はてなキーワード: 陣営とは
……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……
prologue
いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャルの可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界の価値を刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないものの価値が、目に見えるものの価値に負けてしまったことを意味しているのだ。微調整
人生のシンボル世界とアレゴリーの冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神の本来の豊かさの立体的構成について)
「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“
このうわべは月並な文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」
—ミラン・クンデラ『不滅』
1 - verse
宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。
それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである。
感情は字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しかし実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一の感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。
映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物の感情をひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。
人間は存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。
そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまうものである。
ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。
たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のものを発明する必要はなくなる。
それと同様に、世の中の九割以上のものが面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり、物語が面白いと思えなくなってから、しかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。
トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単なゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。
人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。
もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているからである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である。
最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。
往々にして悪魔は自分自身を天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然と哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものはSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。
探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任の肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。
自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。
日本人のモラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。
日本では個性的なことをやると嫌われる。日本でオリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現の範疇でしか成立しない。
一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在そのもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプット)からである。
今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しかし自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである。
安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会的人生の流通権力は、結局、人間を排除する社会の固さにひれ伏し続けているからである。安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。
たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。
物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品のこちら側こそが物語だからである。あなたが人生という言葉を使う時、その人生は乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活をイメージするだろうか。乾パンと乾パンが出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安を払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉も欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉の意味が乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなたの脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である。段落
芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないから不快ではない、として表面を見るのである。
今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないからいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代の限界だったのだ。段落改訂
そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである。思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である。段落改訂
そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものである。ポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂
趣味的だからだ。趣味というのは自己満足だから、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものだからだ。趣味は危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂
ほとんどがニューヨークやパリや海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。
これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである。
ゴッホの絵画は生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢である。しかし、人生を理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。
本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である。段落
人間の生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。
ピカソはシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶はシステムだ。このように、この世のすべてのものは「システム」である。システムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである。
システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分と区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。
イチローがホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。
イチローがホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットにボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである。
