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2020-06-28

anond:20200628031943

人間は気温の絶対値を感じ取っているわけではありません。肌表面の水分気化(=気化熱の移動)を暑さ寒さとして感じ取っているのです。

夏のビーチって灼熱のはずなのに、結構快適ではありませんか?逆に、雪の降った朝が暖かく感じることありませんか?

ビーチでは常に風が吹いていますから人間の汗がすぐに気化して涼しさを感じることができます。逆に湿度が高くなると気化が抑制されるので、室温が低くても寒さをあまり感じません。雪があると寒さが抑制されるのはそのためです。(氷点下場合を除く)

ですので、同じ室温26℃でも、湿度40%の部屋と80%の部屋では快適さが全く異なります。この辺りの快適さを官能評価実験により可視化したのか不快指数です。

通常の冷房でも湿度は下がります。それはエアコン機能ではなく、温度を下げれば空気中に止まることのできる水蒸気の量(飽和水蒸気密度といいます中学校で習いますね)が減るという物理法則によるものです。

逆に暖房をつけると肌が乾燥するのは、飽和水蒸気密度が上がることによって人間の肌の水分気化が促進されるためです。

2020-06-25

回避性パーソナリティ障害人生詰んでる

回避性パーソナリティ障害は、自己否定が強く、失敗や批判を極端に恐れ、対人関係社会活動において臆病になってしま障害

診断を受けたのは回避性パーソナリティ障害気分変調性障害

長いことうつ症状と付き合っている

干渉母親ネグレクト父親のもとに育ち、小学校中学校高校では理不尽な難癖をつけてくる教師達に勉学と道徳を説かれた

学んだのは、大人の顔色の窺い方とバレない手抜きの方法だけだ

勉強はそれほど努力しなくてもそこそこ良かった

高校の時模試では某旧帝大理系学部でいつもA判定だった

当時、容姿が悪く性格も捻くれた私にとって勉強は唯一誇れるステータスだった

高校2年の冬、うつ悪化した

特に決定打となる具体的なきっかけは無かったが、明らかに肉体的にも精神的にもエネルギーが枯渇していた

徐々に学校にも通えなくなっていき、しまいには実家の自室に籠りっぱなしになっていた

毎朝自室に起こしに来る母親に対して「胃が痛い」「頭が痛い」「動けない」と言い続けるのは苦痛だった

「気のせいだから学校に行きなさい」とまくし立てる母親に対して、口が裂けても「死にたい」だなんて言えなかった

高校は、当時の担任(私が唯一感謝している先生)が尽力してくださったおかげで不登校ながらもなんとか卒業できた

卒業後は予備校に通うため、都会に出て一人暮らしを始めた

最初の数カ月こそ解放感にハイになっていたものの、すぐにまた引きこもりに戻ってしまった

親に金を出して貰ってまで一人暮らし引きこもりをやっていること、

自分より遥かに成績の悪かった連中がAO指定校推薦で難関大医学部に行き、未成年飲酒の様子をSNSに垂れ放蕩の限りを尽くしていること、

心が進学を望んでいるのに体が言うことを聞かないこと、

毎日母親から連絡が来ること、

全てが酷だった

それでも進学を諦めたくなかったので一人暮らし浪人生活を続けていたが、翌年遂に進学を放棄し、引きこもりニートが完成した

今は心療内科カウンセリングに通うニートをしている

ずっとバイトを探しているが、ここで回避性パーソナリティ障害が真価を発揮している

まず、一番求人件数の多い接客業であるが、厄介な客1人にでも出会おうものならすぐに辞表を叩きつけるであろうことが目に見えている

10代にして大人達の醜さに触れ、理不尽さへの耐性が異常に無くなってしまっている

コロナ禍においてマスクの欠品が相次いだ時、マスクが無いからと店員にキレる客が社会問題となっていたが、もし私が店員だったらすぐにでも自死していただろうと思う

接客ダメなら事務系か?とも思ったが、求人サイト事務系として募集している仕事内容にはだいたい電話応対が含まれている

それを省いたとしても残る求人件数は数少なく、社名を検索すれば悪評が湧き出てくるようなものほとんどだ

私は某求人サイトでヒットした事務系の求人の社名を全て検索し、ああでもないこうでもないと虱潰しに探していったら全てダメだった経験がある

頭のどこかには「やってみたらなんとかなることもあるだろう」という考えはあるのだが、それよりも「失敗が怖い」という感情が遥かに上回ってしま

あらゆる職種に就こうと思えず、かといって今更進学を目指す気持ちにもなれない今、本当に行き場を失い、詰んでいる

だって失敗は嫌だ、ただ逃げているだけだ、甘えだ、そう思われるかもしれないが、

私にとってこの問題はそんな言葉で片付けられるほどのものではないのだ

人の感情矮小化する行為ほど無礼ものは無いと私は思っている

嫌なものは嫌、無理なものは無理なのである

10代にして人への信頼、新たなことに目を向けるエネルギー、ここぞという時に踏ん張る力、自己肯定感

あらゆる人生の楽しみを失ってしまった私は、これから先どうすればよいのか

私はもう疲れてしまった

感情が分からない話と女の子を抱けない話

童貞のまま先日22歳を迎えた。自分を振り返ってみてその理由について考えてみた。

軽く自己紹介

感情ってどこから来るのか

感情とは外部の状況に対する人間の心の動きであると僕は知っている。周りの人を見ていると喜んだり悲しんだり怒ったりごく自然感情が動いていることがわかる。

しかし僕はそうやって外界に対して素直に反応することができない。もちろん笑ったり泣いたりするけどそれは他の人の目があるからである

例えば女の子に振られた時

「これは悲しい気持ちになるべきだ、一旦泣こう。」と考えて泣くし、

「一通り泣いて見せたからあとは彼女が気まずくならないようにしよう。」と考えて30%くらいの笑顔で別れる。

小さい頃から少し勉強ができ、少し運動ができ、少し反抗的だった。

存在しているだけで鼻につくからせめて表面だけでもちゃんとしてくれ」と中学校先生に言われたことを覚えている。今考えてみるとなかなか大人気ない発言だ。

常に他人から見て適切だと思われる自分が取るべき感情と行動を選択してきた人生であったしそれに違和感を感じてこなかった。

他人が僕に求めている感情の変化を見せて相手を納得させる。自分人間的な心を持っていることを示す。行動も表情もそのために選択してきた。

怒られている時は神妙そうな顔をする。デートの時は楽しそうな顔をする。進路選択相談の時は真剣そうな顔をする。

いろんな顔をしていろんな感情があるように振る舞っているけどいつも心の中では

「このシチュエーションではこんな感じで振る舞えばいいんだよね?」って自分確認しながら生活している。

みんなは本当に自然に怒ったり泣いたりしているのか。その感情を動かすエネルギーはどこからやってくるのか。僕にはわからない。

恋愛感情

恋愛とはそれ自体感情の塊である。好きだって気持ちはもちろん感情である恋人になれば喧嘩することもある。喧嘩感情表現の一つである

そうやって感情をぶつけ合ってお互いを理解していく。それが恋愛だ。頭ではわかっている。

はいつも愛情表現嫉妬もしているふりをしてきた。

おそらく今彼女自分独占欲を求めていると感じたら僕は自分嫉妬しているというメッセージを発する。

弱みを見せた方が良さそうな場面だと判断したときには辛そうな顔と泣きそうな声で彼女に縋る。たとえ困っていることがなくてもとりあえず自分の不幸そうな話を嘘にならない範囲ですることもあった。こうして自分の弱みを共有することで絆が深まっているかのように感じて貰うことが恋愛において有利だと考えたからだ。

