はてなキーワード: パープルスターとは
ということでギリギリZ世代の若手面みたいな心境をはてなとの関わりを交えて書き散らしておきます。以下3分で読めますが、結論から言うとアラサーになるのが嫌です。
信じてもらえるか微妙なのでうごメモはてなの思い出でも書くか。当時中学生の自分はお年玉でDSiを買い、棒人間を描くのに夢中になっていました。(正直な話、うごメモ使いたいだけにDSi買った人多いと思う。)
クレカも無い学生のくせにカラースターがとても魅力的に見えたので、人力検索はてなでちまちま回答して集めたポイントでカラースターボックスを買った覚えがあります。当時のカラースターはうごメモはてな上ではとてつもない価値がありました。レッドスターが複数、パープルスターが1個でも付けば人気順エントリーに作品が登るためみんながこぞって欲しがり、また自分も好きな作品を広めるためになんとか集める方法を調べた覚えがあります。今思うと意味わかんないですね。
3DS版のうごメモは機能こそ増えたものの、うごメモはてなは終了、またフレンド経由でのメモ共有機能も色々トラブルが起きて停止になったので悲しかったです。3Dレイヤー機能は当時感動したけど、使いこなせなかったな……テレビもスマホも3Dに浮かれた時代だっただけに、未来を感じていました。
うごメモはてなで使い古されたアカウントをリブートするのはそれから4年後のお話。大学生になって電車通学をするようになってからニュースアプリとしてはてブを入れたのがきっかけです。アプリストアだとニュースアプリの面してるの面白いですよね、実際はチラシの裏なのに……
大学生特有の持て余した時間をブコメや増田発掘に費やすうちに、一時は政治に怒り、一時は少子化に絶望し、一時は新卒採用に辟易して、一時はお気持ち長文に熱中して、一時は古典文学に入り浸り、ほとぼりが冷めた頃には卒業の時期でした。大人になるとちゃんと政治を見るんだ、すっげー!みたいな気持ちも当時ありましたが、最後の方にはレスバトルは辞めて部屋の片付けでもしたほうがいい事が分かりました。
増田発掘は当時一番楽しんでいました。エントリは一人Slackに流しており、とても捗りました。ただ、自分が気に入っていたのは機能そのものではなく「新しい情報収集ツールを使う」ワクワク感だけだったようで、数年でやめました。この現象は何か改善しようとするたびに顔を出してきて、本当にうんざりします。誰か名前を付けておいてください。
増田を読み漁ることは、一種の自傷行為でした。この空間は、憎悪を煮て煮詰めて残った泥をアイスクリーム・ディッシャーで掻き集めて並べているかのような様相をしています。それを好んで端から端までホテルの朝食バイキングみたいに皿に取っていました。一つ取っては自己を戒めるような回りくどい批判をし、一つ取っては大げさに悲しい顔をしました。特に「俺は◯◯のために怒ってやってんだぞ!!!」みたいなスタンスが一番に気持ち良かったです。虚しいこと限りないですけど、それに気付くには時間が掛かりました。
はてな匿名ダイアリーを悪く言うつもりは無いので釈明すると、文章の生まれはさておき、憎悪の陳列棚に並べているのは言うまでもなくブクマカです。暇になったブクマカがどこからともなくやってきて、潮干狩りのように浜辺をボコボコ掘り起こして帰っていくだけです。掘り起こされた側はいい迷惑ですね。
陳列された憎悪を手に取る度に、人間が抱えるストレスの多さにただただ泣きたくなったり、布団から出れなかったり、日記の内容そのままな悪夢も見たりしました。モラトリアムと被ったのも含めて最悪ですが、現実で同じものが降り掛かって来たときに動揺する機会が減ったのは結果的に良かったと思えます。
はてなブックマークに話を戻しますが、このサイトには30代以降の理系しか居るように思えません。信じてもらえるか分かりませんが、同年代では生成AIの話も文化資本の話も、積立NISAでさえあがってきやしません。はじめは世間との乖離具合にびっくりしましたが、今はどちらが外れ値なのかよくわかります。
