はてなキーワード: がっかりとは
設定だけがぺろっと出てコンテンツが始まった時、めちゃくちゃ盛り上がったのを覚えているので、夢を捨てられないのだ。
女尊男卑の世界で暴力禁止のラップバトル、設定だけ聞くと最高だった。
「男なのに医者なんてすごい」と言われていてほしいし、「男にもデザインセンスはあるのでたまには男の意見も聞かないと」って言われていてほしいし、「男なのにいい年して働き口があるだけありがたいと思え」って言われていてほしいし、「男の賞味期限は短いからそろそろホストとしては賞味期限切れだね」って言われていてほしいし、出版された本は書店で男流作家のコーナーにまとめて置かれていてほしい。
これは別に男が貶められているコンテンツが見たいという意味ではない。
逆転したらあたりまえにそうなる、社会的弱者として扱われるというのはそういうことだという描写があると、「それでも彼らにはラップバトルがある」「でもそれすらも特権階級が消費するためのチープなエンタメにすぎない」という設定でギリギリ感を煽って盛り上がれたと思う。
というか、そういうエンタメだと思って盛り上がっていたので、肩透かしを食った。勘違いだったんなら(勘違いだったんだろうな)まあ、勘違いしたこっちが悪かった。
なんだ、別にそんなに反転してないんだな、と思ったので、今はもうラップバトル頑張ってほしいという感情はあんまりなくなってしまった。
それで別に問題はない。キャラもかわいいし。ヒプノシスマイクは十分面白いし、楽曲はめちゃくちゃいい。
それに、リアルタイムのコンテンツで設定も更新中なんじゃないかという気はするので、これから「女尊男卑の世界」という設定ももうちょっとなんとかなる可能性もあるにはあるよな~、とは思っている。
しかし、それでなくとも「オタクなんてクソ」を内面化して自己嫌悪しやすく、更に「二次元の男にキャーキャー言う自分たちの加害性」まで内面化して、「だから自分たちは隠れるべきなんだ、隠れていないあなたは悪だ」と言いたがる女オタク向けのコンテンツとして、「この男たちは女に迫害されているんですよ」という設定を、女オタクをメインターゲットとして持ってくるのはそもそも危ういし、その危ういところがいいと思ってたんだけど、もっとがっちり設定固めてから来てくれないとかなり揉めるもとなんじゃないのかなあ。杞憂だといいですね。
本人亡くなったから受け取れないとメモしてポストに突っ込んどくように指示した。
二発目が来たので同様に返送するように指示した。
もし何か言うなら、本人に直接言ってもらうようお願いしよう。
できれば何か届け物も頼もう。渡し忘れがいっぱいあるから。
お盆で帰ってくるタイミングがわかれば、係員に聞いておいてもらおう。
こっちの夏休みの予定も立つし。
国営だし、そのぐらいのことはできるよね。
でも国営放送が請求してくるぐらいだから死んでからもここの国民なんだろ。
立派な国営放送さんは、親父が居なくなってがっかりしてる俺らに
そんな嫌がらせをするぐらいなら
そのぐらいのサービスしてくれよ。
お得意の、その止められない、そのどこにでも届く電波でうちの親父に伝えてくれよ。
いろいろ伝えてないことが多いから。
シタ1周年を迎えたミリマスと比べなくとも、それは明らかだろう。
この問題は、その渦中にいるデレマスPが誰よりもわかっていることだ。
モバでは卯月やみくなどのガシャ常連アイドルがイベ上位に抜擢されたり、
ステでは全員にSSRが行き渡らないまま、恒常2周目に突入してしまった。
ステは昨日、様々なアップデートが為されたが、正直どれもあっと驚くようなものではなかった。
最近のデレステへの期待値が低くなっているからこそこのがっかり感なのか、いい改善をしてくれるはず!という高い期待故なのかそれはわかりかねるが、まあ置いておく。
そこまで考えずにざっと書き出しただけでも、デレマスに思うことがこんなにある。
が、最近Twitter上で見るのはデレステとミリシタの比較ばかりだ。
しかも今になってステとシタの比較をやめろという意見も見られる。
ミリシタが過去最大の盛り上がりを見せているのは、ミリシタの運営がユーザーの声を真摯に受け止め、取り入れてくれたからだ。塵が積もったから山になったのだ。
過去のことを掘り返すのは良くないと思うが、今までデレageミリsageをしてきた時にデレ側から比較をやめろなんて声がこんなに多く上がっただろうか?
今までミリマスは雑草根性で頑張ってきた。確かに擁護できない問題も多々あったが、今は思う存分日の目を浴びさせてくれやしないだろうか。
デレの内輪揉めに、ミリを巻き込まないでくれやしないだろうか。
作品名は伏せる
ヒロインA(幼馴染、子供の頃から片思い)よりヒロインB(いつの間にか主人公との接点が増えている)の方が主人公とくっ付くのか?と言われている某作品の最新話で「ヒロインAがかわいそう」と言ってる人達。
自分もヒロインAが大好きだけど、あの子ももう20歳近くだからいくら奥手でも自分で行動できるだろと思っているし
未だに主人公から告白されるのを待っているとしたら流石に嫌になる。大昔のディz……プリンセスじゃあるまいし(実はプリンセスだったが)
めちゃくちゃ強くてかっこいいヒロインAが恋愛に奥手なのはキャラ設定として良いけれど、18歳かそこらで恋愛面が何も成長してなかったらがっかりする。
別に主人公から自立しろとは思わないが、せめて一人の女性として受け身ではなく自分から前に進めるようになって欲しいと願ってる
中には「ヒロインBと主人公がくっ付いて欲しくない」から「ヒロインAがかわいそう」と言っているのが透けて見える主人公推しの人もいる
ヒロインAを言い訳にするなと思う。「一読者の自分が主人公とヒロインBにくっ付いて欲しくないから」とはっきり言えばいい
主人公はA,Bどちらとくっ付くかなんて自分はどちらでも良いと思ってる。元々作品自体の話が好きなのでそこはさほど重要ではない(雑にやって欲しくも無いがそこは心配していない)
