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はてなキーワード: 性教育とは

2016-12-21

エロ漫画コンドームちゃんと付けるやつ

何気取っていい子ぶってんだ

エロ漫画なんぞファンタジーなんだからガンガン生でやれ

エロ漫画性教育してんじゃねぇんだぞ

2016-12-20

むかしだと

anond:20161218053923

ふたりエッチしりー

いまのだと

甘詰留太短編 たとえば「恋は三十路から」あたりとか、どれでも

(ただし「〇〇と〇〇(人名)」シリーズだけは性癖ちょっと強め) の女性向けなのでよんでみてください

 

わりと性教育的にもまっすぐで、へんな性癖あんまりまじってなくてよみやすいとおもいます

よくある疑似母子関係じゃなくて、ちゃんと複数スタンスの違うサブカプ(端的にいうと「となりのご夫婦もご夫婦らしくエッチしてる話」)が出てくる漫画はえらい。

ピグマリオン的、マザコン的な2人だけのコクーン(+アレンジとしてのモブ)とかよく飽きずに書くなということで、ある意味フィギュアスケートの回転数にこだわる人々と同様に非常に芸術的ではある。

2016-12-17

なぜ交際経験性交経験のない人は自分のことピュアだと思ってるのか

古谷実の「ヒメアノ〜ル」って漫画読んだんだ。すげ〜良かった!今年読んだ漫画ん中で1番良かった。映画は観てない、テーマが違うらしいから。

ともかくすげ〜良い漫画だったんだけど、読んでる時にある疑問がわいたんだ。「なぜ交際経験性交経験のない人は自分のことピュアだと思ってるのか?」

古谷実漫画にはだいたい必ずこういうキャラクターがでるんだ、交際経験性交経験がなくて(いわゆるモテないってやつだ)、そしてそんな自分のことをなんでか知らんがピュアで良い人なんだと思ってる。

自分経験に照らし合わせてみると、こういう人って現実にも結構いる。

たぶん、読者に「こんな奴いるな、自分の身近なやつでいうと誰々だな!」と思わせたり、あるいは「これは自分のことだ!」と思わせるキャラクターを描くのが上手いのが古谷実漫画が人気の理由ひとつだと思う。

でも、なぜ、交際経験性交経験がないと自分のことをピュアだと思うんだ?

そういう人は誰かと付き合ったらセックス経験したら、自分ピュアではなくなったと思うのか?ピュアで良い人ではなくなるのか?

自分で考えてみたところ、

日本性教育理由か?と思った。

日本性教育ってのは、外国に比べると遅れてて、「寝た子を起こすな」って感じらしい。(らしいって書いたのは自分外国性教育は受けたことないし、どっかで読んだことをそのまま書いてるからだ)

外国性教育のことはよく知らんけど、子供のころ、男女のことやエロいことの情報が「気持ちいいことだぞ!楽しいことだぞ!面白いことだぞ!」ってのと、「いけないことだぞ!汚らわしことだぞ!」ってのが同時に自分に入ってきて、混乱してたようなおぼえがある。

自分は「気持ちいいことだぞ!楽しいぞ!」って情報への好奇心が勝ったタイプだったけど、そうじゃなかった人もいるんだろう。

「いけないことだぞ!汚らわしいことだぞ!」って情報から受けた影響が強くて、そのまま、なんかきっかけがなかったタイプの人はピュアだと思ってる人になったんじゃなかろうか。

どうだろう?全然的外れなこと書いてるかな。

なんかこのことに詳しかったりわかってたりする人がいたら教えてくれ

2016-12-13

福島から避難民が虐められるのは反原発厨のせいみたいなコメント

性教育のせいで若者の性が乱れるみたいな違和感

2016-12-03

猫の多頭飼い崩壊を見て人間も同じではないかと思った

猫の多頭飼い崩壊ニュースを見て人間でも同じことが起こっているのではないかと思った。

猫の場合

1.飼育能力のない飼い主が猫を飼う

2.無計画繁殖

3.可哀想という理由で餌を与え続ける

4.当然家猫は自活能力がないので餌を要求

3-4の繰り返しで崩壊

人の場合

1.経済力及び教育能力のない親が子供を作る

2.まともな教育を受けていない子供が無計画繁殖

3.可哀想という理由で周囲が支援を行う

4.まともな教育を受けていない人たちは自活能力がなく、自分たち可哀想であり、格差があると主張し支援要求

3-4の繰り返しで崩壊?

疑問点

人の場合も猫と同様に崩壊するのだろうか?

ちなみに、バカが増えすぎた未来を描いたIDIOCRACYという映画では崩壊している。

https://www.youtube.com/watch?v=BBvIweCIgwk

解決策についての考察

猫の場合

a. 殺処分

b. 飼育能力及び経済力のある人に渡す (里親)

c. 去勢避妊

d. 飼育放棄(野良猫にする)

人の場合
(a)について

倫理的に実現不可能

(b)について

雇用主を探すという意味ではハローワークがあるが機能しているかは疑問

別の国に行ってもらうということも考えられる。日本では能力が発揮できずに自活ができていなくても、発展途上国などでは能力需要があるかもしれない。(想像)

(c)について

倫理的に実現不可能

しかし、出産経済力による制限をかけることは可能かもしれない。

(d)について

犯罪者になる可能性がある

しかし、教育をすることで野良にする(支援から切り離す)ことが可能かもしれない。

狩りを教えて野良猫として生きさせることと同様に、生き方を教える。

しかし、職業訓練校の現状を見ると効果には疑問

トイレなどを教えて地域猫にする。

これは最低限のマナーを教えてホームレスとして生きさせるということだろうか。

実現可能性は不明

まとめ

猫についても人についても、どちらもどのように解決していけば良いのだろうか。

猫の場合は最終手段として殺処分去勢避妊があるが、人ではそれは不可能だろう。

しか人間しか出来ない解決策もあると思う。

それは、性教育の延長として子育てにどれだけの費用がかかるかなどを教え、無責任繁殖を防ぐことである

(無責任繁殖する人たちを教育できるかは不明)

但し、その結果少子化は加速すると考えられる。

個人的には出産経済力による制限をかけることが良いと思う。

経済的虐待を受ける不幸な子供が減り、いわゆる貧困連鎖を断ち切ることができる。

少子化という結果が同じなのであれば、こちらのほうがより確実である

2016-11-16

この世界の片隅に」がとてもエロいネタバレ注意。

注意。

ネタバレです。せっかくのパズルの答えを書いちゃう無粋な事です。さらに、それが正解かどうかも怪しいです。





映画観て、原作読んで、一つ思った事がある。

あれ?これってエロくないか?

