はてなキーワード: 事象とは
レジ袋の有料化「汚染克服」の一歩となるか 海洋学者が出した答えとは
https://news.yahoo.co.jp/articles/3da24d73a9d6fdd4de6f8ff9ab3d9e8ca45f5697
こんなある種の自己弁護みたいな事を海洋学者だのが言い出した時点でやはり世間の批判が多いのは事実なのだろうね。
この人達から見ればレジ袋の消費が減った!成功だ!とか思っているのだろうけど、世間から見れば単にお金を払いたくないから、レジ袋を貰わないだけであり、より不便さを感じるようになっただけだからね。
そもそも今までも一般人はレジ袋自体無駄にせず、ゴミ袋として利用していた人がニュースを見ていても多かったみたいだし、この例からも一般人の方がモノを無駄にしていない人も多く、それこそ海にポイ捨てする人なんてそれこそ極一部の例でしかないからね。
その極一部の事象を規制したいが為に多方面に多大な迷惑をかけているのだから呆れるしかない。
それに上記の言い分では以前はレジ袋以外にもペットボトル、発泡スチロール片、食品容器の空き箱等が見つかっていたけど、有料化以降たった150m見ただけでレジ袋はなかった!効果があった!とかある種の詭弁とも屁理屈とも言えるような事を言い出しているのを見ても何だかなと思うよね。
そもそも海洋汚染についても環境学に関しては長期的スパンで見ないと効果があるかどうかどうこう言えないのにたった1か月でこんな事言い出している時点で環境云々言うのはどうかと思う。
普通に100年、1000年、10000年スパンで物事を見る様な事象だからね。
それにこのレジ袋有料化に関しては環境関係の人からも規制自体が意味の無さから逆に嫌味を言われていた位だから。
最も政府とかが温暖化云々ではなく、海洋汚染に切り替えたのはその辺からもあるだろうね(笑)
また以前から指摘されていた様に案の定海外でも起こっていた万引きの増加を招いたみたいだし、そして衛生上の問題からマイバッグがどうこうとか矛盾した事も相も変わらず言い出しているのも笑える点。
店員の方もクレーマーの対処で大変とかやはり以前から懸念された問題も起きたみたいだしね。
そりゃただでさえ嫌われる様な政策をこのコロナの時期にやれば当たり前だけど批判が出るのは当たり前だよ。
それに実際ドサクサ紛れに有料化した紙袋に対しても批判的な人も割といるのは事実だし、どう見ても企業側からしたら経費削減の言い訳に使っているのも事実だからね。
恐らく今後、海外でも実際起こった売り上げ減少等の事態も起こりだすだろうし、ただでさえコロナ禍でダメージが大きい経済に対して負の影響を与えるでしょう。
実際今ですら揚げ物とかの売り上げとかは落ち込みだしたみたいだからねぇ…。
何にしろ世間の人間からすれば、寄りにもよってこのコロナ禍にしでかした事もあり、環境対策=不潔で不便な代物と言う認識を植え付けたのは事実だろうね。
今までのLEDの強制にしろ自動車やバイクの環境制限にしろ消費者に弊害を押し付ける様な傾向はあった訳だけど、今回に関してはそれが顕著なまでに出てしまったわけ。
本来ならば環境対策と言うのはどうエネルギー効率を上げて、尚且つできうる限り利便性を失わない様にするかと言う事も考慮しないといけないのだけど、この人達はと言えば、ただ単にゴミ減らし=消費活動の減少のみの視点でしか環境対策と言う物を見ていないからね。
そりゃ消費活動が減少すれば、経済活動の低下を招くのも当たり前だし、結果、日本の国力をも低下させているのだから笑えるよね。
しかしgotoと言い、このレジ袋有料化と言い、今の政府や官庁のしている政策が悉くその失策が自身に跳ね返り、自身の世間での評価を下げ、自身の首を絞めているのも笑えるね。
最もこのコロナ禍にどう考えても弊害しかない政策を強行したからこそ世間からの批判が大きい訳だけど。
それに今は少なくとも平時ではないのに政府与党こそ危機感が全くないのはこのコロナ禍を見ていても判る事だしねぇ…。
最も臨時国会の早期開催を求めた野党は野党で5月当時、自民と一緒にコロナ対策に関係ない法案を優先し、元法相の話題ばかりしていたりと危機感の欠片もなかったのは事実だけど。
Switch転売を巡るゲーム店の苦悩。曰く「ゲーム店は、商品そのものだけでなく、商品を通じて得られる体験を提供しているのだ」という旨。他者のそれを破壊しうる転売行為は悪だと言い切れる、とのこと。悲しいくらい、情緒的なアプローチに終始している。市場経済論理は、一小売店が立ち向かうには巨大すぎる。この情緒的な『お願い』は、市場主義者には間違いなく響かないだろう。立っている論理が異なり、確固たる正義がある。彼らにしてみれば、「何故市場原理が悪なのか?情緒が何か救うのか?」というところ。
まぁ、市場原理100%には情緒が無いので、それに依拠している方々に対して、「情緒無くして人間と言えるのか?」という問いはある。人間は情緒的動物なのか市場的動物なのか。情緒は動物も(おそらく)持ちうるが、市場は人間以外形成しえない高度な機構なので、市場的動物か?否、より低次であるからこそ、より根源に近いのではないか?市場が無くなっても人は人であるが、情緒が無くなったら人は人ではなくなるのでは?情緒を全て排除した市場原理は、果たして“正しい”と言えるのか?
