はてなキーワード: 論理的とは
以前から危惧されていた事だが、ついに反AIが著作権の非親告罪化など、いままで先人たちが命懸けで守ってきた表現の自由を破壊しようと動き始めた。
生成AIに反対する人たちが、著作権の非親告罪化とか非実在児童ポルノの規制とかを躊躇いなく主張するのを見て、過去の赤松健や山田太郎はじめ表現の自由のために戦ってきた人たちの努力は何だったのかと、ちょっと考えてしまう。デリケートな話題であるという前提がもう共有されてないように見える。
反AIは底抜けのバカだからAIが非親告罪化すれば楽園になると思っているんだろうが、AI利用した疑惑だけで無実の手描き絵師を何人も血祭りにあげて袋叩きにしてきた反AI達の行動を見れば、「気に入らない」というだけで非親告罪化した日には、AIを使っていようがいまいが「なんかAIっぽいと自分が思ったからお前はAI罪な、はい有罪」と手描きだろうがリンチの対象にされるディストピアになるのは火を見るよりも明らかだ。それは反AIが今までやってきたことが証明している。
反AIが著作権の非親告罪化を求める署名をして、まともな人間から「非親告罪化しても表現規制の足掛かりになるだけだ」とツッコまれた反AIは、このような反応をとった。
「私の補足もちゃんと文章内に載せていただいていますので大変助かります
ありがとうございます🙏✨非親告罪の件に関しては修正するつもりですが
海外情勢に関しても当時とはかなり変化しており文章の全てを見て微修正などしたいと思います」
(https://twitter.com/canchanandme/status/1777351414978855125)
署名させた上で内容を書き換えるなんて非親告罪化の如何に依らず手続きとしてまともでは無いし、そういう手続きを踏んだ時点で情報としてゴミですよ。内容を後から改竄してるんですから。
署名としての価値を維持したいなら文言を変更すべきではないし、内容を変更するなら署名を一からやり直すべき。
法改正の必要性(現行法の不完全性)を論理的に訴え賛同者を募る行為であれば、自身の立場など関係なく当然に支持するが、その場の思いつきで規制を煽動し署名を集めた後から諸々の修正・改変を加える不逞に、何の作用を期待できるというのか。
主張の内容は後で決めるのでとりあえずサインして、はあまりにもおかしな話。
「金額欄は後で埋めるからとりあえずこの借用書にサインしてくれや」みたいな話。
最近遊んだキャラクターの絵だろうがSNSで流れてきた絵だろうが最近見た映画だろうが、
いちいち自分の創作に使っていいか権利元にちゃんと許可とってから制作することになるけど、
本当にそれでいい?
著作権に関しては「出力した結果」で判断して、プロセスに関しては
「人間の学習とAIの学習は同じとして扱われる」ということを理解したうえで読み進めてほしい。
反AIは著作権について勉強してないし何も考えていないからAIの学習を禁止して人間の学習が制限されることを理解していないんだよね。
そもそも公開されたものを学習するのに許可は必要ないから「無断学習」という言葉自体がおかしいというのは一旦置いておいて、
無断学習が禁止されれば、人間も同じように影響を受けて無断学習できなくなる。
するとどうなるか、
絵師さんは見たもの影響を受けたものすべてに許可が必要になる。
「馬鹿じゃないのか」と思うだろう。
だからいちいち上で起こるようなことについて心配しなくていいし、
人間は映画や漫画から学習した影響をもとに創作に活用したりできる。
これって自由な創作文化に必要不可欠な土壌だとおもうんだよね。
上の方でもすでに書いたけど、
絵師さんが著作権侵害して制作した二次創作同人誌やskebイラストやfanboxコンテンツ、
版元やゲーム開発元にちゃんと利益還元することになるけど、それでいい?
絵師さんたち、著作権侵害した権利者に利益還元する気、ないでしょ。
「いや私は還元する気あるけど?」という人がいるかもしれないけど、
どうせ適当に自分で還元する比率とか決めるつもりで軽く言ってるでしょ。
でも反AIの言いなりになってると、
二次創作で得た金銭は20%を一次創作者に還元するよう法律で定める、
みたいなことが起こるけど、大丈夫?
