はてなキーワード: 中学校とは
ずっとそれが日常としてあるとおかしいと気付かないことがある。
何がおかしいかというとまず1つめ、父と妹はまだ一緒に風呂に入っているという事。
妹はもう大学も卒業して成人している。俺とも中学までは一緒に風呂に入ってた。
母と一緒に入ることは無かったと思う。
そして家族で歩く時は昔から父と妹が手を繋ぎ、その後ろに俺、最後に母という縦列で歩く。
幼稚園、小学校、中学校、高校、大学とずっとこうだったから変と思う事が無かった。
というより、おかしいと薄々思っていたがそれを説明する理屈が当時の俺には思いつかなかった。
父は学歴も良く頭も良くて理屈っぽくこちらがおかしいと思ったことも生半可に発言すれば即座に論破してしまう。
「なんだかおかしいと思う」はすぐ無効化されたし意味が無かった。
妹にも聞けなかった。妹は成績は良かったが異様なくらい無口で普通に話せる話題がゲームの話しかなかった。
俺が就職して実家から出勤するようになって、大学時代に同じゼミだった子と結婚して家を出た。
「それは異常だ」という言葉を初めて他人の口から聞いた時ほっとするよりも逆に不安が大きくなった。
今年の初め祖父の家に挨拶に伺った時、実家の家族とも会った。仕事の事と嫁を大事にしてるか等の
普通の会話ができたので、俺の不安は気のせいだったかとその時は思った。
一人で歩いている母に思わず今家に問題は無いかと聞いてしまった。
母は「皆元気よ」としか言わなかった。妹は大学卒業後ずっとバイトを続けている事、
父がそろそろ定年だという話はしてくれた。
休日は皆どうしてる?と聞くと母は土日も仕事があるため休み中の2人の事は知らないと言っていた。
平日に自分だけ休みがあってずっと1人でネトフリを見ているらしい。
その後妹に何か問題は無いか、程度のメールをしてみたが返信は全く無かった。
先月行事で会う機会がありメールが届いているかを聞いたが無言だった。
不安はその後大きくなり、母とは連絡を多めに取るようになった。
母から家族3人で旅行に行った旨と写真を送るとあり、俺は少しホッとした。
写真は父と妹が手をつないで歩いているのを後ろから撮っている写真ばかりだった。
「よそはよそ、うちはうち」なのかもしれないが俺はもう家族の外、よその人になったのだと思う。
もしかしたら自分の考え過ぎかもしれないし俺の方がおかしいのかもしれない。
よく分からない。
なるべく考えないように過ごしているが時々思い出して強い不安を覚えるので
忘れるためにもここに吐き出しておく。
思いついたことを書くだけ。
旧来のジャンプ的少年漫画の王道文法と呼ばれる要素の一つに、社会性のない獣のような主人公が成長して(ある程度は)人間的になっていくというものがある。ドラゴンボール、スラムダンク、キングダムとかチェンソーマンとか色々。約ネバもかな?
成長前の主人公がそういう風に書かれるのは、少なくとも文法成立の初期の頃は、子ども(クソガキ)のふるまいを誇張して描いていたからだと思う。
元はそういう子ども向けのコンテンツで、読者は主人公のふるまいや考え方に感情移入していた。
具体的な対象者は、まずは小学校低学年くらいの階級構造があやふやな時期の子ども全体。彼らの世界は上も下も決まってなくて、全員がわがままで、ボスザルになれる可能性を秘めている。
次に、小学校高学年くらいの、ボスザルに憧れることができるレベルの、ガキ大将文化圏の強者群。ここでナードや賢しらぶった子ども(=ガキ大将文化圏における弱者)はふるい落とされる。
中学校以降となると階層構造はどんどん細分化されていって、真の意味で感情移入できる人間はごく一部である。
その頃には二次性徴とか諸々により価値基準が変わってきて、ガキ大将主人公に感情移入できてる奴の方がやばいわけだが、それはここでは置いとく。
中学生以降になっても(むしろなったからこそ)そういうガキ大将主人公の漫画を楽しめるのは、他人事をフィクションとして楽しめるようになるからである。だから女子中学生もジャンプを楽しめるわけだ。
感情移入とはいかないまでも、まぁ話は面白いしいいか、ってなものである。
ところで、鬼滅関連の記事かTwitter投稿か何かで見たのだが、今の小学生はジャンプを読まないそうである。何を読んでいるのかというと、コロコロとかだそうだ。ジャンプは中学生のお兄さんやお姉さんが読む雑誌らしい。