こういう環境にしてしまったプラットフォーマーに責任がある。「中古品を持ち寄ってやり取りして、みんなお得!」という考えは悪ではないが、そのプラットフォームが悪用(?)され、結果として情緒を破壊してしまっている。であれば、プラットフォーマーはそれを収める責務がある。もっとも、プラットフォーマーが市場主義者であれば、そんな責務知ったことではないだろう(彼らの原理に従うと、そんな責務は無いし、そもそも発生している事象も悪ではない)。つまり、そういう商売を停止するもっと大きな力(つまるところ政府)の統制が必要になる。
そして政府が特定企業の営利活動に踏み入ることは、果たして是か非か。法律に反していればナタを振るえるが、今回は特段法律には反していないケースである。それを統制するのは、権力の濫用ではないか?経済活動の自由のはく奪ではないか?いくらでも反論が沸いてくるし、実際のところ濫用なので、直接的な統制は不可能であろう。結局、政府レベルでも、良心に訴えるくらいしかやることがない。
しかしてまた、良心に訴えなければならない状況で、歴史的にそれがうまくいった試しがない。あるいはこの日本国で、良心に訴えて、それが万人に響く可能性があるのは、天皇皇后両陛下と上皇ご夫妻の『おことば』くらいだろうが、あまりに非現実。
情緒は美しいが、かくも脆い。日本人は共通した倫理を持っていない。宗教でもあれば少しは共通の良心くらい生まれるかもしれないが、現代日本ではまず不可能。宗教が国を立てると言った聖徳太子はここまで見通していたのだろうか。
2年前ぐらいから色んな不調があって、すごく困っていた。
例えば睡眠障害。眠ろうとしても寝れず寝たと思ったら飛び起きてしまう。
電車や車に乗れない。乗ると青ざめて途中で降りてしまう事もしばしば。
原因もなくずっと怒っていて、何で怒ってるんだろうと思いながら横たわって歯ぎしりをしていること。
ご飯の味がしなくて人と食事に行っても適当な感想を言うしか無くて悲しいこと。
それでも財布の中が汚いので鬱とかではないと思っていた。(財布の中身が汚いヤツは鬱にならないと散々言われていたので。)
なのでまあ耳鼻科とか、そういう所には行ったけど心療内科には睡眠薬を貰いに行ったぐらいだった。寝れなかったが。
ただまあ同年代の10倍はお賃金を貰っていたし、配偶者もいるし。激務だけど旅行とかもよく行った。
それでも原因のわからない不調に悩まされて、手が震えて、つらいような気がした。
手以外身体が動かなくなって増田に「身体が動かない!助けて」って書きこんだ事もあった。
そんなこんなで、いつでもスマホを開いて首つりの方法が書かれたページを眺めていた。電車の中とかでずっと眺めていた。
意味もなく駅のホームやトラックの飛び交う車道横の歩道で立ち尽くしている事もあった。そういう状況でしか安堵を得られなかった。
それでも、それでも自分は果てしなく恵まれていて、不調はあれどインフルエンザにすらかからないし、元気なんだと思った。
前述のとおり恵まれているので多少休業した所で困る事もなく家で引きこもって過ごしていた。
何年かぶりにゲームをしたりした。テトリスとか。え!ゲームってこんな面白いんだ・・・と驚いた。
部屋も綺麗にした。え!部屋!綺麗!!と驚いた。
人生で一番幸せな時間が首を吊るロープを選んでいる時だった瞬間とは大違いだった。
一番驚いた事は電車や車に乗れるようになっていたこと。あと食べ物の味がするようになった。
むしろどうして乗り物に乗れなかったのかわからない。もちろん滅多に乗る事も無くなっていたが。
というか正常な感覚を持ってはじめて、あの時何だったんだ?と言う違和感を色々持った。
が、
同じように襲われるあの感覚。手が震えているなあと思う。
我ながらそこまで、そこまでコレによって起きた事象ではないと考えていた。
無理に流行らせようとしているんじゃないかとすら思ってしまう。
嬉々として使っている人たちは、もうちょっと自分の日本語感覚を大事にしてほしい。
口に出したくなるようなリズミカルさやオリジナリティを持っている。
もしくは今まで言語化できなかった事象を一言で表すような「これだ!」となるような革新さを持っている。
例えば、
・即ハ〇ボンバー
・だいしゅきホールド
等、めちゃくちゃ口に出して言いたいし、どういう状況なのかもわかりやすい。
チーズ牛丼は正直どれも持ってないし、本当に流行る理由がわからない。
皆この言葉を連呼してて楽しいですか?良いネットスラングって使ってて楽しいですよね?
果たして「チーズ牛丼」にはネットスラングとしての風格があるのか、考えてみてほしいです。
まだ「子供部屋おじさん」の方が良い。
オタクジャンルに限らずそうだが、自分が好きになったものを他の人にも同じように好きになってもらいたいというその感情、傲慢の一言に尽きる。
宗教に始まり、各種エンタメコンテンツ、自らの経験則を語る体験談に至るまで、自分の感じた何かを他人と共有することを望む、それは別にいい。
でもそこから、こうするべきだ、このように感じるべきだ、こうあるべきなのだ、となった瞬間にそれは純粋悪になる。
他人の興味関心をもコントロールしようとする支配欲求、ひいては自分の以外の誰かの脳内処理、心の動きへの介入を試みようとする侵犯欲求。
その根本にあるのは、世界に満ちる事象が自分の思い通りに運用されないことへの不満でしかない。
そんな事ある?
荒れそうな要素はある気はするけどそんな特筆して荒れるほど?