食べ物でいえば、ハンバーガーそのものは固体であるが、ハンバーガーの牛肉パテ一枚は液体である。ハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマト、レタス、ピクルス、ソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである。
では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。
飲み物の場合であれば、それ自体がすでに液体である。いくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉からの抽出の仕方もわからない。
そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり、感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである。
もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。
世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである。遠近法(パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。
実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たちの思考に弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整
この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのものの本質のポテンシャルを判断することが不可能になる。言うなれば、開封されないゲームソフトのパッケージのようでもある。段落改訂
沸騰していく社会
小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂
なぜなら大多数にとっては、矛盾を解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面からは矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。
ある人間が、自分の生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分の生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身の生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデントの連続から成っているのだから。段落
このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである。
社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒や批判にいたっては悪いイメージが自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒や批判は良いものである。
歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったとき、あの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41
「全員ではなく一部の異常者がやっている」というならそれはそうかもしれないが
フェミ陣営がしつっこくしつっこくオタク陣営に嫌がらせを続けて対立の根を育てたのは修正しようのない歴史で
そこに対抗陣営からウルトラ異常者が現れてぶっ潰しに行っているというのが今や
この先は少なくとも今のような対立はそれ自体無くなると思うよマジで
似たような増田があったので、追加で…
https://anond.hatelabo.jp/20230102170803
「colaboみたいな小さな団体の疑惑をここまで熱心に追及するなら、なぜモリカケ桜や五輪談合のような巨悪を追及しないんだ?」
他にも、MeTooのせいで自称女性の匿名Twitterアカウントの告発を疑うことが許されなくなったし(証拠が無いとか記憶違いとか女性の告発を疑ったらセカンドレイプなんだな)、
最初に断っておくとこれはどちらの陣営を揶揄・批判・擁護するものではありません。
例の団体に限らず左派は裁判やら記者会見やらネット工作(笑)やらでブルージャパンしてキャンセルカルチャーを批判対象に対して行っていた。
実際にそれは有効で、近年でも左派・フェミ界隈に対し批判的な言説を行っていた人物がお手紙でその地位から引きずり降ろされ
社会的地位と収入を奪われ弱者男性へと転落していった事は記憶に新しい。
実際に必殺・キャンセルカルチャーを繰り出す前にも、お得意のネトウヨ差別者レッテル貼りの連呼で
批判者を「こいつは社会正義に反しているからこいつの言動には価値が無い」という流れに持っていき、黙らせていた例は枚挙に暇がない。
もちろん一企業などの「そもそも反撃出来ない、し辛い」対象を選んで攻撃、悪く言えば殴りやすい相手を選んで殴っていたのが、今までの左派リベラルのやり方だ。
勿論批判者である左派は「正義の人」なので、キャンセルカルチャーに対する批判はアンチの悪質な嫌がらせとして一蹴していた。
そのやり方を多方面にし続け、ヘイトと恨みを青田買いした結果の先に、暇空という「キャンセルされる社会的地位も名誉も無いが資金力(戦闘力)がある」
本来であれば左派にいそうな無敵の人(社会的に)を産んでしまった。
彼は元より左派が自称している「正義の人、存在」でも無いので、彼をいくら悪魔化した所であまり効果が無く、逆に批判する言動の汚さが中立的な立場からも嫌厭される始末だ。
(恐らく氏の発信力が失墜するには、ここでは書けないレベルの「痛い腹」や所謂下のスキャンダルが無いといけないが、今の所は見えて来ていない)
目的はともかく手段は正しい彼の手法は、言ってしまえば今まで左派リベラルがやっていた「合法的な嫌がらせ」をパターナリズムして模倣している様にも思える。
虚実ないまぜの問題をぶちあげ世間へアジテーターしていく様は、一昔前の「ヘイトスピーチへのカウンター」活動を見ているかの様だった。
しかし暇空は左派リベラル的には「男でオタク」という倒すべき悪であり、世間からも同情されにくい属性を持っている。
対する左派リベラルは「女性」を押し出し、女性の弱者性を盾にして少々の批判や矛盾をさばいてきた。
「これは女性差別です!」というヤツだ。実質社会的強者である女性が使える最強の盾である。
恐らくColabo側には女性の盾がある限り、世間からの同情も買いやすく完全勝利とは到底いかないだろう。
だがしかし、左派に批判的な者が左派の手法を模倣して暇空という無敵の人を排出した様に、今後はアンチ左派・フェミ界隈に対するカウンターとしての存在が生まれる日も遠くないであろう。
即ち、左派やフェミニズム言論に否定的で、キャンセルされる社会的立場も無く、拡散力が高く自前で資金を調達出来る能力のある「若い女性」である。
(個人的にはV界隈に候補者がいるのでは無いかと思う、何故なら彼女らの収入と社会的地位は所謂オタク文化の興亡と直結するからだ)
勿論彼女らのバックには「男」がいるのだが、女性を全面に押し出し最強の女性の盾を使うというのは左派の常套手段である。
左派アンチも馬鹿では無いので、この手法を模倣する日は遠くない。
暇空ウォッチャーです。
暇空はタコ部屋とか生活保護ビジネスで名誉毀損で訴えられてるんだけど、保護女性から入手した物証と証言を複数入手してんだろうなってここ数日で確信した。
反証はあるんですとか言ってたから何かネタはあるんだろうなとは思ってた。
年末にColabo利用者で告発してきた人が出てきたけど、暇空はあんまり興味を見せていなかった。勝手にすればみたいな感じ。
告発が真実ならば、自身の名誉毀損の裁判を跳ね除ける強力な証拠であるのは間違いなく、協力を頼んだほうがいいに決まってるがそうしなかったのは違和感があった。
可能性としては
Twitterアカウント見る限り水商売してる女性のアカウントだしツイートを見る限り真実性はかなり高いように見えるので大きなウソはないように思える。(ティッシュとマスクを誤認してたがささいなことだろう)
暇空陣営になった人の計画な暴露ならタイミングとしても完璧だし、裁判でもそのまま使えるので告発して盛り上げることにメリットしかない。 まぁこれは判別は不可能だと思う。
・すでに証拠を得ている
上のパターンでも証拠を得ていることになるが、裁判で保護された複数の当事者の証言を証言として提出することだ。
今のように大きく話題にはなってない頃だが、過去にも暇空に話しかけてきたColabo支援経験者はいたので、証言を貰ってる可能性は高い。
その証言が生活保護ビジネス呼ばわりして名誉毀損にならないかは実態との比較になるので
住民監査請求を通したので公益目的だという主張と証言を組み合わせればそこそこ戦えるような気もするが、裁判が始まらないことには不明なのでこの先は楽しみではある。
ある対象を擁護する陣営の人物(らしき者)が、その対象を批判していた相手に対し殺害予告や爆破予告などをした場合、その擁護されている対象や同じ陣営の者がたしなめるようなコメントを出さないとおかしいと主張していたり、何らかの社会的責任があると主張していた人達がいる。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/otsujikanako/status/1598323458915860480
この元ツイートは撤回しすでに削除済みだが、ここにはそうしたことを主張しているアカウントが見受けられる。はっきりと同意は示していないものの、こうした主張に何らかの正当性があるというようなコメントもある。
この件に限らず、例えば最近なら平野綾が犯罪予告を受けていたという話や、熱海の居酒屋の件などについても同様のことを主張しているのがある。
さて先日、twitterなどでの有名なcolabo批判者やそれに関連したアカウントについて、こういう事件が起こった。
https://twitter.com/surumelock/status/1608640425908408320
ここに書かれているsaebou氏、熱海の居酒屋、colaboはいずれもこうした行動について何らかのコメントを発しなければならないのだろうか?
