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𝐀𝐧𝐨𝐧𝐲𝐦𝐨𝐮𝐬 𝐍𝐞𝐰𝐬 - 𝐌𝐚𝐲 𝟐𝟐𝐭𝐡, 𝟐𝟎𝟐𝟏
𝐀𝐧𝐨𝐧𝐲𝐦𝐨𝐮𝐬 𝐍𝐞𝐰𝐬についてと、バックナンバーはこちら→anond:20210507172613
今月1日、マイナンバーカードの都道府県別普及率(人口に対する普及枚数)で、宮崎県がトップだということが総務省の調べで分かった。
今月1日に発表された総務省の資料によると、宮崎県の普及率は39.9%で、2位の奈良県から5ポイント差をつけ大きく引き離している。3位の兵庫県の普及率は34.3%で、奈良県と熾烈な2位争いを繰り広げている状況。その下には、滋賀県、東京都、神奈川県が僅差で続く。
宮崎県の一人勝ちとなっている状況であるが、平成29年3月の時点では、トップ3県のほか、東京都、神奈川県、大阪府などの大都市を有する都道府県もトップ争いに加わっていた。令和3年7月には東京都と宮崎県の一騎打ちが見られたが、東京都はその後伸び悩んだ反面、宮崎県は堅実に伸び続けた。
また、今回のランキングで特筆するべきなのは新潟県だろう。新潟県は今月の都道府県別ランキングで最下位だったが、町村別ランキングでダントツのトップを誇る粟島浦村を有するのは同県だ。粟島浦村の普及率は75.3%で、今月のランキングでは下位に14.9%差をつけ1位。平成29年3月から続く連勝記録をまた一つ塗り替えた。
粟島浦村は、日本海に浮かぶ人口340人の小さな島。小さい島だからこそ地元のつながりが強く、住人同士が誘い合って申請を行ったほか、役場の職員が無料で顔写真の撮影を行ったことが好調の要因だという。新潟県は市町村とともに研究会を立ち上げ、最下位脱却を目指すつもりだ。
静岡県下田市の農協組合の職員2人に、詐欺被害を防いだとして、下田警察署から感謝状が送られた。
出来事が起こったのは4月19日のこと。息子を装った詐欺の電話を信じた高齢男性が現金300万円を引き出そうとしたところ、不審に思った職員が警察に連絡。被害を未然に防ぐことができた。
表彰を受けた職員の一人はNHKのインタビューに対し、「高齢な方には丁寧な対応をして、日頃からお客さんと接する時間を増やして、ちょっとした変化にも気付けるようにしていきたい」と話した。
警察庁の資料によると、詐欺の手段として最も多いのが電話で、86.9%を占める。また、詐欺の手口として最も多く行われているのがキャッシュカードを騙し取る預貯金詐欺だが、知名度が高いオレオレ詐欺による被害も少なくないことにも注意する必要がある。
天皇賞の代名詞としてよく用いられるのが「盾」です。表彰式の際に優勝馬主へ下賜される、いわゆる天皇盾からきているものです。国内のレースで盾が手渡されるのは天皇賞だけ。
現在、馬主に下賜される天皇盾の正式名称は「御紋付楯」です。縦56センチ、横(最長部)49.5センチの木材(ラワン材)でできた板に「競馬恩賞」の文字が板金ではめ込まれ、その上部に鋳物で金メッキされた菊の御紋章が輝いています。盾は天皇陛下から賜った唯一無二のものであるため、敬意を表して素手では取り扱わないことになっており、表彰式で馬主は白い手袋をして受け取ります。
41年(昭和16年)に御下賜品は木製の盾になりました。47年(昭和22年)春、「平和賞」の名で行われた際には賞品の下賜がありませんでしたが、同年秋には盾に戻りました。このときから盾は持ち回りとなり、馬主にはJRAが制作した盾の複製品(本物の3分の2ほどの大きさ)が与えられることになります。つまり、現在の盾は47年から使用されているものなのです。
盾はレースが行われた競馬場内の金庫に厳重に保管されているということです。唯一無二の盾で保険は利かないため、輸送は外部の業者に依頼せず、総務課の職員が直接取りに向かいます。しかも慎重を期すために必ず複数(多くの場合2人)で行います。東京―京都間は新幹線、それ以外の行程は全てタクシー移動です。丁重に扱わなくてはならないため、輸送中も気を抜けません。新幹線内では3人掛けの真ん中の席に置き、両隣を職員が挟みます。他の乗客の迷惑にならないよう、あまり混雑しない昼の時間帯に乗車するということです。タクシーでも職員が盾を膝の上に乗せ、抱えて持っていきます。当然、床に置いたりトランクに入れたりといったぞんざいな扱いは許されません。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO29783290U8A420C1000000/
メジロマックイーンが、ライスシャワーが、ビワハヤヒデが、マヤノトップガンが、スペシャルウィークが、ゴールドシップが手にした (そりゃ実際には馬主が、だけど) 天皇盾。時代が短中距離志向になり、スピードが求められる時代にあっても、変わらない3200m先の重み。
テストは大体100点だった。
ただ友達付き合いが壊滅的に下手で、中学に入ったころから学校に居場所がなくなり、年単位の不登校になった。それはここでは省略する。
高校からは真面目に登校し、友達もできて、勉強も遅れを取り戻すことができた。
高3になり、大学受験に向けた模試では毎回旧帝薬学部が狙えるレベルだった。
緊張して臨んだセンター試験は9割。正直、自分スゲエと浮かれた。
でも待てよ、と立ち止まった。
もし落ちたらどうなる?