3人のキャラが物語の中で決着付けてくれればいい事で、一部の読者が騒いでどうこうなる事ではないと思った
(追記1)
完全にチラ裏の落書きのつもりで書いたから反応もらうとは。びっくりした。
1作品を例に挙げて心の中で思っている事をぼやいただけで特に反応が欲しいと思ってなかったけれど、ぼやかして書いたら結構色んな作品を思い出すなと自分も思った。
(追記2)
たまに「絵がうまくなるには」みたいな記事を見るので
私がまあまあ描けるようになるまでの経緯を載せておく。
めちゃくちゃうまくもないがなんとなくときどきpixivのランキングにはいれたりRTを稼げたりはする程度。
もともと授業中にらくがきをしてしまうタイプの子どもではあった。
二次創作絵も描くことはあったが、下手くそで自分でがっかりするのであまり熱心ではなく、もっぱらなんとなく、好きな漫画家の真似をしながら意図もなく女の子や男の子を描いていた。
なんでか意味もなく女の子の目に涙かいて泣かせるとかね、よくあったよね。
某漫画のファンサイトで300*300の大きさに狂ったようにマウスで絵を描いていた。
もちろんこの頃も下手くそだったが、同い年くらいのこどもたちがなれ合いでほめてくれた。
なにもかも人まねだったし稚拙だったし、お絵描き掲示板の機能は制限されていたが、「人に見せるため」の絵をたくさんかけたのはよかった。
自分の技術でも、すこしはかわいいとか面白いとか思ってもらえるように、モチーフや色使いや画面内の余白を意識したり、人の絵を観察する習慣がついた。
細部をちゃんと描くとほめられるし説得力がでることに気づいたので、服のディティールや靴や小物なんかを面倒がらず資料探してかくようになったのもこの頃。
http://www.asahi-net.or.jp/~zm5s-nkmr/
しばらく小手先で描いていたものの、ガチで上手い人たちの絵がうらやましくなったので
当時流行っていたhitokakuではじめて「アタリをとる」という概念を導入した。
「上手い人たちは、顔を描くときに十字を描くらしい」
ということは知っていたが、他はなにも知らなかったので
頭のバランス、人体の骨格、全然できなかった手や足の描き方などをここで知った。
じゆうちょうを一冊買ってきてお手本を真似していると、「自分に描けるもの」が飛躍的に広がったのを感じてすごく楽しかった。
この頃にペンタブを買った。
東村アキコが「ロボット設計図」とめちゃくちゃにバカにしていたが
「写真を見て漫画絵にレンダリングして模写できる」というのは結構習熟の必要な作業だと思う。
「絵心」ってなにか、といったら、見えてるところから見えない部分を想像する能力じゃないかと思う。
立方体を見たときの底面、手のひらを見たときの手の甲、立ってる足を見たときの土踏まず、顔を見たときの眼球。
目で見えてる範囲から見えない部分へどう繋がっているか、がわからず、「目に見えたものをなぞろう」としても、絵に落としてもなんか不自然になる。
なぞり書きだってうまくいかないときがあるのに、模写となるとなおさらだ。
私には絵心がないので、それを理論的に教えてくれる「ロボット設計図」はほんとうにありがたかった。
お絵描き掲示板が下火になってくるとsaiを手に入れ、色塗りの技法や効果をお絵描き講座から仕入れて画面を華やかにできるようになった。
なんとなく上手く描けないな?というときもあったんだが、誤魔化しごまかしでなんとなくそれっぽい絵を描いていた。
ただ、漫画に挑戦してみた結果、ものすごい量の課題に否応なく気づかされた。
大きく分けて次の三つ。
2:意外と描きたいポーズが描けない。
3:白黒で見たときに絵の魅力がない。
背景を誤魔化すにも限界があった。
それまでも、ときどき思い立ってパースについての解説をぱらぱら眺めてみたが
「あー、ふーん、相似ね? なるほどね???」
ただ、人物からアイレベルを求めたりする解説がネットにいくつか掲載されるようになり、そのおかげでなんとなくそれっぽくできるようになった。
パースかんたん解説1:アイレベルの求め方 | 摩耶薫子「着物の描き方」発売中 https://www.pixiv.net/member_illust.php?illust_id=3933143
今も三点透視でばりばりに背景描けるぜ!って感じではなく
なんとなーく一点透視や二点透視のやりかたがわかったな、という程度だが
今のところそれで困ってないので、なんとなくの知識とパース定規を駆使してなんとかしている。
ビルの谷間を駆け降りるような絵が描きたくなったらまた頑張ろうと思う。
あとは、人体のパースという概念を手に入れたのはすごく大きかった。
それまでも、たとえば奥から手前にまっすぐ伸ばした腕やあぐらを組んだ足なんかがうまく描けないという自覚はあったのだが
人体のパースがわかってないからか!と気づいたときは目から鱗だった。
『やさしい人物画』のパースのあたりが楽しくてたくさん描いた。
http://loomis.sblo.jp/s/ (※原書)
それと、人物を描くとき、アイレベルより上をあおり、下は俯瞰、と意識して描くようになった。
それまではなんとなくぺらぺらしていた自分の絵に立体感が出た気がして、これも嬉しくてたくさん描いた。
漫画のなかで、どうも自分の描くポーズが硬い気がして嫌だった。
たとえば歩く人を複数人描いたときに、左右どちらの足が出ているかの違いしか出せないこと。
本当はちゃきちゃきした歩き方、靴を引きずるような歩き方、スカートとズボンの違い、ヒールと革靴とスニーカーの違い、色々あるはずなのに、絵のなかでそれが表現できない。
たとえば座ってごはんを食べる時に、背中を丸めただらしない食べ方や、へんなコップの持ち方や、そういう「絵にならない」瞬間が描きたかったし、そういう絵のある漫画は魅力的に思えた。
これについては「他人を観察する」というのを意識的にするようになった。
居酒屋のシーンを描くなら居酒屋で、電車のシーンを描くなら電車で
ばれない環境なら真似してみるのもよかった。