気になったので調べてみました!
まあ荒れるな。どちらかのファンの人種がどうこうの話じゃないなこれは
星街すいせいちゃん
なるほどこの子はすごく頑張っている子だ。きっとアイマスの事が本当に好きなんだろう
アイマスの人にはなれなかったのでVという敗者復活戦に本気で挑んでいる並々ならぬ執念は感じるし実際に歌もうまい
いいんじゃないだろうか。そのままがんばってほしい
ここから先はキライなものキライという話で、それは非常にリスクが高いので匿名で書くことにしたけど
うわーやばいな
すいせいちゃん本人はよほど好きで歌ってるんだろうけど運営やクリエイター陣にまったく敬意がないんだな
ツイッターでもつべでもこの曲についての紹介が二の次。この書き方はアライブファクターを知ってる人から星街すいせいというコンテンツにリーチしてほしいけど逆はどうでもいいという根本が透けて見える
ツイートした文章の一つ目にタイトル以外の情報がもう少しあればここまでの嫌悪感は無かったんじゃないだろうか
そして動画の質
Vのカバー曲は大部分が少ない立ち絵に歌詞テキストを如何にかっこよく流すかという競技だが
そこでミスを犯すのは嫌われても仕方がない
重箱の隅をつつくような小さな事を言うなよ、ではなくカバー曲は1ナノミリのスキも見せない完成度を求められて然るべきものだ
微に入り細を穿てない程度の人が手掛けてしまったのだ、なんて不幸なことだろう
そのへんがどうでもいい人達がすいせいちゃんを取り巻いているのだ 根が深い
ここまでぶっちゃけクソ穿った憶測どころかただの汚い妄想でしかなかったのに
ホロライ勢がゲーム配信で広範囲にトラブっている話が駆け巡っており
矢面にいる彼らはともかくその裏で管理・運営をしている人間の質は少なくとも
”彼らを売り出すために使っている他社が作り上げたエンタテイメントにひとかけらの敬意も持っていない”
という方向で裏付けられつつある
最近どっかの委員長がシャニマスを取り上げてはちゃめちゃに愛欲に溢れている様が話題になったのに対して
ある程度の深度まで知らないとカバー歌ったのに私はアイマスが好きだー!がまるで伝わってこないVとの差はそんな運営によって醸し出されてるのではないだろうか
っていうかVがアイマスのカバーを発表する、なんて事象別にこれが初めてとかそんな事ないんじゃない?知らんけど
それがやたら燃えるのはたまたまとかでなくそれなりに多くの層が嫌悪感を覚える要素が今回はあったんだなというのは想像に難くない
日本人なら誰でも知ってるあの名曲をカバー!とはわけが違う話だ
ミリ界隈に古くからいる人間の多くはアイマスシリーズの中で唯一、この世界はいつ終わっても不思議ではないことの具体的恐怖をもって知っておりそしていつも脅かされている
そのため基本的に新規層の取り込みチャンスにはセンシティブになる人間が多い
故に、お気持ち勢は新規にミリシタに触れて欲しいという願いがまったく見受けられない事に壮絶な嫌悪を催すし
お気持ちのお気持ちを表明する側のPは新規開拓すれば儲けものなのに否定するなよ!って事のみのお気持ちに終始している
アライブファクターや贐の鳥が持つ背景がどうこうだからカバーすんなとか平和なお気持ちを垂れてるPはただのバカなので好きなだけ叩かれてもかまわないんだけど
お気持ちのお気持ちさんたちもホロのカバーぐらい好きにさせろよバーカ!って言ってる人間かそれをオブラートに包んで冷静な俺を表現したいけどあんま隠せてない人間しかいなくて本当に地獄だな
そんな無駄な時間つかってないですいせいちゃんの歌がよかったみなさん!この曲はね!っていうRT0のツイートの一つも拡散してあげればいいのに
今回行われたカバーの内情に渦巻いているものはきっと「すいせいちゃんからこの曲を知ってミリシタを初めて課金までしました!」という新たなPが生まれて初めて浄化されるものなのだろう
それが観測できる気配は
いまのところ まったく ないのだ ……
このアライブファクター歌ってるVは誰?見たい!っていうミリPはけっこうみた
根拠の必要性は提示して相手に納得をさせることができるかという情報で、その情報には物理的な後ろ盾がないとほぼ成り立たたず
情報のみで根拠と成すためには時間を利用した歴史や前段階的な公知の情報、相手の認識範囲内において納得される情報である必要があるでしょう
それをもとに相手に自分の像を自分の描いている像に近いものと、自身が認識できる状態になることを自己肯定とすると接する人間の人数分その根拠が必要になり対応が複雑になり
そこまで対応しきれないので根拠がないことを自己肯定とするという選択肢もあるかと思います
自己肯定というのを他人と接する際に自分に自信がないため他者に対しての抵抗力とすると前述のような二択に近いものになるのではないか
自分が自分を肯定するという語彙においては他者は関係なくともよいと考えると他者を考慮しないことを自己肯定とする方法もあるのではないでしょうか
これから発生する何かしらの問題について不安を解消するためにその発生予想をするにあたり他の人間の認識を知っておきたいところについて
自分がアピールして植え付けたであろう周りの人間の対応を予測することで半ば安心感のようなものを得ることがその目的だと思われますが
他人の思考などわからないし自分が植え付けたはずの努力がそれ相応に実を結ぶのであればそんなに心配する必要もないでしょう
自己肯定感の不足を感じるほどに自分の予測的行動における未来の状況が不安なのであれば現時点での行動にそれを充足へ導くとしたら
現在の行動のさらなる充足か、それを利用しない充足方法の発見になるかもしれません
人を思いのままに行動させるような誘導的な干渉をもって交友関係を広げるか、他者評価を一切受け入れないか
経時的に発生する予測が十分でない事象をその時々に楽しい事であると感じるようにするかという行動様式が外見的に自己肯定の所在を認識されやすいのではないでしょうか
新しく体験することになる事象に不安が大きいのはそれを測定しづらく測定値の定義がないため不安になりうけとった事象を測りかねるためそれを肯定する元データを求めるのが不安というものだとしたら