colaboの件を整理しようとおもったけどどうにもなりませんでした。
ログインボーナスと言われるのもわかるくらいに毎日何か起きてます。
[登場人物]
暇空氏陣営
暇空茜 なる 暇空弁護団(住民訴訟につよい弁護士+カンパ組)
colabo陣営
仁藤夢乃 colabo弁護団(中川弁護士 神原弁護士 堀新弁護士 太田弁護士 角田弁護士など) colaboと仁藤夢乃さんを支える会(83-1人)
都庁福祉保健局担当者 同局課長 監査事務局 小池百合子 おじま都議 川松都議 原田都議 内山都議 井戸さん(元議員)音喜多参議 浜田参議 岡本衆議 浅野市議(川崎)伊藤都議 その他議員
ひろゆき 山本一郎 エコーニュース その他ネームドツイッタラーやYouTuber
暇空氏の方が発信数がはるかに多いため、暇空氏よりの視点にならざるを得ませんがその点ご留意ください。主観も存分に入っています。
・最新の情報
・「3件通されて残り2件は現状不明」と記載していましたが全部colaboの件ではないかという指摘を受けて一旦削除しました。
[加筆履歴]
・シュナムル氏が静かになってしまったので次の動画ネタを探していた
・給食費などcolaboのアニュアルレポート等から読み取れる疑義についてがメイン
8月下旬(予想) 暇空氏、colaboの若年女性支援事業にまつわる公文書開示請求を行う
・あくまで予想
9月9日 暇空氏、colaboに不正な生活保護受給があると指摘するNoteを投稿
・タコ部屋や家計簿といった後の名誉毀損裁判での争点になっている。
9月9日 暇空氏、colaboが提供する食事が1食あたり2600円と高額ではないかと動画で指摘
・この2600円はcolaboが発行しているアニュアルレポートの数字から計算されている(食料費/食事提供数)
・仁藤氏はこれに対し、被保護者には直接食品を送ることもあり、それらを含め概算する必要があると主張(直接送った食糧は食事提供数に含めていないわよ!って言ってる)
・仁藤氏による概算では1食100円未満となる(36000食以上送ったと概算した)
・これに対し暇空氏は、「寄付分の食料を含めていないか?」「そんなに食品送ったら輸送費とんでもないぞ」と反論している
・その後仁藤氏はバスカフェに来た被保護者と元被保護者に大量の食品を持ち帰らせている写真を投稿(のちに削除)
・給食費、支援費、バスカフェ実施回数、政治活動への疑義がメイン
9月24日 暇空氏がcolabo被支援者の生活保護不正受給を主張する動画を投稿(のちの名誉毀損訴訟につながる)
10月上旬(予想) 暇空氏が若草、BOND、ぱっぷすに、関する資料を公文書開示請求する
・あくまで予想
・某弁護士などはこの結果をイジるようなツイートをしていたと記憶。(こんなんじゃ通らんよ〜みたいな)
・すこしケンカ腰な文体だったのが印象的(監査棄却をしってから動いたらそうなるか)
・Twitterスペースで議論しましょうという暇空氏からの提案は今もスルーされている
11月2日 暇空氏二度目の監査請求が受理される(これが勧告に至った)
・タイヤ交換しすぎとか法定福利費など会計回りを公文書をもとに論証
・一度目の監査請求棄却公表から3日で二度目が受理されているのは正直面白い
11月7日 暇空氏が二度目の監査請求に関する追加情報を監査局に提出
・11月2日提出分が会計不正疑惑についての論証だったのに対し追加分では活動実績にも切り込んでいる。(Noteを買って読むべき)
・一度目を棄却通達してから2週以内に実施決定って監査事務局どんな気持ちだったんだろうか
11月中旬 暇空氏が公文書に基づいたcolaboに対する疑義動画を投稿
11月19日か23日 暇空氏が弁護士と監査請求に関する陳述会に出陣
・colaboに対する疑義を説明するも、1人の監査委員を除きやる気が見出せなかったとのこと
11月18日 井戸まさえ氏がcolaboを支える会発足に関するツイートを投稿(すぐに削除された)
・ほぼ同時期に暇空氏と仁藤氏の両者が弁護士をつけていたということになる。
