2020-06-19

知的障害のある弟と私の話

私の弟には重めの知的障害がある。

彼はもうすぐ大人になる年齢ではあるが一般的な会話はできないし、基本的相手が言ったことをそのままおうむ返しする。

外側から見るとそんな感じではあるが、『母親にこれ渡して』とか『ごはんできたから兄を呼んできて』はできる。

返答はできないまでも、頭で分かっていることは多いらしい。

そして彼はよく文字を読み上げる。

意味は分かっていないかもしれないが、理解欲は常人以上にあるようだ。

それに記憶力もいい。

私が幼い頃の人形遊びでかわいらしい人形に『チュパカブラ』という名前を付けて遊んでいたのをたまに蒸し返してくる。

自身は「チュパカブラ」という単語しか言ってこないが、私には大いに覚えがある単語であり、彼に『チュパカブラ』という単語を覚えさせたのは紛れもなく私である

とにかく早く忘れてほしい。

また、彼は基本的に動き回っている。目的がなくとも走るし飛び跳ねる。

一般的に奇声と呼ばれるものも発する。

彼のこういう部分は障害理解の無い人間を驚かせる。

彼のする動作目的はないが、理由はある。特に彼が飛び跳ねているときはたいていめちゃくちゃ嬉しいときかめちゃくちゃ悲しいときである

そういった感情表現が彼を飛び跳ねさせている。

ついでに奇声も発しているが、これはオタク「草」とかパリピの「ウェーイww」と大体同義だ。

彼はパリピ的なメンタルをしているので、めちゃくちゃ嬉しいと「ウェーイww」が口を衝いて出てくるのである

彼の友人(もちろん障害を持っている)もほとんどがパリピなので、合流するとバイブスがぶち上がって収拾がつかなくなることもある。

以上は現在の彼について端的に述べたものだ。

彼が頭のいいパリピであることが分かったかと思う。

おそらく彼は人類に変革をもたらすレベル天才であったため、神が「いやこれはやりすぎたわ」とか言って母親の腹の羊水を減らす暴行に出たのだろう。

だが彼には知的障害があるので、就職は難航した。

就職先を紹介してくれた人が就職先の人に「なんでこんな子連れてきたの!」と言われたりした。(括弧内原ママ)

もちろん彼の障害についてつぶさに説明して、そのうえでこの対応である

仕方ないことだとは思いたくないが、そういう人もいる。

みんな違う環境で生きているので、そういうこともある。

私たち家族が住む市は、比較障害者に優しい地域だった。

学校保育園には当たり前のように障害のある子がいたし、当たり前のように一緒に遊んでいた。

私は町の中学校を出るまで、障害者に対する差別的発言を聞いたことがなかった。

そりゃ身内に障害者がいたら面と向かって差別発言なんてできないだろうとも思うが、それでも記憶のある限りでは聞いたことがなかった。

私は親をあまり信頼していないが、親がそういう発言を受け止めていたか自分に届かなかったのではないかと今は思っている。

私は市外の高校に進学した。

そのときようやく障害に対する偏見差別発言を目の当たりにした。

頭では知っていたが実際に目の当たりにするのは初めてだったので、当時の自分はかなり傷ついた。

3年間友達をつくることをやめた。

傷つきたくなかったので。

中学とき外交的で明るめの性格だった私が、その瞬間を境に内向的で人に敵意を向ける人間になった。

この性格は今も続いている。

思い返せばこんなふうに、他の人間にはどうせ理解共感もできないだろうからという理由で明かしてこなかった悩みがたくさんある。

今回書いたのはその一端だ。

一連の文章を書くことで何かを得られたようには思えないが、死蔵しておくよりはマシだと考えてここに記す。

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