はてなキーワード: 甲斐とは
そう、男はあまり涙を見せない生き物というか見せてはいけないともの
だけれど、どうしても仕事で躓いてしまい、やり場の無い思いを抱え家に帰る
飲んで忘れるとかのレベルの話ではなくて、飲みに行く気にすらならない位の気持ち
ボーッと音楽を聴いていたりすると、自然と泣いてしまう自分がいることに
一体なんの涙かも整理出来ないままに、涙が頬をつたう
自分に対する不甲斐なさか、悲しさなのか、正直もう訳がわからない
何も考えることが出来ない
欝なのか?と時たま問いたくなるが、決してそうではないと思いたい
社会人全般、こんな話は公の場では出来ない、そのため皆がそのやり場の無い思いを
いったいどうしているの?
そろそろ女性たちも、この事実と真摯に向き合う段階に来ているんじゃないの? 女性の社会進出を推し進めるためには、男性の家庭進出も同時に進めることが不可欠。どちらかが欠けている状態では、改革はうまく進まない。男が家事と育児を分担する以上は(ついでに男も容姿や若さで評価されるようにもなり)、男は女にそれなりの見返りを求めることができるようになる。
その答えが、男が女に経済力と甲斐性を求める(分担してもらう)ことなのだと思う。
問題は、男よりも稼ぐことができる女の絶対数が少ないことだな。色々批判されているフェミニズムだけど、「稼ぐ女」という概念を社会に浸透させたことについては、立派な功績だと素直に認めなければならない。
(追記)
世の中には、男が女に当たり前のように経済力を求めることに対して、異常なほど拒否反応を持っている人間がいるということだけはわかった。おそらくそういう人間は、男に対する個人的な憎悪をフェミニズムと合体させて利用しているだけで、何の生産性もない可哀想な人間であるということなんだね。妊娠と出産があるから、男は女に経済力を求めるべきではない、だなんてふざけたコメントを読んだ時は身震いしたよ。本当に、この世からいなくなってほしい。
なぜか古いエントリが流れてきた.
放置系ブラック研究室で楽しく生きるにあたって - 糞ネット弁慶
今までこの研究室では,これが研究だという指針があったものの,いかに井の中の蛙だったことを思い知った.
どれだけ頑張っても指導できる先生がいないので,論文を書いてもリジェクトされるのである.
放置系ブラック研究室の特徴は,先生が口先だけで何もやらないのである.
酷いところでは,院生や学生に自身の学務に関する仕事を代わりにやらせるケースもある.
先生が何ら自発的にアクションを起こさないため,院生が必死にアクションを起こさないと卒業できない.
これには院生にも原因があり,卒研生は誰ひとりとして院生の研究を把握していない.
院生も研究の仕方がわからないので,卒研生にプレッシャーをかけることができないのである.
挙げるだけできりがなく,私が受けたハラスメントになってしまうので一旦止める.
甘い蜜で誘い出すが如く,
言っている先生はかなり怪しい.
水素水には2倍の水素が含まれているのと同じで,言い方は間違っていないが真実ではない.
まず院生が育たない.
学部生の延長線上で教育を受けた院生が,果たして院生になれるのだろうか?
学部生に対する世間の期待はそこまで高くないが,院生はそうも行かない.
ましてや,先生が先頭立って「これが研究である」と言ったら悲劇である.
学生は簡単に騙されてしまうので,先生が言ったことは掛け値なしに信じてしまう.
先生は「院生になると学部よりも成長する」とか言って院進を誘い,その結果がこれである.
騙された私が悪いと言えばそれまでで,正直なところ生活が苦しくてもJAISTかNAISTに行きたかった.
なまじ成績が優秀だったので慢心したか,同じ研究室に院進してしまった.
先輩よりも良い研究にしたい気持ちで研究したが,副査の先生に壮大にディスられた.
既に博士課程進学は決まっている時期で,研究室の間違いに気がついても遅かった.
結果的に私は博士課程に卒業し,とあるツテで某大学の助教になれた.
しかし,卒業には6年かかったし,助教が決まったのは4年の時で学費を払いながら仕事をした.
外部の先生に論文の添削や指導をお願いして,共同研究という体で何人か先生の名前が論文に載っている.
他の一般的なレベルの院生のコンテクストを持ち合わせないので,だいたい話が通じない.
学会発表つれーとか,実験が忙しくてやべーとか,言われてもわからない.
年に1回温泉入るだけの学会は楽ちんで楽しいし,アンケート取るだけの実験は忙しいとも思えない.
そのギャップに不安がる気持ちは放置系ブラックあるあるの話だ.
もちろん,修士研究のお作法もわからないので,修論発表会でボコボコにされる.
意味不明な発表で凄く高度に見せかけるテクニックを使った院生は無事卒業できた.
卒研の内容をそのまま修論で出した院生もいたが,受け答えが物凄くしっかりしていて卒業できた.
果たして,このような研究をやって社会に放り出されるのは良いのだろうか?
学生にとっても良くないし,大学にとっても良くないし,社会にとっても良くない.
もちろん,研究もわかってないので,ハチャメチャな論文を書かざるを得ない.
博論審査に必要な論文数を達成できなくなるので,自動的に卒業が決まらないのである.
私は学会発表で知り合った外部の先生に頼ったが,そうしないと論文を書くための初歩的なテクすら身につかない.
Google検索は最良の教師にはならず,論文を書くためのノウハウは誰も公開していない.
よそに移るのが望ましいが,転学は学会発表をたくさんやって先生と知り合いになるしかない.
冒頭で提示したエントリは,そもそも放置されてるので自由にやることを提案している.
優秀な学生は自由にやらせるほど技術的なスキルの向上は見られるが,研究者として致命的である.
