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2021-02-26

職歴の無い元炎上ブロガー大手企業障害者雇用枠でリモートワークで働きだした

俺は昔、はてなブログブログを書いて、昔でいう「プロブロガー」をやっていた。

1級身体障害者炎上ブロガーって言えば、古参はてなーなら知っている人もいるかもしれない。

フジテレビアナウンサーフリーアナウンサーの「長谷川豊」にブログ記事をパクられた人、っていえば思い出す人もいるかもしれない。

もう過去記事は全て消したが、「だいちゃん.com」(https://xn--n8jvce0l6c.com/)っていうブログ運営していた。

そんな俺は今、大手企業障害者雇用枠でリモートワークで働いている。

俺は元はてなブログ炎上ブロガー

知っている人もいるかもしれないが俺はとあるきっかけで、はてなブログを追い出されてWordPressブログ記事を全部引っ越しさせてブログ運営を続けていた。

だが、はてなブログ時代は主にはてなブックマークから流入がメインだったから当然、WordPressではブログ運営が上手くいかなかった。

Googleアップデートなんかの煽りも受けて、ブログ運営のみの収入生活をすることが困難になった。

ブロガー時代の俺に「自分のところでライターをしないか?」というお誘いを受けて、アフィリエイト記事執筆するライターなんかもやっていた。

ライター収入で一時期は生計を立てていたが、他人ブログ記事を書くということに面白みを見出すことが出来ず、ライターとして生計を立てるということも辞めてしまった。

でも、どうにかして収入を得て生活をしていかなければならないから、俺は頑張って就職活動を始め、今は大手企業障害者雇用枠でリモートワークで働いている訳だ。

もう、昔のはてなアカウントも消してしまって、はてなには全く顔を出していなかったが、少し懐かしくなって今、増田記事を書いている。

ちなみに、俺は1級身体障害者ということもあって、今の会社就職するまでまともな職歴はほぼ無い状態だ。

20歳の時には1級身体障害者になって、そこから半寝たきり状態20代前半を過ごしたりしてきたし、リーマンショックなんかの煽りも受けて、なかなか就職が決まらず……。

ずっとパチスロやらブログ広告収入生計を立ててきた。

正社員には、生まれて一度もなったことが無い。

そんな俺でも障害者雇用枠でなんとか大手企業就職することが出来たから、どうやって就職をしたのかをちょっと書いてみようと思う。

俺のスペック

まず、俺のスペックを書いていこうと思う。

・1級身体障害者(慢性腎不全人工透析

性別:男

・年齢:30代半ば

職歴:ほぼ無し

学歴留年中退付きの高卒

・所持資格:「日商簿記2級」「MOS Word」「MOS Excel」等

こんな風に、俺のスペックボロボロだ。しいていうなら、顔が若干良いくらいだ。

しかも、

不眠症

強迫性障害

・呼吸器障害

乾燥性皮膚炎

などなど、自分障害からのさまざまな合併症も抱えている。

でも、こんな俺でもなんとか就職することが出来た。

どうやって大手企業障害者雇用枠でリモートワークの仕事に就いたか

一番この増田を読んでいる人達が気になっているのはここじゃないだろうか?

こんなボロボロスペックでどうやって大手企業障害者雇用枠、しかリモートワークという狭き門での就職成功させることが出来たのか。

その道のりは簡単ではなかったよ。かなりの苦労がここにはあった。

障害者の職業訓練校に通った

まず、どうにかして障害年金以外の収入をすぐに確保しなければならなかった。

幸い、ブロガーライターをやっていた時の収入殆どを貯蓄に回していたから、なんとか貯蓄を切り崩しながら生活をできていたが、自分の経歴の酷さは分かっていたから、すぐに就職先が決まることは無いと判断した。

