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はてなキーワード: 映画女優とは

2022-06-17

anond:20220617063409

サブスクをながめてると欧州映画でも「高齢者でも輝くよ!」的映画はあって割とまたかよとうんざりするけども、

吉永小百合は大好きだよ。

そっでもオードリー・ヘップバーン映画女優のキャリアを早く退いたのは英断だったんだなと思う。

2022-05-08

anond:20220508104059

ネット上で見かけるフェミの正体はカースト下位女性だと思っている

彼女たちは自分達より下等なカースト下位男性を叩くことに自分存在意義を見いだしている

いい歳をして小中学生みたいな歪んだ精神性・攻撃性を維持しているのは現代病理とも言えよう

彼女達にとってのフェミニズムは自分下劣さを正当化できる都合のいい隠れ蓑しかないのだ

そんな根性の連中が映画女優みたいなカースト上位女性を守るような行動に出るわけがない

カースト上位女性はむしろ自分達の敵なのだから

2020-08-16

anond:20200816160855

逆だけど、芸能関係とか映画女優さんとかは昔の方が美しいような感じする。MGMミュージカル映画とか今たぶん作れないし、

ドリフターズみたいな楽器が出来て生放送舞台コントができるスーパーグループはもう30年間出ていないしもう出てこないような気がする。

昭和テレビ歌番組も豪華生バンドコーラスが入っていて今見たらとても贅沢なつくり。

2019-09-08

胸の強調について

増田は、胸の大きなキャラの「魅力」が、男性からの「性欲」「いやらしさ」として見えるんだろうが、魅力はそれだけに限らない。

古代女性像でも乳房が強調されていたり、母という感じが乳房を表していたり、

海外コルセット文化映画女優なども胸を誇示しているが、

それがいやらしさをアピールしているわけじゃないのと同じだ。

「胸を張る」という日本語があるが、英語でも似たような慣用句がある。

日本語でも英語でも「胸」についての慣用句内面に絡んだものが多い。

胸を強調するということには、キャラクターの内面性、自信や主体性を外見的に表現する意味もあるのだ。

反対に気持ちが沈むことを「背を丸める」等というが、これは当然胸が目立たなくなるポーズである

当然印象は悪い。

そもそも長い歴史の中で、襟やボタンロゴプリントネクタイネックレス

ブローチやバッジなど、アクセサリーや服飾デザインの多くも胸に視線が集まるようになっている。

人間の脳は、胸に注目したがる仕組みがあるのだ。

時代所属によって違いはあるが、襟元の強調など、もちろん日本でも似たような服飾デザインは行われてきた。

また、男性場合も、逆三角形型の胸を強調した体型の方がキャラクターとしてはまとまることが多いようである

から腰にかけて細くなっていたほうが、どうやら視線の動きとして快感があるらしい。

前述のアクセサリーも、情報量観点から言えば同じ仕組みである

(胸に情報が集まり、腰にかけて情報が減る)

逆に、二頭身などの顔を強調するデフォルメ場合は、

胴体は省略した下膨れ型にして「胸」の情報存在感をなくしたほうが収まりがいいようだ。

胸の強調は、頭身との関連も強い。

エロ分野などで)胸を大きくした結果、頭身がどんどん伸びていく笑い話は有名である

anond:20190907213107

2018-08-22

anond:20180822102419

男性一般人でも応援される(女性に支えられる)側に立つことを望んでいる。

またAKB握手券ソシャゲキャラ大金つぎ込む男性が居ない事になってる

その手の人は映画女優にははまらない、ってだけだろ

アイドル女優やってる映画も人気ない辺り、演技してる姿は別に見たくないんだろう

2018-01-30

まさかあの人が増田死んでんしだすまが戸肥のアカ様(回文

朝の連続ドラマ小説ウォッチャー最近の私としては、

随分前だけど、

意地悪な寺ギンさんが最後一切合切お笑いから手を引いて、

あんなにヒールだったのに最後お坊さんに戻るという、

華麗なる変貌ぶりにだれも寺ギンさんを恨まず、

綺麗に去らせるなぁと感心するばかり。

そういえば、

あの安来節乙女隊はなんだったのかしら?

ほんと一瞬の出来事のようで、

つの間にかいなくなってたけど、

今後また別の形で登場するのかしらね

安来節乙女隊はなにかの伏線になるのかしら?