もちろんその場で全部覚えられるわけでもないが、インプットした分は絵を描くときになんとなくにじみ出てくる気がする。
白黒の絵の魅力はすなわち描線の魅力だと思う。
グレーで細かく陰影をつければ疑似カラーみたいにできるけど、それは私の描きたい絵ではない。
線の魅力って不思議なもんで、絵のうまさや好みとは別のところで
すごく魅力的でいきいきした線の人がいる。
もしや才能なのか…と思いつつ、ペンの設定を変えたりソフトの補正を調整したり、何より繰り返してかきながら自分の思ったような線が描けるように練習している。
hitokakuのはじめは「◯と│をひたすら描こう」と言われるのだが、当時の私はほとんど飛ばしていた。
最近またやってみている。
私は「基本から、教本にしたがって、積み重ねるように」練習をするほどまじめにはなれなくて、
その時その時で絵を描きながら、「もうちょいこういう風に描けたら楽しいのに…」というフラストレーションが自分のなかに溜まったら練習する、という感じでここまで来た。
もともと私のやる気はそういうふうにできている気がする。
道具もあまり新調しなくて、
今使ってる道具をうんざりするまで使い倒しながら
新しいソフトほしいあたらしいペンタブほしい、とフラストレーションが貯まったところで買うと
わー!なんてべんり!なんてすてき!!と思えて格段に楽しくなる。
と思う。
そして、好きな作品であればあるほど、顔をかわいく描くことにすごくこだわるようになる。
ひとつの作品をねっちり長く描くことも、ちょっと好きな作品をたくさんかきちらかすことも、どちらもすごく絵の練習になった。
前述のように私は今もまだまだ完全に描きたいように描けるわけではなく練習中の身だが、
あんだけ有名なスタッフ集めてもこんな箸にも棒にもかからない展開で終わらせると思ってなかったよ
てか完全に尺不足でしょ、2回も特番かけたの何だったの本当
尺で割り切れなかった点で言えば錦織監督も林さんもキャラクターをさばききれなかったんだという印象がすごくて、ミツルとココロ以外のキャラクターへの配慮がなさすぎた。
特にイクノなんだったんだよ、勝手にパートナー変えられるわ老け込んだ上に弱った身体で医者みたいなことやってるとか、流石に不幸が過ぎませんか
最後三人になった上にうちふたりがソロでフランクス乗ってるのあれなんだったんだ
でも佐倉綾音の断末魔は本当に良かった、ありがとうございます
それと新ナナがあれだけパパの操り人形だったのにもとのナナが出てきたら急に物分りよくなったのも全く得心いってないし、VIRMのポッと出感すごすぎて最後までラボスス感なさすぎて最終話に近づくにつれて盛り下がるのなかなかに奇妙だった。
ロージェノムやアンチスパイラルってすごかったんだなと改めて認識した
キャラクターがおざなりになった結果テーマもぼやっとしてて、コドモたちが新しいオトナになっていくって主題の説得力に欠けていた。
そもそもコドモたちにとってパパたちを含めたオトナが、彼らの生きる規範にならなかったことにほとんど絶望してなくておいおいお前らめっちゃ自我あるやんけってところで肩透かし食らった感が否めなかった。
それとオトナになるということが家族を作るということにひも付きすぎてて気持ち悪かった。同性パートナーとかがどんどん現実で社会容認されてる中でアルファくんが言うような存在も認めてほしかったと思う。
アルファくんたちは性別を捨てた存在だったけど、性別にとらわれずとも社会に共存するような存在として語られる必要はあったんじゃないのって思う。
ただの戦闘狂みたいな終わらせ方するのはあまりにももったいない存在だったと思う。
それかイチゴちゃんがゴローとできてなくてイクノと一緒になるパターンでもよかったと思うけど、ゴローがイケメンすぎたからもう仕方ない。
てかゴロー本当に良かったよね。
セカイ系まっしぐらのヒロに対して「俺たち仲間の気持ちはどうなるんだよ」って言い切ったところね。セカイorヒロインの選択肢でヒロインまっしぐらの主人公に対してしっぺ返しがあったのはこれまでのセカイ系へのカウンターになってたと思う。
思い出したけどこのアニメ殴るシーンがよくなった。
前述のゴローのところはまあわかるんだけど、それまでにフトシがミツル殴ったりフランクス越しにイチゴがゼロツー殴るとか。
若干ワンパターンすぎてやはり岡田麿里の喧嘩はレベルが違うなって思った。
少なからずロボットモノなのに戦闘シーンがよかった回ほとんどなかったし、監督そういうのに興味ないんだなとは思ったけど。今石洋之もっと活躍してほしかった。
いやしかし放送前めちゃくちゃ期待値あげまくってこの終わりになったのがまじで落差がきついわ
普通に見てたらこんなにがっかりしなかったんだけど、勝手にめちゃくちゃ期待してたからすげー落ち込んだんだよね
ただまあ一方でアニメにここまで期待してた自分に対してまだいけるやんけって思ってるところもあるんだけど
それにしても最終話の台詞回し全編通してダサすぎたのが決定打だった気がする
もっと推敲してきれいに書こうと思ったんだけど、別に生産的な文章になりそうにないし増田にだらだら書くだけにした。
アァー
女子高生時代、オーストラリアへホームステイに行った。2、3日程度だったと思う。
ホームステイは出席番号順。運よく仲の良い友達と一緒に行くことになった。
2人でペアになり、ホームステイ先の紙を渡されて、何をプレゼントするか等を話し合う時間が設けられた。
え?弁護士!?色々美味しいもの食べさせてもらえるかも!ひゃっほー!!!
扇子やドラゴンボールのオモチャ(海外では結構人気らしい)、折り紙を持って行くことに決めた。
空港にて。
何をするのかも全然分からない状況で、とりあえず美女の前に立った。
そうするとニコリと笑ってサムズアップ。GOODサインをしてきた。
美女は何も話さず、にこりと笑って親指を立てるのみ。私も同じように笑顔で親指を立てた。
鬼のような形相になったと思ったら、親指をカウンターに押し付けるジェスチャーをしてきた。
――あ、指紋認証??
