はてなキーワード: 書類選考とは
俺は昔、はてなブログでブログを書いて、昔でいう「プロブロガー」をやっていた。
1級身体障害者の炎上ブロガーって言えば、古参のはてなーなら知っている人もいるかもしれない。
元フジテレビアナウンサー・フリーアナウンサーの「長谷川豊」にブログ記事をパクられた人、っていえば思い出す人もいるかもしれない。
もう過去の記事は全て消したが、「だいちゃん.com」(https://xn--n8jvce0l6c.com/)っていうブログを運営していた。
そんな俺は今、大手企業の障害者雇用枠でリモートワークで働いている。
知っている人もいるかもしれないが俺はとあるきっかけで、はてなブログを追い出されてWordPressにブログ記事を全部引っ越しさせてブログ運営を続けていた。
だが、はてなブログ時代は主にはてなブックマークからの流入がメインだったから当然、WordPressではブログ運営が上手くいかなかった。
Googleアップデートなんかの煽りも受けて、ブログ運営のみの収入で生活をすることが困難になった。
ブロガー時代の俺に「自分のところでライターをしないか?」というお誘いを受けて、アフィリエイト記事を執筆するライターなんかもやっていた。
ライター収入で一時期は生計を立てていたが、他人のブログの記事を書くということに面白みを見出すことが出来ず、ライターとして生計を立てるということも辞めてしまった。
でも、どうにかして収入を得て生活をしていかなければならないから、俺は頑張って就職活動を始め、今は大手企業の障害者雇用枠でリモートワークで働いている訳だ。
もう、昔のはてなアカウントも消してしまって、はてなには全く顔を出していなかったが、少し懐かしくなって今、増田で記事を書いている。
ちなみに、俺は1級身体障害者ということもあって、今の会社に就職するまでまともな職歴はほぼ無い状態だ。
20歳の時には1級身体障害者になって、そこから半寝たきり状態で20代前半を過ごしたりしてきたし、リーマンショックなんかの煽りも受けて、なかなか就職が決まらず……。
そんな俺でも障害者雇用枠でなんとか大手企業に就職することが出来たから、どうやって就職をしたのかをちょっと書いてみようと思う。
まず、俺のスペックを書いていこうと思う。
・性別:男
・年齢:30代半ば
・職歴:ほぼ無し
・所持資格:「日商簿記2級」「MOS Word」「MOS Excel」等
こんな風に、俺のスペックはボロボロだ。しいていうなら、顔が若干良いくらいだ。
しかも、
・不眠症
・呼吸器障害
・乾燥性皮膚炎
でも、こんな俺でもなんとか就職することが出来た。
一番この増田を読んでいる人達が気になっているのはここじゃないだろうか?
こんなボロボロのスペックでどうやって大手企業の障害者雇用枠、しかもリモートワークという狭き門での就職を成功させることが出来たのか。
その道のりは簡単ではなかったよ。かなりの苦労がここにはあった。
まず、どうにかして障害年金以外の収入をすぐに確保しなければならなかった。
幸い、ブロガーやライターをやっていた時の収入は殆どを貯蓄に回していたから、なんとか貯蓄を切り崩しながら生活をできていたが、自分の経歴の酷さは分かっていたから、すぐに就職先が決まることは無いと判断した。
そんな俺でも就職するまでの間、障害者だったら収入を得る方法があった。
それが、
という方法だ。
障害者職業能力開発校は、通っている間は失業保険の手当を貰える状態にある人は、失業保険の手当の受給期間を通っている間は延長してもらうことが出来る。
でも俺は、失業保険なんていうものに加入はしていなかった。当然だ。俺はブロガーでライター、個人事業主だったからな。
答えは「NO」。
障害者職業能力開発校に通っている間、失業保険の手当を受給出来ていなくても、障害者なら「職業訓練手当」という給付金を貰いながら通うことが出来る。
貰える金額は障害の等級によって違うが、1級身体障害者の場合は月に約12万円ほどは貰うことが出来た。
都心に住んでいる人からしたら、こんな金額じゃ生活出来ない! と感じる人もいるかもしれない。
幸い、俺は九州の田舎に住んでいるから、月に20万円もあれば十分に生活は出来る。
そうやって、収入の基盤をなんとか確保した。
ちなみに、俺が通っていた障害者職業能力開発校は、訓練期間が1年~2年。
通常は1年だが、「プログラム設計科」という、プログラミングを学ぶ訓練だけは2年コースになっている。
そこでプログラミングを学びながらプログラマーを目指していた。
でも、俺は「基本情報技術者試験」の午後問題の「アルゴリズム」と「プログラミング」の問題を殆ど説くことが出来なかったんだ。
「ああ、俺、多分プログラマーには向いてないわ。」
そして、就活をし始めた年齢が30代だったということもあって、30代で未経験プログラマー、しかも1級身体障害者で残業の出来ない状態では無理ゲーだろうなー、と思って、次第に「パソコンに強い事務員」として次第に就活をし始めた。
この部分がいつも就活において引っ掛かって、いつもいつも不採用だった。
それ以外もだいぶ酷い経歴だが、この部分が一番引っ掛かっていたと思う。
あとはやはり、
・不眠症
・呼吸器障害
・乾燥性皮膚炎
を抱えているという部分だ。
でもこの部分は通院しなければならない為、しっかりと企業側に伝えておかなければ就職した際に通院出来ない、という状態になる。
でもある日、学校からの紹介でとある大企業の特例子会社への就職の話が入ってきた。
職歴ほぼ無しの俺にはかなり良い条件だった。
でも、問題点が。
俺の住んでいる地域からかなり遠い企業で、引っ越しをしなければならなかった。
俺が健康体なら別に引っ越しをするくらいはかまわなかった。だが、俺のような1級身体障害者で病院をいくつも通っている人間は、遠い地域へ引っ越しをする場合、病院を全て1から探し直さないといけない。
特に、人工透析を行っている病院の変更はとても手続きが大変だ。
病院との相性もある。
週に3日、1日5時間も延命治療を受けなければならない病院だ。ここの部分で相性が悪ければ恐らくストレスで精神がやられてしまう。
実際、俺が今通っている人工透析の病院を見つけるまで相性の悪い病院に通っていて精神がやられた過去があるから、その部分だけは本当に注意していた。
そういった事情もあって、最初は就職に前向きに検討していたが、だんだんとそういったことを考え始めて、そこの会社への就職は断った。
その頃、今世界中で流行している感染症が流行り始めていた。それも俺が就職を断った理由の一つだ。
俺が引っ越しをしなければならなかった就職先の地域は、かなり感染者が増加していた。
それに、会社がかなりバスなどを乗り継がないといけない場所にあって、人工透析を行う病院まで距離が遠かった。
恐らく、毎日が病院と会社の往復という日々。1日が仕事と通院で終わるような毎日になっていたに違いない。
そうだと俺は察知して、自分を守る為にそこの会社へ就職しなかったというのもある。
こういうことを書くと、甘えだとかなんだと言う奴らが出てくるかもしれないが、俺の身体や精神は君たちが思っている以上に脆く、弱く、儚い。
これを「甘え」だというのであれば、もういい。好きに言ってくれ。
だんだん、俺の住んでいる地域でも感染症の感染者数が増加していっていた。
でも、俺の通っていた学校は建物が古く、建物自体がいわゆる3密状態になっていた。これだけは避けることが出来なかった。
それと、どうしても知的な部分に障害がある人達もいるから、感染症対策をちゃんとしない生徒もいた。
しかも、他の患者さんと一緒に治療を受けているから、下手したら自分が感染すると病院全体が一時閉鎖しなければならない、という状態だ。
家には高齢の親もいる。
だから俺は、絶対に感染する訳にはいかないと思い、少しでも感染リスクのあることをだんだんと辞めていった。
俺はそうやって学校を辞めた。
ここの部分も、Twitterなどで発信していたら、
「お前と同じ障害を抱えているけど、俺は感染リスクのある仕事をしているんだ!! 甘えるな!!」
みたいに言ってきた奴がいた。
お前はお前、俺は俺だぜ?
