はてなキーワード: 中島とは
その中の一つに「底辺字書きだった七瀬が、神字書き・綾城にフォローされたくて躍起になる話」というのがある。この話を聞いて共感をしたり、身に覚えがあった人も多かったはずだ。
その方の文章はとにかく描写が丁寧で脳内に映像がありありと浮かび、息遣いの一つまで聞こえてくるような鮮明さがある。
ストーリーも胸をつかんで離さない展開で……去年のイベントで買った新刊も、読んでから登場人物のことだけが頭の中で延々と反芻され、一週間ぐらいは何も手につかなかったのである。
そんな推し字書きをフォローしている。フォローは返ってこない。
あの漫画の七瀬の場合は、もっと凄くなれば綾城に手が届くだろうと必死だった。実力的に肩を並べれば、綾城がこちらに振り向いてくれると思ったのだ。
だが、増田はどうすればいい。
有名度……数字の観点で言えば増田の方が現状上だ。Twitterのフォロワー数で言えば数倍は違うし、作品の反応数だって桁が違う。つまり綾城に手を伸ばそうと躍起になることすら許されないのだ。
当然だが「凄くなれば繋がれる」というのは七瀬の大いなる間違いだ。対人関係とはそういうものではない、という滑稽さを描いた作品でもある。
でも今まで誰かをフォローしてフォロバされなかった事なんてなかった。よりにもよって大ファンの字書きだけに何故フォローされないのか……これが妄執……。
推し字書きのマシュマロに新刊の感想を送ると喜んでくれた。けどマシュマロなので私だという事は伝わらない。
同じ界隈なので、伸びたツイートがRTされたりすることもある。ミュートされている訳でも、ひどく嫌われている訳でもないらしい。
増田は監視者が多いだけに、動きは慎重にならざるを得ない。大勢の前で「推し字書きさんの小説、最高!!」なんて言ったらおそらく怖がられるし、最悪ヘイトを集めかねない。
推し字書きの作業中継に行ったら、自分と字書きの相互の2人しかいなかった。これは視聴者:2という数字と、相互氏の「字書きちゃんの中継見てるなう」から分かったことだ。
「2人いたみたいだけど、あと1人誰だったんだろう?フォロイーは恥ずかしがらずに名乗ってくれ~」
一般的に女性を嫌悪しているとか、女性を蔑視していると主張する人は「じゃあお前は誰の腹から生まれたか言ってみろ」と怒られる。
確かに全ての生き物は母親から生まれる。出産というのは本来命懸けの大行事なので、全ての母親は母であると言うだけで尊敬されて然るべきだと思う。
母親というだけで何もかも許される、とまでは言わないけど、全ての人は自分を生んでくれた人にありがたいという気持ちはあるんじゃないだろうか。そこで母が親としてちゃんと自分を育ててくれたかどうか、はまた別の問題だけれど。
それはともかく、自分は女性に対して色眼鏡をかけて見ている、という自覚がある。自分はジェンダーフリー教育を受けた覚えが無いので、男らしい・女らしいという概念が自分の中にはある。男と女は違う生物だ、と思っている。
男性と女性では体の造りも何もかも違うし、男性の中で育ってきた男性と、女性の中で育ってきた女性では価値観も何も違うだろうと思う。衣服に関しても性別で分けられている事が多いし、少なくとも同性と同じようには見れない。
「おけけパワー中島」とか、「普通の人でいいのに!」のとか、女性向けのあるある話というか、エッセイ漫画を読んでも理解出来ないな…と思う事が多かった。理解出来るから嫌いとかではなく、何もかも理解出来ずよく分からなかった。
多くの女性がジャニーズなどのアイドルや顔の良い俳優に夢中になる理由もあまり分からない。こういう話は、性別を逆にすれば女性も「何故男はAKBなど若い女に夢中になるのだろう?」と思うのでは無いだろうか。
自分には、女性が男性を好きになる感覚が、どうしても理解出来ない。逆に、男性が女性を好きになる感覚は分かる。男性の事はある程度理解や共感が出来る気がするけど、女性の事となると理解や共感が出来ない事が多い。
女性が手がけた創作物も楽しめない事が時々ある。楽しめる事も結構ある。「この人は良く男性を客観的に見ているなあ」と感心する事もあるし、「女の考えている事はよく分からないなあ…」と困惑する事もある。
そう思う中で、自分には生理的にどうしても許容出来ない事が一つある。女性が自分の事を男性だと偽ったり、逆に女性である事を隠しもせず所謂「男性が好むジャンル」に足を踏み入れてくる事が、どうしても自分には耐えがたい。
例えば更衣室やお手洗いは基本的に性別で分けられている事が多い。それは、性別で住み分けを行わないと何らかの不都合が発生するからだと思う。もしかしたら将来的に統一されるかもしれないけど、当分はこのままだろう。
男性に好まれる物も、女性に好まれる物も、お互いそんな風に不可侵であったのではないだろうか。男性人気のある物をこっそり楽しむ女性も、女性人気のある物をこっそり楽しむ男性も居たと思う。大きな声はあげず、こっそりと。
まあ、そんな不可侵なんて物は初めから存在しなかったのかもしれない。人気漫画家の高橋留美子先生が『週刊少年サンデー』で作品の連載を始めたのは40年以上も前の事だ。大昔から「男性が好むジャンル」に女性は居た。
ただ、自分と違う「女性ならではの感性」「女性文化の中で育ってきた」人間を男性向けのジャンルで見る事は、自分には何だか違和感がある。面白さとはまた別に、この人は男の事をよく分かってないんじゃないだろうか、と感じる。
自分は性差の存在も強く信じている。女に男の事は分からないだろうし、男も女の事は分からないだろうと思っている。自分には女性の生理や出産の辛さが分からないのだから、女性だって男性特有の生理現象については分からないんじゃないか?と決めつけている。異性には本当の意味で「異性の悩み」なんて分かる事は無い、同性だからこそ強く分かる事がある、と考えているし今後も中々変わらないだろうから、自分は男女差別者であると思う。でも女性は好きです。
【追記】
男です。男らしいかはともかく。
これは少し前にTwitterでバズった概念「おけけパワー中島」を自称した元フォロワーに対するただの悪口であり、それ以上でも以下でもない。
元フォロワーであるところの彼女を知っている人が万が一これを目にし、あわよくば同意してくれることを願っているが、基本的にただ自分の中のわだかまりを解消するためにつらつら書いているものだ。自己満足であることは承知している。
直接言えよなどあるかもしれないが、知るか。繰り返すが、これはチラシ裏に書かれた駄文である。
この神とは、すなわち彼女の好むストーリーラインを創作できる人間を指す。
彼女は神の布教を熱心に行う狂信者であり、神に並び立つことを喜びにするタイプの人間だ。神を崇めるが、神と己が並び立っているかのように振舞う。
でも、彼女は神の友人でもなんでもなかった。
でも、別に神の友人でも知人でもなかった。はために見ても怖いくらい熱心だとは思えたし――彼女と知り合ったきっかけのジャンルには彼女なみの熱狂的ファンがゴロゴロいたが、やばい四天王のひとりくらいにはジャンルの人間にも神にも思われていただろう。
けれど、友人にはなりえなかった。そもそも、神と呼び奉り、人間性を無視している時点で友人ではないだろうに、と思うのは最近になってからだが。
神の友人でも、神を人に堕すような人間でもない。ただ変質的で熱狂的なひとりのファンだ。ついでにこれは悪口なので付け加えるが、こいつは面倒みがいい陽キャでもない。(そのため、自分が形成したグループから結局ハブられた。付き合いが悪くて、オフ会にやってきても自分の興味のある会話にだけ参加、それもキャチボールじゃなくて豪速球早口自己解釈語りだ。TLでオフ会の様子がキャッキャと流れる度に毎度毎度悔しがっていたが、空リプするだけで当人たちに凸ることはなかった。ついでにこいつは空リプを他人がするとお気持ち表明する)
彼女が自分は「おけけパワー中島」だから、あの漫画の主人公たちにまるで同意できない、という旨をツイートした。
私は「おけけパワー中島に対する解釈違いです!」と胸の内で叫んでいた。実際はとりあえず彼女をミュートした。忙しくなってきた時期で、こういうツイートに批判的になるのはヤバい証左だ。精神衛生上良くないものは見ないに限る。