20%じゃなくて5%かもしれないし、30%とか50%かもしれないけど、
「規制する」ってこういう事だよ。
絵師さんたちって、自分が権利者の著作物を無断学習・無断利用してるって理解してないけど、
pixivに置いてある絵とかも、そこからfanboxとかに導線があったら金銭が絡んでくるわけで、
いわゆる「ファンアート」として著作者に無断で制作してる著作権侵害二次創作絵だって
客寄せのための広告扱いで権利者に払うお金をいちいち計算しなくちゃいけなくなったりするかもしれないけど、
それでも大丈夫?
反AIに同調してる絵師さんさ、そこまで考えずに賛同してるでしょ。
でも反AIが言ってるのって、こういう事だよ。
まず、現在の著作権法では、「手描きだろうとAIだろうと作成した人間が責任を負う」っていう前提がある。
bingとかその他の画像生成サービスで「マリオを生成しろって言ったらマリオが出てきました!ピカチュウも出てきました!AIは著作権侵害!」
って騒いでるのを見かけるけど、
それって著作権侵害してるのはAIじゃなくて「それを生成した反AIの人」だからね?
全てのケースに対応できる現行著作権に関するAIの規制はただでさえ複雑で難しいのに、
こんな無能がいて戦えるわけないだろ。
「本当に何が起こるか」という事が分かってない。
こいつらは、表現規制の先兵だ。
二次創作も、表現の自由も、創作文化も、なにもかも破壊しつくした後で、反AIはこう言うだろう。
「こんな事になるなんて思いもしなかった」
物事を客観的かつ論理的に考える能力が足りないように見えるんだよね
今まで何度もバズってきてる死刑を存置するか廃止するかって問題も
だから、そういう論点を根拠に死刑は存置すべきですとか、廃止すべきですってめちゃくちゃ言いにくいんよ
だってディベートやってると、相手もその論点の反論全部持ち合わせてるのは共有しちゃってるからさ
けど、はてな民って堂々と反論可能な論点を死刑廃止すべきって言っちゃうんだよね
多分、その論点に対する反論を知らないか、読む人たちは知らないだろうと上から目線でいるかどっちかなんだろうけどさ
そういうの滑稽なんよ
どっちの側に付いてもいいんだけどさ
物事を客観的かつ論理的に考える能力が足りないように見えるんだよね
今まで何度もバズってきてる死刑を存置するか廃止するかって問題も
だから、そういう論点を根拠に死刑は存置すべきですとか、廃止すべきですってめちゃくちゃ言いにくいんよ
だってディベートやってると、相手もその論点の反論全部持ち合わせてるのは共有しちゃってるからさ
けど、はてな民って堂々と反論可能な論点を死刑廃止すべきって言っちゃうんだよね
多分、その論点に対する反論を知らないか、読む人たちは知らないだろうと上から目線でいるかどっちかなんだろうけどさ
そういうの滑稽なんよ
どっちの側に付いてもいいんだけどさ
というのは感情論で、
私はスパイスの効いた辛い料理が好きであり、カレーはそれに相当し、故に私はカレーが好きである。
みたいなのが論理的な語り口とされるらしい。
本当かよって思う。
論理的に、というのならなぜ辛い料理が好きかまで踏み込まなきゃいかんのじゃないかって。
それが出来なきゃ「辛い料理が好き。なぜなら好きだから」という事になるし、そうなると感情論とされる話し方と全く同じとは言わないけれど、さほど変わらないんじゃないか。
それはなぜ?それはなぜ?を繰り返してもタマネギの皮を剥き続けるようなもので、どこかで「私はこれを良しとする。なぜならそう感じるからだ」って切り上げないと一生終わらない。
自然法則を追求するのと違って、個人の感覚が介入する話じゃ一貫して論理的な話というのは出来ないと思う。工具だけ揃えても勝手にプラモが組み上がらないように論理だけじゃ何も話は進まない。前提と論理によって結論が導き出されるけど、その前提部分は個々人の感覚に頼らざるを得ない。
「部分的に論理的な話の運びを取り入れた感情論」をもってしてオレは論理的、合理的、客観的な思考を出来るぜ!お気持ち野郎のお前らと違ってな!みたいな人が最近の一部ネットに割といる気がして、そういう人見てるとこんなような事を思う。
大谷選手のスキャンダルだが、日本では報道されすぎて大谷アレルギーを発症している人も多いらしいと聞いた。
しかしカルフォルニアに留学している俺から見ると、多分こちらでは日本以上に報道されまくっている。
注目すべきなのは、普段野球なんて報道しない類のメディアも連日取り上げていることだ。野球のルールすら知らないが、今回の「オオタニ・ゲート」は知っているという現地人も多い。
