はてなキーワード: 激太りとは
アーティストの全盛期ってかっこいいよね。
もちろん年を経たことでの円熟味も素晴らしいんだけれど、全盛期のかっこよさ、エロいよね。
極端な例だけど、プレスリーというアメリカの有名なアーティストがいるのね。
最近の人らは知らんと思うけれど、俺らの世代はプレスリーのモノマネをする人達でプレスリーのことを知ったのよ。
で、あの人は激太りした人で、そういうところもイジられててなんかカッコの悪いおっさんってイメージが出来上がってたの。
でもね、全盛期の若くて歌えてて踊れてる映像見たら痺れるのよ。
時代が違うから、そりゃ古いんだけれど、プレスリー自体は若くてエロくてかっこいいのよ。
こういうのはいつの時代、どこの時代でも一緒で全盛期特有のものだよね。
日本だと岡村ちゃんだよね。もちろん今の岡村ちゃんも大好きだけど、あのマンションマンションやってる頃はエロすぎるよね。
うん、まあそんな感じで、全盛期万歳。
職場の同僚(23歳女子)が「新しい彼氏できました!」と報告してくれたけど、
元彼は8年間付き合って、浮気して私をうつ病にして激太りさせたうえ30歳直前で捨てた男だ
許せなくて「あんた、私がその子(同僚)と同い年くらいのときに落とそうとしたけどまた同じこと繰り返すの?
あんたに女を幸せにできる力も権利ももう無いよ!いい加減にしてよ!!」と告げて
オロオロ逃げ回る元彼に対して首絞め用のロープを持って追いかけ回す夢を見た。
元彼に振られて1年半くらい。
久々にドキドキしたよ。
元彼の事は許せないけど、私の今後の人生に一切出てきさえしなければ幸せになってくれてもいいよ。
でも、もう私のような不幸な女をこれ以上増やさないで。
今年成人を迎える人は、様々な思いが胸に去来していることと思う。
長期休校やテレワーク、先の見えない漠然とした不安を抱えている人もたくさんいることだろう。
沢山のものを感じ取り、たくさんのことを成し遂げるエネルギーが新成人の君たちにはある。
そのエネルギーの源は"若さ"であり、不可逆的な変化で色褪せ朽ちていく。
若人は、この状況を悲観するよりも、今できることをなすべきだ。
(ちなみに、ハタチの一年は人生の体感時間の中で、5%程度だ。 ジャネーの法則 https://www.sekkachi.com/entry/integral_Life)
理由に関しては、さまざまであるが成人式を挙行してもこれだけの人数はすでに営利企業が作った”一生モノ”よりも大切なことを見つけている。
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000153.000006827.htm
私見ではあるが、成人式に行かなかったことで「よかったこと」・「後悔したこと」を挙げる。
「〇〇大に入った」、「〇〇と付き合っている」、「〇〇に就職して稼いでいる」、といった野卑な自慢話をされることはない。
かわいい子が激太りしていたり、イケメンが薬やってそうな痩せ方をしていたり、そういった思い出が壊されるような出来事はない。
酔った勢いで…なんていうことはない。
よかったことと表裏一体ではあるが、艶やかな女の子、端正になった男の子の凛とした姿を見ることができない。
成人式のあとの祝賀会で小中学校の恩師がいたりする。成人式に出ないと、地元になにかツテがない限り会えない。
小中学校の同級生とは成人式で会えなかったら基本的に縁がない。
成人式がきっかけで…なんてことはほとんどない。仲が良かったら普段から連絡とってるし、連絡が切れた人間とは何かがきっかけで再会してもそのあとつながり続けることは基本的にない。
成人って勝手になっているものだから、学校の卒業とか苦労して手に入れるものに比べると10年経つとどうでもよくなっている。
というか、20歳が人生のピークになっていたら人生100年時代の残り80年の存在価値はどうなるのか。
遠出の道中、時間があったので数年前まで住んでた街に立ち寄ってみた。
ロードサイドの景色は結構変わってるが、まだいくつか見慣れたものが残っていた。
あのラウンドワンでボーリングが苦手な先輩と社内大会のために練習した。
あの駅前で夜飲むらしい課長を車送迎するため寒い朝に時折待っていた。
あの定食屋でストレスでイカれたのか毎日仕事終わりに晩飯3人前を食べて激太りした。
小腹が空いたので、その定食屋に寄ってみた。
やっぱり美味しい。
こんなに美味しいものを毎日3人前食べてたんだから、そりゃ太るよ。
でも、美味しいものを好きなだけ食べるって結構幸せだったかもしれない。痩せるのは大変だったけれど。
繰上で昇進した(元)課長達が実権を握り始めた頃に辞めた。
契約社員達は正社員登用できる規程年数の到達前で更新停止された。
中には1年間空白を開けて雇用されることを待っていた人もいたが、
繰り上がり昇進の(元)課長達は定時で上がっては、いつものメンツで酒を飲み、毎回ゲストとして部下を呼びだしていた。
筆頭の(元)課長が泥酔してゲストを詰める様を、取り巻きは止めもせずうんうん頷いて聞いていたらしい。そっち側の席は安全らしい。
取り巻きは「俺が引退する時にお前らを最年少で上げるから」と筆頭の(元)課長の口約束を信じている。
クソみたいな腰ぎんちゃく野郎が「どうだ、出世街道だぞ」といわんばかりに嬉しそうに話してきた。
きっとそうなるだろう。
筆頭(元)課長が交渉する場に立ち会ったことがあるが、相手に強く出られると途端にビビり、声が震える。
取り巻き達の無言の圧に耐えきれるわけがない。年功序列で昇進しているだけなのだから。
正社員では私以外にも同じ時期に辞めた者がいる。
10数年ぶりの定年以外の退職者が一挙に出た。
