はてなキーワード: 大袈裟とは
作ってもらって申し訳無いけど、美味しくない。
「ペペロンチーノは乳化が命!」うん、分かったよ。
「パスタは中華麺じゃないから、オイルやソースと絡めるときフライパンの火は止める!」そーなのね。
「ペペロンチーノは乳化が命だから、麺をフライパンに入れたあとしっかり混ぜ合わせる!」うん
「盛り付けは麺から、高さが出るように置いて上からソースと具!」はい。
「仕上げに加熱してないオリーブオイル!」うん。
ヌルいんだよ。私は暖かいパスタが食べたいの。最速で乳化と盛り付けができるなら全部間違ってないんだけど、火を消したフライパンを何回も返して執拗に乳化させて、盛り付けもモタモタしてたらそりゃ冷める。トドメに冷たいオリーブオイル。「ねっとでしらべたぼくのさいきょーのペペロンチーノ」でしかない。
って言うことをオブラートに包んで伝えたらスネちゃった。冷めそう。
【追記】
ここまでで起承転結が良いとか、冷めた感じが良いとか、ちょっと褒められて嬉しくて追記するのためらったけど、彼氏の名誉のために追記。
「冷めそう」が狙いすぎて寒いとか、ちょっと上手いとかで賛否両論でもありがたい。全部本音だけど、そこだけ狙って書いたので反応があるだけで嬉しい。
味についてだけど、まあまあ美味しかったです、ぬるいだけで。オブラートに包んで、私は味を褒めたあとで「私は熱々のパスタの方が好きかな」っていう一言しか言えなかったのね。美味しいものを作りたい気持ちは伝わったから。スネちゃったってのもちょっと大袈裟で、「彼女好みのものを作れなかった」のイジケだったのかなって思う。
本人いわく、「2人分の分量で作ったのは初めてで、こんなに冷めるとは思ってなかった」だそうだ。本人も「失敗した」ことはわかってたみたい。そこは経験だよね。
昨日「冷めたペペロンチーノのおわび」って、熱々の麻婆豆腐作ってくれた。私好みの、辛さは控えめの花山椒強め。
褒めるのは私の特権じゃないのに褒めまくった。単純に好みに合わせてくれるって、嬉しいね。
熱々とは行かないまでも、まだまだ思いは冷めてない。
順序を入れなければならない理由:
主張 | 反論 | 反論への反論 | 再反論 | 再反論への反論 | |
内因性 | 文章題で出てきた数字をただ順番に並べただけでも点が取れてしまう方式では、本当に子供が理解しているかが見えづらい。また、定められた手順で問題を解くことの練習にもなる。 | 子供と話すなどの方法でも理解度は確かめられる。テストで掛け算の順序を間違えることではじめて子供が理解できていないことに気づくとすれば、そのような教師は無能であると言わざるを得ない。また、定められた手順で解くのではなく、自ら考えて問題を解けるようにするのが教育の目的のはず | 掛け算の順序だけで理解を測るものでは当然ないが、理解を測りやすくする仕組みは当然必要。教師はエスパーではない。思考力は当然必要だが、手順通り問題を解く能力もそれはそれで必要 | 理解度を測るための手段としては不十分であることが分かった。子供が自ら考えて出した式が、授業で教えた順序ではないからとバツされるのでは、思考力を削ぐことになりかねない | その方法だけでは測れないと言っているだけで、不十分との決めつけは一方的。また、文章の意味をよく考えて正しい順序を導くことは思考力アップにもつながる |
重要性 | 文章を読み取って計算を行う力が重要であることは言うまでもない | (反論なし) | |||
解決性 | 順序を正しく書けていない子供を注意深く指導することで、文章を読み取れていない子供に対するケアができる。子供自身、順序を間違えないよう注意深く文章を読み、手順通りに問題を解くようになる | そもそも掛け算が順序通りかどうかで理解度を測れると考えるのが乱暴。「単位があっている方が先」などとパターン化して覚えるだけなので無意味 | それでも、ただ出てきた順に数字を並べるよりは、よく文章を読めていることになる | 結局パターン化して問題を解くようでは、理解度を見るという目的には何ら寄与しない | 「何ら寄与しない」は言い過ぎ。ひとつひとつの試みを「効果が少ない」と言って切り捨てていては、何一つ有効な試みなど存在しないであろう |
