はてなキーワード: 大袈裟とは
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::::::::/.,,,=≡, ,≡=、、 l:::::::l 俺は嫌な思いしてないから
i::::::::l゛.,/・\,!./・\ l:::::::! それにお前らが嫌な思いをしようが俺の知った事ではないわ
.|`:::| :⌒ノ/.. i\:⌒ .|:::::i だって全員どうでもいい人間だし
(i ″ ,ィ____.i i i // 大袈裟に言おうがお前らが死んでもなんとも思わん
lヽ ノ `トェェェイヽ、/´ つまりお前らに対しての情などない
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と言ってもまだ二度だけど
初回は、よくあるストレスチェックみたいなものとか性格診断テストみたいなものとかを三つくらいやって、面談に来たきっかけとかを聞かれて、テストの結果についてとか無意識で何が起きているのかとかそんな話を聞かされたりした。
常に緊張状態が続いていますねみたいなことを言われて、あまり自覚もなかったけど、常に歯を噛みしめてるとか呼吸が浅いとか、あとストレスチェックの点数が投薬基準の点数超えてるとか聞いて、へぇ〜…そうなんだ〜…と思った。
性格テストは厳格的とか庇護的とか抑圧的とか開放的とかのやつでまぁ自覚もあるからその通りですねという感じだった。
次回から本格的に…と言われて、二週間後に次を予約した。初回の面談した人から、次回以降相性の良さそうなカウンセラーに繋ぎますね〜って話だったからそのつもりだったけど、当日行ったら前回と同じ人だったからなんかがっかりした。人のやり繰りの都合とか、希望する面談日の都合とかもあるんだろうから仕方ないけど。
いまの人、相槌が大袈裟な感じでこの人本当に人の話聞いてんのかな…という感じがして、いまのところあんまり好きじゃ無い。もちろんちゃんと聞いてはいるんだと思うけど周りにいたことのないタイプの人だからなんか慣れないのもある。もしかしたらカウンセラーの話術としてそうしているのかもしれないし、それならどのカウンセラーとも相性合わなそうだし無理かも。
そもそも受けに行く前からもう行かなくて良くない??という気持ちが強くて、初回の面談をしたすぐあとには、次回からなんか訓練とかするみたいだし楽しみだなーとか思ってたのに、当日はもう次回は予約しなくても良いんじゃないのかなとか、行かなくても自分は大丈夫なんじゃないかなとか、思いながら向かった。
カウンセリングの待ち時間で前回から今回にかけてのこととか話したいことを問診票に書かされるのも初耳で、何書いたら良いのかわかりません、って書いて出す羽目になって、ますます帰りたくなった。
面談自体はよくある子供の頃の話とかを聞かれたりしたけど、なんか自分の話す内容から最終的に家族が批判されることになったら嫌だなぁ…という気持ちがずっとあってふわっとした話しかできなかった。あとは腹式呼吸を覚えましょうって言われて、寝る前に練習するように言われたけど、寝る前のルーティーンがほぼ固まっててどこに入れたら良いのか分からなくてあんまりやってない。やれよ、って話なんだけど寝るギリギリまでスマホ見てたい。深呼吸しながら寝落ちとか楽しくなさそう。
カウンセリングでやる行動療法(?)とかを調べてて、手足の力を抜く訓練とかをするんだと思っていたのに、そもそも腹式呼吸すらできない自分にびっくりしたのもある。その分、うつ伏せで寝転がって深呼吸すると腹式呼吸になるから!っていうのはやってみてめっちゃ実感した。
とりあえず次回も流されるまま予約したから、前金制でお金も払ったし、渋々行くことになるんだと思う。
今度何話せばいいんだろうなぁ…
とりあえずコロナウイルスでリモートワークできるようになったから非日常感とか非常事態感とかが強くてわくわくしてる、って話しは出来そうかなー
月一でネイルサロンに行く代わりだと思えばまぁ…って思ってしばらく通ってみるつもりだけど、でもやっぱりふっと行かなくても良くない?と思ってしまう。
最近はなんだかコロナ関連の記事ばかりで、開くと右だか左だか、そんな意見がズラズラと並んでいてうんざりしてしまう。日本人ってみんな右か左かしかいないのかと思うくらい。人が人を批判したりしてるのって、大量に見ると精神がやられるよね?
で、政府が「こうしてね」っていう方針を出したことがあまりにも初歩的なことすぎる!ってちょっと前に言われてたけど、それについて自分の中で考えがあります。
今、日本人は3つに分かれるんじゃないかなと思っていて、1つはコロナ対策で手を洗ってうがいして、マスクがあれば着けて、人混みには行かない人たち。これは全体の7割くらいじゃないかな。2つ目に、対策が大袈裟な人たち。中国の方の映像で見た、ペットボトルマスクや柑橘類マスクの人、最近話題になった電車を止めたおじさん。こういう人たちは、せいぜい2割くらいだと思う。最後に3つ目、残りの1割の人たち。政府の人(厚生労働省?)はここの層に向けて言ったんだと私は解釈した。手洗いうがいもせず、マスクも着けない。人混みには行くし、咳・くしゃみはそのままする人たち。政府としても、前2つの層の人はそれが適切であれ過剰であれ、対策をしているからいいけれど、何もしていない人が1番感染しやすいと考えたから、そこに向けて発言したのだと思う。
それをちゃんと解釈して、批判なりなんなりして欲しいと思うのである。昨日ツイッターのトレンドのとこに出てたブラジルの祭りも、ただ写真とトップの日本語訳だけ読んで、記事に批判リプをくっつける人が多くて驚いた。私としてはリプはかなりハードルが高いものだから、一通り言葉の使い方だとか解釈だとかを調べてから投稿したいと思っている。そのあたりの考え方の違いかもしれないけれど、何についても、もう少しだけ優しい世界になってくれてもいいんじゃないかなと最近思っています。
なんか仕事の事を考えているとどんよりするので気を紛らわすのに書いてみる。
とりあえず自分の事。
昨今のキャンプブームは90年代キャンプブームで親とキャンプした世代が同じ事を子供とやっているという説があるけど、まさにその世代。
なので、キャンプに行くのは精々年に数回だけど、歴だけみたら二十年選手のペーパーGOLD免許的なベテランキャンパー。
ひょんなことから冬キャンプを始めてみたら、これまでの景色とは全然違う世界におじさん超びっくり。
今日はその辺について書いてみようと思う。おじさんなので話がギアに偏りがちだけどそこはご了承願いたい。
1. キャンプ場がかなり混んでいる
平日は流石にそうでもないけど休日はめちゃ混み。唯一平日に行った茨城の某高規格だけは超寂しかったけど、それ以外11月〜2月の週末数回は区画系キャンプ場もフリーサイト系キャンプ場もキャンパーでいっぱい。ナチュログとかを読むと2018年はそうでもなかったみたいだから今年は凄いのかなと思う。一瞬ゆる△キャンかと思ったけど、来ているキャンパーは家族だったり大人だけのグループだったりなので、あんまり関係なさそう。暖冬ってのと、もしかしたら夏の台風で河川系フィールドが軒並み閉鎖なのが効いてるのかも。
2. もしかして、薪不足?