私が編成した中期経営計画の財務モデルは近い将来の厳しい状況を示していた。
今、どうなっているだろうか。
一瞬、寄ろうかと思ったけど、美味しかった定食の満腹感が打ち消した。
二十代の多くの時間を過ごし、良かった思い出もたくさんあるはずなのに
全てに砂を噛むような不快さがついてくる。
くたばれ、吹き飛べ、ぶっ壊れてしまえ。
ここは最悪の街だ。
もう二度と来ない。
本社の方角に背を向けて再び車を走らせた。
夜中になると、なぜ自分がこんな目にあわなければならなかったのかと思い、涙が止まらなくなる。現在21歳、大学3年生。半年前に目が8年ぶりにちゃんと見えるようになった。中学1年生の頃からである。8年間本当に長かった。
8年前の秋頃、中学1年生だった私は小学校以来のゲームのやりすぎで視力が低下していた私は黒板の字が見えづらくなっていることに気づいた。眼科に行き、視界が悪くなっていることを告げられ、まだ外見などあまり気にしていない半分小学生脳だった自分はメガネをかけることに決めた。いわゆるガチャ目で、左目が0.2とかなのに対し右目がほとんど見えない0.01みたいな状態だった。ゲームをやるときの姿勢が悪かったのが原因かもしれない
ここまではよくある話だし、目が悪くなるというのが怖かったとはいえ周りにもメガネをかけている子供はたくさんいたので、絶望感のようなものはなかった。メガネをかければ普通に周りが見えるようになったし、日常生活に支障はなさそうだったからだ。
しかしいざメガネ生活が始まると、以前とはどうしても変わってくることがあった。一つはメガネキャラが定着してしまったこと。もともとそんなに明るくない性格だったのがメガネをかけたせいでさらに暗くなってしまった。別に友達づきあいは変わらないんだけど、中3にかけて子供が見た目を気にしだすようになるなか自分の見た目の悪さも気になるようになってしまった。
そしてもう一つは激しい運動がフルでできなくなること。メガネをしているのでサッカーとか野球とかできるだけ端っこで見るだけになってしまった。中学の時はサッカーに無理やり参加してメガネが割れたことがある。中学3年生の頃には自分のことがのび太のように見えたし、周りからもそう言われるようになった。
ここで何故コンタクトを使わないのかと思うかもしれないが、これがこの悩みの大きな問題点だったのだ。自分はどうやらコンタクトが合わない体質らしく、眼科に行ってもガチャ目だからコンタクトが合わない、メガネじゃなければダメだと言われていた。実際コンタクトをつけてみると、とにかく気持ちが悪い。つけていると船酔いのような気分がして額から汗がだらだら出てくる。一回コンタクトをつけて学校に行ったことがあるが耐えきれずにコンタクトを外してしまった。いわゆる眼精疲労というやつなのだが、本当に眼精疲労?と思いたくなるような症状が出てくるので、いやいやメガネに戻さざるを得ない。
そして高校生活が始まると、この外見コンプレックスに散々悩まされることになる。もともとメガネが似合う顔でもなく、絶対ないほうが良いのだけど、メガネを外すことができない。この消せないコンプレックスが悩みの種で奥手な性格がさらに奥手になり、高校ではあまり周囲に心をひらけなかった。別にいじめられていたわけではないのだけど、とにかく自己評価が低くて周りと上手く接することができなった。なんというか顔に傷がある感じなのである。だから人前に出るのがいやだった。
それだけ自己評価が低いので、常になんか暗いオーラが出ていた。自分の姿が嫌で写真に写りたいとも思わない。だから高校時代の写真はほとんどない。だけど頑張れるところは頑張ろうと思って勉強は頑張った。順位が貼り出されて学年一位という経験もしたのだがクラスで友達がいないためご飯を食べる時は一人という惨めな思いを味わっていた。今思えばそんなの気にしなければいい話なのだけど、それがいやでいつも教室の隅っこの方にいた。運動も十分にできないのでだんだん運動神経は落ちていき、本当に勉強のできるのび太くんみたいになっていた。自分の長所が勉強しかないのが嫌だった。
だから高校1年生くらいの時から視力回復トレーニングを色々やって見たのだが、如何せん効果がない。あの手のトレーニングはたまにネット上で効果があったとか書いてあるが、ほとんど無理である。一度目は悪くなったら自力で視力は回復しないと思う。だから高校12年生の頃は本当にどうしようもなくて、とにかく外見コンプレックスに苦しんだ。
そうこうしてるうちに高校3年生になった。17歳という、人間として容色がもっとも美しくなる頃、受験勉強とともに私のこの外見・視力コンプレックスはさらに肥大化した。大学受験の不安よりも私は一生このままなのか、見た目にコンプレックスを抱え続けなければいけないのかという不安の方が大きかった。本当にメガネが外せないのかと悩み苦しみ、勉強そっちのけで眼科に何件も通い、なぜかメガネを10本近く買った。大学病院での検査も検討したが、大学受験との兼ね合いで断念した。そんなものだからそれまで維持していた成績は下がり始め、大学受験は第一志望に受かることはできず、コンプレックスも解消されないまま大学に進学した。浪人という選択も考えたが、当時のコンプレックスははっきり言って異常で、浪人したら今受かっているところにも受かるような気がしなかったため浪人を断念した。
