。清純で清楚な少女という幻想は、最初からハンバートの夢想の中にしか存在しない。ハンバートにはロリータの内面や考えなど最初から見えていなかったし、見ようともしてこなかった。
ただのスキャンダラスな本ではない。これは一人の身勝手な男性の心理の解剖である。
「ごんぎつね」の作者として知られるが、こんなふざけたタイトルの話も書いている。しかし、これは「自分は常に正しい、正しく道徳的であらねばならない」としてきた子供の挫折を描いた小説であり、この社会が弱者にあらゆる責任を擦り付けている様子を全く卑近な話題から告発した話なのだ。自分がした屁の責任をかぶらされた、いつも屁をこいている少年への同情と軽蔑は、僕らの弱者への姿勢そのものじゃなかろうか。
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遺伝学の発展が少し早かったパラレルワールドの未来を舞台にした愛憎劇であり、変身ヒーローものでもある。ただのSFと違うのは、さまざまな文化が変容を受け、再解釈を受けて受容されることまでもプロットの一部として組み込んでいるところだ。さらには疑似科学や陰謀論と社会の関係も描いている。今、読まれてほしい作家の一人だ。
仁木稔の作品は僕の好み、ストライクど真ん中なんだけど、世界史や文化史、自然科学や物語論の素養がないと(かじるレベルでいい)作者の構想を味わい尽くすのが難しいので、滅茶苦茶売れる作品にはならなそうだというのは認めざるを得ない。現に舞台もラテンアメリカで日本人になじみが薄いし、シリーズの別の作品は中央アジアだ。それでも、伊藤計劃と並んで、社会学なんてつまらないって誤解を解いてくれた大きな恩がある作家だ。早くこのシリーズの最新刊が出ないか、今か今かと待っている。
明治十一年の日本の都市から農村を実際に歩いて見聞した手記である。率直に衛生状態の悪さやはびこる迷信を批判している箇所はあるものの、その率直さが当時の日本がどんなだったか身びいきなしに教えてくれる。現代日本人が近隣の、例えば東南アジア諸国を見聞して不満がる、偽ブランドの横行や衛生状態の悪さ、家畜との同居や騒々しさなどが明治の日本ではごく普通だったってことは知っておいていいと思う。
著者は北海道にも足を延ばした。アイヌ民族について日本人よりも好意的に描いている場面もある。しかし、当時の西欧人の感覚でよくわからないのだが、「粗野な外見だけどとても優しい目をしている」と褒めた民族のことを、別のところでは「将来の可能性を閉ざされ民族である」と書く点だ。もしかして、かつての人々が持っていた、文明と野蛮の間にある壁・差異のイメージは、僕らが直観するよりもはるかに深刻な差別意識を内包した、強固な偏見に根差したものだったのかもしれない。単純な軽蔑どころではない、もっとひどい無理解に基づいた恐ろしい何か。同じように、キリスト教によってこそ日本の悪習は絶えるという発想がどこから来たのか。そういうことを考える意味でもおススメしたい。
とても面白かった。父の暴力を遠因として、あらゆる動物的なものを嫌悪するようになった妹と、ただやり過ごすことで生きてきた姉を軸に描かれた三連作。壊れた夫婦の描写に優れる。
妹は最後には精神を完全に病んで、何も食べられなくなるのだけれども、彼女が持つ植物になりたいという妄念が、本当に精神病の患者さんを観察したんじゃないかってくらい、細部にリアリティがある。
姉はおとなしいのだが、自分はただ忍従し、やり過ごしてきただけで、自分の人生を全く生きていなかったのだと、夫の裏切りによってやっと気づく。夫は夫で、そのおとなしい妻に対して息苦しさを感じている。他の家庭のように、怒鳴り散らしてくれたらどれほど楽か、と嘆くのだ。
韓国ってよく叩かれているけど、日本と同じように家族のしがらみとかとかで苦しむ描写が多いので、意外とわかりやすい気がする。
今年のバレンタインに、大嫌いな女より早く結婚した。嫌いな女とは小学校と中学校が同じだった。眼鏡をかけた頭のいい女で、いつも先生に褒められていた。でも、同級生から嫌われるタイプではなかった。
その女のロッカーにはいつも数冊本が入っていて、朝読書の時間、読むものがない同級生に本を貸してくれた。彼女が勧める本にはハズレがなかった。私も彼女から何度か本を借りたことがある。これはどう?と言って貸してくれたさくらももこのエッセイは自分でも買って、今でも読み返すことがある。
当時クラスにはいくつかのグループがあったが、彼女はいつもあぶれていた。でも、何かのイベントがあると、彼女は色んなグループから声をかけられた。彼女がいると、イベントごとがスムーズに進むし、諍いがなくなって楽だったからかもしれない。
