はてなキーワード: フォレストとは
ひっっっっさしぶりにフォレストガンプ見たわ
荒れた家庭に育ち毒親が原因で自己肯定感を育めず荒れた生活を送ったジェニーと
境界知能という激烈なハンデを負わされながら真っ直ぐ生きて成功したガンプ
居場所を求めて彷徨うもどこにも辿り着けずフォレストの元に還ってきたジェニー、
劣等感を抱いた自分では純粋すぎる彼の真っ直ぐな愛情を受け止め続けられないと思い
甘えた自分と決別すべくガンプに告げることなく家を去ったジェニー
本当に達したい決意は人に告げないもんだよな、口に出してしまった時点で薄れるもの
そしてガンプとの子を孕み、どこに居てもいつも頭の片隅に居た男性との一度の行為で為された奇跡の子こそ神が与えてくれた道だと
真っ当な仕事をしながら子育てで最も大変な乳幼児期を誰に頼るでもなく一人で育てたことで自信をつけたジェニーがフォレストを招き
家に靴を投げたのもグチャグチャな道筋を辿ることになった己の人生の内省の過程でフォレスト家と自分のそれを比べ
俺も少しは大人になったのかな~と思ったり
そういやフォレストガンプ2の小説も読んだのに内容すっかり忘れてるわ
カキ養殖の会社を興してフォレストジュニアの指図でめちゃめちゃ成功するのは覚えてるんだけど子細が思い出せないや
ってもう3時半じゃん寝ないと
週刊少年ジャンプ史上最も重要なマンガ20選 https://anond.hatelabo.jp/20241012181121
週刊ビッグコミックスピリッツ史上最も重要なマンガ5選 https://anond.hatelabo.jp/20241014232424
週刊ヤングマガジン史上、最重要な漫画10選 https://anond.hatelabo.jp/20241016182953
なんか流れにのって「誰かアフタヌーンやらないのかな?」とか言ってたら、「自分でやっては…?」と言われたので、
そこまで詳しい自信もないが、知らんわけでもないぐらいのところなので、とりあえず書いた
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アフタヌーン初期の重要作品は、明らかにこれ。Wikipediaにも「看板作家であった藤島康介以外はほとんど無名の新人作家の作品を掲載」と書かれているように、初期のアフタヌーンはこの作品で支えていたという状況だったと理解している。
※ブコメで「初期の核はモーニング系作家や、園田健一とかあさりよしとおとか方面の作家」とのコメントいただいた。あと、トニーたけざきも。
これは満場一致になると信じている。作品としてのクオリティはもちろん、知名度、評価の高さ含めて、総合的に日本漫画史上の傑作の一つでしょう。『ヒストリエ』も入れたいところだが。一人一作ということで。
オタクマーケットにおける、90年代後半のアフタヌーンのイメージは『ああっ女神さまっ』『無限の住人』の2つが強かったという記憶がある。次作、『波よ聞いてくれ』もむろん快作で、個人的には『波よ聞いてくれ』のほうが好きだがアフタヌーンという雑誌にとっての重要度という話だと、まあ、順当に『無限の住人』かな、と。
『げんしけん』がベスト10に入るかどうかは評価基準次第というところがあると思う。ヒット作以外のところで、「アフタヌーン」雑誌ブランドのコアとは何かと考えると、サブカル系のマンガ表現の開拓者ですよね、ということだと思う(四季賞含めて)。そのブランドが熱心な雑誌購読者を育んできた雑誌であることは明らかで、その基準で考えると、本作は順当に重要な作品かと思っている。
ひぐちアサは、『おお振り』の前はもっと人間関係がたいへんそうな話を書いていて、ある意味そのときのほうが「いかにもアフタヌーンらしいマンガ」だったが、路線転換をしたのかなと思われた、本作がその後ここまで大きくヒットするのは連載がはじまったときはちょっと想像していなかった。
少年マガジンで連載がはじまったが、ほとんどの連載はアフタヌーン。幸村先生は『プラネテス』(モーニング連載)も代表作とする人もいるとは思うが、順当に考えたら、もう20年近く連載している『ヴィンランド・サガ』だろうかと思う。まあ、この作品がベスト10に入るも、まあ順当か。
この作品がベスト10かというのも、やや判断が割れるとは思うが、基本的には木尾士目『げんしけん』とほぼ同じ観点から。篠房六郎作品であれば、個人的には他の作品も全部入って良いと思っているが、一つ選ぶなら、ヒット作の『百舌谷さん』になるだろうという判断。
黒田硫黄の存在自体が、若い漫画読みから忘れられつつある印象があるが、2000年前後にアフタヌーンを毎月買っていた人間にとって、黒田硫黄の存在感が圧倒的だったのは確かなことだったと思う。捻くれたサブカルだったら「黒田硫黄が好き」とか言うのは、ぜんぜん捻くれてないチョイス過ぎて、言うと恥ずかしいぐらいの存在感だった。宮崎駿御大まで「このおもしろさが判る奴は本物だ」とか、はずかしい推薦の言葉を帯に捧げ、ジブリ系のアニメーターである高坂希太郎監督によって作品の一部がアニメ化もされた(制作はマッドハウス)。『大日本天狗党絵詞』も衝撃的な作品だったが、黒田硫黄の存在感がもっとも強かった時期の作品ということで挙げればこれかと、思う。
個人的に市川春子はそんなにハマっていないのだけれども、客観的に見て、支持の厚さ、連載期間、メディア化、受賞状況などから鑑みて、この作品を入れないわけにはいかないだろうということで。
