はてなキーワード: 夢想とは
親友という存在も恋人という存在とも縁がなく、学生時代は部活をやっていたから辛うじて他者との繋がりがあったが、引退した途端、自発的に人と付き合うことをしていないことを思い知った
いつの頃からかWeb小説やマンガに興味を抱き、細々とマンガを描いて自サイトに投稿したりpixivに投げたりしていた
とある共同制作のコミュニティに入れた時は、創作について話せる人がいるって楽しいなと思った
が、時が来れば人の心も移り変わるもので、そのコミュニティの人間関係が嫌になってしまった自分は、pixivの関連作品を非公開にして、親しい人にだけアカウント削除を伝える旨のDMを送った
一方的に共同制作を持ちかけておきながら作品削除をした自分を非難する人がいたが、相手方に非はないのでその通りだと落ち込んだ
コミュニティに関連するアカウントを削除し、新しいアカウントを作ったら、びっくりするほどフォロワーが少なくなってしまった
いかにコミュニティにべったりだったのかが分かって、自分はそのコミュニティに学生時代の部活のような依存をしてしまったのだと気づいた
そして、コミュニティから出た自分は、以前のように個人サイトでマンガを描くことを試みようとしたのだが、うまくはいかなかった
なぜなら前のコミュニティで非難DMを送った人がフォロワーのフォロワーにいることに気づいてしまったからだ
あの人が自分を恨んでいることを知ってるし、自分も迷惑をかけた自覚はあるからせめてその人の目の入らないところで活動を続けたいという気持ちでアカウントを作り直したつもりだったのだが、考えが甘かった
そりゃあ前のコミュニティと繋がりがある人をフォロワーに持てば大なり小なり自分の行動は筒抜けになるだろう
自分で撒いた種ではあるのだが、自分は行動力も計画力もないのだと悩んだ
いくら鍵をかけても、アカウントが存在する限り「あいつまだマンガ描いてるの」と思われるのだろう
いや、あの人はそんな性格じゃないと言い聞かせるも、心の中で例の批難DMがしこりになって残っているようだった
相手方が「許して欲しいという気持ちが透けて見える」と語った文章だけが今でも目に焼き付いている
自分の気持ちが相手に理解して貰えないのは辛いことなんだなと、今文章を書きながら思った
時は経ち、吹っ切れては無いものの、噛み切れるようになった想いを抱えながら、自分は新たに(というか以前まで存在していた化石サイトを改装した)サイトを作ってぼちぼちマンガ制作を再開している
就職をしたものの、人間関係は依然として希薄なのでプライベートで人と会うことなどとんとなくなった
他人に失礼をしておきながら、そして名のある作家ではない大前提がありながらも、自分には創作しかないのだと理解してしまった
それ以外にやることがないと言えばそれまでなのだが、辛うじて趣味らしきものがあるのは有難くは思う
ところで、以前Twitterでとある呟きを見かけて、意味がわからないけど意味をわかりたいからメモっておいたものがある
新人の頃、先輩編集者が新人作家さんに言っていた忘れ難い言葉があります。「子供の頃からずっと友達がたくさんいて、社交的で、遊び場もゲームもたくさん与えられた人間は、絵描きにも物書きにもなれない。才能にも技量にも理由がある。貴方のコンプレックスはその証拠なんだ」。なんだか泣けました。— たられば (@tarareba722) August 8, 2014
やべえこのツイート2014年のなのかよ!と一瞬思ったが、8年も経てばなんとなくニュアンスが分かるようになった、と思う
読解力がないというか、頭の中で線と線が繋がらないために心から言葉を理解出来ていないが、つまるところ自分は満たされていなかったのだろうという結論が出た
ホッテントリの、恋人が出来たから創作活動が出来なくなった、というのはご最もだと思う
満たされない感情の置き場が創作から恋人に移ったのだろうし、生物としての仕組みはそれが正しいものだと思うから是非その人を大切にして欲しい
残念ながら自分は生物として欠陥があるようなので、今後も創作という一人相撲を続けるだろう
SNSの#繋がりたい 系のタグは生理的に受け付けないし、創作の人間関係で人様に迷惑をかけたのだし、そもそもクローラーにサイトの画像舐められて自分の手元から作品が独り歩きすることが嫌な人間だから検索避けをする以上、SNSで迂闊にサイトのURLは貼れない
故に、表立って作品を宣伝することはせず、その辺の隅っこで自分専用の墓場を作る予定である
自分で書いてて思ったが、凄く陰気で頑固で根暗な人間だなと思った
だから創作なんて毒にも薬にもならないものを趣味にしているのだろう
