はてなキーワード: 移管とは
本人はゲームをクリアする感覚で勉強も人付き合いもこなしているが、どこか虚しい。
そんな少年があるきっかけで絵を描くことに生を感じ、美大を目指す高校生のお話
二期。
スタジオがシルバーリンクから老舗?のOLM(ポケモンとか)に移管。どうなるかなぁ
クソ臭しかしないが設定がちょっと気になる。MAPPA。神撃のバハムートコースかな?
広井王子は無責任に風呂敷広げるのは得意なはずなので(腐っても一世風靡したし)、MAPPAでどうなるか
タイトルでお腹いっぱいだけど脳死で垂れ流せる癒やしにはなりそう
まあ一個くらいはこういうのもね
なろうのタイトルって全部説明するAVみたいだよね。SILVER LINK。
ロボモノあんま好きじゃないから、ピンとこなかったら早期に切る予定
二期。
タイトルからは糞臭しかしないが、一期はここ数年でもトップなくらいの出色の出来だった。
知らなかったけど大場つぐみ&小畑健だそうな。要はデスノ、バクマンコンビ。
見ておく。
ネトフリ独占で一期が終わっていて、遅れて地上波で一期をやるらしい。
ほんとかわからんが評判いいように書いてあるので一話見てみる。
話で人気になった作品。
クソに作りようが無いというか、多分面白いはずだがどうなるか…。
Oracle JDK はもともと無償版と、テクニカルサポート付きの有償版があった。
Java11の際に、属に「有償化」と言われたのは、無償版を OpenJDK 移管して、 「Oracle JDK」は有償版だけが残った状態になったことをいう。
Oracle 自身は無償で Oracle OpenJDK をリリースしていた。
この話にはもうひとつ LTS (Long Term Support : 長期サポート版) という要素があって、Java 9 以降、Java は半年ごとの定期アップデートと、3年に1度の長期サポート版(3年サポート)という仕組みになったんだけども、Oracle は無償版をOpenJDKに移管して半年ごとのnon-LTS版しか出さないと発表した。
無償版のLTSはサードパーティに任せたわけだが、当初、この無償版LTSはどこがやるとも定まっておらず混乱が生じた。
後にいくつかのサードパーティが無償版LTSを発表して混乱が収まったわけだが、この時に「有償化!」と騒ぎ立てたニュースが、普段Javaを使わない層には強烈な印象となって残ることになった。
この間ずっとJavaは無償で使うことができたが、センセーショナルに煽りたがるインフルエンサーは「そのうち有償化する!やめた方がいい!」と煽り続けて今に至る。
悪の帝国 Oracle が Java を有償化し重税を課そうとしたその時、正義の勇者 Amazon が立ち上がり新しい Java 実装 Corretto を無償で広めて救ったのだ!
……という情弱が好きそうなデマがあるんだが、こんな陳腐なシナリオに喜んでいるようではインチキなテック系 YouTuber に食い物にされてしまうぞ☆
Oracle レジスタンスはいた。彼らは Oracle の中に潜んでいたんだ。
時は2005年に遡る。
Java を開発した 米 Sun Microsystems は赤字にあえいでいた。
2004年に Java 5 (目玉機能はジェネリクス) がリリースされてしばらくの頃だ。
この頃、ひとつのオープンソースプロジェクトが立ち上がる。名を Apache Harmony という。
開発は2005年5月に開始され、2006年10月には Apache 財団のトップレベルプロジェクトとなった。
Sun は多数の企業をまきこみ、いろんな企業に Java™ をライセンスしていた。
Java の実装は Sun が持っていたが、各社が独自に実装したり、Sun と契約してコード提供を受けたりしていた。
Java™ を名乗るためには Technology Compatibility Kit (TCK) という互換チェックをパスしなければならない。
初期の Java はオープンソースではなかった。誰もが自由にコードを参照し用いることができるものではなかったんだ。
これをオープンソース化しようという野心で始まったのが Apache Harmony プロジェクトだ。
Java の実装をいちから書き起こしオープンソースの代表的な Apache License Version 2 ライセンスで提供したのだ。
しかし、Sun は Apache2 ライセンスを良しとせず、Harmony に Technology Compatibility Kit (TCK) を受けさせなかった。
なるほど。彼らが Java をオープンソース化したレジスタンスだったわけか?
