はてなキーワード: 女子校とは
今年で29、来年で30になろうという年になり、
マッチングアプリで出会った同い年の女性で、人生で初めての恋人が俺とのことだった。
中学からずっと女子校で、男性との関係が希薄なままにアラサーを迎えた焦りからアプリを始めたと言っていた。
性格は非常に良く、趣味も合ったことから交際がスタートし、お互いの仕事の都合はありつつも順調にステップを進め、めでたく婚約に至った。
で、ここからが本題になるのだが、婚約してから、急に彼女が「実は性行為が苦手だ」と言い始めた。どうやらかなり苦痛らしい。
漠然と子供も2人くらいは欲しいと話していたと思うのだが、性行為を伴うのであれば子供すら欲しくないと言い始めた。
確かにあまり積極的なタイプではなかったが、経験の乏しさ故だと思っていたし、そもそも付き合っている時から嫌だと思っていたなら一度でも言えるタイミングは無かったのか?と思った。
実際に打ち明けられた際にそのようなことを問いただしてみたところ、「それで捨てられるのが怖かった」との回答であった。
婚約により安易に捨てられなくなってからそんなことを言い出すの、流石にアンフェア過ぎないか?
さらに言えば、付き合った当初の26の時の俺と今の30手前の俺では恋愛における市場価値も違いすぎるし、今から取り返せないようなタイミングで告げるのも正直意味がわからなかった。
別れたら別れたで今からまた新しい人を探すのもハードモードだろうし、一方でこのまま結婚しても性行為なし、子なし確定と、どう転んでもいい方向には行かないだろうなと思うと仕事が手につかない。
勘弁してくれよ。
本当に苛立ちが止まらない。
彼女、いや、もう関係が解消しそうなので相手と本稿では呼ぶことにしよう。大学時代、私は女性との関わりがほとんどなかった。正確に言えば自分から行動することがなかったのである。というのも入学してまだ一か月も経たない頃に行われた実験の授業で、実験班でアイスブレーキングを行うことになった時、班にいた唯一の女性が他の男子学生とは初対面にもかかわらず親しげに話していたが私とだけはどこか距離を置いて会話していた。本当に私を避けようと思っていたのか、それとも私が近寄りがたい雰囲気を出していたのかは今となってはもう推測しかできない。ただ、他の男子学生とはインスタで繋がっているが私とは繋がっていないのでそういうことであろう。と、まあそんなことを大学+大学院の計六年間も繰り返していたのですっかり異性との交際に向けた行動を起こせなくなっていた。とはいえ両親が生きているうちに孫の顔を見せてあげたいという思いがあったので結婚に向けた行動を何かしらしなければいけないと思った。そして社会人三年目、ようやく重い腰を上げ、婚活イベントに手当たり次第に出る生活が始まったのである。
相手と出会ったのは所謂街コンイベントであった。なかなか女性と連絡先交換するまでにも至らずすっかり憔悴しきっていた頃の私にとってはまさに干天の慈雨と言える出会いだった。相手との初対面で私が放った「彼氏いないんですか?」の言葉を持ち出されてよく笑われたのももう過去の話である。心を開いた相手にはとても明るくて、中高が女子校だったからか時折育ちの良さを見せる人だった。そんな相手と交際まで漕ぎつけたときはもう有頂天であった。両親に報告したら予想していた三倍は驚かれた。友人に報告したらその十倍以上は驚かれた。そして、同時に喜ばれた。「生まれ変わったんだ」、確かにそう実感したのを今でもよく覚えている。
交際して半年経った頃、泊りがけで旅行することになった。忘れもしない、沖縄である。友人にそのことを報告したら「ついに童貞卒業くるんちゃう?」との返信。
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まだ風俗に行ったことすらないバッキバキの童貞であった私には本当に待ちくたびれた歓喜の瞬間であった。その返信が来てからというものすぐさま通販でゴムと精力剤を購入し、意気揚々と宿へ向かった。
それに対し、相手は「そういうことは結婚してからがいいな。」と答えた。
その後の旅行の記憶はほぼない。しかしその後トイレで自慰し、精力剤を服用していたからか一回射精してもまだ股間が熱を帯びているのを感じとてつもなく悲しくなったのは一連の旅行で最も鮮明に覚えている。
そして何かと何かと理由をつけ同棲もせずに急いで入籍した。確かに育ちの良さ故に婚前交渉を一切しない女性も世の中にはいるかもしれない。しかしここで違和感に気づき道を引き返していたならまだお互い幸せだったかもしれない。
式が終わった後そこそこ広い家を借りて同棲生活が始まった。借家ならホテルに行かなくてもいいから経済的だと息巻いていた。そして待ちきれずに性行為を打診した。またしても当然のように断られた。今回は断られただけではなかった。性嫌悪であることをカミングアウトされた。永遠に私と性行為するつもりはないことを告げられた。最後に伝えるタイミングを逃し続けたことへの形式的な謝罪があった。
気が付いた時にはもう言葉に出していた。性的な興奮が全て怒りへと変わったのを感じた。もう理性的な自分はいない。それはもう獣のように罵った。手こそ上げなかったが持ちゆる語彙で最大限に侮蔑した。相手はそれはもう大号泣であった。それから家庭内別居が始まり、この先に待っているのは離婚しかない状態になってしまった。
確かに私は容姿にも優れていなくて平均より少し下の身長しかなく、勉強くらいしか他社より優れている要素がないような人間である。だからそんな欠陥品のような女性しか獲得できないと大人しく認め、末代になることを受容できるほどできた人間ではない。そもそも何故他者に害を与え続けているような何も努力したことがない中卒だか高卒だかの落伍者が愛する者との性行為の快感を知ることができ、幼いころから勉強はもちろん、部活にだって、婚活していた頃は美容にだって努力を重ねていた俺が、
こんな思いをしなければいけないのだろう。天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らずなんて嘘っぱちじゃないか。世の中結局いい思いをするのは努力をした者ではなく容姿に優れている者なのだ。というかそもそも性嫌悪のくせに恋愛市場に上がってくるような連中のせいで今の不幸が生み出されているようなものだ。
そうすれば子供を持ちたいと望む男性が頓珍漢な理屈で性行為を拒む痴れ者と交際してしまう事故が起こらなくなる。そうなれば少子化を脱却したい国家とも利害が一致する。
文章を打ち続けて疲れてしまったのでここまで。参考までに自分と相手のスペックを特定されない範囲で載せます。来世では性嫌悪ではない女性と結婚できますように。
【年齢】33歳
【年齢】アラサー
オタクの身だしなみについては度々燃えているので、外見なんかどうでもいいよ! 恋人なんかいらないよ! という人はスルー推奨。
今の環境は大好きだけどそれはそれとしていない歴=年齢のこじらせた女オタク、まあつまり私のような人はぜひ。
長い女子校生活は、それはそれは楽しかった。まわりにはオタクもいっぱいいたし、オープンにしてる子も多かった。おっとりした校風だったから、多分、オタクの多い学校だったのだと思う。「誰に仕えたい?」というアンケートに跡部景吾が出るくらいだった。