そんな俺でも就職するまでの間、障害者だったら収入を得る方法があった。

それが、

障害者専門の職業訓練校に通う」

という方法だ。

正式名称は「障害職業能力開発校」だ。

障害職業能力開発校は、通っている間は失業保険の手当を貰える状態にある人は、失業保険の手当の受給期間を通っている間は延長してもらうことが出来る。

でも俺は、失業保険なんていうものに加入はしていなかった。当然だ。俺はブロガーライター個人事業主だったからな。

じゃあ、障害職業能力開発校に通っている間は無収入なのか。

答えは「NO」。

障害職業能力開発校に通っている間、失業保険の手当を受給出来ていなくても、障害者なら「職業訓練手当」という給付金を貰いながら通うことが出来る。

貰える金額障害等級によって違うが、1級身体障害者場合は月に約12万円ほどは貰うことが出来た。

障害年金の受給金額を合わせても、月に20万円ほどの収入だ。

都心に住んでいる人からしたら、こんな金額じゃ生活出来ない! と感じる人もいるかもしれない。

幸い、俺は九州田舎に住んでいるから、月に20万円もあれば十分に生活は出来る。

そうやって、収入の基盤をなんとか確保した。

ちなみに、俺が通っていた障害職業能力開発校は、訓練期間が1年~2年。

通常は1年だが、「プログラム設計科」という、プログラミングを学ぶ訓練だけは2年コースになっている。

俺はそのプログラム設計科だったから、2年コースだ。

2年間は収入を貰える状態を確保していた。

そこでプログラミングを学びながらプログラマーを目指していた。

でも、俺は「基本情報技術者試験」の午後問題の「アルゴリズム」と「プログラミング」の問題殆ど説くことが出来なかったんだ。

「ああ、俺、多分プログラマーには向いてないわ。」

そして、就活をし始めた年齢が30代だったということもあって、30代で未経験プログラマーしかも1級身体障害者残業の出来ない状態では無理ゲーだろうなー、と思って、次第に「パソコンに強い事務員」として次第に就活をし始めた。

でも、そんな事務員としての就活ですら困難を極めた。

「月・水・金曜日人工透析があるから残業が出来ない。」

この部分がいつも就活において引っ掛かって、いつもいつも不採用だった。

それ以外もだいぶ酷い経歴だが、この部分が一番引っ掛かっていたと思う。

あとはやはり、

不眠症

強迫性障害

・呼吸器障害

乾燥性皮膚炎

を抱えているという部分だ。

でもこの部分は通院しなければならない為、しっかりと企業側に伝えておかなければ就職した際に通院出来ない、という状態になる。

から隠す訳にはいかない。

書類選考がある企業では、書類の時点で必ず落とされた。

そりゃそうだ。俺の履歴書は空白だらけだからな。

俺が企業採用担当だったら、まず採用しないような経歴だ。

でもある日、学校からの紹介でとある大企業の特例子会社への就職の話が入ってきた。

職歴ほぼ無しの俺にはかなり良い条件だった。

でも、問題点が。

俺の住んでいる地域からかなり遠い企業で、引っ越しをしなければならなかった。

俺が健康体なら別に引っ越しをするくらいはかまわなかった。だが、俺のような1級身体障害者病院をいくつも通っている人間は、遠い地域引っ越しをする場合病院を全て1から探し直さないといけない。