大学に入ってからもこの外見コンプレックスに悩まされた。最初の頃は無理やりコンタクトをつけて登校していたが、だんだんきつくなってメガネに戻してしまった。そしてメガネにすると人前に出られない(?)ので、サークルも次第にフェードアウト。大学1年の秋には学内で自然と孤立の道を選んでしまっていた。そんな人間が生きる道はインターネッツで、授業から帰宅してはネットサーフィンをする毎日を一年冬〜二年秋まで送っていた。ネットサーフィンをしているうちにコンプレックスを忘れようとしていたのかもしれない。だが、20歳になったタイミングでまた忘れていたコンプレックスが再発がした。成人というのは大きなイニシエーションで、私の忘れようとしていたコンプレックスがまた復活していたのである。
今度はさらに孤独コンプもこじらせていて、高校の同期が大学で楽しくやっている中自分は部屋で一人ネットをしているのがコンプレックスになった。正直もう外見なんか気にしないで普通に人と付き合えばいいというのはわかっていた。でももう二年が終り、就活が始まるという段階で今更人付き合いを増やせるとも思えなかった。だから二年の冬休みはとにかく暗くて、どうすればいいんだろうという気持ちになった。不安と苛立ちが爆発し、家族にわけもなく当たり散らすようになった。散財もするようになった。一種のパニック症状である。原因不明の病というのはどんなに軽傷でも人の精神を不安にするもので、私の心は不安に押しつぶされていた。人間の思い込みというのも一つの病だと思う。
そして2019年の5月に、最後の望みをかけてそれまで行った事のない眼科を受診した。もう大方視力回復に間することはやり尽くしていたので、唯一やっていなかった。オルソケラトロジーという治療法にかけてみた。治療内容はググって欲しい。結果、オルソケラトロジーでも視力は回復せず、私のコンプレックスは解消されないみたいだった。
オルソケラトロジーを行う際に渡されたレンズを目にはめても一切気持ち悪くなかったのである。
オルソケラトロジーは夜間に角膜を矯正するためのレンズをはめて就寝し、翌朝になったら角膜が矯正されているので視界がよくなるという治療法である。この夜間にはめるレンズを昼間につけていても、全く気持ち悪くならなかったのである。
中学1年生以来、およそ8年の時を経て裸眼で見る世界はとにかく新鮮だった。少し度が弱かったが裸眼で道路を歩ける。水泳もできるしサッカーもできる。近くのビルの社名が裸眼で読める。夜は月がブレずに見える。鏡をみてもあの忌々しいメガネはない。あの時は嬉しかった。私が8年間、青春の間ずっと苦しんできた悩みはいとも簡単に解決したのである。
8年間の悩みが解決した理由もよくわからないのだが、私はどうやら「ソフトコンタクトだと体質的に無理なのだが、ハードコンタクトなら大丈夫」という事だったらしい。理解不能である。確かに私はコンタクトなんてどれも同じと思って、安いソフトの方を買っていたが、そんな意味のわからない解決法はネットでどれだけ探しても見つかったことがなかったし、中学一年生の時から百回は受診したどの眼医者もしてくれなかった。
目が治ってから、私は号泣した。普通病気が治ったら嬉しいと思うかもしれないし、私もそうだろうと思っていたが、こんな意味のわからない理由が原因だったこと、外見コンプレックスのせいで今まで失ってきたものが多すぎることに嗚咽し、自暴自棄になり、さらに家族に当たり散らすようになった。8年間もコンプレックスに苦しんだこと、そのコンプレックスが実はすぐに治ったことを受け入れることは難しかった。ストレスの度合いでは大学受験に落ちたことなんか大したことではない。私は12-20までの8年の間でもっと色々なことに挑戦できただろうし、もっと色々な人と仲良くなれたはずなのである。
8年間の理不尽は私から自尊心を奪い、一気に自暴自棄に陥らせた。3年春学期の単位は全て落とし、gpaは目も当てられない数値になった。部屋は片付けなくなった。暴食を繰り返し、体重は半年で10キロ増えた。家中の皿を割った時は家族から家を出て行けと言われた。
学生時代のほとんどを思うように過ごせず、就職というラウンドまで来てしまった。現実を受け入れられなかった。3年の秋はなんとか学校に行っていたが、授業を受けている間も病的にずっと後悔していた。後悔先に立たずだけど、あの時ああしていればというのをずっと考えてたら1日が終わるとかザラであった。留年したので就職なんてどうでもいい。21歳の誕生日は家族以外誰も祝ってくれなかった。家族からも暗くて一言も喋らないから怖かったと言われた。
カウンセリングに年明けから行ったが、正直今できることをやれ、気にするなとしか言われず、自分でもそれしかないとわかっていたので行く意味はないと思ってやめた。しかしテストを受けるまでずっと落ち込んでて、単位も半分くらい落としたと思う。せっかくコンプレックスが解消した顔は激太りした上にやつれきっていた。
ただテストを終えたくらいから、ずっとこのままでもどうしようもないというのは体がわかってきた。ようやく、現実に脳みそが追いついて気がする。もう一度三年生が始まり、就職活動も始まる。何一つ悪いことはしていないのだが、人生を再スタートさせなきゃ行けない。今まで失ってきた分、これからはいい人生を歩みたい。
とりあえずプロデューサが作りたいゲームを語る。酒の席だったりする。
それを何となくプランナに伝えて営業用資料を作る。この過程で何度も何度もあーでもないこーいうつもりでもないと言いながらもできあがる資料は抽象的でなんとなくそれっぽい絵とどこかで見たようなシステムに独自っぽい名前を付けてるだけのすっからかんなペラい物になる。本音を言うと「ポケモンを作る」と言われる方が楽だ。「作りたい本人が説明できない、今までにないような独自のゲーム」を作る事になるとバグとか糞とか以前に完成しない。
そのペラい資料をもって営業に行くがすんなりは決まらない。この間はいい感じだねって言ってたじゃんって展開も。そのまま下にも同じ事を言われる。