学校や塾で授業を聞くのは苦ではないが、一人で勉強するとどうしてもすぐネットに手が伸びて1時間2時間が溶けてしまう。
コツコツ一人で机に向かうことが本当に苦手だった。
だからもし浪人すると絶対にネット漬けになり、ダメになってしまうという確信があった。
親元から遠くなるのに不安を覚えたから、地元から出なかった。(これは正解だった。のちに引きこもりになり生活習慣も精神的にも不安定になったので毎週実家に帰って会話する相手がいてかなり救われた)
当然合格し、駅弁大学に入学。どうやら50人以上の学科で入試の成績が一位だったようで、表彰もされた。
入学するとオリエンテーションやサークル勧誘で異性からたくさん話しかけられた。
新入生の女ならちやほやされて当たり前なのだが、こんな私でもリア充になれるかも?と少しだけ夢を見させてもらった。
しかしその少し後に、私は衝撃を受けた。
どこがわからないのか考えても、一から十まで全部としか言いようがない。
何せいきなり理解不能な単語や概念が当然のもののように出てきて、それを前提にどんどん講義が進んでいく。
その専攻は高校では好きな科目だったはずなのに、しょっぱなから「高校までで習ったことは嘘です。本当はこうなっています(意味不明な説明)」と打ち砕かれる。
極めつけは実験科目で、実験器具を目の前にして何をどうしたらいいのか教科書を見てもまったくわからず固まってしまい、「あ、これ無理だ」と確信してしまった。
授業にもついていけないし、人間関係も、最初は同級生と仲良くできたものの一歩踏み込んだコミュニケーションが取れずに徐々に距離ができていった。
次第に私は大学に行かなくなった。一人暮らしのアパートに引きこもってネットとゲームに明け暮れ、昼夜逆転生活を送るようになった。
土日や長期休みには実家に帰ったりアルバイトをしたりして、そこでだけ人と会話できた。
このままではいけない。なんとかしなければと学生支援センターのあたりをブラブラ歩いていると、入学後でも専攻が変えられることを知った。
これだ、これしかない。
私は文系学部の試験を受けた。普通の入試と似たようなもので、英語と小論文があったと思う。
無事に合格し、心機一転、同じ大学で二度目のキャンパスライフがスタートした。
この学部でも専門科目はわけがわからなかったが、前の専攻とは違ってまだ理解の糸口がつかみやすかった。
また文系マンモス学部なので講義で人と関わることはほぼなく、かつ編入生という明確な立場の違いがぼっちの安心材料になって、余計なストレスを抱えずに勉強できた。
あとはここで躓いたら二留か最悪中退するしかなくなるので、授業も試験も頑張るしかなかった。
幸いなことにその学部は卒業要件がゆるく、ゼミはあるものの卒論すら不要だった。また、私が選んだゼミはゆるさで有名なゼミで、ぼんやりとしたテーマでなんとなく発表する程度で許されたのも運が良かった。
かくして引きこもりぼっち大学生は、一留したものの専攻移動という手を使ってなんとか卒業までこぎつけたのだった。
ちなみに授業と並行して資格試験の学内講座も受けたが、そちらは教えるプロが試験突破を目的とした講義をしてくれるので非常にわかりやすく、自分が得意だった大学受験までの「お勉強」と似ていた。
大学を卒業して長いこと経つが、いわゆる優等生の方だった自分が大学でなぜあそこまで躓いたのだろうとたまに考えることがある。
1.大学で講義をするのは研究のプロであり高校までの教えるプロとは異なるということ。
2.高校までの参考書パラダイスと異なり、底辺大学生に一から理解してもらうための参考書が乏しいこと。(当時の私も一生懸命探したが自分の専攻では見つけられなかった)
3.高校までは「AはBのためCになる」のようなシンプルな絶対的事実をいくつも積み重ねて理解を深めていくが、
大学ではAからZやそれ以上のあらゆるパターンが先に出てくるばかりで絶対的事実に辿り着かず、「結局確実に言えることは何なの?どこから覚えたらいいの?」と地に足がつかないままどんどん先に進んでいくこと。
(よく考えたらお勉強ではなく学問や研究の世界なので当たり前である)
など色々あるが、結局、答えの用意されたお勉強が得意だっただけで、答えのない学問を追究すること、つまり大学進学自体がそもそも向いてなかったのだろう。
高校までのお勉強と大学で学ぶことは全く異なるということは全高校生に知ってもらいたいと思っている。
ここまで読まれた方は、私は発達障害だと思うかしれない。診断は受けてないが傾向があることは自覚している。
しかし「高校までの勉強が余裕だったのに、大学の授業が全く理解できなかった」という話は発達障害界隈でもあまり聞かない。私だけなんだろうか。
専門卒。
専業主婦楽しいけど、パソコンで何かするのがめっちゃ好きだったので、したことないけどパソコン使った仕事をできないかなーと探したら、新聞チラシで在宅ワークの募集見つけ、試験受けに行った。
WordもExcelも全然分からんかったけど、国語のテストとタイピングの速さだけで何とか潜り込めて、38歳で自宅で音声反訳の内職始めた。