インターネットに墓場と言っても、デジタル遺産となってネットの藻屑になってしまうのだろうけども、ひとまずはその認識で行きたいと考えている
創作と言いつつ、結局は自己満足だから、自分の見やすい形で管理したいというのが本望なのだ
自分が楽しいものをたまたま覗いた他の人が楽しんでくれたら嬉しいけれど、道端に歩いてる人にこれ面白いよ!と宣伝することはしたくはない
労力だからだ
インターネットの中でも自分のことをアピール出来る人は凄いと思う
例のDMがきっかけになっただけで、元々自分がネガティブ寄りの思考を持つ人間だったのは自覚している
最近(自分が見かける範囲で、だが)「音楽制作は続けるけど作品を表に出すことは辞めたいと思っている」「このゲームが完成したらもう絵なんて描きたくない」という呟きをちらほら見かけるようになった
もちろん締め切り前のイヤイヤ発言ではなく、ばっさりと今後一切の活動を辞めるニュアンスの発言である
彼らのフォロワーでもなんでもない自分は、悲しいなと思いつつ、創作が心の障害になるのなら辞めることも選択肢のひとつだとも思った
今現在創作くらいしか趣味がない自分も、いずれそんなことを思う日が来るのだろう
コミュニティを抜けた日から、永遠は夢想だと思うようになったので、その日が来るまでになんとか絶望しないように生きていきたい
https://anond.hatelabo.jp/20220629082354
記事は自分の読んだ好みの漫画一覧を作ったら便利だなというのと、同好の士のためにリストをウェブに置いておきたいというつもりで書きました
コミティア系(アフタ系ともいう)
の順のつもりにしてます〜
リストはカテゴライズしたりおすすめしてもらった物も追加して少しずつ充実させていきたいと思います!
以下ブコメ返信
Helfardアフタヌーン出身の作者をググって古い作品を片っ端から読めば良さそう。
雑誌はアフタヌーン、ハルタ、青騎士、ネムキ、アックス、ビーム、イタンあたり鉄板ですよね〜
けど私はcomicoで埋もれてるアフタヌーンか?いっそアックスか?みたいなのを知ってたら教えていただきたい訳でしてまして……
ET777むしろ好みじゃないのも読みなよ
好きな漫画全部だと本当に書ききれないので特に知りたいコミティア系に絞った
ジャンプ育ち現役WJ読者、漫画描くようになってからはコミティア系(ブクマで言うアフタ系)が好きで描きたいのに気づいてひたすら探して読む、後は集英社白泉社の少女漫画少々、スクエニ系少々
なので女性向け漫画が弱いかなー漫画ランキングでも女性部門は知らないのが多いし
子供の時から一貫する中心的好みだとコミティア系になるだけで浅く広く色々好き
この辺のジャンルなんていうんだろうね、自分はすこしふしぎ系、いい意味で雰囲気漫画って呼んでて最近はコミティア系という言葉を知ったのでそう呼んでる
コミティア系以外だとハンター、ワートリの能力バトル知略バトル
コミティア系とかぶるけど重めのストーリーのSFやファンタジーあたりが好き
まあおおむね学園ラブコメよりSFファンタジーが好きになるタイプのオタク……
zeromoon0 自分で調べなさい。それかそういうのはTwitterでやりなさいな。
yas-mal スクロールに疲れて、「これだけ知ってたら、自分で探せるやろー!」という気持ちになった。/池辺葵作品が2つ入ってるけど、連載中の「ブランチライン」も最高だぞ。/幾花にいろ「あんじゅう」とかどうだろう?
ブコメおすすめでも知ってる物と、当てはまるけど好みじゃないのと、掘り出し物がでるのは一緒だろうし
検索だと出にくい物が個人のシナプスネットワーク検索で出る可能性にかけたいなと
inatax知ってるか知らないかで優先順位をつけられてもこっちお前が何を知ってるか知らないんだよ / それ町は好きそう。この間連載が始まったばっかりだけどルリドラゴンも好きそう
全くだ!知ってる物も全部書こうと思ったけど無理だったから知らん漫画をリストから予想して知らなそうな漫画に読み替えて欲しい
それ町は最初の方読んだ!ルリドラゴンはおおむね好みだが刺さるにはもう少し……
NOV1975こっち系はどんなに似てても一筋違うと趣味に合わないってすぐなりそう。頑張って読むしかない感じはする
それ!comicoの例だと遠い日には青くの方が要素当てはまってるけど個人的に刺さるのは爪先の宇宙みたいなのよくある
だからリストはこのタイプって伝えるのを優先して、刺さらなかったのも含めて例としてまとめて上げた
……のだけど数上げてるうちに自分でもこれは範囲に入るのか?となってきてしまった
aliliputジャンケットバンク読んでください!ジャンプラで無料で読めます!何なら5巻まで買ってあげるから!!