決定的に無理だな、となったのは神と同じジャンルの二次創作を辞めるという、彼女のお気持ちブログを読んだ時だった。
彼女はジャンル黎明期からいる人間だったから、ミュートしててもTLがうっすくざわついているのはわかる。比較的落ち着いていた気持ちの時にそれを読んだ。
ブログの内容は、神の解釈に自分の二次創作作品の解釈が混入し始めたから自分はこのジャンルでの活動を辞める、というそこそこ長い文章だった。
それから、こいつ本気で自分が神に並び立っていると思っていたのか、と怖くなった。
元々、神に積極的に絡みにいっていた。神の悪い部分を吹聴するのに、そういう部分も自分は理解しているけどね、という態度をとることも多かった。
全部全部、友人だと思っているからそういう態度をとっていたのか、と合点がいった瞬間、ブロックした。
創作者はべつに神ではないだろうと思ってる。ものを創るという行為はすごいし、作品も、本も敬愛の念を抱かせるに十分だ。
創作者を尊敬しこそすれ、神だと勝手に崇めたり、その神と自分は親しいものだ、と自尊心を守るために振る舞うものでもないだろう。
とりあえず、私は狂信者にもなれないのだろうが、あれのようにだけはなりたくないな、と痛感した。
それから、無邪気に信奉している、という言葉を創作物に使うのを控えるようになった。
とりあえず、「おけけパワー中島の解釈違い地雷です!そこの読み込みができない人間は無理です!」という、これはそれだけの話だ。
タイトル通り、TwitterとPixivに掲載されている同人女シリーズに疲れてしまった。
第二話くらいまでは楽しんで読んでいたし、作者の方はすごいなと思っていた。
おけけパワー中島さんの考察を検索してずっと見ていたし、関連した面白いツイートが流れてくると笑ったりしていた。
けれども、だんだん疲れてきた。
作者の方は描かれている漫画中の描写も、機を見るのもお上手な方だと思っているけれど、だからこそ疲れた。
乱暴な言い方をするのなら、鼻につき始めた。
ここまで続ける必要があったのかなとさえ思う。
先述した通り、私は第二話くらいまではこのシリーズを楽しんで見て、読んでいた。
自分は作者の方の描かれる漫画の中では読み専の子の立場に一番近いので、Twitterでフォローしている好きな作家さんたちの共感の声とかを見てすごいなと思って見ていた。
ちょっと自分の中の気持ちが変わり始めたのは読み手の子が七年前の同人誌を探す話の後編だ。
背景に書かれているTwitterの相関図を見て、引いた。
好きな作家さんたちが自分たちもこう見られているのかな、とか言及し始めてぐったりした。
そんなことはないって思った。
この方の描く作品には確かなリアリティがあるけど、だからこそ不安を煽られると思った。
誤解を恐れずに言うのなら、どろどろした感情を描くのがとてもうまい。
いっそ悪意すら見える。
何でこの作者の方は漫画描きであるにも関わらず、わざわざ文章を書く同人女を扱ったのかということだ。
この作者の方が長年タイムラインで観察してきた文字を書く同人女さんたちを題材にしたのかなとも思ったけれど、それはそれでもやもやする。
シリーズでは一切言及されない安全な漫画描きという居場所から、字書き同人女という環境に向かって一方的に石を投げているようにすら見えてきてしまった。
自分のフォローしている同人作家さんたちの中には漫画も文章も両方書く人がいるので、作者の方もそういうタイプなのかもしれないけれど。
作者の方が漫画描きの方々を漫画で描いていたら、ここまでもやもやしなかっただろうなとは思う。
これは個人の感想だ。他の方がどう思っているのかは知らない。もう考察を検索する気にもなれない。
ただ今も漫画を楽しんでいる方の目に、この便所の落書きが届かなければいいなとは思う。
この投稿は自分のもやもやを言語化しただけのもので、便所の殴り書きに等しく、匿名のここで書いている時点でどうしようもない。
これからはTwitterもPixivも、出来るだけシリーズに触れないようにして気を付けて過ごしていこうと思っている。
もう10年以上前に完結した話、おけパの概念に惑わされる人間で楽しみたい人向け
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2007/25/news011.html
言葉そのまま
自分は「おけけパワー中島」の概念から生まれた【人物像※】に当てはまっていて、
うまくいってると思いきや全然そんなことはなくおけパを拗らせ失敗し結果的に縁を切り
神にとってのおけパの立場を跡形もなく失った。
10年以上経過した現在、やはり自分はおかしかったのだと再認識した。
※おけパの人物像(いくつかの記事やコメントを拝読し自分がこういうものか、感じたものなので正しくないかもしれない)
・神と仲が良い:通話を定期的・突発的にできる、メール及びLINEでの気軽に連絡を取り合える)
・神と対等な関係:リプライを気軽に送る・不特定多数に向けた空リプもする・作品の布教が可能
・神のことが好き:携帯サイト時代から綾瀬の作品を見ておりいわゆる古参にあたる
神とはとあるジャンル"A"(以降『Aジャンル』と表記)にはまってすぐに出会った。
PCや携帯サイトが主流の時代だったため、当時のTwitterは今ほど誰でも使用しているツールではなく
インテリ同人作家が使ってるみたいなイメージだった(インテリという単語以外にしっくりくる単語がなかった)。
そんなTwitterに憧れて自分も登録、携帯サイトを運営しつつTwtterで相互の人達とイラストをあげたり語ったりそりゃもう楽しい時期だった。Aジャンルは開始してすぐとはいえ大きなジャンルになるまでそうそう時間はかからなかった。ありがたいことにフォロワーも増え、自分はもう調子に乗りに乗っていた。日課の「推しの名前」で検索をしていたある日、人生が変わった。
その時の神のフォロー・フォロワーは共に1桁、ツイートは数える程度。神が初めてTwitterで投稿したイラストと漫画を発見してしまった。自分にとってのキリストが生まれた日だった。メリークリスマス。構図はすばらしく絵は緻密、オシャレな絵柄に圧倒的なセンスと配色、心を奪われないわけがなかった。
もうとにかく描き切れないぐらい最高な絵だったのだが神曰くけっしてメチャクチャ気合を入れた絵ではないらしかった、神はあろうことかその完璧な作品を「落書き」と言っていた。すかさずふぁぼ(今でいうハートのやつ)を押し、しばし眺め保存しすぐフォローした。当時の自分はフォロワーがありがたいことに沢山いて、いくつかイラストを上げていることもあり同じ畑の者、自分がフォローしたらフォロバしない人はいない。本気でそう思っていた。
「フォローされています」の表示に飛び回って喜んだ、嬉しすぎると人は奇行に走るものなのだと実感したし涙も出た。神、好きです
少ないフォロワー数でガンガンにリプライを飛ばしてくるアカウント、嫌でも気になることだろうと思う。
自分は神に好かれるためほぼほぼストーカーと化していた。最初はもちろん丁寧に挨拶をして、おはよう・おやすみなどのツイートへの返信は欠かさない。イラストをアップしたら即ふぁぼ即RT即リプ(誰より先に反応することがマスト)し、神の作品は自分のタイムラインで布教。萌え語りをしていたらすかさず返信し会話を盛り上げ、良いと思えば作品だけでなく神のツイートもRTした。好意がありあまり気持ちが爆発してそんなことをしていたのだが、神は好意的に接してくれた。あろうことかタメ口で話すことを許された。嬉しかった。空リプもしてもらえるようになった。天にも昇る気持ちだった。神の連絡先を教えてもらい、作業通話だけじゃなく何でもない日に電話もした(文字での会話でないあたりが神に対する好意メータをはち切れさせた)。もう何もいらないと思えた。私が好きだと言ってくれた。死んでも悔いはなかった。
もしこの黒歴史を見ているどこかの界隈の神がいたら、自分のようなストーカー気質の人間に気を付けてください。自衛に役立てるなら幸いです。