違う。話はそんなにシンプルではない。
2006年 Sun は Java をオープンソースにする意志があると発表した。
Sun は Java を リンク例外付きの GNU General Public License でオープンソース化することにした。
Harmony のライセンスは自由な改変を認めるものだった。
OpenJDK のライセンスは派生物を作ったなら、そのソースコードの公開義務がある、という点が大きな違いだった。
OpenJDK は出た当初はまだ Sun の JDK との非互換が多かった。しかしこれが現代まで続く OpenJDK の始まりだったのである。
2007年11月 GoogleがAndroidを発表した。 Android は Java 言語で開発することができる。
そのベースとなったのは Sun との火種くすぶる Apache Harmony だった。よりにもよって!
(後にGoogleが負けて賠償し、現在のAndroid は OpenJDK ベース)
その渦中、赤字に喘いでいた Sun はついに身売りを決断する。2009年のことである。
当初 IBM との交渉が報じられていたが金額で折り合わなかったようだ。
そこに颯爽とあらわれたのが Oracle である。 Oracle が Sun Microsystems を買収することになった。
しかし Oracle にはよくない噂がある。敵対買収してプロダクトを潰してしまうという黒い噂だ。
Sun の Java も Oracle に食い物にされてしまうんじゃないか、いわゆる 「悪のOracle」 のイメージはこの頃からのものだ。
しかし、 Sun はすでに Java をオープンソース化していた。 派生物もオープンソースにしなくてはならない OpenJDK で!
Oracle は Java を Sun 社ごと買ったが、 Java はすでに独り占めできるようなものではなかった。
Sun 本家の JDK を引き継いだ Oracle JDK と、OpenJDKがついに統合される。
Oracle がソースコードを OpenJDK に寄贈し、 Oracle JDK も OpenJDK ベースとなった。
ここに OpenJDK への移管は完全となり、Javaのオープン化は成就した。
それまでの OpenJDK は Oracle JDK との非互換が不安視されていたわけだが、Java11 からはその不安もなくなった。
こうして完全にオープン化された Java は、各サードパーティーからディストリビューションが出るようになった。
Java11 での Java のオープン化を経て、Javaはディストリビューション乱立時代へと突入する。
Amazon Corretto もそうした OpenJDK の派生ディストリビューションのひとつである。
OpenJDK の開発は今なお Oracle が主力となって牽引している。
Java を解放しようとしたレジスタンスは、赤字に喘いでいたSunの中にいた。
たとえ Sun が身売りをすることになろうとも、Java を邪悪な独裁者の手に渡さないように。
Sun が倒れてしまう前に Java はオープン化された。Javaの仕様策定は Java Community Process (JCP) にて行われる。
Javaの仕様策定は Oracle の独断で進めることはできない。 OpenJDK の開発も Oracle の独断ですることができない。
GNU General Public License でオープンソース化された Java は、派生物のライセンスもGPLが強制されソースコードを公開しなければならない。
そんな OpenJDK をリリースした、当時の Sun の中の人達こそがレジスタンスだったんだ。
飛行機には履歴書みたいなものがある、という話を anond:20210809215439 で書いたところ、少し反応があって嬉しかったのでもう1個書いてみる。
今回は2021年7月半ばに引退したばかりの「JA01VA」について話そう。JA01VAはANAのエアバスA320型機で、2010年代から最近にかけてのANAの苦悩が見える機材である。
https://www.planespotters.net/airframe/airbus-a320-200-ja01va-all-nippon-airways/ey1ly5
日本で本格的にLCCが登場したのは2011年である。ジェットスター・ジャパン(GK)、ピーチ(MM)、エアアジア・ジャパン(JW、当時)の3社が相次いで設立された。
GKはJALとカンタス航空の合弁、MMはANAと香港の会社の合弁、JWはANAとエアアジア(マレーシア)の合弁で設立された。
かくも合弁企業ばかりなのは、日本における航空会社の外資規制(全株式の1/3まで)があるからだ。
このうち、ジェットスターとピーチは上手くいっていたのだが、エアアジア・ジャパンは失敗してしまった。というのも、エアアジアとANAでLCCを巡る運営方針に大きな違いがあったからである。
喧嘩別れによってエアアジア(マレーシア)はジャパンの運営から手を引く。これにより、エアアジア・ジャパンは「バニラエア」に社名を変え、ANAの100%子会社として再出発した。
