はてなキーワード: 十戒とは
無能な味方という枠組みを制作するに当たり、もっとも分かりやすく、かつ納得がいく枠組みが宗教と呼ばれるジャンルの中に大量にあったりする。中でもユダヤ人の十戒は、いかにして無能な味方を見分けるかという視点で見るならば、笑っちまうほど的確で分かりやすい形でそれぞれの戒律が定められている。あわせて、キリスト教における七つの大罪についても、同じことが言える。
せっかくなので、双方の戒律から見る無能な味方の判別法についてを簡単に述べる。
基本中の基本。一つの集団を形成するために、一つの信仰を共有できなければ、それは味方とは言いがたい。
また、無能な味方を排除する際にも、一言「背信者」「背教者」とくっつけるだけで、あっという間にオサラバできる、大変に素晴らしい戒律である。
これまた基本。モノをあがめるようになると、命よりもモノが大事になるため、集団が生き残るにはモノをあがめるより言葉をあがめないといけない。
ここからが、集団に害する無能を見分ける機能に深く関わっていく。
恐ろしいことに、ユダヤ人の祖先はやたらめったら権威を振りかざすやつが味方にいてはいけないということをン千年前にすでに喝破している。
休めるときに休めないと、休んじゃいけないときに休まなければならなくなるため、こういった人間が味方にいるともしものときが怖い。
家庭環境がゴタゴタしている味方なんてのは、どんなに有能であったとしてもいずれボロが出るという話。
当たり前。でも、別に生存競争を否定するわけではなく、実際、ユダヤ人は決してホロコーストされ続けるような弱い集団ではなく、普通に、神の名の下にジェリコの戦いで住民の虐殺を行っていたり、数回にわたって行われた中東戦争で圧勝していたりする。もっとも、味方を殺すような存在が集団内にいていいわけがない。
昔も今も、恋愛というやつぁ人間関係のゴタゴタに直結するものであり、そういった感情を上手く制御できない連中を身内に飼ってしまうと、後々面倒なことになるという話。
これも当然。しかし、味方うんぬんという話以上に、敵に対しても同じである。これは、敵でも第三者でも、恨まれて当然の行為を禁ずる大変重要な話である。そして、そもそも、身内に泥棒がいたら全ての信用が失墜する。
同上。身内に嘘つきがいて、周囲の人間に信頼してくれとお願いしても、それは無理てえものである。
宗教が集団の話なら、これは世間の話。なんやかんやでアホみたいに利益ばかり追い求めれば、それは恨みを買う要因になるわけで、隣近所とゴタゴタ起こすやからを身内に入れてはいけないという話である。
やけに生活観のあふれるユダヤの十戒と比べて、キリスト教の七つの大罪は、完璧に戦時中、もしくは争乱に特化したつくりになっており、飢饉や疫病、戦争といった中世暗黒時代のかほりあふれる、無能な味方の割り出し方法となっている。
主君、および味方のトップ以外、戦争中、最も忌避すべき味方の第一位。自分が世界の中心と思っている味方が多くなればなるほど、作戦の遂行能力及び継戦能力の維持が難しい。
これまた、戦争中では忌避したい味方。戦争ではなくて、個人を見るようになってしまうと、徐々に大局観が失われていく。
喜怒哀楽の一つの感情であるため、これはいたし方ない部分もあるにせよ、これを抑えられる味方についていきたいのもまた事実。
これは、戦争以外の全ての生活においても言える話。怠惰な味方と一緒に成功を得るには、戦場以外の場所ならば普通の味方の4倍以上の努力が必要になる。これがもし戦場だったら、味方の怠惰のおかげで真っ先に最前線に送り込まれる。
これも戦争も含む全ての生活において言える話。もう一個、もう一人、もう少しという感情を抑えなければ、戦場では無様な死に直結し、商機では大損に突撃することになり、特に飢饉の場合、集団全体の死の可能性が高まる。正直なところ、飢饉の場合は、強欲な人間は殺されても仕方がなく、実際にそういった排除の論理は多くの民話に残されている。
これは、完璧に飢饉に関する集団内の排除の論理に直結する。いくら才能にあふれ、カリスマがあり、集団内に良い影響を与えたとしても、飢饉の際に暴食する人間は、集団全体の死に関わるため、やっぱり殺されても仕方がない。むしろ、飢饉などという非常事態に、才能やカリスマ、良い影響などといった話はまったく関係はなく、いかにして全員で耐え忍ぶかが重要になるため、耐え忍べない連中はどうしたって排除される。
上記のように、無能な味方には様々な要因が存在するが、基本的にたった一つの要因しか持ち合わせていないなんて話はまず無い。むしろ、2つも3つも悪徳やら罪を持ち合わせているような場合が多い。しかし、世の中は大変に困ったもので、七つの大罪のほかに七つの美徳と呼ばれる有能な味方の条件に合致する要素があり、そういった要因が複雑に絡まりあって人間が出来ている以上、そういった複雑な連中をいかに上手く制御していくかが、上に立つ人間にとって必須の技術となる。
忠義、希望、勇気、純潔、慈愛、純愛、友情、誠実、知識、正義、分別、節制、貞節、自制、寛容、勤勉、忍耐、親切、上品
・・・七つどころの騒ぎじゃない。けれども、一応、全て過去に七つの美徳に含まれたことのある要因である。ちなみに、味方が持っていて果たして有能かどうか微妙な要素もいくつか見え隠れするけれど、逆に言えば、それに反する悪徳を有していたら、とてもじゃないが目も当てられないという話がほとんどであるため、希望や純潔、上品といった要素が含まれるのも仕方がない。
無能な味方という枠組みを制作するに当たり、もっとも分かりやすく、かつ納得がいく枠組みが宗教と呼ばれるジャンルの中に大量にあったりする。中でもユダヤ人の十戒は、いかにして無能な味方を見分けるかという視点で見るならば、笑っちまうほど的確で分かりやすい形でそれぞれの戒律が定められている。あわせて、キリスト教における七つの大罪についても、同じことが言える。
せっかくなので、双方の戒律から見る無能な味方の判別法についてを簡単に述べる。
基本中の基本。一つの集団を形成するために、一つの信仰を共有できなければ、それは味方とは言いがたい。
また、無能な味方を排除する際にも、一言「背信者」「背教者」とくっつけるだけで、あっという間にオサラバできる、大変に素晴らしい戒律である。