主張 | 反論 | 反論への反論 | 再反論 | 再反論への反論 | |
発生過程 | 本来は自然数の掛け算には順序がないのに、嘘を教えているということになる。順序がないものをあると覚えてしまうことは問題だし、また、正しいはずの式を書いてもバツされてしまっては、子供のモチベーションも下がりかねない | まず、誤解があるので解いておくと、自然数の掛け算に順序があるのではなく、文章題を式にする過程で生み出される式に順序がある。その順序は教科書に書かれており、授業で教えている。モチベーションについては、順序を正しく書けるようになった子供を褒めるなどの方法で保つことはできる | 残念ながら、そのような認識をしておらず自然数の掛け算に順序があると考えている教師も多数いる。また、仮にそうであるとしても、文章題を式にする過程は一通りに定まったものではなく、生み出される式も、順序がどちらのものも存在するはずである。合っていても教科書通りでないと認められないというのか。また、掛け算に順序がないことを知っている子供がバツを喰らって、「正しい順序」とされるものにすることで褒められたとしても、バカバカしいとしか思わないであろう。モチベーション低下は避けられない | 算数は数学につながるものであるから、定義を大切にするのは当然である。数学であっても、定義から外れたものを証明なしに使うことはできないはず。賢い子供にこそ、それを理解してほしい | 文章題を式にする過程は形式的なアルゴリズムとしては与えられておらず、式にする手段は単なる一例であるはずである。それを「定義」と言い換えることでローカルルールを押し付けるべきではない。賢い子供は、そのような嘘を簡単に見抜くであろう |
深刻性 | 嘘を教えること、モチベーションが下がることが問題であるのは言うまでもない | 嘘でないことは上に述べた通りであるが。あなたはニュートン力学を教えている先生に「嘘を教えている。相対論と量子論を教えろ」と迫るのだろうか? 教育上の過程として、より限定的なものから、一般的なものへと広げていくことは何ら問題はない | 力学の例は極論である。相対論や量子論で議論するよりもニュートン力学で議論した方が有益な問題は多数あるが、掛け算に順序があると考えた方が有益な問題は一つでもあろうか? そもそも、自然数の掛け算に順序がないことは、小学生でも知っているべきことである | ニュートン力学は、単なる利便性のためだけでなく、教育的な意味もある。順を追って、少しずつ概念を拡張して教えていく。それを「嘘」と呼ぶのは大袈裟。また、自然数の積に順序があると主張しているわけではなく「嘘」ではないことは上に述べた通り | 教科書の記述を「定義」として扱うことへの疑問は上に述べた通り。順を追って最初は式には順番がある、と教えることの教育的な意味自体が怪しい場合には、単なる嘘である。それを見抜いた子供のモチベーション低下は避けられない |
固有性 | そもそも掛け算に順序を入れなければ、このような問題は起きないのは明らか | (反論なし) |
みんなもやってみてね
今の日本社会、犯罪の被害にあう危険性、逆に犯罪加害者になる可能性、病気・事故・自殺で早死にする可能性、寿命、幸福度、人生における満足度など、ほとんどあらゆる点で男性は社会的弱者の地位に、逆に女性は強者の地位に置かれている。
経済力を問題にする者もいるが、そもそも経済力は幸福の間接要因であって、経済指標がどうでもより不幸な方が弱者なのは間違いないが、それに目を瞑るとしても、大抵は経済力と給与額を混同している。消費者市場における女性向けマーケットの規模の大きさを考えればわかるだろう。だいたい若い世代では男女の給与額に差はない。差が出るのは女性が結婚する年齢になってからだ。
当然、女性の中にも社会的弱者はたくさんいるし、男性の中にも社会的強者はたくさんいるが、それは金持ちの中にも弱者はたくさんいるということと同じことだ。他の条件が同じなら金持ちの方が強者に決まっている。
ではなぜ女性が弱者としてとりあげられ、男性の弱者はほとんど無視されるのか?
