2014-10-29

HTML5は、終わった。

HTML5がやっと勧告とか良く分からない言葉になったが、ちゃんと現状を認識しておこう。

そもそも、HTML5目的は、新しいHTMLなんかじゃない。

正確には、新しいHTMLなるための道標だったのだ。(過去形

君たちは、window.alertという関数を知っているだろうか。

この関数HTML5定義された最新の関数だ。

え?と思うかもしれない。でも、これこそがHTML5役割だった。

HTMLは、昔、ドキュメントだった。

ドキュメントにalertなんて在るはるがないのだ。

そうやってHTMLは分断されていた。

HTMLというドキュメント操作するAPIとしてDOM。そして、それ以外のAPI黙殺

XHTML1.xでも、それは繰り返された。

XHTML2.0が失敗したのは当然ともいえる。分断されたままアプリケーション拡張しようとしたのだ。

現状を省みずに、ただ夢を追った。

しかし、カウンター存在した。

HTMLの現状を認識することこそ大事であると。

既にHTMLドキュメントではなくアプリケーションであると。

アプリケーションとして見たHTMLには、windowというオブジェクト存在している。

それは”標準仕様”という名前を持たないだけの標準だと。

彼らは現状を定義した。HTMLを再定義した。

次に進むのに必要なのは新しい夢などではなく、現状の再認識だ。

認識さえすれば必要なモノは勝手についてくる。

そう、それがW3C採用され、君たちの知っているHTML5になった。

HTML5の次のバージョンは何ですか?」

HTMLからバージョンを消すことです。バージョニングなんて考えは古い。HTMLは常に更新されるものです。」

彼らはそう語っていた。

HTML5は新しいモノだと勘違いされたが、そうではない。

それは1つの側面でしかない。

大切なのは定義だ。だから勧告なんて待つ必要も無い。

window.alertがクロスブラウザで使える。それがHTML5だった。

君たちは、気付いてるだろうか。

以前よりもクロスブラウザで悩まされることが減ったことに。

最近はまたカオスになってるけどな!)

それこそがHTML5意味だった。

だが、それでも道を踏み外した。

また夢を盛り込もうとした。アプリケーションならアプリケーションなら。

そして、HTML5は、HTMLの再定義という意味を奪われて

新しいアプリケーションプラットフォームという肥料でまるまると太った豚になった。

豚は、そのままでは動かなかった。

HTML5の次のバージョンは、何ですか?」

HTML5.1です。」

HTML5は、終わった。

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