長々と心境を明かしましたが、やっぱりアラサーにはなりたくありません。見苦しく誕生日まで若さを謳歌しようと思います。クソッ
増田は老いていた。小さなスマホではてな匿名ダイアリーにアクセスし、独りで日記を書いていた。
1ブクマも付かない日が、既に八四日も続いていた。最初の四〇日は少年と一緒に日記を書いていた。しかし、ブクマの無いままに四〇日が過ぎると、少年に両親が告げた。あの老人はもう完全に「弱者男性」なんだよ、と。弱者男性とは、すっかり世間に見放されたということだ。
少年は両親の言いつけ通りに自分のアカウントでログインし、一週間で三回もホッテントリ入りした。増田が毎日ブクマ0で帰ってくるのを見るたびに、少年の心は痛んだ。彼はいつも増田を迎えに行って、増田の日記をトラバしたり、ブクマしたり、はてなスターをつけたり、Twitterで拡散するのだった。増田がはてな記法で書いたつもりの日記は、記号が文字化けしていて、永遠の敗北を示す旗印のように見えた。
増田は細くやつれ、首筋には深い皺が刻まれていた。増田に関しては何もかもが古かった。ただ、その両眼を除いては。彼の眼は、パープルスターと同じ色に輝き、喜びと不屈の光をたたえていた。
「増田じいさん」少年は増田に呼びかけた。「また一緒のアカウントで日記を書きたいな。はてなスターも多少貯まったし」
増田は少年に匿名日記の書き方を教えてきた。少年は彼を慕っていた。
「だめだ」増田は言った。「お前のアカウントは運がついてる。アカウントを変えないほうがいい」
「でも僕らは前に、八七日もブクマ0だった後で、三週間毎日ホッテントリ入りしたことがあったじゃないか」
「あったな」増田は言った。「分かってるさ。お前が自分のアカウントに変えたのは、俺の腕を疑ったからじゃない」
「親父だよ、アカウントを変えさせたのは。僕は子供だから、従うしかないんだ」
「分かってる」増田は言った。「当然のことだ」
「親父には、信じるってことができないんだよ」
「そうだな」増田は言った。「でも俺たちにはできる。そうだろ?」
「うん」少年は言った。「はてなブックマークで話題の少年ジャンププラス掲載『ハイパーインフレーション』を一緒に読もう。日記はその後で書こう」
「いいとも」老人は応じた。「はてな仲間として、一緒に読もう」
二人ははてなブックマークで腰をおろした。多くのブクマカが増田をからかったが、彼は怒らなかった。年配のブクマカたちの中には、彼を見て悲しむ者もいた。しかし彼らはそれを表には出さず、自民党はダメだとか、フェミとか、表現の自由戦士とか、おっぱいが揺れたかどうかとか、そういうことを穏やかに話すのだった。
(その後の話)
その後増田は誠心誠意を込めて日記を書き、バズりまくって2000ブクマまで行った。だが、過激な内容だったため垢BANされてしまい、日記も消えてしまった。うなだれて帰ってきたところを少年が励ます。「これからは二人一緒で日記を書こうね。ぼく、いろんなもの教わりたいんだもの。」そう、老人はアカウントを失ったが、素晴らしい友人を得たのである。そして3ヶ月後、この経験を描いた日記「老人増田と海」がノーベル文学賞、いや増田文学に選ばれた。増田と少年は手を取り合って大いに喜んだとさ。
さあ第817回、春のしなもん賞、栄光のお茶を出されるのはどのブク馬か! はてな人間性センターは実に陰湿な重馬場となりました!
出走を静かに待つのはジーカップシャブリ、今日は三番人気です。
さあスタートしました! 最初に抜け出したのはパープルスター、圧倒的な資金力でレースの主導権を握ります。
内から来たのはゴールドンチー! はてな民が得意なネタですね。ここで1馬身のリード。
レースも終盤に差し掛かり、ここでニホンシネーが追い上げてきた! ニホンシネー、すごい速度だ! 一気に先頭に躍り出る!
あーっとイトープロジェクト! イトープロジェクトに故障発生です! なんということだ! 虐殺の日曜日!