決まらないがとりあえず作り始めてとデザイナとプログラマに投げられる。とりあえずジャンル名くらいしか決まっていないので色々聞きながら作ってみる。もちろん面白いとかつまらない以前の内容になる。(十字キーで絵が動くだけレベルとかシステムを一個だけそれっぽくしてるとか)
開発が始まると政治的なパワーバランスなどの都合により今まで作っていた何物かはゴミ箱に行くことに。でも「もう半分くらい作ったんだから簡単にできるハズ」等と言われる。3DSのARPGだったハズがPSVITAのSRPGになったのに。(極端だけどハード変更はザラ。場合によってはスマホゲーに流れる。あまり大きな問題はない)
プランナはまた初めと同じように内容を伺う。日を跨ぐと違うことを言うので出来るだけ素早く箇条書きにしてる。なかなかまとまらないがデザイナとプログラマはまた何かを作り出す。何を作るかは分からないが何となくキャラとか背景の枚数を妄想して分担表とかをつくる。プログラマも仮想工数表を作る。
放っておくと大量のアイテム、大量のイベント、大量のモンスター、仕様のバグ、労力の割に効果があまりないような話、壮大な計画がブチ上がってくるので必死で止める。
(仕様バグは仕様見ただけで分かるような無茶な物のこと。例えば100個の素材アイテムから3つを合成してすべて違うアイテムが錬成されて全部に名前と効果と絵が付くとか。16万通りもある事を理解できていない)
プランナはこの段階で死にそうになっている。一応存在するプランナの締め切りが迫ってくると当然毎日徹夜して仕様書を作成していくのだが、なんど書き直しても「つまらない」「ここはこういうつもりじゃなかった」「字にすると面白そうに見えないから名前を考えて」「(仮の)絵が気にくわないからインスピレーションが~」「やっぱこうの方がいい」「昨日いいこと思いついた」等の必殺技に返り討ちにされる。仮絵をデザイナに描いて貰っている場合はデザイナに頭を何度も下げに行く。プランナの締め切りはもちろん守れられない。その分のしわ寄せはデザイナとプログラマがかぶることになる。毎日毎日両部門に目に隈を作ったプランナ勢が「間に合わなくて済みません」と謝っている。ただしデザイナもプログラマも怒らない。プランナが遊んで遅れてる訳じゃないし。一緒に仕様固めを手伝う。
何となくあがってきたプランナの仕様を眺めながら作る。ただし細かいことは何にも書いてない。オプション画面と一言だけ書かれているならましで、オプション画面の存在が伝えられていない事もザラ。その当りは必要そうな設定項目をプログラマが洗い出してデザイナが全体の空気を読んだ画面デザインを構築して己のインスピレーションを信じて勝手にプログラミングする。とりあえず作った物を見せると「俺の指示と違う」等と言われることが多い。指示なんかないのに。ただしこれがそのまま使われることも良くある。
開発が中盤に入る頃には仕様がしっかり上がって……いない。絶対。時間だけが無情にもすぎるが未だ路線が定まらない。分からないところは逐一聞きながら作る。聞かないでも作る。運が悪いと何故聞かなかったと言われる。デザイナはひたすらリテイクを食らう。世界観と合わないとかこのキャラだけ浮いているとか。世界観なんて説明書の2ページ辺りに描かれてる物語程度にしかなかったりするし。絵の枚数が気が付くと増えている。色数指定が破られている。容量が足りなくなる。プログラムで容量を何とかしろと言われる。もうたっぷり圧縮してる。
開発終盤。締め切りに間に合わない事が確定的になってから仕様をとりあえず削ってみる。最初からそれはいらないと言い続けた場所を削るがプロデューサは不満顔。最初から入れなければもっと早かったのにと毎度毎度言い続けてるが変わらない。デバッグ期間は短くてもいいとか言い出す。それで前もバグを出しただろうに。やっぱりあそこが気に入らないから変えてとかこの期に及んで言う。デザイナは絵1枚当たり作業時間が割とはっきりしているのでギリギリまでリテイクされる。プランナはデータを必死で打ち込む。「戦闘バランスが悪い。調整してないのか」とか言われる。その時間はお前が削ったんだ。プログラマは頻繁なデータの差し替えをしながらバグを潰していく。何度言ってもデータの差し替えはすぐ出来ると思われている。そろそろセレロンはやめて欲しい。デザイナもメモリが足りないので勝手に増やしている。バグは無理矢理潰す。みんな死にそうな顔をしているが激太りもしてる。
発売前にプロデューサが偉そうな顔して雑誌やブログにコメント。
発売して糞ゲーと言われる。世間一般的にバグれば販売元とプログラマのせいにされて(予算を出さなかったから、プログラマがミスをしたからと思われている)つまらなければディレクタやプロデューサが批判される。(世間の(俺の)面白いと思っていることを理解できていない!とか)このために軸のぶれているプロデューサやディレクタは上がってきた物が面白くないと感じると仕様変更をガンガン入れてくる。たとえバグっても内容が悪くなければ叩かれるのは自分じゃないもんね。時間と金をもって来ないのにこれをする人が時間を無駄遣いさせる。プログラマはバグを出したくないので仕様変更が出ないよう出ないよう事前に釘を刺しに行きたがる。
終わった頃には人数が減っている。そして募集が掛かっているw
東京近郊のベッドタウンの小中の同級生、現在35歳の女で年に1、2度集まる。
総勢7名のうち、既婚が5名、未婚は2名。
「もうどうにもこうにも救いがたい」と私が思うA子は未婚側の1名。
私は既婚ではあるが子供はいない。他の4人は幼稚園から中学生の子持ちだ。
A子の話を先にしよう。
彼女はこのグループの中で最も金持ちで家も大きく地元に土地を多く所有している実家に産まれた。