近年の作品から一つ選ぶなら、まずこれですかね、という感がある。作品自体も登場時に衝撃を受けたが、その後のヒットまでうまく繋がり、人気作に育って本当に良かった。
・蟲師(漆原友紀) 人によっては、こっちを10選にいれる人はけっこういるとは思う。筆頭候補。
・BLAME!(弐瓶勉)弐瓶作品は10本縛りがなければ、どっちかを入れたいところ。個人的に『BLAME!』はアフタヌーンのイメージが強い。
・ハックス!(今井哲也) 今井作品も一つは入れたいところだが…。
・なるたる(鬼頭莫宏) 鬼頭作品なら『ぼくらの』(IKKI)の方が一般に重要作か、ということで除外
・メダリスト(つるまいかだ) 最近の作品でブルーピリオド以外にいれるならこれが筆頭か。
・スキップとローファー(高松美咲) 最近の作品での上位候補。
・勇午(赤名修/真刈信二) 個人的には大好き。塩漬けなど、ミームになるパワーがある作品だと思う。
・Spirit of Wonder(鶴田謙二) 重要作品だとの認識はある
・EDEN(遠藤浩輝) EDEN入れる人もいるとは思うが、だいぶ意見分かれるかな、という印象。
・フラジャイル 病理医岸京一郎の所見(恵三朗/草水 敏)
・あたらしい朝(黒田硫黄)
・五年生(木尾士目)
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まとめる作業してて思ったが、
「あれ、これアフタヌーンじゃなくて、IKKIなんだっけ?」っていう記憶の間違いがけっこうあった。
・『アンダーカレント』ふつうに意識の外だったけど、雑誌買ってなかった時期に、単行本で読んだので、アフタヌーンという認識ぜんぜんなかった。大変失礼いたしました。位置付け的に確かに入っておかしくない作品だと思う。
「・「ガロ」から「アックス」の境目だったから、ああいうテイストの避難地になってた印象。」とのコメントも、なるほどと思ったので確認したら、ガロがほぼ休刊になったのが、97年7月で、アックスが98年なので、97年~98年スタートの作品ということかな?ちょっとよくわかってない。
・植芝理一『ディスコミュニケーション』が魅力のある作品だとは個人的にも思うが、周囲でこの作品の話してた人ほぼいなかったんだよね。観測範囲の問題かとは思う。
・『大合作』について複数コメントあり、扱いどうすればいいんですかね…
・『神戸在住』もコメント多めで、ここらへんも確かに好きな人多いですよね。
・『地雷震』(髙橋ツトム)の適切な位置付けはあまりよくわかってない。読んではいた。
・『菫画報』はふつうに好きだけど、こういう選のなかに入るような層の厚い評価文脈ってあるの…?
・『ワンダンス』を次点ぐらいには入れてほしいとのこと。ちなみに、個人的に好きというだけだけで言うと、次点にも入れなかったけど、『リンガフランカ』(滝沢 麻耶)は好き。個人的な気持ちとしては清家雪子とかも、もっと売れてほしいなと思っている。
・五十嵐大介は、代表作は『リトル・フォレスト』より、『海獣の子供』(IKKI)のほうなのかな?とぼんやり認識なので、入れなかったけど、認識ぼんやりしてる
・とよ田みのるは、『『これ描いて死ね』』(ゲッサン)のほうが代表作になるかなと思って、いれてない。
・冬目 景は四季賞デビューでアフタヌーン作品複数あるが、『羊のうた』(コミックバーガー、コミックバーズ)『『イエスタデイをうたって』』(ビジネスジャンプ、グランドジャンプ)いずれも他誌
・四季賞受賞したデビュー作の衝撃がすごかったという人が、けっこういるのは完全に同意。四季賞は、他誌の新人作家向けの賞とは明らかに位置付けが異なる賞だと思う。
・あらためて思ったが、アフタヌーン作品の評価文脈はいろいろあって複雑だな、と感じる。ブコメでも書いていただいたが、アフタヌーンは、他の雑誌よりも10選とかやったら、合意とりづらいのはそうだと思う。「これがヒット作です」的な基準の外側に「この文脈ではすげー評価されてるし…!」というような文脈が、いろんな形で存在しているので、合意とりづらいところが、アフタヌーンの良さなんじゃないかとは思っている。
決定木は、質問を使って答えを見つけるゲームのようなものです。木の形をした図を使って、質問と答えを整理します。例えば、「今日は外で遊べるかな?」という大きな質問から始めます。
まず「雨が降っていますか?」と聞きます。「はい」なら「家で遊ぼう」、「いいえ」なら次の質問に進みます。次に「宿題は終わっていますか?」と聞きます。「はい」なら「外で遊ぼう」、「いいえ」なら「宿題をしてから遊ぼう」となります。
このように、質問を重ねていくことで、最終的な答えにたどり着きます。決定木は、こうした「もし〜なら」という考え方を使って、物事を順序立てて考えるのに役立ちます。
決定木は、機械学習における重要な分類・回帰アルゴリズムの一つです。データを特定の特徴に基づいて分割し、ツリー構造を形成することで、新しいデータの分類や予測を行います。
4. 枝:各ノードを結ぶ線、条件を表す
2. その特徴に基づいてデータを分割
3. 各サブセットに対して1と2を再帰的に繰り返す
4. 停止条件(深さ制限や最小サンプル数など)に達したら終了
