はてなキーワード: 講演会とは
大学で働いてるけど「雑収入」の枠の収入(講演会,企業研修講師など)が新型コロナでなくなってしまったから,喉から手が出るほど欲しい・・・
ワクチン接種センターで働いていた期間分およびその前後の住居(家賃)・光熱費・通信費・衣服費・食事代・お茶代,クルマ出勤していたならそのクルマの購入価格・維持費を日割りで計算して,合算してざっくりと経費に設定して確定申告すればいい.詳しいことは,知り合いのつてか何かで税理士に聞いてみるといい.そこそこ幸せになると思います.
「かお 自治体立優良病院の大臣表彰を受けた県立姶良病院長 山畑良蔵さん
地域医療に貢献し経営が健全な「自治体立優良病院」として総務大臣表彰を受けた姶良市の鹿児島県立姶良病院。5代目院長を2013年から務める。「ひとえに地域の方が精神科病院を理解し支援してくれたおかげ。うれしく思う」と喜ぶ。
24時間365日受け入れている救急患者は新型コロナウィルス下で増えた。
「精神科は共同生活が中心で高齢者も多く、クラスター(感染者集団)をつくりやすい環境」と考え細心の注意を払ってきた。老朽化した病棟の改築を進め、9月には陰圧設備を備えた隔離室を新たに9室用意。徘徊対応などが必要な感染患者の受け入れも始めた。
志布志市出身。鹿児島大学大学院修了後、姶良病院の前身「鹿児島保養院」に勤務し、30年以上診療に当たってきた。「精神科は病気のために問題行動を起こしてしまう人が、生きていける場所を探すところ」と話す。
かつては長期入院の患者も多く、運動会や夏祭りなど地域と交流する機会がいくつもあった。そのため「精神科救急病棟の運用など受け入れてもらえた」。現在は、講演会を開くなどし、理解を深める取り組みを続ける。「退院後の支援をどうするか。行政はもちろん地域の人との連携が欠かせない」と語る。
学生の頃から人間そのものに興味があり、「医者になるなら精神科」と決めていた。歴史や物理などあらゆる分野の本を読み「なぜ生きるのかという永遠の問いを見つめている」。
日本を愛する一人の同志として英霊になられた記念に彼の保守派としての記録を増田に刻みまーーーーーーーーーす
ドラクエで育ったじじいどもは寄ってくんなよ
彼が多くの反日異分子を成敗して老若男女問わず攻撃してきた英霊だという事実に目を背けて
ちょっとネトウヨこじらせた偉大な人っていうイメージを抱いたまま幻想の中に生きてください
「この反日軍の人達が大震災を足掛かりにして、どさくさに紛れて日本国家を解体」
杉田水脈「生産性がない同性愛の人達に皆さんの税金を使って支援をする。どこにそういう大義名分があるんですか」
すぎやま「正論ですよ」
すぎやま「男性からは言いにくいことをガンガン言っていただくのはありがたいですね」
「『従軍慰安婦』についてはまったく納得できません。当時の政府と軍部は、慰安婦になることを強制してはならないという姿勢でした」
「(大東亜戦争は)決して間違っていなかった」
「あの大東亜戦争がなかったら、これほど次々とアジアの人々が独立を果たせなかったかもしれない」
百田尚樹「アホちゃうか!」立憲・自民議員をともにぶった切るも「政治家がアホだということは……」[新書ベストセラー]
https://news.yahoo.co.jp/articles/edd5ee37af308c1e43d59fde2c5f35f367d5f777
1位の『アホか。』は百田尚樹さんがツッコまずにはいられない92のアホな事件を斬りまくったエッセイ集。その刃は国会議員にも及び、与党野党問わずアホな議員は一刀両断。「50歳と14歳の性交同意」発言で物議を醸し、後に議員辞職した立憲民主党の国会議員を「とんだ変態議員」と切り捨てながら、妊婦の日常生活の苦労を知るためと7キロのジャケットを着てアピールした自民党の議員たちに対しても、大切な命を宿したお腹とどこにぶつけても構わないジャケットを同等と考えるとは「妊婦に対して失礼すぎます」「重りを抱いただけで妊婦の気持ちがわかった気になる厚かましさには呆れてしまいます」と厳しい意見を述べている。ただし、あとがきでは《しかしそんな政治家を選んだのは私たちです。つまり政治家がアホだということは、私たちがアホだということなのです》と笑いを交えながらも、主権者である私たちにも反省を促している。
限界事例か何だか知らないが、欧米では通用しない変態理論を平然と垂れ流す立憲の体たらく。
女性固有にして代替不可能な身体性を分かった気になる自民の独りよがり。
一橋大での講演会がキャンセルされ、さすがの百田氏も反省したのか、ここへ来て対立陣営と見なされていたフェミニズム的主張を自身の出版物で展開するに至った。
