はてなキーワード: 連隊とは
若くて溌剌としてイケメンだったり美少女だったりする軍の指揮官、いいよな。好きだ。
でもこの2つを両立させるのは難しい。王子として生まれれば自動的に総大将になれた前近代ならいざ知らず、近代軍では元増田でも書かれてるように現実には20代の軍人なんてかなり優秀なやつが大尉になるのがせいぜいで、軍勢を率いるなんて無理だ。
だがフィクションの作者は色んなやり方で「近代軍の」「若い指揮官」という2つの萌え要素を両立させようと試みてきた。以下、思いつく分だけ列挙する。
典型例はみんな大好き『銀河英雄伝説』のラインハルト・フォン・ローエングラム、あるいは『タイタニア』のタイタニア一族。『A君(17)の戦争』の小野寺剛士もここに入るだろうか(いや魔王軍は近代軍なのか……?)
星界シリーズの皇族もここに含まれるかなとちょっと思ったけど彼らに与えられている特権は少佐(十翔長)になるのがやたら早いというだけで佐官以上の昇進は完全実力主義なので含めなかった。
典型例は『双星記』の〈おそるべき子供たち〉や、『フルメタル・パニック!』のテレサ・テスタロッサ(軍というか傭兵部隊だから許されてる感もある。ただ〈ミスリル〉はその他のキャラの年齢と階級のバランスはやたらリアルなのでここに分類した。『踊るベリー・メリー・クリスマス』アニメ化してほしい……マデューカス中佐の勇姿を見たい……)
亜種として、「指揮官適合者を人工知能が勝手に選ぶので年齢とか関係ありません」型もある(『神無き世界の英雄伝』)
典型例は『銀河の荒鷲シーフォート』のシーフォート。アスターテ星域会戦時のヤン・ウェンリーもこのタイプかな。
典型例は星界シリーズのアーヴの皆様。嘘みたいだろ、50過ぎてるんだぜ、あれで……
典型例は『ストライクウィッチーズ』の隊長諸姉。ミーナさんじゅうはっさい。
典型例は『タイタニア』序盤で描かれたケルベロス星域会戦でのファン・ヒューリック、『双星記』のケイン・ラインバック。〈おそるべき子供たち〉はジェニファー・クローゼンヴァーグの肝煎りで出世してるからここに入るかも。
『双星記』に出てきた「戦時特例任命法」は良いソリューションだと思うのでみんなもっと参照するべき(貴族制時代に作られた「貴族様を指揮官にするための法律」が正式に廃止されていなかったことに気づいた奴がこれを利用して指揮官になった)
典型例は海原零『ブルー・ハイドレード』(ってこれわかる人いるのかな……?)
典型例は『魔法少女リリカルなのはStrikerS』とか『銀河英雄伝説』とか……
典型例は『銀河英雄伝説』のユリアン・ミンツ、『タイタニア』のファン・ヒューリック、『蒼き鋼のアルペジオ』の千早群像。共和政府を自称してるけどどう見てもただの軍閥だからね、仕方ないね。
https://anond.hatelabo.jp/20170724234904
さんざん田中芳樹作品をネタにしておきながら『七都市物語』を忘れていたとは不覚の極み……! あとカレル・シュタミッツは4だよね。
ごめんなさい(土下座)
Windfola スペオペ伝統の異星の小国の王女を助けて指揮官に…は近代軍じゃないか/未来人・天才科学者は3の亜種かな/クーデターや軍を興すタイプは11? 反乱軍のリーダーは熱血主人公か若きカリスマだよねやっぱり
クーデタや革命を起こす主体が正規軍だった場合は、新しく「クーデタや革命で若手が権力を握った」という類型を付け加えるべきだと思う。実際歴史を見てもクーデタ起こす主体として「青年将校」はよくあるので。カダフィ大佐もクーデタで政権を掌握したときは27歳の大尉だったらしいし(Wikipedia調べ)
nakex1 キャリア組の警察署長とかから連想すると,官僚的な仕組みが発達した国家なら若くして地方の指揮官になるのはありなのでは。
陸軍だと、だいたい大尉(できたてホヤホヤではないそれなりに歴史のある近代軍で20代のうちに到達できそうな一番上の階級)が中隊長になることが多いと思うんだけど、中隊って規模が百数十人なのね。普通はこの上に大隊、連隊、師団とあって、中隊が独自のユニットとして動くということはなかなかない。
ただ、『皇国の守護者』みたいに、ある地方に敵が攻め込んできた結果絶望的な防衛戦をすることになって、中隊長クラスが作戦の指揮を執る(あるいは押しつけられる)展開はアリかもしれない。実際新城直衛は中隊長ですらない中尉だったけど、中隊長の戦死で中隊を、大隊長の戦死で大隊を率いることになり、かつ野戦昇進で大尉になってるので類型4に当て嵌まるのかな。
あるいはものすごい小国で中隊長クラスでも数人しかいないとかになると類型2に当て嵌まるかしら。そういえば赤城毅『虹のつばさ』に出てくるメーアシャウム王国の陸軍は最高階級が少佐だったっけ。まあその作品では普通のおじさんだったけど。
戦争っぽいもので指揮を執る警察キャリアといえば、有川浩『海の底』に出てきた烏丸俊哉警視正がいたわ。年齢的に若いといえるかどうか疑問だけど(階級の割に若いけど、ラノベや漫画やアニメの主人公張れるほど若くはない、と思う)
ルジャンドルはフランスのウラン(Oullins)に生まれ、ランス大学およびパリ大学に学んだ[1]。父親のJean-François Legendre-Héralは人物像を得意とした古典主義彫刻家でエコール・デ・ボザールの教師[2]。24歳のとき、ニューヨークの著名な弁護士の娘であったクララ・ヴィクトリア・ミュロックとブリュッセルで結婚した。結婚後すぐに米国に移住し、帰化した。
1861年に南北戦争が勃発すると、ルジャンドルは第51ニューヨーク志願兵歩兵連隊の兵士募集に協力し、1861年10月29日に同連隊の少佐に任官した。その後ノースカロライナでの戦闘に従事し、1862年のロアノーク島の戦いにも参加した。しかしながら、1862年3月14日、ニューバーンの戦いで重傷を負った。
負傷にもかかわらず、ルジャンドルは軍を離れず、同年9月20日には中佐に進級。1863年には第9軍に配属され、多くの戦闘に参加した。1863年3月14日には大佐に進級。ヴァージニアの荒野の戦いではユリシーズ・グラント将軍の指揮下にあったが、その最中の1864年5月6日、ルジャンドルは再び重症を負った。今回は顔面を撃たれ、左目と鼻を失った。アナポリスの病院に入院したが、その間にも南軍の最後の攻撃から街を防衛するための準備を手伝った。その後ニューヨークに移送され、そこで第9軍の兵士募集を手伝った。1864年10月4日に名誉除隊したが、1865年3月13日には准将に名誉進級した。
1866年7月13日、ルジャンドルは厦門の米国領事に任命された。7月にニューヨークをリバプールに向けて出港し、その後ヨーロッパ、アジア大陸を旅行し12月に厦門に到着した。領事として、ルジャンドルは5つの条約港、すなわち厦門、基隆、台北、淡水および高雄に責任を持った。そこでは、年季奉公人の不正取引の抑制に尽力した。
1867年3月12日、米国船ローバー号が台湾で遭難し、その乗員が台湾原住民に殺害されるローバー号事件(en)が発生した。ルジャンドルは福州へ赴き、台湾の中国側当局に問題解決の圧力をけるように、福建・浙江総督を説得した。福建総督は自ら行動は起こさなかったが、ルジャンドルが台湾に行く許可を与え、台湾知事が協力するように紹介状を書いた。
ルジャンドルは、遭難現場訪問のために米国船アシュロット号を雇い、台湾当局に行動させようとした(これは失敗した)。その後アメリカ合衆国海軍のヘンリー・ベル少将が懲罰作戦を実施したが、これも失敗した。さらに情報を集めるため、ルジャンドルは再び台湾に出向いた(このときは、紹介状は無しであった)。
中国へ戻ったルジャンドルは、南台湾に軍隊を派遣するよう福州の総督を説得し、ようやくこれに成功した。ルジャンドルは400〜500人の規模を希望したが、これよりはかなり小さな遠征隊が、1867年7月25日に台湾に送られた。ルジャンドルは砲艦の派遣をベル提督に要請したが、これは拒否された。このため、武装商船ボランティア号が雇われた。ルジャンドルは9月4日に台湾に上陸したが、上司に対しては全くの傍観者として行動したと報告している。
ルジャンドルは直ちに本来の任務を開始した。南台湾の険しい山岳地帯を通りぬけ、原住民の酋長と難破した欧米の船員の安全を保証するための条約を協議した。
1871年9月6日、琉球(宮古島)の船が台湾沖で遭難したが、ローバー号事件と同様に、多数の船員が殺害された(宮古島島民遭難事件)[3]。1872年2月29日、ルジャンドルは先に結んだ条約を日本人船員にも適用するよう拡大するため、台湾に出向いた。任務は不成功に終わり、またルジャンドルは北京駐在の米国公使フレデリック・ロウ(en)とも不仲になってしまった。
1872年、厦門から米国へ戻る途中、ルジャンドルは日本に立ち寄り、明治政府に台湾問題の武力解決を提唱した。これは副島種臣外務卿の意見とも一致しており、ルジャンドルは米国領事の職を辞し、1872年12月12日、外交および軍事顧問として明治政府に雇用された[1]。1873年2月、副島は2年前に台湾で起きた宮古島民殺害事件の処理交渉の特命全権公使兼外務大臣として北京へ派遣されたが、ルジャンドルもこれに参加した。この交渉は部分的には成功であったが、引き続きルジャンドルは1874年の台湾出兵の準備を手伝った。台湾問題に関して、ルジャンドルは駐日米国公使チャールズ・デロングの支援を受けており、また個人の資格でこの遠征に参加するつもりであった[4][5]。加えて、2名のアメリカ軍人が雇用された。ところが、デロングの後任の米国公使ジョン・ビンガムは、ルジャンドルを支持せず、1874年4月19日、台湾出兵は一旦延期とされた。ルジャンドルらは長崎で出征準備を整えていたため、大久保利通が長崎に向かった。結局遠征部隊は5月18日に長崎を出港したが、ルジャンドルは大久保と共に東京に戻った。その後、ルジャンドルは交渉のため福州に派遣されることとなったが、アメリカ総領事に職場放棄の罪に問われ、短期間ではあるが上海で収監されてしまったため、遠征には参加できなかった。1875年には日本政府から勲二等旭日重光章を授与されたが、これは外国人としては最初のものであった[1]。その年の末には顧問を辞任した。
ルジャンドルは1890年まで日本に滞在し、大隈重信の個人的な顧問を務めた。
1890年3月、ルジャンドルは日本を離れ、朝鮮王高宗の顧問となった。1899年9月1日に漢城(現 ソウル)で卒中により死亡するまで、その職を務めていた[6]。
1883年6月、金玉均は自身にとって3回目の日本訪問の途についた。前回の訪日で会見した日本政府の高官は、朝鮮国王の委任状があれば借款に応ずることを示唆しており、朝鮮からの留学生尹致昊の帰国に際しても大蔵大輔の吉田清成はかさねてそのことを金玉均に伝言していた[5][注釈 2]。
しかし、高宗からあたえられた300万円の国債借り入れの委任状を持参して来日した金玉均に対する日本政府の対応は冷たかった[5]。300万円は当時の朝鮮における国家財政1年分に相当しており、日本の予算約5,000万円からしても巨額なものであった[5][7]。メレンドルフの妨害工作もあったが、日本政府としても大蔵卿松方正義が緊縮財政を進めているなか、財政力に乏しく政情も不安定な朝鮮に対し、そのような巨額な投資をおこなうべき理由は乏しかった[5][10]。金玉均は、日本についで、フランスやアメリカ合衆国からの借款工作にも失敗した[5]。
1884年5月、金玉均は失意のうちに朝鮮に帰国した。朝鮮では、以前にもまして大国清の勢力が猛威をふるい、朝鮮国の重臣たちはそれに追随し、開化派の活動はいっそうせばめられていた[5]。清とフランスの緊張関係の高まりから、5月に遼東半島に移駐することとなった呉長慶にかわって野心家の袁世凱が実権を掌握し、朝鮮王宮は彼の挙動に左右された[5]。これに危機感を覚えた金玉均らは国王高宗を動かそうと計画した[7][10]。高宗もまた閔氏の専横に心を痛め、朝鮮の将来に不安をいだいていたのである[7]。
清仏戦争の直接原因となった1884年6月23日のバクレ伏兵事件(英語版)
1884年6月、ベトナム領有を意図するフランスとベトナムでの宗主権を護持しようとする清国との間で清仏戦争が勃発した[10]。清越国境付近のバクレでの両軍衝突が引き金となったが、この戦いで劣勢に立った清国は朝鮮駐留軍の半数に相当する約1,500名を内地に移駐させた[5]。独立党は、これを好機ととらえた[10]。日本もまた、壬午軍乱以降、無為にすごした失地回復の好機とみて清国勢力の後退を歓迎した[5]。井上馨外務卿は帰国中の弁理公使竹添進一郎に訓令し、10月に漢城に帰任させた。竹添は軍乱賠償金残金の寄付を国王に持ち掛ける一方、金玉均ら独立党に近づいた[5][11]。
竹添進一郎