私も修論を自由にやったが,副査の先生にボコボコにされるまで何が悪いのか気づかなかった.
技術の必要な分野であれば,修論なんて提出するだけなので就職にはほぼ影響ない.
博士進学を考慮しているならば,自由にやることはおすすめできない.
よく2ちゃんねるで寿司屋の蛇口が手を洗う場所と言って憚らない人がいる.
指導教員が昔からそこで手を洗う人で,学生にもそこで手を洗うと教える.
みんなで寿司屋へ行くと「熱い! 熱い!」とか言いながら大真面目に手を洗っているのである.
大学の研究室は寿司屋の蛇口で手を洗う事態になりやすいところで,よその様子を見るまで気が付かないのである.
冒頭のエントリでは,何を目的として何をするか,自分が恥知らずだったことを気付いた学生の視点で展開している.
しかし,自分でやるということは,1年間で論文20本読んだ偉い! という気持ちになりやすく,「論文は週5本読むのが普通」とか言われてしまうとアイデンティティが非常に揺らぐ.
経験者として言えるのは,寿司屋の蛇口で手を洗ってないか,それとなく確認すること.
自分は優秀だからって一人で研究ごっこやってたらうつ病になる.
(人間って面白くて,週に1回しか人間と面会しない状態が続くとうつ病になるらしい)
(お前が悪いと非難されたこともあるが,大学に週1しか来なくて年収1500万超えてて毎日遊んだ報告をFBに上げるお前には言われたくない)
俺たちは魔法少女にこれまでの経緯を語った。
「なるほどね。被害に遭った人の思考が極端になることは珍しくない。恐怖で外出するのすら困難になる人もいるし、その点タオナケちゃんはまだ深刻じゃないかもね」
「俺たちからすれば、そっちのほうがよかったよ。今のタオナケは破滅願望者と見分けがつかない」
「心配なのね。なら、タオナケちゃんをもう少し思いやって言葉をかけてあげなさい」
「俺たちはそのつもりで言ったんだけど……」
「まさか、『被害に遭いたくなければ、もっと気をつけろ』みたいなことは言ってない?」
「え、何で分かった。心を読む魔法も使えるのか?」
「魔法はそんなに万能じゃないよ。今のは単なる推測。それにしても……君たちのその表現はマズかったかもね……」
タオナケが怒った発端からして多分そういうことなのだろうけど、俺たちにはその理由が分からないでいた。
「でも俺たちの言うこと自体が間違っているとは思わない。自衛ってのは必要なものだ」
「『被害に遭った人間の善し悪し』と、『被害に遭わないようどうするべきか』という話は同列で語られやすいけれど、厳密には別問題なの」
「それは分かってるよ。だから被害に遭わないよう、その可能性を減らすアドバイスをしたんだ。別にタオナケを責めるために言ったわけじゃない」
「その前提を、言われた本人が踏まえていなければ正しく伝わらない。多分タオナケちゃんは、あなたたちのアドバイスが自分を責めている言葉だと解釈したの。ましてや被害に遭って間もないし、冷静に判断することも難しいでしょう」
タオナケは気丈に振舞っていたが、本当はとてもショックだったんだ。
それを分かってやれなかったことに、仲間として不甲斐ない気持ちになった。
「まずはタオナケちゃんに寄り添ってあげなさい。そうすれば、あなたたちの気持ちもちゃんと伝わるから」
「そうだな。よし、タオナケに連絡だ」
仕方なく家にかける。
「あ、どうも、タオナケ?」
「私、親だけど」
出てきたのは親の方だった。
「あの、タオナケは?」
「外出したわよ。マスダさんのお宅に行くって」
入れ違いだったか。
……いや、まさか。
「タオナケ!」
貧困街のエリアにたどり着くと、意外にもタオナケはすぐに見つかった。
騒ぎを辿っていくと、そこにいたのだ。
またも自治体の抗争に巻き込まれたらしいが、今度は事情が少し違う。
タオナケが堂々と振舞っていたものだから、当事者だと勘違いされたのだ。
「それ以上、近づくなガキ共。ワシの正しさは半径10メートルのもと確約される」
そのせいで俺たちは距離を詰められずにいた。
それを使えばチャンスを作れるのだが……そんなこと言われなくともやっているはず。
なぜやらないんだ。
ただ、最近、これから先、この仕事のなり手がいるのか不安です。
私は朝5時に起きて7時には出勤しています。
定時は8時から17時ですが、始業前の準備や時間外設定の会議を考えると
それでも遅くまで残業している職種の方に比べれば大したことはありません。
定休日も2日はありますが、部活などで休日出勤が続くと30連勤くらいは普通です。
部活や合宿の引率、夏期講習などを差し引くとお盆休みがあるだけなので
その他の待遇は普通の業種と同じかそれ以下といったところです。
その都度、カリキュラムの改変や専門外科目の勉強を迫られます。
昔は一発のゲンコツで済んでいたのかもしれませんが、
根気強く諭すしかありません。
それでも事と次第によっては、声を張り上げて叱ることもあります。
しかし、最近ではそうした行為も恫喝やパワハラだと批判されることもあります。
と、叱ったこともあり、これも不適切な指導になるのかと悩みます。
もちろん大多数の保護者は協力的で理解してくださっていますが、
問題児の保護者ほどいわゆるモンスターペアレントの傾向は強く、
一番、ショックだったのは宿題を忘れたことを怒鳴るわけでもなく叱ったら、
こういう状況でも大多数の生徒や保護者が支持してくれ、
生徒が志望校に合格したり、卒業生が遊びに来てくれると嬉しく、
仕事に就く意味はなく、「奇特な人」がやる仕事になっていくように感じます。
教育市場は縮小していくので、定年まで雇用があるかも心配するでしょう。
業務量の整理や待遇改善、モンスターペアレントから守ることなど、
これを読んで少しでも教育について考えてくださったら嬉しいです。
それに比べるとオタク男は日本男の中では特殊なのか、自立した女性を好むよな。
そもそも人気なアニメが「女の子ばっかで男が一切出ない」って内容のが多い。
つまり男に頼ることない女性、つまり自立した女性が人気ってことは間違いない。
それに最近は二次元美少女にママ~と母性を求めて甘えたがる傾向も強い。
万感の頼り甲斐を求めて養ってほしいと思うような男も多い。
前者はCMでCMを作っているのは広告業界の男(当時の企業に発言権がある女なんて殆どいなかっただろう)であって専業主婦なわけがないし、
後者は男が言う事だと思うけど
生活費だろ?
