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はてなキーワード: 美術とは

2024-05-02

anond:20240502004936

横だが、俺の場合クラシック音楽が大きい。あとは読書小説じゃないよ)とか美術とか。 

ちなみに「〜を見てれば文化的になれる」とかいう発想は「私めを笑ってやって下さい」と言ってるようなもの

anond:20240421132347

美術に触れる経験子供に与えるには画集のように家に置けるモノがあると都合がよい。いきなり美術館へ連れて行っても高い確率でほぼ全部素通り

画集教科書もあまり変わらん

西洋美術に開眼させてくれる豊富常設展を所蔵している美術館は、残念ながら日本にはない

特別展指導者に連れて行ってもらって説明を受ければ血肉になるが、そんな機会を持てる人は都会でも少ないだろう

画集テレビ番組でも、自分から主体的に興味を持って勉強する子はいるだろうけどね

まぁ普通に考えて、最高の学校がある場所にはそれを支えるカネ・人・物・環境があり、その分野で優秀な人が定着しやすいはず。

すると…

 

東京大学東京) 公立最高峰

慶應大学東京) 理系最高偏差値

東京藝術大学(東京) 美術音楽最高峰

辻調理師専門学校大阪) 料理最高峰

 

やっぱ大都市に偏る。

もちろん分野によっては〜が最高!みたいなことはあるだろう、あぁあるだろう。

しかし「地方最高!」と言うためには、最高峰を目指す我が子が家を出て行かないで済む教育環境必要なのだ。(これは大都市例外でなく、「海外行かないと最高じゃない」が定着するかも)

教育に金を投下しろ

2024-05-01

anond:20240501173948

こんなところで美術音楽の話をしても仕方がなかろうに

anond:20240501092859

ブクマカの言いたいこととは違うかもしれんが、

東京家賃払い続けることを考えれば、郊外でおまえのいうことは楽勝でできるじゃね?

美術館美術を「外注」する前にまず家に絵を飾ってみろよ。

コンサート音楽を「外注」する前にまず家にピアノを置いてみろよ。

これも意味不明で、

家に飾ったりおいたりしなくても、摂取したいと思ったら5分で美術館に行けるしコンサートにいけるってことで、

「家に置く必要がない」って言われてるのに「置いてみろよ」では会話になってないぞ。

anond:20240501162101

で、美術品を眺めるだけで何か人生プラスになった?

anond:20240421132347

苦し紛れブクマカ名言いただきましたw

文化外注

美術館美術を「外注」する前にまず家に絵を飾ってみろよ。

コンサート音楽を「外注」する前にまず家にピアノを置いてみろよ。

自分でやりもしないうちから外注」に逃げてんじゃねえよ。

ただのできない言い訳だろうが。

ハンサム落語」に失望した愚痴

けっこう前に見に行った舞台に出ていたへっぼこ役者愚痴が今さらふつふつと再沸騰したので吐き出し。

推しが「ハンサム落語」というシリーズ企画舞台に出たので見に行った。事前発表のビジュアル写真衣装も素敵で、落語俳優二人組の掛け合いで演じるというコンセプトも気になった。

舞台当日は推しのいろいろな側面や、様々な役を演じ分ける演技力の高さや、好みのビシュをバッチリ堪能した。その舞台ならではの企画もあり、舞台のものはとても楽しめたし行って良かった。演出音楽美術もすべてが最高だった。

ただ、共演者に何人かへっぼこ役者いたことだけがずっともやもやしている。悪ふざけが過ぎる連中だった。その場のノリで悪ふざけをして姑息に場を引っ掻き回せば「ウケる」と思っている連中だった。

彼らの演目は酷かった。舞台のコンセプトとして落語を演じる以上は、その元ネタに敬意を払って欲しかった。

古典芸能には「守破離」があり、習熟度に応じて型を守る、型を破る、型から離れる、という段階がある。その舞台シリーズに何度も出演経験があるらしいへっぼこたちは、「今さら真面目に演じてもサムいだけ」とでも考えていたのだろうか。それとも生来の悪ふざけ好きなのだろうか。

