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はてなキーワード: 私立高校とは

2022-05-05

anond:20220503112150

俺の母校の学費は1400万円。俺の頃はもう少し安かったかもしれんが同レベル不惑を数年超えてやっと年収1200万円。子供いるのに平日しか休めない。高給っていうか長時間労働なだけ。残業代がしっかり出るだけマシなんだろうけど、残業代が出るのは当たり前だからな。

子供は2人。妻は専業主婦離婚なんてする気はないが、離婚した場合養育費の目安って自分の最終学歴らしい。子供たちには俺が受けた教育投資をしてやる義務があるわけよ。

大学学費だけで2800万円。そこに行き着くためには当然塾とか、高校私立かもとか、浪人するかもとかあるのですよ。

俺は私立高校だったし浪人しているし。

からうちは家は建売だし、車は10年落ちなのに買い替えられる気がしない。

サラリーマンのままでは辛すぎるので、もうやめて起業するけど、辛いってのはそういうことだ。

自分の子どもへの教育に金をかけたいわけだから、それは低所得者から見ればわがままに見えるのかもしれない。

ただ、年収が高くても生活レベルは低い場合もあるんだよ。お前らの方が良い生活しているんじゃないの。

幸せって何なんだろうな。

世間から見れば高所得者で、妻子も持てた。

でも使える金はないし、体力ないのに忙しすぎて余暇の楽しみというか趣味というかそういうのは何もない。働いて働いて、休みの日は子供習い事の送り迎えとか、持ち帰り残業とかで潰れる。

地主とかの資本家が真の富裕層であって、年収900-1200くらいの層なんて激務労働者しかないんやで。

2022-04-20

パパ活で退学になった女子生徒を助けるためにフェミ団体が出てきた話

同級生私立高校教師から少し前に聞いた話。

 

女子生徒の1人がパパ活をやり、相手の男が逮捕された。一緒にいたところを職質されて、詰問された男が認めたみたい。生徒は学生しか身分証明書を持っておらず、自分の連絡先を明かさなかったので学校に連絡が来たとのこと。

 

過去にあった同様の前例(当時は援交)同様、一発退学になったんだけど、それを不当として、よく分からんフェミ団体が「彼女被害者です!処分撤回しなさい!」と言って乗り込んで来たらしい。

 

「うちは私立ですので、うちのルールに従えなければ公立へどうぞ」で対応したみたいなんだけど、まさかそんなのが来るとはって彼も驚いてた。女性側はパパ活でも無罪みたいだし、悪いことって認識はないんだろうね。

 

※分かりづらかったんでちょっと表記変えました

2022-04-13

anond:20220409163112

いやそういうコンプレックスとかもあるだろうけど

私立高校大学でもないかぎり教育に携わる物品はすべて「メンテ可能性」がすべてだと思うのよね

デキる先生、ワカるPTAが文科省になにか言われて(たとえばあなたを急に文科省エリートに抜擢しますとか)その学校には誰もいなくなったら?

この学校の生徒全員がブラジル移民になった(当然父兄日本語も怪しい)になったら?

ひがみとかじゃないのよ 義務教育は国の義務だけど国は義務だけ課してもママにはなってくれないの

ただでさえウィンドウズやエクセルなんて10年したらクズ同然の課金強要システムだし

文科省来年以降もウィンドウズを使っていい、教育現場にタダで配ってくれるってほぼ保証した状態になるまで何年かかったか知らんのか

秘伝のタレ(紙と手作業でのマニュアル)ごと捨てたらもう復帰できない、メンテ不可能システムになるしそういう教区もすでにあるの

どんなバカママでも日本語がしゃべれなくてもなんとかできる可視性、メンテ性を重視してるのはそういう意味なの

2022-03-10

日東駒専を出て5年が経った

MARCH以下の大学である日東駒専卒業してから5年が経った。所属していたサークルメンバー現在立場面白かったので共有したい。

地頭が良いか体力があれば、なんだかんだ日東駒専でもそこそこ上手く世渡りができるようだ。

都内中高一貫校

そこそこ頭の良い高校を出た同期は新卒ベンチャーに入り数年間働いていた。地頭は良いので仕事問題なくこなしていたようで、気づけば某大手通会社マーケティング部に引き抜かれた。

埼玉私立高校

野球部で3年間シゴかれた反動大学音楽サークルに来た同期。地元市役所にしれっと入り、若手の有望株として活躍している。

普通都立高校

平均的な都立高校を出た彼は就活に失敗し、日々店頭に立って接客業に勤しんでいる。後輩の育成担当はいもの給与は低く、シフト制なので土日に友人と遊べないのが辛いらしい。

・頭の悪い都立高校

偏差値が40台の都立を出た彼は資格を取ろうと意気込み、卒業後はバイトをしながら公認会計士を目指していたようだ。バイト勉強も上手くいかなかったらしく、フリーターとして日々職を転々としている。

・頭のいい県立卒

千葉トップレベルの県立を出た彼女関西機械メーカー就職した。男子以上に仕事に精を出し、転職して今は愛知自動車メーカー調達担当としてコスト削減に勤しんでいる。

・頭の悪い県立卒

要領の悪かった彼は一社目を一週間で辞め、契約社員正社員をかなりの頻度で行き来し、数年経ってようやく地方の文具店に就職した。給与はかなり低いが生活コストも低いらしく、慎ましやかな生活を送っている。

・体力しかないアホ高校

新卒キーエンス就職し、5年経った今でも生き抜いている。年収は1千万を越えた模様。

2022-02-07

弱者を助けたくて公務員になったら弱者を許せなくなった

障害者父親行政支援を受けて生活しているのを身近に見てきたので、中学生の頃から行政仕事に憧れていた。

奨学金を借りて高校に通い、高卒枠で公務員試験を受けるも不合格。働きながら通信制大学卒業し、予備校に通い、25歳で地方公務員に。

実際に弱者支援する側に立った時、「努力しない人」「無計画に生きる人」にむしょうに腹が立つようになった。

同じ部署で同い年の会計年度職員(非正規公務員)の子と一緒に昼食を食べてる時に「正規公務員は恵まれ過ぎてる」と言われてイラっとした。

お前は私立高校から東京私立大学まで行かせてもらって遊んでる間、私は15歳から10年間、今の職に就くために努力してきたんだけど?と腹が立ってしまう。

同じように弱い立場にいる人にもそう感じてしまう。

こんな風になりたくなかったけどどうしたら良いんだろうね。。。

2022-02-06

anond:20220128135018

元増田です。偽物かもしれないけど。

誰にも読まれないと思ってひっそりと追記を書いている。

年末出来事1月末まで引きずり、やり切れない思いを書き殴った文章が思ったより多くの人に読んでもらえたみたいで驚いている。

想像以上に暖かい言葉が多くて嬉しかった。そして、自分の妬み嫉みの酷さに吐き気がしそうだが、現在もその気持ちは変わらない。

その後、彼女から「今度はちゃんと遊びにきて!ちゃんおもてなしするから。」との誘いもあったんだった。彼女の母に気に入ってもらったらしい。嬉しい反面、遊びに行くのが怖い。妬みの感情が渦巻くが、彼女の家は居心地が良かった。自分生活に帰れなくなりそう。幸いコロナのせいでしばらく訪問は実現しそうにないけど。