最終コーナー、先頭はモシモドラッカー。いや、外から、外からローソンテンチョー! ローソンテンチョー、猛烈な追い上げです!
射幸心を煽りつつ確率を明示していないと規制対称なのに、どうして放置されているんだろう。
規制の要件としては、ガチャが「コンプ」ではないことと、ガチャの提供割合を明示すること。
そもそもカラースターの要件がわからなかった中で、支払うとパープルスターが(不明確な割合で)支給される、というのがだめそうだった。法律の専門家ではないので合っているかわからないのだが、提供割合の率さえ表示しないのは今日日めずらしい。
黎明期には色んな試みをしてきた会社だったが、今となってみては、当時色んな人が感じた未来すら毀損する勢いのものがいくつかある。課金アイテム購入フローの何かはそれっぽいんだよな。当時は未整備だったから許されていたが法的にはアウトなやつ。
green: 398
blue: 16
red: 201
purple: 1
yellow: "47657"
title: "はてな匿名ダイアリー"
uri: "http://anond.hatelabo.jp/"
star_count: 48273
http://s.hatena.ne.jp/blog.json?uri=http://anond.hatelabo.jp/ より
http://developer.hatena.ne.jp/ja/documents/star/apis/count 参考にした
はてなスターの付く人気ブコメを集めて傾向を調べなければ始まらんだろと思ったが、ブコメのスターを一発で集める手段は提供されていないのかも。ブラウザの挙動を調べてどういうふうにスター情報を取ってきているか調べるところから始めなければいけなそう。
はてなスターに興味をひかれていなくてよかった。ハマっている人は大変そうだ。
昔はスターもらったら小躍りしてたの。
まだ1年ちょっとしかはてな歴ないけどブルースターもパープルスターももらったことあるんだよ。僕ちゃんすごい
だからはてなーのためにスターがいっぱい付きそうなコメントを書いてきたの。PDCAサイクルじゃないよ。RPCSサイクルだよ。なにそれ?だって?
Read Plan Comment Starだよ。そんなこともわからないの?まったくはてなーは相変わらずお馬鹿ちゃんなんだからあ
そんなことだから5歳児の僕の浅はかなコメントにスターなんかつけちゃうんだよ
あああ、うんこ漏れちゃう。漏らしてもいいんだけどね、おじさん増田と違って僕はうんこを漏らしたって恥じゃないのだ。えっへん
じゃあ最後におじさん達に僕がはてなスターをもらいやすいコメントの仕方を教えてあげるよ。
まずね、大切なのが蓋然性。極端なハイコンテクストははてなーには受けないんだよね、主語がでかいってやつかな。あとはね、冒頭の言葉だね。
ほら夏目漱石の「我輩は猫である、名前はまだない」ってあるでしょ。僕も5年前まで名前なかったんだけどね。どんな文章でも読まれるか読まれないかってのはだいたい最初の一行目で決まっちゃうよね。
たまに最初に感嘆詞つける馬鹿なはてなーがいるでしょ、あれは最悪だね。ふーむとかすごいとか。保育園の僕の友達みたいだよね。
愚民の好ましい言葉を選ぶのは簡単だよね。だからはてなは飽きちゃったの。そろそろ帝王学にステップアップしないと父ちゃんに怒られちゃうしいつまでも遊んでる場合じゃないのよねえ。
やば、母ちゃんが起きてくる。ほんじゃーね
星配り会場で初めてパープルスターの存在を知った人も多いはず。
元祖ヒトデ配りの神様。ただしアイコンはヒトデではなくサメらしい。
ブルー・パープルスターは上記2人からしか付けてもらったことのないはてなーも多いだろう。
その昔豊富な資金力から自ブログだけではなく増田のブコメにもカラースターを配っていた。
色々なことがあり、様々なことがあり、現在は別idに転生。ブログにブコメを書いた人にグリーン・レッドを配る。
スター祭りに出遅れた人や祭り跡地を見学しにきた人に丁寧にカラースターを付ける。
現在もっともアクティブに星を付ける人。guldeenさんの後継者。配る・もらうをハイレベルに達成。