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はてなキーワード: 創造論とは

2018-10-16

曖昧基準表現自粛に追い込む前例重ねると宗教が参戦したらヤバい

もし日本宗教原理主義者が

公共放送NHK)が真っ昼間から神の教えに反する同性愛肯定的に取り上げる番組を流すことは、我々の教義公然侮辱する信仰への迫害だ、少なくとも子供悪魔の誘惑に晒されぬようにゾーニングせよ」

文句を言いだしたら、どうするんだろうね?

このクレームは、形式的にはフェミニスト

公共の場オタク向け萌えエロセクシズムステロタイプ表現露出することは、集団としての女性の権利侵害なので自粛せよ、少なくとも子供が見ないようにゾーニングせよ」

という主張と同じなので、フェミの主張でキズナアイ(あの衣装のまま女性ステロタイプを演じる)のNHK出演が自粛に追い込まれるなら、宗教原理主義者の主張にもNHKは屈するしかないと思うんだけど。

これは別に現実的思考実験じゃないんだよね。既に欧米ではあちこちで起きてる問題だし。学校教育進化論を教えるべきではない創造論も教えるべきとかね。

日本でも徐々に外国人ムスリムの長期在住者が増えていて、インドネシアマレーシアから観光客もしばらくは増え続けるでしょう。

その中のほんの一部ではあっても、「日本では書店テレビ公共の場信仰へのあからさまな攻撃で溢れているので、マイノリティである我々はとても生き辛い」と言い出す日はそう遠く無いと思うんだ。

そういう敬虔信徒の彼らにとっては切実な抗議にどう応答する? 心底嫌そうな顔でゲイを「気持ち悪い……」と指差す我が子の傷つきやすい幼い心を守りたい親心日本社会はどう向き合うべきか?

日本には表現の自由って物があるんだから、お前らカルト定量化できない被害の主張(=お気持ち)に耳を傾ける義務こちらには無いんだよ! このホモフォビアどもめ!」で書店テレビ局は突っぱねるべき?

だったら「お前らフェミ定量化できない被害の主張(=お気持ち)に耳を傾ける義務こちらには無いんだよ! この退廃芸術禁止したナチ末裔ファシストどもめ!」と突っぱね続けないとね!

2018-07-19

anond:20180719130836

あー把握しました、遺伝子ミームを崇拝するソーシャルダーウィニズム一種みたいな感じですかね。

ちょうど昨日↓の記事一言でまとめると「科学者アンチ創造論イズム(ダーウィンへの冒涜blasphemyを許すな!)はほとんど宗教だ」ってやつ読んでたので納得です。

中盤くらいにあるカリカチュアの"Evolution is a Fact"って偶像に"I will not question evolution!"って礼拝してる様子が目に浮かびます

増田ちゃん宗教根拠あるんじゃん、最初からそう言ってくれればいいのに

Big Science Condemns Blasphemy Against Darwin | CEH

2018-01-13

神様も、男女の性欲が同じくらいになるようにするか、でなきゃ性欲の差に応じて男女の生まれる数に差をつけてくれれば良かったのに、と思うけど(創造論

今の比率が一番生き残るのに適してた時代が、少なくとも一度はあったからこうなってるんだろうな(進化論

2017-07-27

https://anond.hatelabo.jp/20170727215955

そもそもこのツリーは「科学」の定義を求められた低能が、議論関係しない単語定義を言えと難癖をつけてきたもの

それは科学定義を求めるのも難癖に過ぎないか皮肉を言われてるのに気付けてないだけでは?

>まあわかりにくい書き方なのは認める

分かりにくい書き方をしたら勘違いされて当然では?