11月24日 colabo弁護団による被害状況の説明ツイート投稿
・当時は誰が提訴されるかわからなかったためドラフト会議と揶揄されていた
11月29日 colabo弁護団による名誉毀損提訴記者会見+疑義に対する説明資料公開
・暇空氏の生活保護不正受給指摘動画に対する名誉毀損提訴(タコ部屋の件)
・会見後、説明資料から車両費に一見無関係な費用が計上されていることが判明(ノリ剥がしの件:資料は修正済み)
11月30日 中川弁護士が一度目の懲戒解雇に対する弁明書を弁護士会に提出
12月上旬 暇空氏が説明資料に対する反論動画を投稿開始。それに合わせて再反論(補足説明)を弁護団が行う。
・反論の内容はほぼ陳述会資料(11月中旬)の内容と説明資料の照らし合わせであった。時系列を考えれば置き反論といえる。
・この動画に対して、colabo弁護団はいままでで補足説明を4回行っている。補足説明のサイレント修正も行った。(都庁がいいって言ったんだもん!の件)
12月3日 川松都議がcolaboの件を自身のyoutubeチャンネルライブにて本格的に取り上げる
・その後暇空氏との連携を表明
12月6日 岡本議員が国会(衆議院総務委員)にてcolaboの件を取り上げる
・一般論を回答
12月6日 浜田議員も国会(参議院総務委員)にてcolaboの件を取り上げる
・ゼロ回答
12月7日 暇空氏が若草、BOND、ぱっぷすに関する資料を入手する
・これらの団体も活動まわりの数字に齟齬があると暇空氏は指摘した
・暇空氏はこれら3団体のペーパーカンパニーではないかと指摘した
・暇空氏からcolaboが一番まともという論が出始めたのもここから
12月10日 Yahoo知恵袋にて家出少女の質問に対しColaboへの援助を推奨するような回答をするアカウントが発見される。
12月11日 colabo支える会が、逮捕されたメンバーのメッセージを削除
12月13日 ひろゆきがcolaboのすり切り会計指摘ツイートに言及
12月13日 浅野市議(川崎市)がcolaboへの公金支出に関する調査動画を投稿開始
・横浜と川崎で数百万円規模で、colaboに公金支出を行っている
・事業所保護でなく私人保護として申請されていたため割り増しで支払っていたのではないかと疑義を示した
・colaboのアニュアルレポートと比較してもそれらしい会計項目がないと判断して、調査を続けているとのこと
12月14日 山本一郎氏がcolaboに関する記事を公開、波紋が広がる
・colaboシェルターを特定可能な情報が含まれていたためツッコミが入る
12月15日 山本一郎氏が寄稿したcolabo関連記事が文春オンラインで公開、これも波紋が広がる
・暇空氏とは「ゲームクリエイター時代から面識がある」等の文言が記事に含まれていたもののこれらに対し暇空氏は否定し訂正を求めた
・colabo弁護団の資料黒ノリ剥がし事件について、当該資料が都庁が作ったものと誤認していたことが判明
・暇空氏もバスの場所をツイートしていたじゃないかと指摘されている(真偽や重大性は議論されるべきか)
12月17日 おじま議員が会計検査院監査を匂わせる(のちに一般論と濁す)
・暇空氏はこれを監査報告を控えた監査員に対するメッセージであると推測している。(最新ライブ参照)
・DV補助金に関してcolaboが都に提出した資料に対して行った公文書開示請求が黒ノリだらけだったことに対する訴訟
・公開義務のある資料(貸借対照表や定款)まで黒ノリがびっしりと貼られていた
・都民ファーストは公約であるのり弁廃止を「達成済み」としている
12月23日 暇空氏がのりこえねっと(共同代表上野千鶴子氏)を提訴
・暇空氏の動画に対する公開停止の根拠が仁藤氏が出演しているキモいおじさんシリーズ(のりこえねっと)だった
12月26日 都庁のDV補助金に関する公文書紛失?問題が発覚。
・暇空氏が開示請求した資料に抜けがあることに気づき、都庁に確認したところ、都庁が当該資料を「紛失した」と回答したことが発端