自分自身の定義をもってそれを測るのがよいのではないでしょうか
自分がきめた尺度で事象を評価するにあたって、その評価結果に対立する意見もでてくるかと思います
それぞれに論拠を示すことになると思いますがその経過について異なる見解を受け入れないといけないというストレスに曝され自己犠牲によりそれからの解放が早くなるのであれば
自身が拠り所としている好きなもの、あこがれるもの、自分が自分であるという根拠にしているものを自分で否定することで早期に解決はするかもしれません
そうすることで、見た目上折れたり根拠のない自信をもっているとか根のないうわついた人といわれるかもしれませんが、実際そうであるものとそうみせかけて
相手を動かすことで自分自身は一つの行動指針に準拠しているということもあるかと思います
自己肯定というのは、自分自身の尺度をもつことは前提としてあるかと思いますがその尺度は自分という思考の演算の基本値であるためそれを相手に理解されたところで
自分自身という絶対無二の視点から得られる結果はそれぞれに異なり理解されること自体がとくに意味をもたないため、共有をすることができませんが
それが共有されない悲しみを自分自身への理解がなされないことだと悲観せず、それは通常だれしも共有はされずそれこそが個性として個別にあることこそが人が一人でないことの意味であり
個性がそれぞれにあることで予測ができないことが楽しみであり、予測ができるだけ大きく長い時間できる個性との長期的な関係こそが喜びだと思えないでしょうか
①自己肯定は個性という人が物理的にそこに存在する経過で得られた経験そのものを尺度としたもの
②他者の自己は否定するものではなく全く別物なので共通点、共存方法を考えるべきもの
③共有する未来の結果予測についてその方向性があうものあわないものはあり、最終的に結果なにが必要なのか取捨選択する
こう考えて、自己肯定感の礎となる根拠は今存在している自分自身であり、これからの不安を自己の尺度で認識する、していく、評価基準は経験値により変わるとすることで
腐女子のお気持ち長文が増田に少なくなってきて悲しいというリクエストに応えて長文を描こうとしてみむとてするなり。
私は年季の入った腐女子でありTwitterで二次創作絵師をやっている。実力は中途半端フォロワー数も中途半端、いいね数は毎投稿大体3桁前半、時流に乗れば4桁行くこともたまにある、程度の絵師である。
そんな私であるが、オタク女お気持ち増田流行のきっかけとなった件のおけパ中島の漫画、あれは私の心に痛烈に刺さったものだった。なぜなら現在絶賛進行中で私はとある字書きを崇拝していたからだ。その字書きが、ある神絵師に声をかけられ、明らかに自分に対してのものとは違うテンションで対応しているのを見てしまった。その翌日にオパ島の漫画を読んだ。
私の心は沈んだ。
自分の心の醜さを形を取って見せつけられるというのは辛いものだ。実は以前増田で私も似たようなことをしてしまったことがある。その時私の書いた日記のツリーにぶら下がった「自分の中のモヤモヤが明確に言語化されることが辛い」というコメントが印象に残っているがこれも因果応報というものだろうか。
私の崇拝する字書きが神絵師に声をかけられている瞬間を目にした時私の心に湧いた感情はまぎれもない憎悪だった。この字書きは私より神絵師と仲良くすることを選ぶだろう。それは当たり前のことだ。大企業の役職者と下町の職人、どちらと仲良くしたいと思うかは明らかなことだ。悔しい…悔しい…私もこの神絵師並みに認められるようになれれば、皆から求められるようになるのに…
私はその神絵師をフォローした。好意からではない。その神絵師の絵の魅力は誰をも認めるところではあるし、私自身もその魅力を理解している。しかしこの際そんなことはどうでもいいのだ。
しかしここで予想外のことが起きた。その神絵師がこちらをフォローバックしてきたのだ。
予想外の事態である。私は混乱した。神絵師のフォローはフォロワー数より圧倒的に少ないものだった。なぜこの人物が私をフォローしたのか、理解不能だった。そして自分にとっては 最も悔しかった部分はここだ。私はその神絵師からのフォローバックをはからずも嬉しいと思ってしまったのだ。なんたる無様。なんたる意思薄弱。この神絵師は最も有効な手段で私の悪意を無効化してしまったのだ。
それ以来、なんとなくTwitterをのぞく気力が削がれ、絵も書くことなく日々を送っている。
オパ島の漫画は、ある意味希望に満ちたものだ。登場人物たちは悪意に溺れることもなく、お互いの情熱に折り合いをつけながら生きていく結末が示唆されているように思う。しかし現実では、多くのバラバラな事象が積み重なり、それが有効に機能することもなく、ブロック崩しのように崩れてしまうことが常である。私は崩れた自分の気持ちをいかに処理すべきか、考えあぐねながら、こうして増田に駄文を書き連ねている、とまあこういうわけである。
親が犯罪者か犯罪者じみていなければ、分籍して連絡先を教えないだけで絶縁出来る
分籍は20歳以上なら他に条件は要らない
下記を役所に持ってくだけで出来る
> 具体的には、親から幼少時に暴力行為、性的虐待などを受けた場合 など
本件申立人は、小学生当時に実兄から継続的な性的虐待を受け、その被害の影響が心に深く、
長期間にわたって残り、そのことを想起すると強い心理的苦痛を感じ、
激しい感情的変化や外界に対する鈍化や無力感といった生理的反応を示すようになっている。
そのため、精神的に安定した生活を送ることができず、定職に就くことも困難で、完全な社会復帰ができない。
申立人は、戸籍上の氏名で呼ばれることで、同じ呼称である加害者と被害行為を想起して強い精神的苦痛を感じている。
申立人が指名の変更を求めるのは、加害者ひいては被害行為を想起させる氏と、忌まわしい子ども時代を象徴する名前を変更して、
被害行為を過去のものとし、その呪縛から逃れて新たな生を生きたいと考えているからである。
上記の事実によると、申立人が氏名の変更を求めるのは、珍奇であるとか難読・難解であるとか、