これまた基本。モノをあがめるようになると、命よりもモノが大事になるため、集団が生き残るにはモノをあがめるより言葉をあがめないといけない。
ここからが、集団に害する無能を見分ける機能に深く関わっていく。
恐ろしいことに、ユダヤ人の祖先はやたらめったら権威を振りかざすやつが味方にいてはいけないということをン千年前にすでに喝破している。
休めるときに休めないと、休んじゃいけないときに休まなければならなくなるため、こういった人間が味方にいるともしものときが怖い。
家庭環境がゴタゴタしている味方なんてのは、どんなに有能であったとしてもいずれボロが出るという話。
当たり前。でも、別に生存競争を否定するわけではなく、実際、ユダヤ人は決してホロコーストされ続けるような弱い集団ではなく、普通に、神の名の下にジェリコの戦いで住民の虐殺を行っていたり、数回にわたって行われた中東戦争で圧勝していたりする。もっとも、味方を殺すような存在が集団内にいていいわけがない。
昔も今も、恋愛というやつぁ人間関係のゴタゴタに直結するものであり、そういった感情を上手く制御できない連中を身内に飼ってしまうと、後々面倒なことになるという話。
これも当然。しかし、味方うんぬんという話以上に、敵に対しても同じである。これは、敵でも第三者でも、恨まれて当然の行為を禁ずる大変重要な話である。そして、そもそも、身内に泥棒がいたら全ての信用が失墜する。
同上。身内に嘘つきがいて、周囲の人間に信頼してくれとお願いしても、それは無理てえものである。
宗教が集団の話なら、これは世間の話。なんやかんやでアホみたいに利益ばかり追い求めれば、それは恨みを買う要因になるわけで、隣近所とゴタゴタ起こすやからを身内に入れてはいけないという話である。
主君、および味方のトップ以外、戦争中、最も忌避すべき味方の第一位。自分が世界の中心と思っている味方が多くなればなるほど、作戦の遂行能力及び継戦能力の維持が難しい。
これまた、戦争中では忌避したい味方。戦争ではなくて、個人を見るようになってしまうと、徐々に大局観が失われていく。
喜怒哀楽の一つの感情であるため、これはいたし方ない部分もあるにせよ、これを抑えられる味方についていきたいのもまた事実。
これは、戦争以外の全ての生活においても言える話。怠惰な味方と一緒に成功を得るには、戦場以外の場所ならば普通の味方の4倍以上の努力が必要になる。これがもし戦場だったら、味方の怠惰のおかげで真っ先に最前線に送り込まれる。
これも戦争も含む全ての生活において言える話。もう一個、もう一人、もう少しという感情を抑えなければ、戦場では無様な死に直結し、商機では大損に突撃することになり、特に飢饉の場合、集団全体の死の可能性が高まる。正直なところ、飢饉の場合は、強欲な人間は殺されても仕方がなく、実際にそういった排除の論理は多くの民話に残されている。
これは、完璧に飢饉に関する集団内の排除の論理に直結する。いくら才能にあふれ、カリスマがあり、集団内に良い影響を与えたとしても、飢饉の際に暴食する人間は、集団全体の死に関わるため、やっぱり殺されても仕方がない。むしろ、飢饉などという非常事態に、才能やカリスマ、良い影響などといった話はまったく関係はなく、いかにして全員で耐え忍ぶかが重要になるため、耐え忍べない連中はどうしたって排除される。
上記のように、無能な味方には様々な要因が存在するが、基本的にたった一つの要因しか持ち合わせていないなんて話はまず無い。むしろ、2つも3つも悪徳やら罪を持ち合わせているような場合が多い。しかし、世の中は大変に困ったもので、七つの大罪のほかに七つの美徳と呼ばれる有能な味方の条件に合致する要素があり、そういった要因が複雑に絡まりあって人間が出来ている以上、そういった複雑な連中をいかに上手く制御していくかが、上に立つ人間にとって必須の技術となる。
忠義、希望、勇気、純潔、慈愛、純愛、友情、誠実、知識、正義、分別、節制、貞節、自制、寛容、勤勉、忍耐、親切、上品
・・・七つどころの騒ぎじゃない。けれども、一応、全て過去に七つの美徳に含まれたことのある要因である。ちなみに、味方が持っていて果たして有能かどうか微妙な要素もいくつか見え隠れするけれど、逆に言えば、それに反する悪徳を有していたら、とてもじゃないが目も当てられないという話がほとんどであるため、希望や純潔、上品といった要素が含まれるのも仕方がない。
ましてやお裁縫も出来ないし、
お裁縫できないけど、
生地に穴空けて暖簾みたいに棒に通してっていう暖簾は生地引っかけるだけだけど出来そうかなーって
本当に暖簾に腕押しというか季節の雰囲気が出て気分転換になるのよね。
そいでさ、
生地屋の店員さんが恐らくそこの売ってる生地でこしらえたシャツがカッコよくって、
ナイスな肉柄なのよ肉!
焼く前のステーキ肉がずらっと色々な部位の生肉柄になった素敵な生地があって、
売り場見たところどうやら売り切れみたいで
お兄さんにそのシャツの柄カッコいいわね!って言って
残念ながら調べてもらったけど
売り切れだったわ。
なかなかパンチある生肉の柄のコットンのプリント生地は本当に欲しくなっちゃったわ。
でね、
いつもだいたい用もなく
生地屋さんに行って
生地を5~6種類買ってみたりするの。
生地あげちゃったりして、
何かを作ってるみたいだけどね。
なんか私も生地があって
気の効いたものでも作れたらなぁーって思うけど、
その生地屋さんで陳列されている、
この生地を使ってこんなので着ましたーって
鞄とかシャツとか置いてるんだけど、
そういうおいてるのを見ると型紙を見て、
四角い紙型だからもしかしたら簡単にできちゃうのかも!?って暗示にかけられそうだけど
やってみたら絶対難しいと思うし
慣れてないとまずハサミで生地を上手に真っ直ぐ切れないと思うわ。
くねくねに真っ直ぐに切れないへんてこりんな生地のカットになりそう。
あのあれ
刻み海苔もジグザグに切れちゃいそうな
ピッキングハサミで生地を切ればそれだけでなにか手が加わっている感じがして、
穴は上手い具合に開けなくちゃいけないけど、
私でも出来ちゃいそうじゃない?