個々の能力にもよるだろうが、小学生くらいだと感情移入できないと物語を楽しめない子が多いだろう。(感情移入がほとんど無くとも物語を楽しめる小学生は、漫画雑誌など読まなくても他のフィクションを楽しめるのだ)
つまり、今の小学生はジャンプの主人公に感情移入できないのである。
ジャンプの王道(やエロ)を楽しくありがたく読んでいるのは、中学生~中年のお兄さんやおっさんなのである。しかし、彼らも感情移入して読んでいるわけではない。(そういう人間もいるかもしれないが・・・)
ちなみに、ナードと賢しらぶったガキと女の子、お姉さん、おばさんは、名探偵コナンを読んだ。基本は頭脳戦である。コナンはアンチガキ大将な者たち(今やそちらの方が多数派である)を取り込んで覇権を取れたのだ。
また同時に、お姉さんやおばさん、爽やかな男子諸君はスポーツをやる作品を好んだ。乱暴ではないが、パワーが正義であり、勝ち負け目標がはっきりさせやすい。そういえばコナンもボールを蹴ることがある。
不幸なのは、スポーツものが今どきのほとんどの人間にとってファンタジーであることだ。とりあえず野球やろうぜってな時代ではないので、真っ当なターゲットは食指を伸ばさず、結果としてスポーツものは非公認ソフトBLとして扱われることになった。
ここで鬼滅である。
炭治郎(主人公)は作中で関わった人物のほぼ全員から愛され慕われている。
主人公が普通に頑張っていたらみんなにモテモテ、などというとまるでなろう小説のようだが、炭治郎は精神性も行動も実に真っ当であり、納得感があるのだ。
炭治郎は無知な田舎者だが(そこが"王道でありながら"と言われる所以かもしれない)普通の社会性はあって、道徳面では模範的とすら言える。人として備えているべき慈愛に満ち、努力家で、真面目ながら寛容。
彼は人間としてシンプルに魅力的で、そばにいてほしいタイプなのである。
不思議なことに、フィクション(特に少年漫画)において最初から人間として魅力的な主人公というのは中々いない。なぜか。
主人公はどこかしらに問題を抱えていて(社会常識がないとか非モテであるとか)、それを解消していくことが成長であると、文法によって決められたからだ。漫画ではなくとも、物語というのはそういうものである。
良い映画の主題は「自分は何者なのか」という問いかけに収束すると何かで読んだ。これは人々が普遍的に感じている(感情移入できる)哲学的な命題であって、映画の中では様々なドラマを経て主人公なりに「自分は何者なのか」という答えを見いだす。
それに依ると、鬼滅にこの主題はほぼ存在しない。主人公の家に伝わる教えによる未知の能力というフックは途中に入るものの、その話題は全く重視されていない。
炭治郎は、そんな大げさな悩みを持ったりしない。「俺はこんなものだ」と割り切って「自分にできることを真面目にやろう」なんて考えている。目的は常に「妹を人間に戻すこと」という、哲学的でも何でも無い現実的な物でしかない。
インターネットの影響は大きい。宣伝だとかバズだとかの話ではなく、インターネットが人々に与えた影響だ。
今やネットによって全世界基準で自分の順位のようなものが何となく分かってしまうようになった。自分より強い奴は山ほどいて、社会に向かって怨嗟の声を垂れ流している情けない大人もいっぱいいる。
「自分は何者なのか」が主題として機能しなくなってしまった。「俺はこんなものだ」と思わざるを得ない社会なのだ。
今の子ども達にとって、どうあがいても未来は暗いのだ。それがもう嫌と言うほど目に見える今の世界で、獣が人間になり大望を成し遂げるというフィクションはファンタジーに過ぎるのである。
一方で、目標に向かって自分ができるだけのことを精一杯やっている炭治郎の愚直さは真似できそうである。そして、作中ではその姿がひねくれた大人(柱)たちを無言のうちに説き伏せ、主人公を応援する側にシフトチェンジさせる。
今の時代、大人も子どももみんな人間関係に疲れている。努力が報われ、ついでに周辺環境を居心地良く改善していく姿は誰にとっても魅力的に映るだろう。
慈愛に満ち、努力家で、真面目で、他者に寛容な人間というのは、既存の作品では大体理不尽な目にあってきた。
それがモブであれば理不尽に死ぬ役だし、ネームドであればトラウマを負って冷笑系とか陰のあるタイプになった。それらの作品の主人公はわがままであり、理不尽に負けない強い者であって、慈愛や寛容は弱さであった。
炭治郎は、物語の最初の最初に理不尽な目にあって復讐を誓うわけだが、それでも慈愛と寛容、真面目さを失うことはなかった。むしろ、それしか持っていないと自分で言っている。
