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2024-03-21

在野研究者として納得できている

在野研究者として生きるということーお金についての真面目な話 | 磯野真穂ブログ

「在野研究者として生きるということ」を読んだので自分の経歴を振り返って感じたところを書いてみる。40代おっさん自分語り。

地方私立大学理系入学したが、単位が壊滅的に取れなかった。また理系に進学したのは就職率が良いから、というだけの理由だった。そのため元から興味のあった分野を学びたいと、卒業を待たずに地方公立大学文系学部に転学し、言語学を学んだ。

良い師に恵まれ良い学びを得たが、地方公立大学就職は壊滅的に悪かった。同じ学部卒業生の就職先は地方のよく知らない会社(その地方に住んでいた親戚でも知らないようだった)か、当時有名だったブラック企業しかなかった。

これはまずいぞ、と思って大学院進学を決めた。だけど学部新卒カードを使わない手はないと思ったので就職活動もしてみた。全国区マスコミ二次面接とか最終面接まで進んだぐらいで、大学院進学を蹴るほど行きたい企業から内定はもらえなかった。同級生と話したら、彼ら彼女らは全国区企業を受けるという発想が無かったり、都市部学生よりも明らかに就職活動開始時期が遅かった。場数を踏んだ方が有利になる、と思っていた自分はひどく驚いたのを覚えている。

就職活動で知り合った友人に『貧乏父さん金持ち父さん』を勧められて読んだ。資本家のために働くのは嫌だな、と思った。友人もそう思ったのか、彼は起業して成功し、資本家になった。

閑話休題大学院については学部の師の退職も近かったし、そのまま上に進んでも就職は有利にならないだろうと考え、別の大学に行くことにした。なんとなくどこかには行けるだろうという気がしていたので焦らなかった。でも、旧帝国大学大学院に受かったときはうれしかった。そこに進んだ。

そこでも良い師に出会い、厳しく指導を受けた。人文科学を学ぶ者は哲学も学ぶべし、との方針の下、マルクス資本論』なども読んだ。やっぱり資本家のために働くのは嫌だな、と思った。『貧乏父さん金持ち父さん』は『資本論』の焼き直しだとも思った。

別の教員からは「国立大学学生私立大学学費と比べたらわかる通り、毎年数十万円の補助を国からもらっている。そのお金を出すだけの価値あなた研究にあるかどうか、考えなさい」と言われた。修士ではその言葉を肝に銘じて研究をしたつもりではある。

ある日、大学院の師から研究者に向いていないと思う」と言われた。あっさりと、そうなのかな、と思ってしまったので、そうなのだろうと思う。アウトプットが下手な自覚はあった。研究者としては致命的である。別の教授からは夕食を奢られて「博士に進学した方がいい」と言われた。でも、就職については「運だね」とも言われたので、決意は揺るがなかった。

大学院時代就職活動の結果、インフラ関係会社からと、その旧帝大事務職から内定をもらった。インプットは嫌いではなかったので、給料がそこそこよくて地方勤務のある前者より、給料月並みでも図書館等の設備があって都市部アクセスやす後者を選んだ。学部時代経験で、地方より都市部の方が学問やすそうな気がしていた。

アカデミアから抜けて後悔はないかと言われたら、少しは後悔はある。明らかに自分より勉強もしていないし、年間数十万の価値がある研究をしていたと思えない先輩、後輩、同級生らが大学教員になっているのを見ると、もやもやはする。彼ら研究が少なくとも私学助成金分に値するのか疑問に思うことだってある。だけど独立系大学院の悲しさか、教員としての就職状況は良くない。MARCH以上のレベル大学教員として採用された例はほとんど知らず、知る範囲では数十年で2人しかいない。経営状況もあまりよくなさそうな大学語学教育とやらを看板にして語学を教えるのは大変だと思う。それでも教育研究ができて幸せならそれでいい。好きなことを仕事にできるのは幸運からだ。私には、そこまでの熱意はなかった。

大学院に行ってよかったかといえばよかったと答えるし、就職してよかったかと言われたらよかったと答える。大学院に行ってよかったことは、学んだ分、世の中を見るときの精度が高くなったことだ。認識論経験論、存在論などいろんな考え方があるし、新自由主義社会民主主義など、さまざまな主義主張がある。世の中の人たちの考え方をとらえる力はついたと思う。アカデミアに残らず、安定を取って就職したが、私の能力だと生涯賃金は今の選択肢のほうが多かったと思う。

仕事をしながらアウトプットを続けて、専門とは少し違う分野ではあるが財や研究者として、本の一章も書かせてもらった。仕事では出世コースからは外れてしまったが結婚もして子どももいる。幸せだ。アカデミアに絞らなくても幸せは手に入れられる。

2024-02-21

anond:20240221173717

国語教育は、言語表現能力文学理解コミュニケーションスキルの向上など多様な目的を持って行われます。具体的には、文法や語彙の習得、作文や討論の練習文学作品の分析解釈などが行われることがあります。これにより、学生たちは豊かな言語能力を養い、情報を正確に伝えたり、自身思考を的確に表現したりするスキルを身につけることが期待されています国語学習は、他教養科目とも連携し、より深い人文科学理解社会的意思疎通の向上にも寄与していますよ!