われながらか来ながらそう思った次第よ。
あれってなんとか
刃がうねうねになってるパン切り包丁でもうまくギザギザに切れないかなーって横着しそうだけど、
想像を絶するほど思った通りにはパン切り包丁では切れないと思うわ。
ピッキングハサミだけなら
買って使わなくなったとしても
ソーイングビーみたいにあんなテクニカルなことは流石に出来ないけど、
もちろん簡単なことも出来ないけど
私にも、できらぁ!!!って
あのお馴染みの両手鉄爪のばしポーズをとって
鉄爪出てきそうな気がするもん!
実際出ないんだけど。
気持ちが大きくなると言うか、
そういうことでもあるわね。
このまま気持ちが大きいままな勢いで
ピッキングハサミを買って
北海道の大地にあのあれよラベンダー畑の丘の上で拳を突き上げるようにハサミを突き出して
ピッキングハサミ買ったどー!って
やりたいぐらい気持ちが大きいのよ。
あれを想像して欲しいんだけど、
私が北海道の大地のラベンダー畑にピッキングハサミを掲げつきだしているずーんって映るドローン映像に
バックグランドミュージックは北海道なのでもちろんヘンゼルとGLAYのテルさんの曲とで!
なかなか画になると思うわ。
でもマジで
ピッキングハサミなら買ってみよっかなーって思ったわよ。
あ!
もう一つ超閃いた!!!
ピッキングハサミを使ってエックスメンのウルヴァリンさんみたいに
鉄の爪が伸びた悦に入っている表情の格好のポーズももしかしたらできるんじゃね!?って
これぞ本当に一石二鳥というか、
願わなければ叶わない!
叶わなければ願わない!
夢ってそう言うものじゃない?
やっぱり日々思い続けていることがそう言う閃きととともに
あとの残りの円グラフの99パーセントはいったい何なのよ?って
私はそんな努力とか根性とか義理人情とかでその99パーセントを占めたくはないんだけど
あえて言うのなら
運99パーセントってところかしら?
そう思わない?
私は運がいいのよ!
うん!うん!
なんてね!
とりあえず
ピッキングハサミダッシュで買ってきてウルヴァリンさんのあのポーズやるわ!
北海道に行かなくとも
どこでも出来るしね!
うふふ。
迷ったらこれって感じかしら。
迂闊に殿堂入りしたタマゴサンドをそう簡単にたやすく毎日食べていいものかと自分への十戒の1つでもあるわ。
麦茶よろしくコールド麦茶ウォーラーが美味しくできて毎日ご機嫌さんです。
時間がないときほったらかせられるスッキリと雑味のない水出しで作るときがあって、
ぜひ試して欲しいわ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
引用するくらい真面目な増田なのでそのうち気づくと思うが、聖書に書いてあることってめちゃくちゃなんだよね。
引用の「コリント信徒への手紙」にも出てくる偶像って要は、十字架とかキリスト像マリア像のことだからね。
知らない人はびっくり。
ゲイ?同性愛?に関する記述なんて片手で数えられるほどで聖書は同性愛を認めてるかと揉めるくらいなのに、「偶像崇拝の禁止」についてはほぼ全編でくどいほど訴えまくってます。
引用したら多分文字数制限で引っ掛かって増田に投稿できないレベルです。
なんで偶像崇拝が禁止なのかは今回の騒動を見てもわかりますね。
「カトリックがー」って騒ぎになってるのは「カトリックという権威」が偶像化されてるからで、偶像化した権威って宗教の形すら歪めちゃうわけですよ。
恐ろしいですね。
十字架とかキリスト像なんかは、「特にカトリックのみなさんが大好きなもの」っす。
いやあ、「聖書に書いてあるから~」とか主張してたのが馬鹿らしくなりますよね。
聖書の記述なんて鵜呑みにしてたら、カトリックの時点で神の国に行けねーから。(byプロテスタント)
他にも姦通だとか人のものを奪うとか強欲とか酒におぼれるとか、まんまカトリックのやってきた負の歴史そのものですねえ。
十戒(神の意志そのもの)にある「人殺すな」「物盗むな」すら守れてないわけですし。
まあそういう腐ったカトリックに反発してプロテスタント(十字架やキリスト像を崇拝しない)が生まれたんだけど、このプロテスタントも「聖書の記述に忠実」とか言いつつ、やってることめちゃくちゃなんだよね。
(プロテスタントはアメリカの宗教と言えば意味が分かってもらえるかもしれない。プロテスタントもゲイがお嫌い。でも近親そうk)
ほんで、アル中だったりDVしたり人種差別してる田舎のプロテスタント親父が「ゲイとかありえねえよな」って言ってるわけ。すごいね。
他にも、みだらな者とか酒好きとか嘘つきとかある通り、「聖書の記述通りならゲイは~」とか言うんだったらすべての人類が同じ扱いだから。
知ってるか、オナニーって許されてないんだぜ。
自分の妻以外に欲情したら神への裏切りなんだぜ。そういえば教会関係者の児童ぎゃk
「ゲイどころかお前ら全員ゴミで地獄いきだボケ」って書いてあるのが、聖書。
娼婦を赦したり、信者からすると本当に困った人ですねキリスト君は。
それを解釈で捻じ曲げて、殊更にゲイを「政治的に」悪者にしてるってことなわけ。聖書の内容じゃなくてそれを利用する側の話。
まあ死刑囚が刑の執行前に神父に祈ってもらったりするけど、死刑になるような凶悪犯だってそんぐらいの扱いはしてもらえるわけで。
ゲイがどうとかってのは(宗教を利用する教会側という)「政治的な問題」でしかなくて、宗教的な問題じゃないのですよ。