もちろん大学も女子大を選んだ。同じような、おっとりした校風。アクスタやぬいを抱えてカラオケやお泊まり会に繰り出し、高校時代より充実したオタク生活を送っていた。
その影で、私には特大コンプレックスがあった。これまでただの一度も彼氏がいた事が無かったのだ。2年生になり、年齢が20代に入ると、コンプレックスはさらに加速した。
というのも、私の周りのオタクたちは、ほぼ全員が女子校から上がってきているにもかからわず、彼氏がいた事のある人が大半だったのである。彼氏の有無がすべてではないし、いてもいなくても生活に支障はない。が、「私だけ彼氏がいた事がない」という事実は、やがて大きなコンプレックスとなった。
さて、そんなこんなしているうちに、私はソシャゲから卒業することになる。
別に嫌いになったとか引退したとかではない。某俳優に沼り、触らなくなっただけである。結局オタクやってるやないかい! とツッコんだそこの君、落ち着きなさい。
この某俳優、決して2.5次元俳優とかではなく、朝ドラとか大河ドラマとかに出てるタイプの人。ゴリゴリの芸能人。
なので、課金の機会(厳密には課金ではないけど、お金をかけるという意味で)はグンと減る。ファンクラブの会費、グッズ、ライブ程度。どれも低額なので、必然的にお金に余裕が出来た。そしてそのお金は、服や靴、美容院、眉サロンへ回った。
別に、オタ活のお金を外見に回したところで大きく見た目が変わるわけでもない。一緒である。「オタクだけど外見にお金をかけてる」というマウント心だけだった。ただ、これのおかげで、だいぶ自信が持てるようになった。いや、自信が持てるようになったというより、「私なんか」という卑下した気持ちを持たなくなった、という方が近い。
そうして調子に乗った私は、マッチングアプリを始める。マスク有りの集合写真だったけど、やはり年齢の力は強い。捌ききれない量のいいねが来る。
アプリの話はここでするつもりはないので省略すると、彼氏ができた。私にはもったいないような人。かつてソシャゲに使っていたお金は、彼氏との外出、旅行などに使えるようになった。
さて、ソシャゲやめたら彼氏が出来たとは言ったけど、もちろん「ソシャゲやめる=即彼氏」というわけではない。ソシャゲやめる→お金に余裕ができる→外見にお金使える→自信に繋がる→彼氏 というような流れだ。
ちなみに「自信に繋がる」と言えば聞こえはいいが、いわゆる「マウント」に1番近い。というかマウント。オタクだけど外見にお金かけてる私、ソシャゲに無駄金溶かしてるお前らとか違う──そういう気持ちをものすごく綺麗な言葉にすると「自信」になるのだと思う。ただ、私はそういう気持ちが原動力でも別にいいと思ってる。綺麗になるには努力が必要、努力には原動力が必要だから。
いない歴=年齢は、歳を重ねる毎にコンプレックスが強くなる。そして男性からも「いた事ないのは事故物件なのでは?」と思われるようになる。失礼な話だけども。
偏差値低い共学は、ずっと性被害にあっててある日目覚めてフェミ化する
偏差値高い女子校は、ずっと女ばかりで守られてて大人になってから性被害にあってフェミ化する
そういうイメージ。
フェミは共学出身ばっかり、女子校ではそんな甘えたことは許されないから、的な発言を見かけた。
そうなん?って思って、Wikipediaで石川優実の経歴しらべたら「商業高校在籍中にお菓子系グラドルとしてデビュー」とかあって「あ… 」ってなった
共学出身、女子校出身で分けると、劣悪な生育環境で育った弱者は共学出身になるってこと、冒頭の発言主はわかって言ってんのかな。
女子校ってだいたい私学だから、女子校に行けるって時点で親が教育に最低限の金はかけてるし、短大や大学に進学させる意志もあることがほとんど。
公立中学で学歴が終了すれば共学出身になるし、高校だって最底辺の公立高校は共学。高卒で働くことを前提に商業高校や工業高校に行くと共学。働きながら定時制や通信制に行っても共学だよね。
生育環境が劣悪な弱者ゆえに性被害や女性蔑視に合う。あまりIQも高くなく勉強もできないからその時にはよくわからないままに流されて生きてきたが、SNSでフェミに目覚めた…みたいな人の場合、そういう経歴を辿ってる人はそりゃ多いだろうよ。
まあ、実際には仁藤夢乃は中高恵泉女学園だし、フェミの中にもアルテイシアとか女子校至上主義みたいな人はけっこういるけどね。
Twitterに書こうとしたら字数制限でめちゃくちゃ嘘っぽい文章になったので、こちらにお邪魔することにした(場所を変えたところで書き手は変わらないのだから、まともな文章になるかは微妙だが)。
大阪の街の中にはバスと電車で1時間ちょっとの、中途半端な田舎で生活中。
うつ病発症以来、趣味はほとんど楽しめなくなったが、それまでは生活費以外のお金をほとんど趣味に使ってしまうタイプのオタクだった。
2023年4月13日、大学の同期生(以下A子)からLINEのメッセージが届いた。近々お茶でもどうだという、遊びのお誘いだった。
4年制の私大(女子校)を卒業したのが2014年3月。確か入学時が1学年1学科100名程度だったので、一般的な私大よりは学生数は少なめだったのではないかと思う。
A子は学科こそ同じだったが学籍番号(名前順)が離れていたので、座席や授業グループといった講義での接点は少なめ。ただ、私もA子も生息する沼は違うが推しグッズを持ち歩くタイプのオタクだったので、講義で顔を合わせた時には軽く会話するようになり、校内の食堂で昼休みを一緒に過ごしたこともあったと思う。
その程度の関係性だったので、卒業後は「また会おう」なんて言いながら、一度も連絡を取り合ったことはなかった。
Twitter、Facebook、InstagramといったSNSでは繋がっていなかったので、卒業後の進路や近況は一切知らなかった。LINEだけは交換していたようだが、それまでにメッセージをやり取りした履歴は残っていなかった。昨年末頃に連絡していない人をLINEの友だち一覧や電話帳アプリから削除した際、トーク履歴も削除していたためだ。
幼少期から交友関係は狭めで、誰かと遊びたい時は自分から(かなりの葛藤の後にそれ以上の勇気を持って)誘わなければならなかった。学生時代、誘われるのはプレミアがつくくらい超レアだった。
なので、卒業から時間が経ってるのに私の存在を覚えていてくれたのね、と脳がしあわせを感じていたのである。
冷静に考えればこの時点で9割なにかあると怪しむべきなのだが、私は舞い上がっていた。直近で都合がつく日を伝え、何も疑っていなかった。疑うという感覚すら持っていなかったと思う。
4月14日、私は祖母の付き添いで地元の理容室にいた。店内には壁掛けのテレビが設置されており、昼のワイドショーが流れていた。店主や祖母との会話が途切れた時、ちょうどワイドショーのテーマが変わった。
「○○社(マルチの社名)は明日15日、6ヶ月の行政処分期間が明け、新規会員獲得ができるようになる」といった内容で、言葉巧みな勧誘や押し売りに注意を促す報道だった。
その社名は聞き覚えがあった。
20歳になったばかりの頃だ。幼稚園の時から知っている、最終的には高校の同級生だった子(以下B子)が、誕生日のお祝いをしたいからと大阪のカフェに呼んでくれた。
喜んで行ってみると、サプリメント等の健康食品や化粧品を購入しないかという、勧誘活動だった。
