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2024-04-10

時間停止したモノに衝撃が蓄積されるやつ

あれの歴史を調べたい

あの概念は凄い発明だと思う

ジョジョの奇妙な冒険第5部黄金の風クラフトワーク

ゼルダの伝説ブレスオブザワイルドのビタロック

あと時間停止モノのエロ漫画快感が蓄積されるやつ

SFにおける時間停止モノの歴史H・G・ウェルズ「新加速剤」が元祖だろう……

SFにおける「時間停止」ギミック歴史としては先行研究として以下の私家翻訳を見つけた

#ライマン・フランク・ボーム #翻訳 捕まった《時の翁》 - カスガの小説 - pixiv

▼『オズの魔法使いシリーズの作者として知られるライマン・フランク・ボーム(1856年~1919年)の童話集“American Fairy Tales”(1901年10月)に収録された“The Capture of Father Time”の拙訳。私が知る限りでは、世界最初の「時間を止めてイタズラをする話」です(ウェルズの「新加速剤」は1901年12月)。

▼「透明人間になってイタズラをする話」の元祖紀元前4世紀プラトン著作にまで遡れるのに対して、「時間を止めてイタズラをする話」の歴史は意外に浅く、時間停止ジャンル古典とも呼べる上の両作ですら1901年、「性的なイタズラをする話」となると、1962年のジョン・D・マクドナルドの『金時計の秘密』まで待たねばなりません。あるいは、これより古い時間停止作品の例があるのかもしれませんが、今のところ私には見つけられていません。

うーむ、「時間停止したモノに衝撃が蓄積される」というサブジャンルについてはなかなか情報が見つからない

いわゆる「ステイシスフィールド」「停滞フィールド」と呼ばれるギミックとも隣接しているんだよな

というか、こちらが知りたいジャンルにより近いか

停滞フィールド - Wikipedia

「停滞フィールド」のWikipediaクラフトワークもビタロック言及がある

英語版Wikipediaの「Stasis (fiction)」にも有力情報なし

ジョジョ5部の連載期間が1995~1999年

それ以前で見つけることが出来るかどうか

DLSite同人誌で「時間停止」タグが付いたものを古い順にみてみるか……うーん、2000年より古くは調べられないのか

しかし古めの作品快感蓄積系はぱっと見だと見当たらないように見える

エロジャンルにおける時間停止モノで快感が蓄積されるギミック歴史はもうちょっと浅いのかもしれんな

関係ないが、同人誌で取り扱われたもの流行の変遷って後世の人が調べるの超大変だな……資料散逸している)

ドラえもんひみつ道具時間停止系のものはないか?そのなかで衝撃蓄積するタイプは無いか

タンマウォッチ」は……蓄積しないか

タンマウォッチ | ピクシブ百科事典

pixiv百科事典の記載が全網羅しているとは思わないが、簡易的に調べるにはまあいいだろう

ウルトラストップウォッチ」「狂時機」「時門」「むだ時間とりもどしポンプ」「ちょっと待っタイマー」「わがまま時計」「タイムコントローラー」「倍速時計」どれも蓄積しなさそうだなあ……

ドラえもんひみつ道具で無いなら……もうないんじゃない?という気もするが

星新一ショートショートだとどうだ?いや、結構読んだけどちょっと覚えがない(忘れているだけかも)

え、まさかクラフトワーク」が元祖?そんなわけないという勘が働いているんだがな……

調べ方が悪いな……

時間停止能力を持つキャラの一覧みたいなリストニコニコ大百科かにあるから、上から順番に見ていくしかいかもしれない

あるいは時間停止にこだわらず衝撃を貯めておけるギミックガジェット呼び名を考えるべきか

呼び名が分かればそれを検索ワードにできる

ワンピースの衝撃貝みたいな(そういえばノロノロの実もまんま衝撃蓄積できるタイプギミックだ、2004年

帰りの電車内で調べながら書くのはこれが限界

一旦調査ここまで

日記です

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あっ

ジョジョ3部の「ザ・ワールド」の時間停止中にラッシュ突きして相手が吹っ飛ぶってことはこれも時間停止中に衝撃蓄積してるじゃん!

スターダストクルセイダーズは1989〜1992年

発想としては加速装置タイプの時止めからの発展なんだろうなあ

発動者が超高速で動いているから発動者が100回殴れば通常速度世界側では一瞬で100回殴った衝撃がやってくる(スタープラチナザ・ワールド時間停止中オラオラ相手が吹っ飛ぶのも納得だ)

加速装置ギミックも一応調べるか……サイボーグ009だと衝撃蓄積みたいなことはしてなかったと思うんだがな……

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ある程度昔の時間停止ギミックを片っ端から見ていくしかねえ

ロックマン2(1988)のタイムストッパー、これは時間停止中に他の武器使えないから衝撃蓄積できない

しかもっと昔のゲームでなんかありそうな予感があるな

キャラ時間停止させて(凍らせて、みたいな)攻撃叩き込むみたいな……

概念が育つ条件が整ってる雰囲気がある

逆にSF小説だと時間停止中に衝撃蓄積の概念は育ちにくいんじゃないかという予感もある

衝撃蓄積and解放ビジュアルイメージが伴ったほうが面白いと言うか文章オンリーだと映えないというか

……いや、いやいや早計だぞ

まずは「新加速剤」読むべきでは?という勘が働いた

ここで既に衝撃蓄積概念がある可能性はあるぞ

加速装置系だしな

Kindleでサクッと買って読みましょうね……Kindleに無い!はぁ〜

明日ジュンク堂行くわ

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4/11本屋行く時間がない

一旦この件は保留

2024-03-01

月末日の取得方法

ライブラリにある標準的実装使用する

言語によっては標準的に月末日を取得できる関数が用意されている

それを使うのが一番簡単バグが出ないが

用意されてない場合もそこそこあるし

サードパーティー的なライブラリだとライセンスなどメンテナンス含めて面倒になるので避けることも多い

月末日にせずに28日にする

そもそも仕様を「月末日」などという不確定なものにせずに28日にしてもらう

どの月にも28日はあるので問題無い

ちゃん仕様を決める部門連携が取れていれば多くの場合28日にしてくれるし

28日支払い」が多いのもこのためだと思ってる

翌月マイナス1日で計算する

割とよくある実装がこの「次の月初めから1日(1秒)引く」という実装

2024年2月の月末日を取得する場合2024年3月1日UNIX時間から24*60*60秒を引いて計算する

ただし、実装を間違えると12月31日ときに失敗するので注意が必要

自分実装する

各月の月末日をマップとして保持しておいて取得させる

関数実装するなら if(month==1) return 31 とかを12行書けば実装できる

この場合閏年考慮していないと4年に一度バグが発生する

閏年の判定はライブラリ標準的実装されていることが多いが

自分実装する場合プログラミング教科書にあるぐらい有名なのでコピペでもChatGPTでも使えば良い

ただ仕様をそのまま実装せずに「4で割り切れたら閏年」でも問題無い(やったことはないが)

「それだと2100年でバグる!」

などと騒ぐやつがUNIX時間を使ってるのはなかなか興味深い

ちなみに過去の日付であっても2000年バグらない(そのための400年処理だし)ため

1900年を入れない限りは問題無い

最高齢の人でも1900年からなので基本的には問題無いだろう

たまにプルダウンで1901年からしか入れられないシステムを見るが、「もしかして閏年のせい?」と思ってる

2023-12-27

昔の化学者エピソードを見ると「合成した物質を舐めた」みたいな話がたまに出てくる

アスパルテームはそのなかでも有名なエピソードかもしれない

アスパルテーム - Wikipedia

1965年アメリカ製薬会社G.D.サール社の化学者ジェームズ・M・シュラッターが、ガストリンの合成に取り組んでいたときに偶然発見した[113]。シュラッターは、抗潰瘍薬の研究をして、ホルモンであるガストリンテトラペプチドを生成する中間段階としてアスパルテームを合成した[113]。シュラッターは、薬包紙を持ち上げようとして、アスパルテームがついた指をなめて、その甘味発見した[8][114][115]。トルン・アテラスガリンは、アスパルテームの開発を監督した[116]。

いわゆる化学者によるセルフ人体実験、すなわち自己実験

うん年前は私も大学学生実験をやっていたわけだが、生成物を舐めるなんて発想はとてもじゃないが出てこなかった

まあ、私の場合重金属を扱ってたので舐めたらヤバいと知っていたわけだが

アスパルテーム場合製薬会社内の出来事、つまり薬学系なのでそこらへんの肌感覚が異なるのだろうか?そんなことないと思うがな……

スクラロースエピソードもなかなか凄い

Sucralose - Wikipedia

Sucralose was discovered in 1976 by scientists from Tate & Lyle, working with researchers Leslie Hough and Shashikant Phadnis at Queen Elizabeth College (now part of King's College London).[21] While researching novel uses of sucrose and its synthetic derivatives, Phadnis was told to "test" a chlorinated sugar compound. According to an anecdotal account, Phadnis thought Hough asked him to "taste" it, so he did and found the compound to be exceptionally sweet.[22]

スクラロース1976年、テート&ライルの科学者が、クィーンエリザベスカレッジ現在キングスカレッジロンドンの一部)の研究レスリー・ハフ(Leslie Hough)とシャシカント・ファドニス(Shashikant Phadnis)と共同で発見した[21]。スクロースとその合成誘導体新規用途研究していたときファドニス塩素化された糖化合物を「テスト」するように言われた。逸話によると、ファドニスはハフから「味見」するように言われたと思い、実際に味見をしてみたところ、その化合物は非常に甘かったという[22]。

testをtasteと聞き間違えたからといって舐めるか?そうか、舐めたのか……

スクロースのヒドロキシ基を塩素で置換したものなので、まあ舐めても危険ではないくらいの認識はあったってことなんだろうか

Tate and Lyleは食品系の会社でそこの研究室での出来事なのか、なら味を確かめろって言われたら舐めるか……

科学者倫理感の移り変わりが気になるので『世にも奇妙な人体実験歴史』という本を買って読んでいる

少なくとも20世紀初頭くらい最近になっても現代基準で見ると危険実験やりまくっていたようだ

自己実験とは違う話になるがデーモンコアの実験1945年くらいか

戦前学者倫理規定どうなっとんねんとしみじみ思う

前述の本を読んでいると「申請すると許可下りるわけないので自分の体で実験して事後報告した」みたいなエピソードが出てきて笑う(笑えない)

カール・ヴィルヘルム・シェーレ - Wikipedia

シェーレが若死にしたのは同時代化学者の例に漏れず、危険実験条件のもとで研究を進めたためだと考えられている。また彼には物質舐める癖があったため、毒性のある物質の毒にあたったのではともされる。

18世紀とかだと「まあ舐めて確認する人がいても不思議じゃないわな」と思うのだが

イギリスとある医師ニトログリセリン舐めて心臓まりそうになって死にかけたのが19世紀出来事

21世紀になっても舐める人はどこかにいるのだろうな

舐めて死んだとか、舐めて大発見に気付いたみたいになっていないから記録に残らないだけで

有機系をやってた大学の頃の同期に「実験生成物を舐めるって発想あった?」と聞いてみたが「ありえん」の一言が返ってきた

現代日本大学研究室で、教授学生に向けて「生成物を舐めて確認してみよう」なんて指導するところなんてありえるのだろうか?