奴隷だって主人から衣食住くらいは与えられてる(というかそれ無いと生きていけない)わけだが、
それすら許さないという事は専業主婦は奴隷以下という事になるんだが。
ゴミ出しくらいやれよ
子供がいたら当たり前では?
「亭主元気で留守がいい」「女房に楽をさせるのが男の甲斐性」って旦那を奴隷扱い。
お隣が車買ったから旅行言ったからうちも連れてけと上から目線で要求する。
今振り返るとこれ理不尽すぎるよね。
2017年現在の日本においては、男女平等に反対している人たちの方が反対派であると思う。女性の社会進出と、男性の家庭進出の流れは今後も更に進められていくはずだ。女性には経済力や甲斐性が求められ、男性には経済力や甲斐性が求められなくなっていく代わりに、女から容姿や若さで吟味されることが当たり前になっていく。それがいいことなのか、悪いことなのかの是非は置いておく。しかし、今まで男社会の仕組みの中において、社会構造的に迫害される存在であった女のブスと、人々から敬遠され続けてきた美男子達に光が当たることになるので、私は個人的にこの世の中の流れを素直に歓迎したいと思う。
※こんな意見を書けるのも、私自身が後者の属性の男であるからですが、そこは皆さんスルーしてね^^
「男社会」の仕組みをもう一度整理しておきたい。男社会とは、世の中の半分の人間である男達に、経済力や社会的地位などを無理矢理に与え、本人たちの意志と関係なく下駄を履かせて、社会を動かしていく制度である。なので、男たちに課せられる負担は女以上に重くなる。その分、男には女にはない特権が与えられるので、男たちはそれで納得して世の中はうまく回っていったのであった。
男社会の特権1:女のブスを社会の最下層として世の中から排除できる
男社会の特権2:男だけの意見で、社会全体の声として通用させることができる
男社会の特権3:容貌の美しい男は、雲の上の存在のように扱われる(要するに、いないものとして無視される)
男社会の特権4:それらの特権を、特権として意識することなく生きることができる
そして、近年の女性の社会進出施策のおかげで、この男社会の仕組みは崩壊寸前になっている。若い男の人たちの中には、自分が一家の大黒柱になって生きると考えるのは少数派だ。今の世の中をパッと見ただけでは、いまだに男社会が続いているように見えるが、これは火が消える間際のロウソクが一番強く輝いているのと同じことで、近いうちに男社会の価値観は消え失せる。北朝鮮との戦争後に始まる「第3の維新」の流れの中で起こる革命が、そのタイミングになるかもしれない。
私はかつて貧乏の中、月の食費1万円で自炊をしてきた。その時の私は間違いなくメシマズだった。
しかし今、普通に食費を使えるようになり、料理の腕が向上したのだけれど、その経験で見えてきた貧乏がメシマズになりやすい原因と、それを踏まえての貧乏でもメシウマを目指せるコツを述べていきたい。
ただ、なるべくお金をかけずにメシウマを目指すが、どうしても必要経費は出てくる。そこを超えてでも美味しいご飯を食べたい人だけ先を読んでほしい。
まず、レシピを見て料理が作れない。なぜなら、貧乏はレシピのために食材を買い揃えるのではなく、買える食材しか買えないからだ。だから、市販のレシピに要求される食材が揃っていることはまずない。なので、適当な食材で適当な料理を作ることしかできないのが、メシマズの一番の原因である。
そして適当にしか料理を作らないので、調味料が揃っていない。というか、調味料の大切さがわかっていない。だから調味料を買わない。高いし。なので、キャベツと玉ねぎを塩コショウで炒めるだけのような料理しかしない。そこに料理酒を小さじ1杯加えるだけではるかに食える炒め物ができるというのに。
この2点が何よりのメシマズの原因だ。
そしてこの原因を解消する手段だが、レシピを見て料理を作るようにするのは却下である。なぜなら、食費に制限がある以上レシピ通りの食材を揃えるコストの高さは許容しがたい。
そこで、調味料を揃え、その使い方を覚えることでメシマズを克服していきたい。
調味料を揃え、その使い方を覚える。それが手っ取り早い貧乏メシウマを目指すコツである。
調味料を揃えるのは高い、と思うかもしれない。が、そのコスパはハンパない。何しろ小さじ1杯程度で断然味が変わるのだ。
そして、その調味料を生かすために、ぜひ計量スプーンと計量カップを用意してほしい。大さじは15mL、小さじは5mL、1カップは200mLだ。調味料は適当に使っていてもその真価を発揮しない。調味料の比率を整えることが大事なのである。また、調味料の無駄遣いを防ぐためにもここはぜひ用意するべきである。
料理酒、醤油、コショウ、顆粒状だし、サラダ油、ごま油、塩、にんにく(チューブ可)、生姜(チューブ可)
みりん、酢、味噌、輪切り唐辛子、片栗粉、顆粒状中華だし、オイスターソース、コンソメ、味ぽん
砂糖、オリーブオイル、小麦粉、バター、マヨネーズ、ウスターソース、めんつゆ、各種ドレッシング、ごま、からし、わさび
普通に持っている調味料は醤油、塩、コショウの3点セットとサラダ油だと思うが、ここに最初に加えるべきは料理酒である。