お前はリスク管理が出来ていない。
俺はリスクのあることは全て排除して、徹底的にリスク管理を行った。ただそれだけの話だ。
お前は勝手に感染リスクのある仕事をしてくれ。俺は感染リスクのあることが徹底的にしない。だって命が惜しいからな。
人の命だってかかっているんだ。
俺は自分が感染するリスクも取りたくないし、他の患者さんや親を感染にまきこみたくなかった。
俺は障害年金は貰っていたけれど、それ以外の収入が学校を辞めたことで本当に無くなってしまった。
障害年金は月に約7万円ほどだ。でも、俺は実家暮らしだが実家もそこまで裕福ではないから障害年金の殆どを家に入れていた。
正直、感染症が収まるまで通勤での勤務もするつもりが無かったから、そこで一旦、就職活動したいを辞めていた。
すると、以前ライターをさせて貰っていたクライアントさんの一人が俺に仕事を振ってくれるようになった。
以前のようにライターの仕事では無いが、生活出来るくらいの金額になるように仕事を振ってくれていた。
ちなみに、その人は俺がライター自体を辞めて障害者職業能力開発校に入るとき、
といった意味を込めてなのか、カニを大量に送ってくれた為、俺の家族の間では、
「カニの人」
として周知されている。
その人がまた、ライターの仕事ではないが仕事を振ってくれるようになった。
その収入だけでも正直、個人事業主として生活は出来ていた。だが、その人は法人の社長ではない。あくまで個人事業主だ。
クライアントが個人事業主だと、どうしても将来的な収入が不安になる。
でも、俺は感染症のリスクを負ってまで就職する気は更々無い。でもやっぱり将来的な収入が不安だ……。
そんな葛藤をずっと抱いていた。
ある日、Twitterをいつものようにやっていると、とある就職エージェントの広告が目に入ってきた。
取り敢えず、登録だけしておいても損はしないな。まあ、今すぐに就職をする気は無いが、感染症が収まったらやっぱり企業勤めをしたいから、恐らく就活を再開するからな。
そんなことを考えて、本当に取り敢えずで登録だけしてみた。
俺は、
「すぐに就職をする気は無い。でも、リモートワークなら就職したいかも。」
みたいなことを、エージェントの就職担当者に話したような気がする。
へ流れで登録することになった。
なんか、いちいちあっちのサイトこっちのサイトって登録するの面倒だな……なんてことも思ったりしたし、リモートワークでの就職は倍率がめちゃくちゃ高くてなかなか決まらないということを、俺は実体験から分かっていた。
今まで、リモートワークでの就職を何度も試みて、全部の企業から落とされているからだ。
でも、やっぱり登録をするだけしておこうと思って、その会社へ登録だけ済ませた。
リモートワークで仕事をすることが出来たら、感染症リスクもだいぶ抑えられるからな。
個人事業主としての収入もあったが、安定はしていないと判断して、俺は安定収入を取ることにした。
ちなみに、就職エージェントの就職担当の方が、俺の履歴書の書き方が下手だからと、履歴書を添削してくれた。
そしてアドバイスもしてくれて今まで出していたものとは見違えるような履歴書になった。
俺みたいに酷い経歴でも、書き方次第である程度は改善できるのだな、と思った。
ちなみにアドバイスの中でも、抱えている障害や病気のことはしっかりと書くように言われた。
書くと就職には不利に働くかもしれないが、そこをちゃんと理解してくれる企業じゃないと長く働けないから、ということだった。
話を戻すけど、その就職エージェントが紹介してくれるのは、大手企業ばかりだった。
でも、来る日も来る日も全ての企業へ応募しても、書類選考の時点で落とされていた。
心が折れそうだった。
だけど俺は諦めなかった。
俺は正直、名前すら聞いたことが無かった。というのも、俺は主にIT企業へ事務員として就職を試みていたが、ITとは程遠い企業だったからだ。
俺はどうにかして就職をしようと、面接マニュアルを読み込み、YouTube撮影用のカメラの前で面接の練習をしてそれを録画。
動画にして自分の面接での喋り方、話す内容等を面接の日まで毎日見直していた。
そういった努力も実ったからなのか、俺はその1社へ就職内定が決まったんだ。
パソコンに強い人材があまりいなさそうな業界、という部分も良かったのかもしれない。
晴れて俺は、大手企業で障害者枠でリモートワークで就職が決まった。
後編へ続く。
性別と年齢。
周囲や全体のボリュームが偏っており小さな会社で異動も珍しいので、ここは○○の方が良いだろうという思いやり()故のライン決めだとわかる。
そんな表面情報だけで落とされる身になってみろ。
……ということを人事に話したが、宥められて終わった。
(小さな会社なので、人事ではない私にも書類選考の結果くらいは筒抜けなのである)
曰く、自分ももう何十年もそれらについて話してきたし抗議もした。でも、変わらないんだよ。もう50や60歳のおじさんには理解できないんだよ。だから、諦めるか、辞めるか、二択だよ。と。
別件で一年以内に辞める予定だが、再就職するときに見えない条件つけてくる会社なんて絶対当たりたくないわ。
滅びろ。
小学生の時、サッカーやドッジボールが下手で仲間に入れてもらえなくて悔しかった。
中学生の時、わけもなく殴ってくる奴がいて悔しかった。友達がモテて、僕は何もなかったのが悔しかった。
高校生の時、成績優秀者は学校案内のパンフレットに掲載する話があったが、僕は対象だったのに掲載されず、悔しかった。
大学2年の時、部活がんばったけど結局、記録伸びなくて悔しかった。資格試験で2点足りなくて不合格になって悔しかった。
大学3年の時、彼女ができたが手も繋がず、三週間で振られてしまって悔しかった。
就職活動して、何度も通って人事にも顔を覚えられた第一志望の企業に書類選考で落とされて悔しかった。
26歳の時、街コンにいったらマルチの勧誘だったので悔しかった。
コロナでフルリモートになったけど、半年くらい前から職場の上司の自分以外のメンバーへの当たりのキツさが気になり出して、他のメンバーが睡眠薬を飲み始めたと聞いたり、20人ほどのチームなのに異動や退職する人が立て続けに四人も出て職場に不安感がある。
契約社員上がりの補助員扱いだから大した期待もされてないので標的になることは今後もないだろうけど、このままこのチームにいる限りは補助人員以上の仕事はさせて貰えないだろうし、例えば明日会社が倒産したり明日から急に自分が上司からのパワハラにあったとして、このご時世にすぐに転職できるほど優秀な人間でもないし、失業保険が出るまでの間の生活費も怪しいし、そもそも失業保険で暮らせるほど給料貰ってない。