とにかく落語登場人物を茶化し、その型を破ることに腐心していた。

そしてその悪ふざけはあまりにもサムかった。古典芸能は、洗練されているがゆえに古典となっている。長い年月を経ても消えなかった落語たちを、小手先姑息にイジって面白くなるわけがない。そのイジり方で面白くなるのであれば、先人たちがすでにそうしている。それでは面白くないからこそ、今の型で伝承されてきているのだ。

古典という根のしっかり生えた樹齢数百年の大木相手に、枝葉を追って笑いを誘うような真似はあまりにも無様であり、気分が悪かった。

リハーサルと異なる演技をしたり、女性役をオッサン風に演じてみたり、悪ふざけのすべてが「出オチ」でしかなく、出オチで一瞬の笑いを取った後はひたすらに寒かった。

私の推し初心者らしくしっかりと型を守って演技をしていて、生真面目なその役者としての在り方を見てまずす好きになった。

そしてさすがは落語、見よう見まねでも初心者でも、きちんとやればそれなりに面白くなる。役者さんが演じるから演技はうまいしか企画が素晴らしく、掛け合いを二人組で演じるところがミソで、初心者役者でもちゃん落語として見られる仕上がりになる。

真面目に演じればそれだけできちんと面白ものになる舞台だ。しか落語にはさまざまな登場人物が出る。推しが一舞台でいくつもの役を演じ分ける様を見られたのは大満足だった。

へっぼこたちはそんな推しを巻き込んでくだらない悪ふざけをした。そしてへっぼこたちの演目は余りにもつまらなかった。

から推し活躍には満足しつつ、ずっとがっかり感を抱えている。推しが良かったんだからいいじゃないか、と思う一方で、古典落語を粗末に扱うへっぼこ役者を目の当たりにしたのが残念だった。

舞台のコンセプト、企画演出脚本美術音楽衣装もグッズもなにもかも素晴らしかった。和洋折衷の色っぽい衣装も、演目を切り替えるとき演出も、お洒落な照明も、客入れの案内からグッズ販売スタッフまで感じが良かった。

からこそ、悲しい。

へっぼこ役者たちはこの舞台常連らしい。つまりあれだけの舞台を作り上げられる企画グループが、あのへっぼこ役者たちの悪ふざけを良しとして、繰り返しオファーしているのだ。

私は「あのへっぼこ役者さえいなければ素晴らしかったのに」と思っているが、へっぼこ役者たちの悪ふざけが企画者の本意ならば、この舞台に関しては私の方こそ「お門違い」なのだ

あの素敵な舞台から「お前はうちの客じゃない」と言われた気がした。好きになったから、悲しかった。

どんな漫画ドラマ小説舞台も、自分が楽しめなければ悪いのは自分だと思っている。ただ、Not for meなだけだ。作品に「私好みじゃなかったんですけど!」と言っても意味はない。ただ去るのみだ。

多分もう見に行かないと思う。すくなくともあのへっぼこ役者が出ている回は。

今日たまたま配信で見た舞台作品に、一番へっぼこに悪ふざけが過ぎた役者が出ていた。やっぱり悪ふざけしていて、そのくせ声量がなくてダサくてやっぱり寒かった。第一印象が悪すぎてもうよく見えることはなさそうだ。

国立大学工学部を出たエンジニアだけど

高校時代は絵が描きたかったので美術勉強もした。

結局、学科普通に出来たので絵は趣味でいいやと普通大学に行ったけど。

自分くらいの関心領域の広さがそんなに珍しい存在だとは思わないので、ネットの声のデカい「生まれた時から自分にはこの道しかなかった」みたいなこと言ってる奴が不思議で仕方ない。

百歩譲って君はそうだったとしても、まともな大学行ってたら、そういう偏ってない人もいっぱいいるんだって気づかん?