そしてグループの中で1番偏差値の高い高校へ行った。四大へ進んだのも彼女だけだ。
顔は中の上くらい、まあまあモテて高校時代に出来た彼氏と25くらいまで付き合っていた。
一方、私は小さなマンションに暮らし、偏差値50くらいの普通の高校に通い、専門学校へ行き就職した。
顔はまあ中の下くらいだと思う。
他のメンバーも差異はあるが、A子のような大きなお屋敷に住む奴はいなかった。
彼女はグループの中でも昔から最も結婚願望が高く、子供を欲しがっていた。
料理も若い頃から得意で家庭的な女という意味ではダントツだった。
しかし結果から言うとA子は35歳現在、独身、無職で引きこもり、祖母の介護と家事をして暮らしている。
激太りと激ヤセを繰り返しており別人レベルになるので毎回会う前に少し緊張をする。
彼女は大学卒業後、就職はせず派遣でアパレルの販売員などをしていた。
高校時代から付き合っていた彼氏はわりとクズで、何度も付き合ったり別れたりしながら3桁単位の金を貸したまま、25のとき彼女のもとから去った。
実家が裕福なので無理に働くこともせずにいた。
たまに派遣のアパレル店員をやる以外、特に資格を取ったり、正社員として働く道を探ったり、ということはしていないようだった。
いい男を見つける活動はそれなりにがんばっていた。が、まあそのくらいの歳ならそれは当然だ。
だが、彼女は1人で生きて行くための経験やスキル、知識を身につけないまま35歳になった。
またそういった危機感を持たないままに、彼氏の別れやいろんなことで病み、外に出ればパニック障害になり、
家から出られなくなった。
A子以外のメンバーはもともと特筆するような頭の良さや環境の良さもなかった。
でも今では、美容師や保育士などの専門職として子育てしながら働いたり、新卒の頃から大手に勤め確固たる地位をとりつつ育休をうまく取りながらママをしていたり、アパレルメーカーからハイブランドに転職して経験を積んでいたり、WEB業界で自分の位置を少しずつ確立していたり。
いろんな道を歩んでいる。
結果として、自分が生きて行くためにはどうしたらいいのか?そのために何を身につけたらいいのか?
大人としては当たり前だけど、ちゃんとそれを積み重ねてきて他のメンバーの今はあるんだと思う。
だから、A子のことは心配だけど、なんの会話をしていいのかわからなくなってしまう。言葉をどう選んでも彼女にとってはつらい話ばかりになるのではないだろうか。
いま、A子は家のお金を好きに使い、後先を考えずにどこにきて行くかわからない洋服を大量に買うことで浪費欲を満たしているようだ。
彼女と私はグループ内でも2人きりで遊んだりしたことはない距離感だ。だからみんなで集まったとき、たまたま隣になった彼女から話しかけられたことをとても覚えている。
A子「私ちゃんはすごいよね。バリバリ働いて●●で少し有名になったりしてさ。私はいま、少し電車に乗るだけで発作が出るから仕事にも行けないし、家のこともやらないといけないからさ。羨ましいな」
でも、それでも、言わせて欲しい。
私たちは自分で自分の人生が少しでも楽しく明るくなるように頑張って努力した結果、いまがある。
あなたが周りに止められてもクズ彼氏に心血を注ぎ込み、その時そこそこ稼げるけど未来に繋がることのない仕事をして、20代の頃から自分で生きていく術を身につけなかったことは貴方自身だ。
これは考えすぎかもしれないけど、あなたにとってたぶん、学生時代の状況と今を比べると自分より周りの私たちが、自分が思い描いていたような未来を生きていること自体が耐え難いことなんだと思う。
それが見えるし、もう私たちには救ってあげられないから、その場だけ。一緒に飲み会にいてもその場だけを楽しむ言葉しか、もうかけることは出来なくなってしまった。
A子、あなたの人生を救ってくれるのは、お金でも家でも家族でも友達でもなく、自分自身だと私は思う。
今日があなたにとって1番若い時。今のまま実家でどんどん年を重ねたらもっと苦しくなるはず。だから自分の足で一歩を踏み出してみて欲しいと思っている。
6年間ありがとう
くだらない話、沢山したね
沢山笑ったね、かけがえのない日々
決して戻れない大切な時間だった
本当にありがとう
↑までは伝えた
今だから言うけど、
見せつけられるなんて思って無かったよ
こちらに来たいと一度も言わなかったね
交通費分も全く考えないでいつも割り勘だったね
いつも来てくれてありがとう、とか一度も言われた事がなかった
そこで過労問題にぶつかって本格的に体調崩した
でもその後の対応も全然心配してくれてないし変わらず放置だったよね
一切私のことを紹介してくれなかったね
紹介してとお願い、何回もしたのに、いつも笑って誤魔化して
言ってない、忘れてたって、事後報告だった
そのたびに、自己肯定感も心も壊れていくのがわかったよ
それで、好きとか言わないし、自分の気持ちを伝えてくれなかったのも辛かったよ
尽くしているのが馬鹿らしく思えてきたんだ
大切な話とか、将来の話をするといつも笑って誤魔化すか、スルーするよね
それでいて私から愛情表現がないと文句言うの、何なの?ってずっと思ってたよ
どんだけ自分が偉いと思ってるの?
あとわざとぶつかろうとして避けるの、修行とか言ってカッコつけてたけど
あれダサいよ。35歳にもなって何やってるんですか?
それに熱中するあまり私を放置してどんどん前に行くのキモかったよ
きっと、合わなかったんだろうね
根本的な何かが
彼の愛情表現をしないことや自分の意見を伝えられないのも含めて
彼の持ち味だと思ってたから許せてたけど、もうなんか疲れちゃったんだよね
都合の悪いことからの逃げ癖とかさ
35にもなって実姉と殴り合い→1年間口をきかないとか、大人のすること?
