なんで今まで避けてたのか意味がわからないが、今年初めてM-1を見た。やはり自分はバラエティやひな壇芸人が嫌いなだけで、お笑いが嫌いなわけではない。漫才というフォーマットはとてもエキサイティングだった。
しかしながらバラエティを避けていると芸人と出会う機会は少ない、私は今回出ていた芸人のネタを全く見たことがなく、今回のM-1で初めてみることになった。
個人的には決勝で一番おもしろかったのはぺこぱだった。そして最終決戦もぺこぱが一番おもしろかったように思う。
とにかく松蔭寺のボケが面白かった。型破りで予想もつかない大袈裟なボケ、正面が入れ替わったり、妙な名言ネタで完全にやられてしまった。現場も大いに盛り上がっているように見えた。
その後のかまいたち、ミルクボーイのネタもとても面白かったが、現場の盛り上がりや、勢いからして、ぺこぱの優勝はあるのではないか?と思っていた。
しかし優勝したのはミルクボーイだ。一票を除いて全員が投票し、残りの一票はかまいたちだった。ぺこぱには誰も入れなかったのだ。
個人的には不思議だったが、そのあと決勝のネタを数回、そして過去今までの彼らのネタを見尽くした後ならば、非常に納得がいった。
ぺこぱには勢いしかなかったのだ。そして、その場での笑いを最大化するためのアドリブや、ネタを拡大していく経験が圧倒的に足りてないことが分かった。初見の時に、一つ場の勢いを殺す下りがいくつか入ってしまったなと感じたところがあったが、ネタをネタ通りにやる、という感じが見えたという感じだ。
2019年初頭のライブは全く面白くなかった。そこからここまで完成度を上げてきたのだから大したものであるが、引き出しを含めて経験不足ということなんだろう。
ミルクボーイの形は、今年に入る前からすでに出来上がっていたようだ。コーンフレークも最中も、過去のライブにネタがあった。その中でもツッコミの中に入る文言はアップデートされており、よりわかりやすく面白い漫才になるよう磨かれてきたことがわかる。また、彼らのフォーマットはなにかを強烈にdisる、というフォーマットなのだが、過去のネタの中にはつまらないものもあったし、特定の人をいじるようなものもあった、そのような他人に対して毒のあるネタではなく、コーンフレークや最中に対して毒を発散するネタをちゃんと選ぶことができたのも、今までの場数によるものなのだと感じた。
そしてかまいたちだ。最初に見たときはピンとこなかったのだが、2回目に見直してからはめちゃくちゃ面白いことに気付いた。そして過去の漫才のネタもほぼ全てめちゃくちゃ面白かった。形がわからないのである。笑いの神が降りてきたときの素人の雑談が極まった感じというか、完璧に計算され尽くした雑談のようなものに感じる。なにが面白いと説明するのが難しい、だから飽きが来ないのかもしれない。トトロもポイントカードも、心理占いも話が全く展開しない、揉めてるだけなのに、面白いのだ。
ぺこぱもミルクボーイもボケの人がほぼ死んでいるように見えたが、よくよく考えると、それもまたネタのために必要な要素なのだろう。
ぺこぱのボケの人はキャラも掴めていなければ、話空気も掴みにくい人のように見えた。ただし、ライブ以外の普段の二人を見ると、話を回しているのは彼の方だった。多分根が明るくお調子者なのはこちらの方なのだろう。今後どのようにお茶の間に定着していくのだろうか。
ミルクボーイのボケの人は、ほぼ同じことを同じタイミングで言うだけなのだけど、タイミングが絶妙である。この人がブレない、とにかく淡々としている、リズムを作るというのがまずネタの生命線であるわけで、重要なポジションなのだろうと感じた。
と、後日いろいろと考えてみて、私の中で2019年M-1で一番面白かったのはかまいたち、という結論に至った。
しかしながら、M-1はただその時面白ければいい、という大会ではないことがわかった。思っていたより奥深い文化のようだ。とはいえ、もう何十年もこの話題をスルーしてきた、まわりこ友達が話題にしていても、避けるように生きてきた。今更見るのも癪である。
松本人志 「本来、笑いに点数付けるなんて絶対無理。ナンセンス。 笑いなんて好みの問題。 M-1はその無理なものを冗談で、遊びで適当にふざけて決めるお祭り。 元々紳助さんもお祭り...