彼女の事を書くと身バレに繋がるので、控える。状況的に苦労もあっただろうと思うが、それを差し引いても恵まれていると思う。奨学金の額を聞いて驚いた。私の4分の1以下。学費の全額を賄っているわけではないだろう。私立高校出身だし。正直かなりの世間知らずだと思う。私の事は話す気にはまだなれない。

読み返して思ったが、羨ましいのは金銭面もそうだが、一番は親がキチンと働いてるというところだ。

すぐに仕事を辞めてしまう父、身体が弱いといってあまり働かない母。そのくせプライドが高く、生活水準を落とす事ができず、嵩む借金。総額は知らないけど。

体裁とか見栄とか捨てて、生活保護を受ければいいのに。家も借家だし。財産なんてないのだから

地元の人見れば確かに都会の大学へ進学でき、羨ましがられる事もあるだろう。親は自慢しているみたいだし。だが、実情はこんなもんだ。取り繕った親の見栄の仮面剥がしたい。

仮面を剥がす勇気も、親を捨てる勇気も持てないので、限界が来るまで、やり切るしか無いのか。笑顔を絶やさずに。

2022-02-01

青いスリッパ

公立高校の校舎の前には下駄箱があって、外履きをスリッパに履き替えて教室に入ることになっていた。

スリッパ学校指定の青くて冷たい感じのするもので、どこかのトイレで使われているようなものだった。

でも、それは指定されたものからみんなそれを履いた。それが制服の一部なのだ

ある日、そのスリッパ文句がついた。

あん個性のないスリッパ押し付けるなんておかしい。

あのスリッパは古くからある形で、戦争からあるものじゃないか

個性のないスリッパ集団押し付けるなんて、没個性だ。思想教育だ、軍国主義だ。

こんなことでは個性のある生徒は育たないに違いない。」

校則に反して、違うスリッパ生活する生徒が現れる。個性を発揮しているらしい。

校則違反を指摘すると、学校に来ないと言う。教育を受ける権利を奪われたと言う。

学校指定スリッパを履いている人をそそのかす。「そんなことでいいの?」

校則に反している生徒は複数になった。教師にもいる。

スリッパの色や形で人生思想も影響は受けない。

スリッパ個性を発揮しなくても、個性や完成を発揮するところはありすぎるほどある。

スリッパが嫌なら、私立高校に転校して勉強をしてもいい。

だが、違うスリッパを履いている生徒は自分たちが正常で、自由謳歌している仲間だと主張している。

校則で決まったスリッパを履いている生徒は笑っている。「他にこだわるところがあるだろ。」

青いスリッパ君が代だったらどうだろう。

2022-01-24

上級国民用の私立高校に押し込められたら世界史の授業は四大文明しかやらない。大学受験をさせないための詐欺だったんだろう。

2022-01-21

毒親子供をグレさせる方法などいくらでもある

公立高校受験して早く毒親を逃れようと、5教科の勉強をしたいのに

3教科分の本しか与えず、自分の手の3教科試験私立高校にぶちこむ

2022-01-20

同和地区に生まれ

同和地区に生まれ育ち、多分『それなり以上の同和教育を受けた最後世代』だと思っている私。

私は昭和の終わりかけに、関西大都市に生まれた。自営業の父と専業主婦の母のあいだに生まれ、1歳児の頃から公立保育所に通った。

現在幼児もつ親でもあり、『保活』『保育園落ちた』などのワードネットで見るにつけ、自分の育った地域時代現代のどちらがおかしいのかわからなくなるのだ。

まず、私の母は専業主婦だ。母方の祖父と同居だったが、その祖父が要介護だったとか、母自身病気だとか何もなかった。1ミリも『家庭での保育に欠け』てなどいない私が、普通に公立保育所に通った。

母は私を幼稚園に入れたいと思ったそうだ。しかし、親族を含む周りの多くの人たちが、いつ保育所に預けるのか、保育所の申し込みをまだしてないのかとものすごくうるさかったらしい。『保育所が当たり前だった。同じ小学校に行く子は町内のどこかの保育所出身で、幼稚園に行く子なんていない』と言われたらしい。

母は心配しながらも私を保育所に入所させた。まず、町内に公立保育所がいくつもあった。1学年1クラス、私が通った保育所はその中でも人数が少ないところだったので、年長クラスで一緒に卒園したのは12人だった。最近の『保育所が足りない』どころか、どう考ても当時の子供の数を考えれば保育所が多すぎるくらいだった。

運動会宿泊保育、遠足卒園式などは合同で行われた。保育士さんはどうだったか忘れたが、市の公務員である給食調理員さんたちは、その町内の保育所のどれかにしか転勤しない。(当時給食調理員だった知人が近所にいたため、知っている)

今、雨の日でもお昼寝布団セットを自転車で運んでいる保育園パパママさんを見かけるが、私が通った保育所ではお昼寝布団の他、給食で使うスプーンや箸など、肌に触れるものや口に入るものも持参する必要はなかった。かばんに入れて持って行ったものは連絡帳以外思い出せない。

私は二人の子供を私立幼稚園に通わせた。ひとりは卒園し、ひとりは在園中。まあ、これでもかというほど指定用品を買わされ、毎日スライド式のカトラリーセットを始めあれこれ通園鞄いっぱいに持って行く。最初自分の子時代とのあまりの違いに驚いたが、『あ、こっちのほうが普通なんだ』と最近では思うようになった。

保育所時代はほぼ同和教育はなかったが、小学校に入ると一変した。

まず、入学時に必要もののほぼ全てが無料支給だった。ランドセルまでタダだった。母と一緒に入学用品を近所の『会館』に取りに行ったことを覚えている。鉛筆消しゴムまであった。筆箱は自分のものを使えたかな。それが最初の一回だけではなく、『とくしゅうひ』というものがあって、冊子が配られて必要学用品に丸をつけて提出すると支給された。これはいつの間にかなくなった。高学年になる頃にはもうなかったかと思う。