カフェのお手洗いで戻すくらいショックだった。そういう会社があり、会員が多くいるのは、インターネット経由で知っていた。でもそれは外の世界の話で、自分がそういう目に遭うとは考えていなかった。それが幼稚園の時から優しかったB子からなんて、想像もしていなかった。
挨拶もそこそこに飲食代を置いて逃げ帰り、B子と関わった全てのSNSをブロックし、着信もメールも拒否し、疎遠になった。
高校の同窓会を断り続け、グループLINEにも入らないのは、この一件の衝撃が大きすぎたからだ。B子にとって私はカモだったのか、それとも純粋な善意だったのか、今となっては知る由もない。善意だったとして、救いだったのはB子が一人で来てくれたことくらいだ。彼らの常套手段である囲い込みを最初からされていたら、上手く逃げられたかわからない。
※ちなみにこれらを思い出した後、B子がどうなっているのか、怖いもの見たさでSNSを覗いてみた。旦那さんと子供がいる幸せいっぱいな母親像と共に、チャクラを開眼した精神世界の住民になっていたので、そっ閉じした。
しばらく連絡のなかった相手から、突然会いたい等の連絡があった時は、身を守るためにまず疑いましょう。と、特集は締めくくられた。ニュースキャスターは次の話題に移る。
どこかで聞いたような話である。
A子からもらった連絡を読み直した。「久しぶりだね、元気だった?コロナに負けない、健康にいいものがあるの。よかったら近いうちに会えない?」近況語りを省いて要約するとこんな感じだった。もっと早く気付けよ私。でももう会うと言ってしまったしな…、それに万が一A子がシロだったら申し訳ない。と、この期に及んでまだそんな淡い期待を抱いてしまっていた。
だが、少し冷静さを取り戻した私は、保険を用意することにした。探すのに手間取ったが見つけ出し、明日のカバンに忍ばせた。
4月15日。朝から夕方にかけては別件で動いていた。大阪まで往復1000円以上出しているので、用事はなるべく一度に済ませたいのだ。哀ちゃんはあまりに可愛く、ミリオタには組織の懐事情が恐ろしかった。気づいたらパンフレットを購入していた。
そして待ち合わせの時間。
やってきたA子は、仕事帰りだからかパンツスーツだったので、別人のように感じられた。記憶の中の彼女は、当時の大学生が好んでいた「森ガール」の姿だったからだ。
挨拶を軽く交わし、場所を百貨店内の喫茶店に移す。大学時代の、講義で印象に残った話や友人関係なんかを話してくれたが、私の記憶はうつ病を機にぶっ壊れていたので、曖昧な返事しかできなかった。20〜30分ほど話して、A子はお手洗いに立つ。本当にただ会いたがってくれただけだったらしい、なんて油断が生まれかけたが、本題はA子が戻ってからだった。
会話が私の話題になる。自分のことを開示するのは気が引けた。慎重に言葉を選び、私のSNSのフォロワーなら知っている内容を話した。
A子は私の「うつ病」というワードだけを拾い、苦労しているねと言った(そういう話ではなく、周りに支えられていると話していたのだが)。
そして始まる。予習していた通りの、営業トーク。このサプリメントを飲んでいたからコロナに罹らなかった、この化粧品で細胞から健康になった等々「怪しい」が笑顔でパレードしている。時折、私の身に起きた事象を織り交ぜながら、巧みに購買欲を刺激することも忘れずに(この頃私は呆れを通り越して飽きていたので、映画の感想を思い出したりしていた。哀ちゃんは可愛い)。
極めつけはブラウスの袖ボタンを外して見せてくれた、パワーストーンの珠数ブレスレットだ。これを身に付けてから会社での評価は鰻登りで、恋愛も上手くいき結婚秒読みその他諸々。あの日のB子と重なる。同じだった。キラキラした純粋な笑顔は、こんな欲にまみれた営業トークと共に見たいものではないのだ。話が一区切りした時、私はにっこりと微笑みながら、カバンのポケットから「保険」を取り出した。そして「保険」をそっとA子側に差し出す。
「成功してよかったね、本当に嬉しいよ。いかなる時も、神は見ておられます。」
噛まずに言えたことを褒めたいと思った。
保険とは、名刺サイズのカードである。なんとなく捨てづらくてとっておいた、以前某宗教の宣教師さん(という肩書きでいいのだろうか?詳しいことはわからない)からもらった、コンタクトカードという名称のものだ。表面には「人生の疑問の答えは何処にありますか」という問い。裏面にはこの宗教法人のホームページのQRコードと、手書きで宣教師のものと思しき電話番号が書かれている。
A子は私とカードを見比べては、しまったと言わんばかりの顔をしている。掛かった。
「私が現在、病により仕事が思うようにできなくなっているのは、神が試練をお与えになったからです。私には乗り越えられると、神は言っておられるのです。」
「私には幸い、よき隣人がおります。神が与えてくださったよき出会いに感謝し、彼らと共に歩むのです。」
「A子、あなたも私のよき隣人に違いないのです。何故ならばあなたは私が試練に耐えているこの時にやってきて、私の身の上を聞いてくださいました。理解を示し、体に良いものを勧めてくれました。あなたは本当に善人なのです。さあ、共に祈りを捧げましょう。A子と共に安息の地へ行ける日を楽しみにしていますよ。」
大体こんな内容のことを言った。もう少し長かったかもしれない。興が乗り、舌もよく回ったので、思い返せば支離滅裂で古今東西の宗派が入り乱れた最悪な内容だったが、A子は瞬く間に青ざめた。顔色が悪くなるって、彼女のことを言うんだろうなと納得できるくらいに。
ダメ押しで家のポストに入っていた某宗教の勧誘チラシも渡しておいた。勉強会に来ませんか的なやつだ。一刻も早く離れたかったのだろう、A子は自分のお茶代を出すと、明日は用事があるからと言って、逃げるように帰っていった。多分チラシのことを言っていたんだと思う(読んでないから中身は知らなかった)。
まとめ
9年ぶりに連絡を寄越してきた元学友は、やっぱりマルチの勧誘だった。ここまで読んでくださった方は察してくれていると思うが、私は宗教に関して言えば不勉強である。信仰心は全くないことはないけど、私は(だいぶ落ち着いたとはいえ)血の一滴までオタクなので、そんなことに金を使う余裕があったら、推しに貢ぎたいのである。
そんな私の推し(FBIの腕利きスナイパー)も活躍する「名探偵コナン 黒鉄の魚影(サブマリン)」をぜひ劇場で観てください。
私は元学友がマルチかシロか考えなくていい状況でもう一回観たいと思います。
「見ておられます」ってコメントに、自分で発言したのに「怖っ」って口から出ていました。
宗教観に関してですが、付き合いのある親族が多かったため、その分永遠のお別れもありました。その都度(関わったのは全て仏式だったので)読経があり、法話があり、最後のお別れがあり、お棺が閉じられ焼かれ、故人が骨壷に収まり、その先も月命日だなんだと法要がたくさんあり、墓への納骨を終えて、ようやく一区切り、という流れを子供の頃から何度となく見てきました(親戚付き合いの良し悪しの話ではなく、個人として貴重な経験を積ませてもらったと思っています)。この流れを何度か見ていると、幼いながらも生きること死ぬことに対する価値観が形成されてきました。葬儀、祭儀は生きている人のためにあるのだと感じるようになりました。その後、宗教とは生きている人が生きていくために縋ることがあってもよいのだろうと考えていくようになります。法話により心が軽くなった喪主を見てきたからです。救いを求める方向は人それぞれなのだろうと感じました(今問題視されている宗教の事案を軽視しているわけではありません)。