自分だけの功績ではないのは承知だが神のフォロワーは日を追うごとに増え、フォロー/フォロワー数には埋めきれないほどの差がついていた。嬉しかった。神が神として界隈に認知され褒められAジャンルの中で圧倒的存在感を放つユーザーと化していく、自分の大好きな神が他人の神になりAジャンルの神になる。
気持ちが良かった。
神が神としてたくさんの人間に好かれる中、自分は神に好かれ相思相愛・唯一無二の存在に上り詰めたと本気で思ってた。神に好かれ神を好きな自分に酔っていた。大好きな人間に好かれるってメチャクチャ気持ち良い。2人きりのときだけじゃなくて好きだって大勢がいるタイムラインでも言ってくれる。神と自分は付き合っているのではないか、CPのようだと言われてめちゃくちゃに喜んだ。表面上はもうちょっとみんなやめてよ~つって実際はまんざらでもなかった、まんざらであるわけなかった。神の成長を初期から見続け友人として確固たる位置を獲得したのだ自分は。気持悪い自分に気づけなかったこの時点でおけパの素質は無いんだけど良かったら続き、まだあるから読んでみてね。
神と仲良くなって数年が経過し、これまで即売会では単独でのサークル活動しかしていなかった自分たちがついに合同サークルで即売会に出た。諸々の準備は神に負担をかけないため自分が行った(でもそれはそれで申し訳ないと思わせてしまうので比較的簡単なことだけ負担にならないよう注意しつつ神に振った)。自分のヘタクソな漫画も入ってる合同誌を出すことにもなった。とにかく恥ずかしくて神に見せるのが申し訳なかったしいまだに自分では読めない。自分がヘタクソだからとかそういう理由ももちろんあるけど、とにかく神の隣に並んではいけなかったごめんなさいという気持ちで読めない。でも即完売だった。自分の漫画部分はいわゆるパセリ役になれただろうか、それだけが気がかりだった。神の作品が世に広まってよかった。次もよかったら一緒に、なんて話して解散。
何度目かの合同サークル参加。お決まりのパターンで最初は自分が売り子して神は買い物に行ってついでに相互の人と交流。お昼をすぎればいったん戻ってくる。ほしかったものは全部買えたかな、嬉しそうで何よりです。神が戻れば、すこし時間をもらって自分も買い物に行く。ツイッターやサイトで仲良くしてもらっている人たちに差し入れを渡して本を購入し会話もそこそこに切り上げて、神と2人で話しつつ残りの時間を楽しもう、この本神買ったかな、推し作家だから読んでみてほしいなんて考えながら戻った我々のスペースには神とBが居た。
BはAジャンルの同CP界隈における神の一人で、もちろん存じているしサークル参加してるのも把握しているし毎度本も買っている、好きだ。そういえば自分が買い物にいったときBはスペースにいなかった。
あれれおかしいな。神、その人、自分じゃないですよ。そこにいるべきは自分ではないですか。そのスペース、神とBのサークルみたいになってませんか。初めて嫉妬という感情に潰された、そういう日になった。多分ここで神のおけパになれそうだった自分は死んだ
イベントが終わればアフター。Aジャンルで仲良くしている面々との恒例行事だった。
基本的に席はランダム、入った順に詰めていく。神の隣は絶対自分!などはしない、だって神はいろんな人と仲良くしたいだろうし、楽しそうな神を遠くからでも眺めてられれば別に良かった。神かわいい。でもその日は違った。嫉妬してしまった、神の隣を陣取るBに。いままでそんなことしなかったのに。2人きりで盛り上がる会話に入り込めるわけもなかったので自分も隣の人たちと話をして、普段通り接して盛り上げる。神とBはお手洗いに行くと言って2人で抜けたりしていたようだった。そんなちょっと気になる行動が何度かあったのち、隣の人に小声で話しかけられた。初めてアフターに同行したC。「なんかあの2人ちょっと感じ悪いですね、2人だけでずっと話してて他の人無視してるみたいです。」正直もっともだと思ったが、まあ色んな人いるよねって言っておいた。神のことは好きだけど擁護するのはなんか違うかもって思ったしダルかった。あとCとは話してて楽しかったし、そのまま話してたかったからだ。
翌日は二日酔いで気持ちが悪かった。Twitterに生活を支配されていたので、起きればすぐタイムラインのチェックに入る。おはようってツイートして挨拶リプを何度か交わし、スクロールする。目を疑った。神とBは2人で出かけていることを匂わせていた。お互い名前は出していないけど、分かってしまうのだ。だって載せてる写真に手元写りこんでるしそもそも同じ場所にいるし。リプはせずふぁぼって出勤する。神から自分に対するおはようリプは来なかった。そういえば最近神から挨拶リプもらってないな。
どうも神から避けられている、関心を無くされていると感じることが増えた。前回のアフターあたりを境にだ。変わらず神との交流はしていたが、どうも返事がそっけないのだ。そういう時期かなと思い少しリプの頻度を減らしたりした。通話は減った。LINEも送られてくることはほぼ無くなった。さすがに悲しくなってしまって、@tos(当時はtosじゃなくて@homeとか@nullだったかも)で弱音を吐いた。好きなんだけどなとか私はないんだみたいな内容。確かそんな感じで、神にとって気持ち悪かったんだと思う。(今でこそ言えるが実際こんなこと自分がされたらクソ気持ち悪くてブロックすると思う)
なぜ@tos機能を使ったかというと神が使ってたから。神は壁打ちで愚痴を吐くタイプだった。で、なんでそんなこと知ってるかと言うと自分は神のツイートだけじゃなく他人へのリプまで見るようになっていたから。神とBが仲良くなってからというもの、「自分以外と仲良くしている自分の知らない神が存在する」ことが辛くて監視するようになったのだ。神も気づいてたんだと思う。なぜなら@tos宛てで自分のtosに対する返信と思われるツイートをしていたからだ。@壁打ち機能を使う人って他の人の@壁打ち発言も見るんだ、とTwitterに詳しくなった。そこから1年くらい?似たようなことを繰り返しつつも続いていた。その間もサークル参加とかしてた。神との合同も。でもタイムラインに神が現れない日が1日あった。大丈夫かなって思ってフォロー欄から探しにいく。神、いない。アカウント消した?!って焦って自分のリプライ欄から神宛てのリプを確認、アカウントIDは生きていた。なんだ良かったバグか間違えてリムっちゃったかなって思ってとりあえず神のツイート見ようってアカウントIDをタップ。「ブロックされています」。「ブロックされています」?ブロックされてますって何?神のツイート見れないんですけど。神が自分をブロックするわけないという自信のもとすかさずLINE。間違いだったらごめんねブロックされてるみたいwって送る。既読がついてしばらくして「ごめん」ってLINE。スマホぶん投げて泣いた。
話してみればブロックは間違いでないということだった。動揺した。なんであんなに仲良かったじゃん何がいけなかったの?直すから教えてって聞いた。返ってきた返事は「あなたが私といても楽しくなさそうだから」「あなたの絵が苦手になったから」「あなたの活動を見たくないから」他まあいろいろ出ること出ること。あらゆる「神が私をブロックした理由」で追い詰められていく。それだいぶ序盤で言ってくれ~~~~~~~~~~ここまで来てそんなのさすがに酷いって思った。まあ自分が気持ち悪い崇拝をしていたのがそもそも問題なのだけど、そんなことは棚上げだった。だって神大好きだもん。こちとら同性愛者じゃないけど神となら付き合えるとすら思ってた、神ならぜんぜん"あり"だ。むしろ"そうなりたい"って欲すら沸いてて勘違いしまくってた。さんざん言われても神を失いたくなくて、直すよそんなことしないよ神が嫌なら同人活動も一生しないし何にも言わないって縋りついた。それだけ神に執着していた。最終的には「あなたの顔が受け入れられなくなった」と言われた。どうしようもなかった。顔は整形すればいいんだけど、その言葉を見てああもう本当にダメなんだってやっと諦めがついた。納得はしなかったけど、嫌われたなら離れるしかないのだ。Twitterを始めとしてあらゆるアカウントを消した。LINEはブロックした。LINEのアカウントまで削除できなかったのは実際リアルで困るからなんだけどそのうち1割くらいは「いつかまた神がLINEくれるかもしれないから」って希望があるから。神も自分をブロックした。ブロックリストある神のLINEアカウントはまだ生きている。それを見るたびに憎しみだか怒りだか悲しみだかわけのわからない感情でグッチャグチャになる。納得はいまだにできていない。