炭治郎の師匠たる鱗滝さんは、初見の炭治郎のことを評して「こいつは優しすぎてジャンプ主人公にはなれない」というようなことを言っている。(曲解ではないと思う)
その鱗滝さんの薫陶を受けた最も優秀な弟子であるところの錆兎は、炭治郎とは真逆で非常にマッチョなジャンプ主人公思考である。「男なら死ぬ気でやれ!優しさなど不要!」みたいな感じのことを言いながら急に殴りかかってくる。
炭治郎はその錆兎に努力の上で勝利して修行編は終わり、かくして時代に即した新タイプの主人公が生まれたのである。
彼は修行の後の最初の試練で打ち潮(修行によって身につけた特殊な技)を繰り出し、「俺にもできた。修行は無駄じゃなかった」と涙する。いい話である。
アニメ派の人にはネタバレになって申し訳ないのだが、錆兎が死んだ理由は他者を生かすためであった。古い主人公時空に生きる錆兎は、慈愛と優しさを持っていたが故に理不尽な死を遂げたネームドキャラだったのである。
鬼滅が女性人気を得たのもむべなるかな。
自分の子どもでも彼氏でも旦那でも父親でも、乱暴で直情的な猿よりも真面目で優しい男の方がいい。(比較論である。個人の趣味は置いておく)
男は猿だった時代を楽しむこともできるわけだが(何なら郷愁を感じもする)、ほとんどの女の子は猿に迷惑をかけられたことしかないだろう。なお、一応言っておくとワイルド系とかオラオラ系と猿は違う存在である。
旧来の主人公的な存在といえば、伊之助はまさにソレである。どうやって感情移入するんだと思うかもしれないが、たぶん昔の子どもは彼に感情移入できていたのだ。
実際、伊之助はサブキャラとして一つの人気を確立している。普遍的な人間的成長のカタルシスを端々で見せるからである。ほわほわ
ただし、伊之助には旧主人公的でないところもある。それは顔が良いことである。
伊之助は全く以て迷惑で嫌われ者の要素しかないキャラなのだが、顔の良さがギャップになるのか、女性人気が結構高い。実際、アニメの実況では14話で顔が出た瞬間に手のひらを返して興味を持ち始めた人を結構見かけた。
顔がいいだけの生意気なガキが、成長して徐々に素直になっていくのである。そりゃ人気もでる。
一方で、旧来の猿型主人公というのは特段美少年だったりはしない。たぶん、見た目は本質的な魅力ではないという思想があるんだろう。男はロマンチストなのである。
炭治郎は今のネット時代に即して「自己を保ち、できることから愚直に始めなさい」と示した。そうすれば、今の自分なりに良いところまでいけるはずだし、周辺環境をよくできる(かもしれない)というわけだ。
元々時代に即しておらずいびつだった"王道"にメスを入れて見事解体して見せた鬼滅であるが、果たして続く作品は出てくるだろうか。
視野が広くなったが故に個人レベルではむしろ可能性が閉塞されたネット時代である。この時代に生きる子ども達に未来への希望を与える作品が現れれば良いと思う。
容姿差別をやめることが人間に可能だと思う?どう考えても不可能なわけ。公立中学校に行ったことある?あの年齢の知能レベル分かってる?大人でも厳しいけどね。大人は静かに見下して静かに差別するからね。
黒人差別が話題だ。Twitterのタイムラインを見れば毎日毎日、飽きるほどに論じられている。私は差別問題に詳しいわけではないが、黒人の置かれた状況に対する一定の同情はあるし、黒人差別に限らず差別と呼ばれるものはなんであれ、少しでも減ってほしいと心の底から願っている。これは嘘偽りのない本心である。
だから、私は黒人差別も少しでも改善してほしいと思っているし、現在熱心に活動している方々を応援してもいる。しかし、その一方で、自らが受けている差別に対して声を上げられること自体に嫉妬を覚え、結局、黒人差別は自分とは無関係な問題だと思わずにいられない。このことについて少しだけ書かせてもらいたい。
唐突だが、私は激烈なブサイクで、ついでにADHDである。小・中・高と容姿(と言動)が原因で酷いイジメに遭い、それが原因でうつ病も患った。25歳現在も治療中で、社会復帰は望めないのが現状だ。私は今、「イジメに遭った」と言ったが、要するに、「容姿差別を受けた」ということだ。(「障害に対する差別」もあったかもしれない。)
