はてなキーワード: 大袈裟とは
パソコンの社内サポートで案外多いトラブルの原因は、コードが抜けてたってことが結構多いです。
モニタが付かなくなった!って大騒ぎするから見に行ってみたら、電源ケーブルがコンセントから抜けてたり、逆になぜそこだけ抜ける!?他はささったままなのに、と謎も多いです。
結構呼ばれるときは大袈裟に何事か?って感じで呼ばれるので行ったとき拍子抜けます。外部サポート保守契約してなかったら、サポート業者呼んでコンセントさすだけで出張費プラス作業賃がもらえるレヴェルなんでしょうか?よく分かりませんが。コンセントとかのそういうケーブルぐらいは見て欲しいなと思います。
兵庫県知事だ。
過去発言は関西経済界の活性策を話し合う場で「関東大震災が起きればチャンスだ」と2008年に言い放ったことが強烈である。
最近は中国にマスクを百万枚送ったり、大阪に大袈裟と言ったりしている。
候補者が少ないことや、保守的になりがちなところ、「兵庫県」には県民が関心を持っていないところ、「自公が指示している」「創価が多い」なども影響している。
どちらかというと兵庫県は市長がそれぞれ動き、なんらかの特化型都市をそれぞれ作っているイメージなのだが、こういうときばかりは知事の力が必要だ。
今日、井戸知事は通常通り四月八日から学校を再開させるといった。
兵庫県にはスポーツ推薦などで大阪や遠く和歌山などから通学する生徒がとても多い。
その多くが阪神間を利用する。阪神間は、感染がいま危険とされている場所だ。
井戸知事は本日マスクもせず、けらけらと笑いながらインタビューを受けた。
マスクが手に入らないのだろうか。
兵庫県では周囲の県よりも手に入らなくなってきている。これは噂ではなく事実だ。
なにが起こっているか分かるだろうか。
しかし「批判していい/されるべき」部分と「侮辱してはいけない/する必要もない」部分があるのは何事もそうで。その区別ができてないのは擁護側ばかりじゃなく批判側だってそうだよね。
少なくとも「架空のキャラクターにセクハラをすることは現実の人間へのセクハラを助長する」とかいうバカな論理は一蹴して構わないと思うよ。本件の問題は、(大袈裟な喩えをするなら)「子供にアダルトビデオを見せるのはそれ自体が性的虐待」というのと同じ理屈にあるんじゃないのかな。(さらにそこから細分化して区別をつけるべき話はいくらでもあるけど。特に公共性に関する議論が。公共性を「利用している」のか、「提供している」のかで全然話は変わるよね。)
そこまで大袈裟ではないがちょっと良かったのは PREP かな。 https://prepofficial.com/
女の子の部屋で、部屋に居るくらいだから、裸や恥ずかしい部分はお互い見られた程度の関係。
出かけるときに「私、ちょっとお風呂入ります」って六畳間とダイニングキッチンの間のすりガラスの引き戸を閉めてた。
脱衣所は無いからそこで服脱いで浴室に入るんだろうな(ちなみに僕がお風呂借りるときは、浴室内で着替えた)。
白いスリップとショーツ姿の彼女が「きゃあっ」って身を小さくしてしゃがんだ。
見てはいけないところを見てしまった気もしないけど、引き戸を閉めようとすると、
「恥ずかしくないもん。この格好見られても恥ずかしくないもん。ちゃんと着てるもん」とくねくねしながら、
自分で自分の驚きようが大袈裟だったから照れ隠しのような態度をとっていた。
Pairs で以下のようなイタイプロフィール文を書いたら登録したその日に理解ある彼女ができ,ずっとラブラブです.