(なお、その後エアアジアは非航空業界の日本企業と連携して再参入を図り、名古屋に2代目エアアジア・ジャパンを設立するも再び失敗した。日本での事業があまりにも下手なようである。)
このとき、JWに5機あったA320(JA01AJ~JA05AJ)はエアアジア持ちだったようで、全機が東南アジアに移籍していった。
だが、この喧嘩別れの前に発注されていた機材がある。製造番号5844、JA01VAである。
一般的に航空機は、新造時にメーカー(エアバス、ボーイングなど)にて航空会社の塗装を実施して納入される。
しかしこの製造番号5844は納入先がゴタゴタしており、エアアジア塗装でいいのか、そもそも別塗装になるのかわからない状態で納入が進められた。
結果、真っ白な状態でエアバスから成田に回送され、大阪伊丹空港のANA整備拠点でバニラエア塗装が施されることになった。
https://flyteam.jp/registration/JA01VA/photo?sort=phototime&order=asc
さすがに内装は着工完了していたらしくらしく、エアアジア仕様、外装はバニラエアという機体が出来上がった。
ちなみに初期のバニラエアはANAから退役前の古いA320を転籍させるなど、JA01VA以外にもゴタゴタした機材が多かった。
こうして、ANA(ANAホールディングス)は自社傘下に2社のLCCを抱えることになった。
当初は「成田はバニラエア、関空はピーチ」「バニラはリゾート路線・訪日外国人に注力」などと素人目にはちょっと苦しい言い訳をして2社が棲み分けをしていたのだが、その境界線はどんどん曖昧になっていった。
LCCとしてのブランドはピーチの方が強く、業績も良かったことから2018年にはピーチへの統合が発表された。
バニラエア機材の大半はピーチ仕様に改修ののち、移管された。なお、日本の法令では国内で一度登録した機体番号は会社が変わっても変更できないため、ピーチ移籍後も「JA○○VA」となっている。
しかし、当然ながらピーチもそこそこの規模で機材を持っており、15機全部を移管すると過多になってしまう。そこでJA01VA~JA03VAが余り物となったのである。
この余ってしまった3機は2019年にANAが引き受けることになった。まだbeforeコロナの時代の話である。
ここでANAの機材運の悪さに触れておかねばならない。
ANAは老朽化した機材を三菱スペースジェット(MSJ、MRJ)、ボーイング737MAXなどで置き換えるプランを立てていたのだが、MSJの相次ぐ開発遅延(のちに中止)、737MAXの事故による世界的な運航中止など、どちらも見込みが立たなかった。
加えて、次世代の主力機としていたボーイング787のエンジン設計上の欠陥により改修作業を余儀なくされ、コロナ前の旺盛な需要の中、機材繰りがギリギリとなっていた。
余談だが、ANAはコロナ直前に明らかに供給過多で時代遅れなA380も掴まされて、クソ機材によって本来被らなくていいような赤字まで被っている。機材担当チームのセンスがないか、あるいは強烈に運が悪いかどちらかであろう。
ここでちょうどよく転がっていたのが旧バニラのA320である。ピーチとの統合で余ったとはいえ、機材のリース期間満了までは当時の段階で2年ちょっと残っていた。
しかし、これをANA仕様に改修するには時間もコスト、改修認可の手間も掛かる。その結果として「1年限定で、LCCの詰め込み仕様のままANA機として飛ばす」という奇策がとられた。
通常のANA仕様のA320なら166席のところ、LCCは同じサイズの機材に180席も詰め込んでしまっている。これをANAは機材コード「32G」と称し、塗装だけANAにしたのちに2020年1月から一部の路線に投入した。
ちなみに料金が安くなるわけでもない。何も知らず、ANAに乗ったと思ったらこの機材に当たった人は気の毒である。実際、ANAユーザからは「ハズレ機材」と言われていた。
2021年7月、JA01VAは予定通り約1年ちょっとの運航を終えて引退し、沖縄・那覇空港に回送された。おそらく現在、那覇にあるANAの整備拠点でリース会社に返却するための引退整備(片付け)をしていると推測される。
機齢は若く、まだ最前線で活躍できる。そのため、リースバック後には海外のどこかで活躍するだろう(尤も、コロナの影響でどうなるかわからないが)。
次はどこの航空会社に引き渡されるかはまだ不透明だが、製造番号をキーにしてまた追いかけることができるので楽しみである。仲間のJA02VA・JA03VAもまだ国内に留まっているが、順次同じ手続きを取ると思われる。
以下雑語りです
https://bunshun.jp/articles/-/45917
一市民として悲憤慷慨を隠し得ない
駅周り30分ぐらい適当に歩いてあとはWikipediaの雑引用、かの文春の記者がやることですか?
だいたい駅の話から市の話に自動的にすり替わってるのおかしいだろ お前がやってること、山手線の内側を"ナゾの激坂地域"とか書いて結局目黒駅周辺の話しかしないのと一緒 わかる?