彼女の悲しい話は同情に満ちた顔で聞くし真剣に考えている顔をする。

これらはこうすることで丸く収まるものだと計算して行動しているからであって自分の心に素直に表情や行動を変えているわけではない。

女の子を抱けない

さて、題名二つ目の話。

僕は童貞である。これまでそんな機会がなかったことはない。いい感じの女の子と同じベッドで寝たこともあるし、キスしたこともある。それ以上のことも。

でもそれに幸福感や快感を感じたことはなかった。一歩手前のような状況までは何度かなったが、最後までしたことがない。

行為の時も自分の行動で相手がどう思っているのかを計算して動いてしまう。

我を忘れて2人だけの世界に没頭できない。どこか第三者的目線で考えてしまう。

裏を返せば女の子の求めることは大体できてしまうわけだが自分気持ちがそれで盛り上がるわけではない。

そうして性行為が大して楽しくないと感じてしまい、ここ2年ほどはたとえ一緒に寝ようともキス以上のことをする気になれない。

世の男はいつも女を抱きたがり、多くの人は体の関係で結ばれている。多分ほとんど事実だ。女性もそれを求めていることが多いことも。

僕はそれがとてもめんどくさい。めんどくさいと感じているからこそあまり価値のあるものだとも思えない。

不貞行為に腹を立てる必要性を感じたこともないし、不特定多数との性的接触を穢らわしいと感じることもない。

ただその連関の中のどこにも自分が入っていないことには少しだけ孤独を感じる。

自分人間として、生物として劣等個体であるように思えてくる。

大学生ももうすぐ終わり、来年から新しい生活が始まると思う。新しい環境でも孤独以外の感情を感じないまま道化を演じ続けることになるのかな。

2020-06-24

anond:20200624161200

全員が小中学校教育を経ている、という超広大な裾野があるからこそ、何とか1割の優秀な人間排出できてるんだろ。

人口の9割無能でも世界は回るかもしれんが、逆に言や1割は優秀な人間がおらんと回らんの。

※1割というのは適当数字だが

大体、小中も出てないような、

要するにまともに会話も成立しないような奴がゴロゴロいる前提の世の中で、今の日本で成り立つ商売安全運用できるか??

2020-06-22

中学の時同級生メタクソにいじめてた奴(しか生徒会役員)が地元で小・中学校の教師やっちゃうぐらいだし

以前あった教員同士のいじめなんて顕在化してないだけで実はさほど珍しくないのかもしれない・・・と考えてしま自分が怖い

世も末どころか本当ストレス社会もここまで来たかというか

自分で産みたくて産んだ子供ゴミのように扱うな

両親と絶縁した.正確に言えば両親との全ての連絡を絶った.

絶縁状や宣言などは出していない.私がチキンからである

今年の4月大学卒業して就職した.

1. 社宅に入ることになり住所が変わった.新しい住所は教えていない

2. 社会人になったのでとりあえず1人で生活できるようになった.

タイミングは今しかないと思った.

小さい頃からとにかく両親との折り合いが悪かった.

母親は口を開けば,私の悪口父親愚痴いか自分悲劇のヒロインかを語るか,どれかだった.

毎日容姿をけなされた.自分の娘の容姿を悪く言い続ける親って普通なのだろうか.

足が太いだのケツがデカいだの,デブでブスでかわいそうだかなんだか....

私は別に太ってはいないし,太っていた時期もなかったと思う.ずっと日本人の平均より少し細いか平均くらいで成長していた.

思い出せば全てのパーツに文句を言われていた気がする.お前の遺伝子だよ.

よくよく考えてみれば小さい頃から恥骨に肉がのっているのが下品ってけなしてくるのって普通じゃないし,

一緒に風呂に入るくらいの小さい頃は風呂しょっちゅう恥部を触られていたのもおかしい.

彼氏には「俺の母親が妹にそんなこと言ってるの見たことないよ」とドン引きされた.

あんスキニーさえ履いてればまだ脚マシに見えるね」

私が今GUの黒いスキニーパンツしか履けなくなっていること,母親のせいにしたい.

小学校中学校も私はいじめられていた.部活でもクラスでも.

理由は,田舎特有の「成績がいいから」とか,「なんかノリが悪い」「ブス」「暗い」とか,そんなもんだと思う.

学校で居場所がないのに,家に帰ってきても居場所がないのは辛かった.

おきまりの「いじめられるのはお前のせいだ」とか,

「お前がいじめられているか部活ママさんの間で私の肩身が狭い」とか.

少しは寄り添って欲しかった.

そんな感じで母親はいつも自分いかにつらいか,私が醜く劣っているかばかり聞かされ続けていた.

小学校中学校も成績はずっと学校トップだったけど,褒められた記憶は1度もない.

母親の中では,成績トップで当たり前なんだったと思う.世間体大好きな母親だったし.

娘より世間体大事だもんね.


父親は私が小学校入学した頃からずっと単身赴任だった.ずっと不倫していた.

もの心つく前から母親父親は仲が悪かった.なんでかは知らん.

そのせいで父親は家に帰ってくることはほとんどなかった.

単身赴任している10年間,ずっと不倫していた.子供に関心はほとんどなかったと思う.

私は小さい頃から両親に,

地元で1番の高校に入って,旧帝大に入って,いいところに就職しなさい」

と刷り込まれてきた.結果,言われた通りのルートを通った.

しかし,私が高校生になれば,母親は「そんなに勉強が嫌なら職業高校に行って就職しろ」,

父親は「女なんか大学に行かなくていい」と言い出す始末.

かに高校生の頃家ではあまり勉強していなかった.学校で済ませてきていた.

かといって別に成績が悪かった訳でもない.なんなら割と良かった方だと思う.

この頃は親の言うことがコロコロ変わることにクソほどムカついていた記憶がある.

両親はどちらも家の事情職業高校に進み,就職した.

自分は進学したかったけど,家にお金がないか職業高校に進んだ」と言われたことがある.

自分が進学できなかった当てつけを私にされても困る.

大学受験の時期はほんとうに親と衝突した.嫌すぎて逆に覚えていない.

母親に怒鳴られ,殴られるのが毎日のようにあったのだけ覚えている.

おかけで卒業式は真っ赤に腫れたまぶたで出席した.最悪だった.

大学に進学し,一人暮らしが始まっても何かにつけては

「お前にいくら金かかってると思ってるんだ」

「どれだけ金使ってもらってると思っている」

「親に感謝しろ

何度も言われた.

こんなこと,弟が言われているのは一度も見たことがない.

高校大学偏差値が高いところだった.

学校偏差値が高いと言うことは,通う学生の親は金持ちばかりということである

周りは医者の子が圧倒的に多い.これはマジ.

だって一度は「お金のことは気にしなくていいから好きな道に進みなさい」とか言われてみたかった.

「お前にいくらかかってると思っている.大学は国公立しか認めないからな」

旧帝大じゃなければ一人暮らしは認めない」

弟は「早稲田でも慶応でも,好きなところにしなさい」とか言われてたのに.