キャンプと言えば焚き火。世のキャンパーの半分くらいは火を扱うためにフィールドに来ていると思う。自分もそんな感じ。ただ、急激に増えすぎた冬キャンパーに薪の供給があまり追いついていない。薪の製造はウィスキーのようなもので、針葉樹で最低半年。広葉樹なら少なくとも1年とか2年の乾燥期間がいるのだけれど、今年はちょっと見切り発車で出してしまっている所もあるんじゃないかと思う。場所によっては現地調達ができない旨をWebサイトに掲載しているフィールドもある。自分はAmazonで買える乾燥したブルジョワ薪10kgをお守りに、現地調達とか薪ストーブ向けの業者に出向いて購入したりで対応してるけど、何度かシュワシュワする薪に当たった。今年は雨も多いので単純に乾燥期間だけの話では無いのかもしれないけど。
3. コットン幕は人権
これは焚き火と薪ストーブに大きく関係するので冬特有なのかもしれないけど、とにかく多いコットン系幕。数だけ見るとサーカスTCが圧倒的だけど、どこに行ってもそこそこな数のノルディスク、テンティピなんかの欧州系舶来幕。フリーサイトだと、ノルとテンマク、DODあたりで半分くらいとか言ってもそんなに大袈裟ではないかも。みんなお金持ちだね(舶来幕は上下で20万を超えるのが多い)。
ゴメン、ちょっと言い過ぎかも。でも、一時期に比べるとチェアワン系が減っているのは間違いない感じ。代わりに台頭してきたのがカーミットとそのコピー品。組み立てちょっと面倒そうだけどカッコいいもんね。仕舞寸法はチェアワンとそこまで変わらなさそうだし。でもコットに関してはまだヘリノックスが多いかな?な印象。
コットン系幕が隆盛なのに対して、ポリ幕が主力のスノーピークはなかなかに苦戦している印象。スノピにしてはバーゲンセールなアメドはボチボチ見かけるけど、ランドロック全盛期にあったような右を見ても左を見てもスノピと言った様相では無くなった。これは難燃幕が重宝される冬キャンプ特有の話なんじゃ?と思いつつ、薪スト勢も昔はランドロックやラナあたりのシェルターを使っていたと記憶しているので、単純にそれだけでは無いんじゃなかろうか。落ち着いた配色と統一感で一時期はオシャキャン勢のマストバイ的な位置付けだったスノピだけど、イマドキのステレオタイプなオシャキャン勢は欧州系舶来幕が当たり前で、それらを選ばないキャンパーもNemoやMSRなんかの米国系やサバティカル、ゼインアーツあたりのプライベートブランドやガレージブランドでカッコよくきめてる。なんならホームセンター系PBの筈のテンマクですらPEPOやサーカスあたりはなかなかにカッコいいときているので、そろそろなんらかの手を打たないと厳しそう。特に統一感込みでのブランドデザインかなと思うので、ギアの主体であるテント幕を他社に押さえられてしまうと周辺ギアをスノピで揃える事にインセンティブが働かなくなり、バタバタといく可能性がある。
6. 案外強い小川と何故か増えているコールマン。全く見なくなったロゴス(昨今テント考その2)
そのまんま。小川はツインピルツをよく見た。ロッジ型にも注力しているようで、質実剛健なイメージとは裏腹に時代を掴んでいる印象。なんで2回も3回も潰れるのかわからん。ティピー系が流行り出した(リバイバルした?)当初からピルツ売ってたし。結構謎。コールマンは主にファミリーが2ルームを使っているのをボチボチ見かけた。今まではホームセンターで入手しやすいテントのイメージだったけど、昨今の2ルームは10万には届かないものの、なかなかのお値段。見た目はお世辞にもオシャレとは言い難く価格的にも決して安くないにも関わらず選ばれていると言うことは、多分使い勝手が良いのだろうなと思う。そして、前述のスノピと共に…と言うかスノピ以上に存在感の無くなったロゴス。恐らく今冬はまだ見ていないと思う。10年程前の前室付きドーム型時代からシェルター時代への移行期あたりは「お金持ちはスノピ、普通の人はロゴスかコールマン」な感じで、スノピと同数かな?くらいには目にしたロゴスだけれど、少なくとも今冬は見る影なし。ファミキャン向けと言うことを考えると冬キャンには幾分不利なブランドだとは思うものの、価格帯的にはDODや大陸系ブランドに負けてしまうにも関わらずアッパークラスに訴求できる商品力もないと言う非常に苦しい立ち位置になってしまってはいないかな?その点では鹿番長ことキャプテンスタッグの方が元々エントリー層狙いなので影響は少なさそう。
…そのほかにも焚き火台はみんなバラバラで個性的?とか、ガソリンランタン減ってません?とか、みんなひとつくらいは鉄モノを置いているとか、ナンガナンガナンガとか色々あるけど、飽きてきたのでこの辺で。
しっかし、冬キャンプ人口の多さには本当にびっくりした。BEPAL?だったかのアンケートでは半数が秋派で3割が春派。残りの2割を夏と冬で分け合う構図なものの、夏か冬か?なら圧倒的に冬が人気らしい。秋を晩秋(秋雨前線がいなくなってから)、春を早春(梅雨の前まで)と考えたらもういつだって冬キャンみたいなもんなので、各メーカーは冬装備を基本に商品展開していかないとダメそう。絶対数は相変わらず夏のファミキャン勢かもしれないけど、お金落としてくれるのとは別かなと。
イケハヤに釣られてるやつを笑えない
窪田順生の記事がいかに読むに値しないものであるかいい加減学習してくれハリーハリーハリー
kuborie スレタイだけで窪田順生とわかったオレは、もしかして、一般的・平均的な知識と知能と直感力なのかもしれん
digits_sa このチラシの裏に書いているような結びの文.....【このような「個人の自分勝手な行動」への強烈な憎悪が、日本で最近話題になる「不寛容社会」の根っこにある、と筆者は考えている。】
tamagoroukun この記事、結論に至るまでの客観的事実が少なすぎないか?