年に一回、飲食がからむあるイベントの主催をやっている。といっても、仕事よりは趣味に近い、利益はほぼ出ないようなレベルのもの。
いまはちょっと大きくなったけど、最初のころは規模も小さくて、自分はボランティアどころか持ち出しもしていた。ただ、他の仕事に繋がったりもしていたし、なにより自分が楽しく、参加してくれる人もポジティブで、規模もまあ大きくなっていって、自分にとっては大切な仕事だった。
コロナ禍になって、去年は中止にした。今年はとても迷った。迷って、少し進行して、でも結局止めた。他のイベントとかよりも判断する悩ましさは少ないかもしれない。飲食からむと、どうしようもないというか、諦めがつく。
自分が怖いのは、そこにあった「強制力」のようなものが失われている感覚があることだ。また来年ねと、参加者と別れたのにその来年がなくて、行くか行かないか、選ぶ時間ができてしまう。毎年バイトしてくれていた人へ中止の連絡をしたら、返事がこないとか、地味に辛い。別に行かなくてもいいんだよな、と冷静?になってしまうんだと思う。
去年はまだ繋がっている、次に繋ごうという気持ちが感じられたけど、今年はみょうに、ぷつんと糸が切れたような感覚がある。だからか、自分はFUJI ROCK開催は、今はないよなと明確に思いながら、怒れなかった。こんなに小さいイベントでもそうなんだ、大きくなったイベントは、断絶は怖いだろうと思う。
やるかどうするか悩んでいたときは、飲食のイベントはもちろん、音楽イベント、物販イベント、舞台や講演会、展覧会、学園祭お祭りまで、色々な規模、種類の人が集まるイベントのサイトをいくつもまわっていた。対策の参考だとかいうより、同じように悩んでいる人たちを探していたような気がする。誰か正解?にたどり着いた人はいないかなとか思ったりもした。
来年、イベントができるような状況になったとして、自分はイベントをするだろうか。したとして、それは前と同じイベントなんだろうか。
竹田恒泰さん、二審も敗訴 「差別主義者」ツイートは名誉毀損にあらず「公正な論評」
https://news.yahoo.co.jp/articles/60913911deb09052f7ff16bf32a98d844fdc2524
このニュース記事について思うところがあったので投稿してみます。
ざっと関連ニュースをネットで検索した程度の知識ですが、この裁判にかかる大まかな流れは、
・2019年、富山県朝日町の教育委員会が竹田恒泰氏を講師とした講演会を計画
・山崎雅弘氏が「(竹田氏は)教育現場に出してはいけない人権侵害常習犯の差別主義者」などのツイート。講演会は中止へ。
…というもの。
引っかかったのは、<差別主義者だ>とのツイートを、裁判所が<公正な論評>としたところ。
竹田恒泰氏が、これまでに「差別的と捉えうる発言をしていた」ことは否めないかと思いますが、それをもって「氏は差別主義者である」と断じること、そしてそれを裁判所が「公正である」と判断することは、果たして適切なのか。
今回の一連の流れは、「竹田氏は差別主義者であると裁判所が公式に認定した」と捉えられかねず、実際ツイッターではそうした内容のツイートが散見されます。
裁判所が、個人がとった「言動」について、法律に照らして是か非かを言うのはわかりますが、その個人の「性質」について言及するのは、司法の取り扱う範疇を超えているのではと思い、とても引っかかったのですが、どうなんでしょう。
例えば、「人を殴って怪我させたから傷害罪」というのはわかります。しかし「だからこの人は危険人物」と裁判所が論じたとしたら、それは言い過ぎなのではないでしょうか。
ニュース記事からはそう読み取れるというだけで、実際の判決文ではそのあたりの妙もちゃんとケアした内容で書かれているのかもしれませんが、どうにも気になったので投稿してみました。
小さい頃からおばあちゃんに話を聞いてたし、学校行事で経験者の方にお話を聞いたり、毎年8月にはテレビで経験者の方がお話しされているのを聞いて、それがなんだか当たり前のことのように思ってしまっていたけど、
今年でもう戦後76年、悲しいけれど戦争経験者の方で寿命を迎える方も多くなってきて、でもコロナで講演会も中止になっていて、どんどん直接話を聞ける機会って少なくなっていって、、
それに追加してふと思ったんだけど、私よりも若い世代の子の祖父母は戦後に生まれた方も多いと思うし、今直接気軽に戦争の話を祖父母や親戚に聞けるのって私たちくらいの世代が最後なのかも。
(もちろんおばあちゃんには100歳まで生きて欲しいし、今生まれたばかりの赤ちゃんが中学生くらいの歳になる頃にも講演会とかあったら嬉しいけども!)