それに自由民権運動の話するならちゃんと自由民権資料館に行って話聞いて来いよ
※自由民権資料館 鶴川駅から徒歩25分。民権運動をテーマにした資料館はここと高知県の自由民権記念館だけ。和風な造りの本館は、民権志士が残した武芸道場を保護・改装したものだ。
文章を順を追って殴りますが、まずね、境川の話が「都県境」で終わるのがもったいなさすぎるんですが…
後々神奈川ネタ出すなら、かつて武蔵国と相模国の国境線が境川だったってところまでやるべきやろ
あとは
(・中世では現多摩市との境界が武相国境であるような認識があったが、太閤検地の際に完璧に河川が国境線になった)
(・検地以前は境でなかったので高座川と呼ばれていた)
までの情報があった方が良かった
・小田急線はもともと南町田や長津田付近を通る予定だったが、地主がゴネて町田を通った
・「デッキを抜けたら地下」な小田急町田の独特の駅構造は周辺の地形に関係している 境川の流域が狭く、川に沿って坂線がある
・"ただ絹の道があったから"発展したと思うな あれは浜街道(八王子と横浜をつなぐ道)沿道でありながら鎌倉街道沿道なので、東京湾に進む人の流れと相模湾・埼玉から来た人の流れが激突することになり、一躍巨大市場になったんだ 相模湾で捕れた魚を乾かしながら町田まで歩いた商人もいて、駅前に乾物屋が多いことのルーツはここにあるらしい(富沢商店ももともと乾物屋)
・絹の道の由来について語るなら、"ただの道を絹の道にした"鑓水商人の話も欲しいし、どうでもいいですが町田市には槍溝(やりみぞ)という希少苗字が残っています
あと民権運動や水源問題は町田が神奈川になった理由の本質じゃないだろ
多摩川・荒川流域じゃあないんだよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
町田市以北の多摩地域のほぼ全域は多摩川流域(八王子、青梅、三鷹等)か荒川流域(東村山、清瀬、武蔵野等)に属します ところが町田市が擁する水系は境川・鶴見川の2系で、多摩川水系の河川はほとんど通っていません おかしいだろ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!流域ごとに郡や地域を区切るなら町田は横浜市や相模原市の一部になって然るべきだろ
多摩川欲しさに東京府が三多摩を合併したのは事実ですが、併合してもなんもいいことない現町田市の地域1町4村まで神奈川県を追い出されたのは"多摩郡に属していたから"ですよ
②武蔵国である現横浜・川崎両市がなんか都心と分離され、神奈川県の枢軸になってしまった
インターネットは③を一生擦ってるってことにはよ気付け
※解説
①https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12203290882 ヤバイなこの回答者、郡史ガチ勢?これを見るに武蔵府中との結びつきって相当強かったんだな でも鶴川以東には国府の権力が及ばなかったのもなんか不思議ー
②https://togetter.com/li/1285652 と https://www.customs.go.jp/yokohama/history/hatten.pdf 神奈川県の成立理由はマジでごちゃごちゃしていて最悪だが、"なんかメッチャ白人(しろんちゅ)がいる嫌な場所"と"俺らの住まい"とをひっぺがしたかったという趣旨
中世のころ、武蔵府中から丘陵の壁を超えて「多摩」の使命を言いつけられたことに始まり→時は流れて近代、なんか横須賀にゲェジンが来たせいで江戸っぽくないところを別県にせざるを得なくなり→水源問題で都心と神奈川が大モメかました挙句過激派活動家が大暴れして「多摩(笑)」一帯が神奈川県を追い出された
もし武蔵国府が調布のあたりにできて鎌倉街道が東にずれていたら、もしペリーが江の島に来航していたら、町田はこんな「仲間外れの市」にはならず、"茅崎県"県央の凡庸な自治体になっていたかもしれないし、はたまた鶴見市や都筑市という巨大な自治体に包摂されていたかもしれないのだ
そしてその世界線でも、ろくでもないライターが「"ナゾの途中駅"本町田駅」とか書いちゃうだろうが、 でもその記事はここの日本ほど多くのpvを稼がず、トレンドにも載らずひっそりと埋もれていくんじゃなかろうか
だから答えるよ
未だに何もわからない
飽きたんだよ
