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はてなキーワード: 美術とは

2024-08-24

ライブ美術館に行ってきた

普段まり音楽を聴かない。ライブとか聞きに行くこともない

でも、いつか行きたくなった時に好きなアーティストが死んでたり解散してたりしたら困るな、じゃぁ行ける時に行っておこう

と、何故だか急に思い立ち某シンガーソングライターライブチケットを予約していた。

 有休をとり、新幹線チケットを買い、会場に向かう・・・のではなく途中で美術館に寄り道をする。

原田マハ小説を読んだ影響で国立西洋美術館に行ってみたいと思っていた。ライブの開演は夕方だし、せっかく有給とるんだからそれぐらいやらんと勿体ないな。

上野駅に降り立ち、上野駅周辺図をみてビビる

これが東京か!盛りだくさんの文化施設の内、国立西洋美術館なんて、ほんの一角ではないか都民め良い暮らししやがって。

毒づきながら美術館に向かう。

平日なんだから空いてるだろと思っていたが、そうか夏休みか。老若男女いっぱいいた。おのれ。チケット売り場は結構並んでる。

中身もこんだけ混んでたら嫌だなぁと入館前からゲンナリする。

企画展チケット(常設展も入れる)を購入し、企画展の会場に向かう。やはり混んでいる。そして企画展の内容は残念ながら自分にはあまり興味が無いものだった。

かと言って素通りは損した気になる。写真撮影OKらしいのでいくつか撮っておく。常設展に向かう。

再度ビビる。これが500円?で企画展込みだと1700円?価格設定おかしくない?

チケット常設展だけにすればよかったかな。まぁ、その場合は「これが500円なら、企画展とやらはどんだけすごいんだ?」と気になって仕方なかっただろうから結果オーライだろう

とりあえず、松方コレクション(美術館を作った偉い奴のコレクション)とあるものを注意深く見る方針で回っていく。あとはモネ

普通に写真撮影OKで驚く。え?美術館ってそうだったっけ?でもいちいち撮影していたらキリがないので気になるものだけ撮っていく。

別に美術に造詣が深いわけでもなく、鑑賞のポイントなんてさっぱりわからない。

意外と最近買ったものが多いんだなぁとか、寄託作品写真撮影不可の作品に「貸主の度量が狭いのかな」とかしょうもないことを考えつつ見て回る。

モネルノワールデカい点描の絵が良かったです。僕にはとてもできない。感想は以上。

 美術館を後にして、時計をみる。思ったより時間が経っていない。普段であればまだまだ机に向かって仕事をしている時間だ。

ものすごく一日が長く感じる。これが美術効能なのか?すごいぜ松方。

同僚は普通に働いている時間である。若干の罪悪感を抱えつつ本日メインの目的であるライブ会場に向かう

 途中、コンビニパンなど食いつつ開場時間に会場にたどり着く。物販コーナーでCDが売っている。なんか直筆サインだかの特典があるらしい。

物を増やしたくない思いと、記念や特典は欲しいなという葛藤で割と迷った末、スルーして着席。あとでまた悩めばいいだろう。開演を待つ。

当該アーティストファン層が良くわからなかったので、ものすごく自分が浮いていたり、逆にものすごく馴染んでいたら(自分と同じオッサンばっかりだったら)

嫌だなぁと思っていたので、お客さんを見渡してみる。いろんな人がいて安心する。まぁよく考えたら平日の夜にオッサンは集まらんか。

 定刻となり、無事に開演。知ってる曲、知らない曲、色々歌ってくださる。ありがてぇ。やっぱ生で聴く歌は良いな

あとコントラバスヴァイオリンピアノの皆様がみんなカッコいい。

でも、やっぱ知ってる曲の方が楽しめるんだから漏れなくしっかり予習すべきだったなぁと少し後悔する。

あっという間に時間が流れ、最後の曲が終わる。

アーティストの皆さま退場。

拍手

拍手

拍手鳴り止まない。手拍子に代わる。

皆様再登場。アンコールに応えてくださるそうだ。この茶番必要?まぁ嬉しいけど。

結局、その後3曲くらい歌ってくれた。気前良いな。

今度こそライブは終わり、席を立つ。物販コーナーでCDを買うかもう一度迷う。

自分の隣に座っていたおねーさんが迷うそぶりもなく会場を後にするの見て、決断力に嫉妬する。

結局、買わずに会場を出て駅に向かう。

アーティスト本人がその場でサインを書いてくれる形式だったら多分買ってたと思う。

そのまま駅に向かい新幹線に乗る。車中ではついさっき生で聴いた曲をイヤホンで聞いていた。これはこれで良いな。そんな感じで帰宅

当該アーティストを好きなのは間違いないがファンを名乗る資格は無いと思っているので、これからは有資格者となるべく努力していきたい

 何が言いたいかと言うと、たまには芸術好きを気取ってみるのも面白いですよという話。

2024-08-22

ぼざろのテーマは「百合ハーレム」であって、「音楽」はサブテーママクガフィンしかないってことも読み取れない奴がおるのか・・・

結局、「ぼっち・ざ・ろっく!」って、音楽だけでは勝負できないからアニメという皮を被った、みたいな音楽の敗北を感じるんだよね

物を知らないとこんな勘違いも出来るのかと感心する。

老人すぎて「まんがタイムきらら」という雑誌性質を知らないんだろうな。

原作が載ってる雑誌カラーぐらい考慮してから語れよ。

まんがタイムきらら」というのは「女の子キャッキャウフフしてる4コマ漫画ばかりが載った雑誌」で基本的にはソフト百合(一部キャラのみハード百合)がコンセプトの作品が集まっている。

百合のものテーマにしたコミック百合姫のような雑誌ではなく、あくまで「女の子同士が楽しく過ごしてるのっていいよね。ちょっとエッチイベントもあると嬉しいしちょっと百合だと良いよね」ぐらいの百合

そんな雑誌に乗っているわけだからして、必然ぼざろもテーマソフト百合なのだよ。

さて、それでは何故ぼざろが「音楽」もテーマとして扱っているのかといえば、これは百合ハーレムを実現するためのマクガフィンなわけだ。

まんがタイムきららには20作ぐらいソフト百合美少女四コマが載っているのだが、これと同じコンセプトの雑誌が「まんがタイムきららシリーズ」だけで5つある。

まんがタイムきららまんがタイムきららフォワード、まんがタイムきららキャラットと言った感じの本がそれぞれが月間発売されているのだ。

まりまんがタイムきららの中だけで100作のソフト百合美少女4コマ漫画がしのぎを削っているわけで、当然それぞれにソフト百合を書き分けなければそもそも相手にされない魔のレッドオーシャンなわけだ。

たとえば主人公たちを凄い不運にするとか、カフェで働かせるとか、国際交流テーマにするとか、美術科を部隊にするとか、それぞれの漫画がなんらかの要素をサブテーマにすることでなんとか個性を出している。

サブテーマ選びで元められるのは、自然な流れで自分の出したい百合カラーに繋げるためのマクガフィン性能だ。

ぼざらの場合は「絶望的に陰キャ主人公が、実はインターネットではヒーローで、その凄さを知った超陽キャ美少女から惚れられてハーレム化してしまう」という百合ストーリーを目指して「実はギターヒーロー」というコンセプトを見出したわけだな。