ネットフォロワーが多い奴は、現実でも友達が多い(交友関係が広い)わけではないんだろうか?

ネットでよく見るような奴ほど、現実ではそうそう会わないので、いつも不思議気持ちで見ている。

2024-04-30

ネタバレあり『仮面アメリカ』ってそういう話?

みなさん そろそろこんばんは

今日マンガ仮面アメリカ』1~4巻をKindleUnlimitedで読んでたんだけど、分からなすぎて戸惑ってる…

一部なの。全体のほんの一部なんだけど、

途中(劇中?)、敵モンスターライム修正主義者  ガンスタラッパー』を主人公カーリーと一緒に

白人が銃持ってバンバン撃ってたり(ライムラップの韻を指すかと解釈、見ためとってもラッパー)、

トークショーコマ。背景のモニター画面で、トランプに似てる感じのガッチリビーフスーツ男と主人公握手してたり

コマ1個の上背景なだけなんだけど、序盤にサラッとだけ出てきて、「え、いまの何?どういう事?」ってこっちは困惑してるが、話はドンドン進み

ちょいちょい出てくる ものすごい「なにものなの?」っていう女さん先生

女性芸術家なんてたくさんいますカミンスキーさん(保護者名前ね)  芸術における女性というのは実質的にはステレオタイプなんです」

から美術なんてやめて理数系進めや 私みたいに、って女子児童の前で言い切ってるんだけど…米版・女さんキャラクターの実質ステレオタイプなのかな、あの先生

あの…『仮面アメリカ』ってそういう話?

本当に肌の色が日本マンガでいう白抜き1色なんたけど(でもオールカラー)、そういう事なんだろうか。

いやいや、そこジョークで笑い飛ばす所だろ、とか(サウスパークみたいなさ)

戸惑ってて、話が頭に入って来ない。

文化背景が分からないんだけど、もしかして 日本マンガアニメって向こうでいう“Yahoo!コメント欄的な人”が好むコンテンツ…だった?

何を今更だったのか

何を描くのもどう読むのかもその人のものあなたあなた感想っては答えは出てるんだけど。

詳しい人、いる?

2024-04-28

惨めな人生

父親は未診断のASD

母親カサンドラ祖母操り人形

その間に生まれわたしは当然人でなし

子どもが欲しかった

丸くて可愛いほっぺをつまみたかった

嬉しいことがあったら一緒に飛び上がって喜んで

悲しいことがあったら膝の上に乗せて話を聞いて

いいことしたら笑顔で頭を撫でて

いけない事したら叱って諭して抱きしめたかった



ブスだから結婚できない〜とか言って行動しない幸せな家庭で育った自信がないだけの人見ると心から腹が立つ

ブスだろうが何だろうがお前は人間だろうが

人間なら子どもを産む権利がある

子ども幸せに育てる素養がある

常識とか愛とか接し方とかあらゆる無数の判断を迫られる中 正解を教えてあげられるじゃないか

まれてくる子どもは正しく人間になれる

ブスとか言って逃げるな

いか 人は生まれながらにして美しい

どんな人にも必ず特有の美しさがある

まりブスなんて教養がなく美的感覚に乏しいと自ら暴露しているに等しい奴が勝手に作っただけの言葉

そんなものはこの世に存在しないんだ

人間である以上お前は美しい

お前とお前を取り巻くやつらにその美しさを理解する経験知識がないだけ

美術を学べ 美術館へいけ チビおっさんも 女の裸を覗き見するおっさんも カウンターで疲れ切った女も 眉毛が繋がった女も みんなみんな美しい

お前は美しい それを理解してくれる教養ある人間を探せ 望むのなら子どもを産め 産みたくないならそれでいい でも産みたいなら産んでくれ お前は人間なんだから 生まれてくる子ども人間になれるんだから

でもな わたしは違う 人でなしなんだよ

人でなしが子どもを産んでも人でなししかまれないんだよ

人でなしが人間集団の中でどれだけ惨めな思いをするか知ってるか? 知らないだろう いいんだ知らなくていい お前は人間なんだから

ムカつくんだよ 人に生まれたくせに

美しいくせに 子ども欲しいとか言ってるくせにブスだから無理とか言い訳してるやつ

無理じゃねえんだよ

出来るんだよ

ふざけんな

ふざけんな!!!!!!!!!