私は、容姿差別、特に思春期におけるそれが解決可能な社会的問題だとは思わない。中学生(特に女子)の、本能的に気持ち悪いと感じたヒトは誰であれ人間として扱わない態度を思うとき、ブサイクな生徒が公立中学校で尊厳を保って生きていけるとは到底思えない。稀に、自分の容姿のマズさを自覚したうえで社会的に上手に振舞う、という高度な社会性を備えた中学生もいるが、あらゆるブサイクな中学生に対してあれほどの社会性を要求するのは社会的に公正ではない、と私は思う。
容姿差別は「チー牛」画像の広まり方を見ても分かる。あの画像は、社会が「ああいう容姿」の人間をどれほど見下しているかを的確に表現している。しかしあの画像を容姿差別だと言う人はほとんどいない。当事者でさえあれはギャグであると受け止め、自ら率先してネタにしていかなければならない空気が出来上がっている。「チー牛」画像に対して「差別だ」と声を上げることは単純にダサく、空気が読めず、そんなんだからお前は「チー牛」なのだ、と言われるべきことなのだ。
要するに、私は「容姿差別が解決した社会」を強く願うが、どうすれば実現できるか全く分からないし、そもそも、そのような社会を想像することすらできない。一方で、黒人差別に反対している人々は「黒人差別が解決した社会」を明確に想像することができるし、実現のための具体的な方策も見えている。私にはそれが(皮肉とかではなく純粋に)羨ましい。自分の経験した、また経験している差別問題には解決の糸口すら見えず、同じ問題意識を共有してくれる人もおらず、ただグズグズと感情が腐って毎日サインバルタとデパスを飲むだけの私には、差別問題に真っ向から向かっていく姿はきらきらと輝いて見える。
そして、黒人差別が解決したとしても自分は容姿差別を受け続けるのだと思うと、黒人差別は自分とは全く関係のない事柄に思えてくるのである。差別は少しでも減ってほしいし、「みんな」が仲良く暮らせる社会が実現すればどんなに良いことかと思うが、「私以外のみんな」が仲良くしていても私はちっとも嬉しくないのだ。
中学二年生の夏、とある地方都市で小さな事件が起きた。少し動けば汗ばむくらいの日差しが降り注いでいて、移動のたびに頻繁に上着の脱ぎ着を繰り返していたので、自分の持ち物がどこにあるかという注意が散漫になっていたかもしれない。僕の財布が見当たらなかった。
僕たちは特に何をするわけでもなく、どこに行くわけでもなく、なんとなく公園で遊んでいた。公園といっても小中学校のグラウンド程度のものであり、8分に1回来る快速バスの停留所が隣接するような、比較的人の行き来のある公園だった。
僕は自分の財布が無くなったことに気づくや否や、自分の血の気がすっと引くのを感じた。しかし次の瞬間、僕はこれまでの行動を思い返していた。1時間前にスーパーに寄ってじゃがりこを買った。だから1時間前は財布を持っていたはずだ。これは間違いない。その後はーー
公園のバス停で友達3人でじゃがりこを分け合っていた。バッグからじゃがりこを取り出したまま、バックを閉めた記憶はなかった。周りに怪しい人はいなかったか・・・。一人だけいた。浮浪者の男が一人、隣のベンチに座っていたことを思い出した。
バス停の方に視線を移すと、先ほどと同じように男は座っていた。僕は少しだけ自分の血が煮えるような体温の上昇を感じた。走るでもなく、でも出来る限り早歩きで近づいて、僕はあえて男に尋ねた。
「すみません、ここら辺で財布の落とし物を見ませんでしたか。」
僕は人の顔色を読むのには昔から自信があった。だから僕はこの質問で8割は何らかの収穫が得られると思っていた。
「お兄ちゃん、財布落としちゃったの。一緒に探そうか」
彼はむしろ心配そうな顔をしてこう言った。この野郎、白々しい。どうせボロが出てくると思いながらとりあえずその臭い芝居に付き合うことにした。
しかし10分経っても財布が出てくることは無かった。浮浪者の男は警察に紛失届を出すことをすすめた。そのポケットの中、少し見てもいいですかという言葉が喉まで出かかるのを抑えて、押し殺した。とりあえず警察に行き、状況を説明しよう。何か動いてくれるかもしれない。
その公園から100mのところに交番があった。僕は経緯を全て説明し、紛失届を書いた。すぐに探してくれるでもない、警官のなんともにえきらない態度に僕の怒りは収まらない。
僕はじゃがりこと一緒に買った爽健美茶を飲もうと、バッグの奥に手を伸ばした。
財布があった。
近所で、軍服みたいな服着て街宣車に乗ったヤクザみたいなおっさんが、よく日の丸振り回してたせいで、「怖い旗」のイメージが先行してしまうから。子供の頃植え付けられたイメージはなかなか消えない。