大学お金がかかるところだとは重々承知している.出してもらって当たり前じゃないのも理解している.

が,それを子供に「こんなに金がかかってるんだ,感謝しろ」なんて押し付けるのは違うと思う.

もしかしてどの家庭もこんなこと言われてるんですか?これが普通ですか?そうだったらすみません


実はウチ,奨学金が借りれない.2種も借りれない.なぜかというと,父親年収奨学金制限を超えるからである

でも家にお金はない.母親の口癖だった.「うちは貧乏」「周りとは違ってお金がないの」

それがなぜか私は知っている.父親が家にお金を入れず,すべて不倫相手に使っていたかである

自分家族養って,その上で不倫相手にクソほど金使ってアパート代と光熱費出してやってたの,

マジですげーと思う.めっちゃ稼いでんな.だったらそのお金家庭に入れてくれ....

父親は終始「学費を出して”やっている”」「生活費を入れて”やっている”」と言った感じだった.

かにお金を出してくれるのはありがたいけど,そんな態度でいられても...

だって自分で産んだ子供でしょ.

母親にマジにそう言ったら「産んだ時は大学に進学すると思わなかったんだもん」と言われた.

絶句した.

どうしてなんほんと.だって自分で産みたくて産んだ子供なんでしょ.

ノープラン子供産んだんか?一銭もかからずに勝手に育つと思ったんか?

なんで自分で欲しくて産んだ子供に向かってバカにするようなこと言えるの.

なんで自分で欲しくて産んだ子供に向かってお金がこんなにかかってるんだとか恩着せがましく言えるの.

親に向かって言ったことがある.

自分で産んだんだろ」「育てんの嫌ならそもそも産むなよ」「産んでって頼んでない」「産まれてこなければ良かった」

からそう思って言ったので,言い過ぎちゃったな,なんか思ってない.

たぶんこれを読んだ人からしたら「こんな程度で絶縁?」なんか思われると思う.

自分でも「親が嫌になった具体的なデカいできごとがあるか」って言われても出てこない.

漠然と,しかしハッキリと親が嫌いだ.

からちょっと不安になって,自分で確かめるために文字に起こしたくてこれを書いたんだけど,

ほんとにこの程度で絶縁?って思われる感じになっちゃった

でも私はもう親と関わりたくない.

私の神経すり減らしにかかってくる人たちとはもう関わりたくない.

自分のこの選択が間違っていると思いたくない.私が正しいと思いたい.

幸い,友人の中に「でも親なんだから大切にしないと」と言う人はいなかった.

本当にありがたい.

先月うっかり祖母にこのことを泣きながらこぼしてしまった.

祖母は「どうしてもっと早く言ってくれなかったの」と泣いていた.

本当に申し訳ない.こんな孫でごめん.

父親母親も,周りに「娘が旧帝大合格したんだ」「娘がいい企業に入ったんだ」って

言いふらしてたし言いふらしてるらしいけど,その娘に絶縁される気持ちはどんなんでしょうかね.

私がこんなに嫌な思いをあなたたちのせいでしてきたんだから,少しは味わってほしい.

自分が卑屈になったのを,自己肯定感が低い人間になってしまったのを,私は親のせいにしたい.

今まで様々な人たちに「どうしてそんなに自信がないの」「お前の自分に自信なさすぎるところ,本当に嫌い」と言われた.

親のせいにしないと腹立たしい.お前らがこんなこと言わなかったら.こんなことしなかったら.

もっと私に寄り添ってくれる人だったら.

貧乏人が育ちのいい人たちに出会った話

貧乏人が高専に進学して、大学編入して就職した。

この話はそれ以上でもそれ以下でもない。

これはおそらく誰の役にも立たない、個人的な話だということを断っておく。

トイレ落書きだと思って、もし興味があれば読んでほしい。

まず最初に、自分の家の家庭状況は最悪だった。

父親暴力を振るうし(高専進学後はなくなったが)、自分小学生ぐらいまでは定職に就いていなかったし(母親パートしていた)

収入よりも支出が多く、子供教育費にお金をかけるよりも自身の飲み食いにお金を使い、毎月金がないと騒いでいるような家だった。

ただ一応母親比較的まともで高校までは学費を出してくれることを約束してくれた。

そして、大学学費は出してあげられないけど奨学金を借りて家から通えばいいと教えてくれた。

幸い自分学業成績は地元公立中学校で上位5%程度でそれなりに良く地元公立高校に進めば大学に行けそうだった。

でもこんな家庭環境が悪い家から大学に通うなんてまっぴらごめんだった。それに、公立高校学費の他に、模試やら制服やら色々なこと

お金がかかりそうで、父親から文句を言われそうで嫌だった。

そこで、地元で一番偏差値が高い公立高校と同じ程度のレベル高専に行くことにした。

高専には格安の寮があったし、学費自体公立高校よりも高かったが模試制服など諸経費が全くかからなかったから。

それに当時民主党政権時代高校無償化で高専1年から3年までは半額で通うことができた。

技術にはあまり興味はなかったが、幸い理数系科目が好きだったので高専に進学してから特に困らなかった。専門科目には一切興味がなかったが。

しかし、自分が通っていた高専は当時進学高専として名を馳せていたせいか、そういう技術に興味がないがいわゆるお勉強はできるみたいな人は少なくなかった。

教員大学に入ったときの周りの高専生に話を聞くと、これは高専の中では結構特殊な部類らしい。

それはさておき、高専というのは自分と同じく家庭環境が最悪な人が集まるものらしいが、自分が通っていた高専普通の家の人が多かった。

ただ、お国柄か失礼ながら育ちはそんなによくなかったとおもう。それに高専では当たり前かもしれないが変な人が多かった。

自分はそうは思わないが、多分自分も変わっていたので変な人とはウマが合ったように思うし、実際卒業してから結構経つが今でも付き合いのある友人は何人かいる。

高専4年になると、親からの援助はなくなり、自分学費を払うことになった。学費を捻出するために日本奨学支援機構奨学金を月5万円程度借りていた。

ただ、高専には経済的に苦しい人に授業料免除制度があったので、奨学金教科書や定期代に使う程度で残りは大学入学金などのために貯めておいた。

この頃から進路について考えるようになった。大学に行くことは決めていたが、今の専門で今後4,50年生きるのは嫌だったので専門を変えて進学することにした。

幸いなことに大学の門戸は広く、工学部の他に理学部などの比較親和性が高い学部や、医学部などの全く異なる学部文学部経済学部など文系学部にも編入できるようだった。

手頃な旧帝大自分の興味のある専門が学べるところがあったので、そこに行くことにした。真面目に1年間勉強すれば合格することができた。

おそらく一般高校生よりも簡単方法入学したのだけれど、まぁ入ればこっちのものである

入学金、最初授業料賃貸の諸経費で軽く100万くらい飛んでいったけれど、貯めていた奨学金バイト代でなんとか支払うことができた。

大学とき日本奨学支援機構奨学金給付奨学金バイトでかろうじて一人暮らしができるようになった。

給付奨学金のおかげで、利子ありの奨学金を借りなくて済んで、関係あるかはわからないけど大学名前感謝した。

あと大学でも授業料免除をうけることができたので、そんなに苦労せずに大学生活を送ることができた。

自分特殊ルートなこともあって正しくはないかもしれないけど、日本大学勉強したい人にとっては

経済的に苦しくてもある程度の覚悟奨学金)を負えば通えると思う。)