2023-11-19

anond:20231119082411

自然科学系もそうだが、人文科学系も恥かいている人多いと思うぞ。人文科学系は公務員試験受けるタイプを除いて法学知識あるわけでもないが、もっと自公政権批判的な人の割合が多い層でしょ。

かつて人文系博士号は功成り名を遂げた大学者がもらう勲章のようなものだった

最近中東イスラム研究者池内恵氏が博士号を持っていないことが、X上で話題になっていた。やたらに博士号を持っている側を持ち上げたり、あるいは逆に博士号重要ではない、実績を見よ、と反論していたりするのが目に付く。

だが、博士号に関しては議論の前提が違う。かつて、そもそも日本の人文系博士号レジェンド級に希少であり、真っ当な研究者でも取得できないのが普通だったのだから90年代以前の人文系研究者の大部分は、博士課程で博士号を取得することはできないと認識していただろう。

その様相が変わって学位取得が適正化されたのは、池内氏が学部生、院生として過ごした90年代から2000年代にかけてのことだ。池内氏はその変化の恩恵?を授かれなかった狭間最後世代なのだと思う。

その点に触れている投稿がなかったので、メモしておこうと思う。

文系博士号の取得について認識齟齬が生じる原因は大きく二つだ。

現在では人文系博士号運用理系運用に近づいた。だが世代や文理の違いによって事実が見えなくなっている人が多いのだと思う。

90年代前半くらいの状況

90年代中盤当時、大学院について調べていると謎の単語単位取得退学」に出会った。博士課程に進学し修了したとして、しかし残念ながら学位もらえず、ということはある。ここまでは当然だろう。不思議だったのは、単位取得退学という言葉がまるで学位のような扱いだったことだ。プロフィール欄に堂々と書くようなものか?と思った。

調べるとどうやら人文系博士号を取得するのは非常にマレだということだった。それゆえに単位取得退学学位のように通用していたということである

ざっくりと状況を把握するには、下の 3.4.2日本博士号取得者 (1)日本の分野別博士号取得者 あたりを見てほしい。

[科学技術指標2021・html版 | 科学技術学術政策研究所 ](https://www.nistep.go.jp/sti_indicator/2021/RM311_34.html)

実態としての運用はどうだったか。その雰囲気はこの辺のWikipedia記事に詳しい。

[単位取得満期退学](https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%98%E4%BD%8D%E5%8F%96%E5%BE%97%E6%BA%80%E6%9C%9F%E9%80%80%E5%AD%A6#%E4%BA%BA%E6%96%87%E3%83%BB%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E7%B3%BB%E3%81%AE%E7%89%B9%E8%89%B2)

1989年以前の東京大学大学院人文科学研究科では、大学院生にとって課程博士論文は書かないことが原則で書くことは例外であったという」

少なくとも90年代以前では、人文系研究者キャリアの初期に博士号は困難であったというより、ほぼ不可能だったみて構わない。かつて人文系博士号キャリア晩年差し掛かってそれまでの功績を評価してもらうもの。今のように博士課程を修了した時点でキャリアの出発点となるような資格のようなものではなかったのだ。

時代の転換

この状況は1990年代に入ると徐々に変化する。

[23博士学位授与数の推移と授与率:文部科学省](https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/attach/1407428.htm)によると、博士授与率は、

平成3年度(1991年度)に人文系4.7%、工学系78.1%だったものが、平成13年度(2001)年度では、人文系23%、工学系では88.6%と変化する。まだ差はあるものの確実に変化している。

いずれにせよ、2000年前後は、「博士課程を修了して真っ当な評価を得れば博士号を取得できる」という普通の状況に至るまでの長い変化の途中の時期だった。

現在

博士号を取得する人の数は増え続けている。ただご存知の通り、その活躍先が十分あるとは言えない状況だ。

このことで企業側の受け入れ姿勢批判する向きもあると思うが、それは間違っていると思う。かつての日本博士号(人文系)の授与が異常だったのであり、企業はそれに適応しただけだろう。変な運用を続けていた大学責任がある。企業の変化にはまだ時間がかかるだろう。