それは世間は男性、特に弱者男性のことなんてどうでもいいからだ。これを書いている俺だって、個人としては弱者男性には興味を持たないだろう。それは男女、年齢にかかわらず見られる傾向だ。弱者男性に人は興味を持たない。
逆に、女性は少しでも不満なことがあれば、世間は関心を持つ。俺だってそうだ。女性が困っていたら助けたくなるのは当然だ。社会全体がそうだから、女性が弱い立場に置かれているように見える、ほんの些細な出来事が大袈裟に取り上げられ、男性はどんなに追い詰められても、ほとんどは報道されない。目の前にホームレスがいても人は通り過ぎていく。
女性が弱者なんじゃない。女性が困っているときだけ人は関心を持つ。これが真実だ。
じゃあどうするか? まずはこの傾向を認めることだ。要因は色々あるだろうが、現在の我々がこういう認知バイアスを持っていることは事実として認める必要がある。その事実をまず認めないと、どうすれば無視されている弱者を救うことができるのか、その議論の第一歩も踏み出すことができない。
フェミと呼ばれる方々が元気だ。この世から一切の萌え絵を排除してあわよくばそういうのを法律で禁止すべき、そういうのが好きな男は粛清すべき、くらいの過激な事を言う。
アンチフェミもそれに呼応して元気だ。あいつらはなんの問題もない事をギャンギャン大袈裟に騒ぎ立てる、俺らの人権を侵害して奪い去る事が至上命題のようだ、俺たちの権利を守れ!俺たちはターゲットにされている!そこかしこに堂々と可愛い萌えキャラがボディラインを強調したイラストが貼られることは許されるべきだ!
なんでこの人たち0と100だけで話してんだろう?いや、殴りあってんだろう。
少し考えたんだけど、どっちも公共の福祉は無視しながら権利を濫用してんだよ。
公共の福祉って言うのは、誰かの権利を守る事で他の誰かの権利が侵害されないようにバランスを取ろうぜ!っていう考え方。
権利の濫用って言うのは、いくら権利があるからってそれを振りかざしてわがまま放題するんじゃねーぞ、っていうかんがえ。
どちらも学校で習うけど、じゃぁ実際なんだよっていうことは全然教わった気がしない。
まぁ、この二つを大雑把にいうならば、「確かに権利はあるけど、このくらいの侵害なら許容範囲かな」っていう綱引きだ。
ラディカルとか原理主義とか言われる人らはこの許容範囲がすごく狭いか又は0だ。
例えば献血ポスターに萌え絵を採用しても良いけど、ボディラインは強調しない(と言うか萌え絵は何着ててもボディラインが丸見えなんだよね)し、変に色気だしてないとか、デザインや構図も献血の宣伝にきちんと関係してるなら良いか、とかだよ。
だから、みんな法律の都合いいとこだけ切り取ったり、なんかそれっぽい理屈捻り出して全勝狙うんじゃなくてきちんと落とし所探ろうぜ。
その上でラディカルとか原理主義とかそういう自分らの主張以外全く受け入れられないような奴らは自分たちがバランスぶっ壊れてる事自覚しようぜ。
『誰でも出来る自己改革』を返品するため、弟は次のセミナーが開かれるのを待つことにした。
俺は未だ気づいていなかったが、その期間から異変は起きていたんだ。
「……どうせ返すんだし、せっかくだから読んでみるか」
「ふーん……」
弟は活字嫌いだったが、まるで絵本を読むような勢いでページを進めた。
「……へえ……ほーん……こーん」
資料を纏めている俺の近くで、弟は数秒ごとに感嘆の声を漏らす。
鬱陶しくて仕方がなかった。
この時点で、既にハマってしまったらしい。
とうとう、俺にまで本をススメてくる有様だった。
気乗りはしなかったが、ここで断ると更に鬱陶しくなる予感がする。
部屋で静かにすることを約束させ、俺は渋々読んでやることにした。
「……なんか、予想以上に“軽い”な」
その本は文体が明朗快活で、難しい単語や迂遠な言い回しがほとんどない。
まあ読みやすくはあるんだが、自己改革を謳う本にしては随分とユルいように思えた。
俺の借りてきた社会科学本が難解だったせいで、余計にそう感じたのだろうか。
「……はーん、“如何にも”って感じだ」
内容は、筆者独自のライフハックと、それに伴う持論を解説していくというもの。
それを終始、前向きな言葉を添えながら羅列していき、読者に語りかけるように書かれている。
