2018-01-12

『よく宗教勧誘に来る人の家に生まれた子の話』を読んだ

リンク先の本を買って読んだ。

https://twitter.com/alpaca_mofu/status/943446184676306944

私にとっては本当に辛い記憶でありこれまで「ネタにするくらいしか昇華しようがないかなー」と漠然と考えていた体験だが、このような本に巡り会い昇華方法として素晴らしいと感じた。

この記事を書くに至った衝動はいくつかあるが、1つはかの宗教地域性ローカルルール豊富であることに由来する。

Amazonレビューや著者の方を含めたツイッターでの会話を眺めたら「まさにそうだった」「うちはこうだった」「それはなかった」といった感想を目にした。

この宗教に関わっていない方にとってはどれが正しいかからない状況かもしれないが、きっとどれも正しく、単に環境が違ったのだと思う。

この記事あくまで私の体験であり他の方と一緒かもしれないし違うかもしれない。

ただそういう経験をしてそう感じたと書く。

各々信じたいものを信じ、やりたいことをやるしかないのであるし、公序良俗というやつに反しない限りそうあるべきなので特定個人を貶める意図はない。

また、正式名称ものみの塔聖書冊子協会通称エホバの証人」についても賛成も反対もなく信教の自由保証されてしかるべきなので信奉したい人はどうぞ。

ものみの塔」とか「エホバ」とか書くの本当に久しぶりだが手が震える。

コメントorツイッター( https://twitter.com/s_fjw )で質問してもらえたらできるだけ書く。

この増田を書いてる人

いわゆる「元2世」というやつで、親が入信してたので必然的に参加していました。

かの団体地域性ローカルルールが多いことが知られており「いつ」「どこで」「どれくらい熱心だったか」という前提が欠かせないのでまずそれを書きます

生年

1980年前後

地域

西日本

年1回の「地域大会」というやつはスペースワールドの近くで開催されるやつに割り振られていた気がします。

いつから

母が洗礼を受けたのは私が乳幼児の頃らしい。

当然私にとっては「物心ついたらそういう環境だった」。

いつまで

17歳の時に自分の心の中で脱退し以降戻ってない。

洗礼受けてから脱退すると「排斥処分」というやつになって以降かの団体の人々との交流を一切禁じられるが、洗礼を受けずに諸々の行事に参加しなくなっただけなので、扱いとしては単に「信者候補が『世の人』(信者ではない人の呼称)になった」だけ。

排斥処分」の有無は感情精神に色々影響与える場合があるらしいのでここに状況を明記する。

家族構成

父母私。

父→大きく賛成も反対もせず。一時母の勧めで「研究」に参加した模様。

母→熱心な信者、たぶんまだ現役。

今の私の立ち位置

前述の通り心理的に脱退済み。

たまにフラッシュバックして死にたくなる。

かの教義には賛成も反対もないので自分意思でやりたい人はやったらいいんじゃないんですかね。

ただ子供押し付けるな!!!!!

作品と私の体験共通するところ

書く。

作品と私の体験で違うところ

本当に体験が近しくてびっくりした。

が、ごく一部私の体験と違ったので書く。

良いことを「エホバ」、悪いことを「サタン」として使う

悪いことを「サタン」と言うことはあった。

しかし良いことを「エホバ」と言うことはなかった。

これは十戒あたりに「神の名をみだりに唱えてはならない」とか書いてあって、私の周りでは「良いこと」を表すために神の名を使うことはそれに沿っていないと考えていたか、あるいは単にそういう用法を思いつかなかったのだろう。

なお彼らは主に新約聖書教義根拠として用いるが、旧約聖書も参照する。

繰り返すが地域性ローカルルールが多彩であり特定の人の記憶や考えを否定するものではない。

今のところこれくらい。

他は本当に体験が近しくて驚いた。

良いこと

悪いことばかりというのはあり得ず、このような環境で過ごしてよかったこともあるので書く。

その他本作品で呼び戻された記憶の数々

気力が戻ったら書く。

思い出すだけで辛いし得損なった15年ばかしと数々のチャンスを考えると何かを呪わずにいられなくなるんだ、わかる人にしかからないだろうが。

この件を考えると人に優しくできない。

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