お前らが同じ話ばっかりして肝心な要点を見過ごしてるから不快なんだってば
それにステレオタイプで地域を語るのは地域差別となんも変わらんだろ
(前に町田関連のネタツイを自称リベラルに共感RTされたことがあったけどすごい嫌だった いかなる差別にも屈しないなら町田は東京都って言えよ、民主政治が大好きなら民権運動によって東京都に移管された街に最大限の敬意を払ってくれよと思った)
本当に町田が好きなんだったら、インターネット雑語りをやめて、今日から町田にちゃんと向き合え
ネタで町田を神奈川扱いするならテコンダー朴みたいに歴史的経緯を全部踏まえてやれ 憶測で物事を語るな
あと神奈川県に接する駅といえば町田駅だけじゃなくてつくし野駅も鶴川駅もそうです
にしてもこのブロガァーみてぇーなライタァーは駅前で何を見たんだ?日本初の車いす用バスを見たか?町田街道の向こうに佇む広大な谷戸(注)を見たか?谷底の美術館の収蔵品を調べたか?ジョルナのエレベーターのボタンを押したのか?何もしてない
これをポジティブにとらえると、読者にもっと町田の魅力を探させる余地を与えてくれたってことになる
だからどうか、ここから先はスマホの前のみんなに、町田駅や"町田市"を回ってほしい
限界逆張り地理オタク御用達・源流と坂と県境のテーマパークとして、町田市は今でも多くの廃人を寄せ付けている
町田市は本当にすごい 今や小平にも及ぶブルーベリーの産地だし、南町田にはケンタッキー食べ放題店舗があるし、堂之坂公苑は誰も来ないのに水琴窟があるし、玉学には赤瀬川原平の家も残ってるし、白洲次郎の別荘で食べるオムライスはマジでうまいし、つくし野の急坂はどこまでも続くし、小野路宿里山交流館は江戸末期の旅館を改装した建物だから木造で落ち着くし、野津田の山はクソでかいし、相原にはおいしい卵屋(カトウファーム)とアイス屋(東京みるく工房ピュア)があるし、本町田には北条時行の戦った合戦場があるし、リス園の近くに井の頭公園みたいなでかい池があって夏になると隣のちっこい池でメッチャ蓮咲くし、多摩境には都内唯一のストーンサークルがあるし、大泉寺は谷戸の底にすっぽり収まった寺で春になると桜が参道に咲いてめちゃ綺麗だし、恩田川の桜はもっと綺麗で目黒川より混んでないからいい写真撮り放題だし、木曽町の地名の由来は一般通過木曽義仲
とにかく春先にあの戸場谷戸を尾根の上から見渡した時の、菜の花畑や一本立ちの桜や小さな白いトラック、別の尾根が続いている光景は言葉を失うものがあったから、一緒に行こう。
お前は町田を待ってないかもしれないけど、町田はお前をいつまでも待ってるから。
【あとがき】
https://twitter.com/pededeck/status/1246422466135617537 ←これはインターネットで見つけたわかり手
注:谷戸は谷の一種。底が平たい。上から見るとUの字になっている。海進によって土砂が堆積し、このような平底になったようだ。あきる野の横沢入や稲城の上谷戸は有名。
追記 こんなにたくさんの人々のブクマと注目を集めることができて光栄です。卒論も町田のことで書こうと思っていたので、励みになりました。町田地方史研究会のおじちゃんたちに比べたら、自分は町田について本当にニワカで、話せることも少ないけれど、精進しようと思います。
https://note.com/kinghalo_dl/n/n939546088687
紙オタクには基本話通じねーのはわかってるんだけど、まあとりあえず爺紙オタとして。
(noteがいいかなと思ったのだが、マザボにsandy bridgeを受けてしまったのでな。まともに書けんのよ。)
公式の記事 ( https://mtg-jp.com/reading/publicity/0035039/ ) で言いたいのは大体以下の三つだと思う。
・COVID-19だったんでデジタルゲームに注力しててごめんね!
今後は今まで通りデジタルゲームを店舗でのプレイへの呼び水にして、店舗での組織化プレイを重視していくよ!
・Magic Pro League(MPL)は来期で終わり!それ以降についてはまだ未定だよ!いきなり言うと困ると思うから言っとくね!
・eSportsも悪くないけど、やっぱカードゲームはみんなで遊びたいよね!みんなが楽しめるイベントをどんどんやっていくよ!
まずは今回の声明についてさらっと書いとく。公式がちゃんと書いているのでその言葉を使って。
■ なんでMPLやめるの?