というのも、そもそも大谷の主張を信じている友人を俺は見たことがない。あまりにも怪しすぎて報道するだけでもウケるスキャンダルと化してしまった。
ということで、この記事では現地の雰囲気と主に注目されている話題を書く。
今回の事件は、FBIが違法賭博業者を捜査している一環で、大谷の口座からの直接送金があったことに行き着いたという流れになっている。
そういうことなので、FBIの主目標は違法賭博業者の摘発であって、大規模盗難事件ではない。
そこで大谷は「捜査機関に被害をReportした」と主張しているわけだが、ここがツッコミどころの一つ。
そもそも現時点で、州警察もFBIも、どこも盗難事件を捜査していない。
そもそも「被害を提出した」というのはかなりおかしな話で、大谷はどこの捜査機関に提出したのかの回答を拒否し、提出の証拠すら拒否しているため、もはや大谷が被害者であるということは「本人の主張」としか思われていない。
弁護士が介入している時点で、もはや誰も事実を聞けるとは思っていない。どれだけ利益を最大化するかという話だからだ。
その意味で、「ストーリーの一貫性」というのはかなり重要視される。
今回の事件では、水原の信用できない話を抜けば、大谷側が主張があまりにも変化しすぎというのがツッコミどころ。
例えば会見で球団長が「大谷が肩代わりした」と言ったと思えば、次には「盗まれた」と言っている。
ストーリーの一貫性、論理性が保ていないのに、それを大真面目に主張しているのだから、もう誰もが嘘をついているという前提に立って、「裏」を好き勝手に推測できる状況になっている。
俺として大いに疑問なのは、この件には危機管理の専門家や弁護士が最初からついていたはずなのに、どうしてここまで酷いことになったんだろうか?ということだ。
俺が現地のメディアを見ていてよく目にするのが、この「30歳の責任ある大人理論」だ。
論調的には
「〜という理由で、オオタニは自らが大規模盗難事件の被害者であると称している。
……しかし今年30歳にもなる社会的責任を持つ大人が、大金の管理をお友達にしてもらい、諸々の書類を一切目にせず、数日前まで完全なる無知であったとは、一体どういうことなのだろうか……?」
という感じになる。
これは実に面白い論調で、メディアは文脈からして小馬鹿にしている雰囲気が感じ取れる。
そもそも通訳に生活のほとんどを頼っていて、ティーンのようにお金の管理までしてもらっているとすれば、それはあまりにも面白すぎる話になる。
金があるなら会計士や税理士を雇って、自らの金銭を適切に管理する「社会的責任」を持つというのが当たり前の価値観として存在する(そうじゃないと、今回のように反社会的な組織に金が流れても責任を待たないということになる)。
CNNがライブ中継するほどで、一体どんな面白いストーリーが出てくるのかに注目が集まっていた。
見出しには「大谷、ショックを受ける」「大谷、悲しむ」と書かれ、これ自体が雰囲気として、ちょっと理解できない謎の会見と思われた。
筋道の通ったストーリーを弁護団と練って発表するのかと思えば、「つらかった」「かなしかった」というティーンでもリジェクトされそうな発表が飛び出し、一体これにはなんの意図があるのかと議論されるぐらい謎であった。
しかし日本のメディアを見ていると、この大谷の会見で「信じる」日本人は多くなったらしい。俺は日本人なので、ある程度は理解できる。つまりは日本では信仰の問題になったということなのだろう。それでいいのかはわからないが。
しかし知りたいのは大谷の悲しみではなく、「違法賭博業者への送金履歴」という事実に関して、どのような論理的なストーリーを提供するかということなのだ。
この文形で「関係ない」より遠い「関わるなよ」に呼応させること自体文章のセンスがないってことなんだけどね
「~レベルには関係ないから関わるなよ」でも論理的に同じ意味なのに、あえてすわりの悪いその別の言い方をするなら、それによってたとえば情緒的にどのような意味付けをしたかったのか別の理由が必要
すわりが悪いのは、この言い回しで「関わるなよ」という分には「お前は」というような主格が省略されている形でもよく見られるのとも、「レベルには」とする限りこれが総主語としてより遠い「関わるなよ」に対しては「レベルは」として修飾関係がつながっていく。
しかし「レベルは(関係ないから)関わってくるな」という言い方だと「関係ない」に呼応する主語が省略可能性も含めて見いだせず完全に宙ぶらりんになる。