万が一耐えられなくて転職するときにせめて容姿理由に書類選考落ちする率を下げたくて二ヶ月ほど前から食事制限とリングフィットでダイエットをし始めた。元の体重の5%ほど減量できて、服のサイズも明らかにダウンしたし、そこそこ達成感を得られたけど、年末年始を怠惰に過ごしてからリングフィットやる気力が萎えて年明けからは数回しかやってない。
食欲も、食べないでいれば体重が落ちることがわかっているから、お腹は空いたけどこのまま食べない方が良いんじゃないかという気になることが増えた。一方で、何かを食べよう・食べたいと思った時のタガの外れ方が激しくなって、ケンタッキーで5〜6ピース一度に食べたり、ミスドでドーナツ10個くらい一度に食べたりみたいなことをして一日に4,000kcal超食べたりする日もある。
ここ一ヶ月くらいは二、三時間の睡眠しか取れない日が何日か続いて、そのうち体が限界なのか寝落ちして10時間くらい眠る日があって、またその晩から眠れなくなる。寝付けないし、明け方四時五時に目が覚めてそっからはもう二度寝もできないで布団の中で眠れないことにイライラしてる。
ここ2ヶ月の変調のきっかけには心当たりが少しあって、来年以降の異動希望の人事面談が来月あるのが分かった時期と重なる。
正直いえば異動したいけど、異動を受け入れてくれる先があるか分からないし、たとえ受け入れ先があっても今期こんなに人員が動いているチームだから来期の人員配置的に無理なんじゃないかとか、そもそも異動を希望したことで冷遇されるんじゃないかとか、でも来期以降引き続きこのチームで働くのには不安があるし、仕事絡みでは心配になる要素しかない。
映画やアニメを楽しいと思う瞬間もあるけど、元々のめり込めるような趣味も持ってなかったから余計に何もかもがやることのない日の時間潰しに思えて、布団から出るのも着替えるのも風呂に入るのも億劫に思う。二、三日風呂に入らないとかザラにあるから、今フルリモートで本当によかった。
うつ病診断チャートみたいなやつは要受診になるけど、過去に激務とパワハラで心身症で鬱状態と言われて2年半ほど受診してどんどん薬は増えるのに特に良くならなかった経験があるから正直不信感が強くて行かなくていいかなと思ってしまう。
当時のメンヘラブロガーが「よく効くのに副作用とかで最近はなかなか出してもらえない」と書いてた古めの薬を大した説明もなく普通に出して、長期で飲む場合は血圧や血液検査をするらしいと書いてあるのに一度もそんなことは言わなかった医者にちょっとひいてたのもあって、結局仕事辞めるのと合わせて行かなくなった。
薬もその時飲まなくなったけど、パキシルの離脱でしゃりしゃりするって書いてあったのこういうことかと初日に思って以降は特に何もなかったし、どの薬か忘れたけど副作用で乳首を絞ると母乳がでてたのも出なくなった。薬の副作用で出てる母乳だからなのか、そもそも母乳の味がそういうものなのか分からないけど、めちゃくちゃ苦くてマズかった記憶はある。
何が言いたいのかわからなくなった
才能やセンスは確かに存在する。要領の良さや適性とも言い換えられるだろう。例えばこれが、ジャマイカ出身の黒人なら目に見えて足が速そうであるとか、メガネで小太りのインド人なら綺麗でバグの少ないコード書きそうとか、見た目から滲み出ている場合もあるが、大抵の場合見た目はおろか、3日間一緒に過ごしたところでどんな適性や才能を持った人物なのかなど到底分かるはずもない。
就職面接はもっと短時間だ。書類と面接と適性試験だけではどんな才能があって、どんな人物なのかは分からない。というか分かるはずもないので、提出された資料から採用不採用を決めていかなければならない。
そこで一番分かりやすい物差しが、学歴である。日本国民なら等しく義務教育を受けているはずなので、家庭環境によって多少ブーストされることがあるにしろ、おそらくこれ以上平等な物差しは無いだろう。小中9年と高校3年の計12年で大体このくらい勉強ができるようになりました、僕の頑張りを大学受験に発揮すると大体このくらいの大学に相当します、というとかなり分かりやすいかと思う。どっかの人事部の完全に他人のエラそうな無教養のおっさんでも多分大学受験くらいはしてるだろうし、自分があの時あのくらいだったから、という比較もしやすいので選考もスムーズになるだろう。
特に大企業ともなれば応募人数も多いので、人事部がいくらデカくて有能だったとしても、応募者一人一人にそんなに時間をかけている暇は無いはずだ。短時間で大量の選考を行う場合、履歴書においてそれまでの努力や学習能力が一番分かりやすく記載されているのが学歴の欄だ。だからまずそこを見る。
いわゆるデカい仕事に高学歴の人が就いているのは、デカい仕事を受注できるようなデカい組織に所属しているからで、デカい組織に所属する為には母数のバカでかい採用選考を勝ち抜かなければならない、故に書類選考の時点で一番インパクトを与えることができる高学歴である必要があるから、である。
デカい仕事がしたいなら高学歴であるべきだし、自分の才能で飯を食いたいならそれを活かせる場所で仕事をすれば良い。
一応某増田に触れておくと、高学歴=善人とはなり得ない。女を殴る慶応生もスーパーフリーもいわゆる高学歴と言っていいし、白日の元に晒されなければ彼らは大企業で善人が持つべき権限を持つような人材になっていただろう。おそらくバレていないだけで悪人が大きな権限を持っている事例は既にたくさんあると考える方が自然だ。
とにかく吐き出させてください
25歳女です。
ずっと転職したかったけど気付いたらコロナのリモートワークで病んで退職してしまった。
「リモートワークできるなんていい会社じゃん!」と友達は言っていたけど家のリモートワークの環境が最悪でした。
実家住み、部屋なし、エアコンなしなので夏は暑くて集中できないしいつも誰かが突然後ろを通って気が散る。
そんなだから、ノルマはこなせないし締め切りは迫るし、上司から催促されるし、無駄残業あるし…
まあ統合失調症だしもうすぐやめてから3ヶ月経つし(退職後3ヶ月経つと書類選考通りづらくなるらしい)仕方ないのかもしれない。
年齢=彼氏いない歴で
コミュニケーションが苦手。
夢女子だから2次元のキャラクターに恋してる。(はず、現実の人間に恋したことがないから絶対とは言えない)
家族には
「声がキンキンしてうるさい」
と言われ続け、泣きながら寝てしまうこともしばしば。悲しい。
家族は
というけれどこればかりは無理でしょう。
もう1人で、独身で生きていく決心をしているから給料が多いところ、退職金があるところに転職したい。
それって贅沢かな?