とにかく楽しくて、調べて覚えて、覚えたら使ってってしてたら、表彰されたりした。そっからずーっと内職。
内職楽しいけど、めっちゃ頑張っても15万ぐらいしか稼げないし、保障もないし、ボーナスもないし、子供もでかくなったので外で働きたいなーと探したら、経験不問の事務の正社員募集を見つけ、42歳で電気の機械つくってる会社に潜り込めた。
そっから2年。
仕事楽しいけど、パソコンがっつりの事務職じゃなかったので、絵を描くの好きだし、もっとめっちゃパソコン触る仕事したくて、工場で図面描いてるおばさん(自分もおばさんだけど)の仕事を勝手に夕方タイムカード切ってから1人で残って自主トレして覚えた。
基本操作を覚えてから、「CAD少し触れます」と周りに言ってみたら、ちょっとしたときに手伝うこととかが回ってきて、やっぱパソコン作業は楽しいなーと思ってたら、この間工場のおばさんが会社辞めて、私に図面の仕事回ってきた。
30代前半の男。
気持ち悪いかもしれないけど、初風俗体験だと思って読んでもらえると。
マッチングアプリや婚活イベントでマッチングしてもなかなか2回目のデート以降続かなかったりして芳しくなかったので
それを知り合いに雑談がてらしていたら、「女性への見る目を変えたほうが良いので、今すぐデリヘル呼んだほうが良い」
デリヘルとかの風俗は、なんか裏社会みたいで怖そうだし、いわゆる怖い人やボッタクリとかもありそうで面倒事に巻き込まれたくないからしないと思ってたし、なんなら行くと人生の汚点くらいに思っていた。
ただ、興味は少しあった。
あと関係ないけど実は献血が趣味で、100回以上行って表彰状もらっていてそういうお店行ったら、献血も半年いけなくなるかなと思ったりしてた。
ということで色々調べ始めた。
いわゆる「ソープ」と「デリヘル」はやることが違うのを初めて知り、うちの近くはデリヘルしかない事も知ったり、ホテル代は別とか知った。
でもこの歳になってラブホにも入ったことがなく、使い方もわからないし勇気が持てないと思っていたところ「ホテヘル」というのもあることを知ったり
その初心者用風俗サイトによると、店舗がありお店の人がホテルの準備までしてくれると書いてあった。
勇気を持つのが半分くらいになったので、この店にしようと決めた。
でその店のサイトを見ていたら、何人かの女の子はネット予約もできるらしく、いきなり電話する勇気もなかったのでネット予約しようと思い、その中で一周り下の歳くらいの嬢がいて、雰囲気も好みだったのでせっかく行くならこの子にしようと思ったが、昼から夕方しか出勤してなくてすぐ予約も埋まってしまう人気嬢。
平日は仕事のあとだと勇気が出ないとかでたもたしてるとで、1週間経ってしまい。
日曜日、流石に今日は行こうと決断してネットで予約した。心臓はバクバク。お店から折返しの電話がかかってきて、
「初めてなので全然わかってないんですが..」と言ったらとりあえずお店来てくださいと。
変哲のないマンションの2Fのお店、予約した〇〇ですけどといったら料金プランの説明をしてくれた。本当は色々入会金とかあったらしいが、サービスしてくれたそれもあってせっかくなのでちょっと時間を伸ばし80分 2万弱を払った。
ホテルも準備してくれるという認識だったが、「ホテル決まってますか?決まったら連絡してください」と言われて、ネットの記事とは話が違うなと思いつつも
近くの何軒かある、なにもわからないままラブホに突入、駐車場が部屋ごとに入り口があって、
ここから入るのかなと恐る恐る入ってみると、カウンターの人すら合わないまま部屋に、部屋に入った瞬間オートロックで鍵が締まり、部屋にある精算機が動き出した。
いわゆる普通のホテルしか知らなかったのでカルチャーショックだらけ。
中の部屋は、ビジネスホテルより広めでダブルベッドがある豪華な部屋だった。
先程のお店に電話して、精算機に書いてあった部屋番号を伝えた。
(どのホテルも空いてなかったらどうなるんだろうとは思った)
このあとの流れも全くわからないが、ドキドキしながらしばらく部屋を探索しながら待った。
しばらくしたら部屋の電話がかかってきて「お連れ様がいらっしゃいました」と「はい」と答えるだけの僕
オートロックが勝手に空き、ついに来るどうやって待ってようと心臓バクバク。
しばらく待ってもなかなか来ない。こんなものかなと思っていたら、「コンコン」とノックされ「はい」と答えたら女の子が入ってきた。
今の情勢的にマスクしているため、口周りはわからなかったが、最終的にはマスクも外して確かに年相応の感じ。
入ってきてそうそう、遅くなったのは今まさに彼氏とLINEで喧嘩して別れ話になってると、半分聞きたくなかったことを聞く
「とりあえず、それ落ち着いてからでいいので」と伝える。
その彼氏となんで喧嘩してるのかみたいな話をきいたりして、彼氏を信じるべきかどうかみたいな話を受け
僕自体が彼女がいるのかとか、マッチングアプリでうまく行ってないみたいな話を長々して、内心いつ始まるんだろうもしやこれも時間内?