エンバンメイズ好きだったのでジャンケットバンク読むつもりです
さすがmirunaさん!知らないのだった
chibatp9 多すぎて絞れないから無視してSF妖怪終末方面の俺の好きな漫画を勧めるぜ。『怪異いかさま博覧亭』『篠崎くんのメンテ事情』『終末ツーリング』『アップルパラダイス』『世界の終わりに柴犬と』文字数が
kukky 佐藤史生は過去作Kindleで読めるから全部読め!竜が出てくる作品でもファンタジーではなくSF寄りだけど。
otoan52 廃墟好きそう。ハロープラネット絶対好きな人だ。
はい!大好きです!ハロプラでボカロとささくれさんにハマり今年初マジミラ参加の予定です
kerokimu シャドーハウス、海獣の子供、The Mark of Watzel などがハマりそうと感じました!ていうかほーほけが入ってる!増田好き!/かげきしょうじょは読んだ?京極堂シリーズのコミカライズがおすすめなんですけどどうですか??
ほーほけいいですよね!かげきしょうじょ既読です!
昨日TLで京極堂の学パロ(学パロではない)おすすめって話でて今日Kindle遡ってたら中禅寺先生買ってました!思い出せてよかった、ありがとう!
多数おすすめ
・ニセモノ協会
知ってるけど未読です!かなり好みの要素が多そうな雰囲気がしているので楽しみ!
・葬送のフリーレン
一話試し読みでチョットチガッタ……になったので迷い中
これも一巻無料読んで迷い中
一巻だけ読んでry
好み要素も多そうだけど地雷要素も多そうで躊躇い中
教えて欲しいんですがグロすごいってよく言われているけど血が出る外傷があるグロですかね?
精神リョナは耐性あるけど血が出るリョナはまじで無理、人の怪我した話聞くだけでグロッキーになるぐらい無理
図書館で読んだりすごい昔に読んだり無料公開で読んだりで忘れていた物と
これは範囲内か?と迷って入れなかった物
書いてくれたのにすまん!
・宝石の国
大好きです!でもリストで伝えたかった種類とは違うタイプじゃないかな!?
・外天廊
言われてみれば要素だいぶ一致してますね……
自分の中では縦軸ストーリー強いからそれがなくて魔法日常物だったら入るカウントだった
これも言われてみれば……ゼロサムはLandreaallとボクラノキセキが鉄板すよね
知らなかった物
・しょうもないのうりょく
・コーセルテルの竜術士
・船を建てる
・マホロミ
・つるまき町夏時間
・リュウマのガゴウ
・任侠転生
・群青学舎
・とくにある日々
・そのへんのアクタ
・水の森綺譚
・ヨツコト
・バカ兄弟
・私を月まで連れてって!
・きみと世界の終りを訪ねて
・令和のダラさん
・狼には気をつけて
・桃と犬と海
・グランローヴァ
・前略 雲の上より
・半助食物帳
・昴とスーさん
・IYA Death
・星旅少年
・TUKIKAGEカフェ
・砂の下の夢
・三千世界を弔って
・夢想のまち
・コーヒーもう一杯
・極彩の家
・エニデビィ
・マップス
・さめない街の喫茶店
・午後3時の魔法
・夏の前日。
・空の色に似ている
・宇宙家族カールビンソン
・終末の惑星
全部触れられなくてすみません
トラバと知ってる未読漫画と漫画以外のおすすめも別途返信しようと思ってますが今日も寝る時間になったのでまた後日編集します!