書き起こしてみてよくわかるけどメンヘラすぎて怖い、同族嫌悪か自分はメンヘラキャラが大嫌いだった。灯台下暗し。
以降数年はLINEのブロックリストを見てのたうちまわる日々が続いた。ついでに神の新アカウントも特定して監視し続けた。保身のためアピールしておくが、神が自分を見たくないと望んだため神の前から消えてから同人アカウントは作っていないし同人活動もしていないし監視はしても何もアクションは起こしていない。マシュマロとかでの凸もしていない。数年前に結婚して子供ができたことをきっかけに監視はダルくてやめてしまった。もう神のアカウントは分からない。たぶんジャンル移動してるだろうし見つけられないと思う。
オタクは未だにしているので神をふっきり抽選をして推しソシャゲの公式ツイッター情報とそのジャンルの絵師を見るだけのアカウントの中で今は生きている。交流などは一切しない鍵アカウント。神にも誰にも知られないアカウント。そこで「おけけパワー中島」の存在を知り作品を読み、おけパに匹敵すると思われる自分が居たことに思いを馳せその後おけパになりきれず転落したこの黒歴史を何かに書き残しておこうと思ったのが今日。神、もう自分のような害悪に苦しめられていませんか。もう二度と会うことも関係を持つこともないけど、長年監視していて本当にすみませんでした。もうしていないので安心してください。
そしてここまで読んでいただいた方、ありがとうございました。どうか誰かのおけパになろうとするのは後々何が起こるかわからんので自称おけパやおけパ寄りだと考えてしまっている人、おけパとして頑張ってください。神を苦しめないように気を付けてください。おけパがおけパとして居られるよう幸せを祈ります。そして自分も子供が絶対にオタクにならないよう気をつける。誰かのおけパを目指して誰かを苦しめないように育てていこうと決心した。いつかこの黒歴史を完全に忘れるか消化できる日はくるだろうか。
10年以上経った今なので言えるが神はマジで何も悪くなくて被害者。
書いてて知ったんだけどキリストの誕生日って別にクリスマスじゃないらしい。へ~
書き忘れていたけど自分は自分の事をまともじゃないと思ってるし本当気持ち悪い、こんな人間友達になりたくね~とか思ったらそれが正常 でもみ~んな増田
ネット上で小説を書いている。一次も二次も書く、一次は全く読まれていないが二次は一次に比べれば読まれている。現状には満足している。
TLで話題になっていたのでおけけパワー中島の漫画を見た。面白かった。
私はいわゆるひとつのBL小説やカップリング小説を書くことは殆どない。だから根本の部分では彼女らの関係性を完全に理解することは出来ない。だが、一人のネット文字書きとしてなんとなく感覚を共有することはできる。
私のいる二次創作界隈はかなり狭い世界だ。すでに何年もの付き合いがあるし、その中にはもう随分字を書くことから離れた友人もいるが、私は彼らとは普通にSNSで交流する。当然だ、何年もの付き合いがあるのだからすでに文字を書いている書いていないなど大した問題ではなく、普通の友人関係である。
恐らく私と彼女らの関係が綾城さんとおけパ中島の関係に見える人もいるだろうと思うし、その逆もしかりだと思う。私は誰かのおけパであるし、誰かは私のおけパだ。彼女らがいる界隈の規模はわからないが、ネット字書きという狭い世界はそのようなものだと思う。
ましてやおけけパワー中島は現在進行系で創作を続けている人間であるし、綾城さんと作業通話するほどの友人関係でもある(むしろ私は通話をしながら作業ができる綾城のマルチタスクが羨ましい)はっきり言ってこの件に関しては主人公の圧倒的な逆恨みであるし、むしろヤンデレの気質すらあるように思う。
だが、おけけパワー中島がかなり押しの強い目立ちたがり屋であることは否定できない。『感謝してもええんやで』のツイートは結果的に配慮にかけるものであるように見えるし、その他の描写を見ても押しの強い人だなと思う。綾城さんはそれを受け入れているが、それがうっとおしいと思っている人も多分いるだろう。そういう意味で主人公がおけけパワー中島に感じた『嫌悪感』も理解できる。
主人公がどれほど綾城さんの作品に感想を書いたか知らないが、レスポンスがなくても作品を書き続けることのできる強メンタル作者というのは基本少ないのでそこも関係しているのかなと思う。
ここまで長く書いたが、結局何がいいたいかと言うと私はこの漫画の登場人物に対して嫉妬や怒りの感情はあまりない。一人のネット文字書きからすると「そんなこともあるよね」という感じだし、同じアマチュア創作者側の人間がどれほどこの漫画に感情を揺さぶられているのかは非常に気になる。
私がこの漫画に対して嫉妬していることは、この漫画の存在そのものについてだ。
はっきり言って、私はこの漫画が「字書き」をテーマにしていることに猛烈な嫌悪感を感じている。「絵描き」をテーマにしていれば何も感じなかっただろう。
これは私が個人的に感じていることだが、小説というものはイラストや漫画に比べればかなり「見られない」ジャンルだ。私は絵描きに対して猛烈なコンプレックスを抱いている。
もちろんそれが絵描きの方々の日々の努力による技術の向上によるものだと頭では理解している。私がのほほんと小説を読んだり煎餅をかじりながらテレビを見たりしていたときに鍛錬を積んでいたのだろう。だからこれは私の醜い嫉妬なのだ。
私は常にどうすれば自分の二次小説が二次イラストよりも支持を得ることができるか、面白くかけるか、より人に見てもらえるか、それを強く考えて活動してきた。だが、戦果は思わしくない、Twitterを見ればかわいいらしいイラストが何千何万とリツイートされている、小説がそれほどまでに伸びることはあるか? 絵描きはInstagramをできるが文字書きは出来ない。
だがそれでも字書きには字書きにできることがあるのだと考えてきた、そこに現れたのが「字書きの葛藤」をテーマにしたおけけパワー中島漫画だ。
ついに字書きの葛藤すら漫画の題材にされるのかとただただワガママで傲慢で一人よがりなショックを受けた。漫画を書く人間が、字を書く人間を題材にしてバズっている。コンテンツとして漫画は強すぎる。果たしてこの葛藤を文字にしたとして、ここまでバズっただろうか? いや、バズらないだろう。
私がこの漫画に対して抱いている嫉妬は「それだけは字書きのものだと思っていたものすら、漫画の題材にされた」という事実に対してなのだ。
嫉妬全開の醜い文章だ。私の文章がバズらないのは私の努力不足だろうし、そんなに絵が羨ましければ今から絵の練習をしろと言われればそれまでの話だ。
だが、なんの問題もない。
おけパ問題(おけけパワー中島)は女が多いみたいな話だけど、ワイオッサン普通に推しと絡んでて推しから反応が貰える実在おけパが羨ましすぎて毎日頭が爆発しそうなんだけど・・・。なんでワイには反応してくれへんねや・・。ミュートされてんのかいな。いかにして頭を冷やすか毎日考えてる。最近ではペルチェクーラーを導入した。
数年前同ジャンルの人間が20人くらい集まったそれなりに大規模なオフ会に参加したことがあった。
顔見知りの人は一人もいなかったので誰に話しかけることも出来ず、会が始まるまで隅っこで大人しくしてたんだけど、開始まであと5分くらいのタイミングでめちゃくちゃお洒落な女性が店に入ってきた。てっきり同じ店の別グループの人と合流するのかと思いきや彼女はこちらに近寄り「◯◯オフってここで合ってますか?」と声をかけてきた。
こんな綺麗な人がオタクやってるのかぁと驚いたと同時に、美人から話しかけられて内心めちゃめちゃテンションが上がっていた。