何が言いたいかと申しますと、私は宗教に大して明るくもなければ知識もないのに、神を騙り軽々しく利用した点に関して、時間がたった今猛省しております。ご不快に思われる方も少なくないと思います。真っ向から買わない付き合わないとB子に宣言した際、しばらく執着されていたので、この時はこれしか逃れる方法を思いつけなかったのです。
もし本当に神様がいらっしゃるなら、アホな方法を取ることしかできなかった愚かな人間を笑い飛ばしてくれるような存在であってほしいと願うばかりです。
最後になりましたが、この話はマルチへの賢い対策法ではありません。マルチはすぐそこにいたよ、というだけの話です。賢い対策法は会わない、これに尽きます。誉めてくださったコメント、嬉しかったです。ありがとうございました。映画はスピッツもすごく合ってたので観てください(笑)
母はとても努力家で、田舎の農家の三女として生まれてから今日に至るまでずっと向上心を持って行動してきた。
大学に行けないなりに専門学校で国家資格を取って、東大卒の父との結婚にこぎつけて、兄と私を育てて、専業主婦を経て復職しフルタイム正社員、定年後もまだ働いて…
料理上手で健康に気を使い、女性らしい趣味があり美人でもあり、還暦を過ぎてもまだ仕事のために勉強している。家族を大切にしているとも思う。今日は同棲を始めた部屋を見に来てくれた。手土産をいっぱい持って。「ランチは私にご馳走させて」と予め宣言して。
私は何不自由なく育ててもらい、大学を出て、同世代の平均年収も母の年収も超えた。受けさせてもらった教育のおかげだと思う。母の選んだ中高一貫の女子校と、実家を出たくて選んだ地方国立大学のおかげ。男女は平等だと考え家事も家計も分担できるパートナーがいる。
大人になって満ち足りて、母に会いたくなくなった。
それはたとえば、彼がご飯を作ってくれた話をしたら「なんて良い人なの!」と感激するところ、兄がわりと凝った料理をすると会うたびに話すところ、でも私の料理については「実家にいた頃は全然しなかったよね」と言うところ。
兄は今も実家にいて、母と当番制で料理を、月に4回ほどするらしい。ふたりともフルタイムで働いていて、月に4回。他の日は母。最近は母の教育の結果、洗い物もするようになったらしい。
ぜんぜん平等じゃない、と思った。でもまぁいい。
やっぱりよくない。
私は兄より稼いでいて、毎日のように料理をしていて、ひとり立ちしていて、と思ってしまう。兄こそ不幸だとも思う。なぜ兄については良いところに注目して、私については過去の不出来に言及するんだろう。
子供の頃、BMI21くらいだった頃は「お母さんが若い頃はもうちょっと痩せてた」「痩せたらもう少し可愛くなるかな」でも「もっと食べなさい」と言われていた。
今はBMI18くらいで、母曰く「この子みたいに痩せている体型を私は良しとしていない」らしい。18.5(標準体重の下限)を目指して4kg増量したのに、ジムに通い始めて健康に気をつかっていると話しているのに、良い方に向けて変わっている途中でも「理想に比べてよくない」という言い方をされる。歯列矯正は「ちょっとはマシになった?まだちょっと出っ歯かな」。
親戚の集まりで叔父にお酒を注いだら、「滅多にしないんで」と母が横から口を出す。確かにそうだけど、兄はなにもせずテレビを見ていて、私はさっきからキッチンとリビングを行ったりきたり。
心底うんざりして、私は実家も親戚の集まりも好きではないし、子供もほしくない。「お母さん専業主婦のときは社会に認められてないって感じてた」と繰り返し繰り返し聞かされたし。
専業主婦になるのは社会に認められない(と母から思われる)行いで、家事はして当然、仕事もして当然、立ち働いて酌をして当然で、当然のことをしても褒められず「滅多にしない」と言われ、できていなかった過去についていつまでも指摘され、やってられるか、と思う。
ただ、母は全てをした。
全てをして、今も努力していて、きっとここに書いたことを伝えたら謝ってくれる。落ち込んで反省して、それでも今まで同様に私を愛し続けてくれる。だから母を、単に毒親だとは言えない。男尊女卑の根付く田舎で生まれて、生まれる前から女だと言う理由でがっかりされ、それでも努力してきた人で、環境やその価値観は選べなかった。だからこそ私には教育を受けさせてくれて、男女は平等なのだ、人生は自由なのだと学校を通じて教えてくれた。母も男女は平等だと、意見としては言う。価値観として身に染み付いてはいなくても、それは母の責任ではない。生まれた環境がそうで、思春期をそこで過ごすしかなく、母は最善を尽くした。
感謝している。でも疲れる。距離を置きたいけれど、母は会おうとしてくれる。娘との関係を良好に保つことも、母の努力の対象になる。
FPもとこch
@nao03601
もうナイジェリアの方が女性と子どもに対する人権意識が高い。日本が相対的にダメな国になっていく。ね、森さん、あなたですよ。老害切腹。
Kumiko Inoue
@Kuminxs37
https://twitter.com/nao03601/status/1639898391592443905?s=20
狼長(牡22*マル外)@騎兵復活論者
@wolfleader_0220
返信先: @nao03601さん
FF外から失礼いたしますが、ナイジェリアの人権意識が比較的マシなのは西洋文化圏の南部でも上位層と海外生活してる運のいい人も含まれるぐらいだと思います。
https://twitter.com/nao03601/status/1639898391592443905?s=20
つまりハーフかナイジェリア人ですね。さて、ナイジェリアの法律を持ち上げたファイナンシャルプランナーの発言が次。
FPもとこch
@nao03601
返信先: @wolfleader_0220さん
なんかもうきっとなんJ民なんすよ。コンクリート事件とか好きな人間のクズですよ。人権なんてホントはどうでもいいと思ってるクズですよどうせ。
https://twitter.com/nao03601/status/1639933262385782784?s=20
狼長(牡22*マル外)@騎兵復活論者
@wolfleader_0220
返信先: @nao03601さん
なんJ民という例えがどこにフォーカスしたものなのかは私には分かりませんが、ナイジェリア全土を見ると遥かに日本のほうが人権意識は高いと言えますよ。
女子校のスクールバスの運転手が女学生狩りから生徒を守る為に小銃で武装するというような世紀末的事象は現代日本では考えられないですからね。
https://twitter.com/wolfleader_0220/status/1639934906569719808?s=20
つまりこの馬鹿なフェミキチぶったFPは形をかえた白人至上主義者であり、差別主義者であり、ネオナチです。
FPもとこch
@nao03601
返信先: @wolfleader_0220さん
tiktok.com
TikTokでMotokonyanさんをチェック!