「『テレビの音量とチャンネルを同じ数字に、マンション住まいなら階層も合わせる。一日に同じ数値を見続けることを意識し、心の安定化を図るのだ』……ははっ、意味が分からん」
しかし、書かれていることは全体的に安っぽい。
心理面のノウハウは迷信めいたものが多く、方法論は漠然としている。
尤もらしいことも散りばめているが、いずれも既に使い古された概念や、多少の知見があれば自ずと分かるようなことばかり。
わざわざ言語化するほどでもないのに、それを大袈裟な表現で覆い隠して、何か画期的な考えのように語って見せている。
「兄貴、このページの『よく学び、よく遊べ!』って良い言葉じゃない?」
「ああ、そうだな。良い言葉過ぎて、既にどこかで聞いた気がする」
何か良さげなことを書いてあるようで、その実は何も書いていない。
そんな感じの本だ。
まあ、弟みたいな奴がマトモに受け止めてしまう構成なのは理解できる。
「これで1000円ってのは、書いた奴はかなりの自信家だな。むしろ読む側が1000円を貰うべきなんじゃないか?」
これがマズかった。
「その言い方はないだろ。価値あるものを、価値があると思う人間が買う。健全な商売のあり方じゃないか」
それで余計に意固地になったのだろう。
少し前まで「紙くずを買わされた」って顔をしてたのに、この短期間で弟は完全に“出来上がって”しまったようだ。
「……まあ、買ったお前がそれでいいのなら、俺から言えることはこれ以上ないな」
この時、俺は「面倒くさい」と感じて、適当なことを言って話を切り上げた。
いま思えば、それもマズかった。
転職してからこっち、スキルを身に付けるというよりはスケジューリングやタスクの管理ばかりやっている。手取り足取り教えてもらうということがほとんどなくてなにかと放ったらかしにされるし、自分の仕事を自分で見つけないとただネットサーフィンするだけで一日が終わる。セルフマネジメントもスキルの内、と言われれば肯くしかないのだけど。
2つ任されている大きな仕事がある。どちらも会社の命運を左右するほどの大きな仕事だというのに、放ったらかしにされるのでこちらからけしかけないことには話が進まない。生来消極的な自分一人に会社の命運が負託されているようで少し怖い。だから自分はかなり無理をしている。具体的には抗うつ薬を飲んでいる。正確に言えば転職する随分前から飲んでいて、怖くて止めることができないでいる。抗うつ薬を飲んでいるような奴がなんでこういう負荷の高い仕事を選んでしまったのか。これが自分でもよく分からない。
楽しくないと言えば嘘になる。自分のした提案はほぼ経営層に届く。仕事柄、外部にいる大手企業の偉い人や頭の切れる人との付き合いも増えた。きちんとスケジューリングとタスク管理さえ出来ていれば毎日は刺激に満ちている。ただ、全てが自分次第というのは存外負荷が高く、疲れるものだ。自分は自営には向かない性格なのだろう。
スキルを売りたいと思っていたけど、今やっていることは営業だとか事務だとか、大袈裟に言うと経営に近い。楽しいけれど、生涯これで食っていくにはしんどい。どうしたものか。
ブログの人、「ツンデレにマジレスして怒ってる」みたいな状況なんじゃないかな。たぶんジョーカーの夢や希望を真に受けすぎてるというか。
持たざるもの程、欲しがる物が大袈裟なことってあると思うんだ。すごい貧乏な子の思う「いい暮らし」が豪邸に住んでる有名人だったり、モテないのをヤバイ位コンプに思ってる人の求める異性がこんな人間いるかよって思う高望みだったり。それは強欲っていうより、縁が無さすぎて「ほどほど」がイメージできないからなんだよ。
ジョーカーも多分求めてるもんはよくよく精査すれば、とりあえず「たまに遊ぶ友達、仲悪くない親、辛すぎない仕事」的な別段ぜいたくでも無いものでそれが手にはいればもっと寄越せとは言わないと思うんだ。でもそういうのを地道に積み上げてくやり方を教えて貰ってないから、誰もがイメージしやすい「大成功」を求めるしか「頑張りかた」がわかんない。要は元増田のいう「愛をください」ってシンプルな望みを言語化するのが、とことん不器用なわけだ。
ある意味幸せに対してツンデレというか、向き合い方が壊滅的にへたくそ。ツンデレキャラが「あんたが人生捧げるっていうなら付き合ってあげる❗️」とかいうのって、せいぜい「あんたの方からはっきり好きっていってよ」位なもんでしょ?ほんとに奴隷にしたいわけじゃないし、なるべきだとも思ってない。でも、素直になるのが難しすぎてトンチンカンになっちゃう。