おばあちゃんも今なかなか会えないけど、次のお休みに電話して、改めてちゃんと話聞いてみよう。
文章ぐちゃぐちゃなんだけども、いつか自分がおばさん、おばあさんになった時に若い世代の子にちゃんと「これは私のおばあちゃんの話なんだけど...」と伝えられる人になりたい。
学生のころアフガニスタン専門の日本人研究者やジャーナリスト、現地人の人権活動家や留学生の講演会に何度か行った。
「タリバンというのはイスラム原理主義で、支配地域で異教徒や言論の自由を認めずに公開処刑するわ女性の教育を禁止してブルカを強制するわのろくでなし連中であります」
という説明を、昔の美しい街並みや綺麗な花畑やタリバン支配後の同じ場所の廃墟のスライドと一緒に聞かされて(実は街が破壊されたのはソ連侵攻で、花畑が荒れ地になったのは大旱魃のせいと後で知ったが)、
「へぇ、酷い連中がアフガニスタンを支配してたんだな。アメリカの援助で民主的で平和な国になるといいな」と初心な自分は素直に思ったのだった。
だけど、ちょっと深くあの国の歴史を勉強するとそんな単純な善悪の図式じゃないことにはすぐ気づいた。
タリバンが出てくる前から、王党派やソ連の援助を受けた共産勢力や軍閥が内戦を繰り返していて、それぞれのグループの内輪でもさらに小さな部族単位での小競り合いが絶えないカオスがアフガニスタンだった。
そんな中でイスラム主義による世直しを掲げた学生や知識層の運動としてタリバンは生まれた。
自己利益しか考えない腐敗した各軍閥に比べて、イスラム法に基づくある程度は公平でクリーンな統治を行うタリバンは草の根の支持も集めてアフガニスタンの支配勢力になった。
アメリカはタリバン政権を打倒して形式としては民主的な選挙で選ばれた政府を建てたが、中身は昔の腐敗した軍閥のままで、地域ごと、官庁のセクションごとに部族が利益誘導をする、全くバラバラの政府だった。
侵攻から20年かけても日本の明治維新のような国民国家の建設ができなかった。
「タリバンのような暴力的な組織に対して同じように暴力的に反撃するなどできません」
この他人事感!