彼女とはオフ会での席は離れてしまったものの会終了後に再度話しかけられ、意気投合したのもあって後日また一緒に遊び(オフ会ジャンルの聖地巡礼)に行くことにした。
ジャンルの聖地は都内から電車で2時間ほどで、その間はずっとおしゃべりをしていた。話しているうち、何となくの勘で「この人は創作する側のオタクなんじゃないか?それも結構上手い方の」と思った。自分も書くタイプのオタクで、彼女から同じ匂いを感じたのだ。
帰り道に聞いてみたら、果たして私の勘は当たっていた。彼女は別ジャンルで創作をしていて、おまけに大量の信者を抱える綾城ポジションだった(この時点では素でに引退済み)というところまで当たっていた。
彼女が綾城だった当時はケータイサイト全盛期で、萌える作品を産み出すのは勿論のこと、日記でも「綾城らしい」振る舞いをするよう気を遣っていたという。一見全くオタクに見えない外見も綾城活動の一環だったそうで、彼女と実際に会った信者達は「神がこんなに綺麗な人だったなんて」とますます信奉心を強くし、オフ会はさながら宮廷女官のサロンの様相を呈していたようだ(と聞きながら思った)。彼女はサロンで全ての信者に分け隔てなく接するよう努めていたという。
作品、身なり、振る舞い、「綾城である」ために一切手を抜かない姿勢に私はいたく感銘を受けた。おまけに彼女はとても明るく社交的で、照橋さんが実在したらこんな感じなんだろうなと思った。
少し経ってから、また彼女とご飯に行った。話題が私たちが出会った初めてのオフ会の話になって「あの日あなたが話しかけてくれて嬉しかった。こんなに綺麗な人がって内心テンション上がってた」と正直に話した。
すると彼女は「あの日いたメンバーでちゃんと身なりに気を遣ってるなって思えたのがあなただけだったから。この人となら話が合うかなって思った」と言った。
「私が一番近くにいたからたまたまラッキーで話しかけられたんだと思った」と言ったら、「違うよー」と彼女は笑った。
めちゃくちゃ嬉しかった。私は学生時代、いかにもオタクという格好をしたオタクで、そのことで周りからいじられたりからかわれたりとあまりいい思いをしたことがなかった。社会人になってからは外見だけでもオタクに見られたくないという気持ちが強まり、自分なりに努力をするようにしていた。あのオフ会の日はいつも以上に服やメイクに気を遣っていた。
そこを彼女が誉めてくれた。「外見が全くオタクに見えない綾城クラスのオタク」という、自分が最もこうなりたいと思うタイプの人間が誉めてくれた。あの日あの場にいた十数人の中から私を選んでくれた。それが死ぬほど嬉しかった。もっともっとお洒落を頑張ろう、彼女みたいに可愛くなりたいと思った。
その後彼女とは度々遊びに出掛け、一緒に旅行をしたり自宅にお邪魔したりする程の仲になった。一年で一番お洒落を頑張るのは彼女に会う日だ。
自分が知っている限りで一番お洒落な店を紹介して夜ご飯を食べに行った。彼女はもっとお洒落な店をたくさん知っていた。一見にはハードルの高い(というか一見さんお断りだったかもしれない)路地裏のバーにも連れていってくれて、私の好みに合いそうなカクテルをバーテンに注文してくれた。「リアルスーパー攻め様じゃん」と言ったら「でしょ?」と彼女はいたずらっぽく笑った。彼女のそういうところがたまらなく好きだと思った。
彼女とはジャンルの話は勿論、仕事の悩みや人生相談、ファッションや恋愛まで話題が尽きない。
これだけ話は合うし、推しキャラも大体どのジャンル行っても被るのに、推しカプはことごとく逆になる。お互い「暗い過去持ちのキャラとそれを持ち前の明るさで救済するキャラ」の組み合わせが性癖なところまでは一致しているが、どっちを攻めにしどっちを受けにするかが真逆なせいだ。
ジャンルの話をするといつも「このキャラの暗い過去はこいつが癒すんだよな」「分かる」「最高」(頭の中に思い浮かべているカプは逆)という具合になる。
今のままでも十分楽しいけれど、出来れば彼女の書いた同カプ作品が読めたらもっと嬉しい。
もしも今後何かの巡り合わせで彼女と同カプにはまったとしたら、私は彼女という綾城のおけけパワー中島になるんだろうなと思う。
Twitterで話題になっていた「同人女」に関するマンガを読んだ。面白かった。
大分流行に遅れてしまったけれど、このマンガにまつわるエピソードを語りたい。
https://twitter.com/sanada_jp/status/1269465337675698176?s=20
まず、「面白かった」、というのは「ギャグマンガとして面白かった」という意味だ。
ラストもその執念がちょっと空振りする感じ(うまくいえないけれど)がギャグ的に楽しかった。
Twitterで流れてきてサクッと読め、クスリと笑えるマンガとしては最高のバランスだ。
わたしは、これを「ギャグマンガ」として読ませていただいた。作者さんのファンになった。
Twitterで巻き起こったこのマンガに対する「語り」は、別次元に発展し、
同人女たちが共振し、ときには己の古傷を語りだしたありさまは、魔法で裁判にかけられた人みたいだった。
特に、わたしがタイムラインで見た「おけけパワー中島」への「心乱され感」がすごかった。
といった嫉妬・憎悪方向への共感があったことに驚いてしまった。
特に、
といった、冷静と情熱のあいだ、みたいな言及が、私にとっては恐怖そのものだった。
おけけパワー中島は、悪くはないのに人の心を乱す……?
ヒトノキモチ、ワカラナイ……コワイ ……
同人に参加する多くの人はアマチュアで、「作品が好き」という気持ちが昂ぶった帰結として、
「大金を使って本を出す」という狂気の趣味だ。意味がわからない。
この愛に狂った感じが心地いい。
結婚や出産・昇進、病気……理由は様々だが、自分では本は出さなくなった人もいる。
同人活動も生身の人間がやっているものなので、対人・金銭トラブル等の噂は耳にするものの、
基本的には「自分が作品に狂っている活動」を粛々と行っているように思えたので、
こうした「他人へのイラつき」みたいなものをカジュアルに表明されるのに驚いてしまったのだ。
私にとって「おけけパワー中島」は、初読のときには「神作家のフォロワーに一人はいる軽いノリの人あるある」程度だった。
私の経験でも、ものすごく上手な同人作家さんはなんとなく気軽に話しかけづらいものだが、
たいてい一人は非常に仲の良い人がいるので、楽しそうだな~と思いながら眺めているのが常だ。
もしリアルの友人が同じことしていたら
「ちょっとストーカーっぽい思考だから、しばらく同人から距離おいたら……?」と言う。
もしくは、
「そんなに仲良くなりたいんだったら、まずは挨拶とか萌え語りとかしてみないとスタートラインに建てないんじゃない? 」と言う。
七瀬さんは仲良くなりたいわけではなさそうなので、地雷を踏み抜きそうだなとも思う。
でも、千と千尋の神隠しで、「カオナシ」が千尋に金を差し出して気を引こうとしているのを眺めている気持ちになってしまう。
クソデカ感情の一方通行現象は、同人誌の中だけでお腹いっぱいだ。
「人に認められたい」「人に見られたい」というのは、ときには苦しいものなのではないかと思う。
承認欲求というのは自力では解決できない側面があり、努力で100%解決できるものではない。
"地獄になりやすい欲求ランキングトップ3(私調べ)"なので、
趣味である同人に持ち込むととてもじゃないがやってられないだろう。
そんなこじれた感情は、思春期で経験して割り切っていてほしいものである。
七瀬さんに対しては、「相互フォロワーになることと、pixivのブクマを超すことだったら、後者だけに絞れば?」とも言うかもしれない。
ブクマ数は努力という自分の責任になり、他人をコントロールしようという衝動から逃れるすべだとおもうからだ。
そんな価値観を持つ私は、
おけけパワー中島に心を乱される同人女の人とは、仲良くなれないと思っていた。
でも、そうではなかった。
Twitterで仲良くしてもらっていた人も、実際に経験していたようだし、
その気持を表明できる程度には、よくある話なのかもしれない。
いや、もしかしたら心を乱されないほうの人が少数派なのだろうか?