料理酒には塩が加わっており、炒め物、煮物にコクを出すのにとても向いている。煮物を柔らかく煮込むのにも使える。魚を使うときには臭み取りにも使える。とにかく、これがあるとないとでは断然料理のレベルが違ってくるのだ。是非、買うべきである。
そして、顆粒状だしも大切である。肉、魚類がなくても旨みを出すのにとても有効だからだ。また、メシマズは意外と味噌汁にだしを入れるということを知らない(私も知らなかった。味噌だけで味噌汁になると思ってた)。美味い味噌汁が飲みたかったらだしは是非買うべきである。
それにごま油。これひとつあるだけで料理の風味を簡単に変えることができるくらい強力で頼り甲斐のある調味料だ。これも是非揃えたい。
ニンニク、生姜はかたまりを揃えるのが理想であるが、使い切れずにダメにしてしまっては勿体無いので、チューブを選ぶのも断然ありである。チューブは案外長持ちする。これらも代替が効かない上、あると美味さが断然変わるので揃えるべきだ。
そしてできる限り揃えるものの筆頭はみりんである。これも料理酒同様コクを出すのに有効な調味料だが、甘いというところに違いがある。みりんには本みりんとみりん風調味料があり、前者には結構濃いアルコールが入っていて、後者には入っていない。当然みりんの方が美味しいのだが、値段差が結構あるのでみりん風調味料を買うのも悪くないだろう。
酢は生野菜を美味しく食べるのに重要である。レタスに塩をかけて食べるのと酢をかけて食べるのでは後者の方が断然美味いと思う。サラダ油と酢を1:2の比率で混ぜ、塩胡椒を加えると簡単ドレッシングの出来上がりだ。生野菜にはこれでいい。
味噌は実は、味噌汁には必須なだけでそれ以外ではあまり使わない。味噌炒め、味噌煮を作るときぐらいである。だが、味噌炒めも味噌煮もそれでなくては絶対ダメという味付けではない場合が多い。例えばキャベツは味噌炒めでもいいが塩炒めでも十分だったりするので、もし味噌汁を作らないというのであったら実はいらない調味料に入るかもしれない。
輪切り唐辛子は案外使いでがある調味料である。ナムルにちょっと入れても美味しいし、辛味というのはこれでなくてはなかなか出せないので、できるなら揃えておこう。
片栗粉はせっかくの肉から旨みを逃がさないために重要だったりする。肉炒めを作るときに、肉に片栗粉をまぶしてから作ると断然味が変わったりするのだ。あんかけもこれでなくては作れない。また、ホワイトソースを作る用途以外ではだいたい小麦粉の代用品になるので、小麦粉よりも優先順位は高い。
顆粒状中華だしは中華スープを作るのに向いているだけではなく、野菜炒めに旨みを出すのにも使える。いらないといえばいらないかもしれないが、あると便利ではある。
オイスターソースは案外バカにできない。醤油で代用できるだろ?と思ったりするが、醤油には出せないコクと風味が出る。炒め物をメインに作っていくのならば欲しい調味料だ。
コンソメは洋風スープを作るのに必須である。肉入りスープであればコンソメがなくともギリギリ食えるものが作れるが、野菜のみのスープを作ることも多いだろう。そのときにあるとこんなに心強いものはない。ブロック状と顆粒状があるが、顆粒状の方が量の調整が効きやすく便利である。
味ぽんは時短のために揃えた方がいい。醤油とレモン汁があれば代用になるが、レモン汁はわざわざ買ってもなかなか使い切れない調味料の代表だ。そこにコストをかけるよりは、簡単に使えてドレッシング代わりにもなる味ぽんを買ってしまった方がいいだろう。
実はあんまりいらない食材の最筆頭は砂糖である。甘みというのは案外野菜自身から出たりもするし、みりんを使うという手もある。本当に案外いらなかったりするので、買うのは後回しにしよう。
オリーブオイルもあまりいらない。独特の風味があり美味しいのだが、その風味の強さはごま油ほどではないし、サラダ油と味がはっきり違うオリーブオイルを買うならある程度のお金を出すことが必要だ。安いオリーブオイルはサラダ油と大差ない味なので本当に買う必要はないと思う。
小麦粉も案外いらない。大体は片栗粉で代用がきくし、どうしても小麦粉を使わないと作れないものはホワイトソースぐらいだが、ホワイトソースは他にバターと牛乳が必要で、原価がやや高くつく。どうしてもホワイトソースが食べたくなったのならば買うべきだが、そうでもなければ買う必要はないだろう。もしも買うなら、大きなパックは使い切れないので、小さなボトルに入ったサラサラタイプのものを買おう。
バターも実は案外いらない。コクと塩味がある油という位置付けだが、どうしてもバターじゃないと、という場面は意外となかったりする。ジャガイモを蒸して食べるときくらいか。これも後回しでいい。
マヨネーズは好きなやつだけ買っとけ。
ウスターソースも、オイスターソースとみりんとコショウがあればなんとなく似た味のものが作れるので実はいらなかったりする。
めんつゆは明らかにいらない。めんつゆの代わりなら、顆粒状だしとみりん、醤油があればいい。顆粒状だしで作るだし汁1カップに醤油大さじ2、みりん大さじ2ぐらいで、水で溶いためんつゆと同じような味のものが作れるので、それで十分だろう。