英語で話してくれれば何となく理解できるのに、何故無言だったのか。
オーストラリアについて、ホームステイ先に行くと 夫婦の他に溺愛していると思われる愛娘が居た。
面倒になってきたので淡々と書くと、
翌日、「弁護士の仕事に行くから車に乗れ」と言われて車に乗り込み、そのあと訪問先の広いお庭(森)で待たされること3時間。何もなし。
友達と「あ、お馬さんだー、ぱっかぱっかー」「あの鳥、ぴーーーぎょぇえ、ぴーーーぎょえぇって鳴いてる!うあははは!」
「ねぇねぇ、ここ木で穴掘ってみようよ。うへへへへ」と、とち狂った。その動画は今でも手元に残っている。
晩御飯はピザだった。オーストラリアに来てピザ! 正直、ピザー○の方が美味しいなと思ってしまった。
おっさんと話していると「前に来てくれたミキちゃん(?)は英語上手かったのになぁ」と嫌味を言われた。
その翌日、また「弁護士の仕事に行くから車に乗れ」と言われて車に乗り込むと、ショッキングピンクの建物に詰め込まれた。
2時間待たされた時に痺れを切らし、友達と外に出かけてホットドッグを食べた。美味しかった。
弁護士の仕事が終わったから迎えに来たあと、「お昼ご飯はコレだ」とチョコバーを渡された。
帰り際に何故かケーキを奢ってもらい、家に帰ると「晩御飯食えないだろ?ステーキ食うか?」と言われ
二人して「ステーキ!?食べる!!ください!」って言ったら笑われた。
ステーキ食うかって言ったのはオーストラリアジョークだったのだろう。許さん。
こんな深夜に2回も地震があるとびくっとする
昨日は11時半くらいに起きたから11時までのセール行けなくてココナッツサブレ買えなかった
昼は今年初のそうめん食べた
そうめんて具が何もなくてもおいしい
2わたべた
5わ100円のそうめんだったけどかったばっかりだったからかかなりおいしくかんじた
揖保乃糸にも負けない
先日のそうめん増田にも食わせてやりたいくらいうまく茹でられた
数年ぶりに茹でたのに
んで午後は何をしてたっけ。。。
格安スマホ乗り換えとかを少し調べたりしてあとはカーニバルしてたのかな
全然片付けしてない
再プレイすると意外と覚えてる
各章冒頭のcgとかね
2章は居間のシーン
3は畳のシーン
それにしても視点がかわるとはいえ同じ話を3週させられるとさすがにちょっとタルイな
でも知識も考える力もない人間がやってももやったまま終わってしまう
なんとなく説明はされてるし小説版できっちり現実を見せてくれるけど
エロシーンはサブライターみたいな人がかいてくれたのかなあとか思っちゃう
好きだったシーンはサブヒロインルートENDと3章最初らへんのほのぼの会話シーンあたりかな
万華鏡の話したりしてるところ
でも原作やってから小説思い返すと学はほんとがんばったんだなあと思ってしみじみするなあ
でもその直前に世界の真理というか美しさは見れてはいるんだよね
聖書の話とかあったけど原作ラストの二人はアダムとイブっぽいなとか
グーグル日本語入力さんがアダムとイブのジレンマなんて候補だしたけどなんぞこれ
ただのJPOPだったがっかり
それか働き始めてすぐのころか
どっちか忘れちゃったな
でも再プレイってのもあるけど影響されるほどのなにかがあるゲームじゃなかったなあ
エロゲとしては異質ではあるけど
なんか外人がかいた本で同じタイトルで内容も同じようなやつのオマージュだったって今更しってちょっとがっくりきてるけどまあそれはそれとして
申し訳無さ、無力感を考えると涙が出てきてしまうのは変わらない
希死念慮も相変わらず消えない
結局片付けせずに死ぬのを先延ばししてるってのがもうアレだけど
甘えだと言われようが現状のまま復職しても絶対すぐやめるか休職に戻るから意味ないと思う
なんとでも思え
もういいんだ
んなことかいてたらもう空が明るくなってきやがった
夏はこれだから
あと15分でセミと鳥が鳴き始める
オウム真理教幹部が一斉に死刑になって、また死刑反対・賛成の議論が盛り上がってる。
自分の立場は、「あのレベルのテロやらかしたら死刑はしょうがないだろ」って感じなんだけど、世の中にはどんな人間でも死刑にすべきでないと考える人もいるらしい。
死刑反対派の人たちはどんな理論で説得してくれるのかなー?と期待してたんだけど、
例の法曹さんの増田も含め、だいたいが「冤罪だったらどうするんだ」理論なのね。
がっかり。
「明確な悪意をもって人を殺めたなら、命をもって償うことはやむを得ない」
つってんのに、
「冤罪だったらどうするんだ!」
って。
クソリプでしょ。
「Aという要件が事実であれば、Bであることはしょうがないですね。」
っていってんのに
「AがAじゃなかったらどうすんだ!」
って、アホの子なのかな?
いやいや、「AはAであることが前提ですよ?」っていっても聞く耳持たない。
「国家権力は信じられない!」とか「警察を信じるのか!?」とか。
いやいや、もちろん国や警察をまるごと信じるわけじゃないけど、それでも冤罪ではない状況だってあり得るでしょう?
って話なら分かってもらえるのかな?
この命題に対して、
「痴漢冤罪で社会的に抹殺される人もいるんですよ!」とか「痴漢は腐れマ〇コどものデッチ上げ!」とか混ぜっ返したら、ミソジニーのクソリプとしか思われないでしょう?
話は、「痴漢が事実だったら」ってとこからスタートしてんですよ。
「女性の意に反して性的な行為を強要するのはいけませんね。」って話してんのに、
https://twitter.com/momigiusagi/status/1013735130609930240
ツイッターでプレバトの東国原の俳句に盗作疑惑が持ち上がってる。東国原は発想がすごいと評されることが多いが、普段からたくさんの句を読んでる勉強家なのだと思う。で思いついたと思ったらどっかで見た句だったんだろう。ただこのことで東国原にがっかりしなくてもいいだろう。実力があるのは間違いない。梅沢とかにいじられて終わりでいいんじゃないか。
欲しいと思うものは1つ2つなのに、それを手に入れるために10個も20個も買って、それでも出ない。
じゃあなんとかダブった人と交換できないだろうかと探してみればこれがまあ高レート。キャラクター指定は当たり前、欲しいものを寄越せと言うだけに飽き足らずいらないものを買い取れという。それでも欲しいから私だっていらないものを買い取る。結果、ゴミが増えていく。
ほかのキャラクターが嫌いなわけじゃない。ただグッズは推しだけでいいかなってだけだ。なのにゴミだと思う。嫌いじゃないのに、引いたらめちゃくちゃがっかりする。
勿論引いたら嬉しい。でもそんなこと一握りだ。なんであの子は来てくれないんだろう、キャラクターの意思なんかないのがわかっていても、そのキャラクターにも拒絶されてる気がして悲しくなる。