働きたいのは推しに貢ぎたいからだけどそれだけが人生じゃないからお金を貯めたいと思うとは難しいのかな?
保険も入れない。
絵を描くのがずっと好きで美大は出たけれど、才能はないので全然関係ない職についてる。
いつも仕事嫌だというと、美大行ったのに全然関係ない仕事を選んだのはなんで?って言う家族は残酷だと思う。
美大は3時間くらいかけて通っていたけれど、それが原因で病気になって、そのときはもう絵なんか描ける状態じゃなかったから、別の仕事についたんだよ、なんて言えない。
絶対にじゃあなんで美大に行ったの?近くの大学にすればよかったのにって言われるから。
ひどいよね、家計に負担になると思って実家から通っていたのに、結局は美大のこと遊んでたと思ってるんでしょ?
遊ぶ時間なんてなかったよ。
私だって変わろうと思って街コンに出たり、結婚相談所に入ってみたりしたけどどちらも一回でやめてしまった。
街コンは人がアレだったので結婚相談所に入ったけれど、紹介された人は別に嫌な人ではなくていい人だったんだけど、「この人と、(もしくは別の人と、)セックスするのか〜」と思ったら気持ち悪すぎてやめてしまった。
もともと人間を恋愛対象としてあんまり見れてなかったので別に…と言う感じですが。
そのあとは、何個かジャンルにハマって、夢女子を自覚して今はオタ活を楽しんでいる。
でも相変わらず職は決まらないし、コミュ障だし、でも人間と仲良くしたいし、病気は治らないし最悪ですよ。
年々最悪を更新してるから地獄に底なんてないんだな、って思ってしまう。天井しかない。
なんだろう小中高ってずっと優等生を演じてたしそれでよかったのに大学ではそれは通じないし通じなかったことが就活して初めて気づかせるのはずるいよ、酷い。
サークルで遊んでいた人がいい人生を歩んでちゃんと講義を受けて制作してたのに最悪に沈んでいく。悲しい。
いつから朝起きるのが嫌になったんだろう?
少なくとも中学ころはもう嫌だったな。
気が晴れる時がくるんだろうかと思うし、晴れてる人はいるんだろうかと思う。
せめて居場所があればな。実家に居場所がないから歩き回りたいけどコロナだしでかけると「どこいくの?」ってしつこくきいてくるしめんどくさくてやめた。
絵を描くのは好きだけど、何か言われるのが怖くてここ2、3日描けていない。怖い。
放っておいてほしい。
放っておいてほしいけど寂しいよ。
あのさぁ、就職・転職・再就職のときに、もっとも重要視されているモノってスキルなんかじゃないんだよ。
「年齢」
いわゆる「年齢差別」ってやつ。
欧米など諸外国とは異なり、日本では、いくら社会人になってから大学などに入り直して、新たな知識・スキルを身につけても、それは評価されない。
なぜなら、そもそも採用時に、「知識・スキル」を、少なくとも最重要としては見ていないから。
日本企業の多くでは、「知識・スキル」は、入社してから身につけられると思っている。
無論、現場のOJT丸投げ、ではあるけど…。
それよりも、採用段階では、「いかにリスクが少ないか」「自社のカルチャーに染める余地があるか」が重要視される。
年齢が高いことも、リスクと考えられている。
例えば、40歳以上の中年の人間が、事前に職業訓練などで「知識・スキル」を身につけて、再就職に挑んだとしても、年齢を理由に落とされまくる。
企業側は…
「人手不足なので人は欲しい」
「それでも優秀な人を厳選したうえで採用したい」
……と思っている。これが本音。
よく「未経験者歓迎」という文言が載っているが、これは、決して「未経験者が欲しい」という意味ではない。
基本的には、経験者で且つ即戦力となりうる優秀な人だけが欲しい。
でも、未経験者の応募者の中に、ごく稀に、貴重な資格を持っていたり、他業種でも貴重な経歴を持っていたり、そういった人が居ることがある。
そういう人がいた場合には、書類選考は通して、面接で人柄などを確認したうえで、採用することもある、ということなんだ。
事実上、横行している「年齢差別」が、できないような世の中にならないと、政府が言っている「70歳まで現役で働いてください」という方向性と、企業の方向性がマッチしないまま、中高年の失業者が、あふれかえる。
(ここでいう失業者とは、実際に職探し行動をしている・いないに関わらず、職にありつけない者をいう)
未経験者の転職・再就職を促進させる方向も、職業訓練支援なんかじゃヌルすぎる。
採用する側の企業に、未経験者でも採用させる方向に行かせないと…。(それこそ補助金などで税金を投入しても良いと思うけど)
このままでは、世の中に、職にありつけない人や、職につけていても劣悪な条件下で労働を強いられる人が、あふれかえることになりそうなんだよなぁ。
…。
今回の新型コロナによる不況は、下記の記事のように、元々サービス業・非正規雇用者が多い女性へのダメージが大きいそうだ。独り身を嘆いている男性諸君は今婚活を始めれば有利な結婚ができるのではないかな?