状況証拠としては、ちょっと不穏なぐらいにエロいぞ。

いきなりの嫁入り。ばあちゃんから性教育

そして初夜。すずさん緊張してるけど、周作から「昔会ったことがある」と言われて少し安心

きちんと事を済ます

いやほんと、ちゃんと出来てしまものなのね。女子コミュニティの中で、予習していたからなのかな。

そしてそれなりの感慨を持って朝を迎えるすずさん…なのだが、その余韻を楽しむ間もなく家事をこなさねばならぬ。

その辺のリアル感がエロい

で、6月防空壕での、いちゃいちゃキスへ。初夜2月だったので、まあその位の時間が経った。

すずさん、かなり慣れた感じ。初夜の頃の「義務を果たさねば」というのと違って、楽しそう。

数を重ねてきたんだな。

ちょっと自信を持ちだしたすずさんの成長がエロい

で、9月に入って、順調に妊娠きた!と思ったら間違い。生理不順。

遊郭リンさんとの対話子供を産むことについて、女同士だから出来る会話。

男子を産む義務」とか「遊女という職業観」とか、男が決めた世界から隔絶した世界

である周作も男である以上入っていけない世界

それなのに、この二人、同じ男と肉体関係があるわけで。エロいことになってる。

そして、そのことに気づいてしまうすずさん。

子供も出来ないということも重なってか、SEXに心が入らない。

いやもうなんか、生々しいことが描かれている。

そして12月例のアレ

幼馴染の水原がくる。

映画で観ると、この幼馴染感による心理攻撃特に痛い。

出す側も、それを受ける周作側も。

すずさんの心の中心と関係を結んでいるのはどっちだ?という攻撃

肉体関係を結んでいるのは夫である周作だけど、それも最近結べているかどうか…。

ただ、この攻撃心、嫉妬心って、本人達意識的にやってるわけでもなく、無意識で出てきてる感じがする。

男らしい強い身体を持つ水原と、運動音痴の周作というコントラストもある。

まあ、当のすずさん自身は、そこにあまり気づいてなさそうというのが、またなんともね。

さあそして、例のシーン。周作がすずさんを水原に貸し出す。

同情、共感嫉妬マウントを取る…いろんな感情無意識下の周作にはあるんだろうけど、

しかしたらマッチョ水原となら、すずさん妊娠できるんじゃないか?自分は雄としてはあまり強くないし。

もしそうなったらすずさんの苦しみも減らせるんじゃないか…などという感情なのか建前なのかなにかとてもぐちゃぐちゃしたもの

一方すずさんは逆に、もし水原とそうなっても子供が出来ないか問題ないと夫が思っているんじゃないかと。物扱いされるのかと。

この辺、3人の思惑や計算がどれほどあったのかわからないけど、結局水原プラトニックのまますずさんの心に刻まれ選択をする。

でも本当にそれで良かったのだろうか。すずさんの中心に存在できたかもよ。

エロいさらにここにリンさんを絡めると、感情はぐちゃぐちゃだ。




と、まあ、このようにとてもエロいんだけど、お気づきになられただろうか?

基本的女性としての日常である。ただ日常であった事だ。

そういう意味で、とてもエロい

2016-10-20

anond:20161020105406

経験則としてあるよ。普通にショックだから

まだ子供ならいい(おとうちゃん股間にうんこついてる呼ばわりされても耐えれば済む)。

小学校性教育を受けはじめて、どちらの性にとっても弱点であり欲望であるとわかってからは、入浴行為性的虐待になり得る。という話も増田にでてたよね。

それを炎上期待ぎみにかいたのがこちら

ttp://kutabirehateko.hateblo.jp/entry/2015/09/10/010444

2016-10-07

売春について知らなかったこと

個人売春って犯罪違法だが処罰されない)じゃなかったんだな。

以前から男が児童に対する淫行で逮捕された事件が発覚するたびに、売春をしている児童女子高生を含む)が「売春代金が支払われなかった」ことについて(ときに「親と一緒」に)警察相談に行ったことを発端として、事件が明るみになる、というパターンが多すぎて意味がわからなかったんだが、なるほど、売春のもの犯罪でもないんでもないから、売春代金の未払いは警察に「相談」できるわけだ。児童逮捕されるわけでもなんでもないし、それどころか「被害者」として扱われる。もしかしたら親は何らかの制裁(口頭注意とか?)を受けるかもしれないけどね。

でも、何かおかしくないか。何かおかしい気がする。ちゃんと言語化できないけど、何か法整備上の不備があるような気がする。学校性教育も、避妊性病予防の観点大事だけど、そもそも売春行為自体問題だという視点教育してもいいんじゃないだろうか。売春に対する忌避感情西欧の性文化の影響とか言われてるけど、そんなこと言ったら日本を含めて近代国家ほとんどの制度西欧文化の影響にあるわけで、意味がある議論だとは思えない。そもそも、前近代の性産業なんて現代以上に酷い差別的扱いをされていたし。

2016-09-10

望まない妊娠と、それによる中絶件数の多さという数字も出ているのに

「そんなことよりも女が卵子の老化について無知から子供が産めず手遅れになっちゃう」事を問題視するのって凄いな、と。

前者についてなら性教育による啓蒙有効だと思いますけどね。後者は女の意識を変えてもどうにもならない

2016-08-30

そもそも子供貧困などというもの

自分ではろくに稼ぐ技量もないくせに、性欲だけはありあまるモンキーが、

ろくに避妊中絶もせずに(できない。もしくは知らないも含む)無計画子供を作るからまれもので、

そういうやつらに、せめてまともな性教育を受ける機会を与えれば、少しは減るのではないだろうか。

とか言ってしまう人が出てくるかと思ったけど、今のところいないようだ。

2016-08-13

生殖に繋がるセックスだけを良しとし』って…セックスすれば子供が出来る可能性があるという危険性は教えるべきでは…。

ピルは体に負担がありますし、コンドーム100%ではありませんよ。禁欲に勝る避妊は無し。

身体構造上、セックスはどうしたって女性への負担が大きい。どんな避妊処置を取ったところで同じ。

その前提が変わらないのに、女性に対し自由セックスしていいと煽るフェミニスト現実を考えず無責任だなあと

生殖に繋がらないセックス』を教えるよりも、

恋愛セックスだけじゃない」とか、「スキンシップ方法セックスだけじゃない」とか、そういう方向で性教育した方がいいと思うんですけれど

2016-07-24

さない私の性知識について

長年の不登校の結果、私は性教育ほとんど受けてこなかった。

小学生のころに一応ちんちんがどうこうっていう話を担任先生から受けたはずなんだけれどあんまり覚えてない。そもそもその時点で私はインターネットポルノにどっぷりだったので、あんまり真面目に聞いていなかったように思う。

不登校が始まったのは中学生からで、その後高校卒業まで一般的学校には通わなかったので性教育は受けていない。でも前述のとおり私はおさないころからポルノ文化にどっぷり浸かっていたから、ある程度の知識はあるつもり。だった。

一昨日私がエロ漫画を読んでいたときに、「子宮ちんちんがちゅっちゅしてるう」というセリフが出てきた。おきまりのやつである。その後に「膣(ナカ)に出すぞ!」というセリフも出てきた。いつもならなんとなく読んでいたのだけれども、ふとひっかかった。膣ってなんだっけ?