そこは現実には無力だとしても「私は女性ですが武器を取って最後まで祖国を守ります!」と言うべきだろうと。
こんなことになる前に彼女は、「女子供の人権が守られる世俗国家を防衛するために戦って! 私たちを守って!」と夫や兄弟や息子たちの尻を全力で叩くべきだった。
世俗国家の恩恵を一番受けるであろう都市部の知識階級の女性という立場ですら国民意識が無い。政府軍の兵士がすぐに逃げ出し、司令官があっさり降伏して無血開城したのも当然というもの。
動画の女性のこの後の運命が、西側への協力者としての処刑か、戦利品としてタリバン兵士の第二婦人として分配されるのか、かなり幸運なケースとしてブルカを被り家族の男たちに庇護されて静かに暮らすのかは分からない。
なんにせよ、もうすぐタリバンが正統な政府となるのだから、アフガン人は民主主義と世俗主義よりも、イスラム法と部族の慣習への回帰を願って戦って勝利し、彼らの国を取り戻したということだ。
笑うしかない。
高校生のワクチンに対する誤解に驚いた…!若い世代の「ワクチン不信」の根にあるもの
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/85833
筆者の稲葉 可奈子医師、自身で運営するみんパピサイトによると京大医卒(厚労省サイトではH20)、東大で学位取得。
卒後市中病院・大学病院等での勤務を経て現在は関東中央病院産婦人科勤務とのこと( https://minpapi.jp/staff/ )。大きな病院、名のある病院にいる間なら
そのネームバリューにより、見ず知らずの若い医師でも通院してくるぐらいには信用されていたことだろう。また、自身も研鑽に励んできたことだろう。
わたしは産婦人科医なので、HPVワクチンの説明をする機会も多いのですが、「なんとなく不安」な人というのは、正確な情報が届いていないため判断材料がない、もしくは、自分で調べてもネットにはあまりに多くの情報が氾濫しており、どれを信じてよいか分からない(往々にして不安な情報の方が印象に残ります)ため、判断しきれないまま接種をためらっています。そういう人の中には、かかりつけ医に質問し、正確な医学情報に基づいた説明を受けることで不安が払拭される人もいますが、医師に質問する機会がない人もいます。
まるで、「正しい情報」をあなたが話すれば必ず信用され不安が払拭されるでもといわんばかりだけど、あなたが一人の医師として見ず知らずの高校生に話したとして、どうして信じてもらえると思うの?
・こういうの学校で教えてくれたらいいのに
という声が多数届きます。
っていうけど、あなたの話聞いて「うさんくさ」とか思った人がわざわざ「いややっぱり接種しません」とか声を届けに来ると思う?もうその時点で入ってくる情報にバイアスかかってるよね。
ワクチン不信の根底にあるもの? そりゃ医療や保健行政に対する不信感そのものなんじゃないのかね。私が卒業したころは医療におけるエラー削減など掛け声ばかりで、現場では各医師テキトーな
医療やってて看護婦(当時呼称)が何か意見しようものなら烈火のように怒りだす人もいた。ぺいぺい(PayPayじゃないぞ)が疑問を口にできるような雰囲気ではなかった。そのような環境で
「医療ミス」は割かし頻繁に起こっていた。大事に至るのは少ないが、それをエラーの防止に役立てようなどという意識は低かったように思う。製薬業界との関係ではプロパー(当時呼称)に
たかるのは当然で、ことあるごとに薬の説明会と称して、製薬企業もちの昼食付き講演会、飲み会が行われていた。つまりはもうべったり「もちつもたれつ」みたいな意識だった。COIなにそれ?状態だった。
世間が白い目で見るのも当たり前と言えば当たり前で、こんな過去があって今に至るのに、最近マシになってきた上澄み部分しか知らないような人が「医者がちゃんと説明ればわかってもらえる」とかナイーブすぎて苦笑してしまう。
私の場合で言うと、インタビューや講演の形態が変わった。それらはほとんど全て、ビデオミーティングとウェビナー(オンラインの講演会)になった。
しかし、人びとの固定観念が依然として残っていることを強く感じることが多い。それは、「どれだけ犠牲を払うかが重要」という考えだ。
例えば、オンライン講演会の最初に、司会者が「このような形で申し訳ないが、コロナ下なのでご理解いただきたい」と言い訳を言う。「本来なら会場を準備し、そのためのコストを払わなければならないのに、それを節約しているから、申し訳ない」という意味なのだろう。
しかし、これは妙な論理だ。参加する側から見れば、オンラインなら全国どこからでも簡単に参加できる。それどころか、海外からでも参加できる。参加の可能性はリアルな講演会に比べてはるかに広がっだ。
それにもかかわらず司会者が言い訳をするのは、「講演会が提供する成果ではなく、それに掛ける犠牲(コスト)が重要」という考えがあるからだ。
インタビューについてもそうだ。
「直接の対面取材でなくzoomで申し訳ありません」というお詫びを言われる。ある人は「記者は足で稼ぐ商売なのに申し訳ない」と言った。しかし、ズームミーティングにしてほしいとは、こちらが望んだことである。
交通費と時間をかけて取材に来るべきところ、それを節約しているから申し訳ないと、言っているのだ。この論理は、先の講演会司会者のそれとまったく同じものだ。
この事件では、加害者である海津雅英が飲酒の上スマホ操作しながら運転をし3人を轢き殺した事件だ。
結婚して家庭を持ち子供ができたかもしれない。そしてその子供は立派な人間になったかもしれない。
加害者は当初「過失致死傷罪」で懲役7年(最大)実刑を受ける予定が、
罪が軽過ぎるということで全国から署名が集まり「過失運転致死傷罪」懲役22年の実刑判決が下った。
加害者は事件当時33歳。出所する頃には60歳近くになっている。
仮に加害者が心の奥底から反省し改心し更生したとして、未来ある3人の人間を殺した罪を償う程の
功績を60歳から残せるのだろうか?