社会的差別を受けるおそれがあるといった社会的要因によるものではなく、
「主観的な しかも極めて 特異な事由(申立人の上記のような心理状態は、心理学的に見てあり得ない事象ではないことが推認される)」である。
主観的事由ではあるが、「近親者から性的虐待を受けたことによる精神的外傷の後遺症からの脱却を目的とするものであり、
氏名の変更によってその状態から脱却できるかについて疑念が残らないでもないけれども、上記認定の事実に照らせば、
戸籍上の氏名の使用を申立人に強制することは、申立人の社会生活上も支障を来し、社会的に見ても不当であると解するのが相当」である として、
申立人が氏を変更するについて、戸籍法107条1項の「やむを得ない事由」があるものと認めるのが相当であり、
また名の変更についても、単なる好悪感情ではなく上記のような事由に基づくも のであること及びその使用年数等を併せ考えると、
同法107条の2の「正当な事由」があるものと解するのが相当であるとした。
http://www.crc-japan.net/contents/guidance/pdf_data/h17_bunken2.pdf
兄を自殺でなくした。
もう結構時間が経っているけど、いまだにそのことを思い出すと体が固まる。
有名人が自殺で亡くなると、そのことや手法が大々的に喧伝され、SNSでは嘆きであふれる。
メディアはともかく個人ユーザーすべての発言まで規制できるともすべきとも思っていない。
ただ、「自殺」という文字を見ただけで感情が高まったり、報告を受けたときのサーッと冷える感覚を思い出したり、体が固まったりというフラッシュバックが起きてしまう。
それがごく個人的なつぶやきであっても、メディアを諫めるための正義感による WHOの勧告のシェアであっても、不意にダメージを受けてしまう人もいる。
自殺とはそれだけ影響の大きい事象でありワードなのだとわかってもらいたい。
(もちろん、このつぶやきも同じ穴の狢だとは自省しつつ)
都民側の人間だが、他の地域の事情を知らなくて怒らせてしまう印象がある (以下は自分の例)
・コイン精米機の存在を知らなくて、珍しいものとして家人に話をふったとき
参考 - togetter コイン精米機 東京で育った人にはわからない→衝撃を受ける地方民
https://togetter.com/li/823142
・来県とい表現を初めて知ったとき、著名な人が来るだけでニュースになるの? と聞いてしまった
参考 - facebook 浅田真央さん初来県 県庁25階で「浅田真央展」
https://ja-jp.facebook.com/ibakira/videos/浅田真央さん初来県-県庁25階で浅田真央展/1954793337864092/
※この方に関してどうこういいたいわけではない、念のため。
n=1 だが……自分の身近にある事象をことさら珍しいものとして扱われるのは気分がいいものではない。そういうのが積み重なっていることはあるのではないか。
本当は日本の多数派である「田舎」地域の事柄に対して、 無意識のうちに「中央」「首都」「中立」≒上から目線で十把一絡げに捉えてしまうのが怒りを買う原因かなと思う。
(絵文字分類はめんどくさいのでやめました。なお、これまでの番付をまとめてくださった方は別人です。→前回の【幕内】・【十両以下】)→【今回の十両以下】
昭和時代やイオン、ぷちくらちゃん(女装子?)などごく一部の例外を除き、森羅万象を罵倒する増田。罵倒の対象をよく「お前」呼ばわりするが、誰かは不明。
何度も削除を食らっては毎回戻ってきており、かつての安倍botや低能先生に劣らぬやべー増田筆頭。
近頃では他の増田にその座を脅かされている感もあるが、通報即削除の低能先生枠に入りながらも増田に居座り続けるヤバさにかけては、やはり他の追随を許さぬ存在。
文頭をスペースで空けるため「字下げ増田」と呼ばれるが、ごく稀に空けないこともある。
「子供に虚を突かれて殺された」という、確認されただけでも2015年の増田まで遡るフレーズを用いることから、実はかなりのベテランだった説がある。
ひたすらIT関連と思しき意味不明な愚痴ポエムを垂れまくるメンヘラ系増田。AKBや乃木坂などのアイドルネタや下ネタなども繰り出し、なぜか「ヒロポンの街頭配布」を訴えている。
相変わらずの暴れっぷりで、文句なしの横綱昇進を果たした。まさに令和の怪物。
やたらとひらがなを多用するのが特徴で、他人の増田にいきなりクソリプをかましたかと思えば、その後に自演トラバを延々と伸ばしたりする。
この点、病的な駄文を垂れ流す点では共通しているものの、他人に絡むことは少ない↑の字下げとは対照的。出現頻度の異常な高さもあり、もはやこいつの方が迷惑という説もある。
THEクソ増田。自己顕示欲とイキりだけはいっちょ前だがユーモアが全く追い付かず、「増田のチンフェのような存在」と称される。「ポリコレ」ではなく「パリコレ」が正しいと勝手に主張し、文中に「ポリコレ」が含まれた増田に「パリコレ」とトラバを繰り返すのが名前の由来。
他にも「エビデンス→エビでやんす」「フェミ→笛民」など意味不明な言い換えを提唱しているが、もちろんどれも根拠などなく、「ゾーニング→ゾーサイス」に至っては「ネトゲでムカついた奴の名前を挙げただけ」というただの私怨。
またこの他にも猛虎弁・トラバ誘導・KKO増田に金正恩など他人のパクリも含めた様々なネタを操る(以下の増田もこいつと同一人物と思しき奴がちらほらいる)が、やることなすこと全く面白くない生粋の荒らし。技のデパートならぬ技のバッタ屋。
増田で音楽関係のネタを出すと「ゴミを○○するな」と言及を飛ばす音楽嫌いな増田。たまに他のものにも噛みつく。↑のパリコレが同一人物と主張しているが真偽不明。
無駄に長い語りに過剰な自意識を挟んだクソエモ長文増田。このところ尋常でない勢いで増えているので小結から昇進。
書いているのは別人のはずだが、あのテンプレみたいに似たような文体はいったいどこで覚えてくるのだろうか?