決定木の利点は、解釈が容易で直感的であること、非線形の関係性も捉えられること、特徴量の重要度を評価できることなどです。一方で、過学習しやすい傾向があり、小さなデータの変化に敏感に反応する欠点もあります。
決定木は、分類および回帰問題に適用可能な非パラメトリックな監督学習アルゴリズムです。特徴空間を再帰的に分割し、各分割点で最適な特徴と閾値を選択することで、データを階層的に構造化します。
決定木の構築プロセスは、以下の数学的基準に基づいて行われます:
ここで、H(S)はエントロピー、Svは分割後のサブセット、piはクラスiの確率、yiは実際の値、ŷiは予測値を表します。
1. 事前剪定(Pre-pruning):成長の早期停止
2. 事後剪定(Post-pruning):完全に成長した木を後から刈り込む
決定木の性能向上のために、アンサンブル学習手法(ランダムフォレスト、勾配ブースティング木など)と組み合わせることが一般的です。
決定木は、特徴空間の再帰的分割に基づく非パラメトリックな監督学習アルゴリズムであり、分類および回帰タスクに適用可能です。その理論的基盤は、情報理論と統計学に深く根ざしています。
決定木の構築アルゴリズムとして最も一般的なのは、CART(Classification and Regression Trees)です。CARTは以下の手順で実装されます:
決定木の拡張:
これらの高度な手法により、決定木の表現力と汎化性能が向上し、より複雑なパターンの学習が可能となります。
決定木は、特徴空間Xの再帰的分割に基づく非パラメトリックな監督学習アルゴリズムであり、その理論的基盤は統計的学習理論、情報理論、および計算学習理論に深く根ざしています。
決定木の数学的定式化:
Let D = {(x₁, y₁), ..., (xₙ, yₙ)} be the training set, where xᵢ ∈ X and yᵢ ∈ Y. The decision tree T: X → Y is defined as a hierarchical set of decision rules.
For classification: P(y|x) = Σᵢ P(y|leaf_i) * I(x ∈ leaf_i)
For regression: f(x) = Σᵢ μᵢ * I(x ∈ leaf_i) where I(·) is the indicator function, leaf_i represents the i-th leaf node.
決定木の最適化問題: min_T Σᵢ L(yᵢ, T(xᵢ)) + λ * Complexity(T) where L is the loss function, λ is the regularization parameter, and Complexity(T) is a measure of tree complexity (e.g., number of leaves).
H(Y|X) = -Σᵧ Σₓ p(x,y) log(p(y|x))
I(X;Y) = H(Y) - H(Y|X)
2. ジニ不純度:
Gini(t) = 1 - Σᵢ p(i|t)²
MSE(t) = (1/|t|) * Σᵢ (yᵢ - ȳ_t)²
1. 一致性と収束速度: 決定木の一致性は、Breiman et al. (1984)によって証明されました。収束速度はO(n^(-1/(d+2)))であり、dは特徴空間の次元です。
2. バイアス-バリアンストレードオフ:深い木は低バイアス・高バリアンス、浅い木は高バイアス・低バリアンスとなります。最適な深さは、バイアスとバリアンスのトレードオフによって決定されます。
3. 決定木の表現力:任意のブール関数は、十分に深い決定木で表現可能です。これは、決定木がユニバーサル近似器であることを意味します。
4. 計算複雑性理論:最適な決定木の構築はNP完全問題であることが知られています(Hyafil & Rivest, 1976)。そのため、実用的なアルゴリズムは貪欲な近似アプローチを採用しています。
5. 正則化と構造リスク最小化:L0正則化(葉ノード数のペナルティ)やL2正則化(葉ノードの予測値に対するペナルティ)を用いて、構造リスク最小化原理に基づいたモデル選択を行います。
6. 情報幾何学的解釈: 決定木の学習過程は、特徴空間上の確率分布の漸進的な分割と見なすことができ、情報幾何学の観点から解析可能です。
7. カーネル決定木:非線形カーネル関数を用いて特徴空間を暗黙的に高次元化し、より複雑な決定境界を学習する手法です。
8. 量子決定木:量子コンピューティングの原理を応用し、古典的な決定木を量子系に拡張した手法です。量子重ね合わせを利用して、指数関数的に多くの分岐を同時に評価できる可能性があります。
これらの高度な理論と技術を組み合わせることで、決定木アルゴリズムの性能と適用範囲を大幅に拡張し、より複雑な学習タスクに対応することが可能となります。
去年のJOCHUMが除外されていたことを結果で知る
色々あったんだろうな
【最終順位】
1位:シナモロール
2位:ポチャッコ
3位:クロミ
5位:ハローキティ
6位:マイメロディ
7位:けろけろけろっぴ
8位:ハンギョドン
9位:タキシードサム
12位:こぎみゅん
13位:バッドばつまる
14位:はなまるおばけ
15位:ウイッシュミーメル
16位:ぐでたま
18位:KIRIMIちゃん.