10倍の値段でいいから、いっそ20倍でもいいから、欲しいものだけ買わせて欲しかった。ゲーム性なんて一切ないんだ、そのキャラクターのグッズが欲しいだけなんだ。かわいいなって思いたかっただけなんだ、なのに、欲しいものを血眼になって探して、いらないものにお金を払って、ようやく来てくれたこの子を、素直にかわいいって思えなくなってきた。
こうやって離れてく人は離れてくし、コンテンツが衰退したって企業はどうでもいいんだろうな。私が大好きなこのコンテンツは提供側としては当たり前にお金を稼ぐためのものでしかない。わかってはいるけど、目の当たりにすると萎えるよ。
街を囲む山々のてっぺんは雪化粧ですっかり白くなっている。師走も半ばを過ぎ、世間では年末にむけて慌ただしさを増していたが、私の勤める会社のは例年になく穏やかなもので、みなのんびりと業務をこなし、そこには一年が終わりに近づくしんみりとした空気と、その前に控えたクリスマスに対する浮かれた空気が混在している。
その日も、五時を回るころには私の業務はあらかた終わってしまい、六時の終業までの時間を自分の席でもてあましていた。することがなくなるなんて、普段なら考えもよらない。たとえ休日を家で過ごすとしたってなんだかんだで忙しい。いつだって体や頭を動かしているのが当たり前で、不意に何もしていない時間が訪れると、なんだか悪いことをしているような後ろめたい気持ちを感じてしまうのだ。
何かすることはないかな、と思い、作成した書類やファイルをもう一度点検したけれど、仕事は出てこない。
「八坂さん」
居心地悪く椅子の上に佇んでいると、同期の、そして高校時代からの知り合いでもある月島君が話しかけてきた。
「コーヒーでもどう?」
そう言って、彼は笑った。特別整った顔立ちというわけではないけれど、逞しい体と、爽やかで人の良さそうな笑顔は、会社の女の子に好感を持たれている。高校時代は野球部のキャプテンで、当時もそれなりに人気があった。
「そのかわり、年明けからは大変そうだけれどね」
そう答えてから、私はコーヒーを口に含みかけ、普段とは違う香りに気が付いた。
「ちょっと、これ、課長の私物の、あの高いコーヒーじゃない?」
「あ、間違っちゃったかな」
月島君はおどけてみせたが、ボタンを押すだけで出てくるコーヒーメーカーのコーヒーと、間違えようがない。
「ま、課長もたまにはこれくらい部下たちにサービスしてもいいと思うよ」
彼は微笑しながらそう言った。
「たち?」
辺りを見回すと、課長は丁度席を外していて、シマのみんなは一様に淹れたてのコーヒーを啜っている。部屋にはいつのまにか、コーヒーの良い香りがたちこめている。
「知らないわよ」
「大丈夫だよ。課長は通ぶってるけど、違いなんかわかりゃしないんだ。こないだ、コーヒー頼まれてインスタント持って行ったけど気が付かなかったし。ちゃんと確認済み」
「用意周到なのね」
私は遂に苦笑してしまった。
「お、いいね」
「え?」
「いま笑った。やっぱり笑うとかわいいな」
「気持ち悪いこと言わないでよ。びっくりするわ」
「気持ち悪いっていうなよ。最近全然笑わないから、心配してたんだ」
「そうなの?」
「そうさ。いつも根を詰めがちだし、ため息ばっかりついてるし。疲れてるな」
「うーん……」
「まあ、俺は笑わなくてもかわいいとは思うけど」
「もう、だからそういうのやめてって」
「なに、ただ同僚として思ったことを指摘してるだけさ」
向かいの席の山下さんが言うと、月島君は照れくさそうに頭をかいて、自分の席に戻って行った。
椅子の上で、いつのまにか強ばっていた背中をほぐした。私的な会話を持ちかけられると、なんだか変に緊張してしまう。
一人になってから課長秘蔵のブルーマウンテンを飲むと、柔らかで苦みのない味わいがコーヒーを特別好きではない私にも美味しくて、ほっとため息が出た。
仕事が終わり、買い物を済ませると、私は学校にあろえを迎えにゆく。あろえと私は二人で暮らしている。何をしでかすかわからないこの妹を一人にさせるわけにもいかないから、学校が終わって、私が迎えに行くまでの時間はボランティアの学生が面倒を見てくれている。
いつも通りの時間に学校に行けば、大抵あろえはすでに帰る準備をしていて、私が来るのを待っている。彼女は時間にうるさくて、早すぎても遅すぎても不機嫌になる。かといって、定刻に迎えに行っても特別嬉しそうな顔をしてくれるわけでもなく、無表情に近寄って来てそっと私の手を握るだけだ。
その日も、いつも面倒を見て貰っているその学生さんから簡単にその日の彼女についての報告を受ける。普段どおりの問題はあったけれど、特別な出来事はなかったそうだ。それからいまの彼女の学習状況。彼女が主に取り組んでいるのは、会話の訓練だった。
「このところ、すごい成長ですよ」
「前は、何かして欲しいものとか場所に連れて行って、触らせたりしながら単語を連呼するしかなかったんですが、最近ではまず言葉だけで伝えようと試していますね。もともと彼女の中には、話したいっていう欲求自体はあるんですよ。だけれど、うまく話せないのがストレスになってたんだ。普段のパニックも減ってきたんじゃないかな。なんだか全体的に大人しくなったような気がしませんか?」
彼は去年からボランティアをしていて、私たちとの付き合いももう一年半になる。
確かにあろえはこのところ成長していると思う。その功績の大部分は彼によるところだと、私も先生も認めざるをえない。彼はいろいろと勉強してくれているようで、新しいアイデアをたくさん出してくれる。失敗することも多いが、それ以上の成果は上げている。
会話の進歩があまり芳しくなかったあろえに、コミュニケーションブックを導入しようと提案したのも彼だった。当初は色々と不安もあったけれど、結果としては大正解だったと思う。
「ただわからないのは、言葉自体は、結構複雑なものでも理解出来ているようなんですが、簡単なことが出来なかったりします。自分の名前に反応しなかったり。いや、自分をさしてるとはわかるらしいんですが、あなた、とか、お前、みたいな言葉と同じものだと思ってるみたいで、自分から人に呼びかけるときにもたまに使ってしまいます。何度教えても直らないんですよ。間違って覚えてるのかな。気をつけて呼びかければ反応してもらえるから、今のままでも実生活で特別な不便はないとは思うんですけれど」
「ああ、それは……」
気づいたのか、と思いながら、私は言葉を続けた。
「むかし、家でアロエを栽培していて、母がよく話しかけていたから、それと自分の名前の区別がつかないんじゃないのかしら」
「うーん、そう言うのって、あるのかな。」
「ほら、犬なんかも、そうやって名前の覚え違いするじゃないですか」
「そうですねえ……」
彼が考え込んでしまったので、私はそう誤魔化した。
「とにかく、調べておきます。自分の名前をはっきりそうと知らないなんて寂しいですからね」