私の実家貧乏ではなかった。後に書くが、学用品無料支給してもらわないと就学できないほど生活に困窮している同級生などいなかった。

ランドセルデザインも何もかも皆同じ。ほとんどの学用品が全員同じだった。出どころが一緒だからそうなるんだろうけど、他の学校のことを知らないのでそれが普通だと思っていた。給食で使うお箸、食後に使う歯ブラシまで皆同じ。歯ブラシの色選びでじゃんけんしたことも覚えている。

それから子供会』というものがあった。放課後に行くところで、別に親が働いているからとか何もなく、ほとんどの同級生が在籍していた。行くか行かないか自由だったが、小学校の下校時に集団になって歩いて行ったことを覚えている。おやつが出たり、遊んだり、土曜日は昼食も出た。学童保育のような感じだったが、違いは『(ほぼ)全額無料』で『まあまあゴリゴリ同和教育機関でもあった』こと。そこで働く人たちのことは、先生さん付けではなく、『指導員』と呼んでいた。(例 田中指導員)

主に教えられたのは狭山事件のことで、歌まであった。私はその歌をなぜか今でも覚えている。小学校1年生のときから教えられる。それから、何の日だったかは忘れてしまったが、5月23日10月31日が近づくと、狭山事件のことをいつもより色々聞かされた。

大人集会もやっていた。たまに祖父について行ったことがあったが、集会最後シュプレヒコールがお決まりだった。後になって祖父はその集会になぜ参加していたのか母に聞くと、『お父ちゃん、その年確か町内会の役しとったかちゃうかな』そんな理由だった。

小学校の名札のところに『差別裁判をゆるさない』とかワッペンをつけて登校する期間があったりもした。『ワッペン登校』と呼ばれていたが、今考えるとすごい。小学生制服に、別にの子意思でもなくそういうワッペンをつけさせていたのだ。

学校道徳の授業は、同和問題を始め、とにかく何かと差別を絡めた内容だった。在日コリアン問題とか。私の子供が入学して教科書名前を書いていたとき道徳教科書何気なく見ると、『金の斧 銀の斧』の話が載っていたりして、自分ときとの違いにまた地味に驚いた。

小学校1年生に狭山事件のことを話してこれは差別だ!とか言われても正直よくわからなかったし、狭山がどこかもあまりよく知らなかった。『かなり昔、遠い関東で無実の人が逮捕されて、裁判が何か差別らしくて………』といった感じで記憶している。

他にも後で特殊だと気づいたことがある。天皇制否定国歌を教えない、卒業式定番仰げば尊し』はなぜそこがダメなのか忘れたが『我が師の恩』のところに文句がついていたっけ。

ある日の子供会の集会とき、『天皇制おかしい』という話を聞いたのをおぼろげながら覚えている。『天皇誕生日祝日なのはおかしい』と力説されたが、子供心に『学校休みになるんだし祝日にまで差別とか言うのか』と思った。

洗脳レベル教育だったが、低学年頃にはなくなっていった(後述)こともあり、『差別に負けない大人になってほしい!!』だとか『(何にか忘れたが)誇りをもってほしい!!』と言われても全くピンとこなかった。

ワッペンをつけたり、子供向けの集会があったりというゴリゴリ同和教育は私が高学年になるより前くらいから一気になくなった。そのため、冒頭に『最後世代』だと書いたのだ。

理由は、狭山事件容疑者とされた人が仮出獄となったからだと思う。学用品がタダとかそういうのも、その頃からだんだんなくなっていった。

一世代上、私の母世代は、狭山事件が起こった頃に小学生くらいなので、大人になり、子育てをする頃までずっと続いたということになる。

母は私立高校卒業しているが、『タダだった』らしい。無料から私立高校を選んだわけではなく、公立高校に行く学力がなかったかららしい。高校無償化なんてつい最近一部の地域で始まったことだが、これも『同和特権』のひとつだろうか。それよりも驚いたのが、自動車教習所授業料も『タダだった』と言うのだ。私も運転免許をもっているが、確か教習所に入るときは30万円くらい払ったと思う。それもタダ?

それから、これは自分家族はいないが、市の公務員になれるルートみたいなものもあったそうだ。失礼な話だが、『この人、どうやって公務員になったんだろう?』と思うような人が、市の職員だったりした。

母も私と同じで、そういう環境で周りもそれが普通だったし、他のところのことを知らないので、疑問をもったことがなかったらしい。大人になってから、『あれは普通じゃなかったんだ』と思ったという。

江戸時代身分制度の名残で同和問題差別があるわけではないと、成長するにつれわかった。私が背負ったランドセルも、入学試験で特待生だったわけでもない母がタダで通った高校も、税金から…と考えたら、嫌われるようなこともしてるよなあ、知らなかったとはいえ…といつからか思うようになっていった。

その後、高校大学と進むうち、部落差別っぽいものは時々あった。というより、特に悪気のない、同和地区に対するイメージを誰かが話しているのを聞くことがあったというくらい。

まず、『あのへんは治安が悪くて行くもんじゃない。どんなやつがいて何をされるかわからない。最寄駅で降りないほうがいい』と言っていたバイト先のおじさんとか。

かにイメージとして、ガラ悪いとか治安が悪いとか思われがちだが、これが意外とそうでもない。麻痺してるのか慣れきってるのかとも思ったが、夜になると人通りはほぼなく、ガラの悪い人や治安を乱しそうな人もいない。夜の町は、『ここ?本当に関西大都市?』と思うほど人通りもほぼなく静か。逆にそれが不思議だとか怖いだとかで動画サイトに載っていたりするが。

かに治安がよくて人が住みたいイメージではないよなと長年思っていたが、最近では転入者も増えて、昔はボロボロ団地ばかりだったところに一戸建ての家が建ち並ぶようになった。相変わらず市営住宅が多く、整備されているものの見た目がほぼ同じ。スマホマップが普及するより前は、宅配ピザ配達員さんが迷って電話をかけてくることもあるくらいだった。

そういう街はここだけではない。似たようなところをたまたま電車などから見ると、『あ、ここ…同和地区かも』とわかるようになった。

人生で、『あ、これが部落差別?』と思ったのは一度だけある。結婚ときだった。目の前でやりとりしたわけではなかったが、夫の両親は同和地区の嫁が来るのは嫌だと言っていた。私に直接言ったことはなかったが、義母から夫へのメールを見たら結構すごかった。

結局結婚したのだが、10年経っても『ほら、同和地区の人となんか結婚するから』みたいになったことはない。結婚を反対されたことを知った両親も、『まあ、そりゃ、どうぞどうぞ大歓迎ですってことはないよな』というような反応だった。従姉妹たちも同和地区出身でない人と結婚している。親である伯父と伯母は、娘の結婚相手の両親に出自を話したらしいが、それを理由に反対や差別はされなかったという。