女性向け厨ジャンルにクソ長文が湧く法則は相変わらずで、鬼滅の刃終了後の現在はツイステ長文が覇権ジャンルとなっている。正確に言えばDオタ側からのツイステ叩き長文がバズったことを契機に始まった感のあるこの流れだが、正直どっちもめんどくさい。
さらには同人界隈の奇怪な人間関係を描いた「おけけパワー中島」なるワードがこれをも押し流さんばかりの勢いで大流行中。お前の界隈おかしいよ。
そして毎年恒例、総選挙の時期に大量発生するアイマスクソ長文もやはり健在。ただ今回は中間発表がなかったためか、最終結果発表後に一気に増えて一気に落ち着いた感がある。
その名の通り句点2つ「。。」を多用する増田。以前増田で大暴れした「句点増田」に酷似しており、本人も同一人物と主張している。
異常な自己顕示欲からのどうしようもないつまらなさ、そして高い出現頻度と、まさにパリコレ増田の生き別れの弟のような存在である。
クソ投稿&クソリプ(相槌だけの無意味なクソトラバを異常なペースで垂れ流す)に加え、他人の投稿につくブクマ数を勝手に予想しトラバするという妙な技を繰り出す。
パンティー
「でもキモくて金のないおっさんは……」と、KKOに対する差別や無関心を訴える増田。活動は長いものの、相変わらずあまり共感されている様子はない。
最近はオリジナルと思しき増田の活動が極端に減り、代わって「でもキモ」とだけ書かれた省エネバージョンがよく見られるようになったが、人の真似をするなら文章ぐらいは考えてもいいんじゃないかと勝手に思ってしまう。
同カテゴリー参照。厨二臭い上に意味不明なSSをひたすら垂れ流すクソ増田。無駄にキャリアが長い割には成長している様子もない。質より量を体現する増田の三峯徹的存在。でも正直なろうかどっかでやってほしい。
文字通りのクソリプ。特定の増田に限らず流行し、増田ミームと化した。「ドラゴンうんち(通常よりさらにうんちなものが対象?)」や「リベンジうんち(再投稿のものが対象?)」などのバリエーションがある。
最近では「マイリトルポニーうんち」・「うーん、この」・さらには絵文字など亜種が次々と現れており、もうわけがわからない。絵文字に至っては💩より🐉の方がメインになりつつあるという、謎の逆転現象まで起きている。
おそらく複数人が同時にやっており、長文自分語り増田など「うんち」がつきやすい増田に一定の傾向はあるものの、基準が統一されているわけではない。うんち同士がかぶることもたまにある。
一方、この増田自身も↓のミソジニー連呼増田など、特定のクソリプ増田から粘着を受けている。同様のミームに「しゃぶれよ」などもあるが、こちらは一応励ましの意図があるらしい?
左翼・フェミ叩きに対して憎悪を燃やす超ベテラン増田。「711」「R30のところにコピペしないの?」「いつもの地ならし」「○時まで寝ていたんだ」「見つかりそうか」「ということにしたいのですね」「おばさんはいいんだよ」などと、意味不明なクソリプばかり飛ばす。
また「プライベートで○ブクマwww」「自演ツリー」などと、むやみやたらに自演を疑うこともあった。
id:Ereniおよびid:iteau両氏の名前を出すことが度々あり、おそらく本人の脳内では毎回特定の相手に粘着しているつもりなのだろうが、実際には明らかに政治や思想と無関係な増田に因縁をつけていることも多く、結局のところ噛みつく基準がよくわからない。
とにかく自衛隊を叩きたいらしい増田。某議員の件がよほど癪に障ったらしく、何度も何度も蒸し返してくるのが特徴。最近では「ブルーベリーフランペチーノ(?)」や「24億円」など妙な陰謀論の連呼も始め、ますますビョーキの進行に歯止めがかからなくなっている。
何の話題でも強引に新自由主義叩きを展開し、毎度おなじみの長文を投下する。さながら青汁のCMのような増田。反緊縮などの話題が出た時は文体からしてだいたいこの人。
「日本の医師と専門家は飛び抜けてレベルが低い」という謎の使命感にかられ、医師免許更新制などを唱えている増田。コンプでもあるのだろうか? 一時は新型コロナにちょっとでも関係する増田に無差別トラバを飛ばしてきており、もはやコロナの大先生と化していた。
最近では「日本人は教育に社会選別以上の価値がないと思っている」という持論を振り回し、同様に日本の教育界を叩いている増田がいるが、手口が似ていることからこの大先生と同一人物と思われる。やっぱりコンプでもあるのだろうか?