bzt027400275 私は東出不倫の過剰な報道をしつこいと思うが、ここまで大袈裟な内容ではないと思っている。日本を貶めたいだけ?
yasudayasu 窪田順生のPV稼ぎに協力する必要も無し
mats3003 窪田はなんでもマスコミの論調に逆張りすればいいと思ってるだけのひとなので、真に受けちゃだめよ。正直、上杉隆とかと同レベルよ。
te2u やたらと予防線を貼りまくるし、話がいろいろ変わって何を言いたいのかわからなかったが、少なくとも教育は関係なかった。この件は、単純に他者に無闇に関わるな、というだけ。
cj3029412 おいおい、窪田順生だぞ。自分が、ゆがんだ教育で茹でがってるがなwww 何屋だよお前w
aceraceae 窪田順生なんで中身は読んでないし適当な因果関係のこじつけしてそうだけど、ベッキーのときとかも同様に関係者でもないのに怒ってる人が理解できないのは事実
onasussu 主眼は悪くないと思うけど「煽り運転で普通の生活が脅かされる恐怖」による義憤と、「静かな場を乱す子連れへの不寛容」による怒りを一緒くたにするのは下手すぎ
mouki0911 出だしだけで読む気が無くなる良記事
私はとある自治体の教育委員会で教育情報化の担当をしています。
GIGAスクールって何?って人は文科省のサイト見てください。
https://www.mext.go.jp/a_menu/other/index_00001.htm
補正予算の締め切りまで残り一週間を切る中で、文科省からはまだ要綱も示されていません。こんなもん、間に合わないのではないかと、どこの自治体も強い危機感を持って、焦っています。
一方で、今回の事業が持つ意味やその先のことについては、ほぼ考えられていないのが現実です。
担当部署でこうなのだから、一般の人はもちろん学校現場でもまるで理解されていないことは容易に想像できます。
以前から教育情報化を積極的に推進する立場にある人たちは、大変盛り上がっていますが、地に足がついていないというか、勇み足になっているというか、前提が共有されていないのに難しいことを言い過ぎていて、その世界の外側との溝が深まっている気がします。
なので、当事者のひとりとして、一般の人や学校現場に伝えたいことをここに書いてみたいと思います。
まず、今回のGIGAスクール事業において注目されている一人一台端末ですが、騒ぐようなことじゃないと個人的には思ってます。
「何の役に立つのか」とか、「何に使うのか」とか、そういった面倒な議論になりがちですが、とても便利なものなんだから、「とりあえず役に立つに決まってるだろ」というのが本音です。
みんなスマホを一人一台持ってますよね?オフィスのパソコンが共用しかないとか無いですよね?
同じことです。
さらに、みんなが一人一台持ってるのが当たり前になったら、それを前提としたサービスがどんどん生まれてきます。
家庭に一台だとLINEはここまで普及していません。
一人一台だから変わることがあって、全国でインフラ整備されると学校向けのサービス設計が根本的に変わります。
今回の事業における国の狙いとしては、今後のためのインフラ整備という面が一番大きいと思われるので、現場が必要以上にどういう教育に使おうかと頭を抱える必要はありません。
どう使えば便利か、先生自身が楽になるか、効率的に授業できるか、現場レベルではそういう発想で十分です。難しく考えて逃げられるのがいちばん困ります。
従来の3クラスに1クラス分だと、どう使わせるべきか、こっちもかなり頭を悩ませてたんですが、一人一台だと気軽に使ってもらえばそれでいいので、ずいぶん楽です。
一斉授業からの脱却とか個別最適化された学習なんかは、仕組みを考える人の仕事です。
そのうちサービスが出揃って嫌でも巻き込まれるので、それを待ってりゃ良いです。
本当は各家庭で端末買って持ち込むBYODができれば良かったんですが、こういうサービスが出揃って常識が変わってからでないとそれは難しいから、順番としては今回のやり方が正しいのでしょう。
多分、あと5年もすれば世の中の常識が大きく変わっているはずで、それができなければ文科省の大失態だと言うしかないです。
導入の担当者として、一人一台になるにあたり現場にやって欲しいこと、考えて欲しいこと、気をつけて欲しいことというのは他にありまして、それは、授業以外の場面で、可能な限り子どもたちの自由に使わせてあげて欲しいということです。
OECDの学習到達度調査(PISA)で衝撃的な結果が出ました。
日本の子どもたちは加盟国中で一番チャットやゲームにICTを活用するのに、学習に使うのは最も少ないという結果です。
ゲーム&チャットは1位で学習は最下位…日本の15歳のICT活用の実態
https://www.google.co.jp/amp/s/s.resemom.jp/article/2020/01/09/54151.amp.html
これは間違いなく、学校教育が意図的にICT活用を避けてきた結果です。
プライベートだけで、誰から教えられるでもなく、何の導きもなくICT使ってたら、ゲームとLINEとYouTubeだけになるのは、当然のことでしょう。
遊び以外にICTを使う目的やヒントを与え、見守り、助言する役割を担う大人が必要です。
ゲームが好きなら、ただ消費するんじゃなくて自分で作る楽しみを教えてみるとか、YouTuberになりたいんならとりあえず動画作らせてみるとか、きっかけを作ってあげることはとても大切だと思います。
それを親に期待できない場合は、誰ができるんでしょうか。
また、インターネットは昔の子どもたちが生きてきた世界(学校や地域社会)とは違って、子どもを子ども扱いしてくれません。
ひとりの消費者として、賢い大人たちが用意する色んなサービスや商品と向き合わないといけないです。