#成田悠輔をテレビに出すな ナチスと同じとか言ってる奴らに教えてあげるよ
https://twitter.com/nao03601/status/1639936059810390017?s=20
見事に噛み合っていませんが、このようなクズが法律を論じるなんてありえないんですね。ネオナチの白人至上主義者のレイシストFPさん。
FPもとこch
@nao03601
返信先: @nao03601さん,
@wolfleader_0220さん
https://twitter.com/otakulawyer/status/1641353777856004097
@otakulawyer
極端に厳しい法律が出来る背景には、非常に悲惨かつエグイ被害実態がうんざりする程大量にあることが一般的だし、実際に適用されるかどうかは別問題だから、ナイジェリアの方が日本より先進的とか女性の人権に配慮しているとか極論に走らない方が良い。
FPもとこch
@nao03601
もうナイジェリアの方が女性と子どもに対する人権意識が高い。日本が相対的にダメな国になっていく。ね、森さん、あなたですよ。老害切腹。 twitter.com/Kuminxs37/stat…
このひとの人権意識、全くありません。これがフェミニストです。
こういう人にファイナンシャルプランナーができるのかな。。。
入り口がホスクラってのは好奇心とか寂しさドリブンなんで、同年代の普通の友達とか彼氏とかいたら入っていかない世界だと思う。
一方、入り口が金欲しさからのパパ活とかJKビジネスで、そこからホストにハマる子もいるから、経済観念が違う子との付き合いを避けるのは案外大事。
純粋培養にしたくて頑張って名門の中高一貫行かせた結果、周囲が金持ちばっかりでお金欲しさに転落する子が結構いる。
お金に限らず、自分の周囲に自分とは及ばない文化資本力があって一周回先を走ってるような子がいるということを知り、劣等感をこじらせて病む子もいる。
そういう子は頭も回るし、親も安心してる分、かなり進行するまで騙し通せたりする。
くれぐれも無理に背伸びさせないことが大事。良くも悪くも、その子がバカにされたり逆に浮きこぼれないような身の丈にあった環境を用意することが大事だと思う。居場所なくなると横道にそれやすいから。
進路は可能であれば理系か男子がそれなりにいる方向に進ませる。女子校には行かせない。身近に同世代の男がいて普通に仲良くしてたらホストになんか走らない。
あと、親の愛が足りない説は半分本当で半分嘘
親の愛が足りないとしても、思春期になって友達とのコミュニティの中で自分の居場所があり周囲から承認されてたら普通に自己肯定感は育つ
逆に、親が可愛がってチヤホヤ育てても、思春期になって「え、私ってそんなに可愛くなかったんだ、よその親はもっと子供に金かけてるんだ」みたいな事実を知ると、子供によると親に騙されてたって思うからね。
親の承認だけじゃ社会でやっていけないって事実を知った時の反動がけっこうやばい。
ちゃんとしたお家のお嬢さんがホストとか変な男にハマるのってたいていこれ。親からの評価と世間からの評価の乖離で傷ついてるから、高く評価してくれる親以外の他人についてっちゃう。
そもそも、真夜中にこのブログを開設するあたり、私はもう正気じゃない。
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5歳の頃、家族旅行でアメリカへ行った。国外へ旅行へ行くのはこの20数年間でこの一度だけ。知らない言語に囲まれて、知らない文化に触れた、初めての経験。
私はそれまで、父親よりも背の高い人間がこの地球にいるなんて知らなかった。
幼稚園はキリスト教系だった。でも園の中に十字架とかそういう「偶像」がなかったので、私が日々の中に神の存在を感じる機会は非常に限られていた。お弁当を食べる時になると手を合わせて祈りを捧げた。「神よ、日々の糧に感謝いたします。アーメン」。この時間くらいじゃないだろうか。
先生たちは定期的に聖書の話をしてくれたけれど、当時の私には理解できなかった。そして多分先生たちも私たちに理解することを求めていなかった。卒園式で綺麗に装丁された聖書を記念品にもらった。字が読めるようになり、心に哲学の概念が沸いた年齢になった時に初めて読み返した。そしてようやく何かしらは理解できたと思う。多分。…。時間差があるね。
でもこれだけは覚えているのがある。園長先生という方は非常に柔らかいお話の仕方をなさる方だった。わかるようなわからないような、でもそれはそれとして言葉がスーッと染み込んでいくようなお話をなさっていた。
先生はいつもこうおっしゃっていた。唇に歌を忘れずに。光の子として歩みなさい。
前半は知らない。でも後半は聖書の一節だ。「あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。光から、あらゆる善意と正義と真実とが生じるのです」
小学校の頃は全く覚えてない。
英語と音楽と国語だけできた。でも国語の担当教師と年がら年中喧嘩してたので評定に定期テストの点数が反映された記憶がない。
英語は楽しかった。小さい頃漠然と定型分だけ覚えて旅行に行ったあの「英語」が、形ある理論と知識として目の前に再び現れた。いうなれば、旧友との再会のような。互いに少し成長していたけれど。
音楽は、心の拠り所を得るために気まぐれで合唱部に入ったら急に歌えるようになった経緯がある。何それって話なんだけど、私もよくわからない。ただ、ある日ある時急に突然「声の出し方、響かせ方」が分かった。2年生の時、ソプラノのソロパートを担当させてもらった。嬉しかった。あれは、私が自分の実力だけで勝ち得たもので、そして私にもできるものがあるのだという証明になったから。音楽の先生は卒業式の日私の母をとっ捕まえて手を握ってこう言ったそうな。
「お嬢さんが音大に行きたいと言ったら、どうか止めないで入れてあげてください」と。
周りの子供たちは「自由」が増え、レンタルショップでビデオを借りた。麓の街に行って、友達同士で服を選び合った。私にもそんな自由が欲しかった。漫画の貸し借りをしてみたかった。アニメの情報を共有してみたかった。
彼女は「あなたが弾きたい曲が入ってる楽譜、家にあるから貸してあげる。家まで来て」と言った。彼女の家は私の家とは少し離れていた。やや逆方向寄りなのだ。でも私は彼女について行った。そして楽譜を借りた。
家に帰ると母は非常に機嫌が悪かった。ただいま、という挨拶に対して返ってきたのは「どこほっつき歩いてたわけ?」だった。確かに帰宅時間は通常より20分ほど遅かった。
正直に話した。友人の家に寄って楽譜を借りてきた、と。楽譜は没収された。
ちなみにその友人は時々漫画も貸してくれていた。しかし母はそれを目敏く見つけて隠した(母はよく私が学校にいる間に私の部屋に入って物を漁っていた)。そして3週間ほど経った頃にクロゼットから出してきて「あの子に返してきなさい、今すぐに」と言ったのだ。