おけけパワー中島みたいに、「悪くはないのに人の心を乱す」存在はいくつもバリエーションがあるのかもしれないし、
わたしも、人知れず、誰かを傷つけたり恨みを買ったりしているかもしれない。
コワイ。
「おけけパワー中島」は、同人女のロールシャッハテストみたいなものだった。
彼女を見て何を感じ、何を語るか。それはその人の価値観や経験が色濃く反映されているのだろう。
もちろん、物語への没入能力が高い人は経験ないことにおいても”共感”ができるので、
実際に経験をしたことがなくても「おけけパワー中島に心を乱されるのあるあるだよね~」となるのかもしれない。
「おけけパワー中島」によって、
【価値観が異なる世界をまた一つ知ってしまった】という単なるカルチャーショックである。
カルチャーショックの対処方法は「そんな世界もあるんだな」って割り切ることしかない。
表記は以下:
腐女子のお気持ち長文が増田に少なくなってきて悲しいというリクエストに応えて長文を描こうとしてみむとてするなり。
私は年季の入った腐女子でありTwitterで二次創作絵師をやっている。実力は中途半端フォロワー数も中途半端、いいね数は毎投稿大体3桁前半、時流に乗れば4桁行くこともたまにある、程度の絵師である。
そんな私であるが、オタク女お気持ち増田流行のきっかけとなった件のおけパ中島の漫画、あれは私の心に痛烈に刺さったものだった。なぜなら現在絶賛進行中で私はとある字書きを崇拝していたからだ。その字書きが、ある神絵師に声をかけられ、明らかに自分に対してのものとは違うテンションで対応しているのを見てしまった。その翌日にオパ島の漫画を読んだ。
私の心は沈んだ。
自分の心の醜さを形を取って見せつけられるというのは辛いものだ。実は以前増田で私も似たようなことをしてしまったことがある。その時私の書いた日記のツリーにぶら下がった「自分の中のモヤモヤが明確に言語化されることが辛い」というコメントが印象に残っているがこれも因果応報というものだろうか。
私の崇拝する字書きが神絵師に声をかけられている瞬間を目にした時私の心に湧いた感情はまぎれもない憎悪だった。この字書きは私より神絵師と仲良くすることを選ぶだろう。それは当たり前のことだ。大企業の役職者と下町の職人、どちらと仲良くしたいと思うかは明らかなことだ。悔しい…悔しい…私もこの神絵師並みに認められるようになれれば、皆から求められるようになるのに…
私はその神絵師をフォローした。好意からではない。その神絵師の絵の魅力は誰をも認めるところではあるし、私自身もその魅力を理解している。しかしこの際そんなことはどうでもいいのだ。
しかしここで予想外のことが起きた。その神絵師がこちらをフォローバックしてきたのだ。
予想外の事態である。私は混乱した。神絵師のフォローはフォロワー数より圧倒的に少ないものだった。なぜこの人物が私をフォローしたのか、理解不能だった。そして自分にとっては 最も悔しかった部分はここだ。私はその神絵師からのフォローバックをはからずも嬉しいと思ってしまったのだ。なんたる無様。なんたる意思薄弱。この神絵師は最も有効な手段で私の悪意を無効化してしまったのだ。
それ以来、なんとなくTwitterをのぞく気力が削がれ、絵も書くことなく日々を送っている。
オパ島の漫画は、ある意味希望に満ちたものだ。登場人物たちは悪意に溺れることもなく、お互いの情熱に折り合いをつけながら生きていく結末が示唆されているように思う。しかし現実では、多くのバラバラな事象が積み重なり、それが有効に機能することもなく、ブロック崩しのように崩れてしまうことが常である。私は崩れた自分の気持ちをいかに処理すべきか、考えあぐねながら、こうして増田に駄文を書き連ねている、とまあこういうわけである。
少し前に話題になっていた「おけパ」ことおけけパワー中島で有名な同人女のはなし、最新話を読んだのよ。同人女③と④ってやつだね。これ、自分にも覚えがある。①や②も好きだけどね、③-④の方が共感性が高かった。そしてその主人公を羨ましく思う。
https://www.pixiv.net/user/32130471/series/87285
自分も、昔好きだったジャンルで入り浸っていた小説サイトがあった。ゲームジャンルなのだけど、メジャーではない。でも決してマイナーほどではない供給があった。界隈に数多ある作品の中で、そのサイトの小説が一際好きだった。
その頃の自分はオリジナル漫画をメインとして据えていたので、二次創作をしたことがなく、完全なる一介のROM専としてその小説サイトに日参し、更新があれば感想を述べるなどをしていた。思い上がりでなければ、名前を覚えられていたような自負もある。しかしそれ以上の交流はなかった。それに満足していた。彼女を褒め称える場で、自分の話をする必要はないと思っていたからだ。今は少し後悔している。
いつしかその小説サイトの更新は途絶えてしまう。寂しいなと思いつつ、時折思い出しては小説や日記に更新がないかをチェック。過去作を読む。その繰り返し。ジャンルも衰退し、完全なる放置サイトと化していたので、油断していたのかもしれない。
数年後、サイトは消えていた。まさかと思った。消えるとは全く想定していなかった。今まで色々なサイトが消えていたのに、なぜその危険に気付かなかったのか。他のサイトが消えてもそれほど大きなショックがなかったからだ。危機感が足りなかった。消えることを知っていたらローカル保存していただろう。何も残っていない。何度も読み返したけれど、断片的にしか思い出せない。消えてから更に数年経った今では、好きだったという感情しか思い出せないのだ。
最初のうちはひどく落胆して、それ以上のことはしなかった。けれど月日が経つたびに中毒症状のように読みたくなった。ふとしたワードでそのゲームを思い出すと、彼女の小説が読みたくなった。探した。兎に角探した。Twitter、Web検索、Pixiv。サイト名や作者の名前、ジャンル名いろいろ組み合わせてみたが、見付からない。相互リンクしていた人のサイトが時折ヒットしたが、そのサイトももはや廃墟だった。今やそれすら見付からない。
作者の一次創作サイトは幸い消えていなかったが、こちらも長いこと更新がない。それでもブックマークしていて本当によかったと思い、そこに書かれていた連絡先へ、ドキドキしながらメールを送ることにした。当時◯◯と名乗っていた者です。あなたの小説がまた読みたい、どうか何らかの方法で公開していただけないか。要約するとそのような内容であったと思う。つらつらと長文になってしまったが、失礼がないか再三確認をした。送信後、メーラー・デーモンは返ってこなかったが、未だ返事もないため届いたかもわからない。
その後も検索をやめられなかった。似たような境遇の人はいないかと探した。同じサイトの作者を探す人の嘆きがあれば、気持ちが和らぐような気がした。しかし見付からない。自分のツイートしか出てこない。好きだったのは自分だけだったのかと錯覚した。そんなはずはない、他と比べるのは悪いが、彼女の文章は抜きん出ていた。文の端々が瑞々しかった。記憶が美化されている自覚はあるが、当時の自分を夢中にさせたことは記憶違いではない。好きだった。
未だに彼女を探している。
もはやジャンルに戻ってきて欲しいのではない。新作を書けだなんて思っていない。あわよくば過去作を再度読ませて欲しいが、それ以上のどうこうはない。新ジャンルを楽しんでいるならそれでいい。
この漫画は一貫して努力が報われる幸せな終わりを迎えているが、自分にはそれがついぞやってこない。努力が足りていないのか。
あの頃、絵を描いていることを伝え、当該ジャンルで二次創作に乗り出していたら、彼女と何らかの交流が出来ただろうか。その行動をしたところで、興味を持ってくれる保証なんてないのに。
https://note.com/o196k199/n/nc6fb19872709
読んだ。
タイトルに結論書いちゃったけど「お前はおけパ中島ではない」。
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中島に対して「ああいう風になりたい」と憧れを抱く人間はいても、note主に対してそう思う人間はいないから安心してほしい。