いつも膣と書いてナカと読んできていたので、膣=まんこの中というイメージしかなかった。ていうか子宮ってなんだ?いや子宮が何なのかはわかる。大事赤ちゃんのお部屋(エロ漫画から引用)だ。じゃあ膣は?膣はなんだっけ?

私は自分にびっくりしてしまった。もう10年以上もポルノ文化に浸っていたにもかかわらず、膣の役割=ちんぽのためのオナホくらいの認識しかなかったのだ!!でもよく考えればそれは当然のことだった。今調べたところ膣の役割は、生理の血とかを出すこと、ちんこを入れること、産道になることの3つだった。私はごく健全性癖の持ち主なので、読んでいるエロ漫画にはちんこを入れる役割しか出てこなかったのだ。

ほかにも、エロ漫画世界では確実に孕ませるために子宮口に亀頭をくっつけて射精することがよくあるのだけど、私は「じゃあ逆に考えれば子宮口より手前で出せば妊娠率は低いんだろうなあ」と思ってきていたのだけれど、でも冷静になるとこれも間違った認識な気がする。

勉強してこなかったのだから知らないのは当たり前なのだけれど、私は自分の体のことを何にも知らないんだなあ!とかなりびっくりしてしまった。改めていろいろ考えてみると、私は赤ちゃんがどうできるのかもよく知らない。おちんぽみるく赤ちゃんのお部屋に出すとできるくらいのイメージしかない。

まあだからといって改めて勉強するのかと聞かれたら多分しないと思うのだけれど、はてブ眺めてたら性教育記事が上がってきてたのでなんとなく書いてみた。

2016-07-19

大人は性欲を隠すのではなく、上手に抑える方法を教えろよ。

コンビニエロ本、レディコミを消すのではなく、

その性欲を抑える方法を教えなよ。

そしたら、みんなコンビニにいってまで性欲は発散しようとは思わないだろ。

適切に本屋さんとか買うんじゃないの?

性欲の扱い方を教えないから、みんな性欲を軽蔑して、草食男子とか生まれるんじゃない??

この手の話をすると、いや、性以外に楽しいものが増えたからって意見がある。それもある。

だが、今言いたいのはその話ではない。

性欲の抑え方を教えないで、女性は自らのおしゃれで、薄着したり肌を見せたりする。

そんなのが日常的にいてみなよ。性欲があふれるって話。

反対に女性で性欲がある人はどうなの?

女性から性欲を出すのは汚いって男性が思っているって思ってたりしない??

大昔では大人の女性子供の筆下ろしをやっていた時代もあったんだ。

から女性が性欲を出すことは変じゃない。

屈折して、中途半端に性を隠そうとするからいびつになるんだ。

どうせなら、宗教的に、女性は魅力的なものを見せないまでやるならやればとか思わないでもないし、反対に性教育もっとしっかりやったらどうなるかと気にならないでもない。

同様の問題として、性病が増えている問題がある。

これが今の性教育問題なのは事実だ。外国から来ている可能性もあるが、

それも含めて対処意識できていないのは問題として事実なんだ。

性病病気だ。

君たちは病気にかかるから外にでないのか?

違うでしょ? 例えば、風邪だったら、引かないように帰ってきたらうがい、手洗いするでしょう?そうしつけられてきたでしょう?

それが教育だ。

性も同じだ。むしろ本能的で大切なものからこそ、しっかり教育すべきだと思う。


否定語を使いすぎて読みにくいことこの上ないし、

今の教育現場がどうなっているのから、見当違いのファールボール文章かもしれないですね。

あああ、性欲ってなんなんだろうなー。

2016-06-16

不純異性交遊禁止セックス妊娠

性教育避妊を徹底周知→セックス妊娠

少子化を解消したいのなら産むことができる人にばんばん産んでもらえばいいじゃない。

2016-06-08

まさか性教育が役に立たない授業だったとはな

まさか、な

2016-05-27

片思いストーカー兆候だ、って10代の男女みんなに教えてあげたい

普通に報道された事件なので知ってる人は知っていると思うけど、私の母校では(自分入学する前に)ストーカー事件が起きたことがある。その事件を受けて新入生向けのセミナーで「もしストーカー被害にあったら?」というコーナーがあった。

前半の内容自体はごく常識的もので、それだけなら特に印象に残ることもなかったと思うのだけれど、後半、カウンセラー女性講師が持論を述べ始めると、そのあまり想定外の内容に当時の私は強い衝撃を覚えた。

その講師いわく、ストーカーになる危険性が一番高いのは、見知らぬ他人ではなく、あなた片思いしている身近な人物だという。そもそも、恋愛における「片思い」というのは、精神が未熟な人物に特徴的な行動で、それ自体ストーカー予備軍の兆候と言える、と。

「皆さんはもう大学生です。中高生ときのように片思いを募らせるような子どもっぽい恋愛はやめましょうね。好きになったら即アプローチ。もちろんしつこいのはNG相手がNoならすぐに引きましょう。別れ際も仲良く後腐れなく。楽しく軽やかに恋してくださいね

そんなことを言っていたと思う。女性あくまで爽やかな口調で話していたし、適度なジョークも踏まえて会場は表面的には和やかだったものの、私個人は唖然とした表情を隠し切れなかったし、周囲にも同じような顔をした人がいた気がする。

片思い精神が未熟な証拠ストーカー予備軍の兆候。そんなことを考えもしていなかった高校卒業したての自分は、これから先に出会う異性との付き合い方をどうすれば良いのだろうと強い不安を感じた。

でも、今となっては「片思い精神が未熟な証拠」と言い切ってもらえたおかげで、辛い思い出も含めて良い恋愛に恵まれたし、自分もいい方向に変われたんじゃないか感謝している。

テレビネットストーカー事件被害を目にするたび、私は加害者被害者に「片思い」していたんだろうなと感じる。その「片思い」が未熟で不適切危険感情であるということを知ってさえいれば、多くの事件加害者側の自省で押しとどめることができたのではないかフィクションで描かれるように片思いを美化していたからこそ、加害者自分感情を抑えきれなかったのではないか。本気でそう思う。

