「ピカソ 写実的」とかでググってもらえば分かると思うけど、自分もちょっとだけ絵を描いてるけど、基本的に写実的な絵ってのは努力に比例するんだよね
努力に比例するってのは、スポーツで短距離やるとか、受験勉強するとかと同じで、「学校」では評価されやすい
だって、写真に近いかとか、筋肉や陰影が正確に描かれてるか、とか、他人に評価しやすい基準なんだよ
ジャック・ハムとかルーミスの本読んで真似るだけで、標準的な白人を写実的に描くことができる
でも、ピカソの抽象的な絵というのは、それを超えたところに位置してる
あれは、いわゆる「学校」で評価される絵ではない、言うなれば「社会」で評価される絵だ
短距離なら100mが何秒か?とか、受験勉強なら何点か?とか、そういう他人誰しもが評価しうる基準がない
では、基準がないものをどう評価するか?と言ったら、もう究極的には、好きか、嫌いか、しかないと思う
そんな理屈で理論で、この絵は素晴らしい、この絵はくだらん、というものではない
(もちろん、美術論や美術史を並行して評価することは大事だ。絵の理解が深まるからだ。それは否定しない
ゴールデンカムイの話をするなら、私は正直山田芳裕の絵がちょっと苦手だった
へうげものとか読んでて、あまりにも線対称な絵を描こうとしたり、ちょっと偏執的な感じがしたからだ
ただ、へうげものを初めて読んだときから変わらず思っていることだが、山田芳裕は絵が上手い
上手いということは否定しない
ただ、昔は山田芳裕の絵が苦手だった
自分にとってはゴールデンカムイも似ていて、最初は絵柄が苦手だった
画力はある、でも自分の好みかというと、うーん、となってしまう
今はアニメになったりもしたこともあって、ゴールデンカムイの絵に慣れてしまった
あったとしても、絵はスゲーけど、なんか写真レタッチしただけみたいに見える…😟になると思う
ピカソで言うなら、漫画の絵というのは、ピカソの抽象画のレベルと同じなのだ
そもそも、今の日本のアニメ絵、オタク絵の顔は、昔の手塚、少女漫画、劇画、その脈々たる道のりの末にちょっと洗練され過ぎてて…
ていうか、MMDとかプリキュアのCGパートみたいなの見てると、単にお面被ってる人に見えてこない?俺は見えるんだけど…😟
(いわゆるアニメ絵、オタク絵の源流のひとつは少女漫画なので、顎のラインとかやっぱりおかしいと思っちゃうんだよな、まぁ、すべてがもう単なる記号なんだけど…
目の上の謎の交差する線とか、あれも頭蓋骨のくぼみなのか、まぶたを表現したいのか、その両方なのか、
よく分からんけど、描いておこう、みたいになってるし、最近の定着した謎流行だと、尖った髪の毛が前で交差してるとか、
なんかよく分からんけど、自分が好きな作家、売れてる人が描いてるから、自分も描いとこ、みたいなのが多すぎる気がする
ゴールデンカムイとか山田芳裕とかの方が、そういう流行しているだけの絵、顔の描き分けができてない絵よりよっぽど良いと思う
というか、ロシア人のツンデレが出てくるアニメ、顔の描き分けができてなくて誰が誰だか分らんのだが…😟
ああいう絵はこれからはどんどんAIが描いていくんで、もっと読み手の好き嫌いが大きく乖離するような攻めた絵柄をもっと描いていくべきだと思う
そのためには、小林源文先生じゃないけど、写実的な絵とかヌードデッサンみたいな地道な努力と、そこから自分の手で抽象化していく過程が必要になると思っている
あれを上手いと言ってしまう人は残念すぎる。 画面クルクル動かしても変な歪みが出てなくてちゃんと描けてるねってだけ。 漫画って基本レベルが低いから、意図してないパースの歪み...
ピカソの絵を上手いと思うかどうかの違いでは?😟
上手い/下手の相対2元論は主張しやすいが実のところ"こう思う"しか言っておらずなにも確かな点はなく賛同が多い時(その)社会の空気が決まる程度の価値しか無いのだな別にいうことが...
「ピカソ 写実的」とかでググってもらえば分かると思うけど、自分もちょっとだけ絵を描いてるけど、基本的に写実的な絵ってのは努力に比例するんだよね 努力に比例するってのは、ス...
ピカソは絵が下手 あんなんでいいなら俺はいくらでも描ける
絵が上手いと言う言葉を「技術的な正確さ」という意味で使う人は一部で、「心に響く」と言う意味で使ってる人も多いと思う。 心に響くか否かは技術的な正確さは全く関係ないので、...
絵心がないから絵が上手いというのがわからん より写実的な方が上手いの? 写実的なものの中にも、近づいても質感がリアルな緻密な感じの絵と、近づくと割と大雑把に塗られてるんだ...
若者も年寄りも美人もブスも書ける時点でかなりうまい方だと思う