結果として、虹夏や喜多ちゃんと言った陰キャのままだったら絶対に接点を作れなかったような相手といい感じに百合百合して過ごしているわけだ。

こうしたサブテーマ選びにおいて重要なのは作者が興味を持てること。

なぜならいくら百合がメインとはいえサブテーマが雑すぎるとツッコミ所が多すぎて目が滑るから

あと、まんがタイムきららなんて読んでるようなオタク性格が超陰湿から弓道警察みたいなことを凄い勢いでするので、ミスをするのが超リスキー

しか性格がやたら被害妄想的だから「俺の好きな分野を商業的に利用するために興味もないのに扱った!文化盗用!燃やすぞ!」と暴れ出してしまう。

から作者が既に詳しい分野、もしくはまだ詳しくなくても勉強が苦にならない分野が選ばれるわけだね。

まあこのへんの知識がなくても、作品を素直に読み解いていれば「ふーん。つまりは超絶陰キャ太陽の光でギラギラに溶けていく様子を描いて、オタクに優しいギャル系の成分を抽出したいのか」ってことはなんとなく分かると思うんだがなー。

感性が老化しきったジジイには無理だったかー。

憐れよな。

俺もいずれこうなるのかな。

悲しいなあ。

正規学芸員になりたい人のためのちょっとした話

非正規学芸員20年やってきたが、正規試験が年齢オーバーになって受験できず退職した話「学芸員こそ経験必要なのになぜ年齢で区切るのか」 - Togetter [トゥギャッター]

https://togetter.com/li/2422212

こちらを見て、思うところがあったので書いてみます増田自身は現役学芸員ではないですが、かなり近い立場で様子を見ている人間です。また、Togetterを見た限りこの方は歴史博物館系のようですが、私が知っているのは美術系のみなので、多少違うところもあると思います

結論から書きます

正規雇用になりたい学芸員志望の方に言えるのは、日本全国どこで募集が出ていても、それが市町村立でも政令都市立でも都道府県立でも、自分募集の条件と適合していたら片っ端から受けてください。落ちても落ちても対策をしてめげずに受けてください。細かいことは下に書きますが、これだけです。

募集状況はこちらの掲示板が非常に参考になります

学芸員募集掲示板

https://yondaro.bbs.fc2.com/

学芸員を目指す人でまだ読んでない人はいないと思いますが、こちらの書籍も必読です。

杉本竜(2023)『これから学芸員をめざす人のために』‎創元社

以下細かい
学芸員募集について

基本的現在公立館の正規学芸員募集は、ほぼ欠員補充のみです。定年やその他の理由で誰かが辞めて、欠員が出たからその分野を補充する、という形です。個人的には、その学芸員が辞める前に、その人の後継者採用して専門分野の知識技術などの伝授、引継ぎを行うべきだと思うのですが、現実としてこうなっています

そのため、いつどこの博物館でどの分野の募集が出るかはかなり運任せです。自分大学院研究していた分野とマッチする募集が出ることなんてまずないと思ってください。そのため、募集要項を見て、ちょっとでも引っかかったら受けてください。例えば、北陸の某県で近世史を担当する学芸員募集が出ていたとして、自分の専門が幕末期の九州歴史だったとしても受けてください。引っかかってます。何なら専門が戦国時代東北史だったとしても、応募していいと思います。アンマッチだったら向こうが落としますし、試験結果次第では僅かでもチャンスはあります

筆記試験対策

通常の公務員試験同様の試験を課す自治体もありますが、近年では減少傾向にあると思います。課している自治体得点配分はかなり小さいです。重要なのは、専門分野の筆記試験です。受験する博物館収蔵品、近年の特別展(とくにコレクション展)および、これから予定されているコレクション展を調べ、その博物館がどういった特徴を持った博物館なのかを把握し、その周辺知識を中心に勉強してください。あとは専門分野の基本的知識必要となります。そのあたりは言うまでもないです。

この辺りの勘所が分かって、しっかり準備できるようになると、筆記試験はそこそこ通るようになるはずです。通らないとしたら、そもそも基礎知識が足りないのかもしれません。

面接対策

正直ここは8割運だと思います面接官との相性もありますし、そもそも取りたい人物像(年齢、経験性別、その他)とどのくらいマッチしているかという運もあります。年齢については、40歳まで、としていても、同じくらいの成績なら20代取りたいよねえ、ということもあるだろうし、性別についても、今は大っぴらには言いませんが、同じ成績なら今いる人とのバランスを考えてどっちがいいよねえ、みたいなのはあり得ます

必ずしも若いと有利とも言い切れず、例えば40代学芸員が何かの事情退職し、ある程度経験のある即戦力になる学芸員を探している、というようなケースもあり得ます。なのでこの辺、本当に運と巡り合わせです。そういった意味でも、数を受け続けるしかないのです。

おまけ
自分の専門とかけ離れた分野の学芸員になって幸せになれるか

補足として。まあ、この辺、周りを見ていると本当にその人次第だと思います大学院の専門とかなり違う分野の学芸員になって、しっかり展覧会企画してしっかりした紀要論文を書いて研究を進めている人もいれば、仕事仕事でやって、自分の専門分野についてはそれと別に研究している人もいます。これは学芸員に限った話ではなく、大学教員もそんな感じですよね。

また、一旦どこかの美術館に正規学芸員として入ったとしても、他の館で募集が出た際に受験することはもちろん可能です。

非正規学芸員について

非正規学芸員なんて取らないほうがいいのではないか、という話もありますが、これもケースバイケースです。Togetterで纏められている方もおっしゃっていますが、正規雇用の募集用件に実務経験要求されるケースは今でもあります非正規雇用は正規雇用に比べて募集が多いので、一旦非正規就職しつつ、条件に合う募集に応募しまくるのもひとつの手です。というか、基本それしかないと思います新卒正規採用合格できるの、よほど幸運なケースです。

また、非正規学芸員については、本職が別にあって、時間比較自由になる非正規学芸員をやっている、というケースもあります本業作家さんの方とかたまにいます

Togetterの方の非正規役職についている、というケースはちょっと私の周りにはないのですが、さすがにそれは是正すべきでは、とは感じます

※正直ここの「非正規学芸員ついて」の部分、館によって担わされる責任仕事内容、勤務時間などがあまりに違い過ぎて、10館あったら10館違ってて各人自分経験した内容しか知らないから誰も何も正確なことは言えない部分なような気がしてきました

縁故採用

その昔はあったという話は聞きますが、今はないんじゃないかなあ、と思います。一方、その博物館非正規雇用だった学芸員正規雇用試験を受けた場合面接までいけば多少有利になるケースは、ないこともないかもしれません。筆記試験がしっかり解けているのが大前提ですが、人柄が分かっている、というのは採用する側も安心なので。逆に言えば、人柄が悪い場合それが採用側にばれている、という話にもなりますが。

年齢制限

現在年齢を制限しているケースだと30歳前後のケース、40歳前後のケースが多い印象があります。前者は比較新卒採用に近く、若くてじっくり育てられる学芸員が欲しいケース、後者は将来の管理職候補を含めて探しているケースがある印象がありますとはいえ、実情は募集館によって千差万別で、後者でも実際は20代がいいけど、もし30代でめちゃくちゃ優秀な人がいれば……という場合もありますし、30代の学芸員退職したので、その人と同じくらいの年齢・経験の人が欲しい、というケースもあるでしょう。

年齢制限のない正規職の募集は、数は非常に少ないですが、丹念に探していると稀に出ています。ただ、この場合も同じような試験結果、経歴であれば若い人の方が有利なケースのほうが多いでしょう。聞いた話では、50代くらいに見える方がある募集筆記試験を受けに来ていらした、というようなケースもあります。素直にすごいと思います