と思っていたが、まぁ相手に合わせるかと思って続けた。
最終的に僕のマッチングアプリの写真の撮影会という感じになった。
とやってると、嬢に時間ですみたいな電話がかかってきてたらしく、
嬢「ごめん、私のことばっかりしてたら終わってしまったのでホテル代は出します」とまぁ正直出しても良い余裕くらいはあるけど、 何もしないまま終わったのにびっくりして「うん」とだけいう僕。
ちょっとハイタッチしたくらいで体を横に倒さないまま本当に何もしてないのに終わってしまった。
そのまま二人でホテルを出る。
結局一応安くはない2万出し、嬢の恋愛相談しかされなくて何もなかった。
まさかの風俗に行ったのに、嘘でもなんでもなく本当に何もしてないので献血に行ける状態のまま。
こういうのって苦情入れたほうがいいのかなと思いつつも、
あんなにお店行くが悩んだのに何もなかったのが拍子抜けしたのと、一回り下の女の子と普通に話す場とラブホ体験の勉強代と思ってとりあえず心にしまっておくことにする。
私は絵を描くのが好きなオタクで、小学生のときから芸術家や漫画家、イラストレーターのようなクリエイティブ職が夢だった。
が、中学生のときに入った美術部で絵が上手い同級生たちや、SNSで年下や同い年で絵が上手い子などに対して一気に劣等感を抱き、その夢は諦めることになった。
それでも絵を描くこと自体は好きだったので、どれだけ下手くそでも部活は続けたし絵を描くことをやめなかった。というか勉強も最底辺で運動も全くできない自分には絵を描くことしかなかった。
ずっと絵を描くことを続けてたおかげか、高校生のころには周りの人より下手でも自分の絵が好きになった。でも絵で食べて行くことは全く考えておらず、進路は悩んだままであった。
高校生の時に転機があった。私は美術部を続けていたので、美術部には学校から美術やデザイン関連の依頼がくることが多かった。(チラシや学校の会報の表紙や挿絵など)
その中で、イラスト系の依頼は全く採用されなかったがある時自分のデザインが採用された。しかも大きい依頼だったようで表彰もされた。初めて自分自身が評価された気持ちになった。
確かに自分を表現することより、依頼を受けて作ることのほうが自分に向いている、これを仕事にしたいと感じた私は、デザイナーを目指すことにした。
デザイナーになれるなら専門学校でも良かったが、大学は卒業しておきなさいと親から言われたので、とりあえず美大を探すことにした。
県内に美大がなかった。実家から通える範囲でないと学費を出してもらえなかったため県内で探すしかなく今の大学に入ったが、大学は自分に合った学びをできたし、全然大学選びを間違えた気は一切しなかった。
就職活動をしなければいけない学年になったため、デザイナー志望で就活を始めた。自己PRや自分の作品にはもちろん自信があったし、自信満々でエントリーした。
まだ数社しかエントリーしていなかったが4月に入った時点での現状は申し込んだ全社書類落ちだった。面接にもたどり着けていない。
コロナ禍で求人や採用枠が減っているのか….はあまり気にしていない。
デザインを学んだとはいえ美大生でないから学歴フィルターで落とされたのか、はたまた履歴書の内容の薄さで落とされたのか、作品(ポートフォリオ)がダメだったのかはわからないが………
このまま内定がもらえなかったらどうしよう?という不安しかない。諦めて一般職に就こうにも勉強ができないのでSPIで落とされるし、デザイナーになれなかった自分の想像がつかない。一般職で楽しく働ける気がしない。
https://www.viet-jo.com/news/social/210301140337.html
2月28日午後17時30分ごろ、ハノイ市タインスアン区にあるマンション「グエンフイチュオン60B」で、12A階(13階に相当)のベランダから3歳の女児が転落するという事故が発生した。女児は奇跡的に命に別状はなかった。
部屋から出てベランダの手すりをよじ登って宙ぶらりんになった女児N・P・Hちゃんは、地面に向けて真っ逆さまに落下した。この様子は、騒ぎに気付いた向かい側のマンションの住民がビデオ録画しており、一部始終が映されていた。
力尽きた女児が落下し、もう駄目だと思った瞬間。たまたま現場に居合わせた荷物配達員のグエン・ゴック・マインさん(男性・31歳)が1階中庭のトタン屋根に上って、落下する女児のキャッチを試みた。落下の勢いがついており、完全にキャッチすることは出来なかったが、衝撃が弱まったため、女児は一命をとりとめた。
女児は病院に緊急搬送されたが、家族によると、手足を骨折するなど重傷を負ったものの、健康状態は安定しているとのこと。