流石にないだろう……あるのか?生成物がアミノ酸とかならありえるのか?有毒なものだってもちろんあるが生成物はだいたいこんな感じの物質って元素の内訳も構造もある程度予想ついてるなら舐めても多分大丈夫みたいな肌感覚が育つのだろうか?わからん世界

まあ味の素研究所なら舐めても不思議じゃないかもか……

畑が違うと全然感覚違う、ということか

でも薬学系とか食品会社研究所でも一度動物摂取させるとかやると思ってたんだがな、きっと普通はやるのかもしれないが一部の人がいきなり舐めたのかもな……

日記

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医学者による自己犠牲的とも勇敢ともいえる自分の体を使った研究ではなく

ある種の迂闊さでペロッと舐める科学者が今でも一定割合でいるんじゃないか?という疑問を書いた日記

ペトリ皿に鼻水垂らしたのがきっかけでペニシリン発見したという出来事幸運な結果に終わった迂闊な出来事だったわけで

そういった種類のおおらかさは現代だとあまり許されないはずなんだよな~

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耳寄りな心臓の話(第2話)『爆薬が心臓病を癒す』 |はあと文庫|心日本心臓財団刊行物|公益財団法人 日本心臓財団

なぜニトログリセリンを舐めようという発想が出てきたのか?を伺い知ることが出来そうなエピソードもぐぐったらでてきた

20世紀初頭にイギリス火薬工場で、週日の作業中は何も起こらないのに休みが終わって月曜日仕事が始まると決まって胸痛を訴える工員が何人もいることが話題になりました。最初工場で扱っている爆薬が原因で起こる病気を疑ったのですが、もともと持病に狭心症のあることがわかりました。

それというのも、原料であるニトログリセリン粉塵工場内に舞い、露出した皮膚や粘膜からある成分が吸収されて狭心症が抑えられていたものが、週末に休みをとることで粉塵にふれることもなく薬がきれて、月曜日に力仕事を始めることで狭心痛が起こったと推理されたのです。

痛む胸を押さえて、それこそ青息吐息月曜日になったこから、「ブルーマンディ」という言葉が生まれたようです。今日では休日明けで、仕事学校に行くのが億劫になる月曜日の憂鬱、月曜病の走りとなりました。

blue Monday語源ニトログリセリン説はかなーり怪しい気がする、勘だけど

これを調べるのも面白そうだ

……ん?時系列矛盾がある

『世にも奇妙な人体実験歴史』によると1858年フィールドという名のイギリス医師がニトロを舐めたとある

その後1878年ウィリアム・マレルという医師が再度ニトロを舐めて効果確認し、狭心症治療薬として自分患者に試した

火薬工場エピソード20世紀初頭……1901年頃ということになる

発見されたのか?だとすると最初に舐めたフィールドって医師は推測無しに舐めた好奇心旺盛な人ってことになる

火薬工場エピソードのしっかりとした出典を探すべきだな

原典だと20世紀初頭じゃなく19世紀末~20世紀初頭みたいな書き方になっているのかもしれない

2023-06-30

anond:20230629071843

https://ja.wikipedia.org/wiki/20%E4%B8%96%E7%B4%80

20世紀(にじっせいき[注 1]、にじゅっせいき)とは、西暦1901年から西暦2000年までの100年間を指す世紀。2千年紀における最後の世紀である漢字二十世紀の他に、廿世紀と表記される場合もある。

昭和人としてはまぁうれしいけどさぁ。

※たぶんだまって訂正するかもしれないから書いておくと、このトラバ先は当初「ラノベ若者から離れたのではなく、『20世紀生まれに寄り添う道』を選んだだけだろ」というタイトルでした。

若者から離れたのではなく、年寄りに寄り添ってるっていいたいんだよな。

うんうんうれしいけどな。別に寄り添われてる感はないんだ。

昭和人にとって。大正だってまだ生きてるのに、主語大きすぎなんだよ。

せめて平成人だろ。

 

おまえらにいわせりゃ伝奇小説だの菊池だの耽美小説だのジュブナイルだのはラノベじゃないんだろ?

2022-12-30

正月の歌は年末しか歌えないというバグ

正月の歌と言えば、これ。

『お正月

もういくつねると お正月

正月には 凧揚げ

こまをまわして 遊びましょう

はやく来い来い お正月

https://www.uta-net.com/song/8431/ より引用


この歌、子供の頃からずーっと思ってたんだけど、「正月の数日前」の歌なんだよ。

から正月には歌えない。

なんでこんなことになってんだ?バグか?

歌詞書いたやつのミスなのでは?

そう思って少し調べた。

まずこの曲の作曲者は、あの瀧廉太郎!(名前だけはなんか知ってる!)

どうやら、荒城の月や花(春のうららの〜隅田川〜)などの作曲者みたいだ。

なんかすごい。

それで、作詞は東くめという女性

東くめとその夫、あと瀧廉太郎らが「子供でもわかりやすい歌を」というコンセプトで作ったようだ。

作られたのは1901年明治34年)。

120年以上も前!歴史あるんだなぁ。

今まで文語体だった子供向けの歌を口語体で作ったという、当時としては画期的な歌だったそうだ。

それで、なぜこの歌が流行たか

正月楽しいものではあるが、当時はさらに楽しみがあった。

当時は数え年だったから、正月に一歳年を取るんだ。

から正月誕生日が同時に来るので、子供はことさら楽しみだったみたいだ。

(ちなみに数え年がなくなったのは戦後

じゃあ、なぜその正月を祝う文化が廃れたのか?

数え年ではなくなったことも一つの理由だが、大きな理由はこれらしい。

クリスマス」の存在だ。

クリスマス日本に広まったのは明治になってから

1904年銀座明治屋がクリスマスツリーを店頭に飾り、1910年に不二屋がクリスマスケーキを発売。

その後昭和初期に、大正天皇誕生日である12月25日休みになった。

この休日により、クリスマスさらに広まったんだって

(それなら今の12月23日と合わせてクリスマス連休にしてほしいところだ)

まりクリスマスを祝う慣習が生まれたので、お正月歌詞現実から離れていったようだ。

こう見ていくと、お正月の歌が年末しか歌えないのはバグではなく、時代の流れだということが分かる。

瀧廉太郎は無実だった。誰も悪くなかった。


最後に、昔流行った替え歌で締めたい。

もういくつ寝ると お正月

正月には餅食って 腹を壊して死んじゃった

早くこいこい 霊柩車

不謹慎すぎてひく。ここに書くのもためらったが、当時のオリジナリティ尊重して載せた。

これも今じゃ子供も歌わないだろうな。

つくづく時代の変化を感じる令和の年末

ステルス外資会社

19世紀においては、海底ケーブルの主導権はイギリスにあった。イギリスゴムのでしょうか原料産地マレーシア植民地としており、元イギリス東インドメンバーが1845年に設立したガタパーチャ社がケーブルの絶縁物質を独占的に販売していた。1901年の時点で海底ケーブルの63%はイギリス製であった。

この力を背景に、イギリス他国電報を盗聴したり、伝達を遅らせたりするなど、外交面でケーブルを利用した。たとえば、1899年ボーア戦争の時に、イギリスフランス南アフリカ電報をすべて検閲し、暗号化された電報通信しないという対応をとった

イタリアマルコーニが完成させた無線技術は歓迎された。

開戦宣言が届かなかったKDD海底ケーブル事件がありましたっけ

ガタパーチャ社は機械調帯も輸出しており日本では代理店山崎商店が造兵廠や大手工場販売

なお被服廠は帝国製糸(英国外資からミシン糸を調達製造しており、ミシン米国製であった

そこでドイツ海軍斎藤実(のち首相)を買収したシーメンス事件も起きたわけである

防衛予算が増えれば再び国際汚職が起きるだろう(もう起きている)

英国報道からすればロシアウクライナ戦争もやる気満々そうだった(ボリス・ジョンソンが)

2022-11-23

ジャーナリスト重要と考えていること・各国比較

https://twitter.com/mizloq/status/1594608637208850434

https://twitter.com/mizloq/status/1594554415045742592

WJSの調査をまとめ直しただけなのだけれど、こういう視覚化が珍しかったのか、たくさんの反応ありがとうございました。

わたしが注目していただきたかたこ

https://pbs.twimg.com/media/FiEvYdVacAIZ4Rg?format=jpg&name=medium

あの表から読み取っていただけることはいくつもある中で、表を作ってTwitter投稿した者として是非注目していただきたかった点は次のとおり。

事実ありのままに伝える」がトップでないのはこの中で(中露も含めて)日本だけであること、「客観的な観察者であること」をきわめて重要/とても重要役割とする回答が少ないこと

この点はあとで少し詳しく書きます

政治的アジェンダを設定する」をジャーナリズムのきわめて重要/とても重要役割という回答が比較国中で異様に突出していること

「いま国民議論対象とするべきものはこれだ」「次の政権はこの論点で選ぶべきだ」を提示するのがマスメディアのしごとだ、ということですよね。この項目が上位に来るのは、世界67カ国調査ざっと見たところ、日本韓国だけです。韓国マスメディアについては詳しくないので触れませんが、日本マスメディアについては、その発祥と発展の経緯がこれに大きく関わっていると思われます

萬朝報が中心となって1901年に「理想団」が結成されて以降の日本マスメディアは、社会主義的な思想ベースに、自分たち役割

「より良い社会建設のために世論を醸成し牽引する」

と任じ、そうやって自らが牽引して作った「世論」にマッチした政治政府によって実施されるかどうかを「監視」していました。したがって、政府がその世論に従わなければ反政府権力的な言論を展開しましたが、政府世論どおりに運営されれば権力と一体化して少数意見封殺する言論展開を躊躇いませんでした。その尻尾がまだ残っているんだなあと、個人的にわりと感動したところです(褒めてません)。