勉強ができて、先生から可愛がられていて、地味で、それなのに彼女を嫌う人はほとんどいなかった。優等生だけど、頼めば宿題を見せてくれたし、勉強を教えてくれることもあった。まだ彼女のことを嫌いでなかった頃、宿題を写されるのは嫌じゃないのと尋ねたら、みんなに嫌われないようにしてるだけだよと流された。
彼女のことを嫌いになったのは、中学3年生の冬だ。彼女は1組、私は2組だった。私は1年以上片想いしていたバスケ部の男子と、やっと付き合うことができて、3ヶ月経った頃だった。まだお互いの家に行ったことはなかった。
そんなとき、友達から「あんたの彼氏からMさんの夢を見たって相談を受けたけど、別れたの?」と聞かれた。喧嘩すらしたことがなかったし、3ヶ月記念日を祝う手紙を贈ったばかりだったから、間違いだろうと思った。それに、彼女と私の彼氏とはあまりにも釣り合わないように思えた。確かに、クラスは同じだった。でも、勉強なんか全くしないでバカなことばかりしている彼氏は、彼女と仲良くなるようなタイプではなかった。それに、彼女には生徒会長と付き合っているという噂もあった。
少し経った後、別の男子から私の彼氏が「彼女の家に遊びに行ったらしい」という話を聞いた。付き合っていることはごく一部の友達にしか言っていなかったから、興味を持ってるふりをして詳しく聞くと「勉強を教えてもらうって口実で日曜に押しかけたらしいよ、勇気あるよな」と教えられた。授業中、彼に手紙を書いた。あの女の家に行ったって本当?と書きたかったけど、放課後聞きたいことがある、というような文言にした。
中休みに手紙を渡すと、彼氏はあー、いいよ、と珍しく険しい顔で言った。私はああ、たぶん本当なんだな、と思った。噂について尋ねると、彼は「彼女のことが好きと言い切ることはできないが、私のことを好きということもできない。別れるというならそうする」と言った。私は無責任だ、あの女が告白してきたのか、と言ったけど、「彼女は何も言ってないし、誘ってもきていない。俺が勝手に家に押しかけただけ」と言われて、耐えきれずに待っていてもらった友達のところに逃げ帰った。同じ部活の女友達はほとんどみんな私の味方をしてくれたけど、最初に夢の話を教えてくれたひとりだけは「ムカつくのはわかるけど、あの子も悪くなくない?」と言っていた。
受験間際だったし、クラスの違う彼女と会うことはほとんどない。でも、先生が休みとかなんとかで、1組と合同の体育の授業があった。彼女がひとりでネットの片付けをしていた。私は手伝うふりをしながら「◯◯のこと好きって本当?」と聞いた。彼女は「なんで?ただのクラスメイトだよ〜」とことも無げに答えた。彼女の手がちょっとだけ強張ったように見えたけど、ほとんど「シロ」っぽいふるまいだった。
彼氏とは、別れなかった。1年以上好きだったし、彼はあの女を好きとは言わなかったし、彼女も彼を好きじゃないという以上、私が正しい彼女だと思っていた。
卒業式の後、地元の公立高校の合格発表があった。私はすでに決まっていたけど、違う高校に行く彼氏の発表を一緒に見に行く約束をしていた。合格の番号を見つけた後、彼は写真を撮って、誰かにメールしていた。こっそり横目でのぞくと、相手はあの女だった。「勉強教えてくれてありがとう。ちゃんとお礼させてください。」という文章と、番号の写真を送っていた。私はサッと血の気が引くのを感じて、「結局あの子が好きなんでしょ」と言った。彼は一瞬うろたえて、「でも、付き合っているのは君だから」と言った。結局、別れたくないと思っているのは私だけだってことだった。
しばらくその話を巡って喧嘩したり、冷却期間を置いたりしたけれど、やっぱり彼の気持ちは戻らなかった。最後は私がキレて、「もう好きにしろよ」と怒鳴って終わった。
彼女は頼むとなんでもしてくれたけど、テストの点数や好きな人、志望校とかのプライベートなことを誰かに教えることはなかった。でも、頭がいいのはわかりきってるし、県内のトップ校に行くんだと思ってた。でも、彼女は東京の高校を受けて、さっさと地元を出て行った。
彼女に最後にあったのは成人式の日だ。成人式の二次会で、女子はみんなちょっとよそ行きのワンピースとかセットアップを着ている中、彼女は高そうな赤いドレスで現れた。昼間の着物の時とは違う髪形だった。私の元彼が、彼女の手を引いていた。みんながあんたら付き合ってんの!?優等生ちゃんめっちゃ綺麗になったじゃん!と騒ぐ中、元彼は「付き合ってないよ、親友っすわw」と言っていたから、結局付き合ってはいないようだった。ひどい別れ方をしてるし、当然というべきか、彼は私のところになんか一度も来なかった。東京の有名な大学に進学して、綺麗になった彼女を自慢する元彼の姿はバカップルよりひどいと思った。そして、イオンで買った黒いワンピースを着て、着物の時と同じ髪形で、彼が私のことを惜しいと思うんじゃないかなんて思ってた自分が惨めだった。