読解力がないのと同様にわかやすい分が書けないのは国語ができないという事

詐欺には明確な違法性があるぞ低能

科学だって批判されてるのは詐欺商法ほとんど

>「何故科学を装ってはいけないか

詐欺とかの犯罪がいけないと認めるなら科学を語る悪徳商法もいけないと認めざるを得ないはず

>「何故宗教スルーしていいのか」を成立させてみろw

そもそも創造論のような宗教がやってる偽科学批判されてる

宗教からスルーしていいという前提が間違い

https://anond.hatelabo.jp/20170726215433

これに関してなんだけど、

http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/orcagy/status/888355304450215937

を見てて感じたこと。ちょっと視点は違うけど。

およそアメリカで偽科学批判する人が歴史修正主義親和的であるのは考え難いが本邦はそうでもない。

その理由を、この偽科学批判歴史修正主義批判は違うと言う意見アメリカではおよそあてはまらないのかなって感じた。

「実害性や人が死ぬかどうかで、違う」

これに関してはアメリカの偽科学批判者がまず批判する「創造論」や「ID論」にも当てはまってしまう。

キリスト教原理主義親和性が高く、それらの中にはテロリズムに走るものもいるが、そんなものはごく一部で大部分の創造論者やID論者には当てはまらない。

それに危険性を言うならある集団への差別憎悪偏見助長することの多い歴史修正主義の方がさら危険とも言える。

歴史科学ではなく、追試もできない」

なんというかアメリカの偽科学批判者なら進化論に関する議論で何度も聞いてそうである

進化自体は追試できないし、方法論や手法は違うが現在ある証拠から過去再現する点では古生物学歴史共通しており、原理的に歴史を偽科学から除外することにはならない。

さらに言えば、アポロ計画陰謀論アポロ11号が月面に着陸したこと自体歴史的事実であり、厳密には追試できないが、アメリカの偽科学批判者はアポロ陰謀論否定する。

「専門分野の違いだ」

著名な懐疑論者でThe Skeptics Society創始者マイケル・シャーマーは反ホロコースト否定論でもしられる。

こうして見ていくと、偽科学批判者が歴史修正主義者たりうる理由が良くわからないが注目する点で

江戸しぐさなどは批判している」

そう、実は偽科学批判をしている人も歴史修正主義批判している例はある。

では何で、南京事件慰安婦問題など、日本もっと議論になる歴史修正主義スルーするのか。

これで気づいたのは、それらの南京慰安婦に関する議論日本では、政治的イデオロギー的、感情的な反応が引き起こさる。

ある意味「虎の尾」と言える。

そう考えると、アメリカ政治的イデオロギー的に議論となる創造論を主要なテーマとしている偽科学批判者は「虎の尾を敢えて踏む」どころか「虎が倒れるまでボコボコにして、再度起き上がってくるならまたボコボコにする」くらいの覚悟最初からあった感じなのでは。

実際、創造論ID論アメリカ公教育から排除はされているが、何度も復活を試みようとされている。

虎の尾を踏んだ山本弘氏あたりはネット黎明期から今にいたるまでさんざん難癖をつけられている。

そうやって考えると偽科学批判者の中に感じられる「我々は政治イデオロギーから自由である」と言う勘違いが生じやすかったり「自分政治的イデオロギー立場に反しない限り歴史修正主義認識できるが、政治的イデオロギー立場合致する物は歴史修正主義認識できない」こともなんとなく分かってきたかな。

いわゆるニセ科学批判はその選択性を批判してるんだが、本人は「普通の日本人」として選択したつもりもないから何を批判されてるか分からないところとか

2016-02-03

アメリカ人の半数は創造論を信じている

と言って日本人馬鹿にしているが、とある調査によると、「何かがタタルということはあると思いますか」という質問に、あると思う、どちらかといえばあると思う、と答えた人は半数を超えているのである

そして、何がタタルのかという質問に対しては、死者と答えている人が最も多く、63.3%である

創造論馬鹿にする日本人がタタリも死者の存在も信じているというのは滑稽なことだとは思わんかね。

2014-09-04

http://anond.hatelabo.jp/20140904080119

アメリカ人は大体4分の1が創造論を信じてるそうですが

それって日本で言う所の「不幸な死を遂げた人は化けて出る」とか「悪い事をすると罰が当たる」を信じるか?くらいの意味だろ。

日本でそういうのを信じるかアンケート取ったら肯定する人は4分の1より多くなりそうだけど

本当に本気で信じているのは僅かだろ。

http://anond.hatelabo.jp/20140904065935

アメリカ人は大体4分の1が創造論を信じてるそうですが

良い教育環境でも教えられるものがそれでは・・・

まあ日本も運次第なとこあるけど

EM菌とか

2014-07-20

科学って宗教だよ

科学なんてのは、
 「適当な条件で、適当試行を繰り返したら、ある一定の結果が得られるっぽい」
 程度の事しか示せない。

科学はこの世界の真理を求めているんじゃない。
 人間の欲する結果を得るための処方箋提示するだけだ。
 天動説が信じられていた頃にも、惑星軌道をほぼ正確に求められる方程式存在してたんだ。