そこで生きていく術を、大人の目が届いて、ある程度の安全が確保されている範囲内で学ばせることが必要です。
ヒントを与えて見守るというのは制限するより負担が大きいので、現場に嫌がられることは理解していますが、必要なことです。
個人的には、ICTを活用した授業研究より、はるかに大切だと思ってます。
なので、私はこれから一人一台端末を導入する際に、子どもたちに出来るだけ自由に触らせてあげて欲しいと、繰り返し現場にお願いし続けようと思ってます。
もし、これを同業者や学校現場の方が読まれたなら、今回整備される端末の用途を授業に限定して過度な制限をかけることはやめて欲しいと思います。
職員室のパソコンが一人一台になって悪くなったことなんて何一つないのと同じように、子どもたち一人一台端末で悪くなることなんてないです。
手書きの良さがとか言う人がいますが、パソコン入っても手書きは無くなりません。もちろん習字の授業も無くなりません。
冗談だと思いますが、目が悪くなると言う人もいます。視力に影響するほど授業に使ってもらえるなんて、考えられません。
単純に、今より少し便利になるだけで、そんな大袈裟に考える必要はありません。
教育を変革するような大きな話は、制度を考える人やサービスを提供する人の仕事です。
私たち現場に近い人間は、子どもたちが遊び以外に上手くICTを活用できるように、見守り、サポートすることを大切にしましょう。
バスが止まると、乗客たちは押し黙ったまま次々と降りて行く。車窓から見える煤けた家々の影に吸い込まれて行く彼らを眺めていると、いつの間にかバスの中には僕と運転手だけがとり残されていた。分かるはずもないポルトガル語でなにかを伝えようとする運転手の表情を見て、ようやくここが終点のモシンボアダプライアだということに気付いた。
モザンビーク共和国の最北部、タンザニアとの国境に最も近い街、モシンボアダプライア。ナンプーラからミニバスに揺られること10時間、日も傾き始めた午後4時頃、やっとのことで到着した。
21世紀になった今でもまだ未開の森が残っているというモザンビーク北部。小さな村と村を辛うじて繋ぐ細い道路は言うまでもなく未舗装で、その上を走るトヨタハイエースのミニバスは、重ねて言うまでもなくオフロード向きの車ではない。乗車定員をまるで無視したぎゅうぎゅう詰めの車内で、膝の上に拷問器具さながらの重たいバックパックを載せて、しかも悪路を走る振動に耐えながらの10時間は、気の遠くなるような長い時間だった。
あわてて荷物を引っ張って外に出ると、空になったバスはそそくさと何処かへ行ってしまった。降り立った場所はバスターミナルなんて大層なものではなく、石造りの家々が建ち並ぶ小さな村の一角にポツンと広がった、ただの砂地の広場だった。広場の端に植えられたヤシの木の陰には何人かの女性や老人が座っていて、サトウキビをバリボリ齧りながらこちらをじっと見ている。ああ、ここ数日と同じだ。
モザンビーク最大の都市、首都のマプトは、南北に長い国土の一番南の端にある。南アフリカから陸路で入国した時、最初に到着した街もマプトだった。首都は首都なりに近代的なガラス張りの高層ビルが建っていたりもするのだけど、そこから北へ向かって縦断を始めると、車窓から見える景色がどんどん田舎に、自然に近づいていくのがそれはもう如実に分かる。白人の観光客がいるのはせいぜいマプトの次の街のイニャンバネ辺りまで。国土のちょうど真ん中辺りを東西に流れるザンベジ川を超えると舗装道路がほとんど無くなる。北部の街キルマーニを超えるともう公共交通機関が当てにならないので、道端にはヒッチハイクの代行をして日銭を稼ぐ子供達が居たりする。モシンボアの手前のペンバ辺りまでは、自分以外の酔狂なバックパッカーを見かけることもあった。しかし、ここに来てついに異邦人は自分だけになってしまったらしい。
いわゆる発展途上国の場合、自分のような旅行者は、バスから降りるなり土産物の押し売りやホテルやタクシーの客引きにもみくちゃにされてうんざりするのが常だ。しかしアフリカのこんな僻地まで来てしまうと、そもそも旅行者が訪れることなどほとんどないはず。外国人慣れしていない土地の人達も、突然バスから降りてきた肌の色の違う人間に驚きつつもどう対処したらいいかわからないのだろう。一挙手一投足を全方位から遠巻きに観察されているような視線は、動物園のパンダにでもなったかのような気分にさせてくれる。
惚けていても始まらない。まずは今晩の宿を確保して、それから英語の分かる人間を探さないと。ここまでの街で集めた情報によれば、モシンボアからは毎朝早くに国境行きのバスが一台出ているらしい。できれば明日の朝そいつに乗り込みたい。ここ数日、ATMもなければクレジットカードも使えないような場所を通ってきたせいで、手持ちの現金はもうほとんど尽きかけていた。今はできるだけ早く駒を進める必要がある。とにかく、話のわかる奴を探して情報を聞き出さないといけない。僕は檻から抜け出すようにしてその広場を後にした。
重い荷物を背負って村の中へ入って行くと、ここでも同じように奇異の目を向けられる。それでも、こういう時は一度誰かに話しかけてしまえば後は簡単だ。それをきっかけに周りで見ていた人たちも次々話に入ってきて、いつの間にか自分の周りは人だかりになっている。その中には英語を喋る奴が大抵一人くらいはいるもので、今回もその中の一人、僕と同い年くらいの青年を見つけた。彼が言うには、自分の兄貴が毎朝国境行きの車を運転しているとのこと。この村に来る外国人は十中八九陸路でタンザニアへ向かおうとしている奴だから、客になりそうな外国人がいると聞いてすっ飛んで来たらしい。村の奥、青年の指差す方向には一台のピックアップトラックが止まっていた。手を引かれ、群衆をかき分けながら近づいていくと、荷台に腰掛けた白いタンクトップの男がサトウキビをバリボリ齧りながらこちらに視線を投げている。トラックの前まで来ると、男はサトウキビの食べかすを地面に吐き捨て、挨拶もそこそこに言った。