別に MtG が eSports に向かないとかそういうのではない。
「カードゲームの競技プロ化というのはかなり無理がある」とかない。なかしゅーに喧嘩売ってんのか。
草の根紙オタクが既に何人も言及してるんだが、MPLはWotCが販促としてやってくときにいろいろ問題があった。
a) 「上位層重視のシステムから離れ、より多くのプレイヤーに開かれた環境づくりに回帰していく」
これまではお祭りのつもりで参加したグランプリでうまくハマって勝ち上がったり、
いろいろなところで開催されているプロツアー予選を抜けることで、プロツアーへの参加権が得られ、
そこで勝ちさえすれば、プロへの道が開けるというとてもシンプルで見通しのいいものだった。
でもWtoCはそのプロツアーを廃止して、プロプレイの舞台をチャンピオンシップ → ガントレット → ライバルズ → プロリーグ って多層構造にして、
勝ち上がっていけば君もMPLに入れてプロになれる!って仕組みにした。
けど、それぞれ Top4 とか Top8 とかじゃないとダメなんでとにかく門戸が狭い。そして常に勝ち続けないといけない。
多分、eSportsの仕組みをパクったのかもしらん(*)のだけど、カジュアルプレイヤーがお祭り気分で
グランプリに行ったり見たりしたら、競技プレイがそこにある、みたいな感じからはずいぶん離れてしまって、
競技プレイ好きな人が、MPLを目指し、カードを買い、イベントにも参加する、
それができない人はMtGから離れていくみたいな感じになっていたのだろうと思う。実際公式はそういう楽しみ方ばかりフューチャーしてたんでしょうがないと思う。
そんなことを3年も続けていたら、キッチンテーブルでふわふわ遊ぶ俺みたいなプレイヤーと、
Arena毎日ガンガンやって競技プレイするみたいな人との分断がえらいことになったんだろ。
とにかくMPLやったせいでプレイヤー層を狭めてしまった反省は文中に死ぬほど出てくる。
b) 「現行システムに有終の美を飾らせ、将来の新しいシステムのために自由度と柔軟性を持たせる」
ここはちょっと予想入るんだけど、MPLが (a) の通り、間口が狭くなって純粋に高度なプレイのみを見せ物とするコンテンツになっただろ。
そうやって囲い込んだプロに金を出してスポンサードするのってMtGの広報の観点から費用対効果あんの?って話でてきたんじゃねーのかなって思う。
WtoCは人気あるかもわからない紙オタに金払って配信してもらうより、ストリーマーとして拡散力もあるプレイヤーに案件出してスポンサードするほうが「広報」の観点からは良いのでは・・・?ってなるだろ。効果も測りやすいし。
あと、WotCは組織化プレイ関連についてはプレミアイベントの主催を大手ショップに移管したり、公認ジャッジ制度をジャッジアカデミーって組織に切り出したりと、結構縮小したい感じがすごくあった。
そんな中、わざわざまた自社でMPLなんて競技プレイイベント開催するのも、方針としては一貫性がないっすなーと思ってた。
なので、2021Q2では、実際にストリーマー使った企画が行われたり、ストリーマーや芸能人に金出してYoutubeで案件動画やってもらうみたいなことしてる。そりゃそっちの方が見込み客にリーチしやすいだろうしな。
(*) MPLの仕組み作る前後で組織化プレイマネージャーどっかから呼んでた気がする。Linkedin追っ掛ければ分かるかもだけど。WotCはblizzardからの転職組多かった気もするからその辺の影響もあるんかな。ごめんまともに調べてない。
追記:
「ソニーに工場を買収されたので任天堂はWiiUのチップを作れなくなった」
https://toyokeizai.net/articles/amp/29520
>買収後も一定期間はルネサスブランドの半導体を受託生産することでソニーと合意している。ルネサスは2~3年内に、甲府工場をはじめとする工場閉鎖や生産ラインの集約を計画しており、生産終了品目を選定中。鶴岡工場で生産する半導体は、那珂工場へ移管するか生産を終了するか検討している。
というわけでソニーにルネサスの鶴岡工場(WiiUのチップ作ってた工場だぞ)が買収されたあとも、しばらくは受注生産を続ける計画だったわけ。それでもWiiUが製造終了したのはただの任天堂の都合。
んで、次いくぞ。もう一つのデマがある。「ルネサスの鶴岡工場はWiiUが不振だから売却するはめになったwww」っていうデマだ。こっちはPS信者さんがいうデマな。
https://eetimes.jp/ee/articles/1207/03/news088.html
>「生産能力を縮小し、運営。ただし、事業計画に従い譲渡または集約を検討」としたのは、鶴岡工場(ルネサス山形セミコンダクタ)の5インチ/12インチ
この記事は2012年7月の記事だ。つまりWiiU発売前。なのにこの時点で縮小がもう確定していて場合によっては売るし、集約(ようするに閉鎖)もするよとルネサスは言ってるわけ。
WiiUがバカ売れしていたら延長はあるかもね、みたいな路線で、どっちみちお先真っ暗だったの。鶴岡工場は。そもそも40nmラインで28nmへの更新は打ち切りになったから、顧客が他にいるわけないな! むしろよく任天堂この工場使おうと思ったな。