もっと言うと、科学科学手法・思考が通用する対象のみを研究するものなんだ。
 だから科学が答えられない問いなんていくらでも存在するし(俺は何のために生まれてきたのか?)、
 「非科学的だから間違っている」という主張は前提から破綻している。
 科学けが正しいと思っている人は、科学という色メガネを通した世界しか生きられない。

何でそんな不確かなものを信じているのか?
 それは、科学を信じれば世界が上手く回るから

科学様の仰る、たぶん正しいだろう、という事柄を信用し活用してみたら、
 この世界の謎に納得のいく説明がついた。生活を便利にする道具がたくさんできた。
 キリスト教創造論よりも、ダーウィン進化論を信じた方が、世界を上手く説明できた。
 信じてみたら、世界が上手く回った。でもそれが真実かどうかは証明できない。


 ようするに、科学って宗教なんだよ。
 とりあえず信じてみて、世界が上手く回ったら、それが信仰になるんだよ。
 自分の信じる世界観こそが信仰の正体なんだよ。


 http://anond.hatelabo.jp/20140719201818
 “人生選択肢他人に委ねて、委ねられたほうは従わなければ罰だ地獄だと脅しをかけて支配する”
 みたいな世界観が嫌いなら、人生自力で切り開いていけるような宗教を選べばいい。

信仰は“架空の何か”に期待するような、そんな力のないものじゃない。
 あんたの信仰次第であんたの世界が変わる。宗教は慎重に選びなよ。

2014-03-15

http://anond.hatelabo.jp/20140315210116

あの画像処理意図的でないとは到底思えないしマウスすらES細胞の疑いが濃厚なのに

STAPがあるかもしれないというのは釣としか思えない

創造論進化論を同じ土俵に上げたがる人と同じタイプ

2012-01-27

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利己的な遺伝子リチャード・ドーキンス

・われわれは生存機械--遺伝子という名の利己的な分子を保存するべく盲目的にプログラムされたロボット機械なのだ。この真実に私は今なおただ驚き続けている。私は何年も前からこのことを知っていたが、到底それに完全に慣れてしまえそうにない。私の願いのひとつは、ほかの人たちを何とかして驚かせてみる事である

・「乗り物」(普通個体)とのその中にいてそれを運転する「自己複製子」(実際は遺伝子)の間の区別について、わたしが明確な考えを持ち始めたのは、ようやく1978年になってからだという事情がある。

自然淘汰単位として競合する遺伝子個体の間の見かけ上の論争(故エルンスト・マイアを最後まで悩ませた論争)は解消されている。自然淘汰単位には2種類があり、その二つの間に論争はない。

遺伝子自己複製子という意味での単位であり、個体ビークルという意味での単位である。両方とも重要なのである

・「利己的な遺伝子」のもうひとつのいい代案は「協力的な遺伝子」だったかもしれない。それは矛盾してまったく正反対のように聞こえるが、本書の中心的な部分は、利己主義的な遺伝子の間におけるある種の協力を主張しているのである

このことは遺伝子のあるグループ自分たちの仲間を犠牲にして、あるいはほかのグループ犠牲にして栄えるということを意味するわけでは断じてない。

そうではなく、各遺伝子は、遺伝子プール-ひとつの種内で有性生殖シャッフルの候補となる遺伝子のセット-に含まれるほかの遺伝子が作る背景のもとで、自己利益を追求しているとみなされる。こうしたほかの遺伝子は、天候、捕食者や獲物、生命を支える植物や土壌細菌が環境の一部であるのと同じ意味で、それぞれの遺伝子が生き残る環境の一部なのである