極論かもしれないけど、学校教育ですべての学生、遅くとも高校生くらい(できれば中学校)までには「片思いから早く卒業しよう! ストーカー予備軍にならないために!」と教えてあげるべきではないかと考えている。性教育と同じ感覚で。望まない妊娠を避けるのと同じくらい、片思いは避けるべきものなんです。なぜなら相手自分が傷つくから

片思いしているあなたは、自分自身は心がワクワクしているかもしれないけど、相手からみたら気持ち悪いよ、カッコわるいよ、それは心がおかしいんだよ、そんなの恋愛じゃないよ、マンガ現実はぜんぜん違うんだよ、って。想いを募らせるのは、殺意を募らせるのと紙一重なんだよ、って。

http://anond.hatelabo.jp/20160527041103

2016-05-16

片親で育って、性教育的な部分の話を家で一切しなかったので、学校の保健体育で習った「もっと大人の話」しか知らなかった。

なので、ちんこを剥いてどうこうするとかいう知識や発想が一切ないどころか、

どこまで剥けるものなのか、中はどこまで洗えばいいのかとかも全く理解してなかったせいか

恥垢が皮の奥深くで固まってて「なんかしこりみたいなのがある!?腫瘍!?」ってビビった中学生時代

風呂場で数日かけていじり倒して、初めて剥いたら奥からフリスクみたいな恥垢が出てきた時はうひょおおおおってなった。

あれだけいじりまわしてたのに、一切勃たなかったのも不思議だなーって思う。

でも、それから精通まではさらに3年ぐらいかかって、高校卒業間近ぐらいでようやくだったから、多分本当に未成熟だったんだろうなーと思ったり。

イサンからフリスクを掘り当てたのと同時期に尿道に髪の毛入れてみたり、ケツにシャンプーボトル入れる修業してみたりもしてたけど、

純粋な「この穴どこまでいけるんだろう」っていう謎の興味で今考えるとやたらハードプレイしてて思い出すと青くなる。

快感を得ていたわけでもないのに、そもそもなんで穴を拡張しようと思ったのかすら謎だし、今は想像するだけでゾッとしてしまうので、そっち方面趣味は一切ない。

当時告白されて付き合った娘がいたけど、恋人っていうのが何をどうしたらいいかわかんなくて、たまに手を繋ぐのと、

最近自分がハマってることとして、ケツを拡張する修業に誘って一緒に頑張っていた。

残念なことに俺は全然性的興奮を覚えていなかったんだけど、彼女はよくなんか垂らしてたかちょっと興奮してたのかもしれない。

二人で液体のりの容器と木工用ボンドとかでせっせと作ったお手製アナルプラグ的なものをお互い入れっ放しにして登校したりしてた。

キスをするのが当時の自分の中では最上位の行為で一番照れたけど、前も胸もノータッチだったし、ケツの件さえなければ中学生にしてはピュアにもほどがあるほほえましさだと思う。

それにしても彼女の方は当時の自分よりきっと知識はあったと思うんだけど、なぜ軌道修正してくれなかったのか……。

2016-05-11

恋愛オワタ 日本死ぬ

乙武氏の一件があった後

日本死ねというか、すでに俺らは半分死んでる。

活躍社会っていいながら、半分殺したままで

面倒なことはそれこそ黙殺しようとしているからだ。

前に都立特別支援学校での性教育

話が俎上に上がったものの、批判でなく

非難が表立ってしまったまま、その後の発展

について語られずにどこかに行ってしまったのを

思い出した。

発達の人の恋愛ガイドなんてのは英語圏では

出されていたり、邦訳もあった覚えがあるし、

それ以外の人たちの結果はあっても、「成功例」以上の

深イイ話は表ざたにはされてきている気配はない。

前述したようにそれは、パンドラの箱コントロールができないからと

都合のいいところだけをつまみ食いしようとするズルさが

際立っているように感じられてならないのだ。

そういや、この手の問題からこころ」がなくなると、

単に生きているもの以上の問題にはふたをしたままに

なってしまうのでは、という危惧が頭をもたげてきた。

日福の社会福祉学部の木全(きまた)先生過去性教育について

書かれたり、実践されていたことがあったのも資料などから

明らかではあるのだけど、こんなことを書けば2chあたりでは「~の分際で」などと

陰口をたたかれるのが関の山なんだろうけどな。

障がい者の「生」と「性」の問題にふたをしたままじゃ、未来はないよ。

いい子でいて常に迷惑をかけない存在って誰が決めたんだ。

自分成功ひけらかしてんじゃねえよ死ね

って心の底では思ってるのはどれだけいるか

何なんだよ日本

一億総活躍社会じゃねえのかよ。

見事に告白●連敗だわ。

どうすんだよ俺恋愛出来ねえじゃねえか。

そもそも既に×回セッティングしているのは何故?

責任がとれる大人になったら恋愛できるんじゃなかったのかよ。

ただでさえ、たった数か月で自分と一蓮托生になる人を選べなんて無理があるのに、情報解禁とほぼ同時に選考始められたらどうすりゃいいんだよ。デートの予定が被りまくって、相手とじっくり付き合う時間なんて全く無えわ。×人もお断りされるってことは、その人の傾向が自分に合ってないのかもしれないけど、今年の短期決戦だとやり直しも効かねえ。

モノににしているヤツらはルール守らねえし、ナンパで嘘つきまくり

恋愛=嘘つき合戦

こんなことやってる国が人口増加なんて無理でしょ。日本なんてさっさと沈め死ね

恋愛に関する不満を言うと、どこからともなくパーティの誘いや伝説ナンパ師が沸いてきて、「恋愛結婚以外にも生き方なんていくらでもある」みたいな有難い有難いご高説を唱え始めますよね。生き方いくらでもあることぐらい分かってるわ。他人と違う生き方をするのに必要な才能がないことを自覚してるからパートナーと言う名の奴隷を自ら志願してんじゃねえか。当事者アドバイスするフリして、自分成功ひけらかしてんじゃねえよ死ね

結婚できないのは努力が足りないから。自業自得。」みたいなことを言う奴もいますよね。言わせてもらうけど、人並み以上に努力してきたわ。お前らがいい子にしていれば人生上手くいくって言うから死ぬほど我慢していい子にしてきたよ。ところがいざ始めてみると、相手が欲しがるのは、勉強もだけど世渡りうまい遊び続けてきたリア充じゃねえか。今までの努力は何だったんだよ死ね。ついでにリア充死ね

