才能やセンスは確かに存在する。要領の良さや適性とも言い換えられるだろう。例えばこれが、ジャマイカ出身の黒人なら目に見えて足が速そうであるとか、メガネで小太りのインド人なら綺麗でバグの少ないコード書きそうとか、見た目から滲み出ている場合もあるが、大抵の場合見た目はおろか、3日間一緒に過ごしたところでどんな適性や才能を持った人物なのかなど到底分かるはずもない。
就職面接はもっと短時間だ。書類と面接と適性試験だけではどんな才能があって、どんな人物なのかは分からない。というか分かるはずもないので、提出された資料から採用不採用を決めていかなければならない。
そこで一番分かりやすい物差しが、学歴である。日本国民なら等しく義務教育を受けているはずなので、家庭環境によって多少ブーストされることがあるにしろ、おそらくこれ以上平等な物差しは無いだろう。小中9年と高校3年の計12年で大体このくらい勉強ができるようになりました、僕の頑張りを大学受験に発揮すると大体このくらいの大学に相当します、というとかなり分かりやすいかと思う。どっかの人事部の完全に他人のエラそうな無教養のおっさんでも多分大学受験くらいはしてるだろうし、自分があの時あのくらいだったから、という比較もしやすいので選考もスムーズになるだろう。
特に大企業ともなれば応募人数も多いので、人事部がいくらデカくて有能だったとしても、応募者一人一人にそんなに時間をかけている暇は無いはずだ。短時間で大量の選考を行う場合、履歴書においてそれまでの努力や学習能力が一番分かりやすく記載されているのが学歴の欄だ。だからまずそこを見る。
いわゆるデカい仕事に高学歴の人が就いているのは、デカい仕事を受注できるようなデカい組織に所属しているからで、デカい組織に所属する為には母数のバカでかい採用選考を勝ち抜かなければならない、故に書類選考の時点で一番インパクトを与えることができる高学歴である必要があるから、である。
デカい仕事がしたいなら高学歴であるべきだし、自分の才能で飯を食いたいならそれを活かせる場所で仕事をすれば良い。
一応某増田に触れておくと、高学歴=善人とはなり得ない。女を殴る慶応生もスーパーフリーもいわゆる高学歴と言っていいし、白日の元に晒されなければ彼らは大企業で善人が持つべき権限を持つような人材になっていただろう。おそらくバレていないだけで悪人が大きな権限を持っている事例は既にたくさんあると考える方が自然だ。
3科目でAO入試の日本国内大学ではもはや学力証明にならないね なんで途上国の一流学卒が日本に留学する世界観が平成まであったのか理由がよくわかる 第三国に留学しないと不正まみれ...