危険を顧みず女児の命を救ったマインさんは、「私にも同じ年頃の娘がいます。あの瞬間、落ちてくるのは自分の娘だと思いました。女児の姿を見つけてから落下するまでは1分程度。勝手に体が動き、すぐ中庭の屋根に上って落ちてくる少女を待ち構えました。連絡先も伝えずにその場を去りましたが、その後、どういうわけか少女の家族から、骨折したけど、命に別状はなかったと電話がありました。助かって本当に良かったですが、怪我をさせてしまったことが残念です」と語った。
なお、このニュースを知ったグエン・スアン・フック首相は3月1日、マインさんの強い責任感と勇気ある行動を称えて表彰状を送った。
子供のころ、両親共働きで帰りも遅くて、地元の公民館にあった図書室に入り浸ってたから色々小学生で読んだら不味そうな本とかも読めて学校の図書室より面白かった
公民館のイメージが地域によってバラバラみたいだけど、基本毎日9〜19時くらいまで開館してて、事務所にいつも何人か職員の人がいて、老人がカルチャー教室とかで集まったり、地域の会合とかがあったり、ちょっとしたホールがあって演歌歌手のどさ回りがあったりする感じのやつ
子供向けの本のコーナーは全体の1/4、郷土資料とか図鑑とかが1/4、あとは娯楽小説とかのハードカバーって感じだった(文庫本や漫画は確かなかった)
佐藤ラギのギニョルとか、当時意味わからないなりになんかヤバいものを読んでる…と思ってたりしてめちゃくちゃドキドキした
高校生になると市の大きな図書館が高校から歩いて30分くらいにあったからそこでも毎週上限まで借りて、高校の図書館は文庫本が多めだったからそこでも毎週上限まで借りて、めちゃくちゃたくさん小説を読んでた。
新書とか論評とかは全く興味なくて今に至るまで読んだことがない。あれだけ流行ってたバカの壁とかも読んでない。
高校の図書館は毎年貸出冊数の表彰してくれてて三年間毎年図書カードをもらってたし、国語のテストや模試の成績だけはいつも良くて、現代語の小説しか読んでないのに古文や漢文も小論文も苦労なく解けてた。
大学ではオタクになって、生活費を削る勢いで商業BLの小説と漫画を読み漁った。
それなのに就職したら全く本を読まなくなった。文庫本一冊読みおわるまで集中力もたなくて何度も中断して結局よみかけの本がたくさん棚にある。
その代わりにずっとTwitterみてる。いろんな人の本当かどうかわからない呟きも小説みたいなもんだな〜と思うとダラダラと何時間でも見てられる不思議
あれだけ本読んでた私が本読まなくなるほど高負荷の労働をそれなりにこなして、趣味にも家庭にも力入れられるとか世の中の人どうなってんだろな…偉すぎる
実際に高負荷だった新卒で入った会社を辞めて、楽な方に楽な方に流れてきて、月の残業10時間未満の仕事に就いてるけどそれでも土日は布団でゴロゴロしてるとすぐ終わるし、平日も20時に帰宅して飯風呂即布団みたいになるし…
まとめると、本に簡単にアクセスできる環境で育ててラッキー、多読してる分国語の成績は良いけど他の教科の勉強してないからトータルするとバカの部類、労働は体に悪い
あのさ、
スロット目押しでスリーセブンの達人でもなかなかこういう偉業は達成できないはずよね。
とりあえず
プリンターカウント数は15万枚と公表されている保証内のスペックの耐久枚数はゆうに印刷してくれたから、
上々な働きっぷりだったのかも知れないわね。
また新たにプリンターを同機種買うのより
本体よりインクの方が高いでお馴染みのホームユースのプリンタより
さっき集荷の依頼をかけたので、
あーあ。
とりあえず
こういうことはあり得ない確立だと思うので、
正直トナー代も馬鹿にならないアホほどかかるので、
ビジネスインクジェットプリンターでじゃんじゃん印刷したいところ、
うちはぜんぜんペーパーレスじゃないところなんかがまたにくいところね。
でもコスト的にはインクジェットプリンターだと10分の1なので
これはじゃんじゃんだすなら、
あんまりよその会社とかいったいどうなってるのかってあんまり意識していない人が多いのかも知れないけど、
1枚印刷するコストはまったくもってすっとこどっこいだってことは
知っていた方がいいわよ。
家だと本当にその季節や時期的なことじゃないと
印刷しないわよね。
いま紙に写真を焼いたりしないっていう、
もう焼くって言い方がよく分からないけど
写真に限っては焼くって言うけど
最近はすっかり焼き増ししてね!って
写ルンですで撮った旅館の思い出をダブルピースとともにお送りする写真などを焼き増しするでお馴染みだったフレーズだったけど
今はすっかりその焼き増し!って言葉使わなくなったわよね。
私も使ったことないんだけど、
こればっかりはペーパーレス社会到来と言っても過言ではないかも知れないわね。
正に思い出は色褪せない!って上手いこと言いたいところ。
今日はだから印刷は全部PDFにしてあとで印刷することにするわ。
なんだか
とにかくプリンターが早く直って帰ってくることを願ってやまないわ。
うふふ。
殿堂入りだけあって
いつでも美味しいこと請け合いよ!
