はてなキーワード: プラットフォームとは
いまいち駅伝の楽しみ方がわからないなーと考えていたら、この記事を思い出した。
http://blog.livedoor.jp/kensuu/archives/55077465.html
ゲームの歴史はそこそこ長いのに、なぜこのタイミングか、というのは
YouTubeなどの個人が投稿できる動画プラットフォームができた
という時代の流れにすぎません。
記事で書かれているゲーム実況が流行った理由は多分半分、というか送り手側のもので
1.プレイの楽しみどころが共有されていること
駅伝でいうと、レースがどう動いていくかの前知識がなかったり(1)、大学名を言われても、どうすごいのかピンとこなかったり(2)。
どこで読んだのか忘れてしまったけれど、ブームの頃にストIIのプレイを見ていた父親から、
なんでそのスキの多そうなアッパー(昇竜拳)を打つのかと聞かれた、みたいな話があった。
そこそそゲームに触れてきた人なら、不可解に見える行動もゲーム的に有効なんだろうと類推できる(あるいは解る俺でドヤれる)。
半音上がりの効果音を鳴らしながら画面の記号が消えていくと、連鎖的な何かが起こったんだろうと想像できる。
あるいは、プレイの面白さ自体を知らなくとも、スタープレイヤー見たさが強い動機になる(そしてこっちの層がおそらく厚い)。
プレイヤーの声や姿を映すことは今までもできたけれど、それをローカルなスターで終わらせないための方法はここ5年で格段に増えた。しかも、受け手側も関与可能な方法で。
ちなみに現2chユーザーで、Jimが降臨したスレにも何度か出くわしたことがあります。
Jimはそもそも、最初潰したいのはログ速のような過去ログのミラーサイトだった。
ミラーサイトはまとめブログの影に隠れているものの広告をバッチリ掲載しており、特にログ速のような巨大なサイトは多額の広告収入を得ていると考えられる。
で、元々ひろゆき体制の時はモリタポや●が主な収入源だったのだが、Jimは広告を収入源とするビジネスモデルに転換したいと考えていた。
(その後新たにモリタポと似たシステムの「浪人」が出てくるからややこしくなるのだが、当初はそのように説明していた)
そこで、ビジネスモデルの転換に伴って今までモリタポか●が無ければ見られなかった2chの過去ログを自由化することで、現行スレに加えて過去ログの方からも広告収入を得ようとしていた。
しかし現状は多くのミラーサイトがあり収益性が悪いので、Jim体制になってからはミラーサイトを積極的に潰そうとしている。
現にUnkarやRead2chのようなJim体制になってから潰れたミラーサイトもあって、ログ速も何度か機能停止に陥ったことがある。
今はログ速側が対策したのか、ログ速やデスクトップ2chのようなミラーサイトは普通に機能している状態だけど。
で、ここからが状況を非常にややこしくしている原因なのだが、Jimは言語の壁もあってか当初まとめブログ=ミラーサイトと勘違いしていたのだった。
だから、はじめのうちは「まとめブログを潰そう!」と意気込んでいる2ch住民にJimも強く同調していた。
しかし、Jimの言うまとめブログはミラーサイトだったので、ミラーサイトへの対策は厳しくされるものの、2ch住民などが言う本来の「まとめブログ」への対策は一向に成されないのであった。
(ちなみにそのJimの誤解は、住民との交流の結果今は解けている)
そもそも2chの広告で儲けるJimのビジネスモデルと、2chの書き込みを再構成して広告で儲けるまとめブログのビジネスモデルは今のところあまり競合していないんだよね。
むしろ、まとめブログのおかげで2chへの流入が増えるのなら、JimにとってまとめブログはWin-Winの存在にすら成り得る。
まあ、住民的にはまとめブログに強い反感を持っている者が大半なので、住民の意向を無視し続けるとν速→嫌儲のような大移動が起こる可能性は0ではない。
(もっとも今の2chの住民数をカバーできるだけの強いサーバーを持っている掲示板なんてそうそう無いのだが)
だから、移住が起こらない程度に住民の溜飲を下げるために、Jimは「対策するよ」と口では言っている。
また一応、実際にスレッドのタイトルに「転載禁止」の言葉を付けるような仕様にはなった。
だけど、住民が移住しない限りはSCやまとめブログを潰すメリットが殆ど無いので、まとめブログに対する根本的な対策はこれまでしてこなかったしこれからもしないんじゃないかと思う。
あと住民もなんだかんだ不満は持っているものの積極的に動く案もあまりなく、一枚岩になって動くことも出来ないので消極的ながらも現状を容認しているのが今の状況です。
だから、元増田のブコメのid:sisyaさんの指摘はかなり的確だと思う。
全員探られたくない腹持ちながらも利益奪い合ってる同士なのだから、利益そのものをつぶしたいユーザの声を聞く人間などどこにも居ないことなど最初からわかっていたことなのになと思ってみていた。
今後大きく変化する可能性があるとしたら、Jimがtogetterのようなまとめブログの役割を持つプラットフォームまで運営しようとするか、あるいは2chの所有権を本格的に裁判で争うかのどちらかだと思うけど。
ただ、現状はJimが2ch、ひろゆきがビッグデータとまとめブログ(?)からの収益でそれぞれ甘い汁を吸えてるので、まあ当分は大きく変わらないんじゃないんですかね。
■本文。
最終回だというのに最初からくどい話になるのだけど、インターネットなどのメディアが、世界が一体化したかのような幻想を生み出す一方で、野放図に拡大される情報社会が、心の繋がりを裁断し続けている。断片的な情報を追いかけることに躍起になるあまり、多くの価値観=ジャンルは求心力を失った。例えば、メディアミックスにしても、それぞれがジャンルという枠による秩序を持っているからこそ、混淆することに意味があったし、一体化の幻想自体が、[かつての全能感]を取り戻すための侵略に他ならない。そして、互いの領域を侵略した結果、秩序という枠組みが曖昧になったことで、インターネット上では無制限に肥大した自意識が互いに衝突を起こしている。情報という麻薬に蝕まれた中毒患者は絶えず全能感と無力感を往復しているが、目の前にある荒んだ光景は認識することができない。