なお、地域性なのか、学校ではそれほど「日本は悪い国です」とは教わらなかった。
っていうか、小中学校とも教師がいいかげんだったので、明治くらいで大分時間がなくなって、第2次大戦あたりはちょろっとしかやった記憶がない。平成元年に高校生になったけど世界史選択だし。
算数のできない大学生の問題なら、それはそのような大学生を放置してきた小学校、中学校、高校教員の方の責任だよ。
むろんそちらも崩壊している。というか小学校、中学校、高校教員もほとんどは公務員で、公務員と公務員の仕事を叩けばいいという連中でボロボロになってしまったから。
大学生じゃもう遅すぎるということで中学校、高校クラスに対してやってる。
けどもねー、金ないやつは絶望的に弱いし、他人をはめ込んで搾取したい奴なんて鬼のようにいるから、大学で身の回りにマルチに引っかかる奴や、本気で起業に歩んだが食い物にされた奴のうわさを聞いてそんな夢も消えていくのに。
中島美嘉"「(上京してきたばかりの頃) 最初の何ヶ月かの間だけど、街歩いてる人が同じ顔ばっかりに見えて、気持ち悪くてコンビニとかも夜しか行かないようにしてて、、」"
"「上京して5日目ぐらいに東横線に乗ったんですけど、、 ちょうど朝で、乗ってきてた中学生の子とかが何十人もいて、
ふっと見たら男子も女子もみんな同じ顔に見えて(笑) この子たちみんな兄弟なの!?とか思って、、」"
"「東京来る前は福岡にいたんですけど、あそこではそんなことは、、一回もなかったですね」"
浜崎あゆみ"「(東京では)どうしてみんな下を向いて歩いてるの?っていうのが不思議でした。あとなんか、おんなじ顔の人ばかりに見えて、とか(笑)ごめんなさい」"
橘慶太"「(上京して世田谷の中学校に転入した時) クラスの人たちみんな小学生に見えてびびった(中略) 中3なのに、なんかみんなすごい顔が幼いっていうか、小学生ぐらいの子供に見えて、、
あと、みんな顔が似てると思った。でも中身は結構、、成熟っていうか、立派っぽい人が多いと思った」"
北村一輝"「あ~、確かに、おまえ外人みたいだな、とか、東京ではよく言われてきましたね。僕地元は大阪で、両親の実家が沖縄と鹿児島にあるんですけども、
ガキの頃はそっちによく遊びに行ってたんです。そっちではぜんぜん、なんというか、そんなことはなかったんですけども・・・」"
"「東京に来たばっかりの頃なんかは、よくありましたね。東京のほうは、基本の顔みたいなのがあるみたいで、・・・
結構同じような顔されてる方が多くて、そこから外れてる僕みたいなのは、異端視?というか・・・難しいですね(笑)」"
徹子の部屋出演時
"伴都美子:(専門学校に入るのと同時に上京した、という会話の流れ)「たまに周りの人の区別がつかなくなることとか。顔とかが同じ人に見えたり・・・」
学校で見かけるたびにドキドキしていた。自分の名字とその子の名前を組み合わせてみたりもした。
しかしほとんど絡むこともなく一切の進展はなく、中学校卒業まで引きずった長い初恋は消滅した。
高校生になった。結論から言うと、俺の人生で一番モテたのは高校時代だ。
といっても「女の子から告白された」が1回、「恋人が出来た」が1回。以上だ。
高校時代は簡単にいうと「ヤンチャ」になった。髪の毛を明るく染めてみたり、バイクを乗り回したり、クラスの中心人物みたいなやつと仲良くなったり。
しかし俺はその子のことは本当にただの友達としてしか見れておらず、断ってしまった。
高校も3年生になったときにまた別の女の子と仲良くなり、自分から告白して恋人が出来た。彼女とは高校卒業までわりと平和に付き合いが続いた。将来のことも考えたりしたし、童貞も捨てさせていただいた。
だがほどなくしてフラれた。
いま振り返ると、当時自己中な言動を数多くしてしまっていたと反省してもしきれない。後半は腹の探り合いみたいになってしまった思い出がずっと心臓に突き刺さっている。
こんな経験はもうしたくない。
だいぶ凹んだ俺は、一旦別のことに興味を向けようと男友達とばかり遊ぶようになった。
(進学先が男だらけの環境だったというのも大きいが、)この頃はとにかく楽しい思い出ばかり。
異性関係の話は本当に何もない。
その後なんとか社会に出るも、ブラック企業を2社ほど渡り歩く。
もちろん彼女をつくる余裕なんて精神的にも肉体的にも金銭的にも無い。作ろうとも思えなかった。