そして、病院変更の手続きを行わなければならない。

特に人工透析を行っている病院の変更はとても手続きが大変だ。

病院との相性もある。

週に3日、1日5時間延命治療を受けなければならない病院だ。ここの部分で相性が悪ければ恐らくストレス精神がやられてしまう。

実際、俺が今通っている人工透析病院を見つけるまで相性の悪い病院に通っていて精神がやられた過去があるから、その部分だけは本当に注意していた。

そういった事情もあって、最初就職前向きに検討していたが、だんだんとそういったことを考え始めて、そこの会社への就職は断った。

その頃、今世界中流行している感染症流行り始めていた。それも俺が就職を断った理由の一つだ。

俺が引っ越しをしなければならなかった就職先の地域は、かなり感染者が増加していた。

俺の住んでいる地域感染者がその地域に比べれば少なかった。

それに、会社がかなりバスなどを乗り継がないといけない場所にあって、人工透析を行う病院まで距離が遠かった。

恐らく、毎日病院会社の往復という日々。1日が仕事と通院で終わるような毎日になっていたに違いない。

それだとやはり、俺の精神崩壊してしまうだろう。

そうだと俺は察知して、自分を守る為にそこの会社就職しなかったというのもある。

こういうことを書くと、甘えだとかなんだと言う奴らが出てくるかもしれないが、俺の身体精神は君たちが思っている以上に脆く、弱く、儚い

俺は死にたくない。精神ももう二度と崩壊させたくない。

から俺は自分を守る為にその会社へは就職をしなかったんだ。

これを「甘え」だというのであれば、もういい。好きに言ってくれ。

職業能力開発校を辞めた

だんだん、俺の住んでいる地域でも感染症感染者数が増加していっていた。

でも、俺の通っていた学校建物が古く、建物自体がいわゆる3密状態になっていた。これだけは避けることが出来なかった。

それと、どうしても知的な部分に障害がある人達いるから、感染症対策ちゃんとしない生徒もいた。

学校は家からかなり遠い。

俺の障害はその感染症にかかると重症化しやすい。

しかも、他の患者さんと一緒に治療を受けているから、下手したら自分感染すると病院全体が一時閉鎖しなければならない、という状態だ。

家には高齢の親もいる。

から俺は、絶対感染する訳にはいかないと思い、少しでも感染リスクのあることをだんだんと辞めていった。

そのうちの一つが、障害職業能力開発校だ。

俺はそうやって学校を辞めた。

ここの部分も、Twitterなどで発信していたら、

「お前と同じ障害を抱えているけど、俺は感染リスクのある仕事をしているんだ!! 甘えるな!!」

みたいに言ってきた奴がいた。

お前はお前、俺は俺だぜ?

お前はリスク管理が出来ていない。

俺はリスクのあることは全て排除して、徹底的にリスク管理を行った。ただそれだけの話だ。

お前は勝手感染リスクのある仕事をしてくれ。俺は感染リスクのあることが徹底的にしない。だって命が惜しいからな。

人の命だってかかっているんだ。

その部分を甘く見ているか、甘くみていないか、だ。

俺は自分感染するリスクも取りたくないし、他の患者さんや親を感染にまきこみたくなかった。

から俺は、学校を辞めた。

収入無職からまた個人事業主になった

俺は障害年金は貰っていたけれど、それ以外の収入学校を辞めたことで本当に無くなってしまった。

障害年金は月に約7万円ほどだ。でも、俺は実家暮らしだが実家もそこまで裕福ではないか障害年金の殆どを家に入れていた。

から実質、無収入だ。

さて、これからどうやって生活をしていこう。

正直、感染症が収まるまで通勤での勤務もするつもりが無かったから、そこで一旦、就職活動したいを辞めていた。

学校を辞めました。何か仕事を下さい。」

そんなことをTwitter上でツイートしたような気がする。

すると、以前ライターをさせて貰っていたクライアントさんの一人が俺に仕事を振ってくれるようになった。

以前のようにライター仕事では無いが、生活出来るくらいの金額になるように仕事を振ってくれていた。

ちなみに、その人は俺がライター自体を辞めて障害職業能力開発校に入るとき

「今までライターお疲れ様

といった意味を込めてなのか、カニを大量に送ってくれた為、俺の家族の間では、

カニの人」

として周知されている。

その人がまた、ライター仕事ではないが仕事を振ってくれるようになった。

その収入だけでも正直、個人事業主として生活は出来ていた。だが、その人は法人社長ではない。あくま個人事業主だ。

クライアント個人事業主だと、どうしても将来的な収入不安になる。

でも、俺は感染症リスクを負ってまで就職する気は更々無い。でもやっぱり将来的な収入不安だ……。

そんな葛藤をずっと抱いていた。

就職エージェント登録した

ある日、Twitterをいつものようにやっていると、とある就職エージェント広告が目に入ってきた。

障害者専門の就職エージェント

そういった触れ込みで広告掲載している企業だった。

取り敢えず、登録だけしておいても損はしないな。まあ、今すぐに就職をする気は無いが、感染症が収まったらやっぱり企業勤めをしたいから、恐らく就活を再開するからな。

そんなことを考えて、本当に取り敢えずで登録だけしてみた。

すると、エージェント就職担当から電話連絡があった。

俺は、

「すぐに就職をする気は無い。でも、リモートワークなら就職したいかも。」

みたいなことを、エージェント就職担当者に話したような気がする。

すると、その登録した会社から別の会社へその話が行って、

障害者専門・リモートワーク専門の就職エージェント

へ流れで登録することになった。

なんか、いちいちあっちのサイトこっちのサイトって登録するの面倒だな……なんてことも思ったりしたし、リモートワークでの就職は倍率がめちゃくちゃ高くてなかなか決まらないということを、俺は実体から分かっていた。