私は働き始めてから付き合った人から去年の誕生日にプロポーズされて、今年のバレンタインデーに結婚式を挙げた。コロナのこともあったけど、田舎だから式ができた。でも、ひとりだけ彼女の味方をして、夢の話を教えてくれた友達は、結婚式に呼ばなかった。
繋がっていないFacebookと、繋がっていないInstagramの情報から察するに、彼女は独身らしい。彼氏がいるとも書いていない。だから、私は少なくとも愛されてプロポーズされたという点においては、彼女に勝ったんだ。馬鹿みたいだけど、私はそれだけで、少しは自分に自信が持てる。大嫌いな女より早く結婚した。子供の頃のことを引きずって、自分に酔っているだけなんだと思う。相手にされてすらないかもしれないし、こんなの無駄だとわかってるけど、こうして書いて忘れたかった。ああ、本当に勝てたらいいのに。
豊齢線が出てたり肌が汚かったり唇が残念だったりする人間は今まで隠しようがなかった(隠していると変な目で見られた)んだよ・・・
鼻出しマスクすんなって強く言うやつ居てその意見はわかるけど、「上手くマスク着用すると眼鏡曇らない!」と強弁してるやつは個々の顔の形が違うことを考慮してないとは思う
ネットでオススメされている曇りどめを4つも試したが2時間位で何故か効果が見るからに落ちてくる
眼鏡レンズへのコーティングが悪いのかと疑って、壊れたときの予備として所有しているコーティングオプションを適用してない安い眼鏡で試してみても明らかに効果時間が短い
どういうことなのか周囲のメガネマンへ意見を聞きまわっていると1つの傾向に気付いた
彫りが浅いメガネマンは「マスクを上の方へ多少ズラして付ければ眼鏡曇りにくいよ」のようなことを言う
その昔はてな村で脱オタファッションに関する記事がトレンドになったことがあったが、
そろそろ世代が入れ替わった感があるので当時を思い出しながら思う所を書き殴ってみる。
言うて、もう脱オタが何か分からない人がいるだろうから一応解説すると、オタとはオタクのこと。
脱オタとはいかにもファッションに興味がなさそうなオタクが、最速、最短で最低限の見た目になるためのメソッドについて論じる
さて。
ファッション初心者にとっての服選びを始めとするファッションのハードルの高さとは何か。
これは何故か世間のアパレルショップがアイテム単品買いメインの作りになっている所が大きいと思っている。
PCに例えるならBIOSやドライバの知識のない初心者がいきなりパーツ買いするようなもので、
回りくどい書き方をしたがヨドバシカメラのような家電量販店で売っている
とりあえず学校のレポート程度ならこなせる割高な国内メーカー製のWindowsノートPCにあたる提案が、
ファッションの分野にはないんだなこれが。
ベストではないけどまあそれでいいんじゃない? 知らんけどと言える商品。
これって驚くべきことで、いいからブサメンの俺でも似合う髪型と服を教えてくれと何度言いたくなったか分からない。
#それに対するアンサーが後年の服を着るならこんな風に的なサムシングなんだけど、ここでは触れない。
#洋服のアオヤマなどで買える就活生向け一式セットがモロ理想の初心者向けセットなんだけど、
CPU、HDD、メモリといった最低限の部品一式を揃えなければPCが起動しないように、
ファッションで取り敢えずの及第点を取るには髪型から靴まで全身をパッケージで見る必要がある。
あるのだが、少なくとも中学生、高校生の頃の俺はそれを知らなかった。
自分が欲しいと思ったアイテムをなんとなく単品買いして、思えば随分と時間と金を無駄にしたもんだ。
自分の体型を踏まえた髪型から靴まで全身のイメージがないと、何年経っても自分なりの審美眼が磨かれない。
毎年服を買っているのにちっともお洒落になった気がしない人は、大抵の場合トータルで見る観点、
全体としてどういった印象を他人に与えたいかという視点が欠けているんじゃないかな。
話を戻す。
いきなりイメージと言われても、大抵の初心者には自分が目指す確固としたイメージなど存在しないだろう。
ではどうするか。最も手軽で確実性が高いのは素人のファッションスナップのサイトで自分と身長と体型の近い人のそれを丸パクリすることだ。
最低限の知識がない素人のこだわりは言い方は悪いがノイズでしかないので、髪型から眼鏡から靴ひもの色から変なアレンジを入れずにそのまま全て真似するといい。
次点で全国展開している大手セレショ(BEAMS、UAなど)がディスプレイしているマネキンが着ているアイテム丸パクリ。
これは自分の体型が考慮されていない分失敗の可能性が増すが、少なくともアイテム同士の相性が考慮されている分素人の単品買いよりずっと勝率が高い。
ん? 似た体系の人がファッションスナップサイトには見当たらない?