「あんた、国境に行くんだろ。300メティカルで明日の朝こいつの荷台に載せて連れてってやるよ。早朝三時にここに来な」
なんとなく予感はしていたが、国境へ行く手段というのはバスや乗り合いタクシーの事ではないらしい。このトラックの荷台に乗って、荷物のついでに運んでもらうということなのだ。トラックの荷台には、明日の同乗者になるのであろうコーラの空き瓶が入ったケースや何が詰まっているのかわからない大きな頭陀袋が山と積まれているだけで、当然ながら座席のようなものは見当たらない。今日の移動もなかなか骨だったが、明日も今日に劣らずタフな一日になりそうだ。
運賃として提示された300メティカルは日本円にしておよそ500円少々。交渉が前提になっているようなひどく高い金額でもないし、村を歩いて探し回っても他の交通手段があるとは思えない。500メティカルなら、あと一日くらいこのモシンボアに泊まってゆっくり骨を休める余裕ができる。聞く所によればこの男は毎日国境まで行っているようだし、出発を一日先延ばしにしてもさほど問題にはならないはずだが、でもこの時はそうしなかった。前へ前へと懸命に移動することに、ある種の快感のようなものを覚え始めていたのかも知れない。とにかく僕はこのトラックで明日の朝、国境まで行く事に決めたのだ。
握手を交わすと、男は表情を和らげて言った。
「寝る場所が必要だろう。弟に宿まで案内させるから今夜はそこで休め。寝坊しても起こしに行ってやるから安心しろ」
男が目配せをすると青年は頷き、ついて来いと言って歩き始めた。もう一つの懸案だった宿の方も、彼らが世話してくれるらしい。それもそのはず、人や荷物を国境まで運ぶ商売をしていれば、僕のような旅行者を載せる機会も幾度と無くあっただろう。そんな旅行者への宿の斡旋も、彼らの商売の一部なのだ。
青年の背中を追って歩いていくと、少しずつ村の中心に近づいていくのがわかった。舗装された道幅の広い道路があらわれ、ガソリンスタンドや錆びたコカコーラの看板、商店や食堂などが民家に混じって見え始める。顔を少し上げると、視界の端にわずかに入るヤシの木や、朽ちて傾いた丸太の電信柱の向こうに、どことなく湿った雨期の青空がいっぱいに広がるのが見える。
10分も歩かないうちに、僕らは一つの建物の前で立ち止まった。周りに見える民家や商店より少し大きい、ちょうど郊外のコンビニくらいの大きさのその建物は、宿泊施設としてはやや小さく思える。水色のペンキで塗り染められた石の外壁には大きなひびが入り、風雨や土埃に晒されてくすんだ色になっていた。やれやれ、想像通りのボロさである。
「ここが宿だ。少し汚いけどこの村には宿はここしかない。悪いけど我慢してくれよな」
青年はそれだけ言うと、あっけにとられる僕をその場に置いて来た道を逃げるように帰っていった。僕が宿にいちゃもんをつける前に立ち去りたかったのだろうか。
入り口にかかる簾をくぐり、薄暗い室内にに踏み込む。簾に付いた鈴が音を立てると、奥のカウンターの向こう側から一人の老人がゆらりと立ち上がった。部屋が欲しいんだと大袈裟なジェスチャーを交えながら伝えると、彼は黙ったまま横の壁の一点を指差した。目をやると、石の壁に赤のペンキで直接文字が書かれているのに気付いた。
"Single 1200. Twin 1600."
シングルの部屋が日本円にしておよそ2000円ほど。いままで泊まってきた宿の中では一番高い金額だが、さて、どうするべきか。村にある宿がここだけだと言う青年の言葉は、この宿の大きさから考えて恐らく嘘だろう。ここより安いという確証はないが、土地の人間が使うゲストハウス位はどこの村にも幾つかあるものだ。しかし、重い荷物を再び背負って表を歩き回るのはやはり億劫だった。壁に書かれた赤いペンキの文字は酸化してほとんど茶色くなっていた。いつからこの値段でやっているのかは知らないが、少なくとも僕を金持ち旅行者と見てふっかけているわけではないようだ。値段の交渉は望み薄だが、僕は試しに聞いてみた。
「もう少し安くはならないの?」
老人は困ったような、それでいて僕がそう言い出すのを知っていたかのような苦笑いを浮かべ、少しの間を置いて言った。
「窓のついてない部屋が一つあるが、そこなら600でいいよ」
なんと、意外なほどあっさり宿賃が半値になってしまった。一泊1000円なら上出来じゃないか。窓が無いというのは、まあ多少風通しと明るさに問題があるとは思うがこの際妥協してもいいだろう。どうせ明日は日が登る前にここを発つのだから。
「部屋を見せてくれる?」
僕が言うと、老人は鍵を引き出しから取り出し、カウンターを出て奥へ伸びる暗い廊下を歩き始めた。僕もその後を追った。
一つのドアの前で立ち止まると、老人はドアノブに鍵を突き刺して、ガチャガチャと乱暴に鍵穴をほじくり始めた。なかなか開かないようだ。このボロさでおまけに窓の一つも付いていないときたら、本当に地下牢のような荒んだ部屋なのだろう。そんなことを考えながら、鍵と格闘する老人の背中を眺めていた。しばらくして鍵が開く。額に汗した老人は僕の方を向いて意味深な笑みを浮かべ、ドアを開いて見せた。
開け放たれたドアの前から覗いた部屋は、想像通りとても簡素なものだった。だが、想像していたより酷くもなかった。六畳程度の部屋のど真ん中にはセミダブルくらいの大きなベッドが石の床に直接置かれ、部屋の隅にはちゃちな木製の小さな椅子と机が、客室の体裁を取り繕う申し訳のようにちょこんと置かれている。そして、奥の壁の大きな窓からレースのカーテン越しに差し込む夕陽が、数少ない部屋の調度品と埃っぽい室内を舞う無数の塵を照らしていた。しかしこの部屋、さっきと少し話が違うんじゃないか。