「私が犯した罪」と称して死ぬまで講演会を行い、そこで厳しい批判を浴びつつもひたすら飲酒運転撲滅に取り組む。
それで償えるというのか?
個人的にこういった犯罪の加害者の更生は無意味であり、出所後に社会の役に立つとは到底思えない。
飲酒して運転してはいけないという基本的なことを守らず3人を殺した人間が、出所後にそれを償えるようなことができるのか?
懲役とは。罪を償うとは。一体何なんだろうか。
真っ先に変えるべきは日本人の「思考」 オードリー・タンが貫く「透明性」と「多様性」:「前例がない」をやらない理由に(1/5 ページ) - ITmedia ビジネスオンライン に対するブコメ
id:tikani_nemuru_M 「日本が台湾に学ぶべき点は多くある。その代表例が政府や社会のデジタル化」いや、見習うべきは透明性・公開性・迅速性だろ。で、それに適したツールがデジタルというわけで。既得権益優先で透明性を否定する日本。
もし仮に、「透明性・公開性・迅速性」が実現したとしよう。そうすれば、恐らく「腐った政党政治にうんざりした大衆が、清く正しい軍部を台頭させた」というのに似た状況が生じるだろう。
先日の「#この指止めよう」の代表が、過去のTweetを掘られて自爆したような事態が、そこらじゅうで起きるのは間違いない。
この状況で有利になるのは、真面目で折り目正しい人間であり、しかし、そういう連中は必ずしも善人ではないという問題がある。
例えば、白饅頭はTwitterやnoteの運営から凍結やBANなどを受けていない。実際、彼の発言はそういう意味で問題ない。しかし、多くの活動家は、自分たちの発言に対する批判を「トーンポリシングだ!」と言わねばならない程度に、危険な発言を繰り返している。
そして、白饅頭はnoteなどでそれなりに稼いでいるのは間違いないが、公金を元手にしているわけではないので金銭面もクリアである。むしろ、多くの人から集めた金を使うNPOや労働組合などの団体、科研費などの公金を受け取っている研究者、講演会などを行う文化人などのほうがよっぽど厳しい状況に立たされるだろう。白饅頭がnoteの売り上げで焼肉食ったり、麻生が自分の会社のあがりでお高いスーツを仕立てたりするのは、どうやっても叩きようは無いが、労組の幹部が良い暮らしをしていれば労働貴族と叩かれること間違いなしだからだ。
「透明性・公開性・迅速性」が達成された社会における勝者は、一切金を受け取らず、不穏当な発言もしない、青識亜論のような男なのだ。
これが差別と言われたら差別なんだへーという感じなんだけど現実として大多数が思ってることだと思う。
LGBは性的指向の話だ、だれを好きになろうと構わないと思うけどわざわざ話してほしいなんて言ってないのに自ら話して場の空気を悪くし人間関係がこじれる。
周りの人の理解が足りないからとか言っちゃう人は普通に考えてほしいんだけど、いきなり俺は女性/男性が好きです、と言ってくる人間に対して
お、おぅ、以外の言葉と何だコイツという脳内セリフ以外が出てくる人間が果たしているのかという。
認めろ!理解を示せ!というのもそもそもが少数派なのだから、あなた方は多数派よりも圧倒的にクリーンに真っ当に、或いはそういった人たち以上に社会に対して貢献しないと認められないものだ。それをいきなり「差別」という都合のいい武器を振りかざしてぶん回す、正直一部がそんなんでは現実を見据えそういったところをオープンにする場所を選んで生活してる人たちに対して糞迷惑な話である。
Tの人たちは性自認の話、ただ私は女性の心を持った男性の体を持つ人間或いはその逆というのをどう実生活で周りが即把握できるというのか。
スポーツの話でもそうだ、これは前々から言っていた人がいた。スポーツ全般本当に平等に競うなら性別という括りを取っ払い、格闘技なら重量、陸上なら距離というように性別以外の区別はつければいいと。こうすればどの性別を主張しようとパフォーマンスの良し悪しはそのアスリート個人の努力と成果によるようになる。これは競うことの機会そのものを奪ってはいないし、なんならTの人たちにも機会をきちんと与えている時点で1番平等と言えそう、その代わり上位を完全に男性が占めようともだ。これは現実世界仕事の話でも言えるのだがスポーツにこれを持ち込むと途端に差別という人が出てくる。仕事でもポストは誰にでも法律によって開かれている、だが妊娠して長期離脱するかもわからない、生理で月に何日かは或いは半分以上が絶好調からは程遠いパフォーマンスになるという女性やTの人たちに対して、妊娠しないし産休とはいってもたかが知れてる、生理というものがない、元々体力的には女性より優れている場合が多い、この条件で同じ位の仕事を任せる話になったら誰を選ぶよという話。