https://www.bloomberg.co.jp/news/videos/2020-10-19/QIFGL2DWRGG701
先月の自殺者 去年より40%増加 女性が大幅増 コロナの影響も 新型コロナウイルス NHKニュース
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201110/k10012704501000.html
こんなことを思いついた理由は、私自身も、妻と結婚したきっかけが彼女の新卒就職の時期とリーマン・ショックの不況が不幸にも重なったことがきっかけだったからだ。
当時の私はエンタメ業界の裏方(機材やハコの手配や経理・総務的な事務全般)、彼女はエンタメ業界を目指す専門学校生だった。
元から裏方希望だったわけじゃないし、なれるなら華々しいプロデューサー職をやりたかったけど、「○大卒なら数字強いでしょ? 書類仕事できるよね?」と押し付けられてこなしているうちに裏方が板に付いてそろそろ10年という状況。
妻との出会いは、知人が妻の通う専門学校の講師で「生徒たちに、業界に入ったらこういう裏方さんにもお世話になるんだ、ということを教えてやって欲しい」と、何度か授業に呼ばれて講義後の懇親会で就職の相談に乗ってあげたこと。
妻は勤勉で熱意のある学生で、私も何度か会って書類選考でのポートフォリオの見せ方などできる限りの助言をしたけど、就職活動の時期が悪すぎた。今回もそうだけど、世間が不況となるとエンタメ業界って真っ先に仕事も求人も削られちゃう。
専門学校を卒業して晴れてフリーターとして社会に出るハメになってしまった彼女の憔悴ぶりといったら見ちゃいられなかった。
そこから、なし崩し的に寝て付き合うことになって、バイトをしながら続けていた業界への就職活動が一向に実らない彼女が自殺願望を仄めかした日に「もうこの子は俺が守ってやるしかない」と覚悟を決めてプロポーズした。
その後、エンタメ業界に見切りを付けて他業種に転職したり、色々苦労もあったけど子供も生まれて、ありがたいことにコロナ不況に強い業種・ポジションでまあまあ幸せに暮らせている。
結婚当時の私の年齢はまだ結婚を諦めるには早かったけど、流石に学生の女の子から見たらオッサンもいいところで相手にはされないだろうという自覚はあったので、妻と結婚できたのは結果だけ見れば相当に有利なディールだったと思っている。
今のコロナ不況で苦境に陥っている女の子は多いことだろう。自分が元いたエンタメ業界で例えるなら、ウェイトレスのバイトをしながらいつかはブロードウェイのミュージカルに、みたいな夢を持って生きていた女の子にとって、バイト先のレストランではクビになるわ、夢見ていた演劇はクラスター発生装置と叩かれて当分の間自粛を強いられるわで本当にキツい状況だと思う。って、ここはニューヨークじゃねえけどさ。
もしこれ読んでる男子で、知り合いにこんな感じの飲食・小売で生計立てつつエンタメ業界を目指している女の子がいたら、これまではちょっと高目で声掛けられない美人でも、今連絡してあげたらワンチャンあるかもよ?
DWUっつうVtuberがいる。
登録者数10万の雑魚Vだが文春のインタビューに出たりしてて業界ではそこそこ有名な奴だ。
とりあえず公募したら200人くらい応募が来たので書類選考で20人まで絞って配信で公開面接をしている。
そこでのセクハラが酷い。
事前に聞き出したプロフィールから呼び名をつけるんだがそれが『童貞研修医』。
そんな地獄が40分以上続く。
研修医氏はそんな扱いを受けても愛想笑いを浮かべ全く気にしていない風を装っているが無理もない。
配信経験のないただの素人が数百人の視聴者がみてる完全アウェイな空間で怒ったり不快感を示したりなんてできるはずがない。
これは完全にセクハラだ。
勘違いしてる諸氏がいるようなので追記しておくが、この婚活企画はお遊びではないし、そういうプレイでもない。
いたって真面目な婚活だ。
DWUは本当に結婚するつもりでやっている。
これまでに研修医氏含め9人と面談しているがどれも真面目にお見合いをしていた。
2人ほど遊び人が混ざってしまってネタ回になってしまうこともあったが、他は常に真面目だった。真面目過ぎてつまらないほどに。
2020年10月8日にCTO協会が発表した、デジタル庁創設に向けた提言についてWeb系といわれるサービスを運用している企業に属しているエンジニアの間で話題となった。
https://cto-a.org/news/2020/10/08/3736/
この提言について、いろいろな方の意見がTwitter上や、CTO協会が管理しているGitHubリポジトリにあげられている。
https://github.com/cto-a/policy-proposal/issues
zenn.devに書かれた提言に対する疑問もあげられている。
https://zenn.dev/taichi/articles/4466467200c5448436c5
まだ始まったばかりだから、ということで優しく見守ろう、という動きもみられる。
協会の会員、理事の考えについては今後アップデートされるだろう。
政治的な動きに介入しようとする姿勢が業界に対してどのような影響がでるのか、
また省庁はじめ行政主体の動き、働き方、または内閣を動かしていくのか、などはわからない。
CTO協会には政府関係者とのつながりを直接持つ人も多数いるのであろうから、何かしら動きはあるだろう。
CTO協会の騒動を見ていて、これから起きるだろうことを列挙しておく。
CTO協会がYES!としても開発者としては疑問に思うことが出てくるわけだけど、今回のデジタル庁創設に向けた提言も含んで協会の行動がWeb系のサービスを中心としたエンジニアのステレオタイプとして刷り込まれて行かないか、と感じている。
小中高で勉強もしないで絵しか描いてなかったし、周りの子と比べて自分が一番絵が上手いと思ってた。
絵を描くのが好きだった。自分が頭でつくった世界を自分の手でつくれるってすごいと思ってた。
みんなに感想とかを貰うのも好きだった。
親に頼み込んで入った専門学校でも一番上手いのは自分だと思ってた。
わかってる。
人に好かれるだろうな、っていう絵柄と構図と塗りで、
この人、ここ描くの好きなんだろうな、ってわかる絵。
魅力的な絵。
その人たちの絵を見て、次に自分の絵を見た。
なんだろうこれ。ちっとも魅力的に見えない。
私なんのために絵描いてたんだろって、その時初めて本気で思った。
入って何ヶ月とかして、私の絵も入る前よりかは上手くなってきたし、先生に褒められることもあったけど、就活を初めてまたしんどくなった。
自分には絵しかないと思ってたから、絵の仕事以外考えられなくて、(まあそういう学校に入ったし)作ったポートフォリオを送りまくったんだけど、10月入ってからも書類選考で落ち続けてる。受かった人のポートフォリオ見たりとか、編集し直したりとか、やったんだけど、全部落ちてる。
こんなん他の人に言ったらまだまだ送り足りないとか、努力が足りないとか、本当に受かりたかったら云々とか、絶対言われるし私も本当にその通りだと思うんだけど、
それしか能がないと思ってた自分の絵は、送った人たちにとっては本当にいらない絵だったんだなって、だれもお前の絵なんか好きじゃないよって言われてる気がして、
いやもう本当にその企業さんたちに悪口とかを言いたいわけじゃなくて、本当にそうなんだろうなって思って、すごく辛い。
絵の仕事に就きたいからって学校入れてもらったのに、それができないってなったら親にもなんて謝ればいいのかわからないし、小中高のクラスメイトとかにも、あんなに言ってたのに結局違う仕事に就いてるんだとか言われてしまうし、仲良くしてくれてる友達にも気を遣わせたくないし、
何より私が、私自身がもう、絵の仕事に就きたいって思ってるのにそれが叶わないかもしれないこととか、自分の絵はいらないものだったのかもしれないとか、もっと他のことも勉強しとけば良かったとか、大学に入っておくべきだったかなとか、頼み込んで専門学校に入れてもらったのにそんなことを考えてる自分が嫌だとか、ごちゃごちゃになって、しんどい
絵を描かなきゃ、と思ったけど、なんのために?とも思った。
どうせ見てもらないよ、いらない絵だって言われてしまうよって考えてしまう。
え、私って描くのが好きだったんじゃないの?見てもらうために描いてたの?