ブログの人はそこら辺の、自分の具体的な望みすら言語化できない位に情緒が育ってないどころか歪められたジョーカーのことを、とんでもない高望み野郎だと認識してるんだと思う。ツンデレなんかコミュ障が開き直ってるだけじゃねーか!という某マンガみたいな突っ込みはごもっともなんだけど、せめて神の視点である視聴者はそこらへん理解してあげてもいーんじゃねーかなーと思う。
私は影響あると思ってます。
家庭環境も悪かったのでそっちの影響もあるかもしれないけど。
>いまだに同僚や上司といった私的な付き合いのない人間が信頼しきれない。信頼というと大袈裟だけど、対人関係に常にうっすらとした不安感があるというか。
ふつうは信頼するとかしないとか、そんなこと考えるまでもなく、人付き合いをしているみたいに見える。
まさに私はそのとおりだと思ってて、
信頼できない=不安 っわけでもないと思う
私的な付き合いがあれば信頼出来るってところも疑問だけど。
最初は、クラスの全員から無視される、掃除の時間にぞうきんを取られて取り返そうとすると投げ合って返してくれないなど。そこからさらにエスカレートして、私の椅子や机、文具などに触ると〇〇菌が移ると言って避けられるようになった。いわずもがな、私の身体がクラスメイトに触るととても嫌な顔をされた。身体的なものはなかった。ただただ精神的にきつい仕打ちが繰り返された。
それが半年〜1年くらい続いたと思う。先生は特に助けてくれなかったけど、翌年度のクラス替えで主犯格は全員別のクラスになったから気づいてはいたんどと思う。
今、30代半ば、それなりの大学を出て、何度か転職をしたけど、それなりの会社で働いている。
いまだに同僚や上司といった私的な付き合いのない人間が信頼しきれない。信頼というと大袈裟だけど、対人関係に常にうっすらとした不安感があるというか。
周りの様子を見ていると、ふつうは信頼するとかしないとか、そんなこと考えるまでもなく、人付き合いをしているみたいに見える。
不安感がずっと強くて、近頃生きているのがいよいよ辛くなってきていて、なんでだろうって考えたときに、とても古い出来事なのにいじめのことが思い起こされて、ここに吐き出している。
その後何年か、何十年か経って、まだ何か影響ってありますか?
このブコメについて。
性的と認めないオタクが多いのは、「性的」の判断が人によって違いすぎる上、性的だと認めた瞬間「エロなんだな」「性犯罪者だって認めるんだな」と攻撃してくるゼロイチ思考のひとが湧くからですよ。
そして、今までオタクコンテンツを炎上させて来たのがそういうひとだから。
そのせいでオタクは「認めたらさらに炎上する」と思って議論の上では認めたがらないという経緯がある。
被害者ぶるわけでも、嘘でも誇張でもないよ。
現にはてブでもいきなり飛躍して「これはエロ。エロは公共空間に置くな」「セクハラしてる自覚を持て」「しらばっくれるんだから害悪」というブコメが星を集めてる。
どうみても会話できない人達でしょ?
大袈裟だと思うかもしれないが、はてブ以外にもネットにはこの手の騒ぎ方をする奴がいて、しかもそれが一定の支持を集めてるんです。
そもそもポスターを作ったのはオタクじゃないのに、世の中の表現全てがオタク関連なわけじゃないのに、なんでオタクが一番責められてるんだ。
称賛の声、〜にファン歓喜、かわいい、かっこいいと反響の声、ファン悶絶、絶賛の声
SNSのコメントの一部だけを抜粋してまるで世間全体がそう思ってるかのような記事
んなわけねーだろ。興味ねぇよ。
どうなろうが知らねーよ
は?は?は?は?は?は?
嘘ばっかり、うざいうざいうざいうざい
大袈裟で遠い星の話だ。
俺の街には自動改札もなければ、ハロウィンでコスプレしてる人もいないし、昼休みに外でランチ取ったり、会社終わりに洒落た飲み屋でOLと合コンなんてねぇんだよ。そもそも若い人もほとんど見かけないわ 死ね
SNSのコメント欄で正論ばっか言うやつもムカつくわ、そんな事言われてもそうだね、その通りだねとしか答えられねーよ。つまんね
そんなん何も答えてないのと一緒だわ、称賛得たいだけ、賛同得たいだけ承認されたいだけ