とか…書いてしまって捨ててきたw

2016-04-30

anond:20160424163052

性は、かっこいいとか可愛いとか、肯定的とは限らないから性教育としては良くない。

不幸な恋愛、不幸な結婚もある。

性を生き方問題として、客観的に見れるようにしないと、人格形成にはならない。

親は、コミュニケーションとしても、検閲としても、子供と同じアニメを見るべき。

あとは、友人関係差し置いてでも止める必要を感じるかどうか。

でもそれも現時点の社会適応しただけでしかない。

一番確実な解決のためには、ある種の基本的能力必要になる。

それは、建前を打ち崩す能力であって、普段から出来るだけこれを身につけていかないと、建前を打ち崩す事はいつまでもできない。

できなければ、自由、というよりも、自由を勝ち取れるという自信を得ることが難しくなる。

2016-04-24

最近えっち子供向けアニメが増えて困惑してる

朝は魔法つかいプリキュア、夜は12歳。~ちっちゃなムネのトキメキ~とえっちアニメが増えた気がする。

それでなくてもプリパラアイカツといった幼児向けのえっちアニメが既に放送されてるのにも関わらず

えっち過ぎる子供向けアニメ放送されるに至っている。

これはゆゆしき事態だと感じている。

まりにも卑猥登場人物の変身やキャラクターえっち個性の顕現はどうしても一介の幼児向けないし子供向けとは思えない性的な内容である

正直言って子供と一緒に放送を見ているであろう親御さんには辛いかもしれない。

何せえっちな格好で“かっこいい”とか“かわいい”を放送を通じて擦り込みしていくスタイルであるため、

普通に卑猥から子供に見せられないでは済まされない訳である

では、どうすればいいか。

見せなければ良いだけであるが、しかしながらこうした卑猥アニメを見ていないと保育園幼稚園小学校で仲間外れにされるかもしれないのである

そう考えると親心にはこうしたえっちアニメ放送される事を危惧しつつもなし崩し的に見せなければならない事は察するに余りある

悲しいかな、昨今の子供向けアニメ卑猥性的でそれこそ早過ぎた性教育アニメと言う他ないのであり、

アニメという簡単で至極容易に子供性教育を教えられる媒体はないのだ。

学校教育にも限界がある中でこのような性的アニメ放送される事は極めて悲しい事だと、

おっさんの俺でも理解出来るのだから、恐らく世の親御さん方も困っているのではないかと思えてならない。

えっちアニメは朝夜に放送されるべきではない。

こうしたアニメは深夜に放送されるべきである

最近アニメ見れてないMouseionの日記でした。

2016-04-14

人を憎む心、恨む心ー地震の原因ー

先程、「地震について」で、私が阪神大震災を起こしたように書いたけれども、私が引いたのは、その引き金にすぎない。

地震は、以前、私が、千葉県市川大野に住んでいて、西船橋のTACTでアルバイトしていた時にも、市原地震が起きているので、私と地震の発生には関係があるのだが、

私が、阪神大震災を起こした、というよりは、阪神地方に溜まっていた、利己的な思い、

人を恨む心、憎む心の想念の蓄積が、地震の原因といえるだろう。

したがって、阪神大震災被害を受けた人々が、私を憎み、非難するのは、おかど違いである。

ようするに、そのような心が、地震の原因であり、そういう心がなくなれば、大きな地震は来ないのである

東北震災も、かわいそうではあるが、人々の意識が、慈しみと思いやりの心になりきっていれば、あのような被害は起きなかったし、

地震津波は、必ず被害にあうというものではない。そのような不都合な状況は、すべて回避できるのである

しかし、どのようにすればよいか分からない日本政府は、少子化問題にせよ、地震津波問題にせよ、お門違いの政策ばかりやっている。

人間は、心と肉体だけの存在ではない。宇宙創造主生命を宿した、霊的な存在なのである

たとえば、売春禁止法。これは、慈しみの欠如が著しい。少子化を止めるためには、まず、売春防止法廃止し、

わいせつ物に関する法律を、すべて解禁とするべきである。それで、少子化がなぜ止められるか、というのは、

深い仏陀としての洞察の結果なので、ここでは、詳しくは述べないが、日本守護神である天照大神が怒っているのである

それは、古事記天の岩戸開きの故事関係している。ようするに、天照大神がお隠れになった時、女陰女性性器)を露出させて、

女性神様が踊って、それを契機に、天照大神が顔を出した、ということである日本経済復興させるには、この故事にちなみ、

ストリップ奨励し、合法的売春施設売春は、聞こえが悪いので、恋人代行サービス業と呼べば良い)を作り、風俗営業法で扱い、

自由セックスをさせる環境をつくればよいのである。そうすれば、日本全体に、良い波動が渦巻き、自然経済再生し、

少子化も解消できる。この方法に異を唱える人がいるのは承知しているが、これは、宇宙創造主天照大神の声を聞いた、

仏陀の智慧の視点なのである。今の男性は、アニメアイドルに夢中になり、現実女性結婚意識が向かない傾向にある。

これは、日本全体に、性欲はわいせつであり、罪深いこと、という明治以降欧米の風潮が悪い影響をしている。

自由に、性器露出させた雑誌を、コンビニに並べることにより、子供たちは、隠し、嘘を見せるのではなく、ありのまま女性の姿をみつめ、

自分に嘘をつかず、女性大事にすることを学ぶ。今の性器教育中心の偏った性教育ではなく、女性への尊敬と、宇宙創造主に対する畏敬と感謝の念を持って、

セックスと言う問題を扱うようにすれば、自然に、現実女性と家庭を持ち、子供を産み、きちんと育てようとする機運、風潮ができるのである

今の官僚は、隠すのが好きである。これが、日本の政治を取り巻いている。高齢者も、自由セックスを楽しめる様になれば、生きがいも持てるし、

抑圧する感情情動を、ごまかして、いい加減に済ますようにし、その結果、認知症になったり、変な恋愛観を持って、女性ストーカーするなどの

行為が減る。身体障碍者の性欲の解消にも、役立つ。日本国憲法は、国民に、最低限度の文化的生活保証しているし、幸福追求に関する個人の権利

認めている。そうであるならば、職業選択の自由を認め、恋人代行サービス業を公に認めて、国家を上げて、セックス奨励する機運にすると良い。

これが、少子化経済活性化の唯一の根本的な治療である。私は、仏陀として、治療師として、そう強く思う。

2016-04-09

性教育英語でやるべきでは

男女ともにスケベな年齢なんだからギリギリ文章を読ませればいいじゃん

2016-03-24

緊急避妊薬を巡る議論について、殴り書き

一部のラディカルフミニストがピルや緊急避妊薬を蛇蝎のように嫌う背景には、「生殖の為に、女は有害行為を受容させられる」「その過程においてコンドーム装着を受け入れさせることは、男への、女による影なる支配力の行使である」という、「男」へのマウント意識があるのではないかと思う。彼らにとって、生殖は選択不可能な苦行であり、反面、男への影響力を駆使するための手段でもある。そこに、産むことも性を謳歌することも万人に与えられた権利である、という意識はない。