最後

上では「片っ端から受けろ」と書きましたが、受けても受けても落ち続けるかもしれません。そういったときにどうするか。それでも受け続けるか。諦めて非正規雇用を続けるか。きっぱり学芸員を辞めて別の職種転職するか。最終的に決めるのは本人です。いずれにしろ、悔いの少ない選択をされることを祈っています

2024-08-20

anond:20240819180856

書いてから思ったんだが、こういう斬新な試みってやり始めた本体よりも影響された側が面倒くさそうだなと思った

日本企業が難問奇問やったのはフェルミ推定対策(Googleがやってた難問奇問の一種)の本が出てることからも明らかだし、藝大に感化されて「いいか! 次のテストテーマ指定しない! これから時代自主性が必要だ!」って言い出す美術教師もいそうな気がする

厄介なのは、やり始めたところは当然有名だから内側から検証や外部から批判が入って進歩できるけど、便乗したところはそういうのが期待できなさそうってところ

2024-08-19

藝大の「絵を描きなさい」みたいな試験問題

一般人の俺らはつい「これぞ真の芸術性を問う問題!」みたいに賞賛しそうになるけど、実際ああい問題って他の美術関係者からどう見られてるのか気になって調べたらこういう記事が出てきた

対談|戸川馨✕荒木慎也―元予備校講師と、藝大入試歴史文法を解く | ART DIVER

https://artdiver.tokyo/archives/13490

荒木 様式研究作家研究プロなら必須なので、それを否定するのはどうかなと思います。それに美大受験にかぎらず、世の中に「傾向と対策」があるのは当たり前ですよね。藝大がそれを避けるように入試作成するのもおかしいと思います

もっと言ってしまえば、TARO賞にだってヴェネツィアビエンナーレだって傾向と対策はあるわけだし、文脈を踏まえた上で評価される作品をつくるのがプロ仕事じゃないですか。

戸川 ええ、僕もそう思います。これは、「作品とは何なのか」という議論に発展する問題。藝大の教授陣は「原石を見つけたい」という言葉をよく使いますが。

荒木 そこだと思うな、やっぱり!

戸川 教育を受けずとも素晴らしい絵が描けるような学生が欲しいのでしょう。しかし実際合格する生徒の大多数は、しっかりと訓練を受けて、技術力があり完成度の高い作品を描いている。

荒木 藝大側は、心のどこかで「情報に汚されていないピュアな才能」を入試で見つけたいと思っているような気がするな。

戸川 予備校も藝大の意図を汲んだうえで受験生の個性尊重して真摯に無理なく対策をしているのですが、こういった対策を藝大側は好ましく思っていない。ここに藝大と美術予備校ギャップがある。

荒木 そもそも、「原石」とか「ピュアな才能」といった発想が古い。それが依拠しているロマン主義的な天才概念はさんざん批判されてきたことで、それにもとづいて国立大学入試をするのはおかしい。

戸川 ここまで考えていくと、美大における入試とはなんだという問いが生まれます。藝大も入試に対して迷走してきた歴史がありますし、それは裏返すと、受験生が藝大に翻弄されてきた歴史でもあるのです。

この会話は「教授が良いと思って合格させた絵が、実は予備校研究したマイナー作家の画風だった」っていう事象に関するもので、「絵を描きなさい」に対する言及ではない。

このあと「絵を描きなさい」については一瞬言及されるのだが、上野動物園試験の話にシフトしてしまいあまり深くは突っ込まれていない。

とはいえ、「絵を描きなさい」についても、「こういう原石見つけようとする奇抜な試験やめろよ」って内心考えてるんかなあと思った。

上野動物園油性ペンについて触れたくだりのあと、こう言ってるし。

荒木 社会自体が藝大に対して過度に幻想を抱いているのではないでしょうか。『最後秘境 東京藝大』という本でも強調されていましたが、藝大は常識では理解できない特別な人々の集まりだと思いたがる一般認識があるから、このような入試肯定的に捉えられているのでしょう。受験からすれば冗談じゃない話ですが。





これで思い出したのはGoogle入社試験に一時期出てた難問奇問で、日本ビジネスパーソンに「暗記ではない能力を問う問題!」って持て囃されてた印象あるけど

Google re:Work - ガイド: 構造面接実施する

https://rework.withgoogle.com/jp/guides/hiring-use-structured-interviewing#avoid-brainteasers

難問奇問を避ける

かつて Google では面接の際、「ボーイング 747 の中にゴルフボールはいくつ収まりますか?」といった難問や、「もしあなたが 5 セント硬貨と同じ大きさに縮んで、ミキサーに入れられたとしたら、どうやって脱出しますか?」といった奇問を出題していました。

しかしそれと同時に Google では、面接時のスコアとそれ以降のパフォーマンス スコア比較し、難問奇問による予測能力を詳しく検証しました。その結果、このような質問に対して見られた能力は、好意的解釈しても、訓練を通じて向上できるようなスキルであることを発見し、それからは応募者の評価に利用することはなくなりました。こうした難問奇問は最悪の場合些末な情報または応募者側の深い洞察がないと解くことができず、その一方で面接担当者を利口になった気にさせ、自己満足させるのみで終わってしまます。このような質問には、応募者が仕事でどのような業績を示すのかを予測することはほとんどできません。その理由の 1 つは、質問的外れであるからであり(日々の仕事飛行機の容積を見積もらなければならないことがあるでしょうか)、もう 1 つは一般的な認知能力と、難問奇問を解くための能力との間に相関関係がないからです。

結果こうなったという歴史がある。

Googleも藝大も、雲の上のような存在であるが故に無批判に持ち上げそうになるけど、実際はその試験をやったことで能力ある人を取れてるかちゃん検証しないとダメだよなあと思った。

まあGoogleなら社員の人、藝大なら上のインタビュー受けてる人みたいな美術関係者がやってくれるから一般人には関係ないのかもしれないけど。

2024-08-16

anond:20240816125835

政治に任せていたら文化資本が失われていくから

維新自治体では図書館も無くなり美術品も捨てられる

ペイネ勃ち

前回:https://anond.hatelabo.jp/20230328202632

前々回:https://anond.hatelabo.jp/20230208195420


宮崎県地震が発生した翌日、震源地に近い場所にさきの冬から越して住んでいる友人と、私の地元で会うことになっていた。

地震発生から時間彼女と連絡が取れずに肝を冷やしていたが、「全然なんともなかったよ。明日も行けそう」という気楽なLINEの返事がきて、翌日には彼女と会うことができた。

震度6弱の揺れに見舞われたはずの彼女は、LINEの印象と違わぬあっけらかんとした調子でこう言った。

地震の後さ、防災無線がずっときこえてるんだけど、『○○市です』っていう冒頭んとこしかききとれなくて。あとはずっと何言ってるかわかんなかったわ」

「そんな住民なら誰でも知ってるような部分しか聞き取れないのヤバくない?」

と答えつつ、私は彼女の無事に心から安堵していた。

地震発生時は車に乗っていたという彼女は、

「右折待ちで停止してて。信号変わったから曲がろうってハンドル切ったけど車がびくとも動かなくて。ほんと全然動かなくて、あ、これ溝に嵌ったのかなって焦ったんだけど、周り見たら道路標識とかすっごい揺れてて、それで地震ってわかったんよね。でも歩行者も、きゃーとかわーとかなってなくて、なんかぽかんとした感じだったし、そんなひどい揺れと思ってなくて。宮崎って普段ぜんぜん地震いから、みんな何がおこったかよくわかってなかったのかも」