今まで、リモートワークでの就職を何度も試みて、全部の企業から落とされているからだ。

でも、やっぱり登録をするだけしておこうと思って、その会社登録だけ済ませた。

すると、次の日からすぐに企業案内が来た。

俺は来る会社は全てOKを出して、全ての企業へ応募し始めた。

リモートワークで仕事をすることが出来たら、感染症リスクもだいぶ抑えられるからな。

個人事業主としての収入もあったが、安定はしていないと判断して、俺は安定収入を取ることにした。

安定収入を得るためには、就職するしかない。

そう考えて、俺はだんだん就活へ前向きになっていった。

ちなみに、就職エージェント就職担当の方が、俺の履歴書の書き方が下手だからと、履歴書添削してくれた。

そしてアドバイスもしてくれて今まで出していたものとは見違えるような履歴書になった。

俺みたいに酷い経歴でも、書き方次第である程度は改善できるのだな、と思った。

ちなみにアドバイスの中でも、抱えている障害病気のことはしっかりと書くように言われた。

書くと就職には不利に働くかもしれないが、そこをちゃん理解してくれる企業じゃないと長く働けないから、ということだった。

話を戻すけど、その就職エージェントが紹介してくれるのは、大手企業ばかりだった。

でも、来る日も来る日も全ての企業へ応募しても、書類選考の時点で落とされていた。

心が折れそうだった。

だけど俺は諦めなかった。

するとある日、1社だけ初めて書類選考を通過したんだ。

就職内定が決まった

その企業東京大手企業だった。

俺は正直、名前すら聞いたことが無かった。というのも、俺は主にIT企業事務員として就職を試みていたが、ITとは程遠い企業だったからだ。

でも、ワガママを言ってはいられない。

大手企業であることには違いない。

俺はどうにかして就職をしようと、面接マニュアルを読み込み、YouTube撮影用のカメラの前で面接練習をしてそれを録画。

動画にして自分面接での喋り方、話す内容等を面接の日まで毎日見直していた。

そうやって面接対策を行っていた。

面接対策、というより面接練習だ。

そういった努力も実ったからなのか、俺はその1社へ就職内定が決まったんだ。

パソコンに強い人材があまりいなさそうな業界、という部分も良かったのかもしれない。

晴れて俺は、大手企業障害者枠でリモートワークで就職が決まった。

大手企業障害者枠で就職するコツ

一応、大手企業障害者枠で就職する為にしたことは、

後編へ続く。

後編:https://anond.hatelabo.jp/20210221124058

2021-02-21

職歴の無い元炎上ブロガー大手企業障害者雇用枠でリモートワークで働きだした

俺は昔、はてなブログブログを書いて、昔でいう「プロブロガー」をやっていた。

1級身体障害者炎上ブロガーって言えば、古参はてなーなら知っている人もいるかもしれない。

フジテレビアナウンサーフリーアナウンサーの「長谷川豊」にブログ記事をパクられた人、っていえば思い出す人もいるかもしれない。

もう過去記事は全て消したが、「だいちゃん.com」(https://xn--n8jvce0l6c.com/)っていうブログ運営していた。

そんな俺は今、大手企業障害者雇用枠でリモートワークで働いている。

俺は元はてなブログ炎上ブロガー

知っている人もいるかもしれないが俺はとあるきっかけで、はてなブログを追い出されてWordPressブログ記事を全部引っ越しさせてブログ運営を続けていた。

だが、はてなブログ時代は主にはてなブックマークから流入がメインだったから当然、WordPressではブログ運営が上手くいかなかった。

Googleアップデートなんかの煽りも受けて、ブログ運営のみの収入生活をすることが困難になった。

ブロガー時代の俺に「自分のところでライターをしないか?」というお誘いを受けて、アフィリエイト記事執筆するライターなんかもやっていた。

ライター収入で一時期は生計を立てていたが、他人ブログ記事を書くということに面白みを見出すことが出来ず、ライターとして生計を立てるということも辞めてしまった。