アジェンダ設定のような能動行為は「客観的観察者であること」を大きく損ねますから、それをジャーナリズム重要役割とすることには拒絶ないし躊躇があるのが当然でしょう。日本以外のすべての国で「政治的アジェンダを設定すること」への重要認識が低いのはそのためです。

「人々が意見を表明できるようにする」をきわめて重要/とても重要役割とする回答が少ない

この「人々が意見を表明できるようにする」の原文は "Let people express their views” なので、「人々の意見を表明するツールとして自分たちメディアを使わせる」というニュアンスも含まれます世論を醸成し政策アジェンダ設定が重要と考えているくせに、いや、だからこそかもしれませんが、実際の「人々」の意見を汲み上げて報じることにはあまり重要性を感じていないわけです。120年前と同じように、「自分たちが良いと思う世論を作る」という意識なのだとすれば、そうでないさまざまな意見の表明はあまり好まないのも不思議ではありませんね。

政治リーダー監視と精査」 「時事問題分析提供」 「人々の政治的決定に必要情報提供」については、それらへの重要認識が高いこと単体に違和感はないし、しっかり頑張っていただきたいものですが、「事実ありのままに伝える」「客観的観察者」などを差し置いてそれ以上に重要と感じていることには強い嫌悪を覚えます

特に、「政策アジェンダを設定するのは自分たち重要仕事」とこれら3点がセットになっているのを見ると、吐き気すら催します。

たくさんのご意見に対して

全部に対応するのは無理ですが、いくつか類型化して主な反応にお答えしてみます

日本だけ異様というのはおかしい。各国それぞれなのでは?

はい。「お国柄はあるものの」と書いているとおり、この回答には各国それぞれのジャーナリズム歴史がほんのりと現れていて興味深いものです。大雑把に言うと、

という感じでしょうか。

それでも日本を敢えて「異様」と書いている理由は、この調査で「事実ありのままに伝える」トップにならないことの異常性です。

この項目は、ジャーナリズムを体系的に学んだ者なら誰でも気づく、他の約20の項目とは完全に異質の質問です。他の項目は「お国柄が出ますね」で済むけれど、この項目だけは別格です。

いわば、「あなたジャーナリストとして最も基本的動作を正しく重要視していますか?」とほぼ同じ意味の項目です。

無理やり喩えて言えばこの項目は、プロスポーツ選手

あなたにとって『勝つこと』は重要ですか?」

と問うような質問なのです。

「勝つことだけが重要ではない」「ほかに大切なことがある」という選手はいるでしょうけれど、「勝つことの重要性はあまり高くない」と答える選手はかなり少ないでしょう。そう答える選手が1/3も存在するチームを応援する気にはならないし、スポンサーになる気にもトトを買う気にもならないですよね。ほかにどんなに重要と思うことがあったとしても、実際に勝てないとしても、プロスポーツ選手である以上は「勝つことは大切」と思っていて欲しいじゃないですか。

まともなジャーナリズム教育を受けた人であれば誰でも、「事実ありのままに伝えることはジャーナリズムジャーナリズムであるための最も重要要件」と学びます

別の言い方で「ファクトとオピニオンを明確に区別せよ」とも言います

たとえば、40年ほど前に私が専攻していたジャーナリズム学科ジャーナリズム研究と並行してジャーナリスト実務者養成の要素が強く、1年間ずっと報道文の宿題を提出して「この表現客観的でない」「ここはファクトにオピニオンが混じっているからオピニオンを削れ。さもなくば明確に分けろ」と重箱の隅をつつかれ再提出させられ続けるという地獄のような講義がありました。

そういった養成訓練を受けた人なら、あとからどんな思想政治的干渉を受けたとしても「事実ありのままに伝えることはジャーナリストの最も重要仕事」という考えが覆ることはまずありません。だから、中露ですらこの項目はトップになるのです。

日本人にアンケートを答えさせると5段階の5をめったにつけないか・・・」という擁護も来ましたが、今回の表は4と5を合わせて集計したものですからその影響は小さく、現にたとえば「政治リーダー監視精査する」は堂々90%を超えていますから、その考慮必要ないでしょう。ていうかそもそも、仮にそうだったとしてもほとんど条件反射で「5」と回答して欲しい質問なわけですよこの項目は。日本ジャーナリストの1/3が、建前としてすらも「極めて重要/とても重要』と答えない。これは嘘吐きかどうかとはぜんぜん別の「恐怖」です。

そういう思いから、日本ジャーナリズムを「異様」と書きました。

残り35%は「事実かどうかはどうでもいい」「嘘を書いてもいい」と思っているんだな

それは情報誤読です。「事実ありのままに伝える」を重要と思っている度合いの相対的に弱い人が35%いるというだけです。その人たちが日常的に嘘を書いているというわけでもないし、逆に、重要と思っている人が嘘を書かないというわけでもありません。

・・・まあそうは言っても、たとえば「自分が伝えたいことや自分の設定したいアジェンダにとって都合の悪い事実があったときの行動」は違うだろうと容易に想像できますから、信用問題ではありますね。

日本ジャーナリストの65%が「事実ありのままに伝えるのは重要」と考えているなんて嘘っぱちだ。実際はもっと低いだろう》

それは情報誤読です。この調査は「あなた事実ありのままに伝えていますか」ではないので、ご希望の数値はここには表示されません。

米国の98%はただの厚顔無恥嘘吐き
欧米ジャーナリズムだってそんなに言うほど事実ありのままに伝えてなんかいないぞ

さきほどのプロスポーツ選手の喩えでいうと「勝つことが重要だ」と言いつつ練習サボり試合にもボロ負けする選手ですね。「勝つことが重要だ」という建前すら言わないで練習サボりボロ負けする選手よりはずっとマシだと、私は思います。まあ感じ方次第ですけど。

フェイクニュース日本よりも米国のほうが酷い

これは別のデータ等をもとに別に議論されるべきでしょう。もし感覚だけで言うなら、私はそうは感じていません。日本ジャーナリストには「ファクト」と「オピニオン」を厳密に分ける教育も訓練も不十分な人が多く、そのせいか、「ファクトのように読める部分にオピニオンが混じり込んでいる」というフェイクニュースではないけれどフェイクニュースよりもたちの悪い報道が多数見られます

読者・視聴者の側の問題もあるのではないか

現状の「原因」としては大きいと思います。ただ、読者や視聴者と異なりジャーナリストはそれを職業とする人々であり、現状への「責任」を同列に語るのは適切でないと考えています。原因と責任は別物です。

マスコミ左翼のすくつ
マスコミネトウヨの手先
マスコミ政府イヌ
マスコミ中韓下僕
マスコミ米帝下僕

ぜんぶ来ましたw どれも当たっていてどれも間違っているんだと思います

これらの評価罵倒)を言ってしまうのは、ご自分たちの考えと合致した世論喚起政策アジェンダを設定していく役割もっとからさまに言うと、ご自分たちにとって都合の良い機関紙としての役割ジャーナリズムに求めているからです。ジャーナリズム本来そのようなものではありません。「事実ありのままに伝える」を重視して「客観的観察者」の実践を続け「政策アジェンダを設定する」から遠ざかっていけば、ジャーナリズムがそういう評価対象になること自体もっと減るだろうと考えています

日本ジャーナリストが「報道自由度が低い」と言っているのと今回の表を見比べると興味深い

私もそう思います世界一般的ジャーナリストにとって「報道自由度が低い」とは「事実ありのままに伝えることや自由表現を阻まれる」を意味します。日本ジャーナリスト世界一般的ジャーナリストと異なり、自分たちによる政治アジェンダ設定や世論形成重要視している度合いが強いので、それを言いっぱなしにさせてくれず邪魔されたり反論されたりそのとおりに世論形成されなかったりするのを「報道自由度の低さ」と勘違いしていると思います

日本ジャーナリズム他国と異なり政治的中立性を求められているしその評価も高いから一概に日本ジャーナリズムが異質・粗悪というのはいかがなもの

これはいろんな考え方があるでしょうが、私は、「事実ありのままに伝える」というジャーナリズムというもの普遍的存在意義にかかわる話は、法律等の要請メディア運営指針に過ぎない「政治的中立性」と同列に語ることは全くできないと思っています。また、たとえば日本マスメディアがよくやる両論併記政治的中立性の名のもとに行われますが、科学的知見に基づくコンセンサスと大きく異なる異端論をいつまでもいつまでも書き続けるような形で現れることが少なくなく、「政治的中立性」はあまり褒められたものではないと思います

ジャーナリスト重要と考えていること・各国比較

https://twitter.com/mizloq/status/1594608637208850434

https://twitter.com/mizloq/status/1594554415045742592

WJSの調査をまとめ直しただけなのだけれど、こういう視覚化が珍しかったのか、たくさんの反応ありがとうございました。

わたしが注目していただきたかたこ

https://pbs.twimg.com/media/FiEvYdVacAIZ4Rg?format=jpg&name=medium

あの表から読み取っていただけることはいくつもある中で、表を作ってTwitter投稿した者として是非注目していただきたかった点は次のとおり。

事実ありのままに伝える」がトップでないのはこの中で(中露も含めて)日本だけであること、「客観的な観察者であること」をきわめて重要/とても重要役割とする回答が少ないこと

この点はあとで少し詳しく書きます

政治的アジェンダを設定する」をジャーナリズムのきわめて重要/とても重要役割という回答が比較国中で異様に突出していること

「いま国民議論対象とするべきものはこれだ」「次の政権はこの論点で選ぶべきだ」を提示するのがマスメディアのしごとだ、ということですよね。この項目が上位に来るのは、世界67カ国調査ざっと見たところ、日本韓国だけです。韓国マスメディアについては詳しくないので触れませんが、日本マスメディアについては、その発祥と発展の経緯がこれに大きく関わっていると思われます

萬朝報が中心となって1901年に「理想団」が結成されて以降の日本マスメディアは、社会主義的な思想ベースに、自分たち役割

「より良い社会建設のために世論を醸成し牽引する」

と任じ、そうやって自らが牽引して作った「世論」にマッチした政治政府によって実施されるかどうかを「監視」していました。したがって、政府がその世論に従わなければ反政府権力的な言論を展開しましたが、政府世論どおりに運営されれば権力と一体化して少数意見封殺する言論展開を躊躇いませんでした。その尻尾がまだ残っているんだなあと、個人的にわりと感動したところです(褒めてません)。

アジェンダ設定のような能動行為は「客観的観察者であること」を大きく損ねますから、それをジャーナリズム重要役割とすることには拒絶ないし躊躇があるのが当然でしょう。日本以外のすべての国で「政治的アジェンダを設定すること」への重要認識が低いのはそのためです。

「人々が意見を表明できるようにする」をきわめて重要/とても重要役割とする回答が少ない

この「人々が意見を表明できるようにする」の原文は "Let people express their views” なので、「人々の意見を表明するツールとして自分たちメディアを使わせる」というニュアンスも含まれます世論を醸成し政策アジェンダ設定が重要と考えているくせに、いや、だからこそかもしれませんが、実際の「人々」の意見を汲み上げて報じることにはあまり重要性を感じていないわけです。120年前と同じように、「自分たちが良いと思う世論を作る」という意識なのだとすれば、そうでないさまざまな意見の表明はあまり好まないのも不思議ではありませんね。

政治リーダー監視と精査」 「時事問題分析提供」 「人々の政治的決定に必要情報提供」については、それらへの重要認識が高いこと単体に違和感はないし、しっかり頑張っていただきたいものですが、「事実ありのままに伝える」「客観的観察者」などを差し置いてそれ以上に重要と感じていることには強い嫌悪を覚えます

特に、「政策アジェンダを設定するのは自分たち重要仕事」とこれら3点がセットになっているのを見ると、吐き気すら催します。

たくさんのご意見に対して

全部に対応するのは無理ですが、いくつか類型化して主な反応にお答えしてみます

日本だけ異様というのはおかしい。各国それぞれなのでは?