ゲイも赤ちゃんも社長さんも等しくすべての人類がゴミだけどお前らゴミを救ってやるよってのがキリスト教なんだけど、
誰がどんな理屈を必死でこねようと、「人殺す」「物盗む」より同性愛の方が罪が重いなんてことはあり得ないわな。
聖書に従うなら偶像を有り難がってる全カトリック教徒よりも罪は軽いんじゃね。
アーメン。
「イリアス」は捕虜の奴隷女の配分をめぐった交渉がこじれた結果、勇者が拗ねて戦場に出ず、味方がどんどん死ぬところからスタートするので、昨今の倫理観からは問題があり、神話初心者にはこっちをお勧めしたい。「オデュッセイア」も家で待っている妻を忘れてよその女のところで数年過ごすが、まあ魔法をかけられていたということでこっちのほうがマシだ。舞台もあちこち移動するから飽きないし。
ユニークなのは、劇中劇的にオデュッセウスが時間をさかのぼって事件の進展を語る箇所があることで、ホメロスの時代にはすでに出来事が起きた通りに語る手法が飽きられ始めていたのかな、と想像できる。
実は「ラーマーヤナ」とある共通点があるが読んでみてのお楽しみ。
聖書はなんせ二千年前以上の宗教書だから、原典に当たる前に基本的な出来事の流れと時代背景や当時の常識を理解していないと読解が難しい。当時のユダヤ民族の偏見も混じっているし。加えて、ところどころ立法全書的に当時の習慣や禁忌を延々述べる箇所があり、通読はさすがにできてない。新約聖書だけは何とか意地で読破した。
ところで、どうして「創世記」だけを取り上げたのだろう。たとえば物語として盛り上がるのは「十戒」の「出エジプト記」だ。「ハムナプトラ」とかでエジプトが悪役になるのは大体これのせい。いきなりこれにチャレンジするのなら、手塚治虫の聖書物語のほうがいいかもしれない。
犯人探しが不幸を呼ぶことから嫌ミス的な要素もあるし、ギリシア神話の「不幸な運命を避けるために必死になって行動した結果、結局その運命を呼び寄せてしまう」というアイロニーが大好きな自分としては、その典型例なので好物だ(予言を鵜呑みにした結果ドツボにはまる「マクベス」も好き)。
これが面白かったら、アイスキュロスの「オレステイア三部作」もおすすめしたい。何世代にもわたる恨みの念が恵みの女神として祀られることで鎮められるというモチーフは、異国のものとは思えない。
一般教養で唐詩の授業を取ったので岩波文庫でぱらぱらとめくった覚えがある。なにぶん昔のことなので記憶は曖昧なのだが、はっきり覚えているのが王梵志の「我昔未生時」で、天帝に生まれる前の時代の安らぎを返してくれるように願う詩だ。当時は反出生主義が哲学・思想界隈でここまでホットなトピックになるとは予想してはいなかった。
酔っ払いの詩。酒が飲める酒が飲める酒が飲めるぞーという内容。著者は文学者であっただけでなく天文学者・数学者としても知られるが(三次方程式を解いた実績がある)、ここで展開されている詩はひたすら現世の美しさとはかなさをうたったもので、酔っ払いは世の東西を問わず、というところか。イスラム世界の厳格なイメージをひっくり返してくれるので面白い。ガラン版のアラビアンナイトや高野秀行の「イスラム飲酒紀行」とあわせてどうぞ。
フィレンツェを追放されたダンテが苦しみの中生み出したキリスト教最高峰の文学のはずだけれど、とにかく気に食わない政敵を地獄でめちゃくちゃな責め苦に合わせているところを面白がる下世話な楽しみ方ができる。地獄にいる人物は聖書やギリシア神話、歴史上の人物も多く、ヨーロッパの歴史や文学をざっくり知っているとダンテがどれだけやりたい放題やったかがわかるので愉快。
ただし、地獄編の続きの煉獄編・天国編はキリスト教哲学をかじっていないと結構しんどく、しかも風景が山あり谷ありの地獄と比べてひたすら恵みの光が明るくなっていくだけなので、絵的に面白いのは地獄のほうだ。
ついでに、ヒロインがかつて片思いをしていたベアトリーチェという女性なので、ベアトリーチェの美しさを歌う箇所も下世話な目線で楽しめる。妻帯者の癖に未練たらたら。
未読。後述のラテンアメリカ文学とかジョイスとかは読んだんだが、そこに出てくる過剰なものや糞尿譚も結構楽しんだので、いつかは読みたいと思っている。
四大悲劇と「ロミオとジュリエット」はざっくりと読んでおくと、いまにも受け継がれているネタが結構あることがわかって楽しいし、意外と下ネタのオンパレードなので当時のイギリス人に親しみを持つことができる。ついでに上記のうち二作は黒澤明の映画の元ネタでもある。
興味深いのは、劇中劇というかメタフィクションが必然性を持って登場することだ(父を殺した叔父の目の前で、その殺人の場面そっくりの劇を演じて動揺させるシーン)。すごく先進的だ。かっこいいぞシェイクスピア。
基本的には正気を失ったおじさんが繰り広げるドタバタ劇で、下巻では著名になったドン・キホーテをからかう公爵夫妻までも出てくる。これだけだと精神を病んだ人をおちょくる悪趣味な書物だとしか思えないのだが(というか最初は時代遅れの騎士道精神を批判するために書かれた)、昨今はドン・キホーテに同情的な解釈が主流。最近テリー・ギリアムが映画化した。
自分が道を踏み外した元凶。誰だこんな子供を人間嫌いにする本を児童書の棚に並べたのは。クレヨンしんちゃんを夕方アニメにするレベルの蛮勇だ。四部作だが、最後の馬の国では人間という存在の醜悪さをこれでもかと暴き立てており、おかげさまですっかり自分は人間嫌いで偏屈な人になってしまった。作者の女嫌いの影響を受けなくて本当に良かった。