大根とセロリときゅうりと人参をスティック野菜みたいにしてそれで作る
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
卒業して何年も経ったからもう時効かと思って大学の時好きだった同じサークルの先輩の名前検索した
サークルのホームページのメンバー紹介のページもそのまま残ってたし研究室のブログで発表してるとこの写真も出てきたし学長表彰受けたみたいでそのときの名簿もでてきた
ほんとに好きだった 博識なところも優しいところも料理が得意なところも案外とからかってきたりするところも全部好きだった 軽い気持ちで聞いたことちゃんと答えてくれるところ大好きでした 先輩が貸してくれた本のタイトル今となっては思い出せない あのとき料理が苦手なきみでもこれなら作れるんじゃない?て言われたフレンチトースト、わたし作れるようになりました あのときの20歳のわたしのままで告白しとけばよかった 今ちょっと泣いてる
高校。「どうせ負けるのに、何でこんなに頑張らなきゃいけないのだろう」といった思考から、部活を欠席しがちになる。結果、インハイ予選をブッチ。会場へ行く列車を何本も見送り、駅でただボーっと過ごす。それ以降、部のメンバーと険悪になり、かといって誰にも相談は出来ず、幽霊部員になる。小学生の頃から続けていたスポーツだったからか、かなりダメージが大きかった。ちなみに、俺がいた時は万年地区予選敗退だったのに、抜けた次の年に部は団体戦で全国大会入賞。誰が原因だったかは一目瞭然。かつてのメンバーが、全校集会で表彰される光景を体育館隅から死んだ目で見守り、終了後に部のメンバーから「ベンチにでも入ってれば表彰台に上がれたのにね」と嗤われる。
理系の短大進学。友達が出来ないまま2年過ごす。かとい勉強等の何か別の事にも熱中出来ず、ただ堕落し続けて20歳まで過ごす。そして、大学編入を機に専攻を変える。友達が出来ないまま2年過ごす。4年後期に鬱発症。発表はしたものの、論文を提出出来ず、うやむやになったまま大学卒業。卒業式や懇親会は欠席。
無能のくせにプライドは一丁前に高く、学歴コンプレックスから大学院進学でロンダリング。また専攻を変える。そこでも研究に身が入らず、友達も出来ず、欠席しがちになる。2度目の鬱発症。半年、大学に行けなくなる。当然、教員にも愛想を尽かされる。ちなみに、論文は今日提出なのにまだ完成していない。これといった催促も無い。
就職は、これまで学んだ事が殆ど活かされない業界に決まっているが、卒業出来るかも分からない。
何にも熱中出来ない。環境を変えても、全部自分の無能が原因で失敗する。中途半端人生。
もう助からないのだろうか。
昨今はブームだ何だとかであいつを取り扱う店が増えてきて、街を出る度にうんざりする自分がいる。アレを目に入れるだけで不快になるから出かけるときはなるべく販売店近くを通らないルートにして自衛しているけれど、どうやら最近はショッピングモールの中でも販売フェアなどというものをやっているようだ。もうコンビニかスーパーしか行けなくなるかもしれない。
私の嫌いなものについて他人に話すと、大抵は苦笑いが返ってくる。
「何で?可愛いじゃん」
「わたし早くあれに乗りたくて急いで免許取ったのに、何も分かってない」
「誤解しているだけだよ。今度乗せてあげるよ」
何が可愛いだ馬鹿馬鹿しい、分かってないのはお前達の方だろうが。最も苦笑いして此方の考えを矯正させるようなことを言う輩と一生分かりあえる気はしないのだけど。
布団に潜り込み目を閉じる度、三年前の記憶がふつふつと蘇ってくる。
女手一つで私を育て上げた自慢の母が忙しい合間を縫ってファミレスに連れてってくれた。その日は丁度かんかん照りで、だから私と母の影がふたつ伸びていてカオナシみたいだねって笑った思い出があった。額に汗をたくさん滲ませていた私に、母は「じゃあ今日は特別にパフェ頼んでもいいよ」って笑って言ってくれた……
「お母さん、お母さん!!!ねえお母さん、目を開けてよ!!!」
明るくて優しくて、時に厳しくも温かく見守ってくれた母はあの夏の日、ファミレスに飛び込んできた複数のかたまりによって殺された。
「お母さん、お母さんってば……!!」
和やかに家族との時間を楽しんでいた私にとって、それは青天の霹靂の様な出来事だった。時速何キロで飛び込む私の背丈よりも大きいもの。飛び散る硝子の破片。衝撃によって崩された建物の一部。テーブルから落ちて粉々になる食器類。事故の三分前、卓に届いた母のオムライス。
世間は「あれ」を無害で善良なものだ、事故なんて起こらないなんて言う。確かにあれは生身でぶつかってもさして問題無いかもしれない。だがそれだけでどうして「無害だ」「安全だ」って言い切れる?
アレが店に突っ込まなかったら、母は事故の衝撃で頭を強く打たなくて済んだのに!
「前にもああいうことがあったんだよ」私をあの時保護してくれた警官は言っていた。
体内に猫を置き去りにした馬鹿な女がいて、だからその女の車は焦ってファミレスに突っ込んだらしい。その時は誰も怪我人などはおらず、寧ろ突っ込んだ方は猫を助けた功績だとかいって表彰までされたそうだ。
私はそれを聞いて心底怖くなってしまった。どうして世間は、あの肉の車を愛好する人々は話も通じない、予想出来ない行動を取る生き物に命を預けられるんだ?
「あの子たちを困らせることして、ああ人間は愚かだな」自分がいつ彼奴らの御機嫌を損ねる行動をするかも分からないのに、裏切られるか分からないのにどうしてそう平気に言えるんだ?