申し訳ないが太っている人は死ぬ気で痩せてくれとしが言えない。
そのままでもお洒落にはなれるが、格好良く、可愛く見られたいなら普通体型程度に痩せている方が圧倒的に、そりゃもう圧倒的に有利だ。
腹が出ているだけで目指す方向性が”愉快な気のいいデブ”しかなくなってしまい似合う服や髪型が限定されてしまう。
金がない? 金がないなら時間を使え。良いと思ったモデルが着ているアイテムの安い類似品を探すんだ。
セレクトショップやZOZOなどのオンラインショップには類似品を探す機能があるはずなので、安いものを目を皿のようにして探せ。
中古が気にならないならメルカリでも何でも好きなサイトで探せばいい。
類似品は色は似ていても素材や形が違う別物なので地雷率は高いが仕方ない。
残念ながら知識も金もない者に地雷を避ける術はない。ゲームオーバー。
グエ-シンダンゴ
ここまで書いた内容をざっくりまとめると、分からないなりに自分より詳しい人の力を借りて
世間一般で何が良いとされているかを把握しよう。その際自分のセンスは封印しましょうという話になる。
一応理屈を書いておくと、定量的な評価基準の無い分野で素人が自分なりの審美眼を獲得するには、
まずは先人が高く評価するものを浴びるように摂取して、自分の中にそのジャンルにおける一般的な良し悪しの基準をインストールする必要があるのね。
この基準が確立するまでの自分なりのこだわりはぶっちゃけゴミです。
世阿弥言う所の守の段階での変なこだわりは捨てた方が圧倒的に成長が早い。
そうして手に入れた基準を自分なりに使いこなせて初めて店頭に並んでいる個々のアイテムの客観評価が可能になるのよ。
最後に金はあっても時間がない社会人向けのドーピング方法を書いておく。
便利な時代になったもので近年はテレビや雑誌で活躍する現役のスタイリストが素人の買い物に付き合ってくれたり、
そのものずばり何を買えば良いかアドバイスしてくれるサービスが存在する。
相場は割とお高いが、プロとして需要がある人の知識とセンスを借りると考えると俺は安いと思う。
具体的なサイト名をあげるのはちょっとはばかられるので、単語としてはスタイリストやコーディネイト、
知識がある人は自分が好きな雑誌やスタイリスト名で検索してみて欲しい。
こんな駄文が誰かの役に立てば幸いだ。健闘を祈る。
社会人5年目。
学生時代は小説を書くのが好きで、色んな作品をインプットしては情熱に燃えて創作してたけど、社会人になってから何もできなくなってしまった。
キャラクターとか世界観の情報を頭に入れるのがしんどくて、作品を見始めるのに気合いがいる。本も数ページしか集中力が続かない。
見るとしたら、もう設定が頭に入ってるものを何度も繰り返すか、頭使わずに済む日常ものばかり。
休日はひたすら横になってスマホを眺めて、まとめブログ増田Twitterパズルゲームのローテーション。このままじゃダメだと思って習い事を始めてみたけど、このなんとも言えない寂しさと退屈さは埋まらない。
社会人になってわりとすぐ結婚したり、ずっと好きだったジャンルから離れて推しへの愛が薄れたのも関係してるかもしれない。
仕事は別に好きじゃないけど、基本的に定時であがれるし、人間関係もいい。楽しくはないけど、しんどくもない。
なのにどうしてこんなに無気力なんだろう。
昔は色々と書きたいネタがあって、家帰ったらあのシーンの構想を練ろう、参考にあの映画を見ようってわくわくしてた。その辺の花とか空とか、全ての現象がキラキラして見えた。