3社目でようやくまともな会社に滑り込めたのだが、収入がここでググッと上がったことで長いこと何も無い色恋沙汰よりも、目に見えて生活水準を上げれる仕事に対する優先順位が大幅に上がったのだ。
そして気付けば30代になった。年収は800万まで上がった。
社内恋愛的なイベントは一切発生しなかった。というかこれ系のイベントは多分積極的に自分でフラグを立てないと起きない。
しかしようやく見つけた安寧の地で異性トラブルなんて絶対に起こしたくないのだ。
実家に帰省すると「会社にいい子はおらんのか」とどやされるが、恋愛フラグを立てれない自分の積極性の無さや自己中さを指摘されているように聞こえてしまい、本当につらくなる。
正直結婚はしたいし子供も欲しいと思っているので、ここ1年ほどマッチングアプリを利用しているのだが、まだ1度も直接会えていない。
そりゃ学校の成績がいいというのは前提としてあるけど、生まれた家自体の名声であったり、親のコミュニティでの噂話あったり、子供間での口コミだったり、小・中学校の元担任から中学・高校の新担任へ送られた情報だったり。
自分のことを知る人が全くいないという状況でスタートを切るということはこれまでの半生でそうあるわけでもない。新卒で就職する時でも入社試験で学歴くらいは知られているし、人によってはサークルの先輩やゼミの教授や親とかから就職先に何らかの口利きがされていることもあるだろう。けど最終学歴なんとか大学なんとか学部卒というのは、すごくいい大学出たんだとしても、そこまで大きな影響を後々及ぼすかどうかっていったら、そうでもないよな。大学OBが上司とかなら別として。自分が良い大学卒だったら、大抵自分の入る会社の社員は大抵自分と同等レベルの大学の卒業生だろう。
男子なら学歴がプラスにならないとしてもマイナスにも普通はならないだろう。よほど不釣り合いな会社に入っちゃったんじゃない限りは。
だが女子だとなまじ学歴がよいことが足枷になることがままある訳で。というか、学歴が良い意味での自己紹介になってない可能性があるんだよな。
そんなかんじで、自分のことを知っている人が誰もいない状態で、学歴さえもが自己紹介にならず、なのに学歴と就職試験の点数がよかっただけで良い企業に入れてしまったとしたら。セルフプロデュースに失敗すれば何でお前ここにいるの?って、職場の誰も彼もから思われる人になってしまう……という可能性があるな……なんて思った。
欲しくないというより、自分の遺伝子を持った子が幸せになれる可能性が低く、普通に暮らすために大変な苦労を強いられるのではないかと心配してしまう。
私は、そこそこ大変な家庭環境に生まれ、田舎の小中学校→偏差値45の高校→浪人→地方国立大学に進学して現在は銀行員として働いている
今普通の暮らしを送れているのは、運と忍耐力、どんな嫌なことでも忘れることができる楽天的な性格によるものが大きいと思う。
小中学校で身体・外見に関する酷いいじり(あれはいじめだったと思う)を受けても常に忘れよう忘れようと努めて耐えてきた。とても大変だったし、よく中学校を卒業できたと思う。
小学低学年の頃から、学校の授業を何百時間でも受けるから、この辛い状況が改善してくれといつも願っていた。
こんな感じで私はいつもギリギリで耐えて最適な選択肢を選んでなんとかやってきた。
もし自分が生まれる前の子どもだったら、この環境に生まれることを選ばないかもしれない。
書きながら思い出したけど、昼休み給食のおかずをカバンの中に入れられて死にそうになってたとき、隣の席のギャルが「8×4貸したるわ」ってカバンに吹きかけて救ってくれたんだった
アタリマエのことなんだけど今までそれをちゃんと理解なんてしてなかったことに気付かされた。
ヤフーニュースもNHKも朝日新聞も自分のTLも、どれも独自の偏りがあって、それが映すのは世界の一側面でしか無いことは知っていた。
でも、はてながそれらと同じか、それ以上に極めて狭い景色しか切り取っていないことを理解してはいなかった。
それなりに大きなパイをそれなりに薄めたそれなりに全世界の世論と近い何かが出力されていると思い込んでいた。
全然違う。
『はてなの世界』はそこら辺のまとめブログと何も変わらないぐらいに狭い。
そこにたまたまどの界隈でも話題になっているようなやたらと横幅の大きなレイヤーが幾重にも重なっていただけなんだ。
だってたったの40RTが400ブクマになって今最もホットな話題として目に飛び込んでくるんだぜ?