金玉均らは11月4日、朴泳孝邸宅に日本公使館の島村久書記官を招いて密談をおこなった。集まったのは、金玉均、朴泳孝、洪英植、徐光範、島村の5名であった[12]。そこで金玉均は島村にクーデタ計画を打ち明けているが、島村はそれに驚きもせず、むしろ速やかな決行を勧めるほどであったという[12]。かれら独立党は3つのクーデタ計画案を検討し、同年12月に開催が予定されていた「郵征局」の開庁祝賀パーティーに乗じて実行にうつす案が採用された[12][注釈 3]。金玉均は11月7日に日本公使館をおとずれ、竹添公使にクーデタ計画を打ち明け、そのとき竹添から支援の約束を得ている[12]。
金玉均は漢城駐在のイギリスとアメリカ合衆国の外交官にもクーデタ計画を相談した[12]。かれらは、金玉均のえがく理想に共感し、清国よりも日本を頼るべきことについても理解を示したが、しかし、決行については清国の軍事的優位を認めて、これに反対した[12]。金玉均はさらに、それとなく高宗にも計画の内容を伝えて伺いを立てた[12]。高宗もまた、清の軍事力を考えると不成功に終わるのではないかとの懸念を伝えたが、金玉均はこれに食い下がり、フランスと連動して動けば充分に勝機はあると訴えた[12]。高宗は、これを諒とした[12]。
しかし、クーデタに動員できる軍事力といえば、日本公使館警備の日本陸軍仙台鎮台歩兵第4連隊第1大隊第1中隊の150名と、陸軍戸山学校に留学して帰国した10数名の朝鮮人士官学生および新式軍隊の一部にすぎなかった[5]。この人数では、半減したとはいえ、なお1,500名を有する清国兵および袁世凱指揮下の朝鮮政府軍に対抗するのは無謀といってよかった[5]。
http://anond.hatelabo.jp/20170116162327
リンク先『婆ちゃんに戦争の話聞いてきた』で語られている「婆ちゃんの工場を襲った」空襲はおそらく、1945年8月1日深夜から2日未明にかけて行われた富山大空襲のことだろう。
それ以前、7月にも市街地に対する比較的小規模な空襲は度々行われている(模擬原子爆弾、いわゆるパンプキン爆弾の投下も行われた)が、8月の空襲は市街地の実に99.5%を焼き尽くす大規模なもので、ブコメでも言われているように「空襲で全部なくなった」。燃え盛る炎が明々と夜空を照らしていたという証言はネットでも複数読める。
で、だ。問題は
ものすごく暑かったので、多くの人は川に逃げたらしい。そんな人でごった返した川めがけて、空襲は襲った。川に逃げた人はみんな死んだ。
というくだりである。この「川」というのはおそらく、富山市街地を貫流する神通川を指す。皮肉にも、上空から夜目にも目立つ神通川と広大な河川敷そのものが攻撃目標となって多くの犠牲者が出たといわれているが(富山大空襲 浅田 高明|戦争の記憶~寄せられた手記から~|NHK 戦争証言アーカイブス http://www.nhk.or.jp/shogenarchives/kioku/31/ )、そのいっぽうでこんなことも行われていた。
(あの戦争「富山大空襲」 : 勝手に言ってます http://yosirin.exblog.jp/21519632/ )
火たたき・バケツリレーなどによる「防火演習」がしばしば行われ、空襲の際には、避難する道路に、警防団・警察・憲兵などが立ち、「戻って火を消せ」、「非国民!」などと、避難を押し止めた
(イントロダクション | 「富山大空襲」のことを知って下さい! http://www.geocities.jp/toyamakushunokaii/introduction.html )
逃げたらアカンかったわけである。何故か? これは日中戦争が始まる前に公布された「防空法」という法律に拠っている。直接的には、真珠湾攻撃の直前に行われた防空法の第一回改正、およびそれに基づく内務大臣の通牒で、空襲時の退去の禁止(罰則を伴う)と応急消火義務が国民に課せられたことに由来する。この規定が、10万人の死者を出した東京大空襲のあともなお有効だったことは、まさに富山大空襲でのエピソードが物語っている。
富山空襲ではまず市街地の周縁部に焼夷弾を投下し、市民の逃げ道を断ったうえで存分に焼き払うという手法が用いられたが、地上でも軍や官憲によって逃げ道が断たれていたわけである。その結果が婆ちゃんの語った戦争の話、ということになろうか。
最後に、いち地方都市にこれほど大規模な空襲が行われた理由がふるっている。
「これ(=第13回の大挙出撃)は、陸軍航空部隊の第28回記念日にふさわしい祝賀であった。またカーチス・E・ルメイ少将に対するすばらしい餞別となった。同少将は米国戦略空軍の参謀長となるため、第20航空軍の司令官を辞任する前に、この攻撃を自ら計画し、かつ指揮したのであった。」 (1945年8月2日付ニューヨークタイムズ)
「陸軍航空軍記念日である8月1日の攻撃は、持てる空力を駆使し、あらゆる努力を払うよう指示する。(米本国陸軍戦略航空軍司令部から、第20航空軍「現地」司令官への指示文書)
(富山大空襲と母のこと: 壺中山紫庵 http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2010/08/post-78e5.html )
参考:防空法について
「空襲は怖くない。逃げずに火を消せ」――戦時中の「防空法」と情報統制 / 大前治 / 弁護士 | SYNODOS -シノドス- http://synodos.jp/politics/13238
筆者は半分くらいしか観てないので間違いとかあったら指摘してください。
・庵野秀明『エヴァ(旧世紀版&新劇場版)』 : 同じBGMを使用している。ヤシオリ作戦の内容・名称の元ネタ。
・岡本喜八『日本のいちばん長い日』 : 激しいカット割りの元ネタ。日本が危機に直面した時の官僚・政治家の動向を描く点は同一。監督岡本喜八の写真が本作に登場する牧吾郎の写真として使われている。
・本多猪四郎『ゴジラ(初代)』 : 冒頭に映る古い「東宝」画面、第2形態時の咆哮音、冒頭に襲われる船の名前(「栄光丸」⇒「グローリー丸」)はこれが元ネタ。
・押井守『機動警察パトレイバー the Movie』 : 『シン・ゴジラ』に登場する牧吾郎のあり方が、『機動警察パトレイバー the Movie』に登場する帆場暎一と被る点が多い。①冒頭で海に消える、②事件解決の鍵を握るが、本人は既に死亡しているため、彼の思考の解明に主人公たちが翻弄される、③東京を破壊する動機が匂わされる、等。
・福島第一原発 : ①ラストシーンで凝固剤をクレーンで投入するシーンは、福島第一原発にコンクリートなどを流し込む姿を模しているとの指摘あり。②また、ラストにおいてゴジラは死亡せず凍結されるに留まるが、これは福島の原発事故の現状を表してるとの指摘あり。すなわち、冷温停止状態ではあるが、これからもきちんと処理を続けないと、また放射能汚染の惨禍を生むということ。
・長谷川和彦『太陽を盗んだ男』 : ラスト、石原さとみと長谷川博己が語り合う建物が、菅原文太とジュリーの決戦の場と同じ。ヱヴァ破でこれのサントラを使っていたため、意識して使用した可能性がある。また、制作中の仮題が『日本対俺』であり、これは『シン・ゴジラ』のキャッチコピーである『現実(ニッポン)対虚構(ゴジラ)』に類似する。
・庵野秀明『巨神兵東京に現る』 : 終盤、ゴジラの尻尾から出てくる人型が、『巨神兵東京に現る』に登場する巨神兵に酷似している。
・橋本幸治=中野昭慶『ゴジラ(84年)』 : 今回のシン・ゴジラと同じテーマ(危機に直面した日本がどう対応するか)を扱った作品。第4形態時の咆哮音の元ネタ。『シン・ゴジラ』のキーマンである牧吾郎の初出。
・本多猪四郎『宇宙大戦争(59年)』 : ヤシオリ作戦シーンのビーム作画、ビームSE、BGMの元ネタ。ただし、マーチについては、直接の元ネタは『怪獣大戦争』ではないかとの指摘あり。
・富野由悠季『イデオン』 : ゴジラが、背びれから全方位ミサイルを出し、尻尾からソードを出しているのは、これが元ネタではないかとの指摘あり。
・岡本喜八『沖縄決戦』 : 上述した『日本のいちばん長い日』と同じ理由。ただしこちらはシン・ゴジラと違って民間人の視点からも事件を描く/人の死亡シーンまで描く。また、『シン・ゴジラ』のラスト付近に登場する第32普通科連隊の丹波一佐は、『沖縄決戦』で第32軍長勇参謀長を演じる丹波哲郎が元ネタ。
・佐藤純彌『新幹線大爆破』 : 東京駅で作戦をするシーン、新幹線に爆弾を積んでぶつけるシーンの元ネタ。
・赤井孝美『八岐之大蛇の逆襲』 : 「ヤシオリ」という名称(ヤマタノオロチを酔わせた酒)からすると、ヤシオリ作戦の元ネタはエヴァではなくこちらを挙げるべきであるとの意見あり。また、血液凝固剤を注射ではなく経口投与にしたのは、ヤマタノオロチの伝承に倣ったものか。なお、これに登場する八岐之大蛇は第2形態に似ている。
・山崎豊子『白い巨塔』 : 財前正夫(國村準)、大河内清次(大杉漣)、里見祐介(平泉成)、花森麗子(余貴美子)、東竜太(柄本明)、柳原(矢島健一)、金井(中村育二)の”苗字”の元ネタ。たぶん探せばもっと出てくる。
・安野モヨコ作品 : 矢口蘭堂(長谷川博己)(⇒『ジェリービーンズ』)、カヨコ・アン・パタースン(石原さとみ)、尾頭ヒロミ(市川実日子)、花森麗子(余貴美子)(⇒『ハッピー・マニア』)の”名前”の元ネタ。たぶん探せばもっと出てくる。
小柴昌俊 ── 東京大 ── 愛知県生まれ神奈川県・東京都育ち(1歳から小4まで東京/中学から神奈川/高校東京)
利根川進 ── 京都大 ── 愛知県生まれ富山県・東京都育ち(小学校富山/中学から東京)
白川英樹 ── 東工大 ── 東京都生まれ岐阜県育ち(小3から岐阜)
朝永振一郎 ─ 京都大 ── 東京都生まれ京都府育ち(小学校から京都)
下村脩 ─── 長崎大 ── 京都府生まれ長崎県育ち(幼少期に長崎/中学でまた長崎)
根岸英一 ── 東京大 ── 満州国生まれ神奈川県育ち(小学校から神奈川)
東京大7
京都大5
名古屋大2
■生まれ
大阪府2
■育ち
京都府3
http://kamomenome.exblog.jp/14156659/(元ソースから間違いを修正)
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湯川秀樹(出生地:東京都)両親は和歌山県 ※中間子論は計算間違いであった
江崎玲於奈(出生地:大阪府)親は大阪府、三重県 ※助手のアイデアのパクリ
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下村脩(京都)両親は長崎県 父が福知山連隊所属のため京都生まれ
根岸英一(満州)親は東京都、本籍は日本橋、目黒の根岸家に戦災で親戚が大勢つめかけたため神奈川移住
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わたしは1926(大正15)年9月19日に、愛知県の豊橋で生まれた。軍人だった父の
小柴俊男がそのころ豊橋の陸軍第18連隊に所属していたからだ。
母親は、はやといって、千葉の木更津の農家の末娘だった。木更津高等女学校を出て、
父と結婚した。どういうなれそめで知り合ったのかは知らないが、父も千葉の館山の
父は農家の三男に生まれて、中学に通うのも親せきの造り酒屋で小僧代わりに働きながら
学費をだしてもらった。さらに進学する学資はないから、学資不要の陸軍学校へ進んだらしい。
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祖父の塩川三四郎は1873年生まれ、政治家を志して長野県から上京し、東京帝国大学法学部を
卒業した。そして、渡辺千秋(長野県出身)の次女・千夏と結婚した。
「野依」は母方の血筋で、福岡県の東部、築上郡吉冨町に行き着く。「立野屋」の屋号をもつ
庄屋で酒づくりをなりわいとする大地主であった。
(野依良治『私の履歴書 事実は真実の敵なり』日本経済新聞社)
http://kingendaikeizu.net/gakusya/noyori.htm
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E6%9D%91%E8%84%A9
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朝永振一郎の父三十郎は、東京で真宗大学在職中に旧川越藩士大枝美福の長女ひでと結婚している。
朝永振一郎「なぜ京都にいながら東京弁使っているかっていいますと、おふくろが埼玉県生まれで、
おやじは長崎生まれで、中学の頃東京に出て、ずうっと東京にいた。そういうわけで、家庭では
東京弁を使っておりました」(『回想の朝永振一郎』みすず書房)