そんな現代において、旧来の世界観に回帰すること=思考停止による癒しが唯一の自己防衛手段となっているケースは多い。そして、箱庭のような偽物の原風景に引きこもることで、飽くなき侵略=拡大する欲望を抑えている。自己言及的な表現を頑なに拒むのも、居場所を自壊させてしまうことへの潜在的な恐怖があるからなのだろう。そして、マッチョイズムとフェミニズムの対立から零れ落ちた層を汲み取る為に、ポルノメディアの特異点……ポルノメディアから遠く離れたポルノとして、美少女ゲームは存在している。マッチョイズムにせよ、フェミニズムにせよ、その論理は自身のセクシャリティ=現実の恋愛やセックスを前提としているが故に、現実と虚構を対比し優劣を決定する方向性で結論を出してしまう傾向が否めない。例えば、フェミニズムの功績としては、男女の恋愛関係におげる規制緩和と自由化が挙げられるが、同時にそれは恋愛における自由競争を生み出したと言えるし、当然、自由競争から弾き出された恋愛弱者も多く生み出すことになった。ちなみに、この構造は、フェミニズムをインターネットに置き換えれば、情報弱者を生み出す構造と同じになるのだが……。
美少女ゲームはポルノグラフィの枠組みから発生したものだが、その論理基盤は[男と女]というセクシャリティを巡るものではなく、[自分と他人]という基準で駆動している傾向がある。言い換えれば、自身のセクシャリティに対する意識が希薄であるが故に、全くの異物としての他者(異性)を認識することが難しく、自己の延長としての他者という方向性で純化されているのだが、同時にコミュニケーションを崇高化し過ぎるという弊害も見られる。その弊害が悪化すると[引きこもり]に繋がっていくのだけども、ユーザーの大半は普通に社会生活を送っている。理由は色々とあるだろうが、スピリチュアリズムに似た信仰システムの機能を、美少女ゲームが持っていることも挙げられると思う。
そして、セクシャリティに対する意識が希薄である=前時代的であるために、恋愛至上主義的な表現が勃興した。例えば『ToHeart』や『ONE』で描かれるセックスはあくまで婚前交渉であって、娯楽としてのセックスではない。娼婦と素人娘が厳然と分かれていて、素人娘と付き合う時は必ず結婚が前提になる時代の価値観が無意識のうちに再現されているので、『Kanon』に至っては、名雪シナリオ以外ではセックスすることを選択しなくてもトゥルーエンドに到達できる。それは、セックスは結婚後に初めて行うものと考える人々が未だそれなりの割合で存在していたということだろう。だから、美少女ゲームの一部は厳密な意味でのポルノメディアから離れつつある。風俗産業の二次元版としてのポルノではなく、結婚相談所の二次元版としてのポルノメディアなのだと考えれば分かりやすいのかも知れない。
さて、現代の物語メディアの多くが単独で成立しにくい原因の一つに、経済やテクノロジーの発達に伴い、物語の消費スピードが飛躍的に加速しているという状況がある。または、物語がパーツ単位で解体された結果、秩序を維持できなくなっていることに起因する。物語がジャンルとしての秩序を失い、単なる情報の集合体として氾濫した結果、その多くは誰もが知っている[お約束]と呼ばれるものになってしまった。そして、[物語を読む]という行為の目的が、疑似体験を介して思索することではなく、氾濫する情報を収集し続け、酩酊状態に導いて思考停止することに変質してしまった。同時に、ゲームというプラットフォームから発信される物語が、作者の意志によって導かれる連続体としての表現ではなく、ユーザー自身が演じる舞台……遊戯空間としての情報集合体へスタイルを変化させつつある。
つまり、他人の波瀾万丈な人生を追体験するのではなく、原風景としての平穏な日常を演じる媒介として機能しているケースが増えているのだ。原風景=楽園志向が悪い訳ではないのだが、美少女ゲームが遊戯空間として完成するにつれ、文化的伝統に回帰するルートとしての側面は失われつつあるように思う。
例えば、他者との関わりは、現実世界の他人や社会といった抽象的な意味で捉えられがちだが、過去から連なる歴史的蓄積という視点も存在する。おそらく『ONE』が特徴的だったのは、『ToHeart』で確立された偽物の原風景=楽園を[かつての全能感]を補完するシステムとしての機能面だけではなく、過去の価値観のレプリカと捉えた上で、同時に時間的な意味での[他者]を再現しようとしていたことだ。一見『ToHeart』の二番煎じと思われるような構造に[過去との接続]という要素を加えたことによって、ノイズと判断される危険性を孕んでいながらも、過去と現在を繋ぐ連続体=物語として作られた『ONE』が成功を収めたことで、物語に対するニーズが未だ潜在的に存在していることを証明している。
また、『Kanon』や『鈴のうたう日』では、胎内回帰的であるために閉塞へ陥りがちだった楽園志向を[共生と循環]という方向へ発展させているし、『フロレアール』『とらいあんぐるハート2』『デアボリカ』といった作品も、それぞれの方法で物語表現としての美少女ゲームの可能性を拡げている。そして、そういった作品が予想外な場所から出現する限り、筆者は美少女ゲームのユーザーであり続けると思う。
■あとがき。
本当はこれから出るゲームを取り上げて、今後の展望を書くつもりだったんですが、本業以外の分野を未来予測するのは、やっぱり難しいので、普通に連載の総括という感じになりました。
とりあえずは療養しながら、積みゲーの数々をクリアしようかと思っております。そういう訳で、今後は体調と相談しながら、不定期で登場するかも知れません。どんな形になるかは今のところ、分かりません……って、別に打ち合わせもしてないので(笑)。あと、FAKEOFFICEのホームページに、このコラムのバックナンバーを順次再録していく予定です。こちらも体調次第ですけど……まあ、そういう訳で一年とちょっとの間、どうもありがとうございました。
HTML5でモバイルのアプリはネイティブアプリからWebアプリとか記事書いてた人たち息してる?