でも、どうにかして収入を得て生活をしていかなければならないから、俺は頑張って就職活動を始め、今は大手企業障害者雇用枠でリモートワークで働いている訳だ。

もう、昔のはてなアカウントも消してしまって、はてなには全く顔を出していなかったが、少し懐かしくなって今、増田記事を書いている。

ちなみに、俺は1級身体障害者ということもあって、今の会社就職するまでまともな職歴はほぼ無い状態だ。

20歳の時には1級身体障害者になって、そこから半寝たきり状態20代前半を過ごしたりしてきたし、リーマンショックなんかの煽りも受けて、なかなか就職が決まらず……。

ずっとパチスロやらブログ広告収入生計を立ててきた。

正社員には、生まれて一度もなったことが無い。

そんな俺でも障害者雇用枠でなんとか大手企業就職することが出来たから、どうやって就職をしたのかをちょっと書いてみようと思う。

俺のスペック

まず、俺のスペックを書いていこうと思う。

・1級身体障害者(慢性腎不全人工透析

性別:男

・年齢:30代半ば

職歴:ほぼ無し

学歴留年中退付きの高卒

・所持資格:「日商簿記2級」「MOS Word」「MOS Excel」等

こんな風に、俺のスペックボロボロだ。しいていうなら、顔が若干良いくらいだ。

しかも、

不眠症

強迫性障害

・呼吸器障害

乾燥性皮膚炎

などなど、自分障害からのさまざまな合併症も抱えている。

でも、こんな俺でもなんとか就職することが出来た。

どうやって大手企業障害者雇用枠でリモートワークの仕事に就いたか

一番この増田を読んでいる人達が気になっているのはここじゃないだろうか?

こんなボロボロスペックでどうやって大手企業障害者雇用枠、しかリモートワークという狭き門での就職成功させることが出来たのか。

その道のりは簡単ではなかったよ。かなりの苦労がここにはあった。

障害者の職業訓練校に通った

まず、どうにかして障害年金以外の収入をすぐに確保しなければならなかった。

幸い、ブロガーライターをやっていた時の収入殆どを貯蓄に回していたから、なんとか貯蓄を切り崩しながら生活をできていたが、自分の経歴の酷さは分かっていたから、すぐに就職先が決まることは無いと判断した。

そんな俺でも就職するまでの間、障害者だったら収入を得る方法があった。

それが、

障害者専門の職業訓練校に通う」

という方法だ。

正式名称は「障害職業能力開発校」だ。

障害職業能力開発校は、通っている間は失業保険の手当を貰える状態にある人は、失業保険の手当の受給期間を通っている間は延長してもらうことが出来る。

でも俺は、失業保険なんていうものに加入はしていなかった。当然だ。俺はブロガーライター個人事業主だったからな。

じゃあ、障害職業能力開発校に通っている間は無収入なのか。

答えは「NO」。

障害職業能力開発校に通っている間、失業保険の手当を受給出来ていなくても、障害者なら「職業訓練手当」という給付金を貰いながら通うことが出来る。

貰える金額障害等級によって違うが、1級身体障害者場合は月に約12万円ほどは貰うことが出来た。

障害年金の受給金額を合わせても、月に20万円ほどの収入だ。

都心に住んでいる人からしたら、こんな金額じゃ生活出来ない! と感じる人もいるかもしれない。

幸い、俺は九州田舎に住んでいるから、月に20万円もあれば十分に生活は出来る。

そうやって、収入の基盤をなんとか確保した。

ちなみに、俺が通っていた障害職業能力開発校は、訓練期間が1年~2年。

通常は1年だが、「プログラム設計科」という、プログラミングを学ぶ訓練だけは2年コースになっている。

俺はそのプログラム設計科だったから、2年コースだ。

2年間は収入を貰える状態を確保していた。

そこでプログラミングを学びながらプログラマーを目指していた。

でも、俺は「基本情報技術者試験」の午後問題の「アルゴリズム」と「プログラミング」の問題殆ど説くことが出来なかったんだ。

「ああ、俺、多分プログラマーには向いてないわ。」

そして、就活をし始めた年齢が30代だったということもあって、30代で未経験プログラマーしかも1級身体障害者残業の出来ない状態では無理ゲーだろうなー、と思って、次第に「パソコンに強い事務員」として次第に就活をし始めた。