じゃあわたしと変われよ!!!

わたしはお前になりたかった!!!

人間に生まれたかったよ!!!!!!

2024-04-25

映画 陰陽師0見てきた感想。博雅が博雅だった

原作はとびとびで読んでる。

萬斎版も見てます

以下、過剰な表現感想はしないようにするため、多少感想は回りくどくなる。

先に言っておくが感想賛否であれば賛だ。

もともと今回の映画は期待してなかった。

実際問題として映画の出来は70点届かないくらいかなと。68とか69とか。

シネフィルぶった感じで★5の評価をつけるとするなら★3.6、もしかしたらもっと低くつける人もいるかもしれない。

かといって酷いわけではなく「GW家族で見に行く」のは超おすすめだし、なんか見るもんないしコナンも見たしなぁーって人がふらっと入っても楽しめると思う。

丁寧で難しくもないし、子供向けでもない。でも子供も多分いい経験になるだろうし、大人シニア世代も懐かしいなとか、美術的にも彩色豊かなので萬斎版と違った新しさは感じられるだろう。

原作過激派はネトフリのアニメだって受け入れられないんだろうし映画は見るなと言いたいが、原作ライト層なら楽しめると思う。

厳密に言うと設定は原作からちょっと変更してると思う。

しか原作ではまだ描かれてない部分であるし、原作者もがっつり監修している(監督原作指名である)。原作で二人の出会いが描かれるときは違うものとなるらしいが、それはエンタメ的、商売的な観点ということのようだ。

設定は変わっている。でも好感度は高かったのはなぜか。

世界観」と「主要キャラ関係性」が大きく変わらなかったことだ。

陰陽師という作品は晴明と博雅のシャーロックワトソンコンビで成立する作品だ。

から時代が変わってもこの二人がいれば夢枕獏陰陽師だと認識できる。映画にはちゃんと居た。

ただ今回、原作よりも若い頃の二人という設定なので安倍晴明キャラが少し違うように思う。青く泥臭く、また甘い。

しかしそこに染谷将太が「どうも原作から来た博雅です〜」って感じでやってくる。

まだ博雅を知らない晴明はツンケンしているのだが、映画が進むに連れ博雅を知ることで「原作の博雅を知った晴明です」って顔になってきて、ああこいつ成長したらちゃん原作の晴明になると感じられるのが楽しいのだ。

展開も原作でありそうなものだ。まあこのへんが夢枕獏呪術ワールドでもあり幻想映画にしてしまう部分でもあるので多少分かりにくくなるのだが…大体呪術廻戦の領域展開だと思えばいい。

最初にこの映画は中評価認定した。

しか映画とは作品としての出来を1歩引いた目線で見て総合評価するものではないと常日頃思っている。

この映画はバディ誕生物であり、昨今の話題作だと「ゲゲゲの謎」や「ヴァチカンエクソシスト」と同じ楽しみ方をしていいものだと思う。

ゲ謎やヴァチクソ(ええんかこの略称)は大傑作というよりは色んな前提を知っている人がキャラの二人を見るのを楽しむ感じで、カルト映画のような人気を博している。

陰陽師0にも確かにそれはあるので好きな人多いと思う。

違う点は先に書いたように「子供を含めて家族と見れる」という点だ。どんな因習のある村に住んでいようが陰陽師0は見れる。なんか久しぶりにそういう映画コナン以外で見た。懐かしさ…。

というわけで個人日記帳としてつける★の数は5点満点の5。ちなみにこの日記帳には1と5しかありません!