とはいえ、当時のアイルランド支配はこれほどまでの告発の書を書かせるほどひどかった、ということは知っておきたい。
夏目漱石「吾輩は猫である」に出てくる。基本的にはふざけた話であり、著者が自分の誕生から一生を語り起こそうとするがなかなか著者自身が誕生せず、しかも物語の進捗が遅いせいで半年ごとに本を出す約束なのにこのままでは永遠に現在の自分に追いつかない、みたいな語りで笑わせてくる。挙句の果てに著者が途中でフランス旅行に出かけてしまう。英文学というジャンルがまだ黎明期なのに、こんな愉快なのが出てくる懐の深さよ。
だが、これだけふざけているのに、登場人物の一人がうっとうしい蝿を「この世の中にはおれとおまえと両方を入れる余地はあるはずだ」といって逃がしてやるシーンはいい。
未読。「毛皮を着たヴィーナス」と「眼球譚」は読んだんだが。バタイユどんだけおしっこフェチなんだよ。自分もお尻とかブルマーとか競泳水着が好きだから笑わないけどさ。
個人的にはとても好き。人生できっと何かを成し遂げられるはずという万能感ある思春期に読みたい。主人公の行為は決して褒められたものではない。様々な悪事を働き、幼い少女を妊娠させたうえ捨ててしまう。このシーンのせいで、もしかしたら二十一世紀には読み継がれない古典になってしまうかもしれない。しかし、主人公が最後にたどり着いた境地の尊さの価値は失われることはないと信じている。現世で最も美しい瞬間とは何か、あらゆる物質的な快楽を手に入れた主人公が見つけた答えを読んでほしい。後半はギリシア神話を知らないとつらいかもしれないが、そのためにギリシア神話入門を読む値打ちはある。
未読。同著者の「赤と黒」は貧乏な青年がひたすらのしあがろうとする話で、あまりピンとこなかったのだが、文学サークルの友人から最近来たメールに「訳者を変えて再読したら面白かった」と書いてあった。
さえないかわいそうなおじさんが好きなので好き。ロシア文学というものは、名前がややこしいうえに同じ人物が様々に呼ばれるので敬遠されがちなのだが(イワンが何の説明もなくワーニャと呼ばれるなど)、登場人物をメモしたり、ロシア人名の愛称の一覧を頼りにしたりして飛び込んでほしい。このハードルさえ超えれば最高の読書体験が待っていることは保証する。ロシア文学はいいぞ。
ポーは大好きなんだけどどうしてこれを代表作に選んだのかはよくわからない。個人的には王道の「黒猫」とか「アッシャー家の崩壊」とかを最初に読むのがいいと思う。中学生の頃、狂気や暗鬱さにどっぷり浸っていた頃に読んだのだが楽しかったし、作中の詩が今でも世界で一番好きな詩のひとつだ。ちなみに、東京創元社のポー全集には、ポーのユーモア作品もいくつか収録されており、意外な顔を知ることができる。もっとも、今読んで面白いジョークかどうかまでは保証しないが、こじらせ文学少年・文学少女としては必読か。
最高の昼ドラにして非モテ文学。俺は愛されずに育った、俺は永遠に誰からも愛されない、だから他人の幸福を破壊してもいい、的な気分に一度もでもなった人は何としても読んでほしい。
映画「マチルダ」の中で児童書に飽きた天才少女がこれを読もうとする場面があるんだけど、これ小学生が読む本じゃないだろ。単純に難しいのではなく、とにかく話が脱線しまくる。まともにストーリーが進まずに、著者自身のクジラに関するうんちくが延々と続く箇所もある。雑学隙の自分は楽しく読んだが。
敵のクジラを殺してやろうとするエイハブ船長の狂気についていけるかどうか。
自分が人妻萌えを発症した元凶の一つであり、世界文学初のカーセックスシーンがあることでも知られている(自動車ではなく馬車でだが)。ストーリーは夢見がちな女性が夫に幻滅して若い男やチャラ男と浮気し、サラ金から借金を重ねて自殺するという「闇金ウシジマくん」的なノリ。妻の浮気を知ったさえないボヴァリー氏の哀れな反応は必見。自分が寝とられ文学が好きになってしまった元凶の一つ。
それは今思えば、望まぬ妊娠や暴力に晒されんことを祈り、娘を想っての言葉だったのだろうが、いかんせん言葉が足らなさ過ぎる。
モーセの十戒の内容だけを伝えても、伝えられた相手がモーセがどんな人物か、聖書がどんな内容か、ましてや聖書の存在理由などを理解してくれるわけねーだろうが!という感想しかない。
なので、隠れてエロ本を読むエロガキのような感じで夢小説を読み耽っていた。
多分内容は理解していなかったけど「悪いことしてる」感がたまんなかった。
子どもなのでバレて怒られていたが、その場ではションボリして、隙を見てまた読む。また怒られる。
私は「R-18」と書かれていると「まだ18才じゃないからダメだ」と激裏ページに行かないような、正真正銘のエロガキだった。
親とかいう(兄と違い私は父親が違う説があるので、望んでかどうかは微妙だが)望んで子種をばら撒き、私を腹からひり出したという実績を持っているだけの他人の言葉を信頼して拠り所にするのは間違いだったなと、今になって思う。
父親は気分が向いたら暴力振るうわ怒鳴るわ嫌味言うわ、かと思えば私の尻を触るし、親戚もそんな感じだし、兄は胸が大きくなってくると揉んできたし、使用済みナプキン漁るし勃起したちんこ見せてくるし家事してる私にちんこ押しつけてくるし。
母親は祖母と組み、やれ話す言葉がいやらしいだの、着ている服が派手だの、下着の色までチェックされ、時には罵詈雑言を浴びせてくるし。
最悪アベンジャーズか?