はい。「お国柄はあるものの」と書いているとおり、この回答には各国それぞれのジャーナリズム歴史がほんのりと現れていて興味深いものです。大雑把に言うと、

という感じでしょうか。

それでも日本を敢えて「異様」と書いている理由は、この調査で「事実ありのままに伝える」トップにならない』の異常性です。

この項目は、ジャーナリズムを体系的に学んだ者なら誰でも気づく、他の約20の項目とは完全に異質の質問です。他の項目は「お国柄が出ますね」で済むけれど、この項目だけは別格です。

いわば、「あなたジャーナリストとして最も基本的動作を正しく重要視していますか?」とほぼ同じ意味の項目です。

無理やり喩えて言えばこの項目は、プロスポーツ選手

あなたにとって『勝つこと』は重要ですか?」

と問うような質問なのです。

「勝つことだけが重要ではない」「ほかに大切なことがある」という選手はいるでしょうけれど、「勝つことの重要性はあまり高くない」と答える選手はかなり少ないでしょう。そう答える選手が1/3も存在するチームを応援する気にはならないし、スポンサーになる気にもトトを買う気にもならないですよね。ほかにどんなに重要と思うことがあったとしても、実際に勝てないとしても、プロスポーツ選手である以上は「勝つことは大切」と思っていて欲しいじゃないですか。

まともなジャーナリズム教育を受けた人であれば誰でも、「事実ありのままに伝えることはジャーナリズムジャーナリズムであるための最も重要要件」と学びます

別の言い方で「ファクトとオピニオンを明確に区別せよ」とも言います

たとえば、40年ほど前に私が専攻していたジャーナリズム学科ジャーナリズム研究と並行してジャーナリスト実務者養成の要素が強く、1年間ずっと報道文の宿題を提出して「この表現客観的でない」「ここはファクトにオピニオンが混じっているからオピニオンを削れ。さもなくば明確に分けろ」と重箱の隅をつつかれ再提出させられ続けるという地獄のような講義がありました。

そういった養成訓練を受けた人なら、あとからどんな思想政治的干渉を受けたとしても「事実ありのままに伝えることはジャーナリストの最も重要仕事」という考えが覆ることはまずありません。だから、中露ですらこの項目はトップになるのです。

日本人にアンケートを答えさせると5段階の5をめったにつけないか・・・」という擁護も来ましたが、今回の表は4と5を合わせて集計したものですからその影響は小さく、現にたとえば「政治リーダー監視精査する」は堂々90%を超えていますから、その考慮必要ないでしょう。ていうかそもそも、仮にそうだったとしてもほとんど条件反射で「5」と回答して欲しい質問なわけですよこの項目は。日本ジャーナリストの1/3が、建前としてすらも「極めて重要/とても重要』と答えない。これは嘘吐きかどうかとはぜんぜん別の「恐怖」です。

そういう思いから、日本ジャーナリズムを「異様」と書きました。

残り35%は「事実かどうかはどうでもいい」「嘘を書いてもいい」と思っているんだな

それは情報誤読です。「事実ありのままに伝える」を重要と思っている度合いの相対的に弱い人が35%いるというだけです。その人たちが日常的に嘘を書いているというわけでもないし、逆に、重要と思っている人が嘘を書かないというわけでもありません。

・・・まあそうは言っても、たとえば「自分が伝えたいことや自分の設定したいアジェンダにとって都合の悪い事実があったときの行動」は違うだろうと容易に想像できますから、信用問題ではありますね。

日本ジャーナリストの65%が「事実ありのままに伝えるのは重要」と考えているなんて嘘っぱちだ。実際はもっと低いだろう》

それは情報誤読です。この調査は「あなた事実ありのままに伝えていますか」ではないので、ご希望の数値はここには表示されません。

米国の98%はただの厚顔無恥嘘吐き
欧米ジャーナリズムだってそんなに言うほど事実ありのままに伝えてなんかいないぞ

さきほどのプロスポーツ選手の喩えでいうと「勝つことが重要だ」と言いつつ練習サボり試合にもボロ負けする選手ですね。「勝つことが重要だ」という建前すら言わないで練習サボりボロ負けする選手よりはずっとマシだと、私は思います。まあ感じ方次第ですけど。

フェイクニュース日本よりも米国のほうが酷い

これは別のデータ等をもとに別に議論されるべきでしょう。もし感覚だけで言うなら、私はそうは感じていません。日本ジャーナリストには「ファクト」と「オピニオン」を厳密に分ける教育も訓練も不十分な人が多く、そのせいか、「ファクトのように読める部分にオピニオンが混じり込んでいる」というフェイクニュースではないけれどフェイクニュースよりもたちの悪い報道が多数見られます

読者・視聴者の側の問題もあるのではないか

現状の「原因」としては大きいと思います。ただ、読者や視聴者と異なりジャーナリストはそれを職業とする人々であり、現状への「責任」を同列に語るのは適切でないと考えています。原因と責任は別物です。

マスコミ左翼のすくつ
マスコミネトウヨの手先
マスコミ政府イヌ
マスコミ中韓下僕
マスコミ米帝下僕

ぜんぶ来ましたw どれも当たっていてどれも間違っているんだと思います

これらの評価罵倒)を言ってしまうのは、ご自分たちの考えと合致した世論喚起政策アジェンダを設定していく役割もっとからさまに言うと、ご自分たちにとって都合の良い機関紙としての役割ジャーナリズムに求めているからです。ジャーナリズム本来そのようなものではありません。「事実ありのままに伝える」を重視して「客観的観察者」の実践を続け「政策アジェンダを設定する」から遠ざかっていけば、ジャーナリズムがそういう評価対象になること自体もっと減るだろうと考えています

日本ジャーナリストが「報道自由度が低い」と言っているのと今回の表を見比べると興味深い

私もそう思います世界一般的ジャーナリストにとって「報道自由度が低い」とは「事実ありのままに伝えることや自由表現を阻まれる」を意味します。日本ジャーナリスト世界一般的ジャーナリストと異なり、自分たちによる政治アジェンダ設定や世論形成重要視している度合いが強いので、それを言いっぱなしにさせてくれず邪魔されたり反論されたりそのとおりに世論形成されなかったりするのを「報道自由度の低さ」と勘違いしていると思います

日本ジャーナリズム他国と異なり政治的中立性を求められているしその評価も高いから一概に日本ジャーナリズムが異質・粗悪というのはいかがなもの

これはいろんな考え方があるでしょうが、私は、「事実ありのままに伝える」というジャーナリズムというもの普遍的存在意義にかかわる話は、法律等の要請メディア運営指針に過ぎない「政治的中立性」と同列に語ることは全くできないと思っています。また、たとえば日本マスメディアがよくやる両論併記政治的中立性の名のもとに行われますが、科学的知見に基づくコンセンサスと大きく異なる異端論をいつまでもいつまでも書き続けるような形で現れることが少なくなく、「政治的中立性」はあまり褒められたものではないと思います

2022-11-19

anond:20221119135849

北村紗枝氏がむやみに叩かれているそうなので、周辺を調べてみた

表面的な問題草津公職者の冤罪犯罪隠しであるが、あえて掘ってみるならば原因はイプセンの「民衆の敵」ではないかと思われた

 「民衆の敵」(1882年)は鉱毒被害告発本で、明治日本の主要産業は銅の輸出であったので、銅山営業のために、出版禁止にされていたと思われる書籍である

 

主要な銅山である足尾銅山鉱毒は早くも1878年明治11年)には報道されており、酸性雨草木の枯死、魚の大量死洪水もあった

そこで1882年明治15年)、イプセンスウェーデン下のノルウェーで「民衆の敵」を出版した

しか原書英訳を読むことができたのは、商社関係者か、法曹医師ぐらいだったと思われる

日本政府がしぶしぶ鉱毒調査委員会を設置したのは、1897年明治30年)で、その後の1901年明治34年)にようやくイプセン邦訳がある(大阪の元医師高安月郊)

それから更に何年も経過し、「人形の家」(1879年)の29年遅れで1910年大正9年)、「民衆の敵」は39年遅れで1921年大正10年)にようやく邦訳

   

戦後高度成長期には、日本の銅は1ドル360円の固定相場で輸出された

僅かな被害対策が行われたまま鉱山は稼働し続け、1973年昭和48年)に閉山となったときには、為替レートがあっさり変動制に移行している

したがって、「民衆の敵」の邦訳遅れや円安固定相場制は、日英米共同の銅ダンピング政策だった可能性もあろう

   

まり円安ときは、輸出企業が薄利多売で儲けを出すため、あるいは輸入先がワクチンなどの薬品などを高く売るために

公害放置されたり、メディア操作検閲が行われる恐れがある

北村紗枝氏はそのみなし検閲に引っかかったとも言えよう

日本人が金融に弱いというのは全く嘘だ(少なくとも政治家金融政策を駆使している)

2022-08-04

昔と今じゃ気温が違うから扇風機だけじゃダメって言うけど言うほど気温上がってるか?