信じられねえぐらいの偏向報道じゃねえか。
小中学校の壁新聞で「野球部の太郎君が1試合でホームラン2発!」と大見出しになっているような世界、それがはてなだったんだよ。
俺はもう絶望したね。
ツイッターのトレンド欄やヤフーのコメント欄は一部コミュニティの偏って抽出データ?は?はてなの方が100倍は狭っ苦しい世界の中での流行り廃りじゃねえか。
アベノマスクって野党とかマスコミとか反アベ一般人だけが揶揄して言っているものと思っていたけど、公立中学校が生徒に配布するプリントにも記載するってことに違和感しかないわ
情報処理技術者試験の資格を取っても実質的に得るものはありません。「実質的に」というのは、技術者としてのスキル向上に貢献するということであり、「報奨金が貰える」とか「履歴書に書ける」などの技術と無関係なものを含まないということです。
なぜ、情報処理技術者試験が役に立たないのかと言えば、出題内容が表面的な知識問題に極端に偏っており、本質的な理解を問うていないからです。たとえば、オブジェクト指向の三要素に「カプセル化」「継承」「ポリモルフィズム」がありますが、これらを御題目のように唱えていても何の意味もありません。しかし、情報処理技術者試験ではこれらの用語さえ覚えておけば、しっかり点になります。
https://www.fe-siken.com/s/kakomon/19_haru/q42.html
こんなのは単なるポエムであり、これが解けたところでコードが書けるわけでも、良い設計ができるわけでもありません。
数学で喩えれば、「加減法」とか「代入法」のような用語を暗記して、具体的な連立方程式の解き方は分からないようなものです。
ひどい問題は挙げればキリがありません。
https://www.ap-siken.com/s/kakomon/22_haru/q44.html
図の名称を答えさせる問題。図を読み取らせる問題なら、まだ理解できますが。そもそも、UMLなど別に技術者として知っておくべき知識でもありません。
https://www.fe-siken.com/s/kakomon/23_aki/q50.html
これも、こんな分類自体、覚えたところで何にもならないわけですが、その用語を答えさせる問題。いかに、この試験がエンジニアリングやプロジェクト管理の本質と関係ないかがよく分かります。
極めつけはこれ。
https://www.fe-siken.com/s/kakomon/17_haru/q52.html
地方の公立中学校の定期試験レベルのひどい問題です。出題者は、1だの2だの4だの7だのといった数字と語句の対応を覚えることが重要だと思っているのでしょうか。
つまり、ある種の発達障害ではない意識高い系ポエマーを認定するための試験であり、そもそも技術者のための試験ではないということです。あとは、中小企業診断士などを受ける人が試験免除を獲得するためとか。
そもそも、コンピュータやプロジェクトマネジメントの技術を、資格試験で勉強しようというのがピントがズレています。それらは既に良質な解説書が豊富にあるのだから、それで勉強すればいいのです。
競技プログラミングは、プログラミングの技術とは何の関係もないです。あれは、「巧いやり方があることが分かっている問題を、制限時間内に手際良く解けるか」を試しているに過ぎません。
受験競争の激しいアジア圏に固有の特徴なのでしょうか。そういった「問題解きの上手さ」を「賢さ」だとか「地頭の良さ」だと思う人が多く存在するようです。小学校受験や中学校受験などが盛んなのも、その表れでしょう。
アルゴリズムを学びたいのであれば、アルゴリズムの本を読めば良い話です。たとえば、
は、世界的に有名な計算機科学の教科書で、基本的なアルゴリズムとその計算量等の性質を丁寧に解説しています。