以上が、博士号取得に関しての時代状況の説明だ。

博士号価値

現在特に文系に関して博士号は多く取得されるようになったが、だからと言って価値が軽くなったという話ではない。

ただ時代が違ってしまうと、まるで別のものになっていることは押さえておきたい。別の分野の研究ともなると尚更比較するのは困難だ。

(課程博士論文博士など取得プロセスの違いもある)

私自身は結局アカデミアとは無縁のキャリアになったので、個別研究室の中のことを知る由もないが、おそらく池内氏が博士課程に在籍していた2000年前後博士号の扱いの転換期だったはずだ。その当時は学位を取得することは不可能ではなかったが当然でもなかった時代だと言える。

まして、仄聞するに、池内氏は学会因習悪弊に対して相当の武闘派であったようだから、そう簡単学位を取得できる状況だったとは思えない(これは憶測だが)。

池内氏の中東イスラムの分野の研究における業績は既に輝かしいし、一般向けの著書や寄稿も数多い。加えて組織設立運営、後進の育成など、並みの胆力ではこれだけのことはできない。

現在、この世界情勢のもとで池内氏の解説発言は、信頼のおける言説としてますます重要になっていると思う。

当人にとっては博士号の話など大きなお世話で、拘泥もしていないと思う。

ただ、一般の人が博士の扱いの変遷について知らず、この話題によって氏への信頼に一点でも曇りを生じそうな人がいるなら、それは違うとは伝えておきたい。

2023-10-15

anond:20231015112109

Scienceって語自体が、第一義としては自然科学から

数学はscienceか? (人が作ったものではなく自然のものなのか?)みたいな議論すらあるレベルだし

人文科学社会科学という用語研究分野もあるにはあるけど、scienceの原義とはかなりずれてるのでは

SFって言うときサイエンスって

100%自然科学だよね、物理学とかそのへんの

俺は人文科学系のサイエンスをハックする作品もっと摂取したいんだよ

たとえば「自殺法」を題材にしたバビロンなんかは、社会科学的なサイエンス・フィクションと言えなくないか

たとえばミダスマネーが蔓延社会を描いたCなんかは、経済学的なサイエンス・フィクションと言えなくないか

2023-10-14

ゴールディン氏の主張を額面通り受け取っていいのか

ノーベル経済学賞受賞者の主張が日本のX界におけるいわゆる”アンチフェミ”の主張と整合であるということでアンチフェミ界隈が沸き立っているが、そもそもゴールディン氏の主張自体額面通り受け取っていいのかという問題がある。

そもそもゴールディン氏の主張は”アンチフェミ”的なのか?という点については、彼女の著書を普通に読めば、解釈に多少の幅はあれ概ねそのような内容であることは明らかだと思う。すなわち、同じ仕事や同じポジションに付く男女について差別に基づく賃金の差は既に存在せず、実現している男女の賃金格差家計における合理的キャリア選択の結果として現れているものであるという趣旨であり、労働条件における系統的女性差別存在を主張する人々の考え方とは対立する)

自分経済学学位を持っており、大半の人よりは経済学に詳しいという自負があるが、それ故に経済学的なもの見方限界について思うところがある。経済学とはそもそも定量的に観察された社会事象」を「人々の合理的意思決定を前提」として解釈する学問である。こうしたアプローチは、以下の様な点で、男女差別の様な問題を考える際に色々な問題があると思われる。

まず「人々の合理的意思決定を前提」とする考え方の問題点とは、そもそも差別とは経済的観点から基本的に非合理的なので、経済学理論で世の中を解釈するとそもそも差別など存在しないという結論に偏るバイアスがある。例えば以下は経済学的な考え方の例である。「もし男性と同じ能力を持つ女性に対して差別的に賃金を低く設定している企業存在しているなら、他の企業はその女性に対して今より少し高い賃金オファーして彼女を雇うことで男性と同等なのに少し安い労働力を確保できて得をする。これが女性男性と同じ賃金になるまで繰り返されて、男性女性賃金は同水準に収束する。もしそうなってないならば、何か別の経済的インセンティブが働いているはずである」この様に、経済学理論は首尾一貫して経済的合理性のみで物事説明することを試みるため、文化的要因や社会心理学的な要因が入り込む余地はない。差別という経済合理的事象は、そもそも経済学理論スコープから排されているのである