という、かなり独特の地震体験披露してくれた。

そして今、のっぴきならぬ事情で住んでいる土地について

「海をこよなく愛する人以外はすめないね。海をこよなく愛する人はいいと思う」

と切って捨てた。彼女は海をこよなく愛するどころか泳げもしない。ただ私は「海をこよなく愛する人」という表現がとてもいいなと思っていた。そんな人、絶対友達になれそうにない。

話をしている場所コメダ珈琲だった。彼女の今すむ土地ほどではないが、私の地元田舎なので、夜遅くまであいているといえばコメダ珈琲という具合。

午後遅くに合流した私たちは、カフェ居酒屋はしごし、話したりないかコメダ珈琲に落ち着いていた。

彼女の話がひと段落したタイミングで私は手洗いに立ち、戻ってきたら、彼女彼女の正面の壁、つまり対面で座る私の席の背面に当たる壁を穴の空くほど見つめていた。

「あ、絵?」

と言って私も見上げる。そのリトグラフには、愛おし気な顔をして顔を寄せ合いソファに並んで座る男女の姿がイラストレーション的なタッチで描かれている。その男女の前には追いかけ合う、おそらく雌猫と雄猫。睦まじい恋人たち風景

それだけでは彼女がじっと見つめるには足りないはずだと、さらに注意深く眺めて、私はあることに気づいた。

「……おっぱい丸出しだね」

「そうなんよ。それで見てたわ」

描かれている男女は、ともにきっちりと洋服を着こんでいる。男性に至っては腹のあたりにカマーバンドのぞくタキシード姿にすら見え、その傍らには山高帽。女性も丈の短い長そでワンピースに網タイツというやや煽情的な姿ではあるが、しっかり服は着ている。ただ、胸部分を丸出しにし、傍らの男性に向かって寄せていた。

おっぱいの谷間にハートが挟んであるね」

「そうなんよ」

彼女はまだじっと絵を見ている。女性胸の谷間には、ふくよかなハートモチーフさしこまれ、そのハート男性の手がそっと触れている。それは男性差し出しているものなのか、それとも男性から差しまれたのか、彼女と私の間で意見がわかれた。いずれにせよ、いかにも愛の交歓と言った様子だが、おっぱいは丸出しである

おっぱい丸出しの絵がコメダに飾ってあるね」

「そうなんよね……誰の絵かな。サインがあるけど読めないわ」

Googleレンズでわかるんじゃない?」

「ああそうか」

角度の問題か私の位置からはうまくいかなかったが、彼女の席からはうまくいった。

「うまく出てきた。レイモン・ペイネだって」」

まれてこの方寡聞体現しつづけてここまできた私は、その画家を知らなかった。彼女もまたそうだった。調べてみると、20世紀フランス最大のポップ・アーティスト、くらいの紹介がなされており、軽井沢には画家の絵を蒐集した美術館もあるらしい。大変著名な画家のようだ。コメダに飾られていた絵のタイトルは『ハートプレゼント』。一貫して男女間の愛を、恋人同士の姿を描き続けてきた画家と言うことらしかった。

イメージ検索うつると、わたし彼女共通感想を抱いた。

「女がおっぱい丸出しの絵、多くない?」

「そうだし、おっぱいの出し方個性的じゃない?」

女性衣服の胸の部分が観音開きになっており、その布を小鳥が両側からついばむことでおっぱいを御開帳的に露出させていたり、おっぱいの上に小鳥がとまっていたり、まるだしにしたおっぱいの先の乳首から開いた傘が出ているように見える絵もあった。なんなら両のおっぱい自体小鳥、という絵もあった。おっぱい露出バリエーションが豊かだし、どれも真顔だ。

私はこの画家のことが一発で好きになり、「ポストカードとか会社デスクに飾りたいな。いちばんおっぱい丸出しのやつ。それ見て元気出しながら嫌な電話とか乗り切りたい」と言った。すると彼女は「そんなのやめなよ。何がセクハラって言われるかわからない世の中だから増田ちゃんのことを貶めてやりたい人に、おっぱい丸出しの絵のせいで足元をすくわれるかもしれないよ。おっぱい丸出しの絵をデスクに飾って風紀を乱しているとかさ」という、令和という時代の空気感そのままのことを言ってよこし、私はなるほどそれもそうだなと思った。

「じゃあやめとくわ」

言いながら、私はこの絵、男性も好きだろうなと思った。男性とは5年前から恒常的にセックスをしている相手のことで、 https://anond.hatelabo.jp/20230208195420 この話に出てくる。

大学の頃は美術部にいたらしいので、もしかすると画家のことを知っているかもしれない。

友人は、「なんかそもそも、女ばっか恥ずかしいところ露出してるの微妙だよね。男もどっか出せばいいのに」と言った。

「出すところ限られすぎてて無理じゃない? わいせつすぎて絵の趣旨がブレない?」

と答えると

「いや、それ言ったらそもそもおっぱい丸出しにする趣旨からよくわかんないから」

彼女はきっぱり言った。私はそんな彼女のことをこよなく愛する人だ。


盆の帰省を終え、私は男性の家に行くと、レイモン・ペイネの話をした。概ね上に書いたようなことを告げると、彼はすぐ自分スマホイメージ検索をはじめ、美術をたしなんでいたことがあるとは思えないほど爆笑していた。

「ほんまにおっぱい丸出しやんか!!」

「そう、だから好きだろうと思って……」

「大好きや」

男性臆面もなくおっぱい丸出しに受けていると宣って、おっぱい丸出しの絵をスマホで見つけ出してはげらげら笑い、しまいには「メルカリに皿が出てる、600円くらいやし欲しいかも」などと言い始めた。

「でもグッズはどれもおっぱい丸出しではないよ」

「どうせならおっぱい丸出しのグッズがほしいよな」

ペイネ美術館にはオリジナルグッズがいっぱいあるっていってた。そこにおっぱい丸出しのグッズがあるなら行きたいね

などと我々は知性のかけらもないことをベッドに寝ころびながら言い交わし、おっぱい丸出しのためだけにに軽井沢に行くのはどうなのか、というような結論でその話は結ばれた。

そのうち話題は別のことに移ろった。

阪神大震災のあとタクシーに乗ったら、ドライバーが、道路こんにゃくみたいになりましたわと言っていた、ああ多分私の友達が右折できなかったのも、道路こんにゃくみたいだったからかもね、こんにゃくの上は右折できないわと、そんな具合に。やがて雰囲気セックスという感じにうつろい、彼は私のパジャマボタンの一番上に手をかけた。そして不意に「ペイネ小鳥やな」と言った。

ついさきほどまで二人で見て爆笑していたおっぱい丸出し画家の名である。我々は本当に学習しない。私はもうどうしようもなくげらげら笑ってしまい、笑い上戸で釣られ笑いが多い男性ももちろん笑いだした。

まりセックス雰囲気はそこで雲散霧消した。我々がセックスレスになるなら、笑いすぎて雰囲気消失しがちなことが原因となるだろう、おそらくまれな原因なのではないか、などと真剣に言い交わしたあと、私は男性に「でもちょっとまだ勃ってるね」と言った。実際にそうだった。盆の帰省はながかったので、久々のセックスの機会だった。

男性は「ほんのり勃ってんな」と、自分勃起状態をそう表現した。

「ほんのり」と私は笑った。ペイネの絵にも、露骨過ぎないほんのりとした色気がある、そのような評をどこかで読んだなと思ったので、私は彼に「ペイネ勃ちだね」と言った。

すると、もはやセックス雰囲気雲散霧消を通り越して爆発四散という様相になった。男性はひとしきり笑った後、さんざん「なんやペイネ勃ちって!!」と私を叱り、わたしはもう開き直って「そのほんのりとした勃起状態にぴったりかなと思って」と答えた。