そうですね
私には価値が無いです
馬鹿で学歴がなくて肩書きがなくて不細工で、でもちょっとだけ可愛い女
そういう人にいつも憧れていました
なぜ私はそうなれなかったか
金です
教育費に膨大な金をかけたから私は勉強ができる人間じゃないといけなかった
あの膨大な金
私が自由に使っていいなら、歯列矯正と全身脱毛とワキガの手術と目鼻の整形と美容院に使いたい
なんでこうなったかもう少し振り返りたい
まあそうでしょうね、私が親でもそうします
やりたいことが無さすぎて進路が決まらない私に
建築の設計図書くのなんか絵の代わりになりそうじゃない、と適当に誤魔化そうとしましたね
この進路でよかったと思ったのも束の間、「設計」は非常に難しいものでした。感覚的デザインとは違う
できないと気づきました。頑張れたのは一瞬だけ
「本当に好きなことじゃないと、続けられないよ」
分かりますよね
人生に迷っているとき、私が見つけたのはどこかの誰かが言ったこの言葉です
「得意ではないことでやっていけるほど、世の中甘くない」
虚しくなしました
得意なことを捨てて、数学が苦手なのに理系にしろと言われ、理系クラスで落ちこぼれ、大学でも落ちこぼれ、仕事もままならず
進学校でずっと成績が良かったのに地元の大学に進学したんですよね
羨ましい
劣等感を植え付けられ続ける10年間を過ごしたことがありますか
親の機嫌取りのために自分の考えが変わったフリをした20年間を過ごしたことがありますか
なんだったんでしょうね、この人生
幸福な人生か不幸な人生かは関係ない。やるべきことをやって生きるだけ。
そうですね
そうなんですよ
頭では理解しています。気持ちが追いつかないことがあります。不便です。
わかってるのに、いまだに好きなことがしたいという願望があったり、人生やり直したいと夢想したり、幸福になりたいという欲があるのはなんなんだろう
私は理屈で死にたいのではなく感情的に死にたいと思ったということ
どれだけ恩があろうと母さんをそこそこ憎んでいるということ
泣きたいのは私です
育てられ方も育ち方も生き方も全部を間違えた
もう生きません
こんなことを最後に言いたくなかった
LGBコミュニティでは、昔っからそういう形で同性婚を批判する議論はあります。ぶっちゃけ50年以上前からあったし、今も同じ事を言ってる人たちはいます。
まずゲイ男性の同性婚批判について。ハッテン場とかをイメージしてもらうとわかるけど、ゲイ男性界隈というのはだいたい性的な交流・交渉に対してオープンで(享楽的ともいう)、短期間に多くのパートナーを持ったり、ワンナイトだけと割り切ってたりと、特定の相手との排他的な関係(モノガミーシップ)に拘束されたがらない人達が多かった(今でも多い)です。アクティヴィストも、基本的にはこういう行動パターンを自分たちが創り上げた独自のライフスタイル(ゲイ・ライフ)、異性愛主義から解き放たれたゲイ男性独自の文化的資産とみなし、肯定的に捉えてました。
もちろんそれは、同性との持続的関係を公にしつつ生きることが難しい時代背景ゆえの事情でもあったし、一方で60年代のヒッピー文化でもフラワーパワーとかと並んで性の解放が訴えられてたという事情もあったんですけど、まあ時代の空気だったんですね。で、そういうライフスタイルが主流だったゲイ男性の多くにとっては、「同性婚」というのはあんまりピンと来ないテーマだったんですよ。俺たちがヘテロの真似してどうすんの、という。米国でも欧州でも日本でもこういう言説は根強くありましたし、当事者自身がそう書いている書き物も多く残っています。
もう一方のレズビアン界隈での同性婚批判について。こっちはこっちで、結婚制度を「男女の性役割分業を究極的に固定化する差別的な制度」という風に見る人たちが多かったんです。今よりもレズビアン・フェミニスト的な立場の人達の影響も強かったし。家父長制と結婚制度こそが世の女性たちを抑圧しているシステムなんだから、それを自分たちが模倣するなんて…という抵抗感もありました。
そもそも当時は、「同性同士が結婚する」というアイディア自体、多くの当事者にとっても突飛な、想像を超える、およそ現実的でない絵空事だったんですよね。大半のゲイやレズビアンは、そんなことが本当に実現するとは思ってもいなかったから、それを目指して社会運動したりもしなかった。そもそも「昼間の世界」でカムアウトすること自体が自殺行為みたいな時代です。同性愛という性的指向を詳らかにして堂々と同性パートナーと暮らすことすら難しかったわけですから、さらにそこに法律婚の仕組みを適用するだなんて発想を持つ人はほとんどいなかったんですね。もちろん「同性のこの人と結婚できたらいいなあ」と夢想する人達は当時もいましたけど、それは多くの場合、ロマンティックなファンタジーとして語られていた。結婚制度を同性間に拡張することで、異性カップルに認められているさまざまな社会的権利を自分たちも獲得しよう、という発想はまだ乏しかったんです。