・メールアドレス変更に伴って消えたという説明から都庁内規に則った削除であるという説明に転じている。
・川松都議が本件の説明をライブで行うも辻褄が合わないままライブが終了。(都職員ライブ中直電事件)
12月27日 暇空氏が中川弁護士の弁明書(一度目の懲戒請求の件)を受け取る
・colabo弁護団がそのまま協力しており、主張の根拠には名誉毀損訴状の内容が流用されている。('の家'の件)
・詳しくはNote参照
・監査結果の概要は「暇空氏の指摘はだいたい妥当ではない!、、、けどなんか領収書見たらおかしな経費あるわ。2月28日までに都はしっかり説明してね。あと雑な会計はダメ」
・暇空氏の指摘を妥当ではないとした根拠がすべてcolaboが都に追加提出したと思われる委託事業実経費表(表3)であった。
・遠隔地のホテル宿泊や高額な食事代が領収書に含まれていたとのこと
・神原弁護士はこの結果を見たからか「正義は勝つ」とツイートしている
12月30日 colabo弁護団が監査請求の速報に対し「不正な公金支出はない」とTwitterで説明
・一瞬で消されたがもとは「委託であることは理解している」「不正会計はない」という文言であった。
・記者会見の際の資料ではなんら不正はないと説明していたため、ゴールずらしと指摘されている
・非営利型一般社団法人が、非営利事業の帳簿に事業と関係ないホテル宿泊費等を入れていたら、「不正な会計」と指摘されてもおかしくないかなと思う。
・現状寄付金に税はかかっていないようだが、非営利型の要件を満たさないとなると話が変わってしまうのでは(通常収益扱い?)
・colaboが受け取っている公金は東京若年女性保護、DV補助金、その他自治体若年女性保護の3つ(2600万+1000万+220万)のはずなのでもう少しゴールをずらしておくべきだったのではないかと思う
・「会計はほんのすこーし怪しかったけど、公金についてはちゃんとつかってました!来年も女性保護頑張るで!」という着地点をどうにか掴み取ってほしい。
12月30日 元colabo被保護者と名乗る人物がcolaboは生活保護ビジネスであるという投稿をする
・キリトとかノゲノラのくだり
・支える会RTbot化
・イソコ氏訴訟予告
・ Permalink | 記事への反応(12) | 15:20
ホッテントリに上がってた記事についてるブコメみてびっくりしたわ。
Huaweiなどの中国製品排除したらAndroidのシェアが落ちて当たり前って
というか、Googleをはじめとしてたくさんの企業が支えてるAndroid市場がApple1社と肩を並べるって
上回って当たり前なのにな。
ただ、商品自体の質をいくら高めたって、もう劇的なシェア変動はないのかもしれないとも思う。
iPhoneもAndroidも大多数のライトユーザーにとっては大して変わんねぇから移る理由が無い。
そういう空気を感じてる人が多いから、iPhoneを内側から瓦解させるためにストア開放を求める声が高まってるっていう面もあると思ってる。
アプリのサイドロードが簡単に出来るようになったらAndroid以上の惨状が待ち受けてることは、ほかならぬAppleが一番理解してるだろうから。
果たしてEUやFTCはストア開放を強制してiPhoneをゴミにするのだろうか。
手数料を叩いたところでストアがゴミになるのは変わらんから結果は同じだと思うけどな。
アプリストア選択の自由なんかユーザーが求めてないのは、Androidのサードパーティストアが死屍累々なのを見りゃ明白だ。
【22日21時再追記】
あの記事を読んで「女性支援事業について、情報公開請求を拒否し、情報を非公開にしろと内閣府に要求」と拡大解釈したツイート主と、
それを本当に行ったかのような論調についてです(それを多数が主張しているように話を盛ったことは自分の明確な誤りでした)
「不必要に黒塗り部分が多い」とか「赤旗の記事が白々しい」というような批判について、理解できないとはどこにも書いていません。