また、「定量的に観察された社会事象」のみを分析対象とする点も問題である。こうした経済学スタンスは、証言なども含めたテクストに対して丹念な分析を行う歴史学社会学・ジェンダー学といった人文科学アプローチとは対照的である。数量データに現れない出来事が世の中に存在しない訳ではないのである。例えばナチス政権下でのユダヤの人々の苦しみは、数字のみによって語られるべきではないのと同じである。彼らには統計的事実に現れない日常的苦しみも確実にあったわけで、それは例えばアンネ・フランク日記などの記録から定性的に読み取ることで明らかとなる。これはフェミニズムの文脈でも同様である現代日本において多くの女性が進路選択キャリア形成に際して有形・無形の差別存在を感じ、声を上げているということが事実として存在しているわけで(例えば進学に際して親から「あまり高学歴だと結婚できない」と言われるなど)、それが例え統計データとして現れないとしても、その苦しみが存在しないということにはならない。

ノーベル経済学賞というのはあくまでも経済学という学問世界の中での権威が認められたというだけの話である上記の様に、経済学のものが、社会事象の一側面を切り取って分析を行う学問である以上、経済学的なもの見方が男女格差という複合的な社会事象の全ての側面を明らかにした訳では全く無い。ゴールディン氏の分析結果は、もちろんそれはそれとして有益考察材料としつつ、あくまでこの問題を扱う本流である歴史学社会学・ジェンダー学の考え方と合わせて、この問題に関する理解を深めていくというのが正しい知的態度だろう。

2023-10-06

anond:20231006083339

東大世界50位だから

人文科学で見極めようと思ったらまず単語の使い方や

まともな社会学者ならジェンダー論ならまず男とはなにかとか女とは何かとかその辺からきっちりしてるしその定義は先行研究に基づくもの引用査読された1次ソース

そうじゃないやつは全部偽物

どの学問も同じ

anond:20231006081200

現実的な話として石油供給産業の発展の基礎は人間支配と統制、経済支配社会システム治安の維持、もろもろの全てがつまり人文科学領域な訳だが、理系科学文系科学車両の両輪のようなもので双方が機能して初めて社会が発展するという基礎の基礎すら分からんアホ猿がウジャウジャいる事実が怖いわ

今食べてる飯はどうやってお前の元に届いたんだろうな。何で病気になったらお前は病院に行けるんだろうな。何でお前は野生動物や隣の人から襲われないんだろうな?

所詮社会科学なんてのは安定した文明社会の上で遊んでるだけのおままごとしかないのだと自覚すべき。

お前が理系科学勉強するとかい所詮ままごとができてるのも文明社会存在するのもその人文科学のおかげなんだけどw

底抜けバカだと社会科学をおままごとだと思ってしまうらしい

anond:20231006075356

日本人人文科学の九九レベルの基礎教養がまるでない国民という仮説の根拠を聞いているんやぞ?

それでは落第だぞ?

anond:20231006073955

専門どうたらじゃなくて実際に日本人が人文系に関してそのレベルっていう具体的な話をしてるんですよね

そうじゃない国民にはそんなこと言いません

人文科学の九九レベルの基礎教養がまるでない国民

2023-09-13

anond:20230913185032

せやな社会学歴史経済政治文化その他人科学空っぽからやな

半導体飛行機を作るには、技術だけでなくてそれら産業をうまく運用できる社会基盤が必要だし

仮に原発を爆発させたとしても、その後きちんと対応できる社会基盤が必要だし

公害を発生させないようにする社会基盤が必要

そういう人文科学ゴミカスから社会基盤を作れないんやな

2023-09-10

物理学ファインマン社会学ヴェーバーか?

哲学者永井均さん、M・ヴェーバーを精読したこともない人が社会学を叩くのは自分馬鹿であることを喧伝しているようなものであるとの見解を示す」

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2221010

このブコメの話。

自然科学におけるリチャード・ファインマン権威性と人文科学におけるマックス・ヴェーバー権威性を並べちゃうのは典型的ダメ議論という気がする。

文系教育には原典講読という伝統文化があるが、自然科学教育において原論文を精読することは比較的めずらしい。大学社会学科でヴェーバーを読んでいない学生モグリだろうが、物理学科でファインマンを読んだことない者はいくらでもいる(はず。「ファインマン物理学シリーズはそれほど人気のある教科書とはいえないし、一般向け作家として人気があったのは一時代前だろう)。

現代の「社会学」についてまともにコメントをしようとするならマックス・ヴェーバー著作、少なくともその教科書的(=広く合意のある基礎的な)解釈を知っている必要がある、というのはそれほど異論のないことだと思う。なぜなら社会学をはじめとする現代人文科学議論は、過去学者がつくりあげてきた概念言葉)をその文脈込みで参照し、再解釈しながら展開されているからだ。M・ヴェーバー理論現代社会学の基礎の一部、別のいい方をすればある種の共通言語的基盤となっていることは否定できない。そして人文科学における二次文献は不可避的に当該の文献の著者の解釈文脈を帯びたものになるので、そもそものM・ヴェーバー議論を知るためにはM・ヴェーバーを(できるかぎり原語で)読む以外の方法がない。