あさんが当社で働いて2年弱。お疲れ様でした。
あさんと総務として一緒に働いて、あさんは本当に総務業務が好きではないだと感じていました。
当社に転職してきたのは社会人2年目でしたね。前職では一つの仕事しかさせて貰えなかったので、他の仕事も出来る様になりたいです、と入社されたのを覚えています。
入社1年目はベテランの先輩がいたため、様々なことを手取り足取り教えて貰えたと思います。ベテランの先輩がご家庭の都合で退職され、あさんに仕事が移管されてから、大変な日々でしたね。
電話をとったら時折電話番号を間違えて担当者に伝えて怒られ、所内の職員資料を回収したら、全職員分回収していないことに気付かず怒られ、毎月ファイリングする資料をクリアファイルに入れて貯めておいたのをある日気づかれ怒られ、スキャンすると100件に1件は歪んでいるため怒られ、他にもあげたらキリがないですが、そんな日が続いたからでしょう。ついに20分もかからないテプラの作成を1ヶ月以上放置する程、全ての仕事が雑になりました。そして本当に総務業務が嫌なんだなということが伝わりました。
ですので、貴方からこの度次の仕事が決まりましたと聞いた時、心の底から良かったと喜ばしく思いました。
アトランダムに発生するミス、納期を守らない仕事、ルールを好きに変えて出す損失、一緒に働いていてフォローする周りの人間が限界に近づいていました。
イキりまくってるコンサルにクソムカついたという話が出てたので、そのついでに自分の話もしてみたい。
今から数年前、自分の担当していた企業の業績が急激に悪化し、再建支援(これは表向きの理由、真の目的は債権保全)のため自分がそこへ出向することとなった。
年商数百億円規模の会社で銀行借入も百億円近くある企業なので、管理体制はそれなりに構築されているのだろう、そう思っていたのだが実際には酷い有り様であった。
社内の情報共有は全く成されていない、損益管理も決算を締めてみるまで分からない(月次で試算表は作っているが、進行基準ではなく完成基準なので全く参考にならない)
資金繰りの管理すら行われていない、「月末の不足分は銀行の当座借入枠で調整」という中小企業でよくある典型的パターンとなっていた。
「このままではとても自力再建など出来ない」と気づいた私は、危機感も能力も全くないプロパー社員を指導しながら、社内管理体制の構築に努めた。
出向から1年が経過し、それなりに社内の管理体制が整い、月次の損益管理や資金繰り管理もそれなりに形になってきた。
その結果、「決算を締めてみて大赤字が判明する」という幼稚園児レベルから「決算を締める前に大赤字だと分かる」という小学校低学年レベルへ進化することが出来た。
そして私は遅まきながらようやく悟ることが出来た。
今私がやっていることは高血圧の人に対して「毎日血圧を測定しましょう」と言っているに過ぎないのだと。
毎日血圧を測れば高血圧だということは分かるが、測定したからといって血圧が下がるわけではない。
リアルタイムで赤字を認識しようが、決算を締めて認識しようが赤字は赤字にしかならないのだ。
ベンチからの指示は「とりあえずもう少し続投」であったが、私は「どうやったって自力再建は無理なんで、そろそろ敗戦処理を送り込んで貰えませんかね」と強く要請。
そしてここでようやく本題である「あまりイキってないコンサルの人たち」が登場することとなった。
私の想像でしかないが、所謂イキり系コンサルはIT系、システム系に多いのではないかと思う。
経営改善コンサルや事業再生コンサルと比べると、システム系コンサルは歴史が浅いのでイキり系が産まれやすい土壌でもあるのだろう。
私が一緒に仕事をすることとなった人たちは「事業再生コンサル」であり、弁護士・公認会計士・元銀行員といった顔ぶれであった。
ネット上でイキる意識高い系のコンサルと違い彼らはみな紳士的な対応であったが、逆にその丁寧さが私には慇懃無礼に見えて仕方がなかった。
彼らの登場により、私の業務についても次のステージへ進められることとなった。
プロパー社員たちに知られることが無いよう、一日中別室でコンサルたちと事業DD、財務DDを行い企業の清算価値を査定した。
当社は3つある事業部のうち、製品製造を行っている2事業が海外との競争に晒され赤字垂れ流し状態。
しかし幸いなことに、一番規模の小さいメンテナンス事業部だけがコンスタントに黒字を計上していた。
法的整理を行い担保物件等を処理した場合、百億近くある融資のうち回収出来るのは1割未満。
一方で、大幅なリストラを行い黒字の事業部だけを新会社に移し、今後10年間で返済可能な借入を背負ってもらうとなると3割程度は回収可能。
この試算結果を受けて、経済合理性の観点からも再生は可能であると判断された。(ここで再生不可能と判断されれば破産するしか手はない)
ちなみに事業再生系のコンサルの費用は本当にアホかというくらいに高い。
各種資格保有者ばかりということもあるが、当初3ヶ月の契約で3000万円。
そしてここから半年かけて行う事業リストラ、再生計画策定、解雇された従業員の再就職支援等の費用として5000万円請求された。
(費用のほとんどが彼らの人件費であり、駄目元で値下げ交渉したところすぐに5~10%値引いてくれた。にしても利益率高すぎじゃね?)