つかこ男性との間に肉体関係がなくなり、会わなくなるという日がないとは言えない。先のことは誰にもわからない。

しかし私はやっぱり直一の名前と同じで、この先男性と会わなくなり、彼の名前を忘れる日がきたとしても、レイモン・ペイネという画家の名を忘れることはないと思う。

久々すぎてむらむらがまさったので、なんとかセックスしました。

2024-08-14

anond:20240814162114

『絵が全部売れた!』と報告したら『凄いね素人の絵を買う人がいるなんて自分には理解できない、そんなに売れるなら私も美術の成績よかったか絵描きになれば良かった〜』

言ってる側は悪意なく褒めてるんだよね。

(売れる絵が描けるなんて)すごいね

ゴッホとかラッセンならともかく、無名の)素人の絵を買う人がいるなんて自分には理解できない

そんなに売れるなら私も美術の成績よかったか絵描きになれば良かった〜(とうらやましがってみた)

ところが、描いた側は絵が下手という自覚があるので

あんな下手な絵でも売れるなんて)すごいね

あんな下手な)素人の絵を買う人がいるなんて自分には理解できない

そんなに売れるなら私も美術の成績よかったか絵描きになれば良かった〜(私のうまい絵のほうが売れると思うし)

っという最悪の皮肉に聞こえてしまうんだな

anond:20240814091755

加えるなら成績をつけなければならないというのも大きい

点数をつけるには競わせるのが一番楽だからどうしても競技スポーツ寄りになる

本来は体育も音楽美術も成績などつけるべきではない

関心・意欲・態度だけ評価してればいい

2024-08-13

骨董美術品みたいな買取に出せるような物品がひとつもない家

ガチャ失敗

anond:20240813114937

ピカソ 写実的」とかでググってもらえば分かると思うけど、自分ちょっとだけ絵を描いてるけど、基本的写実的な絵ってのは努力に比例するんだよね

努力に比例するってのは、スポーツで短距離やるとか、受験勉強するとかと同じで、「学校」では評価されやす

他人評価されやす

だって写真に近いかとか、筋肉や陰影が正確に描かれてるか、とか、他人評価やす基準なんだよ

ジャックハムとかルーミスの本読んで真似るだけで、標準的白人写実的に描くことができる

でも、ピカソ抽象的な絵というのは、それを超えたところに位置してる

あれは、いわゆる「学校」で評価される絵ではない、言うなれば社会」で評価される絵だ

ピカソ抽象的な絵には、もう基準はない

距離なら100mが何秒か?とか、受験勉強なら何点か?とか、そういう他人誰しもが評価しうる基準がない

では、基準がないものをどう評価するか?と言ったら、もう究極的には、好きか、嫌いかしかないと思う

ややこしい美術論をこねくり回す必要もない

そんな理屈理論で、この絵は素晴らしい、この絵はくだらん、というものではない

(もちろん、美術論や美術史を並行して評価することは大事だ。絵の理解が深まるからだ。それは否定しない

ゴールデンカムイの話をするなら、私は正直山田芳裕の絵がちょっと苦手だった

へうげものとか読んでて、あまりにも線対称な絵を描こうとしたり、ちょっと偏執的な感じがしたからだ

ただ、へうげものを初めて読んだときから変わらず思っていることだが、山田芳裕は絵が上手い

上手いということは否定しない

ただ、昔は山田芳裕の絵が苦手だった

自分にとってはゴールデンカムイも似ていて、最初は絵柄が苦手だった

ただ、これも初めて見たときから絵が上手いと思った

画力はある、でも自分の好みかというと、うーん、となってしま

今はアニメになったりもしたこともあって、ゴールデンカムイの絵に慣れてしまった

漫画の絵で写実的ものというのは余りないと思う

あったとしても、絵はスゲーけど、なんか写真レタッチしただけみたいに見える…😟になると思う

ピカソで言うなら、漫画の絵というのは、ピカソ抽象画のレベルと同じなのだ

そもそも、今の日本アニメ絵、オタク絵の顔は、昔の手塚少女漫画劇画、その脈々たる道のりの末にちょっと洗練され過ぎてて…

ていうか、MMDとかプリキュアCGパートみたいなの見てると、単にお面被ってる人に見えてこない?俺は見えるんだけど…😟

(いわゆるアニメ絵、オタク絵の源流のひとつ少女漫画なので、顎のラインとかやっぱりおかしいと思っちゃうんだよな、まぁ、すべてがもう単なる記号なんだけど…

目の上の謎の交差する線とか、あれも頭蓋骨のくぼみなのか、まぶたを表現したいのか、その両方なのか、

よく分からんけど、描いておこう、みたいになってるし、最近の定着した謎流行だと、尖った髪の毛が前で交差してるとか、

なんかよく分からんけど、自分が好きな作家、売れてる人が描いてるから自分も描いとこ、みたいなのが多すぎる気がする

ゴールデンカムイとか山田芳裕とかの方が、そういう流行しているだけの絵、顔の描き分けができてない絵よりよっぽど良いと思う

というか、ロシア人ツンデレが出てくるアニメ、顔の描き分けができてなくて誰が誰だか分らんのだが…😟

あいう絵はこれからはどんどんAIが描いていくんで、もっと読み手好き嫌いが大きく乖離するような攻めた絵柄をもっと描いていくべきだと思う

そのためには、小林源文先生じゃないけど、写実的な絵とかヌードデッサンみたいな地道な努力と、そこから自分の手で抽象化していく過程必要になると思っている

2024-08-10

ブルーピリオドを読めない元美大生の話

映画化話題になっているブルーピリオド

数年前、美大卒業していることもあり興味を持って一巻だけ読んだ。

しか結果的に私の美大藝大コンプレックスがうずうずしてしまい、それ以上読み進みたいと思えなかった。


私は幼少期から絵を描くことが好きだった。

最初テストプリントの裏に落書き少女漫画に出てくる女の子の絵をよく描いていて漫画家になりたいと思っていた。

クラスはいつも絵が上手い子、というポジションだった。

中学に入ってから雑誌に載っている海外景色を絵の具を使って模写するのが好きで休みの日は部屋にこもって絵を描いていた。

高校美術科に進学したいと考えていたが美術教師の勧めで普通科高校に進学した。

高校時代はひたすらボケーっと過ごし、絵も授業以外ではあんまり描いていなかった。

美術の授業の自由制作では何をつくりたいかからず何週間も悩んだ末に、紙粘土をただ丸めものを出したのを覚えている。

あっという間に大学受験の時期になった。

高校では全く勉強をしない人間になっていたため今更勉強はしたくない、でも大学には行きたい。

絵を描くのが好きだったし、進学後も興味を持って勉強できるなら美術かな?ということで高3の5月くらいに予備校に行き始めた。

最初は牛骨の木炭デッサンだったのを覚えている。

木炭を使うのは初めてだし、美術の授業以外でデッサンをするのも初めてだったので全然描けなかった。

そこからデッサン油絵クロッキーをひたすらこなしたが…藝大、多摩美武蔵美全て落ち、浪人した。



浪人時代都内大手予備校に変えて、楽しい浪人時代を過ごした。

ひたすら課題に向かうだけの毎日、気の合うクラスメイト、たまに息抜きに都会の街に繰り出す。そんなの楽しいに決まってる。

当時の私は今思えば、自分表現したいものがよくわかっておらず、おもろい(と自分が思う)絵、ショッキングな絵をひたすら描いていた。

描写力のない自分にとって、受験はほぼ大喜利だった。