各種ドレッシングもいらない。前述の通りサラダ油と酢と塩コショウでドレッシングは作れる。味ぽんをドレッシングがわりにしてもいい。とにかく、ドレッシングは本当になくても大丈夫。
ごまはあると嬉しいのだが、なかなか使い切れない。半分以上残して賞味期限を切らしてしまうのなら、買わないでおく方が賢いだろう。
からし、わさびもお好きならどうぞといった感じだ。からし酢味噌とか代用のない美味しさだけど、なかなか使いどころがないので本当にお好きなら、といった感じ。わさびは必要になりそうな食材を買ったら大抵小さな使い切りわさびがついてくるので、わざわざ買う必要はないと思う。
とはいうものの、最初の方でも述べたがレシピ通りの食材を揃えられるのならば何も貧乏ではない。だから、ここではレシピというより各種調理法の味付けのコツを述べていきたい。向き不向きはあるものの、どんな食材を使うかは自由だ。特売品でも余り物でも、好きな食材を使って欲しい。
一人分ならサラダ油またはごま油小さじ1をフライパンで熱して、火の通りにくいものから加えて炒めていく。だいたい全部炒まったら料理酒小さじ1、醤油小さじ1、塩コショウを少々で味付けをすればいい。顆粒状中華だしを小さじ1加えても美味しい。にんにく、生姜を入れてもいいが、入れるなら一番最初に入れて油に風味を移すと特に有効。
一人分なら、だし汁1カップと料理酒大さじ1、みりん大さじ1/2くらいを加えて煮る。とにかく煮るものがひたひたになるくらいのだし汁が大事。ここで水を使うとちょっと切なくなるよ。醤油は一通り食材に火が通ってから大さじ1/2くらいを加えるといい。煮物は料理酒と醤油とみりんが2:1:1。これ大事。
葉物野菜が向いている。
もしレンジがあれば、耐熱容器に水で濡らした食材を入れてふんわりとラップをかけて3分前後加熱するといい。レンジがなければ茹でてから冷水にとって冷まして水気を絞ること。
味付けはだし汁と醤油がベーシック。一人分ならだし汁は大さじ1/2に醤油が小さじ1/2。
だし汁と醤油の味付け以外でも、ごま油小さじ1/2と酢大さじ1/2でナムル風にするのも良い。
顆粒状だしを使っておすまし風にしてもいいし、顆粒状中華だしを使って中華風にしてもいいし、コンソメを使って洋風にしてもいい。だしのブレンドもアリアリだったりする。
あとは料理酒と塩、コショウ、醤油あたりを適当に使って好みの味付けをしよう。
本当に調味料が違うだけで料理の味は全然変わってくる。調味料は小さじ1でも充分効果を発揮するものばかりで、はっきり言ってコスパが非常にいい。
そんなに量を使わないからいらない、と思っていても、毎日調味料を使う癖をつければちゃんと使い切れるものだ。ここは騙されたと思って調味料を揃えて、日々の料理を工夫してみて欲しい。以上。
「弱者男性」が救われたと言える状況を考えてみた。
1.男らしさを求められない社会になること。
男女平等が原理原則のはずなのに、いまだに女たちは男に経済力や甲斐性を求めている矛盾。この壮大な矛盾が解消されない限り、弱者男性への不当な差別は続くし、その反発としての女叩きも止まらない。
今の若い男の人たちは、結婚したい相手にどれくらいの収入を求めるのだろうか。女も総合職が当たり前、女から男に告白やプロポーズをすることも当たり前の社会。少なくとも、女たちが「総合職と一般職、どちらにしようかな」だなんて言っている時点で、あと10年かかるかな。
台湾に行って来た。
一人での海外旅行は初めてだ。
台湾であった事、感じた事つらつらと書く事にする。
長いし、起こった順に書いていて、特に脈絡もないので、ドラマは期待しないで欲しい。
取り留めない旅行記だ。
もし文書の中で一文でも、行ってない人の興味を唆れたり、行った事のある人に「あ〜、あるある」って思ってもらえたら嬉しい。
出発前
そもそもなぜ台湾に行こうと思ったかというと、少し前にちょっと凹むを事があり、いつまでも気に病んでも仕方ないし、何か面白い、自分の興味を引かれる事がないかなぁなんて考えてたところ、「そういえば、台湾料理で気になってるものがあるんだけど、実物を食べた事がないんだよなぁ」と思い出し、休暇の予定も決まってなかった事もあって、「じゃあせっかくだから行ってみよう」となった訳である。
初めてなので、ツアーを予約して、飛行機とホテルの世話だけをして貰うつもりだった。
いざ行くと決まれば、何より問題なのは言葉で、元々日本でもコミュ障気味なのに、別の言葉が話されている国で過ごすのは甚だ不安だった。
でも出発当日が来て、フライトをまつ夜の羽田空港国際線ターミナルで、簡単な中国語を暗記していてた時にふと気付いた。
そうだ、俺、イラスト描けるじゃん。
言葉の通じない国に行くんだ、使えるスキルは何でも使わないと。
午前4:50、タイガーエアに乗り込んだ。
ツアーなので、自分の他にも出発する日本人がいるかと思ったが、日本人は少数派のようだった。
ちょっと不思議に思ったのは、機内の台湾人の男性はほぼメガネ。
なんでどいつもこいつも目が悪いんだ。
後から更に不思議だったのは、台北の地に着くと男子メガネ率がむしろ低いのだ。
台湾人は飛行機に乗る時だけメガネをかける決まりでもあるのか?