でも、そんな事務員としての就活ですら困難を極めた。

「月・水・金曜日人工透析があるから残業が出来ない。」

この部分がいつも就活において引っ掛かって、いつもいつも不採用だった。

それ以外もだいぶ酷い経歴だが、この部分が一番引っ掛かっていたと思う。

あとはやはり、

不眠症

強迫性障害

・呼吸器障害

乾燥性皮膚炎

を抱えているという部分だ。

でもこの部分は通院しなければならない為、しっかりと企業側に伝えておかなければ就職した際に通院出来ない、という状態になる。

から隠す訳にはいかない。

書類選考がある企業では、書類の時点で必ず落とされた。

そりゃそうだ。俺の履歴書は空白だらけだからな。

俺が企業採用担当だったら、まず採用しないような経歴だ。

でもある日、学校からの紹介でとある大企業の特例子会社への就職の話が入ってきた。

職歴ほぼ無しの俺にはかなり良い条件だった。

でも、問題点が。

俺の住んでいる地域からかなり遠い企業で、引っ越しをしなければならなかった。

俺が健康体なら別に引っ越しをするくらいはかまわなかった。だが、俺のような1級身体障害者病院をいくつも通っている人間は、遠い地域引っ越しをする場合病院を全て1から探し直さないといけない。

そして、病院変更の手続きを行わなければならない。

特に人工透析を行っている病院の変更はとても手続きが大変だ。

病院との相性もある。

週に3日、1日5時間延命治療を受けなければならない病院だ。ここの部分で相性が悪ければ恐らくストレス精神がやられてしまう。

実際、俺が今通っている人工透析病院を見つけるまで相性の悪い病院に通っていて精神がやられた過去があるから、その部分だけは本当に注意していた。

そういった事情もあって、最初就職前向きに検討していたが、だんだんとそういったことを考え始めて、そこの会社への就職は断った。

その頃、今世界中流行している感染症流行り始めていた。それも俺が就職を断った理由の一つだ。

俺が引っ越しをしなければならなかった就職先の地域は、かなり感染者が増加していた。

俺の住んでいる地域感染者がその地域に比べれば少なかった。

それに、会社がかなりバスなどを乗り継がないといけない場所にあって、人工透析を行う病院まで距離が遠かった。

恐らく、毎日病院会社の往復という日々。1日が仕事と通院で終わるような毎日になっていたに違いない。

それだとやはり、俺の精神崩壊してしまうだろう。

そうだと俺は察知して、自分を守る為にそこの会社就職しなかったというのもある。

こういうことを書くと、甘えだとかなんだと言う奴らが出てくるかもしれないが、俺の身体精神は君たちが思っている以上に脆く、弱く、儚い

俺は死にたくない。精神ももう二度と崩壊させたくない。

から俺は自分を守る為にその会社へは就職をしなかったんだ。

これを「甘え」だというのであれば、もういい。好きに言ってくれ。

職業能力開発校を辞めた

だんだん、俺の住んでいる地域でも感染症感染者数が増加していっていた。

でも、俺の通っていた学校建物が古く、建物自体がいわゆる3密状態になっていた。これだけは避けることが出来なかった。

それと、どうしても知的な部分に障害がある人達いるから、感染症対策ちゃんとしない生徒もいた。

学校は家からかなり遠い。

俺の障害はその感染症にかかると重症化しやすい。

しかも、他の患者さんと一緒に治療を受けているから、下手したら自分感染すると病院全体が一時閉鎖しなければならない、という状態だ。

家には高齢の親もいる。

から俺は、絶対感染する訳にはいかないと思い、少しでも感染リスクのあることをだんだんと辞めていった。

そのうちの一つが、障害職業能力開発校だ。

俺はそうやって学校を辞めた。

ここの部分も、Twitterなどで発信していたら、

「お前と同じ障害を抱えているけど、俺は感染リスクのある仕事をしているんだ!! 甘えるな!!」

みたいに言ってきた奴がいた。

お前はお前、俺は俺だぜ?