あの頃の自分に戻りたい。
2020年の年末。もう10年近く追いかけている大好きなアイドルが、雑誌でジェンダーレスメイクをしていた。
男性がメイクするのに賛成だと話す。メンズコスメの売上も好調のようで、そのうち性別関係なく誰だってメイクするのが当たり前になるんだろうと思う。
誰もが好きなことを好きに、自分らしく、やりたいようにやればいいと思う。
しかし、その一方で。男性までもがメイクをするのが当たり前になるのが怖いと思っている自分がいる。
私は今年で30歳になるが、毎日スッピン眼鏡で出勤している。どんなに好きな人の前だろうと、結婚式に呼ばれようと、スッピンだ。眉毛も剃って整えてはいるが、色は真っ黒で髪を染めると浮いてしまう。
なぜ、メイクをしないのか。それは、敏感肌のためできないからである。数年前に、メイクができないことを肌が弱いから~ってスッピンなんて!言い訳!女として怠慢!と言ったツイートを見て大変傷ついた覚えがある。私自身も、他人からよく言われる。
「なんでメイクしないの?」
傍目から見れば、私の肌はトラブルを抱えている様には見えないのかもしれない。でも、それは日々本当にスキンケアにお金をかけ。皮膚科の塗り薬や飲み薬で自分をコントロールしているからである。
私は、アトピーや慢性蕁麻疹で服を脱いだら本当に傷だらけだ。職場のロッカーでも背中をみてぎょっとされることが多々ある。手の甲をみて、過去に何があったのか?火傷でもしたのか?皮膚移植したら?と言われることも多い。そんな経験から、せめて顔と首はどうにかしようと頑張ってきた。
過去にメイクをしようとして、たくさん肌荒れも経験した。そもそも合うクレンジングがないことに気付くのに7年かかった。メイクして痒い思いを我慢して、その上肌荒れするのを我慢しているくらいなら、いっそメイクなんか辞めてしまえ!と思えるのに10年以上かかった。
一番辛かったのは、ADDICTIONのカウンターに行った時。どうしても、アイシャドウが欲しくて、肌に合わないかもしれないけど色が好きで買いに行った。最低限のパウダーとリップとマスカラはしていた。店は私以外の人には声をかけるのに、そこに10分もいる私には一言も声はかけてくれない。野暮ったい場違いな、化粧もしないような女だと思われたんだろうか?でも、どうしても欲しくてやっと声をかけ、やる気のないタッチをしてもらい購入した。(他のブランドのコスメカウンターにも何度も言っているが、どのカウンターの人も悩みに超真剣に向き合ってくれて話を聞いてくれて、ありがたいです。特に、MACでは嫌な思いしたことない。色もたくさんで楽しいし大好き!)お気に入りの色を見つけて、嫌な思いはしたけど手に入れることができてよかったとホッとした。冒頭でも言ったが、大好きなアイドルに会いに行くのにおしゃれしたかった。コンサートなので、感動で泣いてしまって、メイク直しもするし、メイクしている時間も朝から夜までと長丁場。現場は暗いので、ライティングに耐えられるように、自ずと濃いめの化粧になる。丸1日乗せていたら、瞼がかぶれ、目の淵は裂けて血が流れてしまった。そのあとも、ちょっと使うと瞼が痒くて、せっかく手に入れたのにそのアイシャドウは使えなくなってしまった。
中学生時代からメイクを始め、そんなこんなで26歳で腹が立ってメイクを辞めたのが、この時だ。そのあともせめてパウダーだけでもと、石鹸でオフできる系のメイクも試すがどれも合わなかった。最後に買ったのはバントルテだったかな?