ただ専門を変えての入学だったので入学当初はかなり真面目に朝から夜まで勉強する必要があったけれど、

自分の好きなことが学べる環境を手に入れて嬉しく思った。

ただ、大学の人と話していると生まれの違いを見せつけられた気がした。

お金が足りなくなったら親に無心する留学したければ簡単にできる、旅行をするために親から借金をする・・・

挙げていけばキリがないが、教育格差は親の経済状況に大きく左右されると改めて思った。

また、彼ら・彼女らはそうじて人がよく皆優しかった。

未だかつて、出会たことのない温かい人たちだった。

あの人たちは自分のことを友人として扱ってくれたけど、自分は彼らの国の住人じゃないと心底痛感した。

大学に入って初めて恋愛をして、恋人もできたけれどどうしても格差を感じてしまう、世界が違うと馴染めなかった。

ただ、彼らとの会話は楽しかった。

ほかの編入生と話す専門的な話も知的好奇心がくすぐられて有意義だったが

彼らと話すのは心地が良く、リラックスして会話を楽しむことができた。

本当は博士課程に残りたかったが、経済的に苦しかったので就職することにした。....というのは負け惜しみかもしれないけれど。

(もし本当に大学に残りたくて、実力もあれば、学振やらRTなどで生きることはできるように思う。)

就活を真面目にしなかったせいかレベルの低い会社就職してしまったように思う。自分レベルが低いのかもしれないが。

周りの同期のレベルはそんなに高くなく、話していて楽しいとは全く思えない。それに自分出身大学でいじられたりもする。面倒臭い

自分はあまり学歴に興味はないけれど(本当に)、学歴で得をするのは中の上クラス企業に勤めている人たちだけじゃないかと思う。

一番高いところにいる人たちは大学名なんて気にしない(と聞く)し、下の方のレベル企業だとほかの人からの僻みでうっとうしい。

から自分は、転職大学に戻ることを考え、またあの心地よい会話ができることを心待ちにしている。

一生、自分世界とは相入れないことを知りながらも、もがき続けるのだろう。自分は下のレベルではないと傲慢自分を騙し続けながら。

2020-06-20

玉手箱

僕は普通の家庭に生まれた。虐待やら育児放棄やらとは無縁で、お金持ちでも貧乏でもない、本当に普通の家庭で、何不自由なく育った。

小学校放課後毎日サッカーをし、中学校部活に勤しみ、高校ではサルみたいに騒いだ。何一つ変わったことのない普通の子供だった。

勉強結構頑張った。志望校には合格出来なかったけど、滑り止めのMARCH合格して、今年で3年生になる。

高校勉強に集中するからバイトはしてなかったけど、大学に入ってから毎日のように働いた。それこそ社員さんと同じくらい。

そうでもしないと必要お金が稼げなかったから。学費を稼ぐだけなら月4万円くらい稼げばよかった。奨学金もあるし、少しだけ親にもお金を払ってもらっているから。

でも僕だって遊びたい。サークルにもやたら金がかかる。通学定期代や飯代、生活費必要だ。多い時では、月に16万稼いだこともあった。

ところで、MARCHなんてのは、まあまあの名門大学だと思う。そりゃあ難関国立早慶に比べたら大したことないけど、バイト面接大学名言うと「すごいね」なんて言ってもらえる。そんな大学だろう。

そんなそこそこの名門大学で気付いたことがある。

周りの人間金持ちばっかだ。

ベンツを乗り回す人、常に有名ブランドアイテムを身につける人、老舗和菓子屋の息子、田舎土地持ってる家の人、錦糸町のタワマンに住んでる人、付属高校からエスカレーターで進学してきた人。みんな僕の大学仲間。

大学講義先生が言っていた。金持ちの子供は良い教育(というよりも進学に直結する教育)を受けられるので高学歴になり、いい仕事に就けるため、その結果金持ちになれる。それが繰り返される。逆もまた然り。

なるほどそれなら合点がいく。そこそこの名門大学に来るような学生の家庭はそこそこの金持ちってわけだ。

親の金大学に行き、親の金教科書を買い、親の金で通学定期を買い、親の金で飯を食い、親の金携帯代を払い、親の金サークル活動し、生活費も払わない。それがみんなの当たり前だった。

違う。全てが僕と違う。僕が必死こいてバイトして、バイトして、バイトして稼いだ金を、ねだるだけで手に入れられる人たちばっかだった。

多分、みんなは僕がどれくらい必死になって金を稼いでいるのか知らない。

7日間連続フルタイムシフトなんて出したことないに決まってる。

フルタイム連勤が続いた日の休憩時間で、店長の悪気ない些細な無駄話がきっかけで心が壊れた経験なんてあるはずがない。ましてやそのあと疲労ストレスで高熱出してぶっ倒れるなんて経験も。

昼飯代節約のために早起きして弁当作ったり、スマホ通信量の契約は一番安いやつにしたり、めちゃめちゃ楽しそうな飲み会を鋼の意思で断ったり、そんな経験はないんだろう。

僕は気がつけば、大好きなはずの大学仲間を嫉妬の目で見ていた。

大した苦労もしないでバラ学生生活を送っているみんなが憎らしくなっていた。

人生イージーモードのくせに、ノーマルモードの僕と同じステージにいるのが許せなくなっていた。もし僕がイージーモードだったら、第一志望のあの大学に行けたかもしれない、なんて妄想もした。

でも、みんなのことを嫌いにはなれなかった。みんな愉快で、優しくて、こんな俺でも仲間と認めてくれたから。

から、こんなことを喚き散らかしてはいけないと思った。表に出してしまえば、きっとみんな僕を軽蔑するに決まっている。黒い感情は箱にしまって、押し入れに隠したはずだった。

新型コロナウイルス。こいつのせいで状況が変わった。

バイト先が閉店。収入は月3万の奨学金のみ。新しいバイトを探し、面接を受けては人手足りてるからと落とされる日々。

これでは学費が払えない。こんなご時世だし、生活費は親に頼み込めば融通してくれるだろうけど、サークル活動再開できる状態になったとしてもその時僕は無一文だ。

そんな時に、みんなが色んなものを買っている。ニンテンドースイッチ歌手ライブDVD動画配信のサブスクに加入したりもしている。

僕が学費サークルの出費に怯えてここ数ヶ月1銭たりとも使ってないのに、みんなはそんな心配しないでドカドと金を使っている。

ステイホームでやることがない僕は、暇つぶし掃除をしていると、二度と取り出せないように奥の方にしまったはずの玉手箱を見つけてしまった。

このままでは多分、僕はそのうち箱を開けてしまうと思う。その時は、僕が大学での居場所を失う時だ。

この文章を書いたのは、箱の中身は何なのか、開けたらどうなるのかを確認して、気持ちを整理するため。要は、放っておくと到達してしまタイムリミットまでのただの時間稼ぎ。