一方、リプロダクティブ・ヘルスライツの整備に反対する保守層は、女性人生に対する主体的な選択を行うことを、「ふしだらである」として忌み嫌うかたちで、その権利を奪おうとする。しかし、性教育の不徹底と、不完全な避妊方法である"コンドーム教"の盲信は、避妊失敗の社会的責任を、男性のみに背負わせる。女を妊娠させたとき、男は責任を取らねばならない。育児出産によって労働の機会を失う女たちを「養う」ことで、男たちは権力を得る。生殖を巡るパワーゲームを維持するという構図において、彼らの利害は一致する。結果として、リプロダクティブ・ヘルツライツ話題のもの忌避する社会が完成する。

プロダクティブ・ヘルツライツを巡る議論においてのみ、本来なら敵同士であるはずの彼らの利害が一致する。この構図は、彼らのプロレスじみた対立が、本質においては「同じ権力構造の内部でマウントを取り合っているに過ぎない」のだ、という事実証明に他ならない。男性のありとあらゆる性の営みを監視し・支配するラディカル・フェミニズムの主張は、結果として、敗戦と高度成長によって闇に追い遣られた「影なる支配者」としての女の復権に等しい。そして、一部のミソジニールーツとする保守主義者は、女性社会進出を嫌う。育児出産が女の手に占有された世界において、女が労働によって金銭自由を得てしまえば、男たちはパワーゲームに勝てない。男の欲望を受け入れ癒し、子孫を増やし育む機械である女と、女によって欲望を充足され、労働し、財を得て、社会を富ませる機械である男。どちらが権力を握るべきか。彼らの諍いは、どこまで行っても、同じ地点に収束する。

日本における家制度は、男尊女卑の見掛けを取りながら、男を肯定し、てのひらで転がし、そして扱き使う「女たち」の、影なる支配によって成り立ってきた。そうして労働力構成員を吸い上げてきたのが、それぞれの時代における「社会」だ。人は社会帰属し、「世間」の強制力空気のように蔓延する。保守的な男女観に固執する限り、彼らは、どこまで行っても、彼ら自身を苦しめる抑圧から逃れ得ない。その事実を、このところネットで頻発する「アンチフェミニズム」の趨勢象徴しているように思う。

リプロダクティブ・ヘルスライツへの問題提起は、女が生殖への主体性を手にするための運動だ。しかし、同時に、男が「自らの意思で」生殖もっと言えば異性との利害を伴った関係性に踏み込んでゆくこ権利を得る活動でもある。二者間の合意によってパートナーシップを構築するとき、男は「働かなければ価値のない生き物」ではない。そして、純粋利害関係に基づくパートナーシップが、男性による労働社会的価値を損なうことはない。出産育児労働を天秤に掛けるとき労働を選択する女性ばかりではないからだ。

一般に、「金のない男」が若い女と恋愛できないのは何故か。女が打算的だから、男に養われ、楽をしようと意図するから、ではない。現在日本社会においては、生殖のものコスト女性側に一任され、経済的負担男性の側に強く圧し掛かる。金のない男はその負担を負うことができない、と判断される。それは合理的帰結に過ぎない。

単独家族を養うに十分な社会的資本を持たない彼らが、現代社会において異性と関係を結ぶためには、ハンデを飛び越えるに足る利害調整力と、自分社会的立場を見極める市場観察力、利害の一致する相手見出し、交渉する主体性と行動力必要となる。しかし、アンチフェミニズム標榜する視点において弱者男性問題が論じられるとき、男女関係における責任問題現実的側面に目が向けられることはほとんどない。

彼らの世界に、「主体的に選択し、行動し、異性関係を構築する」という選択肢存在しない。その選択肢を得た個人は、現代社会においてもはや弱者ではないからだ。保守的男性世界観においては、「男性としての名誉」も、トロフィーとしての女も、世間に従い、勤労し、地位を獲得することによって、主体なき「社会」によって宛がわれる。しかし、社会全体の資本が不足し、そして、かつて公共財であった女が人権を獲得してしまったこの時代トロフィーを得るためには、生まれながらのステイタスと弛まぬ努力、そして大いなる運が必要となる。加えて、トロフィーを獲得しても、幸福になれるとは限らない。双方が主体的選択と責任意識放棄して「規範」によってマウントを取り合う関係性、外的抑圧によって維持された家族関係において、性的抑圧は再生産され続ける。

セックスが「男女の問題」ではなく、「主体的な二者間の問題であるとき生殖に関与する両者は、二人の協力者である

男性側のアクションとしての、コンドーム代表される避妊手段女性側のアクションとしてのピルやIUDの使用リスクヘッジとしての緊急避妊薬の存在性病検査の徹底。生殖に参加する関係性の帰着を見据えた上で適切な手段を選択することで、初めて、両性にとっての「主体的生殖の選択」は可能となる。この状況下においては、「全てのセックスレイプである」という命題否定される。その上で、生殖に前向きな人々が、意思以外の諸要因を理由に断念せざるを得ない状況を減らしてゆくこと、が、理想的な(あくまでも理想的な!)「少子化対策」と呼べる。このことは、シラク三原則が成果を挙げたことによって実証されている。

しかし、この「現実的側面に対して、現実的議論する」こと、そのものが、世間一部の人々には(蛇蝎のごとく!)忌避されている。フェミニストを名乗る、ミサンドリー支配された「女たち」と、家社会部族社会論理に連なる男女関係を信望する保守主義者の人々、女によって自らの居場所財産名誉を奪われたと盲信する「男たち」。インターネットにおける緊急避妊薬を巡る議論への反応から見て取れる。彼らはひとの良心想像力をも支配したがるのと並行して、パートナーシップを構築する二者が対話し、尊重し合うことを志向するというごくごく当たり前の幸福を、社会構成員から取り上げるべきだ、と主張する。生殖主体的選択が一般化したとき、救われるのは"望まぬ妊娠をさせられた女性たち""中絶強制される女性たち"だけではない。男らしさ規範による、自尊心の欠損や経済的搾取に苦しむ男性もまた救われることになるというのに、である

リプロダクティブ・ヘルスライツを巡る議論忌避され、遠ざけられる。問題提起を行えば、「フェミニストからも「保守主義者からも袋叩きにされる。この風潮は、そのまま、日本におけるフェミニズムリベラリズムの歪みの象徴であるように思われるのである