こういう差別を訴える人は現場における適材適所、敵者生存という話をかなぐり捨てて理想論を掲げる、ただのロマンチストだ。
そんなんで世界がうまくいくならとっくに上手く言ってる。
変えたいならまっとうな方法で帰るしか無い、社会活動とは名ばかりのデモをやったり、講演会をしたり、SNSでロマンを垂れ流す暇があったら金を稼ぎ自分の思想に呼応してくれるかもしれない政治家を見つけて献金しまくって議席を取りそしてそれを繰り返す。そうやって根幹の部分を変えるしか無い。
性別を超えた全体のための声なら政治家も献金せんでも声をあげるだろうけど、特定思想の人たちはきちんとそうやって戦略を練って自分らを犠牲してでも成し遂げようとせんと変わらんよ。
このコロナ禍の中で、国会議員たちの政治資金パーティなど何度も行っている。
ただ、ほとんどの議員はパーティとは名ばかりで、”ありがたい講演”を聞く会であり、よくある飲み会でどんちゃん騒ぎなんてものはない。
強いて言うならば帰りがけにご挨拶をする接触をするが、マスクもするし、長い時間話し込むことはしない。
もちろん、大きな会場にソーシャルディスタンスを保ちながらもたくさん集まることには変わりないが…。
昨今のニュースでは"政治資金パーティ"というワードが独り歩きして、飲み会して…というイメージを世間は持っているようだが、少なくともコロナ禍以降は上記のような体裁を取っている。
じゃあなぜ高い金を払ってまで政治資金パーティに我々は参加すると、我々の業界の意見を進言することで政策的に反映させてもらうためである。
はっきり言ってどの業界も同じだろう、メーカー、金融、建設、医師会…、各々が意見を進言するために、仕事を回してもらうために、日々政治資金パーティに参加し、顔を売り、15分という短い時間でもアポ取って議員会館でご挨拶させていただくために日夜ゴマをすっている。
例えば、仮想通貨がこれだけ浸透しているのに、法外な税率だったり不利なままであることや、IT業界がこれだけ議員に理解されず制作的反映されないのは、こうした業界のゴマすりが足りないのではないかと思慮する。主観だが。
こんなやり方腐っているともちろん思う。いや正直、本当に糞だと思う。
でもそれってはっきり言って、デモを起こさない我慢強い国民で、若者は選挙にも行かないし、選挙に出る尖った若者(政治的地盤のない者)の足を引っ張る風潮やマスコミのリテラシーの低さが、いまの与党議員たちを生んでいると思うんだよね。
マスコミっていう話で言うと、例えば、山本太郎の意見は正直過激で理想論もあるかもしれないが、ああいうことをいう議員が与党を脅かす存在として一定数いない限り与党は腐敗していく。マスコミはこうした野党をメディアなりに呼んで、単純接触で増やしていかないと本当に与党独裁体制になる。
他には、吉村さんがあんだけテレビに出ていること、それ自体の行為に批判あるかもしれない。しかし、事実日本国民は維新の会という政党を全国民にしっかり知らせることができ、何も考えないようなピュアな人たちは「吉村さん頑張っている…!応援しなきゃ!」という人種を生み出してくれているのだ。与党への脅威である。
まぁ立憲民主党という野党もいるが、、、足を引っ張る主張や批判よりも、もっと理想を並べて、メディア露出を増やせばうまくいくはず。所属議員が軒並みアホすぎるので無理だとは思うが…。
一方で、議員も議員サイドで、政治資金パーティで金を集めない限り、活動が厳しいらしいのだ。
もちろん、その集められたお金の中には無駄遣いも往々にしてあるだろう。
議員特権というやつで、私腹を肥やしている議員もいるに違いない。そういうやつはぜひマスコミや世論が糾弾してほしい。
まとまりがない感じになってしまったが、この国の政治システムは腐敗している。
みんな選挙に行け!現状に不満なら与党以外で一番マシだと思う政党に投票しろ!