私は彼奴らが、「モルカー」と呼ばれる全ての個体を絶対に信用できない。もう鉄の塊が全盛期だったあの頃には戻れないけれど、もし叶うのならあの時代に早く戻ってほしいとも思う。
母の墓参りの帰り道、私は電車の中でモルカーに乗り込む親子二人組を見つけた。
運転手であろう若い女性も、彼女の子供である小さい女の子も、二人を迎え入れる黒いモルカーも全員幸せそうな顔をしていた様に見える。
そう言えば母は私と違って小さな動物、特にモルモットが好きだった。きっと母がまだ生きていたのなら、きっと近いうちに我が家にもあれがやって来てたのかもしれない。
最も、それはたらればの話なのだけれど。
ニコニコのF1タグで恐らく最大手のあのF1解説動画、動画の内容が目に余るほどにお粗末。「解説」って言っときながら何の根拠もない自分の見解述べるだけとか、事実と異なるどころか真逆の事すら書き始めてて、もうほんといい加減にしてほしいんだわ。見なきゃ良いとかそういう問題じゃなくて、こっちがいくら意味不明な批判してる人間に理屈立てて説明してもキリないんだよね。ぶっちゃけ日本国内で不当な批判してる人間、この人の解説動画とF1Gate.comに毒されてる説マジで普通にあると思うよ。というかこの人がF1Gate.comみたいなアフィもどきの怪しいサイト斜め読みして動画作ってる可能性大。「この動画の情報は真実とは限りません」とか情報を1本の動画にまとめて発信する側の人間として失格な言い訳やめて、ちゃんとチームが出してるデブリーフをしてる動画とか、FIA.comのスチュワードの裁定が書かれてる文書読んでから作る気にはならないの?自分の感情抜きにしてインシデントそのものを論理的に評価する地頭とか持ってないの?はっきり言ってゴ○。無知な視聴者ボイロで釣るだけの商売は楽でいいねえ。
さすがに批判コメだけだとただのアンチと同レベルだから、特に酷かった「解説」をいくつかピックアップしてみた。御本人が見つけた時に、是非参考にしていただきたい。できる頭があったらあそこまで酷くならないと思うけど。
①2019年カナダGP、ベッテルの5秒のタイムペナルティに対して「個人的に厳しすぎる」と言い添える→これは「解説」ではない。これはあなたの感想でしょ。優勝をペナルティで奪われたベッテル可哀想くらいにしか思ってないのが丸分かり。厳しすぎると思うのであれば、せめてその根拠くらい示すべきでは?100歩譲って示したとしても、コース復帰時のベッテルの幅寄せが無ければハミルトンは前に出ていたことが、インシデントが発生する直前のタイムギャップなどから認められたから、スチュワードはタイムペナルティを科したのであって、車両から送られてくるテレメトリーやリプレイから得られる証拠を覆せるだけの根拠なんて、示せるわけないのはほとんど分かりきったことだけど、もし厳しすぎると思うならせめて根拠くらい示さないといけないのでは?ペナルティがレース結果に直接影響を及ぼした時に、よくこのタイプの意見をよく見かけるけど、スチュワードは科したペナルティがレース結果に介入するかは一切考慮しないのは周知の事実。少々話が外れるが、2018年中国GPで、上位2台がピットエントリーを通過してからSCが宣言された時のボッタスとベッテルの「下位ドライバーが有利になった」という批判に対して、故チャーリー・ホワイティング氏が「安全管理が我々の仕事で、結果管理ではない(要約)」と反論していることからも見てとれる。SCが出たタイミングが下位ドライバーに有利に働いたのは文字通り結果論であり、どのタイミングで宣言すればドライバーに平等かなど、考慮するはずがない。これはペナルティを科す際も全く同じ。違反行為の重大さに応じて罰則を科すのであって、レース結果にどう影響するかも考慮してペナルティを科してしまったら、それこそ同じ違反行為に同じペナルティが科されなくなってしまい、この手の文句を言う人間がよくほざいてる「スチュワードに一貫性が無い」状態になってしまうが、それを分かってて書いているのか?曲がりなりにも「解説動画」でしょ?誰もあなたの感想なんて求めてないよ。
②2018年ドイツGP、ハミルトンのピットエントリー侵入後の区分線またぎについて「ペナルティは無かったようです」→これ特に酷かった。FIA.comに、このハミルトンの一連のインシデントについての裁定が書かれた文書があり、そこには「Decision:A Reprimand.(1st reprimand of the current season)」つまり、「処分:勧告処分(現在のシーズンで1回目の勧告処分)」と書かれている。つまり、最初に言った事実と異なるどころか真逆の事が書かれている。ペナルティは科されていないと解説しているのに、実際には勧告処分という罰則がきちんと科されている。ふざけてるのか?ぶっちゃけこの1点だけ取り上げても、いかに適当に動画を作っているかよく分かる。いくらなんでもこれは「真実とは限らない」じゃ通らないでしょ。こちらで確認した限りでは、この件についてなんの訂正削除謝罪も見てないんだけど、どういう神経してるの?もう少し自分の発言に責任持つべきでは?