全てがとって変るわけではなくて、ネイティブアプリでないと表現し辛いものはネイティブアプリで開発が行われるでしょう。しかし、モバイルがもっとWebアプリになれば、プラットフォーム毎の言語を習得しなくてもJavaScriptで書けるとか言ってた人息してる?ネイティブアプリで普通に出来ることをモバイルWebアプリでやろうとすると難易度高いよね。超高いと言った方がいいかな?企業はAppleやGoogleへ収益のいくらかを払わなくて済むから今後そうなって行くでしょうとか言ってた人息してる?これからはHTML5の時代とか言ってたキュレなんとかの人も息してる?そうやって煽ってた人達はモバイルWebアプリは思ったより厳しかったという記事書いて欲しいね。もう書いてあって俺が知らないだけかもしれないが
DeNA、食のキュレーションプラットフォーム「CAFY」の提供を開始 | 株式会社ディー・エヌ・エー【DeNA】
そんでもって、まとめサイトとかバイラスメディアがクソミソに言われがちな昨今なので、やっぱり著作権関連で何か問題は起きてこないかなと手ぐすね引いて待ち構えているブロガーの方々がいるらしく。
DeNA新キュレーションのライター25人の引用状況をチェックした
そこそこ細かく調べているようで御苦労さまですwってところなわけだけど、DeNAのプレスリリースもチェックしていた自分にはひとつ引っかかるところがあった。
それは「レシピブログ」ってサービスについて。全然存在を知らなかったけど、料理系ブログをやっている人が自分で登録してアピールする場所みたいだ、たぶん。
で、上のエントリーは、レシピブログから画像がたくさん転載されていると指摘した上で、それらの画像の著作権についてあーだこーだ指摘したいようだったけど、プレスリリースを見る限りでは、レシピブログってところはDeNAと提携しているようでして。
それなら別に画像転載は問題ないじゃないと思うよね。で、レシピブログのサイトで規約をチェックしてみた。
免責・著作権・プライバシーポリシー | レシピブログ - 料理ブログのレシピ満載!
著作権の項目にこう書いてある。
また登録者はその掲載情報に関する著作権的人格権は行使しないものとします。投稿された記事や画像は登録者の個人情報を除き、「レシピブログ」が提供する情報として、他メディアへの掲載、出版物として発行することがあります。
登録者ってのはブロガーのことね。その登録者から「他メディアに掲載することがあるよー」って事前に承諾を受けているってのだから、別にDeNAのまとめサイトに画像を勝手に転載されても、それは無断転載にはならないってことになる。
まー、でもどうだろうね。レシピブログに登録しているブロガーの皆さんって、こうなることを予期していたのかな?
別に規約上は問題ないよ。ただ、ブロガーの皆さんが納得できるかどうかは別論。
レシピブログを始めとした提携業者さんに文句を言う人も出てくるのかなー、そうすると面倒だよなー、ってな事態になるのかもしれないなぁ・・・なんて。
この界隈には決して絡むまいとしていたが、どうしても我慢しきれないので書く。
まず言っておこう。自分はチキンだ。誰かを面と向かって罵倒する度胸はないし、そもそも嫌だ。
真偽が定かでないことは保留するし、「事実だったら」というエクスキューズで人を叩くのは良くないと思っている。
だから、所謂ナマモノと呼ばれる「実在の人物を基にした、どこまで誇張されているか判らないもの」に対しては触れたくなかった。
だが、流石にこれは美化しすぎだ。いくらなんでもそれは良くない。
その後、彼は自分を切り売りすることでたちまち注目を集め、一躍時の人となった。一見危なっかしくもあり、同時にそれが緻密な計算によるものにも思えた。
あの人の素晴らしいところは、誰1人として邪険に扱ったり誹謗中傷したりしなかったところだ。こんな人がはてなにいただろうか。
邪険に扱ったり誹謗中傷をしないことだけが、相手を尊重することではない。
「ごめんなさい、あなたに理解させるように僕はうまく説明できなかった」と言うことが、侮蔑の台詞であることもある。
優しい言葉で、オフレコだと言われた話を「僕は認知します」と〆ることが、誹謗中傷に該当しないだろうか。
(通常、認知という言葉は、子供が出来たときに自分の子であると認めるという意味だ。それは、何を意味した単語だと周囲が受け取るだろうか)
一般的には重大な個人情報である病歴を披瀝した上で、離婚しますと淡々と語ることが、邪険に扱わないことだろうか。
笑顔で、優しい顔で、「止めてくれ」という相手に対して「何時でも力になるよ」とコメントすることは、本当に優しいだろうか。
前向きな提案に聞こえる「はてな村カテゴリーを作ろう」という提案は、「ファンが居て交流したいから、オマエのプラットフォームを利用させろ。バナー広告でいくら貰ってるか知らないが、定期的にトップに見えるところに自分の会社のエントリーを載せるぞ。リクルートするぞ。カネは出さないが、要望は当然言うぞ」というずいぶん自分勝手な言い方を、翻訳して前向きに見えるようにオブラートで包んだだけじゃないだろうか。
しかもそれが、線引きの難しい個人のブログを経由してと言う形でだ。
用法用量を守らないような薬の飲み方をしているように吹聴することは、自虐に聞こえるが交通違反自慢と同じだ。危険なのだ。
「いや、僕の自業自得なんですよ。大阪に行ったからペヤングしか食べられなくて厳しいけど」ということが、「オマエのせいでカネが無くなった」と変換して相手に伝わらないと、本当に思って書いていただろうか。
貴殿は馬鹿だからこれ以上話しても無駄ですねという言葉は誹謗中傷に聞こえ、僕の配慮が足りなかったから伝わらなかったという言葉は紳士に聞こえるとするなら、それは間違っている。
netcraftさんのしたことには、面白い事もあった。会社の経営は大変だろうし少なくとも現在運営されているのであれば十分に能力がある方なんだろう。
でも、やってはいけないことも多くあった。
少なくとも、忘年会でオフレコの話をみんなにしたという記事については「誰も邪険に扱わないし、誹謗中傷はしていない」とは断じて言わせない。
まともな顧問弁護士であれば即座にストップをかけるレベルの内容を記事を何本も書いていただろう。