ローレンツの攻撃、アードリーの社会契約、アイブアイズフェルトの愛と憎しみ、もこのような問題を論じているといえようが、これらの本の難点は、その著者たちが全面的にかつ完全に間違っていることである。彼らは進化の働き方を誤解したために、間違ってしまったのだ。彼らは進化において重要なのは個体ないし遺伝子利益ではなくて、種ないし集団の利益だという誤った仮定をおこなっている。

・ダーウィニズム理論の現代的説明の驚くべき結果のひとつは、生存の見込みに対するささいな作用進化に多大な力を及ぼしうることである。これはこうした作用が影響を及ぼすのに使える時間たっぷりあるからである

・おそらく群淘汰説が非常に受けたのは、ひとつにはそれが、われわれの大部分が持ってる倫理的思想や政治的思想と調和しているからであろう。

進化を眺める最良の方法は最も低いレベルに起こる淘汰の点から見ることだ、というわたしの信念について述べなければならない。

・複数の誤りが進化に必要不可欠だという説と、自然淘汰が忠実な複製に有利に働くという説は果たして両立するものだろうか?われわれは自分進化産物であるがために、進化漠然と「よいものであると考えがちだが、実際に進化したいと「望み」ものはないというのが、その答えである進化とは、自己複製子(そして今日では遺伝子)がその防止にあらゆる努力を傾けているにもかかわらず、いやおうなしに起こってしまう類のものなのである

化学的手段を講じるか、あるいは身の回りたんぱく質物理的な壁をもうけるかして、身を守る術を編み出した。こうして最初の生きた細胞が出現したのではなかろうか。自己複製子は存在を始めただけでなく、自らの容れ物、つまり存在し続けるための場所をも作り始めたのである

・海中を気ままに漂う彼らを探しても無駄である。彼らは当の昔にあの騎士のような自由を放棄してしまった。今や彼らは、外界から遮断された巨大なぶざまなロボットの中に巨大な集団となって群がり、曲がりくねった間接的な道を通じて外界と連絡を取りリモートコントロールによって外界を操っている。彼らはあなたの中にもわたしの中にもいる。彼らはわれわれを体と心を生み出した。

遺伝子が決定論として批判されるような強い意味でのその創造論制御したりしないことは、誰にも理解できることだ。われわれは避妊手段を用いるたびに何の努力もなしに(そう、かなり簡単に)、それらを否認しているのである