私が昔受けた同和教育の題材にもよく結婚差別が出てきたり、同和の子貧乏いじめられて排除されて…みたいな内容が多かったが、思い出してみれば小学校同級生には食べるのにも困るような生活をしている子は誰一人いなかった。それでも色々支給されたり…あれは何だったんだろう?と思う。

これもまた同和地区特有の話だと知ったのだが、とにかく近所の人達情報を何でも知っている。私達世代はそうでもないが。今時隣の家の人のこともあまり知らないのが普通みたいな世の中だが、母より上くらいになると、『全くの他人のことを何でそこまで知ってるの?』と驚くほどだ。

私は聞いているだけのことが多いが、たまたま何となく会話にAさんという人が出てきたとする。たとえば私が『Aちゃんのお母さんが入院したんやって、Aちゃん大変そうで心配やなぁ』とか言ったとする。

すると母と伯母が、

『A?ああ、あの子な!うちの一学年下の子旧姓増田やろ?増田おっちゃんとこは立ち退きなる前は◯◯に住んでて、今団地入ってるやろ?おばちゃん滋賀から来た人やったわ。Aは高校出て化粧品屋に勤めとって、学会の男の人連れてきて結婚して西宮のほう行ったけど、結局別れて娘二人連れて帰ってきてたなぁ。増田おっちゃん怒ってたわ。あの子入院したんや、それは心配やな』

増田おっちゃん覚えてるわぁ、Aちゃんて姉ちゃんの一個下やったら、うちの二個先輩やろ?その子の弟がうちと同級生やねんけどな、中学同級生のCと結婚して、夫婦で市に勤めとったから、お金持ってんで。団地出て関空とかあの辺りに家買うたらしいわ。増田のおばちゃん不倫しとったん覚えてる?近所同士でようやるわぁとかみんな言うとったなぁ』

こんな感じ。一体何の話だったかこちらが忘れそうになるが、私の友人の母親実家事情を、同学年で仲が良かったわけでもない二人が知り尽くしている。

これは、同和地区出身者同士の結婚が多かったこともあるからかなと個人的に思っている。大人になってからは、では近所に住む誰かの会話に『私』が出てきたとすると、ここまで知られているのかとゾッとして、母に聞いたこともある。

『まあ、このへんやったらそうやろうな。でも、若い子らはそこまででもないと思うけど。うちの娘ていうことはみんな知ってるやろうし、行ってた学校ぐらいは知ってるやろな』

と、当たり前のことのように言われた。

同和地区も、私のように町並みでわかる人でなければあまり他の町と変わらないようになってきた。それに、顔を見たら同和地区出身者とわかるわけでも、戸籍を見たらわかるわけでもない。有名な同和地区が現住所や本籍であった場合はわかるかもしれないが。

解放会館も人権センターとか名前を変えた後、いつの間にかなくなった。『部落差別をなくそう!』『差別落書きを見つけたら云々』という文言が書かれた町内会ポスター掲示板もなくなった。私が少し通ったあの子供会もなくなった。

今でも、『住まないほうがいい町』とかググると私の地元が出てきて、理由に同和地区がどうのこうのと書かれているが、外から人はたくさん来ている。市営団地の入居者は全員知り合いだとか、市会議員や解放同盟コネ団地簡単に入れるという話も聞かなくなった。

実際、24年ほど住んだが、事件らしい事件ひとつも見たことがない。通り魔ひったくりに遭った人が近所にいようものなら3分で噂になるはずだが、これも聞いたことすらない。いや、別にB地区とか犯罪がとかヤクザがどうの、治安悪いとか言われてるけど、全然怖くないですよ、町も綺麗で平和で、他のとことそんな変わりないですよ』とここで主張したいわけはない。

イメージしかない同和地区と、そこに生まれ育った私とでは、全く違うだろうなと思って書いたに過ぎない。

改めて、自分の生まれ育った場所を考えてみたとき、そこがたまたま特殊なところで、確かに差別されたり嫌われたりしても仕方のない面をもっていて、でも何だか普通生活の中で出さないほうがいい話題』のひとつであって…

何かそんなことを思って書いてみた駄文だ。

2022-01-05

口を利かない両親の呪いから解放されたと思ったがそんなことはなかった

自分の両親は仲が悪い。

仲が悪いと言っても口喧嘩をしたり暴力があったりというわけではないが、ただひたすら喋らない。

流石に全く一言も喋らないというわけではないが、予定の連絡や「ごはん!!」のような単語くらいしか相手に向けて発せられる言葉がない家庭だった。

それも会話と呼べるレベルではなく、一方的に言い放つだけだ。

何が原因でそうなったのかも自分には定かではない。

バカみたいに短気で気に入らないことがあるとすぐ殴る・蹴る・肘鉄を食らわせてくる、挙げ句壁に穴をあける反抗期の兄や、中学卒業して遠方の私立高校に通うために家を出た姉など単体ではきっかけと思えそうな出来事もあるが記憶曖昧なので、夫婦仲が最悪になったか反抗期苛烈になったり姉が家を出たのか、姉が家を出た結果家計面が苦しくなって夫婦仲が悪化したのか、色々考えられるが結局の所因果関係は未だによくわからない。

いつからそうだったのかは正確にはもう覚えていないが、最後に親戚宅等以外で家族イベントとして出かけたのが小学校4~5年くらいだったと思うので、おおよそ自分中学に上がる前にはすでにそうなっていたのだと思う。

そこから今日まで15年以上ずっとそのままだ。

 

自分大学進学と同時に家を出たのだが、実家にいた頃は母が家のことは家計管理から家事まで全てやっていた。

そのため、子供心にこれは良くない流れだと思いつつも、食事金銭面など生命線を握られていたのもあり母とだけ会話をする生活を送った(父と会話をすると、というより父が喋っているのを聞くと母が露骨に機嫌悪くなるので、結果的に父と喋る機会が無くなった)。

大学に入って周囲の家庭環境を耳にしたり実感の環境をある程度客観視できるようになってからは、父が家庭内孤立していることもあり実家帰省したときにはタイミングを見て少しは喋るようにしていた。

この頃は生命線を握られていた実家環境から脱出できて自分で会話すべきかどうかを決められるようになり、両親の呪いから解放されたように思えた。

 

しかし、ここ最近になって再びこの呪いを感じるようになった。

大学生だった頃はどんな理由かは知らないが現状は子供目線ではどっちもどっちだよなぁ、と感じていた。

就職して数年経った今でもどっちもどっちとは思っているが、一方で母が父に対して不満を持つのも当然だと思うようにもなった。

母はパートとは言え肉体労働系の内容で週5日9時~16±1時間勤務(繁忙期は土日勤務ありで9~19時過ぎまで仕事をしていることもあった)をしながら家事休日自分含めた子供部活動の送迎・手伝いなんかも全て一人でこなしていた。