こういう流れを一変させたのが、80年代のAIDSパニックです。若い人は知らないと思いますけど、日本でも当時はプライバシー侵害なんかガン無視した、壮絶なパニック報道がありました(参考: https://www.janpplus.jp/topic/433 )。今でこそHIVとAIDSは、発症の抑制も症状の緩和も可能な、生活態度次第では余命を全うできる病気になりましたが、発見当初は本当に不治の病だったんです。震源地のひとつとなった米国のゲイ界隈はもう本当に凄惨な状況で、各都市のコミュニティ自体が壊滅し消え去ってしまうほどのパンデミックになりました。バスハウス(ハッテン場)で活動的だった人達を中心にゲイシーン全体に感染が広がり、次々に病み、衰え、死んでいったんです。その中にはもちろん、互いに大切に思っているパートナーと長期的関係を築いていたカップルもいました。その経緯を通して、パートナーの病と死に伴う課題、つまり「パートナーの医療・看取り・相続などについて、同性愛者は全く権利がなく、法的にとても脆弱な立場にある」ということがコミュニティに深く認識されることになりました。
結婚というのは、恋・愛から始まる親密な関係に確固とした法的枠組を与えてくれるものであると同時に、人が生きていればいずれ来る病・苦・死のリスクに対して、信頼できるパートナーと共に備え、支え合うことを可能にしてくれる枠組でもあります。AIDSという歴史的な苦難は、そのことへの経験と想像をゲイ/レズビアンコミュニティ全体に与える決定的な機会になりました。「ゲイの老後」という、それまであまり語られなかったトピックが海外でも日本でも注目され始めたのこがこの頃です。多くのゲイ男性が「自由で享楽的なゲイ・ライフ」という夢の先にある、生活者としての現実をシリアスに捉えるようになった…といってもいいかもしれません。これを保守化と取るか、成熟と取るかは人によって違うでしょうが、自分は後者だと思います。
AIDSパニック以後、ゲイ/レズビアン・アクティヴィズムが一気に同性婚推進路線に舵を切ったわけではありませんが、パートナーシップに対する法的保護のニーズを求める声はじわじわと広がっていきました。そして、米国各州で一部当事者と法曹支援者が同性婚訴訟を起こして、そのうちいくつかで良い結果が出続けたことで、同性婚に対して微妙な葛藤を持っていたアクティヴィズム界隈でも「これは行けるかもしれない」という手応えがでてきて、徐々に同性婚をめぐる権利運動が主流化していきました。このあたりの経緯は、ぜひジョージ・チョーンシーの『同性婚 ゲイの権利をめぐるアメリカ現代史』をお読みください。
というわけで、実は元増田の意見は割と真っ当というか、問題の芯をとらえてます。というのは、元増田が書いてることは、かつてのレズビアン/ゲイコミュニティでの典型的な同性婚批判のロジックとしっかり符合してるからです。
これは上でも書いた「異性愛前提の制度を模倣・従属すべきでない」という声。
それよりも新しく同性パートナーと生きていくのに必要なことを自分たちで決めてそれを法律に落とし込んでいく方がいい
それが多様性だろ
これは「既存の結婚制度に縛られない、よりフラットな意味合いの法律関係(シビルユニオンやPACSやパートナーシップ制度など)」を求める声。これについては、保護される権利が同等でない「まがいもの」で満足すべきではない、という批判もあったりして、結局それぞれにニーズのある人達がそれぞれの路線で運動して、結果的に両方が実現していくという流れがあります。
「恋愛のゴールとしての結婚」も、やはり異性愛主義やロマンティック・ラブ・イデオロギーの模倣とみなす批判はあります。一方で、先のチョーンシーはゲイの歴史学者で「自分は同性婚が法律化されても利用しないと思う」という立場ですが、それでも同性婚をめぐる運動が当事者を強くエンパワーしていることははっきり認めています。やっぱり法律婚って、そのパートナー関係に対する社会的承認の象徴なんですよね。その関係を行政が公的に認め、社会も追認する。そういう承認を得ることが当事者にとってどれほど心強く、報われる、喜ばしいことなのかは、想像していただければわかるのではないかと思います。
元増田のような問いを受け止めつつ、それでも諸々の紆余曲折を経て、同性婚の実現による法的権利と社会的承認の獲得に向かって前進してきたのが、今のレズビアン/ゲイコミュニティだと思います。
戦場となったウクライナから避難してきた弱い立場の女性を、相手の自由意志を確かめるべくホテルに誘うなんて行為は、不快感を与えてけしからん!許せん!