お前はリスク管理が出来ていない。

俺はリスクのあることは全て排除して、徹底的にリスク管理を行った。ただそれだけの話だ。

お前は勝手感染リスクのある仕事をしてくれ。俺は感染リスクのあることが徹底的にしない。だって命が惜しいからな。

人の命だってかかっているんだ。

その部分を甘く見ているか、甘くみていないか、だ。

俺は自分感染するリスクも取りたくないし、他の患者さんや親を感染にまきこみたくなかった。

から俺は、学校を辞めた。

収入無職からまた個人事業主になった

俺は障害年金は貰っていたけれど、それ以外の収入学校を辞めたことで本当に無くなってしまった。

障害年金は月に約7万円ほどだ。でも、俺は実家暮らしだが実家もそこまで裕福ではないか障害年金の殆どを家に入れていた。

から実質、無収入だ。

さて、これからどうやって生活をしていこう。

正直、感染症が収まるまで通勤での勤務もするつもりが無かったから、そこで一旦、就職活動したいを辞めていた。

学校を辞めました。何か仕事を下さい。」

そんなことをTwitter上でツイートしたような気がする。

すると、以前ライターをさせて貰っていたクライアントさんの一人が俺に仕事を振ってくれるようになった。

以前のようにライター仕事では無いが、生活出来るくらいの金額になるように仕事を振ってくれていた。

ちなみに、その人は俺がライター自体を辞めて障害職業能力開発校に入るとき

「今までライターお疲れ様

といった意味を込めてなのか、カニを大量に送ってくれた為、俺の家族の間では、

カニの人」

として周知されている。

その人がまた、ライター仕事ではないが仕事を振ってくれるようになった。

その収入だけでも正直、個人事業主として生活は出来ていた。だが、その人は法人社長ではない。あくま個人事業主だ。

クライアント個人事業主だと、どうしても将来的な収入不安になる。

でも、俺は感染症リスクを負ってまで就職する気は更々無い。でもやっぱり将来的な収入不安だ……。

そんな葛藤をずっと抱いていた。

就職エージェント登録した

ある日、Twitterをいつものようにやっていると、とある就職エージェント広告が目に入ってきた。

障害者専門の就職エージェント

そういった触れ込みで広告掲載している企業だった。

取り敢えず、登録だけしておいても損はしないな。まあ、今すぐに就職をする気は無いが、感染症が収まったらやっぱり企業勤めをしたいから、恐らく就活を再開するからな。

そんなことを考えて、本当に取り敢えずで登録だけしてみた。

すると、エージェント就職担当から電話連絡があった。

俺は、

「すぐに就職をする気は無い。でも、リモートワークなら就職したいかも。」

みたいなことを、エージェント就職担当者に話したような気がする。

すると、その登録した会社から別の会社へその話が行って、

障害者専門・リモートワーク専門の就職エージェント

へ流れで登録することになった。

なんか、いちいちあっちのサイトこっちのサイトって登録するの面倒だな……なんてことも思ったりしたし、リモートワークでの就職は倍率がめちゃくちゃ高くてなかなか決まらないということを、俺は実体から分かっていた。