就職して家事を全て一人でやるようになって改めて分かるが、当時の母には全くと言っていいほど自分時間など無かっただろうし休日も十分に休めていなかっただろう。

今思えば端的に言って母に負担が集中しすぎていたように思う。

それに対して父は正社員出張が多いようだったが、それ以外では残業もほぼ無く18時くらいには帰宅する生活にも関わらず家事は一切せず、家ではひたすらテレビを見ながらガバガバ酒を飲む人だった。

休日も繁忙期などは父方の祖父母宅(農家)の手伝いをしに行くこともあったが、大抵は趣味スポーツに出かけていることが多かった。

地域行事子供会などに積極的に関わっていた一方で、家庭内蔑ろにしていたのではないかと思うようになった。

加えて父は率直に言って会話がズレていることが多く、食事もいわゆるクチャラーというやつだ。しか最近はまだ軽度だが反ワクチン的な話題に傾倒しつつある。

こういった心境の変化があって改めて考えてみると、特に尊敬できる要素もなく「自分父親である」という点を除くとお世辞にも積極的に関わりたい相手ではなかった。

 

こうしてみると、大学の時に父と会話する頻度を上げようと思った事自体実家で母に強制されていた環境に対するただの反発や揺り戻しだったのではないか、という気もする一方で、今自分が父に感じているこの不快感もまた大学進学するまでの実家環境で刷り込まれ思想価値観が多分に影響しているのではないかと思ってしまうのだ。

金銭的にも精神的にも自立してなお自分価値観自分のものだと思う反面、解放されたと思っていた呪いが実は解呪不可能なほど自身に染み込んでいるのではないかという自己アイデンティティに対する不安を感じている。

 

ついでにいうと、あと5,6年もすれば両親ともに60歳を超えるのだが、今の関係性のまま老後やっていけるのかも非常に不安だ。

現状では、両親が祖父母のようにお互いにある程度助け合って一つの家で生活を共にするというのが、どうしても不可能ではないかと思えてならない。

一応兄は実家暮らしだが父同様で一切家事をしていないし、昔に比べてマシになったとは言え相変わらず短気で不機嫌になりやすく、とても介護必要状態になって実家生活がまともに回るとは思えない。

そもそも母方の祖父母夫婦2人暮らし生活しているし、自分には自分の、兄には兄の、両親には両親の人生がある以上、多少金銭面の援助はするかもしれないが少なくとも自分は直接介護をする気は全くないのだが、そういった将来の話も現状では全く聞くことが出来ていない。

2021-12-20

anond:20211220152453

じゃあ、制服って女学生には痴漢リスクあるだけで犯罪被害リスクがめちゃくちゃ上がるって話になるんだけど。

なんで君たち保護者世間学校に向けて制服廃止する運動を起こさないの?

制服廃止されないのは「人の親」であるあなたたちが動かないからだよね?

子ども制服を脱げない」のは世間が、人の親であるあなた制服を着る社会を許容し続けてるからだよね。

学校によっては判断して、私服で通える私立高校だってあるのにそうなってない。

被害者である学生女性であるあなたが動くべき話はこっちじゃないの。

犯罪被害の高いリスクを背負ったまま制服着続ける程の理由ってある?

ブルマだって被害リスクが高いハレンチ服装からって廃止されていったよね。

責任転換してないで「人の親」なら自分の子トラブルに遭わない為に直接の原因を解消したら?

2021-11-04

anond:20211104154227

https://ameblo.jp/sorai2000/entry-10374073834.html

自民党時代生活保護受給世帯の「母子加算手当て」廃止に伴い、ここ数カ月、マスコミ各社が、母子加算廃止されたために生活が苦しくなったと言う、生活保護受給を受けている母子家庭を取り扱いテレビワイドショーで流れていたり、揚げ句は、弁護士を付けて訴訟を起こしたなどの、新聞記事などを目にする事が異常に多くなって来た。

彼女らが、生活保護を受けるまでの経緯は、単純に離婚旦那暴力借金・未婚の母(所謂シングルマザー」)など様々だ。

本当に生活保護必要で、受給し、日々慎まし暮らしている人も当然いる。

その様な人がいる傍ら、一方で、それを当然の権利とばかりに受け取り、日々、怠惰生活を営んでいる不定の輩が多いのも事実である

よくあるケースが、「鬱病を患っており、働けない・日常生活にも支障がある」と言う人が多い。

最近では、病院の方でも、以前ほど簡単鬱病として診断書を出さなくなっているそうだが、精神科に行き医師に「こう、こう、こうだ」と言えば、意外と簡単に「鬱病」と診断した診断書を出してもらえたりもしていた。

北海道札幌でも、数年前、20代前半の若者生活保護を受ける人が異常に多くなったと、社会現象化していて、札幌テレビ局で特集をやっていた事もある。

その時の、大まかな流れはこうだ。

大学専門学校などを出たが、働きたくないと言う若者が、仮病を使って病院へ行く。

医師も、鬱病などに関しては、熱があったり外傷の様に、容易に目に見える訳ではないので、患者側が演技をし、最もな事を話せば、簡単診断書が出たそうだ。

その診断書を手に、役所へ行き鬱病理由生活保護を受けると言うケースが多々あったそうだ。

この様な事は勿論、全国でも同様のケースは存在している事であろう。

生活保護も、偽装離婚による不正受給暴力団がらみ、在日韓国朝鮮人など、本来、国や地方が支払わなくても良い場合が多々存在している。

特に在日韓国朝鮮人などは、窓口の係員を恫喝、それでも応じなければ、その係員の自宅に大勢で押し掛けて抗議などをするなど、性質が悪いケースもある。

そして、性質が悪いのは、既に離婚をして旦那が居ないにも関わらず、何故か妊娠をして子供を産む人も存在する。

1人ならまだしも、2人・3人と産む人もいるそうだ。

原因としては、

・実は偽装離婚であった。

出会い系などで利用し、(主に体関係目的の)男を作っている。

数年前に起きた、児童殺害事件容疑者であった畠山鈴香と言う人も、生活保護受給者であり、どうやら出会い系辺りを利用し、男性を家に呼んでいたそうだ。

家に来た男性との行為中は、冬の寒空だろうと構わず、実の娘を表で男が帰るまで待たせていたと言うのは記憶に新しい。

恐らく、相手男性からお金を受け取っていたと思われる。

聞く所によると、生活保護受給者の母子家庭母親が、出会い系を利用し、援助交際をやっていると言う人が、結構いると言う話は聞いた事がある。

さて、話は戻り、最近生活保護受給母子家庭であるが、税金保護を受けているくせに、「足りない、足りない」と言って騒いでいる。

その発端の一つが自民党廃止した「母子加算手当て」である

これは、生活保護受給者の母子家庭に毎月2万円が上乗せされる手当てで、この2万円を巡って、変な連合作ったり、政党にくっ付いたり、訴訟を起こしたりしている。

しかも、母子加算が無くなったせいで、お金が足りない・生活が出来ないと文句を付けている人達、その実態を見たら、まさにビックリ仰天である

福岡在住の、高3・高2の娘を持つ吉森(41)さん

スナッチャー!!