「汚いわね、売春婦が着るような色の下着なんて着て」「お前の胸が大きいのはお前がいやらしいからだ」「お前の初潮が早かったのはお前がいやらしいからだ」
他にも色々あるけど、どれも自分の土壌を作れていないし知識も頭に入れてない子どもには、よーく刺さる言葉だった。
他にも近所のクソガキにレイプ未遂され、電車に乗れば痴漢され、小さい頃には誘拐未遂と属性てんこ盛りである。
こんなに意味ありげに羅列しといて何だけど、そんな感じだったからか、ぶっちゃけた所わかんないけど「私は恋愛をすべきではない」という気持ちが強く根付いた。
灰色のパーカーを着て、毛玉がついたバッツバツのレギンスを履く。
靴はかかと踏みまくったスニーカー。
たるみきった体にはいつからか脂肪がつき、鶏むね肉の擬人化になっていた。
それから家に引きこもり、オタクになり、サンホラを聴き、アリプロを聴き、謎にワンピースをディスり(今は大好き)、孤独にもだんだんと慣れ、「私はずっとこのまま親のスネをかじり、恋愛とかできずに生涯を終えるのだろう」と薄らビジョンを描いていた。
とかなんとかしてたら、高校あがってすぐお母さんが死んだ。
持病だった。
良くも悪くも人生の転機だった。
お母さんっ子のティーンエイジャーが早々に母親の死が受け入れられるはずもなく、Twitterでは荒れまくった。怒り狂い、なんにでもキレてツイートする日々が続いた。
こんな事になるのなら母親ともっと一緒にいればよかった。いっぱいお話すればよかった。いっぱいおいしいご飯を食べさせてあげればよかった。
鶏むね肉の擬人化は、自分を責める想いを、誰かを責める形で穴埋めしようとしたのだ。別にそれで自分はすっきり納得しないことを分かった上で。
「多分このままじゃダメなんだけど、時間が解決してくれたらいいな〜」
とか言って、夢小説を読んだ気がする。
内容はよくわからなかった。
彼氏ができたのだ。
私は超舞い上がった。ツイート頻度は減った。
でも今よりイキりまくった。
性器を押し付けられたり、とにかく性的なことを強要されないことが幸せすぎて「生きてていいのかな?」と疑問さえ抱いた時もあった。
これまでも何度か喧嘩もして、「どうしよう」と慌てた。
そんな幸せの解像度が上がる中、pixivで夢小説を読み直してみると、解像度が上がりに上がった。
ぎゃあ!!!!!これが恋か!!!!!!!人を愛する想いか!!!!!!!!
私はただ、愛して欲しかっただけなんだ…ってお母さん死んでから気づいたよ。隣にはもう彼氏しかいないよ。
そんなある日に「そういえば彼氏の言うこと、全部夢小説で聞いたな????????」という考えに行きつき、電流が走ったような気持ちを味わった。
「君の髪、綺麗なんだから手入れしなきゃだよ」
「この料理おいしいよ」
「お前は華奢で小さいな」
「可愛いね」
「その服、似合ってるよ」
「大好きだよ」
「愛してる」
一例でこんな感じである。
ヤバいな!!!!!!!!全部魔法のiらんどで!!!!HPフォレストで!!!!pixivで見たことあっぞ!!!!!!
それを彼氏に初めて共有しようとした時、「…そうだね、俺もリボーンで、ちょっとね」と少し切なそうに笑っていた。
お前もかよ。
最近話題(?)のおけけパワー中島騒動見てて思ったんだけど、我々オタクが崇めるべきはどっかの二次創作者じゃねーんだわ、原作者だったりゲーム運営だったりなんだわ。
何で公式に金と時間費やさねーの?どっかの二次創作者に熱あげたところで、それらの原作の神作者や神運営には一銭も入んないじゃん?我ら下々のオタクが貢ぐべきは公式なんだわ。
君ら分かってんの?原作者や運営がいなかったらそもそも二次創作も生まれないじゃん?我々が崇めるべきは公式なんだよ。我々オタクにとっては公式がヤハウェなんだよ。
公式の他に神がいちゃいけないし、二次創作って名の聖像ぶっ立てて、公式という神を我々オタクと同じフィールドに引き摺り下ろしちゃ駄目なんだわ。十戒を心に刻め。
愛ある二次創作ならまだいいよ。でもさ、二次創作ホモの大半は綺麗にコーティングしたきったねえ欲望ぶつけてるだけじゃねーか。まだ自分はオナニーしてます!て宣言してる男性向けエロ絵描きは潔いけど、二次創作腐女子さんは純愛なの…!とか言い出すからアホかと。
百歩譲ってソシャゲ界隈はまだいいよ。ソシャゲ界隈って二次創作ありきでストーリーとかキャラとか作ってる感あるし。でもさ、特に少年漫画でシコシコ二次創作ホモかいてるやつ。何考えてんの?少年漫画の男キャラたちはセックスしませーーーーん!!!!!
いや、ぶっちゃけ思春期と同性愛ってかなり親和性高いものだと思うよ?かの先生だって言ってるしね。同性愛は恋に上る階段で、異性と抱き合う順序として、まず同性のところへ動いてくるんだって。
でもさ、セックスはしねえだろ……特にライバル同士をラブラブにしていちゃらぶセックスさせちゃうやつ。一体何を見たらそんな地獄が出来上がるの?
そんなに書きたいホモがあるんだったらなぁ!一次創作として書けや!一次創作だったらてめーが公式なのになんで他人が頭痛めて産んだ創作キャラをよってたかってレイプしてんだよ!!!そんでもってなんで誰が一番上手く犯せたかを競い合ってんだよ馬鹿か!!!そもそも原作レイプすんじゃねーよ!!!!!!!
ワンピースがエッチすぎて公共にふさわしくないと噂になっています。
ですが、ジャンプにはワンピース以外にもエッチな漫画はたくさんあります。
そこで、ワンピース以外のエッチなジャンプ漫画キャラクタを紹介します。
空白の数年間の間翔陽は鷲匠監督の家で書生みたいなことをして一緒に暮らしてた時期があるはずなんですよお
このハイキューという物語の構造自体がもう、鷲匠監督が翔陽のことを好きだと正直に言うまでの過程を丁寧に描いていただけなわけじゃないですか!