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私の父は仏壇屋の家業を継ぐのを拒み、文学者になろうと家をとびだした。東京で私が生まれた。
母は福島県の出身だった。しかし私が2歳のときあの大震災に遭い、一家はやむなく福井に戻った。
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利根川勉「私の親父は守三郎といいまして、福山藩(広島県)の貧乏侍の息子でした。ところが
同じ貧乏侍の利根川という叔父に子供がなくて、岡本という家から養子に行きました。
家内の父方は弘前藩士(青森県)の家系でした」(利根川進受賞時に父・勉氏へのインタビュー)
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北大理学部を受験した時、母は「落ちてくれ」と本気で祈っていた、と譲さんは明かす。
恩師は「章君を大学に進ませて」と勧めたが、家計に余裕がない。町で理髪店を営んだ
山形県出身の父の定輔さんは1946年に51歳で死去。長男の鈴木さんは16歳だった。
(「タウンガイド札幌2010年10月11日)(母ナエも山形県出身)
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例のかつをさんの件だが怖い怖いといえど田舎はそんなもんだろう、と思った。
とにかく田舎ってどっかの代でドジを踏むと永遠に子どもは馬鹿にされる。伯父(とはいえ父とは異父兄弟なので父は兄貴とはいわず○○君とよぶ)の父親は南方で死んだんだが、食料兵だったのに死ぬなんてよっぽどの馬鹿だと言われていた。そんで伯父は馬鹿の子だからとあまり食事ももらえなかったようだ(祖母にとっては実子なのだがやはり馬鹿にしていたようだ)。出ていきゃいいのに虐待児の心理なのかずっと村に残って、その後はアル中になり、まだ苦しみながら生きている。伯父の子どもも馬鹿にされてて出来婚したけどそれもひそひそされて麓の方へ逃げてった。調べたらその地方の連隊は玉砕していて、食料兵と言えど前線の方には行くんだから囲まれて補給線途切れたら死ぬだろうとおもうんだが。
祖父は五男坊で結婚もできるかどうか(田舎だと冷や飯食ってそのまま独身で死んでいくコースである)だったが、伯父が死んだので祖母と結婚したが、未亡人をあてがわれたとやっぱり馬鹿にされていた様子だ。やはり食料兵で死ななかったようだが、年齢考えるとギリギリ二十歳で召集されて内地にいたっぽい(戦地の話は聞いたことがない)のに伯父と比較されやたらもちあげられていた(その時だけ)。とはいえじーちゃんはいい人だったのでなんにも言わず、祖母にも頭が上がらず、しょっぱい食事食わされて脳溢血になり、それでもずっと我慢して我慢して死んだ。最後死ぬ前にさすがに介護がひどかったのか、がまんしてもいいことないとポツリと言っていたけど、それだけだった。多分生まれた時から我慢するしかなかったんだろうなっていう感じの人である。しかもド田舎で畑もちでそれほど金には困っていなかったはずなのに(ある程度遺産あったし)、土地を売ってもらえなかったのか死んでみたら借家だった。苦労を偲んでしんみりしてしまった。
父はそういう田舎が嫌いで盆正月もまったく帰らない。法事もいかない。小さい頃ちょっと遊びに行ったりとか、祖父母の葬式くらいしか自分は田舎にいかなかったけど、あそこには住みたくないな。割と出来のいい従兄弟で京大・阪大行ったのがいるけどどっちもメンタル病んで引きこもっているそうだ。どういう処遇を受けたかはだいたい想像できる。さくっと離れちゃえばいいのにしがみつきたくなる心理はニュータウン育ちにはわからない。たぶんこれからもまだまだ同じような事件起こるんだろうな。
これみた。
「たかじんのそこまで言って委員会」の南京事件検証動画が秀逸すぎる。 | ねとうよ速報
http://netosoku.net/blog/others/takajin_nankin_kensyou/
南京事件否認論の恐怖。 - Something Orange
http://d.hatena.ne.jp/kaien/20120308/p1
捏造写真や被害誇張が多すぎるとか、中国が国をまとめるためのプロパガンダとか、でも戦争なんだから規模はともかくやってるに違いないだろとか、外国人が書いた一次証拠もあるだろとか、これを全部正しいとしても関東軍の虐殺動機がよくわからない。たとえ数万人でも虐殺は軍の指示がなければ無理だ。関東軍は何か深い民族的恨みでもあったのか?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E4%BA%AC%E4%BA%8B%E4%BB%B6_(1937%E5%B9%B4)
南京事件(なんきんじけん)は、日中戦争(支那事変)初期の1937年(昭和12年)に日本軍が中華民国の首都南京市を占領した際(南京攻略戦)、約6週間から2ヶ月にわたって中国軍の投降した便衣兵、一般市民などを殺した事件。
でも、この前に満州事変とかで国作ってるんだよね?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E6%B4%B2%E5%9B%BD
1932年から1945年の間、満州(現在の中国東北部)に存在した国家。
満洲国は建国にあたって自らを満州民族と漢民族、モンゴル民族からなる「満洲人、満人」による民族自決の原則に基づく国民国家であるとし、建国理念として日本人・漢人・朝鮮人・満洲人・蒙古人による「五族協和」を掲げた。
とすると、傀儡政権で日本人優位とはいえ中国人(満州族)とも一緒に暮らしてたわけだ。その後国を運営しながら5年かけて南京まで領土を拡大。ならなおさら軍命令で虐殺する意味がわからん。南京の人とも一緒に暮らすだろうし国民は国家の労働力ではないのか?
と思ったら、詳しい解説サイトがあった。
南京事件 初歩の初歩
http://www.geocities.jp/yu77799/nankin/shoho.html
まずよく誤解されるのですが、「南京事件」というのは、例えば数万人なり数十万人なりを一箇所に集めて、まとめて機関銃なり銃剣なりで殺した、という事件ではありません。基本的には、数多くの中小規模の「事件」の集積です。
また、「民間人巻き込まれの責任は便衣兵戦術をとった中国側にある」との暴論も見かけます。そもそも南京では「便衣兵戦術」の存在は確認されていないのですが、例え南京戦以前の上海戦での「便衣兵」を問題にするとしても、日本軍の責任は免れません。日本軍は「民間人混入」のリスクは十分に承知していたはずです。殺害しなければならない切迫した事情もなかったのですから、そのまま生かして「捕虜」としておけばよかっただけの話でしょう。
秦 南京事件の場合、日本軍にもちゃんと法務官がいたのに、裁判をやらないで、捕虜を大量処刑したのがいけないんです。捕虜のなかに便衣隊、つまり平服のゲリラがいたといいますが、どれが便衣隊かという判定をきちんとやっていません。これが日本側の最大のウィークポイントなんです。
秦 捕虜の資格があるかないかはこの際関係ありません。その人間が、銃殺するに値するかどうかを調べもせず、面倒臭いから区別せずにやってしまったのが問題なんです。
秦 捕虜としての権利がないから裁判抜きで殺していいということにはならない。自然法に照らしても不法でしょう。古代の暴君ならともかく、こいつは悪い奴だから、その場で処刑していいというのは、文明国がやることではない。捕虜の扱いはお互い様ですから、それなりに尊重し、労働をさせれば一定の給与を与え、自国の兵士と同程度の食料を与えるのは交戦国の義務でした。
中村粲氏
武器を棄てて我軍の権内に入つた段階では捕虜なのであり、秩序や安全を脅かすことのない限り捕虜として遇すべきもので、重大な理由なく処断するのは戦時国際法違反になるであらう。
軍司令官には無断で万余の捕虜が銃剣刺殺された。それを「便衣の兵は交戦法規違反である」と強弁してはならず、率直に(それは)戦時国際法違反であり、何より武士道に悖る行為であったことを認めねばならぬ。
原剛氏
しかし、本来、捕虜ならば軍法会議で、捕虜でないとするならば軍律会議で処置を決定すべきものであって、第一線の部隊が勝手に判断して処断すべきものではない。
松本健一氏
捕虜でないからという理由で捕まえた敵国兵士を戦場で裁判にもかけずに勝手に処刑することは国際法上からも容認されていないはずです。
北村稔氏
筆者の見るところ、「ハーグ陸戦法規」の条文とこの条文運用に関する当時の法解釈に基づく限り、日本軍による手続きなしの大量処刑を正当化する十分な論理は構成しがたいと思われる。
私見ですが、「安全区掃討」の是非は、「国際法」のややこしい議論に突入するまでもなく、「常識」で考えればいいことだと思います。もう戦闘は終了しているのに、戦闘意欲を失った元兵士を片っ端から引っ張り出し、そのまま何キロも歩かせてまとめて殺害する。しかもその中には誤認連行された民間人も大量に存在している。「虐殺」だと感じれば、普通の感覚でしょう。
南京事件 初歩の初歩、了解。
ひとつ思いついたけど、この国際法を守る「普通」の感覚があれば、中国軍が世界を支配できる簡単な方法がある。10億人中の数十万人を各戦場に投降させたらいい。そしたら敵軍はその「捕虜」を戦時中に食べさせて管理して働かせても、食料を作る時間的な差で補給がままならなくなり、暴動が起こらないような高度な管理にも相当な軍人を割かなければいけない。その間に本隊で攻撃をすれば勝てる。相手が国際法を守るなら。
当時の中国がちょっと「普通」じゃないのは、ケタ違いの人口を誇るのに日本と比べて近代的な武器を持ってないこと。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E5%B7%9E%E4%BA%8B%E5%A4%89
戦力
大日本帝国陸軍30000 - 66000
16万の軍隊が、3万から6万6千の関東軍に負ける。ランチェスター戦略ではまずありえない。
「捕虜」の感覚も「普通」だと人数の少ない軍隊が負けて、戦いに生き残った少数が「捕虜」になるという感覚なんだが中国相手だと
南京事件 初歩の初歩
http://www.geocities.jp/yu77799/nankin/shoho.html
「南京事件」中、最大規模の「捕虜殺害事件」として知られている事件です。
第十三師団山田支隊は、南京城北部を進軍中、大量の投降兵に遭遇しました。その数は、当時の公式発表に従えば一万四千人余りと伝えられます。この捕虜群はいったん幕府山周辺の建物に収容された後、12月16日から17日にかけてほとんどが殺害されてしまいました。
12月13日、日本軍は南京を占領しました。逃げ場を失った中国軍兵士は、大挙として軍服を脱ぎ捨て、難民が避難していた安全区に逃げ込みました。
14日から16日にかけて、日本軍は、避難民の中から元兵士とおぼしき人物を選別し、そのまま揚子江岸などに連行して殺害しました。歩兵第七連隊の戦闘詳報によれば、その数は七千人弱、と伝えられます。その選別方法はアバウトなもので、その中には大量の民間人が混入していたものと見られます。
さらに17日の入城式後も、「安全区掃討」は続きます。佐々木到一少将によれば、1月5日までに、さらに二千名が摘出されました。
結果、数万人虐殺してるんじゃないかという予測ですが、普通の感覚なら戦時中とはいえやはり全員ちゃんと食わせて、ひとりひとり裁判にかけて、きちんとした管理の中、この数万人を戦争が終わる8年間(1945)まで捕虜として扱うべきだったのでしょう。虐殺するほど軍人最低限のモラルもなくなるでしょうし。
たかじんの動画でありますが、台湾攻撃した時は虐殺なんかしてない。満州事変のときも、満州族とその地域を一度に支配したのでその必要がなさそう。南京陥落のときは戦闘継続中の「中国軍」だったので一気に中国を支配できなければ投降は「捕虜」にするかその数万人を扱う余力がなければ虐殺するしかないということでしょうか? 日本軍には「投降」という概念がなさそうで、なおさら大量の捕虜を信用出来そうにもないという文化の違いもありそうですが。
南京事件の初歩の初歩までの理解ですが、右の言う捏造写真や被害誇張が多すぎるとか、中国が国をまとめるためのプロパガンダとか、動機がないとか、虐殺する弾薬や労力が無駄とか、左の言う、でも戦争なんだから規模はともかく心壊れてどこかでやってるに違いないだろとか、外国人が書いた一次証拠もたくさんあるだろとか、これは結局、関東軍が対人口比の極端に多い中国に勝ち進んだという「普通」じゃない状況が大量の「捕虜」を扱いきれず一般人も巻き込んで虐殺したことで、「普通」の時代の人から批判されまくってるという解釈で初歩の初歩はOKですかね?