根本的な解決は、コロナの終息か、新しい収入源を見つけるかのどちらか。

明日バイト面接結果が出る。

採用されることだけを祈って明日を迎えることにする。

黒人差別デモが盛んだけどあれは本当は人種差別じゃないか

現在ジョージ・フロイド氏の死をきっかけにアメリカだけではなく、世界レベル人種差別撤廃運動が盛んだ。

ただ、この活動は結局何も意味を成さないように思う。正確には何かしらの影響は出る。コロナによる閉塞感や不況に苦しむアメリカ国民ガス抜きになったり、マスター/スレーブや白黒という既に定着した用語コンテキスト無視して言葉狩りされたり、あるいはトランプが失脚して後のアメリカの動きが大きく変わるかもしれない。

それだけだ。アメリカでの人種差別本質は何も解決しない。あれはアメリカ社会構造/経済構造に深く根ざしている。100年かけて作られた社会構造を変えるには100年かかるのかもしれない。少なくとも表面的な言葉狩り悦に入ってるだけでは何も変わらないだろう。

まず、アメリカにおいて「黒人あるいはヒスパニッシュを恐れ疑うのは正しい」というどうしようもない事実がある。

言うまでもないが個人を取り出したときに善良な人は山ほどいる。私の知人にも黒人は居るが彼らをことさら警戒することは当然無い。

ならばなぜ警戒することが正しいのか? それは彼らが貧困層としてスラムに多く居るからだ。スラムには黒人ヒスパニッシュが多く居るの方が正確かもしれない。性善説しろ性悪説しろ衣食足りて礼節を知るので、貧民街治安一般的に悪い。それは教育不足によるモラル崩壊や全うな職にありつけないため犯罪に手を出さないと生きていけないという事に起因する。かつての日本の同和差別なんかもそうなのだが「ガラの悪い地域人間と付き合うな」というのは小市民的な処世術としては致し方ないと言わざる得ない。お金があれば犯罪をしないかと言われれば当然そんなことはないが「今日ご飯のために」盗みはリスクが高すぎるのでしないという話だ。

適切な教育を受けねば経済的に自立できず、経済的な自立ができなければ犯罪に走らざる得ず、その状態では適切な教育を与えられない。そして「中には善良な人もたくさん居る」というのは事実と知りながらも貧困層と向き合うときには警戒せざる得ない。10人に1人の犯罪に走ろうとする人間が目の前の知らない誰かとは分からいからだ。

日本から見るとアメリカ教育先進国として紹介されることもある。それは一面で事実だ。多様性を重視しリーシップ型の人間を育てるのに適した学校も多い。

義務教育期間の授業料無料という話を聞いたこともあるだろう。そんなアメリカ経済的な理由教育が受けれないというのは何故だろうか。なんのことはない、アメリカ教育費はメチャクチャ高額なのだ

アメリカに住めばわかるがアメリカ教育費は基本的に高い。何故なら学区という考え方があるからだ。

日本では文部省主導による教育指導要領によってどの小中学校基本的には同じことを教える。同じことを教えるから原則的には設備も似たようなものだ。教室があり体育館がありプールがある。調理実習のための家庭科室や実験のための理科室、音楽室なんかもふつうはあるだろう。最近ならコンピューター室とかもあるかもしれない。そんなのは当たり前で多少の地域性や教員スキルの優劣はあっても、日本ではどの学校に行っても誰に教わってもだいたい同じことが学べる。だが、アメリカではそんなことはない。

アメリカ学校は学区ごとに完全に独立している。これは設備の有無はもちろん、教える内容も全然違う。進化論の代わりに創造論教える学校普通にある。何故このような独立性があるかといえば、学校費用は学区の税金から賄われている。つまり学校の周りの地価/家賃によって学校予算が変わる。そして、予算のある学校は良い施設教員を揃え先程あげたような先進的な教育をしてくれる。では、そうでない学校は? 不足した設備とやる気のない教員により十分な教育を受けることができない。

しかアメリカ日本なんて比べ物にならないほどの学歴社会だ。なので、親は子供に良い教育を受けさせようと良い学区、すなわち家賃の高いところに住む。子供のために良い学区に住むなどもザラだ。そうして比較的裕福な層が住むことで治安も安定する。市の予算があるので街も綺麗で便利になる。すると子供を持ってない層でも住みたがる。アメリカ治安マジで大事だ。そうすると家賃はどんどん上がり、貧困層は住めなくなり下手をすると元々居た土地から追い出される。

この学区というやつは相当細かくて、道路挟んで一つで世界レベル金持ちが住む超優良学区と経済的に弱く残念な学区が同じ地域にあったりする。パロアルトとか。

サンフランシスコ等のシリコンバレー界隈で時々問題になる不動産の高騰問題がこれだ。ただ、これはアメリカ全土で程度はさておき起こっている事だ。家賃教育治安といった部分が強く結びついているため、経済弱者が這い上がる事が難しく裕福層との差分は時と共に拡大していく。

無論、アメリカ自由の国だ。アメリカンドリームの国でもある。当然、貧困層への教育も考えており特に成績上位者特別上級学校に通えるようにする仕組み等も整っている。「機会の平等を!」これに関してアメリカは取り組んでいる。

しかしながらそれは上澄みを救う対応だ。伸ばすべき人をもっと伸ばす。これはとても理にかなったことだが、固定化された格差解決にはならない。必要なのは底上げだ。

これには奇しくも日本型の「結果平等」の考え方の方が向いている。日本教育は決して万能では無いが、格差を固定させない----すなわち富の再分配としては良く機能している。

さて、話を戻そう。

先程から経済格差の固定の問題について話してきた。では何故それがアメリカでの人種差別問題に繋がるのか?

このような社会構造が出来たとき、100年200年前の経済弱者は誰だっただろうか? そう、奴隷解放されたばかりの黒人たちや中南米からやってきたヒスパニック達だだ。

ここから経済格差が固定され拡大された。今以上に白人至上主義な世相も大きく影響しただろう。

ヨーロッパ時代ユダヤ人差別を筆頭とした差別はあるし、それはどの地域、どの時代でも残念ながら変わらない。日本だって同和問題とか在日問題とか色々ある。

ただ、今のアメリカでそれはより深刻だ。単なる風説とか好悪だけではなく、必要悪として「貧困地域人間を恐れる」という事と一体化してしまっている。元々差別にあっていた人種のもの地域で固定されかつ教育/経済の両方に負のスパイラルが入り用意に抜け出せないという最悪の状態だ。この状態では単に黒人を恐れるなと言っても仕方がない。なぜなら犯罪を犯すもの事実として多いのだ。もっと良い職をというのも難しい。それは適切な教育を受けてないからだ。そして、それは偏見をどんどん加速させていく。事実と虚実がおり混ざって差別の根はどんどん深くなる。誤解と偏見を無くせば良い生易しい話ではない。

これは政治が全うに富の再分配をして、地域経済によらない教育/地域経済によらない治安というものを打ち立てるしかない。もちろん、偏見をなくすための活動はとても大事だが同時に事実としての固定化された経済教育格差解決しないと根本治療とならない。

ただ、今までのアメリカはそういう国ではないし、これからなるにはかなり長い道のりの気がする。事実、このデモさなかでそういったことはさほど話題にはなっていない。もっと初等教育平等にすることに力を入れる方が大事なのに。誰だって今持ってる利権を手放したくないのだが、そこから目を逸しては今回の人種差別問題もさしたる成果は得られないのだろうな。。。。