他方で物理学をはじめとする理学系の自然科学について、たとえば放射性物質一般的な性質などについてあれこれいうために特定原論文を読む必要はまったくない。たとえばアインシュタイン原論文を読解することと、相対性理論理解することはそれほど関係がない。読むのは凡百の大学教科書でもいいし、なんなら「一般読者向けに」(ただし適切に数式を用いて)書かれた解説本でもいい。

なぜなら現代物理学の最新の知見、つまり多くの者がもっと妥当であると認める理論についての解説は、基本的に誰が書いたものでも同じ前提、同じ内容、同じ結論になるからだ(基本的法則定理にもとづく数式の展開によって示される)。知見のコアは何らかの前提のもとに何らかの理路を示す数式の展開もしくはその結論であって、誰が書いたか、どう書かれているかといった文脈関係がない。

物理学はたしかにこれまでの物理学史(歴史に名を残す偉人と無数の無名研究者たちの論文の蓄積)の産物だが、その到達点を知見として理解するために科学史理解する必要基本的にはない。ファインマン特定の業績によってノーベル賞を取ったが、その業績について知ろうとする場合でも、必ずしも彼の書いたものによって理解する必要はない。

2023-09-06

anond:20230906102659

社会科学」や「人文科学」の枠組みに留まりたいなら

高校レベル物理化学生物でも突っ込まれるような事は言わないようにしないと

科学ではないグループ宗教科や哲学科の親戚扱いになってしまうよ

2023-08-30

anond:20230830035000

日本人リテラシーって、文系学問に関しては水素水健康にいいと信じて買ってしまバケモンレベルスタンダードから

1+1すらできないアホが多いので、学者さらっと解説させても、数字ゴチャゴチャして胡散臭いペテン師だ!みたいなぶっ飛んだ批判くるからもうどうにもならない

新しい世代学校教育を、人文科学も重視していくようにするしかない(徐々にそうなってきている)

2023-08-19

https://anond.hatelabo.jp/20230819095520

当方大学院メディアの影響を社会学的枠組みを用い統計学的手法研究していた。師事していたのはその道の大家。(※大学名とか教官名は特定防止のため伏す)

まあ出来は壊滅的に悪かったんだけどね…

 

まず言っておくと、強力効果論のようなある特定メディアの影響モデル「だけ」をつかってメディアの影響をすべて測ることは不可能

もちろん今も研究は多々行われているけど、メディア環境自体激変を続けていることなから今後も影響評価に対する統一的知見が出る確率はほぼない。

仮にそういう理論を完成させたら即東大情報学環あたりのポストはゲットできるはず。

 

実際の研究においては調査の都合上ある特定議論に沿って分析を進めていかざるを得ない。

仮に複数議論を包括したうえで研究を行う場合特に実際にデータ収集して行う調査においては研究に沿った形で逐一面接項目や質問項目を作らなければいけない。

そうなれば項目も膨大になってデータ収集される側の負担も大きく増す。負担が大きい調査を薄謝で行ってくれるような優しい人間はそんなにはいない。

結果統計学的意味のあるデータが集まらず、満足いく分析ができない可能性も大きい。

メタ分析に関してならできなくもないといいたいけど、その対象調査データだったりするので調査の段階で軒並み躓くとメタ分析意味も薄らぐ。

あと、メディアの影響に関してはその人が置かれている環境属性によっても大きく異なってくる。

その場合、異なる環境の人同士を十把一絡げにまとめて単一尺度分析することが妥当なのか?という問いもでる

(※先述の通り実際の研究では「大人の事情」でそうせざるをえないことが多いが…)

 

>「水からの伝言」と違うの?

まず条件を統制して研究することが可能自然科学と、それがほぼ不可能人文科学研究本質的に異なる。

当然理論再現可能性に関しても限定的になることは留意しなければいけない。

ただ、それを理由に「理論妥当性がない」と言いだしたら人文学見地はすべて棄却せねばならないことになる。

 

元のエントリ一見専門用語をちりばめるなどして「それっぽく」見せているけどよく読むとツッコミどころしかないの。多分ネット耳学問だけで情報を知った半可通だからかな?とは思う。

もちろん俺もどうしようもなく不出来な院生だったし人のこと偉そうにいえんがな。実際こんなサビたなまくら未満の論駁しかできないわけだし。

自分も浅学非才だし、もっと本とか論文を読んで知識をつけなきゃなとは常に思っている。

 