そもそも自分はこの記事で最初からColaboのことを擁護しておらず、むしろ批判的に書いています(そう見えなかったのなら表現力不足です)
繰り返すようですが、共産党や赤旗が事態に正面から向き合っていないことにも失望しています。
そのことを無視したコメントが↓の追記後も見られるので強調しておきます。
元の部分を内容が浅いとかお前こそ曲解と批判されることや、罵詈雑言を浴びせられるのは自業自得なので何も言いません。
【22日19時追記】
読んでもらおうと思って隙だらけかつ大げさに描いた。これはやっちゃダメだった。結果反応が変な方にぶれた。
自分はColabo絡みの騒動で、共産党と赤旗の動きには失望しています。
批判されても仕方がないし、かつて不十分な情報公開を批判したことへの不整合さを指摘されてしかるべきでしょう。
あの記事自体、具体例を示さず指摘されたくないことから目をそらすような白々しい内容といわれるのも当然です。
だからといって、記事で具体的に主張されていないことをさも主張したようにツイートするのはダメでしょう。
その指摘もなく共産党や赤旗批判を繰り出すブコメを複数見かけたことへの憤りでした。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/KogaUjisato/status/1605377470257332224
ツイート主がわざわざ違法アップロードのリスクを冒してまで載せてくれた記事読んだ?
読んだうえで共産党と仁比議員をバッシングしてんなら読解力どうなってんの?
仁比議員は
・当事者・支援者の安全を脅しかねない情報は非公開とされるのが当然
と言っているのに、これをツイート主は
・女性支援事業について、情報公開請求を拒否し、情報を非公開にしろと内閣府に要求
とまとめてるんだよ。
まーーーーーーーーーーーーーーったく理解できない解釈だよね。明らかな曲解だよね?
女性支援事業について情報公開を拒否した下りなんてどこにも書かれていないし、
非公開にすべきとしたのはあくまで「安全を脅かしかねない情報」だぞ。
全部が全部非公開にしろとか公開請求を拒否したなんてどこをどう読んでも読み取れない。
なのにツイート主の解釈そのままに、共産党や仁比議員が主張しているような理解でバッシングするツイート・ブコメが多数。
怖い怖い。マジ怖い。こんな理解でバッシングに走る奴、リアルで絶対会いたくない。
そもそもこの記事で書かれていることは、あくまでColaboに限定しない女性支援団体への見過ごせないデマが拡散されている問題についてだぞ
虐待や性搾取被害者を救う団体に関するデマが拡散されてるけどいいの?
※当然Colaboに限定していない
居場所のない若年女性と向き合い能力のある民間団体の掘り起こし、育成、強化が重要なんで、国として支援団体を守らないといけない
※当然Colaboに限定していない
情報公開請求で得た資料を曲解し、あたかも事実のように動画やSNSで流すのは事業妨害だ
※当たり前の認識を示したに過ぎない
記事を読んで、見過ごせないデマとやらを具体的に示せって言うなら理解できる。
だけど、共産党はColaboに関して上がっている疑義について、情報公開を拒否するのか!!って吹き上がるのはまーーーーーったく理解できない。
もちろん、Colaboに関するあれこれについて、見過ごせないデマでは済ましてはならず説明責任を果たすべきことはあると思うよ。
弁護団や一部支援者の稚拙さや杜撰さも散見されるから、そのことについてもちゃんと非難されるべきだと思うよ。
共産党や赤旗も、本件については、はぐらかさず正面から立ち向かって主張してくれよとも思うよ。
だけど請求資料曲解して変な印象付けする奴や、これまでの支援そのものを否定するようなことは許されるべきじゃないでしょ。
この辺りでColaboをはじめ同様の支援団体への見過ごせないデマは見受けられるのは事実だし、それをやめるべきだと主張することに党派性なんて関係ないことだよね?