あの当時、数十人の管理人でも数万人の「捕虜」が暴動起こさないような設備とシステムを作って、人権も守りながら低コストで、食料もすぐに自給自足管理させ、ひとりひとり裁判もできたら良かったんでしょうけどね。
【インタビュー】セコム創業者 「草食系」という言葉に「嫌な言葉だね」[11/01/31]
1 :やるっきゃ騎士φ ★:2011/01/31(月) 14:56:18 ID:???
セコム創業者で取締役最高顧問の飯田亮氏は、日本に初めてセキュリティ事業を導入して、
さらにその事業対象は、警備から防災、医療、介護、情報まで拡大し続けている。
新規事業を次々と生み出してきた飯田氏は、“日本発ビジョナリー・リーダー”の代表格とされる。
* * *
--今はビジョンがないまま、日本社会全体が疲弊しているように見えます。
特に最近の若者たちは、仕事や出世、私生活での「欲」もなく、新しいことに挑戦しようとしない
一方で、企業は急速にグローバル化しているのに、若者は海外へ出たがらないなど採用面で
ミスマッチが生じている。
飯田:「草食系」? 嫌な言葉だね。メディアも含めて世間が「今どきの男は……」と言い過ぎだよ。
そんなおかしな言葉は使わないほうがいい。
企業も「最近の社員は海外に出たがらない」なんて言う前に、無理やり海外でも地方でもどんどん
出せばいい。
だいたい、無駄な情報が多すぎるんだ。あまりいろいろなことを知っちゃったら、
俺のやっていることはつまらないのでは、と思ってしまう。それよりも、訳もわからずジャングルに
入ってみたら、ジャングルの面白さがわかるかもしれないじゃないか。第2次世界大戦時に編成された
米軍日系人部隊・米陸軍442連隊の合言葉である“Go for Broke.”(当たって砕けろ)の精神だよ。
--しかし「当たって砕けろ」を実践するには、やはり「自分は何をやるべきなのか」というビジョンが
必要では?
飯田:そう。大人はよく若い人をつかまえて
「世間はそんなに甘くない。正しいことをやっても通らない。損するだけ」なんて小賢しいことを
言うけど「正しいことは通る」「正しいことを貫け」となぜ言わないのか。
ソースは
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/business/financial/489140/
関連スレは
若い奴がだらしないのは認めるけどさ
若い奴が欲を求めることを否定する年配者もいるって事実にも触れろよ。
そんな年配者に影響を受ける若い奴がどうしようもないとは思うよ。
でもさ年配者が押さえつけて押さえつけて若い目を潰しているのも事実だろ。
旅団(りょだん、英: Brigade)は、陸軍編成上の単位のひとつで、師団よりも小さく、連隊と同等又はこれよりも大きい単位で、1,500名から6,000名程度の兵員によって構成される部隊をいう。-Wikipediaより
ハンターハンターの幻影旅団を筆頭として「旅団」が魅力的な響きをもつのは否定できないだろう。
幻影中隊や幻影軍団ではいけない。やはり旅団でなくてはいけない。
ここで海外の「旅団」を使われかた(軍隊としてではなく)を見てみると以下のようになる。
怒りの旅団-The Angry Brigade(英)
(Brigade,Brigateがそれぞれ旅団を表す)
大隊(Battalion)でも師団(Division)でもなく「旅団」(Brigade)を選んだ理由はなぜだろうか。
西洋の人たちにとっても「旅団」は魅力的な響きを持つのだろうか。
英語で旅団を表すBrigadeはケルト語のbriga(争い)に由来するという。
また日本語に訳したときの旅団の語は古代中国の軍隊の単位である旅に由来するという。
いずれも彼らにとっての古語である。
偶然にも(?)古語(ケルト語,古代中国語)がもつロマンが西洋と日本において合致したと考えてみるのも悪くない。
おまけ
日本において軍隊とは関係ないところで使われる「旅団」を集めてみた。
電撃の旅団
風の旅団
火聖旅団
流石に資金集めから始めて二浪したけど、ふつうに東大出ました。
いわゆる「ちょうえりぃと」と言われる職場に就きました。二年目です、年収500弱です、しょっぱいです。
奨学金の借金が500万あります。それから、両親からプレゼントされた借金が500強あります。
そういう生ゴミのような両親とは縁を切ったので、介護とかそういう心配はないです。一杯一杯です。
で、わたしが十代の頃描いた未来像では東大を出ればチンチン乾く暇もないうっはうはで
デカい家に住んで夜景みながらシャム猫を撫ぜつつブランデーを傾けてるはずなんですが、
そのわたしがなぜ、北国の地方都市で廃墟のような社屋でインスタントコーヒーを舐めながら増田をしなければならないんでしょうか。
全く理解出来ませんん、責任者は誰かと問いたいです。
この時期なのに暖房がいるとか、ここはもしかしてロシアとかそういうんじゃないかと思います。死ね。
そのくせ湿気は強く、天気は常に鬱々としわらじむしの連隊が部屋を時々行進しています。死ね。
それでですね、おかしいんですよ。
大体、私は偏差値で言うと70ちょっと。1000人に一人くらいの頭の良さのはずなんですが、
なぜ千人に一人の暮らしが出来ないのか。答えは簡単、わたし自身に生産性もしくは資本がないから。
組織の論理でしか生きられない、ちょっとデキのいい歯車ちゃんだからなんです。
資本の偏在を問題にするのもいいですが、時代遅れなのでもう少しべつのことを考えなければならない。
そういうわけで、ぶっちゃけ借金が減らないんです。煮詰めたウンコのようなクソペアレントとの手切れ金が500万。
その利子が年間14パーセントつきます。利払いだけでぼくの給料ぶっ飛ぶんですよ。
この調子で昇給すれば数年で返せますが、おかしくないですか。ぼく26ですよ、何故そのぼくが
こんな腐った地方都市で腐った生活をしなければならないのか。
東大出た26歳にはもう少しチンチンにかける余剰資本があっていいはずなんですが、
ぶっちゃけちんちんどころか胃袋にかける余剰資産もないんですよ、どーなってるんですかこれ。
たまにはすすきのに出て激安ソープ行きたいんですが。ていうか、東京帰りたいんですが。
それで、転職をしようにも私には巨大な借金に加えて北方領土に抑留中というビハインドがあります。
仕事はそれなりに忙しく、ぶっちゃけ転職活動する余裕ないです。二年目で有給取れるほど世の中甘くないです、ファック。
おかしいですよ、ぼくエリートですよ。何でトイレを拭いて流せる清掃道具を買う金ケチって雑巾使ってるんですか
世の中おかしくないですか。増田ども、なんかこんな俺にアドバイスもしくは慰めを寄越しなさい。
ちなみに新卒一年目に生活がパンクして、借金返済のために会社のちょっとした福利厚生制度を使いました。
こんなところにブッ飛ばされたのはそれが原因だと思います、要するに出世の目もないです。
2ヶ月という期間を考えると
あれは絵に描いたもちかな。
やはり細部にこだわる路線に変更しよう。
赤服デモ(反独裁民主戦線-UDDデモ)情報 26
4 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 19:39:18 ID:0LRZFhg.0
ディンデンの方からものすごい黒煙があがってるよ
5 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 19:40:00 ID:0F0X//DA0
13日 20:20
撮影者タイ人
M79 3発爆発 ラチャップラロップ通りにて
http://www.youtube.com/watch?v=JMlMkQyMaBU
怖っ。
6 :5:2010/05/15(土) 19:41:35 ID:0F0X//DA0
14日でした。昨夜の爆発の動画です。
7 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 19:42:51 ID:hF49PSKI0
>>4
一度消えかけたのに、またはっきりと煙が見える。
8 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 19:43:29 ID:jqHQ4otA0
タイには兵役があるというが、顔つきをみると見事に中華系がいないな。
みんな色黒。なんかあるんだろうな。
9 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 19:44:10 ID:R9T.S8520
そろそろクロ服がでてくる時間帯ですな。
昨日みたいに獅子奮迅のAKA乱射で軍を撃退するのでしょうか?
10 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 19:44:59 ID:0LRZFhg.0
前スレからですが、あまりにもすさまじいですねラチャ情報さん
気をつけてくださいよ
866 :ラチャ続報:2010/05/15(土) 18:57:47 ID:lDdvxzvs0
走り出したので、やれやれと思い午前中の死者の画像を
アップしようとしていたら外で大声がするのでベランダに
出たら、うちのコンドーの入口にタイヤと竹でバリケードを造営中。
100バーツずつ渡して場所の移動に合意。お前らほんとに金だけ。
バリケード壊して移動中に今までにないすさまじい銃撃が始まり
鳴りっぱなしになっている。
男ども(近隣住民と赤服)はうちのコンドーの敷地内に転がるように
逃げ込んで、ガソリンスタンド前で撃たれた死体も引きずってきた。
今までの鬱憤を晴らすかのような兵士のものすごい銃撃です。
兵士がコンドー前まで侵攻してきて、動くものはすべて撃っている。
見境なくなんでも撃っている。
40 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 19:55:49 ID:Eehbn5Tc0
何回兵隊使えば気が済むのか。中途半端なんだよアピは。
42 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 19:57:11 ID:jDm1i7v60
というか、今の時期、プラヴィハーンや、南部情勢に政府は神経注いでられないから、今攻め時だと思うんだけど、
パッタニー解放戦線の方々や、カンボジア軍の方々は何をしとるとですか?