19位:コロコロクリリン
20位:ウサハナ
21位:がおぱわるぅ
22位:SHOW BY ROCK!!
23位:まるもふびより
25位:かぶきにゃんたろう
26位:yoshikitty
27位:みんなのたあ坊
29位:チャーミーキティ
30位:ぽっきょくてん
32位:ルロロマニック
34位:シュガーバニーズ
35位:まいまいまいごえん
36位:ジュエルペット
37位:ぺたぺたみにりあん
38位:ニャニィニュニェニョン
39位:リトルフォレストフェロォ
40位:タイニーチャム
42位:パティ&ジミー
43位:おさるのもんきち
44位:歯ぐるまんすたいる
45位:アグレッシブ烈子
46位:チョコキャット
47位:ゴロピカドン
51位:BUDDYEDDY
53位:イチゴマン
55位:かしわんこもち
56位:パウピポ
58位:リルリルフェアリル
59位:いちごの王さま
60位:ザシキブタ
62位:カリバディクス
63位:ぱんくんち
65位:ぽこぽん日記
67位:クマミレン
68位:くすりの福太郎
70位:ぼさにまる
72位:るるる学園
73位:ウィアーダイナソアーズ!
74位:メローチューン
75位:シンカイゾク
76位:ウィンキ―ピンキー
77位:たらいぐまのらんどりー
78位:ザ ラナバウツ
79位:てのりくま
82位:プワワ
87位:ポタンノーズ
88位:リスル
90位:リトルラヴィン
「サンリオキャラクター大賞」最終順位発表 シナモロールが自身初5連覇、ポチャッコが28年ぶりTOP2入り【最終順位一覧あり】 - 産経ニュース
その1はこちら https://anond.hatelabo.jp/20240612182609
昔の地名や字がアスファルトとコンクリで埋まってしまったその土地の成り立ちや危険性を示すというのは面白いのだが、関西だと部落差別の問題が出てくるのに注意が必要だろう。
また、字は面的に付けられる名前なのでピンポイントの危険個所からズレが生じる事がある。
例えばここは今の渋谷区広尾3丁目、旧名原宿村字羽根沢なんだが、
https://koaza.net/?zoom=15.99&lat=35.6539&lng=139.719
真ん中に細いひょろひょろ道が見えるだろうか?(広尾(@三)の@の部分を縦に通る)これはいもり川という川の暗渠で結構深い谷になっている。羽根沢の羽根というのは、埴輪の「はに」の事で粘土の事だ。粘土が露出しているという事で崖地形を表す(赤羽とかも同じ)。
ここは坂の上まで字羽根沢なのだが、危険なのは谷底なのだ。なので字だけではイマイチ判別がつかない。
https://maps.app.goo.gl/9A13navyJbp4qrcG8
いもり川の横に半地下の駐車場…。青学から始まりガーデンフォレスト、日赤の斜面、山種美術館の斜面、全ての水が集まる谷底に…。以前見たらベンツSLとかマセラッティとかが止まってたのだが…言うまい!