自分、絵を描くのが楽しいから描いてたんだと思ってた、でも違うのかも知れないっていうのが、本当に怖くて、泣いた。液タブを前にしてめちゃくちゃ泣いた。
でも、絵を描きたい。
なにかしら描きたい。
絵を描きたい。楽しんで描きたい。絵を描くのが、好きなの。
自分のこと、本当に嫌い。
自分に甘いなって思うし、先延ばしにするし、好きじゃないことしたくないし、優しくないし、無知だし、こんな私の絵が魅力的でないなんて当たり前だよね。
明日、親にめちゃくちゃ謝って、就職浪人させてくださいって言う。
これからいっぱいがんばるから、吐き出すのだけ許してください。こんな支離滅裂な文章読む人いないと思うけど。
自分が悪いってわかってるから、他の人に言ったら正論が返ってくるなと思って誰にも言わなかったんだけど、でももう、一回正論言われた方がいいのかなとおもって、顔見知りに言われたらショックで立ち直れないかも知れないから、匿名で書けるここを使って吐き出しました。こういうとこも嫌いなんだよ。
寝れなくてこんな時間に突発的に書いたからすごく読み辛い。お目汚し本当にごめんなさい。
就きたい仕事に就けるように。
絵を描けるように、頑張ります。
俺は採用も含めたエンジニアリングマネージャーをしているんだが「実務経験○○年以上」と書いているのに実務経験未経験の駆け出しエンジニア、つまりスクール卒業したてのやつが頻繁に応募してくる。
普通、採用要件に満たされていないと客観的に自分を見られるなら応募してこないもんだと思うが(少なくても俺はそう)、世の中そうじゃないらしい。たぶんスクールかどこかで「採用要件は無視してとりあえず応募しとけ」みたいなのを教えているんだろう。
別に実力があると客観的に証明できるのであれば、実務経験がなくても応募してくるのはいいし、こちらとしても大歓迎だ。採用側としては本人の人柄を主立って見ているのではなく、職能を見ている。
実務経験○○年以上で、簡単に言えば「うちのシステムを触らせたときに、ちゃんと理解して改修してくれるだろうか」とか「社内の技術面含めた折衝がちゃんとできるだろうか」だ。
だから、実務経験がなくてもぶっちゃけどうでもいい。実際に、こちらが期待している職責を果たしてくれるかもしれないと思った人には実務経験なしの人でも書類選考を通している。
それ以降の選考で残念な結果になった人もいるが。
例えば某WやTで自己アピールするのであれば下記のことを気をつけたほうがいい。できないなら採用要件にマッチしてないのに応募してくるな。はっきり言ってウザい。
今後もその会社へチャンスは訪れないぞ。おとなしく未経験を採用している会社にいけ。
追記はしないつもりでいた。
でも、ある1人だけにコメントを返させてもらう。
https://anond.hatelabo.jp/20201001022747
衝撃を受けた。
ここまであなたの心を傷つけるとは思ってもみなかった。
でも、あなたにだから正直に言わせてもらうけど、辞めたことは後悔していない。
5年以上が経ったとは言いつつ、もっともっと、かなり昔の話なので当時の感情を思い出すのは難しいけど、それでも転職という答えが幸せになるための道だったんだよ。
日記は2つともすべて読ませてもらった。
文系の学部出身で、事務職で応募して、もの凄く面倒くさいエントリーシートを書いて、何度かの面接の後に採用された。
企画部門への配属だった。生産管理を希望していたけど通らなかった。
増田でこんなことを書いている以上は察してもらえると思うが、俺は失敗した側の人間だ。
任天堂は素晴らしい会社だ。世界に誇ることができる。でも、考えが甘かった。俺には適合しなかった。
気持ちの整理はついている。別に1万字とか書き殴るとかではないので、もし暇だったら読んでほしい。
大学3年の秋になって、いよいよ就職活動を始めることになって、大学のフリースペース(名前は忘れた。インターネットができる端末とか、調べものができる書棚が置いてある広い建物だった)で四季報を読みながら応募先を決めていた。
どこに応募するかを決めるにあたって、色々と考えた。
「将来、どういう人生を送りたいのか?」
そして、考えがまとまった。
趣味が大事な人間だった。おっさんと呼ばれる年になった今でも続けている。
それで、四季報やインターネットを見て、そういう雰囲気の会社を見つけては説明会に申し込んだ。
なぜ、任天堂を選んだのかというと、上の条件を満たす可能性のある会社だと思ったからだ。実際にそんなことはなかったのだが。
後は、当時所属していた学際サークルの先輩が、任天堂に入りたいと豪語していたけど普通に落ちていたからだ。その先輩は、サークルの中でも指折りの実力者だった。
京都大学に現役で合格して、4年間の学生生活を謳歌して、サークル活動では常に頼られていて、住友商事に内定して、同志社大学のサッカー部のキャプテンが当時付き合っていたチアリーダーの子を口説き落として、数年後には結婚して、今では新しい家のブランドを作る仕事をしている。
そんなレベルの超人が一次面接でお祈りされるなんて、どんな会社なんだろうと思った。
俺が通っていたのは一流の大学ではなかったけど、それでも受けてみようと思った。
採用試験の内容は述べない。俺の体験談は面白くないと思うし、年を経て記憶がだいぶ怪しくなっている。インターネットで、採用試験がどんなものかを紹介しているページがあるけど、まさにそんな感じだった。
書類選考で勉強のできない人を落とした後で、『創造性』がありそうか?というのをつぶさに見る。
本題に入る。