46 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 19:58:45 ID:jqHQ4otA0
プラヴィハーンはともかく、南部情勢ってこれまでも政府がまともに神経を通わせていたとは思えない。
50 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:00:19 ID:aYSgNUg20
アビシットは白兵戦に頼るから、軍や警察にムダな死傷者が増える
援護のため、爆破力の強い投擲弾を多用して、ある程度、赤服を壊滅
に追い込んでから、兵を投入するべきでは?
51 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:00:29 ID:jDm1i7v60
6時だけど、ラチャはどうでっか
53 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:02:23 ID:jDm1i7v60
ランナム当たりは外国人も多い住宅地だからさ、あまりに破壊力高い兵器は、一般を犠牲にしすぎでしょ。
正式な退避勧告出してないから、やっぱりまずいんじゃない。
56 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:03:18 ID:Eehbn5Tc0
銃声はやんだね。殺し過ぎたんだろうね。
57 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:03:45 ID:1VGgsM0w0
一斉放送来たね
63 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:06:05 ID:/IeMl9TE0
59 今始まった。。
65 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:06:36 ID:2F9muXaA0
市民が亡くなったのは赤服と反赤服の衝突によるものらしい
69 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:08:39 ID:L/hDTKxc0
75 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:11:58 ID:ZLO4ewoI0
一斉放送、問題の地域に立ち入った場合の処罰の量刑の報道だったと思います。
77 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:12:53 ID:WMcZpkVI0
アヌサワリー方面で断続的に黒煙が見えるんですが。。
81 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:15:29 ID:ZLO4ewoI0
>>76
具体的に立ち入り禁止区域に入った場合の量刑と、それに付随する重い罪だと
懲役何年でとかなんかそういうんだったよ。
要するに行かなきゃいいって事だ。
82 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:16:01 ID:0LRZFhg.0
ランナム又始まったぞ。
88 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:17:47 ID:uTh82X4U0
NHKのニュースでラマ9のフォーチュンタウンが映ってたんだけど、
フォーチュン自体が閉鎖されてるのかな?
閉鎖はMRTの駅だけ?
96 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:21:33 ID:BANjsNBc0
ラチャ 凄い銃撃戦だ、、銃声がやまない、、
98 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:23:13 ID:jqHQ4otA0
ラチャって、軍が定めた四角形の外側ですよね。
その外側に出てこれば容赦はしない。
かといって内側にいては兵糧が。。。
白旗あげて出てこない限りはダメってことですね。
102 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:23:45 ID:0LRZFhg.0
今銃声止んだ。
103 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:23:52 ID:dV/wtoqo0
genobangkok 今のラマ4だそうです。写真が来た。http://brizzly.com/pic/2G2D
これみるとバンコクは戦場だってイメージが定着しちゃうぐらいインパクトあるよ。
108 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:28:41 ID:0LRZFhg.0
ランナムから引っ越します。
114 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:32:08 ID:e4xSkHdE0
明日の朝まで軍隊が前線を持ちこたえてくれるのを祈るだけ。
まあ、デモ隊の分際で軍隊制圧するわけにもいかんだろうから勝ったところでせいぜいにらみ合いか。
123 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:35:48 ID:aYSgNUg20
「伏せろ!さもないと射殺する」と叫ぶ兵士。
http://sankei.jp.msn.com/photos/world/asia/100515/asi1005152020005-p1.jpg
124 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:35:59 ID:TazD04ok0
ラチャの住人を蛇蝎の如く嫌っていた例の親のスネ齧り元・留学生は、今の状況を見て高笑いしてそうですね。
125 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:36:23 ID:1IOYtD660
128 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:38:44 ID:0LRZFhg.0
ディンデンから巻き上がっている黒煙すごいな。
このへん一帯をおおいそうだよ。
129 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:39:24 ID:hF49PSKI0
ディンデンの煙がドンドンパワーを増してる。
どうなってるか????????
気合入れて見に行こうかな。
134 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:41:30 ID:R9T.S8520
煙幕で視界不良にして進撃をさせないつもりだろ
そして煙幕の向こうでクロ服がスタンバイ。
もうM79ではすまない。RPGが火を噴く。軍は多数の死傷者をだし敗走。
135 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:41:43 ID:K46WR3q60
136 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:41:43 ID:iM/VroSk0
>>124
138 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:42:08 ID:.Vtp1VQk0
今危険なのはバンコクの一部の地域に限られてると思うのですが。
非常事態宣言の出ている他府県いますが全く平和な日々をすごしてます。
140 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:42:51 ID:0LRZFhg.0
ディンデンの黒煙
今日未明に破壊略奪されたバンコク銀行のATMの前あたりだと思われる。
141 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:42:55 ID:WAmr0Urw0
ディンデーン炎上
http://blog.livedoor.jp/shuma0719/
145 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:44:46 ID:jqHQ4otA0
うちはプロンポンですが、いつも通りですよ。いつもより外歩いている人も多いみたい。
146 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:45:34 ID:LDCln9Wg0
また一斉放送みたいよ!!
147 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:45:51 ID:ETPsDsWU0
プラトゥーナムに住んでるタイ人の知人が今朝撃たれて亡くなりました
あの辺、ラチャプラロップ許可なく通行すると容赦なく撃ってるようです
149 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:46:07 ID:dV/wtoqo0
muri_bkk むむ、うちの方にも近づいてきた…。クローントイ交差点に赤組集合中。 via: @js100radio
150 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:46:29 ID:ZLO4ewoI0
>>145
外出禁止とか軒先が戦場とかの事態に備えて買出し中の人じゃない?
私もさっき行って来た。
最悪2週間位は家から出れなくても問題ない。
155 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:50:12 ID:R9T.S8520
あちこちにクロ服が分散してるのに意味がない作戦。
実際攻撃したらエンポリに再集結してもいいしどうにでもなるわな。
UDDも既に作戦外エリアに別働隊が大勢いるんだろ
158 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:51:04 ID:EwEmmDBY0
さっきラチャ近辺に住む友達に電話したら、ランナムをバイクで通ってきたと言っていた
戦闘地域は入らなかったみたいだが、血のあとを住民が水で流してたと言ってた。
でも、この中に住んでいるといえば、封鎖地域に入れてくれるみたいだね。
164 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:54:19 ID:aYSgNUg20
軍筋によると、バンコク中心部の元首相派占拠地域から北へ約2キロ離れた
ラチャプラロプ地区で、治安部隊と同派支持者の銃撃戦が終日続いた。
目撃者によると、現場に居合わせたトラック運転手や通行人らが巻き込まれ、
2人が死亡した。緊急医療機関は、衝突が多いため死傷者数の把握は難しく
なっているとしている。
http://www.asahicom.jp/international/update/0515/images/APX201005150006.jpg
182 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:05:36 ID:9dQM1xww0
>>147
うちのスタッフも昨夜銃撃で死亡しました。赤シャツではなく、その辺の住人です。
今日アリーまで遺体を引取りに行ったのですが、安置室には10体を超える遺体がありました。
実際何人死んでいるのでしょう。政府発表だと数が少なすぎるような。
いい加減でやめてほしいものです。
183 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:07:25 ID:0LRZFhg.0
182さんの知人は赤服ではなく一般人だったのですか。
巻き込まれてしまったのですね。
147さんの友人は赤服ではなく一般の方だったのですか?
191 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:12:35 ID:sZTlBUNw0
ラマ4道路では赤服が遊び半分みたいに威嚇の花火(音が強烈)を打ち上げてるが、
軍隊に実弾攻撃されるかもな?
192 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:12:37 ID:e18BrklM0
正しいかどうかは別として、治安維持のために市民の反感を買う報道はしないだろうな
なくなった無関係の方々の冥福をお祈りします
193 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:12:51 ID:ETPsDsWU0
>>183
赤服ではありません
195 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:13:42 ID:R9T.S8520
伊勢丹前の本隊の映像みた。
赤ん坊とかキツイよ。
196 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:14:49 ID:PW2BdBLk0
軍はさっさと撤退しろよ。
こっちに発砲するなよ、危ないじゃないか。
198 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:16:38 ID:R9T.S8520
まったく無力なデモ隊は伊勢丹前にいる。ここだけは絶対攻撃してならない。
201 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:17:59 ID:sZTlBUNw0
ラチャプラソン占拠している赤福たちは「今後自分たちがどうなるか」なんて考えていないんだろうね。
202 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:18:06 ID:dV/wtoqo0
>>196
他人の事を気にも留めない国民性が、市内破壊をものともしないだろう。
軍は国王の臣下。バンコク都内(市内じゃない都内だ)が戦場になろうと
気にも留めないだろう。
205 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:18:55 ID:PW2BdBLk0
通りを通るものすべてに発砲している。
206 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:19:46 ID:dV/wtoqo0
>>200
できもしない発言をするべきではない。
赤福の要求はアピの退陣だ。要求を呑むということは
いこーる即ち王権への侵害に他ならない。
207 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:19:48 ID:sSkOqYUE0
5時過ぎからラマ4の戦争が始まったかな。
兵士も撃たれたという。by ネーション
210 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:20:58 ID:R9T.S8520
もう迷惑だから広範囲の封鎖だけはやめてほしい。
選挙したほうがこんな大騒動起こすより100倍ましな選択だった
211 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:21:08 ID:1GIIUohs0
軍も仲間がやられて段々本気になってくるな。
214 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:22:15 ID:68p7TS1.0
政府は、一昨日から、指定エリアから無関係の人は出るように警告してきている。
赤が武力を行使している時に、一般市民がうろつくのはあまりにも危機管理ができていない。
危険地区には立ち入らない。
危険地区に住んでいるものは出歩かない。
222 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:27:47 ID:ZLO4ewoI0
>>216
金が欲しかっただけのタクシンの方が一体いかほどマシなんだか。
223 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:28:05 ID:6ZCgrpm20
今回の問題の根本がわからなくなってきた…
224 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:29:00 ID:rZV.ZQ3I0
>>183
会社の近くでタイ人同僚と食事してのち、帰宅途中に巻き込まれたようです。
充分注意はしていたはずなんですけどね。
>>186
多分そうでしょうね。去年もいろんな噂が飛び交いましたが
今年は物証をもろに見てしまいました。でもどこの新聞にも乗っていないんですよね。
自分たちが着いたときにも別の遺体を棺桶にいれて運び出していました。
遺体を棺桶に入れる前に対面させてくれたのですが、その部屋には金属トレー
に載せられた遺体が10体以上、どれも普段着で、被せ物もなく並べられていました。
227 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:29:52 ID:68p7TS1.0
政府の11月14日選挙提案をのまなかった理由は、リーダーたちの保釈が認められなかったからだ。
自分たちが刑務所に入りたくないからと、政府の提案を蹴り、こうした事態を招いたわけだ。
236 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:33:51 ID:LBE.5GRo0
赤服が報復のため、この3、4日中、デパート等の公共施設を爆破する噂がながれています
が、誰か関連情報ありませんか??
240 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:35:26 ID:/r5kA0560
ランナムにアパート借りようかといくつか目星をつけていたんだけど
ダメになっちゃった・・・
飲食店や買い物できる店がいくつかあって
でも兵士が銃持ってうろうろしていない地区ってどこですか?
日本を発つ日が目前に迫ってるんで・・・・
241 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:36:25 ID:R9T.S8520
アビシット政権は総選挙するならバンコクを戦場にすることを選んだわけだが
ようするに選挙で負けるぐらいなら皆全員負けてしまおうとする焦土作戦なのであった・・
242 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:36:35 ID:sZTlBUNw0
ラマ4の赤服は花火を打ち上げて遊んでますね!