1
1日目 午前
LCCの狭いシートで変な姿勢に耐えながら3時間のフライトを終え、朝の桃園空港に降り立った。
空港でキョロキョロしてると、いきなり兄ちゃんに現地の言葉で話しかけられた。
バス?とか言ってたので、行き先に迷ったと思われたらしい。
一瞬どう答えていいか迷ったけど、オレンジのベストを着てゲートのすぐそばに立っている女性を指差し、「大丈夫」と言うふうに手を振ったら、彼は「なんだ」という顔をした。
あ、言わなきゃ。
「謝謝」
実はツアーガイドはすぐに見つけていたのだけど、他のツアー参加者が集まってから声をかけようと思っていた。
しかし、誰も集まる気配がない。
機内に日本人が少ない筈だよ。
「すいません」と日本語で言うと、ちょっと訛った日本語で「どこにいたの?すぐに声かけてよ〜」と笑顔で言われた。
より覚えやすくする為に、勝手に「エリーさん」と呼ぶ事にした。ちょっと伸ばしただけだから大きく違わないだろう。
ホテルに向かうミニバンでエリーさんに「何かみたいものある?」と聞かれたので、「九份に行きたい」というと、「どう行くか調べてますか?」
「ざっくり」と答えると、「ざっくりじゃダメよ!」とひどく呆れられた。
エリーさん曰く、九份は凄く人気、今は祝日で台湾人も行くから人でごった返している、行くなら早くいけ、と。
さらにはついでに十分も行くべきで、こんなこんなこんなツアーがあって・・・と説明が止まらない。
「実は蚵仔煎と肉圓を食べに来た。あとお茶も買う予定」と言いうと、彼女は「それだけ?」とまたもや呆れ顔で言った。
「それだけじゃ量が少ないよ!」
さらっと書いているが、この会話の中で、エリーさんは料理の名前を何度も聞き返している。
曰く、「発音がメチャクチャだから何言ってるのかわかんないよ!」
日本人とは随分テイストの違う接客なので思わず笑ってしまった。
夜市にも詳しいエリーさんによると、蚵仔煎の様な夜市料理は行列の店で食べるべきで、それは味の問題というより、回転の早い店の方が素材が新鮮なので、当たる事が少ないからであるとの事だった。
台湾人がよく行列するのは、そういう理由もあったのか。なるほど。
エリーさんの勢いに呑まれかかってたけど、会話が少し止まって、ふと窓の外から街を見れば、台北市は建物が密集しているのに気付く。
その中にセブンイレブン。
漢字もコンビニも人の背格好も一緒なのに、行き交う人は全然別の言葉を話している。
それは不思議な感じだ、と言おうかと思ったけど、それを言うとエリーさんが凄いエネルギーで何かの説明をしそうなので言わないでおいた。
ホテルに着いたらチェックインの15:00まで、荷物を預けて自由観光。
エリーさんは、台湾での見所と注意をまくしたてたあと「わからないことがあったらLineで連絡して!」と事細かに連絡方法を教えてくれた。
「あと折りたたみ傘を持って行って!今の台湾は天気が変わりやすい!」
どうやら手が届く限りは面倒を見ないと気が済まないらしい。
台湾人は親日とよく聞くが、接した感じでは、どうもナショナリズムの問題ではなく、何か人間が親切というか、お節介焼きであるように感じた。
エリーさんと別れてしばらく歩くと、南国の陽射しの下、台湾国旗がはためいている。
そういやエリーさんに「暑いな、さすが南国」と言うと「ここは南国に入らないよ!台南の方が亜熱帯!」って言ってたっけ。
すぐに暑さに耐えかねて、冷房の効いてそうな店に飛び込んだ。台湾で食べたかったものの一つ、豆花を食べていると、店内ラジオからはB'zが流れて来た。
細かい注文が出来ないので、かき氷とピーナッツの甘煮だけをトッピングしてもらった豆花はとてもアッサリしていた。
大通りで信号が青に変わるたび、びっくりするくらいのライダーが駆け抜けて行く。
この台湾的光景を収めようと交差点の歩道でカメラを構えたら、後ろから「前方!」という様な声をかけられた。
「前危ないよ」とでも言われたのだろうか?ひょっとしたらもっと荒っぽい表現なのかもしれない。
台湾人は親切だけど直接的でもある。
1日目 午後
ホテルのチェックインの15:00にはまだ間があったが、台北は午後になって更に気温が上がって来た。
本来は2日目の午前にこなす予定だった、台湾茶の買い出しを前倒す事にした。
エリーさん曰く、祝日の台湾人は勤勉では無いらしく昼頃にようやく起き出すとの事だったので、一抹の不安を抱えてはいたが、しばらく歩くと、お茶のいい香りが漂って来た。
通りに面した倉庫の様な店。
林華泰茶行。
上質なお茶が卸値で買えるとの事で、予め来ると決めていた店だった。
実際に来て見ると、その倉庫の様な空間に微かに漂う不思議で素敵な香りに心が踊る。
ただ、少し計算が狂ったのは、店が思った以上に小ぢんまりとしているし、本来は問屋なので、店員もぶっきら棒。
タンクトップから腹を放り出したオッさんが茶葉のチェックなどしていて、ゆっくり見るのは場違いだった。
そこでは吟味しながら4種類買う予定だったけど、実は到着直後の免税店で、エリーさんの勢いに押されてすでに高山茶を1つ買っていたので、3種類にした。
金萱
蜜香紅茶
20代とおぼしきにいちゃんに、それぞれ「1/4斤」とメモして伝えると、「150?1300元」とぶっきら棒に返して来る。
台湾の店員さんは人がよく、自分の言葉が変でも何とか必死にコミニュケーションを取ろうとしてくれていて、それが返って不甲斐なく、少し凹んでもいたのだけど、さすが問屋のにいちゃんにそんな忖度は無い。