「いや…ご主人、僕が見たいのは半額の部屋の方なんだけど」
「ん? この部屋は600メティカルだが」
僕がそう言うと、老人は黙って部屋へ入って行き、カーテンをめくる。そこにはあったのは確かに窓だった。窓だったが…窓にはガラスが入っていなかった。僕は思わず笑ってしまった。窓が付いていないというのがまさかこういう意味だったとは。明るくて風通しの良いこの部屋は、僕が覚悟していた牢獄の様な部屋よりよっぽどマシに見えた。しかし、中と外の境界を作るのが鍵の掛けようのない無い薄いカーテン一枚というのは、やはり安全面に問題がありすぎる。こんな部屋でおちおち寝ていたら命が幾つあっても足りないだろう。強盗、マラリア、野犬、その他諸々の野生動物、危険は数え出したらキリがない。半笑いでそんな事を考えていると、いつの間にか隣に来ていた老人に小突かれた。
「で、どうするんだ」
「…窓が付いている部屋も見たいな」
「だろうな」
ニヤリと笑みを浮かべた老人は静かに扉を閉めると、一つ隣の部屋の扉を開けて僕に見せてくれた。さっき見たのと一見全く同じ部屋だが、こっちのほうが心なしか手入れがされているように見える。中に入ってカーテンをめくってみると、くすんだガラスがしっかりと嵌めこまれた窓と網戸が見えた。
「1200メティカルだけど、いいよな?」
振り返ると、勝ち誇ったような笑みを浮かべた老人と目が合った。やれやれ、こちらの完敗である。
「…いいよ。この部屋にする」
宿賃を渡し、僕は笑ってそう答えた。老人は僕の肩にポンと手を置いて、隣の部屋のとはまるで違う綺麗に磨かれた鍵を渡してくれた。やっぱり、あの部屋には最初から客を泊めるつもりなんてなかったのだろう。
「明日の昼まで停電だから電気はつかないよ。ロウソクが引き出しにあるから使うといい」
「一本いくらですか?」
「サービスだよ」
僕が皮肉半分に聞いたことを知ってか知らずか、老人はどうだ気前がいいだろうと言わんばかりの誇らしげな笑みを見せ、ドアの外へ消えて行った。やり返してやった気にはまるでならなかった。
靴や荷物についた砂を振り払い、ベッドに寝転んだ。疲れ切った身体を動かす体力はとうに尽きていたが、不思議と気分は高揚していた。蓄積した疲労の中に滲む自虐的とも言える旅の充足感に気付いたのだった。
俺たちはコンビニに辿り着くと、粛々と目ぼしいものを買い物カゴに放り込む。
「手ぶらで冷やかしに入った人間が、数分後には強盗になっていた」というミームはあまりにも有名である。
財布の紐を緩める罠が、至る所に張り巡らされている。
案の定、弟が引っかかった。
「いらん、いらん。こういうところの福袋は、体よく在庫処理したいのが狙いなんだよ」
「でも定価より断然お得だって書いてある」
「定価でいらないものは、安くてもいらないものなんだよ。そういうものを“お得”だとは言わない」
実際、コンビニは手軽さの割に強力だ。
今やコンビニに出来ないことはない。
……とまで言うのは大袈裟だが、同レベルで便利な量販店が他にないのは確かだ。
それほどまでに便利で、携帯端末と同じくらい人々の日常から切り離せない存在なんだ。
「ここのは注文直後に二度揚げするから、いつも揚げたてだっての。というか、初詣の出店はいいのか?」
「だいじょーぶ、食える食える。それにコンビニ飯の方が安くて美味いし、どうしても食べたいわけじゃないし」
昔の偉い人は「コンビニが日常を席巻する」と言っていたが、それでもここまでだとは思っていなかっただろう。
「焼き鳥って、よほどのことがない限り買ったほうがいい食い物だと思う。近年は特にレベルが高くなってる」
「自宅で炭火焼きは難易度が高いからな。そもそも木炭が市場に出回ってないし」
「仕方ないだろう。一時期、集団自殺の手段として社会現象になったからな」
俺たちは他愛のない話をしながら、少し遠回りをしてカジマたちのもとへ戻る。
「む……」
公園までもうすぐというところで、ふと俺たちは足を止めた。
意外だったのは、この時間帯にしては参拝客がチラホラ見えたことだった。
「結構せっかちな人がいるんだな」
「まあ、年は越しているからな。早いに越したことはない、って考え方もある」
こりゃあ、初日の出の後に来てたら混みそうだぞ。
「……ひとつ提案だが、初日の出の前に、初詣を済ましておくのはどうだ?」
ウサクの提案に、俺たちは頷くまでもなかった。
みんな考えることは同じだ。
「よし、カジマとタイナイたちには、後で交代して行ってもらおう」
俺たちはレジ袋を揺らしながら、玉砂利を踏み鳴らして賽銭箱へと向かう。
「あるとは思うが、そんなコードを気にするほどの信仰心がない」
「そうそう、コードなんて無視するのが現代のスタンダードだよ」
何らかの自治体がどこからともなく駆けつけてきて、あれよあれよという間に撤去される。
或いは、日の出を見たい他の人間たちによって侵略されるだろう。
勝者の特権として略奪行為、「俺たちの席なんて元からなかった」という歴史修正が施される。
大袈裟な話じゃあない。
俺は以前に市街パレードがあった際、バイトで場所取り代行をしたことがあるが、あの時は戦慄した。
確保する簡易席は3つ。
自分が座っておけば残り2席を見張っておけばいいだけの、チョロい仕事だ。
最初はそう思っていたが、その“最初”は十数分で終わりを告げた。
通りがかった同級生が話しかけてきて、そっちに目を向けて返事をしたときだ。
その後、すぐに視線を戻したけれど手遅れだった。
「ちょっと目を離した隙に」とはよく言うが、この時の“ちょっと”は数秒の出来事。
にも拘らず、俺の両隣には見知らぬ人間が二人座っていたんだ。
何食わぬ顔で携帯端末をイジり、位置情報ゲームを嗜んでいた様子は強烈だった。
まあ、結局は簡易席の前に人だかりができて、座った状態ではロクに見れないという状態になってしまったけれど。
“より良いものを見たい”という目的のために、人は容易く理性を放棄できる生き物だと俺は痛感したのさ。