2024-04-24

美術展でのスマホカメラ

美術展でインバウンド需要さんがガラスの展示ケースのなかみにスマホを向けていて

「オイオイオ撮影禁止だってば、どこかに止める学芸員さんはいないのか…」

と思ったら、G〇〇gleレンズ的なアレで日本語説明文を翻訳して読もうとしていたというのに遭遇したことがあった

なんでオタクって普通に作品を楽しむことができないの??????

付き合ってる彼氏オタクでつらい。

いや、別にオタクであることは否定しない。

夢中になれる趣味があるのは良いことだと思う。

だけど一緒に映画を観に行ったときにいちいち深読みとか考察とか元ネタ探しとかをするのが本当にウザい。

なんでオタクって普通に作品を楽しむことができないんだろう。

私の彼氏は週に1回は映画館に行って家では暇さえあればネトフリやアマプラを観ている映画オタクで、たまに私に映画を見せようとする。

お家だろうが映画館だろうが最初の頃は映画デートも楽しめていたんだけど、段々彼の映画感想の言い方が鼻についてきた。

映画を観終わったあとの感想なんて「面白かったねー」「ここのシーン良かったねー」「ここのシーンかっこよかったねー」「このキャラ良かったねー」だけでいいじゃん。

それに対して「わかるー」って共感してそれでおしまいでいいじゃん。

彼氏映画を観終わるたびに「ここのシーンは原作のここをアレンジしていてー」とか「監督過去作に似たようなシーンがあってー」っていちいち語り始める。

気に入った映画絶対原作ビジュアルブックを買うようにしているらしい。

彼氏の家の本棚にはそういう本がぎっしり詰まってる。

この間彼氏の家で映画を観たあと「アートブックにこういう記述があってさー」ってわざわざ本棚からその映画美術本を引っ張り出してきて見せてきたのにはホントに引いた。

頼むから普通に作品を楽しめるようになってほしい。

普通の人は原作を買ったりアートブックを買ったりなんてしないんだよ。

映画パンフレットを隅々まで読んだりしないんだよ。

監督意図とか調べたりしないんだよ。

ネットに転がっているインタビューとかを調べたりしないんだよ。

オタクの人の作品鑑賞のスタイルって本当に気持ち悪いと思う。

制作者は普通に楽しんでもらえるように作っているんだから制作者の意図を汲んで普通に楽しめばいいじゃん。

たぶん彼氏とはそのうち別れると思う。

次は映画デートとかしても普通感想を言えるような人と付き合いたい。

2024-04-23

anond:20240423084730

作家としてだせーって感覚は、普通男の作家とあるんだよ。

普通の男作家定義と、その定義に当てはまる彼らがそういった感覚を持っているという根拠ってあるの?

普通の男作家って演劇とか漫画とか小説とか美術とかあらゆる作家と呼ばれる職業で同じ感覚を持ってるの?