はてなブログには、今日食べた美味しい食事の写真をアップしているだけの日記もたくさんある。
彼らは一切他人に迷惑をかけていないし、誰かに責任を負わせるような物言いもしないし、褒め殺しもしなければ危険な薬のみ方も示さない。
そんなひとはいくらでもはてなブログに居る。ただ、ブックマークを集めないだけだ。
netcraftさんは、面白い記事も沢山書いていた。他人から責められるような酷い記事も書いていた。
肯定も、否定もするのが、「はてな」という場所の正しいあり方のように思う。
もちろん心身の回復を祈っているが、今後は、他人を傷付けるか判断が付かない記事は、顧問弁護士や身近な人間に相談してからアップすべきだと思う。
繰り返しになるが、良い記事もたくさんあった。酷い記事もあった。はてなのプラットフォームにただ乗りするような広告もあった。
(小さく矮小かもしれないが)はてなの築き上げたブランドやPVを横から奪って広告することが、正しい事だとは思わない。
それらがすべてnetcraftさんであり、過度に美化したり、過度に貶めたりすることは、良くないと思う。
自分の商品を売ったり、自分の会社を売り込むのに、はてなブックマークのホットエントリーを使っているとはてな運営が判断すれば、
それはスパムだと扱われても、仕方がないのではないか。
個人的には、能力のある人が「はてな村」には在村していると思うので、はてなクローンを作ってゆるく交流すれば良いと思う。
netcraftさんを美化する「http://anond.hatelabo.jp/20141215184650」は個人の感想だが、それは誰かを傷付けていると、自分は思う。
無自覚であることや善意であることは、相手を傷付けて良い免罪符にはならないと自分は思うし、はてなブックマークを利用している人達もそう思っていてくれることを願う。
https://mechashiko.herokuapp.com
MECHASHIKOにYoするだけであなたのスマートフォンにエロ画像が届きます。Yoを開いて1タップでシコシコ。
私自身シコシコできる物は持ち合わしていないんだけど、まぁ分かりやすいしね。それに女でもシコシコ(すりすり)してるし。
「作りました〜」だとすぐ終わってしまうので経緯とか書き連ねていくと、始めはエロ系のやつは作る気は無かった。
スキルセットがない自分でも最低限の形を作れる物を選択して、他との差別化を狙っていったら今の形に落ち着いた。
あんまり画面数ないようにしてユーザー登録なくてーとかで楽なのでーって調べたらYoのAPIっての使ったやつが良いんじゃないかと行き着いた。
スマホでエロアプリとか審査通らないだろうけどYoとかのプラットフォームを使えばエロできるのが魅力を感じたのが大きい。
前職ではディレクターしてたけどあまり自分には向いてないと感じて今無職。側から見てたエンジニアという職業、アプリケーションを作れるのに魅力を感じてプログラム習得中。次の職業に生かせればいいですね(他人事)。
言語はRubyでsinatraってやつを使っていて、herokuでホスティングしている。
書いたら1行だけどgitとか諸々理解したりとかで2ヶ月ぐらい掛かってる。ディレクターしてなかったらもっと理解に時間かかりそうだったしエンジニアの人たちってすごいんですね。
自分一人で仕様決められるのは楽でいいですね。これが上から決められた要件を満たすってなるとさらに難しいんだろうな。。そうなるまでどれだけ時間かかるんだろ。
エロ画像を登録したりできるようにしてるんだけど、最初の画像は私のTumblrから画像を抜き出して入れている。性欲強かったのがこんなところで活用できるとはね。
作る時にYoのAPIっての使って何かしてる例を探してみたんだけどあんまりないんですね。1タップでスマートフォンに通知くるプラットフォームってすごく画期的だし、前職の事だけど通知機能だけが欲しいのにスマホアプリ作るってなるとコスト高くてやめるってことが何度かあったから、その時にこういうのあれば良かったなーってビジネス的には思う。でも調べて出てきた前例が個人のものでビジネスには使ってる例は日本だと見つからなかったなぁ。
huluでナルトの配信始まってたから見てて、ナルトが腐った牛乳飲んで腹壊してトイレに何回も行くシーンあったんだけど、みんなトイレでケツ拭く時ってちょっとケツ浮かして中腰で拭くもんだと思ってたのにナルトの野郎、ケツ浮かせないでそのまま後ろに手をやって便器に手突っ込んで拭いてやがった。
俺の今までのケツの拭き方がなってなかったみたいにナチュラルに拭いてやがった。
まぁ確かに中腰にケツ浮かしてケツ拭く格好って客観的にイメージしてみたら情けないというかなんか絵にならないし、あんまりこう見られたくない格好になっている。チンチンぶらぶらしてるし。
かと言ってトイレにいる時に見られたい格好なんて1秒たりともしていないし見たいとも思わないけど、便器的に想定していたポーズとか排便の仕方とかがあるだろうし、なるべくそのポージングに乗っ取った排便体制ってのを実践していきたいわけよ。便器だって困るだろうし。
自由研究とかもあんまり自由すぎると何も手がつかなくなって、面倒になって自由研究なんて考えるのやめておいプール行こうぜ!とかなるし、もうちょっとプラットフォーム的なものをかっちりするとかして導いて欲しいわけよ。自由研究はなんか自由にさせて大人になってからの自由な生活の中で自分というものを見失わないで自我を保つ訓練とかに必要なのかもしれないけどさ、いやわからないけどさ。
トイレの中で用を足してる時って誰にも覗かれないし、覗けないからこそわからないし、ある程度の自由が存在しているけど逆立ちしながらの小便とか普通しないでしょ、濡れるし。そういう形してないからすぐわかる。
(洋式、和式って呼びかたっておかしいと思っていて、洋式使ってた人も絶対和式形式の便器の形を辿って最終的に洋式に行き着いたんだから和洋の呼び方とかナンセンスすぎるけど)
「座ってくださいね」
って感じで佇んでるから
「おおよしそれじゃあここに座って排便をしてやろうか」
って思えるのだけれど、ケツを拭く時になると「さてどうしたものか」ってなもんで、あとは人それぞれの自由にしてくださいってなってるから俺はちょっとケツ浮かして中腰でケツを拭くんだけど、最近の洋式トイレってあれなのな、ケツ浮かしたら流れるようになってるのな。