ダメなんだ、おいらはもう諏訪部順一の声を聞くだけで濡れちゃう体にされちゃってるんだ
え!? さらに諏訪部順一と羽多野渉が夜の課外授業!? はい、もう、ダメでーす。エッチ警報発令してるので、ジャンプは発禁でーす。
デート回やばかった。感情移入するタイプの読者なので、声帯が小林ゆうになればデートできるのかなあとドキドキしていた。
全てです。全てがエッチです。はいあーエッチのエッチのエッチチー。
ネタバレすると殺されるので何も書きませんが、電車の中で泣いちゃったよ。
未だに夜寝る前に思い出してはムズムズしてねれない日々を過ごしています。
悲しいなあ…… でも悲しいってエッチなんだよなあ……
はてな匿名ダイアリーで真冬先生以外のキャラクタを好きだと書くと折檻されて折檻されて心を去勢されてしまう日々が続いていました。
ですが、まあ、今では本心で先生ルートで終わって欲しいという気持ちでいっぱいです。
いや、他のヒロイン、一緒に暮らすの怖いし、なんか。
今からもう二人の再開を想うと胸がいっぱいです……
なんか物語的には終わりそうですが、この二人の関係性もどうなるのか気になりますね。
ぷちアクタージュみたいなスピンオフ四コマ漫画でずっと景と千世子がデートするやつ読みたい。
私の好きの性癖の塊かよ。
スピンオフ読みたいよおって毎日星に願ってたら本編で過去編が始まったとき腰抜かした。
ゲロ食べさせるの読んだ後性癖広がってしまったのだけど、この作者ちゃんと責任とるきあるのかな?
乙女ゲームにおける女性サブキャラ( https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/42981.html )が好きなので、この子も好きなんだ。
おねショタ十戒をちゃんと守っている良作なので、ちゃんと評価する必要がある。
血縁関係もいいよね…… 姉が欲しい。姉の子供を可愛がりたい。
わからなくない? この漫画、今結局どっちがどっちなんだっけ? ややこしいよ。
親友キャラ(ギャルゲー)( https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/7557.html )が好きなので、この子も好きなんだ。
お当番回まだー?
カマトロPかと一瞬思った落差でまだちょっと真面目に読めてない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8A%AC%E3%81%AE%E5%8D%81%E6%88%92
1. 1社での勤務年数はだいたい3年から5年です。
あなたの会社から離れることは私にとって大した負担ではありません。
どうか、私を雇用する前にそのことを覚えておいてほしいのです。
2. あなたが私に何を求めているのか明示してください。
3. プロとして信頼してほしい。
4. 私を長い時間会議に参加させたり、無理な納期を設定して長時間拘束しないでください。
あなたには他にやることがあって、楽しみがあって、友達もいるかもしれない。私もそうなのです。
5. 直接話しかけたり内線を掛ける前にSlackで一声かけて欲しい。
6. あなたがどのように私を扱ったか、私はそれを決して忘れません。
7. 私にハラスメントをする前に覚えておいて欲しいのです。
私はあなたの会社の悪評を広めることができるにもかかわらず、今はそれをしないでいるのです。
8. 私が言うことを聞かないだとか、頑固だとか、怠けているからといって説教する前に、
もしかしたら、プロジェクトに問題があるかもしれないし、長い間休暇を取れていないのかもしれない。
9. サービスに障害が起きても、エンジニアに対応を任せっぱなしにしないでください。
■ 人々は不合理で、非理性的で、自分勝手です。それでも彼らを愛しましょう。
→ 人々ってひっくるめてそういう風に決めつけるの、不合理で、非理性的で、自分勝手な態度だと思う。
■ あなたが善い行いをなしても、人々は下心があると言うでしょう。それでも善をなしましょう。
→ 下心があっても善行なんだったらいいじゃない。
■ 成功をすると、偽の友人や真の敵を得るでしょう。それでも成功を目指しましょう。
→ そこ見分けられないと失敗するんじゃん?
■ あなたが今日した善行は、明日には忘れ去られるでしょう。それでも善をなしましょう。
→ みんなに覚えててほしいとか思うことがすでに下心だろ?別にまあいいけど、下心があるって言われるのがいやなんだったらそこ矛盾してない?
■ あなたの正直さや素直さは、あなたを弱くするでしょう。それでも正直や素直でありましょう。
→ 嘘つきで捻くれてたら強くなるの?逆じゃね?弱いから嘘つきで捻くれるし、強いから正直で素直でいられるんじゃん。
■ 大志を抱いた人々が、浅はかな小人に撃ち落とされるかもしれません。それでも大志をいだきましょう。
→ 撃ち落としにくるのは浅はかな小人だけじゃねえし。もうそこで差別意識が見える。
■ 人々は弱者に目をかけますが、結局は強者に従うでしょう。それでも弱者のために戦いましょう。
→ 強者になって弱いもの助けたらみんな従うじゃん。その方が早くね?