「
東京の某文京区の大学で学生をやっています。工学部生です。数学好きです。また、読書やアニメ鑑賞、プログラミング等が趣味です。
ぼくは人間の愛に興味があります。昔から人が好きであり、他者を思いやる気持ち、良心のようなものが強い子供でした。
世の中には残酷なこと、卑劣なことがあふれています。その中でもなお、愛を信じて疑わない人、「人間的」であることを諦めない人にすごく惹かれます。
愛と言っても大袈裟な話ではありません。自分の欲望を押し付けず、相手が相手らしくいてくれることを願う気持ち。卑劣なことに憤る、「それはおかしい」と言える当然の感覚です。
そうですねえ、例えばこのマッチングアプリであれば、いいねを送る相手として容姿がファクターになると思うのですが、容姿を人間の「価値」と混同して、「このブス!」と罵るような人を迷わず軽蔑する、ということでしょうか。
あるいはいじめられている子がいるとして、「いじめられることには原因がある」という考えが脳裏にうかんでも、「この子の命が危ない!」と思えるか。いじめる側の卑劣さを冷静に追及できるか。「しょうがない」と居直ることなく悩めるか。そういうことです。大事なことです。
お互いの差違を確かめつつ、そこから豊かな広がりを得られるような素敵な関係を築ける相手とめぐりあえるとうれしいです。
まあ小難しいことを言ってますが普通にアニメとか YouTube の話で盛り上がるのもありだと思います。
」
元増田の疑問に答えるには少々話が長くなる。と言うのもテレビの近代史に割と深く関わってるからだ。
実はコロッケ達の前に「先代の」ものまね四天王がいたんだ。所がそのうちの一人が愛人に刺されて命を落とした事で一気に黒歴史化した事で急遽コロッケ、清水アキラ、栗田貫一、そしてビジーフォーを新たな四天王に添えた。んでこいつらがそれぞれものまねに革命を起こす発明をしたんだ。例えば清水は鼻にセロテープ、クリカンはもしもシリーズ、ビジーフォーは人形を棒で操作するアレ(名前なんて言うの?)、そしてコロッケは背後から本人が登場、である。
美川憲一の「さそり座の女」を例によって大袈裟に歌っていると背後から本物が不機嫌な顔でやってきてコロッケが挙動不審になる姿が当時バズった訳だ。クスリで捕まって芸能界から消える前は男の娘、というか中性的な色気の美青年(かの三島由紀夫も惚れ込んだとか)だったが以降は「おネエのおっさん」と言うネタキャラとして再ブレイクを果たすことになる。
話をコロッケに戻そう。以降「デフォルメしまくり調子に乗る」姿と「怒られてキョドる」姿の落差が大きければ大きいほどウケる事に味をしめたコロッケのデフォルメがより大袈裟に、より不躾になるのは必然だった。これは俺の思い出話だが当時人気ドラマだった「教師びんびん物語」で田原俊彦の真似を披露した翌日の学校で女子全員が本気でキレてた程だ。
かくしてデフォルメものまねの第一人者となったコロッケだがここで誤算が生じる。「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」が放送開始されたのである。初回こそ手探り状態だったが第二回、次長課長の河本による「オメエに食わせるタンメンは無ェ!」で方向性が定まると以降「ディテールとリアリティーに拘る」コロッケとは真逆の芸風が主流になり若い人達もそれを観て育ってきたであろうからまあ要はコロッケが時代に取り残されたのである。
物心ついた時から足は遅いし自転車はなかなか補助輪が取れないしバスケの授業ではヘイパス!ヘイパス!って声を張り上げてるだけの置物になるしでとにかく運動が苦手で嫌いで、なので社会人になってからも運動からは距離を置いた生活を送っていたんだけど、こないだ縁あって川にカヤックをしに行った
そしたらあれだけどんなスポーツをやっても箸にも棒にもかからなかったのが嘘みたいに、何故かこれだけは上手く出来た
すんなり船に乗れたしどう足を突っ張っていれば転覆しないかも感覚で分かったしどうパドルを動かせば進みたい方向に進めるかも考えなくても分かった 自分でも本当に不思議だけど
何よりも嬉しかったのはインストラクターのお姉さんが「センスありますね!」と言ってくれたこと
その時は滅相もないと否定したんだけど、現金なものでこの日を境にあれだけ運動を嫌いと思っていた気持ちがかなり和らいだ
それで運動に対するハードルが下がったのか、それからパーソナルジムに行き始めた
誰と比べられることもなく自分のペースで体力づくりが出来てすごく楽しかった
他に何か運動してるんですか?ってトレーナーのお姉さんに聞かれたので「カヤックやってます」って言ったら「運動好きなんですね!」と言われてとてもびっくりした
そんなこと言われたの生まれて初めてで、というか人生のほぼ全てを運動なんて嫌いと思って生きてきたので