まぁ、敏感肌だからメイクをしていない女には、そんな話すとメンドクセー理由があるってのを知って貰いたい。
「なんでメイクしないの?」
「女なのに?」
と、言われたくない。自分に興味がなく、容姿を疎かにしている人間だと思われたくない。そんな未来がくることを2021年なのに怖がり、怯えているのだ。
常識やマナーといった物にメイクも該当するのだという認識、壊していきたい。
敏感肌という女をバカにする雰囲気、是非とも辞めていただきたい。
「ある日、突然嫌われる」というのは発達障害あるあるだと思う。とくにASD寄りのひと。
俺はそれに追加して初対面で好感度マイナス100の人種が居るというのがある。
主人公→中学1年生のときに見た名門野球部の試合によって野球少年に目覚めその高校入学を目指す
中1~中3でやったこと→名門野球部の入試における体力テストの合格点とライバル選手についてリサーチしてその攻略に全力を注ぐ
ここまで見ると完全に「おっコイツめちゃくちゃデータ集めてんだな」って思うじゃん。
んでその高校のスカウト部長の名前とかも普通にフルネームで覚えてんだよねこの主人公。
でどうなったかというと
ネタバレ注意 ネタバレ注意 ネタバレ注意 ネタバレ注意 ネタバレ注意 ネタバレ注意 ネタバレ注意 ネタバレ注意 ネタバレ注意 ネタバレ注意 ネタバレ注意 ネタバレ注意 ネタバレ注意 ネタバレ注意 ネタバレ注意 ネタバレ注意 ネタバレ注意 ネタバレ注意 ネタバレ注意 ネタバレ注意 ネタバレ注意 ネタバレ注意 ネタバレ注意 ネタバレ注意 ネタバレ注意 ネタバレ注意 ネタバレ注意 ネタバレ注意 ネタバレ注意 ネタバレ注意 ネタバレ注意 ネタバレ注意 ネタバレ注意 ネタバレ注意 ネタバレ注意 ネタバレ注意 ネタバレ注意 ネタバレ注意 ネタバレ注意 ネタバレ注意 ネタバレ注意 ネタバレ注意 ネタバレ注意 ネタバレ注意 ネタバレ注意 ネタバレ注意 ネタバレ注意 ネタバレ注意 ネタバレ注意 ネタバレ注意 ネタバレ注意 ネタバレ注意 ネタバレ注意 ネタバレ注意 ネタバレ注意 ネタバレ注意 ネタバレ注意
その名門高校には野球に関するデータを集める解析チームがいて、主人公みたいに相手選手の解析によって結果を出すタイプの選手なんて最初から目じゃなくて、フィジカルしか見られてなかったので落ちた。
そもそも主人公が希望していた捕手のポジションは最初から採用人数が1名しかいない狭き門だったので、自分よりフィジカルに優れた選手が居た時点でどう足掻いても合格できるチャンスがなかった。
は?
お前?
何が駄目って、主人公が知ってて当然の情報を話の都合で知らなかったことが駄目なんですよ!!!!
だって名門校に入りたくていっぱい研究して、その学校のスカウト部長が誰で、試験はどの競技でどれぐらいやれば合格化諳んじれるところまで行ってたんですよ???
なんでそんな人が「なに!!この学校には解析班がいてフィジカル面しか選手には求められていなかったのか!!!!」ってなんなんすか?
そりゃこの主人公が超野生児で「腹減った~~え?野球じゃ足を使っちゃ駄目なのか?しょうがねえなあ……」みたいなキャラだったらこういうのあってもそういうキャラだから良いですよ。
でもこの主人公はめっちゃデータ分析して情報収集するタイプなのに、作者が作劇をするに当たって都合が悪い知識だけが抜け落ちてるんですよ。
それは漫画の嘘として駄目な嘘でしょ。
漫画の嘘ってのは、漫画の世界においてはそういうものであるっていう前提に立った嘘じゃないと駄目でしょ。
ギャグ時空で死んだキャラは1コマ後には完全復活していいけど、シリアス時空で交通事故にあったキャラが次の週にあっさり復活したらその漫画の何を信じれば良いのかもうわからないよ。
そんなのもう全部ボーボボだよ。
シリアスモードで雑な嘘ついてインチキするならそれはもうボボボーボ・ボーボボになるんだよ。
この漫画はボボボーボ・ボーボボの癖に散々さも真面目な漫画であるかのように「まず内角に投げてそれから外角に」とか言ってるけど、それもうたった一つのインチキな嘘で全部ごみになったよ。
もうこの漫画は「まず内角に投げてそれからトラップカード発動!オシリスの天空竜滅びのバーストストリーム!!!」とかやるような世界観になってるからね?
漫画は無限の嘘が許されているけど、嘘にも文脈が必要だからね。
好き放題嘘ついていいならもうその漫画からはストーリーや整合性は全て剥奪されてただのなんでもありだから。
ボールの代わりにトマトを投げてもいいし、バットの代わりに大根を振っても良い漫画だからね既に。
なんなの?
この作者はまさか本気で「自分の入りたい野球校についてめっちゃリサーチした学生が解析班の存在を試験が終わった着後にようやく知った」なんてアホみたいな話が十二分なリアリティのあるものだと思ってるの?