2012-01-01

父が祖父の葬儀の出席を断られた。

2011年12月31日、僕の父方の祖父、父の父が亡くなったと田舎から連絡が入った。

葬儀は三が日が明けた4日になるそうだ。父の田舎の風習で、先に火葬を行うとのことで、火葬を3日、葬儀を4日に行う予定だ。

父は長男なので、当然喪主となるべきところなのだが、数年前に脳卒中をしており、言葉と体が不自由だ。

近しい親戚がいるので、その親戚が喪主をすることになる。本来は長男である父がすることであるのはわかっているのだが、

挨拶が満足にできない、歩くのも立ち上がるのにも時間がかかる父が、喪主のような忙しい役目は果たせない。

親戚が喪主を務めることには誰も反対しなかった。大晦日の時点で、祖母もそれを了承していた。

我が家田舎から離れているので、2日には現地入りができるように移動手段・ホテルの手配をした。

ここでも本来ならすぐにでも駆けつけなくてはいけないのだが、31日はまだ帰省ラッシュであり、新幹線飛行機も取ることができなかった。

ここからが問題なのだが、1日年が明けた頃に親戚から連絡があり、父は出席をしないように、と母が言われたのだ。

田舎では、脳卒中のような病気で障害をもつと、狐に憑かれたとか、祟られたと思われるというのである

父が脳卒中をして体が不自由なことも祖父母は近所に話をしていなかったそうだ。

そんな馬鹿な話があるだろうか。

実の息子である父が、障害を持っているからといって、葬儀に参加できない理由になるだろうか。

そりゃあアメリカだって創造論や神の存在を一般市民が信じているのだから日本の片田舎の住人が狐の祟りを恐れていても不思議じゃない。

しかし、親の死目に立ち会えなかった父が葬儀に出れない理由にはならないだろう。

無理解ゆえの憤りを、これほど覚えたことはない。

もちろん親戚や祖母も、父には来て欲しい気持ちがあるのだ。それは分かっている。

からこそ、世間の目のために葬儀に出席できないというのは、やりきれないのだ。

父は言葉不自由からか、葬儀に連れて行かないことを告げても何も言わない。

おそらく田舎の考え方が分かっているのだろう。しかし、葬儀に出たくないはずがない。

普通の家庭なら、親の葬儀にはなんとしても参加したいはずなのだ。どうかしている。

明日から、僕は葬儀に出席しに父の田舎へ行く。

長男不在のまま、長男の息子として出席する。おそらく何かしらの役目を果たすこととなるだろう。

きっと会ったこともないような祖父の知り合いなどに、父は病気で来れない、とか嘘をつくだろう。

そう言うように、という説明を親戚なりから受けるのだろう。

どのような顔をして親戚や祖母に会えばいいのか、まったく分からない。

教育とか宗教とか、原因を挙げて批判したって虚しいだけなのだ

まとまらない気持ちを誰かに話したくて、でも誰にも話せなくて、増田に綴る。

2010-09-17

http://anond.hatelabo.jp/20100917134336

宗教って間違ってる事を主張してんのも結構あるでしょう、進化論にしても宇宙にしても宗教より科学の方が正確に把握してる。

宗教っつっても大昔の人が想像だけで考えた物語なんだから当然だけどさ。

だけどそれを認めず下みたいに学校で間違った知識を教えさせている宗教もある。

宗教には昔の人の世界の真理を知りたいって欲求に答える要素もあるんだろうけど、その分野で宗教の方が科学より優れてると思えんのよな。

アメリカのいくつかの州では、キリスト教右派キリスト教根本主義の圧力により、生物の授業において、旧約聖書の『創世記』に基づく創造論人類唯一神により創造されたとする信仰)を記載した教科書を使用して教えることが義務付けられている。

2010-05-15

ありえないことが起きるから奇跡であり、神の証明

 セオバルド氏によると、「複数の祖先存在したとする説で最も有力なもの」は、1つの種が真正細菌に進化し、1つの種が古細菌と真核生物進化したという説である。しかし今回の分析結果から、その確率は10の2680乗分の1であることがわかった。10の2680乗とは10の後ろにゼロが2680個並ぶ数字である。「これは天文学的な数字で、あまりの小ささに、口にするのもはばかられるほどだ」。

 同氏はまた、ヒトは始めから現在の形でこの世に存在し、進化的な祖先など存在しないとする創造論的な考え方についても検証を行った。統計分析の結果、ヒトが独自の起源を持つなど「ひどくお粗末な仮説だ」との結論に達した。ヒトが他のどの生物とも別に創造された確率は10の6000乗分の1だという。

http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20100514004&expand

確率論的に低いからといって、創造論が間違ってるとは限らない。

むしろ確率論的にありえないようなこと、普通ならありえないようなことを体験したときこそ、我々はそこに奇跡を見出すのではないだろうか?

ありえないような奇跡的な世界に私達はいきているのだ。

そう考えることで、まさに神の創造である奇跡そのものの、「私達が生きているこの世界」の素晴らしさが見えて来ると思いませんか?

10の6000乗分の1という科学的にはありえないような出来事だからこそ、奇跡であり、神の創造を確証する。

2009-12-30

http://anond.hatelabo.jp/20091230122348

イギリスではそうだろうけど、アメリカではもっと原理主義的な人多いのでは? 創造論を信じるとか教会に通うとか神を信じる人の比率も先進国の中でアメリカダントツに高い。

2009-11-09

トンデモ

・なぜ精神科に何年も通っているのに治らない(改善しない)のか

・なぜ「これを飲めば治る」という薬がないのか。にも関わらず投薬を続けさせようとするのか

http://anond.hatelabo.jp/20091109142857

とりあえず「治らない例がある」ことと「治らない」ことは違うわけでな。薬というものは、偽薬よりも治りがよいことが治験証明されてるから承認されてるわけで、つまりは最低限「改善される」ことは科学的に示されてるんだよ。

あーそれと、糖尿病その他の慢性病には「治らない」ものだってあるだろうが、治療無意味かい?