とりあえず元の増田にはこの教科書的2冊を何度も読んで基礎から学んでほしい

東大出版会の『社会情報ハンドブック』も入れようと思ったが、あれは内容はいいけどかなり古いのでね…改訂版出して)

2023-08-05

検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』への雑ブコメ一覧

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASR8443X7R7XUCVL037.html

id:paracletus それより「連合軍も悪いことをした」について、そろそろ語られるべきかなあと思う。

id:CocoA ただしぃ~、原爆による無差別大量殺人肯定はいいで~す

id:technocutzero 欧州全体でロマ排斥殺害してたことも教えないとダメだワン ソ連ホロコーストも全く語られないしな WW2後の世界が枢軸を悪とすることで成立させてる世界観だからそうなってるだけで純粋歴史の話じゃない

id:toratsugumi むきになってナチを完全否定する勢力は、国家社会主義ドイツ労働者党ショッカー区別がついてないんじゃないのか。ソビエト連邦共産党カンプチア共産党朝鮮労働党だって、内政面で良いことも少しはしてるぞ?

id:mutinomuti 誰に対して?(´・_・`)欧米優越的地位確立植民地奴隷制度による搾取によって加速されたわけだけど、そういう話?

id:eotitg 未だにナチスのユダヤ虐殺ばかり言うのが健常主義で、ユダヤ以前に障害者ガス室送りにしたのがT4作戦。T4作戦を都合が悪そうに沈黙してきたユダヤ障害者差別と、白人だって差別と強調のユダヤ批判されるべきでは

はいドーン。また新しいアホがあぶりだされましたね。同書内で言及されてるwhataboutismそのまんまです。そういう無駄な相対化で本題を誤魔化そうとする阿呆な態度を取ることの弊害が散々言及されてます文章を読めないアホに限ってこういう無駄メタを気取ってアホをさらしてしまうわけですね。いいサンプルです。

id:nt46 ナチスは何も良いことはしなかった、とは書けないか分析に走るのでは。

id:mr_yamada 「良いこともした」論者がアホなのはわかるが、学者研究対象に「肯定できるところはない」としてしまうとスタンスとしては、同じレベルに落ちてしまますよ。ナチスを雑に全否定することの危うさこそ心配

はいアホー。「何も良いことはしなかった」なんてこの本では書いてませんし全否定本でもありませーん。

id:flowing_chocolate 良い悪いではなく、何をやったかで語ってほしい。

はいアホー。何をやったかを書いてる本です。この本では歴史学における検証方法を「事実」「解釈」「意見」の3段階にわけることを検証してます。それが歴史学的にメジャー方法かはしりません。そもそも歴史学において「なにをやったか」を語ることは極めて不十分、そもそも客観的歴史など存在しないことを示してます間抜け。雑にマウント取ろうとするアホの見本。

mazmot 「良い」とか「悪い」という定義不能価値観歴史研究に持ち込むことの危うさをもうちょっと強調したほうがええんちゃうやろか。

id:by-king まずそもそも『良いこと』って定義はなんなんだろうね。そんな簡単一義的に決まるものなの?単なる誰かの価値観しかなくないか

はい出た出た「歴史研究善悪を持ち込むな」派。お前歴史研究まともに触れたことないだろ? historystory語源は同じstoriaって高校世界史の最初の授業で教えられることじゃない? そもそも歴史において価値判断を持ち込まないなんてことはありえないんですよ。

id:lochtext 無料部分では『善悪を持ち込まないのは不可能』って言ってるだけで、積極的に持ち込むのはやっぱり不適切なのでは?

これもおもしろ視点のように見えますが、率直に質問します。「ナチドイツユダヤ人を500万人殺しました」という歴史事実に対して「善し悪し」を持ち込むのは不適切だと思いますか? そもそも社会科学人文科学において「主観を含まない客観的判断」なんてもの存在しないんですよ。社会科学人文科学を学ぶ上でそんなことは初歩の初歩の初歩です。いわゆる理系ありがちな誤謬ですね。

id:tpircs 良くわからんけど悪いことだけするのが人類に難しそう。

これは悪くない視点ですね。物事って「良いこと」「悪いこと」以外に「良いとも悪いとも言いがたい領域」ってたくさんあるんですよね。

この本の中で散々言われてることは「良いことと主張されることが『悪いこと』と結びついている場合、それは『良いこと』と言っていいのか?」という問題意識です。一例を挙げます。困窮した国民政府が住居を提供しました。ヤッター!良いことのように見えますね? でも実はその住居はそこに住んでた在日コリアンを無理やり追い出して北海道強制移住させたことで獲得されたものです。さて、それは「良いこと」ですか?