245 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:37:21 ID:XfXx7kms0
>>240
246 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:37:23 ID:aGTfNF3g0
>>240
アパートの質問などは、このスレではなく専用スレでやって欲しいな。
適したスレで質問すれば回答するよ。
247 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:38:03 ID:PW2BdBLk0
死者が多すぎる、軍は撤退するべきだ。
250 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:40:54 ID:0LRZFhg.0
ランナム付近又始まった。
251 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:41:04 ID:68p7TS1.0
赤服は息をするようにデマを流す。
デパートを爆破するのならすればいい。
ますます国際世論は反赤になるだけなのだから、
脅しに屈したらテロには勝てない。
252 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:41:26 ID:f/F2Spl20
>4.大使館仮事務所の開設、
>大使館周囲の治安状況の悪化により、15日夕より、インペリアル・クイーンズ・パーク・ホテル内
>会議室に仮事務所を開設しました。
>連絡先は以下の通りです。当面の間、お問い合わせ等は、大使館ではなく、次の電話番号にお願いします。
>なお、領事および広報文化窓口については、既にお知らせのとおり、17日は閉鎖しますのでご理解をお願いします。
>18日以降の窓口業務については追ってご連絡します。
>大使館仮事務所代表
> ○02-261-9300 内線5025、5029
> ○02-672-5504、5505、5506
よしよし、一応考えてるな。
インペリアル・クイーンズ・パーク・ホテル内だったら利用しやすいし。
254 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:42:52 ID:b.Z3bEKs0
質問です。
彼女を残して日本に仕事で一時帰国してきちゃったんだけど
255 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:43:33 ID:jDm1i7v60
>>254
問題ございません
256 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:44:08 ID:68p7TS1.0
政府は、肉を切らせて骨を切る作戦で、失ったものは、倍返ししてもらえばいい。
UDDリーダーたちは、もう死刑求刑確定だ。
257 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:44:13 ID:/IeMl9TE0
エカマイ平和です
263 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:46:56 ID:OIlVyP460
264 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:49:17 ID:R9T.S8520
死んだら遺族が100万Bゲットだぜ。
265 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:50:29 ID:IHaRvmfA0
ディンデンなんか、目と鼻の先なのにな。
268 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:54:03 ID:e18BrklM0
選挙する予定日まで出したのにそれを蹴って別の要求をどんどん追加していったのは赤ではないか
その時点で選挙要求なんてのは実は言い訳だったとしか思えなくなった
272 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:55:14 ID:AYPE.gq60
>>261
困ってるんですわー、はははー」
どうしていいかわからないってのが大半なのかな?
273 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:55:39 ID:jDm1i7v60
どうでもいいけど、この騒ぎが収まった後は
ルンピニ公園~ランナム当たりは、有数の心霊スポットになるのは間違いない
274 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:56:01 ID:.xpZKJAQ0
Troops virtually declared curfew on Rajprarop and Soi Rangnam.
They announced that members of the public could not enter the two roads after 6 pm.
上記はTHE NATIONからです。
どうしよう。俺ランナム在住です。
275 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:56:51 ID:sSkOqYUE0
死者22人。BY-保健省
実際はもっと多いだろうね。
赤十字マークの軍用車が負傷者を運んでいたけど、この軍用車が曲者。
92年の時も死体を連れ去った。
276 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:57:24 ID:IHaRvmfA0
>>274
食料は当然備蓄してるだろ?
数日は部屋に篭ってな。
277 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:57:48 ID:68p7TS1.0
赤のテロリストは、攻撃したあと市民の中に逃げ込むから、軍は反撃できない事情もある。
280 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:59:33 ID:ZLO4ewoI0
>>277
座り込み続けてる女子供老人も、もはや知らなかったではすまされないでしょ。
283 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 22:00:30 ID:MLTJm8Do0
>>263
291 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 22:05:42 ID:68p7TS1.0
UDDのリーダーたちは執行猶予なしの実刑だから、当分出てこられない。
293 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 22:06:07 ID:03Sc/NU20
今朝、ソイランナムからカオサンに避難
ここは、平和だ
294 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 22:06:53 ID:/j.7bfKM0
299 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 22:10:40 ID:R9T.S8520
タクシン支持者がクロントイ地区に続々と集結中。すでに1000人を超えたとの情報。新たな集会拠点になる可能性が高い。現場ではプラティープさ
んが演説をした模様。 #ThaiRedJ
300 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 22:11:39 ID:/j.7bfKM0
軍部が内部分裂する可能性もあるんじゃないのかな。
地方出身が多いからね。
301 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 22:11:44 ID:68p7TS1.0
ついに正体を現したなスラムの婆。
302 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 22:12:23 ID:R9T.S8520
ついにクロントイ地区もUDDに堕ちた
もうバンコクの半分がUDD
303 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 22:12:52 ID:ZLO4ewoI0
クロントイやばいね。ついにうちの近くに来たか(泣)
1000人かそこらならまだ何とかなるだろ。今のうちに追っ払って欲しいなぁ。
304 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 22:13:15 ID:k3Ymu99U0
日本大使館からのお知らせ(UDD デモ) 2010年5月15日その2
反独裁民主戦線(UDD)等によるデモ集会・行進実施に関する注意喚起
1.本日のUDDデモ関係の最新情勢は次の通りです。
15日午後2時、UDDは、集会場の物資が底をつきつつあるため、インペリアル・ショッピングセンター・サムローン店、インペリアル・ショッピングセンター・ラ
トプラオ店及びタイ・コム本社の3カ所(大使館ホームページ掲載の地図ご参照)を集合場所として、物資を持ち寄り、ラチャプラソンの集会場へ向けた行
進を、UDD支持者に呼びかけており、通過点になると見られるラチャプラロップ通り周辺で散発的発砲が行われています。
2.また、タイ政府報道官代行は、15日、陸軍第11歩兵連隊本部の緊急事態回復センター(CRES)より一斉テレビ放送にて、現下の情勢に関
する国民向け説明を次の通り行っております。
(1)今朝のCRESの会合において、治安当局より、14日22時の時点でのUDD集会参加者数が6,000名であるとの報告が行われた。その内訳
は、ラチャプラソン交差点~プラトゥナーム交差点:3,000名、ラチャプラソン交差点~パトゥムワン交差点:1,000名、ラチャプラソン交差点~チッドロム
交差点:1,000名、ラチャプラソン交差点~ラチャダムリ交差点:500名、ルンピニ公園:500名、である。
(2)UDDは、集会場地域を包囲する治安部隊の更に外側から、更に包囲しようとしていることから、治安部隊は互いに連携をとり、自らの防衛を強
化し、包囲を受けないよう細心の注意を払うよう、指示を行った
3.このような緊迫した情勢にありますので、封鎖地域はもとより、その周辺および外周地域でも緊張が高まっておりますので、封鎖地域付近には近づ
かないようにし、封鎖地域付近に滞在している在留邦人、邦人旅行者については、不測の事態に巻き込まれないため、厳に外出は控えて下さい。
4.大使館仮事務所の開設、
大使館周囲の治安状況の悪化により、15日夕より、インペリアル・クイーンズ・パーク・ Permalink | 記事への反応(0) | 16:13
東京都文京区の合同庁舎で区内の商工業者等に対して行われた税務の説明会の冒頭で、目白税務署(文京区)の中澤毅署長が「公共サービスというものは、政治的な美辞麗句で維持されるものではなく、皆さんが贈与税などの税金を正しく申告し、収めていただくことで成り立っている」と発言した。
実母からの資金提供が発覚した後の今年1月に鳩山由紀夫首相は贈与税の修正申告をした。こうした中での税務署職員の発言は波紋を広げる恐れもある。
財務省の関東財務局は広報を通じ「行政府の長である首相を批判したわけではない」とコメントしている。
宮城県の陸上自衛隊王城寺原演習場で10日に開かれた米陸軍との共同訓練の開始式で、陸自第6師団第44普通科連隊(福島市)の中沢剛連隊長(1等陸佐)が訓示で「同盟というものは、外交や政治的な美辞麗句で維持されるものではなく、ましてや『信頼してくれ』などという言葉だけで維持されるものではない」と発言した。
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題を巡り、鳩山由紀夫首相が昨年11月、オバマ米大統領に「トラスト・ミー」(私を信じてほしい)と伝えていた。こうした中での陸自幹部の発言は波紋を広げる恐れもある。
中沢連隊長は陸自広報を通じ「自衛隊の最高指揮官である首相の発言を引用したり批判したりしたわけではない」とコメントしている。【樋岡徹也】
>http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100211-00000000-mai-pol>
シモ・ヘイヘ(Simo Häyhä, 1905年12月17日 - 2002年4月1日)は、フィンランドの軍人、狙撃手。フィンランドとソビエト連邦の間で起こった冬戦争では、フィンランドが生んだもう一人の天才スナイパー、スロ・コルッカと並んでソビエト赤軍から恐れられ、史上最多の確認戦果2505名射殺の記録を残している。
当時のロシアとの国境近くに位置する小さな町ラウトゥヤルヴィで生まれ、幼い頃から猟師を営む。1925年に軍へ入営。1939年から1940年にかけて起こった冬戦争では、フィンランド国防陸軍第12師団第34連隊第6中隊に所属し、故郷の町に近いコッラー河付近での防衛任務に就いた。
ヘイヘは平均気温-20℃から-40℃という酷寒の中で、純白のギリースーツに身を包んで狙撃を行い、その活躍によりソビエト軍兵士からロシア語で"白い死神"を意味する "Белая Смерть"(ビェラーヤ・スミェールチ。フィンランド語では"Valkoinen Kuolema")や“災いなす者”等と仇名された。
冬戦争中のコッラーの戦いにおける丘陵地を巡る戦闘では、ヘイヘを含むフィンランド軍32名が64000名のソビエト連邦軍を迎撃、拠点防衛に成功し、この丘陵地は“殺戮の丘”と呼ばれた。フィンランド軍は終戦までコッラー河付近の領土を守り抜き、この戦果は後に“コッラーの奇跡”と呼ばれた。