https://koaza.net/?zoom=15.99&lat=35.7252&lng=139.7206
東池袋なんだが、水久保という字が見える。都電(王子電車)の電停名も水久保という時期があった。
でもこの水久保の範囲というのは高台と緩い斜面で、明治大正だと畜産農家の牧場があって牛が飼われていた。
水久保の名の由来は、巣鴨村と雑司ヶ谷村の境界の巣鴨村字向原側に水窪川が流れていて現大塚6丁目に掛けて湿地帯になっていた。ここはやっぱりゲリラ豪雨で出水リスクがあるが、それは谷底で字水久保からはずれてるのだ。
各自治体が公開しているハザードマップだが、これも絶対という訳ではないし罠があると思う。
例えば二子玉川付近のハザードマップでは瀬田と二子の間は想定浸水域3~5mとして同じ色で塗りつぶされる。これは多摩川破堤時の危険だ。
でもこの時、駅周辺が堤外地だ、というイレギュラーな危険は覆い隠されてしまうのだ。台地以外は同じ色になっていれば、「そういう大災害の時なら仕方がないだろう」と譲歩してしまうかもしれない。でも駅の周りの堤外地は危険のレベルが全然違う。河原から溢れただけで洪水となる地域という事を逆に隠してしまう可能性がある。駅北側のマンション売ってる不動産屋なども使ってる手口かもしれない。
また危険箇所を取りこぼしている箇所も結構ある。増田が把握している過去の出水箇所で塗られていない箇所もある。誰も市役所や区役所に届けなかった、職員が見回りに行った時には水が引いていて確認疎漏になったなどだろうか?先に指摘した、いもり川の谷底も危険性を把握されていない。それで不動産屋が重説で「この物件の場所には色が付いていません」とか言われて半地下駐車場に契約してしまう、乃至は半地下の部屋に入ってしまう。
でもそこで見るべきは今は消えた川という水の流れであって、他の箇所に色が付いていたらその谷筋は全部危険なのだ。ハザードマップもアスファルトに隠れてしまった土地の記憶を見る能力が必要なのだ。今は隠れていても水はきっちりと重力に従って低きに向けて正確に流れるものなのだ。
たとえ自分の土地であっても人目につくようにヒトラーの銅像をあちこちに設置する行為は「我々はホロコーストを肯定します。だからユダヤ人はこの町に来るな」というメッセージであるから法律で禁止されるべきだし、
同様に、市の至るところにネイサン・ベッドフォード・フォレスト(KKK創設者)やベルギー王レオポルド2世やセシル・ローズの銅像が飾られていたら
「我々は黒人差別を肯定します。だから黒人はここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべきだし、
市の至るところにウルバヌス2世の銅像が飾られていたら
「我々は十字軍を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべきだし、
市の至るところににコロンブス像が飾られていたら
「我々はネイティブ・アメリカン弾圧を肯定します。だからネイティブ・アメリカンはここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべきだし、
市の至るところにダンテ像が飾られていたら
「我々は神曲におけるムハンマドの扱い(聖書を歪めて解釈したとして地獄に落とされている)を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべきだし、
「我々は脱亜論を肯定します。だから中国人や韓国人はここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべきだし、
市の至るところにオリバー・クロムウェルの銅像が飾られていたら
「我々はアイルランド虐殺を肯定します。だからアイルランド人はここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべきだし、
「我々は性的客体化を肯定し、牟田和恵氏や小宮友根氏の主張を否認します。だからツイフェミや性嫌悪はここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべき。当たり前でしょ?
時折、ふと思い立ってPCの画像を見返してると大きさ240x320の画像群がずらりと並んだフォルダを見つけて開いてみたら自作のアナログ絵をブツ撮りした画像が並んでて羞恥に塗れたリア厨時代の痛々しいネト活の記憶が光の速度でAMSから逆流するように蘇り心臓バクバクさせながらフクロテナガザルのケイジくんみたいな奇声を上げてイキュラスキュオライキュラスキュオラキュラスキュオラ!することってあるじゃないですか。ありますよね。あるんですよ。
私も昨日、昔撮ったきゃわいいきゃわいい飼い猫の写真を久々に見ようかと古い順に画像をソートしたら見ちゃいましてね……中学生の時に愛していた絵師様に向けて描いたキモすぎるラブレター的なアレとかアレとかアレとかをさ。
もうサムネ見た瞬間ビクッとなったんですけど、じゃあはよ消せよって話なんですけど、そんなんでも色々思い出が詰まってるんですよね。キモさの中にも美しさがある、痛さの中にも気持ちよさがある、親しき中にもレズがあり、みたいな。
そんな中学時代の汚らしくも輝かしい青春の記憶を今、絶妙に嘘松を交えながら赤裸々にここに綴る。
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私が絵を描き始めたのはそれこそ物心ついたときからで、母に聞かされた話によると同じ保育園に通ってたお隣の子が上手なおジャ魔女どれみの絵を描いて私に自慢しに来たのが始まりらしく、対抗心を燃やした私は連日おジャ魔女どれみを描きまくっていたらしい。その傾向は小学生になっても変わらず学校の休み時間はひたすら自由帳に絵を描き、帰宅しても夜まで絵を描き、休日は画用紙と絵の具を使ってカラー絵を描くという毎日を送っていた。
そして小学3~4年頃に美術館で観たアンドリュー・ワイエス展に衝撃を受け西洋美術に関心を持つようになり、本格的に勉強したいと思うようになるのだけど…。
5年生になった頃には私の身長は170cmを超え、親にも親戚にも「アンタそんな立派な体してるんだから何か運動したら」と事あるごとに言われるようになり、当人らは特に他意無く適当にそう言ってたんだろうけど、言い返せない、断れない性格の私にはその一言が重くのしかかり、渋々陸上部に入部する。