もう一度言うけどもしもこの漫画が中学生が300kmの速球を投げて10mジャンプして目からビームを出してホームランを阻止する漫画なら俺もこんなこと言わないからね。
正しくは、ほぼほぼ関係のない大昔の知人、多分相手は自分のことなど覚えていないと断言できるほどの知人の近況を興味本位で検索したら知ってしまった。
件の子は、保育園に通っていた頃はずっと一緒に遊んでいて、仲が良くて、今でも自分が本名を覚えているくらいには印象に残っている。
眼鏡をかけた真面目そうな、笑顔が印象的な女性だった。なにか、疲れてくたびれたような雰囲気もあったような気がする。
保育園から小学校に上がるとき、学区の関係で顔を会わせなくなったが、それでも小3、小4くらいまでは交流があったと思う。
中学校は幸い一緒だったので、再開をちょっと心待ちにしていたのだけど、中学校で会った彼女は自分の知っている彼女とは結構、だいぶ変わっていた。
髪の毛は茶髪で、制服は着崩していて、化粧をして、口うるさい教師から面倒くさそうに目を反らして髪先をいじっていた。
確かクラスが一度一緒になったけれど、滅多に教室にはいなかった。
クラスでも彼女のことを話題にすること自体がそもそも少なかったはずだ。
少なくとも友人という枠で括って会話することはなかったと思う。
「あの荒れてる子」
「どこ高に彼氏がいるらしい」
そういう、確実に憧れではないトーンで、ひそひそと囁かれていた。
腫れ物に触る、といえばよいのか。
周りは荒れている彼女しか知らないから、そういうトーンで話をするんだなと思っていたけれど、自分はどうしても、保育園の頃の彼女を知っているので、聞くたびに違和感があったのだと思う。
修学旅行の班分けをして、彼女と一緒の班になったとき、彼女がたまたま教室にいたので、「修学旅行、一緒の班だけど」とかなんとか、話しかけに言った。
すごく印象的で覚えている。話しかけられた彼女はちょっと瞠目して、そのあとに「いや、行かないから、大丈夫」と返した、はずだ。
親しみのある表情ではなかったし、目も合わなかったけれど、特段冷たくもなかった。
あ、そう。なら大丈夫。と会話を終わらせて自分の班に戻ったけれど、ちょっと安堵したのを覚えている。
不良と言われていて、他の子からも腫れ物のように扱われている彼女は、もしかしたら自分の知らない子になっているのかもと思っていた。
けれど、少なくともあの瞬間だけは、普通の、自分の知っている彼女だった。
班に戻ってから「何普通に話しかけに言ってんの!?」と小声で問われて、その安堵もじくじくとしたなにかに変わってしまったが。
確かに、彼女は特段変わっていなかった。変わっていなかったけれど、自分と一緒ではないのだとも一方で強く思った。班の子の問いかけで、より自覚させられたのかもしれない。
問いただしてきた班の子には、自分は彼女と保育園の頃の友人だったので、別に怖くもないし、相手も自分のことをたぶん知っているはずだと返した。
AV女優になるまでに色々あったみたいだが、(名前も変わっているし、どうやら整形をしているようで、顔を見ただけでは正直本人かどうかの確信が持てなかった)、Wikiを見たらだいぶ出演作品が多かった。
自分はこちらの業界に詳しくないけれど、なにか賞ももらっているらしいので、天職なのかもしれない。
ツイッターのフォロワーもわりとついている。そもそもWikiがある時点でちょっとすごい。
動画があったので(そういう動画ではなく、Youtubeで活動をしていたので)声を聞いたら、あの若干舌っ足らずの話し方に聞き覚えがあった。加工をしていない動画の表情は、整形をしているとしても、自分の知っている彼女の面影のあるものだ。
ああ、本人だな、とそこでやっと確信が持てた。
動画のなかの彼女は、楽しそうに話していた。少なくとも自分が会話をしたときより、いきいきして見えた。
AVという産業に偏見を持っているわけではないと思うけれども、そういう仕事をしている彼女に対して、嫌悪感が沸かなかった。不思議なものだ。
むしろストンと、そこならあるべき自分でいられるんだろうなと納得した。
どうか元気で。
森元氏の発言及びその謝罪会見が袋叩きにされている一方、色々とアクロバティックな擁護も出てきて、基本的に「はあ? 何言ってんだよ?」という感じではあるんだけど、もうちょっと微妙に気持ちの悪い感覚があるので整理しておく。
…
以下は意訳なんだけど、
・「確かに発言そのものは問題、その反省を込めて、だからこそ現在の職責を全うしてほしい」
・「自責の念が強すぎて、むしろああいう感じの会見になってしまった」
・「そもそも、当該の発言が批判されているのはマスメディアの切り取りが原因で、ちゃんと全文を読めば森元氏はむしろ女性の活躍に期待している」
…という感じで、どれだけ多次元的な擁護の理屈をひねり出せるか、未知の競技が芸術点を争って火花を散らす。