石田勇治『ヒトラーナチドイツ』において示されてること、それは「ナチスとはヒトラー意向を実現する為の国家機関である」「ヒトラーユダヤを本気で絶滅させようとしていた」という事実です。ナチドイツ国民共同体を至上とした結果ユダヤ人500万人を殺害したという事実は、ナチドイツの様々な政策と綿密に結びついてしまますナチスの福祉政策ユダヤ人や性的マイノリティ排除していました。「ドイツ人」とみなされない人間人間扱いされないんですね。「ドイツ国内に住んでる人はユダヤ人も性的マイノリティも全員まとめて面倒みたるわい!」みたいな福祉政策ではなかったんですね。さて、それは「良いこと」ですか?

id:gui1 ナチ絶対悪なのは前提ですが。政権国民生活の向上の施策うつのが通常です。どんな政権でもそうです。悪のナチスでもそうです。国民いじめ抜いた悪夢民主党政権のような特異例は少ないです(´・ω・`)

なのでこの意見も同様に否定されるわけです、「国民生活を向上します、そのためにユダヤ排除しますしなんなら絶滅させます」。そのような施策は「良いこと」ですか?

id:colonoe わざわざ買って読む気はないので、環境保護禁煙政策を「良いこと」ではないと書いてるのかどうか教えてほしい

こういうアホは目次すら調べようとしない知的怠惰人間です。環境保護保護範囲限定的だったし戦争進むにつれて疎かになったって言ってます禁煙政策女性を除いて効果がなかったよねということを示してます

その上でこれへの返答を最後に持ってきたのは、実はこれは「良いことかもしれない事実」に結びついてるからです。本書の中で唯一「良いこと」の可能性が示されてるのがこの「禁煙政策女性の癌患者を減らした」というところです。そもそも「良いことが全くなかった」ということを示してる本ではないんですよナチドイツ政策学術的に検証してきた歴史学の積み重ねの中で、ナチドイツ政策で褒められるところがなかったっていう研究結果が出ているという話。これは田尾大輔や小野寺拓也がそう主張してるわけじゃない。他の研究者たちが積み重ねてきた、巨人肩に乗った結果の「歴史学的に一般的結論」が「良いこと」とされることをほぼ否定している。田野大輔・小野寺拓也だけが主張してるのではなく、先行研究効果の有無を実証していることをただまとめただけ。そういうことを知らずに雑語りしてるお前らはマージでね、お前ら全員アホ。アホが雁首揃えてアホを晒してるので爆笑です。

なお、その「女性の癌患者が減った」という政策には家父長制的な「女性は家庭で子供を産め」という思想根底にあったという指摘がある。女性子供を産むことが推奨されていて、その結果としての健康政策なわけだ。そういった価値観のもとでおこなわれた政策は「良いこと」なのか? という問いを本書では投げかけてますよ。

余談

それはそうと、この本は完全無欠な本だとは思ってない。この本を批判する素地は1つだけあると思ってる。それは「ナチ研究ナチス/ヒトラー過小評価しようとするバイアスが全体的に存在する」という批判だ。ただ、これまでナチドイツに真面目に向き合ってきた何百人もの学者が積み重ねてきた智の結晶バイアスとして切り捨てるのは相当ハイレベル研究必要かと思うので、増田はそう主張するつもりはない。

2023-06-30

人文科学にロクに触れたこともないのに

「人文系研究するなら理系知識必要

とか偉そうに言う理系嫌い

別に研究国立大受験じゃないんだから

何が必要で何が必要じゃないかは分野によって違う

そんな時と場合によるとしか言いようのないことをドヤ顔で言うなと思う

でもそいつが文理の学際分野で業績上げてる優秀な研究者だったらついついまぁせやなと言う気持ちになるはなるけど

2023-06-04

anond:20230604093352

科学コミュニケーションとか陰謀論否定コストみたいな話だな

陰謀論者というのはYouTube個人ブログで30分くらいで得た知識理論武装しており、それらを作る人もそもそもデタラメなので誰でも適当に30分で書ける

学問について正しく想像できないし、知識を持たないために学を軽視しており、自分は正しい知識を持ってると強く思い込んでいる


専門家20年30年かけて体系的に学んでおり、新情報キャッチアップし、知識経験にかかった時間は数万時間にも及んでいたりする

話すのにも考えるにも調査を経て、細かな学説議論にも配慮し正確性を担保しようとするので、何時間も何日もかかることもざら

一言だとしてもそこには数万時間分の本が何冊も書ける知識が背景にあるのをギュッと縮めて喋っている


前者は、相手に「自分理解できるくらい分かりやす範囲での短く明瞭な反論」を求めている

こいつらの言う「具体的」とはそういう意味

なんとなく自分が納得感を得られるかどうかという判断基準で会話を進めようとする

が、科学議論はそういう性質を持たない

専門家反論というのは基本的に膨大な体系的知識を前提にしないと読み解けず、高い科学リテラシー(人文科学含め)が読み手に求められ、不明瞭でわかりにくく、短い説明でも何十万字の長い説明部分的な切り出しの要約にすぎなかったりする