というわけで、買出しに行く人数は絞らなければならない。
「こんな暗がりに一人で待機とか嫌っすよ」
「じゃあ、待機組は二人、残りが買出しって感じかな」
「それじゃあ、ここで待機したいのは?」
「……」
そもそも、ここにいるのが退屈だからこういう話が出ているわけだから愚問である。
「じゃあ、ジャンケンで」
弟は、おもむろに俺のバッグから麻雀セットを取り出し、周りの賛成意見を募るまでもなく牌を並べ始めた。
「まあ、暇つぶしにもなるし、これでいっか」
弟は心の中で「しめしめ」と思っていることだろう。
それは俺も同じだった。
最近、少子化対策と男女のあり方について感情的な論争が繰り広げられているけど、そこには参加せずに、長期的な流れをみながら、必然的に向かうところについて書いてみる。マジョリティに限定した話ね。
2. 魅力的な男性の子供をシングルマザーとして育てる、もしくは独身でいる
※魅力っていうのは人それぞれ容姿だったりお金だったり性格だったり色々バランスが様々あるだろうけど、その総合的なものと思ってね。
古くは男性の政治力の強さと慣習によって、1と3が選択されてきたけど、女性の自立と社会進出が進むにつれて、3ではなく2の特に独身でいるという選択が促進され、結果子供が減ってきているというのが現在。
この流れは、欧米と比較すると日本ではまだ弱いわけで、ますます1と2が選択されるようになっていくでしょうし、それは女性にとって望ましいことだよね。
今Twitterなりで起っている論争って、2を押し進めようとする女性と、それによって3の既得権を剥奪されることを恐れる男性との摩擦だと、僕には見える。
けれどもこれは時代の流れとしてほぼ変えられないことだと思う。事実、この流れ(女性の自立と政治参加)が先行している欧州(特にフランス)なんかはシングルマザーの比率がとても高くなっているよね。
なので少子化対策として自然で効果的なのは、欧州同様にシングルマザーに対する支援を手厚くすることで決まりでしょう。1の自然と結婚できる人同士は普通に出生率変わらないわけで、次に出産したいという人たちを支えてあげましょう。
ここで批判があるとすると、3の人たちが既得権を失うことによって、例えばインセルみたいなタイプが増えて社会が不安定化する、というのがあると思う。まぁこれは間違いなく起こると思うけれども、それ以上に男女フェア×女性の欲求がそうである、ということから仕方ないと受け入れるしかない社会変化だし、それがあるからと言って女性に欲求を諦めてくれ、というのは通じないよね。だからこれは別のやり方で解決する必要がある問題。
相手があることだから魅力的に思われないのが悪い、ってなっちゃう。だってどっちも自由に選択する権利があるんだから、仕方ない。
僕も元?非モテの中の非モテだからすごくわかるんだけど、魅力のない(と女性に思われてしまう)男性って女性の立場にたった行動ができてないんだよね。例えば見た目の気遣いなり、話し方や内容について。
他の男性が女性と話すところを聞いていると、例えば内容が自慢・自己アピールだったり(一生懸命好かれようとしているんだよね。わかるよ。)、自分の好きな話ばかりしていたり。また女性側の話には共感して話を盛り上げるのではなく、指摘したりディスったりする。目的が優越感を感じることになっちゃってる感じ。自分が満足するよりも先に、相手を優先する気持ち・行動を少しずつできるようにしていくと、相手からの反応が全然変わるから、大袈裟でなくてほんとに世界が変わっていくと思うんだ。相手に好意的に受け入れられる機会が増えると簡単に世界ってよく見えてくるからね。
今はちょうど急速な社会変化の過渡期に我々はいると思うんだけど、最初から変化後の社会の価値観を得られず、古い価値観のアップデートを求められる我々は結構損していると思う。その点次の世代は楽でいいよね。
けれどだからと言ってそれを社会が悪いと批判しても、少しも自分の人生はよくならないから、世の中の流れを見て、個人が幸せになれる行動をまずとった方がいい。僕が協力できることがあるといいんだけどなぁ。
次に女性に言いたいこと。
今ほんとに早く社会・価値観が変わっている中で、対応力って当然個人差あるから、対応できずにあなたが望む行動が取れずにいる人は多く出るのは仕方ない。
だからそういう人たちにとってわずかでも癒しになってくれる、アニメや漫画やVR(アダルト)といったものに立ち入らないであげて欲しい。
そこを優しく認めてあげることが、結果として自分たちの欲求をより実現できる社会につながっていると思うから。
色々書かせてもらったけど...そんな僕も彼女なんてしばらくできてないんだけどね。偉そうなこと言ってごめんね。てへへ。
なんで今まで避けてたのか意味がわからないが、今年初めてM-1を見た。やはり自分はバラエティやひな壇芸人が嫌いなだけで、お笑いが嫌いなわけではない。漫才というフォーマットはとてもエキサイティングだった。
しかしながらバラエティを避けていると芸人と出会う機会は少ない、私は今回出ていた芸人のネタを全く見たことがなく、今回のM-1で初めてみることになった。
個人的には決勝で一番おもしろかったのはぺこぱだった。そして最終決戦もぺこぱが一番おもしろかったように思う。
とにかく松蔭寺のボケが面白かった。型破りで予想もつかない大袈裟なボケ、正面が入れ替わったり、妙な名言ネタで完全にやられてしまった。現場も大いに盛り上がっているように見えた。
その後のかまいたち、ミルクボーイのネタもとても面白かったが、現場の盛り上がりや、勢いからして、ぺこぱの優勝はあるのではないか?と思っていた。
しかし優勝したのはミルクボーイだ。一票を除いて全員が投票し、残りの一票はかまいたちだった。ぺこぱには誰も入れなかったのだ。