「すごいぜたふびーむ、つよいぜたふびーむ、じゅうまんばりきだたふびーむ」
歩きながら、あろえはテレビコマーシャルの歌を口ずさむ。鼻歌が出るのは機嫌が良い証拠で、私も安心する。
とても歌には聞こえないその歌に、行き交う人は露骨な視線を向けてくる。私も、すっかりこんなかたちで人に注目されることに慣れてしまった。それが良いことなのか、悪いことなのか知らないけれど。
彼女と手をつなぎながら、家までの道を歩いている。あろえの足取りは、バレリーナのような独特の歩き癖が出てしまっている。つま先立ちで、ひょこひょこと頼りない。ちょっと目立ってしまうけど、別に実害はないし、私の目からするとコミカルで可愛いく見える。
あろえが自分の名前を覚えていないのには、深沢君に誤魔化したのとは別の理由があると思う。
二年前まで一緒に住んでいた母はあろえを嫌っていて、医者に自閉症と診断されても何一つ学ぼうともせず、適切な教育を受けさせようともしなかった。おかしな薬を吐くほど大量に飲ませたり、狐のせいだと祈祷に連れていって棒で叩かせて、活発なあろえが二、三日大人しくなったと喜んでいたが、それはただ動けないほど弱っていただけだった。当時はそんなものかと思っていたけれど、今思うと恐ろしさにぞっとする。足を捻挫しても平気に笑っているほど痛みに鈍感なあろえが動けなくなるなんて、どれだけ殴ったのだろう。
もちろんそれでもあろえの状況は変わらず、変わるはずもなく、すると母は絶望してしまった。自分はとんでもない不幸を背負い込んでしまったと、周囲に愚痴をこぼし自分の悲劇を理解させることばかりに懸命になった。
そして暇さえあれば本人に面と向かって罵っていた。周りが咎めても、どうせ本人は馬鹿で言葉なんかわかりはしないのだから、何を言ったってかまわないんだ、自分はそれくらいつらい目にあわされている、と権利を主張していた。
そして実際、当時の彼女は今よりもずっと言葉を理解していないようで、何も言ってもまるで聞こえていないように見えた。それが、母の苛立ちをいや増ししていたらしい。私が高校に通っていたころ、学校から帰ってくると、母がこんなふうに語りかけているのを聞いてしまった。
「まったく、あろえって本当に迷惑な子供ね。どうしてこんな出来損ないに生まれたのかしら。お母さんは本当に、あろえのおかげでいつも恥ずかしい思いばかりするわ」
母がにこやかな表情で口にしたその言葉の意味を、あろえが理解しているようには見えなかった。彼女は普段どおりの茫漠とした顔つきで、言葉を聞き流し、母がくすぐると、嬉しそうに笑い声をたてる。「ほんとに頭が悪いのね」と母を苦笑させていた。
父親が滅多に帰らない家で、昼のほとんどをあろえと二人っきりで過ごしていた母は、こんな言葉をどれだけ語りかけたのか。とにかく、この悪意に満ちた悪戯のなか「あろえ」と言う言葉はそこにいない誰かみたいに使われて、あろえは名前を自分と結びつけることが出来ないまま成長してしまったんだと思う。
もし、その記憶がまだあろえの頭に残っているのなら、自分の名前など、この先ずっと知らないでいた方が良い。調べてくれると言っていた深沢君には気の毒だし、知ったところであろえが傷つくことはないだろうけれど。
「おかえりなさい」
「ただいまでしょ」
「はい」
あろえは返事をしながら自分の靴をいつもの決まった場所に慎重に置いた。それから私の脱いだブーツの場所も気に入らなかったのか、2センチほど位置を整える。
今日の晩ご飯は和食。きんぴらごぼうがポイントだ。あろえは歯ごたえのある食べ物が好きではない。これをどうやって食べさせるか、が私の挑戦である。
テーブルに向かい合って、自分も食事をしながら、彼女の食べるのを観察している。きんぴらごぼうはあろえのお気に入りのカラフルなガラスの小鉢にいれてある。あろえは二度、三度、視線を投げかけるが、手にしたフォークはなかなか小鉢に伸びない。
私は彼女の小鉢からゴボウをつまみ上げ、自分で食べてみせる。自分の領域を侵されたあろえは、じっと私を見る。
「ゴボウが美味しいよ」
「食べてみてください」
「だめです」
「あ」
彼女はいま、ブックを開かずに自分の言葉で返事が出来た。簡単な言葉だけれど、私は、嬉しくなってしまって、
「よく言えました」
思わず褒めかけて、思いとどまった。返事自体はきんぴらごぼうを食べたくないというわがままな内容だったじゃない。ここで褒めてはいけない。私はしばしばあろえを甘やかしすぎると指摘されていたのを思い出した。気を引き締めて問い返す。
「なんで駄目ですか?」
「なんでだめですか」
「きんぴらごぼう嫌いですか?」
「ごぼうきらいですか」
褒めた傍から、反響言語が出てきてしまう。しかも、どうあってもきんぴらごぼうなど食べたくないらしい。私はがっかりして、ため息をつく。
結局、私の試行錯誤は虚しくにんじんを半分かじっただけで彼女はきんぴらには手を付けずに食事を終えてしまった。
食後には、空になった食器を私のも含めて流しに持ってゆくのがあろえの役割だ。家のことを毎日素直に手伝うのは、同じくらいの普通の子と比べても良くできた習慣だ。難点を言えば、ときに私がまだ食べ終わって無くとも持って行ってしまうくらいだろうか。
テーブルの上に食器がなくなると、あろえは椅子に座ってテーブルに両手の平を貼り付ける。私が食後のコーヒーを出すのを待っているのだ。どうしてだか知らないけれど、この子はお菓子やジュースよりも、コーヒーをブラックで飲むのが好きなのだ。
私がマグカップを並べるのが遅いと、眉間にしわをよせてブックから言葉を拾い出し、コーヒーが出てくるまでその言葉を繰り返す。
「コーヒーください」
「コーヒーください」
与えると、二杯目がないことはわかっているから、時間をかけて一杯を飲み干す。
あろえのなめらかな肌を見ながら言ってみたが、当然のごとく反応はない。マグカップを両手で包み込むようにして、まるで試験会場の受験生のような真剣な表情でコーヒーを飲んでいる。
寝付きが悪くなることもあるし、出来れば夜にコーヒーを与えるのは避けたいのだけれど、彼女の集中した様子を見ると、生活にそれくらいの喜びがあってもいいのかなと思ってしまう。
こうして黙って大人しくしていると、あろえは、うらやましくなるくらい整った顔つきをしていることに気が付く。そして実際、人にもよくうらやましがられる。ただ保護者の立場としては、この子にとってそれは余計な危険をまねく大きな要素になってしまっているから、手放しでは喜べない。
これでもし健常だったら、さぞモテたろう。普通学級に通って、同級生の男の子と付き合ったり別れたりしていたのかしら。そしたら私たちはどんな姉妹になれただろうか。一緒にデパートに行って流行の服をああでもないこうでもないと話しながら選んでいたかもしれない。悩み事を相談しあったり出来たかもしれない。