こっちとしては人それぞれの自由にしてもいいんだろうって気持ちでちょっとケツ浮かして中腰でケツ拭いてるんだけど、そのポーズの下で「シュゴーーー」っとか勢い立てて流れてるわけよ。中腰でいるとチンチンぶらぶらしてて情けない格好で「あっ。。」とか声だしちゃったりして。悲しいわけよ。
しかもチンチンに流れる時に出る水しぶきがかかるわけよ。冷たいんだよ。
とりあえず冷静さを装ってまずケツ拭いて、拭いた後の紙を便器に投げ込むんだけど排便した物はもう流れ去ってしまっていて紙が取り残されたままになってるからまた流すわけよ。水がもったいねぇよ。なにがecoだよ。高円寺駅で酔っ払った外人がハンバーガー食べながら「えこぉ!」って絡んできたの思い出せるわ。えこぉ!
上の文章を書いた後、
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蜜を塗り虫を誘き出すように酔狂なフリーク達を集め、
彼らの相互作用の樹木(共同体的文脈)から生成される文化(果実)を
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運営が組織原理として安易に規模の拡大を目指せば崩壊へと簡単に拍車がかかる。
規模の拡大は運営側がフォーマルに改造を行う事で成される為に、
水清ければ魚棲まず。
そして、門戸を大きく開放した事により、
それを得る為に評価される事を望み、
愚にもつかないクローンを量産するという、
属性主義的な人々の参入も加速していく。(例:HIKAKINクローン)
良いコンテンツを掘り出すのも一苦労。
フリーク達も嫌気がさして移り住み、
運営は過去の遺産を使い回して食い潰すしかなくなる。(例:初音ミク)
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だからこそ運営側は上手く距離を取った上で管理していく必要がある。
枝分かれ(分散化)し過ぎたり、大きくなり過ぎたりすると、
その構成組織(構成員)がネタ・ストーリー(共同体的文脈)を"追えなく"なり、
共同体意識・コミュニケーションが喪失、組織崩壊を起こして倒壊する。
支え木、整枝、他の木を育てる為に光が届くような気配りも必要だ。
そこで初めて安定的に収穫が出来る。
だから化学肥料(金)を振りまけば、木が生えるなどと甘く考えてはならない。
それは責任や拘束を伴うし、相互関係を阻害する物でもあるからだ。
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作り直さなければならないという状況に確かにニコニコは陥っている。
公式アニメや転載物という外来コンテンツがランキングを多数占める様を見れば分かる。
このままではyoutubeなどと差別化出来ず、顧客を奪われて行くだろう。
だからコンテンツを作り出すプロを呼び込もうと運営側は焦っているのかもしれない。
しかし、本当にそうならその場しのぎにしかならない事に気が付かねばならない。
それは一方的な"供給"であり益々ニコニコを「ただ見る場」にしてゆく行為に過ぎないのだから。
本当に必要なのは「集まって簡単に楽しくワイワイ何か出来る場」なのだ。
ユーザーはそういう"経験"が出来る"場"こそを求めているのだ。
そしてその場を地道に作って行くしかない。
自分にとって関わりも物語も何もない第三者のコンテンツならテレビで見られる。
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ステータスを狙って繕う事と口先だけ回す事が上手な人々が横入りして、
実際"物"を作って来た現場主義でエゴイステックな情熱馬鹿の人間を「融通が利かない」と追い出し、
組織原理に追従して先人の遺産を食いつぶし落ちぶれていく様は良くある事だ。
そして、落ちぶれて行くのに気づいて焦り、某ナルドの様に明後日の方向に疾走していく事も。
かつての空き地は、もはや無い。
しかし、かつての空き地に立つソレもまた好ましい物であってほしい。
かつての空き地の住人は昔を思ってそれを眺める。
ビリー・ヘリントンが見放された(レが衰退した)のは単にコミュニティの盛衰を普通に辿っただけなんだよなぁ・・・
そもそもニコニコ動画自体コメント数だだ下がり続け、さらに再生自体もたくさんの動画にバラけ続けてるからね、仕方ないね♂
あとニコニコ動画というプラットフォームで生まれた文化はだいたい2008年までに出揃ってて後はそれらを食いつぶしてるだけだから淫夢があるなし関係無く最近は文化的発展はしてないし今後も見込めない、はっきり分かんだね
ま、ニコニコ動画自体すでに衰退してんだからさ、金にならないジャンルの中で唯一成長し続けた淫夢を憎むんじゃなくて愛してくれよな〜頼むよ〜
ここ最近のMSはご飯も食べずに基礎研究・プラットフォーム構築を続けている気がする。
.NetFrameworkは非常に強力で柔軟なエコシステムに成長したし、VisualStudioは相変わらず強力無比だが、あまり収益には直結していないように見える。
これからということなのだろうが、その前にパッタリ倒れないか。
その間にAppleやGoogleはブクブク太ったが、技術レベルはMSが頭ひとつ以上抜きん出ている。iOSやAndroidとWindows Phone、SwiftやGOとC#/F#を比較すると、やっぱりMSの開発能力はすごい。
しかしそれは開発者目線から見た時で、その技術的完成度が製品に反映されているかというとかなり微妙なのがMSの製品なんだよなあ。
最近、ニコニコ動画をみていると動画の上に表示される話題の記事に
「中川淳一郎のネットとビールの愉快な話 by NEWSポストセブン」の記事が
バイラルメディアが廃れても、プラットフォームを持っている企業はステマがあるから安心なんだなあ。
もしかしたらお金のやりとりがあって、最近頻繁に取り上げられてるのかもしれないし。
それはいいんだけど、話題の記事として3カ月前の記事を紹介するのはどうなのよ。
解散が近いって時期に「日銀が量的緩和したよ」的な記事を話題に出したら遅すぎってドン引きされるのに、
3カ月前の記事を取り上げられるニコニコユーザーの身にもなってみろよ!