少し考えればわかること。この家は、何かが少しずつ狂ってる。
私にも自由が欲しいとゴネた事がある。他の女の子みたいにガーリーな服(当時は少し露出があるのが流行っていた記憶がある)が着たい。髪を伸ばしたい。休日は友達とお出かけをしたい。バレンタインは友達とチョコレートの交換をしたい。
ことごとく跳ね除けられた。
おしゃれがしたいなら家でやらないで外で自己主張して頂戴。学校にお菓子を持ち込むのは校則違反でしょ?(それをバレンタインの日だけは黙認されてるから私にもやらせてくれと言ったのだが。)お出かけして遊ぶ暇があるならピアノの練習して勉強したらどう?アンタは目の前の遊びを取って将来を失うつもり?それに私たちがアンタのピアノの習い事にどれだけの月謝を払ってると思ってるの?その分ちゃんと練習してよ。
そんな言葉で私の心はポッキリだった。でもその時はまだ幼かったので「高校生になったらきっと変わる」と思っていた。
ちなみに上記の言葉を言われた後で私は一度だけ地域のお祭りに友人と行ったことがある。
一言で言えば、つまらなかった。目に映る何もかもがくだらなく見えて、そんなくだらないものにはしゃげる友人たちが寧ろ一周回って羨ましく思った。その日の私はピアノの練習もしなかったから、鍵盤が恋しかった。結局皆より一足早く帰宅したはずだ。
…そんな私の感想に、母は非常に満足げだった。こればかりは癪にさわる。
高校は私立女子校に入学した。良い大学に行くことだけが目標だった。それさえ達成できたなら、きっと私の人生は報われると思った。おしゃれらしいおしゃれをしなかったことも、友人と行ったお祭りを楽しめなかったのも、バレンタインの日にお菓子作りをしなかったのも、全部全部。
周りの友人は有名らしいアイドルにどっぷりとハマっていた。週末になれば電車に乗って遠くへ行き、グッズを買い、ブロマイドを買い、皆で見せ合って楽しんでいた。
街のお祭りを楽しめなかった女は、アイドルの良さもわからなかった。女の子たちが「ねえねえ、このひとカッコいいと思わない?」と見せてくるのを適当に「ほんとだ、カッコいいね」と返した。
ちなみにミュージカルをやる部活に入ったが、言わずもがな母は私がそこに入部するのを死ぬほど嫌がったし、門限は昔よりもシビアになった。当然遊べなくなったし、部活も毎回早退していた。それは舞台本番の1週間前でも変わらなかった。先輩も同期も私の家の事を理解してくれていたことだけが幸いである。あの人たちは皆優しかった。でもその優しさに永遠に甘えるわけにもいかなかった。当時私はスマホを持っていなかったから「今日だけは門限を伸ばして」と公衆電話から家に電話をかけた。「それなら家に入れてやらない」とだけ返されて電話を切られた。私は職員室の前で泣きながら「どうしろって言うんだよ!」と叫んだ。
その部活は1年生の冬に廃部になった。まあ色々あったのだ。晴れて私は本当に勉強しかすることの無い暇人になったのである。
英語にのめり込んだ。きっと海の向こうの人たちが喋ってる言語は私の住む世界を広げてくれると思った。
音楽は私の心の拠り所だった。親には「私たちがアンタのピアノの習い事にどれだけの月謝を払ってると思ってるの?その分ちゃんと練習してよ」と言われていて、それでよくピアノが嫌いにならなかったな、と思わないでもないが、それはひとえにピアノの先生の教え方が非常に上手かったからだ。あの先生は一生の恩師と言っても良いだろう。ピアノの技術だけでなく、音楽を体全体で楽しむことの大切さを教えて下さった。
必死で勉強して、そこそこ良い大学に受かった。当時は大学入試の定員規定が厳しくなったばかりだったから絶対浪人すると思ってたけど、受かった。第0志望、希望の希望通りの学科。
高校生の頃(というか小学校中学校から)ずっと母は私に「アンタみたいに頭の悪いやつは、私の時代なら商業高校に行ってたよ。今はいいね、アンタみたいなバカでも人並みに高校に入れて受験できるんだからさ」と言っていた。
何度も娘をバカだと言わなくて良い。言われなくても本人がちゃんと分かってる。
同じ地域に住み、同じ景色を見ていた小中、その延長線上にあった高校とはまるで違っていた。私のような実家住まいもいれば、一人暮らしで頑張る人もいた。
でもこれだけは断言したいが「明日の屋根を心配しなければならない人」は私以外あの空間には存在しなかった。
「7時半には返って来れるでしょ」
つまり、7時半が門限だということだ。大学生の、門限が、7時半。
あんまりだよ、と泣いた。父を説得しようとし、父方の祖母を説得しようとした。大学生なんだよ、大人だよ?と。でも父は母のイエスマンだったし、祖母(と叔母)は如何せん価値観が若干古かった。「7時半は十分遅いよ、お母さんは譲歩してる方だと思う」と言って譲らなかった。
遊ぶことはなかった。化粧もしなかった。ファンデーションだけだった。化粧なんてね、若いうちは要らないの。それが母がいつも言うことだった。
少し考えれば分かること。あの時の母は、私を完全にコントロールしたかったのだ。
その年の秋、私はこれまた突然、手首を痛めた。関節炎だった。ピアノの弾きすぎ、PCの打ちすぎで利き手ではない左手に過度の負担がかかったらしい。もうピアノは弾かないでください。と言われた。
あの時の絶望といったら。私は身近な人を突然亡くした経験はないけど、多分親友がある朝突然死んだらこういう気分なんだろう、と思った。うまく使えない左手、もう弾けないピアノ。虚無感、なんて言葉じゃ補いきれないものだった。
私にとってピアノはそれほど大きな存在だった。嬉しい時も辛い時も一緒にいたのが、ピアノであり、音楽だったから。
その時急に現れたのが昔の知り合いだった「彼氏」だった。
少しずつお互いのことを話す中で私は小さな打ち明け話をした。休日が大嫌いなんだ、と。
当時母は土日のたびに癇癪を起こしていた。やれ私の歩き方が気に食わない、やれ私の話し声が気に入らない。どうしてアンタは私の気に入るように振る舞わないの?と。当時私は土日の早朝6時〜9時でコンビニのアルバイトをしていたので、その早朝勤務の後に母の喚き声を聞くと言うのはどうにも「来る」ものがあった。
さて話を戻すと、私の打ち明け話を聞いた彼は私を週末のお出かけに誘った。電車の向こうの街でかれこれこういう催し物があるらしい、行ってみようよ。気分転換にさ。と。そういう具合に。そして私はその誘いに乗った。
母には「友達と出かけてくる」とだけ言った。情報は不足しているかもしれないが、嘘はついていない。少なくとも当時は彼はまだ「友達」だった。
そしてその友人は彼氏になった。
彼から告白された時、私は一種のチャンスを感じた。きっと私は自分に証明できるとお思った。私の人生は私のもので、私の人生の決定権は私が握っているのだと。
しかも、当時の私が心から欲していたのは「絶対的な安全」だった。そして痛めた手首によって失われた「心の拠り所」だった。
きっと彼ならそれらをくれるだろうと思ったので、私は彼の告白に同意した。
彼はそれ以来ちょくちょく私を外へ連れ出した。