「池田」なる人物を憎む増田。この増田によると「池田」はサイコパスで、信者を操ってネットリンチやストーキングを行うらしい。もちろん真偽は全く不明。
過去の投稿をよく消す(消される?)ため投稿は残っていないが、名字だけでなく下の名前や他の情報も漏らしており、粘着対象の人物がモロに特定できる状態だった。5月を最後に投稿が途絶えていたが、6月下旬になって復活。
こちらも当該人物に粘着し、同じタイトルの書き込みを繰り返す増田。以前は毎日2回の投稿を欠かさなかったが、最近は若干ペースが落ちている。
何の前触れもなく「ワイは~」と誰も聞いてない自分語りトラバ爆撃を繰り返すなんJ臭い増田。横綱・パリコレ増田も同じネタを使うことがあり、元々この増田をパクったと称している。よって正確には何人いるのか不明。
同カテゴリー参照。あらゆる事象を「ってマ?」という語尾で検証しようとするが、大半はしょうもないダジャレ。やはり質より量の増駄。
こちらも「非モテの女は『いないこと』にされている」というのが大好きな青汁増田の一人。なお、同様の主張をしているidがあり、現在もはてブで活動中。
反フェミ・反リベラル増田の一人。名前の通りかつてはTogetterのまとめを引用することが多かったが、現在はそれ以外のネット記事へリンクを貼っている。
フェミやリベラルを目の敵にするが、現政権や自民党の熱烈な支持者というわけでもない。特に山田太郎議員や赤松健氏などは頻繁に叩く姿が見られる。いわゆる表現の自由戦士としては一貫している?
こちらも(自分で作ったと思しき)Togetterのまとめを増田で拡散しようとするツイフェミ。なぜか「全員同じような文体で」「同時に同じ人物ばかり叩く」特定の3垢から引用しており、3つ全てを一人で使っているものと思われる。
はてブでも活動しており、日々男叩きばかり垂れ流す某フェミidとほぼ間違いなく同一人物と特定済み。というのも、「Togetterに書いたコメントや増田に書いたトラバと一字一句同じ文章をなぜか自分のブクマにも書いてしまう」というなんともおマヌケな習性があるため。
ちなみにはてブでは複垢利用で404化を食らった(※2つ同時に消えたことから判断。そして別idで即復活している……)前科があり、確認されただけでも2度の転生を経験しているが、文体にもこの手口にも全く変化がなく、戻るたびにすぐ足がつく。
※追記 TogetterでBANを食らい、複垢が使用不能になった模様。過去のまとめも全て消えたが、案の定別垢で同じ内容のまとめを作り直している。
こちらもたまに見かけるフェミっぽい増田。男女の産み分けを提唱し、産まれる男を減らすべく活動している。つまりはTwitterによくいそうなノリの人。
うんちトラバを見かけるや「ミソジニー」云々というトラバをせずにはいられない増田。うんちを求め増田を彷徨う姿は哀愁を誘う。自称フェミ男らしいが詳細不明。
なお、実際には男性と思しき増田にうんちトラバがついている例も多々あるのだが、やはりそれにも雑な認定を下してくるあたり、おそらくミソジニーの意味を理解していない。
同カテゴリー参照。かつての「Bluetooth変態オヤジ日記」(※こちらはいつの間にか全て消えていた)同様、増田本人が(以下略)
疑問形の増田を嫌い「ママに聞け」という言及を繰り返すクソリプ系増田。たまにママ以外も登場する。かつて引退宣言の後に姿を消していたが復活を果たし、当番付に対し4000字超の謝罪文を要求するという意味不明な行動に出ている。
変なリンクを貼る増田。一応後で消されるが多い時は多い。なお、最近は「他人の増田をパクり、文中にわかりづらいリンクを追加する」というスパムも出現し、釣られてマジレスする増田がたまにいる。
こちらも🌈死のコロナビーーーーム🌈をまき散らすクソリプ増田。←の由来はコロナ騒ぎで話題になったMTGのカードと思われる。過去の書き込みは消えていたが、番付発表後なぜか復活している。
東京のコロナ感染者数を毎日のように挙げ、「指数関数増加厨」に対して謝罪を要求している増田。要求のバリエーションが無駄に多い。
なろう系作品にありがちな設定にいちいちツッコミを入れ、愚痴と不満を垂れてばかりいる増田。言いたいことはわかるが読まなきゃいいのでは?