さすがに身長の高さゆえか男子女子問わずほとんどの部員より足が速かったためそれなりに記録を残すことができ充実感もあったのだけど、やっぱり勉強以外の時間は絵を描きたいし、特に休日に大会があるときなんかは切実に辞めたいと思った。でも親は陸上頑張ってて偉いね、なんて言うもんだから。別に親は悪くないんですけど。
そんな調子で2年間を過ごし、卒業まであと3ヶ月という頃にはすっかり絵を描くこともなくなってこの世で一番アンドリュー・ワイエスから縁遠そうな、カリカリに日焼けした野暮ったい私がそこにいた。そして中学進学に向けて色々と準備をするなか親に渡された携帯電話、これが私の人生を良くも悪くも大きく変えてくれたのだった。
当時インターネットなんて全くわからなかった私は、漫画誌に載ってたフォレストページの小さな特集を頼りに、検索でたどり着いたイラストサイトのリンクやランキングサイト経由でその手のサイトを読み漁っていた。そういえば私絵描くの好きだったなとか思いながら。そして、ある絵描きさんの作品に一目惚れし、その方のサイトの掲示板に初カキコ…ども…してしまう。そのHPは0zeroというドメインで、一番画像を綺麗に貼れるとかで絵描きに好まれていたとかなんとか。
コピックエアブラシで描かれた色鮮やかな夕焼けと少女、油絵の具の力強いマチエールの上に描かれた少女、鉛筆で描かれた量感溢れる少女の裸体、どれも本当に素晴らしかった。何で全部少女の絵なんだろ?と思ったけど。
もう一生懸命考えて思いつく限りの称賛を書いた長文を投稿した瞬間からドキドキですよ。もう興奮で夕飯も喉を通らない有様でF5アタックみたいに更新しまくってひたすら返信を待ち続けたのだけど、最初に貰ったのは社交辞令的な一行返信だった。がっかり…。が、後日めげずにこの絵はどんな方法で描いたんですか?それってどんな画材ですかなんて引き続き書いてみると丁寧にコメント返してくれて、油絵の具ってそんなに高いんですか!?私のお小遣い月1000円だからとてもじゃないけど手が出ませんね、なんて言ってみると「あなた何歳?」って。んで11歳です、と。すると、「じゃあ私の持ってる絵の具あげるよ、今度会お?」と言われて。
しばらく固まった。どう返信していいかわからなかった。それで母親にそのことを相談したら最初は「馬鹿な子だねそんな知らない人とやり取りして」そう怒られたけどどうしても油絵の具が欲しくて、最終的に私書箱経由で絵師さんが電話番号を教えてくれて、絵師さんと母が直接電話をし、母同伴で絵師さんと会うことが決まった。そんときリアルにジャンプしてガッツーズしましたよ。
そして絵師さんは隣府県に住むとても礼儀正しい芸大1年のお姉さんで、母としては好印象だったらしい。実際、母も当日たくさんお土産渡されて即堕ちしてたし。
春休みを迎える頃には私はすっかりお姉さんのサイトに入り浸り、連日絵を投稿しては色々アドバイスしてもらったりキャピキャピ雑談して大学生の世界を教えてもらったりと楽しい日々を送っており、さらにはお姉さんの通う芸大の卒展に連れて行ってもらったりして私はすっかり美術の世界に舞い戻り、既にお姉さんのことが好きになっていた。本当にお姉ちゃんが出来たみたいだった。そして両親に東京の美大に行きたいと言ったらすげえイヤな顔された。そりゃ確かに、費用がね…。
そして中学最初の夏休み、一緒に宿題を片付けて合間に絵を教えてもらうという名目でお姉さん宅に長期のお泊りをすることになるのだが、これがあかんかった。まああかんかったよ。
隣府県の郊外にある2Kのアパート、そこがお姉さんの住処であり創作の現場だった。部屋中に飾られた素描や水彩画、見たこともない大きなカルトン、イーゼルに立てられた描きかけのよくわからないけどかっこいいのはわかる油絵、全部を束ねればお姉さんの腰くらいになりそうな大量の絵筆と少しだけ錆びついたナイフが並んだテーブルに乱雑に置かれた混沌色に染まったパレット。そして棚に並べられた大量の本とCD。
やべ、カッコよすぎて漏らしそう。でも同時にいつもどおりの田舎臭いガキ臭い格好をしてこの部屋に足を踏み入れた自分が凄く恥ずかしくなった。
ただ、テーブルの上に飾られた「スーパードルフィー」なる人形だけは正直キモイと思ってしまった。学生服を着た二体の少女人形がお互い腰に手を回して座りポースを取っているのだが、その光景に何か変態的なものを感じたというかのちに私の勘は完全に正しかったのだと判明する。
うん、確かに宿題はすごい勢いで片付くし、特に苦手な数学は私が完全に理解するまで根気強く教えてくれて本当にありがたいし、絵は美大予備校でやるレベルのことを丁寧に惜しみなく教えてくれる。家事も一緒にやって料理もそのときにちょっとだけ覚えたし、お姉さんが影響されたっていうオノ・ナツメの漫画とかミギーのイラストとか、他にもボナールとかセザンヌとかいろんな画家の画集を見せてくれてカッケー洋楽を教えてくれたり一緒にビデオを借りに行って映画もたくさん見せてくれるという、いたれりつくせりの家庭教師っぷり。おお、私の田舎臭が浄化されていく…。
ただね、この人近いんすよ、距離が…。
ちゃぶ台に座って宿題やってるときはお互いの肩が密着するくらいくっついて耳に息がかかるくらいの距離で喋り、計算間違いしたり誤字ったりすると足裏をくすぐってきたり、考え込んでると腰に手を回して太ももを撫でてきたり、絵を描いてるときはまたも背中にピッタリ身体を押し付けて色々助言しつつも肩から肘までねっとり撫で下ろしたりしてきて、上手に描き終わったときは思い切り後ろから抱きしめて私を褒めながら脇腹をくすぐってきたりして、とにかくボディタッチが激しい。
で、私がくすぐったがるとお姉さんもケラケラ笑って冗談っぽい雰囲気になるので正直イヤなんだけど拒否しずらいというか私もちょっとくすぐり返したりしてるうちにお互い距離感も縮まり、遠慮がなくなってきてタメ口で喋れるようになったのもあっていつの間にかすっかりお姉さんのボディタッチを受け入れてたんですよね…。
そうこうしてるうちに2週間が過ぎ、翌日は待ちに待ったコミケに連れてってくれるというのでもう我は有頂天である。私はね、去年から流行ってたボカロが気になって気になってどうしてもCDが欲しかったのだよ。しかも事前に宿を取ってくれていて二日目も参戦できるという。そんなん友達に自慢しまくるしかないやん!!!!