その度に私はまるで世間一般に溶け込んだ気分になっていた。世間一般の「普通の子」になれたように思った。そしてその時私は心から喜んだ。「生きてる!」と無邪気に思えた。
私が勝手に出かけ、挙句彼氏まで作ったので、母は怒った。最初父は「別にいいんじゃないか?」と言っていたが、母があまりにも怒るので父も手のひらクルリと返した。
母は私から家の鍵と財布の金、銀行のカードを没収した。お前に鍵と金を渡すと碌なことにならない、と言いながら。(ちなみにこの銀行のカード、取り返したら今度は月に3万、家に入れる事を要求された。当然今度は私の生活費が足りなくなってバイトを増やしたら、要求される金額がまた増えた)
母は、アンタがどこへ行ったか全部わかってるんだからね!と怒鳴った。最初意味がわからなかったが、どうやらあの時の母は私をスマホのGPS機能で追跡していたらしい。それが判明した時、私は泣いて彼氏に詫びた。どうしようもないものに巻き込んでしまったと思った。ざっくり言えば、母のやったことは犯罪に近いのだ。
彼は「気にしてないよ」と言った。
私は「いや、そこは気にしてくれ」と思った。というか、そう言った。
彼は「お前がかわいそうだ、どうにかして救いたい」と言った。
その心はありがたかったが、ありがたがると同時に私はそれを拒絶した。
「かわいそう」と軽々しく言えた彼はどこまでも温室育ちだった。4人家族ペット付き、平均的かそれよりも幾許か上の環境で、ぬくぬくと、二親に愛されて育ち我らが王子様のような扱いを受けてきた彼が言ったのは、永遠に「かわいそう」な立場にはならないであろう人間の、無意識の傲慢だった。
「救いたい」と言った彼は、きっと人間が人間を救えると信じていたのだろう。確かに信じるものは救われるとは言うけれども、彼氏とはいえ第三者の立場の人間が他人を救えるのなら、今頃イエスキリストも聖母マリアもこの世から用済みだろうし、仏典も聖典も要らない。でも世界にはそういうものが存在するのだ…。彼はそれをちゃんとは理解していなかった。
私の状況も、世界の状況も、「聞いて知ってはいる」けど「理解」はしていなかった。
彼氏の母親という人は、息子から私の家の状況を聞いて、こうコメントした。
「あそこの大学の子だと聞いて安心していたのに。それじゃあ全く、訳アリのお嬢さんを拾ってきたってこと?」
…ってうちの母がいうんだ、面白いよな、訳アリだなんて。と彼は笑いながら言った。少なくとも彼の中で「訳アリ」という言葉は一種のネタとして消費されたらしい。
私は彼氏ができた、とか勝手に出かけた、とかそういう「罪」で度々家を追い出された。そんな時私を匿ってくれたのは大学の友人たちだった。
追い出されるたびに顔色が悪くなる私を見て友人は私の目を閉じさせ耳を塞がせ、その間に家中の刃物という刃物を知らない場所に隠した。彼女曰く「今のアンタに刃物を見せたらすぐさま死んでしまいそうで怖い」。当時の私は一体どんな顔をしていたのだろう。
結局、私は彼と別れた。
彼は普通の家で育った普通の人間だった。そんな温室の彼を「私」という人間に巻き込み、異常なものを見せ、その一部だけでも経験させてしまったことは、私が負うべき「罪」のように思った。そして、そんな異常な場所から彼を一刻でも早く遠ざけようと思った。「かわいそう」という言葉も「訳アリ」という言葉も、ネタとして理解できる世界に戻そうとした。
それが正しいかどうかは本当にわからない。でも身勝手だったとは思えど、あの時の私にできた「最善」の判断は、それだった。
どうか彼には「普通」の彼女ができていてほしいと思う。そして、私の視界に入らないところで幸せになってほしい。
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大学3年生になり、2つの喪失、「普通」の概念について考える日々、加えてコロナ禍。最悪だった。それでも秋までは保った。そして秋になって体調を崩した。
感情がわからなくなった。楽しいとか、嬉しいとか、悲しいとか。
指先から血の気がひいた。四六時中まるで体全体が後ろから引っ張られているような感覚だった。
ほんの少し正気に戻ったその瞬間に病院に行き、うつの診断を貰った。ついでに精神安定剤も貰った。(本来抗うつ剤をもらう予定だったが、そういう精神に効くタイプの薬を飲んだことがなく不安だったため、安定剤からスタートになった)
仮病だ、とか、考えすぎだ、とか、甘えだ、とか。診断をした医者はヤブだ、とも言った。そして私から保険証と現金を没収した。よって私は途中で治療が止まっている。
ちなみにかの「原神」を始めたのは4年の最初だったか、それくらいだったはずである。(タブレットデバイス様様で、こういうゲームは自分のスマホに入っていれば「実体」が無いので、両親は私が流行りのゲームを始めただなんて夢にも思っていない)
うつの診断を受ける前だったか後だったか、とにかくその辺りの時期に私は数回手首を切った。そのうちの一つだけ、鮮明に覚えている。
衝動に任せて切って、うっすらと血を滲ませた。最悪だったのはそれが金曜日で翌日にはバイトがあったということだ。(※この時は体調の限界やらシフトの都合やら色々なものが重なって、私のシフトは早朝6時〜9時ではなく、9時〜12時に移っていた。そこには私の幼馴染の男の子も一緒に働いていたので、早朝から働いていた時よりは幾分気が楽ではあった)
さて左手首を切って血を見て1時間、なんとなく冷静になった時に気が付く「待てよ、明日バイトじゃん」は本当に最悪だ。急いで薬をぬり(強めのステロイドだった気がする)、ガーゼを乗せて包帯を巻いた。
翌朝幼馴染の彼は「それ、どうしたんです」と聞いてきたので、私は笑って言った。
「関節炎の湿布」
この幼馴染、私が怪我をしたとなるとまるで問診か何かのように問い詰めるのである。どこで怪我をしたの、どうして怪我をしたの。その時何があったの、いつもと変わったことでもあったの。
手首は数回掠った。そしてもし、もう一度でも金曜日にそれをやった上で「どこで、どうして怪我をしたの」と問い詰められたら、私は誤魔化せる自信がなかった。
そもそもコンビニのアルバイトなんて、いつヘルプ要請が入るかもわからないものなので、それが金曜日じゃなくても、手首を切るのは普通にアウトだった。いつか誤魔化せない日が来ると思ったし、その調子で切ってたら取り返しのつかない事になるのは目に見えていた。
それ以来、手首を切るのは自制している。少しばかり、褒めてほしい。
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先日、この幼馴染と少しばかりの遠出をした。
出かける予定を作ったことを正直に母親に白状し、許可を得た(これがまたハードルが高かった。)母は私たちが電車で行ったと思っているが。
私は彼が運転する車に乗って遠出した。
帰りの移動だった。彼は、夜の暗闇が一番好きだと言った。
私も夜が好きだと返した。夜は良いなと思う。あの暗闇も、程よい明るさも好きだ。