ウクライナ避難民女性にTBS社員が〝不適切言動〟のSNS情報拡散 局はホテル誘った事実否定 –
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/4243598/
一方でウクライナの男性は平穏な日常を送っていたら周りが戦場となり突然戦争に巻き込まれ、死にたくない、自分も家族と一緒に避難して安全に暮らしたいと思っても、
世界中が助けの手を差し伸べ飛行機代も出して現地の生活基盤も整えて受け入れている女性と違って、
ウクライナ政府によって国外脱出すら禁じられ、出ようとすれば即犯罪者として10年近くの懲役刑を食らい(
https://twitter.com/OKB1917/status/1529630080762527745)
仮になんとか脱出に成功しても「裏切り者」「卑怯者」「臆病者」とレッテルを張られ蔑まれるわけです。
そしてそんなウクライナ政府の措置に対してみなが声高に非難するわけでもなく、
むしろ普段は「人権尊重」「自由尊重」「男女平等」と口先ではお綺麗なお題目を唱えてるはてブですら
「国の存亡の危機では仕方ない」と消極的肯定したり、「他国の事には何も言えない」と目を逸らし黙認したり(普段は他国や他者や他人の事に口を出しまくってるくせにね)、「反戦の中にロシアの手先もいるからな」となんの根拠もなくスパイだから罰せられて当然と決めつけたり、
「フリーライダーなのだからレッテルくらい甘んじて受け入れろ」と、ただ死にたくないだけの人を誹謗中傷することに加担したりするわけです↓のとおり。
戦争したくないと表明…浴びせられた「恥を知れ」 消える個人の自由
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASQ6852YVQ67UHBI02S.html
ゼレンスキー氏、男性の出国求める請願書に「故郷守ろうとしてない」
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASQ5R1SQ2Q5RUHBI001.html
(「甘んじて受け入れろ」の人、日本国内に避難してきたウクライナ女性が同じように「卑怯者」「裏切者」と侮蔑されても同じように言うの?男性に対してだけ言う男性差別愛好家なの?)
女性は「命の危険のない安全な場所(日本のバー)で個人からホテルに誘われた」だけで酷いことをされたと同情されるのに対して、
男性は「国家権力から本人の意に反して強制的に命の危険のある戦地からの脱出を禁止され、本人の意に反して強制的に徴兵されて戦場に送りこまれ、本人の意に反して強制的に見知らぬ他人を撃ち殺したり撃ち殺されたりさせられても、仕方ないと見過ごされる」
という凄まじいまでの恐ろしい非対称性なんですね。
女性は安全な場所に避難できて、その避難先で不快な対応をされただけで怒りが沸き起こり「なんて酷い、許せない」と同情される。
男性は戦地に留め置かれ死ぬこと殺すことを本人の意に反して強要されても「仕方ない」と見過ごされる。
男性の命の価値は、女性の一時の不快な体験(かどうかもわからない、本人の告発があったわけではないから。本人は何も感じなかったかもしれない)よりも軽くてどうでもいいことだと。死にたくないのに強制的に死地に赴かされる男ども数万人が死ぬことなんかより、ホテルに誘われるような若く美しい女性一人が不快に感じたかもしれない事のほうが重大で許せないことだと、はてフェミやツイフェミの方々はみなそう思ってるわけですね。
男女平等を実現するべくがんばってる人たち、この究極の性差別にはなにも言わないんですか?