個人的には不思議だったが、そのあと決勝のネタを数回、そして過去今までの彼らのネタを見尽くした後ならば、非常に納得がいった。
ぺこぱには勢いしかなかったのだ。そして、その場での笑いを最大化するためのアドリブや、ネタを拡大していく経験が圧倒的に足りてないことが分かった。初見の時に、一つ場の勢いを殺す下りがいくつか入ってしまったなと感じたところがあったが、ネタをネタ通りにやる、という感じが見えたという感じだ。
2019年初頭のライブは全く面白くなかった。そこからここまで完成度を上げてきたのだから大したものであるが、引き出しを含めて経験不足ということなんだろう。
ミルクボーイの形は、今年に入る前からすでに出来上がっていたようだ。コーンフレークも最中も、過去のライブにネタがあった。その中でもツッコミの中に入る文言はアップデートされており、よりわかりやすく面白い漫才になるよう磨かれてきたことがわかる。また、彼らのフォーマットはなにかを強烈にdisる、というフォーマットなのだが、過去のネタの中にはつまらないものもあったし、特定の人をいじるようなものもあった、そのような他人に対して毒のあるネタではなく、コーンフレークや最中に対して毒を発散するネタをちゃんと選ぶことができたのも、今までの場数によるものなのだと感じた。
そしてかまいたちだ。最初に見たときはピンとこなかったのだが、2回目に見直してからはめちゃくちゃ面白いことに気付いた。そして過去の漫才のネタもほぼ全てめちゃくちゃ面白かった。形がわからないのである。笑いの神が降りてきたときの素人の雑談が極まった感じというか、完璧に計算され尽くした雑談のようなものに感じる。なにが面白いと説明するのが難しい、だから飽きが来ないのかもしれない。トトロもポイントカードも、心理占いも話が全く展開しない、揉めてるだけなのに、面白いのだ。
ぺこぱもミルクボーイもボケの人がほぼ死んでいるように見えたが、よくよく考えると、それもまたネタのために必要な要素なのだろう。
ぺこぱのボケの人はキャラも掴めていなければ、話空気も掴みにくい人のように見えた。ただし、ライブ以外の普段の二人を見ると、話を回しているのは彼の方だった。多分根が明るくお調子者なのはこちらの方なのだろう。今後どのようにお茶の間に定着していくのだろうか。
ミルクボーイのボケの人は、ほぼ同じことを同じタイミングで言うだけなのだけど、タイミングが絶妙である。この人がブレない、とにかく淡々としている、リズムを作るというのがまずネタの生命線であるわけで、重要なポジションなのだろうと感じた。
と、後日いろいろと考えてみて、私の中で2019年M-1で一番面白かったのはかまいたち、という結論に至った。
しかしながら、M-1はただその時面白ければいい、という大会ではないことがわかった。思っていたより奥深い文化のようだ。とはいえ、もう何十年もこの話題をスルーしてきた、まわりこ友達が話題にしていても、避けるように生きてきた。今更見るのも癪である。
父が兄からの暴力で硬膜外血腫になり救急車で運ばれ、そのまま手術、入院したのを機に
両親が地域包括支援センターに虐待事案として保護される形で兄と隔離。
そのまま兄に所在を知らせないまま夜逃げ状態で老人ホームに引越した。
(貴重品やら何やらは火事で燃えたと思って諦めろと言われ、取りに行けず終い)
(精神保健福祉士が週1、2回様子を見に行っている)
うちは増田の家みたいに財産やら名士としての立場はなかったから
それでもなかなか踏み切れず、父は入院してもなお地域包括支援センターの介入を嫌がっていたほどだ。
失うものがうちより多い増田親がなかなか覚悟を決められないのも分かる。
また別居しているせいで、地獄が日常化していない分危機感も薄いのかもしれない。
でもはっきり言って共依存状態の増田家族だけで解決するのは絶対無理。
警察や行政は何もしてくれないと言うが、全てを捨てる覚悟がなければ警察も行政も動きようがないのではないだろうか。
そして姉を助けているようで、結局増田親は姉の自立の芽を片っ端から摘んでいる。
とにかくまず増田が実家管轄の地域包括支援センターに行って相談してみよう(姉管轄の自立支援センターではなく)。
老人への虐待事案として地域包括支援センターが介入していると分かると関係機関の対応もだいぶ違う。
何度も呼べば警察の認識も変わるし、増田姉への抑止力にもなる。
できればセコムなどの緊急通報サービスに加入しよう(通報が間に合わない事態回避のため)。
増田姉が暴れて多少なりとも増田親が怪我をしたら、親を大袈裟でも入院させよう。
そして姉には面会制限をつけよう(夜逃げの算段をする物理的時間的余裕ができる)。
そして多くの親は覚悟を決められず地獄から抜け出せずにいるから。
そういう事例を地域包括支援センターは多く扱っていて、解決のノウハウも持っているから。
PM2:00
2体の母による、「ご飯よ!」の声で私は起床した。
今日の超朝御飯はなんだろう、ご飯だろうか、パンだろうか、それとも超操縦メカ MG(※1)だろうか。期待で左胸を膨らませる。
眠いまなこを1秒間に約30回程擦り、まるで東尋坊から人生のゴールを目指し旅立つ人々のように、ダイニング(※2)の椅子に勢いよく腰掛る。
「もう、まだ眠いの?」
...
誰だこいつは...?
自分の脳内タウンワークを隅々まで探索。ヒット無し。すかさず同じ棚にある脳内たのめーるに手を伸ばし、かぼちゃを2ダース発注。
大袈裟に驚いたは良いものの、別に今日は学校じゃあないし、なんなら体育の日だ。愚かな国民以外は身体を休めることが認められている。
ここで、3秒の沈黙。喉が焼けそうだ。
「ピカルの定理見た?」
フラッシュバック、2010年代の中学生の会話。誰かの思い出のゴミ捨て場。令和に彷徨うゴミ捨て場。
ここは、令和3年の日本。
(※2)..筆者の家には無い