その日の昼には車で東京に向けて出発し夜にはホテルにチェックインしました。
そして念願の初コミケ1日目はお姉さんのサイトに常駐している何人もの神絵師さんと会場で初対面し手描きイラストを沢山プレゼントしてもらい号泣しちゃったり、(特にSAINTさんという鳥居、紅葉、月夜と和服の女性をモチーフに厚塗りリアルタッチの作品を描いてる絵師さんが好きで、その人に貰った絵はその日一日中眺めてました。しかもクソイケメンだった)35度の炎天下で水分補給を怠った結果熱中症でゲロ吐いてぶっ倒れたりと惨憺たる有様でしたが、二日目には「ねんがんのSupercellのCDをてにいれたぞ!」したり恥ずかしながら寄せ書きコーナーでミクを描かせてもらったりと最高の一日になった…はずでした。その夜の出来事を除けば。
結果的に言うとその日の夜お姉さんに犯された。ホテルでシャワー浴びてるときにお姉さんが風呂に突撃してきて、私の身体を洗いながら今までにない冗談抜きのマジ顔で全身くすぐりまくってきて、特に脇腹と胸を執拗に愛撫されてイかされた。抑えきれない全身の痙攣に襲われ貧血でぶっ倒れたときみたいな状態になって何の抵抗も出来なくなったらベッドに連れてかれて体感的には一晩中乳首いじられながらクンニされて涙流しながら喉が枯れるほど叫んで何度も何度もイかされ続けた。ちなみにそのときの私は性的欲求なんて皆無だったしオナニーすらしたこともない。そりゃ12歳だしね。
そして帰りの車で初めて会ったときから私を性的な対象として見ていた、卒展で再開したときには実行するかはともかくこの計画を立てていた、そしてこの夏に私の日焼けした肌を見て、直接触ってみて欲求を抑えきれなくなったとの供述をし始めた。曰く私はくすぐりに対しての反応が非常によく、沢山くすぐって何度も乳首にタッチした日は洗濯物に出した私のパンツにしっかりヌルヌルしたものが付着していたので、着実に性感開発されててこれはいけると確信したと。
帰路はずっと涙が止まらなくて、でもお姉さんは自分は今で言うとこの性的マイノリティだとか言いつつ潜在的に君はレズだからこの経験は後に良いものになる、私のこともホントは嫌いじゃないはずとかぬかしやがってさ…。確かにまだ嫌いではないよバカ野郎。お前にされたことが予想外かつショックすぎて泣いてるだけだよ。んで家に帰ったらもっかい同じことするから嫌なら蹴るなり殴るなり親や警察に通報すればいいとか言い出しやがって。
で、その日の夜またお姉さんに風呂で全身くすぐられて乳首いじられながら玩具使いつつクンニされまくってイきまくった。俺は今度こそ限界だと思った。その頃にはマジで気持ちよくて、ていうか他人に逆らうのが苦手な気質のせいかお姉さんに反抗する気持ちが湧かなくなってたので。
その日以来、私はしばらくネットを止めてお姉さんとの連絡も断っていたのだけど疲れからか不幸にもお姉さんのサイトにアクセスし私書箱から久々の連絡をしてしまう。私もうすぐ冬休みです、と。
そしてサイトの掲示板ではクリスマスに皆でパーティーしようかという話にいつの間にかなってて、新しくサイトの一員になった秋間(かずひさんだっけ?もう名前忘れたごめん)さんというパステル画の達人も加わり互いの絵を持ち寄って見せ合おうという話になる。
大阪のカラオケボックスに集結したお姉さんに一生さんとかSAINTさんとか秋間さんとか特定されないよう他1名と記すけど5人の美大芸大ガチうま絵師さんたちの生イラストを観て立ち直らねば、あの日覚えた行為の名をググって知って自慰行為も知っちゃったけどやっぱ真剣に絵を描かねばという気持ちになるわけですけど、解散後にまたお姉さんに誘われていつものアレをされて、もう全部が台無しよ。
そして図々しくも来年の夏休みもまた一緒に過ごそ?とか言われて。まあ結局そうなるわけですけど。
でも翌年の夏休みは他の絵師さんにも事前に連絡を取り付けてお姉さんの住所を教えてたおかげで日中はセクハラされず夜限定になったわけですけど。そして夜にはお姉さんの所有する大人の玩具がつよつよすぎてまた屈してしまうというかそれ耐えるの絶対無理ってなって中2のときは毎週のように逢って電マの威力に屈服させられたりしてたわけですけどさすがにお姉さんも4年になると私を相手してる余裕が無くなったらしく卒業と就職の準備に時間を割き始めて私はお姉さんより3歳年上のSAINTさんと蜜月になって、彼は愛知住みだけど何度かデートしてたらお姉さんの耳にその情報が入ってしまい、また自宅に呼び出される。