多摩美には受かったけど藝大には一次すら受からず、落ちた。

それでも人生の中で初めてレベルで悔しくて、藝大の二次試験前なのに講師にお願いして多摩美入学するか、浪人してまた芸大を受けるか涙を堪えながら相談しに行った。

多摩美入学して新たな出会いや刺激を受けて、また藝大を受験してもいいのでは、という助言で多摩美入学することに決めた。



大学では予備校と違って、ほぼ全てが自由だった。

アトリエはいつでも使えるし、課題もあるような、ないような。

私はなんとなく予備校時代と同じようにおもろいと思う絵を描いたと思う。

講評会でみんなの作品自分作品を見比べたとき、私の絵は全然おもろくなかった。

おもろいと思っているのは自分だけ、もはやオナニーである

気付いてしまった。私は自分自身が何を表現したいのか、わからなかったのだ。

大学1年生の時にもう一回だけ藝大を受験したがやはり一次にすら通らなかった。



結局、私はそこから大学4年間でほぼ作品を生み出していない。

講評会前に慌てて制作を始めて、中途半端な出来のものを提出。自分でも思い入れが一切ないインスタント作品

作品はいつも講評会後に速攻捨てていた。

だって自分表現したいものがわからない、つくりたい・描きたいものが何かわからいから。

思い入れもないし自分で気に入ってもない作品。いらない。

かといってサークルを熱心にやるわけでもなく、友達も少なく、ただ単位を取るためだけに大学に行ってひたすらバイト

そんな自分就活などうまくいくはずもなく、なんとか卒業してその後フリーター

最終的に就職はできたが、卒業してから時間が経つにつれて後悔が押し寄せるようになった。

美大ってことは絵が上手いんでしょ?私は全然絵とか描けなくて〜」

「才能があるんだね!」

初めて会った人からそう言われるたびに、「美大卒」という肩書きだけで実力も美術への熱意も伴っていない自分を恥じた。

せっかく親にお金を払ってもらったのに、受験に受かったのに、私は自分表現したいことがわからなかった。

描写力を上げる努力もできない、制作に熱中して、思い入れのある作品を生み出すこともできない。


卒業後も制作を続ける人たちをSNSで見て、私はなんでみんなみたいにすごい作品を作れないんだろうといつも虚しい気持ちになる。

絵を描くのが好きだったはずなのに、本当に絵を描くことが好きなら仕事以外の時間に描けばいいのに。

現在制作をしている人たちを私は尊敬する。

結局「絵を描く才能」なんていうものはなくて、「何か一つのことを継続する才能」のある人たちなんじゃないかと私は思う。

私は絵を描くことは好きだが、努力して継続することはできなかった。

からブルーピリオド」の中で制作にひたむきに向かう登場人物を見て、自分はこうなれなかったということを改めて実感して苦しくなってしまうのだと思う。


私は現在転職して小さな会社で絵を描いたりデザインしたりする仕事をしている。

仕事自由ではない。

お金をもらっているか一生懸命やらなきゃいけないし、与えられた条件の中でどう表現するかを考えなきゃいけない。

私にはきっと、自由が向いてなかったのだ。

その事に気付いてから少しだけ楽になった。

私はブルーピリオドにもハチミツとクローバーにも登場するような人物ではなく、凡人だ。

凡な自分を受け入れ、大学時代に何もできなかった分、少しでも学んだことを生かしてお金を稼ぐ。

から、すごいね、良いねと言われるような仕事を頑張っていくしかない。

いくら後悔しても、もう大学時代のように自由時間は戻ってこない。

大人になってから押し寄せる後悔に対しては、今の自分を受け入れ、今までの自分の行いをどう正解にしていくか、辻褄を合わせていくしかないのだと思う。


いつか私も、辛い気持ちにならずに「ブルーピリオド」を読める日が来たら良いな。

2024-08-06

10年ぶり!美術同窓会地獄絵

めちゃくちゃ久々に地元に帰った。

中学卒業から10年近く経つし、親が別の地方に転勤した結果上京したきり顔を出していなかったので、再会は難しかろうと思われた。

が、声をかけたところ美術部員たちは意外と集まった。やさしい。

みんな就職して綺麗になってるんだろうなー、仕事で頼もしくなってるのかな、結婚出産してる子いるかも?とワクワクで向かう。

ところで皆さんの学校にはどんな美術部員がいただろうか。

自分中学場合、このときけっこう忘れてたが美術部員大人しく真面目で学業もしっかり収めるか、やたら本とか漫画読むけど成績は悪くコミュニケーション能力も低いかの2タイプボリューム層であった。

そこで余計な同窓会企画し、これらの層を一同に集めるとどうなるか。

二次会カラオケだった。

綺麗で垢抜けた上品アッパードルお姉さん数名が、年齢不詳お姉さんのワールドイズマイン合いの手を入れる。

可愛くて良い子友達の手前。絶対に笑ってはいけない、細かすぎて伝わらない首を絞められた演歌歌手モノマネボカロ曲3分間。

そおゆ〜〜うあつかい、ここ、ろ、え〜、て〜〜〜(苦しそう)

ここはまだ大丈夫だった。

ぃよねっ(流し目)(あえて低めボイス)(もっと苦しそう)

トイレに駆け込んだ。

なんでなんだよ。なんでお前だけ銀魂ハマって染まり薄桜鬼出会って大人向けの作品読んでる自分から話の内容も歌い方も時計の針進んでないんだよ。タイムカプセルとかシーラカンスの仲間だろ。

ちゃんと他の子めっちゃ可愛かった。婚約とか結婚してた。優秀さを武器スピード昇進を決めてる子もいた。なんだかんだみんなひっそりオタクやってるから、3人とは今度の観劇とかイベのあとディナー行く予定立てた。

なんなんだろうこの感情

中学時代格差ってワニの口で言ったら顎関節だな。

あーあ。

長文&乱文しつれいしますた!!まさにやまなしオチなし意味無しです乁⁠|⁠ ⁠・⁠ ⁠〰⁠ ⁠・⁠ ⁠|⁠ㄏ

この記事としては、アクシーズのバッグとTシャツ手作りキュロットを合わせるのは危険ということが結論になります!!(え

2024-08-05

それは絵師界隈が文化的に未熟で幼稚で教養もないからだよ

anond:20240804131656

端的に言えば本を読んだり映画を観たり音楽を聴いたりしない

アニメ漫画も体系的に一人の作家を追ったりひとつジャンル歴史を調べたりしない

単にそのとき流行ってるマンガアニメゲームを消費してばかりいる無教養人間ばかり蔓延っていて、あるいはそれを良しとするリアルクソガキと精神年齢クソガキしかいない界隈だからだよ

絵師界隈って文化というのは模倣の中でしか発展しないって原則をわきまえていない人間が多いんだよな

そもそも

身体は6〜7頭身

・服のシワや身体筋肉の形は比較写実的

・それでいて顔はデフォルメが効いている

こういう、いまアニメ系のイラストって言って思い浮かばれるような絵柄は全部大友克洋パクリなんだよね

直接的にしろ間接的にしろ大友克洋漫画表現映画的な写実性、リアルさを持ち込んだのは歴史的な事実であって後世の絵柄の全ては大友克洋の影響下にある

そんな美術的な歴史すらまともに把握していないボンクラしかいないんだよ

あるいは、絵から離れて文学なり映画なりを体系的に鑑賞したことがあればオリジナリティなんてものの正体はこれまで作られてきた既存作品の発展型でしかないってことに気づくだろうけど、絵師界隈は残念ながら絵ばかりを見てろくに読解力も育てられなかった連中しかいない