この件に関係する事柄について、目が曇ってる人間はどっちの陣営にも多すぎるんだよ。
だからこんな単純な曲解ツイートに踊らされて、本来守るべき人のこととか、問題にしなきゃいけないことを見失ってしまうんだよ。
こんなこと続けてたら、そのうちはてアノンとか馬鹿にされんぞ。
冷静になれよ、本当に。
異なる陣営の政治家との公開の討論だったり、国民やメディアとの対話を通じて、不適切な政治家は排除される。
ただし強力な3バンがある政治家にそうした民主的統制が効きにくい傾向があるのは事実。
例えば投票義務化で組織票を弱めることや、職場や有力者による投票の依頼の禁止、世襲議員の選挙区引き継ぎ禁止だったりは必要だと思う。
「安倍元首相と統一教会が悪いから殺人やむなし」でいいはずがない。
殺人と暴力を肯定してしまったら、殺されるのは嫌いな政治家や陣営だけじゃなくなるってことを考えてほしい。
支持してる政治家が殺されるかもしれないし、われわれ一般市民だって殺されるかもしれない。
じゃあ宗教二世のように、選挙で争点になれないような被害者はどうやって救済すればいいの?って論点が出てくるだろう。
私の提案は、憲法で定めているにもかかわらず有名無実化している請願権(請願・陳情)を正しく実現すること。
アメリカのWe the people、台湾のJoin、韓国の国民提案(旧国民請願)プラットフォームみたいなのの改良版を作る。
これが仮に正しくないという意見もあるだろう。
暇空先生系の話、非常にアホらしいんだけど、具体的に
「私はそう言う施設に凄く助けられて今自立できております。大変感謝しています」
って声が上がってくるんだったら無茶な運用があってもまだいいものの、そこに加えて微妙な話が追撃のように上がってくるので本当にどうしようもないというか……
単なる陰謀論ちゅーか第三者の検証のない話を暇アノンだの言ってるのは単に言語センスの品性が寂しいだけだと思うけど(何でもかんでもすぐナチスを持ち出すような)
ずっと片側からの検証しかされてないのを積み上げてったらそりゃ陰謀論って言われてもしゃーないと思いますよ
対話がない
余命ブログとも違って御本人が飛び込んでってるし
何か過去の事例に例えて語る側も、なんか安易な事しか考えてないというか、無理に何かにたとえたりなぞらえたりしなくていいじゃん……?
無駄に複雑になるだけ
くせえオタクへお願いだ
ホットエントリしてるこれ。
普段のフェミvsアンチフェミ、右翼vs左翼、子供の声vs近隣住民のようないくつかの陣営に分かれることなく、
精神的な病気扱いしたり、体質の異常性を勝手に推測したり、バリエーションは様々だが共通して一定の集団をくさいと言っている。
ごくわずかに「それ程ひどい人間がいるのか?」と実在を疑うか、「今の時代、人の体臭への言及にも気を付けるべきでは?」と疑問を呈す声があるだけだ。
元増田の内容は少し属性をいじったらいかに酷いこと言ってるか分からないのだろうか?
ブクマカはちょっと雑音のある役に立つアドバイスのつもりでブックマークしているのだろうか?
普段、犯罪者とゲームを結び付けるなと言ってる人たちはどうした?
なんで皆、今回の藁人形に向けて石を投げてるんだよ?
もしこれが許されるなら、今後は特定の属性を持つ集団に対してお願いやアドバイスという体でいくらでも侮辱が可能ということになるがいいのかよ?
その発作の話をしてんだよ
俺は「サヨの人のネトウヨ認定はガバガバ過ぎておかしい」と言った
そんだけ
そして暇空ははっきり言って大っ嫌いだ
でもお前は俺の指摘に対して「暇空モー!」っていえば言い返しになると思ったんだろ?
何をどう読めば俺がネトウヨ好きだとか暇空と同じチームだとかになるわけ?
そのお前みてーなやつの貧相な脳の中だけで成立するガバガバなチーム分けはバカ丸出しだぞと言ってんの
お前のちっちゃいちっちゃい脳でカチンと来た相手が全員同じ人物だとか同じ陣営の同じチームだなんてことはないの
これぐらいのことが呑み込めないならお前の知能はツイッターでわけわからん陰謀論やってるネトウヨ最下層となんも変わらん
まあ変わらないんだろうけどな実際