中島が憧れられたり疎まれているのは「特定の分野で輝かしい才能を持つ人間と掛け値なしに対等でいられる存在」だからであって、「ナチュラルボーン無礼だけどなぜか自然体のままで才能あふれる人たちに好かれちゃう魅力的なアタシ☆彡」だからではない。
中島は、あの短い漫画の中でも人間的な魅力に溢れている。どうして綾城さんが中島と仲良くしているのか、漫画を読んだ人間にはきちんと伝わっている。
それに対してnote主は、無礼な振る舞いに何も考えてない発言ばっかして嫌われまくってるけど綾城さんポジの人間には愛されまくっちゃうアタシアタシアタシ~~~~~!!!!!!しか伝わってこない。正直目が滑ってきちんと読めなかった。
釣り人だとか謎魅力だとかいろいろ造語まで考えてお疲れ様でした。
釣り連呼してるから釣りかな?とも思ったけれど、エピソードの一つ一つが妙に具体的なわりに面白くないので、特定を防ぐためのフェイクなど無しに思い出した事実を羅列しているのかなという気もする。
多分リアル知り合いが見たら「うわっ、これ絶対あいつじゃん キッツ~~」って引く内容なのだろうけど、note主はそれすらも「人気者に愛されちゃう人間の宿命だよね☆彡」と受け流せる人だろうから、そこは別にどうでもいいかな。
そしてこの真理の恐ろしいところが、この文章がバズったとしてもバズらなかったとしても、私の嫌われ性の証明になるという点だ。
こうやって死ぬほど予防線貼って「右に転んでも左に転んでもアタシの勝ち!!!」とするところなんか最高にダサくて、note主の性格が悪いという自己申告だけは事実なんだと確信できるところはリアルで良かった。
終わり。
おけパはシンプルにいい奴だ、とか、いい奴なんだろうけど陽キャだからノリが合わない、とか。まぁ好き勝手に言われている。
https://note.com/o196k199/n/nc6fb19872709
書いた方かなりキャラが濃いな〜と印象だったのだが「おけパは善人ではなく単に何も考えていない」というのは、なんだかわかるような気がした。
私はあの漫画に出てくるキャラクターの中で共感できそうなのがおけパだけしかいなかった。天才も秀才も熱心な読者もまるで重なるところがない。別に私は陽キャでもコミュ力が高いわけでも無いのに、微妙にわかる気がしたのはおけパだけ。それは多分私が「気にならない人」だからだと思う。
大人になって気がついたのだが、私は人にされて嫌なことが極端に少ないらしい。子どもの頃、母親から「自分がされて嫌なことはやったら駄目」とよく言われたが、屁理屈ではなく本心で「いや私はそれをやられても嫌じゃないし」と思っていた。
自分が鈍感だと人の痛みに事前に気がつくことはなかなか難しい。空気が凍ってしまってから気が付くことも少なくなかった。
なので私は人によく嫌われる。うっかり人を傷つける無礼で、デリカシーの無いやつだから。
でもこの鈍感さゆえにお近づきになれる方もいる。「私なんかが声をかけたら迷惑なんじゃないだろうか」という思考がないから、所謂大手同人作家(誰かにとっての神)にも普通に声をかけてしまう。
好きだから好きと言うし、もっとお話ができるならしたいと言えてしまう。深いことは考えていない。そう思ったからそう言葉をしてしまう。
声をかけた結果、距離感を間違えたと思って身を引くことや、話している間の雰囲気で言葉を飲み込むことはあるが、事前に考えた結果、声をかけないということはあまり無い。だって私は知らない人から声をかけられることが気にならない、嫌じゃないから。
自分がされて嫌じゃないからと行動する危険性について気をつけてはいる。自分が鈍感であることは他人を傷つけていい理由にはならない。
でもふとした時に鈍感さ故の気遣いの足りない立ち振る舞いをしてしまうことはある。それが原因で嫌われることもあれば、逆に気に入られることもある。
神の中には気を遣わない人間関係を求めている方もいるのだろう。そこに鈍感な、気にならない人間が踏み入っていけば、相性によっては仲良くなれることもあるのかもしれない。
色々なことが気にならないゆえの無礼さ、馴れ馴れしさの結果、仲良くなれたと思っている方が、私には居る。おけけパワー中島がそうなのかは分からないし、別に私こそがおけパだとは思っていないけど。
──どうして人と人は分かり合えないのだろう。
真田氏 (twitter:@sanada_jpexit )の創作漫画に登場する、絶大なる二次小説作家『綾城』。
ここについては最早語る草もにべもないので、読者の考察に任せたい。
だが私の中でどうしても腑に落ちないものがあるのだ。
否、理解できないわけではない。私自身腐女子だ。芸歴も15年ほどで息も長いほうだと思う。
一人目の主人公は「作家:綾城」と関わりを経ち、二人目はツイッターのフォロー等少し関わりを持ち、三人目に至ってはきちんとイベント会場で顔を合わせ会話もした。
しかしこのステップアップが、実は現実の腐女子に足りていない行為ではないのだろうか。
普通に考えると感想を貰って嫌がる創作主──筆者はいないだろう。
そこで筆者が怒ったり、悲しんだりするのであればそれは読者との間に『認知の歪み』があるからなのだと思う。
感想を送る立場側が最善の言葉を選んでいたとするのであれば、筆者は何に怒ったのか擦り合わせをしないといけない。
怒ったら、怒りのまま返事はせず、「私はそうは思いませんでした。」と素直に言っていいと思う。
何故なら、二次創作だったとしても、その世界を作ったのは筆者であるのだから。
感想を送る立場側が不遜な態度を取るようであれば「そのような言い方は失礼かと思いますので、やめた方がいいと思いますよ」
と窘めればいいと思う。普通の人間なら「すみません、そういうつもりで言った訳ではなかったのです」となると思う。
色々なパターンが想定されるが「じゃあ感想を送る側ばかり損じゃないか!!」と思う人もいるだろう。
だから、私は、言いたい。『最善の言葉を選んで伝えよう』それ以外は何も考えなくていい。
思ったまま、素敵だと思ったことを並べるだけでいい。
その解釈が間違っていれば、筆者から「そいうつもりで書いたんじゃありません」という言葉が返ってくるだけだ。
それは筆者に同じで、受け取る側が誤解をするような描写が無かったか、何をどう読み間違えたのか、情報を精査する必要があるだろう。
人と人は、話し合えば分かり合えるのなら、読者と筆者、相互の言葉を重ねる事で
きっとよりよい腐界が作れると私は思いたい。
今の腐女子たちに足りないのは、コミュニケーション能力なのだ。
このSNS時代を生き抜くには、言葉を交わし、交流し、今一度『私たちは同じ二次創作を愛する人間同士』
友達と呼べるかは、それは実際に交流をしてみないと合う合わないがあるから分からないけれど
少なくとも主人公たちは、同じ作品を愛するもの同士くらいには、なれるのではないだろうか。
きっと、おけけパワー中島は、そんな主人公たちがステップアップした最終形態なのではないだろうか。
何も恐れないでいい世界が訪れることを願いたい。
私は、神字書き綾城にとっての、おけけパワー中島になれなかった女だ。
この話は真田(Twitter@sanada_jp)氏の同人女シリーズについての言及と、私自身の経験についての覚書だ。
私には神の如くの才能を持った友人がいる。
いや、居たと過去形にした方が正しい。
その時から既に絵が上手く、クラス(美術系の大学だった)に一目置かれていた。
私は、それまでは親や友人に上手いと言われて天狗になっていた程度で、彼女の才能の前では凡庸も当然だった。
本当に当時はまだ、ただの友人同士だったのだ。
やがて私は一足先に某巨大ジャンルに足を突っ込み、どっぷりと同人生活を送る事となった。
幸いにも周りに親切にして貰い、同人誌の作り方、イベントの登録などを覚え、バンバン本を作って生活していた。
そのイベントに、神友人に売り子として参加して貰った。そして自然にかつ当然な流れで、彼女は「私も好きなCPの本を作ってみたい」と言った。
まずイベントにサークル登録させて退路を絶ってから、原稿用紙の作り方、ページの左右、断ち切り、印刷発行の手続き、当日持って行くもの、手取り足取り指南した。
締切ギリギリまで作業を共にして、脱稿を見守った。完成を2人で喜んだ。
初めてのサークル参加の際は売り子として同行した。
もちろん、神友人は神なので、200部があっという間に完売した。