SAINTさんは紳士すぎて何もしてくれないので久しぶりのお姉さんの責めに期待してたら駅前で対面即泣かれて、よくよくその理由を聞いてみたら「あなたホントは私のこと好きなのに男と付き合ってどうすんの思春期の一時の感情に惑わされないで絶対後悔するよそれはそうとしてまたあのときの快感を思い出させてあげる」とか言われてお姉さん宅連れて行かれたわけですけど、連れ込まれた先はいつものあの部屋とは思えない綺麗に片付いた状態で「私東京に就職に行くけど貴方は来れないよね」なんて言われてまた泣きつかれて。親には聞いてないけど多分無理でしょと答えたら今までにない本当にあたたかい感触でギュッと抱きしめられて「好きだよ…」と言われた。今だから言えるけど私もお姉さんのことが部分的には嫌だったけどやっぱり大好きだった。そしてもう今までのように会えないんだなって、その時悟って泣いた。
でもお姉さんに教わったことはずっと忘れないし、私は必ず絵の道に進むしそのとき必ずまた会えるよって言ったらお姉さんはコミケ帰りの私みたいにぎゃあぎゃあ泣き喚いてて、その姿が可愛くてギュッと彼女を抱きしめた。これが私達には一番心強くて、私達の絆を感じる行為だってわかってたから。そして携帯を取り出してお姉さんのサイトを開いて「私はいつもここにいるから、寂しくないよ、みんな一緒だよ」って。
その日はお姉さん家に泊まってずっと抱き合って一緒のベッドの上で寝てた。SAINTさんとの浮気をチクチク糾弾されながら。
その後、私が3度目の夏を迎えた頃にはお姉さんのサイトはすっかり過疎っていて、連絡しても一月に一回程度、たまに返してくれるくらいの頻度になり、絵を描きつつもバンド活動にハマってお姉さんにそのことを報告しようとしたら去年東京で結婚したとの書き込みを期に更新が途絶えていて。私もこのサイトのことは忘れよう、あの頃のことは忘れようとなってtwitterやpixivに活動の場を移すうち、いつの間にかお姉さんのHPは(0zeroからecacoへとドメインを変えて必死に延命していたらしいけど)サービスもろとも綺麗サッパリ無くなっていました。
すぐ近くにうるさい場所はあるけど、切り取られたように静まり返った場所、とても大好き。
なんだか安心する。
小中学生の頃は実家で居間にいずに、よく仏壇のある部屋や、階段に座っていた
なにをするわけでもなくボーッとしていたり、図鑑を読んでたりした。
そう考えると、ぽくは小さい頃からインキャの才能があったんだな、と思う。
高校に入ってから部活に入らなかったが、その分とても長い間教室にいた。
中でも一番好きな時間は、みんなが教室に集まる前の朝早くの時間だった。
高校までは90分ぐらいの割と遠いところに住んでいたが、よく先生が正門を朝に開けてくれるのを待機していた。
誰もいない教室に一番乗り。
なんだか、いつも賑やかな場所なのに朝イチで来た時はとても特別な空間に感じた
二番目に来る同じクラスの女の子と、いい感じになったりもした(何事もなく終わった)。
大学に入ってからは同じように、図書館に入り浸ったり、深夜の徘徊に勤しんだり相変わらずのインキャぶりを発揮していた。
やはり、普段はうるさかったり、すぐ外に出ればにぎやかになったりと、ワイワイしたところに時間、空間的にアクセスしやすくて静かなところが大好きなのである。
それ以前は単に静かなところが好きなのだと思っていた。
社会人になってから、コロナが蔓延し、フルリモートワークとなった。
東京にいる意味もなくなり、少し郊外の田舎の方に引っ越してみた。なんというか、リトルフォレストみたいな生活に憧れていた。
最初の頃は自然に触れ合うのが幸せで、菜園を始めたり山菜とりをしたりとても満喫していた。
が、やっていて虚しさを感じた。
なぞに丁寧な生活に憧れていたが、結局やりたかったことはこれだったのか?と思い始めた。
そこでやっと気づいた。そう、自分は寂しがり屋だったのである。
なんとも都合の良い人間だ。
自分的には、外に出たらうるさくて少しイラッとくるぐらいの環境が丁度よかったのである。
そんな空間だからこそ、家や図書館、教会みたいな静かな場所が輝く。
賑やかだからこそ、家にいる時間が愛おしい。今ぐらいがなんだかんだ丁度いい。