俺はプロの世界を嘗めていた。仕事にかける情熱が同期と比べて明らかに低かった。社会人として生きる覚悟が足りていなかった。
プランナーというのは、ファミコン時代のマリオで例えると…土管はここに置くとか、空中のブロックをどこにするとか、1UPのキノコは右に流れるべきか左に流れるべきか、みたいなことを考える。
大体の会社ではそうだと思うが、新入社員に任される仕事は“形”や“答え”のあるものだ。俺が最初に任された仕事は、企画部門の中でも相当に定型的なものだった。
超すごい人達がゲームのデザインをして、レベルの高い人たちが上記のプランニングを済ませて、さあ開発だ!となる辺りの段階だ。
ぜんぜんダメだった。ダメ過ぎて上司や先輩に怒られ放題だった。お前情熱を感じねーんだよ、みたいなことをよく言われた。その度にムカついたけど、知能も知性も知識も足りなさすぎて、黙って耐えるのがやっとだった。
たぶん同期にも馬鹿にされていた。なんであんなのが入ってきたの?って言われていた可能性が俺の中では90%くらいある。
任天堂の社員にはどんなイメージがある?キラキラしているイメージだろうか。
実際に見てみればわかる。総合商社とか銀行員とかコンサルとか、そういうのとは異なる人種だ。一応は製造業なので、見た目は大人しめな人が多い。
でも、中味は違う。元気があって、溌剌としていて、自分の意見をはっきり言えて、他人の意見を受け入れる力があって、何より頭がいい。俺みたいのもいるけど少数派だ。
2年目、3年目も同じような仕事内容だった。いわゆる“答え”のある仕事。レベルの高い同期は本格的な企画の仕事に進んでいた。みんなが知っているようなゲームタイトルの制作会議に20代の若者が出て行って、父親くらいの年齢の社会人と侃々諤々の議論をしていた。
当時の俺は、今のよくない状況を肯定的に考えていた。むしろ喜んでいた。
なぜかって、このまま永遠に形のある仕事、答えのある仕事をしていれば、企画を出す仕事をしなくてもいいからだ。当時の俺は、自分のアイデアが世の中に出ることに関心はなかった。ただ、毎日定時に帰って、それなりの額の給料をもらって、土日祝日に趣味を楽しんで…そんな生活に満足していた。
毎年のように事務系の部署に異動希望を出して、「いつかは通るだろう。俺のような者を企画に置いておくはずがない」とアホみたいなことを考えていた。
先輩がひとり、またひとりと消えていき、気が付くと俺は中堅社員になっていた。ある年の4月、初めて企画らしい仕事を主担当として任されることになった。
実力が足りていなかった。あるゲームの操作画面や説明画面、設定画面なんかを手掛けることになった。今風の言葉で言うとユーザーインターフェースだ。
ゼロの状態から仕様書と設計書を作るだけの力はなかった。それでも、今まで自分が作ってきたやつをツギハギして、どうにかしたつもりだった。
上司や先輩から、「ここわかりにくくない?俺はこっちの画面に行ってしまうよ」と言われても反論できなかった。自信がなかった。自信がないから上司を押し切ることができない。上司の方も、そんな奴の意見をそのまま通すことはできない。
それで悟った。これまで俺は、上の人たちが作ってくれたパーツを組み合わせてただけなんだって。自分では何ひとつ創造していないんだって。再確認させられた。
今までパズルをやっていたのだ。任天堂が作らないといけないのはパズルそのものなのに。
結局、納期をオーバーした。上司はそれでも俺を諦めることはなかった。最後まで作らせてくれた。もしこれを読んでいるあなたの記憶の中に、あのゲームの操作画面はわかりにくかったというのがあれば俺のせいかもしれない。個人的に謝罪する。
今度こそ、本気でゆっくりまったりしている会社を探そうと思った。地元である京都がいいなと思ったのでリクナビに登録したものの、ぜんぜんうまくいかなかった。
ゲーム会社からは100通以上のメッセージが来る一方で、志望していた機械系メーカーや化学系メーカーの事務職のオファーは少なかった。応募しても書類選考で落とされる。15社に応募したけど、結局ぜんぶ書類選考で落ちた。
今ではわかる。中途採用なのに、事務職として必要な経験が全くなかったのだ。部品調達はやったことがないし、社会保険の手続きもできないし、法律に詳しいわけでもない。
もういい年だし、一流の大学を出ているわけでもない。
それから何か月もかけて、年収が低くてもいいので“ゆっくりまったり”を実現できるかもしれない会社を見つけた。どうやったらそこに入れるかを考え、情報収集をして、研究と対策を重ねて、3度の試験の後に採用通知を受け取ることができた。転職活動を始めて1年後のことだった。
退職を告げた時の、上司や先輩からの引き止めの言葉を覚えている。
「せっかくモノになりかけてるのに」
「ストレスに耐える力は一人前だから、もっと時間をかけてみれば」
「あと1年だけでも働こうよ」
一言一句は合ってないが、おおよそこんな内容だった。手帳に書き留めていたから、そこまで違ってはいないだろう。
社交辞令なのか、それとも本気で言っているのか判断がつかなかった。
あの会社で働くだけの資質が俺にはなかった。創造的な仕事を馬鹿にしていた。もうその時点でゲーム会社にいる資格はない。
あの頃の俺は会社を冒とくするだけでなく、一緒に働く仲間も含めて冒とくしていたのだ。子どもだったから気が付くことはなかった。
最後に、これを書くにあたってヤフー知恵袋などを読んでいたところ、任天堂に入りたい人の疑問が予想外に多かったので、その辺りも主観をベースにちょっと書いてみる。
問.どんな人が内定を取れるのか?