6年間返して
もう30になるんだけど
責任取れよと言いたいけど
もうこれ以上傷付くのは嫌だからさ
おつかれ
自分のブログにでも書こうかなと思ったけど、だいたい https://www.metacritic.com/pictures/oscar-best-picture-contenders-for-2019?ref=hp からのパクリだしそんなに力いれて調べてないので増田に放流します。
本命は『スター誕生』、『BlacKkKlansman』、『グリーンブック』あたりか。ノミネーションだけなら『ファースト・マン』や『女王陛下のお気に入り』も。
今年のカンヌで『万引き家族』の次点でグランプリを獲得した、黒人映画永遠のトップランナーの最新作。
黒人なのにKKKにもぐりこんでしまった潜入捜査官の実話を描く。
スパイク・リー監督作のなかでは『ドゥ・ザ・ライトシング』や『マルコムX』をも凌ぐ評価を獲得している(そして興行的にもここ十年で自己最高)。
公開時期が夏季であることと、ややコメディよりのタッチがノミネーションに不利に働くかもしれないが、トランプ政権下において「ブラック・リブス・マター」運動はまだまだ意気軒昂。「黒人映画」枠競争を勝ち抜くポテンシャルは十分だ。
ブラックパンサー(ライアン・クーグラー監督)
解説は不要だろう。今年米国内で最高興収をあげた作品にして、マーベル映画史上でも最も支持された傑作ヒーロー映画。
アメリカ国内外の黒人問題や歴史的視点にめくばせしてオスカー好みの社会性もばっちり備えているものの、やはり「アメコミ映画」のレッテルがネック。
まだまだ白人・男性・おじいちゃんが大勢を占めるオスカー会員にあっては弱い。ギリギリノミネーションがあるかどうか、といったポジションだろう。
余談だが一時期新設されそうだった「ポピュラー映画賞」部門はブラックパンサーを受賞させるために作られるのだという噂だった。裏返せば、作品賞本選に選ばれる格ではない、と会員からみなされているのだろう。
Can You Ever Forgive Me?(マリエル・ヘラー監督)
落ち目のライターが有名人の手紙や文章を捏造して高値で売る詐欺に手を出し、それが嵩じて博物館から実物を盗みだそうと企む実録犯罪コメディ。
日本ではあまり知られていないけれど主演のメリッサ・マッカーシーはアメリカで今いちばんアツいコメディアンのひとり。
夫のポール・フェイグと組んで『ブライズメイズ』、『SPY』、『ゴースト・バスターズ(リメイク版)』などの陽性の笑いでヒット作を飛ばしてきた。
そんなマッカーシーが一転してシリアスでブラックなコメディに挑戦し、見事大成功。本年度の主演女優賞ノミネートが確実されている。
演出したヘラー監督の手腕も高く評価されており、初の監督賞ノミネート、さらには作品賞も夢ではない。
とある気難しい現代っ子少女の中学生活最後の一週間を描いた青春コメディ。
中学生版『レディ・バード』にもたとえられる(中二病的な意味で)痛々しくも切ない、みずみずしくもどんよりとしたフレッシュなローティーンライフの描写が広範な支持を集めている。
監督は若干28歳のコメディアンで、なんとユーチューバー出身。アメリカ映画界における新世代の台頭を予感させる一本。すでに数多くの映画祭や映画賞にピックアップされている
オスカーはコメディを敬遠する一方で、サプライズ的なインディー作品を好む傾向にあるが、はたしてこの作品の出目は吉とでるか凶と出るか。最悪でも脚本賞ノミネートは固いか。
『ロブスター』、『聖なる鹿殺し』と強烈かつキテレツな作風で知られるランティモス監督最新作にして初の時代劇。
アン女王を演じるオリヴィア・コールマンを巡る二人の家臣(レイチェル・ワイツとエマ・ストーン)のバトルを描く百合時代劇……たぶん百合だとおもう。
すでに巨匠の地位を確立したランティモス監督の過去作のなかでも群を抜いて評価が高く、今年のベネツィア国際映画祭でも第二位にあたる審査員賞を勝ち取った。オスカー前哨戦となる各種賞レースにももちろん名前を連ねている。
今年の本命作のひとつとも目されるが、ランティモス特有の変態さ加減が(今回は脚本までは書いてないとはいえ)どこまでお上品なオスカー会員たちに受け入れられるか……。
『ラ・ラ・ランド』で幻の作品賞受賞というなんともかわいそうな結果に終わった(それでも本人は史上最年少で監督賞を獲っているが)デイミアン・チャゼルとライアン・ゴズリング。
そんな彼らのリベンジマッチが実録宇宙開発物語『ファースト・マン』だ。人類で初めて月面に降り立ったニール・アームストロング船長にスポットライトを当て、彼の視点からドラマを描く。
企画段階から作品賞ノミネートは当然、という空気のなかでプレッシャーを跳ねのけて見事高評価を集めた。ノミネーションはほぼ確実といっていいのではないだろうか。反面、今度こそ受賞なるかというと、今ひとつパンチがきいてないようで不安が残る。
オスカー前哨戦の最も重要とされるトロント国際映画祭で観客賞に輝いた作品。ここ十年で同賞を得た作品でオスカー本選にノミネートされなかった例はたった一回しかないのだ。
黒人差別が法的に是認されていた時代のアメリカで、自分もちょっとレイシスト入っている用心棒の白人男が南部へコンサートを開きに来た黒人ピアニストを送迎する仕事を命じられる。最初は「黒人のくせに上等なスーツを着てお上品にピアノなんぞひきやがって……」と反感を抱く用心棒だったが、行く先々で差別待遇を受けるピアニストに対してだんだんシンパシーが湧いてきて……という内容。