1901年から10年ごとの8月の平均気温

 

1901~191024.6

1911~1920:25.4

1921~1930:26.3

1931~1940:26.3

1941~1950:26.6

1951~1960:26.3

1961~1970:27.2

1971~1980:26.6

1981~1990:27.4

1991~2000:27.3

2001~2010:27.5

2011~2020:27.8

 

言うほど上がってるわ

クソ暑い

何とかしろ

2022-04-26

昭和天皇動画への反応が面白い

まれる前の戦争責任なんかしらねー、とか言ってるやつが真顔で怒ってたりして面白い

大元帥たる天皇なんてお前の生まれる前の話だろ?

表現の自由戦士も一部では懸念を表明しているのもいるが、おおむね批判的。

ああ、あと日本戦争責任に関して、海外から批判内政干渉だとか言うやつが、顔真っ赤にして動画批判してるのマジうける。

論理的整合性はどうなってるんかね?

いや、論理的整合性なんて実際は口でいうだけで、単純に「お気持ちベースなんだろうけど。

あと、天皇ローマ教皇のようなものというのも、無理がありすぎる比喩だよ。実権はないが宗教的権威もつみたいな事を言いたいんだろうが、そもそも血統による天皇選挙による教皇の違い。キリスト教というコスモポリタン志向のそれとあくまエスニック神道では話が違う。

そもそもローマ教皇教皇領という国家元首であって実権がないわけではない。ローマ問題とかしらないの?

宗教的権威天皇とは比べ物にならない。むろん権威という言葉定義にもよるけど法王が「賀茂川の水、双六の賽、山法師、これぞ我が御心に叶はぬ物」ってローマ教皇では考えられない。というかカトリック異端ギリシア正教へどんな態度かくらいは朧気に聞いたことない?

あとイタリアムッソリーニではなく、ヴィットーリオ・エマヌエーレIII世が、という意見もあるけど、ムッソリーニWWII期を通じて、解任後もイタリア社会共和国の元首として1945年4月まで。

それに対して日本総理WWII勃発以後だけでも安部米内近衛東条小磯鈴木と変わってるのでかろうじて3年弱の東条ならどうにかレベルじゃね?

というか、大日本帝国憲法はまさに天皇主権で、ドイツ帝国憲法以上の権限天皇にあったんだよね。理論必然ではないが、君臨すれども統治せず、に親和性のある天皇機関説も当時は排撃されてたしね。本人がどう思ってたかはともかく、あの憲法イギリス式の君臨すれで統治せずは厳しいんじゃないかな?

大日本帝国憲法には内閣総理大臣規定もなく、憲政の常道あくまで慣習にすぎず、天皇への権限が集中されてたのである程度コントロールできてた元老がいなくなったらやすやす陸海軍にハックされた感じかね?

まあヴィクトリア女王が無くなった1901年まれベルリンの壁崩壊した1989年と30年以上前に死んだ人がまだ「歴史」にはなってないし、正直、日本対応も、宇の対応も、戦後国際秩序無視してると取られても仕方ないんじゃない?いや、無視するぜ!ってどこかのプーさんみたく息巻くつもりならいいけど

2021-06-04

吉田茂の経歴って今だったらめっちゃ叩かれてるよな

1894年日本中入学中退(16歳)

1895年高等商業入学中退17歳

1896年正則尋常中学入学卒業東京物理学入学中退慶應義塾入学中退(18歳)

1897年学習院高等科入学(19歳)

1901年学習院高等科卒業学習院大学入学23歳)

1904年学習院大学卒業東京帝大入学(26歳)

1906年東京大卒業(28歳)

ていうか現代に生まれたらこの堪え性のない経歴と年齢の時点でロクな仕事に就けないはず

2020-07-26

anond:20200726151619

直感でいくと良さそうだけどちゃんと考えると1起算は分かりにくい。

 

1から数え始めると、100で割って商が0になるのは1~99の99個しかないけど、100で割って商が1になるのは100~199の100個ある。これは分かりにくい。

0から数え始めると、100で割って商が0になるのは0~99の100個で、100で割って商が1になるのも100~199の100個。分かりやすい。

 

日常生活の例で言うと、西暦1年が1世紀から1901年2000年20世紀2001年から21世紀になのが分かりにくい。

0世紀が西暦0年から始まってくれていたら、1900年1999年19世紀で、2000年~2099年が20世紀になるから分かりやすかった。

2019-11-22

anond:20191122102558

https://gigazine.net/news/20100302_ivory_bangle_lady/

ヨークにあるローマ時代遺跡で発掘された、通称Ivory Bangle Lady象牙の腕輪の貴婦人)」と呼ばれる女性存在により、当時ブリテン島アフリカ系の人々が住んでいて、その中には非常に裕福で社会的地位が高い人々もいたということが証明されたそうです。

象牙の腕輪の貴婦人」の石棺はもともとはヨーク中心部のBootham地区1901年に発掘されたのですが、最新の科学検査によりこの女性4世紀ヨークの上流社会に属していた若い黒人女性であることが特定されました。

2019-10-11

1901年 NY写真

馬車100台、車1台

1913年 NY写真

車100台、馬車1台

たった12年で世界は変わった

これと同じことが今起こっている

2019-07-07

anond:20190707034545

早起きがてらサクっとJavaScriptでやってみるか〜と思ったら想像より面倒くさかった

https://jsfiddle.net/9s0x1d8h/

ミスあるかもだけどだいたいあってるはず

Dateクラスで無精できるかと思ったらDate(1, 1, 1);で1901年返ってきて草生えた

言語わず、あえて規則だけ伝えてDate系のクラス使わないようにするほうが問題としては良いのかも

訂正版:結果は変わらないが気持ち悪いところ直した

https://jsfiddle.net/yct5bhr4/

訂正版2:記事への反応で指摘があったところ直した。ご指摘ありがとう

https://jsfiddle.net/z9a7npL0/

具体的にはisLeapYear()内でサムライが西向かなくなっていた

途中でPythondatetimeライブラリ動作見たりしてたからか、ここだけ急にPythonになっていた・・笑

2017-08-17

https://anond.hatelabo.jp/20170817105209

1902年日英同盟を「1901年にはまだ締結されてない」ってそんな一年の差にこだわる話でもないだろ。

で、日英同盟に関しての当時の新聞を見ると、

或いは南阿(南アフリカ)に、北米に、或いは欧洲大陸に、英国が出師戦闘出兵戦争)をなすごとに、我が国が送兵するとせば、いか財政余裕あり軍備充実するにせよ、ついに一国を挙げて破産せざるを得ず。

http://www.maesaka-toshiyuki.com/longlife/21576.html

こんな感じだったらしく、

批判的な論調ではあるが「イギリスの求めに応じてアメリカ含め世界各地で戦闘を行う可能性がある」としているわけで、

日本はもう立派な先進国から利害に応じて他の列強と衝突することはありうる」くらいのことは考えられていたとみなすべきでは。

三国干渉とかあったし「どの列強とも友好でとても戦争なんて考えられない」なんて雰囲気ではないよね。

もちろん一次大戦前なので総力戦の恐ろしさは分かっていなかっただろうし、さらにその後にイギリスと手を切ってドイツと結ぶことになるとは予想しないにしても。

https://anond.hatelabo.jp/20170817024622

太平洋戦争開戦が1941年でその40年前の1901年日露戦争前で日英同盟すら締結されてないですよ

5年前の日清戦争台湾あたり獲得して乗りに乗ってた時期

1900年頃のアメリカ経済的には今の中国に近くて世界一経済大国になったところ

この時期に40年後にアメリカ喧嘩売るとかは考えられない

そのあとのアメリカ敗戦して実質的属国になるとかも想像すらしてない

普通に考えれば負ける。1940年だったらなおさら負ける

40年後の中国日本経済の差がどれくらいできるか想像つかないですよね

軍事力日本のずっと上になってる可能性はある

日本中国領土になるか別として戦場になる可能性は高いと思いますけど

それか武力戦争にはならずに経済戦争で負けて中国資本に乗っ取られるか。この方が可能性は高いと思います

アメリカ中国との経済戦争になってしか日本人より中国人の方が経済上いから表面的な摩擦は起こさずに裏から手を回してやってアメリカに大きな影響及ぼすようになるとか

2016-12-01

メジャーリーグ史において最も重要な40人」について調べてみた

メジャーリーグ史において最も重要な40人」はアメリカの著名スポーツメディアスポーティングニュース」が先日発表して話題となったもの。ソースはこちら。

The 40 most important people in baseball history, ranked | MLB | Sporting News

ここで挙げられている40人について調べてみたんだけど、筆者はMLBにそこまで詳しいわけではないので、何か誤認・誤訳があったらごめんな。

1位 ベーブ・ルース(1895-1948)

MLB史上最大のスター。驚異的なペースでホームランを放ち、MLBの野球を「ライブボール時代」へと変えた。当時、ブラックソックス事件により信頼を失っていたMLBは、ルースの人気によって復活し、さらにはアメリカ最大のスポーツにまでなった。

2位 ジャッキー・ロビンソン(1919-1972)

近代MLBにおける初の黒人選手。ニグロリーグで活躍した後、1947年ドジャースでMLBデビューして、MLBの「カラーライン」を打ち破った。またMLBの初代新人王でもある。

3位 ケネソー・マウンテンランディス(1866-1944)

1920年ブラックソックス事件の収拾を図るために、強大な権力を有するコミッショナー職が新設され、判事であったランディスが就任した。事件に関わった8人の選手は永久追放とされ、その厳格な対処がMLBの信頼回復に繋がったと考えられている。

4位 バン・ジョンソン(1865–1931)

1900年アメリカンリーグを創設し、現在まで続くMLBの2リーグ体制を作り上げた。審判に権力を与え、違反行為に厳しい罰則を課すことで、クリーンイメージを生むことに成功した。強権的な性格から、のちにランディスと対立して辞任した。

5位 ブランチリッキー(1881-1965)

カージナルスドジャースのGMを歴任し、MLBで初めて選手育成のためのファーム制度を整えた。また、ジャッキー・ロビンソンと契約して、黒人選手がMLBに参加する道筋を作った。

6位 マービン・ミラー(1917-2012)

1966年エコノミストとしての経験を買われてMLB選手会の代表に就任し、最低年俸の増額、選手年金の拡充、そしてFA制度の導入に貢献した。彼の在任期間中に選手の平均年俸は1.9万ドルから32.6万ドルにまで向上した。

7位 アルバートスポルディング(1850-1915)