ここまで書いていてふと思い出したのだが、そんな彼らにも少しだけこちらをイラっとさせる癖があった。
会話の中でとにかくやたらと良く分からない横文字のビジネス用語を使いたがるのである。
「リストラについては一律にやると優秀な人から抜けるリスクがあります。まずは経営陣でバイネームでリストを作成してください」
「増田さん、これだとアップルトゥアップルの比較にならないですよ」
(あっぷるあっぷる?りんごが溺れてあっぷるあっぷるなのかな…)
「スポンサー候補先とはNDA締結してExclusiveでの交渉になりますね」
彼らとの会話にときたま苛々させられながらも、Google翻訳の力を借りて再建に向けた作業は着々と進みつつあった。
法的整理と異なり私的整理は基本的には迷惑をかけるのは金融機関だけなのだが、法的拘束力が無いのでこの調整が一番難航する。
高い費用をかけてコンサルを導入する理由は、この対金融機関折衝を乗り切るためといっても過言ではない。
債権放棄額の妥当性、再生計画の蓋然性について、各金融機関を納得させるための資料作りに関しては彼らの能力は非常に高い。
まあ高いコンサル費用払ってるんだから当然といえば当然なのだが、彼らは凄まじいスピードで計画や報告書を作り続けた。
私が出向してきて3年が経過したところで、ようやく事業再生手続がひと段落した。
黒字事業と借入の一部を新会社へ移管したうえで、旧会社は銀行団が債権放棄を行ったのち清算。
1000名以上いた従業員も8割以上が解雇となり、人材引き受けの協力を得られた他企業へ転籍したり、転職支援サービスを利用して転職したりしていった。
そうして私もようやく長い任務から解き放たれ、出向元へ復帰することが決まった。
コンサル会社との契約もここで終了となったので、慰労を兼ねて私はコンサルチームのメンバーと最初で最後の飲み会へ行くこととなった。
私としては3年間という短い期間だったとはいえ、一時は同僚だった人たちの大半をリストラするという後味の悪い仕事が完結したということもあり目一杯呑みたい気分だった。
しかし残念ながらコンサルの人たちは飲み会の場ですらもスマートであり、1杯目だけはアルコールだが2杯目からは皆ソフトドリンクへ切り替えていた。
「恐らくこの後もビジネスホテルに帰って他の仕事をしたり、自己啓発したりするのだろうな」と思っていると、予想通り飲み会は開始からきっかり2時間で終了。
まだまだ飲み足りない私を残し、コンサルたちはタクシーに乗り込み帰ってしまった。
一人残されてしまった私は「憂さ晴らしにデリヘルにでも行くか」と考えた。
しかし私はすぐに反省した。リストラされ再就職先も決まっていない従業員も大勢いる。
そんな状況で呑気に風俗に行くなど道義的に許されることではない。自分よりももっと辛い状況の人は大勢いるのだ。
デリヘルに行くことは断念し、私は駅前のレンタルショップでアダルトDVDを借りることで手早く性欲を満たすこととした。
帰宅後、風呂に入ったあとでDVDを入れたのだが「このDVDは再生できません」というエラーメッセージが出てしまった。
記録面が汚れているのかな…と思いティッシュで綺麗に拭き取ってみたが、何度やっても読み取りエラーが出てしまう。
私が日本語を読み解いた限りでは否定されていないことです。間違いがあったら指摘お願いします。
「1. 国内ユーザーのデータ管理について」から、暗号化されてDBに保管されているのはトークだけであり、それ以外はE2E暗号化は行っていない。(通信経路はSSLなどで暗号化されている。)
3-2の①の内容から、LINE Digital Technology (Shanghai) Limited(大連)において、LINEの捜査機関対応業務従事者用CMSの開発業務に従事していた人は、これらのデータにアクセスできていた。現在はアクセス権を削除している。
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3-2の⑤の内容から、LINE Digital Technology (Shanghai) Limited(大連)において、Keep機能の開発者は、Keepされたデータ全てにアクセスできていた。現在はアクセス権を削除している。