③2020年ロシアGP、ハミルトンのペナルティに対する無線の内容、表彰台での態度を槍玉に上げる→ハミルトン絡みのどいひーな解説多いと思わなくもない今日この頃。この人もしかしてハミルトン嫌いなだけなんじゃ?と思ってみたり。一応2018年シーズンからレース解説は全部見てるんだけど、おかしなこと言ってる時は大体いつもハミルトンが絡んでる。まあいいや。まず無線について、というか表彰台の態度もそうだけど、相手も人間でしょ?ステアリングを握り続けた手やヘルメットが当たり続けた頭には跡がつくほどの負荷がかかるし、時に3リットルもの汗をかく。精神的にも肉体的にも疲れ果てた状態で、それでも紳士的に振る舞えというのは、この人だけに限らずあの時にハミルトン叩いてた連中も含めて、一体何様なの?と問いたい。一流のドライバーも人間なのだから、時には頭に血が昇るし、悪態をつく時もあるに決まってるでしょ。2019年オーストリアGPのライコネンの中指立て批判した?あれ国際放送だとモザイク入れないといけないくらい下品な行為なんだけど、どうせライコネンはそういうキャラだからとか言って笑ってたんでしょ?2018年ブラジルGPの表彰式でのフェルスタッペンの態度は?批判した?どうせしてないでしょ?オコンにぶつかられて可哀想みたいなしょうもない感情論に流されてたんじゃない?これらの行為もハミルトンの行為も、どちらも同じ「お行儀の悪い」行為なのに、片方は批判して、もう片方はしない、そんな人間に他人の振る舞いを批判する権利なんか無いよ。ハミルトン叩いてる不特定多数の連中もそうだけど、単にハミルトンの態度が気にくわないから批判しているに過ぎない。もし、その態度や発言が不適切と言いたいのなら、それを決めるのはスポンサーやチーム、またはスチュワードなどであって、少なくともあなたでは絶対にない。不適切であれば正されることは、ムジェロでハミルトンが着ていたTシャツの一件が証明している。最も、あなたが自分の品位を下げることを厭わず気にくわないドライバーを叩きたいのなら、好きにすればいいと思う。
粗探しでもこれだけ出てきた上に、レース解説の方は各1回ずつしか見てなくて、F話本編の方は全く確認していないので、2019年イギリスGPのボッタスのタイヤ戦略を「ミス」と評価していた所など、戦略を雑に解説しているところなどをもっと細かく探せばいくらでも見つかると思う。視聴者が1日でも早くあの動画を卒業することを祈ってる。てか、主が下調べしてから動画作れるようになれば済む話でしょ?いつになったら出来るの?あと、ホンダとかフェラーリとかのファンに突撃されたときのために言っとくけど、こっちはハミルトン信者でもファンでもないからね。あしからず。
マリオカートクラブと称し、マリオ、ルイージ、ワリオ、ワルイージ、ピーチ姫、キングテレサ、ドンキーコング、ヨッシー、キノピオ、クッパなど15種類のキャラクターに扮した20代の若者から某一部上場企業の会長さんまで約10人のメンバーからなる。当初は子どもたちに割り勘で買ってきた文房具や玩具、駄菓子を配っていたが、その後は交通安全を呼びかける活動をメインとし、活動日は主に週末としている。特にマリオは、普段から買い物や喫茶店へもそのままの格好。ちなみに、メンバーにはイタリアの特殊部隊出身の人もいるらしい。
会社役員で、防護服や除染テントの輸入販売をしている今中聡氏。名前でネット検索してみると、エアーグループジャパンリミテッド代表らしい。兵庫医科大学を中退後、ヨーロッパ各国のレスキュー隊に所属していたが、2000年の沖縄サミットをきっかけに日本へ帰国。10種類以上のレスキュー免許をもつ救急医療士、イギリス・スタフォードシャー州救急局S.C.A.T(特殊災害医療チーム)のチームマネージャー、奈良県庁防災統括室知事公室の奈良県国民保護法等専門アドバイザーなどの肩書きをもち、警察学校や消防学校、海上保安庁、病院などで災害救護や生物化学テロ対策についての講演を行っている。また、交通安全を呼びかける活動が認められ、奈良市と奈良県から表彰されている。
赤い帽子は趣味のカートに乗っていた2010年10月、ひげを見た近所の女子小学生からマリオに似ているとプレゼントされた。服はユニクロなどで買ったもの。
50ccや125ccのカートとバイク。カートは市町村にミニカー登録さえすれば普通免許で乗れ、ヘルメットも不要。価格は十数万円で、時速は60km/hまで。実は、マリオになる前から今中さんはカートレースが趣味。
高級住宅地である奈良・学園前にある。小学校の近くで、子どもたちからピーチ城と呼ばれている。かなりの豪邸で、S.C.A.T Team JapanのBranchでもある。
2004年8月、高校に入学したばかりだった今中さんの次男・篤史さん(15)が友人の運転するバイクに乗っていて、右折しようとした乗用車に巻き込まれて亡くなった。それを機に、近所の子どもたちに交通安全を呼びかけたが、子どもたちはあまり聞き入れてくれなかった。そんなとき、次男がマリオのゲームが好きだったことを思い出し、オーバーオールを着てカートに乗ってみたところ、それを見た近所の子どもがマリオの帽子をプレゼントする。そこで本格的にマリオの格好を始めてみると、最初は変なおじさんに見られることもあったが、次第に子どもたちの方から来てくれるようになり、話にも素直に聞くようになったという。