ヘイヘは冬戦争中、防寒着の背中を砲弾の破片がかすめて切り裂かれた以外はほぼ負傷する事はなかったが、終戦直前の1940年3月6日にソヴィエト軍兵士の銃撃を頭部に受け、あごを撃ち抜かれる重傷を負う。友軍に救出されて一命を取り留めたが、意識不明のヘイヘを回収した兵士は「彼の頭は半分なくなっていた」と述べており、後年の写真でも傷痕が確認される。3月13日に意識を回復したものの、すでに冬戦争はその前日のモスクワでの講和条約締結を以て終戦を迎えていた。
終戦後、ヘイヘはグスタフ・マンネルヘイム元帥と面会し、コッラー十字章を受勲、兵長から少尉へと5階級もの特進を果たしたが、その後戦場に出ることは無く猟師兼猟犬の繁殖家として余生を過ごし、かつて自らが守ったロシアとの国境線近くのルオコラハティで、2002年に96歳でこの世を去った。
ヘイヘは狙撃において、ソビエト側では旧式になりつつあったモシン・ナガンM28を使用していた。冬戦争当時、物資や銃弾が極端に不足していたフィンランドは、戦前からソビエトの軍事的影響を受けていた為、多くの制式装備がソビエト製だった。このため戦場で鹵獲した敵の装備をそのまま使用でき、ヘイヘも敵の武器であるモシン・ナガンを使用することになった。ヘイヘは身長約152cmと小柄ながら、120cm以上あるこの銃を手足のように自由に扱ったと言われる。後にその活躍から、サコ社によって調整された特製のモシン・ナガン[1]を与えられている。
モシン・ナガンには3.5倍から4倍の倍率を持ったスコープが装着できたが、ヘイヘはこれを使用せず、銃身に付いた鉄製の照星と照門のみで狙撃を行った。これは、猟師時代からの射撃姿勢への慣れ[2]と装備の軽量化に加え、レンズによる光の反射で自らの位置を悟られるのを嫌ったことによる。当時の狙撃にはスコープの使用が当たり前になっていた中で、あえてこれを用いずに多くの敵を倒したヘイヘの名声はさらに高まった。ヘイヘの使用したモシン・ナガンのうちの1丁は現在もフィンランド国立軍事博物館に展示されている。
ヘイヘの狙撃技術は入隊前に営んでいたケワタガモ猟で培われたものと言われ、これは元猟師だったソビエト軍のヴァシリ・ザイツェフや、アボリジニーの猟師出身者が多い現代のオーストラリア軍SAS狙撃兵などの経歴と共通する。ヘイヘの狙撃は連続的な射撃と精度を両立していたとされる。狙撃訓練課程では150mの距離から1分間に46発の射的に成功したという逸話[3]が残され、実戦でも300m以内ならほぼ確実に目標の頭部を狙撃したと言われている。
ヘイヘが狙撃で殺害した人数は最終的に24500名から25540名と言われ、いずれにしても世界記録となる[4]。この中には狙撃銃以外の火器によるものや、未確認の殺害数は含まれていない。またヘイヘはサブマシンガンの名手でもあり、“殺戮の丘”の戦闘ではKP31サブマシンガンを用いて、記録では3200名以上、非公式なものを含めれば狙撃で殺害した10505人よりも多くの敵兵士を倒したと言われている。これらの記録は戦争開始から負傷するまでの約100日間のうちに残されており、1939年のクリスマス直前の12月21日だけでも525名の赤軍兵士を殺害し、クリスマスの夜には通算殺害数が4138名に達していたという。
1998年、晩年を迎えたヘイヘは狙撃の秘訣を問われた際、一言「練習だ」と答えたという。また、自らの残した記録については、「やれと言われたことを、可能な限り実行したまでだ」と述べている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A2%E3%83%BB%E3%83%98%E3%82%A4%E3%83%98
田母神俊雄氏の「論文」が問題になっています。原文は↓からDLできます。
http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf
親切に英訳までしたようです↓。そのおかげか、さっそく海外でも反響を読んでいます↓↓。
http://www.apa.co.jp/book_report/02.html
http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/7702374.stm
http://www.guardian.co.uk/world/2008/oct/31/japan-secondworldwar
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/10/31/AR2008103101475.html
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/10/31/AR2008103100989.html
http://www.nytimes.com/2008/11/01/world/asia/01tokyo.html?_r=1&ref=world&oref=slogin
http://www.thestandard.com.hk/breaking_news_detail.asp?id=8886&icid=4&d_str=20081031
http://www.straitstimes.com/Breaking%2BNews/Asia/Story/STIStory_297008.html
http://www.straitstimes.com/Breaking%2BNews/Asia/Story/STIStory_297257.html
ローズベルト陰謀論が結構とりあげられています。どれだけ「国益」を損ねているのだろう。やれやれと、日本の報道に対するブコメや日記を見てみたら、田母神氏の「論文」の内容に肯定的な人もそれなりにいらっしゃるようです。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081031-00000123-jij-soci
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.asahi.com/politics/update/1031/TKY200810310298.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008110102000087.html
私も別に現代史に詳しいわけではないです(気の向いたときに、中身が増えてきたCiNiiとGoogle Scholar、各研究機関の学術リポジトリを漁ってみる程度)。しかし、その限られた知識から見ても、問題の「論文」はその形を為してすらいないと思いました。そこで、現在パラパラと集めている関連文献の整理をかねて、「論文」原文に逐一つっこみをいれてみようと思い、エントリを書いてみることにしました。はてな記法で引用した部分は、断りのない限り田母神氏の「論文」からです。原文の全角数字は全て半角に直したことをおことわりしておきます。
アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留している。これをアメリカによる日本侵略とは言わない。二国間で合意された条約に基づいているからである。我が国は戦前中国大陸や朝鮮半島を侵略したと言われるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留も条約に基づいたものであることは意外に知られていない。日本は19世紀の後半以降、朝鮮半島や中国大陸に軍を進めることになるが相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。現在の中国政府から「日本の侵略」を執拗に追求されるが、我が国は日清戦争、日露戦争などによって国際法上合法的に中国大陸に権益を得て、これを守るために条約等に基づいて軍を配置したのである。これに対し、圧力をかけて条約を無理矢理締結させたのだから条約そのものが無効だという人もいるが、昔も今も多少の圧力を伴わない条約など存在したことがない。
駐留を認めることと、「(被害をこうむる方にとっては)侵略(といわれているが田母神氏はそうではないとされる行為)」を認めることは違うでしょう。軍隊に攻めこまれることに了承を与えていたというのは、どのような根拠に基づいているのでしょうか?
「知られていない」ことを明らかにするのが行論の目的ならば、「新事実」(この場合は具体的な条約の内容や運用)を具体的に提示し、典拠となる史料を明らかにするのが論文の作法です。主張の根拠を示すのは、論文のイロハのイです。しかし、残念なことに、この「論文」では全体的に守られていません。関連して、「・・・・・・という人」とありますが、論文で先行研究に言及するときは、注をつけて批判対象を明らかにするルールも守られていません。
この日本軍に対し蒋介石国民党は頻繁にテロ行為を繰り返す。邦人に対する大規模な暴行、惨殺事件も繰り返し発生する。これは現在日本に存在する米軍の横田基地や横須賀基地などに自衛隊が攻撃を仕掛け、米国軍人及びその家族などを暴行、惨殺するようものであり、とても許容できるものではない。これに対し日本政府は辛抱強く和平を追求するが、その都度蒋介石に裏切られるのである。実は蒋介石はコミンテルンに動かされていた。1936年の第2次国共合作によりコミンテルンの手先である毛沢東共産党のゲリラが国民党内に多数入り込んでいた。コミンテルンの目的は日本軍と国民党を戦わせ、両者を疲弊させ、最終的に毛沢東共産党に中国大陸を支配させることであった。我が国は国民党の度重なる挑発に遂に我慢しきれなくなって1937年8月15日、日本の近衛文麿内閣は「支那軍の暴戻を膺懲し以って南京政府の反省を促す為、今や断乎たる措置をとる」と言う声明を発表した。我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである。
スターリンと毛沢東がそれほど仲が良かったとは知りませんでした。コミンテルンにそれほどの影響力があることも知りませんでした。繰り返しますが、オリジナルな主張には、その土台となる史料の裏づけが必要です(「実は??」と書いているのですから、普通は知らない新しいことなのですよね?)。大事なことなので強調します。「新しいことを主張するためには、根拠を示さなければならない」、これは学問の基本です。
1928 年の張作霖列車爆破事件も関東軍の仕業であると長い間言われてきたが、近年ではソ連情報機関の資料が発掘され、少なくとも日本軍がやったとは断定できなくなった。「マオ(誰も知らなかった毛沢東)(ユン・チアン、講談社)」、「黄文雄の大東亜戦争肯定論( 黄文雄、ワック出版)」及び「日本よ、「歴史力」を磨け(櫻井よしこ編、文藝春秋)」などによると、最近ではコミンテルンの仕業という説が極めて有力になってきている。日中戦争の開始直前の1937年7月7日の廬溝橋事件についても、これまで日本の中国侵略の証みたいに言われてきた。しかし今では、東京裁判の最中に中国共産党の劉少奇が西側の記者との記者会見で「廬溝橋の仕掛け人は中国共産党で、現地指揮官はこの俺だった」と証言していたことがわかっている「大東亜解放戦争(岩間弘、岩間書店)」。もし日本が侵略国家であったというのならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。
ようやく文献をあげられましたが、刊行年と該当ページも明示するのが一般的な論文のルールですよね。それは百歩譲るとしても、示された著者のなかに査読つき学術雑誌に報告された方が一人もいらっしゃらない。これは信憑性をさらに落とすものではないでしょうか。また、人の発言を引くのであれば、それが掲載された媒体を明示するのもきほんのきですよね。
張作霖爆殺をコミンテルンの仕業とする説に対しては、特に『マオ』について、中国現代史研究者から根拠に疑義が出されています。
「関東軍高級参謀河本大作らがこの事件を企画し実行した固い事実を、この程度の「スパイ情報」で覆せるものか」(矢吹晋「書評『マオ―誰も知らなかった毛沢東』」『中国情報源』21世紀中国総研編、蒼蒼社、2006年、225ページ。http://www25.big.jp/~yabuki/2006/mao-rev.pdf)。
盧溝橋事件についても、「計画」説に対する批判的研究が出ているようです。
「日本の一部の論者が唱える「中国共産党計画」説と,中国側の唱える「日本軍計画」説がともに誤りであり,盧溝橋事件が日中双方にとって「偶発」的なものであったとする」(加藤陽子「書評 安井三吉著『柳条湖事件から盧溝橋事件へ―1930年華北をめぐる日中の対抗―』」『アジア経済』45(9)、2004年、65ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/7473/1/kato45_09.pdf)。
最後に、既にたくさんのつっこみがブコメで入っていますが、みんながやっていることだからといって、行為に対する責任がなくなることはないでしょう。
我が国は満州も朝鮮半島も台湾も日本本土と同じように開発しようとした。当時列強といわれる国の中で植民地の内地化を図ろうとした国は日本のみである。我が国は他国との比較で言えば極めて穏健な植民地統治をしたのである。満州帝國は、成立当初の1932 年1 月には3 千万人の人口であったが、毎年100 万人以上も人口が増え続け、1945 年の終戦時には5 千万人に増加していたのである。満州の人口は何故爆発的に増えたのか。それは満州が豊かで治安が良かったからである。侵略といわれるような行為が行われるところに人が集まるわけがない。農業以外にほとんど産業がなかった満州の荒野は、わずか15年の間に日本政府によって活力ある工業国家に生まれ変わった。朝鮮半島も日本統治下の35年間で1千3百万人の人口が2千5百万人と約2倍に増えている「朝鮮総督府統計年鑑」。日本統治下の朝鮮も豊かで治安が良かった証拠である。戦後の日本においては、満州や朝鮮
半島の平和な暮らしが、日本軍によって破壊されたかのように言われている。しかし実際には日本政府と日本軍の努力によって、現地の人々はそれまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に向上したのである。