■ あなたが数年かけて築いたものが、一晩で破壊されるかもしれません。それでも作り続けましょう。
■ あなたが助けを必要とする人に手をさしのべたとき、彼らは恩を仇で返すかもしれません。それでも人々に手をさしのべましょう。
→ 恩を仇で返す人はもういいじゃん。別の人は関係ないから助けたらいいじゃん。
■ 世のために最善を尽くしたのに、ひどい仕打ちをうけるかもしれません。それでも世のために最善を尽くすのです。
詩織「新たな愛を見つけるラブ発見型新感覚ラブリーラジオです」
詩織「お山を触らせてください! 以外なら聞いてあげるけども……」
詩織「怖くないと思うけど……」
詩織「……誰に教わったの?」
詩織「また意外…… いや意外でもないのかしら……」
愛海「いやあ怖いです。あたし怖くて撮影行くの怖いですよお。もっとこう、森奈津子みたいな話があたしは好きです」
愛海「スケベって言わないでください!」
詩織「というか、あなた本読むのね。森奈津子というか、そういう実用的なものじゃなくて好きな本とかあるの?」
詩織「気をつけるわ…… それで好きな本は?」
愛海「そうですねー。漫画ですけど、昆布わかめさんの『世界で一番おっぱいが好き!』ですかね!」
詩織「この子…… 作品の固有名詞であればそのワードがNGワードじゃないことを勉強したのね……」
詩織「そこがいいんじゃない…… きっとヒロインや主人公たちにとっての『高知』という場に強くその言葉が強く紐づいているのね……」
愛海「ちなみに、この話題ラジオだと角が立ちそうですけど、逆に嫌いな本とかあります? あたしわりとなんでも楽しめる派なので、そういうのないんですよね」
詩織「そうね…… 面白くないとか、つまらないとかそういう意味ではないし、本でもないけれど…… 映画の『十戒』は好きではないわ……」
愛海「名作というか、歴史的に大事な作品だと思いますけど、理由は?」
詩織「海がかわいそうじゃない」
私を雇う前に、どうかそのことをよく考えてください。
御社が私に望んでいることを、ちゃんと分かるようになるまで少し時間をください。
私を信頼して下さい......それが何より嬉しいです。
私のことをずっと叱り続けたり、罰として権限を取り上げたりしないで下さい。
あなたには会社に友達や古くからの仲間もいるけれど、私には....御社が社会人として初めての経験なのです。
ちょくちょく私に話しかけて下さい。たとえ、あなたのほうが経験豊富で言っている事はわからなくても、あなたの喋り方を見れば、私が必要とされているか、分かるのです。
私のことをいつもどんな風に扱っているか、考えてみてください。あなたがしてくれたことを、私は決して忘れません。
私を叩く前に思い出して下さい。私はいつでもメルカリに行けるけれど、決して御社を裏切らないようにしているということを。
言うことをきかないとか、手におえないとか、怠け者だと叱る前にそうさせてしまった原因が無かったか、思い起こしてください。
あなたが分からない案件に私を押し込み、長い間放っておかれたことはなかったでしょうか。
私が疲れてしまっても、どうか世話をして下さい。
私達はお互いに、同じように疲れるのです。
「社会人としてどうかと思う」とか「逃げるなムカつく」とかそんなこと、言わないでほしい。
御社がしっかり見送ってくれるなら、私はどんなときでも皆さんを忘れません。
そして、どうぞ忘れないで。
リンク先の本を買って読んだ。
https://twitter.com/alpaca_mofu/status/943446184676306944
私にとっては本当に辛い記憶でありこれまで「ネタにするくらいしか昇華しようがないかなー」と漠然と考えていた体験だが、このような本に巡り会い昇華の方法として素晴らしいと感じた。
この記事を書くに至った衝動はいくつかあるが、1つはかの宗教に地域性とローカルルールが豊富であることに由来する。
Amazonのレビューや著者の方を含めたツイッターでの会話を眺めたら「まさにそうだった」「うちはこうだった」「それはなかった」といった感想を目にした。
この宗教に関わっていない方にとってはどれが正しいかわからない状況かもしれないが、きっとどれも正しく、単に環境が違ったのだと思う。
この記事もあくまで私の体験であり他の方と一緒かもしれないし違うかもしれない。
ただそういう経験をしてそう感じたと書く。
各々信じたいものを信じ、やりたいことをやるしかないのであるし、公序良俗というやつに反しない限りそうあるべきなので特定の個人を貶める意図はない。
また、正式名称「ものみの塔聖書冊子協会」通称「エホバの証人」についても賛成も反対もなく信教の自由は保証されてしかるべきなので信奉したい人はどうぞ。
「ものみの塔」とか「エホバ」とか書くの本当に久しぶりだが手が震える。
コメントorツイッター( https://twitter.com/s_fjw )で質問してもらえたらできるだけ書く。
いわゆる「元2世」というやつで、親が入信してたので必然的に参加していました。
かの団体は地域性とローカルルールが多いことが知られており「いつ」「どこで」「どれくらい熱心だったか」という前提が欠かせないのでまずそれを書きます。
西日本。
年1回の「地域大会」というやつはスペースワールドの近くで開催されるやつに割り振られていた気がします。
洗礼受けてから脱退すると「排斥処分」というやつになって以降かの団体の人々との交流を一切禁じられるが、洗礼を受けずに諸々の行事に参加しなくなっただけなので、扱いとしては単に「信者候補が『世の人』(信者ではない人の呼称)になった」だけ。
「排斥処分」の有無は感情や精神に色々影響与える場合があるらしいのでここに状況を明記する。
父母私。
父→大きく賛成も反対もせず。一時母の勧めで「研究」に参加した模様。
母→熱心な信者、たぶんまだ現役。
前述の通り心理的に脱退済み。
たまにフラッシュバックして死にたくなる。
かの教義には賛成も反対もないので自分の意思でやりたい人はやったらいいんじゃないんですかね。
書く。
本当に体験が近しくてびっくりした。
が、ごく一部私の体験と違ったので書く。
悪いことを「サタン」と言うことはあった。
これは十戒あたりに「神の名をみだりに唱えてはならない」とか書いてあって、私の周りでは「良いこと」を表すために神の名を使うことはそれに沿っていないと考えていたか、あるいは単にそういう用法を思いつかなかったのだろう。
なお彼らは主に新約聖書を教義の根拠として用いるが、旧約聖書も参照する。
繰り返すが地域性やローカルルールが多彩であり特定の人の記憶や考えを否定するものではない。
今のところこれくらい。
他は本当に体験が近しくて驚いた。
悪いことばかりというのはあり得ず、このような環境で過ごしてよかったこともあるので書く。
気力が戻ったら書く。
思い出すだけで辛いし得損なった15年ばかしと数々のチャンスを考えると何かを呪わずにいられなくなるんだ、わかる人にしかわからないだろうが。
この件を考えると人に優しくできない。