スポーツ用品Spalding社を興し、ナ・リーグ創設にも関わった。初めて野球のルールブックを出版、ボール標準化に努めるなど、初期のMLBの発展に尽力した。野球選手としても超一流で、通算勝率のMLB最高記録を保持している。

8位 ウィリアム・ハルバート(1832-1882)

シカゴ・カブス(の前身)の社長であり、1876年のナショナルリーグ創設者の一人である。のちにナ・リーグの第二代会長に就任して公正かつ厳格な運営を行い、MLBの基盤を作り上げた。スポルディングとは盟友だった。

9位 ルーブ・フォスター(1878-1930)

黒人野球チームのスター選手であり、また球団オーナーとしても成功した。彼の呼びかけによって、1920年ニグロリーグが設立された。「ブラックベースボールの父」と呼ばれる。

10位 ヘンリーチャドウィック(1824-1908)

野球評論家・統計家で、「野球の父」とも呼ばれる。ボックススコアを考案して試合の記録を取り、「打率」などの指標を提唱した。またスポルディングのもとでガイドブックを刊行するなど文筆活動も盛んに行い、野球の普及に多大な貢献をした。

11位 バド・セリグ(1934-)

元はブルワーズオーナー。MLB選手会オーナーの対立が激化していく中で、1998年実質的には1992年)に第9代MLBコミッショナーに就任。リーグの再編、収益分配制度の導入、オンライン配信の開始などにより、就任前と比較して5倍以上とも言われる空前の収益をMLBにもたらした。

12位 ウォルターオマリー(1903-1979)

ドジャースオーナー。冷徹な経営者であり、1957年に球団をブルックリンからロサンゼルスへ移転させた。それによりアメリカ西海岸における野球ビジネスを開拓し、経済的には大成功を収めたが、ブルックリン住民からは深く恨まれた。

13位 ビル・ジェームス(1949-)

1977年から1988年まで刊行した「Baseball Abstract」を通じてセイバーメトリクスを提唱した。米国野球学会(SABR)のデータと統計の手法を用いて、RCやRFなどの様々な新しい指標を作り出した。

14位 フランク・ジョーブ(1925-2014)

1974年ドジャースの選手だったトミー・ジョンに、自らが考案した靭帯再建手術を施し、それを成功させた。この手術は「トミー・ジョン手術」として、いまでは広く施術されている。また、1990年には肩再建手術も成功させている。

15位 ハンク・アーロン(1934-)

ブレーブスで活躍し、ベーブ・ルースの記録を超える通算本塁打755本を放った。黒人のアーロンが白人のルースの記録を破ることには反発もあったが、彼はそれを乗り越えた。通算打点2297点は現在でもMLB記録である

16位 ルー・ゲーリッグ(1903-1941)

ヤンキースに所属し、当時の記録である2130試合連続出場を達成して「鉄の馬」と呼ばれた。しかし筋萎縮性側索硬化症に苦しみ引退、そして37歳の若さで亡くなった。背番号の「4」はMLBで初めて永久欠番となった。

17位 ドク・アダムス(1814–1899)

野球クラブのニッカーボッカーズや全米野球選手協会(NABBP)において、チームの人数や塁間の距離、一試合のイニング数、バウンドルールの撤廃など、基本的ルールの策定に貢献した。遊撃手ポジション創始者とも言われる。

(野球ルールの策定に関してはアレクサンダー・カートライトの名前がよく挙がるが、現在ではドク・アダムスを評価する声が多いようだ)

18位 バック・オニール(1911–2006)

ニグロリーグで活躍した後に、MLBで最初の黒人スカウトとなり、最初の黒人コーチとなった。ニグロリーグ野球博物館の設立や、ドキュメンタリーへの出演、多くのインタビューを通して、ニグロリーグへの関心を高めることに尽力した。

19位 ロベルト・クレメンテ(1934-1972)

MLBにおけるヒスパニック系選手の先駆けであり、中南米出身で初めてMLB殿堂入りした。慈善活動中の飛行機事故により38歳で亡くなり、そのため慈善活動に貢献した選手に贈られる賞にその名が冠されることになった。

20位 ジェームス・アンドリュース(1942-)

肩、肘、膝に関する整形外科医。1985年ロジャー・クレメンスに施術した関節鏡手術で脚光を浴び、以降もスポーツ医学の権威として数多くの選手の手術を担当している。

21位 ジョー・ジャクソン(1888-1951)

シューレス」の異名で知られるMLB初期の名選手。しかし、MLB最大の八百長事件であるブラックソックス事件に巻き込まれ、MLBから永久追放された。ファンは彼に同情的であり、いまなお悲運の選手として記憶されている。

22位 ピート・ローズ(1941-)

最多安打4256本や最多出場3562試合などのMLB記録を持つ「安打王」。しかし、引退後の1989年に野球賭博に関わっていたことが発覚し、MLBからは追放された。

23位 ウィリー・メイズ(1931-)

走攻守すべてに優れたMLB史上最高のオールラウンダーであり、当時MLBにおいて台頭しつつあった黒人選手の代表格でもあった。オールスター24回出場は最多タイであり、「オールスターはメイズのために作られた」と評された。

24位 コニーマック(1862-1956)

1901年アスレチックスの初代監督に就任すると、それから1950年まで指揮を取り続け、5度のワールドシリーズ制覇を成し遂げた。もちろん監督の就任期間としてはMLB史上最長である

25位 ハッピーチャンドラー(1898-1991)

上院議員ケンタッキー州知事、そして第二代MLBコミッショナーランディスが黒人参加に否定的だったのに対して、チャンドラー進歩的であり、1947年ドジャースおよびジャッキー・ロビンソンを支持し、その契約を承認した。

26位 オリバー・ウェンデル・ホームズジュニア(1841–1935)

連邦最高裁判所の名判事として著名。1922年、球団が選手の移籍を制限できる「保留制度」について、それが反トラスト法に該当しないとの判決を下した。これにより、現在までもMLBは反トラスト法適用免除の特例として扱われている。

27位 バーニー・ドレイファス(1865-1932)

1900年パイレーツオーナーとなった。その後のナ・リーグア・リーグの対立を調停し、「ワールドシリーズ」を提唱して1903年の初開催に尽力した。また1909年に、鉄筋コンクリート製の近代的な球場を建設したことでも知られる。

28位 アレクサンダー・クリーランド(?-?)

スコットランド出身のビジネスマン1934年、野球発祥の地であるクーパーズタウン(これはスポルディングが広めたデマであるが)に野球博物館を作ることを思いつき、そのアイディアアメリカ野球殿堂の元になった。クリーランド自身は野球に全く興味がなかった。

29位 テッド・ウィリアムズ(1918-2002)

レッドソックスで活躍し、MLB史上最高のバッターの一人とされる。最後の4割打者であり、通算出塁率.482はMLB記録である1970年に刊行された、自身の打撃理論を記した「The Science of Hitting」は、後の多くの打者に影響を与えた。

30位 デビッド・ネフト(1937-)

大学で統計を学び、1969年スポーツ百科事典「The Baseball Encyclopedia」を、1974年からは「Sports Encyclopedia: Baseball」を毎年刊行し、高い評価を得た。他にサッカーバスケットボール百科事典も編纂している。

31位 トニー・ラルーサ(1944-)

ジョン・マグローらと並んでMLB史上最高の名将とされる。ホワイトソックスアスレチックスカージナルスの監督を歴任し、ワールドシリーズを3度制した。データを駆使した細かな継投を得意とし、現代的な「クローザー」というポジションの確立に貢献した。

32位 レフティオドール(1897-1969)

MLBで首位打者を獲得するなど活躍し、引退後は監督となった。1934年に日本の野球チームと対戦したとき、相手チームに「ジャイアンツ」というニックネームを贈った。1949年に訪日した際にはチームを率いて全国巡業を行うなど、戦後日本に野球を広めるのに貢献した。

33位 ロイ・ホフヘインズ(1912–1982)

アストロズオーナー1965年世界初ドーム球場アストロドームを建設し、さらにドーム球場では天然芝が使えないために、人工芝アストロターフを開発した。人工芝70年代に流行し、その走りやすさからMLBの野球をスピーディなものに変えた。

34位 ロバート・ボウマン(1955-)

MLBのインターネット部門であるMLB Advanced Media社(MLBAM)のCEO。MLB.comを運営し、試合のオンライン配信や、チケットの販売などを開始したことで、巨額の利益を上げている。

35位 マーク・マグワイア(1963-)

1998年サミー・ソーサとの最多本塁打争いにより、1994年ストライキで低迷したMLBへの注目を取り戻した。最終的に70本塁打を放って当時の新記録を作ったが、2005年頃からステロイドの使用が確実視されるようになり、その名声は失墜した。

36位 カート・フラッド(1938-1997)

1969年カージナルスに所属していたフラッドはトレードを拒否し、マービン・ミラーと共に「保留条項は反トラスト法違反であり、トレードは無効である」との訴訟を起こした。裁判には敗れたが、この事件をきっかけにFA制度が導入された。

37位 野茂英雄(1968-)

日本での任意引退を経て、1995年にMLBのドジャースと契約した。30年以上前の村上雅則を除けば、MLBで長年に渡って活躍した初めての日本人選手であり、その後も続々とMLBに移籍する日本人選手たちの先駆けとなった。

38位 メリッサラットク(1951-)

1977年ワールドシリーズで、当時のMLBコミッショナーだったボウイキューンは、女性記者であることを理由にラットクの取材を許可しなかった。彼女は平等な取材を求めて訴訟を起こし、勝利した。これ以降、全てのチームが取材に制限を設けないようになった。

39位 ビル・ドーク(1891–1954)

1920年カージナルスの選手だった彼は、野球用品メーカーとして有名なローリングス社に、グラブの親指と人差指のあいだに「網」を貼るべきだと提案した。これにより現在の形の野球グラブが完成した。

40位 セオ・エプスタイン(1973-)

2002年レッドソックスのGMに史上最年少となる28歳で就任する。2004年のWS優勝で「バンビーノの呪い」を打ち破ると、2012年には新たにカブス球団社長となり、2016年のWS優勝で「ビリー・ゴートの呪い」までも打ち破ってみせた。

2016-07-25

http://anond.hatelabo.jp/20160724193005

1901年から見た2001年

http://www.tanken.com/yosoku.html

20年前の「2010年技術予測

http://www.tanken.com/2010.html

昔の人が未来をどんな風に考えていたのか知るのは面白いね。

私が子供の頃から聞かされていて、いまだに実現していないのは、

東海大地震かなぁ。

2010-02-17

今世紀に起こること(3)