せめて、1か月前ぐらいまでにしてくれよ!
HTML5がやっと勧告とか良く分からない言葉になったが、ちゃんと現状を認識しておこう。
そもそも、HTML5の目的は、新しいHTMLなんかじゃない。
正確には、新しいHTMLなるための道標だったのだ。(過去形)
君たちは、window.alertという関数を知っているだろうか。
え?と思うかもしれない。でも、これこそがHTML5の役割だった。
ドキュメントにalertなんて在るはるがないのだ。
そうやってHTMLは分断されていた。
HTMLというドキュメントを操作するAPIとしてDOM。そして、それ以外のAPIは黙殺。
XHTML1.xでも、それは繰り返された。
XHTML2.0が失敗したのは当然ともいえる。分断されたままアプリケーションに拡張しようとしたのだ。
現状を省みずに、ただ夢を追った。
既にHTMLはドキュメントではなくアプリケーションであると。
アプリケーションとして見たHTMLには、windowというオブジェクトが存在している。
次に進むのに必要なのは新しい夢などではなく、現状の再認識だ。
そう、それがW3Cに採用され、君たちの知っているHTML5になった。
「HTMLからバージョンを消すことです。バージョニングなんて考えは古い。HTMLは常に更新されるものです。」
彼らはそう語っていた。
window.alertがクロスブラウザで使える。それがHTML5だった。
君たちは、気付いてるだろうか。
以前よりもクロスブラウザで悩まされることが減ったことに。
だが、それでも道を踏み外した。
また夢を盛り込もうとした。アプリケーションならアプリケーションなら。
新しいアプリケーションプラットフォームという肥料でまるまると太った豚になった。
豚は、そのままでは動かなかった。
「HTML5.1です。」
HTML5は、終わった。
Unixという考え方という本を読んだ。もう図書館に返してしまったので、これから書くことはあまり正確じゃないと思う。〜的なという表現が多くなってるのはそのためだ。
この本で最も印象に残ったのが、梃子(てこ)の話。著者の叔母がちょっとしたマルチ商法で大金を稼いだ話を例にとり、「プログラミングもこういうもんさ、梃子を使うんだよ」的なことが書かれているが、倫理的な問題はおいといて、そういう感じでプログラミングをすることってどうすれば可能なんだ?と疑問が湧いた。自分のようなクズ野郎はもちろんのこと、たとえ修行僧のように淡々と技術を磨いているプログラマでも、本節を読めば自分の技術を使って著者の叔母のように大金が欲しいと思うはずだ。
プログラミングの梃子らしい部分は自動化だ。少なくとも、本にはそう書いてあった。梃子の具体例としてシェルスクリプトがあげられて、たった一行のスクリプトが賢いプログラマたちが作った何千行のプログラムを実行するんだ。これこそ梃子だ、的なことが書いてあった。いや、でもちょっと待って欲しい。こっちは叔母のように大金が欲しいわけだ。Unixの素晴らしさは他の章でも散々書いてあるし、ここでシェルスクリプトの話をされても困る。話をそらさないで欲しい。
著者が言いたいことはわかる。この節ではあくまでもシェルスクリプトの凄さを語りたかったわけで、叔母が大金を稼いだ話はそのための撒き餌に過ぎないんだろう。でも、ほとんどの人間にとって、本気で考える価値があるのは大金の方だろう。優秀なプログラマが生産性を上げた結果、それだけで幸せになれると思うか?むしろ仕事が増えているじゃないか。資本家はいつだって労働者を限界までこき使う。プログラマが創造的な仕事だということは、プログラマにしか理解されない。梃子をプログラマの幸福につなげるには、どうしても社会で使える通貨にしないといけない。
さあ、シェルスクリプトの梃子を使って金を生み出すとして、どういう具体的な手段があるんだ?