これは少し考えれば納得できるはずです。たとえば、社会人になって英語を再学習したいと思ったとき、わざわざ大学の入試問題を解こうと思う人はいないでしょう。普通に、英語圏で書かれた文章を読んだり、自分でも書いたりすればいいです。
俺が13歳の時の話をしたい。23年前の話だ。
俺は当時、田舎の男子中学生だった。住んでいた場所がどれくらい辺境かというと、まさに地名がそのまま「村」なぐらいだった。現在はもう村としては存在していないが地名としては残っている。
それはどうでもいい。そんな田舎の中学校で、俺は卓球部に所属していた。
もちろん、別に卓球が好きだったわけじゃない。当時は何処かの部活に入るのが必須な風潮だったし、野球部だとかサッカー部だとかに入るぐらいなら比較的楽そうな卓球部へ…などという安易すぎる考えで俺は卓球部に入った。
当然、そんな生半可な気持ちで卓球が上手くなるわけもない。大会などでは一回戦敗退が定番と化しており、サボり方も身につけ始めた中堅卓球部員となっていた。
当時、男子卓球部と女子卓球部は別れてはいたが一部では一緒に練習したりすることもあった。
その中で、俺はある1人の女の子に恋をした。
決して目立ったところがない子ではあったが、なぜだか話しているうちにどんどん惹かれていった。
決して付き合うとか、好き合ってるとかそういうことではなかったが(この年代はみんなそうだろ?)俺たちは心が通じ合ってた気がした。
彼女はよく俺に
「サボらなかったらコーラおごってあげる」
と言った。練習をサボりがちな俺をいじりながらも気にかけてくれたことをよく覚えている。
そしてちょうど23年前の今の時期、同じ会場で大会が開かれるということで途中まで一緒に行くことにした。
彼女は
「優勝まで行かなくても準々優勝ぐらいまでいったらコーラおごってあげる!」
と茶化して俺に言った。もちろん、俺が一回戦敗退の達人であることを知っての発言である。こんな会話が好きだった。
「じゃあAが優勝したらなに奢ろうかな」
と話し出したところで会場につき、別々に試合をして(俺は当然一回戦敗退、Aちゃんの結果は覚えてない)別々に帰宅した。
たちまち学校中は噂でもちきりになった。誘拐だとか、神隠しだとか、家出だとか、そんなクソみたいな噂話すべてに腹が立った。
俺は気が気でなくなって、村のどこかに彼女がいないか探した。でもどこにもいなかった。新聞には彼女が消えたとされる場所で靴と血痕が発見されたと書いてあった。
帰り道だからすぐにわかった。現場は綺麗に片付けられていたようでなにも残ってなかった。俺はもはやなにも考えられなかった。あらゆる可能性を考えてもクソみたいな結論しか浮かばない。
彼女が消えてから1週間、1ヶ月と経っても彼女は消えたままだった。
もう、彼女は一生帰ってこないんじゃないかという話を同級生がしていた時、俺は掴みかかって否定した。帰ってこないはずがないんだよ、絶対帰ってくる。
ちょうど3ヶ月後ぐらいに、テレビで犯人が逮捕されたというニュースが流れた。
そいつはこの村のクソみたいなゴミクソ人間で、彼女にクソみたいなことをしようと思って声をかけたが無視されたので車で轢き、車に乗せて首を絞め、石で何度も何度も何度も何度も打ち付け、彼女を殺した。そして布団に包んで捨てた。
俺は何もかも許せなかった。犯人のことも、自分のことも、この犯人の親とか、友達とか、全てが許せなかった。何もかもがどうでも良くなった。
なにも許せず、なにも成長できないまま俺は大人になった。
今でも許せない。犯人は早々に自殺したらしい。それが何なのか、あの男が死のうとなにも終わらないし始まらない。
最初から存在すらしなければよかった。それだったら彼女は今も普通の女性として生き、普通に就職したり、普通に結婚したり、普通に子供を産んだりして彼女の人生を歩んだんだ。