2024-04-22

anond:20240422145404

文芸部美術部、漫画部みたいな部活出身者なんて、オタク全体の一部でしかないでしょ。

X見てもそうだが、多くのいい年した大人アニメ漫画ゲーム萌えキャラに夢中になってるのマジできもいダサい

別にオタクカルチャーはあってもいいが、もっと多くの大人都市景観建築自然美術歴史伝統芸能外国語かに興味持った方が、

絶体に日本は美しく楽しい社会になると思うんだが

2024-04-21

東京は家の中に文化がない + 追記

東京住宅が狭すぎて家の中に文化がない。


まともな本棚を置けない。絵を飾るスペースがない。靴はひとり数足しか保管場所がない。

大きな冷蔵庫を置けないのでヨーロッパ東南アジア珍味を貯めておけない。

ホームベーカリーを置けない。ピアノを置く場所がない。食器一家20枚もない。

子供学校で作った紙粘土の鳩を飾れない。五月人形ひな人形を飾れない。

結婚式で作ったドライフラワークローゼットの奥にしか置き場がない。

ダブルベッドを2つ置ける部屋がない。もう使わないゴルフバッグを念のため置いておける物置部屋がない。


狭すぎて子供を作れない。それでも仕事のために東京にしがみついている。

生殖制限してまで働いているという意味で、本当の社畜だと思う。


それでいて地主バカ高い家賃を払い続ける。

夫婦練馬区に住んでおり上に書いた状況だった。心底気の毒だと思う。


プライベートのかなりの時間は自宅で過ごすのだから、家を文化的にすべきだ。

俺は人口30万人の地方都市に住んでいる。上に書いた程度のことはすべて実現できている。


東京は、家の外は文化的だ。俺も昔東京に住んでいた。

しか美術館博物館は何回も通って飽きた。お気に入り画集を家に置けば十分だ。

飲食店は多いが、どこもすし詰め状態で居心地が悪い。高い金を払って不健康ものを食べたくもない。

図書館の数や取り寄せサービスは素晴らしいが、借り出し・返却の時間が勿体ないのでネットで買えばいい。


文化都市東京にあって粗末な家に住む方々は本当に不思議存在だ。家の中と外とで文化水準が大きく異なることに疑問を抱かないのだろうか。

俺が思う最適解は、東京名古屋大阪あたりに本社を持つ大企業の、地方事業所周辺に住むことだ。

俺が勤務する事業所は3000人以上働いている。近所には大手電機メーカーの1万人近い事業所もある。

こうした町は企業城下町様相を呈しており生活には困らない。しかも家が広くて安い。



共感するコメント共感しないコメントを予想外に多く頂けて嬉しい。

もう少し詳しい説明必要性を感じたため追記する。

共感しない旨のコメントに多いのは、モノを家に集めることは文化ではないという趣旨

しか文化基本的媒体としてモノを必要としていることを認識してほしい。

二、三例示すると、

たとえば節分豆まきには鬼の仮面大豆大豆をまけるスペース、掃除道具が必要だ。これらのモノ無しに「鬼は外、福は内」を口誦するだけの風習ならとうの昔に途絶えていると思う。現に口誦するだけの文化身の回りにどれだけあるだろうか? そうした文化は歌くらいだ。

次に、小説などの文学作品雑誌掲載されても単行本文庫にならない。芥川賞を受賞した作家でさえ、そのほとんどは、半分以上が雑誌掲載のみで終わる。その雑誌電子書籍で出ていなければKindleで読むことは出来ない。ましてや詩歌は99%は雑誌掲載のみ。Kindleで閲覧できる文学作品は実はごくわずかでしかない。

最後に、美術に触れる経験子供に与えるには画集のように家に置けるモノがあると都合がよい。いきなり美術館へ連れて行っても高い確率でほぼ全部素通り、帰りの外食の方をよほど楽しみにしている。画集が家にあれば日頃から絵画というもの存在認識するし、すごく暇なときに開いて読んでいることも稀にある。大人が楽しむにも、プロ解説付きの画集は何度も読み返して理解を深めることができる。


以上のように、個人として文化を深く楽しむにはモノが必要だし、それを子供に伝えるにもモノが必要。モノがいつでも目の前にある、手で触れることができる環境文化への距離を縮めてくれている。だから私は家にモノを置きたい。