母子加算廃止に納得がいかないそうです。

そして、そのおかげで生活が大変困窮しているそうです。

しかし、買っている肉に注目!

あれ?「剣山牛」?1580円?? いくら半額でも787円もするけど…

その下の肉も、880円に980円の半額。

預金残高899円しか残って無いのに、こんな国産ブランド和牛買おうなんておかしいだろ!

これを、小分けにしてラップで包んで冷凍庫で保存して少しずつ食べるんだそうだ。

普通お金が無かったら、必然的に安い「豚バラ」「鳥胸」を買いますが…

同じ焼き肉用なら豚バラのパックなら500円も掛からないが?

おまけに、娘を私立高校に行っているそうな… 授業料免除されてる公立行けよ。

しかも、娘が進学(大学)を望んでるって…

ちなみに、この方、出るマスコミによって歳が違います

ここでは「吉森千賀子(46)」となっている。

http://nishinippon.co.jp/nnp/lifestyle/topics/20090716/20090716_0001.shtml

この家庭の月の内訳

・毎月22~25万円(パート代含む)

風呂の水を節約(その割にはやたら高い水道光熱費

・その他、電話代などが高い

残念ながら、この時の映像の内訳が無いのでソースを出せないが、生で番組を見ていたら、ビックリする金額だったのは間違い無い。

この吉森さんの月の内訳に下記の様なものが混ざっているが、これは吉森さんの次に映像に出た家庭の内訳です。

確か、小学生男の子が3人くらいいたはず。

毎日1~2本(缶ビール?)の飲酒

バリバリ喫煙者

通信費 月4万5千円

・JCOM(ケーブルテレビ)に加入(月に2~3万掛かっていた) 

地デジ対応液晶テレビ所有

子供が家庭用小型ゲーム機 任天堂DS2台所

この家庭、子供喘息持ちで、「医療費が掛かるので余計に苦しい、もしもの事があっても、すぐに病院に行けない」みたいな事を言っていたが、上記の内訳に注目!

        母親が『 喫 煙 者 』

喘息患ってる息子居るのに、プカプカタバコ吹かすってかい

それに、何かあっても病院に行くお金が無いと言うが、生活保護受給者は医療費免除ですが?

しかも、ケーブルテレビ加入しているが、その料金が凄い!

拙者もJCOMに入っているので料金体系を知っているのだが、JCOMの場合普通固定電話ネットケーブルテレビ入れても、パック料金で安くても9千円くらい。

それを数万って…

恐らくWOWOWとか有料オプションチャンネル入れまくってるんだろ。

それにしても、生活保護受けて、毎日酒にタバコ飲んで、ケーブルテレビ引いてって、随分優雅生活をしてますな。

そんなに生活苦しければ、JCOMと酒・タバコ止めれば良いだろ。

どうせこう言う人に限ってヘビースモーカーで、日に2箱とか平気で吸ってるんだろうさ。

単純計算で、缶ビール1本120円として、毎日2本飲んでたら月に約7200円、タバコは1箱320円として、日に2箱だったら、月に約19200円

合計したら、26400円なり!

おいおい…支給される母子加算より多いじゃないか……

次に、この方。

スナッチャー!!

京都府在住の辰井絹恵さん(46) ※左の人

何でも、乳癌で右の乳房を切除して以来、後遺症右手が満足に動かせないとの事。

術後に旦那さんと不仲になり退院後に離婚

現在共産党後ろ盾を得ているそうな。

ちなみに、この方の月の内訳は、

・食費 1万円

衣服、雑費 1万円

子供の小遣い 3千円

http://www.narumiya.info/blog/2007/03/08-235130.php

それにしても、良く右手が動くみたいですな!

ちなみに彼女離婚後、重度の鬱病を患ったそうなのだが、その割には、あちこちに講演に出かけてる様で。

http://slip.happy.nu/newsclip/news/a20090216_01.html

18歳になる長男がいるとの事で、母子加算が無くなったので、月1の楽しみであり贅沢でもある「回転寿司」に行けなくなったそうな。

しかも、2人で向かい合って座り、「40皿以上平らげて積み上げられた皿を見た時だけ、貧しさを忘れられた」と言ってるそうで…

って、おい!!

『40皿』って何だよ!! しかも2人でって!

普通の人なら10皿も食べれば、ほぼ満腹だろ。

しかも、この人って、あの体型で月の食費が1万円だろ?

絶対にありえんだろ。

この調子(40皿)じゃ、親子2人で巨体と言うのは目に見えているので、息子も普段から相当食べてるだろ!

じゃなきゃ、普段ろくに食べてないのに、月に1回フラっと店に来て40皿以上も食べれないって。

月1の贅沢で寿司を40皿以上食べるとか、あまつさえ、それが食べれなくなったために訴訟などとは厚顔無恥も甚だしい。

自分現在置かれている立場・状況が全く分かっていない。

それどころか、そんな事が当たり前、人間として当然あるべき生き方と言う理屈に、自動書記的に置き換えられている。

普通仕事をしている一般の家庭でさえ、寿司など滅多に食べられない人だって多い。

そう言った場合、大概はスーパーのパック寿司を食べるのが通常である

こう言った人は、寿司屋に行っても、安いもの(皿のもの)なんて、まず食べないだろう。

1皿目からトロなどの高いものから手を付けるのが目に見える。

辰井さん、そんなに権利だの主張だのをしたいのであれば、スーパーで売っている、太巻き稲荷のパックである助六』を食べなさい。

そう言った事であれば、まだ同情の余地もあるが、一般人が滅多に行けない寿司屋に当たり前のように行ってるんじゃ、全く同情の余地も無いぞ。

そもそも生活保護受給金額は「最低限の生活が営める」が基準なんだから

2021-10-07

anond:20211007233721

これ一番の問題私立高校にも宗教系多いし公立も長年共産党が牛耳ってた影響で両方宗教というね

2021-09-30

anond:20210930140749

弁護士和田正が小番一騎の妻と不倫したので和田弁護士事務所に妻と乗り込んで

和田局部を枝切りばさみで切断した、ということでよろしいでしょうか?