ほろ苦くもユーモアとメッセージ性に満ちた内容はまさしくオスカー好み。「分断されたアメリカ」というテーマのタイムリーさもある。ちなみに監督は『メリーに首ったけ』などのロマコメで知られるファレリー兄弟の兄。このところは過去のヒットコメディのリメイクなどで仕事に恵まれなかったが、もともと潜在的に持っていた社会派なセンスが一挙に花開いた。
If Beale Street Could Talk(バリー・ジェンキンス監督)
『ムーンライト』で一昨年の作品賞を獲得したジェンキンスの最新長編。今度こそはチャゼルにかっさらわれた監督賞もいただいて完全制覇を目論む。
原作は今年日本でもドキュメンタリー映画『私はあなたのニグロではない』が公開された、黒人小説家ジェームズ・ボールドウィンによる短篇。濡れ衣をきせられて収監された夫を助け出すために奮闘する若き妊婦のお話。
テーマの重厚さも話題性も十分だが、公開が当初予定していた11月から12月にのびたことが若干きがかり。クリスマス狙いのブロックバスター大作のなかで埋もれてしまう恐れがある。
Mary Queen of Scots(ジョージィ・ルーク監督)
互いにイングランド王位をかけてあらそったスコットランド女王メアリーとイングランド女王エリザベス一世を、それぞれシアーシャ・ローナンとマーゴット・ロビーという旬な女優が演じる。
脚本を担当したのは『ハウス・オブ・カード』や『スーパー・チューズデー 〜正義を売った日〜』などの現代政治劇の名手、ボー・ウィリモン。
いずれもオスカーノミネーション歴を有した名前ぞろいでクオリティも保証されている。同じくイギリスを舞台にした時代劇である『女王陛下のお気に入り』がライバルか。
ROMA(アルフォンソ・キュアロン監督)
世界的に見れば今年最も評価の高い映画といっても過言ではない。ベネツィア国際映画祭の最高賞。
1970年のメキシコ・シティで家政婦として働く女性とその一家のドラマをモノクロで撮る。
評価の高さと『ゼロ・グラビティ』でオスカーを獲ったキュアロンの知名度があれば当然作品賞も……となりそうなものだが、障害は多い。
まずスペイン語映画であること。長いオスカーの歴史のなかでこれまで十作品の外国語映画が作品賞にノミネートされてきたが、受賞にいたったものは一つとしてない。
次に Netflix 映画であること。カンヌみたいに公に締め出すことはしないにしても、アカデミー会員のなかでも動画配信サービス勢に対する反感は根強い。一昨年の『最後の追跡』やドキュメンタリー作品を例外として、『ビースト・オブ・ノー・ネーション』『マッドバウンド』といった作品たちもその年最高クラスの称賛を受けながらもオスカーノミネートには至らなかった。
いちおうネトフリも『ROMA』については配信に先駆けて劇場公開を行うなどの「オスカー対策」をやっているが、はたしてどうなることやら。
ちなみに Netflix でも来月に配信される。驚くべき時代になったものだ。
アリ― スター誕生(ブラッドリー・クーパー監督)
ショービズ映画の古典のリメイク。この八十年で三回目の映画化です。
本年度大本命に数えられる一本。批評家・観客からの圧倒的な支持率もさることながら、商業面でも大ヒット(現時点で世界興収三億ドルを突破)を飛ばした。主演のブラッドリー・クーパーとレディ・ガガの演技もさることながら、これがイーストウッド降板を受けての初監督となったブラッドリー・クーパーの演出にも嬉しい驚きが満ちているとかなんとか。
だが、一昨年の『ラ・ラ・ランド』、昨年の『スリー・ビルボード』と「早すぎる大本命」はかならずバックラッシュに晒されるのがオスカーという場。12月以降に猛然と差してくるであろう後続期待作たちを振り切れるかどうか。
Widows(スティーブ・マックイーン監督)
2013年にアカデミー作品賞を獲得した『それでも夜はあける』のスティーブ・マックイーン最新作。オスカー獲得後の第一作でもある。
シカゴでヘマをやらかして死んでしまった強盗たちの四人の未亡人(ヴィオラ・デイヴィス、エリザベス・デビッキ、ミシェル・ロドリゲス、シンシア・エリヴォ)が亡夫の後を継ぎ女だけの強盗団を結成するちょっと変わった犯罪映画。
マックイーンとヴィオラ・デイヴィスというアカデミー賞受賞コンビで鉄板の出来。
そのパワーでジャンルムービーを嫌うオスカーでノミネーションを勝ち取れるかが見どころだ。
Boy Erased(ジョエル・エドガートン監督)
厳格なキリスト教である両親のもとで育ったゲイの少年(ルーカス・ヘッジス)が教会の同性愛矯正プログラム(いわゆるコンバージョン・セラピー)に放り込まれ、セラピストとバトルする青春ドラマ。
近年では『ダラス・バイヤーズ・クラブ』のジャレド・レトがそうだったように、LGBTものは俳優にとってオスカー像への近道だ(スカーレット・ヨハンソンみたいに非LGBTの俳優がLGBTの役を演じることに倫理的な非難が高まりつつあるにしても)。
批評家筋からの評価的には作品賞には届かないかもしれないが、演技賞ではノミネートが有望視されている。
トランプ政権下でLGBTに対する抑圧が増しつつあるだけに、時事性も捉えているかもしれない。
GWブッシュ政権下で「史上最悪の副大統領」とも呼ばれたディック・チェイニー元副大統領をクリスチャン・ベールが激太り(何度目だ)+ハゲという負の肉体改造で演じたブラックコメディ政治劇。