早々に戦線離脱した、

おてんちゃんのライバルだった楓さんも

新聞記者として活躍してるみたいだし、

リリコ映画女優として花咲かせている頃、

まさかの藤吉の死!

え、死んじゃうのってビックリよ!

おてんちゃんと二人三脚でほのぼのやってくのかなぁと思ってたわ。

何度か入退院を繰り返してた藤吉だったけど、

亡くなってしまって、

ここいちばんの悲しい感じかしらね

でもまたおときちゃんに赤ちゃんが産まれたか

めでたいはめでたいわ。

高橋一生君は死んでも生き返ったのに、

藤吉はやっぱり生き返りそうにもないわ。

それがここのろこりね。

これからも見逃せないわっ!

と言いつつも

誰も周りでなんか朝ドラ見てる人の話を聞かなくて

本当にこれ誰が見てるのかしらとも思っちゃうわ。

うふふ。


今日朝ご飯

最近納豆ハマってるわ。

常に常備!良質なたんぱく質摂取よ。

あんがいオリーブオイル納豆って合うと思うわ。

デトックスウォーター

ホッツ緑茶ウォーラー

お湯の名前に色が付くのは白と緑よ!

なんちゃって

他にもあるかな


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2018-01-19

けんちん・F氏の文章面白い その1

けんちん・Fさんという人物がいまして。

彼はmixiを中心に、様々な映画作品の論評を投稿しており、

その切り口は身内同士でズブズブになっている九州福岡演劇界をバッサリと斬るものが多く、たまに面白く拝見していたのですが、

どうにもここ最近、彼の文章の質が変わってきたというかちょっと見るに堪えないものになってきました。


彼がどのくらい影響力があるのかはちょっとからないのですが、このまま福岡演劇界ご意見番ヅラしてるのもちょっといかがなものだろうかと思いまして、

ここに、記述させていただこうと思います


<はじめに>

私は、市原幹也氏を知りませんが、様々な記事などを見る限り今後、演劇には関わって欲しくないと思います

但し、彼が演劇をやりたいと言う気持ち、思いを禁じる権利は私にはないと思います。(何故なら知らない人だから)  というスタンスです。

人を裁けるのは司法、又はその直接の被害を受けた人だけ。というスタンスです。そうじゃなきゃ私刑だよ。


目的

1.昨今のけんちん・F氏の文章論理的でない事を広く知っていただくこと

2.九州演劇界に対するレッテル張りが少しなくなること

3.彼の文章が今後理論的になり、もとのキレのよい論評をしていただく事

達成できるかどうかは別ですが、この3つを目的に書いていきたいと思います


引用文章

①あの市原幹也がセクハラ! ……って、誰?

http://open.mixi.jp/user/1846031/diary/1964252256

あなたが本当に「演劇人」なら、市原幹也を救おうとはしないはずである

http://open.mixi.jp/user/1846031/diary/1964295122

③今そこにいる、一万人の市原幹也

http://open.mixi.jp/user/1846031/diary/1964416782

セクハラパワハラは本当に止められるのか

http://open.mixi.jp/user/1846031/diary/1964577327

演劇センターFの解散市原幹也の雲隠れ

http://open.mixi.jp/user/1846031/diary/1964600688

不透明さを増す市原幹也と、藤原から野村政之らの卑劣印象操作

http://open.mixi.jp/user/1846031/diary/1964756079

記事数は多いですが、出来れば正確さのためにきちんと目を通していただければ、と思います


問題点

さて、早速問題点ですがけんちん・F氏の文章、大まかに分類すると3つの問題点があると思います

1.事実と推論を分けておらず、非常に読みにくく、推論を事実すり替えさら理論を展開する

2.主語を大きくすることで、拡大解釈レッテル張りを行う

3.自論に対して反論する人に対し「擁護するから反論している」とレッテル張りを行い間違いを認めない

それぞれ見て行こうと思います


問題点1:推論と事実すり替え

対象者の悪い印象ありきで文章が書かれており、

「AということはBなのではないか、BということはCなのではないか、Cは問題からAは非常に問題だ!」という推論に推論が重なった故の結論が、ソース不在の論理性に欠けるものが多い。