「女性にとって有利な差別」ならスルーですか?いやこれ「女は弱い存在だから男(男社会)が庇護しないといけない」ていう家父長制ですよ。
その裏側にあるのは「女は弱い存在だから権利も男同等には認めない」ていう80年前の価値観ですよ。
大日本帝国の価値観を仮にもフェミニスト自称するツイフェミ・はてフェミの方々が積極的に表明、擁護してどうすんですか。普段あれだけ言ってる「価値観のアップデート」はどこ行っちゃったんですか。
「義務は軽く、権利だけは同等に」ていう都合のいいつまみ食いが目標ですか?そんな社会運動、男性は納得しませんて。
それができると思ってるならあまりにも現実しらずの夢想家ですよ。
そうなのかな。
正直自分は幼児期から出来が良くて勉強もすごくできたけど、親、特に母親からは手放しに褒められた記憶なし。自分の子どもの出来が良いことに喜ぶようなそぶりもなし。
どんなに良い成績を獲っても、一番ましな時で「あんたの100分の1でも○○(弟)ができたらね」と疲れた顔で言われた記憶しかない。悪い時は「成績が良いからって調子に乗るな」と言われる始末。
小さい頃から「生意気だ」「育てにくい」「贅沢」「気が強い」「わがまま」と言われ続け、小学校高学年になった頃には反抗期で親との関係は悪かった。
ずっと成績は良かったけど、相変わらず良い成績を獲っても特に誉められず、常に「扱いづらい娘」という空気を母親には出されていた。
「あんたがいくら勉強できても、○○(弟)の方が優しいし、人間そっちの方が大事」みたいなことを何回か言われたこともある。
母親は精神疾患持ちで、物心ついて以降少なくとも小学校の時、高校の時の2回長期入院。
特に高校の時は反抗期で荒れていた自分のせいにされているような空気を感じていた。(実際の原因は職場にあったよう)
母親からは妄想も入り混じって時には暴言吐かれたし、こちらも相当なことを言っていたと思う。
他の親が当たり前にやってくれる様々なことはやってくれず、他の親が関心を持ってくれること(成績とか)には全く興味がなく、ただただわがまま言わずにとにかく大人しくしといてくれ、としか思われていない感じがずっとしていて、辛かった。
弟の軽度知的障害も母親の精神疾患も恥ずかしかったし、障害の有無関係なく弟のことは人間的にあまり好きになれなかったし、今もなれていない。
そんな家族が嫌で早く出ていきたくて、勉強して良い大学に入って良い企業に入ってお金を稼いで家族とは物理的にも精神的にも距離を置けることを願っていた。
離れてからは母親との関係も改善して、たまの里帰りは楽しくできるようになっていた。弟の存在はやっぱり嫌で、両親亡き後のことを考えると本当に気持ちが暗くなって、自分が一人っ子だったらどんなによかったか、とよく思うようになった。
問題ばかりの家族で最悪な環境だったと思っていたけど、弟さえいなければ両親のことももっと好きになれたし、普通にまあまあ良い家族になれたんじゃないか、と何度となく夢想した。
子どもが出来た時は弟のこともあり、遺伝カウンセリングが胎児エコーなどできることはなんでもやった。
今のところ子どもは健常で、幼児期の自分と同じように周りよりも発達が早くて賢くて自慢の子どもだ。
自分に似て気性が荒いところもあるけど、そこも含めて本当にかわいくてかわいくて仕方がない。
自分の子どもを育てるうち、自分には母親に手放しで可愛がられた記憶が一切ないけど、もしかすると弟が生まれるまでは自分もこんな風に愛されて可愛がられていたんじゃないか、と思い始めた。
確かに自分に子どもが2人いて、そのうちの1人は平均よりもずっと勉強ができるがもう1人は知的障害でごく普通の人生さえ送れない、という状況だったら、どんなに平凡でも2人ともに「普通」であってほしい、と願うかもしれない、とも思った。
自分の子どもに障害があるかも、という状況でその不安を隠して上の子を愛情いっぱいに育てられるようなキャパは確かに母親にはない。
もし知的能力が移譲可能な世界であれば、私は弟に足して2で割った差分を譲るべきなのか。
幼児期の私の気持ちはどうなるのか。小学校の時の私は。中学高校の私は。
頑張っても親に褒められず喜ばれず、何をしても疎ましそうな顔で見られ、二言目には「贅沢」「わがまま」「上を見過ぎ」と言われる。
今、褒められないながらも勉強を頑張ったおかげで、社会的にはまあまあ成功している部類だと思う。子どもの頃散々親に言われた「贅沢」で「上を見過ぎ」な生活を送っている。
親は、そんな言葉をかつて娘に投げかけたことは綺麗さっぱり忘れ、高学歴で社会的に成功している娘家族を、昔からそうしてきたかのように褒め、出来の良い孫を褒め、手放しで可愛がっている。
ただ、今どうしても許せないことがある。
人並みの親孝行として両親を家族旅行に誘うと、当たり前のような顔で弟も連れてくる。