こじつけでそこに「レベルには」という主語が省略されていると考えて文を無理やり作ると
「知らないレベルは知らないレベルには関係ないから関わってくるな」となる
取引相手に関する「利益を出す能力」と新卒人材に関する「仕事をする能力」の違いについて質問です。
新卒を採用するときには学歴をふるいとして用いることがありますが、取引相手を決めるときはその相手の学歴をふるいとして用いるということはしませんよね。これがどうしても不思議なんです。
たとえば新卒採用にしても、100人から1人を選ぶより優秀な人がいる可能性が高い10人から探す方が効率がいいというだけで、学歴だけで決めているわけではないでしょう。ひととなりや学歴以外の活動の経歴いろいろ見るわけですよね。
一方取引相手は「利益が出るかどうか」を業績や事業内容から見ます。でも学歴は見ません。
ここで思うのが、業績や事業内容が、採用時に見る人となりに対応するなら、学歴に対応する、ふるいに相当するものが、取引相手の判断時には存在していないということです。
なぜなのでしょうか?「100人から1人を選ぶより優秀な人がいる可能性が高い10人から探す方が効率がいい」という論理は、取引相手の選定時にも当然有効に存在しているように思えます。つまり「優秀な人/優秀さ」というものが、たとえば採用時に仕事ができる能力に結びつくなら、取引相手を選ぶときにも「利益を出す能力」に結びついているはずで、両者は「学歴」という共通の尺度と相関していると推測されるわけです。
それなら、新卒採用時に学歴で絞った方が効率がいいというスタンスをとるなら、取引相手選定時にも、同様のスタンスをとるのが一見論理的に整合しているのではないか、と思うのです。
論理的には、2番や3番のパターンを選ぶためには「利益を出す能力」と「仕事をする能力」それなりの違いがあるからということになるはずですが、両者のどこに、学歴フィルターを用いるか用いないかの違いが出るほどの差があるのかわかりません。
私には違いがわかりませんから、企業が2番のパターンを用いていることに対しては、冒頭言ったように不思議だと感じるわけです。
その差がなんなのか、どうしてそれがフィルターを用いるかどうかの判断を左右するほどの差だと考えられているのかを具体的に教えてください。
ホラまで吹いて必死やな
何も内容に対して論理的反論はできないがとにかく俺のエロ開陳の自由や日本スゴイは本物なんだ!YouTubeで言ってた!ひろ●きの本に書いてあった!
Twitterとか見てても、結局相手の人格否定、強い言葉が流れてきて、減ることがまったくない。
良くないことですよ、ってことは丹念に言われているだろうに、なにかの論陣を張るにあたって、得てして人格否定が皮肉を混じらせようと出てくることが多い。
どれだけ賢い人でも、党派性がどこにあっても、結局人格否定が行われることが多く、それが何らかの論を肯定させるにあたって有益とはならない、ということが前提であると一般には言われているはずなのに、止むことがない。
だとすれば、やはり対象の人格を否定することは何らかを論じるにあたって有益だからなのだろうか。
対象の論理ではなく人格を蔑んだり否定したりすることによって、周囲の肯定を得ることができたり、味方を増やすことができたりするから、こうした人格否定はやはり有益で、減らすことができないのだろうか。
だとすれば、いちいち人格否定はよくない、ということ自体が利益背反で、無駄なことだと言えるように思う。
ただ、得てして何らかの論での賛否を争うにあたって、Twitterなんかではその論が稚拙になりがちな相手の側を、お互いに人格否定し合う、といったような論の賛否とはかけ離れたイメージ戦略的なものに落ち込み、結局のところ論理的というより政治的な争いになっていくように思う。
勝手な印象として、論をお互いにすり合わせ適切な落とし所を見つけることが大事なように思うのだが、得てしてそんな理想論よりは、適切に相手を貶めて政治的勝利を目指すほうがやはり目的達成のため合理的と判断されることも宜なるかなと思うので、やはり人格否定も有効な手段として減少することは期待すべきではないのだろうな、と思う。
なんか「釣り」の一言で片づけてる人多いけど、シンプルに図星なんだろうな
もちろん、中には自分なりの基準「~はOK/~はNG」が明確にあって、かつそれが論理的で平等な人もいると思いますが、
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/courrier.jp/news/archives/359090/