例ア

文章①より引用

一応と言うか、市原氏は、2013年をもって、アイアンシアターの芸術監督を解任されてはいる。のこされ劇場≡の活動もそこで中断し、実質、解散状態にあるようだ。

当時はその理由不透明だったが、こうした事件が発覚してみると、「そこでも何かやらかしたんだろうな」と判断せざるを得ない。劇団員に手を付けたか

ワークショップ参加者に手を付けたか、そんなところだろう。彼の不始末のせいで、枝光演劇フェスティバルが開催不能になり、枝光から演劇の火が消えてしまたことは残念だが、

事情事情なら仕方がない。 でももし本当に私の憶測が正しければ、枝光商店街はその時点で、彼の解任理由をきちんと発表すべきだっただろう。そうすれば、その後、

新たな犠牲者が出ることを防げたかもしれないのだから

<以上引用

要約するとこうなります

2013年アイアンシアターの芸術監督を解任、のこされ劇場≡もそこで実質解散状態事実

「そこでなにかやらかしたんだろうな」と判断せざるを得ない(推論)

劇団員ワークショップに手をつけたのだろう(推論)

彼の不始末のせいで枝光演劇フェスティバルが開催不能になったのは残念(事実のように記述だがソースなし)

憶測が正しければ、枝光商店街が解任理由をはっきりさせれば犠牲者は防げたかもしれない(推論)

2013年の解任と解散事実だが、そこの理由ははっきりしていない。にも関わらず、枝光演劇フェスティバルの中止を彼が原因かのように記述

そしてその後の被害発生の責任枝光商店街に一部求めている。

有名な言葉がここにあります。「なんかそういうデータあるんですか?」

枝光演劇フェスティバル市原氏の不始末で開催不能になった」

推論を並べ立ててもいいけど、そこに至った経緯、又は根拠を示さないと説得力ないよ、けんちん氏。


例イ

文章①より引用

自主的引退してくれるのが一番マシではあろうが、どこぞの議員みたいに、どこかにずっと居座り続けそうだよね。周囲もそれを許してしまいそうな気がする。

まりそれだけ日本演劇界がユルい社会であるということだ。それも日本演劇レベルが沈滞し続けている原因の一つかもしれない。

<以上引用

市原って居座り続けそうだよね(推論)

周囲も許しそうだよね(推論)

それだけ日本演劇界はユルい社会で、演劇レベルが沈滞する原因かもしれない(推論)

はっきり言ってウケる脳内妄想垂れ流してもいいけど経緯又は根拠を示さないと説得力がねえよ。


例ウ

文章②より引用

逆に言えば、なぜ市原幹也は別の道を選ばず、また彼の仲間もそれを勧めないのか、ということなのだ。市原だけでなく、彼の周囲の人間も、演劇を愛してはいない。

演劇に対する愛があったのなら、とっくの昔に、彼を制止していたはずだ。

<以上引用

市原演劇をやめなかった(事実

それは周囲の人間が別の道を勧めなかったから(推論)

それは周囲の人間演劇を愛してないから(推論)

データと経緯がないのは先の例と一緒。さらに、さも自分部外者かのようにけんちん氏は記述しているが、それ以前の文章に「悪い噂は流れてはいたようだ」とか書いてんだから

同じ論法だとアンタも周囲の人間に一人に入っちゃうよ。ブーメランだよ。

あと、文章③において

引用

彼は、市原舞台に出演していた当時、既に、「ウワサ」は聞いていたようである。けれども、面倒ごとに関わるのは嫌だと、市原意見することを控えてしまった。

そのことが、次の被害者を生んでしまったと気づいて、今、深く責任を感じてしまっているのだ。いじめ現場を目撃していながら見て見ぬふりをして、その結果、被害者自殺をしてしまった、

そのことを悔いるような心境になっているのだろう。もともと心が弱い方であるから、このショックは相当にキツかったと思われる。

<以上引用

一個前の論理で行くとこの人完全に「別の道を勧めなかった周囲の人間」に入るわけで「演劇を愛してはいない人」になるわけですけど。

知人と分かった瞬間この手のひら返し。まごう事なきダブルスタンダードです。


例エ

文章③より引用

 野村氏は、市原電話で「死ぬな」と言ったとか書いているが、はっきり言って芝居がかっていてかえって白ける。電話でどのような会話をしたのかを

公的な報告」として記すのなら、本来は今後の対応をどうしていくかについて書くべきで、こんなプライベートな心情吐露を垂れ流してはいけない。まるで、泣きを誘って、

市原の方が被害者的な立場に見えるように、話を粉飾しているようにすら見える。 野村氏もここですっかり忘れてしまっているよ、被害者女の子たちなんだって! 