ソフトウェアで大金を稼いだやつを思い浮かべろ、と言われたら真っ先にビル・ゲイツの顔が浮かぶだろう。彼がやったことはなにか。ソフトウェアを作って、ライセンスを刻んだ。そのソフトウェアがどこのメーカーのハードウェアで動作しても、ソフトウェアはMicrosoft社のものだということがはっきりしている。そこから、利益を得るわけだ。これはまさに本に書いてあった梃子(著者の叔母はタッパを販売して、さらにその販売先の客に販売を勧め、その利益の一部を手にしていた。マルチ商法だ。)と同じ類のものだろう。
「I'm CEO, bitch.」
学生時代にFacebookを作り上げたマーク・ザッカーバーグは、FacebookがダサいSNSになった今でも、若い起業家の憧れの的だ。
彼がやったのはなにかというと、広告だ。
学生たちが楽しめるようなプラットフォームを無料で提供し、そこに広告を掲載することで大金を生み出した。広告のどこに梃子があったかというとソーシャル・ネットワークだ。広告で稼ぐにはたくさんの人に見られる必要があるわけだが、SNSという特性自体が梃子になり、ユーザー数がみるみると増大していったことが、広告による大金を生み出した。
主に日本で見られた現象が、ソーシャルゲームだ。これは偶像を売る商売だ。一度イラストレーターが作成したものは、いくらでも複製できる。それを消費者の射幸心に訴えかけながら売っていく。この電子的な麻薬が、なぜか日本では異常なほど受け入れられる。梃子の力は複製が容易ということだけでなく、消費者の脳内でも起きている。消費者自身の購買行動が次の購買を促す仕組み、中毒性こそがこの商売にユニークな梃子だ。
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飽きた。ブクマがたくさんつけば書き足す。
ブクマの伸びがゆっくりなのでここらで書き足しておく。上に書いたのは、本を読んで率直に感じた疑問と、それに対する、偏見なども大いに含んだ主観的な考察だ。しかし、こんなことをしたのは、他の誰のためでもない、自分のためだ。興味本位でプログラミングを始めてしまって、それが楽しくなってしまった自分の行く先を少しでも認識したいという切実な願望があったからだ。
ちょうど他の増田に漫画家の話が書かれていたけれど、ソフトウェアエンジニアだってああいったことになりかねない。いや、もうなっているかもしれない。創造的な人たちがつくりあげた偉大な製品が、資本家に食い尽くされることが、平気で行われている。以前ネットで知り合ったインドネシアのプログラマーは、自分の仕事が不当な扱いを受けていると嘆いていた。「海外の安い人件費」として働く彼らは、高度な技術を持っているにも関わらず、正当な報酬を手にすることができない。
まどろっこしいので言いたいことを言おう。梃子は生産性を高めるために使うだけじゃだめだ。自分や他の創造的な人々の権利を守るために使わないといけない。でなければ結局、プログラミングを始めたときに感じた魅力や全能感、思考力を捨てて、資本家の歯車になるような未来しか待っていない。
かつてゲーム大国と呼ばれ、海外からも尊敬を集めてきた日本のゲーム業界が、ソーシャルゲームとガチャの驚異的な利益率に圧倒され寂れた現代。
日本のコンシューマーゲームメーカーは、海外勢のような超予算超グラフィックで英語圏に売りまくるハリウッド方式が出来るほどの市場も開発予算も体力無く、大手を除きただただガチャゲーに淘汰されていくのを見守るしかなかった。
そんな中、唯一輝く星があった。それは、スマホと同じく誰もが持っているハードPCを使い、もしくは落ち目のゲームハードにのみ許されたサンクチュアリ、エロゲーである。
スマホゲー最大の弱点、それはグーグルとアップルがエロを認めないことであった。彼らの国は児童ポルノに厳しく、遊戯王のしょーもない肌色さえ修正される厳しさだった。しかし、日本は一般紙でさえもエロ漫画よろしくお色気が許されるHENTAI文化を持っており、エロゲーは収益性こそスマホゲーに勝てないものの、唯一日本で、スマホゲーで出来ないことをやってのける奇跡のジャンルである。
18禁という需要、大人の男の購買力、登場人物は18歳以上ですという表現の自由、まさにグーグル&アップルの巨神に勝てるエクスカリバー、日本のKATANAはエロゲーだった。
ガールフレンドなどソシャゲー業界も萌えで押してきたが、肌色規制によって水着画像すら削除される巨大な外資の圧力。
黒船の言いなりになっていいのか? いやよくない。ゲームのプラットフォームを海外の連中に好き勝手されて、健全な日本のゲーム文化が侵されて良い訳がない。
今こそグーグル、アップルに継ぐスマホ用公式エロゲープラットフォームを日本が制作し、日本のエロゲで世界を支配するのだ。
上記の一文こそ空想言ではあるが、実際、スマホゲーに勝てる要素を持っているのはエロゲーである。
たしかに
文章において
改行は
と言ったのは私ではない。
というか、そういう意味でテキストサイトのフォントいじりもベスターもラノベもウリポ(マンガの試み、ウバポもある)もみな同様にすばらしいと思うし、ああそういえば倉田タカシ氏の作品にもあった。
倉田タカシ「夕暮にゆうくりなき声満ちて風」(河出文庫「NOVA2」所収)
そこには書き手と読者との壮絶な綱引きがある。読者は読みたいように読み作者はそれをコントロールすることはできないという大原則はわかった上で、それでも書き手は読者になにかしら特別な体験をさせたい、そのためにはなんだってやってやるんだぜ?っていう想いの綱引きだ。
既存のインタフェースの上でおもしろいことをやろうという試みや、あるいはあらたなインタフェース新たなプラットフォームの上でおもしろいことをやろうという試みはとても好きだ。もちろん、そういう試みが試みに終わってしまって作品としてはつまらないということもあるだろう。そのときは正直につまらなかったと意見をよせ、また次を期待する、と声をかけてやればいいのだと思う。
だってそうだろう?
