腐女子のお気持ち長文が増田に少なくなってきて悲しいというリクエストに応えて長文を描こうとしてみむとてするなり。
私は年季の入った腐女子でありTwitterで二次創作絵師をやっている。実力は中途半端フォロワー数も中途半端、いいね数は毎投稿大体3桁前半、時流に乗れば4桁行くこともたまにある、程度の絵師である。
そんな私であるが、オタク女お気持ち増田流行のきっかけとなった件のおけパ中島の漫画、あれは私の心に痛烈に刺さったものだった。なぜなら現在絶賛進行中で私はとある字書きを崇拝していたからだ。その字書きが、ある神絵師に声をかけられ、明らかに自分に対してのものとは違うテンションで対応しているのを見てしまった。その翌日にオパ島の漫画を読んだ。
私の心は沈んだ。
自分の心の醜さを形を取って見せつけられるというのは辛いものだ。実は以前増田で私も似たようなことをしてしまったことがある。その時私の書いた日記のツリーにぶら下がった「自分の中のモヤモヤが明確に言語化されることが辛い」というコメントが印象に残っているがこれも因果応報というものだろうか。
私の崇拝する字書きが神絵師に声をかけられている瞬間を目にした時私の心に湧いた感情はまぎれもない憎悪だった。この字書きは私より神絵師と仲良くすることを選ぶだろう。それは当たり前のことだ。大企業の役職者と下町の職人、どちらと仲良くしたいと思うかは明らかなことだ。悔しい…悔しい…私もこの神絵師並みに認められるようになれれば、皆から求められるようになるのに…
私はその神絵師をフォローした。好意からではない。その神絵師の絵の魅力は誰をも認めるところではあるし、私自身もその魅力を理解している。しかしこの際そんなことはどうでもいいのだ。
しかしここで予想外のことが起きた。その神絵師がこちらをフォローバックしてきたのだ。
予想外の事態である。私は混乱した。神絵師のフォローはフォロワー数より圧倒的に少ないものだった。なぜこの人物が私をフォローしたのか、理解不能だった。そして自分にとっては 最も悔しかった部分はここだ。私はその神絵師からのフォローバックをはからずも嬉しいと思ってしまったのだ。なんたる無様。なんたる意思薄弱。この神絵師は最も有効な手段で私の悪意を無効化してしまったのだ。
それ以来、なんとなくTwitterをのぞく気力が削がれ、絵も書くことなく日々を送っている。
オパ島の漫画は、ある意味希望に満ちたものだ。登場人物たちは悪意に溺れることもなく、お互いの情熱に折り合いをつけながら生きていく結末が示唆されているように思う。しかし現実では、多くのバラバラな事象が積み重なり、それが有効に機能することもなく、ブロック崩しのように崩れてしまうことが常である。私は崩れた自分の気持ちをいかに処理すべきか、考えあぐねながら、こうして増田に駄文を書き連ねている、とまあこういうわけである。