プロボクサー慶応法科大学院生、小番(こつがい一騎いっき被告(25)

https://oitachi-ima.com/jiken/4024/

弁護士試験の一次試験合格した程優秀な苦学生だった

妻の南部希美事件当時、慶應大学1年生だったそうです。

東京中野区に築40年の1軒屋を間借りして暮らしていたと言われる二人の暮らしぶりは築40年の部屋を借りていただけあって、狭い部屋で質素暮らしぶりだったと言われています

南部希美は、小中は不明でしたが高校東京港区にある頌栄女子学院高等学校(しょうえいじょし)キリスト教系の私立高校卒業しているが、その偏差値は60とも言われます

一説には、実家家族と折り合いが悪く実家を出る口実になると小番一騎との結婚を決めたと言われており今回の被害者となった弁護士和田さんとの行為も実に短絡的な成り行きで性的関係を結んだ事が裁判でも明らかとなっています

被害者和田さんの、怒り狂う夫小番一騎に対して「同意の上での関係だった」は嘘では無く事実で5回程、自らの法律事務所上司にあたる和田さんとの折り合いを考えて優位にアルバイトとして採用してもらえると言う、忖度を考えての性行為に到ったといとも簡単供述しています

2021-08-31

白金高輪硫酸事件》「3次元の女には興味がない」高校時代親友が知る容疑者の素顔 文化祭ではたった1人で千本桜の“ヲタ芸”を披露

https://news.yahoo.co.jp/articles/1802d0a1f14431501d6becccd310a410187dcafd

静岡県静岡市で育った花森は、地元の小中を卒業した後に入学した県内私立高校で、1年生時に留年している。

当時流行っていた『ラブライブ!』の映画が公開された時も、週替り特典の色紙やメッセージカードなどを『これは売れるかもしれない』と言って毎週映画館に通っていました。

体育館ステージ自由参加の出し物に立候補して、花森がたった1人でサイリウムを使って初音ミクの『千本桜』のヲタ芸披露したんです。会場はワ―っと盛り上がり、本人も満足そうな顔をしていました。ボカロアニソンが好きで2年生くらいかヲタ芸にハマって動画を見ているのは知ってましたけど、そんな目立つことをするタイプではなかったのでみんな驚いていました。他の高校ヲタ芸仲間と集まって駿府城公園でよく練習していたようです」

キモオタだったか

2021-08-26

しょうもないのに忘れられない言葉

たぶん自分以外は全く気にしていないだろうふとした言葉が、どうしても頭から離れず残っていることはないだろうか。心に残る名言とかそういったものではなく、もう少し生産性のないもので、忘れてもまったく困らないようなことなのに、なぜか忘れられずに頭にこびりついていること。

暇になったので、私の人生の各地点におけるそういった言葉をいくつかピックアップして振り返ってみる。


高校時代:「利休かよ」

私の出身高校はお寺に附属している私立高校で、地域のお寺の跡取り息子という生徒が各学年に何名かいるような、ちょっと変わった学校だった。そのため、選択科目の時間は「書道」「茶道」「修行」を入学時に選択することになる。

(この「修行」については実際のところ別の名称があるが、それを検索すると容易に学校名が特定できてしまうため伏せている)

そのシステムを全く知らずに入学した私はこの3択の中で最も普通そう…と思い「書道」を選んだのだが、入学して話を聞いてみると、圧倒的に人気なのが「茶道」ということが判明したのであった。というのも、茶道先生がとても優しく、また授業中に毎回振る舞われる季節のお茶菓子が非常に美味しいとのこと。そういうことは入試要項に書いておいてほしかったが、1年間は選択科目を変えられない。

初めての選択授業の日、同じように事前の情報入手に失敗したと思しき私たちクラス情報弱者達の顔ぶれは見事というほかなかった。何故か毎日きっかり30分遅刻して来る奴、入学2週間目にして校内でキティちゃんサンダルを履いている明らかな不良、冴えんメガネ(私)、金髪、などなど、明らかにクラスの上澄みが茶室に出ていった後の底に溜まっている淀みそのもので、狙ってもなかなか出来ないような吹き溜まり感のある人選が逆に面白かった。余談だが、書道先生名前はジュンコ先生といい、ものすごく筆順に厳しかったため、書き順子と呼んでいた。

とにかく異常につまらない書道だったが、それでも半年ほど一緒に同じ空間にいるとなんとなく仲間意識のようなものが出来始めていた。この環境に置かれなければ絶対交流を持つことはなかったであろうタイプの人と話す機会はそれなりに新鮮でもあった。金髪の子は毎回私の墨汁を借りていった。

ある日、いつものように選択授業の時間(3時間目だったと思う)になり、茶道クラスメイトたちが「今日お菓子何かな〜!」とか楽しそうにキャッキャしながら教室を出ていくと、同じくいつものように逆アベンジャーズけが教室に残された。すると、キティちゃんサンダルの不良女子教室本体よりもでかいキーホルダーがジャラッジャラについた携帯をいじりながら、私に話しかけてきた。

お茶メンうるせー。あいつら茶道楽しみすぎじゃね?利休かよ」

(注:「お茶メン」…茶道選択している人のこと。なお書道にそういうのは無い。)

ちょっとした衝撃を受けた。普段ほとんど寝ているか怖い先輩と中庭で話しているだけにしか見えなかった子が、こんな知的ツッコミを!と雷に打たれたような気分だった。私はその頃、初期のダウンタウンVHSヤフオクで買い漁るのが趣味というしゃらくせえ高校生だったので、このセンスはあまりに眩しく私を貫き、大爆笑した。その記憶と、ギラギラネイルの指先に収まるラインストーンがジャリジャリついた携帯電話の様子を鮮明に覚えている。

以来、いつも一緒にいる親友というわけではないがこの子との交流は付かず離れず続き、その後色々あった結果わりと有名なトップスタイリストになった彼女に、私は今でも髪を切ってもらっている。頻繁にこの「利休かよ」の話をするのだが、本人は全然覚えていないらしい。

 


大学時代:「じゃ あなた誰なんですか」

上京し、とある弁当店レジ打ちのバイトをしていた頃のこと。締めシフト(21時〜24時)の担当は2名、私とSさんだけで回すことがほとんどだった。Sさん自称大学生の25歳で、毎日ギターケースを背負って出勤していたがそれ以外の荷物を手に持っているのは見たことがなく、客が誰もいないとバックヤードで店内有線の安っぽいメロディに合わせてGLAYの「BELOVED」を熱唱している姿が印象的だった。有線じゃなくてギター弾けばいいのにと思っていた。