でもそう言われて、「あー私運動好きって思っていいんだなー」って、大袈裟に言うとなんか呪いみたいのから開放されたような気がした
というか私が嫌いだったのは運動ではなく体育の授業とか、明るくて運動出来る子の隣で自分のどんくささを突きつけられて心がぺしゃんんこになるあの惨めな気持ちとか、そういうことだったのかなーって思った
あと、あの時の気持ちを文字にして、自分がすっきりしたい。それだけ。
腐っている。腐女子だ。
もしかしたらちょっと繊細かもしれない、どこにでもいるオタクだ。
少し違うのは、彼女は私と違い、
彼女の描く絵が大好きだった。
わたしは当時ハマっていたジャンルで彼女の作品を知り、感動した。
同じジャンルでちまちまと小説もどき書いていた私にフォロー許可をくれて、
フォロー返しもしてくれた。優しい。
そこそこに交流もした。お互い、特に仲の良いという訳では無いけれど、
あまり内容を覚えていないけれど、もしかしたらSkypeとかで
本当に楽しかった。
それは嘘じゃない。彼女やみんなと過ごした記憶は、今でも私の宝物だ。
盛り上がりがあれば廃れもある。アニメも終わり、
少しずつ勢いが下火になってきた頃、私は少しずつ、
彼女のことが目に留まるようになっていった。
今だから思い至るし素直に白状できる事だが、
素晴らしい絵を生み出すだけじゃなく、彼女は皆に好かれていた。
実際、それだけの力が彼女の絵にはあった。
ピクシブにあげられていたものもあるが、いつの間にかサイレントで
全削除していた時もある。当然、彼女の作品が好きな皆は突然のことに戸惑った。
大袈裟に泣いていた人もいた。
どんなに「好きだ」と言われていた作品であれ、
その扱い方が変わることはなかった。
そういう一貫してるところは好き。
だけど、私は変にプライドだけは高かったので、
「私が自分の作品を消したとしてもこんなに惜しまれることは無いだろうな…」
誰からも相手にされずスルーされていく光景が目に見えるようで、
悔しかったのだと思う。
これ、全部被害妄想なんです。
なんだこいつ。自分で書いてて引いた。
1度出した作品を消す。それは全く悪いことではない。
私だって時々消す事はある。
ありがたいことに良い反応を頂けたとしても、
「後から思うところがあったので消しました!」というのは誰しにもありうることだ。
だから、いくら「神」と呼ばれることもある彼女の作品が消えることに
嘆く人が多くとも、彼女の作品なのだから、どう扱うのかは彼女の自由なのだ。
前々から、それこそフォローした当時からその傾向があった彼女なのに、
何故後になって目に付くようになったのだろうか。
これは、当時彼女に嫉妬していた私だからこそ思ってしまったことだから、
私は、彼女が自分の作品を消した後の皆の反応を楽しんでるように見えた。
どうして、と崩れ落ちる人がいた。悲しい、と嘆いてる人がいた。
仲がいいからこそ、どうしてと本人に詰る人もいた。
それに対して、彼女は軽く、「バレるの早いなww」といってのけたのだ。
完っっ全に私の僻みだが、当時の私は、それを見て不愉快になった。
「自分の作品に思うところがあったから、作品を消したんじゃなかったの?
自分の作品を武器にして、他人の感情を振り回すのがそんなに楽しいの?」と。
画面の向こうに、他人の反応を見ながらほくそ笑む彼女が見えた気がした。
繰り返すが、これは私の妄想だ。彼女へ歪んだ目を向ける、私の歪んだ解釈だ。
周りの反応を楽しむことは、決して悪じゃない。
二次創作をする人が何を理由にして作品を書こうがその人の勝手だし、
生み出された作品が素晴らしければ、同様に作者も愛されるものだと思う。
とりわけ、彼女は普段仲が良い人に対してはとても面倒見がよいタイプで、
決して悪い人ではない。少なからず交流もしていた私もそれは承知している。
相互フォローこそすれ、やがて会話はほとんどしなくなっていった。
フォロー許可こそくれ、彼女は私をフォロー返しすることはなかった。
私は彼女から距離を取っていたし、彼女もそれを感じ取っていたのだと思う。
彼女と、他の皆が楽しそうにしているのを見ていることが好きだったからだ。
語彙力の広さは尊敬するし、魅力的だ。絵も相変わらず素晴らしい。
今までずっとしこりとして私の中に残っていた。
みたいな、現状大体そんな感じだ。ブロックされているわけではないので、
当時ほどのもやもやはもう無い。
距離を置いて、時間が経過して、その時の感情はほとんど薄れていった。
それでもなぜこれを書いたかというと、
薄れてもなお残る彼女へのしこりを、きれいさっぱり無くしておきたかった。
それと同時に、「お前はこんなにも自己中で自分勝手なんだぞ」と、
「人の振り見て我が振り直せ」とかいう前に、
私は、私を好きでいたい。
そのために、今、私は彼女を利用している。
一方的にTLを拝見させていただいて、
そんな感じで、今後ともゆるく、その時までは宜しくさせていただきたい。
我が振り、いつ直せるだろう。