Twitterで何年もフォローしている年上の人がいる。長年フォローしているので、名門大学の院を卒業、大手企業に入社、そして入籍と一連のライフイベントが観測された。いわゆる勝ち組であろう。
そのフォローしている人が、ここ最近色々な物事に対し強気に言及することが増えてきた。勤め先にひたすらダメ出ししたり、ドラレコ動画を見て道交法を語って誰が悪いと言ったり、法改正へのハッシュタグでの抗議と廃案のくだりに対して間接民主制の否定だと言ったり、GOTOキャンペーンの見直しに対して反対派のせいで経済が壊滅すると言ったり。そこまでは個々人の考えの範疇ではあるのだが、ネットで目覚めた感じの個人アカウントやDAPPIやnetgeek的なwebメディアなどのRTが増えてきた。いいね欄をふと見たら、「この案に反対するやつは日本人じゃない」的ツイートがあった。
大体の事象について、我々は専門知識を持たない門外漢である。インターネットによって専門知識に触れやすくはなったものの、概して付け焼き刃に過ぎない。それ故に、自分の思うものと異なり否定するとしても、その分野の専門家の意見は最低限は尊重すべきだと私は思っている。しかしながらその人は、それを軽んじて自分の考えこそ正しいと言わんばかりである。素人の理想とする感染症対策や経済対策の開陳にそれらへの牽強付会、その通りにならなかった際の捨て台詞を見るのはうんざりだ。
チームのミスが発覚した。
直接原因はAさんがつくった資料の誤りだが、その部分の参照元を用意したのはわたしだったので、即座に「すみませんわたしが間違えたからです」と表明した。
ただよくよく考えると、わたしが間違えたのはわたしがさらに参照した参照元(Bさんが担当)が間違えてたからだ。
疑えなかったという点でわたしの落ち度でもあるが、なんというか要素が重なってその時点では疑うのが難しい状態だったのだ。
で、Bさんの部分が間違ってたことは、いろいろ複雑で、他の人には一見わかりづらい。
結局、そのフォローにいろいろな人が立ち回り、わたしの間違いが原因という認識のまま着地した。
再発防止策もたてられた。
その対策で結果的にBさんのミスも対策できるので、わざわざ異議を唱える必要がなかった。
別に怒られたわけでもない。
でもすごいモヤる。
「わたしはそんなに悪くない」とみんなにしっかりわかってほしい!という気持ちが、時間が経つほどに胸の奥から渦巻きながら湧いてくる。
しっかり説明すれば、明らかにわかるのだ。複雑なゆえ一言では説明できないだけで。
でも「わたしのせいではない」を主張するということは、つまり「Bさんのせい」ということをわざわざ説明するということだ。
Bさんは自分が原因だとわかっているようだが、みんなの前では何も言わない。
わたしがわざわざ説明すれば、わたしの気は晴れるかもしれないけど、
再発防止策が変わるわけでもない。
あっそ、で終わるどころか、こいつ自分が悪くないことをそんなに必死に説明したいのか?って思われそうだし、
何よりBさんを追い詰めてしまうかもしれない。
わたしより立場が弱いBさんは、実は自分のせいということをすでに思い悩んで反省しているだろう。それで十分なはず。
気にしすぎである。
でもモヤモヤする。
「すみません」が口癖だ。
その場の非をかぶる役目になりがちだ。
相手に指摘したいときも「指摘してすみません」ってマインドになり、自分は別にやらないのに「わたしもよくやってしまうんですけど、」とか、ちゃんと伝えたのに「わたしの言い方が悪かったと思うんですけど、」とか余計な枕詞をつけてしまう。
とにかくこれについて、わたしは悪くないを今更説明するメリットはないのはわかるのに、こんなことを引きずってモヤモヤと悔しがる自分が嫌だ。
小心者なのにプライドは高いの直したい。
一応、親子の縁を切る分籍してさらに氏を変えた人の判例も書いとく
親が犯罪者か犯罪者じみてなければ分籍するだけで事足りるんだけど
5chで見かけた家族ガチャ大当たりしている人は分籍だけだったためか
親がどこへ逃げても追ってくるってあったな
> 具体的には、親から幼少時に暴力行為、性的虐待などを受けた場合 など
本件申立人は、小学生当時に実兄から継続的な性的虐待を受け、その被害の影響が心に深く、
長期間にわたって残り、そのことを想起すると強い心理的苦痛を感じ、
激しい感情的変化や外界に対する鈍化や無力感といった生理的反応を示すようになっている。
そのため、精神的に安定した生活を送ることができず、定職に就くことも困難で、完全な社会復帰ができない。
申立人は、戸籍上の氏名で呼ばれることで、同じ呼称である加害者と被害行為を想起して強い精神的苦痛を感じている。
申立人が指名の変更を求めるのは、加害者ひいては被害行為を想起させる氏と、忌まわしい子ども時代を象徴する名前を変更して、
被害行為を過去のものとし、その呪縛から逃れて新たな生を生きたいと考えているからである。
上記の事実によると、申立人が氏名の変更を求めるのは、珍奇であるとか難読・難解であるとか、
社会的差別を受けるおそれがあるといった社会的要因によるものではなく、
「主観的な しかも極めて 特異な事由(申立人の上記のような心理状態は、心理学的に見てあり得ない事象ではないことが推認される)」である。
主観的事由ではあるが、「近親者から性的虐待を受けたことによる精神的外傷の後遺症からの脱却を目的とするものであり、
氏名の変更によってその状態から脱却できるかについて疑念が残らないでもないけれども、上記認定の事実に照らせば、
戸籍上の氏名の使用を申立人に強制することは、申立人の社会生活上も支障を来し、社会的に見ても不当であると解するのが相当」である として、
申立人が氏を変更するについて、戸籍法107条1項の「やむを得ない事由」があるものと認めるのが相当であり、
また名の変更についても、単なる好悪感情ではなく上記のような事由に基づくも のであること及びその使用年数等を併せ考えると、
同法107条の2の「正当な事由」があるものと解するのが相当であるとした。
http://www.crc-japan.net/contents/guidance/pdf_data/h17_bunken2.pdf