(追記)
「仮想通貨が浸透している」ってのはまぁ確かに安い表現でした、すみません。ちなみに、やり取りしてるのは元増田ではなく、別の方ですので悪しからず。。
・米国などでは仮想通貨を原資産とするデリバティブ等の金融商品がある
などの理由からです。「浸透している」自体主観的な考えですので、意見が分かれることは致し方ない部分だと思います。
個人的には、投機的な仮想通貨自体はあまり褒められるべきものではないと考えていますが、ブロックチェーンの技術(パブリックチェーンではなく、プライベートチェーンで)としてはまだ展望可能性があると思っています。この辺りは日銀のレポートあたりもご覧になるといいと思います。
(追記2)
・お弁当が置いてある(立食なし)
・隣と1〜2m空いてる
・会場はホテルの広間みたいなところ
というものでした。
(追記3)
思ったより反応があってびっくりした。いくつか追記しておきます。
→まさにその通り。オンラインでいいことも対面でやるのが議員たちです。試しに議員のTwitterとか見てほしい。
官僚呼びつけて、ソーシャルディスタンスなしで、密集状態で「●●議員連盟の会合をやってやったぜ!」「●●の検討会やってやったぜ!」とやったった感をアピールして写真付きで投稿しているような、バランス感のない議員がちらほらいるから。
ZOOMでセキュリティが…とかいう意見もわかる。じゃあteamsは?webexは?それも全部ダメ?もう知らんと言いたくなる。一生集まることで仕事した感を出しておいてください。
・なぜそんなやつら議員になるのか?
→特に高齢議員たちは先生、先生と言われて介護されてるような人が多いです。っていうか70,80歳の人たちはもう人間のスペックとして仕方ないと思った方がいい。定年制を導入してください。
会社でも65歳定年で、頭脳労働をその年までそもそもできている人って僅かだと思う。
ただ、問題なのは40〜60歳でもテクノロジーや新しい物事について疎い議員が一定数いること。この辺は…正直悲しい。よほど、TikTokやYouTubeに投稿チャレンジしてみいる好奇心旺盛な爺さんとかの方が話通じると思う。極論だが。
または「すいません、名刺は切らしておりまして...」と言うのが板につくようになるまで。
あー、もうかれこれ10年も経過するのか、と思うと感慨深くなる。ヤクザのような(自称)プログラマーに騙されて、多重請負を転々とする羽目になったのも昔の話だ。語尾に「かなーと。」をつけるテック系に誘い込もうとするインフルエンサー達にノコノコついていく若者たちの末路はどうなるのかというのを、オジサンが教えなくてはいけない時期にきていると思い、書き込むことにした。
さて、冒頭に挙げた人物を「A氏」とする。もちろん実在するし、なんなら本まで出版している。今ではツイッターやユーチューバーとして発信している。全く売れてないし、内容も洋書をパクってきたものなので、まったく価値はないがね。
A氏との出会いは、とある SNS だった。ちょっと、嘘を書くが、「どうかな、いちどうちに来ない?」というので、ためしに行ってみると「マーチの文系学生にコーチする、反社会団体に所属してそうなお兄さん」がそこにはいた。
うわぁ、と思ってポカーンとしていたら、「せっかくなので、彼らが作っている課題をやってみて」という。ふむ、と思って、すぐに仕上げた。まぁ、当時の自分は【経歴がクソ】ということを除けば HTML/CSS を使ってブログをやっていたし、Java/Ruby/PHP/JavaScript/Objective-C をひと通り書けたし、Linux の初歩や SQL を勉強していたし、AWS にてサービスを運用するぐらいには気力があったので、当然ではある。