2016-03-07

キモオタによるフェミニズム概論

フェミニストからキモオタ死ねと言われ、私はもちろんキモオタであるから激昂してクソフェミ死ねと言い返しかけて、そこでふと気がついて困惑した。

フェミニズムとは何だろうか。

私はフェミニズム名前ぐらいしか知らない。しかし知らないものを知らないままにしておくことは、少なくとも私にとってキモオタしからぬ行為である。私は自分に自信をもってキモオタでありたい。クソフェミ死ねと罵られるキモオタであることに誇りを持ちたい。ならばフェミニズムについて知らなければならない。

しかフェミニズムについて知りたかったら何を読めばいいのか。これが意外と分からない。ロールズやセンを読めというのを見つけたので読んでみたが、やはりフェミニズムが分かった気になれない。

そこで手当たり次第に適当にフェミニズム書籍を読んでまとめみることにした結果が本稿である。決して十全ではないが、私同様、フェミニズムをよく知らないオタク諸姉諸兄にとって、フェミニズム理解の取っ掛かりになれば幸いである。

フェミニズムとは

フェミニズムは大きく三種類ある。ラディカル・フェミニズム(以下ラディフェミ)、リベラルフェミニズム(以下リベフェミ)、そしてマルクス主義フェミニズム(以下マルフェミ)であり、それぞれ理論の組み立ては全く異なる。以下順に見ていこう。

ラディカル・フェミニズム

現在のラディフェミ理論的支柱はキャサリン・マッキノンと言っていいだろう。「性の不平等の源はミソジニー(女嫌い)」であり、「ミソジニーの源は性的サディズムにある」(C.マッキノン,"フェミニズム表現の自由",1987,*1)。そして社会に溢れるポルノグラフィ(以下ポルノ)こそが「性差別主義者社会秩序の精髄であり、その本質をなす社会的行為」(*1)に他ならないと喝破する。この諸悪の根源ポルノであるという揺るぎない確信からポルノ法規制を推進する。

ポルノ性犯罪を誘発するという統計的証拠はあるのか。この批判に、しかしマッキノンは自覚的である。誘発するという調査もあり、無いという調査もあると率直に認める。従って彼女が起草した反ポルノ法は「被害をもたらすことが証明されうる物だけが告発できる」(C.マッキノン&A.ドウォーキン,"ポルノグラフィ性差別",1997,*2)。「証明されるべき被害は、強制行為、暴行脅迫、名誉毀損、性にもとづいて従属させる物の取引といった被害でなければなら」(*2)ず、不快に感じた、宗教上の信念を侵しているといった被害は認められない。被害者ではない第三者告発することも認められない。

ポルノには、ホモレズ二次元も、古典文学から芸術作品まで被害をもたらすことが証明される限り全て含まれる。自分が叩きやすゲームマンガだけを槍玉にあげて、自分が叩かれやすい文学や芸術から目を背けるチキンではない。殴るからには全て殴る。それがマッキノである

なお、田嶋陽子はラディフェミを名乗りドウォーキンへの共感を示しているが、ポルノ諸悪の根源とはせず、現実的政策としてはリベフェミに近い内容を述べているため注意されたい("愛という名の支配",1992)。

リベラルフェミニズム

J.ロールズの「公正としての正義」やA.センの「不平等の再検討」をその理論的土台とし、リベフェミは次の点を問題視する。「ジェンダーシステムは、その根を家族における性別役割にもち、事実上わたしたちの生活の隅々まで枝葉をはびこらせた、社会の基礎的構造のひとつ」(S.オーキン,"正義ジェンダー家族",1989,*3)であり、「女性男性重要差異が、家族内で現在おこなわれている性別分業によって作られる」(*3)。

夫婦がともに働いている姿を子供に見せることが教育上望ましいと考え、そして共働きにおいて妻にだけ家事育児押し付けられることは不平等であり、二人で平等に分担するべきであるとする。もし専業主婦なら、夫の稼ぎは夫婦二人で稼いだものとして両者で均等に等分すべきだとオーキンは言う。

このように家庭内賃金労働の不平等の解消によって性差別の無い社会が構築されるとする考えから、リベフェミ女性社会進出を推奨し、出産休暇や託児所の拡充、男性育児休暇取得を推進する。また「子どもたちがなりたい人間になる機会」(*3)を拡大するため――その機会を無知ゆえに狭めないために、性教育重要性を訴える。

なお、「男性を敵視し憎む分派は消滅するだろう」(B.フリーダン,"新しい女性創造",1965)が示すように、フェミニズム男性女性権力闘争化することに否定的立場をとる。

マルクス主義フェミニズム

出産を含む女性の家事育児は明白な労働行為である。にも関わらず男性社会はそれに一切の支払いをしてこなかった。ゆえに女性とは搾取されるプロレタリアートであり、その意味で男性とはブルジョワジーである女性の抑圧は、資本制と家父長制の構造上必然的に生じたものであると喝破し、資本制・家父長制の打倒を訴え、そしてこれが日本の伝統フェミニズムである

女性社会進出に関してはリベフェミの主張とほぼ同一だが、フェミニズムの主要な敵は男性であると断じ、マルフェミでは家事育児という労働に対する賃金の支払いを請求する(上野千鶴子,"家父長制と資本マルクス主義フェミニズムの地平",1990,*4)点で異なる。ただし誰に請求しているのか、また家父長制を崩壊させるために「資本制との新しい調停」を、というが、それが共産制かというとそれも曖昧で判然としない。

日本ではさらにそこに独自思想が入り交ざる。例えば男女混合名簿の推進は「日の丸君が代シンボルとする儀式を撃ちくずす」(河合真由美,"「男が先」を否定することでみえてくるもの――学校の中での性差別男女混合名簿",1991)から良いのだ等、目的が何なのか、いささか混沌としている向きも見受けられる。

その他のフェミニズムと補足

レズビアンフェミニズムブラックフェミニズムエコロジカルフェミニズムポストモダンフェミニズムなど多岐にわたる。マルクス主義フェミニズムの派生であるサイボーグフェミニズム(D.ハラウェイ,"サイボーグ宣言",1985)は読むとつまらないがネタとしては面白い。あとキワモノで言えばスピリチュアルフェミニズムとか。

補足1:クィア理論

同性愛者とフェミニスト関係は、従来男性権力社会に対する「敵の敵は味方」関係に過ぎなかった。そこで登場したのが「フェミニズムと、ジェンダーに関するゲイレズビアンの視点と、ポスト構造主義理論を、政治的ひとつに纏め」(J.バトラー,"ジェンダートラブル",1990)たクィア理論である。これにより統一戦線理論的に張ることが出来るようになった。

補足2:男性差別

リベフェミは広範な男性差別否定するが、アファーマティブ・アクションでの男性差別肯定する。ラディフェミ男性敵視の姿勢を持つが、しかしマッキノンは男性けが徴兵されることは男性差別だとして否定する。「平等とは、ジェンダーの違いではなく、ジェンダーヒエラルキーを問題にし、その根絶をめざすものである」(*1)からである。マルフェミはよくわからなかった。女性兵士に反対しているので、男性差別肯定されるのかもしれない。