どこかのバカがトンチンカンなことを言い始めたとき、たまたまそいつが権力を持っていたりすると周辺が頑張って支援しようとすること、それ自体はどの共同体でもあるんだけど、今回のケースで特に気持ちが悪いな、と思ったのは、なんていうか、擁護してる人たちに発言のリスクを取ってる自覚が全然感じられないことだな、と俺は思った。
一つの発言に対する基本的な反応が批判的なトーンで形成されているとき、逆に支持を表明することはいわば逆張りなわけで、自分にも延焼するリスクがあるわけじゃんな。っていうか、俺なんか小心者だから、多数派と同意見です、って口をそろえるときでさえ「でも、本当にこっちが正しいってことでいいのかね?」とかって不安になったりするんだけど、まあ置いといて、とにかくマイノリティに乗っかることには、本来危険が伴う。
じゃあ、今回森元氏を擁護していた人たちにその危険を冒している覚悟がうかがえたか、っていうと、あんまりそういう感じもしないんだよな。「まああいつら、まともじゃねえもんな」っていう色眼鏡はガッツリかかってるんだけど、それだけじゃなく、擁護って選択肢が普通に合理的な判断として成立してるっぽい。「ここはしっぽ振っといて全然安パイでしょ」的な感がある。
これは「(私の立場的には)ここはしっぽ振っといて全然安パイでしょ」と補足されるんだろう。政治的にはそりゃそういう判断もあるだろうけど、極論さ、「数字の2は偶数だけど(私の立場的には)奇数です」ってことはないわけじゃない。今回の件って、ある意味森元氏本人の発言以上に周縁部の度が過ぎてるというか、言論って空間において、逆張りするのがそんなノーリスクでいいんか、と俺はシンプルに驚いた。
まあ、会長は辞意を表明されたので、その辺の合理性の判断も実際に正しかったかどうかはまだわからないんだけど、例えば客船が航海中に大洋のど真ん中で船体に大穴が空いて物理的にはこれから沈みます、ってとき、普通は真っ先に脱出しようとするんだけど、「いや、大穴が空いたからこそ頑張って航海を続けてほしい」って船室で言い張ってたやつがいて、そしたら船が奇跡的にそのまま進んじゃって…みたいなことが、計られつつあった(というか、今回は無理かもしれないが、似たようなことはこれまで何回か起きていた)としたら、なんかすげえな、と思った。
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良識ってやつはたぶん、「いや、あの発言は普通にクソだぞ」ってことをずっと言い続けないといけないわけで、大変だけど大事だよなあ、と思う。
非難というカウンターがないと、奇態な理屈でこねられた擁護ってなんとなく霧散してうやむやになるんだろう。だから、「お前あんときこんなこと言ってたよな。そのケツ拭いてから死ねよ」ってのは前提として大事なんだけど、ここから全然話が変わるんだが、それはそれですげえ怖いことだな、って感じもするんだわ。
それは、健全性をこの社会にもたらすってことの裏表として、悪辣な言動を割りの合わないものにする、非合理的な行為として定着させることがあるからで、それが達成されるまで、いわば双方で自分の主張に対する賭け金を釣り上げ続けてる状態に突入するわけじゃんな。今回の事例は、(俺の眼には)「健全性」対「時代錯誤で調子っこきのジイサン&とりあえず擁護しとけば最後は結局得になるでしょサポーター」って構図に見える。今回はたぶん後者が降参するだろうし、その方がいい。でも、将来的には別の局面で、「おいバカ」「なんだバカ」って言い合ってる状態になって、お互い自分が合理的だと思ってるわけで、それがどっちかが血反吐はいて「すいません、もう勝負続ける体力がありません」って土下座するまで続くのかよ、と思うと、それもすげえな、と思う。
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いや、なんで体力切れ前提なんだよ、そうじゃなくて純粋に客観的な大義が達成されて悪弊が倒されるんだよ、って反論もあるだろうし俺もその方がいいと思うけど、なんかそう前進的な事例ばっかりでもないっていうか、なんか、最後のゴール地点に到達するまで、どれだけ精神上の流血があるんだよ、と思うと勝手に結構げんなりする。ぶっちゃけ、今回の事例は問題として解法がちょろい方だよな、これ以上の難問、対立を人間の知性は解けるのかな、その論争に参戦するのってお互いに言葉でしばき合うより良いことなのかな、とか思っちゃう。
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たぶん、俺みたいな「この世に正しさはもたらされるべきだけど僕は疲れるのも自分が誤答するのもイヤなので何もしません!」みたいな連中に負けずに戦ってきた人たちの手で、普通選挙とか女性参政権とかアパルトヘイト廃絶運動とか成されてきたんだろう。後から「お、なんか世の中平等になってんじゃん。すげーな」とか言ってフリーライドしてる立場なので申し訳ないな、ってのと、でも疲れたくねえしな、ってのがいま一人の市民として結構あるな、というのが今回の森元氏の件で思った。