専門家同士だと互いに短い質問ややりとりでも相手知識量を判断することができ、前提知識は共有済みなので、それなりに短いやり取りで議論が成立する

からちゃんと「具体的」なのだ


無学な人が雑なネット知識で考えた何の時間もかかってないどうでもいい陰謀主張に専門家反論しようとしてるときというのは、何時間も費やして丁寧な検証データに基づく反論をすることを求められるという非対称性がある

しかもそれを仮に実行したところで、説明の量はとんでもなくなることもあり、陰謀論者の求めてるど素人にも分かりやすくてバカに納得感のある説明にもならず、かけた労力に見合う効果は全く得られないという話

2023-06-02

anond:20230602191511

世界の大失敗政策少子化

anond:20230601110312

世界の大失敗政策女性社会進出

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20230601110312

   

あるいは女性社会進出抵抗する目的で、少子化=悪を前提条件としたうえ、

それが女性に起因するもの結論した論文じゃね

  

少子化は、悪いのか

 ・移民需要増加 →多文化需要高まる →ただし司法業界外国人の扱いは酷い

 ・教師需要の減少 →もともと教師数が減っている

 ・将来の税収の減少 →ただし現政府国庫金の運用利益で賄うつもり

 ・伝統の衰退 →伝統産業以外の市民にはわりとどうでもいい

  

少子化原因は、女性社会進出だけか

 ・女性専業主婦化しても多子化にはならない(雇用不安定低賃金学費等の高騰)

 ・共働きのほうが、世帯所得は安定し、次世代に繋がる

 ・しか日本はアレが絶対的に劣っている →子の安全を確保するための司法対策執行猶予判決多すぎ)

  

圧力目的論文は、人文科学のものとは言えないな

2023-05-04

https://togetter.com/li/2139063

文学部」の言う「文学」というのは「人文科学」のことであって、哲学史学言語学心理学文学部でしょ。文芸のことを俗に「文学」と呼ぶこともあるけど、それは大学で学ぶ「文学」の部分集合であって全体集合ではない。


理学部数学の授業でもね、「ところで最近研究では……」と「無駄話」ばかりして授業がさっぱり進まない人がたまにいる。そういう授業を求めてる人もいるかもしれないけど、私の場合、その人の授業はさっぱり身につかなかった。

そういう話が聞きたいなら研究集会に行った方がいい。授業をわざわざ聞きに来ているのは、基礎固めがしたいからであって、研究の種を探しに来ているわけではない。少なくとも私はそう思った。

2023-04-20

anond:20230420202454

下手っぴピアノ弾きだけど、ピアノも状況は一緒。

無駄な筋力を入れず腕の重みを使って弾くのが良い音の出し方だし、「音楽的」に弾くことが求められる。

たぶん状況はヴァイオリンに限った話じゃなくて、クラシック音楽全体、強いては、芸術アート全般の抱える問題だと思う。

美術の分野にも審美眼のない人を門前払いする傾向が少なからずあるし、人文科学でもやれ小難しい話をして理解しない人を無教養と突き放す。

かく言う私もも機械演奏ピアノ演奏とかは聴いてられない・・・

機械から楽譜そのまま完璧演奏をしてるんだけど、「音楽性」の欠片も感じないんだよね()

2023-02-15

anond:20230215225636

なんでそこまで説明しなきゃならんのよ。

強いて言えば、芸術も含めた人文科学世界だよ。

旅行に行ったとして、表層的な価値観しか持ってなかったら「映える」ことばっかり考えてんじゃないの?

その土地歴史風俗に関心を持たず。

「いや関心あります!」って言うんなら、そっちにもっと価値を見出すべきだと言っている。

2023-02-08

anond:20230206084114

からデタラメに過ぎない。LGBT活動家スパイがいる可能性がある。

毎日新聞記者はなにがどう差別かまともに説明できないクズだ。

人文科学bot

@defundJinbun

なんちゃらフォビアという言葉は、本来生じるであろう当然の疑問や現実的問題対立についての議論差別主義者のレッテルを貼ることで弾圧し、あたか問題はなく、被害妄想に過ぎないとして棄却するために使われる。

これは、現実世界は複雑であることを受け入れることができていない証拠です。

午前6:40 · 2023年2月8日

https://twitter.com/defundJinbun/status/1623074321089409024

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