2020-06-19

知的障害のある弟と私の話

私の弟には重めの知的障害がある。

彼はもうすぐ大人になる年齢ではあるが一般的な会話はできないし、基本的相手が言ったことをそのままおうむ返しする。

外側から見るとそんな感じではあるが、『母親にこれ渡して』とか『ごはんできたから兄を呼んできて』はできる。

返答はできないまでも、頭で分かっていることは多いらしい。

そして彼はよく文字を読み上げる。

意味は分かっていないかもしれないが、理解欲は常人以上にあるようだ。

それに記憶力もいい。

私が幼い頃の人形遊びでかわいらしい人形に『チュパカブラ』という名前を付けて遊んでいたのをたまに蒸し返してくる。

自身は「チュパカブラ」という単語しか言ってこないが、私には大いに覚えがある単語であり、彼に『チュパカブラ』という単語を覚えさせたのは紛れもなく私である

とにかく早く忘れてほしい。

また、彼は基本的に動き回っている。目的がなくとも走るし飛び跳ねる。

一般的に奇声と呼ばれるものも発する。

彼のこういう部分は障害理解の無い人間を驚かせる。

彼のする動作目的はないが、理由はある。特に彼が飛び跳ねているときはたいていめちゃくちゃ嬉しいときかめちゃくちゃ悲しいときである

そういった感情表現が彼を飛び跳ねさせている。

ついでに奇声も発しているが、これはオタク「草」とかパリピの「ウェーイww」と大体同義だ。

彼はパリピ的なメンタルをしているので、めちゃくちゃ嬉しいと「ウェーイww」が口を衝いて出てくるのである

彼の友人(もちろん障害を持っている)もほとんどがパリピなので、合流するとバイブスがぶち上がって収拾がつかなくなることもある。

以上は現在の彼について端的に述べたものだ。

彼が頭のいいパリピであることが分かったかと思う。

おそらく彼は人類に変革をもたらすレベル天才であったため、神が「いやこれはやりすぎたわ」とか言って母親の腹の羊水を減らす暴行に出たのだろう。

だが彼には知的障害があるので、就職は難航した。

就職先を紹介してくれた人が就職先の人に「なんでこんな子連れてきたの!」と言われたりした。(括弧内原ママ)

もちろん彼の障害についてつぶさに説明して、そのうえでこの対応である

仕方ないことだとは思いたくないが、そういう人もいる。

みんな違う環境で生きているので、そういうこともある。

私たち家族が住む市は、比較障害者に優しい地域だった。

学校保育園には当たり前のように障害のある子がいたし、当たり前のように一緒に遊んでいた。

私は町の中学校を出るまで、障害者に対する差別的発言を聞いたことがなかった。

そりゃ身内に障害者がいたら面と向かって差別発言なんてできないだろうとも思うが、それでも記憶のある限りでは聞いたことがなかった。

私は親をあまり信頼していないが、親がそういう発言を受け止めていたか自分に届かなかったのではないかと今は思っている。

私は市外の高校に進学した。

そのときようやく障害に対する偏見差別発言を目の当たりにした。

頭では知っていたが実際に目の当たりにするのは初めてだったので、当時の自分はかなり傷ついた。

3年間友達をつくることをやめた。

傷つきたくなかったので。

中学とき外交的で明るめの性格だった私が、その瞬間を境に内向的で人に敵意を向ける人間になった。

この性格は今も続いている。

思い返せばこんなふうに、他の人間にはどうせ理解共感もできないだろうからという理由で明かしてこなかった悩みがたくさんある。

今回書いたのはその一端だ。

一連の文章を書くことで何かを得られたようには思えないが、死蔵しておくよりはマシだと考えてここに記す。

2020-06-17

anond:20200617173315

標準語とかけ離れたコテコテ方言

関東方言(といっても幅広いけど)と標準語差異として、例えば、

aioiがeeになる 例:高い→たけえ 遅い→おせえ

ら行が撥音になる 例:わからない→わかんない、食べられない→食べらんない

"ちゃう"の使用 例:食べてしまう→食べちゃう

間投詞としての"さあ"の使用 例:あのさあ、君さあ

”では”が"じゃ”になる、”ではない”が”じゃん”になる 例:それでは→それじゃ、ではないか→じゃんか

などがある

これを近畿方言こちらも幅広いけど)と比較すると

auやouがooになる 例:高く→たこお、遅く→おそお

"ない"が”ん”、"へん"になる 例:わからない→わからん、わからへん、食べられない→食べられん、食べられへん

"まう"や"もう"の使用 例:食べてしまう→食べてまう 食べてしまった→食べてもうた

間投詞としての"な"の使用 例:あのな、君な

”だ”、”では”が”や”になる 例:それだと→それやと、ではないか→やんか、 やないか

となる

標準語→「見た目ではわからないけれど、いちど食べてしまえば思っていたよりもうまいではないか

関東方言→ 「見た目じゃわかんねえけど、いちど食べちゃえば思ってたよりうめえじゃんか」

近畿方言→ 「見た目やとわからへんけど、いちど食べてまえば思おてたよりもうまいやんか」

口語文字に書き下したとき標準語から距離どんぐりの背比べだろう

もちろん、標準語にない語彙や言葉の変化はどの方言にも有るし、

イントネーション東京方式京阪方式に比べて標準語に近いとはいえ、違いは多い

関西弁標準語とかけ離れているというなら、関東方言含めて他の方言標準語とかけ離れているし、関東方言標準語と離れてないなら関西弁標準語と離れてないとみなすべき。

というか、福岡広島大阪名古屋東京仙台札幌の小中学校で話されている言葉標準語標準語に近いってないわ

それとも俺が知らないだけで、東京若者は上で書いたような標準語を話してるのか?

2020-06-16

anond:20200616191201

ガチバカじゃねえか。中学校からやり直して来い。

  

"But perhaps most surprisingly, four years after the procedure, samples of Long’s semen show only his donor’s DNA."

  

Semen (精液). Not sperm(精子).

  

"Three bone marrow transplant experts consulted by the NYT all agreed that it would be impossible for the procedure to result in a recipient producing sperm containing their donor’s DNA."

  

"...[Long]’s surprising semen is likely due to the fact that Long had a vasectomy after his second child was born."

  

あとソースが載ってないから本当かどうかも怪しい。

やはりADHDで鬱は生きてはいけないのでは

先に結論だけ書いておくと、これはダメ人間が書いた掃き溜めだ、読む価値はない、これを読む時間聖書を読む時間に当てた方が有意義なことを保証する。

自分はいわゆるADHDで鬱というクズだ。税金公共料金は滞納し仕事先延ばしにしケアレスミスを多発する、ただ会社の金を貪り尽くす蛆虫だ。いや蛆虫の方が医療等で活躍できるため自分よりはるか有用だろう。

これら先延ばしのこと等は自分の中ではやらなければならないとは思っている

税金公共料金をきちんと支払い、お金管理する

・まだ実装できていない機能実装し、残っているタスクを消化する

インフラの構築を見直しバグを細かくチェックし修正する。

書類作成し、提出する

など、どうしなければならないか道筋は頭にあり、またそれを実行しさえすれば解決できるものである確信している。

しかしなぜかできない、なんでと言われても自分でもその理由がわからないので答えようがない。

これらは自分の中ではやらねばならないことだと認識しているので、やれないことに対する不安だんだん心の奥底に鍾乳洞から滴り落ちる水滴のように溜まっていきいつかこぼれるのだと思っている。いやすでに溢れていてそれが現状の鬱なのかもしれない。