東京文化を家の外に"外注"していることと出生率が低いことは関連していると思う。

2024-04-20

anond:20240420184621

材料費480万円で美術品に加工して1000万円はわりと妥当な気が

純金茶碗窃盗事件で明らかになった日本の闇

・純金としての価値は480万円しかないのに美術工芸品として1000万円の値をつけたデパート側のボッタクリ

・その純金茶碗を純金としての価値よりずっと低い180万円で買い取り本来の480万円で売却した貴金属買取店の詐欺商法

2024-04-18

親に認められながら育ちたかったと思うが、残念ながら手に入らないままだった。進学で家を出た時、心細さもあったが息がやっとできるようになった身軽さがあったものだ。

自分の親は、罵倒暴力はしなかった。気に入らないと嫌な顔をしたり不機嫌に黙り込んだりがメインだった。

自分粘土が好きで、それが高じて美大進学して今はものづくりを仕事にしている。しかし親は美術系に進んでほしくなく、ずっと冷ややかな態度を取られ続けていた。美大に行かせてくれと頼むと、よくため息をつかれたものだ。嫌がられているのを振り切って美大に行くのは、上手く言えないけど苦しかったしみじめだったことを覚えている。

大学在学中も就職してから結婚してからも、親と顔を合わせる度に落ち込んだ。周りは親は応援してくれたという人ばかりだったし。

でも最近子供の頃の自分はしんでしまってもういないんだと考えることで楽になった。

かわいそうだけどもういなくなって苦しい気持ちになることはない。あの子自分は違う人間だ。そう考えて分離する。健全じゃないかもしれないけど、気は楽だ。

2024-04-17

anond:20240416191728

めちゃわかる。

自分は4浪して東京藝大入って、絵の先生とかもやった(大学入試共通テスト/センター試験を5回受けたので、ガチの4浪)。

「絵が上手いですね」って言われることもあるし、「どうやって上手くなったんですか?」「生まれた時から才能ある人は違いますね」とか色々言われてきたけど、絵のうまさについて言及されるときに、まず最初に言うことがある。

楽器運動と同じで、小学校に通うくらいの年月、朝から晩まで毎日ひたすら鍛錬しました」「4浪してる間、受験サポートしてくれた両親に感謝しています

相手子供だろうが、必ず「鍛錬」とかそれに類するワードを使う。「絵を描いてた」だと趣味的なイメージしかできない人がいて、「努力していた」のが伝わらないから。

仲が良かった後輩が先に藝大に受かってしまった日に、死ぬほど悔しくてそれまで描いたデッサンを全て破り捨てた日の話とかもする。

「ずるい」って言うタイプの人は、そこで「鍛錬…!?才能じゃないの…?」って思うのか、単に青春を鍛錬に捧げた狂人が目の前にいると思うのか黙る。

子供美大志望の親御さんは、才能が不要であることに安堵したり、逆に覚悟が決まるっぽい(流石に少子化のこのご時世に4浪は稀だとも伝えるよ)。

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思えば、音楽や体育の授業と違って、小中学校では具体的な技術を教えるわけでもなく、なんとなく巨匠の絵にふれつつ「のびのび絵を描こう」みたいな雰囲気に終始する。

そのせいなのか、美術だけは「生まれ持った才能」みたいな神話があるのかな、と漠然と思うことがある。

スポーツ選手演奏家みたいに日々の鍛錬が肝要だし、めちゃくちゃ上手くなるためには血の滲む努力必要なのは一緒なんだけどね。


あ、蛇足だけど、絵を教えてたこともあって非常に稀に「才能がある」子にもたまに遭遇します。

ただ、そういう子は、とてもピンポイントで使いどころが限定的なPERKを、生来のものとして持ってるってイメージ。例えば「目の前のものの色だけは、正確に捉えられる」とか「目の前のもの輪郭だけは、画面上に正確にコピーできる」とか。

結局そういう「絵の才能がある」子たちだって、他の要素はまるっきり素人なので、絵が上手くなるためには鍛錬が必要なんだよね〜。

ゲームと同じで、漠然と「なんかすごくつよい」みたいなPERKがないのと一緒。「絵が上手い」みたいなPERKは存在しない。

自分は生まれる時に、絵に関連するPERKを一つも選択しなかったらしく、ひたすら努力で全てをカバーした)

ともあれ、両親には今も本当に感謝してるし、当時頑張った自分にも感謝してる。あそこで努力を怠って合格しなかったら、全然違う人生歩んでただろうな。今はあんなに努力できないや。

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