から理性なんてものもないし、感情的にわめき散らかすしか能がない

要は文化的な教養のないクラスターなんだと思うよ

2024-08-04

東北ウィーンに生まれたせいで音楽が嫌いになった

数ヶ月前にケンミンSHOWで東北ウィーンが取り上げられていて思い出したので書く。

東北ウィーンでは街全体が音楽に力を入れており、特に合唱が強い。小・中・高で合唱コンクールの全国大会常連強豪校がそれぞれある。校歌を混声3部合唱にしちゃう学校もあるくらい本気だ。番組で紹介されたように、合唱サークルも多く夜の公民館では歌声がよく聴こえる。

東北ウィーンに生まれ小学生中学生の時は音楽の授業といえば合唱だった。リコーダーや木琴等の楽器に触れる合奏ほとんどなかったと思う。

合唱が当たり前の環境で、合唱に関しては音楽先生方はどの先生も本気で取り組んでいたと思う。でも、音痴で歌が下手な自分にとっては苦痛だった。

授業中に歌のテストしょっちゅうあり、クラスメイトの前で1人で歌わされる。上手い子は褒められるが自分みたいな下手は皆の前で先生から罵倒されたり嫌味を言われることが辛かった。音楽の授業のある日は消えたくなった。クラスメイトからの白い目が怖くなった。



合唱大会といえば、NHK合唱コンクール。通称Nコン。人数が少ない小学校だったため、4年生〜6年生は全員強制参加で練習させられていた。「Nコン金賞!!打倒!全国大会常連〇〇校!」と書かれたスローガンの前で毎日毎日練習されられたが結果は毎年銅賞(参加賞)。Nコン地区予選には全国大会常連校も勿論出場するが、めちゃくちゃ上手い。自分学校と明らかな差があるのに、その違いを先生説明してくれなかったし「ひたすら歌え」な練習だった。

ちょうどその頃は声変わりもしていたが、配慮もされずうまく歌えないことをよく責められた。名指しの居残り練習もよくあった。


小学校卒業し、中学合唱部に入らなければ回避できると思ったら大きな落とし穴があった。クラス対抗合唱コンクールだ。

合唱が当たり前の環境だったからか、クラス全員が本気になっており、歌が下手な自分を責める人間音楽教師だけでなくクラス女子も加わった。皆の前でヒステリックに責められ一時期は女性不信になった。歌が下手だから口パクにするともっと責められる。どうすりゃいいんだ。東北ウィーンでは音痴には人権などなく、クラスの居場所もなくなっていった。


高校は市内ではあるものの校内合唱コンクールと部活のない進学コース私立高校に進学。美術音楽書道選択制だったため、迷わず美術選択音楽からようやく逃げられた。

卒業後は関西大学に進学。ふとしたこと音楽の授業の話になり、他の学校は授業で琴や三味線ギター演奏をしたり、クラシック音楽を聴いて作者の背景を学んでいたことを知って衝撃だった。生まれ東北ウィーンだっただけで毎日毎日合唱漬けだったが、これって異常だったんだなと初めて気付いた。


社会人になった今でも歌うことがトラウマカラオケのお誘いは断っている。音楽のものが嫌いになっていたが、遅ればせながらOfficial髭男dismミスチル聴くようになり歌詞凄さ演奏技術を感じられるようになった。楽器演奏をやってみたくてギター音楽教室に通い始めた。練習して曲が弾けるようになった時に「これが自分のやりたかった音楽だったんだな」と気付いて講師の前で泣いてしまった。音楽って歌うだけじゃなくて他にも色んなアプローチがあったんだね。


野球に力を入れている学校でも、全校生徒が野球をするわけではないのに、なぜ合唱だけは全員に強要しているのだろう。合唱好きな人や得意な人はどんどん取り組めばいいが、苦手な人にまで強要しないでほしかった。授業も合唱ばかりに偏っていたが学習指導要領としては問題でないのだろうか?歌が下手で音痴自分にはあの街は脅威だった。

音楽に力を入れるのはいいが、力を入れれば入れるほど適正のない子供の逃げ場が無くなる。自治体は偏りのないフラット教育子供達に提供してほしいと願わずはいられない。

バチカンが出した声明おかしいのではないか

ローマ法王庁パリ五輪開会式のアレ「最後の晩餐」に対して「宗教的信念をあざ笑うような表現はあってはならない」という声明を出したという。

最初これは日本語ネット圏のデマじゃないかと思ったのだが、NHKも報じていてマジらしい。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240804/k10014536461000.html

 

しかし有名な『最後の晩餐』の横長のテーブルに一列に座るデザインダヴィンチ15世紀末に描いたものだ。

それ以前にも『最後の晩餐』の宗教画は多く制作され、それらは円卓や車座が多い。

例えばこれはジョット・ディ・ボンドーネによる14世紀初めの『最後の晩餐』だ。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d0/Giotto_di_Bondone_-_No._29_Scenes_from_the_Life_of_Christ_-_13._Last_Supper_-_WGA09214.jpg

 

そもそもそれまで宗教画というのはデザインの収まりの良さなどを目的には描かれていない。図像学に基づいて描かれていた。図像学というのは、絵画中の「モノ」が一つ一つ宗教的イコンを示していて、それが集合したのが宗教画となる。例えばシュロ(ヤシ)の葉を持っている人物殉教者だ。これはシュロの葉が勝利を示しており、殉教信仰勝利という意味なのだ

 

ダヴィンチはこれを真ん中の消失点に収斂する構図で描いた訳だ。ルネサンス近世絵画の始まりだ。

そしてこのすっきりとしたデザイン故に古典となった。古典とは単に古いというだけじゃなくて、基準となるもの、繰り返し参照されるもの評価が定まったものの事である

 

からダヴィンチの『最後の晩餐モチーフは後に多くの類似品を生み出した。そしてそれらのパロディーが多く存在するのだ。これは美術に対して通じてもいない増田でも知っている美術史の常識だ。

今回の演出家もあれはヤンファン・ベイレルトの『 Le Festin des dieux』(神々の饗宴)だと言っている。

絵画フランス美術館に収蔵されている。

因みに「饗宴」と来たらギリシャギリシャ神で愛がテーマと決まっている。

 

例えば、コメディ映画裸の銃を持つ男 PART33 1/3』で階段での銃撃戦シーンがあるが、

https://youtu.be/L3QkIruVNEI?si=448XZjT7oY0DSY5R

あの元ネタはデパルマの『アンタッチャブル』だ。しかしその『アンタッチャブル』の階段銃撃シーンはソ連映画戦艦ポチョムキン』のオデーサ大階段のシーンだ。

そうすると『裸の銃』は『戦艦ポチョムキン』を参照していると言えるか、ポチョムキンを笑いに転じようとしているのか?言えないだろう。

 

なのでバチカンネットの反応に過反応したという事になって、3年ROMった方がいいし、スマホばっか見てないで宗教画を見に行きなさいという感じなのである

友達が何も覚えていてくれなくて悲しい

友人が何も覚えていてくれなくて悲しい。

友人とはお互い20代半ばで、5年ほどの付き合いになる。趣味価値観も近く、一時は毎週会っているほど親密だった。彼女だったらこの先ライフステージが変わったとしても、ずっと仲良くできるとすら思っていた。お互いにそう感じていたと思う。