自分社会で最低限必要なことができないクズだ、ADHDや鬱がなければまともになれたと思うが現状まともでないのでクズであることには変わりはない。

おそらくこれを読んでいる方の中には「やればいいじゃん」と思ってる方もいらっしゃるだろう、まさにその通りだ。やればいいことでやれば終わることだ、しかし今の自分にはできない。今の自分にできるのはだた陰鬱とした感情吐露することのみである

もしできることな自殺できたらと思う、迷惑をかける自分存在は周りにいる人や社会にとって明らかにマイナスなのだ

これら特性は今に始まったことではない、大学では引きこもり本を読むか(自分以外に無意味な)コードを書く日々を過ごしていた。この時も本来やるべきである勉強をしていなかった。(私は物理系の学科だが情報系の勉強ばかりをしていた)

大学生だというのにまともに交流勉強もせず無下な時間を狭い6畳一間の部屋で過ごしていたのだ。さら大学中退してしまった。

もっと昔に遡れば高校の時も嫌になった部活委員会から逃げたり、中学校の時も嫌な勉強から逃げたりしていた。

こう見てみると自分人生は「逃げ」か「嘘」しかない空虚ものだと思う。結局ADHDとして生まれた時から自分人生には「逃げ」か「嘘」しかったのだとも思う。

最近人生をやり直せたらと思うことが多くなってきた、現在20台半ばだがすでに未来は暗い、丑三つ時の夜空の方がまだ明るいだろう。

スキルもなく、人格も悪い、事あるごとに「逃げ」か「嘘」を使い、全ての事象から目を覆うダメ人間未来などない。

昔は自分人生は素晴らしいものになると思いていた、自分で言うのも恥ずかしいがIQは高く、記憶力に優れ、芸術的センスも平均以上にあり、会話や交渉が得意、これらの才覚があれば自分は素晴らしい人生あゆむ素晴らしい人間になると錯覚していた。

しかし、これらはあくまで"普通のことができる"、"努力ができる"人間であればと言う話だ、自分はおそらくこれらの代わりに"普通のことができる"、"努力ができる"と言う一番大切な能力を失ったのだろう。そのせいで無駄に悪知恵が働き、無駄なことを覚え、よくわけのわからない表現をつかい、他の人を騙す、最悪の人間になってしまった。

厄介なのが自分の中に自分理想像があるのが一番厄介だ、もし自分理想像がなければ現実との解離で苦しむことはなかったのだろう。

しかし、現実現実だ。

如何しようも無い現実存在し、それからは逃れられない。現実から目を背けても無意味などころかより悪い状態に陥る、しかし目を背けずにいられない。

どうしてこうなってしまったのだろうか。

もし、自分中学生の頃までにADHDだと診断を受け、適切な治療を受けていたら?

もし、大学生の頃、鬱傾向が出た時にきちんと精神科治療を受けていたら?

もし、ADHDや鬱がなかったら?

これらはあくま現実と解離した無意味なIFにすぎない。しかし、当事者である自分からしてみると考えずにはいられず、またありえたかもしれない世界という逃げ場所を失うと言うことを避けたいのだ。

ここまでで自分無為さを書き連ねたが、最初の話に戻ろう。

自分はいわゆるADHDで鬱というクズだ。税金公共料金は滞納し仕事先延ばしにしケアレスミスを多発する、ただ会社の金を貪り尽くす蛆虫だ。

しかし、今までの文章からわかるように改善はもはや見込めない。ただこれからも周りに害を振りまく人生を過ごすだけだ。

もうどうしようもないのだ。

自分自分で愛せない。

殺意すら芽生える。

死にたい

もし、自分と同じようにADHDで鬱の人がいればせめてこのような人間にならないことを願う。

2020-06-14

物理数学の履修時期は常に1年すれ違っている

物理学は常に数学の発展と共に進歩してきた。

というより物理学から必要に駆られた要請によって新たな数学概念が切り開かれてきた。

したがって当然、物理を学ぶ際には現象のもの理解とその裏に潜む数学的内容の理解が両輪となるのだが、

なぜだか日本学校教育においては、この前提が上手く機能していない。

物理分野においてある現象を習ったその翌年に、ようやく数学分野において必要概念が登場するといった具合だ。

具体的には、以下のようなものがある。

まあ大学まで来ると履修順もある程度好きにできるのであくま一般的な例だが、それでも通常のシラバスでは上記時期に学ぶとされることが多い。

なぜこのようなことになっているのだろう?

はっきり言って物理が「公式の暗記ゲー」になっているのはほとんどこのすれ違いが要因だ。根本的に理解するための道具がないから、その結果だけを公式として先回りに輸入しているのだ。

単純に小学校低学年の段階で理科の履修時期を1年後送りにすれば済むと思うのだが、何か問題があるのだろうか?

(Appendix)

現行(今年度より順次終了)の指導要領は以下

https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/youryou/1356249.htm

順次適用される新指導要領は以下

https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/1384661.htm

ブクマ返し

かにそこで知識として触れることになっている。ちゃんとやるのは中1だが、そこは誤解を招く表現だった。申し訳ない。

それはない。上記リンク参照。勝手にやってる所はあるかも。

大学カリキュラムはさすがに学校ごと、個人ごとに差が大きく、必ず上記の通りと言うつもりはない。しかベクトル解析は通常1年次の微分積分学ではやらないと思う。

また一般的に、物理の履修が数学に先んじる傾向が大学でも続くという部分は、どの大学でもおおまかには認められると思う。

思ったより各校で工夫されているらしい。それ自体はとても好ましい。

だが基本は指導要領の通り教わっているものであり自分の教わり方が「例外的に素晴らしかった」ことは認識していただきたい。

教師判断で「工夫」しなければいけない状態はどうなのか?

必ずしも初学者発見順に沿って学習する必要はないと思っている。

今の体系の中で、最もわかりやすい順番に並べ直すべき。

それ自体反論はないが、であれば上記のように物理内で微積を導入するなどして必要数学を身に付けさせなければ意味がない。

たとえば等加速度運動二乗公式を暗記させる必要は一切ないはず。

そして具体例から抽象化までに1年のブランクは遠すぎる。

また、個人的には数学はそれ自体完結する学問だと思っているので、常に物理のために数学があるような受取り方になるとしたらちょっと良くない(個人美学だが)

直前に書いた通り、自分はこの考えを指示する。異論はない。

物理要請数学が切り開かれた」というのは、そういう一事実があると言いたかっただけで「全ての数学が」というように受け取らせるつもりはなかった。

ここも誤解を招く表現でしたね。

2020-06-13

コロナが全て悪い(結論

私「このカップ麦茶が入っていますので、喉が渇くなどしたら飲んでくださいね

子「はい、わかりました」

(1時間後)

子「この家の人間はなぜお茶を出してくれないんですか?」

私「そこに手つかずのものがあります。冷えているものがよいなら冷やしますが」

子「は?」

※子の発言は意訳してありますが、「は?」は意図がわからなかったので原文ママです

この時の私のとる対応として正しいものを200字以内で述べよ(配点10

状況

子の親(私のきょうだい)が共働きのため、ここのところ預かる機会が増えました。

子の対応が8割ぐらいこの感じなので、そろそろ私の胃が終了しそうです。

取りたくない対応

既に気になっている点

  • 子の言葉遣いが荒い
  • 自分(子)が誰か(私)に好意を持っているからといって、その誰か(私)への暴言や荒い振る舞いが許されるということにはならない
    • 子は日頃から私への好意公言しているので、これは私のうぬぼれではないと思う、たぶん。
      • 好かれていることによって荒い振る舞いを受けるのなら、私は何も嬉しくないです。
  • 私は子の全ての言動を生返事かどうか疑ってかかるべきだった
    • 自身が、生返事が多いという自覚がない?
      • 生返事の良くなさについては日頃言っている気がするんですが、それも生返事だったらどうすれば?
  • 友達関係学校習い事での人間関係問題は聞かないので、子はこちらの家や自宅でのみこういった対応を取っている?