他人より少し風通しの悪い世界のなかで、この子は何を考えているのだろう。いくらか話すようになったとはいえ、その内容は何が欲しいとか何がイヤだとか、そういったシンプルで具体的な事柄に限られていて、心の立ち入った部分について語られたことはない。何を考えているとか、抽象的な事柄は一度も言葉にしたことがない。誰も彼女の本当の気持ちはわからないし、彼女の方からわからせようともしてくれない。あろえは孤独を感じないのだろうか。
食事が終わると、入浴。あろえが湯気のたつ体をパジャマに包むのを見届けたら、次は私の番だ。お湯に肩までつかり、入浴剤の爽やかな香りを鼻腔の奥まで含み、それをため息と共にはき出すと、あろえの声が聞こえる。また、歌っているらしい。きっとテレビを見ているのだろう。
お風呂に入っている時間が、一番癒される。この町には温泉があるのだけれど、他人が入る外風呂より、一人でリラックス出来る家のお風呂のほうが安心する。私は風邪をひきそうなくらいぬるくうめるので、外のお風呂では熱いのに我慢しなければならないのだ。
体温に近いお湯のなかを体の力を抜いてたゆたっていると、皮膚から溶けてゆきそうだ。本当に溶けてしまったらどれだけ気持ちよいものだろうかと想像する。私であり続けることには、めんどくささが多すぎる。
会社で、笑顔がないと言われてしまったのは少なからずショックだった。外に出ているときはそれなりに愛想良くしているつもりだったけれど、私はそんなあからさまに余裕をなくしていたのか。
もしそうだとしたら、きっとそれは先日の母からの電話が原因だと思う。
「まだ、お前はあろえの面倒を見ているの?」
母と会話になればいつもなされる質問だ。
父と離婚したあと、この家にはもう住みたくないと母は隣町にある実家に帰ってしまった。そして、あろえをもう育てたくないと、家を売ってそのお金でどこか施設に預けようとさえしていた。そこで、丁度大学を出て仕事をはじめていた私がここに残って引き受けることで納得させたのだ。
「当たり前じゃない。お母さんとは違うわ」
「あの子は病気なのよ。あんな獣じみた子が、人間と一緒に暮らせるわけないわ」
母は私の敵意を無視して殊更に心配の感情を込めて言葉を続ける。その親らしく装った態度が一層私を苛立たせる。
「病気じゃないわ、障碍よ。それに、もう暴れて血が出るほど噛みついたりすることはなくなったのよ。お母さんがいたころより、随分と良くなったんだから」
「じゃあ、治るの?」
「だから、あろえのは、治らないとか、るとかいうものじゃないんだって……」
「やっぱり一生治らないんでしょう? お医者さんも言ってたものね。頑張るだけ無駄よ」
そんなことない、と思うが、咄嗟に断言できないのが忌々しい。私が黙ってしまうと、母は我が意を得たりと喋り出した。
「お前は充分やったわよ。もう自分のことをやりなさい。お前はまだ若いのよ? このまま回復の目処がたたないあろえの世話をしながら、お婆ちゃんになっちゃってもいいの? 良くないでしょう? あんなのに関わって、人生を台無しにすることないわよ。お前もまだ一人前になりきってないのに、良くやったわ。恥ずかしがることなんかないわよ。悪いのは私だから、あなたが責任を感じなくてもいいのよ。あの子はお前に感謝なんかしない。お前が死んでも泣いてはくれない。どうせ何もわからないのよ」
私の声から張りが落ちてしまっているのが、忌々しい。 「ねえ、お母さんが悪かったわ。それはわかってるの。だから、お願いだから、お前は自分の人生を……」
母が言いかけた途中で、私は電話を切った。黙り込んだ携帯電話を見ていたら、不意に涙がこぼれて、喉からは嗚咽がもれて、止まらなかった。泣きながら、自分は何で泣いてるのだろうと思った。衝動的で自分本位な母を私は嫌いだ。その言葉に泣かされるなんて、あっていいことじゃない。
私には、どこにも行き場なんかないし、行ってはならない。ここが私の場所なのだ。そして、それは自分で選んだことなのだ。同じ環境に生まれたのに、妹より恵まれて育ってしまった私には、妹の出来ないことをかわりにしてあげる義務がある。彼女のために私の何か割いて与えるは当たり前なんだ。そうに決まっている。私のしていることはきっと間違っていない。間違っていないはずなのに。
自分に言い聞かせていると、くらくらと目眩がしたので、バスルームを出た。体を拭き、服を身につけ、それでもまだ不安が心を支配していて、なんだか心細く、怖い。
「あろえ」
テレビを見つめるあろえの横顔に、呼びかけた。聞こえているはずなのに、反応を見せてくれない。
「あろえ」
二度、三度、感情を込めて呼びかけても、やはり彼女は振り返らない。
「あろえ、こっちを向いて」
泣きそうになった。
https://www.saibunkan.co.jp/lechocolat/soft/ka_swan/images/preswan.htm
今日もSNSを眺めていた。ADHDプログラマの人が書いたはてなブログが流れて来た。
http://simplearchitect.hatenablog.com/entry/2018/07/02/080248
読んだら涙が出てきた。
私もADHDと診断されて、プログラマのようなことをやっている。ブログの人は47年も生きて働いているけれど、私はその半分も生きていない。共感したなんて言うのもおこがましいのだが、一つ一つの事例が胸に刺さった。
遠くから見ていると私は何かが出来てるように見えるかもしれないが、冗談抜きで人の3倍ぐらい時間をかけないと成果が出ない。しかも、中途半端にしか完成しない。
小学生の時、自分は人の3倍時間をかけないとモノにならないことに気づいた。すぐに身につかない絶望感から目を逸らすために、今日の努力は3ヶ月後に力になると自分に言い聞かせた。それなりに聞こえのいい国立大学に入ったけれど、それは他人の3倍勉強したからと自負しているし、実際、合格最低点とコンマ1点まで同じ点数の滑り込みだった。
同僚がバケーションを楽しみながらも、効率よく色々なものをマスターしていくのを横目に、自分は時間がずっとかかり、しかも中途半端。
新卒でプログラマに就職した。俗に言う文系プログラマというやつだ。慣れない土地、見知らぬ言語、慣れない人たち。研修が終わったら、本社に帰社して短時間の業務をする。日誌を書き、添削を受ける。帰って次の日の予習。1度で理解できないため、ノートにまとめて、単語帳をつくる。朝は起きれないので、夜のうちに次の日の服と荷物を用意する。最初の3ヶ月は本当にパンクしていた。毎晩お風呂場で寝落ちしそうになり、浴槽から這い出て洗い場で仮眠していた。