読者が書き手を育てる
べきだ
からね。
もうPC向けWebブラウザは、進化する余地がないのか、停滞しているように思えてしょうがない。
IEはともかく、FirefoxはデザインをChromeにしちゃったし(あれのどこがいいのやら)、Chromeに至っては、停滞どころか悪化しているとさえ感じる。
IE8になってようやくWeb標準に従うようになって、IE9でJavaScriptが劇的に速くなり、IE11でかなりWeb標準の準拠度が改善された。
また、Windows XPのサポート終了により、IE6というWebデザイナーの多数を地獄送りにしたブラウザから完全に脱走できるようになった。
しかも、サポートポリシーが変わって、2016年1月以降は各OSで最新のバージョンしかサポートしないと決まったため、思ったよりも早くWebデザイナーの苦痛が取れるようだ。IE6で懲りたんだろうか。
しかし、IEコンポーネントブラウザの互換性を軽視する傾向にある。
IE10では、Windows7の必須アップデートのせいで画面描画が乱れる場合があったり、特定のWebサイトでIEコンポーネントブラウザをフリーズさせるという必殺技を披露した。
IE11では、一部環境でDOMストレージが原因でブラウザコンポーネントを十数個開くとフリーズする新必殺技を披露した。(現在、バグ修正済)
次のIEでは、どんな技を披露してくれるのだろうか。
Chromeをパクってと同様、高速リリースサイクルになって3年目。
アドオンの互換性に悩み、自ら失敗といいつつも、高速リリースサイクルを何とかやっていけてるようだ。
シングルプロセス/マルチスレッドながら省メモリとJavaScriptの速度チューニングを着実に行っている。
つい先日、australisというChromeのパクリに非常によく似たUIを強制適用し、一部ユーザーから顰蹙を買う。
高速リリースサイクル、強制アップデートを流行らせた元凶。
Chromeは初期設計のポリシーがよく、HTML5の準拠度とブラウジングスピードは今でもよい。
登場からあっという間にシェアを獲得し、主要ブラウザと呼べるほど有名に。
しかし、バージョンが上がるたびに肥大化し、メモリ消費量がますます増え続け、低スペックマシンでは重くなる一方である。
レンダリングエンジンがWebKitから独立してBlinkになったが、さらに迷走していく。
ユーザーが阿鼻叫喚した、ウィンドウシステム共通化プロジェクト。
理想は、各種コントロール(スクロールバーやボタン、エディットボックスといったもの)を全プラットフォームで共通化した上で、GPUによる描画で高速化する・・・ということだった。
Windows版ではバージョン32から適用された。しかし、安定版になってもスクロールバーの矢印が消えた、汎用マウスジェスチャが使えない、
縦/横スクロールがまともに動かない、Webフォントが描画されないなどなど、多数のバグが残存していた。
今でも、バージョンが上がるにつれて改善されたものもあれば、一度改善していたのに不具合が再発するなど、安定版といいつつ安定しない日々が続いている。
いったい、「安定版」とは何なのだろうか。
最近、ChromeはGoogleのものであることをユーザーにしらしめる努力ばかりやっているのではないか。
Google Nowなど、自社のサービスを便利に使うために機能追加するのは別にかまわないが、新しいタブページの異常にでかいGoogleロゴはどうだろう。
よく開くページのサムネイルを小さくし、下に追いやってまでGoogleロゴを目立たせる必要はあったのだろうか。
今年中にNPAPI廃止を目論んでいるが、それは現実的なのだろうか。
Chrome独自に持っているPPAPIは、セキュリティが厳格なゆえにNPAPIの代替手段には決してなりえない。少なくとも、PPAPI上で動くFlashがNPAPIのそれと同等の速度で動かない限り、廃止はありえないと思う。
Firefoxが高速リリースサイクルを採用した初期の時のように、高速リリースサイクルを優先するあまり、品質を犠牲にしているケースが目立っている。
最近出た37では、DirectWrite周りの実装がお粗末で、安定版が最初に出たころはズームイン/ズームアウトするだけで文字が表示されなかった(翌日に修正)。今でも、ビットマップフォントの表示品質がGDIよりも悪い。
高速リリースサイクルの弊害が現れているのではないだろうか。このことに、Chromiumの中の人たちは、気づいているのだろうか。
まず、「解決策」にexcelDB化が存在しうることは否定しません。
しかし、その場合、考えうる「解決策」の幅ががかなり狭いことを無視されてますな。。また、どのぐらい狭いかを、その人たちでは分からないことですね。
エンジニアから見るに、「解決策」==excelDB化は、かなり間違っていることが多いです。
理由は、excelが表計算ソフトだから、という単純な理由ではありません。
システムは、ほぼすべてで「データ」がすべてです。excelは「データ」を扱うようにはなってません。「表計算ソフト」だからではなく、「データ」を扱うプラットフォームではないのです。
なのでexcelをDBとして使う、ということは拡張性ゼロのシステムを作ることと同じです。
私が使う場合はマクロは厳禁します。(サポートできませんので)
もちろん、例外は常にあります。が、そんならWebで簡単に作ったほうが楽です。。
仮想マシンをちょこっと作って、ruby on railsででも作っとけば、リモートからもメンテできるし、結構楽できるんですけどね。。
しかし、それをあっさり作れる人の単価が高いという。。
主催者にもいろいろあるよね
プラットフォームやAPI運営の側、この場合主催者は24時間中そのプラットフォームやAPIについて考えてるわけだし考えることの放棄には当たらないだろう
24時間考えてさらにそれ以上の何かが欲しい場合に外部から風を入れてみようってのがモチベーションだろう
あとはコミュニティ内でみんなで集まってお祭りしようぜ!ってこともあるよね
この場合主催者も参加者の一部だったりするよね。持ち回りだったりね。
書いてて思い出したわ
http://opendata.nikkei.co.jp/article/20130611329897913/
これは確かに考えること放棄してるわー
丸投げにもほどがあるわー
と思った