特記事項

  • 私が小学校高学年~中学校ぐらいの女子に対して深刻なPTSD持ち
    • 周囲はこのことを承知済み(のはず)で、数年前から私は子と接触機会を減らしていた
      • のですが、コロナによりどうしようもなくなりました
  • 他害しそうになったらたぶんそれより先に自分の首をくくると思うので無害です(?)(事故物件化は避けられないので無害ではない)

2020-06-12

あのモスバーガーのこと

私の生まれた町はど田舎だった。

半分鉄鋼業と半分農業でもってるような田舎の町。

中学生自転車中学校に通い、頭にはきっちりヘルメットかぶっていた。

小学生はもれなく袖で鼻水を拭いていた。

そんな田舎の町に、ある日モスバーガーができた。

「てりやきバーガーがおいしい」と学校で大騒ぎになった。

そしてこのモスバーガー、このど田舎の町にあってなんと閉店時間が深夜2時だった。

コンビニも11時に閉まる田舎の町で、2時まで輝くのモスバーガーネオン

煌々とかがやく電灯に、緑の制服店員さん。

これは「夜は寝るもの」と思っていた田舎若者たちにとって驚異的な出来事で、そのモスバーガー、あっという間に町中の「ちょっと悪い感じに背伸びしたい若者」のたまり場&おしゃれスポットになった。

週末の夜ともなると、爆音バイクモスバーガーの前を走り、おしゃれした女の子たちが、キャッキャと店前のガードレールに並んで腰かけた。

町一番の危険スポットで、背伸びしないといけない場所、それがあのモスバーガーだった。

オチはないです。久しぶりに帰ったらただの駅前広場になってたから書きました)

anond:20200612170851

自衛隊消防で男をレイプした男って逮捕すらされていないよ

中学校高校事件でも男同士の性的犯罪逮捕されない

anond:20200611144503

まあ役所って職場中学校クラスみたいな力学で成り立ってるからな。 

いかにもガリ勉くさくてモテなさそうな真面目君が出世しても、女とか昇格遅れてる陽キャの同期連中からバカにされるし。

中学校不登校明けの同級生を見てはいけないものとして怖がる感じかな。

公立中学校記憶

僕は熟考することが癖なので、瞬発的な対話が苦手だった

公立中学校に在校していたときはとても苦労した。

しかし、頭の中で「うんち」という言葉を繰り返し唱えたら

上手く行くようになった

かわいい正義なら悪でいい

物心ついた時からブスであるが故にあらゆる苦痛を強いられてきた。幼稚園では「増田ちゃん嫌いな人この指と~まれ」とみんなが団結する遊びが流行り、小学生の時はむしろブスであることを逆手に取りお笑い要員になることでクラスの人気を得た。中学校から上は思春期のためお笑い要員であることが恥ずかしくなりブスを武器にしなくなったら女子からはことあるごとにクスクス笑われ男子には罰ゲーム告白され学校掲示板にはブスと書かれた。

この「罰ゲーム告白」は私の心に深い傷を植え付けた。「私に好意を持つということは罰なんだ」という気持ちは今でも抜けず、恋愛はしていない。異性にとって罰だとわかっているのに好意を期待することなどできない。

いわゆる醜形恐怖症だったのだと思う。常に己の顔が汚くて引き裂きたくなる気持ちと戦ってきた。

昨今、「かわいいは作れる」を合言葉に、詐欺メイクネット上に広まっている。私も「それでブスがどうにかできるなら」とパーソナルカラー診断をし、合うメイク必死に探し、マツエクなどを駆使して「なんとか見られる」程度に「顔を作る」ことを覚えた。

そこで、今回の外出自粛だ。在宅勤務になり、友人と会う予定もなくなり、メイクをせずに過ごし、今まで流行りに合わせて整えてきていた眉毛は生やし放題。

そこで気付いた。

「私、何もしてない自分の顔が好きだ」

朝青龍に似ているし、客観的に見てブスなのは嫌というほど知っている。知っているが、私はこの顔、好きだ。メイクで「詐欺」した顔より、好きだ。

オタクの中では「自己肯定のためのメイク」が流行っている。自分を好きになるための、自分のための、メイク。私もきっと自分を好きになれるだろうと思ってあらゆるコスメを買い集めた。それでも、似合うと言われている色のリップを塗ってもまつげをはやしてもしっくりこなかった理由がやっとわかった。ありのまま自分の顔が、私は好きなんだ。

飲みすぎた次の日などたまにむくんでいて「今日ブスだな笑」と思う日はあるが、大体あ~今日すっぴんの顔がいちばん好きだわ、と思う。

かわいい正義」というが、正義があるということは悪があるということで、その悪はブスなのだろう。

だったら私は悪でいい。誰のための正義か。かわいくなくても、私はこの好きな顔を持って生きる。

追記

anond:20200612104221

別にそれならそれで全然いいし応援するけどかわいく・かっこよくなって異性にモテたいと思う人を旧人類で新しくて正しい価値観理解しない土人みたいに否定するのやめてほしいんだよね

あなたがそうだと言ってるんじゃないよ。あなたあなたでいいし、そうじゃない人(異性に私はモテたいので)もそれでいいじゃない

このトラバを読んで誤解されたら困るなと思って補足するけれど、これは「メイクするのをやめた」話じゃなくて「自分の好きな顔で生きることにした」話なんだよね。

こんな増田を書いたけど私はたまにいる「ノーメイク推進派」にはむしろ反対の意思で、例えば自分の鼻の形が好きじゃない子がメイクによって自信が持てるとか目が小さいことを悩んでた子がメイク自分の顔を好きになれるのは最高だなと思う。

「彼が好きと言ってくれるメイクした自分の顔が好き!」って思えるならそれってすっごくすっごく素敵なことだと思うよ。

私は人にとってはブスかもしれんけど私は私の顔の中でメイクで隠したい嫌なパーツなどないし細い目も分厚い唇も普通に好き!って思っただけ。

私は「女性は美しく見せるための努力を怠るべきではない」という価値観に背を向けたように、「異性にモテるための化粧は旧時代、これから自己肯定時代」みたいな価値観押し付けに屈しない自由だってある。

お互い、自分の決定を好きでいようね。

2020-06-10

気が狂いそうに成る

というか、もうくるってるけど

駅そばうるさい。

中学校そばうるさい。

しずかなところがいい

結局 何が一番大変ってけじめを付けるのがたいへん。

らくよりはいいけど

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