それと、風邪だって「これを飲めば治る」薬なんてないけど、君は風邪薬を飲まないのかい?

それとも単に「憂鬱自分の気持ちを受け止めてくれる存在」が欲しいだけ何じゃないのか?

それなら別に医者じゃなくても宗教論者で十分じゃん。そこにお前らは疑問を持たないのか?

とりあえずそういう素朴すぎる心身二元論はよした方がいい。人間の脳だって結局は有機物なわけで、化学的に影響を受けることは確か。腹が減ると機嫌が悪くなるなんてのはその典型だ。

精神疾患には生理学的な原因があるってのはもうわかってきてるわけでな。それを治そうとするのに薬を使うのは自然。そうだろ?

http://plaza.rakuten.co.jp/kinkou070707/diary/200908260003/

http://kentapb.blog27.fc2.com/blog-entry-1745.html

とりあえずこの辺読んどけ。上の方はソース消滅してるから孫引きですまんが。

医者じゃないから医学的な見知から答えられないが、

専門家でもなく、ぐぐってわかる程度の知識もないのに精神医学全部を否定しようとする君の無謀ぶりには、進化論否定の創造論者もびっくりだろうね。

2009-08-15

http://anond.hatelabo.jp/20090812214941

これって本家英語圏創造論者たちのよく使う恣意的な引用なんだな。というか、直訳ですらなく改変してるし。

2009-08-12

http://anond.hatelabo.jp/20090812214941

グールド自身による(自己の言説の歪曲された利用への)反論(訳は大意)

[T]ransitions are often found in the fossil record. Preserved transitions are not common -- and should not be, according to our understanding of evolution (see next section) but they are not entirely wanting, as creationists often claim. [He then discusses two examples: therapsid intermediaries between reptiles and mammals, and the half-dozen human species - found as of 1981 - that appear in an unbroken temporal sequence of progressively more modern features.]

移行形態化石記録はしばしば発見されています。保存された移行形態は一般的ではありませんが、そしてそれは私たちの断続平行説が正しいのであればそうあるべきですが、まったく欠如している、そう創造論者は主張していますが、そういうわけではありません。

Faced with these facts of evolution and the philosophical bankruptcy of their own position, creationists rely upon distortion and innuendo to buttress their rhetorical claim. If I sound sharp or bitter, indeed I am -- for I have become a major target of these practices.

こういった進化事実と彼ら自身の哲学的立場の破綻に直面して、創造論者は彼らの修辞的な主張を強化するために、歪曲と暗示に頼っています。もし私が辛辣に見えるのならば、実際その通りなのですが、それは私が彼らの実践の主要なターゲットとなっているからです。

I count myself among the evolutionists who argue for a jerky, or episodic, rather than a smoothly gradual, pace of change. In 1972 my colleague Niles Eldredge and I developed the theory of punctuated equilibrium. We argued that two outstanding facts of the fossil record -- geologically "sudden" origin of new species and failure to change thereafter (stasis) -- reflect the predictions of evolutionary theory, not the imperfections of the fossil record. In most theories, small isolated populations are the source of new species, and the process of speciation takes thousands or tens of thousands of years. This amount of time, so long when measured against our lives, is a geological microsecond . . .

私は自分を徐々に漸進的に変化が起きるというよりも、気まぐれで断続的に起きると考える進化論者のひとりであると考えています。

Since we proposed punctuated equilibria to explain trends, it is infuriating to be quoted again and again by creationists -- whether through design or stupidity, I do not know -- as admitting that the fossil record includes no transitional forms. Transitional forms are generally lacking at the species level, but they are abundant between larger groups.

(変化に)波があることを説明するために私たちが断続的平衡を主張して以来、何度も何度も創造論者によってデザインやなにやらを通じて、私が化石記録は移行形態を含まないと認めていると引用されたのは、はらわたの煮えくりかえる思いです。移行形態は一般的に種の水準では欠如していますが、それより大きいグループの間では豊富に存在するのです。

http://www.talkorigins.org/faqs/quotes/mine/part3.html

http://anond.hatelabo.jp/20090812214941

http://blog.goo.ne.jp/premier310/e/1fcfef25834d5f80331f42bfcc6b1c4c

The extreme rarity of transitional forms in the fossil record persists as the trade secret of paleontology. The evolutionary trees that adorn our textbooks have data only at the tips and nodes of their branches; the rest is inference, however reasonable, not the evidence of fossils. Yet Darwin was so wedded to gradualism that he wagered his entire theory on a denial of this literal record.