ある日、(本来ルール違反とされていたが)23時半くらいになると全然客が来ないため、私は閉店前にレジ締め作業を始めていた。すると、1人のおじさんがふらつきながら入店してきた。

おじさんは、警察官の格好をしていた。だが、何か違うような、微妙違和感があった。妙にテカテカしているのだ。おそらく、コスプレ衣装であることが分かった。そして、おじさんは猛烈に酔っ払っていた。顔は真っ赤を超えて紅蓮に近い色になっていたし、前述のようになぜ転ばないのか不思議なほどフラフラしていた。酒臭いというかは、「酒」の概念入店したのかと思うほど一瞬で店内が酒の匂いに包まれた。

おじさんは這々の体でレジカウンターにもたれかかると、蚊の鳴くような声で「た、逮捕しゅる…」とつぶやいた。いま思い返してみるとこの時点でかなり面白いが、当時はけっこう普通に恐怖を感じ、完全にヤバい事になったと思った私は、バックヤードからSさんを呼び出した。Sさん仕事こそ猛烈に不真面目だったが、やたら体格がよく強面なのでクレーム対応などでよく矢面に立たされており、こういった事態には非常に手慣れていた。状況を話すと、おじさんの対応に行く前にさっそく交番電話してくれていた。

その後もカウンターにもたれかかり「逮捕しゅる…」しかさない、警官風おじさん。ほどなくして本物の警官が2名お店に来る(ものまねグランプリで後ろから本人が登場する時のようだった)と、店内の様相を見て完全に笑いをこらえているのがはっきりと分かった。とりあえず交番に連れ帰って話を聞くとのこと。

警察です。わかりますか〜?大丈夫ですか〜?警察です〜」

警官風おじさんの右肩を持った警官が彼に聞くと、警官風おじさんは

「…あ!?

これまでのグデングデン状態から一転、いきなりビシッと立ちあがり警官2名を振りほどこうとした。

「おい!!離せ!!オレは警察じゃねえ!!」

警官を前に、誰が見てもわかることを絶叫しながら暴れる警官風おじさん。

すると、警官は極めて冷静に、

「じゃ あなた誰なんですか」

と返した。

その驚くほどの冷静さと、警官風おじさんと本物の警察官距離感の対比が面白すぎて、このバイトをやめて数年経つ今でも思い出して笑ってしまう。警官風おじさんはこの後わりと素直に連行されていった。Sさんはこの後、狂ったように笑いコケていたが、半年後に大麻で捕まりクビになった。

社会人:「あれ、歯 無ぇぞ!?

とある建設会社仕事をしていた(現在もしている)ときとあるリニューアル工事コンクリート躯体の大規模な斫り(コンクリートをいったん壊す作業)があり、おじいちゃんに近い職人さんが数人出入りしていた。夏場ということもあり、塩分補給用のラムネのようなタブレットを休憩時間に配布することが現場ルールとなっており、私も担当者として彼らにそれを配っていたのだが、ある日一人の職人さんがタブレットを受け取って口に入れると、

「あれ、 歯 無ぇぞ!?

と大声を出した。え?と思って近づくと、口の中にマジで歯がなかった。コンクリートを壊す作業振動工具を使って行うため、その振動で総入れ歯が取れ、歯がなくなったのではないか?ということらしい。周囲の全員が大爆笑していたが、本人には死活問題である。ひとしきり笑った後、解体ガラを探ってみたが歯は出てこず、歯無しのまま1日作業をしてもらうことになった。

粉塵の出る作業のため全員マスク着用で行っており、仮に歯が取れていたとすれば保護具の着用を怠っていたということにもなるため、それはそれで困る)

なお、結果的に歯は自宅で見つかったので事なきを得たのだが、振動工具を使っていて歯がポローンと出ていくイメージ想像するだけで未だに笑ってしまう。


とりとめもないことの割に随分文章量が多くなってしまった。人に伝えるには前提となる様々な条件の説明から始める必要があり、それなりに手間のかかることなんだなと思った。こういう、自分けが価値見出して大切にしている思い出の積み重ねで人間個別性を獲得していくんだなあと思った。

しょうもないのに忘れられない一言と、その思い出の話があったら教えてください。

2021-07-31

anond:20210731020525

まぁ、公立トップ校は私立高校と同じ人材より上が来ていてびびったよ。仕組みは、県トップ高校には優秀と評判の先生を押す仕組みがあるって、後で知った。

まぁ、親には投資してもらったよね。それは事実

ち~牛ねぇ、アイツら頭良いから、むしろ食いまくる側だよ。

2021-07-16

anond:20210716155328 anond:20210716155439

それは知らん。ギルティギルティ

近々は2021-06-21(anond:20210621022518)

紙や録音で残る形でやらかしたのは彼だけ。万引き自慢も確かしてた

なおキャリアにはノーダメノーダメだけどタトゥーは残った。やっぱ紙(雑誌)は強いね

国立図書館永遠に閲覧可能

 

クイック・ジャパン vol.3 1995年8月

 

あといじめはしないのはもちろんのこと

自分自身の生命財産危険が及びそうな場合を除いて助けるのがフツーだ

クズは開き直らないように

2021-07-15

anond:20210715173450

その程度とは?下記を肯定するゴミクズ感性を持っていないことか?

辞退すれば反省したんだなってなるじゃん

過去は取り返せないし犯罪者再チャレンジさせるべきだし

公的仕事はしないのならもういいだろってなるじゃん

 

クイック・ジャパン vol.3 1995年8月

2021-06-28

[]

きのうのよるねるまえ

何気なく小学生ときおれをかるくいじめてたやつの氏名でぐぐった

そいつとはかるいいじめいがいのからみはなくて中学はほぼ無接触高校もまったくべつのとこいっった

そいつ地元ちょっといい私立高校

おれはふつうよりほんのすこしだけ上の公立高校

だいがくはじもとの有名国公立におれは現役でうかった

そいつはなんとおなじだいがくに1年浪人してうかってたっぽい

へえ~~~!とおどろいた

まあおれはだいがくごみだったからな

単位ギリギリでそつぎょうするくらいダメ大学生だった

ゴミ

有名私立高校同級生が結託して詐欺をやってたって聞いて多分「慶応」だろうなって思ったらやっぱり慶応だった

2021-06-21

anond:20210621015745 anond:20210715150820

紙や録音で残る形でやらかしたのは彼だけ。万引き自慢も確かしてた

なおキャリアにはノーダメノーダメだけどタトゥーは残った。やっぱ紙(雑誌)は強いね

国立図書館永遠に閲覧可能

 

クイック・ジャパン vol.3 1995年8月
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