一杯の茶のイラストと
「喜歓的香味(とても好きな薫りです)」
「謝謝。」にいちゃんは微笑んで言った。
初めてエリーさん以外の台湾人とちゃんとコミニュケーションが取れたと思った。
昨日から大して寝ずに動き回ってるので、良い加減疲れて来たけど、ホテルのチェックインにはそれでもまだ時間がある。
台北101に向かう事にした。
地下鉄にのっていたら、博愛席(日本でいうところの優先席)に座ってたばあさまが、乳幼児を抱いている母親に気付いて、手招きして席を譲っていた。
台湾人はほんとうに人が良い。
うっかり降りる駅を間違えて、次の電車を待っていたら、地下鉄のホームでロードバイクを押す人がいた。
曰く、あんな古くさい台湾ではなく、もっと近代的な今の台湾を見てくれ。
でも、実際歩いてみると、やはり台北の街は自分がイメージするアジアのエネルギーとノスタルジーに溢れている。
そうかと思えば、台北101は東京で言うところの押上のソラマチの様に、周囲から浮いて急に出現した近代モールだった。
その地にはその地の食い物が有る。
乾麺のコーナーで、刀削麺と同じ棚に讃岐うどんが並んでるのには何だか笑った。
大して腹も減ってなかったけど、疲れを癒す意味で、ここのフードコートでガソリン補給をする事にした。
加油、俺。
頼んだのは排骨と魯肉飯のセットで排骨には八角の強い風味が有る。
これが中華な味だ。
魯肉飯をかっ込んでふと顔を上げると、半袖シャツを着た対面のにいちゃんの袖から綺麗な花柄が覗いていた。
そういえば林華泰茶行に行きすがら、通りかかった裏路地でも、書き描けの紋紋を背負ったおっちゃんが上半身裸で何かを食っていた。
デパ地下と紋紋に満足したので、人でごった返した展望台には登らなかった。
1日目 夕方〜夜
やっとホテルにチェックインできて、シャワーも浴びてさっぱりできた。
どこで何を食うかは決まっている。
寧夏夜市で蚵仔煎を食べるのだ。
実はエリーさんに、この暑くて食品が傷みやすい時期に牡蠣を食べるのは勧めないと止められていた。
「私たち台湾の人間は胃が大概のものに慣れている。でもあなたたちは違うでしょ」と。
一理あるんだろう。
でもこの旅行の重要な目的の一つが本物の蚵仔煎を食べて、どういうものか知る事だったのだ。これはマストなのだ。
日が落ちて、明かりが灯った台北の街。
道中驚いたのは、街中に野良犬がいた事。
少し遠巻きにしてる人もいたが、同時に野良犬を気にするふうでも無く、すぐ脇で座ってなんか食ってるおっちゃんもいて、日本ではもうない風景が日常なんだなぁと驚いたりもした。
日本で伝え聞く喧噪はちょっと盛ってるんじゃないかなんて疑っていたが、実際に行くと日本の縁日以上の人、人、人。
食習慣が全然違うのを肌で感じる。
夜市を一回りすると、一番行列のできてる店がわかった。
ここに決めた。
朝にエリーさんに酷評された付け焼き刃の台湾語は捨てて、筆談だ。
蚵仔煎を描いたメモを見せて注文する。
やがて店内に通されて、目当ての品が運ばれて来た。
おお、これが蚵仔煎か。
まず写真を一枚。
そして口に運ぶ。
プルプルしている!台湾風にいうとQQだ。
牡蠣オムレツと言いながら、片栗粉ような生地の方が主で、それに卵が絡み、その中に青菜と小粒の牡蠣が旨味を添えていた。
かかっているタレは甘酢か。テーブルに置いてある辛味噌を添えると更に風味が増す。
エリーさんの忠告は忘れてないが、ひょっとしたらヤバいものを食べているのかも知れないというスリルもまたスパイスのようなものだった。
「很好吃!」メモを見せると、店員のお姉さんはサムズアップした。
何年も鬱病で苦しんだ。
数年前にそれが行き着くところまで行って、まあ初めてではなかったけれども、自殺未遂、救急車で運ばれて気が付けば集中治療室、その後入院、と、散々迷惑をかけ心配をかけ。
退院はなんとなくヌルッと決まったような感覚だった記憶があって、その後どうなるんだ自分の人生、と思ったけれども、失業給付やアルバイトで食いつないでいる間にたまたま決まった仕事が妙に性に合ったようで、働き始めて二年を待たずに服薬が必要なくなるところまで回復した。病院に通わなくなったのは十年以上ぶりのことだった。とてもラッキーだったと思う。
もともと創作活動が好きだったのだけれども、鬱病が酷い時には創作どころではなかったので、何年も遠ざかったままだった。でも回復するにつれ自然に創作に向かうエネルギーも湧いてきて、たまたま外的なタイミングも合って、創作活動を再開し細々と行うようになった。
才能が無いなんてことはとうの昔に痛感していたので飽くまで趣味としてではあるけれども、趣味なりに本気で何かを創る感覚は久しぶりで、刺激的で、仕事やプライベートでうまくいかないことがあっても、創作が自分の支えになりつつあった。
評価は全然されなかった。自分の力では無理も無いと思う。年齢的な面もあって、年甲斐もなく何をやっているんだと思われていた節もある。でも本当に近しい人たちには、自分にとって創作が如何に大事なものかはわかってもらえていると思っていたし、そのうち少し良い作品ができたら、それなりに喜んでもらえるんじゃないか、なんて甘い考えを抱いていたりした。
とある賞で、予選を通過した。それなりの規模で行われている賞で、そういった機会で選ばれた経験が自分には無かったので、予選通過者なんて他にたくさんいたのだが、それでも嬉しかった。励みになった。それなりに浮かれてしまって、今となってはとても恥ずかしい。