先日プログラミングの技術調査をして、サンプルコードを書こうと思っていてパソコンに向った。やりたかった事は、たった1つのAPIの検証。しかし朝7時から初めて気づいたら15時だった。しかも、終わっていない。ADHDの私が昔から何回も体験した感覚。いつもながら自分にがっかりする。自分が知らず知らずに無意識にやってる見積りでは、「2時間ぐらいでできるかな。余裕を持って」だった。しかし、いつも私の考えている見積りは大幅に遅い方に間違うのが普通だ。
未だに時間の見積もりが上手くできない。優先順位も上手くつけられない。遅れているのがわかっているのに、追い詰められるほどに助けを求められなくなる。何度も何度も同じことを繰り返し、毎回自分の首を絞めたくなる。絶望。
ほかにも、大事なコンクールの時に限って遅刻したり、いつの間にか部屋の足の踏み場がなくなったり、前日に用意したはずなのに忘れ物をしたり、形式の変わっていない勤務管理表を今も書き間違えたり。
ADHDだと言われてから、まだ1年も経っていない。言われるまでは、自分がそうだと思いもしなかった。みんな同じようにミスをしたり苦しかったりする。だからこれらの出来事は、全部自分の集中力が足りないからだと考えていた。
「ADHDの人の一番大きな特徴は、よくミスをするとか時間を守れないということではなくて、その回数が他人より多いことによって自分を責めてしまって、他人よりずっと打たれ弱いことだ」。
思い起こしてみると、もっとも大きな問題は「最初に思ったことと、関係ないことを大量にしていること」だった。ちなみに、次点は、「何かを調べているうちに、前にやっていたことを忘れる」だった。
ストラテラを飲みはじめる前は、起きている時間の8割は、自分が今していること(例えば歯磨きとか)、別のことを複数スレッドで考えていた。そのうちいくつかのスレッドは、過去に自分が失敗した出来事で、もうどうしようもならないのに何度も何度も自分を責めた。
心療内科に行ったのは、仕事に追い詰められて眠れなくなったため、家人の通っているクリニックを勧められたから。鬱になって不眠気味だから、薬で眠れるようになったり休めるようになればいいな、と思ったからだ。
病院で先生に「ADHDだね」と言われて、帰ってその特徴を調べた夜、寝る前にベッドで大泣きした。
苦しい思いをしたとき、精神力が足りないからだって自分を責めなくていいんだ。脳の特徴だから仕方なかったんだ。薬を飲めば、治る病気なんだ。
いまは家人と可愛い猫たちと一緒に、「無理しない」「健康になろう」をテーマに生活を立て直している。ADHDについて調べたとき、「まんま君のことじゃないか」と言ってくれた家人でも、よく分かっていないんだな、とたまに感じることがある。
親にはまだ言っていない。家人が「君が分身したみたいにそっくり」だという彼らも、きっとADHDなんだろうな、と考える。離れて暮らしているから、言わなくても生活はまわるし、できれば一生言わずにすめばいいと思う。
弟たちには、機会があれば言ってみようと思う。私以上に不器用な彼らが、そう望んだとき、少しでも生きづらさを減らせるように。
タスクリストは前からつくっていけれど、ついタスクリストを無視して動いてしまうことが多い。前日までに荷物を用意したり、他人の3倍練習できるようになったのは、繰り返した失敗と後悔の日々から身につけた私の処世術。
精神医療についての話題が増田で盛んだ(時期を若干逃した感はあるが)。自分の場合は医者と薬のおかげでサラリーマン生活を続けることができている人間なので、こんなケースもある(ごく普通にある)と知ってほしいと思い、ここに書いておく。
発症は1年半ほど前。メンタルに突如異常が出る。時期によって異なるが、症状は次の3つ。
一晩に3~4回程度目が覚めてしまう。起きて時計を確認すると午前2時や3時だったりしてめちゃくちゃがっかりする。寝不足がひどい。
常にイラついているわけではないのだだが、出社から夕方頃までの間は魔の時間で、ちょっとしたきっかけで怒りが爆発する。会社で同僚に挨拶されただけで突然感情のメーターが振り切れて暴言を吐きそうになる。社会生命がやばい。
これはこの発症当初ではなく半年ほど過ぎた頃から発生。気分がとにかく落ち込む、自分が劣った人間であるという根拠を脳が勝手にひねり出し始める、意味がないと知りつつ止められない、性欲の減退、性的なコンテンツへの嫌悪感、これまで好きだったものへの無関心、等々。人生がまずい。
このままでは社会生活が送れなくなるという危機感が背中を押し(抵抗なく医者に駆け込めたのはTwitterやはてなで「困ったら医者に頼るのは当たり前だ」という判断基準が刷り込まれていた部分も大きい。この場を借りて感謝しておきたい)、これはまずいと認識した数日後には勤務先から徒歩圏内にある心療内科へ予約の電話をかけた。もう1年以上前のことなのに、電話を切った後の「一仕事終えた」という若干の開放感、そしてこれから未知の何かが始まるのだという不安感はまだよく覚えている。
初診は待たされることが多いと聞くが、昼休みに融通が利く職場環境ということもあり、1週間程度で予約が取れたのは幸いだった。医者では簡単な問診が行われた。
Q: これまでもこんなことが?
A: ない。
Q: 原因に心当たりは?
A: ない。ここ数ヶ月で生活がいきなり変わったわけでもない。イライラとは逆に毎年春になるとメンタルが低調になることはあった。
その結果医師が下した判断は「軽度の双極性障害の可能性があります。薬を処方します。睡眠導入剤も一緒に出しておきます」とのこと。人生初の薬物生活へ突入。
薬を症状によって変えつつ、今は双極性障害の薬、抗鬱剤+精神安定剤、睡眠導入剤、便秘薬(抗鬱剤の副作用に便秘があり、それに対抗するため)を1日トータル11錠服用している。
中途覚醒はほぼ姿を消した。イライラも落ち着いた。眠りの質はあまり良くないものの、ほぼ毎日朝まで眠れるようになった。ここのところは1週間のうちダメな気分になるのは0日から3日程度。1回あたり数十分から数時間続くのでその間はつとめて何もしないようにしている(これも仕事にある程度の裁量があるから可能なことではあるが)。
寝る前に服用する薬が多いので、以前は時折楽しんでいた寝酒は諦めた。副作用の眠気にはかなり苦しんでいる。頭の働きが明らかに鈍くなったという実感があり、「自分はそこそこ頭の回る人間だ」という自負を捨てるために苦労している。これは加齢のせいかもしれないのだがそれはそれでつらい。
医者に行っていなければ極度の寝不足によって遅刻太郎・無能太郎のみならず暴言太郎と化していたことは間違いないので、「医者にかからない」という選択肢は最初からなかったと思う。症状は寛解したり(1週間まったく自覚症状が出ない時期もあった)悪化したりと波があるものの、世間の健常者よりも1歩遅れ程度の生活は送れている。
医者行け。