死にたい」と思った女の子たちが、今も「沈黙」するしかない被害者たちが、いったいどれだけいるのか、それを認識していたら、

たとえ本当にそのような会話をしたのだとしても、申し訳なくて公表なんかできないって。 野村氏もまた、人間として最低な部類に属するのである

<以上引用

この文章には山ほどの問題点があるのだけれど、とりあえず推論のすり替えについて言えば

野村氏は、市原電話で「死ぬな」と言ったとか書いた(嘘だけどここでは事実しましょう)

まるで、泣きを誘って、市原の方が被害者的な立場に見えるように、話を粉飾しているようにすら見える。(推論・感想

野村氏もここですっかり忘れてしまっているよ、被害者女の子たちなんだって!(事実のように記述

野村氏もまた、人間として最低な部類に属するのである。(結論

ものすごいとんだ論法。あと、後述するけど「死ぬな」って言ってないしね。「死ぬな」の意味合いも違うしね。


例オ

文章⑥より引用

 いつでもどこででも、これだけ派手にやらかし続けていれば、福岡演劇人が、あるいは市原関係があった人々が、「知らなかった」人間ばかりのはずはない。

なのに彼らの殆どが、自分セクハラ行為とは無関係だと強調するか、全くの沈黙を守り続けるかのどちらかしかしないのがどうにも解せないのだ。

前回の日記にも書いたように、市原セクハラを知りつつ看過したことを恥じて自らを責めたのは、私の知人一人だけである

他の「知ってたやつら」は、今どこで、何をしてるんだよ。 中には、市原が誘ったか誘われたかで、一緒にセクハラ行為に及んだ演劇関係者もいるはずなのだ

市原はその人物名前を明かしてはいないし、本人が名乗り出て謝罪する気配もない。市原同様の行為に及んでいながら、今ものうのうと「演劇人」の仮面を被り続けている人物が、

福岡演劇界に居残り続けている可能性を否定できないのである

<以上引用

市原関係があった人が知らなかったばかりのはずがない(推論)

何故なら看過して自ら責めたのは一人だけだから根拠

中には、市原が誘ったか誘われたかで、一緒にセクハラ行為に及んだ演劇関係者もいるはず(とんでもない推論)

ものうのうと「演劇人」の仮面を被り続けている人物が、福岡演劇界に居残り続けている可能性を否定できないのである。 (結論

一緒に及んだ人がいる根拠を示せ根拠を。バックデータのない論理はただの言いがかりだぞ。

とりあえず、問題点1.に関してはここまでと致します。



問題点2:主語を大きくすることで、拡大解釈レッテル張りを行う>

彼の文章はよく「個人問題」が「福岡九州演劇問題」に主語が大きくなっているように感じます感想

福岡九州演劇界は腐ってる!」という意識根底根付いているのでしょうか(推論)


例カ

文章①より引用

自主的引退してくれるのが一番マシではあろうが、どこぞの議員みたいに、どこかにずっと居座り続けそうだよね。周囲もそれを許してしまいそうな気がする。

まりそれだけ日本演劇界がユルい社会であるということだ。それも日本演劇レベルが沈滞し続けている原因の一つかもしれない。

<以上引用

さっきも出てきた文章ですね。引退しない、が周囲が許しそう、の周囲の話になり、日本演劇会の話にどんどん主語が拡大していく。しかも推測なのに。

一泡沫演出者の話を日本演劇界に持ってくんなよ。日本演劇界迷惑でしょうよ。それなら一連の騒動が大物の米映画女優の話からはじまってんだから、「米映画界はクソだ」くらい言ってもいいんだよ?


例キ

文章③より引用

それどころか、事件発覚から十日余りが過ぎて、事態は早くも風化しつつあるような印象である。 いやホント、Twitterをずっと追いかけてみても、九州演劇人の間でも、ろくに話題なっちゃいないのである

2ちゃんねるちょっと取り上げられて、あと何人かがブログで「市原擁護」としか取れないような文章を書いている程度。何だよ、それ。 ジャーナリスト江川紹子さんが、セクハラ告発が相次ぐ世界の情勢を俯瞰しながら、

市原についても触れた文章を綴っているのは非常に貴重だが、それくらいだ。

<以上引用

個人個人発言しない事がいつの間にか九州演劇人全体の問題に。え、だって市原のこと知らない人も結構いるよ?