そんなに盛り上がるなんてことを思っていたわけでもないけれど、七転八倒していた自分を知っている古い友人、近しい人々は、喜んでくれるんじゃないかと思っていた。でも甘かったらしい。
何の反応もなかった。何も。無理もないか、予選を通っただけだものね。作品のクオリティや方向性だって、まるで誉められたものじゃなかったのかもしれない、こんな自分の創ったものだから。
それでも、そうかここまでちゃんと形にできるところまで回復したんだね、今はやりたいことをやれてるのか良かったね、って喜んでくれる人もいるかと思っていたんだ。作品はまだまだ全然だけど、創れるようになったってことは本当良かったよ、なんて言ってもらえるんじゃないかって、思っていたんだ。
創る側の人間からしたら、ネガティブな評価もそれは勿論怖いけれど、評価が無いこと、誰からも無視されることがどれだけ恐ろしいか、身に染みてわかるんじゃないかと思う。それをわかっているはずの友人たちも、何のフィードバックもくれなかった。
コメントすることも憚られるほど作品が酷かったのか、気を遣って労いの言葉をかけることも煩わしいほど自分が嫌われていたのか、それともその両方なのか。何にしろとてもショックだった。とても。
他にすることも大してなかったんだけど、でもそれなりに色々なことを諦めたり犠牲にしたりしてなんとか形にした作品が、手元にある。でも結局誰にも届かないんだろうな。酷評にも値しない作品。
それでも自分が今死んだら、友人たちは葬いとして一応は作品に触れてはくれるだろうか?それなりに美化して、通り一遍でも褒めてくれるだろうか?
そんなことばかり考えている。作品が認められないこと、無視されることの苦しみに耐えることが出来ないなら、創作なんてする資格も無いのだろうけれどもね。そもそもちゃんと力があって、評価に値する作品が創れるならこんなことにはならない訳で、文句を言う筋合なんてない、こんなことは言ってはいけないんだろうなってこともわかっています。だから自分は駄目なんだ。趣味でこんなに消耗するなんて、バカだなあ。本当にバカだ。人生にはもっともっと大切なことがたくさんあるはずなのに。でもバカだから、もう死んでやろうかという気持ちになる。バカだなあ。
男性の草食化が進み、男が女に対して経済力や甲斐性を求めるようになった。そして今現在は、女性の社会進出施策がこれから更に加速されつつある状況だ。つまり、男性の草食化と女性の負担増加は今後も更に進むということである。男は女を守って当たり前、男は女よりも稼いでいて当たり前という社会通念は近い未来に消滅することであろう。
そもそも「男社会」の正体とは、社会全体の半分を占めている男たちに経済力や社会的地位を無理やり与え、下駄を履かせ、社会的弱者である女たちを守る責任を課していた体制だ。その体制が女性の社会進出施策によって無力化されてしまった以上は、男は女を守る大義名分がないし、甲斐性も持つ理由が無い。
今、女子高生や女子大生の間で、「就職する時は総合職と一般職、どちらがいいのか」という論争が起きているらしいが、一体何寝言を言っているのか。そんなものは、総合職一択に決まっているだろう。その理由はただ一つ。一般職で働く女は、男から恋愛対象外、結婚対象外に区分けされるからだ。女子高生や女子大生たちは、自分らと同年代の男たちが女に何を求めているのか、を考えたことがあるのだろうか。総合職として就職し、自分自身が一家の大黒柱になるという覚悟が無さ過ぎる。その意味においては、日本の少子化の責任の大半は女にある。
もちろん男だって高い代償を払っている。女性の社会進出施策によって、社会は大きく変わってきている。一番の変化は、女が男の容姿を品定めすることがタブーでなくなってきているのだ。その結果、容姿の醜い男は非常に生きづらい社会になった。今の中学・高校はすごいらしいね。女子生徒が容姿の悪い男子生徒を平気でいじめているらしい。昔の日本では考えられないよ。まあ、これについては男社会の長い歴史の中で、ブスの人格を否定し続けてきた男たちの自業自得かな…。
お誕生日おめでとう!
生きてると嫌になること、生まれる意味なんてなかったんじゃないかって思うこと、不甲斐ないことや寂しいこともこれまであったかもね。
(なかったらもちろん一番いいけども)
でも、それでも生きてる者同士、なんだかんだ楽しくやっていこうね。
企業を女優に例えてみると、その企業のイメージが見えてくる。具現化される。
この話題で友達とワイワイ話してたら、中高生のようなノリでとても楽しかった。
そして自分はこれがきっかけでその企業の魅力に気が付き、転職したという過去があるので書いてみた。
ちなみに私は堀北真希が好きだ。
クールさと綺麗さと可愛さを兼ね備えた美しい顔立ちをしている。
さぁ始めよう。
色々やってる(ネットでぐぐればすぐに出てくるようなこと)とも聞く。
誠実性と協調性で少し難があるように思える。
整った見た目をもち、着実と年齢を重ねた洗練された女性。
何よりも横顔が綺麗で見とれる。ときたま見せる恥じらいの顔は最高だ。
■IBM
これはかなり年増の女だ。その年代の男性にはかなりの人気がある。
ところどころ衰えがきているが、メンテナンスの甲斐があり、その美貌はいまだに輝きを放っている。
その輝きゆえに、どんな男でもエスコートする時にかなり気を使ってしまうのではないだろうか。
■グーグル
年齢はそれなりに年がいってる女だろうか。
社交性が高く誰にでも愛嬌を振りまく。