良い大人なので、連れてくるなとは言えない。
でも、小さい人間だと言われるかもしれないが、最悪だった家族環境で努力して手に入れたこの私の幸せな家族に、両親は屈託なく参加し、そこに私が嫌っていることを間違いなく両親も知っている弟を平気な顔で毎回連れてくることが許せない。
弟が一人で留守番できないということはなく、両親が私の家に泊まるような時はさすがに連れてこない。
両親はあまり出来た人たちではないので、この気持ちをぶつけてもオロオロするだけだということはわかっている。
両親は両親でかわいそうな人たちだということもわかっている。
自分達には手に余る障害児育児に苦しみ、上の子の反抗期に苦しみ、自分や妻の精神疾患に苦しみ、という時期を経て今は子育ても仕事も落ち着いて、孫も可愛くて、幸せそうにしている。
そこに水を差すのは心苦しい。
でも、幼児期からのこの自分の苦しみを、誰にも言わず、自分だけの中にとどめておくのが辛い。
両親にぶつけたいと何度も思ったけど、もう老い始めているあの人たちから納得のいく弁明を聞けるとも思わない。
ただただ辛い。
旅行に弟が来なければ、ただの親孝行としてこちらも楽しめるのに、と思う。
これからも弟を連れてくるのなら、もう二度と行きたくないと毎回思う。
連れてこないでほしい、と言うことがどんなに大人気ないことかもわかっている。
どうしたらいいのかわからない。
https://www.moneypost.jp/230962
落合陽一、ハラリは「夢想的で危険」東浩紀が斬る“シンギュラリティ”論に潜む“選民思想”
https://bunshun.jp/articles/-/53514
主著「デジタルネイチャー」でエリートとベーシックインカム+AIで幸福を与えられた一般市民は分かれるべきと主張
落合陽一さん「社会学者という肩書きの『クソ大学院生』にディスられる事態が発生」とブチギレ
https://togetter.com/li/1649414
落合陽一といえばカレー飲んでる、風呂入ってない、寝てない、ずっと会議・研究してるアピールなどの「俺は手を動かしているアピール」で有名だが、つまるところ
彼自身が選民(エリート)たる根拠を常にSNS上で発信し続けていることに他ならない。
https://togetter.com/li/1884669
といっても、最初の方を1分程度眺めただけで、あとははてぶコメントで推測・補ったという程度なのですけれど。
そのお嬢さんは、スマホ依存なのでは・・と感じます。そして、性依存になる可能性もゼロではないのではと心配になってしまいました。
本や体験談などを聞くと、根底にあるのは「不安」や「寂しさ」です。
愛情が向けられているか不安になり、寂しさを埋めて欲しいからSNSや出会い系等を利用しすぎてしまうのだと解釈しています。
心配している。と。
言葉にして、そしてお嬢さんが嫌がらなければ、一緒にお食事をしたり外出をしたりして楽しい時間をともに過ごしてください。
勿論、一方的な押し付けになってしまっては逆効果ですし、難しいとは思うのですが。
ただ、提案して、そして嫌がった場合に、その意思を尊重してもらえた。そして自分のことを好いてくれているから提案したのだと感じることはできるでしょうし、無駄ではないと思うのです。
なにか好きなもの(個人的には、お菓子やケーキよりお料理お惣菜だったら素敵だなと思うのですがw)ないか?あったら一緒に食べないか、とかそんなやりとりをして、関心を持っていると愛情を分かりやすく伝えてあげて欲しい。
見知らぬ相手に年齢詐称して会うリスクを冒すというのは、寂しいのではないかと、自分の体験からも思うので。
自分も反抗して自傷行為や軽い家出、売春未遂(というのも変ですが)を沢山行いました。
そして上記のは、例えば自分がそれくらいの年の頃にこういう暖かい言葉がけをもらっていたら嬉しかっただろうなと夢想しながら書いてみました。
最初は拒絶するだろうけど、気にかけてくれているんだと少し喜ぶ、幼い子供の自分を想像して。
企業は自社の本業の宣伝として、個人は承認欲求や自己PRで築かれるのかな。あとは、寄付や課金で成り立つ機関の知識共有。
もちろん有料サービスは今と同様で。
検索するとコピーサイトだらけ、それっぽいページでも開けば大小の広告、そっ閉じ。の繰り返し。
どしたらいいのかなぁと。俺が考える最強のインターネットを実現するには。
寄付の仕組みは進化してる気がするから期待するけど、安定しなそうだからそれに頼るのは難しいのかな。
インターネットは教育格差を減らす最強ツールだと思うので、あまねく人達に届いてほしい。
そのために広告収入が必須なのかと言ったら、今はそうなんだろうな。。
これ何年チクチク考えてるんだろ。