身近に被害者もいない九州演劇人はどういう声明出せばいいんだろう?もしも、具体的に声明を発表して欲しいのにしてない人がいるならその人に言いな。

自分が知ってる演劇人発言しないからって、責任演劇界演劇人全員に持ってこないでくれる?


例ク

文章③より引用

九州演劇人たちが、沈黙するか、あるいは市原擁護に回った理由はそこにあるのだろう。 やはり「同じ穴の狢」を追及することができないでいるのだ。

指導と称して、セクハラパワハラが当たり前の世界に堕してしまっているのだ。もしかしたら、九州演劇界だけでなく、全国的に。

<以上引用

目の肥えた読者さんなら「あ、推論が置き換わってる」と感じ取れたかと思います

さらにいつの間にか全国の話になってますね。おお怖い怖い。

さら引用

 どの世界にも、同様の問題はあるだろう。けれども演劇界特に腐っている。仮に日本演劇人が全部で二万人いるとしよう。

そのうちの半分が加害者で、半分が被害者になる。そう考えてもらった方がいいくらい、どいつもこいつも腐っているのだ。

<以上引用

「なんかそういうデータあるんですか?」

君の知ってる演劇人に腐ってるやつが多いのかもしれないけどその井の中のレベル日本演劇界の話に拡大しないでくれるかな。ちゃんと統計取った?

主語の拡大はもう少し散見されるのですが、周囲はどこまで責任を持つべきか、というのには正解が出しにくいため

個人的に「明らかにデカすぎない?」と思うもののみ掲載しました。そのほかは是非皆さんで探してみてください。


その2に続きます

2009-06-02

梅田望夫生き方が可哀想すぎる

ヨーロッパの香りを漂わす裕福な家庭に生まれ、父は劇作家であり博報堂取締役、母は映画女優という、生まれながらにして「ハイソ」な環境が周りにあった。

幼稚舎から大学まで慶応という純粋培養

当然、御学友たちも文化的香り満載の本物のセレブが多かったに違いない。

小さい頃から本物を見続けてきた望夫は、それらに比べて自分の力がいかに劣っているのかを思い知らされてきただろう。

おそらく、例えば自分文学的な文章を書いてみたこともあるだろう。

しかし、出来上がってみたものは今まで見てきた本物と比べていかにちっぽけなものだろうか。

下手にそう判断できるだけの客観性教養があったがために、しだいにどんどん身動きがとれなくなっていった。

文学者の息子が理系に進むのは、偉大な父と同じフィールドに進むことから逃げるためだろう。

違う場所なら自分も人並みになれるのではないかと期待を持って。

当然ながら、その世界にも沢山の天才がいる。

他人の能力のすごさを嫉妬せずに理解できる、できるからこそ、同じ舞台にあがろうとしない、畏縮して上がれなくなってしまう。

無能の自分ができること、それは埋もれた天才を世に広めることだけ。

好きな将棋だって、自分で指さない。

指したところで一流の棋士には、どうあがいたって彼らにはかなわないから、最初から指さない。

自分は優れた人間で無いことを自覚してるから、自意識を守るために勝負しない。

一流と戦って、負けることでも成長して、いつかは彼らの高みに近づこうという気力が無い。

一流のそばにいて、彼らは一流ですとアピールしてれば、彼らと勝負する事がないから、負ける事がない。

不良に「アツシさん、マジハンパねぇっす」といっている線の細いヤンキーメンタリティー。

彼の不幸は、本が売れ、自分も勝負を挑まれる立場になってしまったこと。

「それなら、自分でなんとかしてみろよ」という批判に答えるためには、自分で何かをしないといけないが、自分で何かを作り出す事から逃げてきた人生

やればできるかもしれないこともやらない、やっても一流の人にはかなわない。

Web進化論の続きを!」自分より若い人がやるべきだ

はてなブックマークバカばっかだ」取締役という立場を離れないと言えない

はてな取締役をやめないかぎりコメントできない」

逃げて逃げて逃げて。

もうこれ以上、彼を何かを創りだせる人間だというスタンスで話を聞かないで欲しい。

彼は、本当の能力はともかく、それを誇示する事で生まれる障害に立ち向かえることができない、とても可哀想な人間なんだよ。

 
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