その日すっかり疲れてしまっていた私はぼんやりと、彼に少しばかりの昔話をした。
まだ私が早朝6時のバイトのシフトに入っていた頃、5時に起きて支度をしていたから冬の早朝は真夜中みたいに真っ暗だったのだと。そして少し季節が春に近づくにつれて日の出の時間も早くなり、西の空は暗く、東の空は明るくて、私はその真ん中に立っているような錯覚を覚えたのだと。まるで、昨日と明日の境目にいるような気分だったと。
ある時私は親に家を追い出されて、月曜火曜ならまだしも金曜日に追い出されたのなら翌朝のバイトは始発電車に乗らないと間に合わなかった。まだ空が真っ暗な時間にそっと友人の家を出て、電車の窓の外がうっすらと明るくなるのを見ていた。
そう言った。話し終えてからようやく自分が一体なんの話をしたのか、一体彼に何を聞かせていたのか気がついた。
変な話してごめん。私の家の騒動を知ってて私を家に泊めてくれた友人くらいしか知らない話だ、多分他人に初めて話した、幼馴染の女の子ですら知らない話だ…。と途方に暮れながら謝罪したところ、彼は「そうだろうね」と言い、こう続けた。
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今も私は「普通ってなんだろう」と考えている。
家では相変わらず母がつまらないことで喚き散らしているし、私の髪の一本一本にすら執着し干渉している。そして相変わらず父は母のイエスマンだ。
幸せになりたいな、と思う。
でもまず私は「幸せってなんだろうな」から思考を巡らせなければならい。
そもそも私はいまだに感情の生成についての問題を解決していない。
たぶん私という人間も私の家族も、私の家の一族も何かしらが「おかしい」のだ。皆が皆で、それぞれ違うベクトルで狂ってるから、その異常性に気がつきにくい。
でも気がついた人が気がついた時に「終わらせなければならない」。母は自分で自分の母親と絶縁した。もしかしたらそれはいつか来る自分の未来だと思う。
(車はボルボかな…)わたしも親が医者で、地域は違えど中高一貫の女子校に通ってました。大学受験はあまり上手くいかなかったので、私大を経て中小企業に就職しました。
大学時代、友人に何気なく親の職業を話した時の驚きっぷりを今でも覚えています。「えっ!?医者なの!?」って、みんな驚きますよね。就職先でも同様でした。そのうち親は会社員だと嘘をつくようになりました。自分ではいたって普通にしているつもりなのに、どのコミュニティに行ってもお嬢様のレッテルを貼られるのがなんだか嫌でした。普通の家庭に生まれたみんなが羨ましかった。
でも、今のわたしがあるのはわたしの家族が惜しみなくお金を投資してくれたおかげですし、環境が違っても同じように出来たかは分からないです。なので、モヤっとする事があっても「やれやれ、こういう星に生まれちまったぜ」くらいに思うようにしてます。
よくTwitterとかで問題なってるけど、私の意見を述べたい。イエス!チラシの裏。
同い年の夫がいる。夫は私よりも50万くらい年収
低い。
もうそろそろ子供欲しい気もするが、いなくてもいいかなって感じ。
子供ができたら、産休は取るが育休の取得やそのあとの時短勤務、専業主婦(主夫)化はどちらが担当しても良いと思ってる。
私は、幼い頃に父が亡くなった為、女で一つで育てられた。母は資格持ちだったのでバリバリと働いていた。幸い困窮することも無く、何の不自由もなく大学まで無事に卒業できた。
そんな家庭で育ったので、男に頼らずに生きて行く、自分で稼いで家族を養うという覚悟を持って生きてきた。母が大黒柱になってくれなかったら、私たちは飢えるかもしれないのだ。それは、姉も同じようで、結婚してもバリバリと働いている。
通っていた高校も、女性の社会進出を推奨するタイプの女子校だったので、手に職を持ちバリバリと働く人が多い。既婚者の友人の中には夫と同等もしくはそれ以上に稼ぎ、人によっては夫が全面的に家庭をサポートしているケースもある。
職場で思うのだが、新卒で一般職に就き、結婚し、専業主婦もしくは時短勤務で働きながら、夫へ主体的に家事育児への参画を求める女性はどこで仕事や家庭に対して責任感を持つのだろうか。
同じ正社員でも、一般職と総合職では責任の重さがあまりにも違う。同じ仕事をしていると愚痴る人もいるが、ではなぜ職務転換しない?
元々総合職で働いていた人が、結婚を機に家庭重視になり、「私も働きたい」と言うのと、一般職の人が言うのでは全く意味が違うと思う。
大黒柱になるプレッシャー、働き続ける覚悟は重い。それを放棄した上で、家事育児への責任を軽減したがるとは、甘えすぎていないか。
そうやって甘えている人と、一緒にされるのは気に食わない。
結婚前にバリバリと働いていた人ほど、家庭に入ると家事育児をキチンとこなせたり、配偶者の仕事に配慮がある人が多い。
働く大変さを知っているからだと思う。
茨城の支給ランドセルの色をジェンダー配慮ということでキャラメル色にしたっていうニュースみたんだけどさ、
女の子が黒を選んでも、男の子が赤を選んでも周囲が「いいじゃん」って受容するのがジェンダー配慮なんじゃないの?
今回の件はまぁコストとか色々あるから仕方が無いのかもしれないけど、私は絶対に赤がよかった女だから、支給ランドセルがキャラメル色だったらおじさんのかばんみたいでめちゃくちゃ泣くだろうなーってニュースみて思った。支給だし本当は買えばいいんだから文句いえないけどね。
あと女子校とか男子校とかもジェンダー関連で時代遅れとか色々言われるけどさ、「多様性」とかそれっぽいこと言って、全部が共学になったら多様性もクソもないじゃんね。選択肢が共学のひとつしかないじゃん。
選択肢を減らしてごちゃ混ぜにすることは「配慮」じゃない気がしてモヤモヤする。
バレないし。
■ピュアな子がいたら
「気になっている女の子がいる。その子がものすごくピュアっていうか一途な子だった。
先日のサークルの飲み会で、過去の恋愛のことを女子同士で話してるのが聞こえてきた。その子は他人の彼氏の話には「え〜ドキドキする〜!」と盛り上がっていたのに、彼女自身の話になると「恋愛とか、あんまりよく分からない……」とか言って濁していた。
これは後日、本人から聞けた話で、彼女は女子校出身で中高は恋愛とは無縁。小学校5年生のときから好きだった男の子の夢を今でもみて照れてるそう。その男の子とは小学校の卒業式以来、一度も会ってないし、お互いに進学した学校しか知らないらしい。
みたいな感じの話をされました。正直、「そうなんだ、頑張って」以外の感想が出てこなかったんですが、この話を聞かされたとき皆さんはどう思いますか?
多分、他の男が恋愛経験の浅い女性にときめくかときめかないか、とかいうのを聞きたかったんだと思います(?)
バレると怖いからあとで消すかも
■
相当強引に行くか時間をかけないと
付き合えない。おセックスできない。
みたいな感じの話をされました。正直、「そうなんだ、頑張って」以外の感想が出てこなかったんですが、この話を聞かされたとき皆さんはどう思いますか?