過渡的形態化石記録には非常にまれであることは古生物学の「業界秘密」であり続けてきた。教科書を飾る進化系統樹には先端と分岐の結節点しかデータがない。どれほどそれが合理的なものであろうと、(過渡的形態の存在は)推論であって、化石の証拠によるものではない。それでもダーウィンは、彼の全理論をこの直接的な記録(過渡的形態の証拠の欠如)を否定することに賭けるほど、熱心に漸進主義を主張した。<()内は私の挿入>

原文はこれか。あと、訳はあんまり自信ないので大意、ということで。

ソースはここ。ちゃんと創造論批判の英語サイトが検証してるみたいだな。

http://www.talkorigins.org/faqs/quotes/mine/part3.html

Quote #3.2のとこね。ざっと斜め読みしたところでは、グールドの断続平行説のからみで、中間形態がすべて存在するというところに疑問を投げているところで、進化論とか、化石の証拠能力に文句をつけているところではない、というところか。くわしいところは誰か訳して。

ちなみに、創造論者によって過渡的形態の欠如は進化論への反証として持ち出されるが、グールドの立場では、種が分化するときは漸進的にではなく急激に変化する、つまり過渡的形態が欠けることがある、ということだから、勿論、進化論とは何の矛盾もしない。くわしいことは断続平行説でぐぐれ。

ついでに、ここにも同じ発言への言及があるな。

http://www.allaboutthejourney.org/japanese/fossil-record.htm

IDの大御所の人の訳を見つけた。

 化石記録における移行形態が極度にまれである事実は、古生物学企業秘密(trade secret)になっている。我々の教科書を飾っている進化の樹(系統樹)は、その枝の先端と節においてのみデータが存在する。残りは、いかにもっともらしくても、推測であって化石の証拠によるものではない。

http://www.dcsociety.org/id/ningen_genri/043.html

2009-03-27

気象理論疑似科学である

http://anond.hatelabo.jp/20090326205141

20世紀科学哲学者、カール・ポパーに従えば。

彼は科学疑似科学の境界を「反証可能性」に求めた。ある理論科学であると認められるためには、それが「反証可能」でなければならない、すなわち、

1:その理論に基づいてある予測をたてることができ、

2:かつそれを現実世界経験と照らし合わせて検証することができなければならない。

ポパー疑似科学の例としてフロイト精神分析論を好んで取り上げた。例えば、ある男が子供を川に殺意を持って突き落とそうとしており、もう一人の男はその身に代えても子供を助けようとしているとする。フロイト論者は、この二人の行動を、同じくらい簡単に説明することができる。一人は抑圧されており、もう一人は昇華を遂げたのだ、と。フロイト論者は、どんな行動に対しても、それに対する説明を編み出すことができるわけだ。ポパーはこれはおかしいのではないかと考えた。何でも説明できてしまう理論は、むしろ理論と呼ぶに値しないのではないかと。

気象理論もこれに似たところがある。どんな天気でも、その原因は気圧変動で説明できるとされる。昨日雨が降ったのは、日射により大気が膨張し、上昇気流が起きたからだ、という。気象理論はどんな天気に対しても、理由を探し出して気象理論的な説明を編み出すことができる。

フロイト理論と気象理論が違うのは、気象理論は理由を気象理論の外に求める点だ。気象理論自己完結した理論ではない。「日射により大気が膨張し、上昇気流が起きるから」であるという主張は、気象理論それ自体からは導き出せない。その主張を入れ替えれば、気象理論はどんな天気にも適用することができる(もちろん主張それ自体がある程度の説得力を持っている必要はあるだろうけれど)。

気象理論反証可能性を持つのだろうか?そもそも自己完結していない気象理論科学理論と呼んでよいのだろうか?それとも単に僕の中での言葉定義がおかしいのだろうか?