答.ホームページの採用情報に書いてある。あれは美辞麗句ではなくて、本当にそういう人を欲しいと思っている。つまり、以下の要素を持っていると判断されれば採用される。
①の創造性は、学生時代の実績を見られる。例えば、学生時代に部活をしていなくて、サークルに入っていなくて、でもゲームにのめり込んでいて~みたいな人は多分落ちる。
面接で、学生時代の実績についてガッツリ聞かれるからだ。創造的な活動とはどんなことかと言うと、正直何でもいい。自分の考えがあって、主体的に動いて、それでいて周囲と協調ができていればどんな活動でもいい(結果がいいのに越したことはない)。
自分の場合は、大学生や専門学生だけでプロの歌手やバンドを呼んでライブを実行する学際サークルで活動していた。はっきりって端役だった。分かりやすい例でいうと…今季アニメの「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完」で説明する。
卒業生のためのプロムパーティーを実施することになって、ゆきのんが実行委員長で、いろはすがイベント準備の統括的なポジションで、八幡が影の参謀みたいな役割だったと思う。
俺がやっていたのは、いろはすの下で働く生徒達だ。会場のセットをしたり、参加者の受付をしたり、集客用のフライヤーを撒いたりするような、そういう下働きのポジションで部分リーダーをしていた。
創造性といってもこのぐらいでいい。自分の考えがあって、主体的に動くことができて、その過程で他者を巻き込む経験をしていれば何でもいい。面接で何を聞かれても自分の言葉で話せるはずだ。
ただし、アピールは忘れないように。自分の経験が100かなと思ったら、頑張って膨らませて500にする。それ程度なら問題ない。あなたが受ける会社だって、自社の魅力が100だとしたら1000にしてアピールしている。
②のゲームへの情熱は言わずもがなだ。この業界は、ゲームへの熱い思いがないと生き残ることはできない。実際、俺は生き残れなかった。
想像してほしい。新しい案を立ててプランを作っていかないといけないのに、何も思い浮かばずに席に座っているだけの自分を。それでいて時間は流れていく。もうすぐ打合せだ!となって、何が何でも間に合わせようとするも、会議で恥をかくために資料を作っているとしか思えない精神状態になる。
そんな自分が嫌になって、ますます精神が追い詰められてうつ的な症状が出る。かつての俺だ。でも、情熱があればなんとかなることもある。情熱さえ生きていれば、アイデアが枯渇しても、他社や他人から少しだけパクッて、自分のアイデアとつなぎ合わせるなどして窮地を乗り切れる。
ゲーム業界に名を残すような人でも、ポンポンとアイデアが湧いてきて、企画会議も余裕でプレゼンテーションをしているかといえば、そんなことはない。あの人達も必死で藻掻いている。どんなに残業が少ない会社でも、社命が懸かった仕事に取り組んでいる人はとんでもない量の仕事をこなさないといけないし、土日祝日も関係ない。
夢というのは、一度叶えて終わりじゃない。死ぬまで叶え続けないといけない。
あなたが志望する会社に採用されて、志望するポジションになれたとする。「夢は叶った!めでたしめでたし」じゃない。
例えば、ゲームを作る会社で働いている間は、健やかなる時も、病める時も、ずっとゲームのことを考えなければならない。止めた時点で、あなたの夢は終わったことになる。あなたにとってのゲームはそこまでの存在だったということだ。
③の学習ができるというのは、新しいことを能動的な姿勢で覚えていけるということだ。特に、英語ができないと仕事で詰まることがある。事務系は英語の読み書きだけでなく、海外の販売会社等と電話でやり取りしないといけない場面がそれなりにある。
企画系だろうと、デザイン系だろうと、開発系だろうと、どの部門であっても「学習ができる」ことが必須だ。この業界は変化が早いので、去年まで使っていたソフトウェアが今年から全く新しい物に切り替わることもある。世間の変化に対応して、どんなゲームが人気になるのか、どんなゲームが社会の役に立つのか絶えずアンテナを張っている必要がある。なにより、他社がいいゲームを出してきたら研究しなければならない。他社のゲームをプレイできるのではない。プレイしなければならないのだ。
だから、学習ができる人でないと務まらない。知らないことでも、興味のないことでも、やりたくないことでも取り組んで、知識や技術を自らの血肉にする。そういう人を任天堂は(というかすべての会社は)求めている。
書き過ぎた。反省している。
今でも思うことがある。俺はあの会社に感謝しているが、果たしてどこまで感謝しているのか?確信を持てずにいる。
時間が経てば、感謝以外の本当の気持ちがわかるのかもしれない。
ここまで読んでくれた人に感謝する。
大学生がほぼキャンパスに行けず、サークル活動や課外活動が出来なくなり、新しい友人などの人脈もほぼ築けず、バイトも限られているから、就職活動開始までに学生間で差別化出来る要素が大学のランキング以外にほぼなくなる。
これは、就職活動で学歴フィルターが復活することを意味する。選考する側が書類選考で学生を振り分ける要素は学歴しかなくなってしまうからだ。一部の企業が大学名を尋ねない選考を謳ってたが、来年からは無理だろう。
学歴フィルターを打ち破れる要素はコネしかないが、これは生まれついた家柄に依存する。従ってコネのない家柄の子供はなんとしても上位の大学に行かなくては就職できなくなる。
来年の就職活動からは学歴フィルターが大々的に復活するのは間違いない。中堅以下の大学に入ってしまった人は、今からでも遅くないから仮面浪人して上位の大学に入り直すべきだ。
https://anond.hatelabo.jp/20200721131459
条件面の希望も全部満たした上に年収も上がった。本当よかった。
4ヶ月の転職活動が長いか短いかはわからんが自分的には過去最高に苦戦した転職活動だった。
リーマンショックあたりの世代だけど新卒の時よりしんどかったように思う。
最終までいったもののお祈りされた企業は5社。書類で落ちた企業の数えるのはやめた。それくらい落ちた。
あとやべー会社も引いたときは心底へこんだ。もう買い手市場なんだなって実感させられた。
苦戦した理由はコロナだけじゃなくて自分のせいもあるけどそれも抜きにしても書類選考が通りにくくてキツイ。
唯一コロナのおかげで助かったのはリモート面接だった。移動代使わなくていいしカンペ使えるしギリギリまで練習もできた。それ以外はあまりいいことない。
業界にもよるだろうがコロナ影響で書類選考の通過率が低かった気がする。少なくとも自分の書類選考通過率は1割あったかなかったくらい。
自分の能力が低いわけじゃないと思っても連続で落ち続けるとしんどいし雇ってくれるところどこもないんじゃないかって疑心暗鬼にもなった。
さしてデザインスキルがあるわけじゃない自分を採用してくれてありがたい。職場環境はまだこれからなところもあるが悪くないように思う。
頑張りすぎないように頑張るわ。