どんなもんだーい、と思ってコードを得意げにみせると、彼の表情は厳しい。A氏は「なにこれ?」というのだ。確かに【わざと】再帰を使って記述したが、シンプルに仕上げたつもりだ。それで「なにって、再帰ですよ?」とかえすと、A氏の表情はみるみるうちに厳しくなっていった。
「ちょっと、バックヤードにおいでや」というので、共同スペースの給湯室に行く。そこで「なんで履歴書を持ってこないの?」からはじまって、散々ディスられて「1日棒に振ったなぁー」という表情していたら、ますます怒らせたらしく、「キミは態度も顔も悪いねー」と言われ、さすがの俺もブチギレる。
もう時間の無駄だから帰ろうとしたら、「ポートフォリオを作ってこい、出来が良ければサ●バーエ●ジェントに紹介する」というじゃないですか。いやぁ、甘かったね、当時の自分は。そんなの、嘘に決まってるじゃないですか。でも、信じちゃったのですよね。
そのあと履歴書を書かされ、【未】登録の派遣事業の会社員(正社員でなく、保険もなし)となり、禁止されている事前面接をされて、客先常駐に無事にはめ込まれましたね。ぶっちゃけ、ここまでは「世間知らずが身ぐるみ剥がされたね、勉強になったね」でおしまいなんですよ。ええ。
本当に書きたいことは、ここからだ。この A氏という人物が許せないのだ。どう許せないかというと「プログラミングや計算機科学に対して愛はないのに、人工知能のことは語れる」と本気で思っているからだ。
知っている人は当然なんだが、【教師なし学習】といった類のものは 1970年代には存在しているのだ。【深層学習】なんてものも、1970年頃には理論は完成していたのだ。どうして、21世紀になるまで注目されなかったのか?それは、ハードウェアの能力が不足しているからだ。そして、未だに不足している。加えて、場末の中小企業が努力しても手に入れられないものがある。それは、【教師あり学習】に必要な音・画像データだったりする。こればかりは、グーグルやマイクロソフトを超えてくる会社は日本にはない。
まぁ、世の中には仕方のないものがある。別のところで勝負しよう。じゃあ、どう勝負するか?そりゃ『技術』でしょ、と普通は思うよね。それが、A氏は違うのですよ。彼の場合は、源泉は「学生を利用する」という戦略をとったわけ。そう、ベンチャー企業がやりがちな「やりがい搾取」ってやつだ。
はっきり言って、社会人をちょっとやったら、彼の言っていることが「感覚的におかしい」というのがわかるのだ。例えば「未認可の派遣事業をやっている」「インターンの成果物で営業する」「講演会や執筆ばっかやってる」とかね。あと、勝手に祝賀会とかに行って「有名人とツーショット」を撮ってくるのよ。その写真でマウンティングしてくるのは、真正のキチガイの所作だと思ったよね。
ちなみに、A氏はアメリカの名門大を出ている(arxivに論文あったからマジ)が、計算機科学じゃないのよね。とある彼の手記を読むと「友人がこれからはAI」と言っていたからスタートしたらしいですのよ。逆算すると、勉強期間はたったの 1年。絶対に無理だってばよ。当時の自分ですら「再帰を知らない人をプログラマーと認めたくない」と思ったし、こいつ計算機科学の知識はゼロに近いと感じたもんね。
A氏の名誉のために書くと、努力はしてたとは思うよ。彼のブログを読んだら、Mecab やら TF をさわっていたしね。まあ、でも、それでも本をかけるほどの実力はないよ。だって、オレ知ってるもん。彼がラ○サーズに執筆依頼していたの見ちゃったし、インターン生に代筆させてたから。
(疲れたので、途中で書くのやめます。どうしてスキルのない AI人材に執筆依頼がくるのか、なぜ A氏はAIにすがるのか、出羽守AI人材に未来はあるのか、は希望があればやります。)