フェミニズムが扱う問題

セクハラ家庭内暴力中絶女性兵士等色々あるが、本稿ではオタク、わけてもアニメオタク関係の深い「性の商品化」について取り上げる。

「性の商品化」の法規制

マッキノンは、猥褻として過去に規制された、まさに「性の商品化であるユリシーズ(J.ジョイス,1922)について「ポルノではない」と述べる(*2)。現実の被害が証明されていないからである。「性の商品化」は法規制の理由にならない。

リベフェミであるN.ストロッセンは「子供や妻への虐待強姦日常的な女性への屈辱行為などを正当化する内容が詳細に述べられている」書籍として聖書をあげ、「禁止されない安全思想などほとんど存在しない」("ポルノグラフィ防衛論",2000)とする。そして性教育がかつて猥褻として政府に規制された例を上げ、ポルノ禁止法は政府検閲に利用されると強く批判する。

一方、上野は「性の商品化」だとしてミスコン廃止を訴えるフェミニストについて、彼女らは「法的取り締まりを要求したわけではなく、受け手として「不愉快」だという意思表示権利行使であると言う。そして「性の商品化」は「メディアのなかでも、なんらかの基準がつくられる必要がある("「セクシュアリティ」の近代を超えて",新編日本フェミニズム6,2009)」とする。

ここから見えてくる点として、女性が「不愉快であることが問題なのだということが分かる。「性の商品化」とは何か、それに実害があるかは、おそらく最終的にはどうでもいいのである。さらに求めているのは自主規制であって法規制ではない。自主規制によって発言者は自ら口をつぐむのだから表現の自由は全く関係のない話である

不愉快」による法規制正統性

リベフェミであるマーサヌスバウム嫌悪感を根拠とした法規制を徹底して批判し、ゾーニング妥当性を論じるが("感情と法",2004)、マルフェミである永田えり子は「ポルノ市場が成立すれば、必然的ポルノ市場の外部に流出する。そして流出すると不快に感じる人がいる」("道徳フェミニスト宣言",1997)としてゾーニング効果がないと批判する。

ポルノは「人々に広く不快を甘受させているかもしれない。そして事実不快だという人がいる。ならば、それは公害である」。「性の商品化は多くの人々に対して、確実に何らかの不快や怒りを与えるはず」であるがゆえに規制されるべきだと主張する。

そのような不快感を根拠とした規制は恣意的運用がなされるという批判は当たらない。曖昧な法は他にもあるが、現に警察と司法は正しく運用しているかである。性道徳に根拠が無いという批判も当たらない。「根拠がないということがすなわち不当であるわけではな」く、それは「正しいから正しい」のである

なお、福島瑞穂非実在児童ポルノ規制は法的安定性が保証されないとして反対しており、この永田見解がマルフェミ共通見解でないことは述べておく。が、例えば児童ポルノ法規制に対して日本ユニセフ協会広報室長の中井裕真から司法は正しく運用してくれる旨の見解が述べられており(永山薫昼間たかし,"マンガ論争勃発2",2009)、これがフェミニストの通説でないことは明らかだが、一定存在する見解であるように思われる。

日本草の根フェミニズム

初期の日本フェミニズムには「反主知性主義」があり、「女性であれば(女性としての経験をもってさえいれば)誰でも女性学担い手になれること、専門的なジャーゴンや注の使用を避け」、「プロアマ距離をできるだけ近づけること」が目指されたと上野は述べている("女性学の制度化をめぐって",2001)。

こうした取り組みで女性が声をあげられる空気を作り出すことに成功したが、結果としてフェミニズムは「一人一派」と化した。筆者の私見に過ぎないが、これは同時にフェミニズムと「私」の区別を曖昧なままにしたのではないか。

「私」とフェミニズムが一体化しているとすれば、「私」が不愉快ならフェミニズム上も不公正に決まっている。それが従来のフェミニズム理論と矛盾していたり整合性が取れなくとも関係ない。「「オンナ対オトコ!」なんて言ってるフェミなんて、いないのになぁ」(北原みのり,"フェミの嫌われ方",2000)が示す通り、従来の理論について知識も興味もないフェミニストは珍しくない。知らなければ(当人の中で)矛盾はしない。

理論を欠いた思想は、しばしば信念や信仰へと還元されてしまいがちである」(*4)と上野は言う。そのような啓蒙主義者にとって「真理はつねに単純である。(中略)真理を受け容れることのできない人々は(中略)真理の力で救済することができなければ、力の論理で封じるほかはない」。そうして治安警察国家を招き寄せる人々は「反主知主義の闇の中に閉ざされる」。

これは実は上野によるリベフェミへの批判なのだが、筆者にはリベフェミではないところに突き刺さっているように思えてならない。

おわりに

このようにフェミニズム一言で言い表せるような概念ではもはやない。日本の初期フェミニズムはマルフェミが中心であったが、現代日本フェミニストは必ずしもそうではないだろう(例えば堀田碧は"「男女共同参画」と「日の丸フェミニズムの危うい関係"で一部の若いフェミニスト愛国心に苦言を呈している)。

最後になるが、フェミニズムはクソだという見解に私は全く同意しない。職場上司女性社員の尻を撫でることは強制わいせつ以外の何物でもないし、家庭内暴力夫婦喧嘩ではなく傷害である。どれだけ成果を上げようが性別を理由に賃金を低く抑え、出世コースから排除するといった制度の是正フェミニズムが尽力したことを、私は決してクソだとは思わない。

私がクソだと思うのは、……まぁ、書かなくても察してもらえるかと思う。

いささか長い増田になった。この程度の調査力でキモオタとかw という批判は甘んじて受けるしか無いが、とはいえもし誰かの理解の役に立ったのならそれに勝るものはない。

2016-01-31

http://anond.hatelabo.jp/20160131015549

http://anond.hatelabo.jp/20160131015930

膣入口から子宮口までの10センチの膣道の穴は

指と水で洗いなさい

子宮から子宮内部まではつまようじほどの細さしかなく

たとえ洗剤であらったとしてもそこまではおよびません

日本のなかでは膣内部は洗うなという誤った一種カルトのような概念存在しているようで恐ろしい

膣内部も洗浄するのは至極当然当たり前のことです

口の中をゆすぐのとおんなじなにもしなければ臭くなります

なぜこんな当たり前のことをいちいちわなければならないのか

この間もピル嫌いの増田女子カンジダ10年治らないとか書いていたが

女性性教育見直したほうがいいなこれ

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