彼女普段から、とにかく同じ話を何回もする。もう10回以上聞いているエピソードも多々ある。割と最近までは、楽しそうに話しているし、楽しい話は何回したっていいし...と好意的に思ってどんな話も初めて聞く体で聞いていた。しかし、それが続くとさすがに疲れてきて、段々と「あ、それ前に言ってたね!」といったように、一言加えて話を聞くようになった。それでも彼女は全く気にしない。

そして彼女は、自分が話したことだけではなく、こちらが言ったことも全然覚えていない。そのため、私が話したことを次に会った時に、まるで自分が言ったことのように話す、なんてこともある。

それ以外にも、私が欲しい服を見にいくのに着いてきてもらい、彼女にも意見をもらった結果、少し考えようと思ってその日は保留にしたことがある。彼女には、「他のも見てもう少し考えようかな」と伝えた。その翌週に会った時、彼女は購入したその服を着てきたのだ。私がかなり悩んでいたものだというのもすっかり忘れて。もちろん私はその時に買っていないので、何も言う資格はない。でも、さすがに驚いてしまった。

またある時は、一緒に行く約束をしていた美術展のチケットの代金を申し込み時に立て替えてもらっていた。そのチケット代を渡した翌々週、チケット代をもらったかどうかを聞かれた。「この間会った時に〇〇で渡したよ」と言っても、そのこと自体を忘れているので、詳細を伝えても全然納得してくれない(その時は私が押し切る形で話を終えた)。

彼女とは、お互いに自分内面の深い部分のことだったり考え方について話すことも多い。そのやりとりに救われてきたことが何度もあるし、こんなに話してくれるということは、私のことを信頼してくれているんだと感じてもいた。

でも結局、そういったあれこれも何も覚えていない。あんなに話したんだから覚えていると思っても、「そうだっけ?」と言われる。分かり合えて嬉しい、共感してくれて嬉しい。心の底からそう思ったことも、全て忘れられているかと思うと本当に悲しいし虚しい。ずっと仕方ないと思って気にしないようにしていたけど、積もり積もって、最近彼女に対する親愛の気持ちゴリゴリと減ってきている気がする。

結局、「私とその時にその話をした」ということが大切なのではなく、「(相手が誰であれ)その話をする」ことの方が彼女にとっては大事なんだな、と感じるようになってしまった。最近彼女と話していると、自分が壁打ちの壁になった気分にすらなってしまう。

話した内容も覚えていないなら、彼女の中では何によって信頼関係が蓄積していくんだろう、というのは単純に疑問だ。楽しい時間を共にした、ということだけは残るんだろうか。

言ってることもコロコロ変わるので(自分が何を言ったか忘れるから)、段々と真剣に聞く気も失せてきてしまった。人の考えなんてものは変わるのが当たり前だし一貫性を求める方が間違ってるのは分かっているけれど、さすがに限度がある。

これはもう脳の特性問題なんだと思うので、本人に言って気を付けてもらうというのも違うし、そんなことを求めるのはあまりにも横暴だと感じる。彼女特性なんだ、と受け入れていくしかないんだと思う。もしくは、諦めて距離を置くか。でも、これから友達でいたいと思うくらいには彼女のことが好きなので、どうしても悲しくなってしまうことがある。

お盆休み9連休くらいあるけど予定なし

同人誌原稿しようと思ってたんだけどスランプからもうしばらく絵描くのやめることにした。

休みの日って基本ずっと絵描いてんだけど、今回は描かないかガチで9日間ずっと暇なことが確定

さすがにせっかくだから何かしたいけど

特に用事思いつかなすぎて笑う

気になってた美術展行こうかなーと思って事前予約見に行ったらすでに全部埋まってたかお盆終わってから行くわ

他に何…何がある…?

映画ざっと見てきたけどいまいち見たいものがなかった。

博物館とかも死ぬほど混んでそうだしな…

他に本当にやることない。

絵と漫画描かなかったら本当に虚無人生すぎるんだが


なんか一人でもそこそこ楽しめてお盆で混みすぎてない場所

無くない?

旅行とか一人でまったく行かないタイプで、

ご飯和食以外口にしないタイプで、

なおかつ友達がいない。

何しよ…


なんかこう楽しいことないかなぁ

ぼっちのみんなはお盆何するの?(コミケ以外で)

2024-08-03

加賀美健って人の作品

現代美術としても美術とは言い難いし、どこらへんが評価される要因だったのか全くわからない。

現代美術って別にどんな表現でも美術ですよ~ってやるための保険言葉じゃないだろ。

そもそも誰が評価してたの?PARCOとかの現代美術パトロンやってそうな企業

わざと酷い作品作るのは「泉」とかの初期の現代美術オマージュみたいなモノなのか?

ホントにこの界隈はわからない…

学校教育に「美術」と「音楽」は必要ない?

ロックはもうdad rock揶揄される時代からスクール・オブ・ロックは成り立たないのかも…😟

2024-08-02

保険美術音楽教員権力持ってるやつ見たことない

教師界隈の陰キャがやってるイメージ

日本人聴衆の低レベルっぷり

音楽談話119】これは本当に音楽なのか?誰も演奏しない「4分33秒」とは?音と音楽の境目はどこにある?

https://www.youtube.com/watch?v=zwRpdtzHWMM

@satoyama6932

3 時間

なんの音も出さないのだから、どう考えても音楽とは思えません。有名な人がするから注目されるけど、素人舞台でこんな事したら、大変な事になりそうです


@TheGarnet1789

5 時間

ジョン・ケージの『4分33秒』は前から知ってますが車田さんの解説に賛成で、音楽ではないと思います一種思想でしょうか?それよりこれをベルリンフィルが「演奏」したって言うのが呆れます


@user-wq4fe3zb4f

12 時間

数学的には情報量ゼロですから、全く存在しないのと同じだと思います

偶然性も情報量ゼロだと思います


@sakaejumo6757

16 時間

4分33秒」で言わんとするところは日本人だと禅や神道自然の中に身をおいて瞑想することなど既に身近にある感覚ではないかと思っています

そのため、あえてコンサート会場で静かに周りの音や自分心音に耳を傾ける必要性を感じないし同じことをするなら自然の中に身をおいての瞑想のほうが良いと思いますコンサートチケット代も不要ですしね)。

音楽絵画で前提知識のない一般人が感動できない評論家解説美術商やオークションで付けられた金額しか評価できないような作品の多くは興味が持てません。(絵画だとピカソとかダリとか 成田亨とかは好きですけど)


@skg580

20 時間

自然の美しい景色に感動することはありますが、それと絵画とは違います

対称そのものと人の知覚と感情思考を通して作られたものは別物です。

それと同じことだと思います

4分33秒音楽とは言えないでしょう。


2024-08-01

地球温暖化のすべての原因は人間

環境活動家過激になるとなぜか美術品を破壊する方向に行くのだが、正しく過激になると地球温暖化元凶である人間を減らす方向に行くはずだ。

地球のために人間滅ぶべし」と考えるカリスマ環境活動家地球党だとかいって政党を立ち上げて、どこかの国で政権を取って独裁体制への移行を成功させ、国家の力を使って大量破壊兵器核兵器を装備すれば、大量殺戮によって地球上の人間の数を減らす準備が整う。

人間の数を減らすことが目的から核の抑止力など通用しない。たとえ自分の命や自国犠牲にしても、核兵器を各国に着弾させさえすれば勝利である

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