絵をTwitterに投げれば4桁リツイートといいねは毎回の事、フォロワーはあっという間に5桁に登った。
同CP者たちも神友人を取り囲んで、連日コラボカフェや作業イプやアンソロなどに彼女を誘い、神友人を持て囃した。
イベントに参加すれば壁には大行列、手紙と差し入れの山、アフターには肉とカラオケと推し上映会。
当然である。神友人は神なので、そう扱われるのは私にとっても想定内だった。
むしろ、そうやって人に囲まれて暮らす事が、神友人の幸せだと信じていた。
神友人は私の補助がなくても、同人誌を出せるようになっていた。多い時は2ヶ月に1冊出すペースだった。
しかし。
かと思えば、神友人は私の知らない間に別のCPにハマり、フォロワー5桁のアカウントを放置して、フォロワーの少ない別のアカウントに篭っていた。
神友人は私のLINEに返信をしないのに、そのアカウントを更新している。
もちろん私は…なぜ返信をしてくれないのかと、彼女に再三詰め寄った。
怖いもの見たさで彼女のアカウントを覗きにいけば、「作業でぃすこ募集!」である。
そしてそれに「今からいけるー!」と返信しているのが…私達の学生時代共通の友人、Bである。
鬼のように同人誌を出すようになった神友人から同人誌の作り方を学び、フォロワー2桁のなか、ボチボチとやっているオタクである。
………
お察しの通りだが、私はこのBがずっと昔から苦手だった。
何を考えているかわからないというか、何も考えていないというか、妙にアホっぽくて話が合わないと思っていて、学生時代当時からあまり絡む事は無かった。見るかぎり、向こうは私の事を特に嫌ってはいない、むしろ分け隔てなく親切にしてくれたが、しかしどうもそういう所も苦手だった。
神友人は綾城であり、Bはいわゆるおけパであろう。
神友人はBとばかり一緒にいる。
私には連絡もよこさないで。
このコロナ禍の中、私は神友人に安否確認のLINEを何度も飛ばしたが、私には一度も連絡してくれないのに、だ。
何故。
何故私がそのBのいる席に収まっていないのか。
何故私が神友人にとっての一番の友人でないのか。
どうして優先順位が低いのか。私を思い出してくれないのか。
私はこんなに、神友人に尽くし、好きで、そばにいたのに。支えたのに。役に立ったのに。
理由はわかっている。
「そういう所」だ。
綾城がおけパを好きなのは、恐らく「気兼ねない」からであろう。
おけパは綾城を神と思っていても、「唯一神」ではない。おけパにとって綾城は、沢山の友人のうちの1人なのではないだろうか。
人は、自分と相手が、「神と小市民」になった時、神に力を求める。
「神よどうかその力を、私の為に奮ってくれ」と願う。
これは神と人の関係性であって、決して友人同士の間柄なんかではない。
なのに私は、私達は、神と友人でいようとする。
神と崇められる人達は、自分を神と称える者共が、最終的に「自分にとって危険な人間」になりうる事を、本能的に知っているのであろう。
恨みながら、怒りながら、Twitterを覗き、LINEを飛ばしてくる。
こんなもの、危険人物以外の何者でもない。距離を取られるのも当然だ。
私は嫌な奴である。
大切な親友だった神友人を恨み、本人を責め、善良で何も悪くないBをアホっぽいなどと貶め、こうしてそれを文章に起こし、ネットの海に放り投げて共感を得ようと期待している。
わかっている。こういう所だと。
それが積み重なって、こうして距離を取られるのだろう。
頭では理解できても、それでも「何故だ」と内心は叫ぶ。
どうして、私を捨て置いていくのか、と。
神友人のおけパになりたかった。
私がおけパになれるはずだった。
だがそれももう叶わぬ夢であろう。
恐らく、B、おけパ本人はこんな思いなど知る由もない。
どういう気持ちでいるん?
なんかTwitterでバズってる同人女の愛と憎しみとemotionalをリアルに描写してるおもしろい漫画。
おけけパワー中島がタイムラインに颯爽と現れみんなの話題をかっさらって行ったとき、「つらい」と言ってミュートワードをガチ決めたり、その話やめてと嘆いている同人女がタイムラインに散見された。
おけけパワー中島の漫画はそのあとも回を連ね、更新されるたびに話題をかっさらって行っているが、そのたびに「やっぱり合わない」「無理になってきた」「いっそイライラし始めた」いう同人女(ROM含む)がちらほら爆誕し始めている。
無理だと言う女たちはだいたい全員、
進行形でどこかの神を愛したり憎んだりSNSの評価に怯えたり鍵垢で見ず知らずの気に入らない絵師や字書きを叩いている共通点があったけど、やっぱりそういうことなのだろうか。
私のタイムラインだけだろうか。
これは少し前にTwitterでバズった概念「おけけパワー中島」を自称した元フォロワーに対するただの悪口であり、それ以上でも以下でもない。
元フォロワーであるところの彼女を知っている人が万が一これを目にし、あわよくば同意してくれることを願っているが、基本的にただ自分の中のわだかまりを解消するためにつらつら書いているものだ。自己満足であることは承知している。
直接言えよなどあるかもしれないが、知るか。繰り返すが、これはチラシ裏に書かれた駄文である。
この神とは、すなわち彼女の好むストーリーラインを創作できる人間を指す。
彼女は神の布教を熱心に行う狂信者であり、神に並び立つことを喜びにするタイプの人間だ。神を崇めるが、神と己が並び立っているかのように振舞う。
でも、彼女は神の友人でもなんでもなかった。
でも、別に神の友人でも知人でもなかった。はために見ても怖いくらい熱心だとは思えたし――彼女と知り合ったきっかけのジャンルには彼女なみの熱狂的ファンがゴロゴロいたが、やばい四天王のひとりくらいにはジャンルの人間にも神にも思われていただろう。
けれど、友人にはなりえなかった。そもそも、神と呼び奉り、人間性を無視している時点で友人ではないだろうに、と思うのは最近になってからだが。
神の友人でも、神を人に堕すような人間でもない。ただ変質的で熱狂的なひとりのファンだ。ついでにこれは悪口なので付け加えるが、こいつは面倒みがいい陽キャでもない。(そのため、自分が形成したグループから結局ハブられた。付き合いが悪くて、オフ会にやってきても自分の興味のある会話にだけ参加、それもキャチボールじゃなくて豪速球早口自己解釈語りだ。TLでオフ会の様子がキャッキャと流れる度に毎度毎度悔しがっていたが、空リプするだけで当人たちに凸ることはなかった。ついでにこいつは空リプを他人がするとお気持ち表明する)
彼女が自分は「おけけパワー中島」だから、あの漫画の主人公たちにまるで同意できない、という旨をツイートした。
私は「おけけパワー中島に対する解釈違いです!」と胸の内で叫んでいた。実際はとりあえず彼女をミュートした。忙しくなってきた時期で、こういうツイートに批判的になるのはヤバい証左だ。精神衛生上良くないものは見ないに限る。
決定的に無理だな、となったのは神と同じジャンルの二次創作を辞めるという、彼女のお気持ちブログを読んだ時だった。
彼女はジャンル黎明期からいる人間だったから、ミュートしててもTLがうっすくざわついているのはわかる。比較的落ち着いていた気持ちの時にそれを読んだ。
ブログの内容は、神の解釈に自分の二次創作作品の解釈が混入し始めたから自分はこのジャンルでの活動を辞める、というそこそこ長い文章だった。
それから、こいつ本気で自分が神に並び立っていると思っていたのか、と怖くなった。
元々、神に積極的に絡みにいっていた。神の悪い部分を吹聴するのに、そういう部分も自分は理解しているけどね、という態度をとることも多かった。
全部全部、友人だと思っているからそういう態度をとっていたのか、と合点がいった瞬間、ブロックした。
創作者はべつに神ではないだろうと思ってる。ものを創るという行為はすごいし、作品も、本も敬愛の念を抱かせるに十分だ。
創作者を尊敬しこそすれ、神だと勝手に崇めたり、その神と自分は親しいものだ、と自尊心を守るために振る舞うものでもないだろう。
とりあえず、私は狂信者にもなれないのだろうが、あれのようにだけはなりたくないな、と痛感した。
それから、無邪気に信奉している、という言葉を創作物に使うのを控えるようになった。
とりあえず、「おけけパワー中島の解釈違い地雷です!そこの読み込みができない人間は無理です!」という、これはそれだけの話だ。