メカニズムについての理論と、個々の事象への対応を混乱するとこうなるのかな。天気予報が外れたからといって、気象理論モデルが否定されるわけではないというところを、もうちょっと考えてみたらいいかもね。

http://members.jcom.home.ne.jp/natrom/index.html

Q.進化論は反証不可能なので科学ではないのでは?

A.例えば先カンブリア紀の地層から大量の石器が発見されれば進化論に対する強力な反証になります。進化論科学ではないと思いたいために「進化論は反証不可能である」と主張する創造論者もいますが、原理的に反証不可能であることと、反証の証拠が見つからないことを混同すべきではありません。進化論原理的に反証可能ですが、現在のところ反証されていません。[2000.4.11]

2008-12-27

http://anond.hatelabo.jp/20081227150424

一応突っ込んどくが天動説創造論のようなとんでもではない。

2008-09-02

ダウン症云々は別にどうでもいいんだが

http://anond.hatelabo.jp/20080831203507

wikipedia情報で悪いけど

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%83%B3

サラ・ペイリン

普通にヤバいだろこいつ。

2006-12-29

妄想科学日報の人は何が人をニセ科学に向かわせるのかを全然分かってないように思う。

http://d.hatena.ne.jp/DocSeri/20061228/1167272368

以下上記エントリから引用

かつて川端裕人は竜とわれらの時代の中で、古生物学の権威でありながら創造論に傾倒するアメリカ人学者を描いた。人口の8割がキリスト教徒であり(日本人の家に仏壇や神棚があったり初詣葬儀で寺社仏閣を訪れるレヴェルよりも広く深く)信仰が生活に浸透している欧米では科学者と雖も信仰と無縁ではない。

科学者信仰を持つことを否定するつもりはないが、同時にそれが強固なイデオロギーであることも常に意識せねばならない。判断基準を神仏に委ねた瞬間、それは科学ではないものとなる。

この点では、普段の宗教的行為と信仰意識を切り離して扱うことに長けた日本人というのは、実は一番科学向きなのではないかという気がする-----その割には科学離れが進んでしまっているのだが。

引用終り


この人は一体何が人をニセ科学に向かわせるのかを全く分かってないように思う。(普段読んでないので何か見落としている文脈があったら申し訳ない。と先に謝っておく)

「目には見えない(観測できない)けれど、あたかも何かがそこにあるかのように感じる」というのが宗教の奥底にある。そして、上の例に出てくるキリスト教というのは、キリストの肖像を信仰の場に持ち込むか持ち込まないかで争う例から分かるように、その、一体何を信じるかということに対して、血で血を洗うような抗争を起こしたりもするけれど、その結果それを非常に明確に峻別する宗教だ。(異端と正統)

ニセ科学というのは本来科学で計ったり、観測できないことを、あたかも科学的に計量できるかのようにふるまうことだと個人的には理解している。

そして、ニセ科学は、本来なら(観測できないんだけれど)「ある」んですよ、と主張するだけの、信じるか信じないかで済む問題を、科学的に裏づけされている(勿論されてない)から「正しい」「信じるべき」なんだ、という押し付けがましいことをする。上に書いたキリスト教はそれをやらないで、観測できる科学と、宗教は別々のものですよ、という方向にいった。これは評価できる。(キリスト教聖書に出てくる事柄を科学的な側面から裏付けられないか、という視点で科学を発達させてきたという歴史がある。)

つまり、目には見えないけれど信じている対象を具体的に了解する、何に対して信仰するかを明確に決める、ということはニセ科学を見破る手だてにもなりうるし、その逆もまた言えるということだ。

「観測できることじゃないけれど、そこには確かなことがあるんだよ」というのは凄い安心する。だからこそ、その対象はできるだけ明確でないと危険である。日本人信仰を明確に規定しないことの善悪は問えない。けれど、そのことが「科学向き」とは到底思えない。信仰の対象が「科学」となってしまうことがあるからだし、そのことこそがニセ科学への危惧だと思う。

(30日午前四時四十九分に日本語が不自由だった部分を修正しました。)

 
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