「同じように開発」と主張するには、開発の指標を定め、比較する必要があります。共通の比較の基準が示されていません。データもです。内地、満洲、朝鮮、台湾、他の植民地宗主国本国、その国の植民地それぞれについて、共通の尺度ではからないと比較にならないのではないでしょうか。それをせずに外形が拡大したと言うだけでは、中国の「共産党政権はチベットを・・・・・・」に反論できなくなってしまいます。
「内地化」も定義を明確にして使うべき用語ですね。
また、現実にも、「帝国日本の植民地支配の歴史には,「外地」を法制的・政治的には明白に異域に置きながら、イデオロギー的には「内地化」を標榜するという,理念と現実の「二重性」がその当初からつきまとっていた」(山本有造「植民地統治における「同化主義」の構造」『人文学報(京都大学人文科学研究所)』83、2000年、70ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/48550/1/83_57.pdf)、「「満洲国」の掲げた「五族協和」にしろ「王道楽土」にしろ,関東軍による露骨な軍事支配を隠蔽するイデオロギーという以上の意味を持ちえなくなる」(山室信一「「満洲国」の法と政治―序説」『人文学報(京都大学人文科学研究所)』68、1991年、150ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/48355/1/68_129.pdf)といわれる植民地統治を、「極めて穏健」と評価するにもまた、基準とデータの比較が必要です。
また、人口の増加は支配の善さを担保しません(チベット・・・・・・)。
我が国は満州や朝鮮半島や台湾に学校を多く造り現地人の教育に力を入れた。道路、発電所、水道など生活のインフラも数多く残している。また1924年には朝鮮に京城帝国大学、1928年には台湾に台北帝国大学を設立した。日本政府は明治維新以降9つの帝国大学を設立したが、京城帝国大学は6番目、台北帝国大学は7番目に造られた。その後8番目が1931年の大阪帝国大学、9番目が1939 年の名古屋帝国大学という順である。なんと日本政府は大阪や名古屋よりも先に朝鮮や台湾に帝国大学を造っているのだ。また日本政府は朝鮮人も中国人も陸軍士官学校への入校を認めた。戦後マニラの軍事裁判で死刑になった朝鮮出身の洪思翊という陸軍中将がいる。この人は陸軍士官学校26期生で、硫黄島で勇名をはせた栗林忠道中将と同期生である。朝鮮名のままで帝国陸軍の中将に栄進した人である。またその1期後輩には金錫源大佐がいる。日中戦争の時、中国で大隊長であった。日本兵約1千名を率いて何百年も虐められ続けた元宗主国の中国軍を蹴散らした。その軍功著しいことにより天皇陛下の金賜勲章を頂いている。もちろん創氏改名などしていない。中国では蒋介石も日本の陸軍士官学校を卒業し新潟の高田の連隊で隊付き教育を受けている。1期後輩で蒋介石の参謀で何応欽もいる。
前の段落と同様に、「多く」の中身が不明確に過ぎ、検証のしようがありません。また、植民地が宗主国の支配の下で「植民地近代」化したのはその通りだと思います(松本武祝「’’朝鮮における「植民地近代」’’に関する近年の研究動向」『アジア経済』43(9)、2002年、31-45ページ。http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Ajia/pdf/2002_09/note.pdf)。私はこの辺り特に勉強不足です。各国の軍制についても同じくよく知らないので飛ばします。
孫文をはじめ、アジア各地の革命家が日本に集まったことは特に新しい論点ではないでしょう。ファン・ボイ・チャウの失望も有名な話ですね(白石昌也「ファン・ボイ・チャウと日本」『東南アジア史学会会報』25、1975年、1-3ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0004923536)。
李王朝の最後の殿下である李垠殿下も陸軍士官学校の29期の卒業生である。李垠殿下は日本に対する人質のような形で10歳の時に日本に来られることになった。しかし日本政府は殿下を王族として丁重に遇し、殿下は学習院で学んだあと陸軍士官学校をご卒業になった。陸軍では陸軍中将に栄進されご活躍された。この李垠殿下のお妃となられたのが日本の梨本宮方子妃殿下である。この方は昭和天皇のお妃候補であった高貴なお方である。もし日本政府が李王朝を潰すつもりならこのような高貴な方を李垠殿下のもとに嫁がせることはなかったであろう。因みに宮内省はお二人のために1930年に新居を建設した。現在の赤坂プリンスホテル別館である。また清朝最後の皇帝また満州帝国皇帝であった溥儀殿下の弟君である溥傑殿下のもとに嫁がれたのは、日本の華族嵯峨家の嵯峨浩妃殿下である。
旧領主の家系の存続という意味であれば、インドの藩王たちも手厚く身分を保証されていましたね。ベトナムのバオ・ダイもフランスのグランゼコールで教育を受けていましたね(英国人とインド人の婚姻には宗教問題がありますし、バオ・ダイ渡仏時のフランスは共和制だから王室はないですし、この段落については適切な比較が可能な問題設定なのか疑問です。個人的にはそもそも宗主国の王室を嫁がせることが恩恵という考え方がどうなんだろうと思います)。
これを当時の列強といわれる国々との比較で考えてみると日本の満州や朝鮮や台湾に対する思い入れは、列強の植民地統治とは全く違っていることに気がつくであろう。イギリスがインドを占領したがインド人のために教育を与えることはなかった。インド人をイギリスの士官学校に入れることもなかった。もちろんイギリスの王室からインドに嫁がせることなど考えられない。これはオランダ、フランス、アメリカなどの国々でも同じことである。一方日本は第2次大戦前から5族協和を唱え、大和、朝鮮、漢、満州、蒙古の各民族が入り交じって仲良く暮らすことを夢に描いていた。人種差別が当然と考えられていた当時にあって画期的なことである。第1次大戦後のパリ講和会議において、日本が人種差別撤廃を条約に書き込むことを主張した際、イギリスやアメリカから一笑に付されたのである。現在の世界を見れば当時日本が主張していたとおりの世界になっている。
ロイヤルファミリーの婚姻の件で共和制のアメリカを並べているのは不適切でしょう。既に述べましたがフランスも時代によって共和制です。
エルフィンストーン・カレッジ(1856年設立、現在はムンバイ大に)、カルカッタ大学、マドラス大学(1857年設立)というように、大英帝国は植民地支配の拠点に大学その他の教育機関を設立していますね。
http://en.wikipedia.org/wiki/Elphinstone_College
http://en.wikipedia.org/wiki/University_of_Calcutta
http://en.wikipedia.org/wiki/University_of_Madras
「五族協和」が実態をともなわなかったことについては、前掲山本論文および山室論文を参照。
人種差別撤廃についてはよい提案をしたということに同意いたします。ただし、繰り返しますが、現実の施策がともなわなかったことについては残念です。
時間は遡るが、清国は1900 年の義和団事件の事後処理を迫られ1901 年に我が国を含む11ヵ国との間で義和団最終議定書を締結した。その結果として我が国は清国に駐兵権を獲得し当初2600名の兵を置いた「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会) 」。また1915 年には袁世凱政府との4ヶ月にわたる交渉の末、中国の言い分も入れて、いわゆる対華21箇条の要求について合意した。これを日本の中国侵略の始まりとか言う人がいるが、この要求が、列強の植民地支配が一般的な当時の国際常識に照らして、それほどおかしなものとは思わない。中国も一度は完全に承諾し批准した。しかし4 年後の1919年、パリ講和会議に列席を許された中国が、アメリカの後押しで対華21箇条の要求に対する不満を述べることになる。それでもイギリスやフランスなどは日本の言い分を支持してくれたのである「日本史から見た日本人・昭和編( 渡部昇一、祥伝社)」。また我が国は蒋介石国民党
との間でも合意を得ずして軍を進めたことはない。常に中国側の承認の下に軍を進めている。1901年から置かれることになった北京の日本軍は、36 年後の廬溝橋事件の時でさえ5600 名にしかなっていない「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会) 」。このとき北京周辺には数十万の国民党軍が展開しており、形の上でも侵略にはほど遠い。幣原喜重郎外務大臣に象徴される対中融和外交こそが我が国の基本方針であり、それは今も昔も変わらない。
今回は表現からつっこんでみます。「完全に承諾」というように形容詞修飾をするときには、それが表す具体的な内容を補足して、互いの印象の差を埋める努力をすべきというのが、私の受けた指導です。どうしたら「完全に承諾」したことになるのでしょうか。一番肝心な相手に過大な要求をつきつけ、排日運動を燃えあがらせて宥和に失敗したのは外交の失敗であり、恨み言をつぶやいてもごまかすことはできません。
日中戦争については、派兵前の人員の少なさを根拠に「形の上でも侵略にはほど遠い」と主張するのは無理筋にみえます。
(再々追記)また字数超過?で切れたので、つづきへ (さらに追記)補足エントリをTBしました。 (また追記)補遺エントリをTBしました(11/5)。
私の体験は兵役としてソ連と直接交戦し、何回かの死線を越えて今日に生きています。あの悲惨さは決して忘れることなく静かになった自分の時間がある時は、真新しく蘇ってきます。
昔の軍隊は国民を強引に戦争に引きずり込んでいったのは、かえすがえす残念な思いがすると同時に、これを許した一般国民にも罪は有ります。これは戦争が封建的色彩の強い時代であった。今は民主主義が育ってきた時であり、正確な判断が持てる時であり、戦争を阻止しなければならぬと思う。
私は昭和十九年三月、満州の原隊に直接入隊、此処の野戦重砲二十連隊に配属されました。先に入った兵隊は関西のものが多く、言葉の違いからかなりビンタを取られ、戦争が終わるまでには下が入ってきたが、楽をすることはなく、戦争に突入してしまったのです。
戦争に入って、私は命令を受けて部下を二人連れて敵情偵察に出掛け、双眼鏡で丘に登って見ていた処、敵に発見されてしまったのです。恐ろしい勢いで撃ってきました。雨あられという言葉の通りそのもの、早速部下に伏せさせて、鉄兜を前の土に突っ込んで、第一に手をやられると何も出来ないので両腕を股間に差し込んで最低の姿勢をとった。かぶとに当たる弾は金属の響きで脳神経が狂いそう。この時はもう完全に命は無いものと覚悟をした。
だいぶ時間が経って、一寸した弾の空間を感じた。その瞬間を逃さず一歩後方に下がることが出来た。そして次第に後方へ下がった。此処が命拾いをしたことになります。そして自分の仲間の処へ帰ってきたら野戦重砲二十門が並んで反撃していました。周囲は敵弾を受けた仲間が足の一方はやられ、又手を失っている者、腕の無い者、顔がやられてそれから鮮血が流れ、物凄い場面である。よく言う阿修羅さながらです。自分と一緒に斥候に出た者の姿は無い。あの時、もう死んでたのであろう。この二人は満州開拓として妻子を連れてきた者が召集されて入隊してきて、年齢も相当に多かった。夫を頼りに来た家族のことを思うと何とそれに答えたらよいだろうか。
私は今この凄い場面を見て、到底手当てをしても見込みの無い者、苦しがってその場で転げ回っている兵隊、二目と見られない爆弾の破片を受けて顔の肉がなくなっている姿、この兵隊も恐らく長くは生きられんだろう。
その時、中隊長は軍刀を抜いて「山上、今楽にしてやるぞ」と天を仰ぎ神に祈って首をはねた。この者の頚動脈から血が流れ、身体がぴくぴく動いていた。この中隊長の顔にも破片がささって血が流れていたが、部下の手当てを先にせよと自分はしなかった。中隊長の鬼神も泣く行為である。
私はこの交戦の中で、弾運びをしていた時、百雷落ちるがごとき大音響、暫くの間、何が起きたか判らなかった。只只その付近一帯は土煙というか、何が真っ暗くさせているのか、全然見分けがつかなかったのである。一体何事が起きたのだろう、物凄い風が身体に衝撃を受けた。あとは太陽が見えない。周囲は塵埃に覆われて、爆音か暫く止んだ状態が続いたあとの静けさ、あの音響は金属音であったのだ。我野戦重砲の姿も形も何も無い。敵の砲弾が野戦重砲の正面に当たったのが、一瞬の出来事である。俗に言う木っ端微塵、大砲のかけら、そこには十二人の兵隊がいたのだ。鉄の破片も、人間の肉のかけらも発見することが出来なかった。大砲の据えてあった場所は大きな凹みになっていた。
その後、主を失った兵隊がさまよい歩き、幾多の死体、爆風でやられ、目と鼻の穴だけののっぺりとした兵隊、子どもの死骸があちこち、物を背にしてふらふらさまよう一般の日本人に遭遇、それはそれは筆舌に尽くせぬ多くの出来事に遭い、終戦協定のビラで捕虜になるまで、何時どうなるか不安の時を昼夜過ごし、安心して眠ることも出来ず、そして空腹の何日も満州の広野を敵兵から逃れて過ごしたことか。「もうどうにでもなれ」という捨て鉢の気持ちも随分とあったが、やはり苦しい中を頑張ったことが、最後の勝利になるのです。皆さんも何事も諦めないで最後まで頑張りませんか。八月十六日。
訓練中の米兵
日本兵・ドイツ兵を殺すことをどう考えますか。 日本兵 ドイツ兵
心から殺したい。 44% 6%
やむを得ぬ義務だ。 32% 52%
義務だが嫌な気持ちだ。 18% 34%
敵兵でも殺したくない。 4% 6%
われわれが45歳という成熟した年齢であるのに比べると、
YouTube - Algerian Genocide by France
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「なぜ正しい言葉を入力しているのに変換されないのだろう、このIMEは壊れているんじゃないだろうか?」
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