2025年

2026年

2027年

2028年

  • 世界人口が80億人に達する
  • がん化の機構の解明に基づく治療が開始される
  • このころロシア月面基地が完成する(2028-32年)
  • 10/28 直径1.6キロの小惑星が地球をかすめる

2029年

2030年

  • 9/12 小惑星状物体が月までの距離の11倍にまで地球に最接近

2031年

2033年

  • インドの経済規模が、このころ日本を上回る
  • 中国の総人口が15億人に達する

2035年

  • ドイツ高齢者比率が人口の30%に達する
  • このころロシア火星の有人飛行を実現する(2035年以降)
  • 東アジアの人口が20億6300万人でピークに達し、その後は減少に転じる

2036年

  • この年までに南関東直下地震が70%の確率で発生
  • 黒澤明監督作品の著作権が、この年まで存続する(存続期間を死後38年間とする旧著作権法の規定)

2038年

2039年

  • 昭和時代に生まれた者が全員50歳以上に

2040年

  • 早ければこの年に夏の北極海に氷がほとんどなくなる可能性がある(米国立大気研究センター予測)
  • 東京都熱中症患者数が最大5000人に達する
  • 北極上空のオゾンホールが完治する(南極は2065年)
  • 中国の二酸化炭素(CO2)排出量が、この年までにピークを迎える(2030-40年)
  • 人口減少による貯蓄率の低下で、日本経済の潜在成長率がマイナスになる
  • この年以降、中国の1人あたり国内総生産(GDP)が3万ドルに達する
  • このころ葬儀ビジネスの規模が倍増する
  • 中国が人口ゼロ成長を達成する
  • 国内の年間死者数が166万人に達する(現在の1.5倍)

2041年

2042年

2043年

  • 10/1 日本の総人口が1億人を割る

2045年

2047年

2048年

  • 世界人口が90億人に
  • 乱獲と環境汚染による生態系の破壊が続き、食用になる魚介類のほとんどが地球上から姿を消す(対策がない場合の推計でFAO当局者は否定)

2049年

2050年

出典・参考資料

確定済の「予定」部分

Wikipedia

http://ja.wikipedia.org/

未確定な「予測」部分

未来年表 : 生活総研

http://seikatsusoken.jp/futuretimeline/

調べたきっかけ

1901年未来予測

http://www.tanken.com/yosoku.html

みんなが望む方向に未来は変わっていくのかも、と思ったため。

2009-11-11

http://anond.hatelabo.jp/20091111100055

物価が上がっても賃金に反映されるとは限らない。アメリカでは企業利益を再配分する

組合メカニズムが働くけど、日本では働かない。

これほんと?アメリカでも労組はかなり弱体化していると聞くけど。

引用

アメリカ労働組合が、その勢力も、威信も、市民意識のなかでも、どれほど衰退してしまったのか、これはどんなに語っても大げさすぎることはないだろう。(中略)組合に入っているのは、アメリカ労働者の12.1%に過ぎず、民間部門では7.5%と、1901年以来、最低の加入率となった。(出典)スティーブン・グリーンハウス曽田和子訳(2008=2009)『大搾取文藝春秋、p.312

失業不安を抱えた国民は散在よりむしろ貯蓄する。インフレ期待で消費というのは将来ずっと金に困らない人の発想。

アメリカにも失業不安を抱えた人や金に困っている人は大勢いそうなんだけど、アメリカ人はもともと貯蓄性向が低くて、将来のことなんか気にせずにお金バンバンつかうのに対して、日本人は心配性なのでたとえインフレになりそうな気配でも貯蓄してしまうということなんだろうか。だとすれば、プラザ合意からバブル崩壊までの日本人はたまたま発狂していただけの話で、これからの日本内需はただただ縮小していくのみなんだろうか…

2008-11-01

日本は侵略国家であったのか」を読む

 田母神俊雄氏の「論文」が問題になっています。原文は↓からDLできます。

http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf

親切に英訳までしたようです↓。そのおかげか、さっそく海外でも反響を読んでいます↓↓。

http://www.apa.co.jp/book_report/02.html

http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/7702374.stm

http://www.independent.co.uk/news/world/asia/japan-to-sack-air-force-chief-over-wwii-views-981051.html

http://www.guardian.co.uk/world/2008/oct/31/japan-secondworldwar

http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/10/31/AR2008103101475.html

http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/10/31/AR2008103100989.html

http://www.nytimes.com/2008/11/01/world/asia/01tokyo.html?_r=1&ref=world&oref=slogin

http://www.thestandard.com.hk/breaking_news_detail.asp?id=8886&icid=4&d_str=20081031

http://www.straitstimes.com/Breaking%2BNews/Asia/Story/STIStory_297008.html

http://www.straitstimes.com/Breaking%2BNews/Asia/Story/STIStory_297257.html

http://timesofindia.indiatimes.com/World/Rest_of_World/Japans_air_force_chief_sacked_over_WWII_comments/articleshow/3659583.cms

 ローズベル陰謀論が結構とりあげられています。どれだけ「国益」を損ねているのだろう。やれやれと、日本報道に対するブコメ日記を見てみたら、田母神氏の「論文」の内容に肯定的な人もそれなりにいらっしゃるようです。

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081031-00000123-jij-soci

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.asahi.com/politics/update/1031/TKY200810310298.html

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008110102000087.html

 私も別に現代史に詳しいわけではないです(気の向いたときに、中身が増えてきたCiNiiGoogle Scholar、各研究機関の学術リポジトリを漁ってみる程度)。しかし、その限られた知識から見ても、問題の「論文」はその形を為してすらいないと思いました。そこで、現在パラパラと集めている関連文献の整理をかねて、「論文」原文に逐一つっこみをいれてみようと思い、エントリを書いてみることにしました。はてな記法引用した部分は、断りのない限り田母神氏の「論文」からです。原文の全角数字は全て半角に直したことをおことわりしておきます。

 アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留している。これをアメリカによる日本侵略とは言わない。二国間で合意された条約に基づいているからである。我が国は戦前中国大陸朝鮮半島を侵略したと言われるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留も条約に基づいたものであることは意外に知られていない。日本は19世紀の後半以降、朝鮮半島中国大陸に軍を進めることになるが相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。現在中国政府から「日本の侵略」を執拗に追求されるが、我が国は日清戦争日露戦争などによって国際法上合法的に中国大陸に権益を得て、これを守るために条約等に基づいて軍を配置したのである。これに対し、圧力をかけて条約を無理矢理締結させたのだから条約そのものが無効だという人もいるが、昔も今も多少の圧力を伴わない条約など存在したことがない。

 駐留を認めることと、「(被害をこうむる方にとっては)侵略(といわれているが田母神氏はそうではないとされる行為)」を認めることは違うでしょう。軍隊に攻めこまれることに了承を与えていたというのは、どのような根拠に基づいているのでしょうか?

 「知られていない」ことを明らかにするのが行論の目的ならば、「新事実」(この場合は具体的な条約の内容や運用)を具体的に提示し、典拠となる史料を明らかにするのが論文の作法です。主張の根拠を示すのは、論文イロハのイです。しかし、残念なことに、この「論文」では全体的に守られていません。関連して、「・・・・・・という人」とありますが、論文で先行研究に言及するときは、注をつけて批判対象を明らかにするルールも守られていません。

 この日本軍に対し蒋介石国民党は頻繁にテロ行為を繰り返す。邦人に対する大規模な暴行、惨殺事件も繰り返し発生する。これは現在日本存在する米軍横田基地横須賀基地などに自衛隊が攻撃を仕掛け、米国軍人及びその家族などを暴行、惨殺するようものであり、とても許容できるものではない。これに対し日本政府は辛抱強く和平を追求するが、その都度蒋介石裏切られるのである。実は蒋介石コミンテルンに動かされていた。1936年の第2次国共合作によりコミンテルンの手先である毛沢東共産党ゲリラ国民党内に多数入り込んでいた。コミンテルン目的日本軍国民党を戦わせ、両者を疲弊させ、最終的に毛沢東共産党中国大陸を支配させることであった。我が国は国民党の度重なる挑発に遂に我慢しきれなくなって1937年8月15日日本近衛文麿内閣は「支那軍の暴戻を膺懲し以って南京政府反省促す為、今や断乎たる措置をとる」と言う声明を発表した。我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである。

 スターリン毛沢東がそれほど仲が良かったとは知りませんでした。コミンテルンにそれほどの影響力があることも知りませんでした。繰り返しますが、オリジナルな主張には、その土台となる史料の裏づけが必要です(「実は??」と書いているのですから、普通は知らない新しいことなのですよね?)。大事なことなので強調します。「新しいことを主張するためには、根拠を示さなければならない」、これは学問の基本です。

 1928 年の張作霖列車爆破事件も関東軍の仕業であると長い間言われてきたが、近年ではソ連情報機関の資料が発掘され、少なくとも日本軍がやったとは断定できなくなった。「マオ(誰も知らなかった毛沢東)(ユン・チアン講談社)」、「黄文雄大東亜戦争肯定論( 黄文雄、ワック出版)」及び「日本よ、「歴史力」を磨け(櫻井よしこ編、文藝春秋)」などによると、最近ではコミンテルンの仕業という説が極めて有力になってきている。日中戦争の開始直前の1937年7月7日の廬溝橋事件についても、これまで日本中国侵略の証みたいに言われてきた。しかし今では、東京裁判最中中国共産党の劉少奇が西側の記者との記者会見で「廬溝橋の仕掛け人中国共産党で、現地指揮官はこの俺だった」と証言していたことがわかっている「大東亜解放戦争岩間弘、岩間書店)」。もし日本が侵略国家であったというのならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。

 ようやく文献をあげられましたが、刊行年と該当ページも明示するのが一般的な論文ルールですよね。それは百歩譲るとしても、示された著者のなかに査読つき学術雑誌に報告された方が一人もいらっしゃらない。これは信憑性をさらに落とすものではないでしょうか。また、人の発言を引くのであれば、それが掲載された媒体を明示するのもきほんのきですよね。

 張作霖爆殺をコミンテルンの仕業とする説に対しては、特に『マオ』について、中国現代史研究者から根拠に疑義が出されています。

 「関東軍高級参謀河本大作らがこの事件を企画し実行した固い事実を、この程度の「スパイ情報」で覆せるものか」(矢吹晋「書評『マオ―誰も知らなかった毛沢東』」『中国情報源』21世紀中国総研編、蒼蒼社、2006年、225ページ。http://www25.big.jp/~yabuki/2006/mao-rev.pdf)。