他にも妻リン・チェイニー役にエイミー・アダムス、ラムズフェルド国防長官役にスティーヴ・カレル、GWブッシュ役にサム・ロックウェルなどアカデミー賞級の芸達者がずらりと並んでいる。
題材としてはなかなかトリッキーだがマッケイ監督の前作『マネー・ショート』がそうだったように、ツボにはまれば一挙にアカデミー賞ノミネートまで行ける。
同じく政治ネタでライバルだった『フロント・ランナー』(ジェイソン・ライトマン監督)の評判がいまひとつ芳しくないのも本作にとっては好材料。
The Old Man and the Gun Now(デイヴィッド・ロウリー監督)
名優にして名監督ロバート・レッドフォードの引退作。15才で逮捕されたときから人生を通じて強盗を繰り返してきた70才の犯罪者(レッドフォード)と彼を追う刑事(ケイシー・アフレック)、そして彼に惹かれていく女性(シシー・スペイセク)を描く実話犯罪コメディ。
作品賞ノミネートは微妙なところだが、レッドフォードはまず間違いなく主演男優賞候補入りするだろう。
ちなみにデイヴィッド・ロウリーの前作であるゴースト・ラブストーリー『A GHOST STORY』は今日から封切り。観に行け。
一方で、実話犯罪・老人・名監督にして名俳優と共通する要素の多い作品としてクリント・イーストウッド監督の『The Mule』にも注目しておきたい。こちらは80才の麻薬の運び屋をイーストウッドが演じる。映画祭などでもまだ未公開なため、どう転ぶかはまだわからないが、近年のイーストウッド作品に対するアメリカ人の冷め方からすると賞レース的な意味での期待はあまりできなさそう。
その他有望そうな作品
『シカゴ』でアカデミー賞作品賞をさらったミュージカルの名手ロブ・マーシャルがディズニーの伝説的名作の続編を制作。
エミリー・ブラント、ベン・ウィショー、こりん・ファース、ジュリー・ウォルターズといった英国の名優たちでがっちり固めつつ、リン=マニュエル・ミランダやメリル・ストリープといったミュージカルで定評のある俳優陣をフィーチャーし、万全の Permalink | 記事への反応(3) | 16:07
多分自慢に聞こえるんだろうけど、実際自慢です。
高校生の時からずっと体型が一緒(嘘。妊娠中だけ激太りした。プラス10キロ)
BMIで言うと18.5ちょうど適正体重。154cm、44kg。
なぜかと言うと、めっちゃウンチ出るから。毎日出る。なんなら一日3回とかでる。
ご飯、好きな時に好きなものを好きなだけ食べる。チョコとポテチとマック、大好き。油物も好き。
(でもそんなご飯に執着ない。忙しいと朝起きてから夕方までなんも食べない時もある。夕方ごろにあ!お腹すきすぎた!ってなって焦ってばくばく食べる。)
女性って、あぁー痩せたい〜とか、ダイエット〜の話題になること多いわけ。そんなとき、私思うの。あぁー、みんな、ウンチしてないんだー、って!
何かやろうと決めて本気で数ヶ月頑張ったあと、思うように結果がでないと全くやる気を失ってしまうんだけど、こういう場合にうまく持ち直す方法ってあるのだろうか?
自分はこんなことばかり繰り返している。
1) 数ヶ月本気でダイエット頑張った。徹底的な食事制限とトレーニングをしたけど効果でなかった->もう全くやる気がなくなってしまって今までの反動で激太りする
2) 数ヶ月本気で英語を頑張った。マンツーマンでライザップみたいな指導を売りにしてる英語塾で徹底的に頑張ったけどあんまり効果なかった->もうやる気がなくなる
みたいなことばっかりやっているんだけど、どうしたらいいのか。
いい方法があったら教えてください…効果が出なかったときにある程度やる気が無くなるのは仕方ないけど、自分の場合完全に0もしくはマイナスになるのでどうにかしたい。
私の周りには食べ物の好き嫌いが激しい人が何人かいる。最近彼らには共通しているところがあるなと思ったので書く。
食物アレルギーを持っていない。医師に食べることを止められているわけでない。
一緒にご飯を食べると毎回「これ嫌い」「あれ嫌い」と言ってくる。
皆それぞれ違うものを食べてても、嫌いな食べ物を見ると「それ嫌い」「見るのも嫌」と言い出す。
食べ物を嫌う理由が、大抵味ではない。美味しく感じるのに嫌うパターンもある。「見た目や名前が気持ち悪い」「呪われそうだから」「○○(国名)の料理だから」「嫌いな人が好んで食べてたから」「太りそうな気がするから」
「大好物ではないけどあれば普通に食べる」というものがなく、本当に大好きなものでないと口にしない。白ご飯や味噌汁等ベーシックなものも「大好物ではないから」口にしない。
食べられないわけではないものを、仕事等でどうしても食べなければならない時は食べる。だが食材が覆われるほど大量に醤油やソースやマヨネーズ、チョコレートソースをかけたり、塩を山盛りに振って食べる。店の卓上のものを使い切ってしまわぬようソース類をいつも持ち歩いてる人もいる。
大好物に対する執着が凄まじい。
大好物はキムチ、はちみつ、紅生姜、チョコレート、レモン、ラード等、味が一方向に偏っているものが多い。
例えばキムチが好きならキムチだけをひたすら食べる。朝キムチ、昼キムチ、おやつにキムチ、晩もキムチだけらしい。チョコが好きな人はキムチがチョコに変わる。とにかくそれしか食べない。
大好物風味の食べ物は絶対に食べない。大好物そのものしか受け入れられない。