妻以外にはほとんど性欲を感じなくなり、大変人生に満足しているのだが、
インターネット上には自分と同じような夫婦が少なくて戸惑っている
日本の夫婦の7割がセックスレスというデータがありブコメの大半がそれに肯定的であるという現状は理解し難いものがある
自分は特別性欲が強い方でもないし体力も少ない方だが、意識して週に1回以上はセックスするようにしている
その結果(もちろんそれだけではないだろうが)、恋人時代と変わらない愛情をお互いに感じ続けている
明らかに最善の選択をしたと思うのだが、滅多にご同意いただけないのはなぜだろうか
だとするとなぜ夫婦がお互いに楽しんでセックスし続けることがそんなに難しいのだろうか
今朝方も妻とセックスをし、お互いに大変満足して休日を過ごした今、
これは一番あり得るパターンだろう。太る、禿げる、体臭口臭加齢臭、ED、男が性的魅力を失う要素は人生に多すぎる。自分は幸運にも20代の頃からあまり変わっていないが、それでも確実に老化はしているし今後性的魅力が大幅に減退するほどの老化に直面する可能性はある。
・妻の姓的魅力が減退する
これもよく聞くパターンで、男ほどではないにしても太る、体臭、老化の影響はあるだろう。特に老化してなくても数年同じ相手とセックスすると飽きてしまうというタイプの男も少なくないらしい。自分からするとそれは浅いセックスしかしてないからでは?と思ってしまうのだが生物学的にオスは同じ相手と交尾し続けられないのだ、と主張される方も多い。全然そんなことはないと思うが飽きてしまったものは仕方がない。そうなると、他の女で性欲を満たすことになるが、妾の生活の面倒を見たり、たくさんの婚外子を育てる財力がある極めて稀なケースを除き、妻以外の女とセックスをしたり、エロコンテンツを探してオナニーをしたりしても気持ちいい以外になんの得もないのである。反対に、妻とセックスすることはお互いに気持ちいいだけではなく共同生活するパートナーとの絆が深まり、相手の体調やコンディションも肌で感じることができる。得しかないのである。
外見的魅力の減退については、部屋を暗くすることで8割解決するといっていいだろう。目で見たもので興奮するのは20代で卒業すべきだ。耐え難い悪臭などの困難も起こりうるかもしれない。香水やお香などでカバーするしかないだろう。
当たり前だが、セックスは疲れる。疲れや徒労感が快感や興奮を上回った時、セックスしたくなくなる時がくる。自分も付き合って5年ほど経った時、徒労感を感じ「このままマンネリになってセックスに飽きてしまうかもしれない」と思ったことがあった。性欲も加齢とともに確実に減退する。この時になんの対策も打たなければ、自然消滅していくこともあるだろう。それでいいと考えているなら仕方がないが、自分はしたくないからセックスをしないというのはあまりにももったいないと思う。
・妻がセックスしたくない
これも非常に多いパターンで、男の性的魅力が減退していなくても、妻にセックスする余裕がない、特に出産後そうなるパターンがよく見られる。女性は男とは性欲の形が異なるもので、溜まってくると分かりやすくムラムラするというものではないと理解している。その気がなくなれば徹底的に性欲を感じなくなるものらしい。しかし、性欲を感じないからといってセックスをしない方がいいというものではないと思う。適度にセックスをして愛情を実感し快感とともに体を解放状態にすることが、メンタルを長期的に安定させることにつながる。このことを長い時間をかけてお互いに理解していければ、安定して円満な夫婦関係を築けるのだと思う。
もちろんセックスしなくても円満な夫婦関係は築けるのだろう。しかしセックスしてる方が簡単だと思う。
セックスし続けることが難しいのだろうか。自分はそんなに難しくはなかった。ただの幸運だろうか。
ただ自分はかなり早い段階で(第一子が生まれ第二子を作る間ぐらいだろうか)、妻とのセックスが夫婦関係において最重要だと思い至り、
これを維持することが人生の最重要課題だと認識した。20代で性欲が人並みに盛んだった頃、セックス以上にインターネットを通じたエロコンテンツ収集に情熱を燃やしていたが、
35歳を過ぎて性欲が減退し始めたことに気づいた時、妻とのセックスよりも優先すべきオナニーは論理的に考えて存在し得ないことに気づき、
エロコンテンツ収集とオナニーの人生における優先度を下げると、妻以外にはほとんど性欲を感じなくなり、結果的にオナニーもしなくなり、無駄な時間が減ってQoLが高まったと感じている。