 盧溝橋事件についても、「計画」説に対する批判的研究が出ているようです。

 「日本の一部の論者が唱える「中国共産党計画」説と,中国側の唱える「日本軍計画」説がともに誤りであり,盧溝橋事件が日中双方にとって「偶発」的なものであったとする」(加藤陽子「書評 安井三吉著『柳条湖事件から盧溝橋事件へ―1930年華北をめぐる日中の対抗―』」『アジア経済』45(9)、2004年、65ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/7473/1/kato45_09.pdf)。

 最後に、既にたくさんのつっこみがブコメで入っていますが、みんながやっていることだからといって、行為に対する責任がなくなることはないでしょう。

 我が国は満州朝鮮半島台湾日本本土と同じように開発しようとした。当時列強といわれる国の中で植民地内地化を図ろうとした国は日本のみである。我が国は他国との比較で言えば極めて穏健な植民地統治をしたのである。満州帝國は、成立当初の1932 年1 月には3 千万人の人口であったが、毎年100 万人以上も人口が増え続け、1945 年の終戦時には5 千万人に増加していたのである。満州人口は何故爆発的に増えたのか。それは満州が豊かで治安が良かったからである。侵略といわれるような行為が行われるところに人が集まるわけがない。農業以外にほとんど産業がなかった満州の荒野は、わずか15年の間に日本政府によって活力ある工業国家に生まれ変わった。朝鮮半島日本統治下の35年間で1千3百万人の人口が2千5百万人と約2倍に増えている「朝鮮総督府統計年鑑」。日本統治下の朝鮮も豊かで治安が良かった証拠である。戦後日本においては、満州朝鮮

半島平和な暮らしが、日本軍によって破壊されたかのように言われている。しかし実際には日本政府日本軍努力によって、現地の人々はそれまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に向上したのである。

 「同じように開発」と主張するには、開発の指標を定め、比較する必要があります。共通の比較の基準が示されていません。データもです。内地、満洲、朝鮮台湾、他の植民地宗主国本国、その国の植民地それぞれについて、共通の尺度ではからないと比較にならないのではないでしょうか。それをせずに外形が拡大したと言うだけでは、中国の「共産党政権チベットを・・・・・・」に反論できなくなってしまいます。

 「内地化」も定義を明確にして使うべき用語ですね。

 また、現実にも、「帝国日本植民地支配の歴史には,「外地」を法制的・政治的には明白に異域に置きながら、イデオロギー的には「内地化」を標榜するという,理念現実の「二重性」がその当初からつきまとっていた」(山本有造「植民地統治における「同化主義」の構造」『人文学報(京都大学人文科学研究所)』83、2000年、70ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/48550/1/83_57.pdf)、「「満洲国」の掲げた「五族協和」にしろ「王道楽土」にしろ,関東軍による露骨な軍事支配を隠蔽するイデオロギーという以上の意味を持ちえなくなる」(山室信一「「満洲国」の法と政治―序説」『人文学報(京都大学人文科学研究所)』68、1991年、150ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/48355/1/68_129.pdf)といわれる植民地統治を、「極めて穏健」と評価するにもまた、基準とデータの比較が必要です。

 また、人口の増加は支配の善さを担保しません(チベット・・・・・・)。

 我が国は満州朝鮮半島台湾学校を多く造り現地人の教育に力を入れた。道路発電所水道など生活のインフラも数多く残している。また1924年には朝鮮京城帝国大学1928年には台湾台北帝国大学を設立した。日本政府明治維新以降9つの帝国大学を設立したが、京城帝国大学は6番目、台北帝国大学は7番目に造られた。その後8番目が1931年大阪帝国大学、9番目が1939 年の名古屋帝国大学という順である。なんと日本政府大阪名古屋よりも先に朝鮮台湾帝国大学を造っているのだ。また日本政府朝鮮人中国人陸軍士官学校への入校を認めた。戦後マニラの軍事裁判死刑になった朝鮮出身の洪思翊という陸軍中将がいる。この人は陸軍士官学校26期生で、硫黄島で勇名をはせた栗林忠道中将と同期生である。朝鮮名のままで帝国陸軍中将に栄進した人である。またその1期後輩には金錫源大佐がいる。日中戦争の時、中国大隊長であった。日本兵約1千名を率いて何百年も虐められ続けた元宗主国中国軍を蹴散らした。その軍功著しいことにより天皇陛下の金賜勲章を頂いている。もちろん創氏改名などしていない。中国では蒋介石日本陸軍士官学校卒業新潟高田連隊で隊付き教育を受けている。1期後輩で蒋介石の参謀で何応欽もいる。

 前の段落と同様に、「多く」の中身が不明確に過ぎ、検証のしようがありません。また、植民地宗主国の支配の下で「植民地近代」化したのはその通りだと思います(松本武祝「’’朝鮮における「植民地近代」’’に関する近年の研究動向」『アジア経済』43(9)、2002年、31-45ページ。http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Ajia/pdf/2002_09/note.pdf)。私はこの辺り特に勉強不足です。各国の軍制についても同じくよく知らないので飛ばします。

 孫文をはじめ、アジア各地の革命家日本に集まったことは特に新しい論点ではないでしょう。ファン・ボイ・チャウの失望も有名な話ですね(白石昌也「ファン・ボイ・チャウと日本」『東南アジア学会会報』25、1975年、1-3ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0004923536)。

 李王朝の最後の殿下である李垠殿下陸軍士官学校の29期の卒業生である。李垠殿下日本に対する人質のような形で10歳の時に日本に来られることになった。しかし日本政府殿下王族として丁重に遇し、殿下学習院で学んだあと陸軍士官学校をご卒業になった。陸軍では陸軍中将に栄進されご活躍された。この李垠殿下のお妃となられたのが日本の梨本宮方子妃殿下である。この方は昭和天皇のお妃候補であった高貴なお方である。もし日本政府が李王朝を潰すつもりならこのような高貴な方を李垠殿下のもとに嫁がせることはなかったであろう。因みに宮内省はお二人のために1930年に新居を建設した。現在赤坂プリンスホテル別館である。また清朝最後の皇帝また満州帝国皇帝であった溥儀殿下弟君である溥傑殿下のもとに嫁がれたのは、日本華族嵯峨家の嵯峨浩妃殿下である。

 旧領主の家系の存続という意味であれば、インドの藩王たちも手厚く身分を保証されていましたね。ベトナムバオ・ダイフランスグランゼコール教育を受けていましたね(英国人とインド人の婚姻には宗教問題がありますし、バオ・ダイ渡仏時のフランス共和制だから王室はないですし、この段落については適切な比較が可能な問題設定なのか疑問です。個人的にはそもそも宗主国の王室を嫁がせることが恩恵という考え方がどうなんだろうと思います)。

 これを当時の列強といわれる国々との比較で考えてみると日本満州朝鮮台湾に対する思い入れは、列強植民地統治とは全く違っていることに気がつくであろう。イギリスインドを占領したがインド人のために教育を与えることはなかった。インド人をイギリス士官学校に入れることもなかった。もちろんイギリスの王室からインドに嫁がせることなど考えられない。これはオランダフランスアメリカなどの国々でも同じことである。一方日本は第2次大戦前から5族協和を唱え、大和朝鮮、漢、満州蒙古の各民族が入り交じって仲良く暮らすことを夢に描いていた。人種差別が当然と考えられていた当時にあって画期的なことである。第1次大戦後のパリ講和会議において、日本人種差別撤廃を条約に書き込むことを主張した際、イギリスアメリカから一笑に付されたのである。現在世界を見れば当時日本が主張していたとおりの世界になっている。

 ロイヤルファミリー婚姻の件で共和制アメリカを並べているのは不適切でしょう。既に述べましたがフランスも時代によって共和制です。

 エルフィンストーンカレッジ(1856年設立、現在ムンバイ大に)、カルカッタ大学マドラス大学(1857年設立)というように、大英帝国植民地支配の拠点に大学その他の教育機関を設立していますね。

http://en.wikipedia.org/wiki/Elphinstone_College

http://en.wikipedia.org/wiki/University_of_Calcutta

http://en.wikipedia.org/wiki/University_of_Madras

 「五族協和」が実態をともなわなかったことについては、前掲山本論文および山室論文を参照。

 人種差別撤廃についてはよい提案をしたということに同意いたします。ただし、繰り返しますが、現実施策がともなわなかったことについては残念です。

 時間は遡るが、清国は1900 年の義和団事件の事後処理を迫られ1901 年に我が国を含む11ヵ国との間で義和団最終議定書を締結した。その結果として我が国は清国に駐兵権を獲得し当初2600名の兵を置いた「廬溝橋事件の研究(秦郁彦東京大学出版会) 」。また1915 年には袁世凱政府との4ヶ月にわたる交渉の末、中国の言い分も入れて、いわゆる対華21箇条の要求について合意した。これを日本中国侵略の始まりとか言う人がいるが、この要求が、列強植民地支配が一般的な当時の国際常識に照らして、それほどおかしなものとは思わない。中国も一度は完全に承諾し批准した。しかし4 年後の1919年パリ講和会議に列席を許された中国が、アメリカの後押しで対華21箇条の要求に対する不満を述べることになる。それでもイギリスフランスなどは日本の言い分を支持してくれたのである「日本史から見た日本人昭和編( 渡部昇一祥伝社)」。また我が国は蒋介石国民党

との間でも合意を得ずして軍を進めたことはない。常に中国側の承認の下に軍を進めている。1901年から置かれることになった北京日本軍は、36 年後の廬溝橋事件の時でさえ5600 名にしかなっていない「廬溝橋事件の研究(秦郁彦東京大学出版会) 」。このとき北京周辺には数十万の国民党軍が展開しており、形の上でも侵略にはほど遠い。幣原喜重郎外務大臣に象徴される対中融和外交こそが我が国の基本方針であり、それは今も昔も変わらない。

 今回は表現からつっこんでみます。「完全に承諾」というように形容詞修飾をするときには、それが表す具体的な内容を補足して、互いの印象の差を埋める努力をすべきというのが、私の受けた指導です。どうしたら「完全に承諾」したことになるのでしょうか。一番肝心な相手に過大な要求をつきつけ、排日運動を燃えあがらせて宥和に失敗したのは外交の失敗であり、恨み言をつぶやいてもごまかすことはできません。

 日中戦争については、派兵前の人員の少なさを根拠に「形の上でも侵略にはほど遠い」と主張するのは無理筋にみえます。

(再々追記)また字数超過?で切れたので、つづきへ (さらに追記)補足エントリをTBしました。 (また追記)補遺エントリをTBしました(11/5)。

 
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