今まで、リモートワークでの就職を何度も試みて、全部の企業から落とされているからだ。

でも、やっぱり登録をするだけしておこうと思って、その会社登録だけ済ませた。

すると、次の日からすぐに企業案内が来た。

俺は来る会社は全てOKを出して、全ての企業へ応募し始めた。

リモートワークで仕事をすることが出来たら、感染症リスクもだいぶ抑えられるからな。

個人事業主としての収入もあったが、安定はしていないと判断して、俺は安定収入を取ることにした。

安定収入を得るためには、就職するしかない。

そう考えて、俺はだんだん就活へ前向きになっていった。

ちなみに、就職エージェント就職担当の方が、俺の履歴書の書き方が下手だからと、履歴書添削してくれた。

そしてアドバイスもしてくれて今まで出していたものとは見違えるような履歴書になった。

俺みたいに酷い経歴でも、書き方次第である程度は改善できるのだな、と思った。

ちなみにアドバイスの中でも、抱えている障害病気のことはしっかりと書くように言われた。

書くと就職には不利に働くかもしれないが、そこをちゃん理解してくれる企業じゃないと長く働けないから、ということだった。

話を戻すけど、その就職エージェントが紹介してくれるのは、大手企業ばかりだった。

でも、来る日も来る日も全ての企業へ応募しても、書類選考の時点で落とされていた。

心が折れそうだった。

だけど俺は諦めなかった。

するとある日、1社だけ初めて書類選考を通過したんだ。

就職内定が決まった

その企業東京大手企業だった。

俺は正直、名前すら聞いたことが無かった。というのも、俺は主にIT企業事務員として就職を試みていたが、ITとは程遠い企業だったからだ。

でも、ワガママを言ってはいられない。

大手企業であることには違いない。

俺はどうにかして就職をしようと、面接マニュアルを読み込み、YouTube撮影用のカメラの前で面接練習をしてそれを録画。

動画にして自分面接での喋り方、話す内容等を面接の日まで毎日見直していた。

そうやって面接対策を行っていた。

面接対策、というより面接練習だ。

そういった努力も実ったからなのか、俺はその1社へ就職内定が決まったんだ。

パソコンに強い人材があまりいなさそうな業界、という部分も良かったのかもしれない。

晴れて俺は、大手企業障害者枠でリモートワークで就職が決まった。

大手企業障害者枠で就職するコツ

一応、大手企業障害者枠で就職する為にしたことは、

後編へ続く。

後編:https://anond.hatelabo.jp/20210221124058

2015-09-13

職業能力開発校から大学編入するケースもあるよ

結局、何するにも金なんだなって18歳で実感した話

http://anond.hatelabo.jp/20150913021046


ネタマジレスかもしれないが俺も似たようなことで苦しんだ。

実用的なことを書いている人もいて、参考になる。


http://anond.hatelabo.jp/20150913135332


ただ俺の場合は頭も相当悪かったので国公立に入れるなんて考えられんかった。

から増田が「本当に頭が良くない。それでも大学に行きたい」ケースについての対策について答えたい。

それでも大学に行きたいと思うのであれば、職業能力開発校から大学へ編入するケースが一番『間違いが少ない』と考える。



○流れ

 ・職業能力開発校を探す

 まず地元職業能力開発校を探す。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%B7%E6%A5%AD%E8%83%BD%E5%8A%9B%E9%96%8B%E7%99%BA%E6%A0%A1%E4%B8%80%E8%A6%A7

 職業訓練校にも様々な種類がある。ここで増田が「こういうことを学びたい」という明確なものがあれば決めやすいだろう。実際に行ってみるのもいい。電話で前もって先方に確認すれば、大体は時間を割いて対応してくれる。

 大事なことはそこで大学編入の話もすること。その職業能力開発校で行ける大学学部についても教えてもらえる(取得した単位によって編入できないこともある)ちゃんと専門の人に教えてもらおう。

 もし近場に行きたいところがなかった場合は……学校によっては寮があるところもあるのでそういうところを探すのもありだろう。

 ・入試を申し込む

 大体9月から推薦入試10月ぐらいから一般入試募集が始まる。

 ・試験を受ける

 学校によって違うけど、だいたい数学英語国語試験面接が入ると思う。


メリット

・金がかからない

 コースや学校によっても違うが、学費は大体年十数万だ。これなら片手間でバイトしていてもなんとか捻出できる金額だ。実際俺も夜のバイトをしていた(奨学金も使えるはずだ)

・頭が悪くても大体入れる

 高校生なら推薦枠が使えるだろうから(もう終わっているかな?)そこで推薦してもらえばよっぽどの問題がなければ入れる。

 一般入試で入ろうとしても、出てくる試験高校一年レベルに毛が生えたようなものばかりだ。増田最初から大学を狙っていたレベルなら、軽々といける(と思う)

職業能力開発校の修了時点で就職できる。

 増田文章を読んでいると、自分心配と同時に家族心配もしていて優しい奴だと思う。

 奨学金入学しても色んな事情で家の金がどうしようもなくなってしまい、四年間通えずに途中で辞めるケースもある。

 そういう時は「一旦」大学を諦めて、就職するのも手だ。

 ちゃんと技術アピールできれば、会社の受けは大変良い。普通に大学に行っていた人よりは即戦力に近いからだ。それに学校も「就職」させようと四方八方手を尽くすので、教師に言われたとおりに履歴書書いて面接行ってなにも考えずに就職した奴もいる。

 高卒就職するよりは良い条件で入れるし、専門技術会社はパッと出のベンチャー企業より安定していることが多い。

 ちなみに俺は就職した。


デメリット

・編入試験は難しい

 受け入れてくれる大学にもよるだろうが、途中から入ろうとしているのだから内容は難しい。ただそれでも大学に行ければ、

 能力開発校でやる勉強では『絶対』に受からないので、ちゃんと教師相談してしっかりと対策を練ったほうがいい。情熱が伝われば(大抵は)君の味方だ。

・出席日数がキッチリとられる。

 大学と違って、出席日数はしっかりととられる。総出席日数じゃなくて、単位ごとだから注意しよう。バイト等で疲れて休みたいこともあるだろうが、ある一定割合欠席すると問答無用で追い出される(何割か忘れた)


 元の増田文章を読んで「向上心はある」「地元私立は入れるくらいの頭はあるが、それ以上のランクは狙えない」「将来の不安がある(金銭や家族等)」「借金はできるは高額はしたくない」ケースの人かなと思った。

 だから直接大学に行かなくても「こういう方法もある」とあえて書かせてもらった。参考まで。

 
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